『海原』No.60(2024/7/1発行)

◆No.60 目次

◆海原秀句 同人各集より

安西篤●抄出

逝けば兄なぜか善き人濃餅汁 綾田節子
木の実降る木の国木の家空き家かな 有村王志
初蝶を追う眼に写る戦闘機 石田せ江子
春の山金属音の耳なだめ 遠藤秀子
品川はクレーンばかり朧なる 大池美木
ふきのとう御伽噺のような目だ 大髙宏允
桜さざなみ風の記憶を上書きす 大西健司
春炬燵夫の足ある夢に覚め 大野美代子
Z世代の春眠あわてふためかず 岡田奈々
花は葉に私をとっちらかしたまま 奥山和子
春愁ふんわり乳ふさ揺れるよう 桂凜火
雪柳そよと不在の置手紙 川田由美子
鳥帰るそれとなくお洒落して 北上正枝
遠雪崩加齢はとぐろ巻くように 黒岡洋子
デパ地下や寒鯉のごと夫ついてくる 黒済泰子
山茱萸の花打ち明けるときの息 小松敦
原爆忌透明傘が歩いてる 清水茉紀
音叉のふるへ沈丁の香のふるへは すずき穂波
国境を跨ぎておなじ黄水仙 ダークシー美紀
母とする連想ゲーム桜貝 竹田昭江
緑泥片岩ぎごちない春の着地 鳥山由貴子
黙祷へ小さく畳む春ショール 根本菜穂子
兜太先生ゴジラを諭す春の峠 野口佐稔
まんさく咲くするするっと素となる 日高玲
杖が倒れる春とわたしとの距離に 平田薫
悪童を少ししめらせ揚雲雀 松本勇二
野遊びや風いつからか口語体 宮崎斗士
あかるい雨先生六度目の春ですね 室田洋子
早春展墓大字生きもの字産土 柳生正名
一階は母のさざなみ霾ぐもり 横地かをる

日高玲●抄出

隠し戸の煙草一箱暖かし 伊藤歩
春の闇這い出す脱いだブーツより 榎本愛子
猿たちが木の皮を食べ春を待つ 遠藤秀子
春炬燵夫の足ある夢に覚め 大野美代子
入学や袖からのぞく指の反り 金並れい子
デパ地下や寒鯉のごと夫ついてくる 黒済泰子
いっせいにうごく僧の頭緑の夜 こしのゆみこ
蝶落ちてインク広ごる紙の束 小西瞬夏
雨の秩父三月がもりもり歩く 三枝みずほ
利根河原渡し場までの苜蓿 篠田悦子
月朧柩の中の眼鏡ふく 菅原春み
鰊曇婆がきゅーんと孤にひたる 十河宣洋
柿若葉生れし小牛の耳が立つ 髙井元一
春愁や水切りのつつつつつつつ 竹田昭江
ひとり来てひとりのことば花水木 田中亜美
秩父夜桜全身で濡れてゆく 田中信克
桜越し広島の街ガザの街 谷川瞳
春こたつ四角と見れば鶴を折る 中村道子
兜太先生ゴジラを諭す春の峠 野口佐稔
つぎつぎに木からでてゆく春の昼 平田薫
行く先は知らず隊列を組む土筆 平田恒子
物の芽や初産の馬眠りをり 本田日出登
山羊の眼の冷徹春田打つ時も 松本勇二
水の春フリーハンドでわたしの円 宮崎斗士
山査子さんざしこの傷きっと痣になる 村上友子
背の羽をきっちり畳み受験生 室田洋子
啓蟄やぴくっぴくっと脹ら脛 森由美子
早春展墓大字生きもの字産土 柳生正名
尾張遠し梅待つ畠に佇つ杜国 山田哲夫
ながらへて今年のさくらといふさくら 横山隆

◆海原秀句鑑賞 安西篤

品川はクレーンばかり朧なる 大池美木
 品川は東京湾の臨海部を抱えていて、コンテナ埠頭や貨物ターミナルとしても位置し、大規模な産業用地が広がっている。西側に山の手台地があって住宅街でもあるから、「品川はクレーンばかり」とは必ずしもいえないのだが、東京湾に面する東側はそうみてもいい一帯である。作者はそこに着目して、林立するクレーンの林に漂う朧夜の気配を捉えた。そのメカニカルな空間を蔽う朧夜の風合ふうあいが、独特の朧感を浮かび上がらせる。どこかキュビズムの感覚に巻き込まれそうな気配。

桜さざなみ風の記憶を上書きす 大西健司
 風が立ち初めて、桜並木がさざなみのような葉騒に包まれた。短な間をおいてまた風が立ち、桜並木を舐めてゆく。そのたびに桜に刷り込まれた風の記憶が、上書きされていくという。「上書きす」に、デジタル時代の感覚的把握が生かされて、いかにも新世代を感じさせ、「風の記憶」が鮮やかに更新されていく。

花は葉に私をとっちらかしたまま 奥山和子
 桜の花が葉桜に変わる頃、「私をとっちらかしたまま」とは、何を指すのだろう。花の盛りに浮かれていた気分そのままに、踏ん切りのつかない余韻を引きずっていく感じだろうか。「とっちらかしたまま」とは、そんな未整理な自分の、どこか疲れを帯びた自堕落な意識感覚を言い当てているようだ。なにもかも投げ出したい気分。

雪柳そよと不在の置手紙 川田由美子
 雪柳は、庭木として植えられ、白く細かい花を柳のように枝垂れさせて咲く。枝垂れた雪柳のその先に、不在の置手紙があるという。不在というからには、作者のイメージの中に置かれたもので、現実には存在しない。不在のままの置手紙は、作者にとってあらまほしきイメージとしてある。雪柳の枝垂れは、その不在感を指し示しているともいえよう。

遠雪崩加齢はとぐろ巻くように 黒岡洋子
 忍び寄る加齢現象を、いささかの怖れとともに感じている。今は「遠雪崩」の物音のみで、まだ蛇のようにとぐろを巻いている状態だが、やがて眼前の雪崩となって襲いかかる。その時の備えも何もあらばこそ、容赦のない現実は受け止めざるを得ない。曽野綾子もいうように、人間誰しも最後は負け戦だから、運命を承認しないと死は辛いものになる。とぐろを巻いているのは、今まで通りに暮らすということを意味していよう。それしかない。

原爆忌透明傘が歩いてる 清水茉紀
 原爆忌の比喩としては、例をみない捉え方と思う。たしかに原爆の被災地ヒロシマ、ナガサキでは、生きものを含むすべてのモノが、放射線で裸に引き剝かれた。被爆後の現地では、剝き出しになった裸の人間像のよろめき歩く姿が透明傘の下にあるように、あからさまに現出した。人間像そのものを描くより、被爆像を蔽う不在の透明傘を通して見るしかない人間の姿だ。それは原民喜や峠三吉の詩にも活写された無残な映像でもある。

国境を跨ぎておなじ黄水仙 ダークシー美紀
 句そのものを直に解せば、国境を跨いで黄水仙が咲き続いているとなる。この場合の国境は、日本国内における地域の国境と解するのが自然だろうが、昨今の時局を踏まえて、ロシアとウクライナの国境とみれば、時事俳句としての興が沸く。もちろん話題としては、後者の方が面白いが、前書きのないかぎり前者と取るのが自然だろう。国境を跨いでの黄水仙の存在は、隣国への親しみが、地続き、花続きの縁をさらに深いものにするに違いない。

まんさく咲くするするっと素となる 日高玲
 まんさくの花は、早春にまず咲くことからその名が由来するという。葉が出るより早く、線形でちぢれ気味の四弁の花が枝一杯に咲き続ける様は、金縷梅という漢字名にふさわしい。それは豊年満作踊りの満作にも似ているとも言われている。掲句の「するするっと素となる」という捉え方は、作者独特の形容だが、「まんさく咲きしか想いは簡単になる(金子皆子)」という句もあるように、素直に、シンプルに、ストレートに通う心情そのものに通い合う。

野遊びや風いつからか口語体 宮崎斗士
 野遊びは、春、山野に出かけて、食事をしたり、摘草をしたりしながら、一日を楽しみ過ごすこと。現代風にいえば、ピクニック。今では単なる行楽だが、昔は農事の始まりに先駆けて田の神を祀るために精進する行事であった。それがいつの間にか遊びとなったことを、作者は口語体への変化と捉えたのだろう。野遊びの文化性が、行事から行楽へと変わった。文化の遊び化は、フランスの社会学者ロジェ・カイヨワの説を待つまでもなく現代の趨勢だが、掲句は、文語体から口語体への変化と、言葉の変化として捉え返したのである。「風」は、時代を吹き抜ける風潮を象徴している。

◆海原秀句鑑賞 日高玲

隠し戸の煙草一箱暖かし 伊藤歩
 百害あって一益なし、と喫煙可能の場所も大きく制限されている昨今。周囲からも諭されて、禁煙中を標榜している家人が、こっそり隠している煙草を偶然に発見。こんなところに隠していたのかと呆れたり、腹が立ったり、苦笑したり。一瞬のうちに様々の感情が心を往来しながらも、家人の面影も伝わってきて、その一箱が、どこか懐かしい。日常の細やかな心情を、煙草一箱暖かし、の措辞でズバリと表現された。

春の闇這い出す脱いだブーツより 榎本愛子
 帰宅して、一日中履いていたブーツから足を解放すると、ブーツの中の暗がりになにやら得体の知れないものが蠢くような気配がする。いつの間にブーツの中で生まれた虫なのか、魑魅魍魎なのか。春の闇の艶めかしい季節感を、空想を交えて日常の景に取り込んだ楽しい作品。這い出す、の措辞が利いて、肉体の感覚として伝わってくる。

いっせいにうごく僧の頭緑の夜 こしのゆみこ
 樹木が芽吹きして新緑となり、さらに葉が茂ると、より濃厚で、重量感ある緑となるが、そんな緑の満ちた夜に、僧の一団の剃髪した頭が一斉に動きだす景。暗闇の中で蠢く僧全体が、命溢れる緑の景とぶつかり融合して、ひとつの別個の生命体の塊りのようになる。妙になまめかしい感覚が緑夜の中に横溢してくる。

鰊曇婆がきゅーんと孤にひたる 十河宣洋
 鰊曇の語により、北海道の海辺の村の景が一気に広がる。鰊曇は鰊漁のころの空模様。南風が吹き雲が低く垂れ込める。かつて鰊漁が盛んなころはこの空模様を目安に出漁し、海が時化て漁船の事故も多かったと歳時記にある。掲句は、いきさつは知りようもないが、季節風が吹き、不穏な鰊雲が重く垂れ込めるころになると孤愁を託つ婆の姿。どこかやるせない「きゅーんと孤にひたる」の措辞に、長年風土に縛られた身体感覚が現れる。

春愁や水切りのつつつつつつつ 竹田昭江
 憂鬱な気分を持ちあぐねて水辺で水切りしている景。それにしても、この大胆な表記にドキリとする。つ、の文字サイズが次第に小さくなる表記だけで、投げた石が遠く小さくなって行く様や、最後には、水の中に没してしまう景が視覚としてまざまざと見えてくる。やがてかすかな水輪と、虚しい空間だけが残って、軽く虚脱する気分が打ち返されてくる。春愁、の季とよく響きあう。

兜太先生ゴジラを諭す春の峠 野口佐稔
 このたび、アカデミー賞を受賞した日本映画のあのゴジラを登場させて、「猪がきて空気を食べる春の峠」のあの峠で、暴れまわるゴジラに説教をする兜太師、といったユーモラスな景を描いた。作者の空想が楽しい作品。金子師を懐かしみながら様々な場面にご登場いただいて、天上の師も苦笑いしておられるだろう。

つぎつぎに木からでてゆく春の昼 平田薫
春の昼に木から出ていくものは何だろう。冬の間に木の中でジッと耐えて閉じこもっていた何ものか、樹木の中に生息している虫なのか、木の精霊なのか、あるいは、凝り固まっていた自分自身の亡霊か。樹木との交感により、声なき野生からのメッセージを聞く。つぎつぎに木からでてゆく、という美しい発想に惹かれる。

物の芽や初産の馬眠りをり 本田日出登
 若い牝馬が初めての出産の難儀を越えて無事に仔馬が生まれた。その満ち足りた疲労のままに親子で深い眠りについている。時はあたかも芽吹きのころを迎えて、植物が夜中ざわめいている。牧歌的と言うべきか、ういういしくも力強い生命感に満ちた景の美しさに惹かれる。

水の春フリーハンドでわたしの円 宮崎斗士
 伸びやかにフリーハンドで円を描く。熟練した腕がなければ難しいその円が、「わたしの円」であるところが重要。作者の、朗らかに自信ある姿が感じられる。拘泥しない明るい感覚が、美しい水の春の季感にふさわしい。

啓蟄やぴくっぴくっと脹ら脛 森由美子
 例年同様に今年も地虫が出てくる。そのことと自身の脹ら脛がぴくっと動くことの取り合わせが楽しい作品。地虫の出現を身体感覚に取り込んだ、これぞ生きもの感覚。機知ある発想が魅力的。

尾張遠し梅待つ畠に佇つ杜国 山田哲夫
 狂句こがらしの身は竹齊に似たる哉 一六八四年芭蕉の記念すべき『冬の日』五歌仙の発句。この歌仙の連衆の坪井杜国は、当時、尾張の富裕な米穀商。芭蕉にその詩才を愛されるも、この翌年、空米の売買の罪で尾張の地を追放となり、三河国保美に隠棲することとなる。そしてその三年後の一六九〇年には三十数歳の若さで死亡している。掲句は、早春の畠に佇む杜国の侘しい姿を空想している作品。前年の尾張での芭蕉との付け合や華やかな俳諧の賑わいから、急な暗転となった春の漂流感。

◆金子兜太 私の一句

泳ぐ子と静かな親の森のプール 兜太

 先生はいろいろな句を遺して下さった。中でも御家族を詠まれた句の温かい目線が私は好きである。豪放磊落な印象だが、合わせもつ繊細なやさしさをも感じている。残念ながら直接お会いすることはなかったのだが、遺された句は先生そのものであり、先生の総てが凝集されていると思っている。これらは言葉よりも多くを我々に語りかけている。金子先生は永遠である。句集『金子兜太句集』(昭和36年)より。重松敬子

果樹園がシヤツ一枚の俺の孤島 兜太

 俳句門外漢だった僕は、一九八五年一二月、出たばかりの金子兜太著『わが戦後俳句史』(岩波新書)でこの句を読んだ。一九六〇年、安保闘争のさなかに著者が長崎から帰京したところで終わる本書の末尾に、次の時代への道標のように置かれていた。知らない人と手を繋いで道を一杯にしたフランスデモの日々。その高揚が去ったあと、気張って一人立つ著者の姿が浮かび上がった。句集『金子兜太句集』(昭和36年)より。野口佐稔

◆共鳴20句〈5月合併号同人作品より〉
〇印は2選者の共選句 ◎印は3選者の共選句

榎本祐子選
○老いという湾に一羽の冬カモメ 伊藤道郎
コロッケの次々揚がる七日かな 大池美木
冬籠り身体に石を飼っている 奥山和子
絵双六母の本気を見てしまう 加藤昭子
三枚肉の茶色いところが琉球 河西志帆
凍滝の如きうしろ姿の木 こしのゆみこ
背を濡らしおとうとが行く時雨かな 佐孝石画
ほほえみの構え冬日のわが故山 竹本仰
地震の記事読む人日の虫眼鏡 立川弘子
紙マッチ湿らすやうに郷愁は 田中亜美
○ラップ少年ガザは壊れた冬のまま 田中信克
無と思うほどの水色初明り 董振華
うっすらと鉛筆の痕雪催 鳥山由貴子
辻風の鋭く一鳴きして玄冬 中内亮玄
梵我一如の赤こんにやくや虎落笛 野﨑憲子
冬山の樹相ゆたかに吾を満たす 野田信章
夢みるために力やしなふ小鳥たち 水野真由美
黙読はそばだてる耳ゆきうさぎ 望月士郎
ひよめいて寒の卵の中その世 柳生正名
時雨るるや渡り切れない青信号 矢野二十四

大池美木選
かがみのなかかがみのうちがわしんうちゆう 阿久沢長道
エンドロール 外はしぐれか 石川義倫
焚火より焚火のあとのうわの空 泉陽太郎
原爆忌マシュマロ焼いてソロキャンプ 奥村久美子
「軍用地買います」看板に時雨 河西志帆
臘梅の香やぎざぎざの父に触る 木下ようこ
○手袋の中の手汚れ思想なし 小西瞬夏
着膨れてドールハウスの窓の外 小松敦
雪原を行く婆さんは白百合に 佐々木昇一
スケートは下手であの世の使者のよう 佐々木宏
鳥渡る父の海より昏れてゆく 白石司子
初夢や天袋にはあれがあり 菅原春み
粉末の七草粥を達者でな 鈴木康之
○猫型ロボット夜型人間月明り 芹沢愛子
人間との談合に疲れた冬眠す 十河宣洋
○ラップ少年ガザは壊れた冬のまま 田中信克
図書室の自意識過剰実南天 仁田脇一石
思い出がふふっ林檎を釣ってます 平田薫
宝石よりもかたい言葉を椿の実 室田洋子
普段着は水玉模様雪おんな 渡辺のり子

佐藤博己選
枯枝垂れ宇宙へ膨らみつづける 石川まゆみ
休戦四日笑み突き刺さる霜の華 伊藤巌
秋の蝶その日暮らしに徹しけり 内野修
東京の初雪カフェラテっぽいわ 大池桜子
○手袋の中の手汚れ思想なし 小西瞬夏
寒の入り調律のごと母の居て 近藤亜沙美
父の名の表札外す寒灯火 齊藤しじみ
人なき里柿棒読みの落下 鱸久子
○猫型ロボット夜型人間月明り 芹沢愛子
鴨の冬白一色の別世界 田井淑江
初日記十年日記の十年目 竪阿彌放心
白樺に淡きむらさき寒明くる 田中亜美
地よ鎮まれ火よ鎮まれと鶴鳴くか 月野ぽぽな
叫び疲れた枯蓮が折れていた ナカムラ薫
筆始平和と濃く書くずぶとく書く 中村晋
風垣を繕う民主主義に寿命 並木邑人
長風呂をおそう睡魔とオーロラと 長谷川順子
さりげなく寄り添う言葉ハクセキレイ 本田ひとみ
冬の蜂無神論者の眼をしてる 室田洋子
凍蝶は怖い絵本の閉ぢたまま 柳生正名

藤好良選
○老いという湾に一羽の冬カモメ 伊藤道郎
厨房に男遊んで薬喰 榎本祐子
小寒のトランク転がす異邦人 江良修
煩悩の僧の頭に若葉生え 葛城広光
クリオネの無音の羽ばたき心電図 黒済泰子
風花や言葉が逃げてゆく愉快 佐藤詠子
冬すみれ赤い市電の走る街 白石司子
極東の小さな家の納豆汁 鱸久子
少しヘン全部変なり蚯蚓鳴く 田井淑江
頰杖に近づいてくる猫柳 たけなか華那
太古よりつづく大空小正月 月野ぽぽな
雪女愚痴の相手になってくれ 峠谷清広
壁紙の見事な継ぎ目去年今年 董振華
一束の水仙生ける診療所 鳥井國臣
写楽いて西鶴がゐて喧嘩凧 西美惠子
消息を尋ねるも旅寒雀 根本菜穂子
七種の揃わぬ粥をいただけり 平山圭子
被災能登に無言の雪の重い重い 藤野武
スクラムはこわれやすくて大旦 松本勇二
過去語る少しの嘘や式部の実 森由美子

◆三句鑑賞

三枚肉の茶色いところが琉球 河西志帆
 沖縄では豚肉が食されることが多いようで、中でもあばらの部分の三枚肉は脂身と赤身の層が美味しく色んな料理に合う。沖縄の琉球王国より続く苦難の歴史。歴史とは時間の層が降り積もり、人々の喜怒哀楽を練り込み封じ込め息づいている。作者は三枚肉の赤身の茶色い部分に琉球を感じ、今に至る時間を見つめている。

背を濡らしおとうとが行く時雨かな 佐孝石画
 自身より年下の兄弟とは、大人になっても幼い頃の面影に何かと気に掛かる存在だ。この句には濡れた背、おとうと、時雨の中のふたりの距離、その景だけが提示されている。読者は作者と一緒にその背を見送ることしかできないが、この静寂がふかぶかとした世界に連れていってくれる。「時雨かな」の詠嘆も動かし難くある。

夢みるために力やしなふ小鳥たち 水野真由美
 力を養うのは夢を叶えるためではなく、夢を見るためだという。生命力の中に自ずと備わっている何かを希求する思いも力を尽くさないと得難くなっているのか。確かに、見回してみると様々に悲惨な状況が飛び込んでくる。そんな中、小鳥たちは健気に夢を取り戻そうとしている。しなやかな力強さに、立ち止まり考えさせられる。
(鑑賞・榎本祐子)

着膨れてドールハウスの窓の外 小松敦
 ドールハウスの中ではお人形達が幸せのサンプルのような生活をしている。暖炉のある居間、理想的なキッチン。テーブルには花、壁には素敵な絵が飾ってあって。着膨れて外から窓の中を眺めている作者はきっと、微笑ましいと思いながらもそんなに見本みたいにはいかないよと。でも相手がドールなので、深刻じゃないのが好き。

初夢や天袋にはあれがあり 菅原春み
 初夢で見るものは縁起をかついだりするけれど。この作者は天袋の中にあるものが頭から離れないらしい。天袋ってしょっちゅう開けるものではないし、だいたい何かをしまい込んでもそのまま忘れていたりするのが天袋。なにしろ「あれ」が絶妙だ。秘密の匂いしかしないではないか。初夢なのに不吉?ちょっと怖い魅力。

宝石よりもかたい言葉を椿の実 室田洋子
 ソフトでふわふわの言葉がよいとされる時代。いつも空気を読むことが重要。その場に合ったひとを傷つけない言葉を選ばなければならない。曖昧なことしか言わない人が人間ができてると評されたり。でも時にはちゃんとしっかりした言葉を聞きたくなる。特に告白とかは。それが宝石のように輝いていたら最高だ。椿の実が秀抜。
(鑑賞・大池美木)

東京の初雪カフェラテっぽいわ 大池桜子
 北国に住む人間にとって、初雪が降ると、今年も憂鬱な季節、雪と寒さに閉じ込められる季節が来たかという思いにさせられ、春が待ち遠しくなるが、東京の人にとっては、カフェラテのような、香ばしい香りと甘い味を想起するのだろう。珍しい雪を眺めた際の、嬉しさを素直に詠んだ句だと思いました。

手袋の中の手汚れ思想なし 小西瞬夏
 手袋の中の手は、どれほど汚れているのだろうか。人様に見せて恥ずかしいことはしてきていないだろうか。いくら手袋で隠して、人の目を誤魔化しても、天網恢恢疎にして漏らさずという言葉もある。我々も、自分の手は汚れていないだろうか、清潔であるだろうか、顧みたいと思いました。

地よ鎮まれ火よ鎮まれと鶴鳴くか 月野ぽぽな
 元日に能登半島を襲った震災のことだろうと思います。毎年、どこかで大地震や水害に見舞われる日本列島。その日本に住む我々も、いつ大きな災害に見舞われるかもしれない。決して他人事ではない。一日も早い復興を願う思いを込めて、鶴も鳴くのでしょうか。
(鑑賞・佐藤博己)

少しヘン全部変なり蚯蚓鳴く 田井淑江
 日常生活では小刻みな修正修正で過ぎてゆくことが多いようです。人生をがらりとひっくり返すような戦争のようなことは今の日本ではなかなか考えられません。しかしながら、上五の「少しヘン」を、堂々と中七で「全部変」と全否定し直す大胆さに、俳諧味を浴びせかけられました。蚯蚓との取り合わせがなかなか愉快です。

壁紙の見事な継ぎ目去年今年 董振華
 新築マンションでも見に行ったのでしょうか、壁紙施工の職人の壁紙ジョイント部の見事な仕上げぶりに感嘆したようですね。時間と共に剥がれてきたり、左右壁紙の色違いが目立ったり、糊あとが拭き残ったりとか、施工時には様々な気配りが求められます。内装施工の壁紙ジョイントに目を向けた作者の着眼力にビックリです。

消息を尋ねるも旅寒雀 根本菜穂子
 どこかの旅先にて寒雀を見つめつつつぶやいた句と読みました。句の分類法として俳諧式目表には、春夏秋冬・恋・述懐・神祇・釈教等と並び、旅が乗っています。旅にも家族旅行、プランとしての旅、一人旅等いろいろ考えられます。この旅は、過去を訪ねる時空間に広がる旅のようですね。旅先での寒雀が切ないです。
(鑑賞・藤好良)

◆海原集〈好作三十句〉武田伸一・抄出

墓場まで持ってく秘密チューリップ 有栖川蘭子
菜の花蝶と化すかつ逸る恋情よ 飯塚真弓
逆上がり出来ないままに卒業す 石口光子
永訣といふほほゑみや木瓜の花 石鎚優
果てのない散文に似て春の雨 井手ひとみ
花冷やぽつぽつ音をたてて落つ 大渕久幸
楢山節誦しつ小昼を日向ぼこ 押勇次
白鳥去る泥にまみれし足揃え かさいともこ
カステラの端嫌われて春隣 北川コト
正論をつぶす極論春こたつ 木村寛伸
誰が為にあらず紅ひく巴里祭 工藤篁子
門出れば深山桜や目を塞ぐ 小池信平
みんな他人コインランドリーの四月 香月諾子
鳥雲に隣人逝きしを後に知る 古賀侑子
春炬燵処分躊躇ためらふツーショット 小坂修
香らないフリージア抱き不眠症 小林育子
花筏たどりつく場所あるように 近藤真由美
藤波や彼の日の如く忍び逢ふ 佐竹佐介
夏めくや父の背中が原風景 重松俊一
無礼講そもそもなくて課の花見 島﨑道子
風光るキトラ古墳の天文図 宙のふう
いくつの死いくつのピエタ春北風 立川真理
障壁画の動かざる波鑑真忌 平井利恵
春愁やカフェの椅子に赤子抱く 福井明子
花冷や君を思い出しすぎている 福岡日向子
定食の小さき椀の蜆かな 藤井久代
柄じゃなくお前だけだよ春の月 藤川宏樹
コタンの空を赤い風船去り難く 松﨑あきら
チューリップ過疎になるまの明るさよ 村上紀子
運命を託すコインや四月尽 よねやま恵

『海原』No.59(2024/6/1発行)

◆No.59 目次

◆海原秀句 同人各集より

安西篤●抄出

空蝉のこの反戦の形かな 有村王志
不時着の私でおります青鮫忌 石橋いろり
春雨を待つ間の山の微動かな 大野美代子
窓光るどこかにきっと桃畑 奥山和子
春雷や非常階段夜へ伸ぶ 片岡秀樹
鳥に人にそれぞれ居場所冬の島 桂凜火
鳥帰る今日オスプレーが飛んだ 河西志帆
日脚伸ぶひねもす人間模様かな 北上正枝
風花や次まで待とう銀河鉄道 倉田玲子
ゲルニカを背に百年の雛飾る 黒済泰子
熨斗紙の筆圧にある淑気かな 佐藤君子
能面の眼光動く多喜二の忌 清水茉紀
建国の日靴下の穴あいたまま すずき穂波
思っていた老いとは違うふゆざくら 芹沢愛子
生きてると能登枯露柿の便りかな 高木一惠
この星にガザあり驢馬につぶらな眼 中村晋
つなぐ手は互いの介助春の雲 野口佐稔
たねをの忌深夜のシヤドーボクシング 野﨑憲子
雛の間に雛の息あり溢れおり 日高玲
飢餓のガザ能登の水辺に蘆の角 平田恒子
水仙の一輪婦人科検診車 藤田敦子
遠雪崩やわらかな秒針の軌跡 藤野武
摘草のうつむく角度ガザよ能登よ 宮崎斗士
三叉路に阿修羅が立ったまま三月 望月士郎
冬青空「嘆きの壁」のいろいろに 森鈴
揺れゆれるコスモス或るときは訃報 茂里美絵
何色の恋したのだろう毛糸編む 森由美子
ふかふかのカフカと名付け雪兎 柳生正名
背に踊るIDカード春一番 山本まさゆき
風の足風のげんこつ青芒 渡辺のり子

日高玲●抄出

雪女になると出て行く入試の子 石川和子
ヌサマイ はすごおり
幣舞の夕日乗っける蓮氷 石川青狼
口開ける妻はひな鳥雑煮膳 伊藤巌
掌に仏のごとき海鼠かな 榎本祐子
パンジーや恋愛同盟結びたる 大池美木
隙間から姉の音して日脚伸ぶ 小野裕三
外厠鬼火見たのは五歳いつつです 加藤昭子
気が折れて春の銀河の母を呼ぶ 川崎千鶴子
白湯飲みて軀薄めて春田ゆく 川田由美子
出目金がてらてら所帯くさくなり 河西志帆
雁や一族の遺影崖のごとし 黒岡洋子
シャッターを待つ顔のまま二月尽 小松敦
クリオネを見てから糸が通らない 佐々木宏
いちめんの雪に私という天体 清水恵子
安曇野を綴じる縫い針春の雨 鱸久子
思っていた老いとは違うふゆざくら 芹沢愛子
みずうみの色に風花溶けゆけり ダークシー美紀
縄文の鬼は一つ目春の雪 高木一惠
痛いのが詩ですあなたが踏む落葉 竹本仰
遠雪崩手のなかに螺子螺子回し 鳥山由貴子
朝日の中受験子の手へ父の時計 中村晋
立膝のキムチ売る婆雪降り来 新田幸子
啓蟄や電車の中で盛るまつげ 根本菜穂子
恋猫がまず踏んでいく朝の雪 野口佐稔
さよならの遠因となる牡蠣フライ 松本千花
アンモナイト自虐と書いて消して雪 茂里美絵
丸善に亡夫来てるかも文化の日 森由美子
被弾遙けくはうれんさうの胡麻よごし 柳生正名
炬燵でひそひそ鷲鼻の客と父 梁瀬道子
撃ち方やめい!石鹸玉が飛んで来た 矢野二十四

◆海原秀句鑑賞 安西篤

空蝉のこの反戦の形かな 有村王志
ゲルニカを背に百年の雛飾る 黒済泰子
この星にガザあり驢馬につぶらな眼 中村晋

 ウクライナ戦争の長期化に続いてイスラエルとハマスの衝突が起こり、いまや世界は地政学的リスクによるキナ臭い匂いに満ちている。不穏な気配に包まれた日常詠。
 「空蝉」。成虫が脱け出した後の蝉の殻に、反戦の形が浮かび上がるという。蝉殻は木にしがみついているし、殻の背は縦に割れているので、真っ直ぐになにかを叫んでいるようにも見えてくる。すでに空蝉と化したのは、その叫びもむなしくなったとの思い。それを庶民のささやかな反戦の形と見立てたのだろうか。この句の「かな」の切字には、その空しさもこめられていよう。
 「ゲルニカ」。一九三七年、ドイツ空軍爆撃によるスペイン北部の小都市ゲルニカの悲劇をピカソが描いたことで有名。その複製の画像を背景に、百年の歴史を持つ古雛が飾られている。戦争と平和を象徴する対照に、今ある平和こそ悲しみの歴史の上にあることを訴える。そこにこの句の本意が見えてくるのではないか。
 「この星に」。昨年十月に始まったパレスチナ自治領ガザ地区におけるイスラエルとイスラム自治組織ハマスとの戦争は長期化し、種子島程度の地域に二百万を超える人口が密集しているため、市民の被害は大きく拡がりつつある。「驢馬につぶらな眼」には、無辜の非戦闘員の救いを求める姿がある。現実には、双方に悲劇的な歴史の記憶があるため、戦いは容易に収束せず、今なお市民救済への道のりは険しい。

島に人にそれぞれ居場所冬の島 桂凜火
 この句の「冬の島」は、特定されてはいないが、おそらく日本海に面した寒さの厳しい島ではないか。環境の厳しさの中、まずは自分で自分の身を守る覚悟がいる。また限られた状況での居場所を見つけなければなるまい。そこに生きていく以上、それぞれの居場所での分かち合いも求められよう。それは交流する人々の共感に支えられながら、己の存在を成り立たせている。石垣りんの詩「島」は、「私」という小さな存在に、「島」という大きな存在を重ね合わせているが、掲句の「島に人に」にも同じ思いがあったのではないだろうか。

日脚伸ぶひねもす人間模様かな 北上正枝
 冬至を過ぎると、日一日と日差しが伸びて暖かくなり、春が近づいてくる。「日脚伸ぶ」は、人々を励ますように、一日中その動きに温みを添えてゆく。それとともに人々のおしゃべりや動きも賑やかになる。そこに広がる人間模様は、さまざまな舞台を繰り広げながら動き出す。「ひねもす」とは、「ひもすがら」を意味するが、どこかゆるやかな舞台回しをしている一日のように感じられる。それは、「人間模様かな」の、「かな」の切字による言葉さばきの効果かもしれない。どこか「かなしびを添える」(楸邨)ような響きが伝わる。

思っていた老いとは違うふゆざくら 芹沢愛子
 「思っていた老いとは違う」とは、程度の差こそあれ、誰しも思うことではないだろうか。曽野綾子は著書の中で「人間誰でも最後は負け戦」と書いている。この句にも、「こんなはずじゃなかった」とでも言うような感じがある。決して一生懸命やってこなかったわけではないのに、というニュアンスも。曽野は、運命を承認しないと死は辛いともいう。想定外の老いとはいえ、まだ少し淋しい「冬桜」であっても、花が開いただけでもよしとするか、と言っているかのようだ。

つなぐ手は互いの介助春の雲 野口佐稔
 老夫婦の老老介助ではないだろうか。つないだ手は、どちらから求めたわけでもなく、自然の成り行きのように、差しのべ合ってつながれたのであろう。それはお互いを支え合ういつもの仕草となっているものだ。二人のまなざしは、同じように春の雲へ向かっている。そこには、二人にとって、一つの絆の像として重なる時期を知らしめる時が来ていたともいえよう。

水仙の一輪婦人科検診車 藤田敦子
 婦人科検診車は、女性の疾病とりわけ癌の早期発見等に有効な働きをすることで知られている。ことに医療設備の十分でない地域においては貴重な存在だ。婦人科だから、女性看護師が同乗していて、検診車から降り立った場面を予想する。それは水仙の一輪のような清楚な立姿。これから病院へ送られていく患者にも、ほっとした安心感が広がるに違いない。

冬青空「嘆きの壁」のいろいろに 森鈴
 「嘆きの壁」とは、紀元前二十年に作られた神殿の外壁で、エルサレム旧市街に現存する。十九世紀のヨーロッパの旅行者が、この壁を「ユダヤ人が嘆く場所」と呼んだことに由来するという。掲句の「嘆きの壁」は、そのような歴史的に特定されたものではなく、自分の心の周辺にある「嘆きの壁」とみたい。括弧書きしてあるのは、その「嘆きの壁」にもいろいろありましてとばかり、冬青空のような寒々としたさまざまな心模様を描き出す。

◆海原秀句鑑賞 日高玲

口開ける妻はひな鳥雑煮膳 伊藤巌
 長年連れ添って、今、老いの病を得た妻に正月の雑煮を食べさせてあげている景。ひな鳥が口を開けて親鳥から餌をもらう姿のようだなと内心思っている作者。そこはかとないユーモアのあるおかし味があって、明るい広やかな気分が滲みでる。人間らしい温かみで、句全体が包まれている。同じ作者に

白寿の妻見舞うときめき冬牡丹
 ときめき、の措辞に冬牡丹が響き、典雅な情感を醸す。

掌に仏のごとき海鼠かな 榎本祐子
 仏は常におわせども――と古い歌にあるように、掌の海鼠が仏に見えたとしても特に不思議ではないでしょうが、それでもちょっとおどけた、仏のごとき、の喩が海鼠の姿と比して面白いと思いました。掌の海鼠に祈りを捧げてから酢海鼠にして一献頂くのでしょうか。ところで、仏には仏陀の意味の他に死者、故人という意味もあって、いささか紛らわしいとも思いました。

隙間から姉の音して日脚伸ぶ 小野裕三
 オーケストラの編成楽器のように、個々人にはそれぞれの発する独自の音があって、共に暮らす家族は、どの音が誰のものなのか、熟知しているもの。二階からでも、隣室からでもない「隙間から」の措辞から、襖などで仕切られた日本家屋が想像される。隙間から覗いてしまった「見るなの部屋」のようなミステリアスな雰囲気も混じります。この隙間という仕掛けと、姉の声、などではなく、姉の発する音、としたところで空想の幅が広がります。日脚伸ぶという季によって、姉のもつ温かい雰囲気や、姉の全体像もそれとなくほんわかと伝わってきます。

外厠鬼火見たのは五歳いつつです 加藤昭子
 昔、田舎の祖父母の家に遊びに行ったとき、たしか外厠があったなと、幼いころの記憶を手繰り寄せました。夜、母屋を出て外の厠に行くのは、幼い者にとっては勇気がいること。傘付きの裸電球がぽっちり灯っている景が想像されます。もちろん、水洗トイレではありません。厠の窓から月光が射しこんでいれば良しとしますが、無月という時も、雨や雪の時もあります。そこに鬼火が!生涯忘れられない外厠の風景が蘇ります。

白湯飲みて軀薄めて春田ゆく 川田由美子
 己の身体が、外部の自然世界から否応なく分離してしまっている、といった痛みにも似た鋭い身体感覚。どこか煮詰まってしまっているという焦燥感。白湯を飲んで、鬱屈しない健やかな身体になって春の田に溶け込みたいというのは現代人の願望とも思われます。〈白い人影はるばる田をゆく消えぬために〉の句がなぜか想起されます。

出目金がてらてら所帯くさくなり 河西志帆
 目玉がぎょろりとしているため、出目金と呼ばれている男の話でしょうか。額には中年の油をてらてらと浮かべて、いつの間にか所帯くさくなった出目金という異名の男を揶揄しているのでしょうか。あるいは逆説的に愛情を伝えているのかな、など想像を逞しくしてしまいました。言葉にさばさばとした勢いがあって楽しい作品。

雁や一族の遺影崖のごとし 黒岡洋子
 旧家の座敷の鴨居にズラリと懸けられた祖先の遺影。究極の日本的な景でもあります。高いところから、あたかも雪崩れて来そうなほど傾いて見下ろしている御先祖様。その景を崖のごとしと思い切りよく言い切った掲句の面白さ。雁も季節を知って晩秋の遠い空を飛来して来ます。その空の下、営営として人間の営みが続きます。

啓蟄や電車の中で盛るまつげ 根本菜穂子
 いつからだろう、電車の座席でうら若い女性がひと目もはばからず化粧するようになったのは。化粧をしている本人は、化粧室にでもいるような振舞。その真剣そのものの目つきに思わす見惚れてしまい、ジッと見たりしようものなら、より鋭い目でにらみ返される。この景に、啓蟄の季がやや皮肉に面白く付いている。睫毛を付けるでなく、盛るまつげ、の表現にも皮肉が利いて、現代景を活写して面白い。

さよならの遠因となる牡蠣フライ 松本千花
 ウイットが利いた作品。付きあっていた人の、ある些細な行為が原因となりいきなり熱が醒めてしまった。今から思えばあの牡蠣フライがさよならの原因だったか。牡蠣フライの斡旋が気が利いている。

炬燵でひそひそ鷲鼻の客と父 梁瀬道子
 物語めいた思わせぶりな設定が面白い。あの鷲鼻の見知らぬ客はいったい父と何を話していたのか。幼い頃の記憶が時々不意に蘇る。今日もまた、眠りに入る前の朦朧とした時間に、あの場面が浮かんできた。この謎はどうしても解かなければと思いつつ、不安と懐かしさのないまぜな気分のまま、いつものように眠りにすとんと落ちてしまった。鷲鼻がよい。場所はやはり炬燵で決まる。

◆金子兜太 私の一句

さくら咲くしんしんと咲く人間じんかんに 兜太

 以前、秋田市雄和で露月忌俳句大会が開かれ、兜太先生は講師としてお出でくださった。その日、先生をお迎えするため玄関で並んで立っていると、先生が私の前でつと立ち止まられ、「あなた、さっきバス停に居ましたね…」とおっしゃられてさっさと前へ進まれた。私は電気にでも触れた思いがし、先生の厚みのあるお声を忘れられないでいる…。先生は一瞬眼にしたものを決してお忘れにならないのだろう。それが大切だよと教えてくださった気がしている。桜がひとひらずつ身体に染み込む季節は、誰もが幸せな想いになる。今「人間」のルビのことを考えている。句集『百年』(2019年)より。丹生千賀

差羽帰り来て伊良湖よ夏満ちたり 兜太

 この句は、平成15年「海程」全国大会 in 伊良湖での御作。大会当日の夜、故 森下草城子氏が師の五句の書かれた紙切れを持ってこられ、句碑に相応しい句をこの内から検討し選べと仰せられたとのこと。早速同室の故北川邦陽氏、故山口伸氏、私の四人で意見交換。この句では、帰る差羽の有無等、地元の野鳥研究家に直接私が電話で確認したこと等、当日の師の日本芸術院賞受賞のビッグニュース報道とともに忘れ難い。句集『日常』(2009年)より。山田哲夫

◆共鳴20句〈4月合併号同人作品より〉
〇印は2選者の共選句 ◎印は3選者の共選句

田中信克 選
冬さくら抗うように囁くように 石橋いろり
小鳥来るさびしい空へ投函す 榎本愛子
○鯛焼も性格も半分づつにして 大髙洋子
はきだめ菊言の葉の語尾雨に消え 北上正枝
もういいや焚火に放る面子かな 楠井収
「電線が重たすぎるぞ」虎落笛 小泉敬紀
伏目がちな人よ林檎の匂いがするよ 佐孝石画
北風の匂いでわかる仏滅も 佐々木宏
ソヨゴの実落ちて火薬となるなかれ 新宅美佐子
山眠る産土さえも遠くなる 鈴木栄司
着ぶくれて着ぶくれて難民の波しづか すずき穂波
過去よりの空耳やさし小鳥くる 芹沢愛子
旅立ちのおへそにしまう夜寒かな 高木水志
師走かもしれぬ号砲かもしれぬ 田中亜美
木枯らしの貧富貴賤を吹きわたる 董振華
臘月の人色褪せた本であり 遠山郁好
雨のコスモス今更弱音だなんて 長谷川順子
迷惑メール雪女郎かもしれぬ 船越みよ
咳込んで親子喧嘩の生乾き 増田暁子
兵士凍て助さんやもういいでしょう 松本勇二

藤田敦子 選
少年と地質の話柿熟るる 石川和子
火を得たる人間の深い闇夜だ 市原正直
十二月歩行の廊下戦車来る 上野昭子
あちこちに骨をぶつける十二月 大西宣子
孤独というビルから放る青蜜柑 桂凜火
漂泊者めきて桜の落葉掃く 金並れい子
ほんとうは破れてみたい白障子 倉田玲子
髪梳くにえんぴつ使ふ一葉忌 小西瞬夏
いろいろと残ってしまう落葉焚 小松敦
米を研ぎ獣をあやめみんな早寝 十河宣洋
葱刻む終生変わらぬ指紋かな 高橋明江
○小劇場の匂いす午後のラ・フランス 立川由紀
本音建て前冬の乳液てのひらに 田中信克
冬の蝶女優のまばたきより静か 中村晋
「ひやっとしますよ」平和な国の心電図 野口佐稔
熟れてゆく順になんでも食われます 服部修一
○霜晴れや枯れたふりする犬と俺 松本勇二
今日はずいぶん話したよぎゅっと梟 三世川浩司
冬かもめ旅って朗読に似ている 宮崎斗士
波の花どこに帰ればいいのだらう 矢野二十四

松本千花 選
銀漢や心をたたむ膝の上 安藤久美子
釣り人の点点点点天高し 石川義倫
「熊のあります」賛否あります 石橋いろり
天高し空が恐怖の子らが居る 伊藤巌
寒紅やたまにショートする感情 大池美木
答えではなく釣瓶落としを探してる 岡田奈々
梟の部首を集めていたりけり 小野裕三
無頼で淑女で黄落に紛れたの 河原珠美
両の掌にどんぐり余し山は雪 北上正枝
すずき穂波芒にまぎれ楽になる すずき穂波
指笛はイエスか山巓羊雲 高木一惠
「やさしい」と言われ夜の雪が尖る たけなか華那
降誕前夜全知全能無知無能 田中信克
隠り世や通せんぼする枯蟷螂 中村道子
消去法で生きる綿虫のふわふわ 平田恒子
○霜晴れや枯れたふりする犬と俺 松本勇二
ポケットのない人冬の月の下 武藤幹
前略後略ドーンとみぞおちに月光 村上友子
銀杏黄葉なんてにぎやかな無言 室田洋子
○小鳥来るさみしいときは早足で 茂里美絵

山本まさゆき 選
冬帽子あみだに被り話し易い 石川和子
粉々のビール瓶にも冬の朝 泉陽太郎
セーターはカラフル男はモノトーン 大池桜子
○鯛焼も性格も半分づつにして 大髙洋子
除雪車の夜の隙間を展げゆく 片岡秀樹
雛鳥はサンドイッチの羽を持つ 葛城広光
秋天に鯖街道は曲がりおり 重松敬子
こつこつとこつこつこつと師走まで 鈴木孝信
秋の雲そろそろ繭になってゆく 高木水志
○小劇場の匂いす午後のラ・フランス 立川由紀
石舞台に凭れる夫婦月を待つ 樽谷宗寬
山茶花のピアノの音に触れて散る 月野ぽぽな
笹の葉に雪置く今朝のしじまかな 東海林光代
竹伸びて毎年縮む父と僕 豊原清明
光と化し立禅のごと冬蠅いる 中村晋
耳を立て耳を休めて雪うさぎ 藤田敦子
晩秋の山並みはるか朝ごはん 本田ひとみ
それぞれの冬青草があり別居 宮崎斗士
○小鳥来るさみしいときは早足で 茂里美絵
店先を借り注連飾よく売れて 若林卓宣

◆三句鑑賞

はきだめ菊言の葉の語尾雨に消え 北上正枝
 牧野富太郎博士が世田谷の掃き溜めで発見したという「はきだめ菊」。群生して濃い緑の葉を茂らせ、数ミリ程の白い花を咲かせる。名の由来もそうだが、あの花が雨に濡れる様子はいかにも寂しいものだろう。話しかけた言葉の語尾が、ふと小さくなって雨に消えた。作者の思いが想像できる。諧謔的でしかも切ない一句である。

伏目がちな人よ林檎の匂いがするよ 佐孝石画
 清冽な林檎の香り。甘酸っぱくてどこか切ない感じもする。それがなぜか、目の前の「伏し目がち」な人の表情に重なって感じられる。気持ちや事情のすれ違いか、あるいは戸惑いか。目が合うのを避けようとする心情に、温かく寄り添って抱き留める作者の姿勢が見えてくる。林檎の香りの中で、優しく静かな時間が過ぎてゆく。

兵士凍て助さんやもういいでしょう 松本勇二
 かの時代劇の決め台詞である。悪に虐げられていた善が逆転して悪を懲らす。その手加減を黄門様が諭すのだ。この兵士の立場は不明だが、どうも徴兵されて極寒の地に送られた一国民のように思える。全ての戦争は国民が犠牲になる。本当に「もういい」のではなかろうか。コミカルな表現の内に重大な警鐘を鳴らす。意義深い。
(鑑賞・田中信克)

あちこちに骨をぶつける十二月 大西宣子
 正確に言えば、腕や足をぶつけるのだが、年齢を重ねていくと、実感としては骨をぶつけている。特に厳寒の時は、骨身に染みる痛さだ。あちこちにあちこちをぶつける痛みは全力で生きてる痛みだ。

「ひやっとしますよ」平和な国の心電図 野口佐稔
 「ひやっとしますよ」「ちくっとしますよ」マニュアルとしても、緊張を緩めてくれるのはありがたい。外国人からしたら、こんな親切な国はないだろう。そんな国は二度と戦争をしないと思いたい。

今日はずいぶん話したよぎゅっと梟 三世川浩司
 二カ月に一度、四国から関東に通っている。グループホームにいる母に会うためだ。そばにいられない負い目もあってなかなか話は弾まない、同じ話を何度も繰り返しているだけだ。やがて、話し疲れたように横になる母の手をぎゅっと握って、「またくるね」と蒲団をかける。梟に健やかな眠りを託して。
(鑑賞・藤田敦子)

銀漢や心をたたむ膝の上 安藤久美子
 膝の上で丁寧にハンカチをたたむように心をたたむ。たたみたい思いとは、どういう思いだろうか。怒りや悲しみだろうか。思うように行かないことへの焦りだろうか。たたむ、ということは思いを断ち切るのではなく、もう一度落ち着いて心を整えたいのだろう。銀漢に思いを馳せ、祈るように心をたたむ。

釣り人の点点点点天高し 石川義倫
 澄み渡った秋天のもとで釣りを楽しんでいる釣り人たち。珍しい光景ではないが、「点点点点」という表現が、ほど良い距離を保って釣り糸を垂れている様子をたくみに表し、「天高し」と今度は視点が上がり秋空の気持ち良さに行きつく。まさに人間賛歌、自然賛歌の詩だ。

答えではなく釣瓶落としを探してる 岡田奈々
 迷う気持ちがあり落ち着かないが、答えは自分で出すもの。誰かが教えてくれるわけでも、その辺に落ちているものでもない。それは分かっている。今はまだ答えを出さなくて良いのかも知れない。それでもストンと腑に落ちる何かが欲しいのだ。一気に暮れる秋の日のように。
(鑑賞・松本千花)

雛鳥はサンドイッチの羽を持つ 葛城広光
 巣を出はじめた軽鴨の雛だろうか。まだ飛べないふわふわの羽。いうまでもなく、全部が成鳥になれるわけではない。鴉からすれば、サンドイッチのように見えるのだろう。瞬間に奪われる短い命。そのDNAをよすがに組み合わされていた分子達は息つく間もなく散って、未来永劫再び相見えることはない。そして雛たちも、狩りをした親鳥から儚い命を与えられていたのだ。

小劇場の匂いす午後のラ・フランス 立川由紀
 田舎の高校の演劇部員だった私にとって、東京の小劇場は憧れの場所だった。唾がとんでくるような閉鎖的な空間で、役者たちと少人数の観客が、カプセルのように一体となるのだ。朝でもない晩でもない午後のラ・フランス。匂いを司る脳のシナプスが結びつける不思議で豊かな瞬間。どんな匂いなのだろう?

山茶花のピアノの音に触れて散る 月野ぽぽな
 山茶花は、椿と異なり、花弁が一枚一枚散って、いつの間にか冷たい土を覆っていく。何かのきっかけがあって落ちるのだろうけど、それがピアノの音とは。一音が届く度に落ちるひとひら。曲目はベートーベンの月光?ショパンのノクターン?私は真っ先にシューマンのトロイメライを思い浮かべた。
(鑑賞・山本まさゆき)

◆海原集〈好作三十句〉武田伸一・抄出

空耳か落つる椿の繰り言か 和緒玲子
春の風いつもは行かぬ路地に入る 阿武敬子
こんなにも痛き音なる四温の雨 飯塚真弓
兜太の忌オレを覚えてゐるだらうか 鵜川伸二
父といふ淋しき光鳥雲に 岡田ミツヒロ
日和つてる我に言へるか春よ来い 小野こうふう
雛飾る時の流れのをんなたち 小野地香
アップルパイ五月生まれの不幸せ かさいともこ
懸命にふぶいてをりし梅の花 廉谷展良
傷武甲を借景にして辛夷咲く 神谷邦男
からだごとこたつの海に溺れけり 北川コト
うぐいすや集落すべて知りつくし 清本幸子
雛千体黄泉平坂行くごとし 工藤篁子
畑打ちや背中に疎い人の声 小池信平
春隣一筆書きの恋をした 香月諾子
納骨の朝の白飯小鳥来る 小林育子
朧夜や夢見る如く死に化粧 佐竹佐介
生きるとは泣きわめくことヒヤシンス 重松俊一
室咲きやすべてが真白であった頃 宙のふう
青き踏む足裏に命確かめて 立川真理
じゃがいもの芽ふつふつぶつぶつと母 谷川かつゑ
種袋振って音聞く畑想う 坂内まんさく
きさらぎやそれでもいのちふくらんで 福井明子
気遣われ易き人なりヒヤシンス 福岡日向子
常の暮らし八日の晩の初カレー 藤井久代
しんと雪諭すことなど何もない 松﨑あきら
白鳥のV字連隊受験の日 向田久美子
春満月戦場にあり吾にあり 森美代
夫も外ケセラセララと豆を撒く 横田和子
垂乳根の湯船の窓も桜かな 渡邉照香

『海原』No.58(2024/5/1発行)

◆No.58 目次

◆海原秀句 同人各集より

安西篤●抄出

地震の地をゲリラと化して鰤起し 石川和子
葱刻みこんなに平凡な自由 大髙洋子
黙とうが日常となり冬薔薇 奥山和子
液状化現象寒灯傾ぐ家・家・家 刈田光児
雪虫や音符入りたる唱歌の碑 河田清峰
初旅を促すやジャズ風の三線 黒済泰子
山は柿色夫に久しく物申さず 小池弘子
履歴書を放り榾火を返してる 後藤雅文
雪うさぎ望郷ってこんな気分 小林ろば
家系図の未完に終り蝉氷 小松敦
紙面繰るたび冬の日を傷つける 三枝みずほ
母眠る林檎の匂いがする雪です 佐孝石画
多喜二忌やかべに能面うきあがる 清水茉紀
地吹雪や瓦礫に仮設避難所に 菅原春み
猫と夜の吹雪の音を抱きしめる 鈴木修一
頬伝ふ黒い涙よ降誕祭 戦い止まず ダークシー美紀
柚子ふたつ繃帯上手の祖母と母 高木一惠
ラップ少年ガザは壊れた冬のまま 田中信克
寒鯉うごけば寒鯉の水うごく 月野ぽぽな
真っ白なノートの中で日向ぼこ 峠谷清広
水澄むと御納戸色の父よぎる 遠山郁好
冬の月無辜の民とは祈る民 中村晋
風花の炊き出しに立つ料理長 野口佐稔
木守り柿限界集落と呼ばれる地 疋田恵美子
鳥が来るまで一本の冬木なり 平田薫
切り取り線に沿って長生きして小春 宮崎斗士
私に笑窪がありて寒日和 深山未遊
冬の蜂無神論者の眼をしてる 室田洋子
能登の地震海猫が鳴く稚が泣く 森鈴
鬼やんま空中停止という底意 森由美子

日高玲●抄出

初鏡乾物のような私が居る 綾田節子
田を植えて夜学のように灯る家 有村王志
柿を取る空の青さに深入りし 内野修
淡き影曳きて寄り来る浜焚火 榎本祐子
寒卵などと言って老婆のうす笑い 大久保正義
日の出かな山の上からお寒いなもし 大野美代子
冬籠り身体に石を飼っている 奥山和子
人影が人影として飲む葛湯 小野裕三
引き出しに藁茫茫と生えにけり 葛城広光
雪虫や音符入りたる唱歌の碑 河田清峰
翳る日の足裏しずめし龍の玉 川田由美子
臘梅の香やぎざぎざの父に触る 木下ようこ
そらみみの音のふえゆくふゆすみれ こしのゆみこ
冬眠中白地に白き文字のごと 小松敦
紙面繰るたび冬の日を傷つける 三枝みずほ
木守柿窓にともりて不屈なり 重松敬子
寒林に白きは死して叫ぶ木ぞ 鈴木修一
おみなえしこれから大人になる老女 芹沢愛子
雪だるまの家族それっきり痩せて たけなか華那
ふるさとに放つ兎を折りにけり 立川瑠璃
水澄むと御納戸色の父よぎる 遠山郁好
筆始平和と濃く書くずぶとく書く 中村晋
冬山の樹相ゆたかに吾を満たす 野田信章
鳥が来るまで一本の冬木なり 平田薫
石蕗の花傾きがちな母の正座 堀真知子
精霊は邑のやぐらにどんど焼き 松本勇二
地域猫とパンケーキほど日向ぼこ 三世川浩司
木の葉髪どこにも行けぬ廊下がある 宮崎斗士
冬の蜂無神論者の眼をしてる 室田洋子
着ぐるみを新らしくしてお正月 望月士郎

◆海原秀句鑑賞 安西篤

地震の地をゲリラと化して鰤起し 石川和子
液状化現象寒灯傾ぐ家・家・家 刈田光児
能登の地震海猫が鳴く稚が泣く 森鈴

 能登地震の現場感を、その想望感をも含めて書いた句。
 「地震の地」。十二月から一月頃の漁期に鳴る雷は、あたかも鰤の大群を呼び寄せるかのように大漁の前兆となるという。まだ被災の復興が遅れ、港も漁船も整備されていない中、ゲリラのように雷鳴を響かせては、出漁を促している。その空しい雷鳴に応えるのはいつか。
 「液状化現象」とは、地震の際に地下水位の高い砂地盤が振動により液体状になる現象で、これにより大きな建物や構造物が埋もれ、倒れ、下水道管のような地下の構造物が浮き上がったりする。今回の地震では、その影響で多くの家々が、傾き、倒れ、折り重なるように寒灯をつけたまま倒壊した。その様子を「家・家・家」と叫ぶように捉えたのである。
 「能登の地震」
では、その惨状に、海猫は鳴き、赤子の火のつくような泣き声がいつまでも続く。この句は現場の絶望感をその鳴き声、泣き声に託している。鰤起しの呼び掛けに始まり、被災の状況に声を失い、鳴き声や泣き声に続く現場感は、今も続いているのだ。

黙とうが日常となり冬薔薇 奥山和子
冬の月無辜の民とは祈る民 中村晋

 被災地の外で、被災した人々の無事を祈る句。
 「黙祷」は、被災地の人々のご無事と復興の早からんことを祈るもの。そんな日々を送るうちに、黙祷が日常のルーチンワークになっていた。冬薔薇の、寒さにもめげず健気に咲く花の風情にも支えられながら、現地の人々へ思いをはせる黙祷が、いつの間にやら暮らしのリズムとなっている。作者の祈りの日々は続く。
 「冬の月」の「無辜の民」とは、罪なき民、平凡な日々をひたすら生き抜く民。それは今日という日の平穏を祈る民でもある。報われることのない祈りであったとしても、目の前の現実に時間をかけて取り組み続けようとする人々、決してあきらめない人々の祈りなのだ。そのことを被災地の人々から教えられている。

葱刻みこんなに平凡な自由 大髙洋子
 葱を刻むときの軽快なリズムと音から、何か開かれてゆくような気配と気分を味わっている。それをごく日常的な直感で、「こんなに平凡な自由」と言ってみたのだ。言葉の概念的な定義というより、ほとんど体感的な解放感の語彙のような気がしてならない。この体感の底には、日々の生活の拠点を奪われた被災地の人々への忖度があったのかもしれない。

雪うさぎ望郷ってこんな気分 小林ろば
 作者は北海道の人だから、「雪うさぎ」を広闊と広がる雪原の中に見出しているのではないか。それ故に大らかな風土への愛着が一入身に沁みる。「望郷ってこんな気分」という時の、作者の誇りがましい姿が浮かぶ。「雪うさぎ」というなかなか見ることのない生きものが飛び出してくるあたりに、作者の”おたから感”が宿る。「こんな気分」は、晴れ渡る大地に、雪うさぎとともに伸びをしている作者なればこそといえよう。

多喜二忌やかべに能面うきあがる 清水茉紀
 小林多喜二の忌日は一九三三年二月二十日。行年三十歳。今さら言うまでもなく、今や歴史的存在となっている作家。その忌日に、能の面が浮き上がるというイメージ。能面は、般若面か翁面か迷うところだが、時に応じ両極性をもち、そのいずれでもあるような気がする。政治活動家としての般若面と母思いの優しさをもつ翁面は、ともに多喜二像にふさわしい。その可逆的な浮遊感に、作者の心を反映した多喜二像が浮き上がるのだろう。

柚子ふたつ繃帯上手の祖母と母 高木一惠
 「柚子ふたつ」には、祖母と母の田舎暮らしのたたずまいが見えてくる。柚子の木に、故郷の庭の景とそこに佇んでいる祖母と母の像が仮託されている。それは柚子のようになつかしく、温かな色合いを持ち、幼い頃のちょっとした怪我への対応などは、実に手早く繃帯の手当も上手なものだった。おそらく、今は亡き祖母と母の記憶が、故郷の庭の景とともに瞼に浮かび上がってくるのではないか。柚子の質感がその情感に通い合う。

切り取り線に沿って長生きして小春 宮崎斗士
 「切り取り線に沿って長生き」とは、おのれの過ぎ来し方を顧みて、いつのまにやら長生きしてしまったおのれの足取りを、決して溌溂たるものではなくなんとなく生きさらばえてきたような、どこかひ弱な切り取り線の上を辿ってきたように振り返っている。とはいえ、今の自分は、そのような後ろめたさを抱えつつも、小春日和の温とさの中にいる。これも一つの幸せというべきか。その後ろめたさのリアルな境涯感が、伝わってくる句だ。
 今回は、能登地震関連の作品が多かった。もちろん、文学作品としての新鮮さや芸術性が問われるのは言うまでもないが、普段は見えなかったもの、見ようともしなかったことを掘り起こせば、社会的詩心を取り戻し、お互いの心の距離を近づけることになるだろう。

◆海原秀句鑑賞 日高玲

初鏡乾物のような私が居る 綾田節子
 年齢を重ねるたびに、日々、己が姿を鏡に映すことを避け、必要最小限にしていたなあ、と今更ながら気が付く。若い頃には、それなりにふっくらと瑞々しかった頬はすっかり干乾びて、修業中の仏陀のような皮膚となった。それにしても初鏡の季を配して、乾物のようなとはドッキリする喩。自己諧謔が見事にきまり、噛みしめるとおかし味が、乾物のように滲みだしてくる。作者の飾らない強烈な個性が余すところなく現れた。

日の出かな山の上からお寒いなもし 大野美代子
 涼しさをわが宿にしてねまるなり 芭蕉はねまるということばをいつ知ったのだろう。尾花沢の土地を訪ねて、土地の人との交流の中で知った言葉であったろう。風土と離れ難く生きている言葉。掲句にもお寒いなもしが軽やかに使われていて、じんわりとしみだす思いの他に深い味わい。山の上から朝日が昇る。今朝もお天道様が祝祭のように自分に挨拶をしてくれる、その有難味。

冬籠り身体に石を飼っている 奥山和子
 誰に強いられたわけでもないが、いつからか身体の中で石を育てていることに気が付いた。その石が、冬を迎えるごとに育って、それなりの大きな存在となってきたみたいだ。冬の厳しい山家暮らしの中では、強い気持ちがなければ冬を越してはいけまい。もちろん、生活に愛惜の念を持っているに決まっているが、逃げることもできないこの日々の暮らし。冬籠りの暮らし。

引き出しに藁茫茫と生えにけり 葛城広光
 引き出しを開けると、藁が何ヘクタールも生えている景が出てきた、という面白い発想に魅了される。当然だが、藁は生えるものではない。言ってみれば収穫の後の残留物。引き出しの中に、気が付いたら生えていたのか、何をたくらんで藁を生やしたのか、などと考えたら作者の罠に嵌ってしまうかもしれないが、藁の持つ清潔な香りや感触が働いて、清浄な感覚が伝わるから不思議。

臘梅の香やぎざぎざの父に触る 木下ようこ
 臘梅は梅よりもやや早く開花する。その香は、かなり濃厚。香りの重力で現実が歪むということはあるのだろうか。正倉院の至宝、香木蘭奢待は織田信長によって切り刻まれたが、信長が香を聞いた時の記録は「信長公記」にあるのだろうか。マドレーヌを紅茶に浸した時の香りで蘇った失われた記憶。花橘の香りが昔の恋人を鮮やかに思い出させたとか、香りは曲者だ。ぎざぎざの父に蘇るものとは。香りをめぐり作者の独特な視点が光る。

おみなえしこれから大人になる老女 芹沢愛子
 年相応という言葉に合わせようと、人生、長年努力はするものの、大人になりきれないところ、いつまでも柔らかいこだわりなどは、誰にでもあるものだが、掲句の老女はそんな半端な範疇ではない人だろう。存在するようで無い、無いようで在るような老女。山野で鮮やかに咲く、嫋やかでありながら、しぶといおみなえしの花の姿が、この老女と思いのほかに響く。

雪だるまの家族それっきり痩せて たけなか華那
 子供が作ったのか、ずらっと並んでいる雪だるまのご一統様が、気温が上がるとともに融けだして、いつしかすっかり小さくなってしまった、雪だるまの景色を考えているうちに、それっきり痩せて、の措辞が引っ掛かる。雪だるまの家族から、いつしか人間の家族の情景として、その姿が浮かんで来る仕掛けになっている。家族という夢のような儚い姿が浮かぶ。

冬山の樹相ゆたかに吾を満たす 野田信章
 たっぷりと堂々とした作品の韻律に、圧倒される。いつも眺めている山の樹木が、冬季となれば、厳しい寒さや強風に堪えてひたすら立っている。その木々の相貌をつぶさに見取り、吾を満たす、とゆったりとした措辞に迷いなく収斂していく。祈りにも似た樹木との交感。

地域猫とパンケーキほど日向ぼこ 三世川浩司
 気がつくと、町や公園をのんびり歩いている猫がめっきり減ってしまった。大きな公園に器用に棲みついていた野良たちはどこに行ってしまったのか。野良に付けられた地域猫という呼称によって、都会の野良はその存在をどうにか許されているようだ。冬日の中で寄ってくる猫のほのぼのと温かい生きものの感触。パンケーキの喩が、ささやかながら温かい生きもの同士の関わりを優しく暗示しているようだ。日向ぼこの季がよく響く。

着ぐるみを新らしくしてお正月 望月士郎
 熊モンやガチャピンのような着ぐるみを着る仕事の人が、新年を迎えるに当たって、一年間さんざん働いて薄汚れてしまった着ぐるみを、雇い主に新調してもらったということなのかな、と思っていると、その奥から別な姿が覗く。世間様はもちろん、家族にでさえ、常日頃より自我の上っ面に、仮面や着ぐるみを付けるように穏便に暮らす、ということは誰にでもある。そんな着ぐるみを新しくしてお正月。お正月の季がおかし味を増幅させる。

◆金子兜太 私の一句

朝はじまる海へ突込む鷗の死 兜太

 兜太師は神戸勤務が三年経過したころ俳句専念を決心されました。魚をとるため海へ突っ込む鴎とトラック島で撃墜された多くの零戦。生きる営みと兵士の死。「朝はじまる」「死んで生きる」の想いを神戸港の埠頭で噛み締められた一句。私は若きころ、神戸の海岸通りのビルで霧笛と潮の匂いを感じながら外国航路の船会社に勤務していました。この句をみて、懐かしさと衝撃を受けた一句です。『金子兜太句集』(昭和36年)より。増田暁子

河より掛け声さすらいの終るその日 兜太

 先生が最後に詠まれた九句中「さすらい」の語を用いたものが四句。施設と自宅との往来を「さすらい」と表現されていたそうで、先行三句は「入浴」と関係する日常風景で自嘲の気配。だがこの句には真顔が覗き「定住漂泊」が濃厚である。「川」ではなく「河」、「呼び声」ではなく「掛け声」、破調であるところなどが妙味と考える。お尋ねしてみたいが今生では果たせない。句集『百年』(2019年)より。山下一夫

◆共鳴20句〈3月合併号同人作品より〉
〇印は2選者の共選句 ◎印は3選者の共選句

田中信克 選
草の実飛ぶ方向もITも音痴 綾田節子
選ぶメス選ばれぬオスあんこう鍋 泉陽太郎
○死亡記事読む沢庵の歯形かな 市原正直
鶏頭がお告げのように立っている 榎本祐子
穴惑誰かがあとをついてくる 大西健司
臆病な貨車十月の石運ぶ 小野裕三
長き夜人ひとりずつの穴を掘る 桂凜火
小鳥来る吾子の一日巻き戻す 川田由美子
○青の時代少年にも秋刀魚にも 小林ろば
秋の水ポーと汽笛になることも 佐々木宏
鉦叩見ていて見えないものばかり 菅原春み
黄落や裏から入る孔子廟 ダークシー美紀
勾玉のゆらり音ある十三夜 竹田昭江
釣瓶落し海を呑み干す赤ん坊 野﨑憲子
鰡がとぶ今日は空を見ただろうか 平田薫
寒暁や聖母マリアに乳の泌み 藤田敦子
思春期のしかめっ面で熟柿吸う 村本なずな
てのひらに小さな丘がありて冬 茂里美絵
賀茂茄子やぷりっと叱言撥ね返す 森由美子
鯛焼を割る湯気のなか武甲山 柳生正名

藤田敦子 選
○死亡記事読む沢庵の歯形かな 市原正直
なぐり書のよう抗癌剤秋ふかし 稲葉千尋
小春日和罪人のよう膝並ぶ 上野昭子
虫しぐれうしろの闇に喪服脱ぐ 榎本愛子
真っ直ぐに歩き疲れて寒の入り 大西政司
○逃水と此処で働くと決めた 河西志帆
感情線あなたへ柿を剝いている 後藤雅文
黒葡萄熟れて兵士の墓ふえて 小西瞬夏
立冬のあさがお罪を負うように 佐々木香代子
君たちのきれいな背中冬の虹 白石司子
朝が来る鎖骨のあたり水の秋 遠山郁好
白鳥の降るように来て積りたる 丹生千賀
返り花答えが欲しいわけじゃない 平田恒子
しずかなる爆破映像雁の棹 松本勇二
不登校という鳥も来る秋の海 三浦二三子
◎案山子なのにいつでも何となく迷子 宮崎斗士
ときどきは時雨を連れて私す 三好つや子
身に入むや鏡中の人と拭く鏡 望月士郎
夜長の湯手足のばして死のかたち 森由美子
柿かじる師は生き続く山脈よ 柳ヒ文

松本千花 選
要するにあなたは元気熟し柿 泉陽太郎
○一日中歩いた自傷冬夕焼 伊藤清雄
いろんな圏外があって空っ風 大池桜子
ひとつ捨てひとつ拾って昼の月 奥山和子
冬薔薇女の名前欲しがりぬ 小野裕三
独楽止まる一身上の何かある 河西志帆
その晩の空気を読めり牡蠣フライ 木下ようこ
○青の時代少年にも秋刀魚にも 小林ろば
いち抜けた園児のはしゃぐ林檎狩り 齊藤しじみ
結び目の強さはもろさ秋の暮 三枝みずほ
葱下げてわたしがあるいている迷路 清水茉紀
鶏頭に飛びつく光濡れていた 高木水志
帰って行く妻ありったけの秋つめて 舘林史蝶
父と夫同じ芋科で違うイモ 野口思づゑ
二人はいつもインゲン豆を選っている 服部修一
○日向ぼこよき腹具合パラグアイ 嶺岸さとし
◎案山子なのにいつでも何となく迷子 宮崎斗士
紅葉且散るぶた にくになる絵本 柳生正名
わかったわかったコスモスの駅で降りた 横山隆
心中のよう霧の町ぬけて霧 渡辺のり子

山本まさゆき 選
○一日中歩いた自傷冬夕焼 伊藤清雄
人だから雪吊りの縄ゆるめてしまう 井上俊子
山猫かピアノの上のどんぐりは 榎本愛子
満天の星です輪切石焼いも 大髙洋子
秋風の真中にいる仏の手 大西宣子
盆栽の紅葉まっかに岩木山 尾野久子
猪避けの網に下がりし瓜二つ 河田光江
○逃水と此処で働くと決めた 河西志帆
ふるさとの赤い電車や鷹渡る こしのゆみこ
頭だけ新品になる冬に入る 小松敦
冬近しアゲハの幼虫角を出す 髙尾久子
七五三有袋類から人類へ 滝澤泰斗
鍵束を持たされしごと新日記 東海林光代
ひとり居てふたりの色の暖炉かな 丹生千賀
ハンカチーフ干す両神のギザギザに 堀真知子
簡単ごはん秋茄子焼いて肉焼いて 松本千花
○日向ぼこよき腹具合パラグアイ 嶺岸さとし
◎案山子なのにいつでも何となく迷子 宮崎斗士
老人が発芽している鵙日和 三好つや子
蔓先にいろんなわたし烏瓜 山田哲夫

◆三句鑑賞

思春期のしかめっ面で熟柿吸う 村本なずな
 思春期特有の愁いや迷い。そして不機嫌な表情。眉間に皺を寄せて口を固くきゅっと結んで。ところがその口に、熟れてぐじゅぐじゅになった柿の甘い汁が届いてしまう。いくらしかめっ面をしてみても、美味しいものには敵わない。そんなユーモラスな戸惑いも想像される。この子への愛情も垣間見えて温かい。好句だと思う。

てのひらに小さな丘がありて冬 茂里美絵
 小さくて優しく、どこか懐かしい世界。掌を見つめていると、中央の窪みを囲む母指球などの膨らみが、ふと丘のように見えてくる。季節は冬。掌の温もりと空気の冷たさが切ないコントラストとなり、その小さな面積に、故郷の町や畑を囲む丘の景色が浮かんではまた消えてゆく。写生的で幻想的。しかも美しい一句である。

賀茂茄子やぷりっと叱言撥ね返す 森美子
 京野菜の瑞々しい姿を見事に捉えた。はちきれそうな丸さと新鮮さが「ぷりっと撥ね返す」というフレーズに凝縮されている。しかも「撥ね返す」のは「叱言」。これがなんとも小気味よい。嘱目写生が一瞬で抒情的訴えに切り替わるダイナミズムがここにある。夏の季節感がその効果を上げている。ユーモラスでユニーク。
(鑑賞・田中信克)

逃水と此処で働くと決めた 河西志帆
 今回は「なんとなく迷子の案山子」や「罪を負うような朝顔」の現状への居心地の悪さに共鳴し、とても惹かれた。この句も「逃水」の不確かさは、通ずるところかもしれない。しかし作者は、遠くにありもしない水たまりが光り、足元がゆらぐような炎天の中で、両足を踏みしめ決意を新たにする。この力強い結句に賛美を送りたい。

感情線あなたへ柿を剝いている 後藤雅文
 「感情線」である。掌に濃いのか、途切れているのか、わからないが、ベクトルは確実に「あなたへ」向いている。一回剝いて恩着せがましいのか、黙って何十年も剝いているのか、どちらにしてもなかなかのプレッシャーだ。このドンと置かれた「感情線」に、気づいて欲しい褪め切らぬ思いが窺える。それぞれの鑑賞がある一句。

不登校という鳥も来る秋の海 三浦二三子
 「不登校」は以前、「登校拒否」と言われていた。それでいいと思う。学校なんて、命がけでいくところではないと、かつて現場に立った者として思う。具体的に今は他の選択肢も多い。生きやすい場所を見つけることが大事だと思う。孤高を選んだ寂しさはあるが、群を離れた鳥も人もしづかに包み込む、やさしい秋の海である。
(鑑賞・藤田敦子)

ひとつ捨てひとつ拾って昼の月 奥山和子
 白くひっそりとした昼の月は不思議だ。ふと昼の月に気づくと、淋しくなったり、逆にそっと見守られているようで安心することもある。心配事はひとつ無くなっても、またどこからか現れる。そんな毎日に寄り添ってくれる昼の月だ。「ひ」の頭韻も心地よく響いてくる。

葱下げてわたしがあるいている迷路 清水茉紀
迷うことがあり、不安定な気分に陥ることは誰にでもあることだろう。作者は葱を下げている。買い物の帰りだろうか。迷路に迷い込んだ辛さの中でも、今日の献立を考え、明日の家族の予定を気にしているのだ。上五の「葱下げて」がとても気になり、心打たれた。

わかったわかったコスモスの駅で降りた 横山隆
 「昨日はコスモスの駅で降りた。」「えっ、昨日は快速に一駅乗ってT駅で降りて、駅ビルで買い物をしたじゃない。」こんなやり取りを身近な方となさったのでしょうか。それから作者は気づく。コスモスの駅が気持ち良かったなら、それでいいじゃないかと。そして「わかったわかったコスモスの駅で降りた」とおっしゃったのでしょう。
(鑑賞・松本千花)

頭だけ新品になる冬に入る 小松敦
 多くの製品は一部が修復不能になっただけで廃棄される運命にある。それは人間の死も同じだ。頭だけ新品になったのは銅像の類か自身のことか。自身のことだと、あたかもサイボーグのようだが、決して遠い未来のことではないだろう。初冬の風と光と都会の喧噪の中、微かな違和感とともに、新しい頭部がその生涯を刻み始める。

日向ぼこよき腹具合パラグアイ 嶺岸さとし
 パラグアイというとサッカーワールドカップの相手国だったことを思い出すが、ブラジルとアルゼンチンという大国に挟まれた内陸の小国の歴史は、時には戦争で人口の半分以上を失うような壮絶なものであったと聞く。日系移民が苦難の歴史を刻んだ国でもある。長い時を経てようやく訪れた、空腹でも飽食でもない満ち足りた時間。とにかく今はこの時を味わうのだ。

蔓先にいろんなわたし烏瓜 山田哲夫
 一つの蔓にぶら下がった、たくさんの烏瓜。同じものは一つもない。「いろんなわたし」とは、人生の分岐点のそれぞれの先にあったはずの自分かもしれないし、現在の自分の多面性なのかもしれない。自分のことを全て知り尽くすことは多分難しいが、どんな自分であっても慈しみたいものである。
(鑑賞・山本まさゆき)

◆海原集〈好作三十句〉武田伸一・抄出

我がエゴをためつすがめつ師走かな 有栖川蘭子
手袋を履いた履いたと津軽弁 石口光子
「毎日が遺言だ」とや寒落暉 石鎚優
晴れ女のわれも打たれる霰かな 植松まめ
永遠の無垢として無知海鼠嚙む 大渕久幸
枯れざるは無頼の流儀作家死す 岡田ミツヒロ
ドリップの南のかほり冬木立 小野地香
冬夕焼け手繋ぎのふたり囚われて 遠藤路子
雪国の雪も夕日も皆無口 かさいともこ
妻病みぬ然れば七草多めの粥 樫本昌博
マフラーのわたしを解けば風になる 北川コト
余震なお七草粥の煮こぼれる 木村寛伸
秋の暮点となるまで二人行く 工藤篁子
寄り添えば身のうちに次々枯野 小林育子
ウクライナクリスマスソングが流れてる 近藤真由美
人死んで人の集まる焚火かな 重松俊一
空爆へどんとの猛り届かざる 鈴木弘子
悴みて産土流離するごとく 高橋靖史
返り来るは吾が声ばかりひめゆりの塔 立川真里
短調を好んで弾くや冬林檎 福井明子
告げずには終わらぬ恋に冬菫 福岡日向子
冬凪やきゅうに西側南側 福田博之
喇叭らっぱ水仙死んでも放しませんでした 藤川宏樹
無口に潔く生きた者たちコタンの雪 松﨑あきら
座禅草山の心音数えてる 向田久美子
山茶花や隙間時間に恋をして 横田和子
片ひざで青丹でてこい花歌留多 吉田もろび
輝度上げよ吾をおもふ母に夏の月 路志田美子
キッチンに亡母の顔して冬林檎 わだようこ
春雷やゲームのごとく母は死す 渡邉照香

『海原』No.57(2024/4/1発行)

◆No.57 目次

◆海原秀句 同人各集より

安西篤●抄出

「熊のあります」賛否あります 石橋いろり
寒紅やたまにショートする感情 大池美木
椋鳥むく去って電線弛みきったまま 大沢輝一
綿虫の湿気孕んで女子校生 大西政司
指先に小さなクレバス雪催 奥山和子
長き夜の糸巻きからんと奥秩父 桂凜火
戦争は積木崩しの藪枯らし 川崎千鶴子
空風の足袋蔵の街花手水 神田一美
爪も髪も声もでしたね式部の実 黒岡洋子
そらみみの音のふえゆくふゆすみれ こしのゆみこ
髪梳くにえんぴつ使ふ一葉忌 小西瞬夏
譜読み始めるわたしの星空はここ 三枝みずほ
凍雲に人が吠えたき日本海 志田すずめ
よわい百はゴールじゃないよ銀木犀 鱸久子
着ぶくれて着ぶくれて難民の波しづか すずき穂波
過去よりの空耳やさし小鳥くる 芹沢愛子
鍵穴の中の残照憂国忌 ダークシー美紀
水仙や銀のピッコロ吹く少年 髙井元一
雪ぎちぎちメタセコイアは武者震い たけなか華那
寒紅の老妓の凜とめがね橋 立川弘子
大出水乾かぬ泥を蟻歩む 竪阿彌放心
色になる前の感情冬桜 月野ぽぽな
サーカス来放牧のよう凪の町 遠山郁好
秩父晩秋何もかも何もかもなつかしく 野﨑憲子
小さな呪文凩のなかで言う 松井麻容子
晩秋のコキアのような恋でした 松本千花
霜晴れや枯れたふりする犬と俺 松本勇二
狐火のゆれる瓦礫のカトラリー 三好つや子
雪のあね雪のいもうと雪うさぎ 望月士郎
吊し柿いまも裏山背負う生家いえ 横地かをる

遠山郁好●抄出

椋鳥の群涙の形で落下する 石田せ江子
銀河濃し指の先まで倦怠感 井上俊一
川に石ぽつんと隕ちた冬の音 大沢輝一
それにしてはよく喋る猫冬至粥 大西健司
錯覚の消えぬ枯薗ありにけり 小野裕三
答えではなく釣瓶落としを探してる 岡田奈々
冬日向プラットホームという疎林 尾形ゆきお
秋の蝶毀れしものの影を吸う 川田由美子
情ありてむらさきいろの鶴浮腫む 木下ようこ
野襤褸菊ちょっと火花が散ったよう 黒岡洋子
オリオンやさざ波纏う吾の母性 近藤亜沙美
朝日の阿釣瓶落しの吽のうた 鈴木孝信
すずき穂波芒にまぎれ楽になる すずき穂波
個室にて時計が回る冬の棟 鈴木康之
初蝶の白の真実透き通り 田井淑江
音楽堂発スカイトレイン霧の国へ 高木一惠
冬林檎きのうはすでに傍観者 竹田昭江
ゆずジャムをつくる絵本の明るさに 竹本仰
靴音の止んではつゆき降り出しぬ 田中亜美
色になる前の感情冬桜 月野ぽぽな
晨鶏の諾否を問わぬ夜の長き 董振華
突如濃霧PTSDのように 新野祐子
頑是ない老人でありすゝ払い愛 長谷川阿以
ホットミルクの被膜よきっと今日も不在 藤野武
長い影と同じ冷たい靴で立つ 堀真知子
初冠雪夫をたたいてしまいけり 本田ひとみ
てのひらのうすき水脈にも雪降りぬ 水野真由美
鬚を剃り頭を洗い忘年会 森鈴
雪原のくぼみ大好き御来光 森田高司
綿虫飛ぶ亡母にとどく手の高さ 横地かをる

◆海原秀句鑑賞 安西篤

椋鳥むく去って電線弛みきったまま 大沢輝一
小さな呪文凩のなかで言う 松井麻容子

 能登大地震の被災地石川県にあって、間近に被災の惨状に直面したお二人の句をまず挙げたい。
 大沢句は、被災の現実をありのままに訴えている。いつも群れをなしてやってくる椋鳥は、すっかり姿を消した。被災地では建物の倒壊、道路の寸断に伴い、電柱も倒れ、電線は弛みきったままという。とりわけ被害の大きかった北部、中部圏域は高齢化率の高い地域であり、ネットやSNSの利用もままならぬ状況の中、被害の全容の詳細がなかなか届かず、分断され孤立した地域に救援の手も十分に行き渡らなかったようだ。
 松井句は、そんな現実の最中におかれた人々の、孤独感、絶望感を訴える。凩吹きすさぶ中で、八百万の神々に小さな呪文を唱えて、ひたすら救いを求めている。こんな人たちがいるんです。お助け下さいと祈る呪文に、せめてすがるしかない己の小ささを噛みしめながら。

寒紅やたまにショートする感情 大池美木
色になる前の感情冬桜 月野ぽぽな

 俳句で感情を直接表現するのは難しく、やってみたとしてもあまり成功作は少ないとされているが、そこをあえて挑戦した句である。
 寒紅は寒中に作られる口紅で、その時期はことのほか品質のよいものになるという。「感情」は物事に感じて起こる心の動きだから、日頃の成り行きの中で「たまにショートする」こともあり得よう。それが「寒紅」のように鮮やかな火花を散らすとなれば、一種の情動の高ぶりに達するのではないか。
 「色になる前の感情」とは、ものに応じて起こる感情だから、冬桜のように、小ぶりで薄紅か白の一重咲きの、これから何かの色に染められる前の無垢な桜をイメージしている。やがて人間関係や季節の流れの中で、さまざまな色合いに染めだされるのだろう。作者は、その前の純なる状態のままにありたいと願っているのだろうか。

爪も髪も声もでしたね式部の実 黒岡洋子
竜胆や母似の魔女の情深し 中内亮玄

 今年亡くなった同人らふ亜沙弥さんへの追悼句。らふさんは、衣装も髪も口紅もすべて紫で統一するという凝ったコスチュームでいつも登場する人だったから、句会ではまさに異彩を放っていた。近づき難いようなエキゾチックな風貌にも関わらず、意外にざっくばらんな親しみ安い人柄から、接した人々に愛されていたようで、多くの追悼句があった。この二句をその代表として挙げる。
 黒岡句は、そのむらさきのコスチュームを、むらさき式部の実と喩えて、その全身像に憧れの賛歌を贈る。語りかけるような情感をこめて。
 秀句にはあげなかったが、中内句も、らふさんを竜胆の花に喩えて、母にも似た魔女のような情深き人という。まさに生前のらふ亜沙弥像を活写した一句。

着ぶくれて着ぶくれて難民の波しづか すずき穂波
 この句の難民は、ウクライナの戦争避難民と解した。能登地震の場合は、ほとんど着の身着のままで逃げざるを得なかったと思われるからだ。難民の波は、侵攻してくる残虐なロシア兵に声も上げられず、ひたすら逃げ惑うばかりの人波だったのではないか。北国の早く訪れる冬に備え、出来る限りの防寒着を身に着け、転がるように逃げ続ける。「着ぶくれ」の言葉を重ね、その人波はロシア兵の眼を逃れるように物音「しづか」としたあたり、重苦しい逃避行の旅のあり様が見えてくる。

鍵穴の中の残照憂国忌 ダークシー美紀
 「憂国忌」は言うまでもなく、昭和四十五年十一月二十五日に、市ヶ谷の自衛隊司令部で割腹自殺した三島由紀夫の忌日。小林秀雄は「この事件の象徴性とは、この文学者の自分だけの責任を背負いこんだ個性的な歴史経験の創り出したものだ」という。それ故に、三島文学の凝縮された光芒 が、今もなお歴史の小さな鍵穴から、強烈に放たれる。作者はそのことを忘れまいとしている。

秩父晩秋何もかも何もかもなつかしく 野﨑憲子
 この句も兜太師を偲び、秩父で吟行した思い出を詠んでいる。具体的な景は書かれていなくとも、その吟行体験を共有した海原の読者なら、ああとうなずくことだろう。幾たびか訪れて兜太師を中心とする連衆と過ごした思い出の数々が、そのまま立ち上がってくる。「何もかも何もかも」というリフレインの呼び掛けが、言い尽くせない思い出の数々を油然と甦えらせる。作者は、その体感を、堪らない程のなつかしさとして書いている。

狐火のゆれる瓦礫のカトラリー 三好つや子
 カトラリーとは、洋食に用いられるナイフ、フォーク、スプーン等の食器の総称。この句もあるいは被災地の現実を想望して書いたものかも知れない。瓦礫の広がる被災地の中に、亡くなった人々の狐火が燃えているのだろう。そのあたりに、カトラリーが散乱していて、そこに燐光が光っているようだ。妖しげな光の渦がカトラリーに照り映えているようだ。

◆海原秀句鑑賞 遠山郁好

椋鳥の群涙の形で落下する 石田せ江子
 光りながら鳥たちが上枝から下枝へと舞い下りるとき、ツイーンとまるで涙のようにキラキラ美しい。そんな光景を何度も見た。このような感じ方は特別ではないかもしれないが、同じ想いで見ている人がいたことが嬉しい。晩秋から初冬へのひかりの推移の中での椋鳥の生態、またそれを見ている人の日常が鮮やかに浮かぶ。光がなかったなら、落下する鳥は涙には見えないはず。そう思うと、この冬の日差しが一層いとおしい。

頑是ない老人でありすゝ払い 長谷川阿以
 普段あまり耳にしない頑是ないという言葉。中原中也の詩に「頑是ない歌」というのがあったが、無邪気とか聞き分けのないとか言わずに、頑是ない老人という作者に惹かれる。もちろん上五中七と煤払いとの因果関係はない。年末の寺社仏閣での懇ろな煤払いとは違って、ぱっぱっと盛大に埃を撒き散らしながら、子供のまま老人になった人の煤払いが妙におかしい。頑是ない老人の煤払いは無事に終わったのだろうか。

突如濃霧PTSDのように 新野祐子
 心的外傷後のストレス障害、PTSD。経験のない者には想像の域を出ないが、突如濃霧のようにと言われれば、かつて車で山中を走っていた時、突然の濃霧に襲われたことがあった。その時の不安と恐怖は今も覚えている。しかしその濃霧は刻が経てば晴れ、不安も取り除かれる。幾度も繰り返すPTSDのフラッシュバックは、そんなに簡単なものではない。さらなるメンタルケアが必要となることを思うと、この複雑な現代社会の生きづらさが思われる。

初冠雪夫をたたいてしまいけり 本田ひとみ
 この句を読んでまっ先に思ったことは、しばらくお目にかかっていない作者に会いたいと思った。長い間病後の夫と共に暮らす作者。気丈で優しく、真っ直ぐで清潔な人。かつての作者の句に「うそつきの母の嚏に従いてゆく」があった。一瞬どきっとするが、もちろん大好きな母についてゆくと読める。そして今回の句、軽い悔いも滲ませながら、たたいてしまいけり。しかしそれらの全ての想いを包み込む〈初冠雪〉の気高さが素晴らしい。作者は、季語の使い方の名手で、それは今も変わらない。

錯覚の消えぬ枯薗ありにけり 小野裕三
 もの皆色を失い、人影もまばらな閑寂とした枯園。その枯園に立った時、全ての拘束から解放された安堵感で一瞬方向感覚を失い、知覚が自由に飛び回るような自在さを感じないだろうか。それは錯覚が錯覚を呼ぶような陶然とした世界であり、そんな世界が心地よくて、しばらくそこに浸っていたい気分になる。

色になる前の感情冬桜 月野ぽぽな
 一読難解な句。しかし惹かれる句。冬桜はあの切れるように透明な冬の空気の中で、まるでその色を奪われてしまったかのように幽かに儚げにしかし凜と咲いている。それでは色になる前の感情とは何か。上五中七が全て冬桜に係るのか、あるいは作者自身が色になる前の感情を抱いていて、その感情は冬桜から生まれてくるものと読むのか。やはり感情・・が難しい。

朝日の阿釣瓶落しの吽のうた 鈴木孝信
 字音の初めの阿は〈朝日の阿〉そう言われて実際に、口を開けて阿の音を出してみて、作者の言う〈朝日の阿〉に感心する。それから〈釣瓶落しの吽のうた〉のうた・・に感動する。そしてこのうたは大地に響き渡り、たましいに届く。大自然に溶け込むようにすくっと立ち、土と親しみ、土と暮らす大らかで健康的な、原初日本人の匂いがするこの句。この作品に出会って、今夜はぐっすり寝ることができそうだ。

ホットミルクの被膜よきっと今日も不在 藤野武
 いるべき人がいない、いて欲しい人がいない、不在。ぞくっとするような淋しさ。今日だから昨日もそうだった。そしていつかずうーと不在。明日のことはもう考えない。時間の経過と共に現れ、口にすると舌に残り、こころをシワシワさせるミルクの被膜のようなやっかいなもの不在感。こんな微妙で複雑なこころの内をホットミルクの被膜という具体的な物で提示されて、改めて不在という言葉にぞくっとする。

てのひらのうすき水脈にも雪降りぬ 水野真由美
 感覚本位で句作すると、つい言葉を酷使することがままありがちだが、この句は感覚的でありながらそれがない。てのひらのうすき・・・水脈にも・・表わされているように句の隅々まで行き届いた肌理細やかな言葉選びと表現。そしてそれらの言葉を柔らかく、滑らかな韻律に乗せて心地よく響かせる。完成度の高い作品。この句でさらに注目したのは〈雪降りぬ〉の季語の働き。まるで夢とうつつを行きつ戻りつしながら、しだいに雪の景に同化し、いつしかてのひらの水脈を通じて、作者の歳月をも感じさせる。

◆金子兜太 私の一句

烈女の手のつばなのやわさ鯉癸癸はつはつ 兜太

何年も前のNHK全国俳句大会で、兜太先生と稲畑汀子さんの選が重なった折、稲畑さんの「近頃は金子先生も大分俳句のことが解ってらしたようで……」の発言、それをガハハ笑いで受け流す、兜太先生の大写しの貌が正に癸癸、稲畑さんを烈女と名指すことに少しの遠慮はありますが、この句の核である。「つばなの柔さ」で許して頂きましょう。句集『詩經國風』(昭和60年)より。”癸癸は「盛んなる貌」。”の注釈あり。中村道子

走らない絶対に走らない蓮咲けど 兜太

兜太先生は常々「私はね走ったりはしないんですよ」とおっしゃっていました。私も同感でしたので、次の句を作りました。〈秋高し走れるけれど走らない〉。しばらくして「海程」誌上で掲句を拝見。正直驚きました。何もおっしゃらないけれど、先生は気にしていらした。初めてお会いした時は豪放磊落な方と思いましたが、実はとても繊細な方であるとしみじみ思いました。句集『日常』(平成21年)より。松本悦子

◆共鳴20句〈1・2月合併号同人作品より〉
〇印は2選者の共選句 ◎印は3選者の共選句

田中信克 選
稲光まとめて削除します「はい」 石川青狼
八月や忘れぬ為に石を置く 石川義倫
フライパン選んだりして妻みたい 大池桜子
海貸します車貸せますさるすべり 河西志帆
海の端に鱗を拾ふ星月夜 小西瞬夏
無いものを見せまいとして秋の繭 小松敦
赤とんぼ交わるどの空も愉快 三枝みずほ
他界へと捻る両の手阿波踊り 高木水志
鳩を吹く人は順路を生きられず 立川弘子
小鳥来る宙より現るる周波数 立川瑠璃
詩の土器のわたしの破片つづれさせ 鳥山由貴子
秋灯にインテリア店と畳屋 野口佐稔
認知症つくせつくせとつくつくし 松田英子
太宰治と自転車が好き青みかん 松本千花
○リンゴ赫む根っこに縄文人骨 マブソン青眼
○月光の匂ふ上衣を折りたたむ 水野真由美
鉛筆画の母がぽつんと敗戦忌 宮崎斗士
萩の花いつもメガネを拭いている 室田洋子
牛膝とおく歩いてきた後ろ 望月士郎
海色の秋蝶なれば栞とす 茂里美絵

藤田敦子 選
はらわたの機嫌に疲れ早稲の粥 石川和子
百日紅おやは海よりあがりきて 稲葉千尋
岩木残照あなたの好きなむらさきに 植田郁一
素っ気なき男と見てる秋の曳航 榎本祐子
鵙過るプラットホームという疎林 尾形ゆきお
○金木犀寂しい時は手を離す 奥山和子
荷崩れのごと家に居て漸く秋 篠田悦子
「のぼさん」と呼ばれし頃よ素手素足 新宅美佐子
きっかけは風の三叉路この愁思 竹田昭江
白菊や名刺の切れた人ばかり 中内亮玄
○遠雷は私を探しているのだろう ナカムラ薫
露の世の露よ等しく円周率 中村晋
銀漢の尾を踏み外し猫と居る 新田幸子
半睡の冷えたあしたを引き寄せる 平田恒子
十月の夏雲紙で切った傷 北條貢司
雁渡る傷の深さを確かめに 松本勇二
○リンゴ赫む根っこに縄文人骨 マブソン青眼
○月光の匂ふ上衣を折りたたむ 水野真由美
妹よ無邪気なふりの白玉よ 室田洋子
○たぶん後から作った記憶アキアカネ 望月士郎

松本千花 選
少女等はコスモス畑に永住す 大池美木
○金木犀寂しい時は手を離す 奥山和子
先生と虹とを声で区別する 小野裕三
廃校の笑い袋を拾ったよ 葛城広光
かでなふてんまもずく天ぷらは此処 河西志帆
恋びととぬすびと萩が枯れてゐる 木下ようこ
すすきみみずく琴線に触れるさび 黒岡洋子
涅槃図の真白き象を鳴かせをり 小西瞬夏
花すすき催眠術師の髪のいろ 小林ろば
火恋し夜のふくらみ人のふくらみ 小松敦
ゆという季節や国境また湧いて 佐孝石画
切り裂きてスローな昼やバッタ飛ぶ 白石修章
栗をひろう青空に不都合な過去 たけなか華那
それぞれの海抱え来て秋病棟 竹本仰
○遠雷は私を探しているのだろう ナカムラ薫
風よりも先にうまれた白式部 平田薫
風は柚子からやっぱり正直者なんだ 三世川浩司
○告白に椎の実ふたつ混ざってる 室田洋子
○たぶん後から作った記憶アキアカネ 望月士郎
やきいもを分ける姉弟の不公平 若林卓宣

山本まさゆき 選
入口を無くした空き家小鳥来る 伊藤歩
ギンナン踏むたび靴が小さくなる 井上俊子
女子学生鶴折り夏をとんがらす 大沢輝一
困学の果ての生き方終戦忌 河田光江
言の葉の根の澄みてゆく草雲雀 川田由美子
サイダーの泡の向こうが燃えていた 河西志帆
山鳩と隣りあう席秋の雨 河原珠美
合歓の花全部余白の人に会ふ 小松敦
栗実る山を案じてパトカー来 佐々木香代子
もう一匹黒猫が居る木下闇 篠田悦子
眼底を覗く秋風のようなドクター 十河宣洋
晩夏光ルビふるごとくひとの影 舘林史蝶
鳥渡るなり人みな配置図のなかへ 田中信克
木木睡り小鳥は考えてばかり ナカムラ薫
鶏頭のぶ厚さで立つ老いなりし 丹生千賀
鶺鴒と徒侍は休むかな 松本勇二
金木犀の金をいまさらさびしむか 水野真由美
帰国猫クローゼットの秋気が好き 村上友子
○告白に椎の実ふたつ混ざってる 室田洋子
銀漢や妻につむじが二つある 望月士郎

◆三句鑑賞

稲光まとめて削除します「はい」 石川青狼
 ユーモラスな表現の内に重大な真実が潜んでいる。ネットアカウント削除のことだと思うが、ここ数年の世界を見れば、「まとめて削除されるもの」がいかに多いことか。ウクライナやガザへの侵攻。災害で失われた多くの命。「はい」と言う従順な返事の裏に強い抵抗とやるせなさが滲む。俳諧としても警鐘としても貴重な一句だ。

八月や忘れぬ為に石を置く 石川義倫
 「石を置く」というフレーズに深い意味を感じる。この「石」には墓や碑のような重量感を感じない。指で摘まめるくらいのサイズ。動かすことも転がすことも自在である。だがそれゆえに「それを護り抜くこと」が難しい。時は八月。歴史と現在への省察と、「忘れぬ為」の決意と努力が試されている。静かな教えがここにある。

小鳥来る宙より現るる周波数 立川瑠璃
 周波数を視覚として捉えたのが面白い。地球上の空間に溢れる電波や音波。通信機器などを通じて様々なメッセージが送られ、我々は常に一喜一憂させられる。今、宇宙から新しい周波数がやってきた。それがやがて、群鳥の飛影の中に妖しい姿を現し始める。預言なのか福音か。どうか幸せをもたらすものでありますことを。
(鑑賞・田中信克)

遠雷は私を探しているのだろう ナカムラ薫
 激しい雷鳴と稲光が遠ざかっていく、遠くで雲が微かに光り、基調低音が繰り返し伝わってくる。すでにもう、長く穏やかな日々なのに、時折、過ぎ去った時が私を探しに来る。変わらず私はここにいる。また遠くが光った。もう音は聴こえない。「私を探しているのだろう」という断定が、しづかな諦観と共につぶやかれる。

十月の夏雲紙で切った傷 北條貢司
 このところの気温上昇で、一年は四月から十月までが夏だと思っている。そこで十月の夏雲である。常ならば、鰯雲や羊雲が空を埋めている頃だ。この夏雲はさすがに力強い積乱雲ではないだろう。それはまるで、知らぬ間についた小さな指の傷のように、時折ひりりと痛む。そんな夏の名残の光のようである。

たぶん後から作った記憶アキアカネ 望月士郎
 明確な証拠が残されぬ限り、記憶などはそういうものだろう。つらい記憶は薄れゆき、流した涙さえも美化される。「後から作った」といえば、作為的となるが、ほとんどの場合は無意識の上書きなのだ。「十五で嫁に行ったねえや」は幸せだったのか?なんて誰も考えない。しかし、それを良しとしない人もいて、だから控えめに言う「たぶん」なのだ。
(鑑賞・藤田敦子)

花すすき催眠術師の髪のいろ 小林ろば
 催眠術師に会ったことはないが、怪しげな笑顔、信用させようと取り繕う滑稽さを思い浮かべてしまう。作者は催眠術師の髪の色に注目した。たしかに髪の色はその人の印象に大きく影響する。花すすきのように白くふわりとした髪であったら、眠たくならなくても催眠術にかかったふりをしそうだ。風になびく綺麗なすすきの穂に招かれるように。

火恋し夜のふくらみ人のふくらみ 小松敦
 肌寒くなると火を焚いて温まりたくなる。寒さを逃れ暖を取るときの幸せ。昼間の仕事が終わり家族や親しい人と火の近くで過ごす夜のぬくもりを思う。部屋が暖まってくると夜がふくらみ、人もふくらむ。「夜のふくらみ人のふくらみ」「夜のふくらみ人のふくらみ」呪文のように唱えて、私も少しふくらみたい。

やきいもを分ける姉弟の不公平 若林卓宣
やきいもを仲良く分ける姉弟の映像が「不公平」で一変する。年齢差、体格差…。どう分ければ公平になるのか。姉弟は兄弟、姉妹に比べて競争心も少なく仲の良いものとは思うが、性差による不公平を感じることもあるだろう。やきいもを分け合う頃から、何度も不公平を感じ、それぞれ成長していくのだろう。
(鑑賞・松本千花)

困学の果ての生き方終戦忌 河田光江
 私の亡父は、昭和二十年代、代用教員を辞め、学者を志して上京、バラックの大学寮に住み、庭で野菜を育て、寮費の免除を受けるために炊事係をしながら学問を続けたというが、結局断念して帰郷し、教職につき一生を終えた。しかし、父の苦学があったからこそ、今の私がある。そしてそれは私の子に引き継がれる。

サイダーの泡の向こうが燃えていた 河西志帆
 何気なく頼んだサイダー。観光客で活気に溢れたカフェの片隅で、夏の眩しい日を透かし、泡がつぎつぎと上ってゆく。作者は沖縄に在住。背景はかつての戦場なのだろう。七十八年前、泡の向こうの正しくこの場所で、火炎放射器の炎にサトウキビ畑が、人々が燃えていた。私もかつて焼夷弾が降り注いだ現場を日々歩いている。そしてサイダーの泡は黙々と上り続ける。

晩夏光ルビふるごとくひとの影 舘林史蝶
 晩夏の光を浴びる真っ白なケント紙に、細い直線で大きな交差点が描かれ、ルビのような影が散らばって蠢いている。ルビの対象である人そのものは、もうそこにはいない。人の実体はもう要らない。ルビだけで十分なのだから。ルビたちは、とりあえず決定されたそれぞれの目的地へ向かい、散ってゆく。
(鑑賞・山本まさゆき)

◆海原集〈好作三十句〉武田伸一・抄出

愛の日の誰にも逢はぬまま日暮れ あずお玲子
曾祖母はるか婦志ふじと呼ぶ美しき白息 飯塚真弓
与那国島から台湾が見え雁渡し 石口光子
陸軍歩兵新倉八五郎碑冬うらら 石鎚優
亡き弟の名だけ頷く父へ小春日 伊藤治美
裸木や最後の無頼派作家逝く 植松まめ
鬼なのか人間なのか海鼠食なまこはむ 大渕久幸
たわわなる青柿の家ひと絶えし 小野地香
柚子届く柚湯柚子みそ柚子ぽん酢 かさいともこ
師の腕を抱へ山頂冬桜 神谷邦男
客の来てずらずら柿の旨いずら 北川コト
喪中です石蕗の葉十枚投函す 小林育子
半世紀の手帖を今はとじて冬 近藤真由美
薄皮に黒餡透いて山眠る 佐竹佐介
ユニセフのミルクで生きてセーター 重松俊一
大皿を出して始める年用意 高坂久子
人生にわが居る不思議梅の花 立川真理
雪蛍タカラジェンヌを夢見た日 藤玲人
りんご箱開ければ少年少女たち 中尾よしこ
ポツダム宣言読む十二月八日明け 平井利恵
はつゆきの誰が弾いてもいいピアノ 福岡日向子
カフェに席確保できたる師走かな 福田博之
裏年の柿を鳥等と分け合ひぬ 藤井久代
狐火や生き先知らぬ舟に乗る 保子進
着ぶくれて身の内にある不発弾 向田久美子
サクサクと食ぶ戦艦の名の林檎 村上紀子
蕨餅机上に生活の余白 村上舞香
天井を突き破りたい風船 路志田美子
短日の雲に朝日子のっかって わだようこ
数へ日やはだしの一歩踏みしむる 渡邉照香

狐鳴く 佐々木宏

『海原』No.57(2024/4/1発行)誌面より

第5回海原金子兜太賞受賞第一作〔3回連作・その3〕

狐鳴く 佐々木宏

吹雪聞く玉音放送聞くように
流氷や農耕民族おうと言う
耳こゆび記憶凍傷になる順序
働いて働いて畏まる姉冬苺
氷橋いずれ切腹するつもり
落雪の音ありつくづく安部公房
雪うさぎ早産という情緒かな
古里はストリッパーのよう樹氷
狐鳴くまた鳴く人格変わりそう
二行ほどアンダーライン春の水

古里のその古里 立川瑠璃

『海原』No.57(2024/4/1発行)誌面より

第5回海原新人賞受賞 特別作品20句

古里のその古里 立川瑠璃

古里のその古里は蜃気楼
記憶の扉明ける朧に祖母がいる
春三日月地平のわが身浸しつつ
非人称の町角はみな花の匂い
方言も人も吹雪いて地方都市
春宵の大正町に寿三郎
静謐を乱して霧の古墳群
祝橋元に還れぬ半仙戯
春野から時の旅する吾が見える
空中ブランコ命綱なき燕
見世物の懈怠が笑う草迷宮
三次東座春燈太く弛みけり
習俗や一夜明ければ形代となり
絵のような陽炎のような寂しき者ら
メメントモリ柔らかに桜時はなどきは過ぐ
深遠に既視感ありて鵜飼船
記憶痕跡めくられて無月の頁
初蝶来て詩想の暗示の如く消ゆ
霧の海鮫食む人が棲むといふ
断章や鏡の中の梅ふふむ

ルイージの懊悩 中内亮玄

『海原』No.57(2024/4/1発行)誌面より

第5回海原賞受賞 特別作品20句

ルイージの懊悩 中内亮玄

帰り花ポケットの中に握り拳
雪風巻ポケットの中に握り拳
冬北斗ポケットの中に握り拳
春浅きポケットの中に握り拳
卒業すポケットの中に握り拳
猫の恋ポケットの中に握り拳
山笑うポケットの中に握り拳
花吹雪ポケットの中に握り拳
泳ぐ蛇ポケットの中に握り拳
青胡桃ポケットの中に握り拳
夏の雷ポケットの中に握り拳
大花火ポケットの中に握り拳
晩夏かなポケットの中に握り拳
身に沁むやポケットの中に握り拳
おけら鳴くポケットの中に握り拳
世阿弥忌のポケットの中に握り拳
きりもなやポケットの中に握り拳
馬鹿馬鹿しポケットの中に握り拳
類似かなポケットの中に握り拳
ルイージかなポケットの中にマリオ握り

ペンのあと 佐々木宏

『海原』No.56(2024/3/1発行)誌面より

第5回海原金子兜太賞受賞第一作〔3回連作・その2〕

ペンのあと 佐々木宏

弟と木の実漂白剤のにおい
山に雪私に母さんふりました
冬服やオウム出してはまた入れる
セーターの裏もセーター境涯派
直滑降転べば鎌倉時代かな
スケートリンク小熊秀雄のペンのあと
雪重し結晶なのに白いのに
雪搔いて私はモアイ空を見る
冬かもめ彼女のなぐり書きのメモ
近況はポインセチアとワインとか

『海原』No.56(2024/3/1発行)

◆No.56 目次

◆海原秀句 同人各集より

安西篤●抄出

カラフルな呼吸たそがれどきもみじ 石川青狼
突き刺さるガザの子の「なぜ」秋夕焼 伊藤巌
寒昴われは一本の藁である 稲葉千尋
鵙日和蕎麦打つ男佳かりけり 大池美木
夜気みちて言葉の林ざわざわす 尾形ゆきお
小春日に背中預けて「サザエさん」 加藤昭子
熊出そう兜太先生出て来そう 川崎益太郎
古楽器の響きのごとく水澄めり 川嶋安起夫
夕顔や人追うように灯りたい 黒岡洋子
ビルとビルの隙間に落暉神の旅 黒済泰子
聞き取れぬ愛があります月に蜘蛛 佐孝石画
百日草自傷のように書く日記 佐々木宏
長生きの有耶無耶にあり茸汁 篠田悦子
指ぐるぐる麦藁蜻蛉よお久しゅう 鱸久子
月天心地上散らかっています 芹沢愛子
竜胆やすらりと立てる祖父の墓 高木水志
冬夕焼だれも知らない死後の景 董振華
銀杏ゆれ光の子らのかくれんぼ 友枝裕子
秩父急行豚草が柿が飛んで行くよ 中内亮玄
星流る地球のどこか今もゲルニカ 新野祐子
ほんと言い過ぎたよな実石榴ほじる 西美惠子
老犬が瞬きをする金木犀 平田薫
おおきにな「アレ」してもろて温め酒 藤好良
移住者の温顔集い落葉搔き 船越みよ
雪暗や母のにほひの桐箪笥 前田典子
簡単ごはん秋茄子焼いて肉焼いて 松本千花
なつかしい栞たとえば綿虫のむこう 三世川浩司
霧の街地図をひらけば人体図 望月士郎
懐かしの駄菓子のエッセイ夜長かな 梁瀬道子
取れかけのボタン嵌めけり今朝の冬岡 山本まさゆき

遠山郁好●抄出

一日中歩いた自傷冬夕焼 伊藤清雄
寒昴われは一本の藁である 稲葉千尋
階段の一段づつの猛暑かな 内野修
虫しぐれうしろの闇に喪服脱ぐ 榎本愛子
真っ直ぐに歩き疲れて寒の入り 大西政司
古酒新酒どちらで酔うも二日酔い 川崎益太郎
神の旅入日さしたるゴリラの背 河田清峰
午後は雨の予感秋蝶肩に来て 楠井収
うつむくと地面が見える石蕗の花 小松敦
万華鏡回す小鳥の鼓動です 三枝みずほ
秋天に今日を捧げるそして溶かす 佐孝石画
おじの名は熊蔵秋の黄泉しずか 佐々木昇一
秋の水ポーと汽笛になることも 佐々木宏
掌に宿る月光友快癒 佐藤君子
熱燗を蝶の羽根のようにつかむ 十河宣洋
極月やスタントマンの掠り傷 髙井元一
秋の日に去るもの追わずハシビロコウ 滝澤泰斗
冬曙全く白い父の姿 豊原清明
古里は兎も追えぬ基地フェンス 仲村トヨ子
ほんと言い過ぎたよな実石榴ほじる 西美惠子
父と夫同じ芋科で違うイモ 野口思づゑ
ホームランコキア紅葉に消えにけり 長谷川順子
蛍火や言葉の上からさわる悲しみ 北條貢司
指より砂シルクロードに咳ひとつ 松岡良子
蚯蚓鳴く字余り吃逆くせになる 松本千花
蜩やたとえばガラス切る呼吸 宮崎斗士
うさぎ林檎この町月の肌ざわり 望月士郎
こおろぎのよく鳴く眠剤はブルー 茂里美絵
さうですか不知火ですか僕達は 矢野二十四
青柿に敬意ありけり九十歳 横山隆

◆海原秀句鑑賞 安西篤

突き刺さるガザの子の「なぜ」秋夕焼 伊藤巌
月天心地上散らかっています 芹沢愛子
星流る地球のどこか今もゲルニカ 新野祐子

 今日只今の時代の危機感を詠んだ句の一連である。いわゆる時事俳句だが、社会性俳句の現在を示す句群といえよう。
 伊藤句は、イスラエルとハマスの戦争から、一躍その焦点として浮かび上がったガザ地区で、食料やエネルギー源の不足に苦しむ人々の切実な声を、子供の素直な叫びとして捉えた。「なぜ」の後に、「私たちはこんな目に遭わなければならないの」と続く声は、秋夕焼の中に燃え続けている。
 芹沢句。今の地球での事態を巨視的に捉え、「散らかっています」と少し皮肉っぽく喩えた。子細に見れば、どうしょうもないひどさなのだが、皆でなんとかしようという動きは、まだ見えそうもない。むしろ一層ひどくなる様相を呈しつつある。月はその有様を、煌々とあからさまに照らし出しているようだ。
 新野句。ゲルニカは、ピカソの絵で有名な戦争の惨禍図。あのゲルニカのような悲劇は、今も地球のどこかで、おなじように繰り返されているに違いない。そんな過ちが、性懲りもなく繰り返されていいのかという声が、星の流れに明滅する思いを呼んでいる。

寒昴われは一本の藁である 稲葉千尋
百日草自傷のように書く日記 佐々木宏

 加齢に伴う孤独感と、そこに生きさらばえている人間像の句。
 稲葉句。寒昴の夜空の下、自分は流れに浮かぶ一本の藁しべのごとくはかないものだという。作者は最近、癌の宣告を受けたらしい。しかしどこか自若と受け止めている感じもする。〈ええそうよ癌だと言って柿を剥く〉とも書いているから、もはや居直っているのかもしれないし、一つの諦念に達しているのかもしれない。
 佐々木句。「百日草」というからには、まだまだ生きる気でいることはたしか。稲葉氏とはほぼ同世代ながら、状況が違う。日記を「自傷のように書く」となれば、毎日反省や繰り言ばかりを書いているわけで、なんとなく無為に過ごした日々への悔いにさいなまれていると見れなくはない。よくわかる実感で、そうして老いてゆく淋しさが噛みしめられている。そこには老いへの道筋を模索している姿が見える。

長生きの有耶無耶にあり茸汁 篠田悦子
冬夕焼だれも知らない死後の景 董振華

 九十歳台の篠田さんと五十歳台の董さんの、それぞれの世代の対照的な死生観。
 意外にも、九十歳台の方が余生に対して腹をくくっているのに対し、五十歳台は死の不安におののいている感じがある。九十五歳の時の兜太先生は、「なにも怖がることはない」と『他界』で書かれた。死が間近にあるとすれば、前述の稲葉句のように、かえって居直ることが出来るのかもしれない。
 さて篠田句。長生きの有耶無耶とは、何事も有耶無耶にする老蒙状態にあることだろうか。それでも茸汁のような滋養のあるものを頂いて生きてますという。生きることへの執念は、まだしたたかに健在しているようだ。また〈およよんと目眩橡の実落ちて跳ね〉の句では、よろめきながらも、橡の実が落ちて跳ねていくように、どこまでも生ききろうとする姿勢を隠さない。
 対する董句。死は生者にとって、誰も経験したことがないものだから、死後の景など誰も知らない。だが冬夕焼を眺めていると、死後の景とは、こういうものだろうかと想像をかきたてるものがある。自分もやがてあんな風に他界へ行くのだろうか。ふと身に染みるような思いに駆られて、身震いをする。それは、まだ中年ながら、もう一つの時間としての老いへの道筋を眺めているかのように、どこか予感のようなものにおののいているのかもしれない。

なつかしい栞たとえば綿虫のむこう 三世川浩司
懐かしの駄菓子のエッセイ夜長かな 梁瀬道子

 ふるさとの幼い頃の思い出は、当人ならではのものがあり、さりげない中に色濃い情感が漂う。
 三世川句。ある日ふと、日頃なにげなく手にしていた栞から、妙ななつかしさを感じたのだろう。おそらく作者にとって退屈な無為の時間に、ふと訪れたなつかしさが、思いがけなく栞から触発されたのではないか。それは、初冬の頃、青白い綿のように浮遊する綿虫の空間のむこうに浮かんでいるような、ただ今の時間の知覚でもあった。どうやら幼い頃、ふるさとでみたような原郷感覚に通い合うものだったのかもしれない。
 梁瀬句。こちらはもっと具体的な思い出に直結する。幼い頃、ふるさとの駄菓子屋で買った駄菓子に関わる思い出のあれこれは、今もあざやかに思い出すことが出来、それをエッセイにして書き残しておこうと思い立つ。おそらく仲間内の同人誌に、何か書いてくれと依頼されたからだろうが、いざ書くとなればさまざまな人間模様にも連なってきて、なかなかまとまらない。そのまとまらなさに沈湎している時、今は遠のいているふるさとの景につながって、懐かしさを誘うのだろう。

◆海原秀句鑑賞 遠山郁好

うさぎ林檎この町月の肌ざわり 望月士郎
 うさぎ林檎は、お弁当などに添えられている兎の型の林檎。何故いきなりうさぎ林檎。作者は〈この町月の肌ざわり〉へのスムーズな導入を意図した。しかし兎では月に近すぎる。そこでどこか懐かしいうさぎ林檎。そして手触りでなく、肌ざわりと言った時、そのひやっとして粒だつような、それでいて艶やかな月の質感が皮膚を通して感受される。この句、海原大会の満月の秩父での作と知れば、さらに味わい深くなる。

一日中歩いた自傷冬夕焼 伊藤清雄
 何か思うことがあり、唯々自らを傷つけるように歩きまわった。そして一日が終わろうとしている。眼前に広がる冬夕焼。その冬夕焼もまた、まるで自傷のようにまっ赤に空を染めている。そんな冬夕焼と心を通わせながら佇っている。身心のバランスを保つため、ひたすら歩くこと、そしてこうして表現することは、困難を和らげる術であることを知っている。

真っ直ぐに歩き疲れて寒の入り 大西政司
 寄り道もせず、脇目も振らず、真っ直ぐに歩いて来てすっかり疲れてしまったが、嗚呼もう寒の入りかと感慨に耽る。真っ直ぐに歩くとは真っ直ぐに生きること。これまでの人生への充足感と肯定感が心地よく響く。そして結局、人間とは二足歩行の生きものであり、歩けば疲れるし、生きていれば寒の入りにも出会う。他の生きものから見れば、こんな人間の生真面目な行為は、ユーモラスに映っているかも知れない。

冬曙全く白い父の姿 豊原清明
 まだほの暗さの残る曙の中では、人は白さに対してより鋭敏になる。偶然のように冬曙に現われた父は、神々しいまでに全く白い姿だった。なぜ全く・・と言い、字余りで少しぎこちない姿と言ったのだろう。そんなことを考えながら、全くといい、姿といいその言葉が照らし出す作者の内側の声に訳もなく引き付けられた。この〈全く白い姿〉からは作者の父への思いの深さ、かなしみをも感じさせる父との歳月へのいとおしさが思われる。

秋の日に去るもの追わずハシビロコウ 滝澤泰斗
 上野動物園で、初めてハシビロコウに会った時、噂に違わず、周りの騒音にも惑わされず、瞑想の僧か哲学者のようにビクともしない。それでもハシビロコウの周章てる姿を見たいと暫く対峙してみたが無駄だった。結局、ハシビロコウにとって人間なんて眼中にないらしい。そんなハシビロコウの生態と作者の去るものを追わずの生き方との重なり具合が妙に面白い。それに秋の日も微妙な働きをしている。

さうですか不知火ですか僕達は 矢野二十四
 有明海か、八代海か漁火が明滅して、かの不知火が見える。ところでご出身はどちらですか、そうですか、同郷ですね。一見さりげない会話とも読めるが、この句にはどこの出身とも同郷とも書かれていない。実は僕達は不知火湾のあの謎めいた不知火そのものなんです。道理でお互い少し屈折していますね。そして妙に気が合いますね。なにしろ僕達は不知火ですから。一期一会の人とこんな不思議な言葉遊びをしてみたい。

父と夫同じ芋科で違うイモ 野口思づゑ
 俳諧では、芋は里芋を言い、秋の季語となっている。その里芋科で思い浮かぶのは、蒟蒻芋、タロー芋、蝦芋くらい。そう言えば不喰芋もあった。ところで結婚相手は、意識していなくても結果的にどこか父に似ていることはよくある。しかし、似ていると言っても他人。やっぱり父とはどこか違うなと思うが、そこがまた興味深いところ。イモのイメージとしては温かみ、親しみ易さ、安心感等だが、ここで言う作者のイモは、夫や父への最大限の讃辞と読める。こんな句をさらりと書く作者が羨ましい。

蛍火や言葉の上からさわる悲しみ 北條貢司
 悲しみは驚きに似ていて突然現われ、もう手に負えない。言葉でいくら宥めても、そんな時の言葉は乾いていて触れるだけで刺さるようだ。ずっと深い処にある悲しみは、言葉では到底表現できない。息を潜めて悲しみが溶けてゆくのを待つしかない。悲しみは悲しみで薄める。蛍火がまた、悲しみに触れてゆく。

寒昴われは一本の藁である 稲葉千尋
 凍てつく空に輝く昴に対して、人は確かに一本の藁のような微小な存在に思える。しかし人一人のいのちは地球より重い。以前、子規に関する本の中で、子規の「平気で生きる」という言葉に出会って強く心に残った。子規が病を得てからも病床で旺盛な食欲と句作や著作を続けられたのは、この「平気で生きる」という信念に支えられていたのではないか。さらにはものを書くことによる精神の浄化作用も生きる力に繋がった。この「平気で生きる」という言葉、そうありたいという願望と共に大切に温めている。

◆金子兜太 私の一句

蝶のように綿入れの手振り吾子育つ 兜太

 私は昭和23年、南房総の山里に生まれ、自然の中で自由に育ちました。「綿入れ」は私にとっても懐かしい言葉で、幼い頃着ていました。成人して東京で生活し、母となり娘を育てました。50歳の頃、年老いた母に会うため館山へ帰ることが多くなりました。田畑に白い八つ手の花が咲いていました。〈花八つ手自己満足の親孝行〉と作りました。兜太先生はその句を誉めて下さいました。「海程」に入会し学んだことは”宝物”です。句集『少年』(昭和30年)より。小野正子

津波のあとに老女生きてあり死なぬ 兜太

 東日本大震災の一句、下の「死なぬ」が気になり繰り返し読んでいるうちに、これは兜太先生の魂の叫びだと気づきました。先生の命に対する特別な思いと、九日も漂流し助かった老婆の命が響き合って出た「死なぬ」だったに違いない。句の型が崩れても詠みたかったこの感動がずしんと伝わりました。私が被災地を訪ねた時、荒寥の地に赤い風車が音をたてて回っていたことが忘れられない。句集『百年』(2019年)より。鎌田喜代子

◆共鳴20句〈12月合併号同人作品より〉
〇印は2選者の共選句 ◎印は3選者の共選句

川嶋安起夫 選
少々の事背負いて立ちぬ晩夏光 上野昭子
独身のしづかに食みし茸飯 鵜飼春蕙
書くことも祈りのかたち八月来 榎本愛子
晩夏の農夫半分はすでに虫 大沢輝一
よく眠る駱駝のこぶに揺れる月 奥山和子
樹齢三百年黙読と涼風の私語 刈田光児
海の子の背中にきこゆ波しぶき 北原恵子
忘れ掛けの思い出の鎖は朝顔 日下若名
がに股のまま乾くジーンズ敗戦忌 黒済泰子
宵闇の都バスは廻り道せぬか こしのゆみこ
炎昼や処刑のように干す軍手 鈴木栄司
あるようでない持ち時間桐一葉 高橋明江
○あれも秋燈沖ゆく舟に一つづつ 立川由紀
秋立つやパン一切れが置き去りに 谷口道子
敬老日マニキュア紅を赤に変へ 友枝裕子
日焼して畑舞台の大往生 梨本洋子
○銀やんま空のひろさを言いにくる 平田薫
砂利道の素足の痛み敗戦忌 深山未遊
母を叱り自責する日のこぼれ萩 村松喜代
シャッター街盆提灯の点々と 矢野二十四

小池弘子 選
きょーと夜汽車は青春の声兜太の忌 有村王志
子は母の誉め言葉待つ蝉時雨 石田せ江子
かまきりの生まれてこぼる右左 内野修
雨垂れの跡を辿れば道おしえ 大西政司
あの星は叔父たち四人終戦日 大谷菫
夜濯ぎや人に小さな舞台裏 桂凜火
老ゆるとはぼんやり暮す茄子の花 北上正枝
秋祭り神馬うとうと出番待つ 日下若名
真っ直ぐに生きた恋した曼珠沙華 倉田玲子
箱庭を一またぎして女房かな 黒岡洋子
兵役の果てぬ今生蟻の列 齊藤しじみ
○トマト噛むその混沌を得るために 佐孝石画
○あれも秋燈沖ゆく舟に一つづつ 立川由紀
老いたとは思わぬことに秋青空 中村孝史
老いる事それも楽しみ万年青の実 中村道子
チワワ似の積雲西へタヱ子ゆく 服部修一
虹の根を探していまも帰らぬ子 平田恒子
山の端に迎火父母ちちはは猫きんぎょ 藤野武
今朝の秋マニキュアの赤塗ってみる 松田英子
天曇るしづけさ紫蘇の実のこぼれ 水野真由美

小松敦 選
夕焼の缶入りスープを贈ります 安藤久美子
鉛筆に月の光の重さかな 榎本愛子
癒ゆる夏水底に火を焚くように 川田由美子
舟虫が動くと変わる世界地図 河西志帆
鈴虫の想いを綴る硝子ペン 北村美都子
輪転機かうもりの空剥がれゆく 三枝みずほ
○生き方の目次のように夏木立 佐藤詠子
小言は続くエンゼルトランペット たけなか華那
黒揚羽湖にさざなみよみがへる 田中亜美
海群青二百十日を沈めたか ナカムラ薫
可惜夜の夏蚕しぐれと流離いぬ 並木邑人
山葡萄色の家族を追熟す 根本菜穂子
自生とは意志道端のフリージア 野口思づゑ
吊革の片腕西日の野を這って 日高玲
○銀やんま空のひろさを言いにくる 平田薫
星月夜背に真新し蔵書印 藤田敦子
浮塵子と目があうことごとく乱視 三世川浩司
手話荒々プールサイドの少女かな 村上友子
にんげんの流れるプール昼の月 望月士郎
かたつむり体を太くしてのぼる 横地かをる

近藤亜沙美 選
人であることに行きつき落葉踏む 有村王志
万緑の奥へ白馬を隠しおき 刈田光児
花はちす祈りをうすべにと思う 北村美都子
父さんは真水ときどき霧になる 小林ろば
○トマト噛むその混沌を得るために 佐孝石画
○生き方の目次のように夏木立 佐藤詠子
八月の悲しい入り日かなかなかな 重松敬子
私にも影一つだけヒロシマ忌 竹本仰
白樺の林立灰白色の脳 田中亜美
手花火は少しかなしい隠し事 ナカムラ薫
産土に還る空蝉にもなれず 藤田敦子
独り居の素手満月に濡らしゐる 前田典子
足元から暮れゆく軋み蕺草どくだみ 三木冬子
黒き羽根落とし晩夏の一樹なり 水野真由美
逡巡はその空蝉に置いてきた 三好つや子
人恋し真夏が白く光るから 森武晴美
木槿はさざなみ水を買う日常 茂里美絵
竹落葉さらさら齢を重ねたい 森由美子
風媒の風甘きとき稲の花 柳生正名
みみず鳴くざりざりとため息錆びて 山本掌

◆三句鑑賞

書くことも祈りのかたち八月来 榎本愛子
 八月といえばまずは終戦のこと。またお盆の時期でもあります。悲惨な戦災で亡くなった方々への追悼、父母・祖父母、先祖への報恩感謝、そして平和への願い。それらの「祈り」は合掌のかたちだけでなく、私たちにおいては「書く」ことによってでもあり得る、否、あらなければならないということに気づかせてくれる一句。

あれも秋燈沖ゆく舟に一つづつ 立川由紀
 「あれも」……その前景にはどんな秋燈が目に映っていたのでしょうか、私たちにいろいろと想像させてくれます。それも「秋」の燈火ですから、これも人それぞれに様々な感慨をもたらすことでしょう。そうした豊かな含み、詩的情緒をはらんだ美しい句だと感じました。
 「一つづつ」の表記は、沖の小舟の形まで浮かぶよう。

シャッター街盆提灯の点々と 矢野二十四
 今や人影なく寂しいばかりのシャッター街ですが、灯されている盆提灯からは、それを灯している方々や、かつてはその街でいきいきと活躍していた方々の面影まで想像されます。
 しかし、それらも「点々と」……時の流れとともに次第に消え去っていくのでしょうか。
(鑑賞・川嶋安起夫)

子は母の誉め言葉待つ蝉時雨 石田せ江子
 歴史にもしも?はないが、あの時どうして叱ってしまったのか、誉めてやるべきだったと後悔の念にかられる一句に出会った。親も子も懸命な筈に違いなく、つい暴言を吐いて子供を傷つけている。
 蝉時雨の樹の下でベソをかいている子供が、かつての我が子とオーバー・ラップして悩ましいことだ。

トマト噛むその混沌を得るために 佐孝石画
 トマト噛むその行為の裏に、混沌から逃げるのではなく果敢に立ち向かう作者がいる。下五が反転して更にトマトを強く噛むのだ。水面に映る己に恋して死に、水仙の花に化したというナルキッソスのように……。自虐の中から答えを掴もうとする、およそ花鳥風詠とは程遠い俳句詩なのではと思いたい。

老いたとは思わぬことに秋青空 中村孝史
 鑑賞子も八十を迎えた時(三年前)、寂しくなったことを覚えている。耳が遠くなり耳鼻科で診てもらい「年相応の老化です」と笑いながら宣告。揚句の上五中七に続く「に」に何とも勇気づけられる。歳月と共に老化した肉体は戻りはしない。ならば作者のように開き直り、青空を見上げながら生きようではないか。
(鑑賞・小池弘子)

夕焼の缶入りスープを贈ります 安藤久美子
 川上未映子さんの小説『黄色い家』の最終段落〈それは胸にちょくせつ流れこんでくるような夕焼けで、それはもう思いだせなかったはずの、思いだすこともなかったはずの懐かしい色になり、かたちになり、声になっていった。〉が甦る。身体に潜む無自覚な世界の記憶が蘇生され、繋がり合い、動き出す、そのざわめきに驚く。

黒揚羽湖にさざなみよみがへる 田中亜美
 黒揚羽は「使者」だと思う。黒揚羽はいつも自然を装ってとても大切なことを伝えにくる。そして必ず、無意識に伝わる。湖のさざなみはその証だ。黒揚羽のメッセージを受け取った人の心のふるえが湖面を揺らす。頭がおかしいと思われるかもしれないが本当だ。嘘だと思う人は、他の「黒揚羽」の句を読んでみればきっと分かる。

星月夜背に真新し蔵書印 藤田敦子
 宇宙の闇を光の粒が埋めつくしている。満天の星の下に私の気持ちも厚く煌めき静かに覚醒している。そんな夜分だからこそ、この蔵書印は図書館の分類用背ラベルではなくて、やはり「蔵書印」なのだ。最近新たに誰かの所有物になったことを真新しく誇るその背は、星月夜のフォースの力で人の背中にメタモルフォーズする。
(鑑賞・小松敦)

人であることに行きつき落葉踏む 有村王志
 私も五十を過ぎてから思うのだが、これまで生きてきたこの様々な経験値と、身につけたあらゆる処世術を持って、もう一度若返り人生をやり直せないものかと。人はその未完ゆえ中々人であることに行きつけない。人は人であると自覚した時、人生の晩秋に散り落ちたその落葉を、確信を持って踏むのであろう。存在確認のように。

万緑の奥へ白馬を隠しおき 刈田光児
 この句を読んだ瞬間、私の脳裏に東山魁夷の「緑響く」の絵画が浮かんだ。濃密な緑色の針葉樹の鋭角的なシルエットが、シンメトリーに広がる心象風景の中に一頭の白馬が存在するこの絵、〈万緑の奥へ白馬を隠しおき〉という表現と重なった。作者にとってこの白馬は、内側に脈々と培われた美しき詩魂であるに違いない。

竹落葉さらさら齢を重ねたい 森由美子
 私の母も去年の十二月で九十三歳になった。母と再び暮らし始めてもう九年、母も年老いたが私も同じく年を取った。竹の葉は稀に稲穂状の花をつけるが開花後多くは枯死する。枯れてなお風に吹かれさらさらと音を立て揺れ散る竹落葉のように、時の流れに身を委せさらさら齢を重ねたい、作者の願望が私にも身につまされる。
(鑑賞・近藤亜沙美)

◆海原集〈好作三十句〉武田伸一・抄出

眠さうな金魚へ零す冬のパン あずお玲子
納豆搔いて病める時もまた夫婦かな 有栖川蘭子
思春期といふ裸像ありすすきの穂 石鎚優
底知れぬ悪を語りて秋の夜 井手ひとみ
父怯み母向かいあひ冬の水 伊藤治美
ビートルズの最後の新曲小鳥来る 植松まめ
秋天や惚れなくなって惚けてきた 鵜川伸二
ポインセチア滅びゆくものを詠う 大渕久幸
哲の忌や死の谷に麦青むべし 押勇次
極月の頼まれて出る家族葬 かさいともこ
心配はかけてなんぼよ天高し 梶原敏子
行き暮れて露の野の一人の人を 北川コト
決心はその場しのぎの片時雨 木村寛伸
火薬筒むくろじ一つしのばせて 小林育子
夜長して人生訓の栞挟む 齊藤邦彦
さびしくば風船葛解いてみよ 佐々木妙子
福岡に大丸のある刈田かな 佐竹佐介
ボール一つ取り合う本能天高し 塩野正春
わたくしを許さぬわたし菜の花黄 宙のふう
数え日や老若男女旅人われら 立川真理
想い出を噛むと森永キャラメル冬 谷川かつゑ
露の道けさの命のたふとしや 平井利恵
真面目にならいつでもなれる吾亦紅 福岡日向子
ジプシーのリズムに乗れず秋扇 福田博之
身に入むや縄張追はるる猫の背 藤井久代
熟柿吸う甦る母の叱責 保子進
小鳥来る広げたままの新聞紙 松岡早苗
指導者が祟り神になってゆく厳冬 松﨑あきら
虫すだく一匹ぐらいあらわれよ 路志田美子
若き日の思い違いよ水澄めり わだようこ

『海原』No.55(2024/1/1発行)

◆No.55 目次

◆海原秀句 同人各集より

安西篤●抄出

十六夜をぺったんぺったん歩く夫 綾田節子
八月や忘れぬ為に石を置く 石川義倫
少年老いて面の遊びの朴落葉 遠藤秀子
わたくしに鰭生え雨の木下闇 大沢輝一
秋風ばかり詰めし鞄やうたと旅 岡田奈々
蝸牛に一切合切という雨 小野裕三
秋蚕手に乗せたるここち発熱す 片町節子
言の葉の根の澄みてゆく草雲雀 川田由美子
思惟仏に会いたく紫薇の雨をゆく 黒岡洋子
嗣治の猫ふり返る夜の秋 黒済泰子
烏瓜答へてくれと瞬けり 小松敦
小春日の「荻窪風土記」堰の音 小松よしはる
月白やひとに水面のありにけり 佐孝石画
余生とは何から省く秋桜 佐藤紀生子
予後の友空き壜に挿す草の花 佐藤君子
晩稲田刈る父と息子の空一つ 佐藤二千六
荷崩れのごと家に居て漸く秋 篠田悦子
告別は栴檀の実の青々 鱸久子
鳥渡るなり人みな配置図のなかへ 田中信克
詩の土器のわたしの破片つづれさせ 鳥山由貴子
指切りは嘘の始まり思草 中村道子
コスモスを一輪挿して家計事 梨本洋子
曼珠沙華土葬の村のクロニクル 日高玲
縷紅草ちいさい一日でありぬ 平田薫
色葉散る同調圧力微笑みぬ 藤野武
月光の匂ふ上衣を折りたたむ 水野真由美
暗黙の了解三つ四つ庭たたき 深山未遊
ところてん昭和ゆるりと突き出さる 森由美子
自虐的なハンドルネームいのこづち 山本まさゆき
銀の匙かほうつしあふ十三夜 渡辺のり子

遠山郁好●抄出

自然薯掘る血管の根を辿るよう 赤崎冬生
秋思かな二人の秋は窓の空 伊藤巌
もっと酸素もっと音楽曼珠沙華 大髙宏允
赤い羽根ラッキーカラーとして胸に 大野美代子
笑窪あり最晩年の良夜かな 岡崎万寿
荢環草病児保育室雨上がる 桂凜火
廃校の笑い袋を拾ったよ 葛城広光
かでなふてんまもずく天ぷらは此処 河西志帆
カフェ「梵」木の実の落ちる席が好き 河原珠美
セプテンバー雨の匂いを連れて来る 小林ろば
難聴や纏わりつく蚊手で払う 佐藤二千六
もう一匹黒猫が居る木下闇 篠田悦子
ざっくばらんおみな二人と滴りと 鱸久子
かなかなや女流の反対語探す 芹沢愛子
蜩を纏えば響く僕の骨達 高木水志
童顔の胸に銀河の数珠を置く 立川弘子
ゴッホだって芒を見たら団子食う 千葉芳醇
ちっち蝉とは何となく不機嫌 鳥山由貴子
林檎かがやくフクシマに神話はいらぬ 中村晋
零れない空のさざなみ白鳥来る 丹生千賀
白驟雨止めば荷風の傘杖に 野口佐稔
横しぐれ黙契のように鬱王来 日高玲
風よりも先にうまれた白式部 平田薫
竹落葉命を乗せてあゝ愉快 本田日出登
秋蝶の消えしあたりの雨しづく 前田典子
紫の一閃夜をキンモクセイらふ亜沙弥さん逝く 松本勇二
帰国猫クローゼットの秋気が好き 村上友子
告白に椎の実ふたつ混ざってる 室田洋子
水で水薄め蓑虫の鳴く国福島沖 柳生正名
虫の声弁当箱をまづ洗ふ 山本まさゆき

◆海原秀句鑑賞 安西篤

八月や忘れぬ為に石を置く 石川義倫
 八月といえば、今なら終戦の日や原爆の日にすぐ結びつく。作者自身の個人的思い出につながらなくとも、歴史の悲しみはまざとあって忘れることはない。しかし戦後も八〇年近い歳月を経れば、その思いも風化されないとはいえまい。作者は、その歴史の悲しみを忘れぬ為に、何か記憶に残る石のようなものを置くという。それは、戦争をどう伝えるかだけではなく、どう受け取るかという作者自身の姿勢を示すものでもある。

少年老いて面の遊びの朴落葉 遠藤秀子
 永田耕衣に「少年や六十年後の春の如し」がある。これは一種の境地の句だが、掲句はいわば童心に帰った老境を詠んでいる。「面の遊び」とは、面子遊びのことだろう。朴落葉のゴワッとした大きな乾いた葉を、特大面子のように見立てたのかもしれない。それは老いたるかつての少年の相貌そのものなのだ。

蝸牛に一切合切という雨 小野裕三
 蝸牛は、巻貝のうちの殻をもつものだから、移動するときも殻を背負って行く。雨が降ればその中にひきこもる。所帯道具は一切合切大風呂敷代わりの殻の中。なんだか夜逃げのスタイルだが、人はなんとも言わば言え、それが蝸牛の紛れもない生きざまさ。そこには、次第に人生を仮託したような、もう一つの映像がすぐ浮かび上がってくる。

小春日の「荻窪風土記」堰の音 小松よしはる
 井伏鱒二の『荻窪風土記』を思わせる小春日の一日。小春日と堰の音の照応は、ゆったりと広がる井伏ワールドそのもの。井伏の自作朗読を聞いたことがあるが、まったく井伏の文体そのもののように、淡々とした中に、飄々とした持ち味が滲み出て、思わず引き込まれてしまった。あの時の朗読のような単調な堰音が、たどたどしくとも老いて何も背負わない生き方にも響き合う。

余生とは何から省く秋桜 佐藤紀生子
 「余生」とは、老後に残された人生だから、体力、脳力の面からも出来る限りシンプルな方がいい。そのためには、身辺を整理しておくことが大事とはよく言われる。結局、自分の存在意義のような未練からも解放されないと、何から省くという優先順位は決まらない。そういうお前はどうなのだといわれると、言葉に窮するが、秋桜の風に揺れる軽やかさのようにはありたいもの。

荷崩れのごと家に居て漸く秋 篠田悦子
 荷崩れのように家に居るとは、ひとり暮らしのわび住まいが予想される。しばらく家を空けていたか、病に臥せていて、家の中の整理整頓がままならぬ状態が続いたせいで、あたかも家中が荷崩れを起こしたような有様になっていたのだろう。なんとか日数を経て整理をつけた頃、漸く秋の気配に気づく。内緒ごとながら、そんなひと時を経た後のわびしさが、あらためて身に染みる。

縷紅草ちいさい一日でありぬ 平田薫
 縷紅草はヒルガオ科の蔓草で、六〜八月頃、約二センチほどの星型の花を咲かせる。そんな縷紅草のようなちいさい一日を過ごしたという。その心の内は、ささやかな幸せを覚える一日だったのかもしれない。「ちいさい一日でありぬ」と、呟くような言葉の裡に、さりげないある日の幸せを反芻する作者の思いが覗いている。

月光の匂ふ上衣を折りたたむ 水野真由美
 「月光の匂ふ上衣」とあるからには、長い時間月光の中に立ち尽くしていたおのれの上衣なのだろう。そのひと時がどういうものだったのか定かでないが、おそらくもの思うひと時だったに違いない。それはおのれ自身を見つめ、ひたすら黙想する時間だったのだろう。一句一章で断ずるように書かれた句柄に、作者の内籠る想念の立ち姿が見えてくる。

ところてん昭和ゆるりと突き出さる 森由美子
 ところてんは、暑い夏に涼味の得られるおやつで、江戸時代から庶民に好まれ、透明でつるっとした食感が珍重されてきた。ことに戦争によって物資の不足した昭和時代は、代表的なおやつとして人気があった。天草を煮溶かして型に入れ、固めたものを突き出すとき、昭和時代が突き出されたように感じたという。事ほど左様に作者にとっての昭和は、ところてんに化体していたともいえ、時代相を浮かび上がらせるに格好のものだった。それはまた、古き良き時代への郷愁でもあったのだろう。

銀の匙かほうつしあふ十三夜 渡辺のり子
 十三夜は陰暦九月十三日の夜。秋の深まりを感じつつ、十五夜の華やかさを失った十三夜月の夜。久しぶりの逢瀬で、コーヒーを飲み、そのお互いの銀の匙に顔を映し合っている。その繊細な銀器への照り映えを、なぜか後の月の淋しさと感じるのは、満たされない思いか、そぞろ別れの予感か。「かほ」と平仮名表記したのは、そんな情感のしらじらしさによるものかもしれない。

◆海原秀句鑑賞 遠山郁好

赤い羽根ラッキーカラーとして胸に 大野美代子
 秋の風物詩だった駅頭の赤い羽根の共同募金もあまり目にしなくなった。かと言って社会福祉が充実しているかと言えば、格差は広がるばかり。作者は募金に応じ、胸に付けてもらった赤い羽根に少し心が満たされてゆくような弾んだ気持ちになった。そしてその赤を私のラッキーカラーだと決めた。日常のさりげないことにも心動かされ、生き生きと生活している作者に惹かれた。

告白に椎の実ふたつ混ざってる 室田洋子
 何の告白なんだろう。告白というからには単なる報告ではないはず。告白に椎の実ふたつ混じるとはユニークな着想だ。椎の実は木の実の中でも小粒で、特別美味しいわけでなく、存在感は薄い。しかしそんな椎の実だから告白の時の一寸したとまどいや違和感を表現するのに効果的なのかも知れない。所在なげに椎の実に触れたり、緊張を紛らすように握りしめたりと様々な場面が想像される。それにしてもどんな告白なのか益々気になる。

もう一匹黒猫が居る木下闇 篠田悦子
 一匹の黒猫がいる。あれっ木下闇にも、もう一匹黒猫がいる。確かに木下闇に菱田春草の絵から抜け出たような黒猫がいる。しかし、実際にはもう一匹の黒猫はいない。木下闇そのものが黒猫なのだ。作者は木下闇そのものと鋭く交感し、それに溶け込ませるように木下闇に黒猫を出現させた。まるでトリックアートを見ているように洒脱で楽しい作品。

蜩を纏えば響く僕の骨達 高木水志
 人懐かしい蜩の声。しかしその声は、言葉では癒すことのできない痛みのように澄み渡り、あたり一面青白い空気となって身体を被い、骨達を響かせる。蜩の鳴く風景と一体化した作者の肉体は、いのちそのものをじっと見つめている。生きることが一つの創造であるとすれば、この生は限りなく愛おしく、懐かしい。この句に流れる若さと痛い程の静かな感性の響きに満たされている。

ゴッホだって芒を見たら団子食う 千葉芳醇
 作者が青森の人と知り、ゴッホになりたいと言っていた棟方志功のことが頭をよぎったが、やはりここでは書かれているとおり、ゴッホのこと。実際ゴッホも浮世絵など日本画に興味があり、作品にもしているから、芒を見たらゴッホが団子を食べるのは素直に納得する。書かれて初めてわかるこんな自由な発想を一句にする作者が限りなく羨ましい。

横しぐれ黙契のように鬱王来 日高玲
 多くの先人達に詠まれ、その無常感や美意識はすでに完成されている。そんな時雨をどのように詠むか。作者は時雨を自身にぐっと引き寄せ、その内面を覗き込むように〈黙契のように鬱王来〉と言っている。つまり、こんなしぐれの日には来るべくして鬱が来ているよと、特に周章てるでもなく、ゆったりと構えて、その鬱王を迎え入れている。それはいかにも俳諧に通じる。また、時雨ではなく横しぐれ、鬱ではなく鬱王と戯けていることも時雨の概念をさらりと躱していて巧みだ。

難聴や纏わりつく蚊手で払う 佐藤二千六
 纏わりつく蚊を手で払うという日常のさりげない行為と難聴という言葉が出会った時、訳もなく人間という生きものはかなしいと思った。難聴なら蚊の鳴き声は届いていないはず。しかしそのことがかなしい訳ではない。人が生きている証しの、日常のほんの些細な行為がこんなに飾らなく普通に書かれていることがかなしい。しかし考えて見れば、年を重ねれば老眼にも難聴にもなる。それは特に不思議なことではない。難聴で周りの雑音に惑わされず、動じず、木鶏のようにとは言わないまでも、淡々と自然体で生きていられることは、素晴らしいことかも知れないと思えてきた。かなしいはかなしいとも読める。

風よりも先にうまれた白式部 平田薫
 等圧線をなぞりながら、風の生まれる様子やその姿は、揺れる木々や光、物のゆらめきで想像はできるが、風そのものは見えない。その見えない風よりも先にうまれたという白式部。作者には風はどのように見えているのだろうか。見えないもののさらにその先に存在するもの、あの白くて小さな粒つぶの白式部。それに偶然出会った作者は風よりも先にうまれたものと直感した。そして後からやって来る漂泊感や喪失感を纏った風と一つに溶け合って、やがて透明になるのかも知れない。

セプテンバー雨の匂いを連れて来る 小林ろば
 九月ではなく、セプテンバーという語感に惹かれる。無造作に投げ出すように、ぽつんと置かれたセプテンバー。北の方から初秋の匂いのするセプテンバー。まだ雪になる前の短い夏の名残りを滲ませながら、少し切なげに、雨の匂いを連れて、まるで旅人のように北の町にやって来るセプテンバー。やっぱりメロディーに乗せて口遊みたくなる。雨の匂いのセプテンバー。

◆金子兜太 私の一句

彎曲し火傷し爆心地のマラソン 兜太

 海程全国大会を長崎で開催した時、運営責任者だった私は、師から個人的にお話をお伺いする機会に恵まれました。長崎で過ごした頃のお話など楽しく傾聴した貴重な時間でした。また、運営を手伝った私の家族とも親しく言葉を交わしていただきました。掲句は爆心地公園の句碑に刻まれています。長崎人として常に心に置いておきたい句です。句集『金子兜太句集』(昭和36年)より。江良修

「大いなる俗物」富士よ霧の奥 兜太

 『野ざらし紀行』の〈霧しぐれ富士をみぬ日ぞ面白き〉の見立ては芭蕉の独創で、「滑稽」を意識した句であり、〈野ざらしを心に風のしむ身哉〉の不退転の緊迫感から離れて余裕が感じられる。その二重性に留意したいと講座で語られた。大震災、癌手術、「海程」創刊50周年を経た2014年の作品……俗物富士にご自身を重ねられたと思う。第3回「海原全国大会」は伊豆開催予定。先生の富士が待っています。句集『百年』(2019年)より。高木一惠

◆共鳴20句〈11月合併号同人作品より〉
〇印は2選者の共選句 ◎印は3選者の共選句

川嶋安起夫 選
青黴の私語ぼそぼそとパンの耳 石川まゆみ
神がいまころぶ瞬間稲光り 市原正直
万物流転夜は金魚になっている 伊藤道郎
窓硝子拭けば両手に夏の空 大沢輝一
考えるふりしただけの夏柳 太田順子
短夜やビル風はいつも不穏 日下若名
母少しおこらせたままラムネ玉 三枝みずほ
奔放にことば降れ降れさくらんぼ 佐々木香代子
教室に野を引き入れよ夏の蝶 鈴木修一
「夏」の字の妙に長くての手紙 高橋明江
嘘つきの口に茗荷の子がしゃきしゃき 田中信克
子をいだく一房一房ふくろ掛け 友枝裕子
天井の守宮空気を読んだ顔 根本菜穂子
牛蛙止み牛蛙鳴きにけり 平田薫
日傘という括弧の中の平和かな 北條貢司
太ももが太鼓打ち出す夏祭り 前田恵
○八月や彷徨わぬよう泣かぬよう 松本勇二
人類は欲望ごろごろどて南瓜 嶺岸さとし
だまし絵から何か逃げ出す夏至の夜 村本なずな
蛍袋きれいな声紋預ります 茂里美絵

小池弘子 選
六色のクレヨンから鶏頭生まる 井上俊子
山法師呼びかけられて白き声 鵜飼春蕙
青大将逆光という全長感 大沢輝一
存分に溺れて下さい夕かなかな 加藤昭子
蛍火にマイナカードの事なんか 刈田光児
再会や千切りキャベツのよう心 佐藤詠子
登山靴軽し最後の尾瀬と決め 新宅美佐子
前立腺笑うほかなし麦熟れ星 十河宣洋
戦争放棄骸の下の終戦日 滝澤泰斗
東北の山は地味なり栗の花 竪阿彌放心
灼熱もハイビスカスの花に負け 友枝裕子
ががんぼを歩かせてをく淋しくない 丹生千賀
俺はここ恋だ飯だと行々子 藤好良
○補聴器の奥はせせらぎ水芭蕉 船越みよ
クリームソーダごぼごぼ悩み事相談 堀真知子
ひと息にミントティー朝から蝉しぐれ 三世川浩司
梔子の香よいつも聞き役だった姉 室田洋子
○夕端居わたしの暮らしてきた躰 望月士郎
扇風機そしらぬ顔をしてをりぬ 矢野二十四
灯心蜻蛉ふっと言霊点します 横地かをる

小松敦 選
夏至の朝跨ぐところを潜りけり 安藤久美子
鉄屑を積み出す埠頭油照り 石川義倫
朴の花雨を弾いて咲きにけり 内野修
梔子やエックス線室使用中 奥山和子
あいまいなままに漕ぎ出すボートかな 小野裕三
砂時計倒されプール開きかな 片岡秀樹
香水をつかひきつたる體かな 小西瞬夏
根釧原野素顔の星がとぶとぶ 小林ろば
抱擁のような困惑夏日来る 佐々木宏
夏空や一人一人にある向こう 佐藤詠子
白服揃う午後は真夏になる朝 鈴木修一
いもうとが波打際にいる五月 芹沢愛子
マーガレット面倒みますどんな風でも たけなか華那
この夏の細部に宿る美肉かな 豊原清明
鬼灯に息を吹きかけ飼いならし ナカムラ薫
短さは無口に非ず敗戦忌 長谷川阿以
声美し打水蒸発するあいだ 藤野武
○ゆうがおや訃報のだんだんと水音 宮崎斗士
○夕端居わたしの暮らしてきた躰 望月士郎
日盛りに確り結ぶ靴の紐 矢野二十四

近藤亜沙美 選
八月の記憶ハトロン紙の星砂 榎本愛子
ガラスペンで描く毀れやすい夏 榎本祐子
水撒いてだんだん人に戻りけり 大池美木
白雨ですぼくをかたどる僕のシャツ 大沢輝一
紫陽花のくらやみにある神の椅子 北原恵子
無精卵透く初夏の籠の中 小西瞬夏
薄明は美しき解半夏生 遠山郁好
腕時計を置く音父に父の日果つ 中村晋
句作など砂漠のような夏の風邪 丹生千賀
かたつむり影法師より水になる 野﨑憲子
思い出の途中を端折る瑠璃蜥蜴 平田薫
一人称ふわりと戻る大夏野 藤田敦子
螢火手に少年は混線したラジオ 藤野武
○補聴器の奥はせせらぎ水芭蕉 船越みよ
沈黙は大事な言葉梅雨夕焼 松岡良子
○八月や彷徨わぬよう泣かぬよう 松本勇二
鈍感でいいコッペパン食う夏野 三浦静佳
言の葉を水に研ぎゐて夕薄暑 水野真由美
○ゆうがおや訃報のだんだんと水音 宮崎斗士
生き急ぐ音のもつれる誘蛾灯 三好つや子

◆三句鑑賞

短夜やビル風はいつも不穏 日下若名
 真夏の明け方まで蠢く都会の人々に吹きつけるビル風を想像することもできますが、「不穏」という語からは単に現代都市の描写だけでなく、局所的で予測不能な危機に吹きさらされる現代文明の「危うさ」をも感じとることができます。さらには、もはや戦後ではなく「新たな戦前」に生きる私たち現代人の深層の不安までも映し出しているように思われました。

日傘という括弧の中の平和かな 北條貢司
 私達は日傘によって強い日差しから守られ安らぎ得ることができますが、それは「その場しのぎ」のもの。同様に私たちの享受している「平和」、絶えることなき世界各地の悲惨な戦災から一応は守られている「平和」も所詮は括弧つきの、かりそめのものにすぎぬという洞察に共感しました。

太ももが太鼓打ち出す夏祭り 前田恵
 演奏者の力が、その下半身から上半身へ、バチへと漲り太鼓を鳴らしていく瞬間が活写されています。そこから生み出されるリズムは、祭りに集った人々の踊りへと伝播していきます。肉感的でエネルギッシュな描写が素晴らしい。
(鑑賞・川嶋安起夫)

存分に溺れて下さい夕かなかな 加藤昭子
 この耽美な感覚、誰が誰に言っているのだろうと疑問が湧いた。繰り返し読むうち、夕暮れの蜩がそう言っているのだと思えてきた。思い出したように急に甲高く鳴きはじめる蜩。ひとつが鳴き出すと誘われるかのように別の蜩が鳴きはじめる。短い命をひたすら主張している蜩は健気で、それだけにいとおしいのだ。

補聴器の奥はせせらぎ水芭蕉 船越みよ
 補聴器はつけたことがなく想像の域ではあるが、様々の音を拾って耳に入るのか……。それが水芭蕉が咲いている清清しいせせらぎのようだと感じている作者は、優しい人なのだろう。鑑賞子にも耳鳴りの持病があるが、蜩しぐれのようで、時にはうるさいと思ってしまう。里山の静かなせせらぎが耳元にそよいできた。

クリームソーダごぼごぼ悩み事相談 堀真知子
 一読、くすっと笑った。これが恋の悩みの相談ならば艶消しな話だ。ストローの中の空気が災いして物理的に下品な音がした。何の相談かわからないが、話の腰を折ってしまった。一瞬の羞恥心におそわれる……。ユーモアとペーソスを感じて思わず微笑んだ一句である。その後、悩み事は解決したのか。恋の行方は如何に。
(鑑賞・小池弘子)

白服揃う午後は真夏になる朝 鈴木修一
 先ず「揃う」の切れがかっこいい。決まっている。白服のメンバーがずらりと出揃った光景をイメージした。「朝」は「あした」と読み「夜明け」を思う。ためらいなく「真夏になる」と断言するところがまたかっこいい。いつもの朝か特別な朝か、いずれにせよこれから終日、事に当たろうと準備を始める白服の者達の静かな覚悟。

マーガレット面倒みますどんな風でも たけなか華那
 どんな風にもしなやかにそよがれるマーガレットをイメージした。面倒をみますよ、とすべてを受け入れてくれるマーガレットの包容力。見たり聞いたり知覚したイメージと心に浮かび上がる心象が、混ざり合って一筆書きされる。たけなかさんの句はいつも、身体を通り抜けた光が文字になって紙の上に落っこちて並んだみたいだ。

この夏の細部に宿る美肉かな 豊原清明
 通常、細部に宿るのは神だが、ここでは「美肉」。そしてインターネット上で神は「ネ申」とも表記され「ネ申○○」というと極主観的に「凄い○○」のことを意味する。バーチャル・ユーチューバーが美少女のアバターを纏うことを「バーチャル美少女受肉」略して「バ美肉(バびにく)」という。以上、鑑賞のための予備知識。
(鑑賞・小松敦)

八月の記憶ハトロン紙の星砂 榎本愛子
 私は八月は恋人達が別れる最も多い季節だと勝手に解釈している。八月にはとにかく魔物が住んでいる。春に出逢い夏に燃えた恋が、秋の訪れる八月頃に醒めるのだ。作者はこの八月の記憶が、光沢を持った薄いハトロン紙の星砂だという。もし恋の記憶であるなら、何と儚く美しい記憶であるだろう。願望も込めてこう解釈した。

沈黙は大事な言葉梅雨夕焼 松岡良子
 よく雄弁は銀、沈黙は金であるという。人に感銘を与える巧みな言葉より、沈黙が与える言葉の黙の方がより人の心を動かすことがある。沈黙も大事な言葉で、意志の疎通の大きな手段であるのだ。そして降り続く長雨の合間に薄らと、だからこそより鮮明に空を染める夕焼の赤も、また沈黙の言葉の重さを物語っている。

八月や彷徨わぬよう泣かぬよう 松本勇二
日本人にとって八月は特別な月である。原爆慰霊祭・終戦記念日・お盆と死者の魂を弔う行事が目白押しである。暦の上でも秋を迎え、何か物悲しく大きな暗い陰を落とした月でもある。八月は多くの死者の霊が泣きながら彷徨っているのかもしれない。そんな霊に引っ張り込まれぬよう、作者は彷徨わぬよう泣かぬようと詠んだのだ。
(鑑賞・近藤亜沙美)

◆海原集〈好作三十句〉武田伸一・抄出

十六夜や生きたくないとは言いながら 有栖川蘭子
なぜ父よ銀河へ逝かせてはくれぬ 飯塚真弓
師弟のごと風ととんぼの向きあへる 石鎚優
茸狩これより先は黄泉の国 井手ひとみ
あっちの戦こっちのシャインマスカット 上田輝子
家出猫の虎徹こてつ戻りて天高し 植松まめ
老犬と老女のあうん秋夕焼 遠藤路子
赤い羽根つけて油断のならぬもの 大渕久幸
ふるさとは腰下ろす石秋の風 岡田ミツヒロ
巨星墜ちて雨名月となりにけり 押勇次
父祖たちの未練遺しぬ木守柿 小野地香
SLの汽笛に鹿の大暴走 かさいともこ
まだ痛そうな稲の花の俯く 北川コト
夕紅葉溺れ死にたい君の愛 工藤篁子
花野にて言葉紡げど行く背中 上月さやこ
豊年や鎌一丁を買い替える 古賀侑子
秋冷や納骨袋に粗い土 小林育子
相馬馬追節最終章に不死とあり 清水滋生
混沌の大花野にをりひとり 宙のふう
人の世を離れて軽きあきつかな 高橋靖史
一日の裏側は夜梟の帝国 立川真理
夜光虫見えないものを照らしけり 平井利恵
突き落とすつもりで来たの大花野 福岡日向子
供物桃「海軍二等軍楽兵」 藤川宏樹
秋霖や筆音聞こゆ無言館 保子進
泥濘の道は柿なる古里よ 故・増田天志
体操仲間放屁虫一匹を囲む 吉田もろび
鏡台に不憫が写る無月かな よねやま麦
紫蘇植わる戦火のがれし教会に 路志田美子
あめんぼう今日はあめんぼうとして 渡邉照香

カーンと秋 佐々木宏

『海原』No.55(2024/1/1発行)誌面より

第5回海原金子兜太賞受賞第一作〔3回連作・その1〕

カーンと秋 佐々木宏

鮭帰るいつもの場所に広辞苑
過去帳は蛇の穴かも続きかも
サフランはタバコ覚えたときの花
カーンと秋さらにカーンと訃報あり
初霜がおりそう不整脈きそう
木の実落つおもいおもいの母性愛
耳を搔くササラ電車の準備見て
晩秋のいいわけ剥がれぬガムテープ
雪囲いどれも不時着さわがしい
みぞれ降る伝言それともひとりごと

『海原』No.54(2023/12/1発行)

◆No.54 目次

◆海原秀句 同人各集より

安西篤●抄出

高足蟹『地球の歩き方』にっぽん 綾田節子
百万のヒマワリ洗脳されている 石川青狼
「うつしみは罪」とまで詠む爆心地 石川まゆみ
羽根枕のような自由苔の花 遠藤秀子
夜濯ぎや人に小さな舞台裏 桂凜火
花はちす祈りをうすべにと思う 北村美都子
快眠のあと白南風と頬合わす 楠井収
涼気いま絹糸ほどやガラス切る 黒岡洋子
平和ってきれいな夕陽を着た案山子 小林まさる
人形の家のしきたり黴の花 小松敦
麦茶飲みほす全方位の青空 三枝みずほ
生き方の目次のように夏木立 佐藤詠子
月光処理水放出も産土 清水茉紀
初嵐出会ひし人のタヱ子抄 鈴木康之
記憶ときどき無声映画の春かもめ 芹沢愛子
百日紅征きし征かれし共に亡し 高木一惠
鳳仙花見守って見失う たけなか華那
私にも影一つだけヒロシマ忌 竹本仰
あかるい雨のいちにち無花果断面図 鳥山由貴子
父の日は父帰らざる敗戦日 野口佐稔
句集『百年』の黙読処暑の雲うごく 野田信章
チワワ似の積雲西へタヱ子ゆく 服部修一
産土に還る空蝉にもなれず 藤田敦子
独り居の素手満月に濡らしゐる 前田典子
盂蘭盆会父という字のもたれ合う 松本勇二
父母ちちははのゆるい溺愛夜の蝉 三好つや子
黙祷のあとの空白八月尽 武藤幹
爆心に臍集ひ来て蟬時雨 柳生正名
終活の諸事滞り糸瓜咲く 渡辺厳太郎
こはすほどうつくしくなる蜘蛛の糸 渡辺のり子

水野真由美●抄出

きしむ花野姉妹五人が三人に 阿木よう子
人であることに行きつき落葉踏む 有村王志
大根を引きし穴より父の声 石川和子
君がいて風景だった遠花火 市原正直
新宿晩夏ビル風に家路なし 伊藤道郎
満腹という力あり夏の霧 江井芳朗
息つぎをあわせています遠花火 河田清峰
団栗ぽとり此岸もてあましおり 小池弘子
アロハシャツ晩年は忙しいんだ 後藤雅文
とんぼうをかぞえてかぞえてねむくなる 小林ろば
月光処理水放出も産土 清水茉紀
眠りの粒小さくなりて火取虫 芹沢愛子
良夜かな禿びた鉛筆集まり来 髙井元一
私にも影一つだけヒロシマ忌 竹本仰
八月の椅子置けば八月の影 月野ぽぽな
麦熟星パキスタンから曲芸団 鳥山由貴子
蛇穴に入るどうしよう不発弾がある 仲村トヨ子
煙茸踏んで拍手を賜りぬ 中村道子
露涼しころがりながら生きている 西美惠子
穂芒の半島いまに翔びたつよ 丹生千賀
七夕竹引き摺る童子あり羨し 野田信章
捩花に左巻あり雲にのる 長谷川順子
山の端に迎火父母ちちはは猫きんぎょ 藤野武
独り居の素手満月に濡らしゐる 前田典子
最終章のお花畑よ誰も撃つな 松岡良子
色鳥や意外にB面がいいね 松本千花
弟が晩夏の椅子で泣いている 室田洋子
にんげんの流れるプール昼の月 望月士郎
居るはずのない人といて春の昼 森由美子
グラマンの機銃掃射やラヂオ体操 横山隆

◆海原秀句鑑賞 安西篤

夜濯ぎや人に小さな舞台裏 桂凜火
 夜、人々が寝静まった頃、一人裏庭で濯ぎものをしている。なにか人には見られたくないもの、見せたくないものをひそかに洗っているようだ。おそらく外目には、別に隠し立てするようなことではなくとも、自分自身の中の罪の意識がそういう行動を取らせたのだろう。そこには、小さな舞台裏のドラマが潜んでいるようで、自分で始末しておきたいことがあるに違いない。その謎めいた行動に、言いおおせない過去があるのかも知れない。

花はちす祈りをうすべにと思う 北村美都子
 蓮の花は、夏に丸く大きな花柄を伸ばし、珠の形をした蕾をつけ、夜明けに花弁を重ねた美しい大型のうすべに色の花を開く。その芳香にも軽く酔わされながら、その姿を祈りの姿のようにも感じている。祈りをうすべにと感じたとき、軽いめまいのようなものを覚えたのではないだろうか。そこに作者の言葉の肌ざわりがあったのかも知れない。

平和ってきれいな夕陽を着た案山子 小林まさる
 山田の案山子が、見事な夕陽の中に立ちすくんでいる。その所在なげな立ち姿に、ああこれこそが平和っていうものだなあと、感に堪えたように眺め入る。どこか危うさを抱えながら、その危ういまでの輝きを、危うさゆえに美しいと思わずにはいられない。それは、自分自身の境涯感としても響き合う、滅びの姿なのかも知れないのだが。

生き方の目次のように夏木立 佐藤詠子
 夏木立には丈高い木の立ち並びがあって、緑濃い樹間の隙間からのぞく青空は、生気ある白雲をはさんでどこまでも深い。そのとき、人間の生きがいとは何か、生き方とは何か、という問いかけが目次のように立ち並んだという。夏木立の一つ一つにその意味を感じ取っている。これは日頃から、このような精神性ある生き方をしている人ならではのものだろう。またそういう思いは、自らの挫折感や障害から触発されるものなのかも知れない。

初嵐出会ひし人のタヱ子抄 鈴木康之
チワワ似の積雲西へタヱ子ゆく 服部修一
 亡き永田タヱ子さんを偲ぶ二句。永田さんは単なる地域俳壇のお世話役ばかりでなく、刑務所の囚人に対する俳句指導もなさるなど、幅広い社会活動家でもあった。地域俳壇の重鎮のお二人が揃って偲ぶ句を詠んでいるのも、さこそとうなずける。
 鈴木句。初嵐が立ち、秋の到来を感じる頃。出会う人ごとにタヱ子さんの思い出を語り合う。それもこれも、彼女の死を惜しむ思いのたけばかりである。初嵐が身に沁む思いをかきたてる。
 服部句。小犬のチワワによく似た積雲が西へ向かって動いている。それは、機動性のある小柄な行動家でもあったタヱ子さんの面影に重なる。愛らしさが懐かしさを誘いながら、もう遠い西国に行ってしまったのだなとあらためて、しみじみ思うばかり。

あかるい雨のいちにち無花果断面図 鳥山由貴子
 無花果の実のなる雨のいちにち。実を切ってその断面図に見入っている。細かい粒子がびっしりと詰まったその断面から、いのちの照り映えを感じながら、雨のいちにちが妙に明るんでいくようにも思われる。なにやら、いのちのふだん見たことのない相貌に出会ったような、すっぴんの雨のいちにちの明るさ。

独り居の素手満月に濡らしゐる 前田典子
 独り暮らしのやる瀬なさを覚えながら、それに負けまいとする己への励ましの思いも込めて、素手で満月を濡らしているという。それはおそらく、意味を超えた映像表現として、やや赤味を帯びた満月を濡らし洗おうとしているのだろう。それを満月の方から促されたもののように感じているのかも知れない。

終活の諸事滞り糸瓜咲く 渡辺厳太郎
 そろそろ終活を考えなければと思いつつ、型通りの準備に入ってはみたものの、そのどれもが思うように運ばない。もともとあまり気乗りのしない作業だったばかりでなく、やれることも知れたものという気がしていたのかも知れない。だからといって放置しておくわけにもいかないのに、作業の進まないことを如何せん。糸瓜咲く庭を眺めつつ、子規はいのちの限界を早くに知りながら、どうしていたのだろうと思うことしきり。

父母ちちははのゆるい溺愛夜の蝉 三好つや子
 作意に即した見方かどうかわからないが、「父母のゆるい溺愛」とは、老いた父母が互いに相手を思いやりつつ、ことさらな言挙げも行動もせず、ひたすら身近に起居を共にしているだけ。それでも思いは通じ合っているのだろう。夜の蝉の鳴き声にじっと耳を傾けながら、静かに無為の時を過ごしている。それをしも小さな幸せというべきものかも知れない。
 今回はどうやら、日常の中に覗く死生感のようなものが、風景の中に見え隠れしていたような気がする。

◆海原秀句鑑賞 水野真由美

人であることに行きつき落葉踏む 有村王志
 「人でなし」は悪口雑言である。ならば「人であること」は正しくて善であるはずだ。だが「行きつき」という。正しいかどうか、善人か悪人か、強者か弱者かではなく、ただ「人」だということだ。それをどう受け止めているかを冬の季語「落葉踏む」が伝える。「落葉」は、それぞれの人、その時々により様々な感覚をもたらす。さびしさもあるが山の匂いのうれしさもある。「踏む」で体と音が現れる。地面と落葉と自分の体が直にこすれ合う感覚だ。落葉だなとしみじみ踏む。あるいは音や感触を面白がって踏む。「行きつき」「踏む」は、それらのすべてをひっくるめて「人であること」を見つめる。そのやりきれなさが剥き出しになるのが戦争かもしれない。

君がいて風景だった遠花火 市原正直
 「だった」が痛い。音のない小さな「遠花火」を大人数でにぎやかに見ることはない。親しい人と二人か、ごく少数の友人で美しさとさびしさをゆっくり静かに味わうはずだ。「風景」は自分の内面を託すことで成立するという説がある。「だった」は「君」も不在で託すべき内面を喪失したまま世界を生きる言葉なのかもしれない。

月光処理水放出も産土 清水茉紀
 やはり「月光」「処理水」ではなく「月光処理水」と読みたい。原発事故で発生した汚染水を処理するのは「ALPS(アルプス)」と呼ばれる専用の設備だ。それでもトリチウムの除去はできない。人の作り出した核汚染だが人は処理しきれずに薄めるのだ。それが「月光」にできるなら、どんなにいいだろう。「放出」の完了には三〇年程度が見込まれている。「も」が抱え込む時間の長さと深さには人という存在のやりきれなさがある。

眠りの粒小さくなりて火取虫 芹沢愛子
 「小さくなり」で「眠りの粒」が睡眠に関わる錠剤ではなく眠りのあり方だと気づく。充分な深い眠りを「粒」とは感受しない。さらに「小さくなり」で不安感が深まる。「昏々とねむりて火蛾の夜を知らず」(三橋鷹女)の逆である。「火取虫」「火蛾」は灯火に集まる蛾だ。「ぬ」と切れば不安を託す季語となる。だがそれを曖昧にするのが「て」だ。とはいえ「て」の深読みが季語「火取虫」に新面目をもたらすことはない。ここでは「眠りの粒」を感受する不安のあり方こそが句の世界観なのだ。

良夜かな禿びた鉛筆集まり来 髙井元一
 「良夜」の月の明るさを「かな」と確かめた上で「集ま」って来るのが「禿びた鉛筆」だというのが嬉しい。お尻には、それぞれキャップが付いているのだろうか。よく働いた鉛筆たちは相棒たちである。彼らを、そして自身をねぎらう言葉としての「かな」の再読を「来」が促す。

煙茸踏んで拍手を賜りぬ 中村道子
 辞書によれば「煙茸」はホコリタケ、オニフスベの異称、別称。内部が白い幼菌は食用となる。成熟すると丸い袋状の姿で真上の穴から胞子が煙のように飛び出すらしい。それをエイッと踏んだゆえの「拍手」だ。この茸を踏んだり蹴ったりする句はあるが「拍手」はない。せっかくの「拍手」を「賜れり」などと気取らずに、「賜りぬ」とゆっくり真面目におかしみを醸し出すのがいい。

七夕竹引き摺る童子あり羨し 野田信章
 まだ幼くて七夕竹を肩に担げないが大人の手助けも嫌なのだ。「引き摺る」には意地がある。それは一人でもやるという意地であり、そこには「七夕」という行事や短冊の言葉への思いがあるかもしれない。その懸命な奮闘振りを「羨し」という。「童子」という言葉の多層的な歴史性と「羨し」が響き合う。「あり」と存在を深く確かめて「羨し」の三音を強める韻律に金子兜太の「津波のあとに老女生きてあり死なぬ」を思う。自分は何を引き摺る童子でありたいかと自問したくなる。

山の端に迎火父母ちちはは猫きんぎょ 藤野武
 「山の端」は山を遠くから眺めたときに空に接している部分、稜線だ。奇妙な場所に見える「迎火」の色を「に」の限定が際立たせ、さらに句跨りの韻律が火の色を深めて彼らを浮かび上がらせる。猫は父母の足元だろうか。どちらかが抱いているのだろうか。平仮名の「きんぎょ」は金魚玉のようなガラスの器に入れて提げているのだろう。いや与謝野晶子の「きんぎょのおつかい」のように歩いているのかもしれない。ともあれ遠くの「迎火」により思いがけない近さに彼らは現れた。それが切ない。

弟が晩夏の椅子で泣いている 室田洋子
 ただこれだけなのに何故か気になる。「は」ならば弟について述べているのみだが弟を主体とする「が」は、「弟」への視線と「晩夏の椅子」を浮き上がらせる。疲労感ともの寂しさがありつつ独特の強い日射しと切り離せないのが「晩夏」だ。室内であっても「椅子」は日射しの入る場所にあり、泣く弟にも椅子にも深い影が宿っているだろう。それをただ見ているだけではいられない切迫感を「が」という格助詞がもたらしているのだ。

◆金子兜太 私の一句

たつぷりと鳴くやつもいる夕ひぐらし 兜太

 兜太先生は熊猫荘(熊谷市)を拠点に、秩父東京全国への俳句人生でした。感性の鋭さ、人を包みこむ大らかさで、地元での句会は楽しみでした。句碑のある常光院(天台宗別格本山)は、深い森、池や堀土塁に囲まれた茅葺きの古刹です。日暮になるとカナカナカナと競い合う風情は、ふっと幼き日に戻ります。句碑の前に立つと、先生の笑顔と「がんばれよ。」との声が聞こえてきます。句集『皆之』(昭和61年)より。大谷菫

つばな抱く娘に朗朗と馬が来る 兜太

 しなやかで強く美しいつばなを抱く娘に元気にいななく馬が近づいて来る。爽快で透明感を感じます。この句の色紙が故三井絹枝さんのお部屋に飾ってあり、見た瞬間に「絹枝さんにぴったり」と言ってしまいました。絹枝さんも「大好きな句なの」とのこと。兜太先生の力強い直筆の色紙で、平成23年に海程賞を受賞された時に頂かれたそうです。句を読んだ時の印象は、絹枝さんの思い出と共に忘れられません。句集『詩經國風』(昭和60年)より。森岡佳子

◆共鳴20句〈10月合併号同人作品より〉
〇印は2選者の共選句 ◎印は3選者の共選句

川嶋安起夫 選
草いきれ車をよける痩せたしし 阿木よう子
遺骨まだ舌の求むる砂糖黍 石川まゆみ
よごれたら捨ててゆく西日のかげに 泉陽太郎
わが翳が五月の空に漂流す 伊藤道郎
緑陰のこだまのような巣箱かな 井上俊子
立葵来る筈のなき友を待つ 宇川啓子
足病んで木洩れ陽の夫おとなしい 柏原喜久恵
桜桃忌ぞっとしたくて水鏡 河西志帆
濃紫陽花寡黙な人の自負一つ 佐藤紀生子
青き踏む子の名のノート句帳とし 佐藤君子
少女らのシンクロジャンプ青大将 佐藤千枝子
山桃の実踏んでも踏まれても黙 新宅美佐子
魂を一つぶら下げ桜狩 すずき穂波
尺取の尺の半端を往生す 高橋明江
重装備兵本日家を焼く仕事 田中信克
夕焼の時間ながくてもの忘れ 丹生千賀
サーカスのあとかたもなし夏の月 根本菜穂子
六月のみなぞこ覗き妻も魚 本田日出登
子はピアノドレミファそら豆茹で上がる 嶺岸さとし
芽起しの雨稜線を膨らます 森由美子

小池弘子 選
春楡の影も大きな孤独かな 石川青狼
○青水無月ぽわんと月の落ちる音 大髙洋子
夏シャツをテント張るよう乳房来る 川崎千鶴子
紙とペンありて知足の春ともし 北村美都子
ひる暗き杉の林を著莪灯す 佐々木香代子
髭のびて草のびて七月の老人 白井重之
清貧に持病三つほど目に青葉 鈴木栄司
ぶら下がる夏蝶雲梯は空の色 高木水志
○草いきれ我らの匂いでもあった 竹本仰
蝉しぐれ今日は一匹ずる休み 千葉芳醇
施設に母入れて茶の間は夕焼けて 峠谷清広
○百合束ね真白の命孕むごと 中内亮玄
フクシマ夏草土に喰われている自転車 中村晋
なみなみと時間をはこぶ夏の蝶 平田薫
桃ひとつ食み終へる迄やや難儀 前田典子
月涼しだんだん木綿になるわたし 増田暁子
ふんわりと人のご縁やおおでまり 松本勇二
虚心とは吾を見つめる青蛙 嶺岸さとし
白玉浮いたり沈んだりして復縁は 宮崎斗士
胸の内ひとつに悪女百日紅 森鈴

小松敦 選
ガチャポンの係員呼ぶ薄暑かな 安藤久美子
あたまからおちてゆくソフトクリーム 泉陽太郎
桜桃忌新宿の朝うす濁り 榎本愛子
不眠とか編み込み朝の女郎蜘蛛 奥山和子
蟻の列その先頭に用がある 河西志帆
北方から馬喰が来る麦秋 日下若名
シャワー強みるみる手足消えてゆく こしのゆみこ
スイミー暗唱さざなみはじまりぬ 三枝みずほ
リラ冷えや幸福そうに襟立てる 佐々木宏
完了の夢を這いけり蝸牛 佐藤詠子
原爆忌クリアファイルに人の貌 清水茉紀
菩薩像の指先に傷ヒヤシンス 白石司子
月見草昼から咲いて知り合える 鈴木栄司
○草いきれ我らの匂いでもあった 竹本仰
蝿しずかあなたときどきメタリック ナカムラ薫
茅花流し時計はすこし遅れている 平田薫
避難用リュックの中の蝉の殻 松本千花
港湾の丘にスクリュー蚯蚓干る 矢野二十四
塵積もる天狗の目玉五月闇 山本まさゆき
撮影を終へ早乙女の引き上げる 若林卓宣

近藤亜沙美 選
目に青葉ほんとは恐い記号です 大沢輝一
○青水無月ぽわんと月の落ちる音 大髙洋子
ヒルガオのつまづきながら鳴るピアノ 奥山和子
夕薄暑肌理とは遅遅としたひかり 川田由美子
清明やかざせば透ける指の骨 小西瞬夏
春の土掬う青年になりし子よ 佐孝石画
永き日の折り目のつきしままの我 白石司子
僕の瞬き数えるように花の雨 高木水志
老鶯や纏うてもまとうても気配 立川瑠璃
純白の四葩咲く森ふと他界 谷川瞳
短夜は心臓を泳がせておく 月野ぽぽな
○百合束ね真白の命孕むごと 中内亮玄
背徳の色かも知れぬ紫木蓮 長尾向季
伸びてゆく虹の動悸を聴いている ナカムラ薫
原発棄民米研ぎ米研ぎこの白濁 中村晋
夜が過ぎ又よるがきて麦秋 野﨑憲子
夏ひとり喧騒は胃にこびりつく 藤野武
蝉しぐれというヒグマの隠れ場所 北條貢司
恍惚は恋でも死でもなく水母 茂里美絵
言葉にも生傷のあり茄子の花 山本まさゆき

◆三句鑑賞

遺骨まだ舌の求むる砂糖黍 石川まゆみ
 高橋睦郎に「髑髏みな舌うしなへり秋の風」があり、言葉を失った死者の無念が現代絵画のように浮かびあがってきます。石川句では、亡くなった方がまだ甘いものを欲しがっているという情景、それは亡き方への遺された者の優しい思いの表出であろうと感じられました。両句とも私は戦没者への哀悼句と受け止めます。

よごれたら捨ててゆく西日のかげに 泉陽太郎
 「捨ててゆく」ものは何でしょうか。自身の内面の汚れか、人間社会全体の廃棄物か。西日は落日。日は傾くほどに影を長く伸ばします。捨て場所は長く大きくなるかもしれませんが、それに甘んじてよごれたものを捨てれば捨てるほど私たちは滅びの闇に向かっていると言えるでしょう。

重装備兵本日家を焼く仕事 田中信克
 重装備兵は戦時下に生まれ合わせ召集された私。戦地では軍規に服しなければなりません。私には焼くべき家の家族の悲しみを想像する余地はありません。それが嫌なら自身に銃口を向けるか、上官に射殺されるしかないでしょう。世界中で私は正義のために無心に働いています。戦争は廊下の奥ではなく私の中にいつも立っています。
(鑑賞・川嶋安起夫)

蝉しぐれ今日は一匹ずる休み 千葉芳醇
 一読、ずる休みという人間っぽい言い方に笑ってしまった。二度三度読み返すうちジワーっとしてきた。夏の盛り鳴き続ける蝉、まるで仕事のように……そんな中一匹がずる休みしていると思う作者は、自分を投影したのだろうか。今日は休みたいと。重い俳句が多い中、おかしみと哀感溢れる一句に楽しい気分をいただいた。

ふんわりと人のご縁やおおでまり 松本勇二
 おおでまりは、アジサイに似た白色小形の花を毬状に開き、低い木に寄り添うように咲き誇る。ふんわりと人のご縁のようだと細い糸で繫げたのだ。作者の精悍な風貌を思い出し驚いた。初めてお目にかかった平成五年の海程富山大会での強い印象。こんな優しい温もりのある句をお作りになるとは……。失礼いたしました。

胸の内ひとつに悪女百日紅 森鈴
 女心は鬼ともじゃとも、と世に言われるが、数多ある胸の内のひとつに悪女が棲んでいると作者はいう。昔からお芝居や小説に登場する悪女の深情け。身も心も尽くしてしまう悪女の献身は、散って咲いてを百日繰り返すさるすべりの花のように燃えるのだ。季語の選択は秘めている心のうちに呼応して抜群だ。森鈴さんにお会いしたい。
(鑑賞・小池弘子)

蟻の列その先頭に用がある 河西志帆
 隊列全体の目的に向かっているのではなく、先頭の者の用件に後ろ全員が付き合っているという。集団行動は参加者全員の共通目的達成のために皆が協力し合うもの、といった勝手な思い込みで世界を眺めていたことに気づかされる。これで世界が少し拡がった。さて、先頭の御方にはどんな御用がおありかと、ここから物語が始まる。

リラ冷えや幸福そうに襟立てる 佐々木宏
 この句にも奥行と物語を感じる。札幌でリラが咲くのは、5月半ば桜が散った頃からで、まだまだ寒い。でも恰好は季節先取りでもうマフラーはない。襟を立てる。その仕種や顔付きが軽やかなのだろう。きっと嬉しいことがあったのだ。リラ冷えだからこそ「幸福そうに」の措辞が活きる。珍しく明るい様子の高倉健を思い浮かべた。

茅花流し時計はすこし遅れている 平田薫
 上五だけで、ゆったりとした時間の流れと、明るい空間の広がりを感じる。「茅花流し」が私の中に作り出す心象風景だ。そんな心象風景に「遅れ」を伴う現実的な事象が差し込まれるのだが、既に時の前後などどうでもよい気分に満たされた心象風景では、「遅れ」ていることさえも曖昧になって「時計」の物象感だけが浮遊する。
(鑑賞・小松敦)

清明やかざせば透ける指の骨 小西瞬夏
 季語である清明は、二十四節気のひとつであることは周知であるが、万物が清く陽気になるこの季節の陽のひかりに、手をかざせば指の骨が透けるという、私はこの句に恍惚とした何ともいえない色気を感じる。白魚のように美しい女性の指、透けるほどか弱いその指の骨は、明るさ故になお儚い確かな春のひかりと化す。

春の土掬う青年になりし子よ 佐孝石画
 春の土からまず私が感じることは、温かく穏やかで広大な土地、多くの生物の命を育み多くの植物を芽吹かせる、すべての命を生み出す母なる大地。人間も最期は土へと還っていく。作者は自らの子供がいつの間にか、生命の原点である春の土を掬いあげる青年になりしことに感嘆している。呼掛けの型に父親の大きな愛情を感じる。

恍惚は恋でも死でもなく水母 茂里美絵
 恋は甘美で切なく時には一輪の花のようで、また時には森の淋しらのようで、その妖艶な戯れの恋に対し死とは人間の誰しもが逃れられない運命である。作者は恍惚の様が恋だけでなく死でもないと説く。そしてその様はゆらゆらと透けて海にたゆたう水母であるのだと。生と死そして希望と静寂、水母の存在に作者は何を思うのか。
(鑑賞・近藤亜沙美)

◆海原集〈好作三十句〉武田伸一・抄出

鬼灯や唐十郎があふれ出す 有栖川蘭子
黒星の土しょっぱくて草田男忌 有馬育代
きちきちが我のへこみに現るる 飯塚真弓
くらきふかき沼のように秋満ちて 井手ひとみ
はだしのゲンは欠席でした広島忌 上田輝子
不知火の闇タナトスをやり過ごす 大渕久幸
敬老日ただにこにこと光りをり 岡田ミツヒロ
ジェット機の轟音バケツの蕃茄喰ふ 小野地香
在ることの薄れて秋の金魚かな かさいともこ
未明の厠すずむしの音に吾燃ゆる 樫本昌博
シスターの懺悔むにゃむにゃ冷奴 北川コト
実南天認知テストの判定A 清本幸子
木犀の子を宿すやに匂ひけり 工藤篁子
父が逝き母が逝きつつじらんまん 小林育子
月光や簡易宿泊所に位牌 佐竹佐介
秋彼岸モノクロームの世を生きて来た 清水滋生
秋の蝶捨てたことばのレクイエム 宙のふう
手庇の丘に昏れたる花野かな 高橋靖史
AIや昔トンボ釣りの仲間 立川真理
三日月や人込みに飲まれる背中 藤玲人
玉子焼き固めに仕上げ被爆の地 中尾よしこ
スーパームーン盲いても心眼有りて感嘆 服部紀子
八月は終わらせなければならぬ章 福岡日向子
ニンゲンガイキスギナンダ蝉骸 藤川宏樹
檸檬食む後期高齢軽く生き 保子進
うかつにもぷかり息吐く水中花 増田天志
支払いが済んでない八月十五日 松﨑あきら
老いという見知らぬ路地やいわし雲 向田久美子
夏座敷疲れたような蠅たたく 吉田もろび
鞦韆立ち漕げばたましひ吾にしがみつく 路志田美子

『海原』No.53(2023/11/1発行)

◆No.53 目次

◆海原秀句 同人各集より

安西篤●抄出

微光して老いた馬立つ薯の花 石川青狼
故山夕焼けきちんと叱り叱られて 伊藤巌
拓かれし村 牲として古代蓮 伊藤幸
水撒いてだんだん人に戻りけり 大池美木
白雨ですぼくをかたどる僕のシャツ 大沢輝一
デイゴ咲く空は還って来ないまま 片岡秀樹
真葛原二人いること気球のこと 川田由美子
逃水や自分の影に色がない 河西志帆
紫陽花のくらやみにある神の椅子 北原恵子
途中下車旅程表には無き白雨 北村美都子
自分ひとりのための冷房と哲学 木下ようこ
夏草に分け入る水牛の眼して 黒済泰子
蕺草や木立モノクロ無言館 小松よしはる
廃校のへのへのもへじ鳥渡る 白石司子
雨だれの聖なる固さ茅舎の忌 遠山郁好
虫時雨空気を運ぶローカル線 故・永田タヱ子
相思樹の歌ごえ消えず沖縄忌 野口佐稔
花片栗の南面「おー」と師の声す 野田信章
じゅんさいつまむ文字化けの原稿 日高玲
帰還する人らの老いて茄子の花 平田恒子
並びたる膝の明るさ作り滝 藤田敦子
補聴器の奥はせせらぎ水芭蕉 船越みよ
和箪笥の母の来し方雪柳 三浦静佳
言の葉を水に研ぎゐて夕薄暑 水野真由美
ほおずき市歩幅と歩幅まだ恋人 宮崎斗士
だまし絵から何か逃げ出す夏至の夜 村本なずな
ポピー畑なんでも笑っちゃう家系 森由美子
こじらせてはしびろこうでゐる薄暑 柳生正名
蘭鋳に一部始終を無視さるる 矢野二十四
崖っぷちのぼりきったる蛇の衣 渡辺のり子

水野真由美●抄出

水臘樹の花父の手帳の小さき旅 安藤久美子
初夏の薄暮にうかぶ膝の裏 泉陽太郎
風蘭や老人ばかり愛でており 稲葉千尋
白雨ですぼくをかたどる僕のシャツ 大沢輝一
老象は伽藍のかたち夏の月 尾形ゆきお
射的して妻まつ朝顔市のなか 荻谷修
真葛原二人いること気球のこと 川田由美子
星涼しやはり誤差ある山の地図 北上正枝
紫陽花のくらやみにある神の椅子 北原恵子
万緑やただ直立の別れあり 近藤亜沙美
母少しおこらせたままラムネ玉 三枝みずほ
青時雨手と手つないでいた記憶 佐孝石画
祝卒寿素手で掴めるなめくじら 篠田悦子
他人とは思へぬ犬や夏至の夜 菅原春み
いもうとが波打際にいる五月 芹沢愛子
遠蛙闇におさまる弟よ 十河宣洋
泣きたかったまだ柳絮が飛んでいる たけなか華那
マンホールの漫画見ながら風薫る 峠谷清広
腕時計置く音父に父の日果つ 中村晋
白くやさしく聳えて泌尿器科五月 野田信章
短さは無口に非ず敗戦忌 長谷川阿以
うちわ祭りにぼんやり鯰のような人 長谷川順子
蓮巻葉ゆるびて今しか出来ぬこと 平田恒子
舟虫のやたら子分になりたがる 松本千花
白湯のごと祖父の正調ゆすらうめ 松本勇二
ゆうがおや訃報のだんだんと水音 宮崎斗士
夕端居わたしの暮らしてきた躰 望月士郎
蛍袋きれいな声紋預ります 茂里美絵
向日葵の正しく生きて棒暗記 山谷草庵
水力発電所 ほーたる発電所 横山隆

◆海原秀句鑑賞 安西篤

故山夕焼けきちんと叱り叱られて 伊藤巌
 故山とはふるさとの山だが、ふるさとそのものを指す場合もある。作者の故郷は信州だから、ふるさと即故郷の山として浮かび上がるのだろう。夕焼けは、幼き日の愛唱歌「夕焼け小焼け」の呟くようなメロディーがBGМとなる。そのあとに、帰りが遅いという母のお小言が続く。「きちんと叱り叱られて」とは、いつものように決まって繰り返されるお小言への懐かしさとともにある。

デイゴ咲く空は還って来ないまま 片岡秀樹
 「デイゴ」は、沖縄、奄美大島を北限とするマメ科の花で花期は三月から五月。この句は、沖縄の歴史の悲しみを詠んでいる。戦争とその後の祖国防衛拠点としての基地負担等さまざまな負い目を負わされ続けてきた沖縄。「空は還って来ないまま」とは、その悲しみへの告発の句と見てよいだろう。

自分ひとりのための冷房と哲学 木下ようこ
 現代は情報の氾濫時代ともいわれるが、自分にとって本当に必要な情報を見分けることは難しい。それには自分に何が必要なのかを知ることが大事だろう。ここでいう「哲学」とは、自分の生き方に資するものの考え方とみてよいのではないか。暑い夏の一日、冷房を利かせた部屋で、そのための読書をひとり楽しんでいる。

廃校のへのへのもへじ鳥渡る 白石司子
 山奥の小学校が、また一つ廃校になった。誰もいなくなった運動場には、去っていった生徒たちによる大きなへのへのもへじが書かれている。さよならとはいわない。精一杯のおどけとも、抗議とも見えるへのへのもへじを、渡り鳥たちが眺めていく。あたかも「あかんべい」をしてみせたように、かえってユーモラスに深いかなしみを窺わせる。地域の心情を逆説的に表現した一句。

虫時雨空気を運ぶローカル線 故・永田タヱ子
 今年の八月九日に、九十歳の齢を閉じられた永田さんは、生前宮崎俳壇の指導的役割を担って活躍しておられた。掲句は、海原投句の絶吟となったものであろう。地方のローカル線は、秋の虫時雨の中を通る。その虫時雨の空気そのものをローカル線は運んでゆく。それは作者にとってのお国自慢でもあった。永田さん自身、その空気に運ばれて、いつのまにやら他界へと去って行かれた。

相思樹の歌ごえ消えず沖縄忌 野口佐稔
 戦争末期の沖縄戦で、女子学生による「姫ゆり部隊」が組織され、負傷兵看護に当たりつつ、多くの若い命を散らした。女学生たちの卒業歌「別れの曲」(相思樹の歌)は、教師の太田博作詞、東風平惠位作曲によるもの。女学生たちは卒業式を迎えられず、その歌も歌われることはなかったが、元学生や遺族の間で歌い継がれている。その故事を語り継ぐための一句。兜太師の句集『百年』の中にも「相思樹空に地にしみてひめゆりの声は」がある。反戦への意志と歴史感覚の一句といえよう。

補聴器の奥はせせらぎ水芭蕉 船越みよ
 加齢にともなう難聴の傾向はいや増すばかりで、そのための補聴器も、なかなかぴったりとこないものが多い。とくに着装したときの雑音には悩まされる。さりとて使わないわけにもいかず、かけはずしたりしながら使いつつあるのが現実。掲句は、その雑音の中にも、時にせせらぎのような清らかな物音を感じる時がある、そこから尾瀬の水芭蕉の幻覚が立ち上ることもあるという。日常を愛しみながら送る人ならではの感性に共感。

言の葉を水に研ぎゐて夕薄暑 水野真由美
 「言の葉を水に研」ぐとは、言葉の意外性と表現の不確定性を推敲する過程を比喩したものではないだろうか。川本皓嗣『俳諧の詩学』によれば、「俳句とは、ことばが本来もっている意味の不確定性そのものを表面化し、強調し、読者に痛感させることを、いちばん付け目とする遊び」という。夕薄暑の厳しさの中、言葉を研ぎ澄ます作業とはそのような意味合いを含むものではないか。

ほおずき市歩幅と歩幅まだ恋人 宮崎斗士
 ほおずき市に久しぶりにやってきた二人。今は夫婦なのだろう。おそらく恋人時代に、二人してよく通ったほおずき市をなつかしんで立ち寄ったのではないか。あの頃、二人の歩幅は、相手を思いやってか、狭く、ぎごちないものだった。今も、ほおずき市に来ると、その頃の気分に戻って、歩調のリズムが変わってくる。こういう日常のナイーブな心理感覚は、この作者のもっとも得意とするところで、他の追髄を許さない。

こじらせてはしびろこうでゐる薄暑 柳生正名
 「はしびろこう」は、コウノトリ目ハシビロコウ科の鳥で、嘴が幅広く大きい。体長一・二メートル。水辺に棲息し、魚を捕食する。長時間動かず、獲物を待ち伏せる。上五の「こじらせて」は、何か人事の出来事で問題を拗らせたのだろう。そんな時は、はしびろこうを決め込んで、泰然と落着の時を待つ。急いては事を仕損ずる。「薄暑」が、そのじりじりした時間を耐え抜けといわんばかり。

◆海原秀句鑑賞 水野真由美

水臘樹の花父の手帳の小さき旅 安藤久美子
 いつも手元に置く「手帳」には持ち主の暮しやひそやかな内面が記される。そこには家族も知らない事柄があるかもしれない。もし「手帳に」ならば「小さな旅」は、そこに記された現実の小旅行に留まるが、「手帳の」はどう読めばいいだろう。「旅」とも言えない事柄を旅のように記しているのだろうか。あるいは「父の手帳」をたどることが自分自身の「旅」なのだろうか。手がかりは「水臘樹いぼたの花」だ。モクセイ科の落葉低木で日本各地に自生し初夏、枝先に白い小花を房のように咲かせるという。また、その香りは銀木犀に似ているらしい。この控えめな香りに「小さき旅」は呼応しているのかもしれない。父なりの大切な物や事を記した言葉を「小さき旅」と受け取る感覚だ。とはいえ父が健在であるならば、その手帳を子供が開くことはない。やはり父への旅とも感じさせる所以である。

初夏の薄暮にうかぶ膝の裏 泉陽太郎
 「初夏」ならではの草木の色や空気の光が「薄暮」に沈んだ時に「膝の裏」が見えてくる。それは人も自分もじっくり見ることがほとんどない部位だ。また膝小僧のようなしっかりした手応えはなく、皮膚もなめらかで柔らかい。「はつなつ」「はくぼ」「ひざのうら」のゆったりした韻律と共に寄る辺ない後ろ姿が見えてくる。半ズボンの少年だろうか。「膝の裏」を見る人物もまた寄る辺なさをこらえて「薄暮」に佇んでいるかのようだ。

射的して妻まつ朝顔市のなか 荻谷修
 銃口に詰めたコルクの弾を当てて景品を棚から落とすのが「射的」だ。一人でヨーヨー釣りをする大人をお祭りで見たことはないが「射的」ならば私も意地になって飲み代をつぎ込んだことがある。掲句の「射的」は時間つぶしのようだ。その理由は「妻」である。張り切って歩き回るのが子供や孫ではなく妻というのがいい。実利や実用だけではない暮しぶりが伝わる。句跨りが後半を「朝顔市の/なか」と読ませて「朝顔市」ならではの賑わい、なつかしさが作品空間を充たしてゆく。

万緑やただ直立の別れあり 近藤亜沙美
 「万緑」と「直立」ならば樹木との「別れ」を思うが「ただ直立」とは何だろう。腰や膝を曲げることがない「ただ直立」するだけの「別れ」には非日常性がある。それは万緑の生命力と共に茨木のり子の「わたしが一番きれいだったとき」を思い出させる。「男たちは挙手の礼しか知らなくて/きれいな眼差しだけを残し皆発っていった」。潔い別れには、かなしみが宿る。

他人とは思へぬ犬や夏至の夜 菅原春み
 誰かの風貌や言動などから「他人とは思へぬ」気分になることはある。だが掲句の場合、相手は何よりも人ではない。犬である。「他人とは思へぬ犬」は何とも奇妙な感覚だ。それでも犬の表情や佇まいに自分と通い合う何かを感じているらしい。西洋では「夏至の夜」にキリスト教以前からの古い言い伝えやおまじないが残っているという。その不思議な力が掲句にも宿っているようだ。

白湯のごと祖父の正調ゆすらうめ 松本勇二
 水を一度沸騰させ、ある程度まで冷ました「白湯」には体に良くて飲み飽きないというイメージがある。また「正調」は「歌の正しい調子」「古くから歌われてきた調子」だという。民謡などの「正調○○節」である。そんな「祖父の正調」なのだ。ことさらに目立つことをせず物足りない気さえする「祖父の正調」かもしれないが、そこには風潮や他者の評価におもねることのない人としての清潔感がある。この不器用とも飄々とも感じられる世界に「ゆすらうめ」が点る。つやつやした小さな赤い実は「白湯」「祖父」に対する視覚的な効果だけではなく、その果肉の柔らかさ、薄味のさくらんぼのような風味も含めて「祖父の正調」に軽い驚きをもたらす。

向日葵の正しく生きて棒暗記 山谷草庵
 まっすぐ明るく元気に立つ「向日葵」の姿を「て」が屈折させる。丸ごと全部「暗記」する丸暗記に比べて「棒暗記」には文章の意味を考えないという感覚が含まれている。「正しく」と信じるゆえの危うさを示唆しているようだ。
 かつて詩人の金子光晴は「健康で正しいほど/人間を無情にするものはない。」(「反対」)と記した。

水力発電所 ほーたる発電所 横山隆
 利根川の源流がある内陸部の群馬県には山間地帯から平地までダム式、水路式あるいは両方を使った大小の「水力発電所」がある。とはいえ、それらの水辺に「ほーたる発電所」は存在しない。空白の一字は実から虚へと作品世界を転換させる。虚の発電所のあえかなる光は、それと相容れることのない現実の「発電所」―私たちが制御しえない「原子力発電所」を浮かび上がらせる。「ほーたる発電所」の電力は私たちに思考と想像をうながすエネルギーなのかもしれない。

◆金子兜太 私の一句

富士を去る日焼けし腕の時計澄み 兜太

 俳句初学の頃、所属誌連載「俳句の中の青春」で採り上げた印象鮮明な句。土地への挨拶の心も籠もり、繊細さを持ち合わせた豊かさは、若き先生の人間の魅力そのものでもある。未来へと「今」を刻む「時計」の、八時一五分・広島、一四時四六分・東日本大震災で歪んだ「顔」に打ちのめされても、健やかな時間へと遡る再生の力をこの句から頂く。句集『少年』(昭和30年)より。鈴木修一

わが猪の猛進をして野につまづく 兜太

 太陽神のように光り輝いていた師は、句ごころを交信し続ける天狼になった。ありのままを作句し、何人の句も、ありのままに受け止める。そして、よく笑う。師の虎のような忍耐力、猪のような無邪気さ、狼のような野性、犀のような愛ある目力、そして、羊毛のような髪を持つ人間臭さなどの全てを励みに俳句への探求心を深めていけたら幸いです。句集『百年』(2019年)より。三浦二三子

◆共鳴20句〈9月合併号同人作品より〉
〇印は2選者の共選句 ◎印は3選者の共選句

木下ようこ 選
老人の座り切れない白詰草 上野昭子
藤棚の下にひっそり赤ん坊 榎本祐子
業という八十八夜のオルゴール 奥山和子
判子屋のチャイム感度がすかんぽ 加藤昭子
触れるもの何かのかけら磯遊  川崎益太郎
家族葬にしないでと父柳絮飛ぶ 楠井収
○キャベツまだはがしたりない誕生日 こしのゆみこ
目がうすい?耳がとおい?けっこう郭公 小林ろば
○ひまわりの中で一人で大笑い 重松敬子
さえずりや回想という乗り物ゆれ 芹沢愛子
枕の中の星が溢れて明易し 髙井元一
目隠しのほどける僕と春の鹿 高木水志
家族三人夏三日月がひとつだけ 田中信克
憲法の青さよ桐の花咲いたよ 中村晋
白花黄花津軽豊かな胸である 藤野武
底なしの放心へひなあられポイポイ 堀真知子
塩ふってトマト信じるは難し 三浦静佳
ゆうがおは電話いきなり切られた顔 宮崎斗士
歯を磨くやう人戦さ鳥は恋 柳生正名
いまは深い自然薯やまいものことのみ思へ 横山隆

十河宣洋 選
踊るようくちなわ森番のハモニカ 綾田節子
宵待草人生にかなを振って明日 伊藤清雄
自分の中の他人が寝ている緑蔭 井上俊一
鴎かもめみんなが春の言葉です 大沢輝一
照準の中に三人たんぽぽ黄 奥山和子
田水張る頃床下に潜水艦 刈田光児
○怒らない兄が炬燵になっていた 河西志帆
○キャベツまだはがしたりない誕生日 こしのゆみこ
連翹満開ごしゃまんとピカチュウ 小林ろば
晩春は月面に似てぽこぽこす 近藤亜沙美
群衆というたいらな背中春の雨 佐孝石画
マスク外す開かずの間でも開けてみる 佐藤博己
カレンダー思いっきり剥がすと夏 重松敬子
手のひらに日差しの重さ蝦夷五月 たけなか華那
海月浮く薄い下着を脱ぐ途中 月野ぽぽな
適当な相槌ばかりねカッコウ 中村道子
走り梅雨家に染み着く五体かな 仁田脇一石
大の字に犬のふぐりと宙見つめ 藤好良
薄目して春はマネキンになりきる 村上友子
みみたぶのように金魚と雨の午後 望月士郎

滝澤泰斗 選
黄砂襲来今朝はJアラートの嵐 石川青狼
人類に核とふ踏み絵諸葛菜 伊藤巌
G7ヒマだしタダだし土産つき 植田郁一
知らず知らず戦前の風母子草 大髙宏允
大統領 禎子の声が聞こえますか 岡崎万寿
○怒らない兄が炬燵になっていた 河西志帆
古希の友みな無冠なり啄木忌 齊藤しじみ
九条が風の野を行く遊ぼうか 三枝みずほ
憲法記念日防人歌を読み返す 佐藤博己
○ひまわりの中で一人で大笑い 重松敬子
平和とは見渡す限り麦の秋 篠田悦子
昨日の嘘責めたてるごと蛙鳴く 清水恵子
あいねくらいね那覇とムジーク霞む すずき穂波
春泥や考えぬ練習つむ日本 芹沢愛子
地の塩の青むや春の悲しみに 高木一惠
新樹光聖アッシジに鳥や栗鼠 田中亜美
原子炉に風炉と清濁呑みし国 野口思づゑ
花吹雪なべて戦場埋め尽くせ 野﨑憲子
桜桃忌くよくよする父しない母 三好つや子
聖五月本流は言の葉の光り 村上友子

三浦静佳 選
花アカシア涙壺売る骨董店 石川義倫
彼岸かな今や平穏が奇跡のよう 植竹利江
藤の下うはさ話はできぬなり 鵜飼春蕙
つい隠す自分の生真面目夏燕 大池桜子
同席の目礼たたむ春ショール 加藤昭子
訳ありと聞けば飼いたくなる金魚 河西志帆
過去形のお喋りが飛ぶ花筵 志田すずめ
腕が出て駐車券とる青葉若葉 菅原春み
口笛で始まる曲や夏隣 ダークシー美紀
日に何度バラの蕾を見に行くの 髙尾久子
蜘蛛の手足ドラマーのようフル使い 高橋明江
植田行く車窓忽ち季語の国 田中裕子
戦まだ止まず噴水うずくまる 月野ぽぽな
慰霊の夏坂本九よ御巣鷹よ 鳥井國臣
音の無い鉄橋緑夜の紙芝居 中野佑海
失語症のわれを癒せよ鶯よ 新野祐子
孫とおそろいイージパンツの夏が来た 野田信章
まだねむい窓ならそら豆スープなど 三世川浩司
花かたくり筆談のまず「ありがとう」 宮崎斗士
遍路仕度外反拇趾の爪を切る 山本弥生

◆三句鑑賞

キャベツまだはがしたりない誕生日 こしのゆみこ
 春の柔らかいキャベツだろうか。まだはがしたりない、なんてなかなかやんちゃな感じで明るい。まだまだこれからですッ、と前向きである。そこへ、誕生日。おや?オトナは誕生日に過去を思う。作者は今まで纏ってきたものを、少しずつ少しずつはがし始めたのかもしれない。まだはがしたりないな、目指すは軽やかな素の自分。

家族三人夏三日月がひとつだけ 田中信克
 淡々とした景ながら、夏の、それも三日月であるところが美しい。家族三人が今一緒にいるのか、あるいはばらばらなのか。どのような組み合わせの家族なのか。様々な物語が浮かぶ。言えることは、誰でも必ず三日月をひとつ持っていることだ。寂しさも少し感じさせながら、同じひとつの月を見るその連帯が嬉しい。

ゆうがおは電話いきなり切られた顔 宮崎斗士
 茉莉花・夕顔・烏瓜の花、夕方から咲く花は静かに人の心を騒がせる。咲く姿をいったい誰に見せたいのか。……ま、人間ごときが余計なお世話である。
 ゆうがおは電話をいきなり切られた顔をしております。僕の大事なゆうがおは今しょんぼりしていますが大丈夫。秋の夕顔の実ってけっこう大きいし。取り合わせの新鮮さにウットリしました。
(鑑賞・木下ようこ)

田水張る頃床下に潜水艦 刈田光児
 初夏の爽やかな頃の仕事。田植えを控えての田水を張る。いい気分で仕事をしている。
 この頃になると毎年、家の床下に潜水艦が浮上してくる。今年の豊作を予言するように潜水艦が潜望鏡を蟹の目のように上げて、静かに姿を見せる。楽しい予言をしてくれる。これくらい心の余裕があっていい。

群衆というたいらな背中春の雨 佐孝石画
 春の雨の中を黙々と歩く群衆が見える。傘をさして黙々と会社へ急ぐ群衆の背中は平らだという。少し小高いところから見ている。ビルの窓から見ていてもいい。
 群衆の目は少しうつむき加減で、歩くスピードは少し早い。信号で止まってはまた一斉に歩きだす。無秩序のように見えて秩序がある。鋭い作者の眼を感じる。

適当な相槌ばかりねカッコウ 中村道子
 こういう楽しい作品がもっとあっていい。構えた作品の中で私の琴線にとまった。と言っては大袈裟だが。
 郭公が鳴くと豆を蒔いていい。私の地方の一つの農作業の目安である。初夏の空気を明るくしてくれる郭公である。適当な相槌のように聞こえるがそうでもない。大切な声である。相棒も大切な相槌を打っている。
(鑑賞・十河宣洋)

G7ヒマだしタダだし土産つき 植田郁一
大統領 禎子の声が聞こえますか 岡崎万寿
 G7広島サミットを詠んだ句が並んだ。岸田内閣のお家芸「やってるふり」の際たるNATO連合の茶番を見事に活写した植田さん。そして、岡崎さんは静かに問う、「大統領、佐々木禎子さんはあなたの国が落とした原子爆弾で亡くなりました」。みんな頭を垂れて祈っているふりを冷徹に見ている。

平和とは見渡す限り麦の秋 篠田悦子
 1977年夏、飛行機でキエフに入った。その時の上空から見た大地いっぱいの麦畑が忘れられない。ウクライナの麦はワルシャワ条約機構の要だった。飢えない平和の要諦だった。しかし、自然は残酷だ。ここに高温と乾燥が襲い、ワルシャワの結束は緩んでいった。そして、今度は人間が爆弾を落として荒らしている。

あいねくらいね那覇とムジーク霞む すずき穂波
 我が高校時代は英語で精いっぱい。とてもドイツ語までの余裕なく、掲句のごとく遊んだ……「愛ねぇ暗いねナハっと無慈っ非」などと……言葉遊びに理屈を言う気はないが、那覇と来て、霞むで鑑賞を書く気になったことは間違いない。言葉遊びは楽しい。
(鑑賞・滝澤泰斗)

腕が出て駐車券とる青葉若葉 菅原春み
 駐車場に入る時駐車券が出てくる。何台か後ろで待っていると前の車から人の腕が出て駐車券を取って進む。また、次の車から腕が出る。いつもの駐車場の景のようであるが、でも面白い。このような切り取り方を作句のお手本にしたい。買物かな、コンサートかな、と、うきうきするのは青葉若葉の効果と思う。

植田行く車窓忽ち季語の国 田中裕子
 作者は宮城県の方。電車だろうか、車窓からはいちめんの植田。田んぼには棒立ちの白鷺がいて植田に対峙して大空がある。次々と移り変わる車窓の風景。雲、風、そして太陽。お友達との吟行ならことさら愉しいことだろう。植田を中心に据え、車窓が季語の国だと断定した表現に共感を覚えた。

花かたくり筆談のまず「ありがとう」 宮崎斗士
 人は意思を伝えるための手段として筆談を使うことがある。身の不自由に寄り添ってくれる筆談。「ありがとう」の取り持つ両者の良好な関係が窺われる。花かたくりは、可憐な中に強さを持っている。踏まれても雨に打たれても次の年また仲間を増やして観る人を癒やしてくれる花。一句に、季語がとてもいい働きをしている。
(鑑賞・三浦静佳)

◆海原集〈好作三十句〉武田伸一・抄出

弟かも知れぬほうたる私す あずお玲子
バベルの塔一瞥もせぬ蟻の列 有馬育代
生き死に言わず夏の星座を引っ裂くよ 飯塚真弓
脊梁山脈さみしいと言へ月見草 石鎚優
純情な触角引き合ふ草いきれ 伊藤治美
スマホを探す自分に舌打ちそんな夏 遠藤路子
卯の花腐し形有るものに惑ふ 大渕久幸
空蝉や我が身の内にゐる他人 小野地香
万緑の森立ち枯れの木の誇り かさいともこ
ビートルズ終戦記念日に落とす針 齊藤邦彦
年寄りに旗日は不用深昼寝 佐々木妙子
坪庭に京の美の壺夏座敷 島﨑道子
蝉の殻血を吐くように言葉吐く 清水滋生
さびしらやからだの奥に秋夕焼 宙のふう
原爆ドーム茜射す時なほ燃える 立川真理
辺野古へと浅黄斑は行くだろう 藤玲人
青柿落つ他界とはどこだろう 中尾よしこ
死ななくても良い七月の風を得て 福岡日向子
まず音符こぼれ睡蓮ひらくかな 増田天志
夏来る大阿蘇に雲一万トン 松岡早苗
なんじゃもんじゃの花墓だって発掘 松﨑あきら
校長と出くはす熱帯夜のスーパー 丸山由理子
凍星はきっと透明な舌触り 村上舞香
何もかも空っぽにして浮いて来い 横田和子
ニッポンがしづかに消える夏ある日 吉田貢(吉は土に口)
朴の花心に薄い傷ありて 吉田もろび
ローム層にメトロポリス天に旱星 よねやま麦
水入れて直ぐに鳥来る夏来る 路志田美子
さがしものをいつも探して母薄暑 わだようこ
頂上に心の臓炎ゆピラミッド 渡邉照香

『海原』No.52(2023/10/1発行)


◆No.52 目次

◆海原秀句 同人各集より

安西篤●抄出

夫婦という漸近線ぜんきんせんや半夏生 石橋いろり
葱坊主不登校児の片ピアス 榎本愛子
草城子の忌よ伏目の犀とは言い得て妙 大西健司
ヒルガオのつまづきながら鳴るピアノ 奥山和子
来し方のガラクタ大事余花の雨 加藤昭子
桐の花ちぎれて光る人語も花 川田由美子
桜桃忌ぞっとしたくて水鏡 河西志帆
あいの風机下と記さる男文字 北村美都子
母の日や父ふわふわとタバコ吸い 楠井収
羅やをみな累代刃物持ち 小西瞬夏
春の土掬う青年になりし子よ 佐孝石画
原爆忌クリアファイルに人の貌 清水茉紀
菩薩像の指先に傷ヒヤシンス 白石司子
AIの軽やかに曳く蜘蛛の糸 高木一惠
僕の瞬き数えるように花の雨 高木水志
人間を休みたい午後ダリア剪る 竹田昭江
草いきれ我らの匂いでもあった 竹本仰
掘る土に乳歯の遺骨沖縄忌 田中信克
独り言増え十薬の花点点 寺町志津子
月食の夜はんざきの癒えぬ傷 鳥山由貴子
ダケカンバ骨にも痣の見える夏 中内亮玄
昭和とは浴衣の似合う人ばかり 長谷川阿以
瑠璃蝶の身体熱し君よ死ぬな 藤野武
茄子好きの嫁御ふっくらよく笑う 船越みよ
母はまた蛍袋より顔を出し 増田暁子
春や妣の簞笥の小抽斗ひけば鳴る 三木冬子
火取虫あの世の片端にこの世 望月士郎
あじさいと太白明滅して遠忌 茂里美絵
あるかいつくにあめんぼう水笑窪 柳生正名
言葉にも生傷のあり茄子の花 山本まさゆき

水野真由美●抄出

干草の温み蛇行する人生 阿木よう子
春楡の影も大きな孤独かな 石川青狼
白鳥座友見送りし無人駅 伊藤巌
戦争の図鑑一本の蛍の木 伊藤清雄
農鳥があらわに父よ生きめやも 榎本愛子
むさしのに赤いポストと妻の木と 岡崎万寿
「ゲン」今や梅雨の中ゆく山頭火 川崎益太郎
ついと押す闇は舟なり沙羅の花 川田由美子
百年を走る夏野や少年兵 三枝みずほ
把手のない空がありますつばくらめ 佐孝石画
梅雨晴れやメトロノームのよう一人 佐藤詠子
天の川山国住いに酒のみ多し 白井重之
静かさに包丁を研ぐ花曇り 鈴木栄司
透明な光の檻の行々子 鈴木修一
チューリップ百本鉛筆がころがる 鈴木千鶴子
葉桜や米研ぐ水の白さかな 髙井元一
蒲公英の影を拾ってこぼれそう 高木水志
次々と羽化す無月の三姉妹 舘林史蝶
薄雪草しづか火星への旅も 田中亜美
施設に母入れて茶の間は夕焼けて 峠谷清広
モノクロの母の遺影に夏の月 董振華
軍靴脱ぐときポプラの絮の行方 遠山郁好
原発棄民米研ぎ米研ぎこの白濁福 中村晋
擦過してばかりハコネウツギの雨の旅本 野田信章
八十八夜いもうとの髪の匂いして 長谷川順子
予習より復習が好き青葉木菟 松本勇二
郷愁とはピアノに映る青葉 マブソン青眼
介護と別居と離婚と日傘くるくると 宮崎斗士
火取虫あの世の片端にこの世 望月士郎
言葉にも生傷のあり茄子の花 山本まさゆき

◆海原秀句鑑賞 安西篤

夫婦という漸近線ぜんきんせんや半夏生 石橋いろり
母の日や父ふわふわとタバコ吸い 楠井収

 加齢にともなう夫婦のあり様を、それぞれに描いた句。
 石橋句。「夫婦という漸近線」とは、これまでどこか突っ張り合って過ごしてきた夫婦も、どうやら年を経て、あきらめとも慣れともつかぬ空気感の中で、いつの間にか互いに気持ちが寄り添ってきている感じ。まあそんなもんだよな夫婦ってと言われてしまうと、ちょっと癪だが、半夏生の時を迎えてそろそろ潮時かとも思う。「漸近線」がやや硬い印象だが、そんな意地もそこそこに生きている。
 楠井句。父母の夫婦関係という設定だが、案外身に引き付けた感じになるのは、「タバコ吸い」の効果かもしれない。「母の日」ということで、子供たちがこぞって母たる妻に群がっている。父たる我の居場所もあらばこそとばかり、なんとなく喫煙所へ逃避し、しばらく前に禁煙したにもかかわらず、つい「ふわふわとタバコ吸」う羽目になった。やんぬるかなとの思いも、奴らが悪いからと責任転嫁しつつ。

独り言増え十薬の花点点 寺町志津子
母はまた蛍袋より顔を出し 増田暁子
春や妣の簞笥の小抽斗ひけば鳴る 三木冬子

 この三句は、高齢の母たる立場と亡き母の生前の思い出を詠んでいる。
 寺町句。加齢とともになんとなく独り言が増え、にわかにそれに気づくと、少し慌て気味に庭隅の十薬の花に目を走らせ、点点と続く花の並びに沿って、その独り言が続けざまに湧き出てくるような気がしている。いや、そうじゃなくてと否定しようにも、老いの繰り言は止めようもない。十薬がそのシラケ感を滲ませる。
 増田句。この句の母は亡き母のような気がする。蛍袋から顔を出す母は、作者の想念の中の母ではないか。蛍袋には、さまざまな思い出が次々と宿っているようで、走馬燈のように母の面影が浮かび上がる。蛍袋は、花が釣鐘状に俯き加減に開くので、どこか在りし日の老いた母の屈背の姿のようにも思えてあわれを誘う。
 三木句。亡母の遺品となった箪笥の小抽斗を引いたとき、あたかも亡母が返事をしたかのような、かすれた音を立てた。作者はその物音を亡母からの反応のように受け取って、思わずぎくりとしながらも、妙な懐かしさすら感じていたのではないか。

草城子の忌よ伏目の犀とは言い得て妙 大西健司
 かつて中京地区俳壇の重鎮でもあった森下草城子を偲ぶ一句。「伏目の犀」とは、草城子の人柄を比喩したもの。一見温厚誠実な紳士風ながら、一たび言い出した主張は決して妥協せず、頑固なまでに貫き通す人だった。それが彼の指導力の基にあったと思う。長く身近に居て補佐した作者ならではの句だが、「言い得て妙」とは、大西ならずとも共感できよう。「伏目の犀」の発案者は案外大西自身のような気さえするほど。

桐の花ちぎれて光る人語も花 川田由美子
 桐の花は初夏の頃、巫女の振る鈴のような紫色の筒形の花をつけ、落花すると花の形のまま広がって芳香を放つ。「ちぎれて光る」は、その模様を詠んだものだが、同時にその花を愛でている人々の、語り合う言葉の美しさを讃えているのではないか。つまり中句は、上句、下句に両がかりしている。花の形は唇形で斜め下に俯いて開くのも雅な艶を含む風情。「桐の花」と「人語も花」の照応がその風情を引き締めている。

あいの風机下と記さる男文字 北村美都子
 「机下」とは、手紙の宛名の脇に添える敬意を表す語。語感からして発信者は男性が予想される。「あいの風」は、日本海沿岸に四月から八月頃にかけて吹く北東のそよ風。上方へ向かう穏やかな風のせいか、船路にも漁にも喜ばれるという。嬉しい便りとみてよかろう。「男文字」とある相手方は、おそらく作者の遥かな後輩で、日頃、目をかけていた若者のような気がする。男文字から匂い立つ逞しさ、爽やかさが、「あいの風」に響き合う。

春の土掬う青年になりし子よ 佐孝石画
 「春の土を掬う」というしぐさは、春の到来を身をもって感じているパフォーマンスではないか。雪国で春を待つ人の体感はこういうものだろう。わが子が、土を掬って「ああ、春ですね」と呼びかけた時、この子もこの地育ちの一人前の青年になったものよと、嬉しさを抑え切れなかったに違いない。下句の「よ」の詠嘆の切れが、その喜びの感動を伝える。

AIの軽やかに曳く蜘蛛の糸 高木一惠
 ここでいうAIとは、従来のAIのような決められた行為の自動化ではなく、生成AIという創造することを目的に構造化されたシステムなのではないか。そうでなければ蜘蛛の糸のような自然のものの動きに即して、新しいコンテンツを生成することはできまい。「軽やかに引く蜘蛛の糸」という芥川龍之介原作の世界が、現代のAIシステムで生成されるという作品の現代性。古い題材の新しい感覚による再生というべきかもしれない。

◆海原秀句鑑賞 水野真由美

春楡の影も大きな孤独かな 石川青狼
 「春楡」が「春の楡」ではなく木の名前だと知ったのは文字の無い写真だけの絵本『はるにれ』(姉崎一馬・福音館書店)を開いた時だった。雪景色の中に一本の春楡が立っていた。生育に向いた北海道には大きな木が多いという。そんな木の「影も」の「も」は何だろう。全ての場所が「大きな孤独」だと受け取れる。さらに「も」は自分と木をつないでいるのかもしれない。「春楡」もまた「大きな孤独」を生きているような感覚だ。「かな」へと向かうゆるやかな韻律が「孤独」の否定でも「孤独」への耽溺でもない生の時間を育んでゆく。

戦争の図鑑一本の蛍の木 伊藤清雄
 季語「蛍」は具体的な昆虫であると同時に文芸史におけるイメージの集積でもある。命のはかなさや恋に身を焦がす比喩とされ、また戦争体験を題材とした野坂昭如の『火垂るの墓』では幼い命を照らす。だが「一本の」「木」という質量の変容と「戦争の図鑑」は季語「蛍」に今までとは別のイメージをもたらす。兵器図鑑ではない「戦争の図鑑」には古代から現代までの戦争が詰まっているはずだ。「蛍の木」は戦争をくり返し続ける人間の度し難さを照らす。木となった一匹一匹の蛍の光に、幼子を含める無数の戦没者、一人一人の命を改めて思う。

農鳥があらわに父よ生きめやも 榎本愛子
 「農鳥」は鳥の形をした山肌の残雪で田植えの時期を知らせるという。それを名前の由来とする山もある。金子兜太は『遠い句近い句』(富士見書房)で石橋辰之助の「繭干すや農鳥岳のうとりだけにとはの雪」について「農鳥岳」の「語感」を「耕作者の姿が点々と見えてきて、鳥たちが空をゆき、耕地に散開する」「農と鳥の生活まで匂って」と評した。掲句の「農鳥」もまた「あらわに」で切り替わる視線の先の父に土の手触りをもたらす。死を意識する「生きめやも」は堀辰雄の「風立ちぬ」の冒頭、「風立ちぬ、いざ生きめやも」で知られる。父だけでなく自身への呼びかけでもあるような「父よ」の響きが切ない。

「ゲン」今や梅雨の中ゆく山頭火 川崎益太郎
 「ゲン」は中沢啓治が広島における自身の被爆体験を素材にした漫画『はだしのゲン』の主人公だ。今年、広島市の平和教育副教材から経緯が不透明なまま削除されたことが報道された。それゆえの「今や」であり、「梅雨の中」に仄暗さがある。山頭火のイメージは放浪だ。作者は日本の社会、歴史を放浪するゲンを案じている。原爆の惨状を描く漫画にはつらい場面がある。また画風への好悪もあるだろう。それでもゲンが遠ざかることは戦争の記憶が遠ざかることだ。石垣りんに「弔詞」という職場の戦没者名簿に呼びかける詩がある。「戦争の記憶が遠ざかるとき、/戦争がまた/私たちに近づく。」

ついと押す闇は舟なり沙羅の花 川田由美子
 「ついと」を辞書で引くと擬音でもなく、「つい、うっかり」の「つい」でもなく、動作をいきなり、あるいは素早く行う様子だとある。その緊張感が「闇は舟なり」を支える。押されて軋む音や水音が舟だとわからせたのかもしれない。あるいは闇そのものが舟に変容したとも思う。だが闇の中で「沙羅の花」が見えるのはなぜだろう。赤城山の小沼で対岸から流れ着いた沙羅の花が水際に並んで揺れていたのを思い出す。木の上ではなく水の上の花の寂しさは闇を生きてゆく小さな明りになるかもしれない。くきやかで素早い「ついと押す」がわずかでも移動を可能にする「舟」を呼び出し、その「舟」が慰藉のように仄白い「沙羅の花」の明りを生み出してゆく。

天の川山国住いに酒のみ多し 白井重之
 ふと「酒のみ」に「酒飲み」が重なる。「天の川」が見えるほど空が澄んだ山国のどこにでも酒飲みがいて時には宴会をしているようで嬉しくなる。だが、これは「のみ」なのだ。山国の暮しの中で酒だけは幾らでもあるという。これはこれで嬉しくなるが「のみ」は酒以外は乏しい暮しなのかもしれない。苦笑の気配が滲んでくる。

薄雪草しづか火星への旅も 田中亜美
 「薄雪草」は星の形の花をうっすらと白い毛が覆う高山植物。「火星への旅」はすでに、そのための「宇宙冬眠ワークショップ」や予約と訓練の広告がネット上に並んでいる。地上の小さな白い星と宇宙の大きな赤い星が「しづか」の一語で切れた後に「も」でつながる。「薄雪草/しづか/火星への/旅も」と読みたくなる韻律には「しづか」な悲しみがある。冬眠の旅をも厭わずに宇宙を目指す科学の力とその意味を問うべき思想の力の釣り合いの取れなさへの悲しみのようだ。

施設に母入れて茶の間は夕焼けて 峠谷清広
 母の居場所を決めた自分の選択が正しいと保証してくれる人はいない。自分の奥底の思いも一つとは限らないだろう。だが「茶の間の」では不充分なのだ。はっきり「茶の間は」と母の不在を受け止めようとする。「入れて」「夕焼けて」と言いかけをくり返す宙吊りのような感覚からもまた安易な着地を拒む心情が伝わってくる。

◆金子兜太 私の一句

相思樹空に地にしみてひめゆりの声は 兜太

 「平和以上に尊いものはない」との兜太先生の言葉をかみしめています。両親の故郷沖縄。『ひめゆりの塔をめぐる人々の手記』の中に別れの曲(相思樹の歌)がのせられています。戦争体験を風化させてはならないとも。地球が悲鳴をあげているというのに。どうして、どうして、軍備が進むのでしょうか。共に生きる喜びを分かちあいたい。句集『百年』(2019年)より。太田順子

ブツシユ君威嚇ではさくらは咲かぬ 兜太

 優れた社会性俳句は何年経っても生き続ける。兜太師がGWブッシュによるイラク戦争開始の際に掲句を詠んだのは今から二十年前。権力者はいつも傲慢と利権のためにでっちあげの事件を以て開戦を決める。一方、自然界では生き物全てが協力し合わないと春が訪れない。先日上梓した句集に本句取り〈プーチン君威嚇ではさくらは咲かぬ〉を入れた。今こそ、先生の”姿勢”が生きている。句集『日常』(平成21年)より。マブソン青眼

◆共鳴20句〈7・8月合併号同人作品より〉
〇印は2選者の共選句 ◎印は3選者の共選句

木下ようこ 選
満作や朝陽の遅い橋渡る 伊藤巌
淋しい葱にリボンを春の恋心 大西健司
樹木葬の亡妻つまにひとこと花粉症 岡崎万寿
旅人の軸の傾き花は葉に 奥山和子
花の雨誰も見ていない明滅 川田由美子
三月の光まみれの不在感 黒岡洋子
瀞に集う扉の手触りのいろいろ 佐孝石画
○蛇苺犬小屋に喪中の小札 竹田昭江
紙回しながら切る春の色 たけなか華那
つるばみの花美し遠く縄文期 鳥山由貴子
合鍵がある筈なのに蝌蚪の紐 中村道子
前線と呼ぶな桜は母だろう 仁田脇一石
桜には桜の言葉忘れない 平田恒子
かたばみの花のまばたき三姉妹 本田ひとみ
○シンカーの握りで父へ新玉ねぎ 松本勇二
アイヌ語し雪解雫もラ行 マブソン青眼
ふと色にみえ鈍痛またはアネモネ 三世川浩司
来る人が来ないと笹鳴きも来ない 村上友子
うれしくてスイートピーのぐるぐる巻き 望月士郎
忘れ物して遅刻して桜 山下一夫

十河宣洋 選
再会は春の濃霧の抱擁なり 石川青狼
子を産めば樹は満身の若葉かな 石田せ江子
青き踏む足裏より青き環流 川崎千鶴子
春竜胆ひとりひとりが気流かな 川田由美子
天の川まわりで騒ぐから逢えぬ 河西志帆
巣穴出て闇を吐き出すように熊 黒岡洋子
水菜洗ふ水汚さるるものとして 小西瞬夏
春雷や君は昨日の置き手紙 近藤亜沙美
雪解風キリンの舌に舐められる 佐々木宏
山と生きし祖父母の自然花きぶし 篠田悦子
うかうかと獏と朝寝をしてゐたる 白石司子
少しだけ卑猥が足りぬ蝸牛 白石修章
野辺は春振り向けば見知らぬわたし 竹田昭江
脱ぐたびに体のどこかから花びら 月野ぽぽな
枯葉掃く心の垢まで捨てっちまえ 仲村トヨ子
朝寝して水になる夢秩父なり 野﨑憲子
「兜太祭」脊梁山脈の桜かな 疋田恵美子
苺つぶすフォークの先にある殺気 前田恵
干し若布カリカリタイヤの硬さだな 山田哲夫
フルートのかるい息つぎ草青む 横地かをる

滝澤泰斗 選
戦好きの青き地球の霾曇よなぐもり 石橋いろり
雪しろは山の脈拍風は息 伊藤歩
シェルター無きミサイルの島鳥雲に 伊藤巌
鳥はる軍靴の音や花万朶 稲葉千尋
ヒロシマノート我がたましいの悲歌よ 大髙宏允
エイプリルフール独裁者と数の横暴 佐藤博己
さみだれが一等水兵の碑を洗っている 白井重之
空っ風スマホに溜まる駄っ句駄句 鱸久子
防衛論湿気るし蠅生れるし すずき穂波
石蹴れば亀が痛いと鳴きにけり 十河宣洋
塩・兵士・凍土・泥濘春逝けり 田中亜美
顔の傷手の傷夜学子卒業す 中村晋
インティファーダ何処に向けよう桜咲く 新野祐子
「サカモト」の音符のひとつ春の星 根本菜穂子
ロシアより生れよ弥生のシュプレヒコール 野﨑憲子
四万十川しまんとの青より生れ木の芽風 松岡良子
○シンカーの握りで父へ新玉ねぎ 松本勇二
兜太先生春が大きな椅子になる 宮崎斗士
この春も推移眺めるだけなのか 村上友子
慰霊祭戦争を知らぬ人らに杖の母 夜基津吐虫

三浦静佳 選
皆富士に向かいて足湯花の下 石田せ江子
山吹や空のひっかき傷こぼす 市原正直
円満の秘訣は無言桜散る 宇川啓子
年老いし象のごとくに山眠る 榎本愛子
赤ちゃんの「あ〜」は母国語花杏 江良修
風船を放し空く手の自由かな 大西恵美子
この新茶「団十郎」も飲んでるとう 片町節子
横糸にフィクション織りこむ春ショール 芹沢愛子
霾や母の遺産はずぼらな俺 瀧春樹
○蛇苺犬小屋に喪中の小札 竹田昭江
永日や父が愛したステレオ直し 中村晋
ほら春のきのこのような石灯籠 平田薫
花ミモザ私は私の機嫌とる 藤田敦子
春あらし鶏を弔う防護服 船越みよ
花だより日本中が胡椒ひく 松本千花
無傷でいたい人が大勢花筏 村上友子
ピアノ閉ぢ君影草が咲きおしまひ 柳生正名
花ミモザ昭和男はナポリタン 矢野二十四
葉桜に切り替わる時沸騰す 頼奈保子
さくらの下スマホ落としてゐませんか 若林卓宣

◆三句鑑賞

三月の光まみれの不在感 黒岡洋子
 ここに私のからだはあるが、今、精神の生気は弱く無への近さを感じている。そして共に居るはずの人もいない、ことも思わせる。光まみれの「まみれ」が作者の途方に暮れた感を感じさせつつ、しかしそうした生死をも超えた三月の光の、圧倒的な美しさ優しさ。作者がみつめる虚無の深い寂しさと、大きな癒しに感動しました。

蛇苺犬小屋に喪中の小札 竹田昭江
 うちの柴犬、蛇苺の匂いが苦手で、と話に聞いたことがあるが、いや、案外作者の大切な子は蛇苺が遊び友達、ちょっかい出していたりして? 喪った深い哀しみを喪中の小札と洒落て表現。共に暮らした長く楽しい年月への感謝をも表した。作者の若々しい知性を感じる。蛇苺の斡旋が句をいきいきさせ、思いを具体的に伝える。

シンカーの握りで父へ新玉ねぎ 松本勇二
 ネットでダルビッシュのシンカーの握り、を見ただけなのに、上半身が攣りそうでした。父親へのあらゆる複雑な思いが、沈む変化球シンカーの「握り」で表現され、そこに新玉ねぎの新鮮な香り、色、形。最高です。父はどんな気持ちで球?を受けたのか。っていうか、シンカーを投げる先に父はいるのか? 興趣は尽きません。兄の句も佳きかな。
(鑑賞・木下ようこ)

天の川まわりで騒ぐから逢えぬ 河西志帆
 七夕の喧騒が聞こえてくる。年に一度の逢瀬などと言うがそれが煩くて織姫も彦星もデイトもままならぬという。句意は明瞭だが、我々の身近な生活に当てはめて考えよと作者は言う。
 他人のことにお節介を焼くな、自分のことは自分でやる。自意識の目覚めた二人である。

朝寝して水になる夢秩父なり 野﨑憲子
 水は容器の形に納まる。兜太祭に参加した作者の「水になる夢」は兜太の生まれ育った秩父を愛してやまない作者の心情である。
 前日の行事の疲れだけでなく、懐かしくゆっくりと熟睡した清々しさが心を満たしている。水のように静かな目覚めであった。

「兜太祭」脊梁山脈の桜かな 疋田恵美子
 秩父の壁のような山脈。「鳥も渡るかあの山越えて」秩父音頭に歌われる山脈である。
 兜太祭に参加した作者が兜太師との思いを込めて周りの山脈を眺めている。遠くに桜が見えた。桜にはまだ早い時期であるが、作者には遠くの山肌に桜を見たのである。誰がなんと言おうと桜なのである。
(鑑賞・十河宣洋)

ヒロシマノート我がたましいの悲歌よ 大髙宏允
 「ヒロシマノート」は高校時代に手に取った書のひとつで、我が反核運動の原点になった書でもある。筆者の言う通りそれは、当時の政党間の対立ではなく、目の前にある事実をルポした文字通り私の志向を促した。それはまた表現しきれない悲しみに満ちていた。

ロシアより生れよ弥生のシュプレヒコール 野﨑憲子
 プーチンとその一派によるウクライナ侵攻から一年が経過した春、筆者の思いと同様に、かつて、レーニンが指導したロシア革命のように、ロシア内における反戦、反侵略、反核のエネルギーの存在を信じている。線香花火のような小さな火が、スターマインのようになることを。

この春も推移眺めるだけなのか 村上友子
 プーチンのウクライナ侵攻から一年経った感慨の中に推移を眺めるだけの自分がいるが、掲句が暗示しているものには、統一協会のこと、モリ、カケ、サクラのこと、弾道弾が日本海に飛び、それを迎撃する大量の軍事費の拡大などがあり、漠とした「この春も」推移を眺めている。
(鑑賞・滝澤泰斗)

花ミモザ私は私の機嫌とる 藤田敦子
 心配事があったり、不本意なことに出くわした時、つい表情に出てしまう。何かの集まりに出なくてはならなくても、愉しい会合ならなおのことスマイルがいい。「私は私の機嫌とる」のフレーズが上手いと思った。満開のミモザの香りが作者の気持ちの葛藤を癒やしてくれるのだろう。

ピアノ閉ぢ君影草が咲きおしまひ 柳生正名
 一読、炎暑の街からクーラーの効いた喫茶店に入ったような気分になった。俳句は意味を考えるのではなく、感覚で捉えよと教えられた。掲句から涼やかな柔らかさが伝わる。目を瞑れば恋人同士か、父と子が浮かぶ。すずらんと言わず君影草とした季語が素敵で、句全体が夜の雰囲気を醸し出している。

花ミモザ昭和男はナポリタン 矢野二十四
 昭和女の筆者も、ファミレスではナポリタン派である。ナポリタンはスパゲッティにトマトソースを用いた料理で、フォークにぐるぐる巻き付けて食べる。平成、令和と年月を経てもナポリタンが好きな作者。ミモザの花の明るさのような作者の満足感が伝わってくる。掲句のナポリタン、昭和にぴったり合っている。
(鑑賞・三浦静佳)

◆海原集〈好作三十句〉武田伸一・抄出

もたついてぶつぶつ言って羽抜鳥 有栖川蘭子
薫風に崩るるドミノ墓じまひ 有馬育代
ここに来て和め鬼神よ春の暁 飯塚真弓
脊梁山脈石畳の蟻多忙 石鎚優
六月や守る術なく家壊す 井手ひとみ
ひとり暮らしは初ごきぶりを赦さない 遠藤路子
山国や母が種蒔き鳥ついばむ 扇谷千恵子
朝帰りっぽいシャンプーの香り土用 大渕久幸
夕蝉や弑逆はみな謎のまま 小野地香
何という空何という雲夏盛る かさいともこ
老鶯やコミュニティカフェ少し悲し 梶原敏子
わるいやつら桜蕊降る夜のカフェ 北川コト
三度目のアバンゲールか五月雨 木村寛伸
自由なり枇杷の種窓から飛ばす 香月清子
山桜桃古民家喫茶ちまちまと 古賀侑子
長生きは時々へくそかずらかな 小林育子
補聴器涼し昭和の味の喫茶店 佐々木妙子
アイス珈琲も托鉢僧も夏への入口 佐々木雅章
億年の昼寝の如く死に化粧 佐竹佐介
廃線の枕木を刺し流れ星 宙のふう
人群れて中の一人となる祭 立川真里
良い目をしている晩夏に語り出す君は 福岡日向子
一輪のどくだみ表紙に『黒い雨』 藤井久代
指先の緑雨わたしの透きとおる 松岡早苗
最後の審判をその子が決める油照り 松﨑あきら
やつと立つてゐるだけ陽炎の中 丸山由理子
螢臭きもて漕ぎゆくゆくへかな 吉田貢(吉は土に口)
躓いて土柔らかき五月闇 吉田もろび
油照り水欲る人へ向く銃口 路志田美子
新緑の右手を胸にピアニスト わだようこ

自由作品18句「カカオの女(祝詞橋)」大西健司

『海原』No.51(2023/9/1発行)誌面より

自由作品18句

カカオの女(祝詞橋) 大西健司

〈カカオ句会の奥伊勢吟行会は先達奥山甲子男氏の蛇淵庵をお借りしての句会からスタートした〉

甲子男忌や人影の濃き祝詞橋
対岸のカラーの花も祝詞川
沙羅双樹は蛇淵のほとり祝詞川
蛇淵庵の句座へとうすみ蜻蛉かな
祝詞橋渡る長男は茶を摘みに
麦茶冷やしにいつもの池へ嫁女かな
クレソンの池へ浸せる大薬缶
蛇淵庵の窓から捨てた枇杷の種
巳の年の家系燕は来ぬという
あまご池増水崖を這う女
はずみて候蛍吊橋金平糖
山法師のコテージ女は手酌にて
少し堅めの干柿そしてハイボール            
山法師に濡れ讃岐のひとはしんにつく
鮎の頭も喰うたと讃岐の良き男
大ぶりな鮎を天啓のごと喰らう
やさしげな梅雨茸瀬音激しかり
甲子男似の男鮎釣竿を振る

『海原』No.51(2023/9/1発行)

◆No.51 目次

◆海原秀句 同人各集より

安西篤●抄出

ブランコ天辺街のさみしき岬 伊藤道郎
竹皮を脱ぐや刺客の潜みいる 大池美木
くずおれる戦後の形はや暮春 大髙宏允
春日遅々ゴリラのように坐つている 大西宣子
芍薬や男ひとりになりたる日 河田清峰
花冷えやパソコンの音癌病棟 河田光江
健康のために歩いてゆく海市 こしのゆみこ
早苗取り年子の上はヤギの乳 小松よしはる
古希の友みな無冠なり啄木忌 齊藤しじみ
憲法記念日いつものご飯と味噌汁 佐藤博己
遠雷の近づいてくる駅ピアノ 重松敬子
私を改行している日永かな 白石司子
九十路ここのそじの栞よ出羽の橅芽吹く 鱸久子
春泥や考えぬ練習つむ日本 芹沢愛子
果て知れぬ野戦に咲いてモルフォ蝶 高木一惠
花菖蒲聞きわけのない吾といる 竹田昭江
ともだちは五月の風でまるい石 たけなか華那
青葉騒石の光と陽の光 田中亜美
あの世にはあの世の噂桜騒 田中信克
銃弾に向日葵欠けて白き闇 中内亮玄
あやとりの人差し指にある徂春 ナカムラ薫
AIに恋文書かせかげろえる 長谷川順子
風が木になる木が風になる大手毬 平田薫
草矢打つ百年先の真昼間へ 水野真由美
ゆうがおは電話いきなり切られた顔 宮崎斗士
蝶の昼モザイクかかる動画かな 三好つや子
みみたぶのように金魚と雨の午後 望月士郎
たんぽぽや余命おかしく樹木希林 森鈴
二人居てひとりの時間えごの花 茂里美絵
山に日が当たる芽吹きの樹の木霊 横地かをる

白石司子●抄出

深淵の青い鳥探す半夏かな広島サミット 石橋いろり
銀河に深く影を沈めて夜の新樹 伊藤巌
さなぎより出でてはつなつの風になる 伊藤幸
死ぬ数に入れず牡丹ゆたかなり 稲葉千尋
少年が少年いたわる花の昼 榎本祐子
鴎かもめみんなが春の言葉です 大沢輝
白靴の写らぬ記念写真かな 小野裕三
夏蝶が来たので少し休みます 川嶋安起夫
本棚を逍遥すれば緑夜かな 河原珠美
あと何回会えるのだろうカーネーション 日下若名
果てしなく夕日が遊ぶキャベツ畑 こしのゆみこ
春雷や護憲派老いてまたも逝く 篠田悦子
春風邪にとどまっている前頭葉 清水茉紀
清明の朝の光の中に居る 関田誓炎
さえずりや回想という乗り物ゆれ 芹沢愛子
人間を忘れた者ら野火を追う 立川由紀
雲雀の巣窮屈な靴脱ぎ捨てる 鳥山由貴子
ひばり灯って天地の回路つながったね 中村晋
残心の木遣唄沸く雪解川 並木邑人
花吹雪なべて戦場埋め尽くせ 野﨑憲子
たけのこと棟梁ノコノコやってきた 長谷川順子
茅花流し軸なき僕らのおしゃべり 日高玲
みかんの花ほろほろ宮沢賢治の修羅 平田薫
白花黄花津軽豊かな胸である 藤野武
底なしの放心へひなあられポイポイ 堀真知子
くちなわも翁も螺旋五月来る 三好つや子
鳥巣立つ雲梯の揺れ明るく 村上友子
歯を磨くやう人戦さ鳥は恋 柳生正名
玉葱がぶらさがる軒戦はず 若林卓宣
籐椅子に父の骨格ありありと 渡辺厳太郎

◆海原秀句鑑賞 安西篤

くずおれる戦後の形はや暮春 大髙宏允
憲法記念日いつものご飯と味噌汁 佐藤博己
春泥や考えぬ練習つむ日本 芹沢愛子

 現在の日本への社会時評ともいうべき作品群。
 まず大髙句。戦後も七十五年を経て、かつて戦後復興とその後の高度成長、さらには低成長への屈折という時代の変化に伴い、今後どのような成長の姿があり得るのか、また物ばかりでなく精神の満足が得られるのかという様々な課題が生まれている。作者はこのような時代相を踏まえて、「くずおれる戦後の形」というフレーズを提出した。「はや暮春」は、その時代相の黄昏を憂えているように見える。こういう問題意識は、多くの人々に共有できるものだろうが、その答えは容易には見いだせていない。作者とてその一人であろう。今はその暮春の中に立ちすくむのみだが、「どうするのだ」という心の叫びだけは聞こえてくる。
 佐藤句。日本の憲法は、戦後GHQから有無を言わさず押し付けられたものだが、史上稀にみる理想的な平和憲法ともいわれた。すでに一世紀近い歴史の中で、その実践的意義について様々な議論が出てきているのも事実。しかし一般庶民にとっては、平和な日々に、いつものご飯と味噌汁さえあればそれで足りるのですという。どのような時代の中にあっても、ささやかな庶民の願いは変わらない。憲法記念日にも、ひたすら願うのはそのことのみですという。
 芹沢句。小池龍之介という僧侶が書いた『考えない練習』という本がベストセラーになった。いらいらや不安は練習で治せる、もっと五感を大切にする生活をしようというもの。この句は、その本の題名を逆説的にもじって、何事も先送りして考えない練習を積んでいる今の日本への、警世的な一句である。「春泥」は、そんな泥沼のような世相への批判となっている。

私を改行している日永かな 白石司子
AIに恋文書かせかげろえる 長谷川順子

 デジタル時代ならではの表現方法を使った作品。
 アナログ時代の文章なら、「私を改行」は、とても通じなかったに違いない。春の日永の一日。ふと、気分を変えて別の事に取り組もうとする。それを一日の時の流れの中での「改行」と捉えた。改行して新たなワードフレーズが始まるように、時の流れが変わる。パソコン上で、一日の日記を下書きするかのよう。
 「AIに恋文書かせる」は、確かに沢山の恋文を検索させて気の利いた一文を選べば、手軽に量産できよう。だがそれで、心情が本当に伝わるのだろうか。貰った相手も逆検索できるわけだ(陰に声あり「そうかあの手で来たか」)。下五の「かげろえる」は、その恋の行方を暗示しているようだ。

ゆうがおは電話いきなり切られた顔 宮崎斗士
みみたぶのように金魚と雨の午後 望月士郎

 海原の新感覚派の句。「ゆうがお」が、「電話いきなり切られた顔」とは、いわれてみてあっと驚く。夕暮れに花開き、翌朝にはしぼんでしまう夕顔。電話を一方的にいきなり切られてしまったショックは、しばらくは収まるまい。それは朝のゆうがおの表情。切られたのは電話だが、その表情には傷跡が残っている。
 みみたぶの句。大きな出目金が、みみたぶのような尾鰭をひらめかせて泳いでいる。ちょうど雨の午後、家の中は皆出払っていて、金魚がひとり留守番然と控えている。よくある景ながら、その空間に澱む倦怠感アンニュイがなんともやり切れない。金魚としては知ったことではなく、雨の午後の中に、ひっそりと浮かんでいるばかり。

青葉騒石の光と陽の光 田中亜美
ともだちは五月の風でまるい石 たけなか華那

 石を素材にして夏の季節感を詠む、異色の知的感性。
 田中句には、光の射影構造がある。今現に与えられている光の、青葉の一群を照らし出す仕組み。それは「石の光」と「陽の光」として捉えられた。「陽の光」は自然の陽光。「石の光」はその自然光を受けた反射光。それによって、「青葉騒」は青葉の渦となった。
 たけなか句。この「ともだち」は、おそらく幼馴染の同性の友だろう。「ともだち」の平仮名表記がそのことを暗示する。久しぶりに出会った印象だ。「五月の風」の爽やかさと、「まるい石」の懐かしさ。石蹴りをしたり、川の水切りをした「まるい石」が、二人の絆のように思い返される。「ともだちは」は、「おっ、ともだち」の感じ。

あやとりの人差し指にある徂春 ナカムラ薫
 ハワイ在住の作者だが、時々珍しい季語でチャレンジしてくる。「徂春」は、「行く春」のこと。歳時記によると、行く春は、過ぎ去る春をめぐり流れる時間として捉えるもので「春の暮」の過ぎ去る時を空間的に捉える季語や、「春惜しむ」の人の心を捉える季語とは風合いが異なるという。「あやとりの人差し指にある」という風情は、異国から指し示す郷愁を孕んでいるともいえよう。その郷愁は、「あやとり」によって幼き日へ帰っていく。

風が木になる木が風になる大手毬 平田薫
 花つきのいい大手毬が風にゆれている様は、盛り上がるような美しさに揺れる。その揺れざまを、「風が木になる木が風になる」と繰り返す。その繰り返しは擬人化をともなうようで、どこかなまめかしい。

◆海原秀句鑑賞 白石司子

銀河に深く影を沈めて夜の新樹 伊藤巌
 音感を伝える音節からすれば七・七・五、意味を伝える文節からすれば十四・五の破調であるが、兜太師の言われる「音節と文節がどこかに軋みを残しつつも、それがかえって魅力となっている」句。例えば、「夜の新樹銀河に深く影沈め」と倒置法を活用すれば定型に落ち着くが、上五に遡行するため「銀河に深く影を沈め」は「夜の新樹」の説明っぽくなってしまう。「沈めて」と「て」で軽く切ることで間が生まれ、深く影を沈めているのは夜の新樹のみでなく他にも、と想像が広がってくる。

さなぎより出でてはつなつの風になる 伊藤幸
 幼虫から成虫に移る途中の休眠状態の「さなぎ」が地上に出て風になるという、実から虚へと想像力を羽ばたかせた句であるが、静から動、暗から明への解放感がまさに清々しい「はつなつの風」なのである。また、意図的な「となる」ではなく、自然推移的な変化の結果を示す「になる」としたことで、目に見えぬ風と一体化した姿もうかがえる。それは作者の願望なのかもしれない。

鴎かもめみんなが春の言葉です 大沢輝一
 呼びかけのような「鴎かもめ」のリフレインが、海原を自由に飛翔する姿を印象づける役割を果たし、中七・下五へと続くことで、鴎に触発された作者が、人間も物もまわりにあるもの全てをやさしい春の言葉として受け止めていることが伝わってくる。「みんな」「です」の口語調も一句を明るいものとさせている。

夏蝶が来たので少し休みます 川嶋安起夫
 原因・理由を示す接続助詞「ので」であるが、説明的にさせていないのは季語「夏蝶」の斡旋にある。気力や体力を養うための休みはもちろん必要だけれども、そうはいかない場合もある。でも、大型で美しくインパクトのある夏蝶がやって来たので、少しくらいなら許されるかなと思わせるような句だ。

あと何回会えるのだろうカーネーション 日下若名
 導入部「あと何回」が、作者との関わり合いを想像させ、最後にカーネーションにたどりつくので、その会いたい人は母と考えていいだろうか。上六であるが、「何度」ではなく、「何回」としたことで、今後も規則的に継続、反復することが予測されるのである。会える時間を大切にして欲しいと思う。

果てしなく夕日が遊ぶキャベツ畑 こしのゆみこ
 上五「果てしなく」が、時間的、空間的な広がりをまずイメージさせる。そんな広大なキャベツ畑の中を夕日がゆったりと遊んでいるような景が見えてくるのであるが、日常から離れ、解放感に浸っているのは作者自身なのかもしれない。

さえずりや回想という乗り物ゆれ 芹沢愛子
 「回想」を「乗り物」と言い換えたのがこの句のすばらしさである。明るくなごやかなはずの囀りの声に触発されて作者は過去を回想し、時空を超えて行き来する乗り物のようだと感じたのである。「ゆれ」は作者の心象と考えたい。

人間を忘れた者ら野火を追う 立川由紀
花吹雪なべて戦場埋め尽くせ 野﨑憲子

 害虫を駆除するための「野火」を「戦火」となぞらえ「人間を忘れた者ら」が追うとし、眼前を舞う花吹雪に対し「なべて戦場埋め尽くせ」と命令調で叫ぶ、それは兜太師の言われる「自分を社会的関連のなかで考え、解決しよう」とする「態度」であって、「社会性は俳句性と少しもぶつからない」のである。

雲雀の巣窮屈な靴脱ぎ捨てる 鳥山由貴子
 地表に巣をつくり、飛び立つときは鳴きながら真っ直ぐに空に舞い上がる雲雀、いや、作者、あるいは誰かの巣立ちと考えていいだろうか。地上を歩くには必要であるが、ときには窮屈でもある靴。そんなもの全てを脱ぎ捨てて自由な大空へ!

ひばり灯って天地の回路つながったね 中村晋
 「ひばり灯って」という明るい切り口であるが、一句全体からは大切な人との別れなど重いものを想像させる。「天地の回路つながっ」て充足感が得られただろうか。

茅花流し軸なき僕らのおしゃべり 日高玲
 高校生と接する機会も多く「軸なき僕らのおしゃべり」に共感。個で行動することもできず楽しそうに群れているが、何かトラブルがあると「軸なき」なのだ。それが茅花の花穂を吹き渡る熱を孕む南風「茅花流し」と合う。

白花黄花津軽豊かな胸である 藤野武
 兜太師の「人体冷えて東北白い花盛り」を思わせるが、物理的ともいえる師の句に対し、どちらかといえば心理的。「白花黄花」が一句を印象明瞭なものとさせ、「豊かな胸である」の断定が津軽の包容力を感じさせる。

◆金子兜太 私の一句

曼珠沙華どれも腹出し秩父の子 兜太

 この句から希望と元気をもらっている。曼珠沙華の真っ赤な色と秩父の大地を駆け回る腹出し子らの逞しい生命力。激動の昭和、子供達の未来に師の温かい眼差しが注がれている。あるがままの運命を背負い「戦よあるな」と師の怒髪が天を衝く。禅僧のようにゆったりと茶を全身に沁みわたらせ、眼鏡の奥の細い目から童心をちらり、ユーモアたっぷりの兜太節、そこにはよく生きた証の顔がある。句集『少年』(昭和30年)より。樽谷宗寬

わが世のあと百の月照る憂世かな 兜太

 「花唱風弦かしょうふうげん 俳句をうたう」この兜太句を作曲して、歌った衝撃は忘れられない。それまでも自作の句をメゾソプラノの私が歌い、作曲家でギタリストと演奏をかさねていた。が、兜太俳句の凄まじい、その言葉の腕力﹅﹅﹅﹅﹅は、歌い手の心身に膨大なエネルギーを迫る、と体感。「百の月はだな、三日月や満月、月の形のいろいろだ」と兜太先生。上野奏楽堂で聴いていただけたのもうれしい。『金子兜太全句集』収録の未刊句集『狡童』より(サブタイトルは「詩経国風によせて」)。山本掌

◆共鳴20句〈6月合併号同人作品より〉
〇印は2選者の共選句 ◎印は3選者の共選句

木下ようこ 選
熱下がるまではこべらを摘みにけり 石川和子
雨音や撫でてから切る韮の束 伊藤歩
大枯野ヒトは部品を取り替える 大沢輝一
煮凝りって妙な震え独裁者 大髙宏允
○還らざるものらへ流木立てておく 大西健司
中途からずるい音する冬林檎 小野裕三
桜蘂降るしっかり残る和紙の皺 北上正枝
春菊に花愛妻が夢に立つ 瀧春樹
あっほらいまたんぽぽの絮彼女だろ 竹本仰
五、六人雀隠れのお弔い 遠山郁好
○夕焼けのような花束のような約束 中内亮玄
ヒールを這い上る絨緞の記憶 日高玲
柚子の黄いろが内がわにいっぱい 平田薫
兜太忌やみかんの種から芽が出てきた 藤野武
○白菜の一枚一枚にふむふむ 堀真知子
恋はいいから春をください普通の春 松本千花
流氷や置いてきたものみな光る 松本勇二
文机はわたしの港ヒヤシンス 宮崎斗士
胸びれに尾ひれのふれて春の宵 望月士郎
まだ知らない筋肉もありお雛さま 茂里美絵

十河宣洋 選
山国の父の座標の切株です 有村王志
黙祷のどこを断ちても白さざんか 伊藤道郎
○ステージ4妻の言葉はシクラメン 稲葉千尋
春愁い消される「ゲン」の記憶かな 川崎益太郎
雪の樅集中力として幹は 北村美都子
看りて帰り雪のひとひらは私 黒岡洋子
雪解けやアイヌ史語る女子高生 黒済泰子
黒板は緑イタチがいなくなったから 佐々木宏
春はやて武士の顔した犬がゆく 佐藤詠子
空飛ぶ車「おーいおーい」とつくしん坊 鈴木千鶴子
子猫抱きわたしふわっと浮く感じ 高橋明江
○夕焼けのような花束のような約束 中内亮玄
菜の花やむくむく御洒落始める気 中野佑海
水になれただ早春の水になれ 野﨑憲子
たらの芽を落とすブーメランのような枝 疋田恵美子
条件反射的反論寒いなぁ 松本千花 
わたくしの瞳に棲んでる犬ふぐり 三浦二三子
早蕨がグーを出すからパーを出す 望月士郎
大根干す北斗七星の右隣 森岡佳子
日捲り晦日あっあっあっあああ 森田高司

滝澤泰斗 選
ブチャは雪焦げた戦車と痩せた犬 綾田節子
二月二十日檄文のような星屑 石川青狼
その昔戦犯と言われし父のさくら咲く 泉尚子
梅咲けばそこに師が居る兜太の忌 伊藤巌
中村哲てつさんは野の白梅の白だった 伊藤道郎
○ステージ4妻の言葉はシクラメン 稲葉千尋
菜の花忌きな臭くなる日本海 上野昭子
水を引く朝の光を鴨は引く 内野修
春耕や地球に爪立て揺り起こす 漆原義典
○還らざるものらへ流木立てておく 大西健司
今すでに「戦前」なりしか多喜二の忌 岡崎万寿
皮手袋情死のように重ねられ 桂凜火
梅咲けり憤怒のように火のように 佐孝石画
異次元の少子対策山笑う 佐藤二千六
白ナイル青ナイル春光老身を射ぬく すずき穂波
大腿骨ごつんごつんと雪を割る 十河宣洋
ちちははを天に並べて梅真白 月野ぽぽな
山笑う埋めては掘って埋める除染 中村晋
二番手を誇る北岳雪の晴 梨本洋子
野は冬の水照りウクライナ耐えてあり 野田信章

三浦静佳 選
夜遊びを胎教と言う朧かな 石川和子
ふるさとの山に横顔ある遅日 伊藤歩
能代は雪降らず吹雪かずぶっかける 植田郁一
実朝忌石段ふいにこわくなる 尾形ゆきお
大江氏逝く隣りで妻は寝ています 今野修三
日脚伸ぶ帰り道です寄り道です 佐藤博己
耕して湯船ひつぎと思ひけり 髙井元一
雪降るや故郷の時刻表をもつ 高木水志
愛嬌とは服の皺々と春の風 董振華
老人と春風溜まるイートイン 根本菜穂子
顔認証して湯豆腐に口を焼く 日高玲
○白菜の一枚一枚にふむふむ 堀真知子
刺の無きこともさみしき薔薇の束 前田典子
梟の鳴く夜暗号を読み解く 前田恵
春の昼掃除ロボット座礁中 嶺岸さとし
大根干す同級生の曲る腰 森鈴
仁王像その臍あたり冬ざるる 梁瀬道子
つぎはぎの土器らささやくやうな東風 山谷草庵
葬後の明るい家具と亡き母の食器 夜基津吐虫
日脚伸ぶ新製品の耳搔き器 渡辺厳太郎

◆三句鑑賞

熱下がるまではこべらを摘みにけり 石川和子
 幼い頃、小鳥の擂り餌用に、祖母とはこべを摘んだ。昨今、人は発熱に敏感となり自分の身体と気持ちをゆらゆら見つめ不安をつのらせる。けれどどんな時であっても作者ははこべらを摘めばきちんと本来の自分に戻れるのだ。大丈夫、はこべらを摘めば。その安心感。はこべらという植物のゆかしさが句に奥行きを与えている。
 
ヒールを這い上る絨緞の記憶 日高玲
 その絨緞はオペラの演奏会場のそれのようだったのか、それとも倒れた椅子や結束バンド(!)が散らばる薄い擦り切れた絨緞だったのか。ともあれ、その時ハイヒールをはいていたのだ。這い上る、という言葉が素晴らしい。美しいふくらはぎを感じさせる。その記憶は永く永く女性の人生を楽しませ、苦しませ、強く生きさせる。

胸びれに尾ひれのふれて春の宵 望月士郎
 むっちりとした春の宵。豊かな尾びれが胸びれに触れる。何となまめかしいその曲線。と楽しみつつも、え、尾ひれ? 尾ひれってつきがちですよね、この頃。ポーッとしていれば自分の大切な胸びれに無断で尾ひれが触れちゃったりもする今の時代だけど、それでも変わらずに美しく、哀しい大人の春の宵であるなぁ、とか大妄想。惹かれます。
(鑑賞・木下ようこ)

山国の父の座標の切株です 有村王志
 切株がいくつもある光景。造材の現場の風景である。切株を見ながら父が育てた樹木を思っている。その切株から父の顔や背中が見える。
 父は頑固な山の人だった。木を愛し木を育て、木と過ごした人である。切株の座標は原点でもあった。

夕焼けのような花束のような約束 中内亮玄
 心に沁みる夕焼けである。一生忘れたくない、そんな印象を持つ夕焼け。花束を幾つも貰ったような夕焼けが自分とあたりを包んでいる。そんな気持ちのような約束。
 どんな約束と聞くだけ野暮。大切な自分の行く末を決める大切な約束である。大きな約束がでんと胸に響いてきた。そんな印象を受けた。

菜の花やむくむく御洒落始める気 中野佑海
 御洒落始める気がいい。この「気」が菜の花と作者に掛かって気持ちよく読める。
 春である。菜の花が咲き始めている。いちめん黄色の染まる気配。まさにむくむくである。それを見ている自分もむくむくと湧いて来たのである。御洒落をして出かけたい。出かけなくてもいい。御洒落して皆を驚かそうという悪戯心が楽しい。
(鑑賞・十河宣洋)

今すでに「戦前」なりしか多喜二の忌 岡崎万寿
 昨年末のテレビ番組「徹子の部屋」のゲストだったタモリ氏が語っていた……2023年は『新しい「戦前」がくるんじゃないか』と思う……を踏まえてかどうかともかく、作者同様「戦前」の雲行きを疑わない。時事俳句は詩情から離れるが、こういう句は貴重だと思う。

山笑う埋めては掘って埋める除染 中村晋
 東北新幹線、あるいは、東北道を北上して福島に入ると、黒っぽいフレコンバックが所狭しと並ぶ光景が目に入る。前の句同様に、国は、行政は何をやっているのか。原発の安全性が担保していないのに、新たな原発再稼働を決める政府を山も笑っている。

二番手を誇る北岳雪の晴 梨本洋子
 山好きにとって霧ヶ峰高原から見る360度の大パノラマ程わくわくする場所はない。特に、そこから見る富士山から手前の北岳、甲斐駒の南アルプスラインは見飽きることがない。小説「マークスの山」と共に永遠なれ。信州出身の一人としてこの句の出会いに感謝します。
(鑑賞・滝澤泰斗)

夜遊びを胎教と言う朧かな 石川和子
 友人に誘われて夕食に出たり、お仲間でカラオケだったり、妊婦でも出掛けることはあるだろう。世代の違いもあって身体を案じる母に、「胎教だってば〜」と躱すあたり「心配しなくていいよ」との気持ちがちゃんと伝わっているのだ。季語が母の気持ちをよく表している。筆者、妊婦だった頃を思い出してしまった。

白菜の一枚一枚にふむふむ 堀真知子
 ふむふむに惹かれた。四分の一とか半分とかにカットされてない一個の白菜を剥いでいる作者。白菜の葉は美しいし観察している姿が想像できて愉しい。また、ふむふむは調理の具材ともとれる。読み手が自在に想像できて優しく柔らかな句になっている。

仁王像その臍あたり冬ざるる 梁瀬道子
 山門の両脇にしかめっ面をして歓迎してくれる仁王様。夏は風通しよくて涼しげなのだが、冬は気の毒だ。仁王像全体が冬ざれているのだろうが、臍あたりと焦点化している上手さ。もしかして作者の心を反映していないだろうか。彼岸でもお盆でもない冬ざれの時期に山門をくぐる。大切な人との訣れが作者に冬ざれの感を強く抱かせたのかも知れない、などと読みを広げてしまう。
(鑑賞・三浦静佳)

◆海原集〈好作三十句〉武田伸一・抄出

また君が踏んでしまいぬ落椿 あずお玲子
花筵をみなのあうら酔ふてをり 有馬育代
辛くともくゆる夜の日本酒おぼろ 飯塚真弓
骨董市でピエロに会釈され青葉 石鎚優
魚捌く手の匂い嗅ぐ春うらら 井手ひとみ
遅き日や悲憤の切れ目どこにも無い 伊藤治美
大杉の影を透かして植田かな 扇谷千恵子
マスクとれば口といふもの喋り出す 岡村伃志子
蟬待たな栴檀緑深めたる 押勇次
艶話芥川にも有る夏野 かさいともこ
椎の花裏参道は畑の中 古賀侑子
狐面はずせば狐宵宮かな 小林育子
草笛を吹き鳴らしつつ逝くもよし 佐竹佐介
惜春の坩堝人間に死はありや 清水滋生
わたくしの内なる異国ほうほたる 宙のふう
「父の日」の父に賜る海苔弁当 立川真理
春驟雨過ぎ我が道の天に向く 藤玲人
薔薇愛でるために使わぬ指のあり 福岡日向子
悪玉は伝説となり立版古 福田博之
春宵の画家の来し方風の径 藤井久代
山繭の糸つむぐ安曇野日和 増田天志
あのベンチが見えるここに勿忘草 松﨑あきら
新涼や空と身体の境なし 村上舞香
花茨猫の嫉妬は本に尿 横田和子
蔓草の赤黒きさね淀に浮き 吉田貢(吉は土に口)
新緑に肌色明るく親族集合 吉田もろび
パンドラの胸に不死身の蛇タトゥー 路志田美子
薫風を高僧の列木霊すだまの讃 渡邉照香
ずぶ濡れの森ずぶぬれの足桜桃忌 渡辺のり子
柿若葉ひかりと影がくすくすと わだようこ

『海原』No.50(2023/7/1発行)

◆No.50 目次

◆海原秀句 同人各集より

安西篤●抄出

柿の木に梯子の架かったまま空き家 有村王志
舐めてみたよ春耕あとの黒き土 伊藤幸
鉄線花背凭れのない椅子の暮し 井上俊子
ムツゴロウ少し居眠りしたそうだ 大髙宏允
樹木葬の亡妻つまにひとこと花粉症 岡崎万寿
水底に遺棄の自転車花筏 尾形ゆきお
花筏歪みガラスに舞妓笑む 荻谷修
椿落つ口を噤んでいた者へ 片岡秀樹
さえずりの聞き倣し祖父の車椅子 狩野康子
文末は笑顔の絵文字春うらら 川嶋安起夫
春竜胆ひとりひとりが気流かな 川田由美子
三月の光まみれの不在感 黒岡洋子
春日傘閉じ落丁のよう真昼 三枝みずほ
放浪を終えて野菜のみずみずし 佐々木昇一
洗濯を取り込むように春終わる 佐藤詠子
マスクとり言葉をえらぶ日永かな 鈴木栄司
夕富士の天衣素なりし花祭 高木一惠
つるばみの花美し遠く縄文期 鳥山由貴子
柚子ほどの夜神楽明かり上流に 野田信章
天も地も菜の花盛り野辺送り 疋田恵美子
花の雨忘れぬための探し物 平田恒子
かたばみの花のまばたき三姉妹 本田ひとみ
月おぼろだんだん木綿豆腐かな 増田暁子
微熱もすこし春愁ってくすぐったい 三世川浩司
兜太先生春が大きな椅子になる 宮崎斗士
パレットに油彩のもがき養花天 三好つや子
秩父銘仙母に春の手紙を書こう 室田洋子
人ひとひら桜ひとひら小さな駅 望月士郎
ずっぽりと昭和を生きて陽炎える 森由美子
九十歳天道虫の一光線 横山隆

白石司子●抄出

再会は春の濃霧の抱擁なり 石川青狼
著莪一面不安分子の潜む星 奥山和子
青き踏む足裏より青き環流 川崎千鶴子
紙のひかり初うぐいすが捲ります 川田由美子
産声のようにバラの芽ふと加齢 金並れい子
三月の光まみれの不在感 黒岡洋子
水菜洗ふ水汚さるるものとして 小西瞬夏
言葉のように灯る紫陽花カフェテラス 小林まさる
防衛論湿気るし蠅生れるし すずき穂波
師へ抛る桜白鷺わが川音 高木一惠
塩・兵士・凍土・泥濘春逝けり 田中亜美
獅子頭重ねる花弁の平和積むごと 谷口道子
春暁の浅き眠りを野といえり 遠山郁好
さくら狩だんだん父母の透けてゆく 永田タヱ子
前線と呼ぶな桜は母だろう 仁田脇一石
マスク外してみんな木の芽になっている 丹生千賀
春どかと来て去る秩父師の墓前 野田信章
野焼きから人は黒衣のように出る 長谷川阿以
龍一逝く全春星を聴き取りたし 北條貢司
かたばみの花のまばたき三姉妹 本田ひとみ
木の芽張る山はひたすら水を生み 前田典子
春月のぐらり脚から眠くなる 三浦静佳
微熱もすこし春愁ってくすぐったい 三世川浩司
春の霧晴れて武甲山ぶこうはきれいな返事 室田洋子
こめかみに残り火めいて蜃気楼 茂里美絵
忘れ物して遅刻して桜 山下一夫
桜月夜ぞわりと地球傾いた 山本掌
花の夜のビル一面の室外機 山本まさゆき
自己愛のうっすら点る朧の夜 横地かをる
死んだことないから平気チューリップ 横山隆

◆海原秀句鑑賞 安西篤

柿の木に梯子の架かったまま空き家 有村王志
 地方の過疎化の実態を、リアルな風景として提示しながら、その現実を沈黙の抗議の形で指し示している。つい昨日まで、柿の木に登って実をとっていたのに、今日はその仕掛かり状態のまま、空き家になっていた。かつては「逃散」といわれたような突然の変貌にもなりかねない危機感である。作者はその一つの兆しを直視して、地域消滅への警鐘としたのではないか。同時発表の作に、「限界村落殺意のはしる薄氷田」がある。この問題意識の延長上に、掲句があると見てよかろう。

樹木葬の亡妻つまにひとこと花粉症 岡崎万寿
 二〇〇七年に最愛の奥様を亡くされた作者は、ほとんど毎年のように妻を偲ぶ句を作っておられ、哀悼の思いは年とともに深まるばかりのようだ。奥様は樹木葬にされたらしく、すでに十五年の歳月を経ているが、墓碑が樹木だけに身近に手入れをされ、生きている対象として日々呼びかけられている。花粉の飛び交う時期には、ひとこと花粉症で迷惑しているよと小言を言ったりする。それをしも亡妻との生々しい命の交感として、今なお心の中に生き続けているのではないだろうか。

春竜胆ひとりひとりが気流かな 川田由美子
 竜胆は多年草で、晩秋に花が咲く。掲句は「春竜胆」だから、まだ芽吹いたばかりの草花なのだろう。「ひとりひとり」は、竜胆を擬人化したものとも、あるいは竜胆の草原を人々が三々五々歩いている景とも読める。句の味わいとしては、その双方を重層的に読み込んでいると見てもよいだろう。「気流」はその二つの命の混然とした意識の流れのようにも見える。川田さんの句には、時々こんな直感的な映像が立ち上がってくる。

三月の光まみれの不在感 黒岡洋子
 具体的な景は見えず、ただ三月の陽射しの光を浴びて立っている。身体は空間との相互作用によって動かされ、そのことによって精神のはたらきが生まれる。それは内と外を区別する感応なのだが、今の作者は、光まみれになることで区別の意識が働かず、自分自身外界の光の中に溶け込んでいる。それゆえに自身の存在を意識し得ないような、光まみれの交感に身を委ねているのだろう。

マスクとり言葉をえらぶ日永かな 鈴木栄司
 長いコロナ禍からようやく解放の兆しが見えてきたので、久しぶりにマスクをとって話をしようとする。マスク無しに話をするのも久しぶりのせいか、なにやら改まった場に引き出されたような感じで、ついつい言葉を選びながら発言してしまう。折しも時は春の日永。身辺の物の動きからも、日永の暮らしに入ったことを、自分自身にも言い聞かせながら、言葉を選んでいるのだろう。

柚子ほどの夜神楽明かり上流に 野田信章
 昨年十二月二十八日に、七十四歳で亡くなられた宇田蓋男氏追悼の五句のうちの一句。宇田氏在住の宮崎県延岡では、毎晩のように夜神楽が演じられている。作者は宇田氏とともにその高千穂神楽を見に行ったのだろう。その時の体験から、柚子ほどの夜神楽明かりを川の上流に目指しながら歩いた思い出を句にした。「柚子ほど」という喩が、ほのぼのとした宇田氏の印象と重なって、夜神楽の明かりに映えていると見たのだ。

花の雨忘れぬための探し物 平田恒子
 花の雨は、桜の花に降る雨で、花の風情を深めるとも言われている。一方、年とともに物忘れは多くなり、日がな一日物探しに費やすことが増えてくる。そんな時、探し物になりそうな大切なものをあらかじめ確かめておく。それは「起き伏しの不確かな日々風信子」への備えとしておくことにもつながる。作者は日々のよろこびを味わい尽くすために、先々忘れぬための大切な物を花の雨降る日にも探しておこうとしている。

兜太先生春が大きな椅子になる 宮崎斗士
 今年三月、秩父で行われた兜太祭での一句かもしれない。先生が亡くなられて五年になるが、今も秩父へ行けば、あの山河に先生が臨在する息吹を感じるに違いない。やがて春になり、山河には金縷梅や山茱萸の花が咲く。春は先生に大きな椅子を用意してくれているようにも見えてくるという。そういわれれば、たしかに先生の魂は、秩父の山河に満ち満ちて、その大きな胡坐の中に、私たちをすっぽりと包んで下さっているような気がしてくる。兜太先生を偲ぶに相応しい大きな句だ。

九十歳天道虫の一光線 横山隆
 九十歳は、卒寿である。その年に達しての感慨の一句であろう。「天道虫の一光線」とは、その生涯を振り返って過ぎ越し方を一望しているのではないか。「天道虫」は自分自身のこと。はるけくも来つるものかなとは思っても、本人にしてみればいつの間にやらやって来ましたということではないか。先のことは「死んだことないから平気チューリップ」というから、まったく気にもしていない。人生百年時代を楽しみながら生きている人。

◆海原秀句鑑賞 白石司子

再会は春の濃霧の抱擁なり 石川青狼
 春といえば出会いと別れの時節であるが、この句の「再開」をそんなありきたりなものとさせていないのは、季語「春の濃霧の」の斡旋にあると思う。春の夜のぼうっとした朧ではなく、奥行があり何となく冷たい感じの「霧」、しかも「濃霧」であるから、その再開はもう会うことの叶わぬ人、つまり、いまは亡き父か母と考えていいだろうか。言葉を必要としない「抱擁」は作者の内部の現実、超現実であったのかもしれない。

著莪一面不安分子の潜む星 奥山和子
 一日で枯れてしまうが、新しい花を次々と咲かせる一面の著莪の花。「胡蝶花」の別名通り胡蝶の舞うような美しい眼前の景から中七・下五への飛躍は兜太師の言われる「創る自分」の想像力によるもので、種を作らないにもかかわらず根茎を伸ばして広がる「著莪」から、「不安分子」の潜む星、地球を連想したのである。

青き踏む足裏より青き環流 川崎千鶴子
 「青き踏む」、「青き環流」の「青」のリフレインが青色の持つ爽快感、解放感、安息などを強く印象づけているが、地球全体にわたるような大気や海流の循環を意味する「環流」をもってきたところがこの句の眼目である。青々と萌え出た草を踏むことでそのパワーは作者の足裏より全身へ、いや、地球規模の大きな流れへとイメージを広げていけば、まだまだ大丈夫!というような元気が湧いてくる。

三月の光まみれの不在感 黒岡洋子
 終わりと始まりの時期である「三月」の中でふと作者は「不在感」を抱いたのだと思うが、中七「光まみれの」をどのように解釈すればいいだろう。希望、栄誉、美などの象徴でありながらも「影」を連想させる「光」、また、「汚いと感じられる物が一面にくっついている状態」を表す「まみれ」から考えれば、明と暗が表裏一体である、永遠ではないものに対する作者の空虚感みたいなものを一句全体から味わえばいいだろうか。

水菜洗ふ水汚さるるものとして 小西瞬夏
 洗うという行為からすれば清めるものとしての「水」であるが、洗われる方からすれば「汚さるるものとして」の「水」であり、単なる発想の転換のようであるけれども、透明感のある「水」、「水」の繰り返しがその汚れを余計に際立たせ、もしかしたら此の世にあるもの全てが汚されるために存在しているのかもしれないと思わせるような句だ。また「水汚さるるものとして水菜洗う」ではなく、「水菜洗う水汚さるるものとして」の倒置法の活用が説明的でなく詩的な表現にさせている。

言葉のように灯る紫陽花カフェテラス 小林まさる
 梅雨を代表する花で何となく淋しげな雰囲気の漂う紫陽花であるが、そんな月並な表現ではなく「言葉のように灯る」としたところがこの句の発見、また、開放的なカフェテラスという場の設定も斬新。時として刃ともなる言葉であるが、我々を優しく照らしてくれるようなものもたくさんある。

防衛論湿気るし蠅生れるし すずき穂波
 この句から社会性は「俳句性を抹殺するかたちでは行なわれ得ない。即物﹅﹅は重大なテーマである」という兜太師の言葉を思った。ロシアのウクライナ侵攻により浮上してきた社会的事象「防衛論」を「湿気る」と捉え、不快な虫の代表ともいえる「蠅」を即物的に「生れる」とし、そのふたつの事柄を助詞「し」で並列することで作者の「社会的な姿勢」が窺われるのである。また「し」の脚韻も効果的で強調効果のみでなく他を予想させる。

春暁の浅き眠りを野といえり 遠山郁好
 「春暁の浅き眠り」は「春眠暁を覚えず」、「春はあけぼの」に通じる春の朝の心地よさを想像させるが「野といえり」の場面の転換が野趣的で広くのびやかな感じを抱かせる。また「という」ではなく「といえり」の完了存続の助動詞「り」がそういえば春の明け方の浅い眠りを「野」と言っていたなと我々を妙に納得させてしまう。

前線と呼ぶな桜は母だろう 仁田脇一石
 「前線」といえば美しい桜の開花を待ち望む人達は「桜前線」を先ず想像するかもしれない。しかし作者は戦闘の第一線を思ったのである。また、「桜は母だろう!前線と呼ぶな」と倒置法を活用した句だと考えれば、「母から生まれた者たちがお互いに闘い合ってどうするのだ」という悲痛な叫びさえもこの句から聞こえてくるのである。

死んだことないから平気チューリップ 横山隆
 年齢と共にまわりの人がいなくなり淋しくなるが、確かに我々は「死んだことない」のである。しかし素直に「平気」とはなかなか言えない。この作品の次に「九十歳天道虫の一光線」があり、俳句と共にある人生も悪くないなと思う。色とりどりの明るいチューリップとの取り合せも効果的だ。

◆金子兜太 私の一句

無神の旅あかつき岬をマツチで燃し 兜太

 団塊世代の学生運動の、何にでも「ナンセンス ナンセンス」連呼の中で、兜太俳句との出会いは目から鱗とはまさに言い得た感動で、それは当時出していた個人誌を「無神」と改題。先生に認知頂いたくらいである。その五○号では、巻頭に先生から「ムシン応援歌」を、活字ではなく推敲の跡のあるままの、率意の書を戴いている。句集『蜿蜿』(昭和43年)より。市原正直

粉屋がく山を駈けおりてきた俺に 兜太

 ”皇太子妃に民間の女性”その父上の煩悶。この句は戦後の一大ニュースに想を得られたのか御尋ねすると、師は煙に巻いて仕舞われるのでしたが……。男性が慟哭するほどの事態、それを受けとめる俺、俺の胸は疼く、内なる痛みを伴って。五七五にピタリと嵌った言葉は読み手の想像力をかきたてる余裕を持ち、大胆な作品だと感嘆いたします。指針としたい一句です。句集『金子兜太句集』(昭和36年)より。東海林光代

◆共鳴20句〈5月合併号同人作品より〉
〇印は2選者の共選句 ◎印は3選者の共選句

稲葉千尋 選
人間ヒトに生まれ人間ヒトの途中屠蘇を酌む 伊藤幸
柩車停め霧の琵琶湖を見せている 植田郁一
まっさらのままでもいいね初暦 江良修
柚子ふたつ近づくこれも晩年か 大髙洋子
繰り返す昭和の戦前雑煮食う 岡崎万寿
灯台の冬月トウシューズの鈍色 川田由美子
減量のボクサーみたい臘梅かぐ 木下ようこ
No・warジャーッと鍋にゴーヤーチャンプルー 黒岡洋子
○かかはるとめんだうになる暖炉のやう すずき穂波
初日記月との出会いいつもシャイ 遠山郁好
ウクライナフクシマ雪を積む切株 中村晋
黒手袋はめて原爆資料館 長尾向季
焼き芋が卓上にある齢かな 疋田恵美子
初しぐれピアノを棄てた森の奥 日高玲
でも先生僕は落葉をつかまえる 平田薫
外交の握手墓碑の群は凍り 前田典子
一葉忌いちばんいい顔が泣き顔 宮崎斗士
日捲りの最後の一枚レクイエム 森田高司
黄を宿すマザーテレサの冬薔薇 森武晴美
美辞麗句きっぱりやめて寝正月 渡辺厳太郎

大髙宏允 選
そのほかをたいせつにして雪つもる こしのゆみこ
雪霙十七音の鐘を打て (スズタリ・修道院) 小松よしはる
声だれにとどくのですか雪虫 三枝みずほ
父と雪山いつも何気なく座る 佐々木宏
乱読の如き夜景や東京冬 篠田悦子
○白わびすけぽっと点りて少年性 芹沢愛子
たましひのえにしの雑煮一家族 ダークシー美紀
梟の眼の全景未来の吾 立川由紀
存在のないようで在る冬青空 田中裕子
枯野ゆく風の呪文を聴きながら 月野ぽぽな
愚かさの濃度を加え今年酒 董振華
懐しはかなしいに似て兎に 遠山郁好
○夜爪切るとき寒鯉のくらき淵 鳥山由貴子
抱き損ねた形に桜寒々し 中内亮玄
火の鳥やおかしな谷間から狼 野﨑憲子
イエスの心よりきよらかか大氷柱 マブソン青眼
充分に大根じゅうぶんに巨塔 茂里美絵
○昏睡をチューブにつなぎ霜のこゑ 柳生正名
履歴書を枯野明りに書いている 山下一夫
吾が死後は宇宙の深山に遊ぶべし 夜基津吐虫

野口思づゑ 選
素因数分解とは鮟鱇吊られけり 綾田節子
七分は待てないナマコがきてしまう 泉陽太郎
室咲きや粛粛と夫婦を努める 井上俊子
「のろのろ元気」九十歳の年賀状 大西宣子
黙食やわざとぶりこを鳴らす父 加藤昭子
サクマドロップ白きミントの氷点下 佐藤千枝子
水澄むや楷書のごとしわが生活くらし 佐藤稚鬼
着ぶくれて今日何も彼も大雑把 篠田悦子
海光をはるかに大根漬けにけり 菅原春み
○かかはるとめんだうになる暖炉のやう すずき穂波
いま書ける言葉を探し新小豆 菫振華
笹鳴きや母ゆっくりと回れ右 根本菜穂子
弾を抜いた言葉でおおでまりと言えり 北條貢司
綿虫に好かれるタイプ心配性 松本千花
戸籍謄本われにはあらず鰯雲 マブソン青眼
一瞬にして遺品よ母の羽根布団 三浦静佳
1月は影がかしこいこの部屋でさえ 三世川浩司
芋虫のそれは淋しい太り方 三好つや子
キーウに凍月続くお笑い番組 森武晴美
亡き人に無性に腹の立つ夜長 森由美子

三好つや子 選
こがらしに顔を預けてきたところ 石川まゆみ
道行に落葉を降らす役目かな 榎本祐子
取箸が親鳥のやう薬喰 河田清峰
ゲルニカの女足の先からしばれる 笹岡素子
消えゆく機影あれは冬こだま 佐々木宏
前頭葉に居すわっている冬の霧 佐藤君子
野遊びのつゞきのようにちらし寿し 重松敬子
○白わびすけぽっと点りて少年性 芹沢愛子
裸木を編み込むように復興す 舘林史蝶
○夜爪切るとき寒鯉のくらき淵 鳥山由貴子
産土へ冬銀河渋滞してる 西美惠子
雪ばんば未生以前に別れたきり 野﨑憲子
あれは蓋男氏十二月のキリギリス 服部修一
命日の卵買ひ足す寒さかな 前田典子
ぱっかんと割れて新年髭を剃る 松本勇二
腹式呼吸ゆっくりロウバイから明ける 三世川浩司
梟に顔のない日がときどきある 茂里美絵
○昏睡をチューブにつなぎ霜のこゑ 柳生正名
レコードのB面が好き雪女 梁瀬道子
時雨るるや燃えさしの身を終電車 矢野二十四

◆三句鑑賞

柚子ふたつ近づくこれも晩年か 大髙洋子
 この句、拝見して直ぐに柚子湯が浮かんだ。そして濃厚なエロスを感じた。乳房に近づく柚子ふたつ、男には書けないこの句。中七の「近づくこれも」が晩年を否定しているようにも思える。作者を知らずに批評するのは恐いが、柚子ふたつ近づく嬉しさとも採れる。

繰り返す昭和の戦前雑煮食う 岡崎万寿
 人間て何て馬鹿なんだろうとつくづく思う。また同じ過ちを繰り返そうとしている、そしてそれを美化する人の多いこと。中七の「昭和の戦前」が作者を読者を悲しくさせることよ。季語の雑煮食う作者の現実、繰り返す戦前の現実味を肌に感じている。

灯台の冬月トウシューズの鈍色 川田由美子
 灯台と冬月、いつもよく見ている白い灯台に冬の月トウシューズとの取り合わせ、この感覚は作者の普段はバレリーナかもしれないと思ったり、またバレーを教える人かもと思ったりしている。トウシューズの鈍色は冬の月でもある。見事な感覚である。
(鑑賞・稲葉千尋)

そのほかをたいせつにして雪つもる こしのゆみこ
 壊しては建てる都会の人工物はダークトーンで、音もなく降り続ける雪の白さの美しさ、神秘さとはほど遠い。その風景こそ、人類の知恵の結晶のはずなのに。美の追究者には穢れた精神の産物に映っているのであろう。

愚かさの濃度を加え今年酒 董振華
 作者は最近、「兜太を語る」を上梓し、兜太から大きな影響を受けた十五名の方々に取材し、師と弟子たちが人間的に深い絆を持っていたかを明らかにされた。その董さんの句として味わうと、たいへん共感が湧いてくる。死の直前まで平和を訴えつづけ、生き物感覚の俳句を作り続けてきた兜太先生は、人間の愚かさを直視し、自分に接する者をとことん心を開いて対応した。作者は昨年来の世界の混乱とその愚かさを深く憂慮している。

吾が死後は宇宙の深山に遊ぶべし 夜基津吐虫
 重い病気をかかえる作者は、日々死を意識して暮らしている。死に直面したとき、人は初めて死後の世界を思いやる。フロリダ州の精神科医ブライアン・ワイス博士のトラウマの催眠治療によれば、人は何度も生まれ変わり、自分の課題を繰り返すという。宇宙の深山に遊ぶことを想う人は、既に課題をクリアーしているだろう。
(鑑賞・大髙宏允)

室咲きや粛粛と夫婦を努める 井上俊子
 大切に丹精込めて育てる室咲の花。長年生活を共にしてきた夫婦も努力無しではお互いに心地よい関係ではいられない。政治家には使用禁止用語にしたい「粛粛」の言葉が本来の意味で生きている。努めておられるのはお二人共に、というより作者の方、かもしれないが平穏な暮らしが感じられる。

戸籍謄本われにはあらず鰯雲 マブソン青眼
 日本国籍戸籍を持つある事情を抱えていた知人は「日本人以上に日本人」と言われ褒められた気がしたが、実は日本人ではないのに、の意味だったと気づいた。青い眼をお持ちの作者も、日本語や俳句など日本人以上に日本人と何度も言われたに違いない。けれど戸籍はお持ちでない。それ故どんな経験をされてきたのだろうか。

キーウに凍月続くお笑い番組 森武晴美
 報道番組でキーウの惨状を見る。心が痛み惨憺たる気持ちになる。なのにその後のお笑い番組では、さっきの侵略への怒りはケロッと忘れ、笑っている自分がいる。一年以上続くウクライナの悲劇なのに、いつしか人ごととなり、傍観者の目になっている。そんな普通の人間の良心の呵責がちくりと表現されている。
(鑑賞・野口思づゑ)

裸木を編み込むように復興す 舘林史蝶
 葉がすっかり落ち、寒々と枯れた木から、地震や台風などにずたずたにされた家、橋、道路が浮かび、心に迫ってくる。復興までの道程は長くてつらいが、死んだような裸木にいつしか芽が出て伸びるように、前を向いて歩んでいけば、きっと元通りになるはず。そんな作者の強い思いが句にあふれ、しみじみと魅せられた。

あれは蓋男氏十二月のキリギリス 服部修一
 イソップ物語のアリとキリギリス、どっちが幸せ?と聞かれ、無邪気にアリと答えていた子が、社会人になりさまざまな経験を重ねるうちに、キリギリスのほうが幸せかも、と思うときがあるのではないだろうか。生前の蓋男氏にお会いしたことはないが、この句を通して、俳句をこよなく愛した豊かな人生を追想でき、感慨深い。

梟に顔のない日がときどきある 茂里美絵
 神話では知恵を授ける鳥として、また福を呼ぶ縁起のよい鳥として親しまれている梟。首が270度も回るので、からだを正面に向けたまま、背後を見渡すことができる。四方八方に不穏な空気が漂う現代、聡明なこの鳥はあらゆる方向に目を向けねばならず、正面に顔がないのだ。油断できない世相をみごとに捉え、共鳴した。
(鑑賞・三好つや子)

◆海原集〈好作三十句〉武田伸一・抄出

花吹雪く真中に息を置いてきし あずお玲子
春深しこれから生まれる好きなひと 有栖川蘭子
病魔よ和め春暁に居座るな 飯塚真弓
飢ゑ行かば野鯉の奔る春野かな 石鎚優
友達ではいられませんと春の文 井手ひとみ
雪柳母にひとつも返してない 伊藤治美
春の鳥ことんと手紙いま行きます 遠藤路子
譜面台小さくたたみ卒業す 大浦朋子
宮益坂中村書店前穀雨 大渕久幸
犀星忌異郷に母を死なしめし 勇次つま
供へれば亡夫喋り出すか黄水仙 小田嶋美和子
古時計ちくたくボンボン海明ける かさいともこ
花吹雪これなら前へ進めるわ 梶原敏子
荒れ野めくちちははの家額の花 小林育子
じゃが芋に乳歯のような芽がピッピッ 小林ろば
戦士たち初夏の水辺に映る夢 近藤真由美
かげろえば人であること忘れます 宙のふう
誠実な獏が苺の山盛りを 立川真理
手鏡に他人のような十九の春 立川瑠璃
恋はランダムな雨びしょ濡れの桜 谷川かつゑ
全小説講演いのちはここに大江去る 平井利恵
夜桜の不可侵領域まで少し 福岡日向子
老羸に新しき服蝦夷四月 松﨑あきら
六連の戦車に似たる田植機よ 村上紀子
向日葵の正面に立つという勇気 村上舞香
初桜プチ整形に迷いおり 横田和子
鷄さばく戰さ歸りの父のもだ 吉田貢(吉は土に口)
鼓笛隊水仙を吹く子につづく 路志田美子
春の波中学生の一人称 渡邉照香
蜃気楼のしずく君のあおいシャツ 渡辺のり子

哀悼 中村ヨシオ 植田郁一

『海原』No.49(2023/6/1発行)誌面より

◆特別作品15句

哀悼 中村ヨシオ 植田郁一

味噌麹まるで月面つぶらな瞳
生まれ育った紀州の海よ背は竜神
麹に育てられし慈顔温顔九代目
紀伊水道霧の三叉路灯の五叉路
出船入船天田屋文ヱ門の前通る
君との出会い緑樹木洩れ日掌の温もり
建長・円覚肩抱き合っている萬緑
甲子男・さかえ・完市・君まで逝く極月
どれほど辛かったか食べさせられなかった桜餅
忌中と知って汽笛噎せつつ毀すなり
山菜採りにも焼きおにぎりに味噌塗って
金山寺味噌袖に包んで若き僧
忌中整然赤味噌白味噌合わせ味噌
弔問か吉野桜の花ひとひら
竜神の竜に攫われ逝きしかな

『海原』No.49(2023/6/1発行)

◆No.49 目次

◆海原秀句 同人各集より

安西篤●抄出

ブチャは雪焦げた戦車と痩せた犬 綾田節子
二月二十日檄文のような星屑 石川青狼
掌の皺を深めて母が手毬巻く 石田せ江子
百歳は八合目なり富士初日 伊藤巌
杜中がシンセサイザー百千鳥 江良修
春一番猫ってそんなんとちゃう 大池桜子
還らざるものらへ流木立てておく 大西健司
革手袋情死のように重ねられ 桂凜火
手仕事のふっくりとして冬菫 川田由美子
桜蘂降るしっかり残る和紙の皺 北上正枝
紅梅白梅天狗の匂ひも混ざる 木下ようこ
「ご自愛を」とはどうしろと藪柑子 楠井収
労働終はる手のひらの陽炎へり 小西瞬夏
春の木離れどの追憶も流砂 三枝みずほ
春の闇鉄路の揺れのように純 佐孝石画
いぶりがつこ抓めば横に山頭火 佐藤二千六
母遺す御殿手ン毬絹かがり 鱸久子
あたたかや雅彦さんという空席 芹沢愛子
あっほらいまたんぽぽの絮彼女だろ 竹本仰
白梅や兜太の揮毫脈を打つ 月野ぽぽな
夕焼けのような花束のような約束 中内亮玄
寝たきりの窓からの景鳥雲に 中川邦雄
老化とはあの白梅が遠いこと 野口佐稔
連弾のよう花かたくりは風を呼ぶ 船越みよ
除染後の生家よ郁子は咲いたのか 本田ひとみ
記憶喪失のよう更地となって春 三木冬子
百済ほど欠伸さてさて彼岸明け 三世川浩司
囮鴨追い込まれては追い込んで 深山未遊
冬の葬みんな小さな兎憑き 望月士郎
凍雲に端あり産土まで歩く 茂里美絵

白石司子●抄出

山国の父の座標の切株です 有村王志
黙祷のどこを断ちても白さざんか 伊藤道郎
煮凝りって妙な震え独裁者 大髙宏允
還らざるものらへ流木立てておく 大西健司
一老ありひねもす無口の寒卵 岡崎万寿
決戦のように並んで冬薔薇 小野裕三
革手袋情死のように重ねられ 桂凜火
大股の父の熱量根開きす 加藤昭子
細雪写経一文字一字一字 北村美都子
曲線を君の日永のように描く 近藤亜沙美
ハミングのほどけ二月のうさぎかな 三枝みずほ
梅咲けり憤怒のように火のように 佐孝石画
黒板は緑イタチがいなくなったから 佐々木宏浅
春のビル街墓碑のよう露わ 佐藤詠子
鉛筆を噛んだ感触兜太の忌 重松敬子
節分の鬼に引かれて逝くなかれ 志田すずめ
春夕焼け母が海へとかえる色 竹本仰
柚子いびつ明日は笑顔を売る仕事 田中信克
蝶追って時間から遅れてばかり 月野ぽぽな
忘却曲線急旋回の冬の鳥鳥 山由貴子
夕焼けのような花束のような約束 中内亮玄
手話は苦手ですが春のペンギンです ナカムラ薫
エッセーの着地に迷う春炬燵 長本洋子
くちびるにマスク記憶にございません 服部修一
ほうれん草包む戦禍の紙面かな 藤田敦子
流氷や置いてきたものみな光る 松本勇二
地球を覆う人類という湿疹 マブソン青眼
三月の小石を拾ふ水の底 水野真由美
文机はわたしの港ヒヤシンス 宮崎斗士
冬の葬みんな小さな兎憑き 望月士郎

◆海原秀句鑑賞 安西篤

二月二十日檄文のような星屑 石川青狼
 二月二十日は兜太先生のご命日。亡くなられて早や五年の歳月を経た今、夜空を仰いで先生を偲ぶとき、先生の叱咤の檄文を遠い星屑から受けているような気がするという。おそらくこんな感想は、先生の謦咳に接したものなら等しく感じることではあるまいか。これをしも檄文として受けとめるところが、作者らしい一途さであり、あやかるべき姿勢といえよう。

百歳は八合目なり富士初日 伊藤巌
 人生を富士登山に喩えて、人生百年時代と言われる今日、その百年の八合目あたりに今達したところで、まだ先があるとも、もうここまで来たかとも回想している。「初日」は百年の先に輝くものと解した。もちろん文脈から、百歳自体が八合目で、その先の百二十歳あたりが初日の場所と解してもいい。案外こちらの方が筋が通るのかもしれないが、いずれにせよ、まだまだ頑張る余地ありと言い聞かせている。その心意気を詠んだ。下五の体言止めがきっぱりしていい。

還らざるものへ流木立てておく 大西健司
 「還らざるもの」とは、「失われしもの」さらには「いのち失われしもの」と解していいだろう。そこに3・11を重ねてもいいが、それは評者の自由度にまかせたい。表現は漠とした抽象性を帯びていても、生死を予感することは出来よう。「流木」によって、かなり具体的なドラマを予想することもできる。大西の住む伊勢地方は、多くの津波に洗われた地域でもあるからだ。数知れぬ犠牲者は無名のまま、せめて流木によってその菩提に手向ける墓標としておくというのだろう。

労働終はる手のひらの陽炎へり 小西瞬夏
 「労働」とわざわざ社会的表現を持ち出したのは、「仕事終はる」では済まされない、どこか被搾取的現実をそこに滲ませたかったような気がする。そう考えるのは深読みで、作者自身は、もっと現在的な日常感に即して、老親の介護そのものを「労働」と捉えたという。ところが「手のひらの陽炎」となれば作者の現在を再生したもので、「労働」のような規範化された言葉とは質が違ってくる。そこに、作者世代の新しいふくらみのある言語表現を重ねようとしているのかも知れない。言葉の時代感覚に世代間格差が生まれているのだろうか。

春の闇鉄路の揺れのように純 佐孝石画
 月のない春の夜の潤んだようなやわらかさをもつ闇。どこかいのちの息吹の匂いさえまじるなまめかしさがある。その夜気の情感を断ち切るように、「鉄路の揺れのように純」と捉えたのは、この作者の青春性というべきものかもしれない。やわらかな肉体の奥にひそむ鉄路のような意志。しかもその鉄路は、かすかな揺れを宿しつつ、その純なるものを貫き通しているのである。

あっほらいまたんぽぽの絮彼女たち 竹本仰
 口語調の臨場感で、口ずさむように書いた句。自分の実感のまま、俳句の固有性のこだわりを離れて書くとこうなる、典型的な一句だ。「あっほら」と誘いこむような感嘆詞に始まり、「いまたんぽぽの絮」と受け、「彼女たち」と踊り子のしなやかな輪舞へ広げていく。「いま」は、「あっほらいま」と「いまたんぽぽ」に両掛かりして、躍動の瞬間を捉えている。

寝たきりの窓からの景鳥雲に 中川邦雄
老化とはあの白梅が遠いこと 野口佐稔

 共に加齢による老化現象を背負いながら、懸命に生きていく姿を率直に捉えた句なのだろう。できるだけ他人に迷惑をかけず、一瞬一瞬をおのれのやり方で過ごそうとしているような、そんな生涯の送り方を遠望しているような境涯感とも見られなくはない。お二人の生き方を承知しているわけではないから、作品から受ける評者の感想にすぎないが、そこには近しい世代の老いざまが見えてくるようで、ほのぼのとした共感を覚える。

除染後の生家よ郁子は咲いたのか 本田ひとみ
郁子の花は、アケビの仲間で、晩春、白がかった紫の雄花と雌花が房のようななりに咲く。作者は生家の福島の被災地から今は埼玉に避難しておられ、早や十二年の歳月を経ている。その生家も、どうやら放射能の除染が済んだと聞いているが、かつてあの生垣に咲いていた郁子の花は、今年も咲いたのだろうか、と回想する。郁子の花に寄せる失われた故郷への郷愁。

記憶喪失のよう更地となって春 三木冬子
 本田句は、被災地の生家を偲んでの句に対して、三木句は、その生家跡もすっかり記憶喪失したかのように更地となってしまったという。この句には二つの問題意識がある。一つは、災後十年を越す歳月によって、風化されてしまった被災地、それもかつての賑わいに復活することなく、しらじらしい更地となってしまったという現実。今一つは、その被災の現実も人々の記憶から失われようとしている危機感ではないか。あのフクシマを忘れるなという警鐘に繋げようとしているかのようだ。

◆海原秀句鑑賞 白石司子

黙祷のどこを断ちても白さざんか 伊藤道郎
 戦争や災害、また様々な理由で逝去された方に捧げる黙祷。上五「の」で軽く切れるが、その「どこを断ちても白さざんか」とは何を意味するのだろうか。濃紅や淡紅ではなく「白」から広がってゆく清潔、潔白、無垢などのイメージ、そして花全体が落ちる椿と違って、花弁がさらさらと散って眩しいほどに地上を彩る「さざんか」、それは亡くなられた方の人となりでもあり、作者の祈りの敬虔さでもあると考えていいだろうか。中七「どこを断ちても」に別離の悲痛さがある。もしかしたら掲句は個人的な追悼句なのかもしれないが、黙祷すべき場面の多い人間社会において普遍性を獲得した作品となっていると思う。

煮凝りって妙な震え独裁者 大髙宏允
 煮凝りを凝視することによる視覚を生かした句であるが、「独裁者」と取り合わせたことで感覚的な句となっている。「妙」にプルプルと震えている煮凝りが独裁者の孤独感のようでもあり、また、「煮凝りって」の導入部も読者を作者独自の世界へいざなうのに効果的だ。

一老ありひねもす無口の寒卵 岡崎万寿
 上句の「一老あり」が伊勢物語の「昔、男(ありけり)」の冒頭を思わせ、作者の一代記を語りかけるような句となっている。勿論「ひねもす無口」は寒卵に係るのであるが、それは作者のようでもあり、無口だが「寒卵」のように存在感のある一代・一生とも考えられる。

還らざるものらへ流木立てておく 大西健司
 無季句。一句全体からは季語「雁供養」の世界を想像させるが、抒情に流されない断定感が俳句なのだと改めて思わせる作品である。また、「還らざるもの」の単数ではなく、「ら」の複数形が個人性、時代性を超えたものとさせている。全く句柄は異なるが、富澤赤黄男の「流木よせめて南をむいて流れよ」を思い出した。

大股の父の熱量根開きす 加藤昭子
 雪国の春を告げる現象で、木の根元だけ雪がとけることを「根開き」というのであるが、それは「大股の父の熱量」によるものだとしたのがこの句の眼目である。また、「大股の」としたことが、いつもより足早にやってくる春、そして元気な父を彷彿させる。

曲線を君の日永のように描く 近藤亜沙美
 長かった冬も終わり、夜よりも昼の時間が長くなって何となく気持ちも伸びやかになる日永。そんなゆったりとした春に対する実感が「直線」ではなく「曲線」なのである。そして「君の日永のような」という「君」への眼差しも初々しくあたたかい。

梅咲けり憤怒のように火のように 佐孝石画
 この句から「梅咲いて庭中に青鮫が来ている」の金子兜太師を思った。「春告草」の別名「梅」が咲いて青鮫も人間も喜ぶべき春なのにただならぬ今の状況はどうだろう、戦争体験者である兜太師ならどう考えるだろうかという作者の思いが中七・下五の「憤怒のように火のように」なのである。花鳥に遊ぶのもいい、でも「社会性は作者の態度の問題」、「俳句性よりも根本の事柄」なのである。佐孝氏の句に「梅咲いてひとつひとつの目玉かな」もあるが、創作において「絶えず自分の生き方に対決している」兜太師、また、作者の目玉を掲句から感じる。

蝶追って時間から遅れてばかり 月野ぽぽな
 「時間から遅れてばかり」の何となく取り残されたような感覚は、日本を遠く離れたニューヨークだからこそなおさら。でも、その原因は「蝶追って」だから、何となく自分自身でも許せそうな気分なのかもしれない。

手話は苦手ですが春のペンギンです ナカムラ薫
 手や体の動き、視線や表情などを使って意味を伝達する手話が苦手なのは作者、いや、もしかしたらペンギンだろうか。でも、時節は「春」、「ですが」、「です」の意味不明とも取れるようなやりとりが楽しい。これも俳句、兜太師が言われたように口語は俳句の可能性を広げるのである。

くちびるにマスク記憶にございません 服部修一
 「顔にマスク」ではなく、「くちびるにマスク」としたところが意味深。そして「記憶にございません」は、どこかの国のある人物がよく口にする言葉。十七字、季題趣味という約束を守るという「客観写生」とは異なる諧謔味あふれる句だ。

流氷や置いてきたものみな光る 松本勇二
 シベリア東部から南下して海を漂う「流氷」と中七・下五との二物衝撃句。「流氷」は風または海流によって海を漂流する氷の塊であるが、「置いてきたもの」との響き合いから作者の分身という捉え方も可能だ。漂流する為、いや漂流せざるを得ないが為に置いてきたもの、それらはみな光っているのである。郷愁を誘うような句だ。

◆金子兜太 私の一句

質実の窓若き日の夏木立 兜太

 兜太は、少年時代、皆野町から片道一時間余り秩父鉄道を利用し、降りてから二十分ほど歩き、旧制熊谷中学に通った。秩父で育まれた豊かな「感性」へ、熊谷で「質実剛健」が加わったと考える。熊谷での葬儀の場には、「好好爺」の写真とともに、若き日の写真も飾られていた。それは、「精悍」を感じさせるものであった。埼玉県立熊谷高校の校門近くの句碑より(句集未収録)。神田一美

夏の猫ごぼろごぼろと鳴き歩く 兜太

 以前、母は、自分のことを詠った私の句が、兜太先生に褒められたことを涙して喜んだ。先生と母は同い年で、母のほうが一週間お姉さん。ある時、仏間に入ったきり、うんともすんともない。ちょっと覗くと、掲句の書かれたうちわの毛筆の一字一字を指でなぞっているのです。私の声に驚き、ちょっと恥ずかしそうにした表情が、いつもの表情より素敵だった。96歳の他界。句集『日常』(平成21年)より。西美惠子

◆共鳴20句〈4月合併号同人作品より〉
〇印は2選者の共選句 ◎印は3選者の共選句

稲葉千尋 選
秋刀魚握る板さんの指って秋刀魚かな 綾田節子
大皿のブロッコリー仁徳陵のごと 石橋いろり
「もういい」と点滴の兄冬紅葉 榎本愛子
風花や兵器すらすら少年語 狩野康子
霜柱すこし斜視なんです私 北上正枝
ラフランス生きた証が顔に出て 佐藤君子
寒雀俺の訃報は俺が書く 瀧春樹
歯を磨く小石の感触木葉舞う 豊原清明
月食やゼレンスキーの赤銅色 永田和子
十二月八日鈴懸に空師いる 並木邑人
○ドニエプルも仁淀も青し冬の川 野﨑憲子
秋めくやひとりの音す広い家 疋田恵美子
とんぼみな交尾んで水のひかりかな 平田薫
ありがとうの「あ」のかたちなる朝日かな マブソン青眼
国葬とか往ったり来たり稲刈機 三浦静佳
紙を漉く皺一つなき水の音 三好つや子
冬ぬくしCM軽き紙パンツ 村本なずな
日記とは嘘書くものです実紫 室田洋子
○開戦日日の丸という赤き穴 望月士郎
紙風船バンバンバシンうつ楽しさ 森田高司

大髙宏允 選
冬近しオール電化の音で病む 阿木よう子
冬日受け木の根は先で考える 石川和子
むかご飯君と暮らすもあと十年か 石川義倫
気持ちよく死んでいるのね枯芒 伊藤歩
ベートーベンに変わる幻聴雪しまき 故・伊藤雅彦
良き生き方は迷わずに逝く仏法僧 植田郁一
辞世の句障子明りの如くあり 江井芳朗
あの音は冬まっ直ぐに来るらしい 大沢輝一
裸木や斜光四十五度の無垢 北村美都子
月ある涼しさ深深と獣道 小池弘子
ひとりづつ棘捨てにゆく十二月 こしのゆみこ
みな寒くゐてもの食うてをりにけり 小西瞬夏
弟よ瓶に入れたい朝霧よ 佐々木宏
まぼろしは何の入り口小白鳥 芹沢愛子
焼き芋や風通しよき仲間たち 高橋明江
幸不幸孝不孝雪雪雪雪 中村晋
「北風がビューンって言ったね」「行ったね」 中村道子
この星の食欲冬の月を食う 三浦二三子
笑うから笑ってしまう小六月 横地かをる
夕景や熟柿の熱烈なる死形 横山隆

野口思づゑ 選
廃業を決断したり月今宵 石川義倫
色のない光を染める柿あかり 泉尚子
先祖みなわれより若し除夜の鐘 岡崎万寿
着ぶくれて平和公園清掃す 奥村久美子
小春日やどこかのピアノが音外す 奥山和子
障子貼る曲り形にも世帯主 加藤昭子
戦中戦後そして戦前冬北斗 鎌田喜代子
極月や棺の和尚の絆創膏 河田清峰
人参臭きにんじん失せ日本このザマ すずき穂波
海の色に縦横たてよこがあるね冬だね たけなか華那
自由とは広場手すりに小鳥二羽 竹本仰
熱燗や今日はどの鬱と遊ぼうか 立川由紀
○綿菓子のようにちちはは冬日向 月野ぽぽな
賀状書くいつも目だけで会う人に 中川邦雄
冬の雲離郷とは母棄てること 中村晋
○ドニエプルも仁淀も青し冬の川 野﨑憲子
姿勢よき人の襟元赤い羽根 平山圭子
熱燗や喪中葉書に殴られて 宮崎斗士
紅葉かつ散るタイムマシン現れよ 室田洋子
小鳥来る隣りばかりが賑やかに 森鈴

三好つや子 選
咆哮の君ら白紙を冬の日に 石川青狼
大銀杏よる辺なきものへと霏霏 石橋いろり
中村哲さん大根人参太かりし 稲葉千尋
折紙の動物園秋の保健室 植竹利江
鱗雲ほんとは怖い童唄 榎本愛子
ボルシチに匂いの移る火薬かな 大髙宏允
大根引き生家すとんと胸の穴 狩野康子
水平線の向うの戦さ肩車 小山やす子
断定は断念なのだろう時雨 佐孝石画
生命線ありのままです枯野原 佐藤詠子
身中の分水嶺を月渡る すずき穂波
甲殻類の男が集う冬埠頭 たけなか華那
冬青そよごの実どこかでだるまさん転んだ 田中信克
浜菊や海女の径へとよじれ咲く 樽谷宗寬
○綿菓子のようにちちはは冬日向 月野ぽぽな
寒林の空かなしみの擬態する 藤田敦子
降り立った烏もしや冬の心臓 堀真知子
冬木立フォークの神様がいない 本田ひとみ
○開戦日日の丸という赤き穴 望月士郎
せっかちな風が九月を蒼くする 森由美子

◆三句鑑賞

寒雀俺の訃報は俺が書く 瀧春樹
 なんと勇ましい句、死んでしまったら書くことができない、訃報を「俺が書く」と言い切っている。きっと前もって書いておくということだと思います。戒名は先に書いてある人もいる。季語の寒雀は何の関係もないようで、やはり寒雀の季語が切れて効いていると思います。

国葬とか往ったり来たり稲刈機 三浦静佳
 この句はもちろん安倍元総理のことである。国葬が良いとか悪いとか言っていないが、何故なんだという思いが作者にあると思います。稲刈機即ちコンバインが行ったり来たりします。国葬の日、稲刈りする作者の姿が見えてきて、評者こんな句を作りたいと思っていて、作者の心に共感しました。

開戦日日の丸という赤き穴 望月士郎
 脱帽!開戦日十二月八日をこれほどに人の心をえぐる句に出くわすのは初めてである。日本にも軍靴の音がヒシヒシと聴こえる昨今、わざと危機を煽っている政府にこの句を見せてあげたい。日本の歴史と事実を忘れたのかと。もっともっと平和外交をやらなければならないのに戦前と同じことをやっている。赤き穴が強烈。
(鑑賞・稲葉千尋)

みな寒くゐてもの食うてをりにけり 小西瞬夏
 一読、深沢七郎を思い浮かべた。いささかアウトローであった彼は、現実を現実離れした視点で見ていたように思う。この句も、どこかそんなところがある。名前を持ち、何かに属して適応している常識人の風景ではない。どんなに文明化・都市化しても遺伝子や生理現象などに支配されている。この句はまさにそれを描写している。

幸不幸孝不孝雪雪雪雪 中村晋
 ヒトに生まれての幸不幸、親不孝かどうかなどは、自分の意図だけで決まるわけではなく、関係性によって決まる。関係性は自分の意図を超える。だから、どうなるかは、「向こうから来る」という要素が大きい。それは相手にとっても同じで、従って自分が招いているようで、向こうから来るという不思議と遭遇する。この句は大胆な措辞によって、我々の日常の不思議さを切り取った。

笑うから笑ってしまう小六月 横地かをる
こうした体験は、誰にでもあるだろう。だから通り過ぎてしまいそうな句でもある。二読三読して、自分の無意識がまたこの句に戻ってきた。この句もまた、関係性によって生じた不思議を、至ってシンプルに表現している。このシンプルさに詠み手の無意識が反応するのだと思う。
(鑑賞・大髙宏允)

小春日やどこかのピアノが音外す 奥山和子
 暖かな冬の午後だろうか。どこからかピアノの音。何気なく聞いていたら間違った鍵盤を触ったようだ。上達した奏者の練習だったら、音が外れてもそれほど目立たないが、初心者の稽古だったらしくはっきりとミスが聞き取れた。小春日の気持ちの良さに弾き手は練習に集中できなくなったのか。微笑ましい句。

人参臭きにんじん失せ日本このザマ すずき穂波
 人参は以前、その独特の味から多くの子供に嫌われていた。それがいつの頃からか食べやすい野菜へと変わっていた。同様に気がつけば日本社会は豊かな個性素性を消した無難な大人を求めている。出る杭は打たれ続けその結果としての今。このザマはなんなのかと令和の日本に明治の親が喝を入れているようで面白い。

ドニエプルも仁淀も青し冬の川 野﨑憲子
 ドニエプル川はロシア侵攻の舞台であるウクライナを流れ現在も、歴史上も戦禍に巻き込まれている。川沿いにロシア、ベラルーシもある。とても美しい川だという。四国の仁淀川も青の美しさで知られる。作者には特別の意味があるに違いない二つの川の固有名詞と自然讃歌が強い平和メッセージとなっている。
(鑑賞・野口思づゑ)

中村哲さん大根人参太かりし 稲葉千尋
 冬の畑で逞しく育った大根や人参を眺めながら、作者は故中村哲氏を偲び、座右の銘だった最澄の言葉「一隅を照らす」に思いを巡らせているのかも知れない。一人ひとりが今居る場所で最善を尽くす。まさにそれは土の声を聞き、土と歩む生産者の心意気だといえる。大地に根ざして生きる人ならではの、滋養あふれる句だ。

水平線の向うの戦さ肩車 小山やす子
 手の届かない所に止まった蟬。見物客が多くて見えない花火。子どもにとって父の肩は、世界をぱっと広げてくれる頼もしくて、幸せを実感できる存在だ。しかしウクライナ侵攻をはじめ、肩車の先に不穏な動きが見え隠れし、誰もが戦争に無関心ではいられない時代、この句に込められた安寧の祈りに、共感が止まらない。

甲殻類の男が集う冬埠頭 たけなか華那
 蟹漁がさかんな冬の港の、活気に満ちた朝が目に浮かび、白い息を吐きつつ、怒鳴るように喋る男たちの声までも聞こえる句だ。潮焼けした赤銅色の顔と腕にちらばる沁みは、手強い海を相手にしてきた漁師の勲章。甲殻類の男という骨太の表現に、荒々しくて朴訥な漁師への愛しさが感じられ、心を鷲掴みにされた。
(鑑賞・三好つや子)

◆海原集〈好作三十句〉武田伸一・抄出

不自由のなかに小さな自由福寿草 有栖川蘭子
老犬の里親二十歳春隣 有馬育代
ジャンピングキス春塵に照れもせず 飯塚真弓
従容として春落日に歩み寄る 石鎚優
むちむちよ呆けたる母のよもぎ餅 押勇次
アネモネを添えて修司への手紙 かさいともこ
春の闇ぼろが出るから喋らない 木村寛伸
果てしなきあなたへの道冬銀河 香月清子
如月や重機で壊す家一軒 近藤真由美
剣道着干したる庭にクロッカス 齊藤邦彦
無錫ムシャクなる湖を広げて春の雁 齊藤建春
ポトフ煮て雪籠りとは気散じな 佐々木妙子
マスク取るコロナの憎愛すでに無く 重松俊一
春深しハコと呼ばれし場所に行く 清水滋生
春の泥削除できない疵あまた 宙のふう
理科室に春は戯むる人体図 立川真理
十代が後ろ姿になりゆく春 立川瑠璃
廃屋に散らばる積木梅盛る 藤玲人
夢にても逢ひたき人よ花やがて 平井利恵
くちびるは一つしかないシクラメン 福岡日向子
金網に自転車括る木槿かな 福田博之
講義室机上にひとつ冬林檎 藤井久代
呼吸静かにふふむ光陰残り雪 松﨑あきら
沢山のきのふのやうに石鹸玉 丸山由理子
入道雲私が持っている余白 村上舞香
ポケツトにこぶし突つ込み海を蹴る 吉田貢(吉は土に口)
恐竜に乗り象に乗りふらここへ よねやま麦
八月や記録写真の中に吾 路志田美子
壁の穴しずかに塞ぐ春の闇 渡邉照香
菜の花の地下茎蒸気機関車へ 渡辺のり子

路地灯り 大西健司

『海原』No.48(2023/5/1発行)誌面より

◆自由作品20句

路地灯り 大西健司

熟柿啜るは真人間なるエセ詩人
流木焼べ浜の男の新ばしり
開戦日湯呑みに酒を注いでおり
真珠塩と看板寒の道戻る
お国訛りの潮風ここは牡蠣の海
この先の入江へ続く蜜柑山
鳥羽一郎を歌う路地奥の煮豆屋
鷗探せば短き指の濡れており
バス停にマネキン石蓴の海が見ゆ
真珠塩の親父菜の花摘んでおり
「舟唄」がおはこ浅春の鋳掛屋
無番地で無慈悲隣のしおまねき
玉子焼は春の恋文かもめ町
喫茶ファイブに寄り道鰆漁師かな
風見鶏はジャズを歌うよ風光る
ラジオからジャズ鰆の糶進む
店主偏屈恋猫の名はサヨリ
春ショールのマネキン今日も店番す
深海魚のたぐい男は布団干す
喪服吊され春にかすかな火の匂い

『海原』No.48(2023/5/1発行)

◆No.48 目次

◆海原秀句 同人各集より

安西篤●抄出

横丁の昭和は剥がれ霙鍋 石橋いろり
言葉とう感情の波野水仙 故・伊藤雅彦
ベンチにひとり極月の忘れもの 伊藤道郎
「おいでるかい」三河弁の初客 井上俊一
芽出づる亡き妻育む福寿草 江井芳朗
待春は彼にもあると信じたい 太田順子
空港に狐火混ざる帰国便 小野裕三
ダイヤモンドダストあなたへ追伸 北上正枝
枯野原少年白き函として 小西瞬夏
末黒野の石の鼓動や口伝とは 三枝みずほ
母の忌の掃き拭き後の桜炭 白井重之
水琴窟の音のひとつぶ秋蛍 芹沢愛子
水鳥や夕日背負って帰ろうか 高木水志
白猫のふにゅっと抱かれ冬の霧 竹田昭江
展翅された蝶廃港をわたる風 竹本仰
春眠のごと倒木のごと母の故郷 立川由紀
絵双六国が盗られてゆく自由 田中信克
青鮫の青だ硝子のビル群だ 月野ぽぽな
花吹雪鉄鎖ザラリと垂れにけり 中内亮玄
風の日は手帳を落とす白さざんか 平田薫
コロナは何の序章か微かに冬の雷 藤野武
駱駝毛布父の人生匂い立つ 増田暁子
ドカ雪や父の墓標のなで肩で 松本勇二
白障子空気が正座しておりぬ 三好つや子
昼月や強霜解けぬ猫の墓 村本なずな
雨は雪に小さな骨はピッコロに 望月士郎
さざんか散る瘋癲なれば身構える 茂里美絵
亡き人に無性に腹の立つ夜 長森由美子
一月に生まれ初凪ういなといふ名前 柳生正名
「これ最後です」とふ老友の賀状かな 吉澤祥匡

中村晋●抄出

電飾に「さくら隊の碑」浮く聖夜 石川まゆみ
臘梅咲いた泪の水音聞こえます 泉尚子
陽気なバラッド石垣島にも冬の雨 伊藤幸
大根抜くどの穴も空である 井上俊一
冬夕焼乾涙をもて立ち尽くす 江井芳朗
淡々と賀状仕舞いと書いてある 大西政司
どっさりと思い出を積む蒲団かな 小野裕三
雪降るとおち見る癖よはにかみよ 刈田光児
ベランダにまだ干したまま冬の月 川嶋安起夫
自粛自粛三年連用日記果つ 黒済泰子
遠吠えの津軽が無色雪煙り 後藤岑生
母の匂いの風の育てるせりなずな 小林まさる
無辜の民雪の瓦礫と混じりける 小松よしはる
ゲルニカの女足の先からしばれる 笹岡素子
「涙なんて嫌い」呟いたら雪 清水恵子
冬のクローバー在宅酸素の母へ 清水茉紀
雪雲の青い切れ目へ海と書く 鱸久子
展翅された蝶廃港をわたる風竹本仰
麦踏んでデリカシーを語る父 舘林史蝶
牧舎出で牛が背こする冬木かな 永田和子
ジュゴン待つ辺野古岬や虎落笛 仲村トヨ子
吹雪かれているよう愚痴を聞いてい 丹生千賀
でも先生僕は落葉をつかまえる 平田薫
遺影みな正面を向く初明り 藤田敦子
枯葉踏む枯葉の下の風を踏む 堀真知子
平飼いの鶏の膨るる寒さかな 本田日出登
軒氷柱だまこ餅だまこ頬張る遺族たち 三浦静佳
白障子空気が正座しておりぬ 三好つや子
囲む人無き休耕田の落葉焚き 山本弥生
ひとりずつ出てゆく家族せりなずな 横地かをる

◆海原秀句鑑賞 安西篤

言葉とう感情の波野水仙 故・伊藤雅彦
 本年二月十四日、八十六歳で急逝された作者の絶吟だろうか。一見穏やかな早春の景を比喩した句ではあるが、底には容易ならざる感情の波が渦巻いているといえよう。それが言葉の断片として噴出しているのではないか。波のように寄せては返すのは、早春の岸辺に吹く春なお寒いそよ風によるものだろう。温厚篤実な風貌の底に、現役時代経営者として厳しい試練を乗り越えて来られた方の、感情の波が渦巻いているとも見られよう。野水仙には、そこに毅然と立つ作者の姿が投影されている。

横丁の昭和は剥がれ霙鍋 石橋いろり
 霙鍋は、豚の薄切り肉ときのこに大根おろしを添えて煮込んだ料理で、昭和時代から馴染みの深い下町の小料理だった。今は寂びれた横丁の路地に貼られた定番の料理名が半ば剥がれたままにある。これは単なる回想の景として書かれているだけではない。いつまたあの頃の戦争や自然災害に襲われないとも限らない。そんな予感さえ覚える霙鍋の、時代への危機感に通ずるものとしても受けとめられるものではなかろうか。

「おいでるかい」三河弁の初客 井上俊一
 「おいでるかい」とは、作者の故郷愛知県三河地区の方言で、「いらっしゃいますか」という訪いの言葉だろう。地方の方言を句にするには、一定の伝達性が保証されていなければならないが、この場合はギリギリ保証されているとみてよかろう。テレビの「どうする家康」の影響があるかもしれないが、この保証が成り立つ限り、地方の生活感の滲む好句に変身する。まして初客とあらば、なおのこと。

芽出づる亡き妻育む福寿草 江井芳朗
 今回の五句は、昨年十二月に永眠された光子夫人への追悼句となっている。「臨終の妻に添へずに永別す」「冬夕焼乾涙をもて立ち尽くす」は、その痛哭の想いを物語ってはいるが、最後に置かれた掲句には、亡き妻とともに新しい生を生きようとする。いや、むしろ死者としての妻の臨在を、今も実感している作者の姿そのものを書いているのではないだろうか。

母の忌の掃き拭き後の桜炭 白井重之
 母の忌日に、母がいつもしていたように、屋内を掃き、拭き掃除をした後で、ゆっくりと桜炭で茶の湯を点てて頂く。その時間は生前の母と共に過ごした至福のひと時だったのだろう。幼い頃は、その堅苦しさに辟易したものだが、今は母を偲ぶ貴重なひと時となっているのかもしれない。季節感は必ずしも明らかではないが、桜炭の香りが冬の季感を漂わせている。

白猫のふにゅっと抱かれ冬の霧 竹田昭江
 「ふにゅっと」のオノマトペが独特。一般に「ふにゃっと」は物の触感のやわらかな瞬間の印象で、「ふにゅっと」で、急に飛び込んできたような、やや鋭い感じになる。白猫は冬の霧の中から不意に現れ、作者の腕の中へすっぽりと収まったのだ。「冬の霧」の中からの意外性が、「ふにゃっと」ではなく、「ふにゅっと」の鋭角性をよびこんだといえよう。

絵双六国が盗られてゆく自由 田中信克
 絵双六は、日本の伝統的な正月の遊びだが、江戸時代に庶民に普及し、やがて道中双六や出世双六なども生み出された。この句は、今世界で問題になっているウクライナ問題や中東地域での紛争の火種をも暗示しているのかもしれない。世界に起こる火種は我が国に波及しかねない危機感でもある。今や絵双六のように「国が盗られてゆく自由」が横行しつつあるのではないかという政治への警鐘ともいえよう。

青鮫の青だ硝子のビル群だ 月野ぽぽな
 作者は、今ニューヨークのマンハッタンに住んでいる。いわば世界で最も稠密な高層ビル群の真っ只中にいるわけだが、その多くがガラス張りの超高層ビルだという。そのビル群の最上層階から見下ろせば、兜太師のいたトラック島の珊瑚礁海域に青鮫が遊弋しているイメージと重なり合う映像が見えてくる。そこには幾分の危うさを宿しながらも、意識の重層する新しい映像感覚が生まれるからだ。映像のダブルイメージと捉えてもいい。

亡き人に無性に腹の立つ夜長 森由美子
 この句の「亡き人」とは、作者にとってかけがえのない存在だったに違いない。何も言わずに突然先立ってしまって、そんな無責任な、とばかり、かき口説くように言わずにいられない。それは人には言えぬ、また言っても詮無いことながら、秋の夜長ともなれば、腹立たしくも口をついて出る。いうなれば煩悩の権化そのもの。

 取り上げたかった句を可能な限り列挙しておきたい。
待春は彼にもあると信じたい 太田順子
花吹雪鉄鎖ザラリと垂れにけり 中内亮玄
白障子空気が正座しておりぬ 三好つや子
さざんか散る瘋癲なれば身構える 茂里美絵

◆海原秀句鑑賞 中村晋

母の匂いの風の育てるせりなずな 小林まさる
ひとりずつ出てゆく家族せりなずな 横地かをる

 まずは「せりなずな」の句を二句鑑賞するところから。一句目の「せりなずな」は郷愁を誘う響きがある。「母の匂いの風」に作者は自身の産土の記憶を確かめているに違いない。同時作に「父の忌やゴツンと我にからす瓜」の句もあり、父母への追憶の句とも読める。しみじみ温かい気持ちにさせられる句だ。一方、二句目の「せりなずな」からは寂しさを突きつけられる。それまでは正月をともに過ごしてきた家族であったが、子どもたちは成長し家を出て、なかなか戻らない。正月に帰省したとしても、家族は数日でそれぞれの生活へ戻っていくことになる。七草粥をともに食べることもない。そんな現代の生活を描き、しんとさせられる。そして何気ない正月風景の中に、私たちの生活意識や様式の変化が俳句に記録されていることに気付かされる。時代を記憶する装置としての俳句の存在を思う。

遠吠えの津軽が無色雪煙り 後藤岑生
 最近、風土を濃厚に感じさせてくれる作品に惹かれている。その土地でなければ感じられない自然の姿が一句に息づいていると無意識に身体が反応してしまう。この句からも理屈抜きに「津軽」の地吹雪を実感させられた。「遠吠えの津軽」とはその土地に住む者でなければ決して出てくることのない言葉だろう。しかもそれが「無色」とは。かつて私も五所川原から金木へ地吹雪体験の旅をしたことがあるが、その時本当の地吹雪に遭遇し、列車がストップしてしまった。言葉だけで知っている地吹雪とは違う本当の「地吹雪」の恐ろしさ。この句は、本当の風土と誠実に向き合う作品だと思う。

軒氷柱だまこ餅だまこ頬張る遺族たち 三浦静佳
 葬儀の後の食事風景だろうか。「だまこ餅」は秋田の風土の食事である。それを頬張る遺族たち。昨今は多くの場合、葬儀社に葬儀の全般をお任せしてしまうところだろうが、この句からは昔ながらの自宅での葬儀のように読み取れる。また「軒氷柱」から東北の深い雪や家の造りなども感じられる。さらに「だまこ餅」を食べながら会話をする秋田の人たちの訛りも聴こえてきそうだ。これもまた風土を色濃くにじませた一句と思う。

ジュゴン待つ辺野古岬や虎落笛 仲村トヨ子
 風土を詠むということは、実は深いところで社会を詠むということに通じているのではないか。最近そんなことを考える。この一句もまた風土への愛情を土台にしながら社会への憤りをにじませている作品だ。「ジュゴン待つ辺野古岬」というアニミズムに満ちた措辞に、海を平気で埋め立て、命あるものを疎かにする政治体制への深い不信と厳しい批判精神がにじむ。そして「虎落笛」を聴く作者の悲しみ、風土への愛惜。風土俳句は社会性俳句の母胎なのかもしれない。

でも先生僕は落葉をつかまえる 平田薫
枯葉踏む枯葉の下の風を踏む 堀真知子

 この二句に共通するのは生き生きとした「生きもの感覚」ではないだろうか。一句目はきっと先生と幼い児童との対話を捉えたものだろう。落葉の姿に魅せられている児童。子どもたちにこんな素敵な言葉を聞かされたら、教師としてこれほどの喜びはないかもしれない。とはいえ先生も忙しい毎日だ。子どもたちとともに落葉をつかまえる時間を少しでも持てるようにしたいものである。二句目、「枯葉の下の風」という表現にはっとさせられる。枯葉を踏んだときに感じるあの一瞬のふわっとした空気感。それを「風」と捉えることができたのは作者の感性の賜だろう。何気ない日常の中に潜んでいる宝石を発見したような気分になる。

自粛自粛三年連用日記果つ 黒済泰子
無辜の民雪の瓦礫と混じりける 小松よしはる
ゲルニカの女足の先からしばれる 笹岡素子

 現代をどう詠むか。その問いに答える三句。一句目、自粛の日々が続いた長い三年間を実に端的に表現した作品と思う。定型の韻律の力がさまざまな感情を呼び起こすのだろう。何やら呪術めく「自粛自粛」のリフレイン。韻律と映像の融合が見事な一句だ。二句目、ウクライナの戦争を詠んだものだろうか。人間が瓦礫と混じる、と即物的に描くところに作者の鋭い批評精神が宿っている。俳句における「即物」という表現方法の有効性を改めて教えられる一句。三句目、ピカソの「ゲルニカ」に描かれた女性を詠んだ句か。「しばれる」が実に独創的だ。「しばれる」とは東北・北海道において寒さの厳しい様子を言う。ナチスによるゲルニカへの空爆。逃げ惑う女性の姿を「しばれる」と捉える身体的な感性は風土に根付くものだ。きっとこの作者はウクライナで苦しむ人々に対しても「しばれる」思いで見ているに違いない。

冬夕焼乾涙をもて立ち尽くす 江井芳朗
 「コロナ禍病院にて妻・光子永眠す」と前書きにある。「乾涙」という言葉は辞書にはないが、作者には必要な語であったのだろう。涙が枯れ果てたあとの冬の夕焼け。震災の記憶も去来していたに違いない作者渾身の一句。

◆金子兜太 私の一句

梅咲いて庭中に青鮫が来ている 兜太

 初めてこの句に会った時「青鮫は俺たちのことだ」と思った。兜太先生の話から、それは私の幻想だと分かったが、思いは今も続いている。先生宅に泊めていただいた翌朝、帰り際に、酔いの残る頬に心地よい風に、梅の花の香りがしたのを忘れられない。同じ思いの人がたくさんいると思う。句集『遊牧集』(昭和56年)より。大久保正義

抱けば熟れいて夭夭の桃肩に昴 兜太

 まだ青さの残るかたい桃を抱けば、ふっと感じる成熟の始まり。愛する少女の初々しい、瑞々しい、痛々しい清らかなエロティシズム。肩越しに見る昴の何億光年の光の中で感じる一瞬の恍惚が胸を打つ。時空の無限の中で、抱かなければ感じ取れないこの一瞬のきらめきに、心を吸い込まれた一句です。兜太先生にそれを申し上げたら「そうか」とニヤリとされたのを思い出します。句集『詩經國風』(昭和60年)より。森由美子

◆共鳴20句〈3月合併号同人作品より〉
〇印は2選者の共選句 ◎印は3選者の共選句

稲葉千尋 選
皇帝ダリア一刷毛はけ分の愁いあり 石橋いろり
締めて快適褌外して尚快適 植田郁一
地球はやわが方程式はご破算に 岡崎万寿
濁り酒ぐるぐる回る山手線 奥村久美子
高齢に前期と後期障子貼る 片岡秀樹
秋の水おまえを産んだいい記憶 桂凜火
○戦あるなと隅々を拭く敬老日 坂本久刀
ラ・フランス無口で熟れて昭和人 鈴木栄司
連弾です大草原の草紅葉 鱸久子
十三夜靴がぱくりと僕見上げ すずき穂波
秩父産土寒九の水を飲み干して 関田誓炎
日の沈むくにの国葬まんじゅしゃげ 芹沢愛子
民主主義怠けているから蚯蚓鳴く 峠谷清広
白コップに牛乳注ぐ十一月 豊原清明
除染ごみ去ってそのまま赤のまま 中村晋
国葬って何だったのか蕎麦を刈る 平田恒子
黄落や手話はしづかににぎやかに 藤田敦子
○綿虫の微かな気流妊婦なり 藤野武
ラ・フランス自傷の匂い微かなる 茂里美絵
○息をせぬ全ての兵士星月夜 山下一夫

大髙宏允 選
九月です少女かたまり甘酸っぱい 大沢輝一
バンザイの老人の袖の草の実 木下ようこ
第三章第二十五条なのに凍死する 笹岡素子
芒飾れば家霊のように笑いけり 佐々木宏
麦の芽や少年兵といふ兵器 清水茉紀
秋意ふと地磁気逆転願ふかな 高木一惠
大まかに云えば健康衣被 高橋明江
体内に育てし骨と冬に入る 月野ぽぽな
朝寒や起きてぐらぐら老いる首 峠谷清広
除染して除染し除染あきらめ冬 中村晋
せんそうの学校へいわの学校星月夜 野﨑憲子
○綿虫の微かな気流妊婦なり 藤野武
不意の句を薬ぶくろに書く夜長 前田典子
布団干す太平洋に向けて干す 松本悦子
たましいは淵に集まり暮早し 松本勇二
草一本一本が人類滅亡を待つ マブソン青眼
燗熱く神を信じる信じない 柳生正名
皆既月蝕われ泥海でいかいのうろくず 山本掌
たばこ屋の昔小町や小鳥来る 山本弥生
自死の前の君に青空はみえたか 夜基津吐虫

野口思づゑ 選
○不登校小鳥は水場さがしてる 伊藤道郎
移住者干すどのタオルにもトンボかな 大久保正義
ゼレンスキーの縦じわ深しキーウ寒月 岡崎万寿
生成り色の天六商店街冬ぬくし 桂凜火
白菜を背骨あるごと裁きけり 齊藤しじみ
○戦あるなと隅々を拭く敬老日 坂本久刀
秋の蝶えんぴつ使う気弱な日 芹沢愛子
渡り鳥繋がりたくはないのです 高木水志
雪虫のあなたたちの一匹はあなた たけなか華那
公園の子らも散りたる秋夕焼 友枝裕子
帰り花余生と言う程暇じゃない 中村道子
鉦叩同時通訳意味不明 長谷川阿以
茗荷咲く複雑な仲であります 日高玲
酉の市熊手で集めたき平和 平田恒子
マスクしてクレオパトラのアイシャドウ 前田典子
林檎半分ゴリラは友達社会だな 増田暁子
感情を失くした父は冬木立 松井麻容子
泥葱をむけば地軸のひかりかな 嶺岸さとし
振りむけどもともと独り冬桜 村本なずな
○息をせぬ全ての兵士星月夜 山下一夫

三好つや子 選
鶏頭にまだこびりつく自尊心 泉陽太郎
携帯が人の匂いをさがし鳴く 市原正直
秋の蟻影の重さに立ち止まる 伊藤歩
ホスピスの壁に優しき蔦紅葉 故・伊藤雅彦
○不登校小鳥は水場さがしてる 伊藤道郎
字余り字足らずぶらぶらと晩秋 井上俊一
瞬きでたぐり寄せてる冬銀河 大池桜子
黒色火薬つまめば冬の蝶翳る 大西健司
地面より手がでる予感曼珠沙華 尾形ゆきお
ホッチキスで止めて安心秋の虹 奥山和子
小春日をたんと心の筋肉量 加藤昭子
葉書いまどこで道草秋の夕 川崎益太郎
どの紙面もさびしい鳥の羽音 三枝みずほ
潮騒の母語となりゆく小春かな 長尾向季
天地創造蟻いっせいに走る 前田恵
海鳴りがくっついてくる冬の街 松井麻容子
退屈な水くらげから耳になる 松本千花
冬蝶の動線開けおく老農夫 嶺岸さとし
棒高跳びの空の重たさ中也の忌 宮崎斗士
ゆっくりと落葉語で話してくれ 横山隆

◆三句鑑賞

締めて快適褌外して尚快適 植田郁一
 何とも快活快適な句。小生も褌にしたいと思っている。兜太先生と風呂が一緒のときの褌姿を思い出している。作者植田郁一氏そのものの一句であろう。りズム良き七七五に乗せられてしまったのである。日常生活を見事に俳句にしていただいた。兜太先生も喜んでいるだろう。ありがとう。

秩父産土寒九の水を飲み干して 関田誓炎
 作者は秩父在住、勿論産土である。関田さんの温かさは秩父での俳句道場、全国大会等でお目にかかり、何時も秩父産土の句を創っていた。中七、下五のたたみ掛ける力強さに惹かれると共に、産土を愛する心が関田さんに句を創らせているのであろう。寒九の水がよく効いている。

除染ごみ去ってそのまま赤のまま 中村晋
 作者は福島の被曝の句を作り続けている。その一貫性に脱帽であり尊敬する。なかなか同じテーマを書き続けることは大変なことである。除染されても元には戻らない。人々は帰れない、「そのまま赤のまま」が見事に現状を言い得ている。そして、赤のままが人々の哀しさ、口惜しさ、苦しさを表している。
(鑑賞・稲葉千尋)

不意の句を薬ぶくろに書く夜長 前田典子
 稀に天からでも降りてきたように一句が生まれることがある。急いでメモしなければ二度と思い出せない。兜太先生の「おおかみに螢が一つ付いていた」も、そうして生まれた句に違いない。天から降りてきた句は、不思議と韻律がいい。韻律に酔い解釈などする気になれない。生活が俳句になるとたまに天の贈りものがある。

草一本一本が人類滅亡を待つ マブソン青眼
 草たちの呪詛であろう。男たちの欲望無限肥大により、植物も動物たちも多くの種が地上から姿を消し、その勢いは加速している。環境汚染が自然破壊とその絶滅を招くことを知りながら、我々は相変わらず膨大なエネルギーを使い続ける。印度のある聖者は「あなたの居る場所を聖なる場所にしなさい」と言った。それしかない。

燗熱く神を信じる信じない 柳生正名
 素粒子の信じられない動き、人体のメッセージ物質同士の不思議な連携などを知れば、神の存在も信じたくなる。一方、凄まじい自然災害や無辜の子ども達や女性を無残な死に追いやる戦争を黙っている神なんて信じられない。だが、量子脳理論と量子生物学が神の存在について明らかにする日が近づいている。その日まで生きよう!
(鑑賞・大髙宏允)

渡り鳥繋がりたくはないのです 高木水志
 渡り鳥が集団で飛ぶのは合理的理由からとはいえ単独行動したい鳥もいる。私の母は難病でケアの領域に入る繋がりを受けざるを得なかった。その時ある方から「お母様は今、人を教えています」と言われた。繋がりたくないと本人は切望しても周りの人は何か学ぶ。揚句から繋がりについて多く考える機会を頂いた。

帰り花余生と言う程暇じゃない 中村道子
 退職や子育て終了後気落ちしていたのに今は、趣味、ボランティア、パート、体操などと忙しい。何世代か前、主役を終えた後は静かで穏やかな、余生と呼ぶにふさわしい毎日であった。一方現代の引退後世代は、体力気力充実し、やること盛り沢山。帰り花の季語をきかせ今のこの年代をユーモラスに代弁している。

息をせぬ全ての兵士星月夜 山下一夫
 戦地での兵士の究極の仕事は相手の命を堕とす、もしくは自分の命を失くすこと。帰結のように、兵士の名のもと、有史以前よりどれだけの命が奪われていったか。その上、現在進行形で日々その数は増えていく。星月夜に輝くあまたの星が、敵であれ味方であれ、息途絶えた全ての兵士の悲しみに重なる。
(鑑賞・野口思づゑ)

不登校小鳥は水場さがしてる 伊藤道郎
 未知のことを知る喜びや友達ができる嬉しさで、多くの子どもにとって楽しいはずの学校生活。しかし、学校に居づらさを感じる子どもは年々増えているという。小鳥が水場を探すように、心の翼を休める場所を求めている彼らのSOSを、何故こうも教育の現場は見逃してしまうのだろう。そんな声が聞こえてきそうで心に刺さる。

天地創造蟻いっせいに走る 前田恵
 一読して、スペクタクルファンタジー映画で知られる「天地創造」のシーンが目の前に広がった。庭木の樹皮の間を登る蟻の行列、プランターを退かしたとき四方八方に散らばる蟻を眺めていると、映画の中のバベルの塔をはじめ、崩壊してゆくソドムやゴモラの街で右往左往する群衆に見えてきて、とても惹かれた。

ゆっくりと落葉語で話してくれ 横山隆
 春の若葉が夏になって輝きを増し、いつしか紅や黄に色づくように、話し方もまた様々な経験を重ねることで、いっそう魅力的になる。落葉語にはこうした作者の思いが深々と込められ、心に響く。近頃の、アップテンポで略語まじりの若者言葉を、やんわりと皮肉ったユーモアセンスも光り、興味が尽きない。
(鑑賞・三好つや子)

◆海原集〈好作三十句〉武田伸一・抄出

錆に血の滲みて重し兎罠 あずお玲子
詰まる胸にこころあるらし寒の月 有栖川蘭子
脳幹の日溜りにほら冬の草 飯塚真弓
象の貌のやうな流木に初日 石鎚優
二時間を雪降るだけを見つめいる 井手ひとみ
初日なまぬくし戦前なのかいま 岡田ミツヒロ
うしろ影しぐれて吾妻ゆきゆけり 押勇次
癌潜む暗がりからの冬の蝶 小野地香
手袋の草用水用北風用 梶原敏子
返り花母へ恩給の兵の墓 後藤雅文
ストーブや母の絵筆に黄の灯る 小林育子
武器を擱くそれも戦争冬銀河 近藤真由美
松飾りせで雪国を出でにけり 佐々木妙子
思ひ人とうにはかなし雪明り 佐竹佐介
雨雪あめゆじゅの味遥かなり喜寿過ぎて 塩野正春
いいえ世間に負けたということ冬至 清水滋生
体内にブラックホール大焚火 宙のふう
我が輩は仔猫の主で父母の子で 立川真理
我が生は太古よりくる半仙戯 立川瑠璃
流氷を打てばふるさと後退る 谷川かつゑ
狐火のコサックダンス渺々と 藤玲人
北塞ぐよく似た顔のいる棺 中村きみどり
男とも女ともなく雪の匂い 福岡日向子
裸木や癌を抱くも先を見る 保子進
思い出になるまでを雪の下で生きる 松﨑あきら
自畫像に瞳描けぬ日溜まりや 吉田貢(吉は土に口)
初詣せーので始まる二礼かな 吉田もろび
文鎮を母の押さえて「ゆめ」吉書 路志田美子
反戦の血潮まじへる寒椿 渡邉照香
寒紅や母親の胸にある曠野 渡辺のり子

春の色 望月士郎

『海原』No.47(2023/4/1発行)誌面より

第4回海原金子兜太賞受賞第一作〔3回連作・その3〕

春の色 望月士郎

みずいろの今から春を描く絵具
啓蟄の赤い「家庭の医学」かな
キューピーにももいろの影告知祭
青しとは白木蓮のうわの空
夕桜うすむらさきの声で呼ぶ
鳥雲に灯台という白えんぴつ
春の野にひとりのみんな出て黄色
黒猫と白猫の恋ジャズピアノ
目玉だけ残してアネモネの紫
風船にみどりの時のふくらみつつ

『海原』No.47(2023/4/1発行)

◆No.47 目次

◆海原秀句 同人各集より

安西篤●抄出

咆哮の君ら白紙を冬の日に 石川青狼
「もういい」と点滴の兄冬紅葉 榎本愛子
母さんは百合鴎そう新種です 大沢輝一
ジェラシーの薄くなるまで葱刻む 奥村久美子
余命という白き鳥浮く冬の水 桂凜火
枯葦の屈強村に子がいない 加藤昭子
雪蟲や埋れしままの異土の骨 河田清峰
赤心にかざありとせば冬林檎 北村美都子
とろろ汁頭上どこかをドローンかな 木下ようこ
冬の蠅こんな身近に孤独死が 黒済泰子
葛飾や小春日を掃く寺男 小松よしはる
小寒や手押し車の母の息 齊藤しじみ
十二月八日余白に父の海 白石司子
鮫肌の梅の古木に父宿る 鈴木康之
寒雀俺の訃報は俺が書く 瀧春樹
綿虫飛ぶわたしから遠いわたし 竹田昭江
冬の月言いたいことはそれだけか 田中信克
楽譜ひらけば流れだす冬銀河 月野ぽぽな
泥醉や渾身どこも散紅葉 董振華
飴色に焼けた鍛冶屋の鼻に雪 中内亮玄
冬晴れや番い鳥めき生協に 中村孝史
自由ですシベリアからの白鳥群 野口思づゑ
遠い戦禍ドミノ倒しに末枯るる 疋田恵美子
餅ふくれだす昼のふしぎなじかん 平田薫
何に震えてスマホあかりよ白鳥しらとりよ 藤野武
晩年のネコ科の二人小六月 船越みよ
銀杏舞う逆光なれば亡兄が立つ 松本勇二
開戦日日の丸という赤き穴 望月士郎
老いゆくや抽斗いっぱいの空蝉 森鈴
物忘れ叱られているポインセチア 渡辺厳太郎

中村晋●抄出

中村哲さん大根人参太かりし 稲葉千尋
出棺待ち遠し綿虫が騒ぎ出す 植田郁一
歩くほど遠くが見える草紅葉 上野昭子
湯上りの母ほめる父鳳仙花 柏原喜久恵
枯葦の屈強村に子がいない 加藤昭子
はたはた食いこめかみ辺り日本海 狩野康子
弟の名多き亡母ははの日記雪 木下ようこ
大根煮る女で母で祖母であり 楠井収
夕やみだか雪虫だかどっと来る 佐々木宏
霜柱踏む確かさや骨密度 佐藤紀生子
アレッポの児らに乳無きクリスマス 高木一惠
みみずくや閉じゆく今を見つめてる 高木水志
甲殻類の男が集う冬埠頭 たけなか華那
着ぶくれてサッカーどうでもいいです 峠谷清広
小鳥来る寂しい日差しを連れてくる 董振華
栴檀の青い実主語のない話 鳥山由貴子
白鯨の座礁しており冬銀河 中内亮玄
「北風がビューンって言ったね」「行ったね」 中村道子
雑巾を投げて冬蝿落ちにけり 梨本洋子
冬鷺の滑空おのれ生かすごと 根本菜穂子
船長は山茶花宇宙船地球号 野﨑憲子
淡々と流されてあり秋のベンチ 日高玲
山茶花溢る確かにあつく兜太の手 藤野武
裸婦像を見あげる仔犬冬ぬくし 本田ひとみ
山眠る小さな村の木の図書館 松岡良子
花枇杷ほのと福耳ともるをちこち 三世川浩司
熱燗や喪中葉書に殴られて 宮崎斗士
えびせんに残る海老の眼秋の風 深山未遊
固太りの子どすんと膝に冬夕焼け 村松喜代
PKのキーパー逆に跳ぶ霜夜 柳生正名

◆海原秀句鑑賞 安西篤

咆哮の君ら白紙を冬の日に 石川青狼
 昨年十一月、中国政府の強硬なゼロコロナ対策に、たまらず白紙を掲げて抗議するデモが起こった。この抗議に対する応援の声は、台湾、東京、ニューヨークにも広がったという。白紙の意味は、何を書いても消されてしまうというものだったらしい。掲句は、その運動への声なき声援を送ったもの。時は「冬の日」だが、厳しい現実をも含意しているとみてよかろう。「咆哮の君ら」に、その切迫感が覗える。

赤心にかざありとせば冬林檎 北村美都子
 「赤心」とは、いつわりのない真心のこと。「香」を「かざ」と呼ぶのは、京ことばで、関西や北陸地方でも使われているという。「赤心にかざ」と配した作者の言語感覚に驚く。「せき」「かざ」の音韻の響き合いが、いかにも冬の季節感に通う。しかも「赤」「香」の意味的な照応が、「冬林檎」の質感を浮かび上がらせる。音と色合いが、「赤心」と「冬林檎」に具象感を与えたのではないか。

とろろ汁頭上どこかをドローンかな 木下ようこ
 とろろ汁を食べている頭上に、ドローンの飛んでいる音が聞こえてくるという景。取り立ててどうということのない句ながら、その音韻効果と相俟って、なんとなく冬の日の鬱屈感とどこか不安感を混ぜたような、妙な陽だまりを感じられないだろうか。それは長引くコロナ禍につながる不思議な実感を呼ぶような気がしてならない。その敏感さが作者の詩的感覚なのだ。

十二月八日余白に父の海 白石司子
 開戦の日の余白に父の海があるという。おそらく父にとっては大きな出来事であって、それを機に、その生涯に大きな転機が訪れたのだ。歴史を画する時なら、誰しも訪れる転機だろうが、作者自身の人生にとっても父の転機が、大きく影響したのかも知れない。「父の海」は、作者にも続く海だったのだろう。

寒雀俺の訃報は俺が書く 瀧春樹
 寒雀が地表を盛んに啄んでいる。その様子を、電信で訃報を打っている様子と見た。近頃盛んに舞い込んでくる訃報と見立てたのだ。そのとき、やがては自分自身の訃報も、このようにして打たれるのではないかと感じている。だが待てよ、俺の訃報ぐらい俺が書くから、余計なことはするなという。それは身近に感じている耐えがたい死の恐怖への、裏返しの衝迫だったのかも知れない。

自由ですシベリアからの白鳥群 野口思づゑ
 シベリアは多くの虜囚の流刑の地。そのシベリアから多くの白鳥が帰ってきた。白鳥は口々に、今、私たちは自由ですと呼び交わしているかのようだと見ている。作者の思いの中には、ロシアのウクライナ侵攻で捕らえられた人々の思いを込めているに違いない。上五に「自由です」と置いて、解放感の大きさを訴えた。

晩年のネコ科の二人小六月 船越みよ
 「晩年のネコ科の二人」とは、老いたる夫婦を想像する。二人して小春日の陽だまりの中に座って、日がな一日うつらうつらと日を過ごす。それは従順で愛らしい老い猫のようにも見える。この句はそれ以上のことは書いていないが、何もしない、出来ない二人ながら、そこにいるだけで、二人にとっての平和な温もりがある。

開戦日日の丸という赤き穴 望月士郎
 太平洋戦争開戦日十二月八日は、無謀な戦争を仕掛けた日本の大きな錯誤の日という他はない。もちろんそこに追い込まれる国際情勢があったとしても、長期的な展望を欠いたイチかバチかの賭けだった。またマスコミに煽られた世論があった。さらに「日の丸の下、為せば成る」という盲信がまかり通っていた。「日の丸という赤き穴」は、そんな歴史時評を見事に、感覚的に言い留めている。

老いゆくや抽斗いっぱいの空蝉 森鈴
 老いの意識は、不意に訪れるものだが、「老いゆく」とは、その重なりをいう。空蝉は、気づいたときに拾い集めたもので、それは時間の断続的な流れの中で堆積してゆく。ふとみると抽斗いっぱいに貯まっていたという。そこには人生の虚しさが詰まっていて、こんな形で老いてゆくのかという感慨を誘うのではないか。それを見て、老いへの向かい合い方をあらためて確かめなおしているのかも知れない。

 他に取り上げるべきだった句を列挙しておきたい。

「もういい」と点滴の兄冬紅葉 榎本愛子
母さんは百合鴎そう新種です 大沢輝一
ジェラシーの薄くなるまで葱刻む 奥村久美子
枯葦の屈強村に子がいない 加藤昭子
冬の蠅こんな身近に孤独死が 黒済泰子
綿虫飛ぶわたしから遠いわたし 竹田昭江
楽譜ひらけば流れだす冬銀河 月野ぽぽな
冬晴れや番い鳥めき生協に 中村孝史
何に震えてスマホあかりよ白鳥しらとりよ 藤野武
銀杏舞う逆光なれば亡兄が立つ 松本勇二

◆海原秀句鑑賞 中村晋

淡々と流されてあり秋のベンチ 日高玲
 一読不思議な世界に迷い込ませるような句。目の前に存在しているベンチが、淡々と流されてやってきたとはどういうことなんだろう。流浪のベンチ。どこか砂浜にでも作者はいるのだろうか…。そこではたと気づく。この句を「秋のベンチ」の前で一旦切って読み直してみるとどうなるだろう。すると「淡々と流されて」あるのは作者であり、作者はある種の漂泊感を抱いてベンチに腰掛けている、とも読めてくる。読者をひとつの世界に誘い出し、しかしそこでまた別の世界に連れ出す絶妙な間合いのある一句。しみじみと自身の生の意味を噛み締める作者の姿がありありと見えるようだ。

花枇杷ほのと福耳ともるをちこち 三世川浩司
 作者の作品世界はつねに独特だ。まずは韻律のオフビート感が他の作者にはない持ち味である。そして言葉の選択。「花枇杷ほのと」のあとの「福耳」への転換。しかも「福耳」が「ともる」とはどういうことか、つい立ち止まり考えさせられてしまう。しかし何度も味わううちに初冬の明るい光景がじわじわと目の前に広がってくるから不思議だ。そしてなんともいえない幸福感も。「考えるんじゃない。感じるんだ。」という言葉を思い出してしまうほどの感覚の世界。こういう句を作る作家を擁する「海原」の懐の広さがとてもうれしい

山茶花溢る確かにあつく兜太の手 藤野武
 「温く」を「あつく」と読ませるところが実に心憎い。「厚く」もあり「熱く」もあった兜太先生の手を、私も思い出さずにはいられなかった。「山茶花」との取り合わせが、身体が覚えている「温い」記憶を呼び起こすようだ。身体に訴える句の力強さを改めて思う。

熱燗や喪中葉書に殴られて 宮崎斗士
 この句も身体感覚を呼び覚ます一句。「喪中葉書」に驚き、喪失感を覚えるときの心の痛みを、「殴られて」と言い止めながら、作者はその痛みに耐えているに違いない。また「熱燗」を飲む作者の心は少々荒れているかもしれない。だが、その痛みや荒れの奥から、作者の優しさが熱く滲み出してくる。痛いほど優しい一句。

夕やみだか雪虫だかどっと来る 佐々木宏
 俳句を作り俳句を読みながらいつも不思議に思うのは、この短い詩型が、どうしてこれほど風土を色濃く盛り込めるのかということである。おそらく意識して盛り込めるものではないだろう。作者の潜在意識が句に表出されるということなのだろう。俳句の面白さ奥深さという他はない。そしてこの句もその例に漏れない。「夕やみだか雪虫だか」と少しおどけながら「どっと来る」とぶっきらぼうに言い放つ。闇の大きさを感じつつ、これから訪れる厳しい冬の予兆に作者は畏れを抱いているに違いない。北の大地の風土が韻律に刻印されている句だ。

枯葦の屈強村に子がいない 加藤昭子
 現在の地方、とくに僻村の状況を活写した一句である。子がいないだけではなく、もはや働き盛りの青年壮年がいないのだ。皮肉なことに残っているのは「屈強」の枯葦ばかり。「屈強」ということばを反転して使った作者の言葉を選ぶセンスが光る。と同時に、風土を徹底して描くことで、句がおのずから社会性を帯びてくることにも気づかされる。俳句にどのように社会性を盛り込むか、地方の俳句作者にとって示唆に富む一句である。

みみずくや閉じゆく今を見つめてる 高木水志
 作者は二十代の青年。私も二十代の後半から俳句を作り始めたが、この年代でこのような時代の感覚を映し出した句を作ることなど到底できなかった。「閉じゆく今」という表現に時代の閉塞感が見事に映し出されていると思う。そして言葉にできない憤りなども。「閉じゆく今」という時代に我々はどう抗うか。これは決して青年だけの課題ではない。多くの人たちと分かち合いたい一句。

アレッポの児らに乳無きクリスマス 高木一惠
 今はウクライナの戦争のことが話題の中心だが、ほんの数年前はシリアの内戦、とくにアレッポの惨状のことがニュースでしばしば報道された。今ここに作者が「アレッポ」を持ち出す理由はどのようなものだろうか。シリア内戦のことを忘れかけている我々を問い質しているのだろうか。ウクライナではなく、あえて「アレッポ」を題材にし、ストレートに句にした作者に共鳴する。

船長は山茶花宇宙船地球号 野﨑憲子
 「宇宙船地球号」という言葉を提唱したのはアメリカの建築家バックミンスター・フラー。1972年ストックホルムで開催された国連人間環境会議においてこの言葉がスローガンになった。私は社会の教科書でこの言葉を学習した記憶がある。しかし今この言葉をどれほどの人が衒いなく使えるだろう。作者の大胆さに感銘する。「宇宙船地球号」という言葉の重さよ。しかも船長は山茶花という。このファンタジーのあつさよ。

◆金子兜太 私の一句

死にし骨は海に捨つべし沢庵嚙む 兜太

 この句を目にした時、胸をガツンと打たれた気がしました。一凡人である私は、世に名を残すこともなく、命が尽きれば、この世から消え忘れられてゆくのだと達観している。だからこそ生を全うしたいと思っている。たとえ沢庵を食ってでも、である。私の人生訓にしたい句です。『少年』(昭和30年)より。佐藤君子

涙なし蝶かんかんと触れ合いて 兜太

 「出会いは、人生の香り」と聞かされてきた。兜太先生と出会わせてもらい、半世紀が過ぎた。ふらふらとずるさもしながら、やっとなんとかここにいる。万謝である。掲句は、「海程」最後の熊谷大会で出句した句が佳作に入選。頂戴したサイン入り『いま兜太は』(平成27年・岩波書店)の中にある。万象の命への感受、天からの声が聞こえてくる。句集『暗緑地誌』(昭和47年)より。森田高司

◆共鳴20句〈1・2月合併号同人作品より〉
〇印は2選者の共選句 ◎印は3選者の共選句

泉陽太郎 選
蟋蟀の声脳幹の碧色 石塚しをり
良心に勝る杖なし大花野 鵜飼惠子
雨上がり昔を映す水溜まり 大西政司
曼珠沙華言葉に毒を乗せて吐く 奥山和子
○邪な愛をプチトマト転がる 桂凜火
古稀以後の遊び足りない烏瓜 加藤昭子
人は渦をつくりては解き天の川 鎌田喜代子
花野道兵士は前を見るばかり 楠井収
吊皮に見覚えのない右手かな 小松敦
なんでもないそう言いながら雪の道 小山やす子
十六夜や聖域という揺らぐもの 近藤亜沙美
坂道も人の命も秋色で 佐藤詠子
冬の虹自転車の青年が追う 佐藤博己
晩夏光鍵の匂いを深く嗅ぐ 重松敬子
木の葉髪生きた証しが湯に遊ぶ 立川弘子
はつしぐれ海にも海があればいい 平田薫
○萩白く母はことばの向こう側 藤田敦子
待たされてもいい満月なんだから 船越みよ
自虐とう手近な安堵蝉の穴 森由美子
秋思とはナースコールの一歩前 渡辺厳太郎

刈田光児 選
吹く風に吹かない風に秋の艶 泉陽太郎
被曝地解除揺れつ戻りつ秋の蝶 宇川啓子
鰯雲対策本部事務会議 片岡秀樹
酔芙蓉モデルはすっと笑う面 川崎千鶴子
雁渡し逝ってしまえば反故ですね 河原珠美
秋霖を胸の林へふりそそぐ 後藤岑生
薔薇の門に青き棘あり潜りけり 小西瞬夏
新潟米一年分を取りよせて 小林花代
青春の18きっぷ青みかん 齊藤しじみ
曼珠沙華身のうちそとの水揺れて 佐孝石画
在りし日の母の携帯金木犀 志田すずめ
峡住みの男へぼろんと木の実降る 白井重之
曼珠沙華我魂草木南無阿弥陀 鈴木孝信
十五夜の靴が揃って跡目論 すずき穂波
糸とんぼこんな湧水ある平和 芹沢愛子
虫鳴くや点滴流れゆくからだ 高木水志
指物師ナンバンギセルなど吹かす 鳥山由貴子
毒舌はきみの優しさ曼珠沙華 室田洋子
月そっと心療内科をひらきます 望月士郎
嘘つきの狐になって早五年 らふ亜沙弥

すずき穂波 選
院展や首にあご埋めなおし観る 石川まゆみ
悼む夜を流星の弧のさしこめる 伊藤道郎
いのこずち私の邪魔をしない蛇 奥山和子
○邪な愛をプチトマト転がる 桂凜火
聞き返し聞き返し紅葉かつ散る 川崎千鶴子
秋日影近未来的水飲み場 川田由美子
梨噛んで夫が遠い目をしたる こしのゆみこ
裸電球背中は一本の廊下 三枝みずほ
秩父産土寒凪の水を恋すなり 関田誓炎
蜩や引き延ばされた僕がいる 高木水志
蝉の山は飢餓かな俺の樹が揺れる 竹本仰
歯磨きの母の背骨の寒露なり 豊原清明
霍乱の母に冷凍野菜貼る 新野祐子
たましひのはなるるけはひ霧の杖 野﨑憲子
○茗荷咲く痛みはもぐり込んでゆく 日高玲
○萩白く母はことばの向こう側 藤田敦子
蓮の実飛ぶ水輪のように帰心あり 船越みよ
大花野旅の一座のホバリング 松本勇二
目を閉じることがアトリエ長き夜の 宮崎斗士
迢空忌だんだん怖い葉っぱの面 三好つや子

横地かをる 選
場に小鳥不登校という翼 伊藤道郎
冬瓜転がす時々人間が淋しい 井上俊一
あめんぼうこんなに軽い静寂感 榎本愛子
秋の日はクリスタル新しい靴も 大池桜子
柩おろし野菊の中の人を呼ぶ 大西健司
我が恋は今どの辺り式部の実 川崎益太郎
山法師流れのままに今をゆく 黒岡洋子
同期みな戦力外や新酒酌む 齊藤しじみ
つま先から未来へ入る秋の山 すずき穂波
弦そつと弾く秋雪払ふやう 田中亜美
曼珠沙華火の骨組みに緩み無く 中内亮玄
○茗荷咲く痛みはもぐり込んでゆく 日高玲
国境の切り取り線に秋夕焼 増田暁子
やわらかい気持ちの余白おでん喰う 松井麻容子
紫蘇の実を摘みし指先水を編む 松岡良子
いつはりなきかたちとなりて枯木星 水野真由美
草雲雀ふっと鉄道唱歌かな 三好つや子
自然薯に山の記憶の容かな 矢野二十四
夕顔の凜と咲く家老世帯 吉村伊紅美
障子切り貼り動物の白過ぎる 若林卓宣

◆三句鑑賞

良心に勝る杖なし大花野 鵜飼惠子
 転ばぬ先の杖、という。何事も前もって準備しておけば失敗しない、といった意味だろうか。でも、と最近思う。杖を作るにもつくにも労力が要る。安全のため、権利のためなどといって日々たくさんの杖が作られる。作っていなければ非難もされる。でも、これって、きりがないのではないか。大花野を見渡す。答えを探して。

雨上がり昔を映す水溜まり 大西政司
 いつのことだったか。よく思い出せない。そもそもそんなことは、どうだろう、でも何かが、どこかに、引っかかっている。聞こえる。これはなんだ。雨、雨か、いや雨の音か。そう、雨だ。わかっている、もう過ぎたこと。もうどこにもない。どこにも。

晩夏光鍵の匂いを深く嗅ぐ 重松敬子
 すべてが気に入っていた。夏の朝日、冬の西日。台所から見える公園、子供たちの声。くしゃみばかりする給湯器、追い焚き機能のないお風呂。妙に縦長の靴箱、持ち上げてから閉める扉。地図の染みがある天井、壁を埋め尽くす本棚。そして、あなたの机。それが、前触れもなく、こんなにあっけなく。それが。でも、これでよかった。きっと、これでよかった。
(鑑賞・泉陽太郎)

峡住みの男へぼろんと木の実降る 白井重之
 一句は、春の季節を裏返ししたような晩秋の峡の美しい景が想像される。青天と紅葉した夥しい木の葉のコントラストの対比に、季節のクライマックスを見る。時折り木の実の落下の響きが周りの静寂を破り、余韻の後に静寂を深くする。〈ぼろん〉というオノマトペが何とも効果的。生活を愛し、俳句を生き甲斐とする作者。

糸とんぼこんな湧水ある平和 芹沢愛子
 この句を試みに数式で読んでみる。〈糸とんぼ+こんな湧水ある=平和〉、動詞〈ある〉は、上下に掛かるあるあるの両掛かりと読みたい。一句は、稚い糸とんぼと湧水の清らかな美の中に自然の真の平和を感受した。ちなみに新潟市郊外に在る「佐潟さかた」に生息している糸とんぼは、ラムサール条約の庇護のもとに平和に生きている。

指物師ナンバンギセルなど吹かす 鳥山由貴子
 指物師という名前に、指の文字が使われており、精巧な細工を施す器用な技能が窺える。細工物を見たくて興味津津。ナンバンギセルは夏の野草。ネーミングが面白く、両者の取合せが実にユニーク。導入の副助詞の〈など〉は、他の物を暗示する含みのある言葉で、戯けぶりが軽妙。読み手に想像の余白を預けた一句。
(鑑賞・刈田光児)

聞き返し聞き返し紅葉かつ散る 川崎千鶴子
 「耳遠くなり、目薄くなり……それが老い、いたしかたなく、かたじけなく、それが老夫婦の両想い?まだまだ人生紅葉、けれど、はらはら散り初めたのよ、ちゃんとわかってあげたいから、ちゃんと解り合えたいから、何度も聞くよ、何度でも応えるよ」こんな慈愛の一行詩。

秋日影近未来的水飲み場 川田由美子
 「近未来的」は「前近代的」の陰画ネガ。不透明で不穏な現代、この二極は同一性を帯びてもいるのだ。秋日影に存在するノスタルジックな一隅、そこに機能美を備えるものの無機質な水飲み場を見つけたのだろう。人間不在の感も漂う。地球砂漠化が言われているが、水の惑星の、水の未来を一瞬想い描いた作者の空疎感、そして倒錯感。

たましひのはなるるけはひ霧の杖 野﨑憲子
 ビデオゲームに「霧の杖」という奇妙なソフト名があるが、掲句は霧中に置かれている杖だろう。人影は見えず、亡き人の魂だけが未だ杖に残っている。その魂もそろそろ杖から離れようとしている。霧が晴れやがて杖そのものだけが遺品と化し、故人の存在が比類なき確固たるものとなる。この句の映像は、幻視に終わっていない。「いのち」が深く捉えられているからだ。
(鑑賞・すずき穂波)

水場に小鳥不登校という翼 伊藤道郎
 不登校を比喩に用い一句を成立させている。さまざまな原因や理由で学校への行きづらさを感じていること子どもの現実がある。「水場」にいる「小鳥」は不登校の子のすがたとも重なり胸が痛くなる。しかし、「翼」にはその子の心を落ち着かせる確かな力量を感じる。広い世界へ飛び立とうとするプラス思考への昇華でもある。

山法師流れのままに今をゆく 黒岡洋子
 三年におよぶコロナ禍の規制。以前の生活とは余りにもかけ離れた日常を余儀なくされ、家の中に籠る作者。「流れのままに今をゆく」思い描いていたコロナ前の暮らしとは甚だ違う生き方を強いられてきた作者の偽りのない心の在り様は尊いもののように感じる。流れに抗えぬ人の暮らしの余情がにじむ佳句。

やわらかい気持ちの余白おでん喰う 松井麻容子
 緊張がほぐれた時、ほっと気持ちが軽くなることを覚える。「やわらかい気持ちの余白」はそのような状況なのかと思う。精神的にゆとりが出てくると何か食べたくなるということも心情的に理解できる。折も折、じっくり味の沁み込んだおでんを口にされたのだ。心も体も温かくやわらかい。作者の真心がしずかに伝わってくる。
(鑑賞・横地かをる)

◆海原集〈好作三十句〉武田伸一・抄出

いい人と呼ばれたくない冬夕焼 有栖川蘭子
尾を持たぬ巨大な影と日向ぼこ 有馬育代
冬椿人の重さの撓みかな 安藤久美子
胆勇を備へ旦暮のマスクかな 飯塚真弓
水初めて氷る山羊を飼う保育園 石口光子
冬の蝿冬の踊の真青なる 石鎚優
うさぎ抱く少女のピアスしゃれこうべ 上田輝子
ひとり身に横殴りかよ初こがらし 遠藤路子
A型かB型かといえば時雨る 大渕久幸
氷の眼いま恍惚の核ボタン 岡田ミツヒロ
哲の日の降りみ降らずみ雨絶えず 押勇次
帰る家なし押し競らに弾かれて 小野地香
妣命日はこの店のこのシクラメン 樫本昌博
皹を隠しいくばく親不孝 木村寛伸
吊し柿夫婦の糖度高めあう 後藤雅文
聖樹高々人はみな誰かの子 小林育子
銀杏降るこの名画には武器はない 近藤真由美
平和呆け少ししていて開戦忌 重松俊一
ワシントン靴店俺たちの墓標とあり 清水滋生
高一や浮かんで消ゆる春を抱き 立川真理
冬かげろう吾の眼にいない吾を探す 立川瑠璃
絞首台のあった辺りや雪蛍 藤玲人
敵味方の鍵こじあけよ初景色 福井明子
想像の及ばぬ日々を時雨かな 福岡日向子
青春は戦争さなか日向ぼこ 増田天志
雪の道ひしと玉子を買って帰る 松﨑あきら
春の闇六畳一間は脈をうつ 村上舞香
頬かぶり似合える君と手をつなぐ 吉田もろび
机下に垂れるエゴイズムしゃこばさぼてん 渡辺のり子
雪女郎手首にナイフ軽く当て 渡邉照香

『海原』No.46(2023/3/1発行)

◆No.46 目次

◆海原秀句 同人各集より

安西篤●抄出

榠樝の実落ちて居場所のなかりけり 伊藤幸
よう来たか秩父木枯吹き合う笛 植田郁一
フェイスシールド色鳥は純な球 大沢輝一
よう咲いたと白山茶花に一献 大谷菫
神送りアンサンブルのような雨 小野裕三
穭田の光唄えば自由律 加藤昭子
覗き込み秋の鏡に入れてもらふ 小西瞬夏
好きな曲だけを集めて小鳥来る 小松敦
戦あるなと隅々を拭く敬老日 坂本久刀
やわらかい握手のごとし荻に月 佐孝石画
連弾です大草原の草紅葉 鱸久子
渡り鳥繋がりたくはないのです 高木水志
ざくろの実その感情のつとはぜる 竹田昭江
かりんの実青く重たく中学生 田中亜美
雨戸重たし無縁社会はしぐれたり 長尾向季
更地にもなれず被曝の田にすすき 中村晋
帰り花余生と言う程暇じゃない 中村道子
誘うような手首の静脈秋の蝶 仁田脇一石
肉親との話し炭火のあたたかさ 野口思づゑ
人類に国境のあり鰯雲 野﨑憲子
綿虫の微かな気流妊婦なり 藤野武
言い訳の色づく秋の山帰来 松本千花
棒高跳びの空の重たさ中也の忌 宮崎斗士
時雨忌やラーメン店の列に従く 村本なずな
血の色の実の生っている寒さかな 望月士郎
ラ・フランス自傷の匂い微かなる 茂里美絵
飛魚は星座になってみたいんだ 森由美子
燗熱く神を信じる信じない 柳生正名
息をせぬ全ての兵士星月夜 山下一夫
老老の庭灯すごと石蕗の花 吉澤祥匡

中村晋●抄出

秋の蟻影の重さに立ち止まる 伊藤歩
今夜読む本ありホットミルクティー 大池美木
弔辞優し屋根に燕の列長し 大久保正義
模造銃構え少女の微笑む冬 大西健司
桜もみじ巣箱はさびしいオブジェです 河原珠美
立て掛けし画架イーゼルに跳ね櫟の実 北村美都子
月夜です田んぼに忘れし茣蓙一枚 小池弘子
覗き込み秋の鏡に入れてもらふ 小西瞬夏
戦あるなと隅々を拭く敬老日 坂本久刀
友の名呼ぶ冷たい月を撫でるように 佐孝石画
はつ雪をまず掌になみだほど 佐々木香代子
差羽来て野はひりひりと透き通る 篠田悦子
日の沈むくにの国葬まんじゅしゃげ 芹沢愛子
冬野やや遠くに孤礁のよう老人 十河宣洋
紅葉かつ散る停戦の落しどころ ダークシー美紀
窓越しに看取る日もあり朴落葉 立川由紀
白コップに牛乳注ぐ十一月 豊原清明
返さるる介護寝台暮の秋 長尾向季
半月は子規の横顔粥すする 船越みよ
眼の合ひし野菊を摘んで誕生日 前田典子
秋ばらの棘のしづけさ出さない手紙 松本千花
よく凍てて星を集める生家かな 松本勇二
葬儀屋のロレックス光る朝霧に マブソン青眼
北風や執事のような猫と住む 三浦二三子
君の絵に丸ごとの秋 君がいない 村上友子
充電完了まで鰯雲で待機 室田洋子
野ぶどう熟れる片思いってなんと一途 森武晴美
天瓜粉すっぽんぽんが逃げまわる 森由美子
自死の前の君に青空はみえたか 夜基津吐虫
コスモスに風コスモスの風になった 横山隆

◆海原秀句鑑賞 安西篤

よう来たか秩父木枯吹き合う笛 植田郁一
 言うまでもなく、兜太師を偲ぶ句。「よう来たか」に、師のこわぶりが乗り移っている。作者自身、その声、その言葉の体験者であり、それは今もなお秩父の木枯らしの笛の中から聞こえてくるものなのだ。師亡きあと五年の歳月を経てなお、師の声がまざまざと聞こえてくるというのは、それだけ師を惜しみ、その臨在を待望する多くの人々の思いを、伝えようとする作者の願いでもあろう。

穭田の光唄えば自由律 加藤昭子
 穭田に萌え出る若い稲が、懸命に新しい茎を伸ばそうとしている。それは晩秋の光の中に輝いて、あたかもてんでに唄を唄っているかのよう。唄は斉唱でも合唱でもなく、それぞれ勝手にソロで唄い、中にはラップ調でしゃべくるものもいる。そんな混然とした演奏前の音合わせのような光の束を、「自由律」と言ってみたのではないか。この音と光の合奏の着眼は、穭田の風土感を新しい視角から言い当てている。

覗き込み秋の鏡に入れてもらふ 小西瞬夏
 昔風の箱作りの鏡台で、親しい間柄の人がお化粧をしている。その「おつくり」の途中の鏡面に、ふっと覗き込むようにわが顔を差し入れて、あやかりたいとでもいうかのように、化粧する人の顔に重ねて鏡像を見ている。その瞬間を、「秋の鏡に入れてもらふ」としたのは、美しく仕上がってゆく人への羨望に近い憧憬ではないか。

戦あるなと隅々を拭く敬老日 坂本久刀
 おそらく、ここで隅々を拭いているのは、敬老日にお祝いされる当の老人であろう。別に誰に頼まれたわけでもなく、むしろ今日は何もせずゆっくりしていて下さいと言われていながら、自ら進んで隅々まで拭き掃除をする。後に残る世代に、せめて戦争のない今の平和な暮らしが続きますようにとの願いを込めて、丹念に。

やわらかい握手のごとし荻に月 佐孝石画
 荻は、蘆に似た水辺に生える高さ一〜二メートルの大型の多年草。中国では蘆荻という言葉もある。人目を忍ぶ逢瀬なら、恰好の隠れ処かもしれない。月は中天に登って、川辺のデートもそろそろ別れの時が迫っている。そよそよと揺れる荻のさやぎが、やわらかい別れの握手の触感をつたえるかのようだ。二人の胸には、同じ思いが兆しながら、なかなか切り出せない。作者の青春性がよく出ている一句。

肉親との話し炭火のあたたかさ 野口思づゑ
 オーストラリア在住の作者が、古き良き日本の風土感に根ざす句をものした。海外在住の作者には、こんな憧れがあるのかも知れない。たしかハワイ在住のナカムラ薫さんも、「野遊びの素直になるための順路」(令和三年九月)と作っていた。掲句は、久しぶりに帰国した時、炭火の火鉢を囲んで肉親と話をした。その温かかったことを、心も体もひとしなみに受け止めている。

人類に国境のあり鰯雲 野﨑憲子
 ウクライナ戦争をモチーフにしている句。この戦争は長期化の様相を呈し始め、出口の見えないまま対立と緊張度を高めつつ、世界を大きく巻き込む可能性が出てきている。二〇二三年、日本の国境周辺での緊張感は一層高まるかも知れない。世界のグローバリゼーションは、ウクライナ戦争によって機能不全に陥った。あらためて人類に国境があることを思い知らされたという危機感を、作者はひしひしと感じている。この場合の鰯雲は、降雨の前兆としての不安感であろう。

綿虫の微かな気流妊婦なり 藤野武
 晩秋から初冬にかけて、青白い光を放って浮遊する綿虫は、雪蛍、雪婆の別名もあるように、幻想的なイメージがある。初雪の降る前に、交尾して産卵するから雌は大方妊婦だろう。綿虫の群は空中に浮遊するので、かすかな気流に乗っているようにも見える。こういう綿虫の生態をそのまま描きながら、「妊婦なり」の抑えで、その空間に漂う生臭いいのちの気配を表出した。

時雨忌やラーメン店の列に従く 村本なずな
 時雨忌は陰暦十月十二日、芭蕉の忌日。そんな由緒ある日に、人気のラーメン店では長蛇の列が続く。「色気」ならぬ「俳気」より「食い気」だ。列の一人に聞いてみた。「時雨忌ってご存じですか」「時雨の季節ってことでしょう。ラーメンも旨い時期ですしね」「いや全く…」。

 他に割愛した評釈に手を焼きそうな注目句を挙げておきたい。

フェイスシールド色鳥は純な球 大沢輝一
神送りアンサンブルのような雨 小野裕三
渡り鳥繋がりたくはないのです 高木水志
ざくろの実その感情のつとはぜる 竹田昭江
帰り花余生と言う程暇じゃない 中村道子
誘うような手首の静脈秋の蝶 仁田脇一石
棒高跳びの空の重たさ中也の忌 宮崎斗士

◆海原秀句鑑賞 中村晋

返さるる介護寝台暮の秋 長尾向季
 しばらく貸し出していた介護用のベッド。それが返却された。句意としてはただそれだけのことを叙述しているようにも見える。しかし、この作者には、介護用ベッドが返却される前には、たしかにこのベッドで人が生きていたという事実が見えている。そして返却されたということは、ベッドが必要なくなったということ、すなわちその人が亡くなったということ。そこまで鮮明に見えている。ベッドが貸し出され、返却される。その日常の中に「いのち」の在り処を見つめている作者の詩心が冴える一句。「暮の秋」の斡旋も見事だ。

窓越しに看取る日もあり朴落葉 立川由紀
 「窓越しに看取る」という表現が尋常ではない。臨終を迎える人と窓ガラスを隔てなければならない状況は、現在のコロナ禍がもたらしたものと想像される。また「日もあり」とあるから、作者は看取ることを日常にしている方なのだろうか。いずれにせよこの句にも、「いのち」の重みが感じられる。「朴落葉」が作者のやるせなさを代弁しているようだ。物に即して心を述べる「即物」の技法。この技術がこの句にしっかりとした骨格を与え、美しい佇まいをもたらしているように思う。

葬儀屋のロレックス光る朝霧に マブソン青眼
 この句も「いのち」に関わる句。とはいえ、捉え方は反語的。死を取り扱う葬儀屋の世俗性、俗物性を告発する作品である。光る「ロレックス」を描き出すところに、死者から金を吸い取り、肥え太る葬儀屋の金満ぶりを見逃さない鋭い批評精神が宿る。「朝霧に」紛れようとしても決して許すまいとする作者一流の反骨の一句だ。

紅葉かつ散る停戦の落しどころ ダークシー美紀
 「いのち」を犠牲にする最たるものは何か。それはおそらく戦争に他ならないだろう。しかもこの度のウクライナ戦争に関しては、核兵器の使用も示唆された。あるいは原子力発電所への攻撃もあった。世界が、そして地球が危機にさらされている。一刻も早く「停戦の落しどころ」を探りたい。その切なる願いが「紅葉かつ散る」にひしひしと伝わってくる。紅葉が散り尽くしてしまう前になんとかしたいとは誰もが願うことだろう。しかし、その方向に向かわないもどかしさ。

戦あるなと隅々を拭く敬老日 坂本久刀
 この作者も戦争に対する怒りを覚えつつも、そのために何をしたら良いのか、何ができるのか、困惑しているようである。「戦あるな」を単に掛け声だけで終わらせないためにはいったい何ができるのか。簡単には答えは見つからない。そしてふと我に返り、「隅々を拭く」ことになる。自分自身の日々の暮らしを全うすること、遠回りかもしれないがそれしか道はないという諦念だろうか。「敬老日」の措辞にしみじみさせられる。

自死の前の君に青空はみえたか 夜基津吐虫
 沖縄に住む作者による作品であることを踏まえると、「自死」の語が重い。太平洋戦争末期沖縄地上戦における自決行為を指すのだろうか。今なお多くの課題を担わされる沖縄。「君に青空はみえたか」の問いは、本土の我々にも「君は青空がみえるか」の問いになって響く。いや、戦争と関わりがなくとも、多くの人々に自死を強いる昨今の日本社会である。鋭く刺さる一句である。

秋の蟻影の重さに立ち止まる 伊藤歩
弔辞優し屋根に燕の列長し 大久保正義

 「いのち」の存在は人間に限ったものではない。すべての生きとし生けるものに宿っている。そのすべての生きものと心を通わせる感覚を「生きもの感覚」と兜太師は呼んだ。それを強く感じるのがこの二句。「秋の蟻」が「影の重さ」に立ち止まっているのか、それとも作者自身が自分の影の重さに立ち止まっているのか、読みに揺れを感じながら、いつしか読む側も「秋の蟻」と心を通わせている。作者と蟻との距離はかなり近い。この近さが「生きもの感覚」を呼び覚ます。これは「弔辞優し」の句においても同様。葬儀の際の一光景だと思われるが、屋根にずらりと並ぶ燕たちを見て、作者は、まるで燕たちが死を悼んでいるかのようだと見ている。いや、作者はまさに燕たちが死を悼んでいると断定する。この句に通う人間と燕との間の濃厚な「生きもの感覚」。齋藤茂吉の名歌「のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり」を思い起こさせる一句でもある。

天瓜粉すっぽんぽんが逃げまわる 森由美子
 子どもたちが子ども時代を十分に過ごせなくなっているのが今の日本社会。しかし、この句の「すっぽんぽん」は十分に子ども時代を過ごしているようで安心させられる。「生きもの感覚」が横溢する愛らしい一句。

差羽来て野はひりひりと透き通る 篠田悦子
 差羽が渡る頃の空気感。それを「ひりひりと」と体全体で捉えた表現の深さ。野、山、空すべてに「生きもの感覚」「いのち」を感じさせる、これぞ海原の一句。

◆金子兜太 私の一句

海を失い楽器のように散らばる拒否 兜太

 海を失う不条理に抗し、拒絶の意志は個々の反抗を通して連帯する。それを兜太は楽器が奏でる音楽に喩えた。失われた海は作句の地長崎に拘れば、鎖国政策によって失われた自由の謂か。だが、読者はそうした文脈を離れて、例えば水俣の海で、沖縄の海で、奏でられたノーを、慟哭と希求の旋律として受け止めることができる。『金子兜太句集』(昭和36年)より。片岡秀樹

起きて生きて冬の朝日の横なぐり 兜太

 「気持ち良く目覚めると、オットット陽光のパンチを顔にくらったよ!」と、いかにも兜太師らしいウイットに富んだ御句で充実感に満ちています。「文化功労賞」をはじめ数々の受賞に輝いて居られた最晩年、2014年の95歳の時の句。この頃私は、師のお言葉は一言ももらすまいと講演会やカルチャーセンター、「海程」の例会や秩父俳句道場と、あらゆる行事を必死に追いかけていたのをなつかしく思い出します。句集『百年』(2019年)より。深山未遊

◆共鳴20句〈12月号同人作品より〉
〇印は2選者の共選句 ◎印は3選者の共選句

泉陽太郎 選
熱帯夜ああ魂が浮いている 阿木よう子
コトリとも音せぬ炎昼ぬっーと兄 綾田節子
悦楽はまだ先のこと片陰り 泉尚子
美しき誤解でありぬ秋の蝶 大池美木
秋冷や荼毘に付す間も来るライン 大西恵美子
観念的な夏空戦車通り過ぐ 大西健司
性という螺旋階段林檎剝く 片岡秀樹
ハンカチを上手に落とせない女 河西志帆
遠雷やショートホープの箱は空 小松敦
○会えぬままに友は蛍まみれらし 芹沢愛子
核の秋手品はそっと人を消す 田中信克
「あと一年できたらいいね」日々草 永田和子
しらたまや和解のこだわりを捨てて 日高玲
独り居の硯を洗ふ水の音 前田典子
なぜ空がこんなに青い 死ぬ日にも マブソン青眼
不眠ひたひた拍動ふかくケイトウへ 三世川浩司
哲学的限界集落鰯雲 嶺岸さとし
古書店ごと昼寝していて入れない 宮崎斗士
生きものたちに霧の中心の音叉 望月士郎
酒焼けの声が祭りの山車を出す 若林卓宣

刈田光児 選
秋の雲まだ地に足が着いている 石川青狼
百物語一斉に携帯アラーム 石橋いろり
夜を音読する鈴虫よ旅に出る 伊藤清雄
赤蜻蛉すぐに届いた返信封書 故・宇田蓋男
口中のほおずき鳴らし返事する 榎本祐子
黄金虫今朝は異界につながれて 桂凜火
虫すだく闇のみずみずしく生れて 北村美都子
瘡蓋のような新宿そろり秋 こしのゆみこ
数学が苦手で蛍追いかける 佐々木宏
咲ききったカサブランカの孤独感 清水茉紀
ハマヒルガオ越後の国の駅無人 鱸久子
原爆忌水音だけを聴いている 竹本仰
肖像の人みな故人白露の日 田中亜美
疣蛙いぼがえる悠悠自適の貌上げて 樽谷宗寬
青僧の撞く梵鐘や水の紋 中内亮玄
○星涼しわれら明るき草である ナカムラ薫
太陽吸い死地覆い葛光りまくる 中村晋
八月を山折り谷折りしまいをり 藤田敦子
萩こぼる本をさがしていて兜太 松本勇二
夏帽子おやつのような風が来る 宮崎斗士

すずき穂波 選
かなしいほど鶴見る老々介護かな 有村王志
かなしみを逃水のように持て余す 榎本愛子
○怺えきれず母は銀河を漕いでゆく 榎本祐子
君という巡る流星静かなり 近藤亜沙美
よく噛んで顔の輪郭に追いつく 三枝みずほ
ゆるやかな喪失であり蝉時雨 佐孝石画
野菊の前で接吻していい村だ 白井重之
○会えぬままに友は蛍まみれらし 芹沢愛子
引力に乳房は任せ登高す 高木一惠
体液が流れるように夏越かな 高木水志
幼子や西瓜に食べられているよう 谷川瞳
○星涼しわれら明るき草である ナカムラ薫
蟬しぐれ水のようです溺れます 丹生千賀
古稀すぎて裏が表につくつくし 増田暁子
ぼんやりの反対は鬼秋彼岸 松本勇二
過疎村をばりばりと食み鬼やんま 嶺岸さとし
この星を捨て子のように天の川 望月士郎
虹ときに暗帯となり国滅ぶ 茂里美絵
地にひとつ被弾一輪曼珠沙華 柳生正名
文化の日巻き取られない人だつた 山下一夫

横地かをる 選
百日紅黙はこころの瘤である 伊藤道郎
露けしや地下足袋履くも旅のよう 稲葉千尋
○怺えきれず母は銀河を漕いでゆく 榎本祐子
抽斗に初秋ことんと音を出す 大沢輝一
霧食べて育つ霧の子霧の家 奧山和子
秋茄子の色濃きところ母居ます 加藤昭子
行き先をまだサンダルに告げてない 河西志帆
言霊の優しさ結び星祭 高木一惠
骨格標本ひとつはきっと蚊帳吊草 鳥山由貴子
被曝した手よ被曝した桃洗う 中村晋
ひょんなことから風に好かれて露の玉 野﨑憲子
十三夜車窓に知らぬ私いて 藤田敦子
月光に溶けゆく私というさざなみ 藤野武
はらはらと消えた日常鳥渡る 本田ひとみ
庖丁を研ぎゆく無心十三夜 前田典子
秋の蜂木の家ふっと木に還る 三浦二三子
敗戦忌母には母の水たまり 宮崎斗士
アキアカネつと世紀末横切りぬ 茂里美絵
折り合ひの自在かなしき秋茜 山下一夫
病室の白い天井 白い出口 横山隆

◆三句鑑賞

秋冷や荼毘に付す間も来るライン 大西恵美子
 繋がっている。世界中と。いつでもどこでも、繋がれる。今日も明日も明後日も、今日も昨日も一昨日も、誰かが語りかけている、語りかけられている。ワタシは今、ひとつの死を悼んでいる。かけがえのない死を。でもそれは誰にも伝わらない。伝えたくもない。繋がっていても、繋がれていても。

遠雷やショートホープの箱は空 小松敦
 肋骨骨折、足関節捻挫、顎関節脱臼。口が塩辛い、背中が冷たい。腕は動く。少しずつ、少しずつ、手首をねじる。すっと引いて、抜けた。腕で這う、壁まで。ずり上がり、座る。誰もいない。胸ポケットをさぐる。潰れた箱、引き出す。そっと広げる。空っぽ。今日はツイているのか、いないのか。ずっと耳鳴りがしている。いや、神の声かもしれない。

古書店ごと昼寝していて入れない 宮崎斗士
 古本っていったって最近はネットでさ、何しろ手軽だよな。でもさ、ほら、運命的な出会いってやつ、あれはさ、なかなかネットじゃね。なんかこう背表紙が輝いててさ、手が震えるんだよな。で、オヤジは?え、奥で昼寝?なんだよ、また閉まってんじゃねえか。ウンメイ返しやがれ。
(鑑賞・泉陽太郎)

秋の雲まだ地に足が着いている 石川青狼
 掲句の表記は実にシンプル。しかし、天地にひとり佇む宇宙感。そして、流れゆく雲と、足裏から伝わる大地の柔らかい感触に、秋を感受する風土の匂いが生まれる。上句と下句をつなぐ副詞〈まだ〉は、時間を表し、やがてやって来る冬を予見しつつ、今が在るという良い意味の味を出している。読後から余白が見えてくる。

瘡蓋のような新宿そろり秋 こしのゆみこ
 〈瘡蓋〉とは、「はれもの、きずなどのなおるに従って、その上に生ずる皮」という。日本一の大都市新宿が今瘡蓋状態とは何なのか。この謎を解く鍵は、〈そろり秋〉に在ると思われる。夏から秋の変り目は更衣の時であり、古着から新調に替えるそろり秋なのだ。ファッションの流行は、大都市の女性から発信される。

太陽吸い死地覆い葛光りまくる 中村晋
 福島県と新潟県はお隣りさんであり、昔から人的交流が盛んに行われてきた。自分の伯父は喜多方の人と結婚したので縁戚関係になる。福島は史跡と文化遺産が多く小学校の旅行は福島と決まっていた。そんな行事も止まってしまった。作者のいちずに被曝を詠う俳句精神に共感し、一日も早い放射線の恐怖が消え去る時を祈る。
(鑑賞・刈田光児)

怺えきれず母は銀河を漕いでゆく 榎本祐子
 怖いという感情は、失うかもしれないという妄想から生まれる。妄想と混同されるものに空想がある。人間の社会は、常にネガの妄想とポジの空想が入り混じるが、この母君は、ネガの究極を突破し、ポジの上昇気流へ、乗り換えた。その先の「銀河」だ。進むべき道を見つけた母君のコペルニクス的転回。母のその転回点に呪術・宗教の原初的形態であるアニミズムの存在を感じた作者。

虹ときに暗帯となり国滅ぶ 茂里美絵
二重の虹の主虹と副虹に挟まれ透けている部分を「アレキサンダーの暗帯」というらしい。その部分は二つの虹の背景であり、即ち雨雲の部分。その暗さが「滅ぶ」に繋がる。虹に吉兆を見るというが、現代社会の暗渠を、敢えて剥がし、凶の予兆と見てとった。作者には「薄紙をはがすたび虹近くなる」(句集『月の呟き』)の句があり「虹」への想念は深い。そして上質なのだ。

文化の日巻き取られない人だつた 山下一夫
 兜太師の匂いがする句だ。国からのご褒美の、文化功労者でありながら、断固あの「アベ政治を許さない」をやり通した。が、今冬、突如政府は反撃能力の保有を決定、防衛3文書を改定。我々国民としては「巻き取られ」感が、ひどく強く在るのでは…。
(鑑賞・すずき穂波)

秋茄子の色濃きところ母居ます 加藤昭子
 母上は、作者とは異なる世界に旅立たれたのでしょうか。「秋茄子の色濃きところ」美しく、つややかに実った秋茄子を目にしたとき自然がつくる不思議な力を覚える。この深い色合いに母の姿を重ね合わせ、穏やかに過ごしたであろう母上との関係を見事に昇華させている。感慨をこめて一句に掬いあげた佳句。

庖丁を研ぎゆく無心十三夜 前田典子
 どんなに切れる庖丁でも使っているうちに切れ味が悪くなる。今夜は研ぎ直そうと心に決め厨に立つ。庖丁を研ぐ技量はすでに心得ているのかも知れない。注意深く、丁寧にていねいに、無心になって研ぐ。硝子窓から差し込む十三夜のひかりが美しく作者を照らし出す。十三夜がファンタスティックな世界を醸し出している。

病室の白い天井 白い出口 横山隆
 作者は、体調を崩されて入院生活を送っておられるようだ。コロナ禍の入院生活は健康な人には想像も及ばない日々なのでしょう。「白い天井白い出口」と白を際立たせ、病室を無機質なものと捉えている。家族との面会もままならない現実。不自由さと虚しさ。中七下五の空白が作者の心理を表している。
(鑑賞・横地かをる)

◆海原集〈好作三十句〉武田伸一・抄出

あなただけが愛してる狂い花咲く 有栖川蘭子
すすき原すすき一本づつ二人 淡路放生
竜胆に慎しい自由あります 安藤久美子
鯛焼の背に風が欲しいよ君を欲しいの 飯塚真弓
秋薔薇みにくき足をさらしけり 石鎚優
弱者とうカテゴリーあり蛇穴に 遠藤路子
月光や父のカオスに母ひとり 大浦ともこ
月夜茸征かない人ら笛吹いて 岡田ミツヒロ
ババ抜きのババ持ちしまま冬の過ぐ 小野地香
嘘ついてどの口で吹く夜の葛湯 かさいともこ
無花果を食べてふふふの夫婦です 後藤雅文
臨終の金魚みつめる聖夜かな 小林育子
冬めくや小窓に嵌まる鉄格子 佐竹佐介
騙しきることの重さや青瓢 宙のふう
落ち椿触れるを拒む導火線 立川真理
雪女郎人恋うる時紅くなる 立川瑠璃
夫逝きてうつし身しぐるるばかりかな 服部紀子
あかまんまあえてでこぼこあるきたい 福井明子
銀杏落葉別れ話を気の済むまで 福岡日向子
カオナシが居るかも知れぬ虫の夜 藤井久代
金木犀画家の名前が浮かばない 藤川宏樹
枯蓮や老兵重い口開く 保子進
銀幕は黄泉人ばかり秋しぐれ 増田天志
霜降や消え去ることの意味を問う 松﨑あきら
神将の憤怒に釣瓶落しかな 村上紀子
うっとりとは水温むこと午後のこと 村上舞香
鶏頭花其処にモンローがいるのです 横田和子
ペチコート馬鈴薯抱へ居眠れり 吉田貢(吉は土に口)
耕して親父の子なり小六月 吉村豊
柿撫でる子規の痛みをさするかな 渡辺のり子

ヨロコブコロヨ 望月士郎

『海原』No.46(2023/3/1発行)誌面より

第4回海原金子兜太賞受賞第一作〔3回連作・その2〕

ヨロコブコロヨ 望月士郎

吾が妹を摘み草組みつ思い川
詫び景へ椿は奇抜平家琵琶
水張りて春田の垂は照り弾み
涅槃西風釈迦の手の火車死人跳ね
半ば摘み野に措く鬼の三葉かな
今もなお花影の家か妻も舞い
老いの名は大観描いた花の庵
策なきを悦ぶ頃よ翁草
遠の田は霞の御簾か機の音
蹴上がるは辞世の伊勢路春が明け

野の指とまれ 川田由美子

『海原』No.46(2023/3/1発行)誌面より

第4回海原賞受賞 特別作品20句

野の指とまれ 川田由美子

ちちははの形代として朝の虫
きざはしが好きで穂草に生まれけり
押印のよう帰燕気流と擦れちがう
古代的近未来的樗の実
枯芙蓉からから風に産毛あり
なつかしい庭こがらしの櫂すべる
夕こがらし生家に母の被膜かな
冬野道スクリーンにかげおさな
根のようなり胸静もりて冬の梢
寒の水絵本の底にあるひかり
白猫と冬野ふうっと浮力
ロゼットに海流のあお目深なり
冬日影炙り出しのように家族
ひかりも声も澪曳き剥がる冬の石
野の指とまれ蠟梅は今ひとりかな
葉は櫂とふ旅人木たびびとのきと春隣
白梅や生まれたばかりの風探す
春の切株鴉の声の雨垂るる
椋実色母の春愁おっとりと
礫の字に春野の小人混じるかな

ウルトラマン商店街 大池桜子

『海原』No.46(2023/3/1発行)誌面より

第4回海原新人賞受賞 特別作品20句

ウルトラマン商店街 大池桜子

ウルトラマン商店街や冬ざるる
わたくしのそっくりさんがいる二月
とんかつ屋いつもの席が春隣
ドーナツに並んでいれば余寒かな
毎朝通るぶらんこだけの公園
春ってかなしいピアノの音がする
大好きなご夫婦に会うかすみ草
桃の花やさしい男に慣れてない
卒業式全然詩なんてないんだ
モジリアニみたいなマスター春暖か
リラの花ひとりでスマホで乗り切れる
住民が後輩ばかり春うらら
啓蟄ややたら垢抜け都会っ子
蝶の昼写真立てがたおれてる
夢で見る風船今日も切ない赤
君が子どもみたいで小手毬の花
やっぱりデザートも頼む猫の恋
風光る憶えてる数忘れた数
蜃気楼あなたの駅を今過ぎる
ふるさとがまた遠い雛祭

モナリザの姉 望月士郎

『海原』No.45(2023/1/1発行)誌面より

第4回海原金子兜太賞受賞第一作〔3回連作・その1〕

モナリザの姉 望月士郎

風光りピカソの青とすれちがう
モネの絵に絵具を見てる春愁
海市にてビーナスの腕ニケの首
ルノアールの裸婦むくむくと雲の峰
霧深く抜けてキリコの街角に
シャガールの魚を買いに月の駅
蜻蛉が案山子にとまるときピエタ
蓑虫にムンクと名付ける叫ばない
兄さんへテオより贈る耳袋
モナリザは妹なんです雪女

『海原』No.45(2023/1/1発行)

◆No.45 目次

◆海原秀句 同人各集より

安西篤●抄出
鰯雲君の御託は聞くとしよう 綾田節子
禁断のアラート穴に這入る蛇 石川青狼
うすもみじ花屋のオジサンに嫁がきた 伊藤幸
悼む夜を流星の弧のさしこめる 伊藤道郎
風鳴りの丘秋思の捌き方 榎本祐子
秋の日はクリスタル新しい靴も 大池桜子
敗戦忌働く虫を見ていたり 大沢輝一
今行きます曼珠沙華からコールです 大髙洋子
柩おろし野菊の中の人を呼ぶ 大西健司
遠太鼓スクワットする黄落期 河田清峰
田水落す月面に降り立つかな 川田由美子
人生に余白などなし穴まどい 小林まさる
人間の着ぐるみを着て秋の空 小松敦
はんこたんな嫁も姑も稲架掛ける 佐藤千枝子
コスモスのをさな顔なる土性骨 ダークシー美紀
残響は霧にまみれて渓流よ 田中亜美
オオアレチノギク泣くこと黙ること 田中信克
横顔が雲だったころの青レモン 遠山郁好
ただ抱いてくれる背なから小望月 中野佑海
秋暁の後ろ歩きを見守りぬ 野口佐稔
君のおしゃべり僕のだんまり釣瓶落し 日高玲
コロッケの掌に温かき十三夜 藤野武
認知症野菊のままに逝きし母 増田暁子
小鳥来る誤字いっぱいの母でいい 宮崎斗士
鬼灯二つ明るい返事をもらう 室田洋子
霧の駅ひとりのみんな降りて霧 望月士郎
虹消えてゆく硝煙のその最中さなか 茂里美絵
身ぬちにも荒野のありて蕎麦の花 矢野二十四
薔薇の花束提灯のようにかざす兄だった 夜基津吐虫
耳朶に風シラタマホシクサの心地 横地かをる

前田典子●抄出
雲垂れ込め秋刀魚漁船の黙溜もだだまり 石川青狼
水場に小鳥不登校という翼 伊藤道郎
細身の秋刀魚こうもミサイルに脅されては 植田郁一
被曝地解除揺れつ戻りつ秋の蝶 宇川啓子
切り岸の光の中を落ちる蝉 榎本祐子
秋の風頭があって手足あり 大沢輝一
残暑かな私素直にくたびれる 大西宣子
月光の匂う交換日記かな 片岡秀樹
稲架解いて厚き耳たぶ持つ子かな 加藤昭子
我が恋は今どの辺り式部の実 川崎益太郎
銀河濃しわが掌になにもなし 北上正枝
同期みな戦力外や新酒酌む 齊藤しじみ
曼珠沙華空は端から塗りはじめよ 佐孝石画
強情が秋に追い越されてしまう 佐々木昇一
青首大根両手に下げて妊婦来る 佐藤二千六
南あかるしかぐわしき稲の里 白井重之
曼珠沙華我魂草木南無阿弥陀 鈴木孝信
弦そつと弾く秋雪払ふやう 田中亜美
つくつくぼうしひりひりと今できること 遠山郁好
歯磨きの母の背骨の寒露なり 豊原清明
馬肥ゆる国境線は海の上 鳥山由貴子
曼珠沙華火の骨組みに緩み無く 中内亮玄
過疎の村田水落とすもマスクして 根本菜穂子
川とんぼ舳先にやわらかい会話 本田ひとみ
目を閉じることがアトリエ長き夜の 宮崎斗士
迢空忌だんだん怖い葉っぱの面 三好つや子
鬼灯二つ明るい返事をもらう 室田洋子
風おこる刈田渾身のオーケストラ 森田高司
冷製スープコスモスの遠い揺らぎ 茂里美絵
眼鏡拭く雨月の失言消えるまで 山田哲夫

◆海原秀句鑑賞 安西篤

鰯雲君の御託は聞くとしよう 綾田節子
 「御託」とは、自分勝手な言い分をくどくど言い立てること。そんな厄介なものを聞いてやろうというのも、一つの市井の知恵で、向こう三軒両隣の世話役ならではのもの。「君」という呼びかけがその立ち位置を示す。作者には、そんな下町っ子の心意気がある。「まあまあ、いいからいいから」という声が聞こえて来そうだ。

風鳴りの丘秋思の捌き方 榎本祐子
 「風鳴りの丘」に立つのは作者自身で、そこで自らの「秋思の捌き方」を習得しているという。秋はことのほか、事に寄せ物を見ては、秋の淋しさを感じ、物思いにふけることが多い。そこから故知らぬ悲しみに沈湎してしまうこともある。そんな秋思をきりよく捌いていかないと、落ち込みからは抜けられそうにない。風鳴りの丘に立って、そんな秋思の捌き方が自然と体感出来そうな気がしてくるのも、自然に教わる暮らしの知恵というものかもしれない。

秋の日はクリスタル新しい靴も 大池桜子
 今年の海原新人賞作家。日常身辺の題材を、素直に自分の感性で受けとめ、同世代同士で使っている普通の言葉で呟いている書き方だ。この素直さが、この人の新鮮さとなっている。秋の日ってクリスタルだよね、だから私の新しい靴も輝いているんだね。そうなんだ、嬉しい!、とばかり靴を抱きしめる姿まざまざ。

敗戦忌働く虫を見ていたり 大沢輝一
 「敗戦忌」と「働く虫」との取り合わせによって、まず浮かび上がるものは、戦争によって多くの無辜の民に強いられた犠牲や不幸のことだろう。平穏な日々の暮らしと働く日常さえあれば、それだけで十分幸せだった人々。作者のまなざしは、今働いている虫たちにその人々の姿を重ねて、彼らの日々寧かれと願う祈りをこめているのだ。

柩おろし野菊の中の人を呼ぶ 大西健司
 遺体の埋葬を、野菊咲く草原の一角で行っている景。柩をおろし、最後のお別れに故人の名を呼んでいるところだろう。おそらく「御覧なさい。こんなに野菊が咲いて見送っていますよ。どうぞ、やすらかにお眠りください」と呼びかけているのではないか。心を込めた野辺送りの、素朴な華やぎすら見えてくる。地方ではまだ土葬も残っているので、こういう場面がみられよう。

人生に余白などなし穴まどい 小林まさる
 この句でいう人生の余白とは、年を経て仕事の第一線から退き、余生を何事にも煩わされず、気ままに過ごそうとする時期を指しているのではないか。ところがその時を迎えてみると、そんな余白といえるようなゆとりのあるものではなく、なにやら追い込まれたような、穴まどいにも似た不安な日々を送る破目になりがち。そんな老いの有態を、「穴まどい」と詠んだのかも知れない。

認知症野菊のままに逝きし母 増田暁子
 晩年に認知症を患った母は、野菊のような童女の印象のまま逝去したという。これは痴呆からくる幼児返りによるものだろうが、時には愛らしく思えることもあるらしい。介護する娘の立場からすれば、すべての時がそうだったとはいえないにせよ、老いた母へのあわれみとも重なって、野菊の印象を思い出の中に、強く刻印したのだろう。母ももって瞑すべしとはいえまいか。

鬼灯二つ明るい返事をもらう 室田洋子
 幼馴染の久しぶりの手紙のやりとりを予想する。「鬼灯二つ」とあるからには、女性同士の親友関係で、昭和時代に女学生の間で流行した友情以上恋愛未満の「エス」という関係なのかも知れない。そんな情感を匂わせているのが、「鬼灯」の質感だ。若き日には、もう少し隠微だった情感も、熟年の今は、懐かしい青春の思い出として、明るい口調の返事の中に蘇ってきたのだ。勿論こちらもそんな調子の手紙を出したはず。

霧の駅ひとりのみんな降りて霧 望月士郎
 今年の金子兜太賞を受賞し、今最も乗っている人の一人といえよう。その取材領域は広いが、題材の斬新さばかりでなく、この句のような人間存在の本質的在りようを風景の中に見出すこともある。霧の駅から降りてきた「みんな」は、皆一人ひとりなのに、「霧」という空間に「みんな」とともにゾーニングされていく。それは印象的な風景に囲い込まれたコンセプト的風景にも見えてくる。

薔薇の花束提灯のようにかざす兄だった 夜基津吐虫
 回想の中の今は亡き兄ではなかろうか。今回の作品はすべて戦争回想句である。それも沖縄戦への回想のように思える。作品は亡き兄から聞いた生なましい見聞や記録から取材したものだろう。戦後を生きた兄が、沖縄戦に関わる何らかの顕彰を受け、記念の薔薇の花束を提灯のように高く掲げている景とみた。それは作者自身の誇りでもあったに違いない。

◆海原秀句鑑賞 前田典子

残暑かな私素直にくたびれる 大西宣子
 立秋も過ぎて、涼しさを感じ始めたものの、真夏に戻ったような暑さは耐え難い。若ければ存分に汗をかきつつやり過ごせる。作者は九十二歳の方。この作品を秀句とした決めては、「素直にくたびれる」という理屈抜きの、内発的な表出にあった。年齢を知った上での迷いはあったが、このお齢でなければ生まれないものであることを、大切にしたいと思った。一人称の句だが、わざわざ「私」を入れたのも、むしろ自然な効果があった。

我が恋は今どの辺り式部の実 川崎益太郎
 下五の「式部の実」に、源氏物語を匂わせるところが憎いところである。読者をその物語に預けて、その恋のさまざまを想像させておくのだから。そして、「我が恋は」と、とぼけた位置から言ってのける。しかし、自身の言いたい的は外さない、ユーモラスな姿勢に魅かれた。

曼珠沙華空は端から塗りはじめよ 佐孝石画
 空の色と曼珠沙華といえば、〈つきぬけて天上の紺曼珠沙華〉(山口誓子)が思い浮かぶが、紺と赤の取り合わせた句柄が硬質的である。この自然の描写と、掲出の句の画との枠の違いということはあるが、趣が全く異なる。「空は端から塗りはじめよ」と言われた途端、画は自然の空になって、生々しく何かの気配が生まれ始まる。曼珠沙華は抽象的な不可思議な存在感を生み出し、「よ」の命令形が更に謎を深めてゆく。

弦そつと弾く秋雪払ふやう 田中亜美
 もっとも表したいことがあるときは、ピアニッシモにするのだ、と聞いたことがある。「そっと弾く」も、初雪にはない趣の「秋雪」も、ピアニッシモの気配だ。繊細な弦の音色の余韻のなかに、一瞬の緊迫感のひびきがある。書かれているのは、弦とそれを弾く指であるが、読者は、弾かれたひとひらの雪を、無意識のうちに眼前にして、その感触や表情に誘い込まれている。喩の力の強みや、方法論を持つという姿勢への思いを深く持った。

つくつくぼうしひりひりと今できること 遠山郁好
 ひらがな書きが、スローモーションのように「今」へと集約させてゆく。あのつくつくしの鳴き様には、限られた時間への命の切実さや、何かを急き立てるような感じを受ける。その響きの厳しさに触発されて、作者自身の「今」という時間への思いが喚起されたように思う。「ひりひりと」をどう捉えるか。こころの奥底から自然に沸き上がって得た、言葉を超える、真実の心情を表して動かしがたい。

歯磨きの母の背骨の寒露なり 豊原清明
 日々、見慣れている「歯磨きの母」の日常の姿を、ふと眼にして切り取ったところに新鮮味を感じた。「背」ではなく、「背骨」、とした描写に、豊かだった母の老いゆく姿に抱く寂寥感が出ている。しかし、さびしいとは言わず、「寒露なり」と詠嘆する。思慕とも甘美とも思える母への視線が、たじろぐほどに純である。

馬肥ゆる国境線は海の上 鳥山由貴子
 世情に敏感になり、「国境線」をつい戦争に引きつけて見てしまいがちだったが、読み返して「海の上」や「国境線」に心が及ぶとき、人類の壮大な歴史が思われた。「馬肥ゆる」の馬も、約五千年前の小さな動物から大型化へと進化し、旧石器時代に人類とかかわり出したという。その馬が肥える季節。国境線の下の海は、ゆたかな潮流が繰り広げられている。戦争のことを意識下におきながらも、それを超えた、自然と人類との、いのちの営為の普遍性を得ていて感銘を受けた。

過疎の村田水落とすもマスクして 根本菜穂子
 規制が少し緩んできたとはいえ、まだまだマスクをしてないと不安である。その不安は日本の隅々にまで浸透していて、過疎の村までその心理状況がゆきわたっている。しかも、見渡す限り新鮮な大気につつまれた田んぼ。水を落とすのは多分一人ではないだろうか。深刻な社会詠だが、諧謔性の帯びた作品として印象的である。

迢空忌だんだん怖い葉っぱの面 三好つや子
 普通、葉っぱを見るときは、自然の風景のなかの種類、色彩などの形態であったり、季節の移り変わりに応じた変化など、ゆたかな美しさに魅かれる。この句の場合は、見る側の脳裏に記憶していた葉っぱへのイメージがふっと湧き出てきたようだ。この日は釈迢空の忌日。民族学的視線が、葉を憑代のような面として見た。一枚の葉への畏れに襲われた一瞬をとらえた感覚が鋭い。

風おこる刈田渾身のオーケストラ 森田高司
 さしずめ、そのシンフォニーの楽章は第四楽章のクライマックスだろうか。収穫を終えた安堵と歓喜にあふれた交響曲の響きが聴こえてくる。おのずと、刈田になるまでをさかのぼっての、壮大なスパンの、自然と共にした、人の営みの織り成すシンフォニー想像される。ゆたかな気分で立つ森田さんが宮沢賢治に見えたりもする。

◆金子兜太 私の一句

白椿老僧みずみずしく遊ぶ 兜太

 大日如来像で有名な、奈良の円成寺に遊んだときの作とあります(「金子兜太自選自解99句」)。参詣された日、円成寺の守番の老僧の話に「おうおう、うんうん」と耳を傾けていらっしゃる先生のお声が聞こえてくるようです。やがて純朴なお人柄の老僧と、青年期の運慶作の大日如来像を前にしての会話は、「みずみずしく」の言葉から、愉快に、聡明に、若々しく、お堂を満たして……。句集『詩經國風』(昭和60年)より。柏原喜久恵

骨の鮭鴉もダケカンバも骨だ 兜太

 ダケカンバは、薪ストーブを使用していた頃、母がその樹皮を利用して火をつけていた。鮭は食卓をよく賑わす。北海道に住む私にとってはいずれも身近なもの。しかし、「骨の鮭」などと思いを巡らすことはまったくなかった。そのような中、この句に出合う。参ってしまった。対象をわしづかみする力、そして直截な表現に圧倒される。句集『早春展墓』(昭和49年)より。佐々木宏

◆共鳴20句〈11月号同人作品より〉
〇印は2選者の共選句 ◎印は3選者の共選句

泉陽太郎 選
躓いた石が声出す暑さかな 大西宣子
麻服を着て見殺しにしていたり 小野裕三
太陽はふくらみ止まず水羊羹 狩野康子
ゆうれいの痛がる足にまだ軍靴 河西志帆
黴の花抱き人形の捨ててある 小西瞬夏
○夏鳶や足が離れてからの海 三枝みずほ
生い立ちに嘘一つまみレモン水 佐藤千枝子
ありばい崩し宇治金時にスプーン入れ 白石修章
水鉄砲は初めて触れる模造銃 芹沢愛子
夢に愛妻寝首に汗の目覚めかな 瀧春樹
太ってぬくい茄子に諸事情 たけなか華那
梅雨冷や胸元に置く黒真珠 月野ぽぽな
十字切る兵士に天使来ぬ夏野 長谷川阿以
いつまでも嘘つく玉ねぎ剥いている 藤田敦子
錆払う橋に爆弾を掛ける前 マブソン青眼
いいぞちょこまか人さし指を天道虫 三世川浩司
夫と厨にタバスコちょっと冷奴 村松喜代
手紙を書くときおり蛍狩りにゆく 望月士郎
涼しさはマチスの横向きの女体 山谷草庵
ウロコ雲猫の欠伸に負ける夫 らふ亜沙弥

刈田光児 選
紫蘇を揉む言の葉訪ねゆきて香 石塚しをり
犬に寄り人に寄る犬春の道 内野修
○サルビアやわたしの中の確かな火 大池美木
近江上布のおくるみ蓮の花開く 大西健司
口実をひとつ選んで水澄まし 奥山和子
少年のきれいな喉元蛍の夜 加藤昭子
みずすまし水の表裏を黙食す 狩野康子
夏風邪や義理人情のすたれた世 佐々木昇一
真上から夏至の太陽ロックンロール 篠田悦子
老生のわれと遊びて源五郎 関田誓炎
わが生の各駅停車梅を干す 竹田昭江
旅に折る鶴のほどけし原爆忌 立川由紀
八重葎薙ぎてゴシック体に生き 並木邑人
鉄線花私語の鎮もるジャズ喫茶 平田恒子
白あじさい淋しい時はパンを焼く 本田ひとみ
目礼の距離美しく梅雨あがる 嶺岸さとし
花馬酔木やっぱり暗くなる序章 茂里美絵
ハシビロコウよりもかそけき墓洗ふ 柳生正名
ウクライナ国花は向日葵潜む兵 山田哲夫
ががんぼや書き損じたる撥ね払い 横地かをる

すずき穂波 選
銀河に合図水洗いのワイシャツ 有村王志
飯すえるよう今更子育てを問う 井上俊子
ダリア咲くとても物欲しそうです 大池美木
戦争が饒舌になる交差点 大西政司
七夕や人生の橋かけたるか 河田光江
源五郎静かに途方に暮れたり 木下ようこ
家族葬でいいねと言われ月見草 楠井収
○夏鳶や足が離れてからの海 三枝みずほ
しばらくは白い靴を磨く 笹岡素子
送り人のように蕨の首洗う 佐々木宏
大夕焼防空壕の匂ひ 鈴木千鶴子
ふるさとに言葉の篩夜光虫 高木水志
東北の雨より白し神隠し 遠山郁好
ごった煮の老人ホーム昼寝覚 中川邦雄
たっぷりと墨摩るように六月来 中野佑海
この村の青い蛙とよき湿り 服部修一
螢狩わたしの無口は軽い罠 深山未遊
ところてん日本と日本語ずれている 三好つや子
○白雨きて二人半分ずつさかな 望月士郎
心太突けば戦がしゃしゃり出る 渡辺厳太郎

横地かをる 選
青葉騒たわいないこと復唱す 石川青狼
庭の木に交信の水撒きにけり 鵜飼惠子
○サルビアやわたしの中の確かな火 大池美木
侵攻NO!ここから先は春野です 北村美都子
青芝に雨降りやすき椅子を置く こしのゆみこ
職安や過呼吸ほどの白い紙 三枝みずほ
メロン切る独り暮しの度胸にて 篠田悦子
戦争に届かぬ語彙力牛蛙 芹沢愛子
白樺はおとうさん優しい夏の雨 たけなか華那
風ひとつごとに暮れゆく蛍かな 月野ぽぽな
含羞の歩幅奈良町夏が逝く 遠山郁好
葱の種いやというほど反抗期 中野佑海
野の薔薇の満開になる逢いに来い 仁田脇一石
空梅雨や机上に渇く地図の旅 半沢一枝
豊かなる時間に触れる茅花流し 平山圭子
アガパンサス夫は身体を空にして 松田英子
姫女苑群生独りぼっちかな 松本勇二
うすものや水縫うように母の指 室田洋子
○白雨きて二人半分ずつさかな 望月士郎
妻の背の日ごと胡瓜の曲り癖 山田哲夫

◆三句鑑賞

夏鳶や足が離れてからの海 三枝みずほ
 なぜか、かなり急峻な崖が浮かぶ。下に海、上に空。真夏の日差しが照りつける。崖の中ほどの出っ張りに鳶がいる。あたりを見渡している。しばらくすると、ふわっと飛び上がり、瞬く間に空の点となる。その鳶の足である。足が離れるその瞬間。離れるのは果たして鳶の足なのだろうか。夏の海へと。

水鉄砲は初めて触れる模造銃 芹沢愛子
 真夏の公園。子供たちは汗だくになって元気に飛び回っている。その手には水鉄砲。最近の水鉄砲は高性能だ。滑り台の影に身を隠し、あるいはまたジャングルジムの上から全景を眺める。そして、命中。自分も思い出す。あれは快感であった。間違いなく。でも模造銃、その通りだ。紛れもなく模造銃であった。

錆払う橋に爆弾を掛ける前 マブソン青眼
 交通の要所、戦略的要所である橋。破壊しなければならない。そのための爆弾を仕掛ける。間違いは許されない。その設置のためであろう、まずは丁寧に橋の錆を払う。実害はなにもない。だから、今まで放置されていた錆。橋は久しぶりに錆を払われる。そしてつるりと綺麗になった鉄骨に、爆弾はしっかりと固定される。
(鑑賞・泉陽太郎)

真上から夏至の太陽ロックンロール 篠田悦子
 今日から夏という空から、ロックの王様、エルヴィス・プレスリーが太陽に乗ってやって来た。強烈な心象の一句。一九五〇年後半から世界的に流行したロックンロールは、日本へも上陸し、平尾昌晃、山下敬二郎、ミッキー・カーチス等の歌手が活躍した。令和の今でも夏に入ると、苗場山麓に於てロックの祭典が開催される。

八重葎薙ぎてゴシック体に生き 並木邑人
 アカネ科八重葎は、原野に自生し蔓をからめながら一面に生い茂る雑草。草類の茂る原野は小さな生き物の住処であり天国である。一句を読むと自ずとウクライナの戦争地へ思いが及ぶ。原野を戦車が縦横に走り回り、草を薙ぎ倒し、虫を踏み殺す。戦車の通った跡はゴシック体の文字の様。生き残る草に明日への希望の光が射る。

ハシビロコウよりもかそけき墓洗ふ 柳生正名
 絶滅危惧種に指定されているハシビロコウは、ちょっとやそっとで動かない鳥として知られる。一句は、この珍鳥を比較対象にして墓を洗っている情景。墓を洗うという行為は、日常と少し離れた位置に在り、この時はご先祖様とかそけき会話を可能にする。一方のハシビロコウはひとり瞑想の世界に耽っている。俳諧味の句。
(鑑賞・刈田光児)

飯すえるよう今更子育てを問う 井上俊子
 「飯饐える」の喩が独創的。「饐えた飯は水で洗って食べる」というから子育てを顧み、過去を丁寧に洗い出し、気持ちを立て直す。いじめ、フリースクール等、複雑怪奇な現代にあって、子を躾け一人前にするのは、並大抵のことではない。酸っぱくほろ苦い自責の念が伝わるが、決して捨てずに有難く全てを頂くのだ、ご飯も我が子も。

送り人のように蕨の首洗う 佐々木宏
 「送り人」とは納棺師のこと。採ってきて、くたっとなったワラビに人間、それも沢山の人の遺体を想った。一つ一つ労わりながらその(蕨)首を洗う行為に、戦争の悲惨な翳が過り、銃後の人々の心情に寄り添っている作者。昨年、二〇二二年の春の重苦しい空気が漂う。

ところてん日本と日本語ずれている 三好つや子
 外国人にとって日本語は他国語に比べ難易度の高い言語という。若者言葉なんぞは、この国の我々ですら理解不能なときもある。目まぐるしく変化する現代の言語社会を言語学者金田一春彦氏は「歓迎すべき変化」と肯定する。一方、日本の国家は、相も変わらず鈍。民衆の変化にもはや国家は対応しきれておらず、ズレが生じている。滑稽・諧謔味の「ところてん」に情致が加わり、一句の余韻は哀愁のジャパンの感。
(鑑賞・すずき穂波)

サルビアやわたしの中の確かな火 大池美木
 サルビアの花は赤、白、紫などがあり、作中のサルビアは目の醒めるような赤い花ではないかと感じる。「確かな火」具体的には表記されていないが、作者のゆるぎない思いを推し量ることも出来る。今の世界の殺伐とした時代を生きているわたしたち、平和への願いをつよくされたのかも知れない。読者の想像を誘う余白がある。

葱の種いやというほど反抗期 中野佑海
 子どもは成人になるまで二度の反抗期を迎えるという。「いやというほど」イヤの連続は第一反抗期の特徴といえる。イヤイヤをいっぱい言って駄々をこねるのは成長期の大切な課程。親も長い目でみてあげることが出来ればいいのでしょうが、いい加減にしてという気持ちになってしまう。子どもとの緊張感がみえるよう。

空梅雨や机上に渇く地図の旅 半沢一枝
 旅に出ることの楽しさ、よろこびは日常とは違い高揚感が伴う。コロナ禍の旅行が戻ってきたとは言うものの海外旅行はいうまでもなく国内の旅も気が引けるというもの。そんな折、机に拡げた地図の上での旅を心の渇きにも似た思いでひとり試みている。虚しさがただよう。いつの日か必ずとの思いを空梅雨が静かに支えている。
(鑑賞・横地かをる)

◆海原集〈好作三十句〉武田伸一・抄出
「アイタシ」と打電ひたすら啄木鳥 有馬育代
青檸檬アリバイのごと文字を置く 安藤久美子
秋澄むや足音はいつしか羽音 飯塚真弓
昔の事ばかり自慢す羽抜鶏 石口光子
しじみ蝶心臓の朱は見せざりき 石鎚優
十月やパンの匂いの腕を抱く 井手ひとみ
墓標みな木の十字架や草の花 植松まめ
ぎんなんの音きこえたようなめざめ 遠藤路子
生身魂朴念仁と笑ひ合ひ 岡田ミツヒロ
吊るされて鮟鱇の目の潤む かさいともこ
人間の証明写真八月尽 川森基次
黄落やピザ窯乗せ来るキッチンカー 清本幸子
かなかなや母の手は小さき日溜り 小林育子
秋夕陽黒雲押しのけ見事に落つ 小林翕
複眼の乾坤を鬼やんまかな 佐竹佐介
雁渡し晩年は子に頼らざる 髙橋橙子
霧は善を戻らぬ日日へ連れていく 立川真理
顔見知りの菊人形に誘わるる 立川瑠璃
意地を張る相手もいなくおでん酒 谷川かつゑ
水切り石翔んでとんでいわし雲 中尾よしこ
萩の雨あては股旅唄などを 深澤格子
秀でたるものなき日々を馬肥ゆる 福岡日向子
草の花夫と吾とに学生時代 藤井久代
クイーンにキングならべる良夜かな 藤川宏樹
花野裂くアウシュヴッツの線路ゆく 三嶋裕女
祭神の縁起さまざま新走り 村上紀子
日向ぼこ水平線の揺ぎかな 村上舞香
家がいいと言いし母と十三夜 吉田もろび
凍土も縁者も彼方骨拾ふ 渡邉照香
大花野わたしの棺の窓かしら 渡辺のり子

『海原』No.44(2022/12/1発行)

◆No.44 目次

◆海原秀句 同人各集より

安西篤●抄出

白絣今のわたしに出会った日 綾田節子
かなしいほど鶴見る老々介護かな 有村王志
民喜・三吉・あれはあつゆき雲の峰 伊藤巌
終活の写真に埋もれ夜の秋 伊藤雅彦
草の花なら屈葬の真似ごとをせん 伊藤道郎
露けしや地下足袋履くも旅のよう 稲葉千尋
小悪魔系が子育て系に檸檬かな 大池桜子
秋冷や荼毘に付す間も来るライン 大西恵美子
霧食べて育つ霧の子霧の家 奥山和子
祈るたび半透明に花貝母 小野裕三
沈みくる枯葉筆跡は自由体 桂凜火
秋茄子の色濃きところ母居ます 加藤昭子
ミサイル落下どうりで海がぬるかった 河西志帆
生きて死ぬウィルスからすうりの花 木下ようこ
投句てふ生存証明すべりひゆ 黒済泰子
白き帆へなりゆく少年の抜糸 三枝みずほ
金柑や性善説も疲れます 重松敬子
老いるとは窓辺に茂る灸花 篠田悦子
静脈の混みあっている夜のあじさい 芹沢愛子
弾痕のごとき陰影蟻地獄 鳥山由貴子
見晴るかす天地の狭間田の青し 中内亮玄
被曝した手よ被曝した桃洗う 中村晋
安心し不安になれる露の庭 藤田敦子
空蟬の中黙契の師の鼓動 船越みよ
ねじり花黙ってみている愛し方 増田暁子
芒原さすらい別の顔になる 松井麻容子
立秋や傭兵のごと歯を磨く 松本勇二
凌霄花ほたほた予告なき銃弾 三木冬子
国葬あり落蝉天を仰ぐのみ 村上友子
生きものたちに霧の中心の音叉 望月士郎

前田典子●抄出

かなしいほど鶴見る老々介護かな 有村王志
相談したくなる涼しき目の赤子 石川和子
露けしや地下足袋履くも旅のよう 稲葉千尋
山中にすみれすみれに人一人 内野修
かなしみを逃水のように持て余す 榎本愛子
何ごともちょっと歪んで良夜かな 岡崎万寿
霧食べて育つ霧の子霧の家 奥山和子
さびさびの老い始めです初紅葉 川崎千鶴子
行き先をまだサンダルに告げてない 河西志帆
蝉時雨あなたはいつも窓を背に 河原珠美
吊り革がわりだった君の白シャツ 黍野恵
母やいつも秋の蛍を連れてゐる 小西瞬夏
隙をつくさよならに似て夕月夜 近藤亜沙美
みんなみに呆然と月熱帯夜 篠田悦子
麦の秋農あり能に通ふなり 鈴木孝信
鳥海山ちょうかいの藍見晴るかす展墓かな 鈴木修一
こっぱみじん寸前の星金魚玉 芹沢愛子
始まりは詩集の余韻白雨来る 高木水志
日常は重しひたすら草を引く 東海林光代
悲しむな狐が泉覗くだけ 遠山郁好
葭切しきり何かがちがう戦況報道 中村晋
ひとり言たてよこななめ熱帯夜 丹生千賀
空爆無き空の下なり麦踏める 野口思づゑ
シンバルが打つ番ざあっと来る夕立 北條貢司
白さるすべり胸に小さなやじろべえ 本田ひとみ
ミサ曲のような沈黙空爆後 マブソン青眼
摺り足で来た七回忌秋夜つ 村上豪
隣り合わせの影は恍惚さるすべり 村上友子
アスパラの青色という折れやすさ 森由美子
地にひとつ被弾一輪曼珠沙華 柳生正名

◆海原秀句鑑賞 安西篤

かなしいほど鶴見る老々介護かな 有村王志
 高齢化時代の今日、老々介護はもはやごく日常的な現象となりつつある。そうなれば傍迷惑にならないよう夫婦二人の支え合いを第一に考えざるを得ない。それは、日々の暮らしの中で、同じものを分かち合うようにして生きていくことにつながる。たまたま住まいの近くに、鶴がやってくることがあって、二人はその様子を、一緒に黙したまま、飽きることなく眺めている。その様子は外目にはあわれともみえようが、二人にとっての時間は、眩しいまでに満たされたものではなかったろうか。

民喜・三吉・あれはあつゆき雲の峰 伊藤巌
 原爆詩人として有名な三人の名を挙げ、あらためて原爆許すまじの思いを雲の峰に祈る句。「民喜」は原爆詩集「夏の花」の原民喜。三吉は「にんげんをかえせ」の詩碑を残した峠三吉。あつゆきは、妻子四人を原爆で失い、「なにもかもなくした手に四枚の爆死証明」の句を記した松尾あつゆき。掲句は、三人の原爆詩人の名を称名のように唱えて、眼前の入道雲を原爆雲とも見なしながら一句をものしたに違いない。

小悪魔系が子育て系に檸檬かな 大池桜子
 小悪魔系とは、あざと可愛いメイクやファッションで、男心をくすぐる女の子。子育て系とは、育児に悩みながらも懸命に取り組む世話女房志向型。小悪魔系は、子育て系をいまいまし気にみながら、ちょっぴりうらやましい気分もあって、ふと黙って檸檬を一個渡していく。どこか「頑張って」と声をかけたい感じだろうか。その微妙な気配は、作者の世代でなければ判らないものかも知れない。そんな世代間のエールではないだろうか。

沈みくる枯葉筆跡は自由体 桂凜火
池のほとりの枯葉が、風に舞いながら水面に落ちてゆく。やがて水中に没していく間、さらにゆっくりと揺曳しながら水底へと向かう。あたかも草書で書く筆跡のようになめらかな曲線を描いている。その筆跡模様を「自由体」と喩えた。実は基礎となる書体の中に、「自由体」なる書体はないのだが、ここは作者の想像力によって、枯葉の舞い落ちるさまを「自由体」と比喩したのである。そこに作者独自の創見があるとみた。

投句てふ生存証明すべりひゆ 黒済泰子
 月々の俳誌への投句は、なによりも自分の生存証明になっているとは、句作するものの実感だろう。このところ二年越しのコロナ禍に加えて、世界的な社会不安や戦争の脅威が高まりつつあり、句会もままならぬ日々が続く。そんな中、投句だけは私の生存証明ですと宣言する。「すべりひゆ」は夏から秋にかけて咲く五弁の黄色の小花。葉や茎は、栄養豊富なスーパーフードと言われている。「すべりひゆ」を季語にしたのは、私だって生きてるよというしたたかなアリバイでもあるのだ。

老いるとは窓辺に茂る灸花 篠田悦子
 灸花は、夏から初秋にかけて咲く可憐な花で、色がもぐさ灸の痕のかさぶたに見えるところからこの名がある。最近とみに老いの兆しを感じ、両親たちが加齢とともに愛用していたお灸を据えてみようかと考えている。とはいえあの肌に残るかさぶたのことを思うと、つい迷ってしまうのだが、待ったなしの年齢を思えば、もはや見栄や体裁にこだわるまでないか。窓辺に灸花が生い茂って、決断を迫るようだ。

被曝した手よ被曝した桃洗う 中村晋
 原発事故で被災した福島の現実を、作者は執念深く追及している。福島は、全国でも二位の桃の名産地だが、今なお被曝の現実から逃れられないでいる。その生産者も同様。「被曝した手」が「被曝した桃」を洗っているとぶっきら棒に書いたのは、あのときのありのままの現実を忘れるなという呼びかけに違いない。

ねじり花黙ってみている愛し方 増田暁子
 この句の本意は、ねじり花に仮託した反抗期の子供を象徴しているのではないか。そのねじれを無理に矯めなおそうとするのでなく、ゆっくり時間をかけて、本人の気づきを黙って見守ろうとしている。それが作者の愛し方ですという。勿論、子供の環境や資質にもよるだろうが、おそらくそれが、もっとも正解に近い育て方であり、愛し方だと作者はみているのだ。

立秋や傭兵のごと歯を磨く 松本勇二
 傭兵という制度は、世界的にも古い歴史をもつものだが、今回のウクライナ戦争であらためて認識させられた。立秋の朝、いつものように定時に起きて歯を磨く。それはあたかも傭兵のような律義さだという。いつもの生活習慣の中で、不意に「傭兵のごと」という言葉が浮かんだのは、身近な戦争への危機意識によるものではないか。立秋という季節の変わり目に、そんな危機意識が訪れるのも、差し迫った戦争の現実感を季節の冷気とともに、あらためて肌に感じた作者の感性によるものであろう。

◆海原秀句鑑賞 前田典子

かなしいほど鶴見る老々介護かな 有村王志
 作者は大分の方だから、鶴という存在に馴染んだ暮らしをされてきたのかと思う。そしていま、「老々介護」に「かなしいほど鶴見る」日々をおくっておられるらしい。鶴の営みと、介護が必要となった姿とを、自ずと重ねて見ている。時により、場合により、凄絶さを味わう場合のある「老々介護」。その切実さが、「かなしいほど鶴見る」のフレーズによって、美しく昇華されている。お二人が重ねてきた歳月を想うと、「かなしいほど」が、「かなしいほど」と読めてくる。

露けしや地下足袋履くも旅のよう 稲葉千尋
 作者の実家は、広大な畑地を持ち、竹林や梨畑もあったと聞いたことがある。かつては地下足袋を履いて畑仕事を手伝ったに違いない。そのふるさとに帰り、久々に履いたのだろうか。地下足袋で踏む地面の感触は、他の靴とは全く違うのだと「露けしや」から想像がつく。
 よく旅をしているらしい作者は、帰郷をも旅として、新鮮な刺激を受けているようだ。

霧食べて育つ霧の子霧の家 奥山和子
 この句で思い出すのは、今は亡き作者の義父、奥山甲子男氏の第一句集に見る、「山霧」と題した兜太先生の序文である。〈山山のあいだを埋めつつ動いてゆく霧。それの朝、昼、夕の変化、その乳灰色、ときに真ッ白…〉という出だしで始まり、霧の印象が切々と綴られている。「霧食べて育つ」のは「霧の子」そのものであり、絶えず包まれている「家」自体なのだろう。「霧食べて」という直接的な表現に、実態といえる気持ちよさがある。勿論、「育つ」のは作物やそれを食べる者たちでもあろう。

吊り革がわりだった君の白シャツ 黍野恵
 「吊り革がわりだった」と過去形で書かれている。いまはその「君」はいないのであろう。ともに暮らしていたときは気付いてなかったことが、居なくなってから何かにつけて気付くことがある。「君の白シャツ」という普段、身につけていた具体をさらりと示して、距離感の近さ、濃さが思われる。その表現のさりげなさに、逆に、支えられていた体感の多くのことが、深々と伝わってくる。

母やいつも秋の蛍を連れてゐる 小西瞬夏
 かつては、ゆたかな活力に満ちていた母。老いとともに体力や気力がすこし弱まってきたのかもしれない。加えて、何かにつけて判断力も薄れてきたのだろうか。「秋の蛍を連れてゐる」と捉えた、母への視線が優しい。そのやさしさは「母や」の「や」も物語っている。この「や」という助詞の様々なはたらきに、作者の繊細な感性が重なっていて、助詞の効用の力が絶妙である。「いつも」、やや悲愁を帯びつつも、美しさを失っていない母としての存在感が味わい深い。

こっぱみじん寸前の星金魚玉 芹沢愛子
空爆無き空の下なり麦踏める 野口思づゑ

 前句、後句、対照的な作品であるが、両句に込められた思いは共通している。狂気的な判断ひとつで、宇宙に浮かぶ美しい緑の星がこっぱみじんになりかねない。生き生きと金魚が泳いでいる金魚玉が間違って落ちたら、という危機感が、その星と重なる。また、かつて、J・ケネディが危機的状況下でつかったという、「ダモクレスの剣」という故事が込められているのかもしれない。後句の作者は、オーストラリア在住の方。今更ながら、空爆のないことと、麦を育てることの出来る幸せを抱いている。あらためて、危機感は、世界的規模でひろがっているのだという認識が深まる。

シンバルが打つ番ざあっと来る夕立 北條貢司
 「打つ番」と言ったところが巧みだなあと感じ入った。オーケストラのシンバル奏者の出番は、他の楽器と比べてごく少ない。けれどもそれを鳴らすときがきたら、圧巻の音を奏でる。そんな瞬間を夕立に例えた、独自の喩の効果が発揮されている。

白さるすべり胸に小さなやじろべえ 本田ひとみ
 極々小さな一点で、長い棒の両端の重い荷を支えて立つ「やじろべえ」。胸にそれがあるというのだから、心の複雑な荷の均衡を、小さな小さな一点で担っている。「白さるすべり」の持つ清潔な表情と響き合い、内面の均衡を保とうとする、清らかな必死さが伝わってくる。

地にひとつ被弾一輪曼珠沙華 柳生正名
 日々、ウクライナの戦況が報道されて久しい。最も心痛むことは兵士はもちろんのこと、一般市民の死者が出ることである。おおよその数字で示される、情報のされ方に慣れてしまっていた。だが、死者は数ではなく一個人個人である、とこの句に気づかされた。一独裁者の命も、一市民の命も同等の重さがある。にんげんの手によって、ひとつの弾丸が落とされるたびに、一人ひとりの尊い命が失われる。
 群生の曼珠沙華も、一輪一輪ずつが開き、輝いている。

◆金子兜太 私の一句

夏の山国母いてわれを与太よたと言う 兜太

 この句に出会った時、一字一句間違いなく覚えられたほどのインパクトがあった。金子兜太先生の母に対する思いが心の奥底にあるからだ。その与太といわれたことに深い愛情を実感したのだろう。今、この時に豊かな母のような山容を誇っている夏の山国に、その声は谺して力強く聞こえているのである。私も与太と呼ばれたい気持ち。句集『皆之』(昭和61年)より。北原恵子

狂とは言えぬ諦めの捨てきれぬ冬森 兜太

 この句に続けて〈まず勢いを持てそのまま貫けと冬の花〉〈冬ばら一と束夕なぎに一本となれど〉の連作。一読、私を詠んでいただいたな、とそう思いました。大変光栄なことと思っています。師は私の投じた一石の波紋の拡がりを懸念されたのだと思います。師にとって私は変な弟子でした。ノーベル賞の季節がまためぐって来ています。句集『百年』(2019年)より。今野修三

◆共鳴20句〈10月号同人作品より〉
〇印は2選者の共選句 ◎印は3選者の共選句

小西瞬夏 選
茅花流しときに傾く右側に 稲葉千尋
○爪切って青葉の母が軽くなる 奥山和子
○からすうりの花白濁の家族写真 川田由美子
春愁も巻き貝の身も螺旋状 黍野恵
机上いつも乱雑遠くに戦火 小池弘子
黒南風や絵馬いっせいに鳴り止みぬ 小松敦
一行をはみ出しここからは燕 三枝みずほ
○橡咲いて河向うより昼のポー 篠田悦子
六月や畦にはほっそりした夕暮 白井重之
昼の暗がり魂も風船玉も売られ 白石司子
黄金週間黒いマスクの一家族 芹沢愛子
仮想現実大統領の水遊び 立川弘子
月涼し他人のような影を踏む 立川由紀
指すべて灯して水無月の宴 月野ぽぽな
夭折に遅れる永き日の木馬 鳥山由貴子
○晶子の忌どの兵士にも母がある 前田典子
まなぶたの閉ぢ方知らず菊人形 松本悦子
泥道の花柄毛布に在る遺体 マブソン青眼
夏が来たので背表紙のように並ぶ 宮崎斗士
○濡れているてるてる坊主太宰の忌 望月士郎

高木水志 選
緑蔭に入り緑蔭の鬼となる 上野昭子
つくしんぼ今日はてんでんばらばらに 内野修
芽吹くスピード黒髪が恐ろしい 榎本祐子
沖縄忌ジュゴン黙って消えにけり 岡崎万寿
○爪切って青葉の母が軽くなる 奥山和子
囀りや離れ離れにショベルカー 小野裕三
アカシアの白き風舞う津波の地 金澤洋子
○からすうりの花白濁の家族写真 川田由美子
あなたの為よだって羊蹄噛みしめる 黍野恵
絵葉書を何遍も読み海霧の町 小松敦
逆上がり一回増やして夏至に入る 齊藤しじみ
かさぶたが取れそう熊ん蜂飛びそう 佐々木宏
徘徊は自由心太自由 鱸久子
さみだれの芭蕉とバッハよく歩く 田中亜美
棘の世の出来心なる山帰来 並木邑人
蛍火つーと草の根照らす妻の忌へ 野田信章
みぞれ降るや嘆願のまま硬直 マブソン青眼
カモミール摘むやみどりの蜘蛛走る 村本なずな
草抜くように目高数えては母 森鈴
音読の合間あいまよ遠蛙 横地かをる

竹田昭江 選
戦争がはじまっている素足かな 石川青狼
春の暮父の入江が見つからない 伊藤歩
百まで十年九十までは早過ぎた 植田郁一
先端恐怖症の君は黒揚羽の黒 大西健司
一番星入れて代田の落ち着きぬ 加藤昭子
水匂う日めくりの風薄暑かな 川田由美子
夜の新樹話し足りない友ばかり 河原珠美
戦争が行く青草にぶつかつて 小西瞬夏
うずくまるかたちは卵みどりの夜 三枝みずほ
○橡咲いて河向うより昼のポー 篠田悦子
チェンバロや矢車草の鳴るごとし 田中亜美
手に風船夢は被曝をして消えた 中村晋
六月の壁につばさが描いてある 平田薫
星と妻と私との位置愛しかり 藤野武
風船に不戦託して放ちけり 三浦静佳
紙ふうせん母の老後という現場 宮崎斗士
白紫陽花しあわせの断面図 室田洋子
○濡れているてるてる坊主太宰の忌 望月士郎
水仙花密かに夜のスクワット 森鈴
水になりたい少女風鈴鳴っており 茂里美絵

若林卓宣 選
ひとつずつ駅に停まりて麦の秋 石田せ江子
青蜥蜴逃走は一本のひかり 伊藤道郎
一日中カレー番かな梅雨に入る 大池桜子
本棚の父の面差し椎の花 大髙洋子
山歩く日常があり葱坊主 大野美代子
ひまわりを三本買いし昭和の日 桂凜火
老いは来る紙魚のよう刺客のように 川崎千鶴子
雨蛙雨の嫌いな奴もいる 川崎益太郎
戦闘機ゆく真うしろが現住所 河西志帆
母の背に軟膏塗り込む麦の秋 清水恵子
残世のこりよに蔵書一万ほどの黴の家 白井重之
生きているつもりもなくて大昼寝 白石司子
西の味覚持ち東西のちまき食ぶ 立川由紀
廃線をたどる麦笛吹くように 鳥山由貴子
風船握る未来も被曝していた手 中村晋
ほうほたる便器も略奪した戦 日高玲
○晶子の忌どの兵士にも母がある 前田典子
高原発キャベツに残る雨の傷 三浦二三子
豆御飯ふはっと炊けて独りかな 矢野二十四
蒲公英の地上絶え間なき戦火 山田哲夫

◆三句鑑賞

爪切って青葉の母が軽くなる 奥山和子
 この軽さを、愛しさととってもいい。小さいころは大きな存在であった母。その言動に守られたり、振り回されたり。そんな母も、母との関係もだんだん軽くなっていくと感じることに、作者の人生の充実を思う。

からすうりの花白濁の家族写真 川田由美子
 夜になると美しく怪しい花をさかせるからすうりの花と家族写真との配合。しかもそれが白濁している。家族という絆のなかにうまれる染みのようなものか。もともと家族とは、写真のような虚構であるのかもしれない。

夏が来たので背表紙のように並ぶ 宮崎斗士
 口語で散文的、言いっぱなすような着地。内容を詩的に昇華させることは簡単ではない。どうしても理屈や説明になったり、感傷的になりすぎたり。だがこのかたちに作者はこだわり、きちんと俳句にしていく。「夏が来たので」という因果関係をもってきながら、「背表紙のように並ぶ」とのつながりは理屈では説明できない。脳のもっと内側に降りてくる必要がある。背表紙には題名が書かれてあり、そのことで内面を主張し、手にとられることを待つ。しかし、それはただ無個性に並んでいるようにも見える。選んでもらえるかどうかは他者にゆだねるしかない、そんな現実を思う。
(鑑賞・小西瞬夏)

囀りや離れ離れにショベルカー 小野裕三
 「囀り」は鳥が繁殖期に出す美しい複雑な鳴き声で、いかにも春が来たという感じがして、「囀り」という季語を聞くと僕は気持ちが昂ぶる。「離れ離れ」とあり、愛する人と会えなくなるのかと思ったら「ショベルカー」がきたのでびっくり。金属製の重機が人間のように愛おしく思えてくる。

さみだれの芭蕉とバッハよく歩く 田中亜美
 「さみだれの芭蕉」と言えば、『奥の細道』の有名な二句を思い浮かべるが、他にも「さみだれ」の句を旅先で詠んでいる。バッハは、二十歳の時に当時有名だったオルガニストの演奏を聴くために四〇〇キロ以上離れた都市まで徒歩で行き、それが彼の音楽の転機となったと伝記にある。歩くことでいろんな出会いが生まれる。

棘の世の出来心なる山帰来 並木邑人
 山帰来は別名さるとりいばら。棘のある蔓性の落葉低木で、黄緑色の小花を球状にたくさんつける。名前の由来に「山で病気になった者がこの実を毒消しにして元気に山から帰った」という説があり、僕は「棘の世」にコロナ禍を思った。山帰来自身が棘を負った日々を送って、そんな中で咲かせる花は「出来心」みたいだと、作者は感じたのかも知れない。
(鑑賞・高木水志)

夜の新樹話し足りない友ばかり 河原珠美
 コロナの世になって三年余が過ぎ、自粛を余儀なくされ、いつしか馴らされていきました。友に会って思いっきり話をしたい思いにかられるこの頃ですが、ふと「話し足りない」まま亡くなってしまった友たちへの思いが胸に溢れて潤みます。それは夜の新樹のように瑞々しいひと時と豊かな会話の中にいました。

紙ふうせん母の老後という現場 宮崎斗士
 急に自分の現実を突き付けられたような気がしました。老後という厄介な諸々の確かな事実を「現場」と捉えたリアルな表現にびっくりしましたが、それが的確な表現であると受け入れて向き合っていきます。母の老いを受け入れる象徴として思い出として、色とりどりの紙ふうせんはやさしいです。

白紫陽花しあわせの断面図 室田洋子
 断面図といっても縦も横もありますし、よってその内部の面は大分違うのではないかと思います。「しあわせ」となると、切り口によってはどの様な面が見えてくるのかちょっとどきどきしてしまいます。白紫陽花は一色ですが、何しろ込み入った花ですから断面図は複雑ではないでしょうか。
(鑑賞・竹田昭江)

ひとつずつ駅に停まりて麦の秋 石田せ江子
 私は乗り鉄でも撮り鉄でもない。各駅停車等に乗っていて、手を振っている子を車窓から見つけた時には手を大きく振り返すようにしている。小さい頃自分がされてうれしかったことを今も覚えている。黄金色の麦畑のつづく風景を見ながら作者がどう思っているかはわからないが「ひとつずつ駅に停まり」の表現は私に心地いい。

戦闘機ゆく真うしろが現住所 河西志帆
 俳句には季語があって欲しいと思っている。せめて季節を感じさせてくれるものがあって欲しいと思っている。作者の住む沖縄には基地に起因するデリケートな問題もある。「現住所」のある場所。この一句を素直に読み取る。硬質なのに幾度と声に出して読んでいると季節にこだわることも無いように思えてくる。

晶子の忌どの兵士にも母がある 前田典子
 与謝野晶子と聞けば、「君死にたまふことなかれ」の弟の身を案じる反戦詩を思う。たった一人の狂気な男のために、大変な世の中になっている。大切な人は勿論のこと、知らない人の生命も思考も大事。誰も殺して欲しくない。誰も死んで欲しくない。そんな気持ちを持って「どの兵士にも母がある」が、句を引き締めている。
(鑑賞・若林卓宣)

◆海原集〈好作三十句〉武田伸一・抄出

巻爪でつかまれた腕真葛原 有栖川蘭子
ダリの髭はいつもポジティブ八月尽 有馬育代
子を産めぬ娘と猫とねこじゃらし 淡路放生
秋茜わたしもいつか西に行く 井手ひとみ
一つずつ遠くに飛んで草の絮 上田輝子
誰にでも振る尻っぽと夕涼み 鵜川伸二
蝉時雨ふと無音ですわれの死も 遠藤路子
海も嫌い山も嫌いな案山子かな 大渕久幸
忘れめや焼夷弾直下の母の夏 小田嶋美和子
家系図に浪花の匂い男郎花 木村寛伸
黄泉の児の降りて来てるらし庭花火 清本幸子
カナカナカナとっても長い後一周 後藤雅文
喉仏には小さき骨壺雲の峰 小林育子
戦など破片だらけの夏の跡 近藤真由美
夕焼を痛いたしいと思はぬか 佐々木妙子
亡き母の来て踊る手の影法師 重松俊一
秋思いまもマスカラの黒浮き上がる 清水滋生
秋蛍ふかいふかい谷川あり 宙のふう
祖父の東京どこも銀座でお祭りで 立川真理
おおむらさき誰かの背に結ばれて 立川瑠璃
捨案山子ああ青空が眼にしみる 谷川かつゑ
蛇の衣永田町では見当たらず 藤玲人
セーラーの衿にカレーの跳ね星河 中村きみどり
八月は舌の厚さを超えてゆく 福岡日向子
チャンネルを決める番台獺祭忌 福田博之
低く低くなぞる人道秋の蝶 松﨑あきら
凩がゆさぶっているのは私 村上舞香
埋れたる生家の沼の紅き鰭 吉田貢(吉は土に口)
夏果てて自由てふ恐怖ひたりひたり 渡邉照香
夜の桃奈落の水の甘さかな 渡辺のり子

『海原』No.43(2022/11/1発行)

◆No.43 目次

◆海原秀句 同人各集より

安西篤●抄出

結界とは問われて默す餘花の雨 阿木よう子
蔓手毬記憶の向こうはいつも雨 伊藤幸
父の日や全ては母を経由して 伊藤雅彦
帰るさのタトゥーのサーファー海に礼 榎本愛子
胸襟を開いて笑う大花火 江良修
ダリア咲くとても物欲しそうです 大池美木
八月や影という影はすかいに 大髙洋子
オムレツのしずけさ戦車そこを通る 大西健司
里帰り父どっかりと夏座敷 金澤洋子
羊水の子のようにふわふわ早苗 川崎千鶴子
息継ぎのように点描のしらさぎ 川田由美子
喪の明けの三日目の朝赤とんぼ 北上正枝
家族葬でいいねと言われ月見草 楠井収
鬼灯点しあわあわと今生 小池弘子
職安や過呼吸ほどの白い紙 三枝みずほ
メロン切る独り暮しの度胸にて 篠田悦子
原爆忌音なく回るデジタル時計 清水茉紀
夏目漱石入ってゐますメロン すずき穂波
ふるさとに言葉の篩夜光虫 高木水志
含羞の歩幅奈良町夏が逝く 遠山郁好
十薬や小さな鈴が鳴りやまぬ 中内亮玄
夫叱る夢見し後の魂迎え 中村道子
壊れた戦車ひまわりとコキア 平田薫
セラピー犬の眼差しに似て合歓の花 船越みよ
核兵器はいらない日々草が好き 本田ひとみ
決めかねるこの世の始末古代蓮 松本千花
著莪の花水仕事ふと自傷のよう 宮崎斗士
うすものや水縫うように母の指 室田洋子
少年の脱け殻あまた青葉闇 望月士郎
無所属やベランダに長茄子らし 横山隆

前田典子●抄出

冷蔵庫に入り切れぬ泪いっぱい 伊藤幸
平和なり大ひまわりが二本咲いた 井上俊一
父の教えいまだに解けぬ星月夜 奥山津々子
黙読の聖書愛する花蜜柑 小野裕三
束ね損ねし漠なりからすうりの花 川田由美子
侵攻NO!ここから先は春野です 北村美都子
絹さやの浅緑自分に恥じており 黒岡洋子
わたくしの日傘さしたるモネ夫人 こしのゆみこ
車椅子の深き溝あり浜防風 佐藤美紀江
原爆忌音なく回るデジタル時計 清水茉紀
家郷遠し父母という草いきれ 白石司子
大夕焼防空壕の匂ひ 鈴木千鶴子
戦争に届かぬ語彙力牛蛙 芹沢愛子
水さげて妣訪う小昼夏つばめ 竹田昭江
首灼けて茂吉『赤光』諳ずる 田中亜美
風ひとつごとに暮れゆく蛍かな 月野ぽぽな
田水張る粗き下絵を描きつつ 中野佑海
吾子ふいに朝日に卵透かし夏 中村晋
妻の眼の涼しく走る大活字 野口佐稔
レコードに傷あり野茨の実の苦し 日高玲
我が鬱を切る夏蝶の極彩や 藤野武
山椒の実卒寿の父のいやいや病 増田暁子
耳鳴りも木の芽張るのも君のせい千 松本千花
茄子の馬ぐにゃりとなりて父還る 松本勇二
友の訃や紙魚しろがねに走る夜 水野真由美
著莪の花水仕事ふと自傷のよう 宮崎斗士
ところてん日本と日本語ずれている 三好つや子
なつやすみ白紙に水平線一本 望月士郎
先生のかるいユーモア日雷 横地かをる
賢治乗る電信棒に春の月 吉村伊紅美

◆海原秀句鑑賞 安西篤

父の日や全ては母を経由して 伊藤雅彦
 父の日は、母の日に比べて影が薄いものだが、一応六月の第三日曜ということになっている。さて、その当日、家族の一人が「そういえば今日は父の日なんだけど、どうしたものか」と呟く。なにやら触れたくないものに触れたような気もして、少し後ろめたい思いで、まあこんなことは母さんにお任せしてとばかり、母(妻か)に一任する。母の裁量なら父も否やはあるまい。

八月や影という影はすかいに 大髙洋子
 八月は、六日、九日の原爆忌、十五日の敗戦日等、戦争の悲しみに関わる日が多い。そこには、歴史的に多くの死の影が漂っているはずで、それらの影は互いにひしめき、重なり、絡み合い、影同士はすかいにもつれあって倒れこもうとしている。爆心地に近い石階では、影だけ残して蒸発してしまった遺影もある。影はいずれも柱状に直立したまま斜めに倒れようとしている。すでにして死というモノと化している一瞬だ。「はすかいに」に、凝縮された映像が浮かぶ。

オムレツのしずけさ戦車そこを通る 大西健司
 ウクライナ戦争の現実を想望した一句。朝食のオムレツを作って、さあ食べようかとしている時、不意に戦車の通過する音が聞こえてきた。敵か味方かはわからないが、まさに日常の中に戦争が紛れ込んでいる場面。或いは、戦争の日々が日常化しているともいえよう。「オムレツのしずけさ」に、息を潜めている庶民の暮らしがある。

喪の明けの三日目の朝赤とんぼ 北上正枝
 大切なご主人を亡くされ、四十九日も過ぎ、喪明けして三日目の朝、ふと赤とんぼが飛んでいることに気づく。服喪中は、悲しみと雑務の中で日々過ぎてゆき、なにも目に入らなかったのだが、ようやく我に返った朝だったのかもしれない。気丈な作者だから、諸事万端に遺漏なく対応することに抜かりはなかっただろうが、その張りつめた気持ちも、一通りやり終え一息ついた朝。一匹の赤とんぼがふっと宙に浮いているのを、見るともなしに見ているうち、あらためて静かに悲しみが滲み出てきた。おそらく、その時心から泣きたかったに違いない。

職安や過呼吸ほどの白い紙 三枝みずほ
 職安に求職依頼に出かけ、求職用紙を貰う。生活がかかっているから、うまくいくかどうかは死活問題でもあり、緊張することこの上ない。その白い紙に、過呼吸する程の緊張感を感じたという。今の求職難と、そこに生きることの厳しさが、ありありと浮かび上がる。無季の句ながら、季を通じてのリアリティを感じさせる。

メロン切る独り暮しの度胸にて 篠田悦子
 メロンは果物の中でも高級な食材とされているから、一般庶民が気楽に口にするようなものではない。しかし独り暮しをしていると、たまには気晴らしにパアーッとやるかという気になるのも無理はない。それにつけても不時の出費だから、思い切りが必要になる。そこは度胸一本で行こうかとばかり、自分に気合を入れていくわけだ。たかがメロンでも、独り暮しなりの度胸が必要なのも暮しの現実感。

夏目漱石入ってゐますメロン すずき穂波
 語調と語感の楽しさと、一句全体のユーモラスな映像が軽やかに伝わってきて、いかにも夏向きの一句となった。こういう句は、意味的な解釈を拒否する。「夏目漱石」の語感から来る爽やかさと、作品そのものの軽みが相俟って、「メロン」の質感に通い合う。下五を三音の短律で切るのも、「○○メロン」と無音拍二音の停音効果との合わせ技で、中句の切れを響かせるとも言える。文脈的に読めば、漱石がメロンの中に入ってますだが、映像的には、漱石がトイレに入っていて、子規が厠から糸瓜を眺めたように、庭にメロンが転がっていると想像してみるのも面白い。すこし無理筋の評釈だが。

夫叱る夢見し後の魂迎え 中村道子
 夫を亡くして初めてのお盆を迎えた朝のこと。まだ存命中の夫を夢に見て、ついついいつもの癖で叱り飛ばしてしまったが、目覚めてみると魂迎えの朝だった。いやもうその気まずさと悔いったらありゃしないと思いつつ、念入りに魂迎えの用意に取りかかる。それは亡き夫への最後の甘えだったのかもしれない。どうか許して下さいとの思いしきり。

無所属やベランダに長茄子らし 横山隆
 長いコロナ禍で、屈託の多い日々を過ごしているうちに、なんとなく自分自身が一体何に所属して、どう動こうとしているのか、自分自身の存在根拠がどこにあるのか分からなくなっているような気がしてくる。そんな寄る辺なさを「無所属や」とし、さてその挙句は、マンションのベランダでささやかな菜園に長茄子を生らしているようと捉えた。これは悠々自適の境地と異なり、どこか意味化されないままの生のありようにも見える。時節柄、妙に親近感を覚える句だ。

◆海原秀句鑑賞 前田典子

平和なり大ひまわりが二本咲いた 井上俊一
 時世柄、ウクライナとひまわりにかかわる作品をよく目にする。作者の脳裏にもその光景はあるに違いないが、掲出句はそこからは距離を置いている。「平和」という言葉が、いま、どれほど虚しいことか。それだけに、身近な場所に咲いたひまわりの光景が、理屈抜きに新鮮だ。群生でもなく、一本でもない。「二本」の平衡感覚の静けさに、素朴な平和の実感がある。
 この句を味わいながら、本誌「海原」の柳生さんの連載論考〈全舷半舷〉で言及されている、「テレビ俳句」、「戦場想望俳句」などについて考え併せていた。かつて私は、テレビで見た作品に後ろめたさを感じて、その後、現地に確かめに行ったことも、想い出したりした。

黙読の聖書愛する花蜜柑 小野裕三
 一句を読み下しつつ、この上ない「花蜜柑」の配合に魅かれた。「黙読」「聖書」「愛」という、ある意味、スケールの大きくて深い世界を、繊細で清やかな精神世界へと馴染ませてくれる、無垢な気配の「花蜜柑」である。様々に深まる「黙読」の姿が、清々しく表出された。
 「詩人たるもの、聖書一冊ぐらい読み込んでいることが常識」との塚本邦雄の講演での強い口調を想い出す。作者は、既に身についた聖書を、折々、愛読しているようだ。

侵攻NO!ここから先は春野です 北村美都子
戦争に届かぬ語彙力牛蛙 芹沢愛子
 ほんとうに歯がゆい思いが募る二句に全く共感です。「侵攻NO!」と叫びたい程の気持。「春野」という自然に愛しさをも感じない殺伐とした境地が耐えられない。人間として当たり前のことを取り戻して欲しいとの訴えが通じる語彙力が欲しい。恃みの牛蛙もはっきりしない。このもどかしさを、こうして「語彙力」を超えた、「俳句力」を発揮されていることで救われる気がする。

わたくしの日傘さしたるモネ夫人 こしのゆみこ
 日傘をさして歩いているとき、ふっとクロード・モネの絵のなかの、モネ夫人が思い出されたのだろうか。夫人がさしている日傘を、「わたくしの日傘」と言いつつも、絵の中のモネ夫人になりきっているように想えて楽しい。絵から閃いたインスピレーションが、何の違和感もなく作品化されて伝わってくる。ずらす表現力がセンスよく発揮されている。そんな作者像が魅力的だ。

原爆忌音なく回るデジタル時計 清水茉紀
 アナログの時計は、時間の前後などを少し考える余裕があったり情緒も動く。デジタルは音もなく時間の数字だけが表示される。その不気味さが、突然の原爆投下にどこかで通じるような気がする。すべて人間が生み出した所産だということに、危機感や怖さを感じさせられる。

水さげて妣訪う小昼夏つばめ 竹田昭江
 「水さげて」「小昼」「夏つばめ」の響きあいが快い。母を亡くした寂しさなどは、既に克服して久しい様子がうかがえる。しかし母を恋う気持ちは齢をとっても変わらない。下げている水も軽く、いそいそと墓参を楽しんでいるようだ。

首灼けて茂吉『赤光』諳ずる 田中亜美
 茂吉の歌集『赤光』は、十七歌集あるうちの、三十二歳の頃の第一歌集で、強烈な印象をもつ連作を巻頭にした構成で、八三四首収められている。茂吉自身は、「写生のままの表現だ」と主張はしているものの、読者には難解なところがある。それ故の魅力も捨てられない。
 掲出句の作者田中さんは何度も味読していて、諳じられる程らしい。集中、何かにつけ「赤」の色彩を帯びた何首かが出てくるが、「首灼けて」と『赤光』とを色彩で結びつけているのではないと思う。「首灼け」るほどの炎天下を、ひたすら目的地へ向かいつつ迫ってくる、心理的なものが、諳じさせているような気迫を感じる。「首灼けて」の斡旋が「茂吉『赤光』」に適っている。

友の訃や紙魚しろがねに走る夜 水野真由美
 不意の訃に接したその日の夜、故人を偲ぶ思いで、その人にかかわる著書を開いたとき、不意に紙魚が出てきて「しろがねに走」った。ひょっとしたら久しく会ってなかったのかもしれないし、著書も長く閉じたままだったようだ。それだけに鮮烈に現れた生命感と、作者にとっての故人の存在感がこころに沁みる。

なつやすみ白紙に水平線一本 望月士郎
 平仮名書きの「なつやすみ」はまだ低学年のお子さんの夏休みであろう。「白紙に水平線一本」は、そのお子さんにとっての夏休みの「喩」かもしれない。でも、まず、白紙をひろげ、緊張と期待感の「水平線一本」をひく親子の様子も見えてくる。この一本をどう配分して過ごすか。「線一本」ではなく、「水平線一本」と見立てたところに、空や海を味方に夢や解放感がひろがる。

◆金子兜太 私の一句

炎天の墓碑まざとあり生きてきし 兜太

 この句には「朝日賞を受く」の前書きがある。幸運にも、私はその受賞式(平成28年1月)に参加し、兜太一代の名スピーチを聴くことが出来た。感動のあまり一同思わず聴き入っていた。感動の背景にはトラック島戦場体験に裏打ちされた兜太の人間観があった。その記憶と重なり、この俳句は生きている。「これでよかったんだ」という感慨がある。句集『百年』(2019年)より。岡崎万寿

麒麟の脚のごとき恵みよ夏の人 兜太

 丈高い麒麟の脚の細さに美しい恵みよと、兜太先生の健康的で純粋な純心を感じ感銘いたしました。夏の人の解釈は読む方の解釈でよいと思いますが、素敵な方を想像したり、麒麟のように理知的な群を抜く殿上人かもしれません。佐藤鬼房全国大会で、兜太先生の賞状を胸に兜太先生との写真が瀟洒な此の句とともに座右の銘として大切な宝になりました。句集『詩經國風』(昭和60年)より。蔦とく子

◆共鳴20句〈9月号同人作品より〉
〇印は2選者の共選句 ◎印は3選者の共選句

小西瞬夏 選
五月雨の全景として山羊一頭 伊藤道郎
柳絮飛ぶ打たれるための左頬 榎本祐子
韮の花まだまだ伸びる影法師 川田由美子
行間に仏法僧のいる真昼 久保智恵
聖五月落っこちていた靴底は 小松敦
鉛筆の書き味に似て春目覚め 佐孝石画
曖昧なきりとり線や風光る 清水恵子
ひろしま忌人形の眼のガラス玉 清水茉紀
○剪定されすぎた樹木です僕は 芹沢愛子
止息して海鼠のかたち梅雨来る 瀧春樹
黒き函並ぶ都心や春の暮 田中亜美
母の亡き最初の母の日の日差し 月野ぽぽな
ハンカチの花のざわめき幻肢痛 鳥山由貴子
○噴水の向う側から来る伏線 並木邑人
六十兆の細胞分裂遠花火 藤原美恵子
豆飯の豆の多すぎ老後なり 前田典子
傍線のような一日髪洗う 三浦静佳
野に老いて父のはみだす草朧 水野真由美
○朧夜のポストに重なり合う手紙 望月士郎
たんぽぽや少女狙撃手絮吹いて 柳生正名

高木水志 選
瓦礫に立つ陽炎は死者たちの未来 石川青狼
他人事だった自由なからだ夏の潮 桂凜火
うりずんや基地と墓群を夜が吹く 河西志帆
緑陰や仕掛け絵本のように風 河原珠美
はこべらや天地無用の箱軽し 黒岡洋子
同類の匂いはなちて夏の潮 こしのゆみこ
胡瓜揉むよう戦争しない力 三枝みずほ
苦瓜は憤怒のかたち太き雨 重松敬子
まなこ澄み君は梟だったのか 篠田悦子
白桃すするジェノサイドの幻聴 清水茉紀
初蝶の産土こんなに水が照る 関田誓炎
毛たんぽぽ吹けば生国消えていく 十河宣洋
クロッカスから地球の呻き声 たけなか華那
○着るように新緑の母家に入る 月野ぽぽな
虹色の五月と言い孤独死のはなし ナカムラ薫
幽霊銃ゴーストガン解体すれば猫柳 松本千花
カワセミの青き閃光必ずもどる 松本勇二
音もなく常世へと散りえごの花 水野真由美
日永とはぽつんと椅子がある老母 宮崎斗士
春ゆうやけ原風景の犬ふりむく 望月士郎

竹田昭江 選
戦争を画面で観てます昭和の日 有村王志
虫喰いのような記憶や亀の鳴く 榎本祐子
○兄弟に従兄弟らまざる素足かな こしのゆみこ
目礼の後のひかりや藤の花 佐孝石画
憲法記念日一輪車は難しい 佐藤博己
黒南風や完熟という壊れ方 佐藤美紀江
青鬼灯恋ともちがう文を書く 清水茉紀
○剪定されすぎた樹木です僕は 芹沢愛子
○着るように新緑の母家に入る 月野ぽぽな
虚弱体質烏柄杓をはびこらす 鳥山由貴子
君の心に走り書きして春落葉 中野佑海
宥すとは窓あけること花は葉に 中村晋
サザエさんち今日も揺れてる昭和の日 中村道子
○噴水の向う側から来る伏線 並木邑人
○向日葵の種蒔く頃となっている 服部修一
青葉木菟寓話をしまう食器棚 日高玲
何の荷を下したのだろ柳絮飛ぶ 藤田敦子
満場一致なんじゃもんじゃの散る夕べ 本田ひとみ
君の死後という摘草が終わらない 宮崎斗士
地球船みんないるかい子どもの日 森田高司

若林卓宣 選
鼻眼鏡の妻と眼の合う春の昼 綾田節子
変体仮名の古書店閉づや藤の雨 石川和子
ひまわりを三本買いし昭和の日 桂凜火
桜苗植えて余生を青空に 金並れい子
待つという愚かさが好き春夕焼 小池弘子
○兄弟に従兄弟らまざる素足かな こしのゆみこ
花散れば散ったで酒がまたうまい 佐々木昇一
新樹光這い這いの子が立ち上がる 高橋明江
「麦畑」世を黄に染めしゴッホかな 永田和子
海に母苺に母ゐるランチかな 西美惠子
青芝を傷つけラジコンの戦車 根本菜穂子
○向日葵の種蒔く頃となっている 服部修一
青麦の空が破れる音がする 藤田敦子
夏落葉ひっくり返してみる手紙 堀真知子
交番に人気ひとけのなしや月見草 松田英子
桜咲きましたよベッドの向き変える 三浦静佳
○朧夜のポストに重なり合う手紙 望月士郎
桐の花母の呼ぶ声から逃げる 森鈴
さみしくて雨になりたいかたつむり 輿儀つとむ
夜桜や亡母の古羽織ちょいと借り 吉村伊紅美

◆三句鑑賞

ハンカチの花のざわめき幻肢痛 鳥山由貴子
 実際に聞こえる音、手にとって見ることができるものと、そうではない幻との境はどこにあるのだろう。この作者にとってそれは極めてあいまいであり、幻のほうがリアルであったりするのかもしれない。ハンカチのような白いがく片がざわめく音が聞こえるということ、なくなった身体の一部が痛むということ。それらが言葉にされることで、言葉にしか表現し得ない世界が見えてくる。

六十兆の細胞分裂遠花火 藤原美恵子
 人間の体の細胞分裂と遠花火の出会い。なぜか奇妙な実感がある。たしかにそれは、自分の体で起こっていることでありながら、まるで遠花火のように遠くで美しく弾けては消えていくものである。「の」以外は漢字で生物の教科書に出てくるような書きぶりも、味わい深い。

朧夜のポストに重なり合う手紙 望月士郎
 ポストに投げ込まれた手紙がカサリと立てる音が聞こえてくるようだ。それ以外は何の音も聞こえない夜である。手紙は黙っているが、さまざまな思いが何層にも重なって届けられるのを待っている。「重なり合う」という描写は当たり前のようでいて、その思いの厚みと重さを客観的に表現し得ている。朧夜のポストだからこその実景であり心象風景でもある。
(鑑賞・小西瞬夏)

胡瓜揉むよう戦争しない力 三枝みずほ
 胡瓜揉みは、胡瓜を薄くスライスして塩を振り、手で揉んで、出てきた水分を絞り、甘酢や三杯酢等で和えて食べる料理だ。僕も揉んでみた。胡瓜から、たくさんの水分が出てきて、だんだん柔らかくなって気持ちが良かった。胡瓜を揉む、優しい力。日々の暮らしの中に、平和への深い祈りが籠められていると思う。

初蝶の産土こんなに水が照る 関田誓炎
 「初蝶の産土」に惹かれた。作者は秩父にお住まいだとのこと。この句の産土は、兜太先生と同じ山国秩父のことだろう。秩父谷にひらひらと蝶が舞い、川の水は春の光に照らされて眩しく見える。山国の厳しい冬が終わり、春の訪れを実感する作者のふるさとを想う気持ちが感じられる。

日永とはぽつんと椅子がある老母 宮崎斗士
 春の温かな光の中で、年老いた母がのんびりと椅子に座っている。そんな情景を思い浮かべた。更に「ぽつんと椅子がある」の「ぽつんと」について考えていると、今は椅子に座れなくなった母を詠んでいるのではないかと思えてきた。作者の、母との時間を大切にする思いや、母に対する敬愛の念が伝わってきて、胸がいっぱいになる。
(鑑賞・高木水志)

戦争を画面で観てます昭和の日 有村王志
 テレビをつければウクライナの悲惨で非人道的な映像が流れる。地球で起こっている戦争である。観ているという表現で、心の痛みを無力感を表している。「昭和の日」の制定された意味や由来はいろいろあるが、昭和は太平洋戦争という大きな犠牲を出した時代でありその傷痕は今も残っている。

青鬼灯恋ともちがう文を書く 清水茉紀
 飯島晴子の「恋ともちがふ紅葉の岸をともにして」の「恋ともちがふ」は正真正銘恋の句と思う。掲句は「青鬼灯」のあの未熟感と、文という情緒を以て紛れもなく初々しい表情の恋の句である。夏から秋にかけての季節の移ろい、心の移ろいの微妙な心情が詠まれている。

満場一致なんじゃもんじゃの散る夕べ 本田ひとみ
 なんじゃもんじゃの木を初めて見た時の印象は正に「なんじゃ」という感じで、後に「ヒトツバタゴ」と知る。満場一致のあやうさを声高でなくさっと掬い上げて納得させるには、威圧感の不思議なこの木しかないとすんなり思わせる。そして、柔らかな表現に高揚感と終末を漂わせる力量が満ちている。
(鑑賞・竹田昭江)

兄弟に従兄弟らまざる素足かな こしのゆみこ
 素足でいるのは、寛いでいるからだろう。しかも兄弟だけでなく従兄弟もまざっている。近いところの人であっても、話し上手がいたり、聞き上手がいたり。お盆で帰省して久し振りに会ったのだろう。飲みながらの話は楽しい。畳の上ならなおさら寛げるだろうし。「素足」が色々と句を広げてくれているのはうれしいことだ。

交番に人気ひとけのなしや月見草 松田英子
 警察署、消防署、自衛隊というところは、元来、暇であれば暇であるほどいいと思っている。有事の際には必要となるので、訓練だけは一生懸命やってもらって欲しいが、あとはゆっくりと休んで欲しいと思っている。見ている人は少ないけれど、月見草はけなげに咲いている。「交番に人気のなしや」は、通常の仕事の範疇。

桜咲きましたよベッドの向き変える 三浦静佳
 お父さまをでしょうかお母さまをでしょうか病人をお世話されていることは大変なこと。あるいは看護とか介護とかお仕事をされているのかも知れない。さりげない物言いがいい。冬が厳しければ厳しい程、春の訪れの喜びは大きい。「桜咲きましたよ」と聞くだけで、明るい気持ちになる。「ベッドの向き変える」が、秀逸です。
(鑑賞・若林卓宣)

◆海原集〈好作三十句〉武田伸一・抄出

わかった私が悪かった大夕立 有栖川蘭子
ビルの谷ペルソナ吐いて炎暑かな 有馬育代
蝮谷白い帽子が落ちている 淡路放生
しろがねの南風に青鈍の鳩たちよ 飯塚真弓
雀隠れもう先生の一周忌 石口光子
卯の花腐し落ちるところまで落ちる 大渕久幸
夢ひと夜邪馬台国へ螢狩 岡田ミツヒロ
手の影をスプンで運ぶ半夏雨 川森基次
町の名は白南風基地の街佐世保 古賀侑子
老人は歯磨きをしてサクランボ 後藤雅文
青水無月メメント・モリと呟けり 小林育子
マンゴーを切って太陽取り出した 小林ろば
蕃茄トマトにはハーブ妬けさす青さあり 齊藤邦彦
星涼し烏の骸晒しある 佐竹佐介
口先の民主主義夏の火縄銃 島﨑道子
シクラメン舌やはらかに嘘を言ひ 宙のふう
青野を食む獣と草を分けあふて 立川真理
天体は遠い過去形流れ星 立川瑠璃
舌打ちは生きてるあかし青大将 千葉芳醇
暑き日やヴァットの上の母の乳房ちち 藤玲人
権現の楠からどさと大暑かな 深澤格子
死にたいと思わなくなる噴井かな 福岡日向子
冷房は無い必要だったのは空だ 松﨑あきら
お咎めの墓に吹かれて蛇の衣 村上紀子
青年の傾斜凩は緩まず 村上舞香
土手あざみ莊子譜を編み去りにけり 吉田貢(吉は土に口)
白南風やそのまま行けそうな昼寝 吉村豊
白鳥の背のやはらかき誘ひかな 路志田美子
安眠と危篤の狭間木下闇 渡邉照香
髪洗う背なに原罪やどるかな 渡辺のり子

『海原』No.42(2022/10/1発行)

◆No.42 目次

◆海原秀句 同人各集より

安西篤●抄出

母の日をモナリザのよう手を組んで 綾田節子
戦記のごと蛍のむくろ一つ置く 大西健司
沖縄忌ジュゴン黙って消えにけり 岡崎万寿
山桜桃記憶の外の負の記憶 奥山和子
老いは来る紙魚のよう刺客のように 川崎千鶴子
からすうりの花白濁の家族写真 川田由美子
麦秋や噛めば噛むほどごはん粒 北上正枝
やわらぎは保健室のよう金魚玉 楠井収
今しかない今をうたたね田水張る 黒岡洋子
極太の赤ペン添削梅雨夕焼け 黒済泰子
黒南風や絵馬いっせいに鳴り止みぬ 小松敦
うずくまるかたちは卵みどりの夜 三枝みずほ
どしゃぶりの電柱まるごと師の言葉 佐孝石画
徘徊は自由心太自由 鱸久子
馬糞海胆食べて黄昏れやうかしら すずき穂波
黄金週間黒いマスクの一家族 芹沢愛子
母の日や忘れものした時の顔 滝澤泰斗
津波跡の明日葉明日に壁なくて 竹本仰
聖農の墓蕺菜の香のきつく 竪阿彌放心
かきつばた仮想の生と瘡蓋と 田中亜美
夭折に遅れる永き日の木馬 鳥山由貴子
蛍火つーと草の根照らす妻の忌へ 野田信章
鳥ぐもり瓦礫の下のぬいぐるみ 平田恒子
ぞわわぞわわと大百足虫疑念も少し 藤野武
蘭鋳は淋しい言葉食べ尽くす 松井麻容子
人混みに独りを創る日傘かな 武藤幹
青葉渦から戦闘ドローンがまた一機 村上友子
噴水にどしゃぶりのきて笑い合う 望月士郎
水仙花密かに夜のスクワット 森鈴
音読の合間あいまよ遠蛙 横地かをる

大西健司●抄出

人形の抜けた目さがす木下闇 阿木よう子
ハンモック上野のシャンシャンみたいにさ 綾田節子
海峡を渡る蝶なり無国籍 石川青狼
百合の香や弦音高く矢を放つ 泉尚子
そうしてさ無人駅の虹の手話 伊藤清雄
切岸に孤高の野山羊聖五月 榎本愛子
ひとやとも茅花あかりの仮住まい 榎本祐子
尽くし過ぎですか薔薇は薔薇でしょう 大池桜子
東京を蝕む夜の巣箱かな 小野裕三
カメノテの塩茹穿る梅雨晴間 河田清峰
天道虫飼つて時々寂しがる 小西瞬夏
黒南風や絵馬いっせいに鳴り止みぬ 小松敦
君というこころの余韻夕立くる 近藤亜沙美
一行をはみ出しここからは燕 三枝みずほ
橡咲いて河向うより昼のポー 篠田悦子
海をゆく蹄の音の霞みおり 白石司子
馬糞海胆食べて黄昏れやうかしら すずき穂波
産土の神の水辺に茗荷の子 関田誓炎
踏青やママはタトゥーが嫌いです 芹沢愛子
強情や鹿一頭が野に残る 十河宣洋
とある日の二階のベッド梅雨鯰 ダークシー美紀
静けさや手長蝦釣る雨の池 髙井元一
石塊も木っ端も遺品震災忌 瀧春樹
かきつばた仮想の生と瘡蓋と 田中亜美
用心棒みたいな猫へ青嵐 峠谷清広
本ひらく若葉へ船を出すように 遠山郁好
廃線をたどる麦笛吹くように 鳥山由貴子
短夜や8ビートな喧嘩して 中野佑海
星と妻と私との位置愛しかり 藤野武
Tシャツをはみ出て誰の腕ですか 堀真知子

◆海原秀句鑑賞 安西篤

戦記のごと蛍のむくろ一つ置く 大西健司
 蛍狩りに来て、蛍を捉えようと悪戦苦闘している内に、気が付くと足下に蛍のむくろが落ちていた。自分が叩き落としたものかどうかは定かでないが、おそらくこの蛍狩りの最中に、人間どもの手によって犠牲になったのだろう。いわば人間のエゴイズムの犠牲となった蛍に違いない。にわかに気づくと、妙に粛然たる気持ちになって、やや高い土の上に蛍のむくろを置き、蛍狩り戦記の犠牲者として弔いたい気分になったのではないか。束の間の蛍の命への心の通い合いを詠んでいる。

沖縄忌ジュゴン黙って消えにけり 岡崎万寿
 沖縄海域におけるジュゴンの生息環境は、きわめて厳しい状況にあるという。戦争や戦後の基地建設、埋め立てによる再開発等によって、ジュゴンの生息環境はますます窮迫し、絶滅の危機に瀕しているらしい。沖縄忌は、昭和二十年六月二十三日、日本軍が摩文仁岬において壊滅した日に当たる。この戦いで多くの民間人が犠牲になったが、戦後約八十年の歴史の中で、ジュゴンもまたあの時の沖縄の人々同様絶滅の危機に直面していることを、戦争の悲劇とともに告発しているのではないか。

老いは来る紙魚のよう刺客のように 川崎千鶴子
 人間も生き物である以上、生まれ、育ち、盛りの時期を過ぎて、いのちの消滅を迎えるのは、自然の成り行きと言わざるを得ない。不老不死は望むべくもないが、老後の時間が長期化していることも事実である。老いの行程は、必ずしも楽なものではなく、むしろどう耐えていくかの重荷を背負うもの。しかも老いは、紙魚のように忍び寄り、刺客のように不意を襲うのだ。そうなると正面から戦えるものではなく、いかにうまく付き合っていくかの問題となる。この比喩が個性的だ。ここでは、その入り口に立った人の、途方に暮れた立ち姿と見たい。

今しかない今をうたたね田水張る 黒岡洋子
 この句の本意は、残された時間は多くなくやるとすれば今しかないのに、うたたねをしていたずらに時を空費している己への自省の念を詠んでいるように思える。やや筆者自身の身に引き付けた読みかも知れないが、これも一つの境涯感の風景と読めなくはない。すでに田水は張って、田植えに取り掛かる用意が出来ているというのに、一向に腰が上がらないのも、老い故だろうか。その刻々の時間意識自体、一つの生命現象には違いない。

徘徊は自由心太自由 鱸久子
 すでに九十代半ばに達している作者の、自由闊達な生きざまを書いた一句。「徘徊は自由」とは、兜太先生の「俳諧自由」をもじったもの。年を取ると眠りが浅くなり、夜中に目覚めて徘徊することもある。作者は、それなら起きて自由に徘徊してやろうという。兜太先生もそうしていたらしい。「心太自由」は、ちょっと難しいが、イメージからすると排便のことか。兜太先生は晩年、土スカトロジーに親しい糞尿譚をやたら句にしていた。さすがに作者は、そこは慎ましく「心太」とぼかしたが、なんとも奥ゆかしい(?)自由さではないか。

黄金週間黒いマスクの一家族 芹沢愛子
 五月の黄金週間、コロナ禍の最中ながら、二年越しのコロナ疲れに、ウクライナ疲れも重なって来たので、久しぶりの連休は家族連れの短い旅行に繰り出したのではないか。さりとて、感染対策に気を抜くわけにもいかず、全員黒マスクで物々しくバスに乗り込む。そんな一家のささやかな癒しのひと時を、かけがえのないものとして愛おしんでいる。黄金と黒の対照に緊張感を宿しながら。

母の日や忘れものした時の顔 滝澤泰斗
 この場合の「顔」は、母の日の主役の母の顔ではないだろうか。日頃一家のために献身している母は、自分がお祝いの当事者であることなど、ころりと忘れているから、子供たちは示し合わせてひそかに母の喜びそうなものを用意し、当日、何食わぬ顔で集まって、食事時に出し抜けに母にプレゼントする。「忘れものした時の顔」とは、その時の母の、あっと驚く表情ではないか。

鳥ぐもり瓦礫の下のぬいぐるみ 平田恒子
蘭鋳は淋しい言葉食べ尽くす 松井麻容子
水仙花密かに夜のスクワット 森鈴

 この三句では、日常のさりげない暮らしの断片から、なにやらショートエッセイ風の物語的世界が広がる。
 「鳥ぐもり」の句。震災による瓦礫の下に、ぬいぐるみの人形が落ちていて、被災の爪痕を生々しく残している。被災地の復興未だしの中、鳥ぐもりの空は一向に晴れそうにない。
 「蘭鋳」の句。小さな金魚鉢に一匹の蘭鋳がいて、いつも独り口を動かしている。どうやらその淋しい言葉は食べ尽くしたようと見立てた。自画像の投影だろうか。
 「水仙花」の句。夜の水槽で、水仙が花を開き、根茎は節々から不定根を水中に広げている。その姿は、寒さの中、花の矜持を保つかのように、密かにスクワットを試みているかのようにも見える。

◆海原秀句鑑賞 大西健司

尽くし過ぎですか薔薇は薔薇でしょう 大池桜子
 「尽くし過ぎですか」と言われても困るんですがってこたえたくなる。桜子さんの同人としてのスタートを飾る一句は私の思う彼女らしい句だ。薔薇は薔薇、私は私そんなところだろう。私らしく生きる、これからのありようを語っているように思える。やはり薔薇を持ってくるあたり素晴らしい。華やかに活躍してほしい。

カメノテの塩茹穿る梅雨晴間 河田清峰
 やはり新同人の清峰さんの味のある句に注目。
 なんと言ってもカメノテが秀逸。地方都市に住む者の強み、こんな題材なかなか無いだろう。カメノテ穿るなんて書けない。何ともいえないリアリティが愛おしい。
 縁側だろうか、屋外だろうか。一杯やりながらほじほじやっているのだろう。梅雨の晴れ間のひととき、少しべたつく潮風を感じながらの至福の時間。そういえば海辺の小さいスナックで、突出しに出された磯物に困惑した記憶が甦ってくる。それは小さな巻き貝。カメノテよりも小さいやつをちまちまと穿ったことを思い出す。
 素敵な一句に乾杯。

ハンモック上野のシャンシャンみたいにさ 綾田節子
 何とも楽しい句だ。最初読んだときわざわざ上野なんて書かなくてもと思ったが、やはり余計なことは書かず楽しいリズムで「上野のシャンシャンみたいにさ」と書ききった良さだろう。「みたいにさ」が実に愛らしい。
 上五のハンモックへと戻っていくのだろうが、いそいそとハンモックを吊しながら呪文のように呟くのだろう。
 何ともいいなあ、シャンシャンみたいにおもいっきりごろごろするんだろうな。羨ましいことです。

馬糞海胆食べて黄昏れやうかしら すずき穂波
 こちらもおなじく「黄昏れやうかしら」が何とも良い。
 軽やかに響いてくるのが実に愛らしい。実際のところ広辞苑などには物思いにふけるというふうには出ていないが、いつしか一般的にはこのように使われているのでそのように読みたい。たぶん一人で馬糞海胆を堪能しながら、ちょっと黄昏れてみようかしらなんて呟いて飲んでいるんだろうな。節子さんの「みたいにさ」と同じく「やうかしら」が実に素敵。でも馬糞海胆とこう書かれると優雅さよりユーモアと感じてしまうのは何故。

人形の抜けた目さがす木下闇 阿木よう子
 なにこの不気味な導入部。木下闇にポツンと人形が置かれていたら怖いだろうな。そのうえ目が無いとなると勘弁して欲しい。そしてその目を探しているのだ。何だこれは、ここから何が始まるのだろうか。しかしやはりこれは作者の内面に潜む何かなのだろう。不思議な世界観に心引かれる。

とある日の二階のベッド梅雨鯰 ダークシー美紀
 一転こちらは明るい世界が広がる。広がるがやはりこちらも不思議な世界。何なのこの梅雨鯰って、しかも二階のベッドにとなると例によって妄想癖が動き出す。
 私の詮索だとある日の旦那さんの姿態。どたっと寝転がっているのだろう。口髭でもあるのかな。ベッドと一体になっているのだろうなどなど何とも失礼しました。
 読み手を楽しくさせてくれる仕掛けに溢れた句。

橡咲いて河向うより昼のポー 篠田悦子
 昼のポーって何なのから始まって、いつしかとりこになっている。エドガー・アラン・ポーとかいろいろと考えていると、ふっと浮かんできたのが少女漫画のポーの一族。内容はよく知らないが壮大な物語が動き出す。
 でも何なんだろうこの不思議なポーは。ポーがこの句のすべて。秀逸。

用心棒みたいな猫へ青嵐 峠谷清広
 一昔前だと家猫も気儘に外を歩いていた。そこには縄張りがあり、ボス猫の存在があった。この句の用心棒みたいな猫の存在ももちろんあった。凄みのある風体に幾多の戦いを経てのあまたの傷痕。猫好きにはたまらない一句。そんな猫が青葉の中に眼光鋭く蹲っているのだ。
 青嵐がよく似合う。

石塊も木っ端も遺品震災忌 瀧春樹
 地震で怖いのは火事に津波。あとかたもなく想い出を奪い去ってしまう。あとに残るのは残骸のみ。作者は、日々の暮らしの痕跡である石塊や木っ端も遺品という。
 建物の破片かも知れない木っ端や、庭先にあったのかも知れない石塊に思いを寄せている。遠くにあって映像で見るのみだが、その残酷さを痛切に思う。この夏も酷暑に豪雨、各地で頻繁におこる地震。常に災害は身近なところにあり、他人事ではないだけにこの句が身に染みる。

 ところで、いろいろと訳のわからないことを好き勝手に書かせていただきましたが最終回です。ありがとうございました。

◆金子兜太 私の一句

霧の車窓を広島馳せ過ぐ女声を挙げ 兜太

 戦後の組合活動の関係で、先生が何度か広島を訪れた時の句である。広島駅前に、数人の女性が佇んでおり、その中に顔半分がケロイド状で、それを隠すようにするきれいな女性がいた。先生はその姿を忘れられなかった。汽車が走り出す後まで「きゃー」という声が上がるという幻覚。先生はその女性の夢を何度も見たという。かつて夫と降り立った広島駅での出来事と思うと、同じ女性としてひしひしと悲しみが迫ってくる。句集『少年』(昭和30年)より。〈著書『あの夏、兵士だった私』(平成28年)の中に自句自解あり)石川和子

梅咲いて庭中に青鮫が来ている 兜太

 この句が難解と思う人も多いようだが、兜太先生の句で好きな句ベストスリーの一つだ。俳句をする前から、ダリなどシュールレアリスム的作風の絵が好きだったが、この句はそのような絵になる句だと思った。この句を絵にしたら、タイトルは「早春」だ。早春になった喜びの気分を表現する俳句として、この句は私には大変新鮮な句である。句集『遊牧集』(昭和56
年)より。峠谷清広

◆共鳴20句〈7・8月号同人作品より〉
〇印は2選者の共選句 ◎印は3選者の共選句

小西瞬夏 選
春水の言葉に両手差し入れる 榎本祐子
西東忌前後左右の他人かな 小野裕三
しっかり呼吸巣箱に粗漉しのひかり 川田由美子
未草こころは足からは遠い 河西志帆
晩春のこだまを入れる鞄かな こしのゆみこ
蓋閉まらないほど入れて春の夢 小松敦
花見上げ奥へ奥へと僕等つながれ 佐孝石画
清明や戦地の夢は冷たい顔 豊原清明
揺れること立つこと鳥の巣を抱く樹 中村晋
どこかで又ちひさな渦巻きたねをの忌 野﨑憲子
四郎四郎と呼ばう島あり睦月かな 野田信章
天皇誕生日きれいにとれた鯛の骨 長谷川順子
チューリップ画をかくように戦をして 平田薫
切株や戦死者靴を天へ向け マブソン青眼
戦火また四月の橋に足をかけ 水野真由美
ブランコ最下点またふるい魚群くる 三世川浩司
○ヒヤシンス泣くのも笑うのも体操 宮崎斗士
鳥雲に君は前しか見ていない 室田洋子
消印は 三月十一日海市 望月士郎
○木のやうな人と木の人と朝寝 柳生正名

高木水志 選
人類の未来世紀へ届けよ薔薇 石川青狼
出来ぬこと幾つも増えてクロッカス 伊藤巌
春雨は古典よ魚になる途中 大沢輝一
蝙蝠のスープ静謐な春のこと 大西健司
○変えていいルール早春の白線引く 桂凜火
○Tシャツが白くて空がやはらかい 小西瞬夏
やや無口とか人間の種袋 小松敦
雨の輪のかさなりあひて死生観 三枝みずほ
まっさらな今日を燃やして夜の桜 佐孝石画
不燃性家族そのうち一人たんぽぽ化 すずき穂波
喪失という繰りかえし春の雪 芹沢愛子
みづいろは大地テラの頬笑みしやぼん玉 高木一惠
風の私語水の私語ある春彼岸 竹田昭江
シェルターに産声響く春三日月 田中信克
余寒この瓦礫の中に瓦礫の墓碑 中村晋
内なる死干潟に満ちて遊女塚 並木邑人
崩壊の土来年も咲くよ菫 野口思づゑ
キエフ春泥おかあさんこわいです 野﨑憲子
桜もう風の軽さに漂いぬ 茂里美絵
○木のやうな人と木の人と朝寝 柳生正名

竹田昭江 選
○花冷えのどこかに銃口あるような 有村王志
清明の縞馬フォンタナの切れ目 石川まゆみ
げんげげんげどこを曲がりてわれに今 伊藤道郎
畳まれて国旗の色の紙風船 小野裕三
○変えていいルール早春の白線引く 桂凜火
雲雀落つ父と永眠との間 木下ようこ
いつかつかう箱うつくしく春の家 こしのゆみこ
土筆野に朝日清浄なりしかな 関田誓炎
めつぶるは睡魔のなごり白山吹 田口満代子
友情は黄泉につづけり花きぶし 田中亜美
丸描けばいずれも目玉春の闇 田中裕子
山道の菫見るまでのリハビリ 谷川瞳
蛇穴を出たらミサイル飛んできた 峠谷清広
苧環の咲いて出雲の雲遊び 遠山郁好
たんぽぽの絮毛吹こうと誘われる 中村道子
全面的にひまわり咲かそうウクライナ 服部修一
○追い返すつもりの猫を待つ日永 松本千花
ひとり花見つぶやくことも我が浮力 村上友子
地球儀は地球にいくつシャボン玉 望月士郎
山椒の実遠回りには訳があり らふ亜沙弥

若林卓宣 選
○花冷えのどこかに銃口あるような 有村王志
うしろの正面にいます春の蝶 市原正直
蕗の煮物のとりとめのない日常 宇田蓋男
ヒヤシンスきょうはさみしい音を買う 大髙洋子
もうよせよあの八月がやって来る 奥村久美子
豆ごはん並べてやさしき時間かな 柏原喜久恵
順繰りの人生と母日向ぼこ 金澤洋子
お達者で遍路に渡すわらび飯 金並れい子
目刺焼く格好付けるなと言ったでしょ 楠井収
○Tシャツが白くて空がやはらかい 小西瞬夏
初夏の少女ブランコをゆらしている 笹岡素子
夕虹や今日も出来ない逆上り 佐藤美紀江
戦争を観ているビール注いでいる 瀧春樹
ふるさとの満開の桜を浴びる 月野ぽぽな
騙されるふりの優しき万愚節 長尾向季
食べることねること桜さくらかな 平田薫
○追い返すつもりの猫を待つ日永 松本千花
落ちて割れた氷柱を蹴って難民か マブソン青眼
○ヒヤシンス泣くのも笑うのも体操 宮崎斗士
親に物言わぬ子となる木の芽時 梁瀬道子

◆三句鑑賞

天皇誕生日きれいにとれた鯛の骨 長谷川順子
 天皇を句に詠むときに感じるちょっとした抵抗感。天皇という存在を畏れ多いものとしてしまう無意識の何かと、それと同時にその何かを否定しようとする意識。「きれいに」でまずは天皇誕生日を言祝ぎながらも「鯛の骨」という、ひっかかりや違和感を持ち出し、もしかしたら最上級の風刺なのではないか、と思わせる。

消印は 三月十一日海市 望月士郎
 胸が苦しくなるような悲しみを、美しく表現された。一時空けを含めての句の姿がビジュアルとして、句の意味を超えたものを醸し出している。「消印は」と始まり空間がある。ここにあの津波からのあらゆる出来事が省略されていながらも、たしかに見えてくる。「は」という助詞を使いながらそのあとは散文としては続かない。韻文の律を持ちつつ、ぼんやりとした映像を見せる。「海市」という季語が十分に働いているからだろう。

木のやうな人と木の人と朝寝 柳生正名
 「木のやうな人」とあり、なんとなくそれっぽい人を想像する。「と」のあとにくるのは何だろうという期待を裏切られるよろこびとして「木の人」がやってきた。「木の人」とは?にイメージを遊ばせる朝のアンニュイな時間がたっぷりとやってくる。
(鑑賞・小西瞬夏)

変えていいルール早春の白線引く 桂凜火
 ルールは本来、人々が安全で平和に暮らしていくためにあるもので、小学生の時、みんなで試行錯誤しながら遊びのルールを変えていったことを思い出す。作者が思っている「変えていいルール」はわからないが、僕は、まだ寒さが残る時期に、ここから春ですよと白線を引き、宣言する作者の未来に向けた気持ちや清々しさを感じた。

不燃性家族そのうち一人たんぽぽ化 すずき穂波
 家族の様子を「不燃性家族」、一人「たんぽぽ化」と表現したところが面白い。たんぽぽと言えば、僕は先ずその絮を思い浮かべる。閉塞感が漂っている家族の中で、一人明るく逞しく育ち、希望を抱いて飛び立とうとする姿が「たんぽぽ化」なのではないか。

木のやうな人と木の人と朝寝 柳生正名
 不思議で魅力的な句。人の暮らしは、昔から木と共にあった。僕にとって、木とは、大地に根をはり、太陽に向かって枝・葉を広げ、風雪に耐えながら、たくさんの生き物を育んで生きているものだ。「木のやうな人」は、そうした木のように歳月を重ねた人だと思う。「木の人」は、木の精霊のことだろうか。日常生活の中で、こんな朝寝ができるなんて素敵だ。
(鑑賞・高木水志)

いつかつかう箱うつくしく春の家 こしのゆみこ
 「つ」の連鎖の韻律が奏でる心地良さ、表記の端正さ、うつくしくの趣がすっと見えてきた。「いつかつかう」の言の葉が胸に響いて、きめ細かく生きるおりふしのやさしさに触れる感触、それは春の家。箱に千代紙を貼って大切にしたのはいつのことだったのか、今も何入れるでもない箱を大事にしている。

全面的にひまわり咲かそうウクライナ 服部修一
 三月十日の東京大空襲で被災した私は、毎日報道されているウクライナの惨状が痛くて震える。国花のひまわりを「全面的に」こそ世界平和を希求する大きな声であり「咲かそう」と停戦への積極的な行為を示している。麦が青々と風にたなびき、ひまわりが太陽の下で大きく咲く日が一日も早くと願うばかりである。

追い返すつもりの猫を待つ日永 松本千花
 まったくと言いながら待っている気持ちは可笑しくも分かる。きっと日本猫で黒猫に違いないと確信すらして。我が家にも猫が居て実に気儘であるが、その気儘が気に入っている。「追い返すつもり」と待っていると、ふと寂寥を感じるのは日永のせいか。犬より猫の句が圧倒的に多いのは、気配の生きものだから、と思う。
(鑑賞・竹田昭江)

お達者で遍路に渡すわらび飯 金並れい子
 歩き遍路をしていると、お接待を受けることがよくあり、いただいた気持ちとして納札をお渡しする。「よくお参りくださいました」と言われると、頭が深くさがる。「遍路は歩いてこそ」と言う寂聴さんのポスターを見かけると、そうとも思うが、都合もある。「お達者で」と言われると、益々元気になれるような気がする。

夕虹や今日も出来ない逆上り 佐藤美紀江
 公園なんかでよく見かける風景。子であろうか、孫であろうか、まさかの本人であろうか。鉄棒の出来ない年齢になってから知ったのだが、鉄棒に腹をくっつけたまま太紐で縛れば逆上りは出来る。やがて夕虹のなか、その少女は(勝手に決めつけているが)何の助けも、誰の助けもなく、逆上りが出来ていると思う。

ふるさとの満開の桜を浴びる 月野ぽぽな
 春には桜、夏にはひまわり、秋には紅葉を撮っている写真の好きな人が私の近くにいる。中でも桜には贔屓の木があり、毎年撮っている桜の写真を見せてくれる。「満開の桜を浴びる」のだから桜を好き過ぎてどころではない。環境なのか、日本人の血なのか。「墓石に映りながら散る」桜も気になってしょうがないようだ。
(鑑賞・若林卓宣)

◆海原集〈好作三十句〉武田伸一・抄出

食卓に色違いの箸茗荷筍 有栖川蘭子
青梅や母のゐぬ間に紅して 有馬育代
石屋から出て来る白い羽抜鶏 淡路放生
企画書と寝ぬべき頃かな明易し 飯塚真弓
蟻ころす部室のかたすみ資本論 遠藤路子
殺めたる豚の血の色端居して 大渕久幸
れんぎょうの花よおとなの反抗期よ かさいともこ
夏蜜柑力を入れて産みました 後藤雅文
こんなにもたんぽぽ咲いていて痛い 小林ろば
夕焼けや余生青でもよかろうか 近藤真由美
丸裸謀反役なるチャップリン 齊藤邦彦
蜘蛛の囲にぶらさがってみるゆれてみる 宙のふう
ミロ愛す花と女とかたつむり 髙橋京子
父の日やひと日娘になりにけり 立川真理
人は生く泰山木の花咲かせ 立川瑠璃
蕨狩り上飛ぶブルーインパルス 土谷敏雄
古火鉢に目高飼い初む七十なり 原美智子
鯨幕の外で踊るよ顔なき人 樋口純郎
跨線橋のつしのつしと積乱雲 深澤格子
さみどりやかの道裸眼でゆくことに 福井明子
揚羽蝶前頭葉にフラグが立つ 福岡日向子
レコードを脇に抱へる夕立かな 福田博之
新緑や夫を病いを悪自慢 藤川宏樹
限界団地内公園文字摺草ほっ 松﨑あきら
海難を悼む島の灯走り梅雨 村上紀子
低速で檸檬つぶしていく指よ 村上舞香
虹立つも國家を主語とするなかれ 吉田貢(吉は土に口)
みちのくにそろりそろりと祭りあり 吉田もろび
剃髪の母大海のごと笑ひをり 渡邉照香
白薔薇や獅子座のおとこ所望する 渡辺のり子

『海原』No.41(2022/9/1発行)

◆No.41 目次

◆海原秀句 同人各集より

安西篤●抄出

今生の別れはライン 薄翅蜉蝣 石橋いろり
遠く住む姉 障子明りが救いです 泉尚子
麦秋や爪弾く禁じられた遊び 大髙洋子
卯の花腐し爪の小さな家系かな 奥山和子
肖像画遺す人生麦青む 小野裕三
籐椅子の窪みかすかや姉の逝く 片町節子
縄文式土器に水の香大田植 刈田光児
卯波立つ靴を脱がずに入ってゆく 河西志帆
桜蘂降る戦禍見ぬふり聞かぬふり 黍野恵
待つという愚かさが好き春夕焼 小池弘子
陽だまりは祈りの白さみどりの日 小松敦
胡瓜揉むよう戦争しない力 三枝みずほ
黒南風や完熟という壊れ方 佐藤美紀江
王冠忘れた女王様です白木蓮 鱸久子
初蝶の産土こんなに水が照る 関田誓炎
羊歯若葉少年いつも老い易く ダークシー美紀
腹這いの自由繋いで土筆かな 高木水志
花は葉に数える影のくいちがう 竹田昭江
無辜の眼の底に昏れゆく麦の秋 田中信克
新茶汲むこの一椀の天地かな 寺町志津子
行く春の愁緒一懐しゅうしょいっかい抱きて寝る 董振華
青葉木菟寓話をしまう食器棚 日高玲
爆風へ向く風見鶏ひまわりの国 北條貢司
暗がりの樹々かをりたつ藍浴衣 前田典子
嘆きのように祈りのように熊谷草 松本千花
今日のアレコレかっさらって若葉風 三世川浩司
朧なる人道回廊けものみち 深山未遊
何も無い日々に丸して花水木 室田洋子
地球船みんないるかい子どもの日 森田高司
父の背がここ籐椅子のふくらみに 森武晴美

大西健司●抄出

少年の髯剃る最中遠郭公 石川和子
パンタグラフひゆーいと伸びて夏兆す 石川まゆみ
五月雨の全景として山羊一頭 伊藤道郎
草城にダニの句多し夏の雨 大西恵美子
卯の花腐し爪の小さな家系かな 奥山和子
怒りにも賞味期限や春の虹 加藤昭子
病む父へ猫は寄り添い余花の雨 鎌田喜代子
縄文式土器に水の香大田植 刈田光児
離婚後も同居してゐる青葉木菟 木下ようこ
はこべらや天地無用の箱軽し 黒岡洋子
目礼の後のひかりや藤の花 佐孝石画
はひふへと藤の花びら散り濡るを 佐々木香代子
薬草のような女になる五月 佐藤詠子
火薬庫の裏口に後家青葉騒 佐藤二千六
夏帽子病院帰りに二つ買い 佐藤美紀江
空蝉やへその緒三つ手の中に 志田すずめ
青鬼灯恋ともちがう文を書く 清水茉紀
閉ざされし母校の艇庫冴え返る 新宅美佐子
さびしさに正面ありぬ金魚玉 竹田昭江
生意気なナースの二の腕風薫る 長尾向季
兜太の忌古き鞄を陽に晒す 日高玲
幽霊銃ゴーストガン解体すれば猫柳 松本千花
星涼し尾根を狩猟の民行けば 松本勇二
野に老いて父のはみだす草朧 水野真由美
君の死後という摘草が終わらない 宮崎斗士
桜蘂降るカーナビは遠回りが好き 深山未遊
マトリョーシカ春は終わったとひとこと 村上友子
幣辛夷田の神様は大股で 横地かをる
円墳に歌舞く役者か黒揚羽 吉村伊紅美
孑孑を水ごと舗装路へ捨てる 若林卓宣

◆海原秀句鑑賞 安西篤

卯の花腐し爪の小さな家系かな 奥山和子
 作者の実家は三重県南部の山深い地に住む旧家。「爪の小さな家系」とは、ささやかな矜持を謙遜の意を込めて書いたものだろう。「卯の花腐し」は、陰暦四月卯の花月に降る雨で、春雨と梅雨の中間の霖雨。せっかくの卯の花が腐るのではないかという先人の思いからきたものという。おそらくこの季語の湿り気を帯びた滅びの美しさと、その地に耐え忍んで生きる旧家の宿命を、さらりと書いているのではないか。義父甲子男に通ずる反骨をも感じさせる一句。

卯波立つ靴を脱がずに入ってゆく 河西志帆
 作者は、今年、定住の地であった長野県から沖縄へ転居した。その一報を電話で受けたとき一瞬驚いたが、彼女なら迷いなくやりぬくだろうとすぐに思った。この句はその第一報だろうが、まったく物怖じしない気合が入っている。沖縄の海に向かい両手を広げ、ずかずかと靴のまま海に入っていき、どうぞよろしくと叫んでいる姿が目に見えるようだ。海もまた「いいぞ助っ人」と答えているに違いない。

桜蘂降る戦禍見ぬふり聞かぬふり 黍野恵
 「桜蘂降る」は、花が散った後の、静かな晩春の風情で、地面をうっすらと赤紫に染めるように散り敷く。掲句は、今の時期ウクライナ戦争を意識しているのだろうから、その惨状を正視に耐えがたい思いで見聞きしているはずだ。「戦禍見ぬふり聞かぬふり」は、それにもかかわらず、見、聞かざるを得ない気持ちを詠んでいるとみたい。その辛さやりきれなさを、逆説的な表現で捉えた一句といっていい。桜蘂は戦禍の血痕のようにも見える。

胡瓜揉むよう戦争しない力 三枝みずほ
 やはり日常の暮らしの中で、戦争の現実をひしひしと感じつつある一句だ。この世界に戦争しない力を、その念力を私にも、という願いを込めて、胡瓜を揉んでいる。もちろんそれだけで、直接戦争抑止力につながるわけではないが、その願いの集積が、大きな波動となって歴史を動かしていくことはあり得よう。ささやかな日常に平和への願いと祈りを込めた一句。

初蝶の産土こんなに水が照る 関田誓炎
 兜太先生の身辺にあって、同じ風土と空気の中で生きてきた人ならではの、身体的韻律を感じさせるものがある。一句全体が兜太節といっていいのではないか。初蝶は、春の訪れを告げるかのように舞い出て、山河の水はその光に照り映える。あらためてわが産土の地を寿ぐかのように。兜太先生の晩年は、この句のような原郷回帰の思いが濃かったのではないだろうか。

腹這いの自由繋いで土筆かな 高木水志
 作者は今年二十七歳、大阪在住の青年だが重度の障碍者で、脳機能はなんとか保全されてはいるものの、肢体の動きはままならず、辛うじて言葉を発することは出来ても、健常者のように会話を自由に操ることは出来ないという。外部とのコミュニケーションや俳句の創作は、もっぱらお母さんが本人の言葉をパソコンに打ち込んで発信する。お父さんは脳科学者でもあり、本人の健康管理は両親の専門的対応によって万全を期しておられる。重いハンディキャップを両親の献身的介護のもとで乗り越え、俳句は大叔母の本誌同人高木一惠さんが受信して適切なアドバイスもしながら、編集部に取り次いでいる。いわば一家一族あげての手厚い支援体制の下で俳句活動が成り立っているわけだ。このような背景を踏まえて掲句を読み直せば、「腹這いの自由繋いで」に作者の懸命な野遊びの映像と、土筆のささやかながら精一杯生きようとする景が重なって、いのちのシンクロニシティの空間を現出しているような感動を覚える。

爆風へ向く風見鶏ひまわりの国 北條貢司
 ウクライナの現実を想望した句の中では、戦争の初期の衝撃を映像化したものではないか。爆風で風見鶏がくるくる回っている景。ひまわりの国というウクライナを擬した表現にも、風見鶏の回転に連脈する語感の軽快なリズム感があって、戦争の衝撃に耐える弾力性を思わせるものがある。だがその「ひまわりの国」も、今は略奪と暴行で泥まみれに打ちひしがれている。その現実を我々は想望するだけだが、それでも戦争の悲劇を我々の日常の断片の中に見出して、ささやかな体感を表現していくことは出来よう。

今日のアレコレかっさらって若葉風 三世川浩司
 働いている人々の今日のアレコレ。誰にも言えず、ひたすら時間とともに塵芥のように堆積してゆく。その多くは対人関係のものだけに、おのれ自身で背負うしかない。そんなアレコレをかっさらっていけるのは、今頬をなでていく若葉風ぐらいのものだろう。いわば束の間のカタルシスだが、それでもそのひと時あればこそ、明日への生きる力をよみがえらせることが出来る。

◆海原秀句鑑賞 大西健司

離婚後も同居してゐる青葉木菟 木下ようこ
 今月号は「風の衆」の俳句がおもしろい。中でも木下ようこさんの句にはショートショートのようなおもしろさがつまっており妄想癖を刺激する。
 「こなごなの過去」「記憶の下の下の詳細」などとどこか意味深。そして最後に「離婚後も同居」という現実が述べられ、突然の青葉木菟の出現にびっくり。
 元亭主があたかも青葉木菟であると取りたい。
 冷え冷えとした家の中の片隅に存在している元亭主のどこか達観した姿とはうがち過ぎだろうか。でも青葉木菟でよかった、たとえばごきぶりじゃいやだもの。
 かと思えば「灰吹屋薬局」が出てくる。何とも灰吹屋が気にかかる。調べればごく普通のドラッグストアとか。
 ただやはり江戸から続く老舗のようだ。ツバメに好かれる江戸店からいろいろと妄想が膨らむ。諧謔味に溢れた五句が秀逸。

薬草のような女になる五月 佐藤詠子
 何とも悩ましい薬草のような女。さてどんな女性なのだろうとまたまた妄想が膨らむ。なかなか渋い味わい深い人だろうか。ノバラ、イチヤクソウ、それともドクダミのミステリアスな白。五月になるとそんな女になるという。みちのくの五月は全てが躍動的になる美しい季節。
 そんな季節にどう生まれ変わるのだろうか興味はつきない。

火薬庫の裏口に後家青葉騒 佐藤二千六
 後家とは何とも意味深。いまも普通に使える言葉なのだろうか。日常の中に存在する火薬庫の不気味さ、そして何気に佇む女性の存在が何ともいえず秀逸。ここから何か物語が始まるのだろう。

はひふへと藤の花びら散り濡るを 佐々木香代子
 言葉遊びの楽しさを堪能。
 他にも紫木蓮をティラノサウルスの舌と捉えた感性。
 青葉径を横切る狐の尾の愛らしさ。のびのびと書かれていてすべてがたのしい。

パンタグラフひゆーいと伸びて夏兆す 石川まゆみ
 ひゆーいと伸びるパンタグラフは路面電車のもの。
 やはり普通の電車のパンタグラフはこんなにのどかではない。とりどりの路面電車のなかでもとりわけ古い車輌のものだろう。広島の街を縦横に走る路面電車の愛らしさが「ひゆーい」から伝わってくる。そんな広島にまたあの時と同じ暑い夏が来るのだ。

五月雨の全景として山羊一頭 伊藤道郎
 水墨画の味わいだろう。五月雨に煙る野にぽつんと一頭の山羊がいる。その山羊の姿が全景なのだ。何もかも雨にかき消されている。一頭の山羊に焦点をあてて秀逸。

はこべらや天地無用の箱軽し 黒岡洋子
夏帽子病院帰りに二つ買い 佐藤美紀江

 二句とも何でも無いさりげない句だが、このさりげなさが好ましい。黒岡には「春泥に」という重いテーマの句もあるが最終的にこの句をいただいた。
 佐藤句はただ帽子を二つ買ったというだけ。しかしそれが病院帰りだということで、ストーリーがそこから動き出す。能動的な夏の始まりがうれしい。

星涼し尾根を狩猟の民行けば 松本勇二
君の死後という摘草が終わらない 宮崎斗士

 やはり光の衆の句は除けては通れない。なるべく無視しようなどと余計なことを考えるのだが、やはり実力作家の句はあなどれない。さて松本句だが最近とみに身辺詠に冴えをみせるのだが、この句のような壮大なロマン溢れる絵画的な句もいい。むしろこのような句が松本勇二の世界だろうと思う。どこか神話を思わせる。
 そして宮崎句だが、君という存在の重さをまず思う。
 そしてそこには君の死を受け入れられない現実が横たわる。そのやるせない思いの重さ深さにひたすら摘草を続けるのだ。それは胸の奥深くひっそりと永劫続くのだろう。あまりに切ない。

マトリョーシカ春は終わったとひとこと 村上友子
 マトリョーシカはロシアの代表的な木製人形。その愛らしい人形が呟く。「春は終わった」と。やはりこのぶっきらぼうな言い方のその中に、今度の戦争の虚しさが隠れている。すべては終わってしまった。もう元には戻れない、そんな切なさに溢れている。

孑孑を水ごと舗装路へ捨てる 若林卓宣
 孑孑の湧いた水を盛大に舗装路へぶちまけているのだ。
 その行為のおもしろさ。孑孑を水ごと捨てるという、その捉え方の手柄だろう。一見ぶっきらぼうな言い方に諧謔味があり、この行為を正当化する人の姿の様子まで見えてくる。

◆金子兜太 私の一句

葱坊主わらべの持ちし土光り 兜太

 私の故郷は愛知県の奥三河の山村で、山が迫り空は帯の様に細長い。平地は少なく段々の田畑が細々とあり農業と林業の暮らしである。山と土に育った私には、兜太先生の土に親しみ土に生きるという考え方と、その諸句に強い共鳴と印象を感じ今日まで学んでいる。この句の土が光るというのは、正に土を大事にし、土が全てであると表現されている。秩父の腹出し童と土、先生の俳句の原点と強く惹かれる。句集『少年』(昭和30年)より。伊藤雅彦

海流ついに見えねど海流と暮らす 兜太

 入会して間もなく秩父俳句道場で拙句を特選に採って下さり、〈谷底にめしつぶ怒号して百軒〉の色紙をいただきました。色紙の入った額の裏には〈昭和五十七年七月道場兜太書〉と墨で書いて下さった私の宝物です。海流と暮らす五十代から六十代の血気盛んな先生の姿が偲ばれます。後の〈海とどまりわれら流れてゆきしかな〉はオホーツク海を離れ、人間界に戻って流れてゆく「定住漂泊」を詠っておられます。句集『蜿蜿』(昭和43年)より。若森京子

◆共鳴20句〈6月号同人作品より〉
〇印は2選者の共選句 ◎印は3選者の共選句

狩野康子 選
天国だ地獄だろうと団子虫 阿木よう子
雛人形美は断崖に立っている 片岡秀樹
水喰らい風喰らい阿吽の形の凍瀑よ 刈田光児
越後平野慕わし雲居より白鳥 北村美都子
お日さまにくちびる見せよ春の子よ 三枝みずほ
○おやすみとさよならは似て冬の嶺 佐孝石画
世の中のどこまで信じ地虫出づ 佐藤詠子
能面の男の囲む焚火かな 白石司子
春の霧老いの深さに追いつかぬ 髙橋一枝
○山独活を晒せば透けてくる民話 瀧春樹
白梅のひとひらふたひら母の鼓膜 月野ぽぽな
流氷接岸夜は一羽の迷鳥に 鳥山由貴子
夜のきわが街を呑み込む兜太忌や 藤野武
湯冷めして返しそびれた本のよう 船越みよ
小綬鶏の明るい夫婦喧嘩かな 松本勇二
谷の芽木いま兄呼べば振り向かむ 水野真由美
雪割り草意外と「遺憾です」の顔 宮崎斗士
素心臘梅ためらいは凜々しくもあり 村上友子
心音はこれくらいかと臘梅咲く 横地かをる
泪をながさうまた生まれやう繁藪や 横山隆

川崎益太郎 選
落椿遠くて近い他界なり 宇川啓子
○マトリョーシカの腹に一物冴返る 江良修
春の土耕すように脳軟化 大西政司
梅匂う人間鬱になる途中 尾形ゆきお
桜舞うフェイクニュースに踊らされ 奥村久美子
春の闇骨肉の戦車並ぶなり 桂凜火
○おやすみとさよならは似て冬の嶺 佐孝石画
○擦り傷は青春に似て桃の花 白石司子
必死とて死ぬわけでなし亀の鳴く 高橋明江
かじかんだ手を置く頰はあったんだ 竹本仰
黄砂降るそのまた向こう戦あり 竪阿彌放心
デモのない国のかたすみ鳥帰る 田中信克
裏側は決して見せない月の意地 東海林光代
啓蟄やごみの捨て場に遍路杖 長尾向季
秋思など戦禍思へば言い出せず 野口思づゑ
同窓名簿遠い遠いスタートの日 間瀬ひろ子
私に正面くださいチューリップ 三好つや子
フラスコの中のふらここ少年期 望月士郎
天井の闇のひとみや雹の音 森田高司
酔いどれにマスクが月にぶらさがり 輿儀つとむ

村本なずな 選
自分史の過去が氷解雪解川 赤崎裕太
雪吊や知恵とはなべて美しき 石田せ江子
三月十一日と書くもくやしきかな 稲葉千尋
蝶々や無数の仮説あおぞらに 上原祥子
捜し物もともとあらず朧月 片町節子
どこに仕舞おう零れる時の種袋 桂凜火
花あしび野辺に光の荷を降ろす 川田由美子
光りつつ消える俤竹の秋 北上正枝
いぬびわの実なにもおしつけない流れ 黒岡洋子
うさぎまっすぐわたしを抜けて雲 三枝みずほ
椿落つ流水速度あげにけり 佐藤稚鬼
真っ向の新玉の陽を食らわんか 鱸久子
鳥獣戯画そろりと参ろう春の闇 髙井元一
卒業式の後のふんわり鬼ごっこ たけなか華那
花ミモザ仔馬は耳で考える 遠山郁好
しどみ咲く段々畑の日の笑窪 平田恒子
麦青む胸のファスナー空へ開き 藤野武
若き日のダッフルコート日和るなよ 松本勇二
この木から言葉始まる榛の花 三浦二三子
語尾また♯してぼくらも春の一部 三世川浩司

山田哲夫 選
千枚田水が張られてきれいな歯 稲葉千尋
○マトリョーシカの腹に一物冴返る 江良修
自粛とやまたしばらくは冬の蜂 尾形ゆきお
抽斗に隠されていく百合鴎 小野裕三
冬の葬火夫少年を抱き寄せし 小松よしはる
遠き世の土偶の無言三月尽 白井重之
○擦り傷は青春に似て桃の花 白石司子
菜の花盛り艶の山気に仮睡して 関田誓炎
それぞれの消えてゆきかた雪催 芹沢愛子
○山独活を晒せば透けてくる民話 瀧春樹
故郷や笑い上戸の山ばかり 峠谷清広
駅蕎麦の生真面目な艶春出雲 中内亮玄
春一番こける子のゐる地曳網 長尾向季
こぶし咲く戦火を燃やし継ぐ星に 中村晋
反戦句碑は同志のたましい風光る 疋田恵美子
拒否の眼の少女ふり向くヒヤシンス 増田暁子
観念をしまう抽斗猫柳 松本勇二
麦踏みし足が戦車の前に立つ 柳生正名
木五倍子垂る開拓村またひとり去り 吉澤祥匡
私書箱に置き去りにする春愁い 渡辺厳太郎

◆三句鑑賞

山独活を晒せば透けてくる民話 瀧春樹
 山独活は収穫時に根を残すと、ほぼ毎年同じ場所で収穫出来る山の恵み。えぐ味が強いが皮を剥いだ真白な茎を切り水にさらすと透き通り、仄かな苦みと歯ざわりがある。山独活を知り尽くした作者が山独活と民話とに共通する本質的なものを感じとり、それを言い切ることで、読む側への説得力がより強くなったと思った。

白梅のひとひらふたひら母の鼓膜 月野ぽぽな
 前書きには「母他界」とある。人の死で最後まで残るのは聴覚と聞いたことがある。作者の母を呼ぶ声も、多分白梅が散りゆくように今際の母上の耳から遠く静かに消えていく。身近な人の死の悲しみをこんなにも美しく表現し、結句に鼓膜という厳然とある器官を据えることで現実に引き戻す作者の句力に脱帽。

小綬鶏の明るい夫婦喧嘩かな 松本勇二
 五月の良く晴れた日に友と二人近くの山へ。途中日当りの良い斜面から五〜六羽の子連れ鳥。胸のオレンジ色が印象的。小綬鶏だ。聞き做しは「チョットコイ」二羽が鳴き交わせばまさに夫婦喧嘩。作者がそう思い付いた瞬間の茶目っ気ある笑顔が見えるよう。世界中が小綬鶏の声の聞こえる自然豊かな土地で平和に暮らせたらどんなに良いことでしょうか。
(鑑賞・狩野康子)

落椿遠くて近い他界なり 宇川啓子
 落椿という季語について、前触れなく、落ちることを詠んだ句は多いが、「他界」と結び付けたことから、兜太師のことが思い出されて、心に響いた。確かに、遠くて近い、他界は、落椿という季語の本意かも知れない。

マトリョーシカの腹に一物冴返る 江良修
 ロシアを代表する民芸品であるマトリョーシカの腹に一物と言わせる哀しさ。数々の美しいロシア民謡も何か胸につかえて、昔のように素直には歌えない。ただ一人の男のために…。先の見えない戦に冴返るどころでなく、凍りついてしまう。

フラスコの中のふらここ少年期 望月士郎
 「フラスコ」と「ふらここ」をリフレイン的に使った俳味あふれる句である。確かに、フラスコは胎児を守る子宮のような感じを受ける。そこで、子どもが無心にふらここで遊んでる。毎日のように、ウクライナの子どもたちの悲惨な状況等を目にさせられるだけに、幸多かれと祈るのみである。
(鑑賞・川崎益太郎)

椿落つ流水速度あげにけり 佐藤稚鬼
 高濱虛子の「流れゆく大根の葉の早さかな」の流れは野趣を感じさせる流れである。一方掲句は椿の花の優雅さのため、庭園の遣り水を思わせる。それまでは流れの速さを特に意識していなかったが、一輪の椿が落ちたとたん、流れは生命を吹き込まれ生き生きと流れだしたのだ。私は思わず黒澤明の「椿三十郎」のワンシーンを思い浮かべてしまった。鋭い観察眼と感覚の一句。

真っ向の新玉の陽を食らわんか 鱸久子
 意表を突かれる句。新玉の陽を有り難くおろがむのではなく、挑戦するように真向かう作者。しかも食ってしまおうかと思う胆力と気概。小賢しいレトリックなどこの方には不要だ。確かな矜持をもって生きてこられたに違いない。ずばり踏み込んだ表現に圧倒される。

若き日のダッフルコート日和るなよ 松本勇二
 いささか厚手のダッフルコートは学生時代のものだろうか。これを見ると若き日の思い出とともにあの頃の情熱や志が甦ってくる。そのコートが「日和るなよ。あの頃の思いを貫けよ。」と作者を叱咤激励している。作者はその思いを確認するため、このコートを見つめているのだ。
(鑑賞・村本なずな)

冬の葬火夫少年を抱き寄せし 小松よしはる
 冬の火葬場で少年が見送るのは、肉親であろうか。それとも兄弟だろうか。悲しみの極にある少年の心を察して、肩をそっと抱き寄せた火夫。その行為の中に日々人の死に向き合っている人の心根の優しさと、それを見た作者の温かなまなざしを美しいと思う。死と向き合うと、人の心は不思議と素直になる。

遠き世の土偶の無言三月尽 白井重之
 日々戦争や災害や疫病の蔓延にやるせない思いを抱きつつ生活している身には、こうした句に出会うと急にほっとさせられる。土偶の昔とて、人間の日常の営みにたいした違いもないかも知れぬが、眼前の土偶は、黙して語らぬ。だが、土偶という存在そのものが、既に昔を思わせずにはおかない。「三月尽」が効いている。

木五倍子垂る開拓村またひとり去り 吉澤祥匡
 二十数年連続し出生率が低下し続ける日本。都市部も地方も人口減少に歯止めが掛からない。「木五倍子垂る」山国の開拓村とて同様で、一人また一人と村を去り、やがて学校は廃校、切り拓いた農地は荒れ、限界集落となり、自然に還る。過疎を嘆く作者の思いが春を迎えて生き生きと垂れる木五倍子とは対象的に哀しく伝わってくる。
(鑑賞・山田哲夫)

◆海原集〈好作三十句〉武田伸一・抄出

父母のありてさびしさ袋掛 有栖川蘭子
卯波立つうかつにも乳はじかれて 有馬育代
ふじだなの藤の驕りを離れけり 淡路放生
路地奥の波音湿る立夏かな 安藤久美子
蔵座敷の奥へ永久とわへと青嵐 飯塚真弓
墓石には父の好かない青蜥蜴 井手ひとみ
戦場の轍の跡にすみれ咲く 植松まめ
春野っぱらつきささってる線量計 遠藤路子
アイスティーの氷溶けてく退屈 大池桜子
メガホンの小さい方の穴梅雨入 大渕久幸
芒野に入りし古老の行方かな 押勇次
団欒の声が朧の空き家から 後藤雅文
天網も無力かシェルターからの叫び 塩野正春
雪明り心の闇のバンクシー 重松俊一
臍らしき模様を抱きて蝌蚪の腹 高橋靖史
祖父といふ静けさ囀りの中へ 立川真理
水中花最後の晩餐は点滴 谷川かつゑ
少々の漁獲に五月蝿さばえたかりけり 土谷敏雄
緑陰で誰の捨てたる嘘を踏む 服部紀子
麦秋のがっしとつかむ発煙筒 深澤格子
死にたいとき死ねるといいね茄子の花 福岡日向子
道に売るトカゲのおもちゃ薄暑光 福田博之
鷹鳩に化し父さんはなんか変 藤川宏樹
にんげんとは何 ひまわりに砲弾 増田天志
野良仔猫大きな好意は怖いのです 松﨑あきら
夕の虹欄干に居る猿五、六 村上紀子
囀りやうつばりの塵こぼれ浮き 吉田貢(吉は土に口)
スコップに予期せぬ肉感初蛙 吉田もろび
此の身脱ぎたしセーター脱ぐやうに 渡邉照香
夜桜の発火点まで来てしまう 渡辺のり子

『海原』No.40(2022/7/1発行)

◆No.40 目次

◆海原秀句 同人各集より

安西篤●抄出

斑雪老婆焦土に国旗挿し 綾田節子
キュンです。咲き初めしつるバラ 石橋いろり
出来ぬこと幾つも増えてクロッカス 伊藤巌
リハビリの綾取り縺れ日脚伸ぶ 榎本愛子
麦秋と青空の旗 土がたわれは 岡崎万寿
西東忌前後左右の他人かな 小野裕三
変えていいルール早春の白線引く 桂凜火
雪割草ひさかたという一隅を 川田由美子
葉桜や暗号交はす弟たち 木下ようこ
根開きやあっけらかんと艶話 佐藤君子
春あらしみな素顔にてウクライナ 鈴木栄司
土を縫う種漬花たねつけばなよ返し針 鱸久子
不燃性家族そのうち一人たんぽぽ化 すずき穂波
子を逃がし護国に戻るミモザの日 高木一惠
風の私語水の私語ある春彼岸 竹田昭江
夜桜やロシアにロシアンルーレット 竹本仰
春装や癒えて久しき針もつ手 立川弘子
爆音の街の蘖として生きる 田中信克
蛇穴を出たらミサイル飛んできた 峠谷清広
反戦歌初蝶のまだ匂わない 遠山郁好
幾千のアトリの輪舞いくさ果てよ 新野祐子
キエフ春泥おかあさんこわいです 野﨑憲子
全面的にひまわり咲かそうウクライナ 服部修一
白木蓮ここから私の海がはじまる 平田薫
椿落つ猫とじゃれ合う鍼灸師 松田英子
切株や戦死者靴を天へ向け マブソン青眼
春の木や戦場に名をなくしつつ 水野真由美
母を看るさくら貝この散らばりよう 宮崎斗士
茎立や貴方にはあなたの動詞 森武晴美
欣求穢土ぼうたんのひらききる 山本掌

大西健司●抄出

キュンです。咲き初めしつるバラ 石橋いろり
もう抱かれぬ躰水仙咲きにけり 榎本祐子
笹鳴や屋根を開いてごらんなさい 大髙洋子
火球とぶ夜勤の道の盆やぐら 荻谷修
弟に駆け落ちの過去目張り剥ぐ 加藤昭子
ふらここを横に引っぱってはだめ 河西志帆
息せぬ子まるごとくるむ毛布かな 鈴木修一
万愚節食べられさうな草ばかり ダークシー美紀
溜息は泡立つ時計蕗の薹 高木水志
まぎれなく戦ありしよ黄砂降る 田口満代子
自分で髪切ってちゃんと寂しく四月 たけなか華那
泣くほどのことかよ冷やし中華だぜ 竹本仰
夜桜のどこかおどけた喉仏 舘林史蝶
シェルターに産声響く春三日月 田中信克
丸描けばいずれも目玉春の闇 田中裕子
悼むときムスカリは色濃くゆれる 月野ぽぽな
蛇穴を出たらミサイル飛んできた 峠谷清広
花冷えのような地名ね「リビウ」 遠山郁好
春雷や母さん今日なぜ優しいの 遠山恵子
春の夜のわたしの身体にわたずみ 鳥山由貴子
服従を拒みて紋黄蝶となる 中條啓子
余寒この瓦礫の中に瓦礫の墓碑 中村晋
幾千のアトリの輪舞いくさ果てよ 新野祐子
キエフ春泥おかあさんこわいです 野﨑憲子
冬ぎしぎしの点在殉教史のはじめ 野田信章
春鰊とても上手に食べました 前田恵
すべて嘘だったと言ってくれドニエプル川 マブソン青眼
朧夜を歩く魚を踏まぬよう 望月士郞
茎立や貴方にはあなたの動詞 森武晴美
蝶々来てゾルゲの墓の露西亜文字 柳生正名

◆海原秀句鑑賞 安西篤

子を逃がし護国に戻るミモザの日 高木一惠
 ロシアのウクライナ侵攻によって国を追われた人々が、 国境で家族と別れ、祖国を守る戦いに戻ってゆく姿が放映されていた。三月八日は、国連が定めた「国際女性デー」。イタリアでは「ミモザの日」と呼ばれる。ちょうどミモザの花咲く頃、小さな黄金色の花々が、懸命に父や夫に呼びかけるようで、別れの哀感に胸を衝かれるものがあった。こんな悲劇を戦後八十年近い歳月を経て、繰り返されなければならないとは。兜太先生が幾たびも十五年戦争前夜といい、「戦あるな」と呼び掛けられたこと、今にして身に染みる思い。

反戦歌初蝶のまだ匂わない 遠山郁好
 反戦歌が湧き上がっている野に、「初蝶のまだ匂わない」とは、どう解釈すればよいのだろう。二月に始まった戦争に、まだ息をひそめるようにして成り行きを見守っているということか。舞い出た初蝶は、まだ体臭を伴うほどの実感には達していないとみたのか。いずれにせよ、なんらかの危機感を覚えながら、反戦歌を聞きつつ平和を守る願いを、どう実現できるかとのためらいやせめぎ合いがあって、身につかない思いへのいら立ちなのかも。

春の木や戦場に名をなくしつつ 水野真由美
 ウクライナ侵攻の戦場の跡は、建物はおろか街路樹や公園までも、破壊し尽くし焼き尽くさずにはおかなかった。そこにあった春の木々は名もわからない。その惨状を、「戦場に名をなくしつつ」と詠んだ。あたかも先の大戦で、多くの無名戦士の墓標が立てられたことに連脈する景だろう。作者は、心情に触れると全身で慟哭することをためらわない人だ。ウクライナの映像に揺さぶられるものを感じたに違いない。

切株や戦死者靴を天へ向け マブソン青眼
 やはり戦争の現実を詠んだもの。あるいは戦争の現実を想望したものともいえよう。根こそぎ切り倒された切株の上に、戦死者の遺品となった靴が置かれている。靴は天へ向かうかのように、靴先を天空へ向けている。それは声なき声として、発せられているものだろう。同時に、不条理な戦争への告発を叫んでいるかのようでもある。「俳句弾圧不忘の碑」の建立に尽力した作者ならではの一句ともいえる。

春あらしみな素顔にてウクライナ 鈴木栄司
 ロシアの侵攻に苦しむウクライナの人々の素顔が、刻々とSNSで報じられている。その映像はまさに、春のあらしそのものと見たのだ。「春の嵐」といえば、気象条件が浮かび上がる。作者は「春のあらし」と平仮名表記することによって、歴史的事件へと転じた。みな素顔で泣きじゃくり、苦悶の表情を隠さない。その裏に多くの悲劇の現実が隠されていることを暗示している。

幾千のアトリの輪舞いくさ果てよ 新野祐子
 アトリは、晩秋北方から飛来する渡り鳥で、幾千もの鳥の群れが鳴きたてながらやってくる。その壮観から、今ウクライナで始まっている戦争に思いをいたし、アトリの鳴き声に異様な訴えのようなものを感じつつ、戦争よどうぞ収まってくれとの願いを込めて祈る句。アトリの群れに、ウクライナの人々の叫びを感じているようだ。アトリの輪舞は続いている。

出来ぬこと幾つも増えてクロッカス 伊藤巌
 クロッカスは、早春に花をつけ暖かくなると休眠してしまう。老いれば誰しも覚えがあろうが、昨日まで出来ていたことが、次々と出来なくなることも増えてくる。そんな時、クロッカスの地を這うように咲く花々の終わる姿を見て、身につまされる淋しさを味わっている。

茎立や貴方にはあなたの動詞 森武晴美
 暖かくなると、野菜の花茎の中に抜きんでて伸びてくるものがある。そうなってしまうともう調理のしようもなくなる。子供のおませな口ぶりをみていて、あなたにはあなたの動詞があるのね、もうついていけないわとばかり、言語感覚の世代間ギャップを感じているのだろう。それが特に現れるのが動詞の表現だ。具体的な例示は、家族の身辺に覗えよう。

キュンです。咲き初めしつるバラ 石橋いろり
 今どきの若者言葉を使って、初恋の衝撃を咲き始めたつるバラの花に喩えた句。「キュンです」が面白い。いわゆる「胸キュン」の意だが、小ぶりのつるバラのように可憐で、「キュンキュン」と続くようなショックとも受け取れ、若い世代の言語感覚のふるまいが、端的に体に突き刺さるように感じられる。

春装や癒えて久しき針もつ手 立川弘子
 しばらく病んでいて、久しぶりに病衣から春装へとよそおいも新たに、縫物を始めたのだろう。縫っているのは春装そのもの、すこし華やいだ感じの衣装に、心も晴れやかに針を運んでいる。「久しき針もつ手」も軽やかに、喜びが溢れている。家事裁縫を女のたしなみとして育った世代ならではの生活感覚なのかもしれない。

◆海原秀句鑑賞 大西健司

キュンです。咲き初めしつるバラ 石橋いろり
 まさにキュンとする一句。メジャーリーグの実況放送で大谷翔平のホームランに「翔平キュンです」と実況席のアナウンサーが絶叫。その時のキュンが忘れられない。この句は咲きはじめたつるバラの愛らしさに思わず呟いたのだ。旬の言葉を使って好句となった。早い者勝ちだ。

もう抱かれぬ躰水仙咲きにけり 榎本祐子
 初老の美しい女性が佇む日本海の海辺に凜と咲く水仙の健気さを想う。ドラマの一場面か重厚な小説の一章が切なく想われる。着物の衿をあわせる女性は水仙の化身だろうか。男はただ虚しくこのような妄想を抱くのである。何とも悩ましい一句。

息せぬ子まるごとくるむ毛布かな 鈴木修一
シェルターに産声響く春三日月 田中信克
 生と死の対比があまりに哀しい。鈴木氏の句からは理不尽に生をたたれた子への絶望があまりに重い。その哀しみを、その現実を押し隠すようにまるごと毛布でくるむのである。まるごとという措辞が上手い。
 一方、田中氏の句からは生の喜びが伝わってくる。ただそこはシェルターの中。今にも砲声とともに禍々しいものがやって来るかも知れない。理不尽な侵攻、破壊が続くなかも懸命に生きる人々にとって新しい命の誕生は希望の象徴だろう。何とか生き抜いてほしいと願うことしか出来ない現実が辛い。

自分で髪切ってちゃんと寂しく四月 たけなか華那
 たまらないほどの孤独感。最初このように読んでいたのだが、しばらくたって思うことは意外とあっけらかんとしているのではないかとのこと。「ちゃんと寂しく」ここからうかがえるのは想定内の寂しさだろう。長い一人暮らしだろうか、ちゃっちゃと自分で髪を切って、四月は想定内の寂しさだとたくましくいう。そんな都会の一人暮らしの女性のたくましさにリアリティーを感じる。

泣くほどのことかよ冷やし中華だぜ 竹本仰
 俳句というより一行詩に近いのかもと思いつつ、この一句から離れられないでいる。なんともいえない哀愁漂う情景に引かれる。ある食堂でのこと、冷やし中華始めましたの頃だろうか。テーブルの冷やし中華をはさんで座る二人の男、一人が泣きながら何かを訴えているのだろう。
 それに対しもう一人の男が何気なく話を逸らす。今年最初とはいえたかが冷やし中華だぜと明るく言うのだ。
 そんな男二人の関係性、手厚い友情を思うときどっぷりとこの世界観にはまっている。剛速球ではないがこの何ともいえないくせ球が気にかかる。

蛇穴を出たらミサイル飛んできた 峠谷清広
 こちらは何ともストレートな句だ。どこか風刺画のような味わいを感じる。日本人も首をすくめていると、いつかこのような状況に出くわすかも知れない。そんな警告とも取れる。あまりにも理不尽な行いへのストレートな怒りが伝わってくる味わいある一句。

花冷えのような地名ね「リビウ」 遠山郁好
 この溜息のような「リビウ」という地名が心に響く。私は溜息のようなと感じた。作者は花冷えのような地名と捉えた。ウクライナ西部の歴史の古い美しい街リビウ。
 その美しい街を哀しいと感じるいまの状況が切ない。避難民の溢れる街に打ち込まれたロケット弾。こうなるとただ地名から感じる想いを口にするだけではすまない。作者の言う花冷えのようなという想いがあまりにも切なく響く。花冷えという季語は桜の頃の突然の寒さをいうが、リビウの街も突然に凍りつくような出来事に見舞われた。
 リビウの街を、人々を案じつつ美しく一句に仕上げた手腕を讃えたい。

春の夜のわたしの身体にわたずみ 鳥山由貴子
朧夜を歩く魚を踏まぬよう 望月士郎
 何と幻想的な光景だろう。繊細な感性が捉えたものは似ている。鳥山氏は春夜に溶け込む身体を水だという。
 そしてそれはあたかも潦だという。美しい断定。
 一方望月氏は朧夜に揺蕩う水を幻視しながら、そこに魚の存在を捉えている。朧月夜の薄絹に包まれたような道を歩けば、そこはあたかも青く揺蕩う水の中。作者は魚を踏まぬようとやさしさを表出する。
 兜太先生の〈梅咲いて庭中に青鮫が来ている〉を彷彿とさせる、生きもの感覚の美しさを想う。

キエフ春泥おかあさんこわいです 野﨑憲子
 映像で見るキエフの街の惨状にこう書くしかないのだ。
 なにを書いても傍観者であることの虚しさ。
 誰かが言っていたが、先の戦争のときに子供だった親がテレビを見ては怯えるのだと。この戦渦の街をみんながさまざまに書いているがこんな句はもう書きたくない。
 一日も早く平和をと願うばかり。

◆金子兜太 私の一句

漓江どこまでも春の細路ほそみちを連れて 兜太

 昭和60年。金子先生が朝日俳壇の選者になられた年の3月。先生を団長に中国漓江下りの旅が催された。桂林に前泊。漓江は小雨に煙って峨々たる山容は南画そのもの。その間を船は進んでいった。両岸に点在する小さな村落。河に沿って細い道が続いていた。先生は後の自句自解に「漓江が夫、細路は妻のやさしさ」と書かれた。ご一緒だった皆子先生の面影と共にありありと思い出される。句集『皆之』(昭和61年)より。伊藤淳子

日の夕べ天空を去る一狐かな 兜太

 昭和42年に熊谷に転居して、しばしば読んでいた『詩経国風』(吉川幸次郎注)の「王風」の中の夫の留守をまもる妻の歌〈君子于役〉(せのきみはたびに)を俳句にしたものである。自句自解には「夕暮れどき狐が一匹、空をさあーと翔けてどこかへ消えていきます」「この狐は自分の夫かもしれない。あるいは夫のところへ飛んでいく自分かもしれない」とあるが、皆子夫人への労りの気分をさりげなく書いた愛妻句であって、狐は兜太師自身だと思う。『金子兜太全句集』収録の『狡童』(昭和50年)より。小松よしはる

◆共鳴20句〈5月号同人作品より〉
〇印は2選者の共選句 ◎印は3選者の共選句

狩野康子 選
数の子を噛み無性に響く頭蓋 石川青狼
鵙の贄釦ひとつひとつ外す 榎本祐子
古本屋電気に群れていし冬が 大沢輝一
ものの芽や季節背負って快快 太田順子
句会後の水割り焼酎死者生者 岡崎万寿
水仙をまんなかとする都市計画 小野裕三
街に風花脚注を付すように 片岡秀樹
野火迫る冷たい耳を揃えている 桂凜火
手にとれば位牌は狐火ほど軽い 佐々木宏
過ぎ去った愛を並べてホットレモン 佐藤千枝子
やまとことのはとりとめもなき夜の雪田 口満代子
十指空に冬芽のように愛してみよ 竹本仰
転倒の一瞬長し冬光る 田中裕子
ミルキーな牡蠣大きくてフリル付き 蔦とく子
身籠るや人肌ほどに春の山 中内亮玄
レノン忌のあまたの石が脈を打つ ナカムラ薫
○山も河も被曝の仲間初日の出 中村晋
しきみとう踏み固めし雪詩を食べて 並木邑人
野を冷まし猟師が帰る言霊も 松本勇二
曼陀羅のどこかが欠けて綿虫とぶ 吉田朝子

川崎益太郎 選
高齢を何故祝うのか黄水仙 阿木よう子
賑わいの虚空のかたち案山子展 有村王志
開戦日漬物石が見当たらぬ 伊藤雅彦
オミクロン株を尻目に蛇穴へ 江井芳朗
寒月光穴を掘る人埋める人 片岡秀樹
春の窓ことばさがしの二歳かな 河田光江
人訪わぬを疲れというよ龍の玉 川田由美子
冬ざれて百鬼夜行を見たようだ 清水恵子
半分は母半分はしゃぼん玉 清水茉紀
冬の月墓標のごときビルの群れ 白石司子
○棄てられたマスクのやうにちぎれ雲 高木一惠
仁義なき闘い春のオミクロン 立川弘子
冬の水無季の俳句は許せない 遠山恵子
乏しきをエコと言ひ換へ年あらた 長尾向季
花は好き名が嫌いなの木瓜の花 仲村トヨ子
雪激し「うちかて夜叉になりますえ」 中村道子
どんどの火桜冬芽のまま焼かれ 藤田敦子
寝正月夢の言葉に付箋する 松田英子
花八手思春期という殴り書き 三浦二三子
訃報というキリトリ線や冬鴎 望月士郎

村本なずな 選
○胎動を撫でて小声の福は内 石橋いろり
鼻歌の気付けば軍歌十二月 伊藤巌
悴む手が月とはぐれて帰れない 榎本愛子
一角はすずなすずしろ古墳浴 大高俊一
木枯しの奥へ奥へと通院す 大野美代子
毛細血管図崖一面の蔦枯るる 鎌田喜代子
雪が降る會津八一の仮名文字の 北村美都子
終電車解体さるる聖樹あり 小松敦
○えくぼなら母にも窓にも雪野にも 佐々木宏
飼犬の鎖冷たし震災忌 重松敬子
一葉忌えみから涙になる途中 清水茉紀
加齢による反抗期です八ツ頭 芹沢愛子
○冬あたたか鮭のはみ出る握り飯 ダークシー美紀
冬蒲公英青空固くなるばかり 瀧春樹
雪知らぬ雪予報士の騒がしき 東海林光代
ノートにはぎゅうぎゅう詰めの春の風 中内亮玄
出直せる余生いつでもちゃんちゃんこ 嶺岸さとし
紙の音して小説の駅に雪ふりそむ 望月士郎
冬ざれの耳のうしろの小さな凪 茂里美絵
冬銀河に行ったよ尻尾のあった頃 森由美子

山田哲夫 選
断捨離の断で躓く年の暮 石川青狼
○胎動を撫でて小声の福は内 石橋いろり
いっそかろやか元日という空白は 狩野康子
「冬眠です」と言ひて母逝く星月夜 北原恵子
着膨れて富士に憑かれて箱根まで 小泉敬紀
めくられて十二月八日千切らるる 小西瞬夏
○えくぼなら母にも窓にも雪野にも 佐々木宏
欠けるとこありても睦み寒卵 佐藤詠子
雪雲が寝そべっていて過呼吸 清水恵子
○冬あたたか鮭のはみ出る握り飯 ダークシー美紀
○棄てられたマスクのやうにちぎれ雲 高木一惠
無口といえば海鼠といえば父の酒 竹田昭江
○山も河も被曝の仲間初日の出 中村晋
穏やかな断絶もあり注連飾る 藤田敦子
死ぬ気などなくて死にゆく薄氷 船越みよ
嘘すこし閉じこめ洗面器の薄氷 松岡良子
石蕗の花老いてゆく日を軽やかに 松田英子
理科室のよう一人暮らしの元朝は 宮崎斗士
やわらかなおじぎをひとつ冬木の芽 室田洋子
感情は冬の翡翠ホバリング 横地かをる

◆三句鑑賞

古本屋電気に群れていし冬が 大沢輝一
 古本屋と冬の取り合わせ。ふうっと作者の世界に迷い込んでしまう。覆いかぶさるばかりに積まれた古本。ときおり背表紙の金色が鈍い光を放つ。上から釣り下げられた電気に冬が群れる。決して蛍光色ではない赤みを帯びた電球。古本屋を愛する作者の思いがかすかな危うさを伴い漂う。

水仙をまんなかとする都市計画 小野裕三
 すべては水仙のイメージから始まる。冬に開花し花の姿から清楚な感じ。球根に毒を持つ。今号伊藤雅彦氏の句は水仙から母の項を連想しておりこの句も心に沁みた。揚句は水仙のイメージを真ん中に都市計画という発想の飛躍が素晴らしく、俳句の持つ多様性と伝達力に気付かされた。

やまとことのはとりとめもなき夜の雪 田口満代子
 やまとことのは、辞書に「大和言の葉」源氏物語(桐壺)「伊勢、貫之に詠ませ給へる」とあり、王朝の和歌と思える。この語は序詞のように「とりとめもなき夜」を導き、相聞歌を想像させる。ただ降り続く雪ではなく、雅びに人のうつつも夢ものせてとりとめもなく降る夜の雪である。
(鑑賞・狩野康子)

開戦日漬物石が見当たらぬ 伊藤雅彦
 十二月八日は、太平洋戦争の開戦日である。日本の敗戦により戦争は終わり、戦争は歴史の一頁として塩漬けにされた。以後、日本では戦争は封印されて来た。しかし、世界では以後も戦争が各地で起こっている。特にこの度のロシアのウクライナ侵攻は、戦争を知らない世代にまで、リアル戦争を提示している。まるで漬物石が外れ、どこかを捜しても見当たらない状態である。

冬ざれて百鬼夜行を見たようだ 清水恵子
 ロシアのウクライナ侵攻は、日々激しさを増し、全く終息の気配が見えない。その様子は、百鬼夜行のごとくである。この句の投句された頃は、まだ、その正体が見えないので、「見たようだ」と、やや、緊張感なく詠まれているが、その後、その正体が暴かれる序章のような句である。

冬の水無季の俳句は許せない 遠山恵子
 俳諧自由を標榜している「海原」誌に、このようにはっきり詠う勇気に驚いた。季語を超える言葉がないと無季の俳句は成立しないと言われている。季語の「冬の水」が、断定の力強さを表わしているように思う。「嫌い」でなく、「許せない」という言い方に、どのような意見等が出されるか。
(鑑賞・川崎益太郎)

一角はすずなすずしろ古墳浴 大高俊一
 近年、古代史に様々な発見があり、各地の古墳も注目を集めるようになったが、ここはそれ程有名な古墳ではないのだろう。なにしろ一角は畑になっており、蕪や大根が植えられているのだから。しかし、なだらかな丸みを帯びた古墳は見ているだけで穏やかな心地になる。天気も良し。これを「古墳浴」と言わずして何と言おう。

一葉忌えみから涙になる途中 清水茉紀
 赤貧洗うがごとき生活の中、数々の名作を残し、わずか二十四歳で夭折した樋口一葉。貧しくとも、誇り高く微笑んでいたに違いない。しかしふとした拍子に一気にそれが崩れることもある。作者も何かに耐え、微笑んでいたが、今、こらえていた涙が溢れそうになっている。そうさせたものが温かい優しい言葉であってほしい。

加齢による反抗期です八ツ頭 芹沢愛子
 反抗期と言えば自我が芽生える四歳児あるいは独立を求める思春期だが、作者はその原因を加齢によるものだと強弁する。我々が医師の診察を受けた際、最もがっくりくるのは、「加齢ですね」のひとこと。もうなすすべもない。加齢ならどうしようもないのだ。そこへもってきてごろんと八ツ頭。これは手強い反抗期ですよ。
(鑑賞・村本なずな)

胎動を撫でて小声の福は内 石橋いろり
 「小声の福は内」が何とも素晴らしい。日常生活の中の出産という一大行事。やがて生まれ出てくる新しい命を、密かに期待する親や家族の気持ちが、じんわり滲み出てくる気がして、思わず祝福の言葉をかけたくなる。少子化傾向が一向に止まらないどこかの国の若い親たちの心にこの幸せをお裾分けしたい一句である。

山も河も被曝の仲間初日の出 中村晋
 山や河で代表された「も」は、他にも自然に存在する多くを物が合む「も」だ。被曝は自分たち人間のみでなく、全てだという認識からの詠出が、ずしりと心に響く。やはり、大震災の被曝地福島の作者だからこその認識だと思う。新しい年を迎えて、被曝を乗り越え、更に力強く生きたいとする希望の『初日の出』が美しい。

感情は冬の翡翠ホバリング 横地かをる
 冬の翡翠を見たことは無いが、作者は、感情は冬の翡翠だという。この喩の見事さにまず脱帽。ホバリングは、鳥がはばたきながら空中にとどまっている状態だから、これもまた冬に堪えている作者の感情の停滞状況の喩でもある。日常の自らの心を篤と見つめる醒めたまなざしの持ち主だからこそこうした喩も生まれてくるのだろう。
(鑑賞・山田哲夫)

◆海原集〈好作三十句〉武田伸一・抄出

春の川投網の円周率ひかる 有馬育代
俳号に蝶の思いもなくもなし 淡路放生
励ましはスローモーション蘖ゆる 飯塚真弓
桜散る娼婦と呼ばれたひとの居て 井手ひとみ
クールぶってやってきたのに亀鳴くよ 大池桜子
鞦韆を揺らして五臓六腑かな 大渕久幸
疫禍余波辺地に及び冴え返る 押勇次
トゲクリ蟹わたしは負けた訳じゃない かさいともこ
ややこしく出来た人間鳥交る 葛城広光
蛇穴をいでて地雷のなき方へ 木村寛伸
難民のザックの犬よ春遠し 後藤雅文
樹幹いま春の小川の音がする 小林ろば
運命とは花鳥風月そして僕 近藤真由美
ふるさとの高さ競はぬ山笑ふ 鈴木弘子
貝寄風や想ひ出といふ持病 立川真理
マニュアルを歩む旅人かげろうや 立川瑠璃
カド※来たるいざ出番なり谷空木 土谷敏雄 ※秋田の方言 
りんりんと春動かしてゆく奥羽 福井明子
葉桜になる前はまだ他意はない 福岡日向子
多喜二忌やロボットの背に乾電池 福田博之
蝶を殺す食ふだけ殺す野原かな 藤好良
花ミモザ老身を寄せ風分かつ 保子進
つばくらめ廃墟の街に子どもたち 増田天志
なんでそんな人がいるの菫には解らない 松﨑あきら
三階の市長室あけ花惜しむ 村上紀子
春宵や文庫に付きしチョコレート 山本まさゆき
牡丹の芽初湯のように雨を浴ぶ 吉田和恵
桑の實やむかし少年驢馬の旅 吉田貢(吉は土に口)
木の葉髪濡れ手を離れがたきかな 路志田美子
菜の花やふかい地下から反戦歌 渡辺のり子

『海原』No.39(2022/6/1発行)

◆No.39 目次

◆海原秀句 同人各集より

安西篤●抄出
冬帽子ムーミンパパのお古だな 綾田節子
曽祖母の夜咄締めは「生き過ぎた」 石川まゆみ
ムンクの叫び凍滝と言えないか 伊藤道郎
生き切ったいや生き切れず金魚玉 宇田蓋男
サイバー空間千頭の蝶放たるる 榎本祐子
国境の楤の芽の一心 大上恒子
つくし煮る生きてるかぎり母の味 大野美代子
花りんごマトリョーシカは無口です 岡崎万寿
冬菜みな手傷を負っていたりけり 小野裕三
君の部屋やさしい獣の巣のように 河原珠美
独り居に闇尖りくる久女の忌 黒済泰子
海市までプロパンガスを配達す こしのゆみこ
ストリートピアノ一小節を燕かな 三枝みずほ
ダイヤモンドダスト弦楽四重奏響く 佐藤博己
遠き世の土偶の無言三月尽 白井重之
ざらめ雪断捨離はせず生きんかな 鈴木康之
鳥獣戯画そろりと参ろう春の闇 髙井元一
感情のもつれほぐれし風花や 田口満代子
春の日の屈折率を恋という 竹田昭江
国跨ぐ黒煙それが春なのか 田中信克
透明な樹木の残る春の鹿 豊原清明
ハスキーボイス少女の中を砕氷船 鳥山由貴子
雛飾り雛仕舞いウクライナ遠し 中村晋
遠雷を空爆ときく国もあり 野口思づゑ
ふきのとう薹立ち東北震災忌 服部修一
拒否の眼の少女ふり向くヒヤシンス 増田暁子
言えなかったやさしい言葉花ミモザ 松井麻容子
素心蠟梅ためらいは凜々しくもあり 村上友子
麦踏みし足が戦車の前に立つ 柳生正名
木五倍子垂る開拓村またひとり去り 吉澤祥匡

野﨑憲子●抄出
戦況からCMへ桜前線へ 石橋いろり
兜太の忌しゃぶりたらず叱られる 稲葉千尋
侵攻止められず緋木瓜白木瓜更紗木瓜 植田郁一
渾身の膝立ち上る初燕 上野昭子
獏も食わぬ独裁者の春の夢 江良修
抽斗に隠されていく百合鴎 小野裕三
啓蟄や耳かき一本の愉悦 川崎千鶴子
戦争嫌やたゞ寒沢川さぶさがわは不器用や 久保智恵
切通し春雲一気に湧きあがる 佐藤稚鬼
花咲爺風花売りとすれちがふ 鈴木孝信
シマフクロウの神の座高し雪解風 鈴木修一
それぞれの消えてゆきかた雪催 芹沢愛子
立春や空っぽの僕らの青さ 高木水志
山独活を晒せば透けてくる民話 瀧春樹
波打つ薄氷あつかましい平和 谷口道子
雪月夜われのみが知るパスワード 董振華
遠く白魚火リュウグウの砂こぼる 鳥山由貴子
大らかな出雲の坂に春の虹 中内亮玄
朧夜に触れたら流砂なのでした ナカムラ薫
こぶし咲く戦火を燃やし継ぐ星に 中村晋
猫の恋地球に誰もいないのか 丹生千賀
反戦句碑は同志のたましい風光る 疋田恵美子
猪神や爆音で目覚めた少女 日高玲
はしき星に生きもの在りき戦争す 藤野武
白鳥帰る白い絶望をかかえ 本田ひとみ
ちりめん雑魚人体淡く海になる 松井麻容子
追伸は風の椿の樹下にあり 水野真由美
三月のひかり水切りりりりりり 望月士郎
桜貝なみだは遠い昔のこと 茂里美絵
シャワー越し青葉のひとみあふれをり 輿儀つとむ

◆海原秀句鑑賞 安西篤

曽祖母の夜咄締めは「生き過ぎた」 石川まゆみ
 曽祖母というからには曽孫もいて、核家族化のすすんだ大都市とは異なり、地方ではまだかなりの大家族の暮らしがあるのだろう。それでも昔の夜咄を聞いてくれる曽孫がいる限り、まだしも自分の居場所はある。触れ合いを保ちうる者がいるからだが、いつまで続くものやらと思えば、やがて来る〈そのとき〉への不安は喩えようもない。作者はまだ余力を保っているはずだが、「生き過ぎた」という感慨を、他人事ならず受け止めているに違いない。

生き切ったいや生き切れず金魚玉 宇田蓋男
 前句に続く境涯感の句。ほぼ同世代の作者ならではのものだろう。老いてからの人生の送り方は難しい。高齢化社会の今日、己の人生を振り返って「生き切った」と言い切れる人はどれだけいるだろうか。自らに問い直して、「いや生き切れず」と省みる。「金魚玉」は、ある日ふと何気なく目にとめたとき、ちいさな空間にうごめく生きものの姿に、胸を衝かれるように〈いのち〉を感じ、それがそのまま己の境涯感へ突き刺さっていったのだ。

サイバー空間千頭の蝶放たるる 榎本祐子
 サイバー空間とは、コンピューターやネットワーク上に構築された仮想空間で、今や国際間の戦争も先ずサイバー攻撃から始まるとされている。ウクライナ戦争などまさにそうだった。目に見えないものだけに、その怖ろしさは測り知れない。そんな仮想空間へ、千頭の蝶を放つ。いわばメカニカルな空無の空間へ生きものの蝶を放って、生の空間として捉え返そうとする。そこに生きてこその思いも込めながら。

君の部屋やさしい獣の巣のように 河原珠美
 亡き人への追慕の句とみてよい。これは作者の境涯に照らしての感慨なのだが、大切な人への思いは時間とともに薄れていくものではなく、むしろ純粋な形で結晶化されていく。愛する人を失ったとき、その部屋は獣の巣のような乱雑さで、生々しい温もりを残していたに違いない。作者は今も忘れ得ぬその印象を「やさしい獣の巣」と捉えた。その思いは夫との愛の思い出にもつながる。

ざらめ雪断捨離はせず生きんかな 鈴木康之
 「ざらめ雪」とは、春、日中に溶けた雪が夜再び凍結し、それを繰り返してできるざらめ糖状の積雪。「断捨離」は、不要なものを減らし生活に調和をもたらそうとするヨガの思想。作者は、今世に流行する「断捨離」の思想には同調せず、あえて「ざらめ雪」のように繰り返し活用する道を選ぼうとする。有限な資源の地球を、「もったいない」で生きようとしているのだ。「ざらめ雪」こそ我が生き方と居直っている。

鳥獣戯画そろりと参ろう春の闇 髙井元一
 「鳥獣戯画」は、京都高山寺にある国宝の紙本墨画四巻。動物の生態を擬人的に描いたもので、そこにはさまざまな人間への諷刺が込められている。「そろりと参ろう春の闇」には、作者自身、戯画の端くれにひそかに紛れ込み、動物の一つとして人間をからかってやれば、さぞ面白かろうにという。中七の狂言風の言い回しで、どこか異次元の世界を目指すかのようなおどけ振りをもって、自己劇化を試みた句。

感情のもつれほぐれし風花や 田口満代子
 感情のもつれは、身近な者同士であればあるほど、複雑でさまざまな根深い絡み合いを伴うもの。そんなしがらみを抱えながら生きて行かなければならない。風花の舞う空間は、そのしがらみが一気にほどけて、多くの断片を撒き散らしたように見ている。それは作者の無意識のうちのカタルシスだったのかも知れない。

雛飾り雛仕舞いウクライナ遠し 中村晋
 ウクライナに起こった戦争は、数々の悲劇とともに大国のエゴをまざまざと見せつけた。ゼレンスキー大統領の国連演説は追い詰められた民の悲痛な叫びのように聞こえる。今日本では、桃の節句で雛人形を飾り、大事に仕舞う平和な時を過ごしているが、遠いウクライナの悲劇は、日本においてもいつまた身に迫る現実となりかねないという危機感を逆説的に暗示している。兜太師の言われていた「十五年戦争前夜」にも通ずる危機感がこの句のモチーフにはある。

麦踏みし足が戦車の前に立つ 柳生正名
 三月の東京例会通信句会で圧倒的な支持を得た句。いうまでもなく今度の戦争で、ウクライナの市民が戦車の前に身を挺して反転させた映像に基づく。物生り豊かな祖国を守るために、自らすすんで一身を捧げる姿に感動させられたのである。ところが今やロシア軍は、容赦なく民間人を虐殺することをためらわない。戦争の深刻化にともなって、緒戦における一片の勇気や良識すら、もはや通用しないような、あからさまな戦争の残虐性が露呈しつつある。戦争俳句は、事態の長期化、深刻化とともに様相を変えつつあることを、忘れてはなるまい。

◆海原秀句鑑賞 野﨑憲子

戦況からCMへ桜前線へ 石橋いろり
 桜前線の香川通過は半月前だった。ウクライナ情勢はますます緊迫し混迷を極めている。リズミカルなテレビ画面の作品化に世相が映る。省略の妙。句群中、「瓦礫の下の『てぶくろ』絵本残寒に」にも惹かれた。『てぶくろ』は、エウゲーニー・M・ラチョフの表紙絵が素晴しく世界の子供達の愛読書だ。だいたい人間の落とした手袋に、一匹の動物が入るのも無理に決まっているのに、次々に森の動物たちが入ってくる。夢のいっぱい詰まった絵本。戦争は、夢も、希望も、棲家そのものも奪ってしまう。

兜太の忌しゃぶりたらず叱られる 稲葉千尋
 俳句道場で師はよく「俳句をしゃぶれ」と話された。私も師の言葉を受け「しやぶり尽くせと冬霧の眼かな」と詠んだことがある。それは、何度も読み味わうことによりその句の心が観えてくるということだ。「俳句は理屈じゃないよ、心だ」「人間が面白くなきゃ、句もつまんねぇ」とも言われた。頓馬で内気な私は、師の言葉に、不器用な自分のままで良いと気付き、どんなに勇気をいただいたことか知れない。私は、句をしゃぶり尽くしていると言えるだろうか、稲葉さんの句に思わず襟を正した。

侵攻止められず緋木瓜白木瓜更紗木瓜 植田郁一
 美しい木瓜ぼけの花には申し訳ないが、ロシアのウクライナ侵攻を止められない人類への忸怩たる思いを畳みかけるように色ごとに呼びかけ木瓜の花に託した植田さんの力作である。「春の雲戦火見詰めていて崩れず」「椿落つ重なり落ちて傭兵死す」等の句にも注目。卒寿の植田さんの平和への願い、漲る熱い俳句愛に感動した。

シマフクロウの神の座高し雪解風 鈴木修一
 シマフクロウは『アイヌ神謡集』の最初に登場するアイヌの守り神である。縄文人の末裔であるアイヌは、七世紀ごろからの大和朝廷の侵攻により辺境へ追いやられた。人類はまた同じ過ちを繰り返している。芭蕉は、「松の事は松に習へ、竹の事は竹に習へ」と言った。今の私達にとっては「地球の事は、地球に習へ」即ち、森羅万象の声を聞け!ではないのだろうか。そこには、縄張りも、国境も無い。邪論と言われても、ここに立つことだけが、人類の生き残れる道ではないのかと思う。

波打つ薄氷あつかましい平和 谷口道子
 「波打つ薄氷」が見事に決まっている。谷口さんの第3回「海原金子兜太賞」応募作のタイトルも「あつかましい平和」だった。これは、誌上選考座談会で一位推挙の柳生正名さんの言にもあるように、師のドキュメンタリー映画「天地悠々」の中の最後のインタビューで師が強調していた言葉だ。私も、「平和への願いも、自身の表現も貪婪なまでの図々しさと熱情で新しい世界を切開けよ!」との師の言と捉えている。我がジャイロである。

こぶし咲く戦火を燃やし継ぐ星に 中村晋
 真青なる美しい地球に、人類の宿痾のような戦争が、いつもどこかで起こっている。辛夷は、日本原産の花木。春の訪れを感じさせてくれる白いシャンデリアのような辛夷の花。その花のような、心温まる愛語を言霊の幸ふ国から発信してゆくことの大切さを強く感じる。師のごゲダンゲン・リリク著書にあった思想的抒情詩という言葉が頭から離れない。

猫の恋地球に誰もいないのか 丹生千賀
 加藤楸邨の「蟇誰かものいへ声かぎり」が、永田耕衣の「恋猫の恋する猫で押し通す」が浮かんでくる。この地球を壊滅してしまえる原子爆弾を発明したのが人類なら、この悪魔のような侵攻を収束させるのも人類でなければならないのである。生きとし生けるものの「いのち」の声を代弁できるのも人類だけなのだから。九十一歳の丹生さんの「地球に誰もいないのか」は、私達、うら若き人類に向けられているのだ。

反戦句碑は同志のたましい風光る 疋田恵美子
 マブソン青眼さんが俳句道場にゲスト参加された時の師との対談「昭和俳句弾圧事件について」が発端になり、師が他界された五日後に長野県上田市の無言館近くの小高い丘に建立された「俳句弾圧不忘の碑」。戦時下に弾圧され亡くなった俳人追悼のこの碑文は師の揮毫による。「平和」と「俳諧自由」。師の悲願は、人類存続の要だ。

猪神や爆音で目覚めた少女 日高玲
 アニメ『もののけ姫』のシシ神や少女サンを想起させる。猪ではなくて鹿の形の神だったとおもうのだが、森の奥に棲む精霊の王シシ神はこの人類の愚行をどう見ているのか。爆音で目覚めたサンはこれからどうするのか、日常では忘れられがちの、隠れた大切な世界が姿を現す。

三月のひかり水切りりりりりり 望月士郎
 「りりりりりり」の調べのそして字面の美しさに圧倒された。三月がいい。そして、三月の光が水を切ってゆく。そこから立ち上がってくる目くるめく光の世界に酔いしれた。「海原」誌の表紙絵も、毎号、輝いている。

◆金子兜太 私の一句

旅を来て魯迅墓に泰山木数華 兜太

 我が家の階段を上がった二階の廊下の突き当たりに掲句が掛かっている。初めて手に入れた先生独特の字体の色紙だ。中国旅吟句で格調の高い抒情溢れた一句で「数華」が目に鮮明で魅力的だ。縁の上海は先生にとって感慨深いものがあったろう。その頃に、御父上の伊昔紅氏と魯迅との接触もあったのではと想像も膨らむ。句集『遊牧集』(昭和56年)より。大西政司

よく眠る夢の枯野が青むまで 兜太

 我が家は、今年の干支の寅の置物と一対になる形でこの色紙を飾っています。皆子先生が腎臓癌治療のため、千葉県旭市の旭中央病院に移られてからのお供をさせていただいた当時に、兜太先生から贈られてきた色紙です。「よく眠る」の「ゆっくり生きてゆこうの心意」をいただくうれしさ。おおらかな野生にあやかる年年歳歳の感謝です。句集『東国抄』(平成13年)より。山中葛子

◆共鳴20句〈4月号同人作品より〉
〇印は2選者の共選句 ◎印は3選者の共選句

狩野康子 選
羽後残照見開きひと言夜の灯 有村王志
川鵜またひとりぼっちか冬青空 宇川啓子
冬夕焼母のさざなみガラス質 榎本愛子
解除ボタンかすかに湿る十二月 大西健司
火種にはまだ程遠い綿虫飛ぶ 奥山和子
山茶花の薄く住まうとこのあたり 川田由美子
○狩人にくっついていく風や雲 こしのゆみこ
人格者のようで祖父はけむり茸 佐々木宏
咎は無し百の吐息に山眠る 佐藤詠子
村灯るあの家この家に雪女郎 白井重之
綿虫に顔入れ誰よりもやさしく 十河宣洋
◎あいまいなおでんの仕切り民主主義 竹田昭江
白息を使徒と思えば海荒れて 遠山郁好
毛糸着て雑念少し増やしけり 中村孝史
霜に日が差して誰かの生れたる 松本勇二
清貧にかたちあるなら冬菜畑 嶺岸さとし
綿虫や二度寝のようにあなたと逢う 宮崎斗士
ポインセチア遠くに居ればいいひとよ 室田洋子
大根炊ける透き通っていられない 森鈴
てつぺんでキューピー尖る師走八日 柳生正名

川崎益太郎 選
本音吐く炭火ときどきナルシスト 市原正直
雪国や「核」捨てるのにいい遠さ 伊藤歩
冬銀河ヒトに臍の緒という水脈 伊藤道郎
子宮で考え中です枇杷の花 井上俊子
再びを夢見るごとき落椿 宇川啓子
○細胞のひとつ分裂くしゃみ出る 奥山和子
家系図は差し歯入れ歯に時雨けり 川崎千鶴子
綿虫の帰化する原野歩みゆく 後藤岑生
葉牡丹はアンモナイトになる途中 佐々木宏
◎あいまいなおでんの仕切り民主主義 竹田昭江
水脈凍てて夢の果てなる引揚船 立川弘子
まゆみの実老いらくの恋やせ我慢 舘林史蝶
天国に原発はないクリスマス 中村晋
冬ざれのタンポポ「私変わりもの」 西美惠子
寒たまご地球に寄生する我等 本田ひとみ
神無月マンモス復活計画 松本千花
四番目に生まれ跡取り千歳飴 深山未遊
桑の実ってこれだったのねお母さん 森由美子
ポインセチア唇いくつ生け捕りに 山下一夫
柊の花より淡く母居たり 横地かをる

村本なずな 選
白鳥のおさなり後ろ手に歩く 石川青狼
芽麦一列戦禍なき一日あるように 伊藤道郎
道草や雪は子供に降ってくる 荻谷修
○細胞のひとつ分裂くしゃみ出る 奥山和子
杜鵑活ければ母の居るごとし 北原恵子
どんぐりころころ音楽になる途中 北村美都子
綿虫やここ地球とう仮住まい 楠井収
審議会長須鯨が揃いけり 今野修三
「雪来る」と火災報知機鳴ってみたい 佐々木昇一
木の家を木枯し叩く武州真夜 篠田悦子
中身のないポケットのよう冬の空 高橋明江
水刻むごとく大根千六本 鳥山由貴子
冬の斜面あの光るのが除染ごみ 中村晋
青空をがんがん冬のプラタナス 平田薫
寒落暉告白は大声ですべき 前田恵
木の葉髪自由と孤独と腰痛と 増田暁子
禁猟区母のアルバムずっしりと 松本千花
無添加の煮干のひかりクリスマス 三浦静佳
布団の奥アンモナイトの息をする 柳生正名
龍の玉良く笑う児がよく転ぶ 梁瀬道子

山田哲夫 選
野仏の膝は日溜り冬の蜂 伊藤巌
少年の微熱のように冬木の芽 伊藤道郎
釘打って十一月を掛けておく 大沢輝一
骸かと掃けば仄かな冬の蜂 川崎千鶴子
ネックレスざらりと外し大根炊く 黍野恵
○狩人にくっついていく風や雲 こしのゆみこ
家族という淡い繭玉冬の雷 佐孝石画
霧に消ゆ歩荷かぽかぽ音残し 篠田悦子
魚を糶る岬や石蕗の茎太し 髙井元一
◎あいまいなおでんの仕切り民主主義 竹田昭江
コンクリート打ちっ放し冬の足音す 鳥山由貴子
切り口はいつも血まみれ大枯野 野﨑憲子
姿なきひとと分け入る花野かな 日高玲
踊るように人の死はあり枯野原 平田薫
着ぶくれて服にこころに裏表 前田典子
久女の忌からだにふっと火打石 三好つや子
私の棲むわたしのからだ雪明り 望月士郎
月蝕やどこかで冬のサーカス団 茂里美絵
良縁をまとめどさっと深谷葱 森由美子
軸足はきっとふるさと冬の虹 横地かをる

◆三句鑑賞

人格者のようで祖父はけむり茸 佐々木宏
 人間誰も沢山の顔をもつ。句の鍵けむり茸は踏むと灰色の煙を吐く。子供の頃祖母に「煙が目に入ると目が見えなくなる」と聞かされたが、それは俗信で食用と知った。周りから人格者として尊敬された祖父。けれど作者はひょうひょうと時に怖れられ親しまれた祖父を知る。句に漂う俳諧味が愛すべき祖父のイメージを強くする。

白息を使徒と思えば海荒れて 遠山郁好
 白息、使徒とシ音で静かに始まる。しかし結句は海荒れて。白息は自分の嘆息。助けを求めれば使徒が現れるかもしれない。しかし鎮まるどころか海は荒れている。ふと使徒の語で白息は多数の人間の嘆息に変わり、現実として神に祈るしかない戦争の不条理。神の力も及ばない悲惨な現状を詠っているのではと思った。

てつぺんでキューピー尖る師走八日 柳生正名
 師走八日は日本真珠湾攻撃に始まる開戦日。語り継ぐべき昭和史の大事件。戦争の犠牲になったのは武器をもたない庶民とキューピーの号令下に従った幾万の兵士。立場は異なるが現在のロシアとウクライナ。戦争は今も昔も一見無害な人の心を持たぬキューピーのような存在によって引き起こされる。暗喩のキューピーが抜群。
(鑑賞・狩野康子)

あいまいなおでんの仕切り民主主義 竹田昭江
 いま世界中を震撼させているロシアのウクライナ侵攻。ウクライナは民主主義に対する挑戦と言っているが、ロシアの言い分も民主主義を守るというのが言い分で、このように民主主義に対する考えはいろいろあり、それはおでんの仕切り板のように曖昧なものであるという句。捉え方がユニークで上手い。

天国に原発はないクリスマス 中村晋
 天国に原発があるかないかは、行ったことがないから分からないが、作者は、ないと言い切っている。言い切っているが、本心は、ないことを願うという願望の句であろう。その思いをクリスマスという季語を採り合わせて祈るような気持ちであろう。作者が福島の方であるので、よりリアルに読者の胸を打つ句である。

四番目に生まれ跡取り千歳飴 深山未遊
 日本では古くから、家の跡取りは、生まれた順でなく、男子の一番目と決められていた。それは今も根強く受け継がれている。特に、やんごとなき方に関しては、法律で決められている。これが平民にまで受け継がれて、慣習化されている。この句は、そのことに対する不合理さを訴えた句である。それを直接言わないところが上手い。
(鑑賞・川崎益太郎)

白鳥のおさなり後ろ手に歩く 石川青狼
 後ろ手に歩いているのはボランティアの方なのだろうか。越冬のために湖を訪れる白鳥たちを長年にわたり世話してきた。後ろ手に歩くその様子からかなりの年輩者であることがうかがわれるが、冬の寒さも厭わず見回りをする。白鳥たちもこの人物を統率者のように思い慕っている。美しい水辺、豊かな自然に囲まれて白鳥を見守る実直な人物の姿が目に浮かぶ。

審議会長須鯨が揃いけり 今野修三
 ○○審議会などという大層な所にはその方面の都合の良いお歴々が呼び集められる。いつどこでそんな話が?などと訝しがる庶民を余所に物事は進む。根回しは済んでいるから、余裕綽々、長須鯨は席に着くだけだ。一茶が大喜びしそうな皮肉たっぷりの一句。

「雪来る」と火災報知機鳴ってみたい 佐々木昇一
 火災報知機は実に目立つ。赤くて丸くて真ん中には押してごらんと誘うような薄いカバーが嵌まっている。ひとたびカバーを押そうものなら、とんでもない音が鳴り響く。作者は雪国の人。雪は時には危険な相手でもある。長い間火災もなく、静かに待機している報知機も「雪が来る」と自分の存在を主張したくなる時があるのだ。
(鑑賞・村本なずな)

骸かと掃けば仄かな冬の蜂 川崎千鶴子
 掃くという行為の中で、ふと目に止まった蜂の骸。否、骸かと思ったら、微かに動きだしたではないか。生きてるぞ。仄かな命の蠢きよ。この一句には、そんな命の蠢きを、細やかな情愛を込め眺めやる作者のまなざしがある。日常生活の一コマ一コマを大切に生きる姿勢の中からこそこういう句は生まれてくるのだろう。

家族という淡い繭玉冬の雷 佐孝石画
 作者は、家族は淡い繭玉だという。この比喩の確かな認識に心惹かれる。家族は無数の淡い糸で繋がれ、押し合い、引き合いながら日常を送っている。晴れの日もあれば、寒い冬の雷の鳴る日もあってこそ家族という淡い糸で繋がれた存在も強い絆で結ばれた玉になっていくのだと思う。「淡い」という形容が心憎い。

私の棲むわたしのからだ雪明り 望月士郎
 私という存在。確かにあるようで、自分でもなかなか捉え憎いこころとからだ。それを冷徹に見極めようとする作者自身のまなざしが意識される。「私」と「わたし」と意識的に書き分けたところが、その存在の有り様を示している様で、工夫が見える。「雪明り」の中に佇む私という設定も印象的で、捨てがたい。
(鑑賞・山田哲夫)

◆海原集〈好作三十句〉武田伸一・抄出

春昼の寺に一礼して歩く 淡路放生
疼痛と嘔吐はせめて菫ほど 飯塚真弓
億ションに巻きついてゐる春の蛇 石鎚優
原罪を問う君の頰に桜散る 井手ひとみ
ヒヤシンス後悔って一人芝居だ 大池桜子
リラ冷えや玉子しつかり焼く昭和 大渕久幸
高齢者は非国民だべ落椿 押勇次
モヒカンに滝が当たっておお寒い 葛城広光
干鱈焙る母亡き昼の野弁当 河田清峰
青き踏む生を満喫するために 日下若名
太刀魚のごとく白髪水俣よ 小林育子
教室に彼だけいない春の椅子 近藤真由美
手の平の蝌蚪ぷにぷにと児等囃す 佐々木妙子
半仙戯円周率のかなたまで 鈴木弘子
春泥や削除できない疵あまた 宙のふう
祖父の胸の静謐に置くライラック 立川真理
凜々と祖父は花野を作っていた 立川瑠璃
カモの首伸びて水面の桜かな 塚原久紅
蔓引くやあらぬ方より冬瓜来 土谷敏雄
春の風邪コンビニの一人鍋を買う 原美智子
傷付きやすき男が零る遅日かな 福岡日向子
恋猫をまね舐めてみる右の足 藤川宏樹
すてぜりふ残した背なに冬の月 丸山初美
餡蜜から向こう側は未知である 村上舞香
砲弾にパパ残りをり苜蓿 矢野二十四
恋猫や駅の正面墓地の山 山本まさゆき
厩戸の空蟬つまむ背後かな 吉田貢(吉は土に口)
家と家間をビュッと東風が行く 吉田もろび
啓蟄のひかりの渦に這い出せり わだようこ
ぼたん雪天使の耳のかたちして 渡辺のり子

『海原』No.38(2022/5/1発行)

◆No.38 目次

◆海原秀句 同人各集より

安西篤●抄出

胎動を撫でて小声の福は内 石橋いろり
ガスタンク球体の羽化寒の月 市原正直
開戦日漬物石が見当たらぬ 伊藤雅彦
未来図ノ谺ノヨウニ冬木影 伊藤道郎
着ぶくれてマスクのなかの独り言 稲葉千尋
解体の原発鳩の群れ旋回 江井芳朗
介護です冬着に冬日遊ばせる 大髙洋子
駅ピアノ猫ふんじゃったは春の歌 奥山和子
街に風花脚注を付すように 片岡秀樹
親睦の真ん中に雪集めるよ 木下ようこ
葱みじんこだわりって何だったのか 楠井収
比喩で説く人生論や温め酒 齊藤しじみ
鬼遊び冬木は息を継ぐところ 三枝みずほ
雪が降る嗚咽のように啞のように 佐孝石画
画用紙に太き直線年始め 重松敬子
密集や風の窪みの仏の座 篠田悦子
産土を訪えば枯蘆無尽蔵 鈴木栄司
冬あたたか鮭のはみ出る握り飯 ダークシー美紀
あまりにもプライベートな冬薔薇 竹田昭江
立禅や二月二十日の開聞岳 立川弘子
ルルルッと鳴るよふたご座流星群 遠山郁好
除雪車の忘れる過疎地でも好きで 新野祐子
父の声谺とならず雪男体山なんたい 根本菜穂子
穏やかな断絶もあり注連飾る 藤田敦子
小春日のぼけとつっこみ百寿かな 本田ひとみ
ランボオ忌の道路を歩く大白鳥 マブソン青眼
理科室のよう一人暮らしの元朝は 宮崎斗士
人生のゆるくくぼんで寒卵 室田洋子
感情は冬の翡翠ホバリング 横地かをる
べんじょ紙しみじみ白し十二月 横山隆

野﨑憲子●抄出

砲弾の白煙止むや雪ばんば 赤崎裕太
喪乱帖の王羲之唸る虎落笛 漆原義典
冬の海荒淫の日輪渺渺と 榎本祐子
虎の巻春の宇宙の歩き方 奥山和子
カブールの心火にあらず冬の星 桂凜火
野の心さらさら掬う春隣 川田由美子
先住の熊を起こさぬように行け 河西志帆
雪いつか本降り樅の立ちつくし 北村美都子
手にアララギの実楽しいは正義です 黒岡洋子
めくられて十二月八日千切らるる 小西瞬夏
お別れは朝の湯たんぽみたいにさ 小松敦
日脚伸ぶ氷点下二十度の太陽 佐藤博己
冬麗へ踏み出す一歩よっこらしょ 鱸久子
棄民のまなざし元朝の神経痛人 すずき穂波
自画像に寒紅すっと引きにけり 竹田昭江
雪片顔にひかり死はみんなのもの 竹本仰
母に会う七種粥の明るさの 月野ぽぽな
国栖人は鹿の尾をもつ藪椿 長尾向季
ラヴェルのボレロ銀杏黄落腑に満ちて 中野佑海
異端もない破綻もない俳句じゃない 並木邑人
人は人をつくらず地球がら空き 服部修一
水鳥や昨日は今日にもぐりこむ 平田薫
土くれも祈りのかたち遠冬嶺愛 藤田敦子
草餅を押して地球のぼんのくぼ 藤原美恵子
死ぬ気などなくて死にゆく薄氷 船越みよ
どんどんゆく冬木立どんどん 堀真知子
アフガンの子らの瞳や寒満月 前田典子
神は鷹を視ている鷹は私を視ている マブソン青眼
梅咲きぬどの小枝にも師の筆先 村上友子
やわらかなおじぎをひとつ冬木の芽 室田洋子

◆海原秀句鑑賞 安西篤

開戦日漬物石が見当たらぬ 伊藤雅彦
 「開戦日」はいうまでもなく、十二月八日対米開戦に踏み切った日。「漬物石」は漬物を作る際に、重石として用いる石のこと。歴史の転換点の日にも、ごく日常的な暮らしの営みで右往左往している庶民の姿がある。しかしもう一方では、日本が国際政治の渦中を戦争へと追い込まれていく流れがあり、その流れをせき止める重石のような存在が見当たらなかったことをも含意しているのかもしれない。これはやや穿ちすぎの時評的見方なのだが、開戦日をキーワードにして、二つの時間の流れを比喩的に重ねて詠んでいるとみたい。

介護です冬着に冬日遊ばせる 大髙洋子
 介護施設での老人たちの小春日の日向ぼこ。普段の暮らしの中で、冬着を日に干している景ともみられる。それを「冬着に冬日遊ばせる」と喩えた。有態は冬着を日光消毒しているのだろうが、冬着自体の介護のようにも見立てたのではないか。それは冬着を着ている老人たちの介護の姿そのものと重なる。上五には、冒頭「これは介護なんです」と宣言する作者の心意気が覗われる。

親睦の真ん中に雪集めるよ 木下ようこ
 雪の降る日。団地の広場のような場所で、久しぶりの井戸端会議風のおしゃべりを楽しんでいるグループなのかもしれない。その集いの真ん中に雪が降り積もっていく。親睦の輪の真ん中には、雪と共に言葉の輪がどんどん積み重なっていく感じを捉えている。下五「集めるよ」は「集まるよ」ではない。皆で「それいけ」とばかり、力をあわせて積み上げていく親睦の輪なのだ。「よ」の切字の働きが動きのノリになっている。

比喩で説く人生論や温め酒 齊藤しじみ
 戦前から戦後にかけての地方では、囲炉裏を囲んで、古老が若者たちに自分の体験談を語りながら、人生論にもつながる喩え話を披露していた。まさに滋味掬すべき体験談で、ほどよい燗の温め酒同様に、聴く者の肺腑に沁み込んでいく。今はそういう語部自体少なくなっているが、それこそ聴く者の胸のうちで発酵させ、ブレンドできる地酒のような得がたい語りではなかったか。

密集や風の窪みの仏の座 篠田悦子
 「密集や」で切っているから、いわゆる感染対策の標語となった三密の一つで、句の主格となっている。仏の座は春の七種で、新年の景物。ちょうど野を渡る風の吹き溜まりのような窪んだ場所に、蓮座のような可憐な花を開く。小さい花同士が身を潜め肩を寄せ合うようにして咲いているのを、これも一つの密集ですよ、気をつけて下さいと呼びかける。それはコロナ禍を生きる生きものへのいたわり。

ルルルッと鳴るよふたご座流星群 遠山郁好
 「ルルルッ」は、電話の呼び出し音のようなオノマトペだから、「ふたご座流星群」から発せられた電子音のようにも受け取れる。ふたご座は、北天ならカストルとポルックスの兄弟星、南天ならばケンタウルス座のα星とβ星という。一対の星同士が送受信の音を鳴らしながら、流星群の中で互いの安否を交信し合って流れていく。「ルルルッ」の擬音は、そんな天空のロマンをリアルに秋の夜空に描き出す。五七六の十八音で中七で句またがりとなる流麗な韻律だ。

除雪車の忘れる過疎地でも好きで 新野祐子
 作者の在地は山形だから、今年の豪雪はさぞご苦労されたことだろう。数メートルにもおよぶ積雪は、除雪車の出動なしにはとても除雪できるものではない。過疎の進んだ東北の農山村では、ほんの一握りの人口の村落も珍しくない。しかも高齢者ばかりとあっては声も届きにくいから、勢い公共の除雪車もつい忘れがち。そんな過疎地でも、私はこの田舎が好きという。「好きで」と言う思い切りのいい言い方に、「タマラナイ」の情感。

穏やかな断絶もあり注連飾る 藤田敦子
 正月を迎えるに当たり、日頃離れて暮らす子や孫たちが実家に集まって、注連飾りを手伝っている。一見平和な家族の団欒の景だが、内面では世代や居住環境の隔たりとともに、次第に疎隔や断絶感を覚えるようになってきている。例年の正月準備の表情の内に、徐々に変わりつつある家族のかたちを嗅ぎ取って、「穏やかな断絶もあり」と冷静なまなざしで捉え返す。これも今日的社会性俳句の一つとはいえまいか。

小春日のぼけとつっこみ百寿かな 本田ひとみ
 小春日の日向で老人同士が日向ぼこをしている。年寄りの集いの多くは寡黙なものだが、なかには結構独演振りを発揮する人もいて、いつも話の相方を見つけてはしゃべりまくる。いわゆる漫才でいう「ぼけとつっこみ」だが、茫然と聞いている大方の年寄りは、ほとんど無反応。それでも反応のなさなどまったくおかまいなしに、ぼけとつっこみの独演会は続く。そんな元気な年寄りは、百寿まで長生きしそう、いやもう百寿なのかもしれない。

◆海原秀句鑑賞 野﨑憲子

砲弾の白煙止むや雪ばんば 赤崎裕太
 「雪ばんば」は綿虫のこと。雪蛍ともいう。初冬の頃、青白い光を放って飛ぶ小さな虫たちの乱舞。雪ばんばはウクライナにも居るのだろうか?この号の出る五月には平和が戻ってきていることを願ってやまない。

喪乱帖の王羲之唸る虎落笛 漆原義典
 喪乱帖は、中国東晋の書家で政治家の王羲之の手紙の断片を集めたもの。羲之も北方民族に悩まされていた。縄張りも、報復も、まっぴらだと感じていたに違いない。二十一世紀の虎落笛に王羲之の呻きを聞くとは、斬新。

先住の熊を起こさぬように行け 河西志帆
 地球誕生から現在までを一年としたら、人類が登場したのは大晦日だという。その人類の歴史は征服の歴史でもある。この「先住の」生きものを慈しみ共生の道をひらくことが、その思いを伝える俳句が、今まさに崖っぷちに居る人類を救う最後の切り札のように痛感する。

雪いつか本降り樅の立ちつくし 北村美都子
 雪国に住む北村さんには雪の名句がたくさんある。樅の凜とした美しい立ち姿が作者のイメージと重なる。楸邨の「落葉松はいつめざめても雪降りをり」も浮かんで来る。どちらも沈黙の世界の見事な映像化である。

手にアララギの実楽しいは正義です 黒岡洋子
 アララギの実は真っ赤。種に毒があるという。掌のアララギの実が語っているのだ「楽しいは正義です」と。そう!生かされているのだから〈どんな時も楽しめ〉が人生の醍醐味。破調ゆえの、溢れんばかりの自由がある。

めくられて十二月八日千切らるる 小西瞬夏
 十二月八日は太平洋戦争開戦日である。と共に、ジョン・レノンが凶弾に倒れた日でもある。『ジョンの魂』の中で、「今まで読んだ詩の形態の中で俳句は一番美しいものだ。だから、これから書く作品は、より短く、より簡潔に、俳句的になっていくだろう」と語ってる。ジョンも、〈五七五の力〉に注目したのだ。「めくられて……千切らるる」と日めくりに焦点を合わせた瞬夏さんの鋭い感覚。「十二月八日」が、鮮やかに立ち上っている。

棄民のまなざし元朝の神経痛人 すずき穂波
 「神経痛人」の連作五句「神経痛人ちりちりひらく蝉氷」「鶴唳や衣擦れに泣く神経痛人」……どの作品からも刺すような痛みが伝わってくる。多分だが、神経細胞にも及んだ重度の帯状疱疹のように思われる。ご自身の症状を直視し、表現した圧巻の作家魂に深く感動した。

雪片顔にひかり死はみんなのもの 竹本仰
 作者は、淡路島に住む真言宗の古刹のご住職。色んな死に立ち会ってこられた。「雪片顔にひかり」から、霊柩車を参列者が取り囲み見送るシーンのように見えてくる。「死はみんなのもの」は、いのちは一つの思いに繋がる。

母に会う七種粥の明るさの 月野ぽぽ
 コロナ流行前のぽぽなさんは、毎年、母の日に合わせてニューヨークから長野に住むお母様の元に帰国していた。その度に吟行や句会をご一緒するのが楽しみだった。夢の中でのことかも知れないが再会されたのだ。「七種粥の明るさの」に、優しくて気丈な母上の面影が浮かぶ。

異端もない破綻もない俳句じゃない 並木邑人
 大ベテランの一句に重みがある。異端も破綻も丸ごと取り込み熱く渦巻く最短定型詩、それが俳句。多様性がいのちともいえる。師も、芭蕉も、その当時の前衛の最先端だった。前衛とは始原を見つめる眼でもある。その中から「俳諧自由」の世界観が生まれてきたのだ。

人は人をつくらず地球がら空き 服部修一
 あらゆる〈いのち〉は海から生まれて来たという。海のような心で人が人を育む原点に立ち返らねば「地球がら空き」になるという警句。近未来の世界の天辺に立つ人よ、海のような人であれ!その君よ、疾く現れよ!

神は鷹を視ている鷹は私を視ている マブソン青眼
 大いなるいのちを通しての視座。南洋の島へ単身乗り込み暮らした青眼さんならではの断定が心地よい。神は青眼さんを視ている、ということ。大いなるいのちの世界こそ「いのちの空間」であり、生きとし生けるものの根源である。そして世界最短定型詩の源でもあるのだ。

梅咲きぬどの小枝にも師の筆先 村上友子
 村上さんは、梅の花の一輪一輪を師の筆先と捉えたのだ。この一歩踏み込んだ新鮮な把握に、梅の香が、より濃く匂い立つ。そして花の奥から師の眼が光り、ウクライナ侵攻を怒る師の声が「俳句にして世界へ示せ!」と大音声で聞こえてくる。

やわらかなおじぎをひとつ冬木の芽 室田洋子
 挨拶で始まり挨拶で終わる日々の幸い。やわらかな心に争いは無い。冬木の芽は春には爛漫の花を咲かせる。

◆金子兜太 私の一句

気力確かにわれ死に得るや橅若葉 兜太
 地球上最大規模の橅原生林を有する朝日連峰の麓に私は暮らしている。橅の芽吹きと新緑は、数多の広葉樹の中で際立って美しい。先生の産土である秩父の山々にも橅の林があるだろう。先生は橅若葉を眺めてとっさに死について考えたと。当時七十代の先生、気力も体力も人一倍あったのに、なぜ?橅若葉の中を行けば、いのちは永遠であるように思えてくる私には、大きな衝撃だった。句集『両神』(平成7年)より。新野祐子

どれも口美し晩夏のジャズ一団 兜太
 昭和37年3月。私は兜太先生と四谷駅で「海程」創刊号の原稿を持って来る初代編集者の酒井弘司さんを待って印刷所へ行き食事をして新宿の劇場に行った。電飾下の華やかなジャズ演奏など聴いていると、先生はポケットからメモの紙切れを出して「この句はどうだ」と言った。それが掲句であった。この句を見るたびに、海程創刊の先生の心意気と美意識をあの夜の字句のそれぞれに重ねて思う。句集『蜿蜒』(昭和43年)より。前川弘明

◆共鳴20句〈3月号同人作品より〉
〇印は2選者の共選句 ◎印は3選者の共選句

伊藤歩 選
樹の洞に小さき蛙春燈 大山賢太
冬の虫とんでもないと思われて 奥野ちあき
○細りゆくこころ深く切る梨の芯 柏原喜久恵
ハロウィーン改札通る魔女その他 片岡秀樹
駆け出せば木の実降るよう追われるよう 河原珠美
○人間であること寂し冬木の芽 北上正枝
大根の穴の数ほどある戦禍 木村和彦
○毛糸編みつづける友よ逃げなくちゃ こしのゆみこ
草虱生きる術など足りている 佐藤詠子
霜柱踏む今生の大切さ 佐藤紀生子
老人の靴大きくて冬の旅 篠田悦子
巻耳おなもみよ誰が居たっけこの更地 鱸久子
たましいの天秤冬の水平線 たけなか華那
寝ころんでおまえは冬の銀河だな 竹本仰
水琴窟静かに秋とすれ違う 董振華
水たまりに秋風の貌主役だろ 野﨑憲子
十三夜妻のハンカチぶかたち 本田日出登
鍵穴を失くした鍵のよう暮秋 宮崎斗士
蕎麦の花われもだれかの遠い景 望月士郎
ヒヤシンス死んだ理由は残さない らふ亜沙弥

中内亮玄 選
漂着の陽のしわしわの案山子展 有村王志
赤子が笑う満月笑う笑う 伊藤道郎
読まないで印鑑を捺す鳥雲に 植竹利江
銀水引微熱くらいの不平等 奥山和子
○羽後しぐれ人も野面も口籠る 加藤昭子
約束の言葉寂しき秋なすび 狩野康子
気の弱い鶏から先に風邪をひく 河西志帆
○星がシュルンとモミの木の入荷です 河原珠美
○冬ざれや積み木のような虚栄心 佐藤詠子
雪虫のすだくに妻の深眠り 関田誓炎
ため息を折り込む小指秋深し 高木水志
いつしかのロマンポルノと豆の花 田中信克
霜晴れをせり合う羽根の眩しさよ 董振華
心臓を無理なく生かせ冬来る 服部修一
雪見だいふく食べて火星に住むつもり 藤田敦子
地球との距離を律儀に初日の出 前田典子
冒険の日暮れは特に牛膝 松本勇二
ボーイソプラノ檸檬をきゅっと一滴 室田洋子
じゅわじゅわとしみでるヒトよ油照 森田高司
小鳥来るひたすら旅を言葉にす 横地かをる

望月士郎 選
木の洞のかなかなかなとふるへけり 内野修
亡夫の椅子名残の月と息合わす 狩野康子
○星がシュルンとモミの木の入荷です 河原珠美
水族館に魚の行進十二月 北上正枝
○毛糸編みつづける友よ逃げなくちゃ こしのゆみこ
我と吾林檎をひとつ齧りけり 小西瞬夏
敗者らに透く秋虹の脚太し 鈴木修一
○白桃や遺品のような小夜ひとつ 竹田昭江
陽炎も首など絞めてみる午後も 田中信克
こぼれ落つ乳歯石榴の酸っぱさに 東海林光代
不仕合せまじる仕合せ煙茸 鳥山由貴子
ちからしばひとりのときは力芝 平田薫
秩父嶺の厚き胸板八つ頭 藤野武
骨揚げを見ている遺影雁の声 船越みよ
このいのちかるしおもしと草の絮 前田典子
子供らと落葉を音に変えてゆく 松井麻容子
冒険の日暮れは特に牛膝 松本勇二
「はいどうじょ」ドングリ一個たまわりぬ 森武晴美
合わせ鏡の軽い幽閉さよなら夏 茂里美絵
夭折といふ綾取のまだ途中 柳生正名

森武晴美 選
掃き残す枯葉のような記憶かな 伊藤歩
山盛りの気骨崩るる後の月 太田順子
次郎柿甘やかされて取りそこね 奥山和子
台風の色蹴散らして進みけり 小野裕三
○細りゆくこころ深く切る梨の芯 柏原喜久恵
○羽後しぐれ人も野面も口籠る 加藤昭子
十三夜「月の砂漠」の眞子と圭 川崎益太郎
○人間であること寂し冬木の芽 北上正枝
吐息のような風の霜月涙腺がゆるむ 小林まさる
○冬ざれや積み木のような虚栄心 佐藤詠子
○白桃や遺品のような小夜ひとつ 竹田昭江
着ぶくれて逃げる記憶に追いつけぬ 立川弘子
くるぶしに絡まる凩の尻尾 月野ぽぽな
終焉の日も在る筈の暦買う 東海林光代
日向ぼこ何処かが痛い人が寄り 中村道子
祕佛てふ闇を受け入れ里の秋 間瀬ひろ子
風花や人のかたちをなす真昼 水野真由美
霧晴れて手足やさしくして歩く 横地かをる
ながさきの鰯雲美し死なめやも 横山隆
老兵はしゃしゃり出るもの曼殊沙華 渡辺厳太郎

◆三句鑑賞

駆け出せば木の実降るよう追われるよう 河原珠美
 時間に遅れそうと小走りになったところ、体の動きに心が釣られてよけいに焦った経験を思い出しました。森の中で突然前触れもなく木の実が落ちてきた時のドキドキ感と、鬼ごっこをした時のようなワクワク感。ちょっとした心の変化を、丁寧にしかも意外な二つの喩えで表現していて楽しい句でした。

大根の穴の数ほどある戦禍 木村和彦
 丹精して育てた大根を収穫した充実感。でも作者は、畑に残った夥しい穴に戦禍を連想しました。大根の穴のように身近にある戦争。この文を書いている今、テレビではロシアのウクライナ侵攻の映像が次々映しだされています。非日常がいつの間にか日常になる怖さを感じます。

霜柱踏む今生の大切さ 佐藤紀生子
 土を被ってるため気づかずに、大きな霜柱をごりっと踏むことがあります。そんな時「あっ」と思います。霜柱を踏んだことで強く意識される「今」。人には「今」しかないといいます。過去は取り返しがつかず、いくら心配しても未来はなるようにしかならない。だから今現在をしっかり生きろというのが、釈迦の忠告です。
(鑑賞・伊藤歩)

星がシュルンとモミの木の入荷です 河原珠美
 一読して、目の前にゴッホの絵画があった。具体的に何と言うのではない、例えば「星月夜」あるいは「星降る夜」、いや「糸杉と星の見える道」だろうか。動くはずのない星が軽やかに動き、現実世界ではモミの木が店に入荷されてくる。いや、私の目の前にモミの木があるのは、世界の隙間から星が入り込んだからかもしれない。

霜晴れをせり合う羽根の眩しさよ 董振華
 頬を切るような冴えた冬の朝、霜の白い結晶が光っている。きらきらと朝日に輝く繊細な光だ。しかし、次の瞬間にカメラは頭上に向けられる。映像は真っ青な空にむつみ合う小鳥たち。羽ばたきも、子どもたちが競い合うようで微笑ましく、その向こうには朝日が眩しい。地上も天空も光あふれる、今日はきっといい日だ。

ボーイソプラノ檸檬をきゅっと一滴 室田洋子
 男子の変声期前にしか出ない高音域は「天使の歌声」などとも呼ばれ古来より愛されてきた。作者は、この美しい歌声を、レモンを一絞りしたようだと例えて見せる。言葉では伝えることの難しい「声」が、きゅっというオノマトペとも相まって生き生きと伝わってくる。破調ながら、俳句ならではの「言葉の結晶」と思う。
(鑑賞・中内亮玄)

陽炎も首など絞めてみる午後も 田中信克
 二つの「も」によって並列された事柄が、隠れたあるものを指し示しています。それは「今日ママンが死んだ」数日後に犯した殺人事件のようなものなのか、それとも退屈な午後の白日夢なのか。意識的に芝居がかったと思われるこの句は、しかし、そのどちらでもあり、どちらでもなく、多分どうでもよいのでしょう。

骨揚げを見ている遺影雁の声 船越みよ
 静かに微笑んでいる遺影のその頬や顎の骨、頭骨や脛骨が目の前にあります。その遺影の視線、この生前と死後が互いを内包するような空間。そして箸を持てば鳥葬の鳥になった気分なのです。「ホラホラ、これが僕の骨」の中也に似て、読者のその時を既視に変えてゆきます。しばらくして、遺骨の後ろを遺影が歩いてゆきました。

「はいどうじょ」ドングリ一個たまわりぬ 森武晴美
 意味を追うと見えないのですが、隠れて読みに影響する声があるのです。この句では「はいどうじょ」の中に童女と泥鰌が見つかりました。すると童謡「どんぐりころころ」をBGMにして、不思議な童女にもらったドングリから始まる物語を、知らぬ間に読者それぞれが語り始めます。こんなこと俳句ならではの技法でしょう。
(鑑賞・望月士郎)

次郎柿甘やかされて取りそこね 奥山和子
 甘やかされてが次郎柿に合っていて、取りそこねで決まりましたね。得てして、長男は家督を継ぐので大切に、しかし厳しく育てられた。それに比べ次男は、比較的のんびりと甘やかされた。友人、知人の兄弟や姉妹にもその傾向が見られる。取りそこなったのはいったい何。取り残された次郎柿はどうなった。気になるところだ。

細りゆくこころ深く切る梨の芯 柏原喜久恵
 年齢を重ねていくと、今まで出来ていたことが、ふっと出来なくなる。その時の心細さ、このまま年老いて何も出来なくなるのではと、不安が心を過る。その思いを断ち切るように、梨の芯を深く切り取る。梨のザラッとした果肉の感触が、包丁を通して伝わってくる。細りゆくこころの表記が、凜として清々しい。

着ぶくれて逃げる記憶に追いつけぬ 立川弘子
 着ぶくれてが、なかなか効いていると思う。記憶力の低下は年々ひどくなり、悲しいと言うよりおかしくなってくる。昨日の逃げ足が一番早く、五十年前は逃げずにずっと居てくれる。身体的な老化も、精神面の老化も、仕方のないことだが、受け入れるのはむずかしい。着ぶくれて、昔の記憶と遊ぶことにしよう。
(鑑賞・森武晴美)

◆海原集〈好作三十句〉武田伸一・抄出

今生の右側には君蒲団干す 有栖川蘭子
寂しさの手が大根を摺り下ろす 淡路放生
愛されし記憶まるむる浮寝鳥 飯塚真弓
牡蠣鍋のまだ生臭き命かな 井手ひとみ
ゲルニカを鸚哥と観ている炬燵かな 上田輝子
発熱の君を包んで霜夜です 遠藤路子
大寒にして我が恋の決戦日 大池桜子
ぬかづくとはこのこと母の初参り 梶原敏子
公園に誰もいなくて脳死かな 葛城広光
日の本に生まれ睦月の握り飯 木村寛伸
水仙は少し物申したげ我のよう 日下若名
蜜柑むく一人芝居の気まずさに 小林育子
木枯しが母の話の邪魔をする 近藤真由美
弥勒像日向ぼこして坐しけり 佐竹佐介
囃されて赤ちゃん三歩春うらら 重松俊一
成人の日の振袖とコロナかな 鈴木弘子
綾取りのれては消える多角形 立川真理
人に尾の跡鯨に骨盤の跡 谷川かつゑ
「ご健脚ね」薄笑いする雪女 藤玲人
初鏡遠い母いて私です 中尾よしこ
不在の冬の菫のその向こう 服部紀子
去年今年昨日のケーキ持て余す 福田博之
スギハラの命のビザや冬銀河 藤井久代
年惜しむやがて校歌の消える村 丸山初美
冬紅葉残照にあり友の墓 武藤幹
用もなき背広かけ置く冬座敷 矢野二十四
水仙や抱かれて青き駿河湾 山本まさゆき
道まがれば橋遠ざかる暮の春 吉田貢(吉は土に口)
受刑服雪より白き過去包み 渡邉照香
寒満月浮かぶ地球のふかい闇 渡辺のり子

『海原』No.37(2022/4/1発行)

◆No.37 目次

◆海原秀句 同人各集より

安西篤●抄出

長命の虎の巻其の二猫じゃらし 綾田節子
羽後残照見開き悼武藤鉦二兄ひと言夜の灯 有村王志
冤罪は小さな箱の中粉雪 泉陽太郎
欠礼のはがきガラスに点る顔 市原正直
野仏の膝は日溜り冬の蝶 伊藤巌
冬薔薇を植え片思い日常に 大池美木
立冬の椅子の周りに椅子のあり 小野裕三
ブースター接種告知板から冬の蜂 桂凜火
ぞくぞくと冬芽哀しみは未だ半端 加藤昭子
沖縄にない狐火を表記せよ 河西志帆
しゃらしゃらと狐狸の目をして着脹れて 北上正枝
新資本主義群集の白長須鯨しろながす 今野修三
木の実ふるふる整理整頓苦手組 芹沢愛子
黄落や祈る形で佇めり 髙井元一
鳥風か追憶のページさざなみす 田口満代子
十二月選ぶ感情的な花 たけなか華那
冬蝶や誰も気づかぬ風がある 竹本仰
淡く濃く人はみな泣く桜かな 田中信克
つぎはぎの重い空から雪の花 中内亮玄
死なぬならまだのんびりと根深汁 中川邦雄
「照一隅」クリスマスの灯に隣るかな 新野祐子
早世の墓誌銘に触れ風花 根本菜穂子
若き白息伐られ大地に身を打つ木 藤野武
去年から開かぬシャッター冬銀河 藤原美恵子
枯菊を焚くや感情かをりたつ 前田典子
綿虫や二度寝のようにあなたと逢う 宮崎斗士
私の棲むわたしのからだ雪明り 望月士郎
月蝕やどこかで冬のサーカス団 茂里美絵
良縁をまとめどさっと深谷葱 森由美子
着膨れてアナログ気取る老教師 渡辺厳太郎

野﨑憲子●抄出

兜太かなおいと貌出す春の山 有村王志
白鳥のおさなり後ろ手に歩く 石川青狼
爪のびた〜港公園冬うらら 石川まゆみ
野仏の膝は日溜り冬の蜂 伊藤巌
その魚いずれやってくる冬至かな 上原祥子
富士薊ごつつい刺に雨滴溜め 内野修
仮面の赤アラビア文字の立ち上がる 大西健司
ゲルニカの馬のいななき人類よ 岡崎万寿
小春日が大好きなんだ鳶の笛 河原珠美
正義は直感すぐ折れる水仙 黍野恵
狩人にくっついていく風や雲 こしのゆみこ
つぶやきをAIききとってうさぎ 三枝みずほ
もみじ葉のはぐれて光となる遊び 佐孝石画
降り切って冬空太古の紺流す 十河宣洋
流感処分の鶏に隊列十二月八日 高木一惠
定住漂泊うつつごころに初しぐれ 田口満代子
蹉跌あり桜紅葉の黒き染み 田中亜美
吉野源流秋螢よろぼうて 樽谷宗寬
冬晴れの原爆ドーム命美し 寺町志津子
月冴ゆるぞっとするほど痛き街 豊原清明
「照一隅」クリスマスの灯に隣るかな 新野祐子
ゆつくりと昔をほどく大焚火 故・丹羽美智子
球音響く軍神二十歳の冬森に熊 野田信章
血管を見せにくる馬雪催 松本勇二
つくづくラクダおもいきり嚔して 三世川浩司
シナリオを捨てていよいよ冬の蝶 宮崎斗士
山眠る霊長類の笑い皺 三好つや子
どどん「どん底」客席にマスク百 柳生正名
ひとつたましい月光浴に焦げる焦げる 山本掌
柊の花より淡く母居たり 横地かをる

◆海原秀句鑑賞 安西篤

羽後残照見開きひと言夜の灯 有村王志
 「悼武藤鉦二兄」の前書きがある。「見開きひと言」は、秋田の武藤氏の在地とその句集への、親しみと敬意を込めた挨拶句であろう。昼間の仕事を終えた夜、机上に『羽後残照』を開いてひと言、「読ませて頂きます」と故人に挨拶して読み始めたのではないか。その開巻第一句を読んだとき、「羽後残照」を真浴びしたように体感したに違いない。「見開きひと言」に、作者の追悼の姿勢が深く刻み付けられている。

冬薔薇を植え片思い日常に 大池美木
 作者の本意がどういうものかよくはわからないが、冬薔薇を植えて、片思いを日常的に思い返したいと書いている。冬薔薇に、片思いにつながるものを感じているのだろうか。おそらくは遠い思い出で、思い返すたびに、ちょっと切なく、甘く、若やいだ気持ちに帰ることができる。冬薔薇の花の質感に呼び覚まされ、しばしその陶酔感に浸る気分を味わっている。冬薔薇のひめやかな気配にも合う。

しゃらしゃらと狐狸の目をして着脹れて 北上正枝
 「しゃらしゃら」は、薄い布などが軽く摩擦する様子を表す擬音語。ややマイナスよりのイメージで、軽薄さを暗示するという。「狐狸の目をして」とあるから、和服を幾重にも着込み着膨れている様は、狐や狸が化けたようにも見える。このような風俗風刺の句は、よほど自分がしっかりと立っていなければ悪ふざけになりかねない。ご主人を亡くされてなお、このように冷静な批評眼を失わない作者に脱帽する。

新資本主義群集の白長須鯨しろながす 今野修三
 今日の時事的課題を端的に取り上げ、生まの時事用語と比喩によって表現した野心作。俳句というより川柳に近い散文的批評性を持つ。「新資本主義」はいうまでもなく岸田首相が提唱した政治思想または姿勢で、中身はひと言で言って、所得格差を縮小して経済を安定させ成長と分配の好循環を図ること。「群集の白長須鯨」とは、いわゆるポピュリズムを指す。その口当たりの良さを読者に問題提起して、さあどうすると迫って来る一句。

十二月選ぶ感情的な花 たけなか華那
 十二月は一年の総決算の月だけに、日常はあわただしく、一年を振り返ればさまざまな思いも行き交う。その中で作者のいう「感情的な花」とは何で、「選ぶ」とはどういうことなのか。おそらく、一人ひとり違う花で、他人の花を賛美するというより、否定的に見たり、ねたましく思ったりしているに違いない。作者はそんな感情的な花をどう選ぶのか、まだ迷っているのかもしれないし、誰かに勧められたとしても、決して納得することはないだろう。そんな際どい心理を句にしたようにも見える。

淡く濃く人はみな泣く桜かな 田中信克
 桜は、日本人独特の無常観と結びついた詩歌の世界の代表的な花で、単に花といえば桜を指すとさえ言われている。だからこの句は、桜に寄せる日本人の通念的心情を、ごく庶民感覚的に書き留めたものともいえる。桜を見ては、「人はみな泣」いてきた。それは必ずしも悲しみばかりでなく、喜びに於いてさえ泣いた。その感情の圧力もさまざまで、時に応じて「淡く濃く」なった。上五に据えたニュアンスが桜の歴史的質感だった。

若き白息伐られ大地に身を打つ木 藤野武
 「若き白息」で切り、山深い森林で、伐採に勤しんでいる若者像が浮かぶ。中下では、伐られてどうと大地に倒れ伏す巨樹を描く。昔からある林業の実景だが、最近は我が国の林業も長引く不況と人手不足から存続の危機に立たされているようだ。その中で掲句のような大自然の原風景に立つ木の力感と若者の立ち姿には、生まの生きもの感覚が息づいていて、にわかに力づけられるような気がしてくる。

枯菊を焚くや感情かをりたつ 前田典子
 前掲たけなか句の〈十二月選ぶ感情的な花〉とは好対照の一句。たけなか句の方が心象映像的なのに対し、前田句は即物的な生きもの感覚ともいえよう。筆者は枯菊を焚くかおりを経験したことはないが、おそらくのこんのいのちを感じさせるような、老いの情念にも似た、かぐわしい「感情のかをり」があるのではないだろうか。枯菊の焼ける物音にも、激しく感情を揺さぶられながら。

綿虫や二度寝のようにあなたと逢う 宮崎斗士
 日常心理の襞を軽妙な比喩で新鮮に捉え返す感性において、作者の右に出るものは、わが「海原」においてもそうはいないだろう。冬のどんよりした日に、綿虫が白い灰のように二三そして四五と舞い上がってくる。その気配に二度寝のような倦怠感を覚えながら、「あなたと逢う」という。どうやら二人の間に漣が立ち始めたのかもしれない。こういう負の心理感覚は、この作者には珍しいものだが、これも作品世界の新しい局面として拓かれたものだろう。

◆海原秀句鑑賞 野﨑憲子

兜太かなおいと貌出す春の山 有村王志
 二月二十日の金子兜太師の忌日を前に稿を書き始めた。他界の師は、高松での句会へも来てくださっている気配がある。〈おいと貌出す〉がいかにも先生らしい。「海原」の将来を見守ってくださっていると確信している。

その魚いずれやってくる冬至かな 上原祥子
 一読、飯島晴子の言葉が蘇った。「……そのなかには、俳句という特殊な釣針でなければ上げることの出来ないものが、必ずあるという強い畏れを感じる。小さい魚だから小さい針とは限らない。大きい魚だから小さい針ということも成立つ」。そんな幻の魚を待っている人がここにも居た。奇跡は信じる人のところにきっとやってくる。

ゲルニカの馬のいななき人類よ 岡崎万寿
 ピカソが、母国スペインのバスク地方ゲルニカへの無差別空爆を描いた傑作「ゲルニカ」。絵の中の馬の嘶きは、ますます大きな叫びとなっている。今まさに崖っぷちにいる人類へ、掲句の問いかけが、さらなる珠玉の句を生み渦となり全世界へ広がるよう願わずにいられない。

正義は直感すぐ折れる水仙 黍野恵
 直感はほとんどが当たっている。正義は直感であると断言する作者。〈すぐ折れる水仙〉の切り返しが見事。でも束にしたら折れない。「花八手愛敬じゃなくくそ度胸」の句も、実に小気味よい。限りなく前向きな黍野さんの真骨頂の作品である。

狩人にくっついていく風や雲 こしのゆみこ
 風や雲が従ってゆく、この狩人はマタギ。天地に祈り感謝し、必要なだけ狩をさせてもらっているのだ。自然と共に生きることの大切さを教えてくれる作品である。こしのさんの作品には、愛が溢れている。

つぶやきをAIききとってうさぎ 三枝みずほ
 このAIは、兎の形をしているのだろうか、平仮名の真ん中にアルファベットの二字。なんだか風のリボンのように見えてくる。五句の中には「石仏を打つ雨わたし濃くなりぬ」「世界中の時計を合わすつめたい手」。鋭敏な生きもの感覚と宇宙をも俯瞰した俳句眼。金子先生にお会いしたかったと熱く語る彼女に、師は他界で頷きながら眼を細めていらっしゃることだろう。

流感処分の鶏に隊列十二月八日 高木一惠
 鳥インフルエンザに罹った鶏の殺処分報道の度、他に方法が無いのかと胸が痛む。〈鶏に隊列〉に続く、太平洋戦争開戦日。その通底するものに愕然とする。掲句は、人類の足元を見直す大切な警句であるとおもう。

「照一隅」クリスマスの灯に隣るかな 新野祐子
 「照一隅」は、長年、アフガニスタンに赴き、医師としての活動の枠を超え用水路の建設など現地の人たちに寄り添い続け銃弾に倒れた中村哲さんが愛した言葉。その仏教用語とクリスマスとの絶妙の対比。仏教もキリスト教もイスラム教も包含した他界、即ち「いのちの空間」へと向かう深い愛を見事に表現している。

ゆつくりと昔をほどく大焚火 故・丹羽美智子
 丹羽さんは百歳。齢を重ねるからこそ見えてくる世界がある。大焚火の炎の中に、色んな時間が浮かんでは消えてゆく。

球音響く軍神二十歳の冬森に 野田信章
 二十歳で英霊となったこの青年は野球が好きだったのだろう。〈冬森に〉に万感の思いが籠る。他に、「洗われて入れ歯カッカッ笑う冬」。野田さんの、傘寿を超えた今も健在の少年の眼差しと、深い俳句愛、そして真摯な生き様に限りなく憧れる。

シナリオを捨てていよいよ冬の蝶 宮崎斗士
 最後の「俳句道場」での閉会の辞を述べた宮崎さんの、バナナの化身のようなコスチューム姿が今も忘れられない。バナナが大好きだった師は、よく道場の机の上のバナナを眼を閉じて美味しそうに召し上がっていらした。この粋な芝居っ気に「海原」の僥倖を感じた。そう!シナリオを捨てて表舞台へ、冬蝶さんよ。これからが、いよいよ人生の本番。「海原」から新しい神話が始まる。

どどん「どん底」客席にマスク百 柳生正名
 猛烈なビートで、どん底を蹴飛ばしてコロナ後に新しい時代がやって来る。「布団の奥アンモナイトの息をする」「てつぺんでキューピー尖る師走八日」も柳生さん。始原から現代へ、様々な時代を詠み込み進化してゆく。これぞ『俳諧自由』の「海原」発、俳句新時代!

ひとつたましい月光浴に焦げる焦げる 山本掌
 この美しい調べに魅了された。〈ひとつたましひ〉の倒置の妙。月光浴に焦げるという感性の豊かさ、全身全霊で月光浴をしているのだ。まさに魂の歓喜の詩。

◆金子兜太 私の一句

三日月がめそめそといる米の飯 兜太

 飯粒の一つ一つの擬人化であろう。日本人なら毎日、口にしているそれこそ糊口である。作者の意図から離れて、改めて字句を追うと“ぞ”と読める。ネガティブな思いが浮かび上がってくるが完円ならぬ月に古来から米に纏る物語がここにある。米を作る人、それを食べる人が見えて来よう。狩猟生活から定住農業以後の道程という先人の営みの泥土と苦汁が見えて来るのではないか。句集『蜿蜿』(昭和43年)より。佃悦夫

木曾のなあ木曾の炭馬並びる 兜太

 俳句道場でのことでした。私が句稿を書く当番になり、あと一句兜太先生の欄が空いていました。鈴木孝信氏が優しく厳しく先生を見守っておられる。先生は「うーん、うーん」とうなっておられる。道場出席者全員のため誠実に考えぬかれる姿でした。とても懐かしい思い出です。この句の「糞る」は信州北信地方では日常使ってましたが、句に会った時は驚きました。句集『少年』(昭和30年)より。梨本洋子

◆共鳴20句〈1・2月号同人作品より〉
〇印は2選者の共選句 ◎印は3選者の共選句

伊藤歩 選
舌足らずの鬼灯一灯いかがです 石川青狼
訃は岬白い夜長のはじまれる 伊藤道郎
濁世美し解体現場の藪枯らし 尾形ゆきお
榧の実や受け入れること笑うこと 奥山津々子
大根や一粒の種みごとなり 尾野久子
捨田から始まる花野父点る 加藤昭子
北塞ぐ窓から夜の川流す 河西志帆
木の実落つ独りよがりの子煩悩 楠井収
群衆の眼に忘却の泡立草 佐々木義雄
鉦叩にんげんが急にあふれたよ 長谷川順子
葛の花だったような雨のいちにち 平田薫
蓑虫や笑顔をしまいかねている 藤田敦子
故郷遠し枝豆の湯気青臭く 藤野武
小鳥来る少しづつあきらめも来る 前田典子
能面の右目左目雪虫飛ぶ 前田恵
○犬抱けば犬も木霊を待ちをりぬ 水野真由美
もう隠せない秋バラそれぞれの深傷ふかで 村上友子
淋しらを洗濯する娘十三夜 森鈴
○夕かなかなちちはは水になる途中 茂里美絵
酒に泡浮き十三夜月咲いた 柳生正名

中内亮玄 選
新米の湯気にしばらく顔を寄せ 伊藤雅彦
骨上げのコトコト鳴りぬ今年酒 上野昭子
色即是空問題は秋の雨 大西健司
退屈は罠だ秋の蚊が匂う 尾形ゆきお
秋冷や我に「訓練」という輩 川嶋安起夫
既読既読玻璃の底なる十三夜 川田由美子
蟷螂のよそ見する間に駆落ちす 河原珠美
西鶴忌外科医の朱いスニーカー 黒済泰子
秋風の孕み楕円の路地に入る 佐々木義雄
まじめに泣く赤ん坊です天高し 竹田昭江
落花生パッキパッキの個性です 田中裕子
連雀や星ぼし速さ競い合う 豊原清明
色変へぬ松や多感な米寿なり 中川邦雄
寒月よ花挿すように絶句せよ ナカムラ薫
さりげなく墓仕舞のことちちろ鳴く 平山圭子
○腹やら腰やらずしりと笑う柿熟す 藤原美恵子
秋の蚊の離れたがらぬわが臀部 三浦静佳
猫の耳つまみ尽くして冬野なり 水野真由美
ふってきたどんぐりピカピカ児の歌も 三世川浩司
露草に雨腐れ縁のような雨 梁瀬道子

望月士郎 選
魂に宿る肉体白鬼灯 泉陽太郎
木耳のふくよか夕日の耳打ち 伊藤清雄
わたくしの内の雌雄や菊人形 榎本祐子
赤ちゃんも地球も丸い林檎剥く 大池美木
辞書の上空蝉ふたつ組み合はせ 木下ようこ
蝉時雨われを遠くにしていたる 黒岡洋子
老眼のツルとマスクの絡みかな 佐藤稚鬼
白曼珠沙華母の晴れ着の端切れです 鱸久子
漢字すべてにルビふる鏡花星月夜 芹沢愛子
切り取ってぺたっと貼った満満月 たけなか華那
すこしあかりを落とす身中虫の声 竹本仰
実石榴の軋んで少女たちの黙 月野ぽぽな
いぼむしり泳ぎ疲れたように街 遠山郁好
実紫ネパール人の密語洩れ 日高玲
紫苑とても遠い日があったむらさき 平田薫
花芒揺れて私という彼方 藤原美恵子
○犬抱けば犬も木霊を待ちをりぬ 水野真由美
まんじゅしゃげ白まんじゅしゃげ長い宿題 室田洋子
○夕かなかなちちはは水になる途中 茂里美絵
あかのままあだちがはらのあやとり 山本掌

森武晴美 選
台風接近真っ先に飛ぶ口約束 石川青狼
十六夜やコロナ以外のあまたの死 江良修
我が儘と自由の間濁り酒 大西恵美子
薄原遠くで呼ぶから答えない 奥山和子
手話の指秋の光を掬いあげ 狩野康子
やぶからし一行目からまちがえる 河西志帆
蔓ばらは身に曲線の支柱得て 北村美都子
感情だって夏痩せします自粛自粛 黒済泰子
握手してハグして青春マスカット 小林花代
雷のとどろき余生裏返す 佐々木昇一
コスモスに空は空色用意して 篠田悦子
独り身っぽい男が夫しゃくとり虫 芹沢愛子
被曝の葛被曝の柿の木を縛る 中村晋
水澄むやうらもおもてもなくひとり 丹生千賀
寝違えのこむら返りのからすうり 平田恒子
大胆に水溜りの月跨ぎくる 平山圭子
○腹やら腰やらずしりと笑う柿熟す 藤原美恵子
出不精でも引き籠りでもなし鶏頭咲く 深山未遊
落葉とマスク掃き寄せていて祈る 村上友子
目汁鼻汁干からびゆくよ赤のまま 村松喜代

◆三句鑑賞

訃は岬白い夜長のはじまれる 伊藤道郎
 比喩を使って、きっぱり言いきった書き出しに意表を突かれました。岬は、海に迫り出した陸の孤島。絶え間なく聞こえる波音と風音は、突然の訃報に、襲ってきた孤独感と、動揺する心の内を表しているようです。色の使い方も巧みで、これから始まるであろう眠れない長い夜を思い、暗澹とするのです。

小鳥来る少しづつあきらめも来る 前田典子
 「あきらめ」の内容によっては深刻になりがちなことも、擬人法を使ってさらりとうたっています。小鳥を見かけることが増え、嫌でも夏の終わりと秋の訪れを意識するようになった頃、季節の移り変わりと共に失っていく人や物。自身の老いと共に縁遠くなった行動などもあるかもしれない。三つに切れるリズムも句の内容を伝えてくれています。

犬抱けば犬も木霊を待ちをりぬ 水野真由美
 犬は興奮するとよく震えることがあって、そんな時抱きしめると、その震えが伝わってきて、その命に感じ入ります。言葉を使っての意思疎通はできなくても触れることで伝えたり共有したりできるものもある。一人と一匹が共有できた楽しい時間や感情を思い出しました。
(鑑賞・伊藤歩)

秋風の孕み楕円の路地に入る 佐々木義雄
 商店街の路地を歩けば、突き当りが楕円の広場にでもなっているのか、あるいは路地へ入っていく私の視界が丸く歪むのか、「楕円」のイメージが虚実を膨らませる作品。楕円の路地に楕円の私がさまよえば、くるり落葉を舞い上げて、たっぷりとぶつかってくる秋の風。療養中の作者には、新しい命をも感じさせるその風の重さ。

猫の耳つまみ尽くして冬野なり 水野真由美
 飼い猫を撫でながら、耳をマッサージしてやる。皆さんはご自分の耳をつまんでみて欲しい。さて、それは物思いにふけっているのか作句に悩んでいるのか、いずれにせよ何か考え事をしている時の姿ではないだろうか。本当につまんでいるのは猫の耳か私の耳か。生ぬるい被膜をつまんでいれば、枯れた冬野に行き当たった。

ふってきたどんぐりピカピカ児の歌も 三世川浩司
 どんぐりが降っている。子どもたちが歌を歌うなら、もちろん「どんぐりコロコロ♪」だろう。掲句は一読、コロコロをピカピカと替えた、動きの擬態語を形態の擬態語に替えた、つまらぬ工夫がされている。ところが、何度も読み返すうち、「どんぐりピカピカ」が実にいいことに気づく。子どもたちの目が、輝いている。
(鑑賞・中内亮玄)

辞書の上空蝉ふたつ組み合はせ 木下ようこ
 蝉殻のあの形態からすると、この「ふたつ」は相撲の蹲踞の姿勢から立ち上がり、組み合おうとする瞬間に似ています。土俵は辞書、できれば『大辞林』がよいでしょう。言葉という幼虫がこの林の地中にうようよです。完全主義を目指す辞書の上に置かれた空蝉=現し身。辞書と空蝉の軽重いの対比も妙です。

白曼珠沙華母の晴れ着の端切れです 鱸久子
 「晴れ着」と「端切れ」がアナグラムの関係にあります。このささやかな発見は、人の一生を鮮やかに象徴するものとなっていて、秘密を解く鍵のような効果をしています。赤ではなく白い曼珠沙華の斡旋も静かな毒を感じさせ、「ハハ」「ハレギ」「ハギレ」の頭韻も、なにやらの呪文のように秘密めいて響いてくるのでした。

あかのままあだちがはらのあやとり 山本掌
 全ひらがな表記、「あ」の頭韻、それに十六音中十一音を数える「A」の母音。「あかのまま」「あだちがはら」「あやとり」の三題噺を仕上げるのは読者それぞれに任されます。しかし、意味で繋ごうとすると途方に暮れるのです。抽象絵画における色、形、配置のように、言葉の戯れを愉しめば良いのでしょう。
(鑑賞・望月士郎)

十六夜やコロナ以外のあまたの死 江良修
 デルタ株が収束しつつあった昨年末、オミクロン株がこれほど蔓延するとは思っていなかった。毎日感染者は急増し、ワクチン接種は進まない。一方、コロナ以外の死も当然あるのだが、報道はされていない。作者は医療従事者として、その死に深く向きあっている。十六夜の月がやさしいのか、冷たいのか、胸中やいかに。

コスモスに空は空色用意して 篠田悦子
 空に空色は当たり前のようだが、案外少ない。冬は曇天だし、春には霞がかかり、梅雨空となる。コスモスが一番映えるバックは何か、やっぱり青空。濃い青色よりも薄い空色。空が空色を用意したと詠んだ作者の気持ちがやさしい。空色の空の下、それぞれの色を風に揺らして咲くコスモス。この風景をいつまでもと思えた一句。

寝違えのこむら返りのからすうり 平田恒子
 一読して思わず笑ってしまった。上五中七を「の」で繫いだことでリズムが生まれ、その流れがからすうりにうまく乗ったと思う。笑い事ではない、寝違えもこむら返りも、からすうりの色や形で救われたような気になる。からすうりも、よく詠まれる季語ではあるが、なかなか手強い相手。うまく処理した句と思う。
(鑑賞・森武晴美)

◆海原集〈好作三十句〉武田伸一・抄出

冬銀河柩にはふる十七音 有馬育代
冬蝶のステンドグラスとなり了る 淡路放生
折り目から地図破れゆく冬の雨 井手ひとみ
後輩の息子いっぱし阪神忌 植朋子
冬休み少女は安吾を読むと言ふ 上田輝子
すぐみかんとか出してくる母が好き 大池桜子
事始めとうカレンダー誰も来ぬ かさいともこ
入学の二日前から風呂にこもる 葛城広光
犬小屋に居らぬ次郎に冬桜 河田清峰
茶の花の明るい家の明るいひと 日下若名
スマホの手覚束無くて寅彦忌 古賀侑子
アフガンの飢えの紙面へ薯の皮 後藤雅文
十二月八日補聴器に雑音 小林ろば
どの人も師走になってゆく風か 重松俊一
我が生のここまで来たる木の葉髪 鈴木弘子
泣きそうに恍惚の中枯蟷螂 宙のふう
「ニーッ」といふは笑いの形受験生 立川真理
冬薔薇四季咲きといふ疲れかな 立川由紀
人といふ病ひのありてちちろ鳴く 立川瑠璃
キュビスムの句詠みたき夕焼ピカソ展 平井利恵
新しい資本主義とか枯空木 深澤格子
冬兆す出羽や荒ぶる神を抱く 福井明子
大根煮て醤油懐柔されにけり 福田博之
にぎはひの中心なからに老母春近し 松岡早苗
短日や地を打って竹籠を編む 村上紀子
盂蘭盆會戰に死にし碑は高し 吉田貢(吉は土に口)
水仙のピエロにみへてひきかへす 路志田美子
冬の雨言葉を探す医師の手美し わだようこ
大寒の虹骨壺に納めけり 渡邉照香
枯芒まだ返り血は乾かない 渡辺のり子

雪 大沢輝一

『海原』No.37(2022/4/1発行)誌面より

第3回海原金子兜太賞受賞第一作〔3回連作・その3〕

雪 大沢輝一

切切と雪に雪降り潟泊り
霏霏と雪鴉よ白くなりなさい
雪のメモ解読しない潟の人

冬の潟ごっつんこする硬い風
寒い潟僕のそびらを僕が押す
潟の鳥毀れて雪になったきり
冬の潟老婆ぽつんと吹き曝し
冬眠の爺婆すでに虫だった
おっ母よ潟の夜も雪が匍う
潟風の聲雪雪と聞え来る

沸騰 大沢輝一

『海原』No.36(2022/3/1発行)誌面より

第3回海原金子兜太賞受賞第一作〔3回連作・その2〕

沸騰 大沢輝一

冬の鳥作業衣のごと雨の中
冬鳥に生まれてそして潟は潟
冬の鳶なんども空にぶつかって

鴉からす雪風咥え啼けぬなり
雪の日の鷺閉じきって石器です
蘇るためまた潜るかいつぶり
水鳥の快感水を嚙み砕く
もうもうと白鳥生理急ぐなり
眠る白鳥柔らかな卵です
白鳥群啼くというより沸騰す

ピロピロ笛 鳥山由貴子

『海原』No.36(2022/3/1発行)誌面より

第3回海原賞受賞 特別作品20句

ピロピロ笛 鳥山由貴子

永遠の花野に軋む観覧車
左手が生む詩つぎのページに冬青の実
落し穴少し欠けてる冬の月
やさしさと赤いセーターちくちくす
雪降り積むかすかに蜂鳥の羽音
鳰を待つ夕暮色の椅子ひとつ
ハレの日ケの日鼠黐の実食べ尽くす
龍の玉まだあたらしき死者の声
水時計水の一滴ずつ凍る
冬銀河ガラスの階段踏み外す
一月のサイコロキャラメル展開図
誕生石は美しき血の色雪兎
手のひらに文鳥文庫二月果つ
フラスコの中で生まれてゆく海市
妄想の旅どの街も黄砂降る
わがままな私ときどきヒヤシンス
春泥を愛しどこまでも少女
街はきさらぎスパンコールを散らかして
春の蠅ガラクタの中にあるひかり
野遊びのようピロピロ笛を吹鳴らす

『海原』No.36(2022/3/1発行)

No.36 目次

◆海原秀句 同人各集より

安西篤●抄出

冬山のようななりしてお父さん 伊藤歩
覚束なく逝く夫照らせ石蕗の花 榎本愛子
綿虫が静かに降るよ名を呼ばれ 大池美木
銀杏大樹兄サが降りてきそうな日 大沢輝一
冬の雷不穏不穏と救急車 大西政司
ちひろ好きの亡妻つまの小机柿落葉 岡崎万寿
キスをする男と男鬼胡桃 小野裕三
十三夜「月の砂漠」の眞子と圭 川崎益太郎
枯すすき名もなき咎を負うがごと 黒済泰子
おびただしきにんげんの穴末枯るゝ 小西瞬夏
十二月八日火の芯となる折鶴か 三枝みずほ
石積みの力学美しき鷹渡る 重松敬子
返り花「何とかなる」をエールとす 篠田悦子
山眠るもののけ微かな息そろう 十河宣洋
白桃や遺品のような小夜ひとつ 竹田昭江
愛みたいな初雪の日の深呼吸 たけなか華那
考や妣かとおはぐろ蜻蛉追いにけり 樽谷宗寬
終焉の日も在る筈の暦買う 東海林光代
ハミングハミング空に白い曼珠沙華 遠山郁好
蟻君ありんこ忌夫婦漫才またトチる 遠山恵子(藤本義一の忌)
フクシマに冬蝿といるふたりごころ 中村晋
夕花野みんな忘れてしまふのか 野﨑憲子
木犀の気流に乗れば会えますか 服部修一
すすき原抜けては人の顔になる 平田恒子
秩父嶺の厚き胸板八つ頭 藤野武
人質のようコスモスのよう施設の母 松本千花
風花や人のかたちをなす真昼 水野真由美
ピアノの鍵盤キーぬぐいてよりの愁思かな 村本なずな
霧の駅から運命線にのりかえる 望月士郎
夭逝といふ綾取のまだ途中 柳生正名

藤野武●抄出

結び目にぴたりはまった今日の月 阿木よう子
初霜や腑に落ちぬ音が聴きたい 石川青狼
実柘榴や酸つぱいままの通学路 石川まゆみ
覚束なく逝く夫照らせ石蕗の花 榎本愛子
鍵盤に慣れる指から冬に入る 奥山和子
けはひ皆落とし物かな秋日向 川田由美子
星がシュルンとモミの木の入荷です 河原珠美
立冬の杉鋭角を貫きぬ 佐藤君子
雪虫のすだくに妻の深眠り 関田誓炎
やわらかきひき算の果て秋ほたる 芹沢愛子
時という分別箱へ木の葉かな 高木水志
着ぶくれて逃げる記憶に追いつけぬ 立川弘子
くるぶしに絡まる凩の尻尾 月野ぽぽな
終焉の日も在る筈の暦買う 東海林光代
糸屑とかパン屑とか秋の木洩日 鳥山由貴子
だぶつくものなんにもなくて枯野かな 丹生千賀
神の旅実家に寄りたい神もいて 野口思づゑ
祕佛てふ闇を受け入れ里の秋 間瀬ひろ子
感情のだんだん欠けて泡立草 松井麻容子
冒険の日暮れは特に牛膝 松本勇二
生牡蠣のかおりや末期癌のはなし マブソン青眼
仲直りのように仕上がる障子貼り 三浦静佳
セーターゆるく昼月がくすぐったい 三世川浩司
敗戦忌その名つぶやくたび笹舟 宮崎斗士
よそ見しているみたいなベンチに木の実降る 村上友子
ピアノの鍵盤キーぬぐいてよりの秋思かな 村本なずな
ボーイソプラノ檸檬をきゅっと一滴 室田洋子
白鳥がくるそらいろの方眼紙 望月士郎
じゅわじゅわとしみでるヒトよ油照 森田高司
ながさきの鰯雲美し死なめやも 横山隆

◆海原秀句鑑賞 安西篤

冬山のようななりしてお父さん 伊藤歩
 冬山は、草木も枯れ寂とした景観。この句の「お父さん」は、定年も過ぎ、なにやらしこしこと趣味の庭仕事や俳句などにいそしんでいる人。口数は少ないが自分の世界を持っていて、結構亭主関白を張っているタイプ。現役時代の颯爽さはないが、なんとなく隠然たる権威を感じさせる。その父の風采を、「冬山のようななり」とみた。作者はそんな父に親しみとたのもしさを込めて見つめている。「お父さん」の呼びかけに心情を込めて。

綿虫が静かに降るよ名を呼ばれ 大池美木
 綿虫は秋から冬にかけて出現し、時に燐光を発しながら大量に降るように舞う。「静かに降るよ」で切れているので、「名を呼ばれ」たのは作者。呼んだのは綿虫舞う空間の奥からの声なき声ではないか。だが文脈通りに読めば、綿虫が名を呼ばれたように出現して静かに降っているとも読める。その主体の転換は、中七の切れによるものではあるまいか。

おびただしきにんげんの穴末枯るゝ 小西瞬夏
 「おびただしきにんげんの穴」とは、どんな穴をいうのだろう。人間がすっぽり入る墓穴のような大きさの穴なのか、人間があちこちに掘り尽くした大小さまざまの穴なのか。前者なら死者を意味し、後者なら人間の手による戦争や乱開発の穴となる。上中の平仮名表記で、その双方を含む世紀末的世界が滲むとみた。となると「末枯るゝ」がにわかに重い意味を持つ。それは平仮名表記がかえって具象を超えた心象に接近したからであろう。

十二月八日火の芯となる折鶴か 三枝みずほ
 十二月に入って、テレビでにわかに開戦時の歴史を回顧する特集番組が組まれた。対米戦争に成算のなきまま突入せざるを得なかったのは、当時の国民感情や陸軍中堅層の意向に抗えず、徒らに引き返すべき時を失った政治の責任であることを痛感させられる。それは今日にも通ずる教訓だ。「火の芯となる折鶴」に、その象徴的映像をみた。火達磨となった平和の象徴としての折鶴だろうか。歴史の転換点に燃えるもの。

石積みの力学美しき鷹渡る 重松敬子
 「石積み」は、古城や長堤の石積みで、その力学的構成はまさに見事なオブジェとも見られる。そのオブジェの上を鷹が渡って行く。「美しき」はその景観への賛歌に違いないが、やや決まり文句と見られなくはない。だが「力学美しき」としたことで、型通りの形容句を脱した。月並みの景に生命力の重い矢を射込んだとはいえまいか。

考や妣かとおはぐろ蜻蛉追いにけり 樽谷宗寬
 考は亡父、妣は亡母。亡き両親を偲びつつ、池面を低く飛ぶ二匹のおはぐろ蜻蛉を目で追っている。やがて蜻蛉は空高く舞い上がって見失われるのだが、作者は亡き父母の行方のように、その飛び去った軌跡を追い求めている。ある日、ふと訪れた亡き父母への慕情。

木犀の気流に乗れば会えますか 服部修一
 木犀は仲秋の頃、細かい十字の花からやや甘い感じの芳香を放つ。久しく会わない人、それは想い人に限らず、懐かしき師や友、あるいは亡き人であってもいい。そんな会いたい人に、木犀の香りの気流に乗れば会えますかと呼びかける。そのおずおずとした語感に、抑制された情感、思いの丈が籠っている。

すすき原抜けては人の顔になる 平田恒子
 すすき原を抜けたら、人間の顔になったという。ならば、すすき原では何の顔だったのだろう。そこはすすき原にふさわしい生きものの顔。例えば狐とか山犬、あるいは鹿だったかもしれない。そして全力で疾走、やっと抜けて息弾ませながら、人間の顔に戻ったという。人心地ついたところだろう。その表情が、すすき原での心細さや怖ろしさを物語る。

人質のようコスモスのよう施設の母 松本千花
 老人施設に母を預けている。程度の差こそあれ認知症を抱えているが故の措置で、高齢化社会の直面している現実に他ならない。その母の姿を、「人質のよう」でもあり、「コスモスのよう」でもあると見ている。やがては自分自身にも及ぶことと知りながら、その現実をあわれとも、さびしいとも受け止めているのだろう。「コスモス」の揺れが、心のざわめきのかなしさを伝えている。

霧の駅から運命線にのりかえる 望月士郎
 この句も一つの境涯感と見られよう。「運命線」は手相の中の運勢を表す線。それを「霧の駅から」としたのは、茫漠とした生涯の先行きを、もはや運勢にまかせるほかはないと見たのだ。一種の諦念であって、意志的な選択ではあるまい。今やこういう句が多くなってきたのは、大きくいえば、日本社会の先行きに不透明感が覆いつつあるからともいえる。その現実にどう対処すればよいのか、おそらく誰にも正解はあるまいが、一人ひとりの生き方の中で問われている課題ではあろう。

◆海原秀句鑑賞 藤野武

初霜や腑に落ちぬ音が聴きたい 石川青狼
 軽やかな表現の中に、突き上げるような思いが伝わってくる句。予想どおりに淡々と過ぎてゆく今という情況に、作者はどこか認めがたい(あるいは妥協しがたい)ものを感じているのだろう。そんな現状を打ち破り、乗り越えてゆくために、(「初霜」という季節の節目で)何か納得がいかない音、胸に落ちない(尋常でない)音がして欲しい(聴きたい)、と(すら)思うのだ。それは喪失感と表裏?「聴きたい」という口語表現が切実。

実柘榴や酸つぱいままの通学路 石川まゆみ
 「通学路」というのは、おそらく小学生の通学路。もちろん作者が幼いときに通った路。その傍には柘榴の木があって、たわわに実をつけている。「酸つぱいまま」が上手いと思う。幼いということは、未熟ではあるが純で、愛おしいもの。そして通学路での出来事一つ一つが、(もはや二度と手にできない)何ものにも代えがたいものに思えるのだ。作者はそれを「酸つぱい」と感受する。今でも胸の中の通学路は「酸つぱいまま」にある。「実柘榴」が美しい。

星がシュルンとモミの木の入荷です 河原珠美
 絵本や童話のひとこまを見るような楽しさ。とにかく「シュルン」という擬態語が素敵。星が「シュルン」と流れ(あるいは輝き)、それが何かの合図でもあったかのように「モミの木」が、どさりと入荷した。あふれる樅の香り。華やぐ店先。もうすぐクリスマス。

糸屑とかパン屑とか秋の木洩日 鳥山由貴子
 ごくごくありふれた日常を、詩に昇華した。「糸屑」が服についているよ、とか「パン屑」が床に落ちましたよ、とかいった、日常のきわめて些細なことどもが、秋の透明な「木洩日」のもとに置かれて、とても大切な、珠玉のように感じられるのだ。ゆったりとした時間の中で、豊かに暮らす人間の姿が見えてくる。やわらかな感性。

だぶつくものなんにもなくて枯野かな 丹生千賀
 「枯野」を表現するに、「だぶつくものなんにもなく」とは、とても個性的。この措辞によって、無駄なものがすっきり削ぎ落とされた枯野が、鮮明に浮かんでくる。そんなシンプルなあり様は、作者にとって一つのあるべき姿なのかもしれない。そう考えるとこの句、作者の自画像にも見えてくるのだが。

神の旅実家に寄りたい神もいて 野口思づゑ
 やおよろずの神がいるという日本には、様々な神がいて、なかにはかなり人間くさい、決して立派とは言えないような方もいるのだ。陰暦十月、出雲に集うために旅をするという「神の旅」でも、そのついでに「実家に寄りたい」と思う神がいてもおかしくない。このぎすぎすした世の中で(とりわけ身動き取れないコロナ禍で)こんな(ゆったりした)心の余裕に、私達は、ほっと和み、なぜか喝采したくなるのだ。上質なウイット。「実家に寄りたい」に、妙なリアリティーがある。

冒険の日暮れは特に牛膝 松本勇二
 日が暮れるまで夢中になって遊んで、服に牛膝をいっぱいつけた少年(一人ぐらいは少女が混ざっている)一群の姿が目に浮かぶ。作者の少年時代の一光景にちがいない。「日暮れ」によって「冒険」の質が明瞭になる。でも子供たちは今、コンピューターゲームなどに夢中になっていて、この句の世界とはやや趣を異にする、というのが一般的な見方かもしれない。しかし注意深く辺りを見回してみれば、自転車でわざわざ遠くの公園まで出かけて行って遊んでいる一団や、キックスクーターの二人組が歩道を漕いでいる姿を見かけることもあるのだ。人間の本質はそう変わっていないのかもしれない。子供は(ときに大人も)自分の限界を超えたい、限界を広げたいという欲求に駆られる時がある。きっと「冒険」とはホモサピエンスの本質なのだ。そして今でも「冒険」は色あせない。この句の世界は単なるノスタルジーにあらず。私がこの句に魅かれる所以。

敗戦忌その名つぶやくたび笹舟 宮崎斗士
 「その名」とは、「敗戦忌」という名称そのものであり、同時に戦争で亡くなられたり傷つかれたりした方々の、具体的な名前でもあるのだろう。まことに頼りなげな「笹舟」は、戦争に翻弄されたそうした人々を象徴し、また、誰も脅かさず傷つけぬ、のどかなる平和の喩でもあると受けとれる。

ながさきの鰯雲美し死なめやも 横山隆
 「死なめやも」について、「め」は意志を表し、「やも」は反語と私は解釈した(文法が不得手なので自信はない)。(キリシタンの弾圧や原爆など)様々な苦難を乗り越えてきた「ながさき」の空に今、悲しみを癒すように「鰯雲」が美しい。ああもう死んでもいいと、ふと思う。『死のうか…』『いやいやまだ死なぬ。生きよう』と自問する。平仮名表記の「ながさき」が立体感を生む。こういう句を見ると、つくづく俳句という詩形の底力を感じる。

◆金子兜太 私の一句

とび翔つは俺の背広か潟ひとひら 兜太