『海原』No.21(2020/9/1発行)

◆No.21 目次

◆海原秀句 同人各集より

安西篤●抄出

蕗の葉煮る高倉健の味のして 綾田節子
紅枝垂れ病む肩に触れ背中に触れ 伊藤巌
木の芽雨一粒ずつ検品す 奥山和子
八月やしゅっぽと消えた縄電車 川崎千鶴子
菫買ったらうす暗がりもついて来た 黍野恵
孕み猫ぬっとコロナ禍のシャッター街 楠井収
茶髪のひとりは百日紅にもたれ 久保智恵
鏡の間にいるごとき春マスクマスク 黒岡洋子
コロナ禍の白透き通るガーゼかな 三枝みずほ
放心に色ありにけり青葉騒 佐孝石画
棺の兄子馬のように撫でられる 佐々木宏
黒ぶどう山と盛られてステイホーム 重松敬子
葉ざくら一本仮設住宅撤去跡 清水茉紀
蒼海を来てネモフィラの風となる 鈴木修一
じゃがいもの花に亡母ははいてむせぶなり 関田誓炎
顔無しの息ひそめゆく春の闇 高木一惠
走り書きほどのさみしさ麦黄ばむ 田口満代子
青葉騒だから押韻なのだから 田中亜美
ムスカリムスカリ母のハミングの聞こゆ 田中雅秀
夕焼けや切株のラジオより漫才 寺町志津子
春眠深し釈迦の掌中かもしれぬ 董振華
五月闇犯人のように独り言 峠谷清広
そうか柳絮になろう外出自粛 遠山郁好
蟻地獄脱ぎ捨てられし靴の数 鳥山由貴子
男去り鉄筋居並ぶ皐月闇 中野佑海
田水張る光源として人はあり 藤野武
オランダ屋敷四葩咲くときおんな声 増田暁子
花水木やわらかい言葉だけ残す 松井麻容子
著莪の花自粛を自粛したくなる 水野真由美
落丁のまた乱丁の夏の蝶 望月士郎

遠山郁好●抄出

頓挫する日常亀の鳴いており 浅生圭佑子
青芒村の存亡透かしおり 石川和子
母の日は昨日のつづきミシン踏む 石橋いろり
「お〜い伸よ!」五月の空より兜太の声 井上俊一
麦青む静かに青む手足です 大沢輝一
疲れます人人みんな深海魚 岡崎万寿
青葉風直線だけで描く身体 奥山和子
朧ろげな友よ朧の長電話 桂凜火
白南風や掬えるほどに澄む月日 川田由美子
霾風に振りむく逐われいるごとく 北村美都子
菫買ったらうす暗がりもついて来た 黍野恵
呼吸濃き色なりたるあやめかな こしのゆみこ
水を張り田は湖のまま我れ白し 後藤岑生
ラテ色に夏めく風の眼指は 近藤亜沙美
床に臥す銀河が我を揺さぶり来 齋藤一湖
葉にふれる風よはなればなれです 三枝みずほ
月光下吾歩まねば刻凍てる 佐藤稚鬼
祖の家や真面目に酸っぱい夏みかん 篠田悦子
栗の花ことばは朝の水たまり 関田誓炎
知性的に芽木野性として草原 十河宣洋
朝の蠅朝の光に手を洗うよ 中村晋
水に書く文字積りゆくステイホーム 並木邑人
水脈と水脈ぶつかるところ夏の星 根本菜穂子
夫摘みしサラダ菜春の雪みどり 長谷川順子
田水張る仏間に風を入れてから 松本勇二
真意言う指もて広げブラインド 三浦静佳
花いばら胸中急な雨に遭う 三浦二三子
夏夕べ橋に木霊の立ちもどる 水野真由美
髪洗う空中ブランコが見える 望月士郎
空耳の耳朶のあたりを春という 横地かをる

◆海原秀句鑑賞 安西篤

八月やしゅっぽと消えた縄電車 川崎千鶴子
 作者は広島の人なので、原爆忌を詠んだ句とみて差し支えあるまい。あの日、被爆地で無心に縄電車をして遊んでいた子供たちが、一瞬の閃光とともに「しゅっぽと消えた」。縄電車は発車しようとしていたところなのだろう。「しゅっぽ」の擬音が、子供たちの声で発せられた瞬間に、一切が消えたのだ。平和な日常が不意に断ち切られた事実をありのままに書いている。歴史の哀しみを伝える言挙げせぬリアリティの力。

孕み猫ぬっとコロナ禍のシャッター街 楠井収
 コロナ禍によって、各地の商店街は軒並みシャッター街と化した。アーケード付きの商店街だろうから、灯の消えたシャッター街は昼なお暗いゴーストタウンと化している。人通りの絶えたその街へ、ぬっとばかり一匹の孕み猫が登場した。死んだような空間に、生きもののいのちが現れたのだ。それもやがて生まれるいのちをも宿しながら。「ぬっと」にいのちの生なましさがある。

鏡の間にいるごとき春マスクマスク 黒岡洋子
 今や街中に溢れているマスクの群れは、街全体の表情を一色に掩っている。どちらを見てもマスクマスクで人の判別も難しい。あたかも童話の鏡の間にいる気分のようで、一向に落ち着かない。その不安にはいささかの苛立ちも混じっている。下五「マスクマスク」のリフレインは、単に景としての描写ばかりでなく、やり切れない気分の語感をも捉えている。

棺の兄子馬のように撫でられる 佐々木宏
 亡くなった兄を棺の中に収めて見送るとき、集った人々はこもごも亡き兄の頭や頬を撫でて別れを惜しむ。あたかも牧場の子馬を愛おしげに撫でる所作のように。それはまた在りし日の兄が子馬を撫でていた所作そのものでもある。作者は北海道の人だから、おそらく牧場で兄とともにしていた所作を、兄との思い出とともによみがえらせていたに違いない。

顔無しの息ひそめゆく春の闇 高木一惠
 「顔無し」とは、水木しげる作「げげげの鬼太郎」に出てくるのっぺら棒の大型の紙の妖怪だ。特に悪さをするわけではないが、ひょっこり現れては、人を驚かす。そんな「顔無し」が、春の闇の中で息をひそめて隠れている。誰か来たら、びっくりさせられるようなそんないたずらっぽい春の闇がうずくまっているような気がする。なにか面白い仕掛けがありそうな夜気。

青葉騒だから押韻なのだから 田中亜美
 青葉騒が吹き抜けてゆく森の中。その葉騒の繰り返す音が、いつのまにやらある韻律を持っているように聞きなしている。「青葉騒だから」に重ねて「押韻なのだから」と、自分に言い聞かせるように言う。「なのだから」と言いさしたまま口をつぐんで、そこから広がるものを読者に投げ返している。あるいは、そこから先は内面での推敲の世界に籠もるのかも。青葉騒にその気配だけを伝えている。

夕焼けや切株のラジオより漫才 寺町志津子
 夏の夕焼けの森の中で、ひと時の休息をとっている。おそらく伐採作業でもしているのだろうか。切株に携帯ラジオを置いて、聞くともなしに聞いていると、ラジオから漫才の声が聞こえてくる。静かに流れてゆく時間に、ユーモラスな声と話題が、夕焼けのひと時を和ませる。疲れた体から、くすりと笑い声が洩れる。

春眠深し釈迦の掌中かもしれぬ 董振華
 いかにも大陸的なスケールの大きい、寓話性に富む一句。中国の『西遊記』を思わせる世界。こういう持ち味は作者ならではのものかも知れない。「春眠深し」と夢の世界に誘っておいて、「釈迦の掌中」へと飛躍する。一句は「春眠」という季語の体感を書いている。それを日本人ならさまざまな春眠の微妙なアスペクト(相貌・表情)で書くのだが、作者は、おめず臆せず言葉の寓話的体感一発で書く。そのあっけらかんぶりがなんとも魅力的だ。

そうか柳絮になろう外出自粛 遠山郁好
 コロナ禍による外出自粛で、一時街中は火の消えたような閉塞感に蓋われた。そんなある日、ふと外をみると、柳の絮が軽やかに飛んでいる。「そうか、あの柳絮になろう」、いやなりたいと思う。そうなれば、外出自粛のうっとおしさも少しは紛れよう。もちろんイメージの上でのことにすぎないが、「そうか」といううなずき方に、その鬱屈の深さが測られる。

オランダ屋敷四葩咲くときおんな声 増田暁子
 長崎の名所オランダ屋敷。「おんな声」とは、歌謡曲「長崎物語」で唄われた「じゃがたらお春」を連想させる。四葩咲く雨の日のおんな声に、お春の望郷の思い止み難い哀しみに通ずるものを感じている。「よひらさく」という語感の響きが、柔らかく繊細なおんな声に通い合う。実在のお春は、ジャカルタで幸せな生涯を送ったらしい。

◆海原秀句鑑賞 遠山郁好

祖の家や真面目に酸っぱい夏みかん 篠田悦子
 大振りでごつごつの手触り、朴訥そのものの夏みかん。特に昔のそれは、今よりずっと酸っぱくて、捥がれないまま裏庭に落ちて転がっていたりした。その夏みかんを、真面目に酸っぱい・・・・・・・・とは言い得て妙。でもこの句の良さはそれだけではない。上五に祖の家と置くことで、先祖代々の篤実で生真面目な暮し振りが、金色に実る夏みかんの映像と共にこころ豊かに伝わる。ふるさとへの思いの厚さが、作者らしい卒直な切り口で鮮やかに描かれている。

花いばら胸中急な雨に遭う 三浦二三子
胸中急な・・・・と畳みかけるように始まるこの句、徒ならぬ気配を漂わせている。特にこの句の中で、胸中・・の一語が微妙な陰影を落とす。例えば、ずぶ濡れのどうしようもないわたしと、それを傍観者のように茫然と眺めているもう一人の自分が存在するような複雑なイメージ。そして然りげなく添えられた花いばらも想像をひろげる。まるで一篇の物語のプロローグの一行のような「胸中急な雨に遭う」に魅せられる。

菫買ったらうす暗がりもついて来た 黍野恵
 菫といえば星菫派に代表されるような可憐な花。その菫にうす暗がりを感じた作者。そのうす暗がりは、すみれが本来持っていたものか。それとも、花々で噎せ返るような花屋の片隅に潜んでいたものか。いずれにしても、すみれ色をした小さな生き物のようなうす暗がり・・・・・。そのうす暗がりが家まで付いて来たのなら、すみれと一緒に育ててみましょう。

真意言う指もて広げブラインド 三浦静佳
 真意はその反応や影響を思うとなかなか告げられないものだ。真意を告げる時の、自分の戸惑いを相手に見られているような気がして、何かに触れていなければいられないような居た堪れなさを感じることがある。それがブラインドの隙間に指を入れて広げる行為につながる。それが真夏のある日の光景と思えば、作者のこころのありようが一層強く想像されて切ない。

朝の蠅朝の光に手を洗うよ 中村晋
 東日本大震災以来、作者の中に棲み、知己のごと、分身のごとく時々顔を出す蠅。この句、今がコロナ禍でなかったら、平和な家族の一日の始まりの光景であったはず。でも今はこの蠅、感情の翳のように漂うものと読めてしまう。ただこの句、どこにもコロナ禍とは書かれていないから、そのまま日常詠と受け取っても十分魅力的だ。朝の蠅、朝の光と朝のリフレイン。その朝の光を切って飛ぶ蠅の羽音と蠅のもつ僅かな屈折感。そして呼びかけるような手を洗うよ・・・・・。どれも新しい今日の始まりと未来を予兆させる。敢えてそう読みたい。

田水張る仏間に風を入れてから 松本勇二
 田植前の水張田は空や木々やまわりの様々を映して殊更美しい。作者は、田に水を張る前に一見脈絡のなさそうな、仏間に風を入れると言う。しかしこう書かれて違和感はない。むしろ、そうすることが自然であるかのように思わせる生活に根差した真実が見える。水張田と仏間に纏わるそれぞれの人の思いを十分に想像させて、心に響く。作者の誠意や佇まいまではっきり見える。季節感濃く、簡明で味わい深い句。それにしても水と風は似合う。

白南風や掬えるほどに澄む月日 川田由美子
 梅雨が明けてさわやかな白南風の中に身を置くとき、震えるように繊細で透明な感性は、過ぎし月日を掬えるほどに澄むと感受した。歳月と言わず月日がいい。これまでの月日に耳を澄ませて、それらを包み込むよう純粋に肯定できる作者のこころに惹かれる。月日へのオマージュと優しい目差が感じられる。前を向き生きるせいの眩しさと共に。

夏夕べ橋に木霊の立ちもどる 水野真由美
 夏の夕べは、いつでもハッとするほど青く吸い込まれそうになる。そこには数多の哀歓を秘めた追憶のしるべのように橋が架かっている。そして異界とを自由に往来することができる。もちろん人ばかりでなく、深い夏の木々の精霊たちも。そう言えば、さっき去って行ったばかりの木霊が、迷子のようにふわふわ立ち戻って来ている。暫くは、この想像の翼に乗って遊んでみる。

葉にふれる風よはなればなれです 三枝みずほ
 風はいつも素っ気なく、もどかしいほどよそよそしい。そして通り過ぎるもの。風にはいつも疎外感が漂う。風とはそういうものだと解っていても、はなればなれですと言いたい作者。だけど人はそんな風が好き。きっと何かを運んで来てくれると信じ。だから、ときには風よなどと呼びかけたりする。が、相変わらず風は風であり、ひとのこころには寄り添ったりはしない。葉にふれる風の手って一体何色でしょうか。

◆金子兜太 私の一句

原爆許すまじ蟹かつかつと瓦礫あゆむ 兜太

 高校の時、詩歌に造詣の深い音楽の先生から「蟹かつかつと瓦礫あゆむ」は「作者の強い反戦の思い」と教わった。私達生徒は、リズム感あるフレーズを始終口にした。長じて海程入会三年目の平成23年、広島で全国大会があり、師を川崎千鶴子さんと平和公園(爆心地)をご案内した。慰霊碑の前で静かに佇まれた師。ご自身の句が平和に役立つよう常に願っておられた師との郷土でのかけがえのない思い出と共に大切にしている句である。句集『少年』(昭和30年)より。寺町志津子

霧の村石をうらば父母散らん 兜太

 金子先生が熊谷の新居に移られた折に、今は亡き先輩と共に先生宅に訪問しました。その帰り際に上掲「短冊」を頂く。以上は半世紀も前の昔のことですが、それ以来我が家の「家宝」として大事にしています。先生が育った秩父は山峡―なので霧が深い―山国を出ることなく暮らす老父母への愛情―を句にされたものと鑑賞。句集『蜿蜿』(昭和43年)より。本田日出登

◆共鳴20句〈6月号同人作品より〉
〇印は2選者の共選句 ◎印は3選者の共選句

石橋いろり 選

二・二六雪の話をするふたり 伊藤巌
大夕焼仙台空襲と見間違う 江井芳朗
春隣日矢の音叉のカフェテラス 榎本愛子
トゥーンベリ柳の芽の弾けるよ グレタさん 大上恒子
亡妻つま呼べば草田男碑あり枯木径 岡崎万寿
冬柏ざわざわざわと逢瀬かな 尾形ゆきお
義理の兄「よかばってん」と根深汁 片町節子
涅槃西風過去がだんだん丸くなる 北上正枝
官邸へ直進の犀夏の月 今野修三
オルガンの余韻棲みつく冬たんぽぽ 芹沢愛子
○煮凍りや真顔で「どなた」と仰せらる 中村道子
どの道も杳杳として3・11忌 並木邑人
水引いて小箱大箱りんご箱 服部修一
静かな看取り日溜りの冬の蜂 船越みよ
木星の匂いね新しい布団 前田恵
霞む比叡山ひえい影絵のように友病んで 増田暁子
堅雪や一茶にながき訴訟事 村本なずな
水温む気化してしまった昨日のこと 森鈴
ふらここやガーゼのように泡立つ日 茂里美絵
恐竜はほとほと滅びふきのたう 柳生正名

市原正直 選

薄氷をこわす音して密事 榎本祐子
鉄骨のぶつかる響き冬夕焼 川嶋安起夫
野火走る乳出す草を舐めてゆく 河西志帆
着ぶくれて悪党がいる父がいる 佐々木宏
伏せし本に背骨一本ありて冬 佐々木義雄
木の芽風あめ玉二つ分の欲 佐藤詠子
指紋なき白き雛の手夜に入る 竹田昭江
野遊びのみんなが消えた野が消えた 椿良松
とあるページ引裂くきさらぎの直情 鳥山由貴子
○煮凍りや真顔で「どなた」と仰せらる 中村道子
コロナショック顔半分の春マスク 西美惠子
あお向けの海に雲雀を放ちたる 藤田敦子
玄関に咳ひとつだけ置いてくる 松井麻容子
他界から出てきた足か春炬燵 松本勇二
姿見を出たがるしっぽ雛の夜 三好つや子
○雪晴や切字の如き斧の音 武藤鉦二
○花明り人みちあふれている無人 望月士郎
こわれものの形あきなう梅まつり 茂里美絵
遮断器の棹の弾みも初景色 梁瀬道子
恋猫の一目散という汚れ 横地かをる

伊藤巌 選

髪濡れしまま沈丁を深く嗅ぐ 大池美木
青の熊野に備中鍬というものを 大西健司
道問われ示す芽吹きのうすみどり 狩野康子
げんげ田の水がふくらむ急がねば 河西志帆
春宵ほろほろ見知らぬ犬と道連れに 河原珠美
春夕焼なんにもしない手を洗う 北上正枝
梅よ、師の逝きし日の吾の生れし日の 北村美都子
いちじくの若葉冷たき手を探す 木下ようこ
しんしんと空しみじみと大根煮ゆ 篠田悦子
少年に風青々と原野来る 中内亮玄
冬霧がときどきたずねてくるカモメ 平田薫
浅き春手の濡れしまま人迎ふ 松岡良子
芽木とわれひとつの影となりゆけり 水野真由美
立木生う春田となれぬまま九年 嶺岸さとし
あおさ採り岩に張りつく母の影 武藤暁美
○雪晴や切字の如き斧の音 武藤鉦二
○花明り人みちあふれている無人 望月士郎
○種袋はらからの息やわらかい 矢野千代子
なりゆきの静かに終ひ冬河口 横山隆
○美濃紙折り母の寝嵩を憶う冬 若森京子

川田由美子 選
舞うように種を蒔く人山の畑 石川義倫
誰かく影より淡くあめんぼう 伊藤淳子
アフガンは青し柩は白し冬 稲葉千尋
病状にやわらかな揺れ薄氷 宇川啓子
ベビーカー春と並んでやって来る 奥村久美子
LPに落とす針先蝶生まる 片岡秀樹
失われし鑑真の眼の春の星 佐々木香代子
月あがる素朴が嬉し三月は 関田誓炎
やまとことのは葱美しき水辺かな 田口満代子
墓洗う一番明るい影つれて 舘林史蝶
青き踏む体のうろが軋みけり 中内亮玄
雪柳わたしも揺れていいですか 中條啓子
春の野に入口ぽろんと置いてきた ナカムラ薫
眠る星ひとつぶ呑むや夢深き 藤盛和子
白鳥は栞であった春隣 北條貢司
太陽の程よき重さ野遊びは 宮崎斗士
白葱やただ一行の母の文 武藤暁美
梟棲む父の分厚き日記かな 武藤鉦二
○種袋はらからの息やわらかい 矢野千代子
○美濃紙折り母の寝嵩を憶う冬 若森京子

◆三句鑑賞

官邸へ直進の犀夏の月 今野修三
 コロナ禍で、国のリーダーの資質の重要性をこれほど感じたことはない。今はカケ・トモ・桜問題は置いておいて、国民はコロナ危機への知恵のなさに怒っているのだ。犀は国民であり、もしかしたら、兜太先生のスピリットかも。犀の重量感と勢いがこの句の真骨頂。夏の月は迷う所。

水引いて小箱大箱りんご箱 服部修一
 作者は颱風銀座の異名を持つ宮崎県の方。ここ二年の大豪雨の実景であろう。地域や時間を限定せずとも普遍性がある。豪雨の後の広く散乱した家財。否、カメラを遠景からズームインしていき最後にりんご箱に焦点が合うことで、リアリティが増すようにも読み取れる。シンプルな素材を効果的にリフレインしたとこがうまい。

堅雪や一茶にながき訴訟事 村本なずな
 一茶の生い立ちを辿ると句柄とは程遠い骨肉の争いが横たわっていた。父親の遺書を頼みに北信濃の実家の遺産分与を十年に及ぶ訴訟の末勝ち取った。同じ長野出身の作者には身近な題材であり、堅雪は肌感覚の季語なのだろう。一度融けかかった雪が冷え込んで凍りつき堅くなった雪。人間関係の雪解けも難儀だ。季語がうまく嵌まった。
(鑑賞・石橋いろり)

コロナショック顔半分の春マスク 西美惠子
 コロナショックは令和二年の事件として、歴史に残るから、この句は将来名句になるかもしれない。この時期コロナ禍に関連してマスクの作品が多く見られたが、マスクは冬の季語だということを忘れた季重ねが散見された。マスクしたご婦人の年齢を当てさせるコマーシャルがあった。顔の下半分の手入れが悪いと老け顔になるという化粧品の宣伝。マスク美人の多いこの頃、マスクをはずした時のまたちがうショックが恐ろしい。

雪晴や切字の如き斧の音 武藤鉦二
 同時に、蕪村の〈斧入て香におどろくや冬こだち〉を思い出させる。斧の音を響かせるのは俗界との結界を求めたこころ。孤独というより自尊独歩の生きざまを鼓舞させる。

こわれものの形あきなう梅まつり 茂里美絵
 梅まつりの頃はまだまだ寒いが、その縁日で骨董もどき古道具類を並べた露店の様子が見えてくる。かって実用だった物の陳列は、一部に欠損などあってもなつかしい文化・思い出のかたまりである。それは古くなったから駄目でなく、むしろ熟成の慈味が出てくる。梅まつりという新たな季節の先ぶれは、こわれものと自虐する晩成のひとりを励ましている。
(鑑賞・市原正直)

げんげ田の水がふくらむ急がねば 河西志帆
 故郷の春・営みがぱっと浮かんでくる。水がふくらむいそがねば……、ああそうだったなとしみじみ思う。長い厳しい冬を過ごす地方の春は一気にやってくる。雪解けを待ちきれないように、梅、桜が開き、田にはれんげの花。そして田打ち、田植え……、そう春を喜んでばかりはいられない。厳しい辛い日々もやってくる。

立木生う春田となれぬまま九年 嶺岸さとし
 田圃は一年遊ばせると、原野に帰る。草ぼうぼうになるばかりか保水力が無くなり、復元は大変な作業になる。3・11からもう九年、いまだ原発の廃炉、除染の見通しも立たない田圃には、草どころか木が生え育っている。今はもう春田の時期。一番活気づく命の季節でもあるのに……。目をそらせないテーマがますます増えていく。

雪晴や切字の如き斧の音 武藤鉦二
 厳しい自然、大地に深く根を張ったような句に魅かれる。雪晴れの朝、ピーンと張りつめた空気、山仕事の緊張感が伝わって来る。斧を振るうたびに飛び散る木っ端、あたりに新鮮な木の香りが広がる。波郷の句に読まれた切字とは違った鋭い感じがいい。こんなふうに切字が使えたらとも思う。谺のように何時までも残る斧の音。
(鑑賞・伊藤巌)

誰か咳く影より淡くあめんぼう 伊藤淳子
 通りすがりの誰か、あるいは記憶の中の誰かだろうか。幽かなしわぶきの気配。作者の意識の中に影のように開き消えていった何か、それは作者の意識のまたたきそのものかもしれない。影より淡い、あめんぼうのような自意識。やさしさ、あきらめ、かなしみの影が見えてくる。

やまとことのは葱美しき水辺かな 田口満代子
 「やまとことのは」は、いわゆる「大和言葉」ではない。「やまと」と「ことのは」が、合わせ鏡となって見えてくる。作者は遠く倭の国にまで思いを馳せているのだろうか。永々と積み重ねられてきた人の営み、戦、歴史。全てが溶け合い、今、美しい風土となり作者の前に立ち現れる。手から手へ、心から心へと受け継がれた「ことのは」は、風土を湛えた多層のグラデーションである。

春の野に入口ぽろんと置いてきた ナカムラ薫
 春の野のやさしさ、春の訪れとともにやわらかくなってゆく心持ちが、「ぽろん」の音から感じられた。「入口」は、作者が春の野を踏みしめたその一歩、春の野に迎え入れられた最初の感触のようなものと受け取った。その「入口」が遠く定かでなくなるほどに、作者は春の野に包まれている。
(鑑賞・川田由美子)

◆海原集〈好作三十句〉武田伸一・抄出

菖蒲葺くアルコール消毒の香り甘く 有栖川蘭子
夕焼けは私が沈むナルシシズム 泉陽太郎
葬儀する父のするめの役終わる 荒巻あつこ
燃えるのよ花も至誠もすべからく 飯塚真弓
時々サングラスをかけ独裁者 植朋子
てふの仲一時も縛るもの無き 鵜川伸二
この薔薇の門をくぐれば帰れない 大池桜子
雪渓や仮面護ろうとする本能 大渕久幸
尻振って狩する構え春の猫 かさいともこ
赤ん坊耳だけ大きくつくられて 葛城広光
乳飲み子に男の眼玉さくらんぼ 木村寛伸
八十八夜乱筆乱文恋しくなる 木村リュウジ
父母の墓抱く山より初音して 清本幸子
春の夢ずーと笑っている私 後藤雅文
ジャスミンと鉄線絡み合う無口 小松敦
桃咲いて李白の一村現れる 重松俊一
蟻落ちる子供の手より地獄へと 鈴木弥佐士
飛行機の影また過る茶摘かな ダークシー美紀
忘れればいいんだふわぁと終える春 たけなか華那
きのうより強い蚊のいる寝屋に行く 立川真理
ホームステイ晴れときどきチンアナゴ 谷川かつゑ
太陽の匂いがします更衣 千葉芳醇
桜の実終生脇役で光る 中尾よしこ
心折れふらここに乗る強く漕ぐ 仲村トヨ子
祖国といふとき梧桐のはにかみ 深澤格子
初鳴きの染み込んでゆくシャッター街 保子進
青空という拘束郭公は破る 松﨑あきら
春の燈やあまたの奈落ありといふ 武藤幹
隠元豆煮染める窓に海せまり 吉田貢(吉は土に口)
夜光虫父にまばゆき癌の点 渡邉照香

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