『海原』No.59(2024/6/1発行)

◆No.59 目次

◆海原秀句 同人各集より

安西篤●抄出

空蝉のこの反戦の形かな 有村王志
不時着の私でおります青鮫忌 石橋いろり
春雨を待つ間の山の微動かな 大野美代子
窓光るどこかにきっと桃畑 奥山和子
春雷や非常階段夜へ伸ぶ 片岡秀樹
鳥に人にそれぞれ居場所冬の島 桂凜火
鳥帰る今日オスプレーが飛んだ 河西志帆
日脚伸ぶひねもす人間模様かな 北上正枝
風花や次まで待とう銀河鉄道 倉田玲子
ゲルニカを背に百年の雛飾る 黒済泰子
熨斗紙の筆圧にある淑気かな 佐藤君子
能面の眼光動く多喜二の忌 清水茉紀
建国の日靴下の穴あいたまま すずき穂波
思っていた老いとは違うふゆざくら 芹沢愛子
生きてると能登枯露柿の便りかな 高木一惠
この星にガザあり驢馬につぶらな眼 中村晋
つなぐ手は互いの介助春の雲 野口佐稔
たねをの忌深夜のシヤドーボクシング 野﨑憲子
雛の間に雛の息あり溢れおり 日高玲
飢餓のガザ能登の水辺に蘆の角 平田恒子
水仙の一輪婦人科検診車 藤田敦子
遠雪崩やわらかな秒針の軌跡 藤野武
摘草のうつむく角度ガザよ能登よ 宮崎斗士
三叉路に阿修羅が立ったまま三月 望月士郎
冬青空「嘆きの壁」のいろいろに 森鈴
揺れゆれるコスモス或るときは訃報 茂里美絵
何色の恋したのだろう毛糸編む 森由美子
ふかふかのカフカと名付け雪兎 柳生正名
背に踊るIDカード春一番 山本まさゆき
風の足風のげんこつ青芒 渡辺のり子

日高玲●抄出

雪女になると出て行く入試の子 石川和子
ヌサマイ はすごおり
幣舞の夕日乗っける蓮氷 石川青狼
口開ける妻はひな鳥雑煮膳 伊藤巌
掌に仏のごとき海鼠かな 榎本祐子
パンジーや恋愛同盟結びたる 大池美木
隙間から姉の音して日脚伸ぶ 小野裕三
外厠鬼火見たのは五歳いつつです 加藤昭子
気が折れて春の銀河の母を呼ぶ 川崎千鶴子
白湯飲みて軀薄めて春田ゆく 川田由美子
出目金がてらてら所帯くさくなり 河西志帆
雁や一族の遺影崖のごとし 黒岡洋子
シャッターを待つ顔のまま二月尽 小松敦
クリオネを見てから糸が通らない 佐々木宏
いちめんの雪に私という天体 清水恵子
安曇野を綴じる縫い針春の雨 鱸久子
思っていた老いとは違うふゆざくら 芹沢愛子
みずうみの色に風花溶けゆけり ダークシー美紀
縄文の鬼は一つ目春の雪 高木一惠
痛いのが詩ですあなたが踏む落葉 竹本仰
遠雪崩手のなかに螺子螺子回し 鳥山由貴子
朝日の中受験子の手へ父の時計 中村晋
立膝のキムチ売る婆雪降り来 新田幸子
啓蟄や電車の中で盛るまつげ 根本菜穂子
恋猫がまず踏んでいく朝の雪 野口佐稔
さよならの遠因となる牡蠣フライ 松本千花
アンモナイト自虐と書いて消して雪 茂里美絵
丸善に亡夫来てるかも文化の日 森由美子
被弾遙けくはうれんさうの胡麻よごし 柳生正名
炬燵でひそひそ鷲鼻の客と父 梁瀬道子
撃ち方やめい!石鹸玉が飛んで来た 矢野二十四

◆海原秀句鑑賞 安西篤

空蝉のこの反戦の形かな 有村王志
ゲルニカを背に百年の雛飾る 黒済泰子
この星にガザあり驢馬につぶらな眼 中村晋

 ウクライナ戦争の長期化に続いてイスラエルとハマスの衝突が起こり、いまや世界は地政学的リスクによるキナ臭い匂いに満ちている。不穏な気配に包まれた日常詠。
 「空蝉」。成虫が脱け出した後の蝉の殻に、反戦の形が浮かび上がるという。蝉殻は木にしがみついているし、殻の背は縦に割れているので、真っ直ぐになにかを叫んでいるようにも見えてくる。すでに空蝉と化したのは、その叫びもむなしくなったとの思い。それを庶民のささやかな反戦の形と見立てたのだろうか。この句の「かな」の切字には、その空しさもこめられていよう。
 「ゲルニカ」。一九三七年、ドイツ空軍爆撃によるスペイン北部の小都市ゲルニカの悲劇をピカソが描いたことで有名。その複製の画像を背景に、百年の歴史を持つ古雛が飾られている。戦争と平和を象徴する対照に、今ある平和こそ悲しみの歴史の上にあることを訴える。そこにこの句の本意が見えてくるのではないか。
 「この星に」。昨年十月に始まったパレスチナ自治領ガザ地区におけるイスラエルとイスラム自治組織ハマスとの戦争は長期化し、種子島程度の地域に二百万を超える人口が密集しているため、市民の被害は大きく拡がりつつある。「驢馬につぶらな眼」には、無辜の非戦闘員の救いを求める姿がある。現実には、双方に悲劇的な歴史の記憶があるため、戦いは容易に収束せず、今なお市民救済への道のりは険しい。

島に人にそれぞれ居場所冬の島 桂凜火
 この句の「冬の島」は、特定されてはいないが、おそらく日本海に面した寒さの厳しい島ではないか。環境の厳しさの中、まずは自分で自分の身を守る覚悟がいる。また限られた状況での居場所を見つけなければなるまい。そこに生きていく以上、それぞれの居場所での分かち合いも求められよう。それは交流する人々の共感に支えられながら、己の存在を成り立たせている。石垣りんの詩「島」は、「私」という小さな存在に、「島」という大きな存在を重ね合わせているが、掲句の「島に人に」にも同じ思いがあったのではないだろうか。

日脚伸ぶひねもす人間模様かな 北上正枝
 冬至を過ぎると、日一日と日差しが伸びて暖かくなり、春が近づいてくる。「日脚伸ぶ」は、人々を励ますように、一日中その動きに温みを添えてゆく。それとともに人々のおしゃべりや動きも賑やかになる。そこに広がる人間模様は、さまざまな舞台を繰り広げながら動き出す。「ひねもす」とは、「ひもすがら」を意味するが、どこかゆるやかな舞台回しをしている一日のように感じられる。それは、「人間模様かな」の、「かな」の切字による言葉さばきの効果かもしれない。どこか「かなしびを添える」(楸邨)ような響きが伝わる。

思っていた老いとは違うふゆざくら 芹沢愛子
 「思っていた老いとは違う」とは、程度の差こそあれ、誰しも思うことではないだろうか。曽野綾子は著書の中で「人間誰でも最後は負け戦」と書いている。この句にも、「こんなはずじゃなかった」とでも言うような感じがある。決して一生懸命やってこなかったわけではないのに、というニュアンスも。曽野は、運命を承認しないと死は辛いともいう。想定外の老いとはいえ、まだ少し淋しい「冬桜」であっても、花が開いただけでもよしとするか、と言っているかのようだ。

つなぐ手は互いの介助春の雲 野口佐稔
 老夫婦の老老介助ではないだろうか。つないだ手は、どちらから求めたわけでもなく、自然の成り行きのように、差しのべ合ってつながれたのであろう。それはお互いを支え合ういつもの仕草となっているものだ。二人のまなざしは、同じように春の雲へ向かっている。そこには、二人にとって、一つの絆の像として重なる時期を知らしめる時が来ていたともいえよう。

水仙の一輪婦人科検診車 藤田敦子
 婦人科検診車は、女性の疾病とりわけ癌の早期発見等に有効な働きをすることで知られている。ことに医療設備の十分でない地域においては貴重な存在だ。婦人科だから、女性看護師が同乗していて、検診車から降り立った場面を予想する。それは水仙の一輪のような清楚な立姿。これから病院へ送られていく患者にも、ほっとした安心感が広がるに違いない。

冬青空「嘆きの壁」のいろいろに 森鈴
 「嘆きの壁」とは、紀元前二十年に作られた神殿の外壁で、エルサレム旧市街に現存する。十九世紀のヨーロッパの旅行者が、この壁を「ユダヤ人が嘆く場所」と呼んだことに由来するという。掲句の「嘆きの壁」は、そのような歴史的に特定されたものではなく、自分の心の周辺にある「嘆きの壁」とみたい。括弧書きしてあるのは、その「嘆きの壁」にもいろいろありましてとばかり、冬青空のような寒々としたさまざまな心模様を描き出す。

◆海原秀句鑑賞 日高玲

口開ける妻はひな鳥雑煮膳 伊藤巌
 長年連れ添って、今、老いの病を得た妻に正月の雑煮を食べさせてあげている景。ひな鳥が口を開けて親鳥から餌をもらう姿のようだなと内心思っている作者。そこはかとないユーモアのあるおかし味があって、明るい広やかな気分が滲みでる。人間らしい温かみで、句全体が包まれている。同じ作者に

白寿の妻見舞うときめき冬牡丹
 ときめき、の措辞に冬牡丹が響き、典雅な情感を醸す。

掌に仏のごとき海鼠かな 榎本祐子
 仏は常におわせども――と古い歌にあるように、掌の海鼠が仏に見えたとしても特に不思議ではないでしょうが、それでもちょっとおどけた、仏のごとき、の喩が海鼠の姿と比して面白いと思いました。掌の海鼠に祈りを捧げてから酢海鼠にして一献頂くのでしょうか。ところで、仏には仏陀の意味の他に死者、故人という意味もあって、いささか紛らわしいとも思いました。

隙間から姉の音して日脚伸ぶ 小野裕三
 オーケストラの編成楽器のように、個々人にはそれぞれの発する独自の音があって、共に暮らす家族は、どの音が誰のものなのか、熟知しているもの。二階からでも、隣室からでもない「隙間から」の措辞から、襖などで仕切られた日本家屋が想像される。隙間から覗いてしまった「見るなの部屋」のようなミステリアスな雰囲気も混じります。この隙間という仕掛けと、姉の声、などではなく、姉の発する音、としたところで空想の幅が広がります。日脚伸ぶという季によって、姉のもつ温かい雰囲気や、姉の全体像もそれとなくほんわかと伝わってきます。

外厠鬼火見たのは五歳いつつです 加藤昭子
 昔、田舎の祖父母の家に遊びに行ったとき、たしか外厠があったなと、幼いころの記憶を手繰り寄せました。夜、母屋を出て外の厠に行くのは、幼い者にとっては勇気がいること。傘付きの裸電球がぽっちり灯っている景が想像されます。もちろん、水洗トイレではありません。厠の窓から月光が射しこんでいれば良しとしますが、無月という時も、雨や雪の時もあります。そこに鬼火が!生涯忘れられない外厠の風景が蘇ります。

白湯飲みて軀薄めて春田ゆく 川田由美子
 己の身体が、外部の自然世界から否応なく分離してしまっている、といった痛みにも似た鋭い身体感覚。どこか煮詰まってしまっているという焦燥感。白湯を飲んで、鬱屈しない健やかな身体になって春の田に溶け込みたいというのは現代人の願望とも思われます。〈白い人影はるばる田をゆく消えぬために〉の句がなぜか想起されます。

出目金がてらてら所帯くさくなり 河西志帆
 目玉がぎょろりとしているため、出目金と呼ばれている男の話でしょうか。額には中年の油をてらてらと浮かべて、いつの間にか所帯くさくなった出目金という異名の男を揶揄しているのでしょうか。あるいは逆説的に愛情を伝えているのかな、など想像を逞しくしてしまいました。言葉にさばさばとした勢いがあって楽しい作品。

雁や一族の遺影崖のごとし 黒岡洋子
 旧家の座敷の鴨居にズラリと懸けられた祖先の遺影。究極の日本的な景でもあります。高いところから、あたかも雪崩れて来そうなほど傾いて見下ろしている御先祖様。その景を崖のごとしと思い切りよく言い切った掲句の面白さ。雁も季節を知って晩秋の遠い空を飛来して来ます。その空の下、営営として人間の営みが続きます。

啓蟄や電車の中で盛るまつげ 根本菜穂子
 いつからだろう、電車の座席でうら若い女性がひと目もはばからず化粧するようになったのは。化粧をしている本人は、化粧室にでもいるような振舞。その真剣そのものの目つきに思わす見惚れてしまい、ジッと見たりしようものなら、より鋭い目でにらみ返される。この景に、啓蟄の季がやや皮肉に面白く付いている。睫毛を付けるでなく、盛るまつげ、の表現にも皮肉が利いて、現代景を活写して面白い。

さよならの遠因となる牡蠣フライ 松本千花
 ウイットが利いた作品。付きあっていた人の、ある些細な行為が原因となりいきなり熱が醒めてしまった。今から思えばあの牡蠣フライがさよならの原因だったか。牡蠣フライの斡旋が気が利いている。

炬燵でひそひそ鷲鼻の客と父 梁瀬道子
 物語めいた思わせぶりな設定が面白い。あの鷲鼻の見知らぬ客はいったい父と何を話していたのか。幼い頃の記憶が時々不意に蘇る。今日もまた、眠りに入る前の朦朧とした時間に、あの場面が浮かんできた。この謎はどうしても解かなければと思いつつ、不安と懐かしさのないまぜな気分のまま、いつものように眠りにすとんと落ちてしまった。鷲鼻がよい。場所はやはり炬燵で決まる。

◆金子兜太 私の一句

さくら咲くしんしんと咲く人間じんかんに 兜太

 以前、秋田市雄和で露月忌俳句大会が開かれ、兜太先生は講師としてお出でくださった。その日、先生をお迎えするため玄関で並んで立っていると、先生が私の前でつと立ち止まられ、「あなた、さっきバス停に居ましたね…」とおっしゃられてさっさと前へ進まれた。私は電気にでも触れた思いがし、先生の厚みのあるお声を忘れられないでいる…。先生は一瞬眼にしたものを決してお忘れにならないのだろう。それが大切だよと教えてくださった気がしている。桜がひとひらずつ身体に染み込む季節は、誰もが幸せな想いになる。今「人間」のルビのことを考えている。句集『百年』(2019年)より。丹生千賀

差羽帰り来て伊良湖よ夏満ちたり 兜太

 この句は、平成15年「海程」全国大会 in 伊良湖での御作。大会当日の夜、故 森下草城子氏が師の五句の書かれた紙切れを持ってこられ、句碑に相応しい句をこの内から検討し選べと仰せられたとのこと。早速同室の故北川邦陽氏、故山口伸氏、私の四人で意見交換。この句では、帰る差羽の有無等、地元の野鳥研究家に直接私が電話で確認したこと等、当日の師の日本芸術院賞受賞のビッグニュース報道とともに忘れ難い。句集『日常』(2009年)より。山田哲夫

◆共鳴20句〈4月合併号同人作品より〉
〇印は2選者の共選句 ◎印は3選者の共選句

田中信克 選
冬さくら抗うように囁くように 石橋いろり
小鳥来るさびしい空へ投函す 榎本愛子
○鯛焼も性格も半分づつにして 大髙洋子
はきだめ菊言の葉の語尾雨に消え 北上正枝
もういいや焚火に放る面子かな 楠井収
「電線が重たすぎるぞ」虎落笛 小泉敬紀
伏目がちな人よ林檎の匂いがするよ 佐孝石画
北風の匂いでわかる仏滅も 佐々木宏
ソヨゴの実落ちて火薬となるなかれ 新宅美佐子
山眠る産土さえも遠くなる 鈴木栄司
着ぶくれて着ぶくれて難民の波しづか すずき穂波
過去よりの空耳やさし小鳥くる 芹沢愛子
旅立ちのおへそにしまう夜寒かな 高木水志
師走かもしれぬ号砲かもしれぬ 田中亜美
木枯らしの貧富貴賤を吹きわたる 董振華
臘月の人色褪せた本であり 遠山郁好
雨のコスモス今更弱音だなんて 長谷川順子
迷惑メール雪女郎かもしれぬ 船越みよ
咳込んで親子喧嘩の生乾き 増田暁子
兵士凍て助さんやもういいでしょう 松本勇二

藤田敦子 選
少年と地質の話柿熟るる 石川和子
火を得たる人間の深い闇夜だ 市原正直
十二月歩行の廊下戦車来る 上野昭子
あちこちに骨をぶつける十二月 大西宣子
孤独というビルから放る青蜜柑 桂凜火
漂泊者めきて桜の落葉掃く 金並れい子
ほんとうは破れてみたい白障子 倉田玲子
髪梳くにえんぴつ使ふ一葉忌 小西瞬夏
いろいろと残ってしまう落葉焚 小松敦
米を研ぎ獣をあやめみんな早寝 十河宣洋
葱刻む終生変わらぬ指紋かな 高橋明江
○小劇場の匂いす午後のラ・フランス 立川由紀
本音建て前冬の乳液てのひらに 田中信克
冬の蝶女優のまばたきより静か 中村晋
「ひやっとしますよ」平和な国の心電図 野口佐稔
熟れてゆく順になんでも食われます 服部修一
○霜晴れや枯れたふりする犬と俺 松本勇二
今日はずいぶん話したよぎゅっと梟 三世川浩司
冬かもめ旅って朗読に似ている 宮崎斗士
波の花どこに帰ればいいのだらう 矢野二十四

松本千花 選
銀漢や心をたたむ膝の上 安藤久美子
釣り人の点点点点天高し 石川義倫
「熊のあります」賛否あります 石橋いろり
天高し空が恐怖の子らが居る 伊藤巌
寒紅やたまにショートする感情 大池美木
答えではなく釣瓶落としを探してる 岡田奈々
梟の部首を集めていたりけり 小野裕三
無頼で淑女で黄落に紛れたの 河原珠美
両の掌にどんぐり余し山は雪 北上正枝
すずき穂波芒にまぎれ楽になる すずき穂波
指笛はイエスか山巓羊雲 高木一惠
「やさしい」と言われ夜の雪が尖る たけなか華那
降誕前夜全知全能無知無能 田中信克
隠り世や通せんぼする枯蟷螂 中村道子
消去法で生きる綿虫のふわふわ 平田恒子
○霜晴れや枯れたふりする犬と俺 松本勇二
ポケットのない人冬の月の下 武藤幹
前略後略ドーンとみぞおちに月光 村上友子
銀杏黄葉なんてにぎやかな無言 室田洋子
○小鳥来るさみしいときは早足で 茂里美絵

山本まさゆき 選
冬帽子あみだに被り話し易い 石川和子
粉々のビール瓶にも冬の朝 泉陽太郎
セーターはカラフル男はモノトーン 大池桜子
○鯛焼も性格も半分づつにして 大髙洋子
除雪車の夜の隙間を展げゆく 片岡秀樹
雛鳥はサンドイッチの羽を持つ 葛城広光
秋天に鯖街道は曲がりおり 重松敬子
こつこつとこつこつこつと師走まで 鈴木孝信
秋の雲そろそろ繭になってゆく 高木水志
○小劇場の匂いす午後のラ・フランス 立川由紀
石舞台に凭れる夫婦月を待つ 樽谷宗寬
山茶花のピアノの音に触れて散る 月野ぽぽな
笹の葉に雪置く今朝のしじまかな 東海林光代
竹伸びて毎年縮む父と僕 豊原清明
光と化し立禅のごと冬蠅いる 中村晋
耳を立て耳を休めて雪うさぎ 藤田敦子
晩秋の山並みはるか朝ごはん 本田ひとみ
それぞれの冬青草があり別居 宮崎斗士
○小鳥来るさみしいときは早足で 茂里美絵
店先を借り注連飾よく売れて 若林卓宣

◆三句鑑賞

はきだめ菊言の葉の語尾雨に消え 北上正枝
 牧野富太郎博士が世田谷の掃き溜めで発見したという「はきだめ菊」。群生して濃い緑の葉を茂らせ、数ミリ程の白い花を咲かせる。名の由来もそうだが、あの花が雨に濡れる様子はいかにも寂しいものだろう。話しかけた言葉の語尾が、ふと小さくなって雨に消えた。作者の思いが想像できる。諧謔的でしかも切ない一句である。

伏目がちな人よ林檎の匂いがするよ 佐孝石画
 清冽な林檎の香り。甘酸っぱくてどこか切ない感じもする。それがなぜか、目の前の「伏し目がち」な人の表情に重なって感じられる。気持ちや事情のすれ違いか、あるいは戸惑いか。目が合うのを避けようとする心情に、温かく寄り添って抱き留める作者の姿勢が見えてくる。林檎の香りの中で、優しく静かな時間が過ぎてゆく。

兵士凍て助さんやもういいでしょう 松本勇二
 かの時代劇の決め台詞である。悪に虐げられていた善が逆転して悪を懲らす。その手加減を黄門様が諭すのだ。この兵士の立場は不明だが、どうも徴兵されて極寒の地に送られた一国民のように思える。全ての戦争は国民が犠牲になる。本当に「もういい」のではなかろうか。コミカルな表現の内に重大な警鐘を鳴らす。意義深い。
(鑑賞・田中信克)

あちこちに骨をぶつける十二月 大西宣子
 正確に言えば、腕や足をぶつけるのだが、年齢を重ねていくと、実感としては骨をぶつけている。特に厳寒の時は、骨身に染みる痛さだ。あちこちにあちこちをぶつける痛みは全力で生きてる痛みだ。

「ひやっとしますよ」平和な国の心電図 野口佐稔
 「ひやっとしますよ」「ちくっとしますよ」マニュアルとしても、緊張を緩めてくれるのはありがたい。外国人からしたら、こんな親切な国はないだろう。そんな国は二度と戦争をしないと思いたい。

今日はずいぶん話したよぎゅっと梟 三世川浩司
 二カ月に一度、四国から関東に通っている。グループホームにいる母に会うためだ。そばにいられない負い目もあってなかなか話は弾まない、同じ話を何度も繰り返しているだけだ。やがて、話し疲れたように横になる母の手をぎゅっと握って、「またくるね」と蒲団をかける。梟に健やかな眠りを託して。
(鑑賞・藤田敦子)

銀漢や心をたたむ膝の上 安藤久美子
 膝の上で丁寧にハンカチをたたむように心をたたむ。たたみたい思いとは、どういう思いだろうか。怒りや悲しみだろうか。思うように行かないことへの焦りだろうか。たたむ、ということは思いを断ち切るのではなく、もう一度落ち着いて心を整えたいのだろう。銀漢に思いを馳せ、祈るように心をたたむ。

釣り人の点点点点天高し 石川義倫
 澄み渡った秋天のもとで釣りを楽しんでいる釣り人たち。珍しい光景ではないが、「点点点点」という表現が、ほど良い距離を保って釣り糸を垂れている様子をたくみに表し、「天高し」と今度は視点が上がり秋空の気持ち良さに行きつく。まさに人間賛歌、自然賛歌の詩だ。

答えではなく釣瓶落としを探してる 岡田奈々
 迷う気持ちがあり落ち着かないが、答えは自分で出すもの。誰かが教えてくれるわけでも、その辺に落ちているものでもない。それは分かっている。今はまだ答えを出さなくて良いのかも知れない。それでもストンと腑に落ちる何かが欲しいのだ。一気に暮れる秋の日のように。
(鑑賞・松本千花)

雛鳥はサンドイッチの羽を持つ 葛城広光
 巣を出はじめた軽鴨の雛だろうか。まだ飛べないふわふわの羽。いうまでもなく、全部が成鳥になれるわけではない。鴉からすれば、サンドイッチのように見えるのだろう。瞬間に奪われる短い命。そのDNAをよすがに組み合わされていた分子達は息つく間もなく散って、未来永劫再び相見えることはない。そして雛たちも、狩りをした親鳥から儚い命を与えられていたのだ。

小劇場の匂いす午後のラ・フランス 立川由紀
 田舎の高校の演劇部員だった私にとって、東京の小劇場は憧れの場所だった。唾がとんでくるような閉鎖的な空間で、役者たちと少人数の観客が、カプセルのように一体となるのだ。朝でもない晩でもない午後のラ・フランス。匂いを司る脳のシナプスが結びつける不思議で豊かな瞬間。どんな匂いなのだろう?

山茶花のピアノの音に触れて散る 月野ぽぽな
 山茶花は、椿と異なり、花弁が一枚一枚散って、いつの間にか冷たい土を覆っていく。何かのきっかけがあって落ちるのだろうけど、それがピアノの音とは。一音が届く度に落ちるひとひら。曲目はベートーベンの月光?ショパンのノクターン?私は真っ先にシューマンのトロイメライを思い浮かべた。
(鑑賞・山本まさゆき)

◆海原集〈好作三十句〉武田伸一・抄出

空耳か落つる椿の繰り言か 和緒玲子
春の風いつもは行かぬ路地に入る 阿武敬子
こんなにも痛き音なる四温の雨 飯塚真弓
兜太の忌オレを覚えてゐるだらうか 鵜川伸二
父といふ淋しき光鳥雲に 岡田ミツヒロ
日和つてる我に言へるか春よ来い 小野こうふう
雛飾る時の流れのをんなたち 小野地香
アップルパイ五月生まれの不幸せ かさいともこ
懸命にふぶいてをりし梅の花 廉谷展良
傷武甲を借景にして辛夷咲く 神谷邦男
からだごとこたつの海に溺れけり 北川コト
うぐいすや集落すべて知りつくし 清本幸子
雛千体黄泉平坂行くごとし 工藤篁子
畑打ちや背中に疎い人の声 小池信平
春隣一筆書きの恋をした 香月諾子
納骨の朝の白飯小鳥来る 小林育子
朧夜や夢見る如く死に化粧 佐竹佐介
生きるとは泣きわめくことヒヤシンス 重松俊一
室咲きやすべてが真白であった頃 宙のふう
青き踏む足裏に命確かめて 立川真理
じゃがいもの芽ふつふつぶつぶつと母 谷川かつゑ
種袋振って音聞く畑想う 坂内まんさく
きさらぎやそれでもいのちふくらんで 福井明子
気遣われ易き人なりヒヤシンス 福岡日向子
常の暮らし八日の晩の初カレー 藤井久代
しんと雪諭すことなど何もない 松﨑あきら
白鳥のV字連隊受験の日 向田久美子
春満月戦場にあり吾にあり 森美代
夫も外ケセラセララと豆を撒く 横田和子
垂乳根の湯船の窓も桜かな 渡邉照香

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