『海原』No.46(2023/3/1発行)

◆No.46 目次

◆海原秀句 同人各集より

安西篤●抄出

榠樝の実落ちて居場所のなかりけり 伊藤幸
よう来たか秩父木枯吹き合う笛 植田郁一
フェイスシールド色鳥は純な球 大沢輝一
よう咲いたと白山茶花に一献 大谷菫
神送りアンサンブルのような雨 小野裕三
穭田の光唄えば自由律 加藤昭子
覗き込み秋の鏡に入れてもらふ 小西瞬夏
好きな曲だけを集めて小鳥来る 小松敦
戦あるなと隅々を拭く敬老日 坂本久刀
やわらかい握手のごとし荻に月 佐孝石画
連弾です大草原の草紅葉 鱸久子
渡り鳥繋がりたくはないのです 高木水志
ざくろの実その感情のつとはぜる 竹田昭江
かりんの実青く重たく中学生 田中亜美
雨戸重たし無縁社会はしぐれたり 長尾向季
更地にもなれず被曝の田にすすき 中村晋
帰り花余生と言う程暇じゃない 中村道子
誘うような手首の静脈秋の蝶 仁田脇一石
肉親との話し炭火のあたたかさ 野口思づゑ
人類に国境のあり鰯雲 野﨑憲子
綿虫の微かな気流妊婦なり 藤野武
言い訳の色づく秋の山帰来 松本千花
棒高跳びの空の重たさ中也の忌 宮崎斗士
時雨忌やラーメン店の列に従く 村本なずな
血の色の実の生っている寒さかな 望月士郎
ラ・フランス自傷の匂い微かなる 茂里美絵
飛魚は星座になってみたいんだ 森由美子
燗熱く神を信じる信じない 柳生正名
息をせぬ全ての兵士星月夜 山下一夫
老老の庭灯すごと石蕗の花 吉澤祥匡

中村晋●抄出

秋の蟻影の重さに立ち止まる 伊藤歩
今夜読む本ありホットミルクティー 大池美木
弔辞優し屋根に燕の列長し 大久保正義
模造銃構え少女の微笑む冬 大西健司
桜もみじ巣箱はさびしいオブジェです 河原珠美
立て掛けし画架イーゼルに跳ね櫟の実 北村美都子
月夜です田んぼに忘れし茣蓙一枚 小池弘子
覗き込み秋の鏡に入れてもらふ 小西瞬夏
戦あるなと隅々を拭く敬老日 坂本久刀
友の名呼ぶ冷たい月を撫でるように 佐孝石画
はつ雪をまず掌になみだほど 佐々木香代子
差羽来て野はひりひりと透き通る 篠田悦子
日の沈むくにの国葬まんじゅしゃげ 芹沢愛子
冬野やや遠くに孤礁のよう老人 十河宣洋
紅葉かつ散る停戦の落しどころ ダークシー美紀
窓越しに看取る日もあり朴落葉 立川由紀
白コップに牛乳注ぐ十一月 豊原清明
返さるる介護寝台暮の秋 長尾向季
半月は子規の横顔粥すする 船越みよ
眼の合ひし野菊を摘んで誕生日 前田典子
秋ばらの棘のしづけさ出さない手紙 松本千花
よく凍てて星を集める生家かな 松本勇二
葬儀屋のロレックス光る朝霧に マブソン青眼
北風や執事のような猫と住む 三浦二三子
君の絵に丸ごとの秋 君がいない 村上友子
充電完了まで鰯雲で待機 室田洋子
野ぶどう熟れる片思いってなんと一途 森武晴美
天瓜粉すっぽんぽんが逃げまわる 森由美子
自死の前の君に青空はみえたか 夜基津吐虫
コスモスに風コスモスの風になった 横山隆

◆海原秀句鑑賞 安西篤

よう来たか秩父木枯吹き合う笛 植田郁一
 言うまでもなく、兜太師を偲ぶ句。「よう来たか」に、師のこわぶりが乗り移っている。作者自身、その声、その言葉の体験者であり、それは今もなお秩父の木枯らしの笛の中から聞こえてくるものなのだ。師亡きあと五年の歳月を経てなお、師の声がまざまざと聞こえてくるというのは、それだけ師を惜しみ、その臨在を待望する多くの人々の思いを、伝えようとする作者の願いでもあろう。

穭田の光唄えば自由律 加藤昭子
 穭田に萌え出る若い稲が、懸命に新しい茎を伸ばそうとしている。それは晩秋の光の中に輝いて、あたかもてんでに唄を唄っているかのよう。唄は斉唱でも合唱でもなく、それぞれ勝手にソロで唄い、中にはラップ調でしゃべくるものもいる。そんな混然とした演奏前の音合わせのような光の束を、「自由律」と言ってみたのではないか。この音と光の合奏の着眼は、穭田の風土感を新しい視角から言い当てている。

覗き込み秋の鏡に入れてもらふ 小西瞬夏
 昔風の箱作りの鏡台で、親しい間柄の人がお化粧をしている。その「おつくり」の途中の鏡面に、ふっと覗き込むようにわが顔を差し入れて、あやかりたいとでもいうかのように、化粧する人の顔に重ねて鏡像を見ている。その瞬間を、「秋の鏡に入れてもらふ」としたのは、美しく仕上がってゆく人への羨望に近い憧憬ではないか。

戦あるなと隅々を拭く敬老日 坂本久刀
 おそらく、ここで隅々を拭いているのは、敬老日にお祝いされる当の老人であろう。別に誰に頼まれたわけでもなく、むしろ今日は何もせずゆっくりしていて下さいと言われていながら、自ら進んで隅々まで拭き掃除をする。後に残る世代に、せめて戦争のない今の平和な暮らしが続きますようにとの願いを込めて、丹念に。

やわらかい握手のごとし荻に月 佐孝石画
 荻は、蘆に似た水辺に生える高さ一〜二メートルの大型の多年草。中国では蘆荻という言葉もある。人目を忍ぶ逢瀬なら、恰好の隠れ処かもしれない。月は中天に登って、川辺のデートもそろそろ別れの時が迫っている。そよそよと揺れる荻のさやぎが、やわらかい別れの握手の触感をつたえるかのようだ。二人の胸には、同じ思いが兆しながら、なかなか切り出せない。作者の青春性がよく出ている一句。

肉親との話し炭火のあたたかさ 野口思づゑ
 オーストラリア在住の作者が、古き良き日本の風土感に根ざす句をものした。海外在住の作者には、こんな憧れがあるのかも知れない。たしかハワイ在住のナカムラ薫さんも、「野遊びの素直になるための順路」(令和三年九月)と作っていた。掲句は、久しぶりに帰国した時、炭火の火鉢を囲んで肉親と話をした。その温かかったことを、心も体もひとしなみに受け止めている。

人類に国境のあり鰯雲 野﨑憲子
 ウクライナ戦争をモチーフにしている句。この戦争は長期化の様相を呈し始め、出口の見えないまま対立と緊張度を高めつつ、世界を大きく巻き込む可能性が出てきている。二〇二三年、日本の国境周辺での緊張感は一層高まるかも知れない。世界のグローバリゼーションは、ウクライナ戦争によって機能不全に陥った。あらためて人類に国境があることを思い知らされたという危機感を、作者はひしひしと感じている。この場合の鰯雲は、降雨の前兆としての不安感であろう。

綿虫の微かな気流妊婦なり 藤野武
 晩秋から初冬にかけて、青白い光を放って浮遊する綿虫は、雪蛍、雪婆の別名もあるように、幻想的なイメージがある。初雪の降る前に、交尾して産卵するから雌は大方妊婦だろう。綿虫の群は空中に浮遊するので、かすかな気流に乗っているようにも見える。こういう綿虫の生態をそのまま描きながら、「妊婦なり」の抑えで、その空間に漂う生臭いいのちの気配を表出した。

時雨忌やラーメン店の列に従く 村本なずな
 時雨忌は陰暦十月十二日、芭蕉の忌日。そんな由緒ある日に、人気のラーメン店では長蛇の列が続く。「色気」ならぬ「俳気」より「食い気」だ。列の一人に聞いてみた。「時雨忌ってご存じですか」「時雨の季節ってことでしょう。ラーメンも旨い時期ですしね」「いや全く…」。

 他に割愛した評釈に手を焼きそうな注目句を挙げておきたい。

フェイスシールド色鳥は純な球 大沢輝一
神送りアンサンブルのような雨 小野裕三
渡り鳥繋がりたくはないのです 高木水志
ざくろの実その感情のつとはぜる 竹田昭江
帰り花余生と言う程暇じゃない 中村道子
誘うような手首の静脈秋の蝶 仁田脇一石
棒高跳びの空の重たさ中也の忌 宮崎斗士

◆海原秀句鑑賞 中村晋

返さるる介護寝台暮の秋 長尾向季
 しばらく貸し出していた介護用のベッド。それが返却された。句意としてはただそれだけのことを叙述しているようにも見える。しかし、この作者には、介護用ベッドが返却される前には、たしかにこのベッドで人が生きていたという事実が見えている。そして返却されたということは、ベッドが必要なくなったということ、すなわちその人が亡くなったということ。そこまで鮮明に見えている。ベッドが貸し出され、返却される。その日常の中に「いのち」の在り処を見つめている作者の詩心が冴える一句。「暮の秋」の斡旋も見事だ。

窓越しに看取る日もあり朴落葉 立川由紀
 「窓越しに看取る」という表現が尋常ではない。臨終を迎える人と窓ガラスを隔てなければならない状況は、現在のコロナ禍がもたらしたものと想像される。また「日もあり」とあるから、作者は看取ることを日常にしている方なのだろうか。いずれにせよこの句にも、「いのち」の重みが感じられる。「朴落葉」が作者のやるせなさを代弁しているようだ。物に即して心を述べる「即物」の技法。この技術がこの句にしっかりとした骨格を与え、美しい佇まいをもたらしているように思う。

葬儀屋のロレックス光る朝霧に マブソン青眼
 この句も「いのち」に関わる句。とはいえ、捉え方は反語的。死を取り扱う葬儀屋の世俗性、俗物性を告発する作品である。光る「ロレックス」を描き出すところに、死者から金を吸い取り、肥え太る葬儀屋の金満ぶりを見逃さない鋭い批評精神が宿る。「朝霧に」紛れようとしても決して許すまいとする作者一流の反骨の一句だ。

紅葉かつ散る停戦の落しどころ ダークシー美紀
 「いのち」を犠牲にする最たるものは何か。それはおそらく戦争に他ならないだろう。しかもこの度のウクライナ戦争に関しては、核兵器の使用も示唆された。あるいは原子力発電所への攻撃もあった。世界が、そして地球が危機にさらされている。一刻も早く「停戦の落しどころ」を探りたい。その切なる願いが「紅葉かつ散る」にひしひしと伝わってくる。紅葉が散り尽くしてしまう前になんとかしたいとは誰もが願うことだろう。しかし、その方向に向かわないもどかしさ。

戦あるなと隅々を拭く敬老日 坂本久刀
 この作者も戦争に対する怒りを覚えつつも、そのために何をしたら良いのか、何ができるのか、困惑しているようである。「戦あるな」を単に掛け声だけで終わらせないためにはいったい何ができるのか。簡単には答えは見つからない。そしてふと我に返り、「隅々を拭く」ことになる。自分自身の日々の暮らしを全うすること、遠回りかもしれないがそれしか道はないという諦念だろうか。「敬老日」の措辞にしみじみさせられる。

自死の前の君に青空はみえたか 夜基津吐虫
 沖縄に住む作者による作品であることを踏まえると、「自死」の語が重い。太平洋戦争末期沖縄地上戦における自決行為を指すのだろうか。今なお多くの課題を担わされる沖縄。「君に青空はみえたか」の問いは、本土の我々にも「君は青空がみえるか」の問いになって響く。いや、戦争と関わりがなくとも、多くの人々に自死を強いる昨今の日本社会である。鋭く刺さる一句である。

秋の蟻影の重さに立ち止まる 伊藤歩
弔辞優し屋根に燕の列長し 大久保正義

 「いのち」の存在は人間に限ったものではない。すべての生きとし生けるものに宿っている。そのすべての生きものと心を通わせる感覚を「生きもの感覚」と兜太師は呼んだ。それを強く感じるのがこの二句。「秋の蟻」が「影の重さ」に立ち止まっているのか、それとも作者自身が自分の影の重さに立ち止まっているのか、読みに揺れを感じながら、いつしか読む側も「秋の蟻」と心を通わせている。作者と蟻との距離はかなり近い。この近さが「生きもの感覚」を呼び覚ます。これは「弔辞優し」の句においても同様。葬儀の際の一光景だと思われるが、屋根にずらりと並ぶ燕たちを見て、作者は、まるで燕たちが死を悼んでいるかのようだと見ている。いや、作者はまさに燕たちが死を悼んでいると断定する。この句に通う人間と燕との間の濃厚な「生きもの感覚」。齋藤茂吉の名歌「のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり」を思い起こさせる一句でもある。

天瓜粉すっぽんぽんが逃げまわる 森由美子
 子どもたちが子ども時代を十分に過ごせなくなっているのが今の日本社会。しかし、この句の「すっぽんぽん」は十分に子ども時代を過ごしているようで安心させられる。「生きもの感覚」が横溢する愛らしい一句。

差羽来て野はひりひりと透き通る 篠田悦子
 差羽が渡る頃の空気感。それを「ひりひりと」と体全体で捉えた表現の深さ。野、山、空すべてに「生きもの感覚」「いのち」を感じさせる、これぞ海原の一句。

◆金子兜太 私の一句

海を失い楽器のように散らばる拒否 兜太

 海を失う不条理に抗し、拒絶の意志は個々の反抗を通して連帯する。それを兜太は楽器が奏でる音楽に喩えた。失われた海は作句の地長崎に拘れば、鎖国政策によって失われた自由の謂か。だが、読者はそうした文脈を離れて、例えば水俣の海で、沖縄の海で、奏でられたノーを、慟哭と希求の旋律として受け止めることができる。『金子兜太句集』(昭和36年)より。片岡秀樹

起きて生きて冬の朝日の横なぐり 兜太

 「気持ち良く目覚めると、オットット陽光のパンチを顔にくらったよ!」と、いかにも兜太師らしいウイットに富んだ御句で充実感に満ちています。「文化功労賞」をはじめ数々の受賞に輝いて居られた最晩年、2014年の95歳の時の句。この頃私は、師のお言葉は一言ももらすまいと講演会やカルチャーセンター、「海程」の例会や秩父俳句道場と、あらゆる行事を必死に追いかけていたのをなつかしく思い出します。句集『百年』(2019年)より。深山未遊

◆共鳴20句〈12月号同人作品より〉
〇印は2選者の共選句 ◎印は3選者の共選句

泉陽太郎 選
熱帯夜ああ魂が浮いている 阿木よう子
コトリとも音せぬ炎昼ぬっーと兄 綾田節子
悦楽はまだ先のこと片陰り 泉尚子
美しき誤解でありぬ秋の蝶 大池美木
秋冷や荼毘に付す間も来るライン 大西恵美子
観念的な夏空戦車通り過ぐ 大西健司
性という螺旋階段林檎剝く 片岡秀樹
ハンカチを上手に落とせない女 河西志帆
遠雷やショートホープの箱は空 小松敦
○会えぬままに友は蛍まみれらし 芹沢愛子
核の秋手品はそっと人を消す 田中信克
「あと一年できたらいいね」日々草 永田和子
しらたまや和解のこだわりを捨てて 日高玲
独り居の硯を洗ふ水の音 前田典子
なぜ空がこんなに青い 死ぬ日にも マブソン青眼
不眠ひたひた拍動ふかくケイトウへ 三世川浩司
哲学的限界集落鰯雲 嶺岸さとし
古書店ごと昼寝していて入れない 宮崎斗士
生きものたちに霧の中心の音叉 望月士郎
酒焼けの声が祭りの山車を出す 若林卓宣

刈田光児 選
秋の雲まだ地に足が着いている 石川青狼
百物語一斉に携帯アラーム 石橋いろり
夜を音読する鈴虫よ旅に出る 伊藤清雄
赤蜻蛉すぐに届いた返信封書 故・宇田蓋男
口中のほおずき鳴らし返事する 榎本祐子
黄金虫今朝は異界につながれて 桂凜火
虫すだく闇のみずみずしく生れて 北村美都子
瘡蓋のような新宿そろり秋 こしのゆみこ
数学が苦手で蛍追いかける 佐々木宏
咲ききったカサブランカの孤独感 清水茉紀
ハマヒルガオ越後の国の駅無人 鱸久子
原爆忌水音だけを聴いている 竹本仰
肖像の人みな故人白露の日 田中亜美
疣蛙いぼがえる悠悠自適の貌上げて 樽谷宗寬
青僧の撞く梵鐘や水の紋 中内亮玄
○星涼しわれら明るき草である ナカムラ薫
太陽吸い死地覆い葛光りまくる 中村晋
八月を山折り谷折りしまいをり 藤田敦子
萩こぼる本をさがしていて兜太 松本勇二
夏帽子おやつのような風が来る 宮崎斗士

すずき穂波 選
かなしいほど鶴見る老々介護かな 有村王志
かなしみを逃水のように持て余す 榎本愛子
○怺えきれず母は銀河を漕いでゆく 榎本祐子
君という巡る流星静かなり 近藤亜沙美
よく噛んで顔の輪郭に追いつく 三枝みずほ
ゆるやかな喪失であり蝉時雨 佐孝石画
野菊の前で接吻していい村だ 白井重之
○会えぬままに友は蛍まみれらし 芹沢愛子
引力に乳房は任せ登高す 高木一惠
体液が流れるように夏越かな 高木水志
幼子や西瓜に食べられているよう 谷川瞳
○星涼しわれら明るき草である ナカムラ薫
蟬しぐれ水のようです溺れます 丹生千賀
古稀すぎて裏が表につくつくし 増田暁子
ぼんやりの反対は鬼秋彼岸 松本勇二
過疎村をばりばりと食み鬼やんま 嶺岸さとし
この星を捨て子のように天の川 望月士郎
虹ときに暗帯となり国滅ぶ 茂里美絵
地にひとつ被弾一輪曼珠沙華 柳生正名
文化の日巻き取られない人だつた 山下一夫

横地かをる 選
百日紅黙はこころの瘤である 伊藤道郎
露けしや地下足袋履くも旅のよう 稲葉千尋
○怺えきれず母は銀河を漕いでゆく 榎本祐子
抽斗に初秋ことんと音を出す 大沢輝一
霧食べて育つ霧の子霧の家 奧山和子
秋茄子の色濃きところ母居ます 加藤昭子
行き先をまだサンダルに告げてない 河西志帆
言霊の優しさ結び星祭 高木一惠
骨格標本ひとつはきっと蚊帳吊草 鳥山由貴子
被曝した手よ被曝した桃洗う 中村晋
ひょんなことから風に好かれて露の玉 野﨑憲子
十三夜車窓に知らぬ私いて 藤田敦子
月光に溶けゆく私というさざなみ 藤野武
はらはらと消えた日常鳥渡る 本田ひとみ
庖丁を研ぎゆく無心十三夜 前田典子
秋の蜂木の家ふっと木に還る 三浦二三子
敗戦忌母には母の水たまり 宮崎斗士
アキアカネつと世紀末横切りぬ 茂里美絵
折り合ひの自在かなしき秋茜 山下一夫
病室の白い天井 白い出口 横山隆

◆三句鑑賞

秋冷や荼毘に付す間も来るライン 大西恵美子
 繋がっている。世界中と。いつでもどこでも、繋がれる。今日も明日も明後日も、今日も昨日も一昨日も、誰かが語りかけている、語りかけられている。ワタシは今、ひとつの死を悼んでいる。かけがえのない死を。でもそれは誰にも伝わらない。伝えたくもない。繋がっていても、繋がれていても。

遠雷やショートホープの箱は空 小松敦
 肋骨骨折、足関節捻挫、顎関節脱臼。口が塩辛い、背中が冷たい。腕は動く。少しずつ、少しずつ、手首をねじる。すっと引いて、抜けた。腕で這う、壁まで。ずり上がり、座る。誰もいない。胸ポケットをさぐる。潰れた箱、引き出す。そっと広げる。空っぽ。今日はツイているのか、いないのか。ずっと耳鳴りがしている。いや、神の声かもしれない。

古書店ごと昼寝していて入れない 宮崎斗士
 古本っていったって最近はネットでさ、何しろ手軽だよな。でもさ、ほら、運命的な出会いってやつ、あれはさ、なかなかネットじゃね。なんかこう背表紙が輝いててさ、手が震えるんだよな。で、オヤジは?え、奥で昼寝?なんだよ、また閉まってんじゃねえか。ウンメイ返しやがれ。
(鑑賞・泉陽太郎)

秋の雲まだ地に足が着いている 石川青狼
 掲句の表記は実にシンプル。しかし、天地にひとり佇む宇宙感。そして、流れゆく雲と、足裏から伝わる大地の柔らかい感触に、秋を感受する風土の匂いが生まれる。上句と下句をつなぐ副詞〈まだ〉は、時間を表し、やがてやって来る冬を予見しつつ、今が在るという良い意味の味を出している。読後から余白が見えてくる。

瘡蓋のような新宿そろり秋 こしのゆみこ
 〈瘡蓋〉とは、「はれもの、きずなどのなおるに従って、その上に生ずる皮」という。日本一の大都市新宿が今瘡蓋状態とは何なのか。この謎を解く鍵は、〈そろり秋〉に在ると思われる。夏から秋の変り目は更衣の時であり、古着から新調に替えるそろり秋なのだ。ファッションの流行は、大都市の女性から発信される。

太陽吸い死地覆い葛光りまくる 中村晋
 福島県と新潟県はお隣りさんであり、昔から人的交流が盛んに行われてきた。自分の伯父は喜多方の人と結婚したので縁戚関係になる。福島は史跡と文化遺産が多く小学校の旅行は福島と決まっていた。そんな行事も止まってしまった。作者のいちずに被曝を詠う俳句精神に共感し、一日も早い放射線の恐怖が消え去る時を祈る。
(鑑賞・刈田光児)

怺えきれず母は銀河を漕いでゆく 榎本祐子
 怖いという感情は、失うかもしれないという妄想から生まれる。妄想と混同されるものに空想がある。人間の社会は、常にネガの妄想とポジの空想が入り混じるが、この母君は、ネガの究極を突破し、ポジの上昇気流へ、乗り換えた。その先の「銀河」だ。進むべき道を見つけた母君のコペルニクス的転回。母のその転回点に呪術・宗教の原初的形態であるアニミズムの存在を感じた作者。

虹ときに暗帯となり国滅ぶ 茂里美絵
二重の虹の主虹と副虹に挟まれ透けている部分を「アレキサンダーの暗帯」というらしい。その部分は二つの虹の背景であり、即ち雨雲の部分。その暗さが「滅ぶ」に繋がる。虹に吉兆を見るというが、現代社会の暗渠を、敢えて剥がし、凶の予兆と見てとった。作者には「薄紙をはがすたび虹近くなる」(句集『月の呟き』)の句があり「虹」への想念は深い。そして上質なのだ。

文化の日巻き取られない人だつた 山下一夫
 兜太師の匂いがする句だ。国からのご褒美の、文化功労者でありながら、断固あの「アベ政治を許さない」をやり通した。が、今冬、突如政府は反撃能力の保有を決定、防衛3文書を改定。我々国民としては「巻き取られ」感が、ひどく強く在るのでは…。
(鑑賞・すずき穂波)

秋茄子の色濃きところ母居ます 加藤昭子
 母上は、作者とは異なる世界に旅立たれたのでしょうか。「秋茄子の色濃きところ」美しく、つややかに実った秋茄子を目にしたとき自然がつくる不思議な力を覚える。この深い色合いに母の姿を重ね合わせ、穏やかに過ごしたであろう母上との関係を見事に昇華させている。感慨をこめて一句に掬いあげた佳句。

庖丁を研ぎゆく無心十三夜 前田典子
 どんなに切れる庖丁でも使っているうちに切れ味が悪くなる。今夜は研ぎ直そうと心に決め厨に立つ。庖丁を研ぐ技量はすでに心得ているのかも知れない。注意深く、丁寧にていねいに、無心になって研ぐ。硝子窓から差し込む十三夜のひかりが美しく作者を照らし出す。十三夜がファンタスティックな世界を醸し出している。

病室の白い天井 白い出口 横山隆
 作者は、体調を崩されて入院生活を送っておられるようだ。コロナ禍の入院生活は健康な人には想像も及ばない日々なのでしょう。「白い天井白い出口」と白を際立たせ、病室を無機質なものと捉えている。家族との面会もままならない現実。不自由さと虚しさ。中七下五の空白が作者の心理を表している。
(鑑賞・横地かをる)

◆海原集〈好作三十句〉武田伸一・抄出

あなただけが愛してる狂い花咲く 有栖川蘭子
すすき原すすき一本づつ二人 淡路放生
竜胆に慎しい自由あります 安藤久美子
鯛焼の背に風が欲しいよ君を欲しいの 飯塚真弓
秋薔薇みにくき足をさらしけり 石鎚優
弱者とうカテゴリーあり蛇穴に 遠藤路子
月光や父のカオスに母ひとり 大浦ともこ
月夜茸征かない人ら笛吹いて 岡田ミツヒロ
ババ抜きのババ持ちしまま冬の過ぐ 小野地香
嘘ついてどの口で吹く夜の葛湯 かさいともこ
無花果を食べてふふふの夫婦です 後藤雅文
臨終の金魚みつめる聖夜かな 小林育子
冬めくや小窓に嵌まる鉄格子 佐竹佐介
騙しきることの重さや青瓢 宙のふう
落ち椿触れるを拒む導火線 立川真理
雪女郎人恋うる時紅くなる 立川瑠璃
夫逝きてうつし身しぐるるばかりかな 服部紀子
あかまんまあえてでこぼこあるきたい 福井明子
銀杏落葉別れ話を気の済むまで 福岡日向子
カオナシが居るかも知れぬ虫の夜 藤井久代
金木犀画家の名前が浮かばない 藤川宏樹
枯蓮や老兵重い口開く 保子進
銀幕は黄泉人ばかり秋しぐれ 増田天志
霜降や消え去ることの意味を問う 松﨑あきら
神将の憤怒に釣瓶落しかな 村上紀子
うっとりとは水温むこと午後のこと 村上舞香
鶏頭花其処にモンローがいるのです 横田和子
ペチコート馬鈴薯抱へ居眠れり 吉田貢(吉は土に口)
耕して親父の子なり小六月 吉村豊
柿撫でる子規の痛みをさするかな 渡辺のり子

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