『海原』創刊号(2018/9/1発行)

創刊号 目次

◆海原秀句 同人各集より

安西篤●抄出

蝉の木の下手な奴いる未帰還兵 有村王志
種播いて言葉が少し行方不明 伊藤淳子
ねばっこいねばっこい木の芽雨 江井芳朗
昭和の日裏返しして干す魚 大沢輝一
夏の蝶右から左から攻める 奥野ちあき
卓上に智恵の輪憲法記念の日 片岡秀樹
毒の字に母いて強し白日傘 加藤昭子
海鞘を割くまだ人間でいるつもり 狩野康子
逝きて戻らぬとりあえず冷奴長 河西志帆
風ひかる旧交というまわり道 河原珠美
芽起こしや影ごうごうと「存在者」 北村美都子
八十八夜のかるいブリキの音だ父 木下ようこ
ショートカットの母のうなじを夏の潮 こしのゆみこ
子宮かろし春昼の橋渡り終へ 小西瞬夏
花水木あかるい猜疑心でした 佐孝石画
まるき字の嫁なり終日囀れり 重松敬子
麦秋やフクシマ除染地図開く 清水茉紀
躑躅燃えルオーのような昼下り 白井重之
花アカシア異教のような耳鳴り 竹田昭江
青葉騒アンモナイトのデッサン画 田中亜美
浮巣のようでもあり先生の遺影 遠山郁好
涅槃西風師の骨白く太きかな 長谷川順子
天上のひとに弟子入り草刈女 日高玲
浅草暮色どじょう鍋屋に下足札 増田暁子
師を送る旅の真昼のえごの花 水野真由美
しーんとす人も白梅も濡れており 三井絹枝
形容詞の足りない妻と春炬燵 宮崎斗士
ピアノあやすごと春愁の調律師 村本なずな
先生は別館におります春夕焼 室田洋子
桜トンネルここは産道そして祈り 若森京子

山中葛子●抄出

蒸発したき人の集まる花見かな 石川まゆみ
巨岩この魂の冷え春逝くなり 伊藤淳子
朱夏なれや大海原に彼の光 大池美木
先生の杖が麦秋なでてゆく 大髙洋子
バナナむく兜太の手つきトラック島 岡崎万寿
夢の兄ふと水切りを投げんとす 尾形ゆきお
海鞘を割くまだ人間でいるつもり 狩野康子
芽起こしや影ごうごうと「存在者」 北村美都子
子宮かろし春昼の橋渡り終へ岡 小西瞬夏
兜太の揮毫梵音として被爆地に 齋藤一湖
春袷パイプオルガンのコンサート 笹岡素子
蝌蚪の紐何とか残る村八戸 佐藤君子
オノマトペが降りそうな空亀鳴けり 清水恵子
青葉騒アンモナイトのデッサン画 田中亜美
はつなつの聖堂静脈の昏さ 月野ぽぽな
春が逝く白抜きのわたしのカモメ 鳥山由貴子
兜太先生白梅咲いてますねここ 中内亮玄
夫婦喧嘩につつーっと下りて蜘蛛光りぬ 中村晋
オリオン南中師のぬくもりのまだありて 長谷川順子
天上の人に弟子入り草刈女 日高玲
夏は立つ立てぬ歩めぬ夫の辺に 前田典子
浅草暮色どじょう鍋屋に下足札 増田暁子
背を押してくれし神あり麦の秋 松本勇二
鳩のつがい大空かけて兜太葬る マブソン青眼
なめくじの履歴書意外な読みごたえ 宮崎斗士
たたむべき空しさに一礼麦の秋 深山未遊
おだやかにしかし多喜二の忌に逝けり 柳生正名
あれから七年三春桜に会いに行く 横地かをる
きっと修復可能なケンカ菖蒲湯へ 六本木いつき
春眠や球体感覚のままがいい 若森京子

◆海原秀句鑑賞 安西篤

昭和の日裏返しして干す魚 大沢輝一
 昭和の日は、昭和天皇の誕生日だが、この場合は昭和時代を象徴するものと位置づけられている。戦争と戦後の耐乏、そして高度成長へと続く疾風怒濤の時代。作者は昭和十七年生まれだから、時代の空気を十分に吸って生きて来た。「裏返しして干す魚」には、決して豊かとはいえない戦後生活のなかで、干魚をしっかり干しておこうという生活の知恵が見えてくる。時代の回想を生活視点から捉えた一句。

逝きて戻らぬとりあえず冷奴 河西志帆
 兜太先生が亡くなられて、大きな喪失感に見舞われたことは、皆同様の経験であろう。私たちは先生が「逝きて戻らぬ」ことを、まぎれもない事実として否応なく思い知らされている。決して認めたくない事実だが、「死なれた」という喪失感の裏返しとして、「死なせてしまった」という悔恨や痛苦にまで及びかねない。そんな時、張り詰めた緊張感のままではとてもやっていけない。その緊張をほぐすための、しばしのくつろぎが必要になる。「とりあえず冷奴」は、いわば「一瞬のいなし」なのではないか。それは悲しみの宛先不明の意識でもあるのだ。

芽起こしや影ごうごうと「存在者」 北村美都子
 「芽起こし」とは、木の芽時の芽吹きの生命力をいうのだろう。兜太句に「林間を人ごうごうと過ぎゆけり」があり、掲句もそれを踏まえて、「存在者」兜太師を暗示している。今も兜太の生命力は、芽起こしの頃のように、この空間にみずみずしく臨在するとみているのではないか。「影」には師の存在感が宿るのである。その体感こそが作者の兜太像として今もあるという。

八十八夜のかるいブリキの音だ父 木下ようこ
 八十八夜は陽暦五月二、三日頃。「夏も近づく八十八夜」と童謡にも歌われた。父が裏庭でなにやら「かるいブリキの音」をたてながら仕事をしている。いわゆる日曜大工なので、趣味として楽しんでいるのだろう。この日常感のポイントは、八十八夜という季節感との配合にある。なつかしさとともに、どこか軋み音を感じさせる皮膚感覚のようなもの。そこに父との微妙な関わり合いがある。

子宮かろし春昼の橋渡り終へ 小西瞬夏
 こういう実感は男の立場からは、想像するしかないものだが、女性の体感をリアルに捉えたものという想像はつく。「子宮かろし」で、ある種の性的充足感があるのではないか。出産後の軽快感かもしれない。「春昼の橋渡り終へ」で、その実感を予想することも出来よう。一歩間違えれば鼻持ちにならない題材を、大胆な発想で象徴的に性感として捉えた作者を讃えたい。

花水木あかるい猜疑心でした 佐孝石画
 若々しい青年の心理、それも軽い悔いを伴う青春性が感じられる。花水木は樹液が多いため、枝を折ると水が滴り落ちるところから来ているといわれる。多感な年頃の鋭敏な感受性の中に、ふと兆した猜疑心が、一度湧いてくるととめどなく広がってゆく。でもそれは決して暗いものではなく、どこまでも明るい。こういう心理感覚は、青春ならではのもの。「でした」と過去形で捉えたところに、作者の青春の居場所があったのかも知れない。

浅草暮色どじょう鍋屋に下足札 増田暁子
 どこか久保田万太郎の世界を予想させるような、なつかしき浅草風景である。今も同じような雰囲気を保っているのかもしれない。老舗なら下足番もいるようだ。作者はその体験を踏まえているに違いない。古き良き時代の浅草、今もその面影を作者は、限りない郷愁とともに謳いあげている。

しーんとす人も白梅も濡れており 三井絹枝
 やはり、兜太先生逝去を背景に置いた方がわかりやすい一句。二月二十日、先生逝去の第一報が入ったとき、一瞬世界がしーんとしてその空間は湿り気を帯びていたという。この作者ならではの直感による即時即物感が、あの日あのときの時空を言い当てている。

形容詞の足りない妻と春炬燵 宮崎斗士
  作者自身の境涯感といってしまうと差し障りがあろうから、客観的作品と受け止めたい。一般にある年輪を経た妻との関わりはこういうものだろう。だからといって二人の関係が冷えているわけではない。よそ目には、二人して春炬燵に刺さって、しんねこを決め込んでいるのだから。「形容詞が足りない」とは、何事も単刀直入、ざっくばらんな妻への、奇妙な褒め言葉なのかもしれない。

先生は別館におります春夕焼 室田洋子
 いまだに先生の逝去を信じがたいと思う人は多いことだろう。その気持ちを代弁したような一句である。誰かに先生の所在を問われたとしたら、「他界」という別館におりますと答えたい気分。そうなんだ、そうに違いないと合点する。「きっと又会えるよね」と思いたい。「春夕焼」は、ちょうど四十九日のあたりかもしれない。

◆海原秀句鑑賞 山中葛子

蒸発したき人の集まる花見かな 石川まゆみ
 満開から散り終わるまでの桜の期間は短い。名所を訪れて、花に酔い酒に酔う花見は、日本人にとって忘れがたい風習なのだ。浮かれ心のままに蒸発出来たらどんなに良いだろう。しかし、そうは問屋が卸さないこの世。

巨岩この魂の冷え春逝くなり 伊藤淳子
 通いなれた秩父俳句道場の岩場が悠然と見えてくる。巨岩はそのまま巨星金子兜太先生へのオマージュとなっていよう。わが魂のあり様は、巨岩と共に冷えまさる抒情を象徴した哀悼そのもの。もう春が逝くという自然界のなんという速さであろうか。

朱夏なれや大海原に彼の光 大池美木
 「海原」への旅立ちが微笑んでいよう。「彼の光」は、やや抽象的でありながら彼方なる標的の確かさを存在させているのだ。近づけど届かない希望という光源のプロセスが鮮やか。

先生の杖が麦秋なでてゆく 大髙洋子
背を押してくれし神あり麦の秋 松本勇二
たたむべき空しさに一礼麦の秋 深山未遊
 「麦の秋」の三句。ここには、それぞれの神話めいた映像が創造されていよう。一句目は、ことに鮮やかな熊谷の麦秋に立つ兜太先生が目に浮かぶ。先生の杖は、まるで魔法のようで優しく逞しく人々を成長させてくれるのだ。そしてそれは、二句目の「麦の秋」にも通じよう。三句目は、師を失った哀しみの余情を「たたむべき空しさ」に高めた「一礼」という挨拶を存在させている。

夢の兄ふと水切りを投げんとす 尾形ゆきお
 亡くなられている兄であろうか。水切りの小石を飛ばす遊びに興じている夢であろうか。「投げんとす」の一瞬の光景は、まだ手の中にある小石の鮮やかさでもあろう。われにかえる夢の覚め際に誘われる。

海鞘を割くまだ人間でいるつもり 狩野康子
 震災から七年を迎えて、いまだに定まらない複雑な日常感が窺える。「まだ人間でいるつもり」の自虐めいた心のあり様は、「海鞘を割く」海の生き物と共にある自然じねんを極めた詩力にみちている。

芽起こしや影ごうごうと「存在者」 北村美都子
 黒ずんだ煙のような芽吹きの感触は、ものの影たちがごうごうと音を立てている生き物感覚そのもの。「存在者」金子兜太師が乗り移っている「海原」創刊への響き。

子宮かろし春昼の橋渡り終へ 小西瞬夏
 「女性は子宮でものを考える」と言ったのは、八木三日女であったか。そうした女性特有の、感受性ゆたかな気分が軽快に伝達されてくる。と同時に男性の存在が意識されてくる不思議さ。眩しいほどの到達感なのだ。

オノマトペが降りそうな空亀鳴けり 清水恵子
  俳人好みの「亀鳴けり」の季語の妙味。その心は「オノマトペが降りそうな」空模様だという想定が面白い。無限に近いオノマトペを感知できそうな俳諧味。

青葉騒アンモナイトのデッサン画 田中亜美
  古生代のデボン紀から中生代末まで生存のアンモナイトは、殻の構造はオウムガイに似て大きなものは直径二メートルに及ぶ。デッサン画の謎めいた美しい構図と、青葉のちかちかとした光線の騒めきが、地球の歴史を呼び覚まして神秘的。

はつなつの聖堂静脈の昏さ 月野ぽぽな
 ここには、二つの読みがあろう。一つは、「はつなつ」の光線をあびた聖堂がまるで静脈の昏さを持つ生命体に感じられるという読み。もう一つは、眩しいほどの聖堂の明るさが、反射的に「静脈の昏さ」を意識したときの光と影の景を立ち上がらせた二物配合の読み。いずれにしても、わが肉体の静脈を感受した見事さと言えよう。

春が逝く白抜きのわたしのカモメ 鳥山由貴子
 先ずは映像力がゆたか。「白抜きのカモメ」は、一服の絵画となって読者に新鮮に語り掛けてくる。何といっても永遠の羽ばたきを我が物にした私性が浮き彫りにされているのだから。ああ春が逝くのだ。

兜太先生白梅咲いてますねここ 中内亮玄
 〈白梅や老子無心の旅に住む〉が思われてくる。それよりなにより、兜太先生と会話している感応のみごとさ。余情たっぷりな即興こそのリズム感。

オリオン南中師のぬくもりのまだありて 長谷川順子
 兜太先生の好きだった「オリオン南中」。二月二十日の夜は、篠田悦子さんと病院に駆けつけられ、息を引きとられたばかりの先生の体温はまだ温かく涙の時をすごされたとか。先生のご遺体がご自宅の玄関に入られたのを見届けて、長谷川さんが家に帰ると午前二時ごろの夜空は、オリオン南中であったという、瞬時の句が尊い。

◆金子兜太 私の一句

 富士たらたら流れるよ月白にめりこむよ 兜太

 平成二十七年に、金子先生から戴いたこの色紙。壮大な、動かない自然と動く自然との融合。すこし俗(?)な言葉の裏に、それ故に尚のこと浮き彫りになる、夢幻の世界。富士山のなだらかな、しかし鋭い稜線が月白に突き刺さる情景は、神々の妖しくも秀麗な交合とも思え、加えて先生のシャイな心も仄見えて、私の愛誦句のひとつとなった。句集『旅次抄録』(昭和52年)より。茂里美絵

 唯今二一五〇羽の白鳥と妻居り 兜太

 昭和五十九年の瓢湖での作。恐らく湖畔に掲示されていた白鳥飛来数を、そのまま取り込んだ。大きな数詞、そして字余り。しかし定型感に全く破綻がない。ばかりか弾む息遣いの生き生きした韻律。かつ臨場感。ズームアップされた犇めく白鳥と妻との美しく耀きあう一瞬(存在としての妻と白鳥)。兜太六十五歳・皆子五十九歳。命の高揚と華やぎと。句集『皆之』(昭和61年)より。藤野武

◆海原集〈好作三十句〉武田伸一・抄出

手になじむ万年筆が生み出す詩 安徳由美子
踏み鳴らす能舞台まで麦の秋 石田せ江子
魔が差したとわかっているよ青芒 泉陽太郎
北千住商店街や蝸牛 大池桜子
みんな無口に風死す無言館を去る 大野泰司
暦から三月十一日消し去りぬ 金澤洋子
夏草を踏み心地良い筋肉痛 川嶋安起夫
青葉闇くちうつしすることばかな 小松敦
天空と辛夷のあわい白濁す 斉藤栄子
蝶止まるてのひら血のかよふ感覚 三枝みずほ
立ち話行者にんにくに終始せり 榊田澄子
落し文鯉のもみ合う口あまた 白石修章
遠野初夏魑魅魍魎は国家から 関無音
パソコンを手放すためらい春夏日 関口まさと
長く細い尾だ母の日の霧笛 たけなか華那
手毬花ペンを置く時俯きぬ 立川真理
進学は夢の向こうや花は葉に 立川瑠璃
激論も心地よき和や夏料理 谷川瞳
往く蟻に帰りの蟻が何か言う 寺口成美
春の虫名など知らねど打ちにけり 中神祐正
古雛マグマを溜めし妻の笑み 中川邦雄
リュウマチの母や茅花をうましと言う 中谷冨美子
限りなく母に染まる日沈丁花 中野佑海
薄明や蛻の蟬に息残り 中村セミ
うりずんとう響が好きで手をひらく 仲村トヨ子
レコードの傷音痒き暮春かな 前田恵
青蛙地球まるごと蹴る構え 増田天志
砂時計の中に二匹のアリジゴク 望月士郎
最短を海図に描きヨット発つ 山本きよし
青き踏む一頭の蝶に変るまで 吉田和恵

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