『海原』No.37(2022/4/1発行)

◆No.37 目次

◆海原秀句 同人各集より

安西篤●抄出

長命の虎の巻其の二猫じゃらし 綾田節子
羽後残照見開き悼武藤鉦二兄ひと言夜の灯 有村王志
冤罪は小さな箱の中粉雪 泉陽太郎
欠礼のはがきガラスに点る顔 市原正直
野仏の膝は日溜り冬の蝶 伊藤巌
冬薔薇を植え片思い日常に 大池美木
立冬の椅子の周りに椅子のあり 小野裕三
ブースター接種告知板から冬の蜂 桂凜火
ぞくぞくと冬芽哀しみは未だ半端 加藤昭子
沖縄にない狐火を表記せよ 河西志帆
しゃらしゃらと狐狸の目をして着脹れて 北上正枝
新資本主義群集の白長須鯨しろながす 今野修三
木の実ふるふる整理整頓苦手組 芹沢愛子
黄落や祈る形で佇めり 髙井元一
鳥風か追憶のページさざなみす 田口満代子
十二月選ぶ感情的な花 たけなか華那
冬蝶や誰も気づかぬ風がある 竹本仰
淡く濃く人はみな泣く桜かな 田中信克
つぎはぎの重い空から雪の花 中内亮玄
死なぬならまだのんびりと根深汁 中川邦雄
「照一隅」クリスマスの灯に隣るかな 新野祐子
早世の墓誌銘に触れ風花 根本菜穂子
若き白息伐られ大地に身を打つ木 藤野武
去年から開かぬシャッター冬銀河 藤原美恵子
枯菊を焚くや感情かをりたつ 前田典子
綿虫や二度寝のようにあなたと逢う 宮崎斗士
私の棲むわたしのからだ雪明り 望月士郎
月蝕やどこかで冬のサーカス団 茂里美絵
良縁をまとめどさっと深谷葱 森由美子
着膨れてアナログ気取る老教師 渡辺厳太郎

野﨑憲子●抄出

兜太かなおいと貌出す春の山 有村王志
白鳥のおさなり後ろ手に歩く 石川青狼
爪のびた〜港公園冬うらら 石川まゆみ
野仏の膝は日溜り冬の蜂 伊藤巌
その魚いずれやってくる冬至かな 上原祥子
富士薊ごつつい刺に雨滴溜め 内野修
仮面の赤アラビア文字の立ち上がる 大西健司
ゲルニカの馬のいななき人類よ 岡崎万寿
小春日が大好きなんだ鳶の笛 河原珠美
正義は直感すぐ折れる水仙 黍野恵
狩人にくっついていく風や雲 こしのゆみこ
つぶやきをAIききとってうさぎ 三枝みずほ
もみじ葉のはぐれて光となる遊び 佐孝石画
降り切って冬空太古の紺流す 十河宣洋
流感処分の鶏に隊列十二月八日 高木一惠
定住漂泊うつつごころに初しぐれ 田口満代子
蹉跌あり桜紅葉の黒き染み 田中亜美
吉野源流秋螢よろぼうて 樽谷宗寬
冬晴れの原爆ドーム命美し 寺町志津子
月冴ゆるぞっとするほど痛き街 豊原清明
「照一隅」クリスマスの灯に隣るかな 新野祐子
ゆつくりと昔をほどく大焚火 故・丹羽美智子
球音響く軍神二十歳の冬森に熊 野田信章
血管を見せにくる馬雪催 松本勇二
つくづくラクダおもいきり嚔して 三世川浩司
シナリオを捨てていよいよ冬の蝶 宮崎斗士
山眠る霊長類の笑い皺 三好つや子
どどん「どん底」客席にマスク百 柳生正名
ひとつたましい月光浴に焦げる焦げる 山本掌
柊の花より淡く母居たり 横地かをる

◆海原秀句鑑賞 安西篤

羽後残照見開きひと言夜の灯 有村王志
 「悼武藤鉦二兄」の前書きがある。「見開きひと言」は、秋田の武藤氏の在地とその句集への、親しみと敬意を込めた挨拶句であろう。昼間の仕事を終えた夜、机上に『羽後残照』を開いてひと言、「読ませて頂きます」と故人に挨拶して読み始めたのではないか。その開巻第一句を読んだとき、「羽後残照」を真浴びしたように体感したに違いない。「見開きひと言」に、作者の追悼の姿勢が深く刻み付けられている。

冬薔薇を植え片思い日常に 大池美木
 作者の本意がどういうものかよくはわからないが、冬薔薇を植えて、片思いを日常的に思い返したいと書いている。冬薔薇に、片思いにつながるものを感じているのだろうか。おそらくは遠い思い出で、思い返すたびに、ちょっと切なく、甘く、若やいだ気持ちに帰ることができる。冬薔薇の花の質感に呼び覚まされ、しばしその陶酔感に浸る気分を味わっている。冬薔薇のひめやかな気配にも合う。

しゃらしゃらと狐狸の目をして着脹れて 北上正枝
 「しゃらしゃら」は、薄い布などが軽く摩擦する様子を表す擬音語。ややマイナスよりのイメージで、軽薄さを暗示するという。「狐狸の目をして」とあるから、和服を幾重にも着込み着膨れている様は、狐や狸が化けたようにも見える。このような風俗風刺の句は、よほど自分がしっかりと立っていなければ悪ふざけになりかねない。ご主人を亡くされてなお、このように冷静な批評眼を失わない作者に脱帽する。

新資本主義群集の白長須鯨しろながす 今野修三
 今日の時事的課題を端的に取り上げ、生まの時事用語と比喩によって表現した野心作。俳句というより川柳に近い散文的批評性を持つ。「新資本主義」はいうまでもなく岸田首相が提唱した政治思想または姿勢で、中身はひと言で言って、所得格差を縮小して経済を安定させ成長と分配の好循環を図ること。「群集の白長須鯨」とは、いわゆるポピュリズムを指す。その口当たりの良さを読者に問題提起して、さあどうすると迫って来る一句。

十二月選ぶ感情的な花 たけなか華那
 十二月は一年の総決算の月だけに、日常はあわただしく、一年を振り返ればさまざまな思いも行き交う。その中で作者のいう「感情的な花」とは何で、「選ぶ」とはどういうことなのか。おそらく、一人ひとり違う花で、他人の花を賛美するというより、否定的に見たり、ねたましく思ったりしているに違いない。作者はそんな感情的な花をどう選ぶのか、まだ迷っているのかもしれないし、誰かに勧められたとしても、決して納得することはないだろう。そんな際どい心理を句にしたようにも見える。

淡く濃く人はみな泣く桜かな 田中信克
 桜は、日本人独特の無常観と結びついた詩歌の世界の代表的な花で、単に花といえば桜を指すとさえ言われている。だからこの句は、桜に寄せる日本人の通念的心情を、ごく庶民感覚的に書き留めたものともいえる。桜を見ては、「人はみな泣」いてきた。それは必ずしも悲しみばかりでなく、喜びに於いてさえ泣いた。その感情の圧力もさまざまで、時に応じて「淡く濃く」なった。上五に据えたニュアンスが桜の歴史的質感だった。

若き白息伐られ大地に身を打つ木 藤野武
 「若き白息」で切り、山深い森林で、伐採に勤しんでいる若者像が浮かぶ。中下では、伐られてどうと大地に倒れ伏す巨樹を描く。昔からある林業の実景だが、最近は我が国の林業も長引く不況と人手不足から存続の危機に立たされているようだ。その中で掲句のような大自然の原風景に立つ木の力感と若者の立ち姿には、生まの生きもの感覚が息づいていて、にわかに力づけられるような気がしてくる。

枯菊を焚くや感情かをりたつ 前田典子
 前掲たけなか句の〈十二月選ぶ感情的な花〉とは好対照の一句。たけなか句の方が心象映像的なのに対し、前田句は即物的な生きもの感覚ともいえよう。筆者は枯菊を焚くかおりを経験したことはないが、おそらくのこんのいのちを感じさせるような、老いの情念にも似た、かぐわしい「感情のかをり」があるのではないだろうか。枯菊の焼ける物音にも、激しく感情を揺さぶられながら。

綿虫や二度寝のようにあなたと逢う 宮崎斗士
 日常心理の襞を軽妙な比喩で新鮮に捉え返す感性において、作者の右に出るものは、わが「海原」においてもそうはいないだろう。冬のどんよりした日に、綿虫が白い灰のように二三そして四五と舞い上がってくる。その気配に二度寝のような倦怠感を覚えながら、「あなたと逢う」という。どうやら二人の間に漣が立ち始めたのかもしれない。こういう負の心理感覚は、この作者には珍しいものだが、これも作品世界の新しい局面として拓かれたものだろう。

◆海原秀句鑑賞 野﨑憲子

兜太かなおいと貌出す春の山 有村王志
 二月二十日の金子兜太師の忌日を前に稿を書き始めた。他界の師は、高松での句会へも来てくださっている気配がある。〈おいと貌出す〉がいかにも先生らしい。「海原」の将来を見守ってくださっていると確信している。

その魚いずれやってくる冬至かな 上原祥子
 一読、飯島晴子の言葉が蘇った。「……そのなかには、俳句という特殊な釣針でなければ上げることの出来ないものが、必ずあるという強い畏れを感じる。小さい魚だから小さい針とは限らない。大きい魚だから小さい針ということも成立つ」。そんな幻の魚を待っている人がここにも居た。奇跡は信じる人のところにきっとやってくる。

ゲルニカの馬のいななき人類よ 岡崎万寿
 ピカソが、母国スペインのバスク地方ゲルニカへの無差別空爆を描いた傑作「ゲルニカ」。絵の中の馬の嘶きは、ますます大きな叫びとなっている。今まさに崖っぷちにいる人類へ、掲句の問いかけが、さらなる珠玉の句を生み渦となり全世界へ広がるよう願わずにいられない。

正義は直感すぐ折れる水仙 黍野恵
 直感はほとんどが当たっている。正義は直感であると断言する作者。〈すぐ折れる水仙〉の切り返しが見事。でも束にしたら折れない。「花八手愛敬じゃなくくそ度胸」の句も、実に小気味よい。限りなく前向きな黍野さんの真骨頂の作品である。

狩人にくっついていく風や雲 こしのゆみこ
 風や雲が従ってゆく、この狩人はマタギ。天地に祈り感謝し、必要なだけ狩をさせてもらっているのだ。自然と共に生きることの大切さを教えてくれる作品である。こしのさんの作品には、愛が溢れている。

つぶやきをAIききとってうさぎ 三枝みずほ
 このAIは、兎の形をしているのだろうか、平仮名の真ん中にアルファベットの二字。なんだか風のリボンのように見えてくる。五句の中には「石仏を打つ雨わたし濃くなりぬ」「世界中の時計を合わすつめたい手」。鋭敏な生きもの感覚と宇宙をも俯瞰した俳句眼。金子先生にお会いしたかったと熱く語る彼女に、師は他界で頷きながら眼を細めていらっしゃることだろう。

流感処分の鶏に隊列十二月八日 高木一惠
 鳥インフルエンザに罹った鶏の殺処分報道の度、他に方法が無いのかと胸が痛む。〈鶏に隊列〉に続く、太平洋戦争開戦日。その通底するものに愕然とする。掲句は、人類の足元を見直す大切な警句であるとおもう。

「照一隅」クリスマスの灯に隣るかな 新野祐子
 「照一隅」は、長年、アフガニスタンに赴き、医師としての活動の枠を超え用水路の建設など現地の人たちに寄り添い続け銃弾に倒れた中村哲さんが愛した言葉。その仏教用語とクリスマスとの絶妙の対比。仏教もキリスト教もイスラム教も包含した他界、即ち「いのちの空間」へと向かう深い愛を見事に表現している。

ゆつくりと昔をほどく大焚火 故・丹羽美智子
 丹羽さんは百歳。齢を重ねるからこそ見えてくる世界がある。大焚火の炎の中に、色んな時間が浮かんでは消えてゆく。

球音響く軍神二十歳の冬森に 野田信章
 二十歳で英霊となったこの青年は野球が好きだったのだろう。〈冬森に〉に万感の思いが籠る。他に、「洗われて入れ歯カッカッ笑う冬」。野田さんの、傘寿を超えた今も健在の少年の眼差しと、深い俳句愛、そして真摯な生き様に限りなく憧れる。

シナリオを捨てていよいよ冬の蝶 宮崎斗士
 最後の「俳句道場」での閉会の辞を述べた宮崎さんの、バナナの化身のようなコスチューム姿が今も忘れられない。バナナが大好きだった師は、よく道場の机の上のバナナを眼を閉じて美味しそうに召し上がっていらした。この粋な芝居っ気に「海原」の僥倖を感じた。そう!シナリオを捨てて表舞台へ、冬蝶さんよ。これからが、いよいよ人生の本番。「海原」から新しい神話が始まる。

どどん「どん底」客席にマスク百 柳生正名
 猛烈なビートで、どん底を蹴飛ばしてコロナ後に新しい時代がやって来る。「布団の奥アンモナイトの息をする」「てつぺんでキューピー尖る師走八日」も柳生さん。始原から現代へ、様々な時代を詠み込み進化してゆく。これぞ『俳諧自由』の「海原」発、俳句新時代!

ひとつたましい月光浴に焦げる焦げる 山本掌
 この美しい調べに魅了された。〈ひとつたましひ〉の倒置の妙。月光浴に焦げるという感性の豊かさ、全身全霊で月光浴をしているのだ。まさに魂の歓喜の詩。

◆金子兜太 私の一句

三日月がめそめそといる米の飯 兜太

 飯粒の一つ一つの擬人化であろう。日本人なら毎日、口にしているそれこそ糊口である。作者の意図から離れて、改めて字句を追うと“ぞ”と読める。ネガティブな思いが浮かび上がってくるが完円ならぬ月に古来から米に纏る物語がここにある。米を作る人、それを食べる人が見えて来よう。狩猟生活から定住農業以後の道程という先人の営みの泥土と苦汁が見えて来るのではないか。句集『蜿蜿』(昭和43年)より。佃悦夫

木曾のなあ木曾の炭馬並びる 兜太

 俳句道場でのことでした。私が句稿を書く当番になり、あと一句兜太先生の欄が空いていました。鈴木孝信氏が優しく厳しく先生を見守っておられる。先生は「うーん、うーん」とうなっておられる。道場出席者全員のため誠実に考えぬかれる姿でした。とても懐かしい思い出です。この句の「糞る」は信州北信地方では日常使ってましたが、句に会った時は驚きました。句集『少年』(昭和30年)より。梨本洋子

◆共鳴20句〈1・2月号同人作品より〉
〇印は2選者の共選句 ◎印は3選者の共選句

伊藤歩 選
舌足らずの鬼灯一灯いかがです 石川青狼
訃は岬白い夜長のはじまれる 伊藤道郎
濁世美し解体現場の藪枯らし 尾形ゆきお
榧の実や受け入れること笑うこと 奥山津々子
大根や一粒の種みごとなり 尾野久子
捨田から始まる花野父点る 加藤昭子
北塞ぐ窓から夜の川流す 河西志帆
木の実落つ独りよがりの子煩悩 楠井収
群衆の眼に忘却の泡立草 佐々木義雄
鉦叩にんげんが急にあふれたよ 長谷川順子
葛の花だったような雨のいちにち 平田薫
蓑虫や笑顔をしまいかねている 藤田敦子
故郷遠し枝豆の湯気青臭く 藤野武
小鳥来る少しづつあきらめも来る 前田典子
能面の右目左目雪虫飛ぶ 前田恵
○犬抱けば犬も木霊を待ちをりぬ 水野真由美
もう隠せない秋バラそれぞれの深傷ふかで 村上友子
淋しらを洗濯する娘十三夜 森鈴
○夕かなかなちちはは水になる途中 茂里美絵
酒に泡浮き十三夜月咲いた 柳生正名

中内亮玄 選
新米の湯気にしばらく顔を寄せ 伊藤雅彦
骨上げのコトコト鳴りぬ今年酒 上野昭子
色即是空問題は秋の雨 大西健司
退屈は罠だ秋の蚊が匂う 尾形ゆきお
秋冷や我に「訓練」という輩 川嶋安起夫
既読既読玻璃の底なる十三夜 川田由美子
蟷螂のよそ見する間に駆落ちす 河原珠美
西鶴忌外科医の朱いスニーカー 黒済泰子
秋風の孕み楕円の路地に入る 佐々木義雄
まじめに泣く赤ん坊です天高し 竹田昭江
落花生パッキパッキの個性です 田中裕子
連雀や星ぼし速さ競い合う 豊原清明
色変へぬ松や多感な米寿なり 中川邦雄
寒月よ花挿すように絶句せよ ナカムラ薫
さりげなく墓仕舞のことちちろ鳴く 平山圭子
○腹やら腰やらずしりと笑う柿熟す 藤原美恵子
秋の蚊の離れたがらぬわが臀部 三浦静佳
猫の耳つまみ尽くして冬野なり 水野真由美
ふってきたどんぐりピカピカ児の歌も 三世川浩司
露草に雨腐れ縁のような雨 梁瀬道子

望月士郎 選
魂に宿る肉体白鬼灯 泉陽太郎
木耳のふくよか夕日の耳打ち 伊藤清雄
わたくしの内の雌雄や菊人形 榎本祐子
赤ちゃんも地球も丸い林檎剥く 大池美木
辞書の上空蝉ふたつ組み合はせ 木下ようこ
蝉時雨われを遠くにしていたる 黒岡洋子
老眼のツルとマスクの絡みかな 佐藤稚鬼
白曼珠沙華母の晴れ着の端切れです 鱸久子
漢字すべてにルビふる鏡花星月夜 芹沢愛子
切り取ってぺたっと貼った満満月 たけなか華那
すこしあかりを落とす身中虫の声 竹本仰
実石榴の軋んで少女たちの黙 月野ぽぽな
いぼむしり泳ぎ疲れたように街 遠山郁好
実紫ネパール人の密語洩れ 日高玲
紫苑とても遠い日があったむらさき 平田薫
花芒揺れて私という彼方 藤原美恵子
○犬抱けば犬も木霊を待ちをりぬ 水野真由美
まんじゅしゃげ白まんじゅしゃげ長い宿題 室田洋子
○夕かなかなちちはは水になる途中 茂里美絵
あかのままあだちがはらのあやとり 山本掌

森武晴美 選
台風接近真っ先に飛ぶ口約束 石川青狼
十六夜やコロナ以外のあまたの死 江良修
我が儘と自由の間濁り酒 大西恵美子
薄原遠くで呼ぶから答えない 奥山和子
手話の指秋の光を掬いあげ 狩野康子
やぶからし一行目からまちがえる 河西志帆
蔓ばらは身に曲線の支柱得て 北村美都子
感情だって夏痩せします自粛自粛 黒済泰子
握手してハグして青春マスカット 小林花代
雷のとどろき余生裏返す 佐々木昇一
コスモスに空は空色用意して 篠田悦子
独り身っぽい男が夫しゃくとり虫 芹沢愛子
被曝の葛被曝の柿の木を縛る 中村晋
水澄むやうらもおもてもなくひとり 丹生千賀
寝違えのこむら返りのからすうり 平田恒子
大胆に水溜りの月跨ぎくる 平山圭子
○腹やら腰やらずしりと笑う柿熟す 藤原美恵子
出不精でも引き籠りでもなし鶏頭咲く 深山未遊
落葉とマスク掃き寄せていて祈る 村上友子
目汁鼻汁干からびゆくよ赤のまま 村松喜代

◆三句鑑賞

訃は岬白い夜長のはじまれる 伊藤道郎
 比喩を使って、きっぱり言いきった書き出しに意表を突かれました。岬は、海に迫り出した陸の孤島。絶え間なく聞こえる波音と風音は、突然の訃報に、襲ってきた孤独感と、動揺する心の内を表しているようです。色の使い方も巧みで、これから始まるであろう眠れない長い夜を思い、暗澹とするのです。

小鳥来る少しづつあきらめも来る 前田典子
 「あきらめ」の内容によっては深刻になりがちなことも、擬人法を使ってさらりとうたっています。小鳥を見かけることが増え、嫌でも夏の終わりと秋の訪れを意識するようになった頃、季節の移り変わりと共に失っていく人や物。自身の老いと共に縁遠くなった行動などもあるかもしれない。三つに切れるリズムも句の内容を伝えてくれています。

犬抱けば犬も木霊を待ちをりぬ 水野真由美
 犬は興奮するとよく震えることがあって、そんな時抱きしめると、その震えが伝わってきて、その命に感じ入ります。言葉を使っての意思疎通はできなくても触れることで伝えたり共有したりできるものもある。一人と一匹が共有できた楽しい時間や感情を思い出しました。
(鑑賞・伊藤歩)

秋風の孕み楕円の路地に入る 佐々木義雄
 商店街の路地を歩けば、突き当りが楕円の広場にでもなっているのか、あるいは路地へ入っていく私の視界が丸く歪むのか、「楕円」のイメージが虚実を膨らませる作品。楕円の路地に楕円の私がさまよえば、くるり落葉を舞い上げて、たっぷりとぶつかってくる秋の風。療養中の作者には、新しい命をも感じさせるその風の重さ。

猫の耳つまみ尽くして冬野なり 水野真由美
 飼い猫を撫でながら、耳をマッサージしてやる。皆さんはご自分の耳をつまんでみて欲しい。さて、それは物思いにふけっているのか作句に悩んでいるのか、いずれにせよ何か考え事をしている時の姿ではないだろうか。本当につまんでいるのは猫の耳か私の耳か。生ぬるい被膜をつまんでいれば、枯れた冬野に行き当たった。

ふってきたどんぐりピカピカ児の歌も 三世川浩司
 どんぐりが降っている。子どもたちが歌を歌うなら、もちろん「どんぐりコロコロ♪」だろう。掲句は一読、コロコロをピカピカと替えた、動きの擬態語を形態の擬態語に替えた、つまらぬ工夫がされている。ところが、何度も読み返すうち、「どんぐりピカピカ」が実にいいことに気づく。子どもたちの目が、輝いている。
(鑑賞・中内亮玄)

辞書の上空蝉ふたつ組み合はせ 木下ようこ
 蝉殻のあの形態からすると、この「ふたつ」は相撲の蹲踞の姿勢から立ち上がり、組み合おうとする瞬間に似ています。土俵は辞書、できれば『大辞林』がよいでしょう。言葉という幼虫がこの林の地中にうようよです。完全主義を目指す辞書の上に置かれた空蝉=現し身。辞書と空蝉の軽重いの対比も妙です。

白曼珠沙華母の晴れ着の端切れです 鱸久子
 「晴れ着」と「端切れ」がアナグラムの関係にあります。このささやかな発見は、人の一生を鮮やかに象徴するものとなっていて、秘密を解く鍵のような効果をしています。赤ではなく白い曼珠沙華の斡旋も静かな毒を感じさせ、「ハハ」「ハレギ」「ハギレ」の頭韻も、なにやらの呪文のように秘密めいて響いてくるのでした。

あかのままあだちがはらのあやとり 山本掌
 全ひらがな表記、「あ」の頭韻、それに十六音中十一音を数える「A」の母音。「あかのまま」「あだちがはら」「あやとり」の三題噺を仕上げるのは読者それぞれに任されます。しかし、意味で繋ごうとすると途方に暮れるのです。抽象絵画における色、形、配置のように、言葉の戯れを愉しめば良いのでしょう。
(鑑賞・望月士郎)

十六夜やコロナ以外のあまたの死 江良修
 デルタ株が収束しつつあった昨年末、オミクロン株がこれほど蔓延するとは思っていなかった。毎日感染者は急増し、ワクチン接種は進まない。一方、コロナ以外の死も当然あるのだが、報道はされていない。作者は医療従事者として、その死に深く向きあっている。十六夜の月がやさしいのか、冷たいのか、胸中やいかに。

コスモスに空は空色用意して 篠田悦子
 空に空色は当たり前のようだが、案外少ない。冬は曇天だし、春には霞がかかり、梅雨空となる。コスモスが一番映えるバックは何か、やっぱり青空。濃い青色よりも薄い空色。空が空色を用意したと詠んだ作者の気持ちがやさしい。空色の空の下、それぞれの色を風に揺らして咲くコスモス。この風景をいつまでもと思えた一句。

寝違えのこむら返りのからすうり 平田恒子
 一読して思わず笑ってしまった。上五中七を「の」で繫いだことでリズムが生まれ、その流れがからすうりにうまく乗ったと思う。笑い事ではない、寝違えもこむら返りも、からすうりの色や形で救われたような気になる。からすうりも、よく詠まれる季語ではあるが、なかなか手強い相手。うまく処理した句と思う。
(鑑賞・森武晴美)

◆海原集〈好作三十句〉武田伸一・抄出

冬銀河柩にはふる十七音 有馬育代
冬蝶のステンドグラスとなり了る 淡路放生
折り目から地図破れゆく冬の雨 井手ひとみ
後輩の息子いっぱし阪神忌 植朋子
冬休み少女は安吾を読むと言ふ 上田輝子
すぐみかんとか出してくる母が好き 大池桜子
事始めとうカレンダー誰も来ぬ かさいともこ
入学の二日前から風呂にこもる 葛城広光
犬小屋に居らぬ次郎に冬桜 河田清峰
茶の花の明るい家の明るいひと 日下若名
スマホの手覚束無くて寅彦忌 古賀侑子
アフガンの飢えの紙面へ薯の皮 後藤雅文
十二月八日補聴器に雑音 小林ろば
どの人も師走になってゆく風か 重松俊一
我が生のここまで来たる木の葉髪 鈴木弘子
泣きそうに恍惚の中枯蟷螂 宙のふう
「ニーッ」といふは笑いの形受験生 立川真理
冬薔薇四季咲きといふ疲れかな 立川由紀
人といふ病ひのありてちちろ鳴く 立川瑠璃
キュビスムの句詠みたき夕焼ピカソ展 平井利恵
新しい資本主義とか枯空木 深澤格子
冬兆す出羽や荒ぶる神を抱く 福井明子
大根煮て醤油懐柔されにけり 福田博之
にぎはひの中心なからに老母春近し 松岡早苗
短日や地を打って竹籠を編む 村上紀子
盂蘭盆會戰に死にし碑は高し 吉田貢(吉は土に口)
水仙のピエロにみへてひきかへす 路志田美子
冬の雨言葉を探す医師の手美し わだようこ
大寒の虹骨壺に納めけり 渡邉照香
枯芒まだ返り血は乾かない 渡辺のり子

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