『海原』No.19(2020/6/1発行)

◆No.19 目次

◆海原秀句 同人各集より

安西篤●抄出

冬落暉海に浮かんでいる享年 大沢輝一
沈丁花ぽろぽろ鬼の泣く話 奥山和子
回教徒冬の霧へと歩み去る 小野裕三
泥の海より車引き出す夜明けかな 金澤洋子
風評の不連続音春疾風 刈田光児
男手の無くて弥生のおろしがね 木下ようこ
春の星花文字を読むように 久保智恵
末黒野を行くちちははに影がない 小西瞬夏
掃きこぼす満天星の花街路灯 近藤守男
春の砂洗ったばかりの言葉かな 佐藤詠子
金縷梅が音立てて咲く師の墓域 篠田悦子
おぼろ夜の抽斗ひきだしアンモナイトの化石 清水茉紀
マスクして大群衆のひとりとなる 白石司子
父帰る樹齢百年梅の花 鈴木康之
初蝶来めしひの姉のかぶくかな 髙井元一
やまとことのは葱美しき水辺かな 田口満代子
人去りてあしびの花に次の雨 竹田昭江
嘴のやうなるマスク花ミモザ 田中亜美
野遊びのみんなが消えた野が消えた 椿良松
白鳥は帰りミルクの賞味期限 遠山郁好
ひなあられ光を玉にしてこぼす 中内亮玄
春の野に入口ぽろんと置いてきた ナカムラ薫
煮凍りや真顔で「どなた」と仰せらる 中村道子
春光のソナタ形式にて老女 日高玲
廃炉まで死なぬ耕しの鍬一本 船越みよ
老優のほほえみ冬のしゃぼん玉 本田ひとみ
死んだ気がしないと兜太蕗の薹 深山未遊
しあわせの形状記憶ミモザ咲く 室田洋子
ど忘れのように父いる潮干潟 望月士郎
無観客にて蝶生まれ白墨折れ 柳生正名

遠山郁好●抄出

逃げ場ない夜は蜆の水覗く 伊藤歩
誰かく影より淡くあめんぼう 伊藤淳子
冬の谷岩の凹みに水死せり 内野修
春九十歳あと十年は背負い投げ 大内冨美子
蟷螂や五郎丸さんのルーティン 金澤洋子
耕読舎こうとくしゃと名付けし納屋や吊し雛 神田一美
涅槃西風過去がだんだん丸くなる 北上正枝
青年は脱皮途中に陽炎える 金並れい子
沖見尽くして二月のきれいな顔 三枝みずほ
春の砂洗ったばかりの言葉かな 佐藤詠子
病める子よ雪女郎は語らない 下城正臣
両手で受ける遍路のお鈴波の音 鱸久子
歩いているこころが葉っぱっぽくて小春 芹沢愛子
何処までも僕の肉体冬の空 高木水志
やまとことのは葱美しき水辺かな 田口満代子
白鳥飛べば散華のよう私 田村蒲公英
日に九里けふは葛城山かつらぎ猪駆ける 樽谷寬子
苔清水見えぬ眼冷やす老博徒 遠山恵子
野兎は少年火薬庫までの距離 鳥山由貴子
にわとりもりらの真昼をたそがれて ナカムラ薫
霾ぐもりひりひりひりと手を洗う 丹生千賀
芹を摘むまもなく風がとどきます 平田薫
手鞠花ことばと息をまるく出す 北條貢司
木星の匂いね新しい布団 前田恵
鰯の頭生物兵器かもしれぬ 松本豪
陽炎それからやすみがちな本屋 三世川浩司
掌の雪のようです眠る君 森由美子
須磨恋したいやきの餡はみ出して 矢野千代子
冬ひと日心澄まねば筆を置く 山田哲夫
一番三番テーブルに水春疾風 六本木いつき

◆海原秀句鑑賞 安西篤

回教徒冬の霧へと歩み去る 小野裕三
 回教徒は、今ではイスラム教徒(ムスリム)と一般的に呼ばれている中東地域の人々。独特の服装に特色がある。男女とも、胴長の上からすっぽりかぶる黒っぽい衣装で、女性は特に顔を隠すスカーフ状のものを用いる。作者の在住する国際都市ロンドンあたりでは、よく見かける民族衣装かもしれない。そんな秘密めかした姿は、冬の霧の中にまぎれこむのにふさわしい。ロンドンは霧の多い街。霧に消えていく幻想性が生まれよう。

泥の海より車引き出す夜明けかな 金澤洋子
 作者は岩手の人だから、この句は東日本大震災を回想したものかもしれない。やはり岩手の俳人照井翠に「喉奥の泥は乾かずランドセル」がある。照井句は直接遺体を詠んでいるので、その迫真性には及ばないかもしれないが、照井句にはない景としての臨場感や時間の流れも見えて、夜明けとともに浮かび上がった被災地の惨状を浮き彫りにしている。

父帰る樹齢百年梅の花 鈴木康之
 今年は兜太先生生誕百年の年に当たるので、あるいはこの句のモチーフにも、それが意識されているのかもしれない。そうだとすれば、「父帰る」は師父としての兜太師が他界から帰ってくる日が含意され、「梅の花」は「梅咲いて庭中に青鮫が来ている」の庭の梅ともみられよう。当然「樹齢百年」は生誕百年を祝う挨拶が込められるとみてよい。そう読めるところが面白い。

人去りてあしびの花に次の雨 竹田昭江
 馬酔木の花の群落に、一団の人々が集まっている。つい今しがたまで小雨があったが、人々の鑑賞中は雨も上がっていた。やがて人々が去ると、思い出したように次の雨が降ってきた。それは偶然のことに違いないが、馬酔木鑑賞の一団へのサービスのような、こころ憎いもてなしのようにも見える。

ひなあられ光を玉にしてこぼす 中内亮玄
 雛飾りの美々しさもさることながら、ひなあられのおこぼれにあずかる時の待ち遠しさもまた心弾むもの。作者の住む福井あたりでは、女の子をもつ家庭なら今なお大きな年中行事となっていよう。ひなあられをお供えするとき、その幾粒かがこぼれ落ちた。あっと思った瞬間、ひなあられは「光を玉にして」こぼれ落ちたという。ひなあられに家族への思いが凝縮されている。

春光のソナタ形式にて老女 日高玲
 ソナタ形式とは、器楽形式の一種で、主要主題を持ち、提示部・展開部・再現部からなり、序奏や結尾部(コーダ)を付けることもある。人生をこのようなソナタ形式に則って過ごせる老人は、人生の勝者といってよいだろう。こんな人はざらにはいないが、稀にはいる。女流俳人なら、中村汀女、星野立子、細見綾子などが挙げられる。そういう人達の人生は、老いてなお春光の中に馥郁と香るような余生を送るのである。

老優のほほえみ冬のしゃぼん玉 本田ひとみ
 老優としゃぼん玉の取り合わせといえば、やはり昭和の映画全盛時代の老優が思い浮かぶ。ましてその「ほほえみ」ともなれば、滋味溢れる老け役笠智衆あたりが典型的なものだろう。孫たちの吹くしゃぼん玉の行方を目で追いながら、頬に深い皺を刻んで微笑む。そこには、苦労多かった人生を言挙げせず、ひたすら耐え忍んで生きてきたいぶし銀のような表情がある。しゃぼん玉は、そんな定めなき余生の行方を見ているようだ。

死んだ気がしないと兜太蕗の薹 深山未遊
 兜太師は生前『私はどうも死ぬ気がしない』という著書を書き、「いのちは死なない、「他界」に移るだけ」と述べておられた。おそらく今頃他界でも「どうも死んだ気がしない」と嘯いておられよう、蕗の薹が芽を出すこの時期に。師の命日も近い頃合。師のやや甲高い塩辛声のようにも響いてくる。親しみをこめた追悼の一句だ。

しあわせの形状記憶ミモザ咲く 室田洋子
 ミモザの花は、どこか南国の楽園の花を想像させるところがある。そこは、なぜかしあわせの宿る花園で、過ぎ越し人生のどこかで花開いていたような気がするものだ。ことに亡き肉親や愛する人々との日々は何ものにも代えがたい。そんなしあわせの日々の記憶が、ミモザの花を見るたびに甦るという。この句の「形状記憶」というメカニカルな表現は、作者の中で多年牢乎として棲みついている思い出なのだろう。

無観客にて蝶生まれ白墨折れ 柳生正名
 折からのコロナ禍問題で、さまざまなイベントが無観客で開催されている。そんな世相を風刺しながら、季節の生活感を巧みに織り込んだ一句。蝶が生まれても、外出自粛の折から見る人とてない。学校の黒板に問題を書いても、休校が続いては解を書く生徒とていない。すべては無観客のまま営まれるほかはない。季節の表情の裏に広がる自然社会現象の空しさを捉えている。

◆海原秀句鑑賞 遠山郁好

陽炎それからやすみがちな本屋 三世川浩司
 陽炎が立った。カミュの「異邦人」然り、人は一見、何の因果関係もない自然現象を理由に、しばしば自分の行為を正当化することがあるらしい。近頃の本離れの社会状況ばかりでなく、確かに陽炎自体、人を幻惑し、懶惰な気分にさせる。そして何より、この句の読み手を誘い込むような韻律にすっかり取り憑かれてしまい、そもそもこの本屋は最初から存在したのかさえ疑わしくなる。さっきまで鄙びた町の小さな本屋の主人の佇まいまではっきり見えていたはずなのに。

須磨恋したいやきの餡はみ出して 矢野千代子
 神戸淡路大震災のあと、作者はじめ関西の方々のお世話になり、海程全国大会で須磨に泊まったことがある。須磨は源氏物語や歌枕、そして様々な歴史上の地でもあり、その景と共に忘れ難い。この句、作者は全く日常的な鯛焼の餡のはみ出すことから、突然のように須磨が恋しいと言う。何の脈絡もなさそうな、遠いと思われていた二つの物の衝撃により新しい風景が見える。そのインパクトは大きい。そして今、ご自宅のある須磨を離れて暮らしておられる作者の、「須磨恋し」と衷心からの卒直な言葉に共鳴し、心が揺さぶられる。

耕読舎こうとくしゃと名付けし納屋や吊し雛 神田一美
 晴耕雨読からの命名でしょうか。職を退かれてからの悠々自適の生活が覗われる。耕読でなく耕読がいい。飄飄として。また今年も耕しの季が到来した。納屋には吊し雛が飾られている。この句では、中七ので大きく切れているが、単なる雛祭の頃の季節感だけに終わらず、実際に納屋には吊し雛が一吊り下がっていると読みたい。作者の充実した日々に艶も加わって。

手鞠花ことばと息をまるく出す 北條貢司
 旅をしていて、例えば、会津や紀州や秩父の鄙びた場所の道端や家の前の畑に、なにげなく咲いていた手鞠花は忘れられない。存在感のある大きな花なのに、取り分け主張するでもなく、然りげ無く咲く手鞠花が好きだ。純白で清らで抱えると何かもの言いたげに微かに揺れ、ふっと言葉を洩らすことがある。またその白さから生まれる陰影とその手おもりに耐えかねるような愁いから、まあるい息を吐く。そんな手鞠花が好きで、一本育てている。

蟷螂や五郎丸さんのルーティン 金澤洋子
 ラグビーの五郎丸さん、ゴールポストを前にキックするまでの独得のルーティンは、テレビを通して今も鮮明に残る。私はなんとなくフランシスコ・ザビエルの肖像画を思い浮かべていたが、それはちょっと陳腐だった。この句を見て、そうだ蟷螂だと共鳴してしまう。そのちょっとした気付きに共感し喜び合うのも俳諧の楽しみの一つ。この句の季語と切れ字の働きは大きい。それにしても、一途な者の仕草って、時に滑稽に見える。蟷螂も人もおかしな動物だなといとおしくなる。

掌の雪のようです眠る君 森由美子
 長く患われたご主人様を看取られた作者。最期は作者のてのひらで雪が解けるよう静かに永い眠りにつかれた。戻らない人と時への喪失感、物そのものに触れようとする感性が、今も切れるような悲しみと共にてのひらに残る。万感の思いで逝く人に献げる絶唱。

一番三番テーブルに水春疾風 六本木いつき
 透明であることを証明するため、無色無臭の水は透明なグラスに入れられ、そっけなく、ことんとテーブルに置かれている。ただそれだけ。一番三番とテーブルを番号で呼ぶのは、明らかに水を供する側の目線。それがこの句を一層クールにさせる。その時、まるでインスピレーションのように春の疾風が光と共にやって来た。それを眩しい程の若さと潔さでさっと切り取り、この句を提示した。これから何が始まろうとしているのか。今、一番三番のテーブルには水だけが置かれている。

今回の投句の中で、新型コロナウイルスに関する多くの句に出会った。

鰯の頭生物兵器かもしれぬ 松本豪
 ウイルスが拡がり始めた当初、感染源はどこかなどと盛んに詮索され、コウモリいやセンザンコウではないかとか、研究室からの生物兵器の流出説など、フェイクニュース擬いのものまで拡散された。鰯の頭は、節分に柊に挿す厄除けのおまじないだが、生物兵器かもしれぬと言われると反応してしまう。今は何を信じていいのか、いつ安寧は訪れるのか。

霾ぐもりひりひりひりと手を洗う 丹生千賀
 今はただ流言飛語に惑わされず、不要不急の外出を避け、作者の言うようにひりひり手を洗うことぐらいしか出来ない。ひりひり手を洗うと、折しもこの霾ぐもりの中、ひりひりこころが痛む。人類と感染症との戦いは、果てしなく続く宿命だと聞く。ウイルスとうまく共生する道を探るしかない。しかし今は、このウイルスに効く治療薬とワクチンを、ひたすら待つばかりだ。

◆金子兜太 私の一句

暗黒や関東平野に火事一つ 兜太

 師・金子兜太に、私を繋げた一句です。俳句でもと模索しているさなか、この句に出合いました。浮かんだ景は――上りの夜行列車。関東平野に差し掛かったあたり。真っ暗闇にぽっと火。「火事だ」禍々しくも美しい。不遜だが、その火に希望も見える。窓に映る顔、沈黙と葛藤と静寂。――窓に映るその男の声が聞こえたように思いました。これが俳句か、と衝撃でした。そして「私の師はこの人・金子兜太」と決めた一瞬でした。句集『暗緑地誌』(昭和47年)より。鱸久子

男鹿の荒波黒きは耕す男の眼 兜太

 昭和58年10月、俳句を学びたいと思い立って、八郎潟畔の句会の門を叩いた。その夜の会場は、「海程」同人の舘岡誠二さん宅。句会の室に、全紙の大きさで掲げられていたのが挙句。句の中の黒きのように、墨痕鮮やかな大字、男鹿の荒波が聴こえて来るような気がした。俳句を始めようとした日に出会ったこの句に励まされて、今日まで俳句を作って来た。句集『蜿蜿』(昭和43年)より。竪阿彌放心

◆共鳴20句〈4月号同人作品より〉
〇印は2選者の共選句 ◎印は3選者の共選句

大西政司 選
インドのようで寝相のようで日向ぼこ 宇田蓋男
血痕の理由は知らず蜜柑食う 江良修
もち肌の老師おはこをひとくさり 大西健司
あかあかと在ろうよ晩年からすうり 小池弘子
烏瓜手繰ればはしゃぐユートピア 小林まさる
○山眠る身体脱ぎ捨てた色だ 佐孝石画
小春日の孤独という語愛おしむ 末安茂代
胡の国も光と影と秋の空 滝澤泰斗
残り菊あまねく世事に背を向けず 竹内一犀
この世をば婆娑羅に暮らすそぞろ寒 中内亮玄
湯豆腐や肺腑に落ちぬこと多し 長尾向季
碁敵は石見に出張り年木積む 並木邑人
落葉のわおん月光わおん山河かな 野﨑憲子
鳥渡る踏絵見て海見る人に 野田信章
老いという光のはじまり枯葉舞う 本田ひとみ
消ゆるなよ姿見抜けて来し夕霧 宮川としを
林檎拾うころんと赤い膝小僧 武藤暁美
美男葛火種のようにてのひらに 室田洋子
○触れたくてわたむしわたむし一寸さがれ 横地かをる
春は名のみのブラックチョコレート らふ亜沙弥

奥山和子 選
侘助の一輪で足る武家屋敷 石川和子
土の人で在りたし葱の真青なる 稲葉千尋
市場冬寝息を立てる魚ばかり 大沢輝一
○おにぎり屋時計屋花屋みな柚子湯 大髙宏允
タブレットの液晶寒鯉のエネルギー 尾形ゆきお
つぎはぎをしてでも生きん根深汁 川崎千鶴子
手も足も短かくなって山眠る こしのゆみこ
錆色の街からついてきた蜻蛉 芹沢愛子
白菜の翼をひとつずつ外す 月野ぽぽな
柊の花傷口がまだ濡れている 鳥山由貴子
冬の蝶ネット社会の外を這ふ 長尾向季
村中の騙されそうな秋祭り 永田タヱ子
湯冷めして家に柱の多かりし 中塚紀代子
寒茜ふーっと哀しき襖かな 本田日出登
ペニスに縞模様や椰子の陰で尿す マブソン青眼
手さぐりの会話つかんだのは海鼠 宮崎斗士
○まつげにも微音双子座流星群 茂里美絵
鮟鱇の中の宇宙も吊り下げる 柳生正名
○触れたくてわたむしわたむし一寸さがれ 横地かをる
○幻聴かしら凍蝶一頭と暮らす 若森京子

佐々木宏 選
ちちははは半透明です冬未明 安藤和子
触れなば温もり冬眠しているんだ土も 宇田蓋男
○おにぎり屋時計屋花屋みな柚子湯 大髙宏允
公園デビュー兎のように子を抱いて 木村和彦
歳の順に逝くとせば俺ポインセチア 楠井収
指ぬきをはずす着水の音がして こしのゆみこ
日向ぼこ捜索願出てないので 佐々木昇一
○山眠る身体脱ぎ捨てた色だ 佐孝石画
霜柱歯並びのよい馬通る 白井重之
水晶と夜と同時の谺かな 田中亜美
クリスマス楽器はどれも闇を持ち 月野ぽぽな
猫柳君の指切りきつくって 遠山恵子
落鮎の泳ぎ出すよう塩をふる 永田タヱ子
数珠玉をやさしい石と思うかな 平田薫
冬の虹飛ばしたジョークが消え残る 堀真知子
小母さん逝く薪ストーブの青い煙 前田恵
父は父を全うしたか湯たんぽよ 三好つや子
レム睡眠ノンレム睡眠冬かもめ 茂里美絵
流星は俺を叩いた箒だね 輿儀つとむ
○幻聴かしら凍蝶一頭と暮らす 若森京子

芹沢愛子 選
命名はジンベエドロノミ聞いたか鮫 石川青狼
母眠る部屋のまんなか冬の橋 伊藤歩
字足らずの句や梟の声を足す 加藤昭子
大地へともどりしこころ落葉踏む 川口裕敏
落葉の椅子へ魂と猫預けます 河原珠美
忘じるというは愉しい木の実独楽 北上正枝
泣くといふ老父ちちの愉しみ水蜜桃 木下ようこ
咀嚼して候人生の冬夕焼け 小林まさる
信じることは目をつむること冬の雷 佐孝石画
物忘れとはパッと移動の寒雀 髙橋一枝
自分史に入りきれない三・一一 船越みよ
母の死後歩幅せまくて霜が降る 松本勇二
星の木に星の匂ひの小鳥来る 水野真由美
日向ぼこ余白はわすれた声であり 三世川浩司
ゆうの鹿涙もろくて内向的 村上友子
夜焚火の影ゆれるたび迷子の目 望月士郎
○まつげにも微音双子座流星群 茂里美絵
母も寝てしずけき音や木の実降る 山口伸
春の耳より夫の耳より猫の耳 らふ亜沙弥
追憶ははなだ裁縫箱冷えて 若森京子

◆三句鑑賞

インドのようで寝相のようで日向ぼこ 宇田蓋男
 わかったようなわからぬような宇田ワールドの句。何か納得させられる句だ。インドの大きさ、寝相の小ささ、公と私、対比が実にうまい。ただ日向ぼこをしているだけなのに。あれ、自身が日向ぼこ、誰かの日向ぼこ。考えれば考えるほど作者の思うつぼ。

もち肌の老師おはこをひとくさり 大西健司
 老師が誰なのか。勝手に兜太先生と思ってしまった。「母親似でもち肌だ。」そう聞いた覚えが確かにある。「おはこ」は秩父音頭。全国大会で先生自ら皆を引き連れて踊っていた場面が鮮明に思い出される。秩父音頭の由来なども聞いた覚えもある。ひとくさりの下五もなぜか先生らしい懐かしみを覚えた。

碁敵は石見に出張り年木積む 並木邑人
 「游陣」から「敵は女房」まで。この句は奥さんへの相聞句?。年木は年季で年季を積んだ碁敵の奥さん、石見は語感からか、あるいは実際の実家なのでは。正月にかけての里帰り。家はわが所なのだから、出張る、すなわち出陣。早くわが陣へ帰参を。愛妻への一句。と考えたのは考えすぎか?
(鑑賞・大西政司)

つぎはぎをしてでも生きん根深汁 川崎千鶴子
 人智の及ばない脅威を前に人の出来る事は限られる。それでも必死に生きる術を模索する。冷静に見ればどれも後手後手で、効果のほどは今一つ。それでも何か手を打たねばと、動かずにはいられない。案外人間はしぶとい。作者の強い前向きの気持ちに根深汁の季語の斡旋が生きている。

柊の花傷口がまだ濡れている 鳥山由貴子
 身体の傷か、心の傷か、負ってからまだ日が浅いのだろう。静かに癒えるのを待つ時、若い葉は邪気を祓う棘を持つが、年月を経ると葉は丸くなる柊の芳香が届く。その香りは同じ科の金木犀より濃厚であると聞く。「疼く(ヒヒラグ)」から転じた名を持つこの花を選んだ作者、回復には少し時がかかりそうだ。

冬の蝶ネット社会の外を這ふ 長尾向季
 気が付けばがんじがらめのネット社会。快適に暮らせるという甘い言葉に取り込まれ、一絡げに網の内。個々のプライバシーを犠牲にした平和の享受。やがて自由を謳歌した蝶がぼろぼろの羽を引きずって周りを這う。中からは冷やかな目が、どちらが幸せかは神のみぞ知るか。
(鑑賞・奥山和子)

指ぬきをはずす着水の音がして こしのゆみこ
 指ぬきをはずす時、どんな音がするであろうか。私のような凡人が擬音で表現するとしたら「ぽん」とか「ぱちん」ということになろう。それが、着水の音だという。新鮮と思った。上質な感性と表現の巧みさに感心する。

父は父を全うしたか湯たんぽよ 三好つや子
 湯たんぽは、私にとって冬には欠かせない品のひとつである。つい最近まで毎晩お湯を沸かして湯たんぽに入れ、それを足元に置いて寝ていた。そんなこともあってか、この句を読んだとき、私が問いかけられたような気がしてはっとした。作者は「湯たんぽよ」と下五をおさめることによって、父親に対する心情の機微をうまく語ったと思う。

レム睡眠ノンレム睡眠冬かもめ 茂里美絵
 睡眠についてはあまり詳しくはないが、レム睡眠ノンレム睡眠は知っている。それにしても、それがどうして「冬かもめ」なのであろうか。けっこう距離は遠い。しかし、韻文には、こうした距離を補ってくれる不思議な力がある。この句は、そうした韻文の持つ力をうまく利用した句と評価したい。レム睡眠ノンレム睡眠という措辞は、冬かもめの、例えば風の中を飛ぶ姿態などを上手に言い当てているように思う。
(鑑賞・佐々木宏)

母眠る部屋のまんなか冬の橋 伊藤歩
 「部屋のまんなか」に結界のように橋がある。「冬の」、であることが、置かれている状況の厳しさを想像させる。今は束の間の自分の時間。一方山口氏の、「母も寝てしずけき音や木の実降る」は回想の句だろうか。日常の中の満ち足りた安らかな時間。しずけき音は母の寝息か、木の実降る音か。母と過ごすかけがえのない時間。

大地へともどりしこころ落葉踏む 川口裕敏
 卒寿を超えた作者ならではの悠々とした境涯句である。「落葉」が土に一番近くて温かいと教えられた。ひらがなの「こころ」もふんわかと柔らかい。河原さんの「落葉の椅子へ魂と猫預けます」にも同様の自然への信頼を感じ、ふと、みんな金子兜太師の生徒だなぁと思った。

咀嚼して候人生の冬夕焼け 小林まさる
 作者と同じ「樹の会」の上野丑之助さんの句に「九〇代は春夕焼けを見るごとし」がある。また昭和63年新人賞、森田浩一さんの「この指に夕焼けとまる二〇代」もあり、初心の私は対句のように覚えてしまい忘れられない。食事も人生も「咀嚼して」、「候」と気取って見せる矜持。小林さんにはこんな滋味深い句を「春夕焼け」が見えるまで作り続けていただきたいと、切に思った。
(鑑賞・芹沢愛子)

◆海原集〈好作三十句〉武田伸一・抄出

野仏に森のけものに春の雪 安藤久美子
草餅も亀の甲羅も輪廻かな 飯塚真弓
淋しきは一夜の契りと浮巣かな 上野有紀子
うるうると少女のようだ春ってさ 遠藤路子
お洒落し過ぎてしまう春は嫌いだ 大池桜子
近頃はどん引き多く春長ける 荻谷修
団塊と呼ばれし我ら泥蛙 かさいともこ
水鳥に囲われみんな金髪や 葛城広光
梅を待つひとつや鼻毛切ることも 木村リュウジ
少女らのジーンズに穴木の芽風 工藤篁子
野遊びや足下に眠る弾薬庫 黒済泰子
春泥の匂いテレビが来た昭和 小林ろば
巻き戻すことなきテープ春の雪 小松敦
六号館落研部室に春ともし ダークシー美紀
青き踏む視線の違ふ二人かな 高橋橙子
誕生日のからだは二月の舟 たけなか華那
クラスター抽斗にある休校日 立川真理
鳥つるむ明日は夫の三回忌 中谷冨美子
春ショール十年前の君を巻く 野口佐稔
アフガンに生るる子に「哲」水の春 平井利恵
弥生吾は螺子置きしまま生まれしか 藤川宏樹
陽炎に犬の振り向く真顔かな 増田天志
春隣二列目に干す狐面 松本千花
やがてゆくあの世とやらへ凧あげる 丸山初美
電線の果ては原子炉寒雀 山本まさゆき
ものの芽やエキゾチックは誉め言葉 山本美惠子
クレソン摘むそして北斗を示しけり 吉田和恵
芹なずな心地透明に粥すする 吉田もろび
「ひとり行け」とタゴールのうた春怒濤 渡邉照香
この距離は恋人未満春の雷 渡辺のり子

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