『海原』No.5(2019/1/1発行)

◆No.5 目次

◆海原秀句 同人各集より

安西篤●抄出

膕の美しき人秋茜 浅生圭佑子
長蛇の列顎を突き出す鮭となり 石川青狼
言い淀むわが浅瀬にも昼の虫 伊藤淳子
ぬくめ酒こつんこつんと二人の会話 井上俊一
大叔母の遺影横向き単帯 奥山富江
ブラインド降ろし花野を眠らせる 片岡秀樹
花野しゅわっと風を見たのは誰かしら 河原珠美
百日紅先に逝くなと言ったのに 楠井収
栗の実落つ手足くびれて暮れるかな 児玉悦子
聖廟に偸安のあり白い風 小松よしはる
萩騒ぐ妻の反乱かも知れぬ 佐藤君子
鵙の贄風鳴りのごと父の声 白石司子
台風圏一道化師のわれ晒し 鈴木孝信
丸腰で生きねば夏野に夕日吊り 関田誓炎
地すべり遠景琺瑯質の赤とんぼ 十河宣洋
手話の少女はなびらのよう草の花 高橋明江
月天心師は大陸を踏みしめむ 田中亜美
淡海なり昔透蚕のようにかな 寺町志津子
電線たわむ秋雨さりさりと慕情 中内亮玄
花野ゆく食虫植物愛好家 長谷川順子
秋の日のこんなはじまりまずは牛乳 平田薫
認知症の友の確かな菊なます 平田恒子
独り居のこゑ響きをり南瓜切る 前田典子
夏の隅皮片手袋のひとり言 宮川としを
添え乳の転た寝のよう草の花 深山未遊
晩年に隠し球なし薯を掘る 武藤鉦二
髪ほどくまんじゅしゃげ白まんじゅしゃげ 室田洋子
文化の日絵馬に個人情報じょうほう保護シール 諸寿子
会いたいがいっぱいいっぱい夜の案山子 六本木いつき
終活や記憶の花野こみあげる 若森京子

前川弘明●抄出

この星の夜のアジアの虫の闇 赤崎ゆういち
二百二十日女は役者に逢いにゆく 伊藤道郎
木曽が好き野菊に言葉かけられて 植田郁一
目の紅にはつかな憂い秋まつり 榎本愛子
黄落や神に見せたき楽譜あり 大池美木
秋の蚊を叩くひとりがこわくなる 尾形ゆきお
濁り酒噛んで呑むなり神の里 大沢輝一
鉄柵にホースだらりと夏季休暇 小野裕三
五輪より福島大事いのこずち 河西志帆
親の家しとしと山椒の実がこぼれ 木下ようこ
白き鳥見しより耳朶に秋の風 小西瞬夏
目覚めとは眩しき傾斜秋の風 近藤亜沙美
豊洲市場火口の上の踊りかな 今野修三
黄金の自虐の群れよ泡立草 佐孝石画
雪虫や白い分だけ目が重い 佐々木宏
炎熱を溜めし巌の空歪む 佐藤稚鬼
フクシマや鬼灯ほおずきの如母ねむる 清水茉紀
螢の夜人の生死と艶ばなし 関田誓炎
秋の風ぴくりと動く馬の耳 竪阿彌放心
あきらめのあかるさ昼顔の真昼 月野ぽぽな
気が合って秋の水底歩くよう 遠山郁好
里芋の煮くずれている通夜なりし 藤野武
台風一過龍が漂流している 服部修一
秋晴のだから何だよ人は死す マブソン青眼
風の盆どこかで誰かが遺し文 宮川としを
喪服脱ぎ萩のこぼれを掃きにけり 武藤暁美
文重ねゆくよう母が紫蘇を摘む 武藤鉦二
曼珠沙華父の罠なら逢いに行く 茂里美絵
木星に嵐ありけり蚯蚓鳴く 柳生正名
鷹を見しひと日小異にこだわらず 山田哲夫

◆海原秀句鑑賞 安西篤

長蛇の列顎を突き出す鮭となり 石川青狼
  北海道地震の被災者の列なのだろう。おそらく支援物資や食料等の配布を受けるために違いない。いずれも切羽詰った思いで、喉から手が出んばかりの表情で待っている。それは、産卵のために川を遡ろうとする鮭の、顎を突き出した表情そのものだという。一見事実を相対化して見ているようだが、現地にいる人々にとっては生死の切所にいる鮭の表情そのもののように見えたのだ。

大叔母の遺影横向き単帯 奥山富江
  大叔母が亡くなった。その遺影が今祭壇に飾られようとしている。遺影は正面でなく横向きになっている。おそらく大叔母は親戚中の中心人物として、敬愛されていたに違いない。横向きで単帯を締めている姿には、働き者で、結構口やかましく、親族の中の裁き役として重きをなしていた威厳が伝わってくる。作者はそんな大叔母を慕わしくもなつかしく思っているに違いない。

百日紅先に逝くなと言ったのに 楠井収
  伴侶か、あるいは無二の親友に先立たれた時の感慨ではなかろうか。「先に逝くなと言ったのに」には、親しいが故の、恨むような難ずるような口調がある。その死は、悲しいというより口惜しいのだ。花期の長い百日紅は、まだ花を咲き続けているというのに。俺を措いて先に逝くとはな、なんなんだよこいつ、と言いたい気持ち。

台風圏一道化師のわれ晒し 鈴木孝信
  台風圏の真っ只中に、独りいるわれ。叩きつけるような風雨の中に身を晒して、意外に痛快な自己浄化を体感しているのかもしれない。「一道化師」と己を戯画化しながら、矢でも鉄砲でも来いといわんばかりの気負いも感じられる。世間じゃ道化師というかもしれないが、存分に身を晒してやろうじゃないか。そんな台風圏の中での居直りの自己主張。いかにも作者らしい一句。

手話の少女はなびらのよう草の花 高橋明江
  手話で話をしている少女は、介護者ではなく、自身が障害者なのだろう。懸命に手話で会話する手振りがそのまま、花が開いたり、閉じたり、揺れたりするゼスチャーのように美しい。その美しさは、決して派手やかなものでなく、どこまでも可憐なひたむきさで繰り返される。それはあたかも風に揺れる草の花のはなびらのよう。この喩え方に作者の心情が込められている。

淡海なり昔透蚕のようにかな 寺町志津子
  「淡海」とは、淡水湖の琵琶湖のある旧国名の一つとされ、現在の滋賀県に当たる。「透蚕」は、孵化してから熟蚕になるまで約四週間かけて眠りと脱皮を繰り返し、その後桑を食べなくなって体が透き通ってくる状態をいう。この地域に根付いていた養蚕の仕事から触発されたイメージで、昔の琵琶湖の映像を喩えている。このモノの質感の喩えが十分にはわからなくとも、「透蚕」と「淡海」の取り合わせから来る言葉の繊細な美意識が、妙に納得させられるから不思議だ。

秋の日のこんなはじまりまずは牛乳 平田薫
  「こんなはじまり」がどんな始まりかはわからないが、とにかくまずは牛乳を飲んでからというスタートのけじめ感だけは伝わってくる。さりげない秋の日の日常の始まりを、まず牛乳を飲むことから始めようという庶民感覚のリアリティ。

認知症の友の確かな菊なます 平田恒子
  認知症となってなにもわからない状態に陥った友。そんな友でも長年の手仕事で本能的に身についている料理の味だけは間違いなく残っているようだ。お得意の「菊なます」の味には、今も確かな友の味があった。それが妙に嬉しくもあり、また淋しくもある。

独り居のこゑ響きをり南瓜切る 前田典子
  おそらく、最近家人がいなくなって、独り住まいとなったのだろう。そんな家の台所で大きな南瓜を切っている。加齢に伴う体力の衰えもあって、全身の体重をかけ、気合もろとも一気に切断しないと、とても南瓜を切ることもかなわなくなった。柄にもなく、「えーいッ」という声が家中に響き渡る。それに気づいたところで、誰もとがめるものもおかしがるものもいない。その淋しさと空しさ。

夏の隅皮片手袋のひとり言 宮川としを
  海程創業期のヴェテランが久し振りに作品を寄せてくれた。そのことがまず嬉しい。彼もまた一人暮らし。もともと作詞・作曲家として著名な人だが、最近はかなり重篤の病に罹り、厳しい闘病生活の中で仕事を続けているらしい。「皮手袋」はピアノを弾く手を保護するため、こういう仕事で出かけるときは必携のものだ。掲句は、その皮手袋の役目もここしばらくはご無沙汰なのだろう。しかも片方だけがぽつんとそこに。なにやらぶつぶつ言ってるらしいが、言わせておけという作者の表情が見えてくるようだ。

◆海原秀句鑑賞 前川弘明

二百二十日女は役者に逢いにゆく 伊藤道郎
 なんだか可笑しくて切ない句だ。台風の日だというのに女(妻?)はこの俺をおいて役者に逢いに行くというのだ。白塗りの役者たちによる舞台は、現実の裏側に咲く華やかな夢の異界なのである。なんで台風などという野暮な中でオロオロしていなければならないのだ、というのであろうか。女の気合ぞ佳し女のロマンぞ佳しと、おもえてくる。

黄落や神に見せたき楽譜あり 大池美木
  曲を直接に聴かせるのではなく、その楽譜を見てもらいたいのですと言う。神はこの美しい黄落のなかでこの楽譜をどのように弾いて下さるでしょうかと問うのである。降りしきる黄金の明かりのこの瞬間の神に捧げるように心にひらく楽譜を見てもらいたいのであろう。

秋の蚊を叩くひとりがこわくなる 尾形ゆきお
  読みに迷う句である。思うに、上五中七で切れ、「こわくなる」と続くのではないのだろう。それだと座の中の誰か一人が蚊を叩いたので、その人が怖くなった、と読めるけれど、それでは平凡の域だろう。しかしこの句の後半がひらがなで書かれているのは、もっと茫漠として沁み込むような切ない怖さのように思う。だから、作者が部屋にぽつねんとひとりで居て、飛んできた秋の蚊を叩いた。おもわず叩いて殺生をしてしまった自分、またひとりになって取りつく島のない自分がふいに怖くなった、と読みたい。ただ、そうならば上の句が「叩く」でなくて「叩き」が適切のように思うが、それでは「き」の音が強すぎるので、「く」音にしたかったのかもしれないが、それが読みを迷わせる始点なのかも知れない。

鉄柵にホースだらりと夏季休暇 小野裕三
  何んということはない何処にもありそうな風景だが、構えて「だらりと夏季休暇」と言われると、上句の「鉄柵にホース」の映像が、改めていきいきと脳裏によみがえってくる。平凡であるがゆえの日常の強さとでもいうべきか。硬い鉄柵に放水を終えて放心のホース。その映像
が夏期休暇をしっかりと認知させてくる。

目覚めとは眩しき傾斜秋の風 近藤亜沙美
  目覚めのときの「眩しき傾斜」という表現がうまい。まして、暑い夏が過ぎ小鳥来る秋風の中の目覚めは確かにそのような心の状態にちがいない。スッキリと覚めているようでいて、からだも心もまだ傾斜しているような、しかしまぶしいような全身の反応なのである。

黄金の自虐の群れよ泡立草 佐孝石画
  金の色のアワダチソウは空地などに群生していて、勝手にざわざわぶつぶつと泡を吹いているかのように立っている。まるで自虐の群れだ。だが泡立草よ君は黄金の姿をしているのだ、誇りある自虐の黄金に輝く群れなのだよ、と作者の叱咤の声がきこえるよう。

あきらめのあかるさ昼顔の真昼 月野ぽぽな
  とにかく語音が明るい。昼顔の生態を描くのに「あ」とあ列の音をちりばめ、「る」音を友愛のように連携させて、昼ひらいて夕べにしぼむ昼顔の「あきらめのあかるさ」をひらがなで表現している。この人の感性がおのずからこのような表記を選ばせているような気がするほど自然なのである。

気が合って秋の水底歩くよう 遠山郁好
  この句も、感性がしずかに流れていくような句だ。あの人とはどうしてこうも気が合うのだろう。私がAと思うとあの人もAについて話をする。出すぎたりはしないで、あのきれいな秋の水の底を一緒に歩くような、そのような気分ですと。「秋の水底」の感覚がとてもいい。

台風一過龍が漂流している 服部修一
  台風の句は数多あるが、どうもパターン化する気配がある。すなわち家屋や道や田畑などが破壊される恐怖が主であろう。だがこの句は違うように読める。むろんその恐怖もあるだろうが、人知のはるかに及ばない霊神に対する敬虔な恐れのようなものを感じる。「龍」は流木などの例えでなくて、台風を追い払ったあとの尊い龍神の帰りゆく姿のようにも思えてくる。疲れた龍神は慎ましく川を漂流して還っていく、とは読めないだろうか。

曼珠沙華父の罠なら逢いに行く 茂里美絵
  真っ赤に群れ咲いた曼珠沙華は何かを狂わせるような気配がある。恋であったり死の匂いであったり、人の心に妖しいときめきをそよがせて咲く。この句は父(亡父か?)へのオマージュである。もし、あの曼珠沙華の群れが父の仕掛けた罠であるなら、喜んでその仕掛けに逢いに行こうと言う。父への娘のせつない献句であろう。

鷹を見しひと日小異にこだわらず 山田哲夫
  鷹とは周知の如く、姿に威厳がある。その鷹が大空を睥睨して翔るのを仰ぎ見て、その雄姿に自分の日常を想い、せめて今日はこせこせとこだわらずに生きようと。

◆金子兜太 私の一句

山峡に沢蟹のはな微かなり 兜太

 沢蟹は山の沢の石の下などにひっそりと生きている。それを「微かなり」と捉えている。二本のはさみをかざし、足を左右に開いて、踏ん張っている姿は美しい。自然の中にけなげに生きている生き物の美しさを「華」はなと捉えている。「華」はなと言い、「微かなり」と言ったところ、作者の産土である「山峡(秩父)」に生息している生き物に対する作者の温かいまなざしが感じられる。句集『早春展墓』(昭和49年)より。内野修

夕狩ゆうがりの野の水たまりこそ黒瞳くろめ 兜太

 先生が三重県にいらした時、書のお手伝いをしたことがある。その折、「何でも良いからお前さんの近所の話をして」と言われたので、畑を荒らす猪や猿や鹿のこと、狢や蛇との闘いのことなど話した。それらを一々うんうんと頷いて面白そうに聞いていらした。あの時先生は私の話から言葉を狩っていたのではないのだろうかと、先生の好奇心一杯の目の輝きとともに、時々懐かしく思い出す。句集『暗緑地誌』(昭和47年)より。奥山和子

◆共鳴20句〈11月号同人作品より〉〇印は2選者の共選句

江良修 選
水無月やしみじみと読む終の号 泉尚子
小惑星「りゅうぐう」画像蠅生まる 市原光子
○夏の山国他界というはどのあたり 伊藤淳子
父の手記折れた頁のあり曝書 伊藤雅彦
五才児の遺す悲しみひらがな文字 植田郁一
親族は丸顔ばかり母の日よ 植竹利江
水馬水面に残すわだかまり 宇川啓子
トイレットペーパー二人増えれば三倍の夏 宇田蓋男
葉の裏に棲んで理系の青蛙 大沢輝一
簡単に生きてゆきたし胡麻に味噌 河西志帆
海傾けて大空を恋ふ海鼠 小西瞬夏
水すましゆっくり流れ影持たず 小林まさる
夏風邪や一分間が長すぎる 佐々木昇一
燕の巣四代目なる下駄屋かな 佐藤美紀江
蛞蝓が溶けない平和な村である 白井重之
油照りどこかで煎餅かじる音 竹田昭江
秋の空映して清し今日の酒 中内亮玄
麦熟星私に散歩ほどのほてり ナカムラ薫
田螺鳴く父母亡き里の遠きかな 疋田恵美子
スクランブル交叉の孤独五月尽 吉澤祥匡

鈴木修一 選
思うほど哀しくないのよ羽抜鶏 伊藤幸
この道は逃水にこわされている 稲葉千尋
待つ人の大らかな背よ麦の秋 植村利江
流木のオブジェ神鳴の記憶 江良修
みなとみらいを風鈴売に身をやつし 大西健司
思い込み烈しい娘熱帯魚 小野正子
手首より寝落つ子のいて青簾 加藤昭子
夕菅やバス見送りて咲くをまつ 北原恵子
病室にハンカチと母忘れけり 木下よう子
防空壕の入口に立つ夏帽子 須藤火珠男
乱鶯の声老妻にひびくなり 関田誓炎
風ほどに雲の動かず蝸牛 高橋明江
すり抜けてスプーンのよう裸子よ 遠山郁好
炎帝に錨・皿に深海魚 ナカムラ薫
枇杷稔る辺土に変節などあらず 成井惠子
○哀歌として犬の目はあり合歓の花 日高玲
少年は青い巻貝海夕焼 船越みよ
深夜なり冬毛のままの猫死せり マブソン青眼
微塵子と陽のはげしさの西ノ京 矢野千代子
蝉時雨子は子を見せにやつて来る 若林卓宣

鳥山由貴子 選
○夏の山国他界というはどのあたり 伊藤淳子
先生の裏山は夕かなかなかな 大髙洋子
海原は満天の星映すという 金子斐子
師のもとへ夏星載せて無蓋貨車 河原珠美
落し文昏いところから羽音 北上正枝
トマト持ち踏切を待つ漂泊感 佐孝石画
青葉して隠れんぼのよう人逝けり 柴田美代子
蛍とぶ百歳こえて欲しかった 芹沢愛子
離れ洲の好きな鵜といてたそがれ 田口満代子
もう海となる父の背中で泳ぐかな 竹本仰
閑かさや青葉を軽く噛む感じ 遠山郁好
香水は嫌い晩年も白紙です 丹生千賀
○哀歌として犬の目はあり合歓の花 日高玲
アダンの実向こうにわたしのいない海 堀真知子
○武器工場なべて花野になる絵本 前田典子
夏月の影森行の汽笛かな 水野真由美
冷奴おまけのように父座る 三好つや子
青葉渦潮われら等しき回遊魚 村上友子
妹も螢も闇も昭和かな 横山隆
高田馬場までふらりと夕焼けてくるか 六本木いつき

水野真由美 選
素っ裸で両神山りょうがみ拝す嗚呼夏霧 石川青狼
青葉若葉水に傷みがあるという 伊藤淳子
片蔭行く後のみんないなくなる 井上俊一
だめだべよこっちむげ溽暑の原子炉 大内冨美子
夏水仙前ぶれもなく母は来る 小野正子
夕端居姉はそよいでばかりかな 加藤昭子
落し文悲しき距離と決め歩む 金子斐子
先生の句碑は青野の切手です 河原珠美
ふだん着に着替えると鳴く青葉木菟 こしのゆみこ
猿山のボス衰えて百日紅 近藤守男
夏の月私の肩に猫が乗る 笹岡素子
めくら縞の母居る秋口の厨 猿渡道子
言ふにいはれぬ猥歌みじかき通夜に風 竹本仰
はつなつの上澄みとして母眠る 月野ぽぽな
青水無月ごりっと光る馬の臀部 中村晋
紫陽花の孵化とも違うあふれよう 丹生千賀
○武器工場なべて花野になる絵本 前田典子
夏蜜柑すきで自慢で巻き舌で 松本豪
しぼみゆく夫の掌朴の花 室田洋子
兜太なき浮世の羅はりついて 若森京子

◆三句鑑賞

夏の山国他界というはどのあたり 伊藤淳子
 金子兜太師を偲ぶ句だと思う。山国とは秩父のことであろう。師の故郷である秩父の深い山々。師の魂は秩父の山のどこかにおわすに違いない。ならば、師のおわす他界はどのあたりなのだろう。できることならばその境界まで足を運び、もう一度師にお会いしたいものだ。静かな表現で深い思慕の情を詠った句だと思う。

水すましゆっくり流れ影持たず 小林まさる
  周知のように、ミズスマシには、水澄ましとアメンボウ(水馬)の二つの意味がある。この句の水すましは、流れるというから水馬のことと思う。一方、影とは実体の存在している証である。だが、水すましのその細い体と足には影が見られない。実体はあるのにその存在の証拠が無い。虚しく過ぎ行く日々の表現であろうか。

蛞蝓が溶けない平和な村である 白井重之
  蛞蝓はその体のほとんどが水でできている。塩をかけると浸透圧で脱水され死ぬ。炎天下で日干しになっても死ぬ。そんな蛞蝓が溶けない、つまり死なない村とは、水が豊富で豊かな木陰があり、人間が蛞蝓を害虫として駆除しない村であろう。あらゆる生命の共存共栄こそが平和であると訴えている句のようだ。
(鑑賞・江良修)

手首より寝落つ子のいて青簾 加藤昭子
  眠る子の手が滑り落ちた瞬間を捉えた眼は、無数にあったに違いないが、こんなスナップ撮りで明かされたことがあっただろうか。小さな快挙と呼ぶべき俳句表現のつぼを得た作品。誰もが心に留める瞬間をリアルに再現することが、俳句を豊かにする。夏の日の家族、幸福の衣擦れの音が、涼やかな青簾越しに聞こえてくる。

深夜なり冬毛のままの猫死せり マブソン青眼
  自由でしなやかな猫の存在が人々を魅了してやまないが、永訣の日を逃れる術はない。死とは生き物の体内を巡る季節が止まること。夏用に生え替わる前の美しい姿で逝った猫。季節を違えたものが自らの最期を飾る。骸を覆う毛皮こそ供華である。深夜、人と猫一対の生き物の喪のとき。夜気の冷たさがしみる厳粛なひととき。

蝉時雨子は子を見せにやつて来る 若林卓宣
  健康的なこの句から、陰画のように想起された和歌がある。「とどめおきて誰をあはれと思ふらむ子はまさるらむ子はまさりけり和泉式部」(親である私よりもわが子を不憫に思いながら娘はこの世を去っていくのだ……)かつて親元へ子を見せに行った頃の気持ちが蘇る。蝉時雨の重奏が深く熱い思いを支えている。
(鑑賞・鈴木修一)

トマト持ち踏切を待つ漂泊感 佐孝石画
  薄暮の踏切。警報が鳴り遮断機が下りる。トマトの入った袋をぶら下げたまま延々と列車の通過を待つ。このまま永遠に家に帰り着くことが出来ないのではないか。そんな気がしてくる。その漂泊感。生活感の象徴としてのトマトは光を失い、その重みだけが手に食い込む。持つと待つ、という言葉の音と形の類似は意図的なものか。

離れ洲の好きな鵜といてたそがれ 田口満代子
  離れ洲に群棲する鵜。黒緑色の光沢のある羽とそのシルエット。潜水して魚を捕っては食べ、濡れた羽を大きく広げて乾かす。作者はそんな鵜を眺めるのが好きなのだ。やがて自身も洲に降り立ち、鵜と一緒に戯れているような感覚になる。どこか寂しげな佇まいの鵜と作者がたそがれの淡い光の中へ沈んでゆく。静謐で美しい詩。

高田馬場までふらりと夕焼けてくるか 六本木いつき
  何だか落ち込んだ一日。こんな日は馬場に行くしかない。学生やアジア系の人々が集まる混沌とした街で、グダグダ同じことを言っては涙を流し夕焼けるのだろう。家とはまた別の心許せる場所なのだ。滅茶苦茶辛い物を食べたりするうちに何故か笑えてくる。高田馬場という具体的な地名と少しやさぐれ感のある口語が魅力的だ。
(鑑賞・鳥山由貴子)

だめだべよこっちむげ溽暑の原子炉 大内冨美子
  「むげ」と「溽暑」の間にどんな切れを読めばいいのだろう。叱られている「原子炉」を思い、「溽暑の」に廃炉作業が続く福島第一原子力発電所が浮かび上がる。ならば叱られているのは「原子炉」ではなく私であり政府であり電力会社であり司法等であるだろう。さらに「原子炉」が「こっちむげ」と叱っているようでもある。

言ふにいはれぬ猥歌みじかき通夜に風 竹本仰
  おかしみと情けなさのあるワイセツな歌ならば好きである。それゆえ「言ふにいはれぬ」とは、あんまりな言い方ではないかと思ったが「みじかき通夜」で句は変貌する。「みじかき」は参列者の少なさだ。「に風」の素っ気なさもやりきれない。この「言ふにいはれぬ猥歌」とは故人への餞なのかもしれない。

武器工場なべて花野になる絵本 前田典子
  人を殺すための機械はバカ高いくせに莫大な利益を生む。殺すのも殺されるのも自分や家族ではないと軍需産業は成長し続けようとする。それが「なべて花野」になってしまうのかと喜んだら「絵本」の世界だと言われてうなだれてしまった。だが「絵本」とはわかりやすくてかわいい空想を意味するわけではない。何よりも、こんな「花野」を思い続けていたい。
(鑑賞・水野真由美)

◆海原集〈好作三十句〉武田伸一・抄出

くにゅくにゅの般若のタトゥ秋蚊鳴く 綾田節子
枯野ゆく死者はいつでも他者なりき 有栖川蘭子
賢治の忌ローズマリーを鶏肉に 安藤久美子
棺には死体と死んだ秋の花 泉陽太郎
姫胡桃支配しようとしてされる 大池桜子
原爆忌路面電車に乗ってみる 奥村久美子
お嫁さんの料理ハイカラ夏休み 金澤洋子
烏瓜古い病院のような幽さ 川嶋安起夫
詫び状の投函口に秋の蜂 神林長一
核心に触れぬ詫び状みみず鳴く 黒済泰子
稜線もわれもまざまざ野分後 小林育子
秋刀魚焼くエレベーターの無い団地 小林ろば
眼差しの交わる匂い秋の蝶 小松敦
叱ってばかり金木犀の風が来る 三枝みずほ
滅私無私蟻に学ぶか無視するか 下城正臣
鱏のごと見えてる火星夏夕べ 白石修章
釣瓶落とし少なき知己へ病い告げ 鈴木栄司
榠樝ひろってきれいなんだよ毎日が たけなか華那
天界は死ぬることなし風の盆 立川真理
燕帰る同居を拒む仮設の母 舘林史蝶
秋明菊月仰ぎつつ倒れたる 田中裕子
五十男に八十の父塩さんま 鳥井國臣
残菊や病因みんな加齢なり 中川邦雄
吾亦紅片隅という安定感 仲村トヨ子
被爆者と同じ齢を生きて夏 野口佐稔
唐辛子嘘はぴちぴちと明るい 前田恵
新涼や車椅子より母を抱く 増田天志
適当な良妻である秋刀魚焼く 松本千花
瓢の実や喉を痛めてをりまして 山本きよし
白木槿ぽつりぽとりと時落ちる 山本幸風


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