『海原』No.35(2022/1/1発行)

◆No.35 目次

◆海原秀句 同人各集より

安西篤●抄出
榠樝の実だけを並べて無聊です 伊藤雅彦
鶏頭の紅蓮私にも黙秘権 榎本愛子
十月の水動かずにひとの影 大池美木
鶴来るカタカナで鳴く父連れて 奥野ちあき
木霊かなフォークソングにかなかな 奥山富江
手話の指秋の光を掬いあげ 狩野康子
秋思かな剥製の爪磨かれて 故・木村リュウジ
リモートが大胆にする熱帯魚 黒岡洋子
羊雲図画工作室へなだれるよ こしのゆみこ
乾燥機百円分の秋思かな 小松敦
晩夏光嬰抱くように拾う骨 清水茉紀
夜の秋アクリル越しのきつねそば 菅原春み
わが徘徊刈田コンビニ土の道 鱸久子
夏暁の桟橋にして旅の全景 すずき穂波
峰湿る産土に蔦紅葉して 関田誓炎
資本論復活大豆ミートの噛み応へ ダークシー美紀
若狭の旅秋思というは顔見知り 竹田昭江
投げ遣りで気鬱で身軽侘助は 立川弘子
月の出や野武士のごとくピアニスト 田中亜美
まほろばや驟雨が木々を歌うとき 遠山郁好
被曝の葛被曝の柿の木を縛る 中村晋
秋興や傘寿の右腕が太い 梨本洋子
水澄むやうらもおもてもなくひとり 丹生千賀
ババ抜きのババに座のあり芒原 丹羽美智子
葛の花だったような雨のいちにち 平田薫
ぶらさがる凍蝶として思考中 前田典子
出不精でも引き籠りでもなし鶏頭咲く 深山未遊
落葉とマスク掃き寄せていて祈る 村上友子
パンデミック十六夜の灯は遠浅 茂里美絵
曼珠沙華ハィハィハィと手を挙げて 森鈴

藤野武●抄出
実石榴の赤透きとおる吾が老いも 石田せ江子
鹿鳴けりまるで一筋の香り 大池美木
消雪の水吹く街に赴任する 荻谷修
のど自慢すぐに退場野分晴れ 小野裕三
文書くは桜紅葉の甘さかな 河原珠美
曲がるたび人いなくなる秋の風 北上正枝
辞書の上空蟬ふたつ組み合はせ 木下ようこ
秋思かな剥製の爪磨かれて 故・木村リュウジ
川えびのの透きとほる秋の昼 久保智恵
蕎麦の花夕冷えは村の端へと 小池弘子
悲しいほど実のなるリンゴ 笹岡素子
十六豇豆じゅうろくや何でも良くて倚りかかる 篠田悦子
独り身っぽい男が夫しゃくとり虫 芹沢愛子
まじめに泣く赤ん坊です天高し 竹田昭江
すこしあかりを落とす身中虫の声 竹本仰
失せし物また北風に辿りつく 立川弘子
月の出や野武士のごとくピアニスト 田中亜美
知ってて待つ線香花火の展開 田中裕子
角笛を抱かせてもらう霧の夜 月野ぽぽな
硫酸紙の感触九月の少年に 鳥山由貴子
鳩吹いて餡パンふいに欲しくなる 並木邑人
焚火臭一すじわれに添寝かな 野田信章
葛の花だったような雨のいちにち 平田薫
ライオンの奇麗な舌に雪ばんば 前田恵
秋深し乳酸菌が騒がしい 松井麻容子
浅間からポリネシアまで鰯雲 マブソン青眼
唐辛子鎖骨のきゅっと固まって 室田洋子
パンデミック十六夜の灯は遠浅 茂里美絵
砂糖菓子崩れるような疲労感 輿儀つとむ
純粋になりシラタマホシクサに並ぶ 横地かをる

◆海原秀句鑑賞 安西篤

鶏頭の紅蓮私にも黙秘権榎本愛子

 鶏頭の花は、たしかに紅蓮の炎のような鶏冠をなしてほむら直立する。しかも一叢の群落をなして、まさに炎だつ立ち姿だ。それを作者は己の内面に兆した抗議の意思のかたちと捉えた。それはあたかも「黙秘権」の行使のようにも見える。それは、東京オリンピックの表彰台で一言も発せず、母国の軍事政権への抗議の意思を三本の指を上げて表したミャンマーの選手像にも連脈している。

秋思かな剥製の爪磨かれて 故・木村リュウジ
 この原稿を書いている時に、作者の訃報を知った。作者の句は偶然十月号十二月号にも秀句に取り上げていたから、大いに注目していた。まだ二十代の若さで、新人賞もとって注目されていたのに、あたら春秋に富む未来を自ら擲ったのは何故か、惜しまれてならない。掲句の「剥製の爪」には、思いなしか冷たい死の翳を見るような気もする。「秋思」は、季語以上の重いものが込められていたのだろう。これが本誌への絶吟となった。

リモートが大胆にする熱帯魚 黒岡洋子
 コロナ禍によってリモートワークが定着し、自宅で仕事をするケースが増えている。そうなると金魚鉢のある家では、普段は出勤のためあまり見られることもない金魚鉢でも、しばしば視線があつまることが多くなりそうだ。金魚の方も、なにやら大胆なポーズで泳ぎまくっているような気がしてくるという。ささやかな日常の変化に着目した時事俳句といっていい。

羊雲図画工作室へなだれるよ こしのゆみこ
 いつもはぽっかりと浮かんでいる羊雲が、珍しく群れをなして秋空を動き始めた。それが小学校の図画工作室へなだれこむようと見たのだ。ちょうど生徒たちは図画工作の製作に夢中になっている最中。羊雲は頑張れと声援を送るかのように集まってきている。兜太師はこしの句を、書き方がゆっくりしていてリズム運びがいいといっていたが、まさにこの句もそう感じさせるものがある。

夜の秋アクリル越しのきつねそば 菅原春み
 「夜の秋」はいうまでもなく、夜になると秋の気配が漂う頃のこと。コロナ禍対策として、近頃飲食店では座席をアクリル板で仕切っている。そうなると、久しぶりに食事をしながらおしゃべりでも、というわけにもいかず、一人黙々とアクリル囲いの中できつねそばをすする破目になる。コロナ禍の夜の秋とは、こういうものかという思いも噛み締めながら。

峰湿る産土に蔦紅葉して 関田誓炎
 この句の「峰」とは、作者の故郷秩父の脊梁山脈であろう。それは作者にとって産土の地でもある。「湿る」とは、一雨来た後、急に秋が深まり蔦も紅葉する景をいうのだろう。蔦紅葉は文字通り真紅の見事さで、落葉性の夏蔦とされている。作者はそんな産土の峰々を遠望しながら、望郷の思いを募らせているのではないか。「峰湿る」は、作者の望郷の思いの湿り気も滲んでいよう。

資本論復活大豆ミートの噛み応へ ダークシー美紀
 「資本論復活」とは、少壮の経済学者斉藤幸平による『人新世の「資本論」』がベストセラーになったあたりから火が点いたといってもよいだろう。それは「豊潤な脱経済成長」の道を示すものとして世に迎えられた。その風潮自体を「大豆ミートの噛み応へ」と、象徴的に風刺している。この時事感覚を、大陸的な「大豆ミート」という具体的なモノで捉えた素晴らしさだ。

投げ遣りで気鬱で身軽侘助は 立川弘子
 侘助は、閑寂を楽しむ「侘」と、芸事を意味する「数奇」とが合体した言葉ともいわれている。中国原産の唐椿の一種で、茶人たちが好んで茶席の花として活けたという。そんな本意をもつ侘助が「投げ遣りで気鬱」とは、どこか加齢に伴う後悔や自己嫌悪の投影ではないだろうか。それは老年という本来の意味での生成のために、潜り抜けねばならぬ過程でもある。そして「身軽」という成熟に達して素朴に帰る。侘助の花樹にその姿を見ているのだろう。

ババ抜きのババに座のあり芒原 丹羽美智子
 作者はすでに百歳に達しておられる方だが、今なお矍鑠として俳句を作っておられることに驚く。孫たちのトランプのババ抜きの座に招かれて、一緒に楽しんでいる。さて「芒原」の喩だが、荒涼としたものではなく、むしろ高原に広がる広闊たる芒原、子供たちが歓声をあげて突っ込んでいくような原っぱではないか。そんな仲間に入れる嬉しさのようなものに違いない。

 今回も取り上げるべくして、すでに幾度か取り上げた作者ゆえに、申訳ないが遠慮して頂いた作品はある。

十月の水動かずにひとの影 大池美木
夏暁の桟橋にして旅の全景 すずき穂波
まほろばや驟雨が木々を歌うとき 遠山郁好
パンデミック十六夜の灯は遠浅 茂里美絵

等がその例である。記してお詫びしておきたい。

◆海原秀句鑑賞 藤野武

硫酸紙の感触九月の少年に 鳥山由貴子
 この句の魅力は「硫酸紙の感触」という喩にある。「硫酸紙」というのは「硫酸で処理して作った半透明の紙。耐水・耐油性があるのでバターなどの食品や薬品の包装用に使われる。」(明鏡国語辞典)もの。なるほど少年を喩えるに硫酸紙はぴったり。さらに「感触」とまで念を押して「九月の少年」の輪郭を明瞭にした。
 俳句にとって喩は極めて重要だと思う(そもそも俳句自体が一つの喩と言いたいほど)。そして私がすぐれた喩だと感じるものは、感覚的であり、加えて個性的なものだ。一方でそれが客観性をもっていることも勿論重要。掲句の、「硫酸紙の感触」という喩は、まさに優れて感覚的でとりわけ個性的である。

鹿鳴けりまるで一筋の香り 大池美木
 この句もまた「一筋の香り」という喩の魅力。遠く聞こえくる鹿の声は、冬へと向かう私たちの心に染みとおるもの。もちろん「鹿の声」は、牡鹿の繁殖の鳴き声。命のいとなみの声である。そう考えると「一筋の香り」という喩には、単なる美しさを超えた、あえかな生きものへの愛おしさまで感じられてくるのだ。

文書くは桜紅葉の甘さかな 河原珠美
 「桜紅葉の甘さ」も、心情をどんぴしゃりと表出した喩。「文書く」という営為は、おそらく日常からほんの少し非日常に足を踏み入れたところにある。そしてその「文書く」非日常はまた、ほんの少し華やいだ気分をもたらすものでもあるのだろう。そんな微妙な心情を繊細に掬いとった。「桜紅葉の甘さ」の品の良さ。

悲しいほど実のなるリンゴ 笹岡素子
 字足らずの句である。しかし字足らずの寡黙な表現が、この句の場合、くどくど饒舌に喋られるよりは、ぐさりと胸に刺さる。「リンゴ」が的確で動かない。華やかな真っ赤なリンゴが、(溢れる生命力で)たわわに実れば実るほど逆に、人間の置かれている孤独感が際立ち、心の底を吹き抜ける悲しさはいや増すのだ。「俳句は省略の文学」というけれど、それはあながち間違いではない。

蕎麦の花夕冷えは村の端へと 小池弘子
 繊細な感性。深まる秋の山里の、言いようのない静かさ、さびしさが、透明感をもって描かれている。白い蕎麦の花の視覚的感受。「夕冷え」という心象に傾いた皮膚感覚。純な手触りの染み透るイメージ。

十六豇豆じゅうろくや何でも良くて倚りかかる 篠田悦子
 この句の背景にあるのは「老い」だろうと、私は受け取った。『十六豇豆が支柱に倚りかかっている姿のように、「私」もまた、もはや倚りかかれるものなら何でも良くて、選り好みせずに倚りかかっております』。
 「老い」というものを表現するに(これは自戒を込めて言うのだが)とかくネガティブに書いてしまう。しかしこの句の場合は、老いや衰えをある意味肯定し面白がっているようにさえ見える。「倚りかかる」と言いながら、どうしてどうして逞しく、したたかである。
十六豇豆じゅうろく」が効果的。

すこしあかりを落とす身中虫の声 竹本仰
 人は、全てを明らけくする光輝く場所に、常にとどまって居られるものではないのかもしれない。明るさという、明快さや高揚から離れて、ときに少しの曖昧さ静かさ、ある種の後退を良しとしよう、と思うようだ。そしてそんな自分の気持ちに正直に、身の内のあかりをすこし落としてみる。心の内奥を見つめる目は鋭い。

知ってて待つ線香花火の展開 田中裕子
 線香花火の火花は、松葉になり柳になりやがてちりちり火の玉となって、ほとりと落ちる。その「展開」は皆知っている。知ってはいるがその展開を息をつめて待つ。じっと待つことこそが、線香花火の愉しみとさえ言えるのかもしれない。そんな様子をアイロニーを含んだもの言いで書いた。と同時に、この乾いた表現が、線香花火の移ろう様子に、私たち生きもののあり様を二重写しする。結末が分かっている生きものの展開だが、その一瞬一瞬にこそ意味があるのではないか、と。

葛の花だったような雨のいちにち 平田薫
 中句「だったような」という言い回しが面白い。「だった」と断定的に言っておいて、「ような」と少々曖昧にオブラートにくるむ。その脱力感。さらに加えて、ずるずるっと続く韻律。それらによって現れた、いかにも現代の空気感の、けだるい雨の秋の一日、その気分。

ライオンの奇麗な舌に雪ばんば 前田恵
 生態系の頂点に立つ圧倒的な力のライオンと、誠に頼りなげな綿虫という、対照的な二つの生きものの出会いの一瞬が、とても美しい。「奇麗な」「舌」と言って、命を食らわなければ生きられないライオンの宿命を、優しく肯定する。一方小さな綿虫もまた、確かな命を輝かす。

◆金子兜太 私の一句

廃墟という空き地に出ればみな和らぐ 兜太

 「寒雷」「海程」と投句。その時、兜太先生より、太字にて「健吟をいのる」との励ましの文あり、感激。現在まで続けられた由縁かな。句集『旅次抄録』(昭和52年)より。佐藤稚鬼

ここ青島鯨吹く潮われに及ぶ 兜太

 掲句は、平成15年に開催された九州地区現代俳句大会に隣席された折りの金子先生の作品。昭和30年代中頃からの宮崎・日南が新婚旅行のメッカとしてブームを巻き起こし、若き日の上皇ご夫妻も新婚旅行でお泊まりになられたホテルも解体されてしまったが、そこに隣接する亜熱帯植物園にこの句碑が建っている。この青島の地に立つと、沖で鯨が吹く潮が自分にまで及ぶという。兜太先生らしいなんとも豪快な作品に、身も心も震える思いがしてならないのだ。句集『日常』(平成21年)より。疋田恵美子

◆共鳴20句〈11月号同人作品より〉
〇印は2選者の共選句 ◎印は3選者の共選句

清水恵子 選
ファソラシは螢の軌跡恋だなぁ 狩野康子
蝋燭灯し亡友と詩で遊ぶ晩夏 川嶋安起夫
夏ツバメ父の机上は端正で 河原珠美
○前髪のギリギリ向日葵焦げている こしのゆみこ
夏館静かな文字のような人 小松敦
見上げること信じ直すこと帰燕 佐孝石画
◎やませ吹く炭火のような本さがす 佐々木宏
交響曲六番蟷螂のごとコンダクター 佐藤稚鬼
寝て起きて食べて寝て生く樫落葉 篠田悦子
○父の日の正しき位置に父の椅子 白石司子
積乱雲に愛伐り出している静か 竹本仰
○ノクターン硯の海といふところ 田中亜美
石蕗ひらくいつかやさしく死ぬために 田中信克
一粒の言の葉浅黄斑ひらり 樽谷寬子
蟇出でてスコップの先いててって 中井千鶴
端居から静かに外れ逝きにけり 中村晋
月若く月見るときは若くなる 長谷川阿以
皿に盛るパセリの森よ巣ごもりよ 長谷川順子
梅雨空は桃紅さんのエピローグ 三浦二三子
○母眠る眉間に繭をひとつ置き 望月士郎

竹本仰 選
○ふるさとは蚊帳に落ちたる青大将 上野昭子
空蟬を集めた指の匂い嗅ぐ 榎本祐子
不如帰あいたさ募る今朝の空 柏原喜久恵
○嫌われてしまえば自由水澄みずすまし 久保智恵
母のうしろ追うて蛍火の斑ら 小西瞬夏
夏至の日の白き鯨を追いかける 三枝みずほ
原爆忌わたしの手鏡わたしがいない 清水茉紀
○父の日の正しき位置に父の椅子 白石司子
衰夏なり無観客てふおもてなし 白石修章
対岸は対岸を見て螢の夜 田中亜美
湧き起こる妬心もあろう雲の峰 中内亮玄
みんなでそよぐ平行感覚青もみじ 中野佑海
蟻の列死骸を担ぐ二匹かな 仲村トヨ子
夏草にポイ捨てマスクいかがわし 疋田恵美子
はんなりと諭されている水羊羹 三好つや子
村を出る虹の根っこを踏み外し 故・武藤鉦二
○母眠る眉間に繭をひとつ置き 望月士郎
つんつんと胸高くして更衣 森由美子
戰爭は負けたッちゅうばな大カボチャ 横山隆
ちちろむしあたしのためにだけ生きろ らふ亜沙弥

ナカムラ薫 選
片陰や潮引くような物忘れ 伊藤歩
飛魚の翼銀なり未完なる 大西健司
きれいな言葉の浮輪溺れている 桂凜火
父呼べば枇杷色の明りが灯る 河原珠美
悩みにはまず肯いてところてん 故・木村リュウジ
○前髪のギリギリ向日葵焦げている こしのゆみこ
怒りとは光なりけり夏燕 佐孝石画
◎やませ吹く炭火のような本さがす 佐々木宏
惜別や葡萄の種を噛みこぼし 佐藤美紀江
茄子の馬ひと雨すぎて帰りしか 田口満代子
どこの水滴かしたたっている教室 竹本仰
○ノクターン硯の海といふところ 田中亜美
街の灯にことごとく濡れ夜のプール 月野ぽぽな
眩しさは訝しそうに夏のうしろ 遠山郁好
梔子が昼を大きくして咲いた 平田薫
道過る蛇やわらかき断定なり 藤野武
ソフトクリームあるいは没落貴族かな 本田ひとみ
夜空遠ししゃくとり今日を測り終え 松本勇二
まただれか自画像ぬりつぶして白夜 三世川浩司
月球儀のうぜんかずらのゆくえ 山本掌

並木邑人 選
夫婦に季語があるならば梅雨きのこ 井上俊子
○ふるさとは蚊帳に落ちたる青大将 上野昭子
夫といて淋しいときは郭公になる 榎本愛子
投げ上げて取りそこねたる大西日 奥山和子
○嫌われてしまえば自由水澄みずすまし 久保智恵
運命の人だと思うほど短夜 近藤亜沙美
飛べそうな気がする夜を緑夜という 佐孝石画
◎やませ吹く炭火のような本さがす 佐々木宏
決心はいつも厨で夏大根 佐藤詠子
水中花人さし指でノンと言ふ すずき穂波
人はみな回路図にある小春かな 田中信克
ひしゃげたパイン缶まだ友達だよね 遠山恵子
金亀虫手中最後の弾丸として 中内亮玄
ノンセクトラジカルの旗梅雨続く 仁田脇一石
じんじんと夕焼ふたりのようでひとり 丹生千賀
黒塗り開示蜥蜴の巣ある限り 平田恒子
家畜みたいにワクチン打って夏の星 藤野武
オオウバユリ酋長はもういない 前田恵
陸上部夏を音読する少年 宮崎斗士
湖にひらく掌篇オオミズアオ 望月士郎

◆三句鑑賞

蝋燭灯し亡友と詩で遊ぶ晩夏 川嶋安起夫
 字余りに、亡友への思いの強さ、悲しみの深さが窺える。蝋燭を灯して遺影の前に座り、思い出を語る作者の後ろ姿が目に浮かぶ。遺句集を手に、酒をちびちび飲みながら、連句のごとく付合をして遊んでいるのだろうか。亡友のいろんな表情や声が思い出される「遊び」を続けながら、晩夏の夜が更けてゆく。

寝て起きて食べて寝て生く樫落葉 篠田悦子
 緊急事態宣言の最中に、こういう毎日を送った人が多いのでは。通院日でない日の私は、まさにこの句のとおり。「何のために生きてるんだろう」と自問自答していたので、深く共感した。自殺者が増えるのも頷ける。だが、樫落葉が腐葉土となって役に立つように、自分もいつか役立つ日が来ると信じて、生きるしかない。

端居から静かに外れ逝きにけり 中村晋
 祖父が、三十一年間ほぼ寝たきりの末、九十八歳で亡くなり、八年が経った。内実を知らない人からは、「大往生だったね」と、よく言われたものだ。先日、その祖父の弟の妻(父の叔母)が九十九歳で亡くなった。九十六歳まで畑仕事をしていたのだが、老衰だったようだ。この句は終末の理想型。人の最期とは、かくありたい。
(鑑賞・清水恵子)

嫌われてしまえば自由水澄みずすまし 久保智恵
 我々の悩みの大半は人間関係による。特にもし嫌われたらという強迫観念は無意識に血肉化している。社会はそんな各人の自縄自縛で成り立っているのだが、ふいに解き放れた時、茨木のり子が詩の一節で敗戦を語った「禁煙を破ったときのようにくらくら」するナマの自由が来る。自由の原点は、そんな所からしか見えないようだ。

衰夏なり無観客てふおもてなし 白石修章
 トウキョー五輪。たしかに「おもてなし」はあったのだ。それを感じられたかどうかは別として。空っぽのスタンドと実況アナの絶叫、この不思議な空気感。『徒然草』の中で祭りのあとの人去りし寂しさに美を見出した兼好法師の慧眼、それに匹敵するほどに「無観客」の「おもてなし」というこの着眼点は秀逸であるように思った。

戰爭は負けたッちゅうばな大カボチャ 横山隆
 昔、四コマ漫画の「サザエさん」に、「戦争」と聞き日露戦争と勘違いした老人が勇み立つ、そんな笑えない一コマがあった。戦争は数珠つなぎのようにやって来る。そしてこの句には出来そこないの大かぼちゃを叱り飛ばすような言っても仕方がない怒りとも笑いとも何ともやりきれない気持ちに敗戦への問いかけが直に出ている。
(鑑賞・竹本仰)

きれいな言葉の浮輪溺れている 桂凜火
 鬼平の「無口な船頭」は仕事柄無口でいられる。が、心の中で辛辣なお喋りをしている。作者は仕事を効率的に進めるため、人間関係を良好に保つため、怒り心頭な相手であれ心とは違う「きれいな言葉」で喋る。そして疲弊する。されば綺麗はこの場にてお縄を掛け、共に本当の自分の浮輪で一気に浮上しようではないか。

前髪のギリギリ向日葵焦げている こしのゆみこ
 強い意志を持つ瞳がある。しかも「焦げている」。最高だ! 何故って向日葵の種もカラメルソースのほろ苦い甘みもゆっくり焦がしてこそ得られるのだから。表面は「ギリギリ」で切れて見えるが「ああ汝、吾をゆめゆめ二物衝撃と呼ぶことなかれ」なのだ。「前髪」という私から「向日葵」という私へシームレスに移行し二つのリアルは豊かに焦げてゆく。

夜空遠ししゃくとり今日を測り終え 松本勇二
 この作品を単に「擬人法が成功している」と回収したら誠につまらなく、何より人間中心の視点で「生きもの」を捉えた傲慢な態度となる。作者は一瞬にして対象と同化したのだ。「測り終え」と尺蠖の営みの微かな息に私は無防備な小さな命へ思いを致し、再び遥かなる夜空に何をするともなく放たれてしまった。
(鑑賞・ナカムラ薫)

嫌われてしまえば自由水澄みずすまし 久保智恵
 映画でも漫画でも、主人公より奔放に振舞っているのはいつも敵役、つまり嫌われ役。主役はストーリーを牽引しなければならないので、箍が嵌められてしまうのだ。水澄は自由の象徴として登場しているものと思うが、感情の水面を素知らぬ顔で泳ぎ切るバイキンマンのような存在でもあるのかもしれない。

人はみな回路図にある小春かな 田中信克
 田中もアイロニーたっぷりに人間を描いている。小春を堪能するささやかな幸福、それもこれも設計図に詳細に指示された回路図の小径をただ辿っているに過ぎないのだ。次に待っているのは日本沈没か、地球温暖化の果ての火星移住計画か? 一方では、AIを駆使して棋界を席捲する天才少年が居るのも事実なのだが―。

オオウバユリ酋長はもういない 前田恵
湖にひらく掌篇オオミズアオ 望月士郎
 この世のものとは思えない緑白色の長身の百合と青白色の大型の蛾。その名前があるだけで一句成立してしまう呪力を秘めている。前田句の「酋長」は、ユリから採れる澱粉が保存食として重要な役割を担ったアイヌ文化との関わりを示している。
(鑑賞・並木邑人)

◆海原集〈好作三十句〉武田伸一・抄出

間引菜を洗う百十円の老眼鏡 有栖川蘭子
秋刀魚喰う組閣のテロップが邪魔 植朋子
指組まず指切りげんまん寒露かな 梅本真規子
ポケットの多いジャケット君にあげる 大池桜子
膝の上のキャパの戦場冬日さす かさいともこ
しゃりしゃりと炭が崩れる原爆忌 葛城広光
アレルギーは孫にあるらし秋刀魚焼く 木村寛伸
暮の秋一頭騸馬せんばになりました 日下若名
開運の本を頂く老人日 後藤雅文
白曼殊沙華さよならに似た言葉 小林育子
落し水棚田の芥押してきた 坂本勝子
紫陽花の色よく乾ぶ銀河かな 佐竹佐介
赤とんぼまるで昭和がとんでいる 重松俊一
月白く音叉の波動のやうに日々 宙のふう
祖父在るはも一つの故郷小鳥くる 立川真理
あすを裁く晩秋の風に恋もして 立川瑠璃
冬落暉むこうに昭和が揺れている 谷川かつゑ
母の手を子は払い行く良夜かな 野口佐稔
水連れて父母の井戸から月上る 服部紀子
ケーキ屋の呪文滑らか小鳥来る 福田博之
母の忌の読経の僧に日傘差す 藤井久代
秋の衣更えビバルディを独り分 松﨑あきら
まんじゅしゃげ一つの旗は燃えやすい 武藤幹
修験道巨石の上に木の実落つ 村上紀子
毎日が小さな被曝彼岸花 山本まさゆき
つつがなく首を載せては菊人形 吉田和恵
コンビニで犢鼻褌たふさぎを購ふ雨女 吉田貢(吉は土に口)
利根川と空までの距離尺取 わだようこ
コンポスト開けて無数のいのちかな 渡邉照香
抽斗に溜めし秋思のしろい骨 渡辺のり子

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です