第6回 海原金子兜太賞

『海原』No.63(2024/11/1発行)誌面より

第6回 海原金子兜太賞

【本賞】
船越みよ「冬の想」

【奨励賞】
松本千花「鬼灯が足りない」
鱸久子「ふるさと・は」

 第6回「海原金子兜太賞」は、応募作品37編の中から、上記三作品の授賞が決まった。
 応募作品数は、本年も前年より少なかったが、どの作品も大変充実したものであった。本年も世界の紛争はとどまることなく、さらに国内は地震や風水害の被害が広がっている。30句のテーマも内容も多様化し、表現方法にもさまざまな工夫が見られる結果となった。詳細は、選考座談会をご覧いただきたい。
※選考座談会および選考委員の感想は『海原』本誌でご覧ください。

◆選考委員が推薦する5作品◆

【本賞】
船越みよ「冬の想」

粉雪の木立遠き日のアカペラ
吹雪見ており縮緬雑魚の目の渇き
雪踏んで恋の一句の韻を踏む
栗鼠のようおやつを隠す冬の黙
人等去り二人にひりひりする寒さ
湯たんぽの「ゆ」の字が二つ母二人
手さぐりの鞄の奥の冬の虹
冬日たっぷり余生の今におぼれたい
電柱に句作にごつん時雨傘
姉の背の圧迫骨折遠い雪崩
くちびるに湿りを色をポインセチア
冬木の芽印象操作の顔ばかり
葉牡丹や音叉のように耳打ちす
冬木より淋しき電飾産土は
股引と父のがむしゃら子だくさん
骨揚げの無機質な箸冬もみじ
冬桜呼ばれて妻に戻りけり
筋肉疲労水に抱かれて枯はちす
人形の首のぐらつく開戦日
戦時飛行場跡一面枯すすき
文脈の飛んで鯨の群れ遥か
頸たたむ白鳥湖心という孤独
詩想とぎれて一目散の野のうさぎ
玄米粥馬の咀嚼のちゃんちゃんこ
ポカ増えてポーカーフェイス着ぶくれて
白濁の記憶のふたり風呂吹ふう
葱刻む身に一本の追慕の矢
肌年齢ぎょぎょっと屋根の雪えくぼ
羽後大雪石のつぶやきして父よ
終の地や迷走会議のよう吹雪

【奨励賞】
松本千花「鬼灯が足りない」

若葉風体操服のまま帰る
額寄せながす笹舟夏はじめ
落とされて目玉の赤い青蛙
少年の羽音サイダーの鼓動
青蜥蜴の匂いだったか転倒後
蓮の風午後はやさしくはぐらかす
枇杷の実のずかずか落ちる境界線
さよならの背中が笑う梅雨茸
わがままな鏡の映すアマリリス
多数決が寝そべっている木下闇
ごみ包むための夕刊栗の花
しがらみと言い諦めと言い蟻の列
しょうがない豪雨の夜の冷奴
家事分担計画あぢさゐ化
愛したり脅したりして昼寝
シュレッダー素気無い音の涼しさよ
いつのまに平らな跣足歩け歩け
夾竹桃地獄耳だけよく育つ
罌粟の花淡く愚かにすれちがう
夢の掟蛍の部屋はのぞかない
「治療はご縁です」掛巣鳴く
ローリングストック鬼灯が足りない
寄り添うこと月の舟から落ちぬこと
竹の春シニアはスロースクワット
ちちろ鳴く実験室の磨硝子
秋蝶のように見送る回送列車
居待月ずっと味方でいる覚悟
紅蓮きょうはマリーと呼んでみる
若葉風エアーなわとび七十回
いそいそと蟻居り侍り今が旬

【奨励賞】
鱸久子「ふるさと・は」

月山山麓北限の柿捥ぎ初むる
月山よ北限の柿庄内柿
家の柿八十五本俺が捥ぐ
柿愛しいずめ児いずめこ愛し月山よ
おばこも捥ぐ北限の柿初々し
だだちゃ捥ぎががちゃ選果へこんつめる
たった五分雹奴叩きし柿無惨
雪原へ鋏を鳴らし柿剪定
手探りで育てし柿よ松ヶ丘
月山の山懐に柿と居る
波の花空へ投網を打つように
卯波寄す荒磯や竿を納めける
浜昼顔単線ホームへ咲く二輪
黙ったまま浜昼顔は消えました
県境の駅舎の隅の小座布団
県境越える無人車輌の秋灯し
蝦夷あじさい半こ手綱はんこたんなの目のやさし
清水一献半こ手綱はんこたんなを解く伯母へ
薄明のお花畑をお鈴來る
月山のお花畑と神々と
滝行たきぎょうクリア女性行者の清々し
木道右へ尾瀬河骨へ逢いに行く
尾瀬河骨の浄土地塘は深く青
家の庭へ螢と姪の声密か
木登り熊甘柿全部食うて去る
一度ぐらいは食らうてやると蝗追う
老鶯頑と生きるよすがの弥陀ヶ原
お花畑へわたしのひと日委ねける
弥陀ヶ原山椒魚よ年いくつ
月山よお花畑よふるさとは

◆全応募作品から選考委員が選んだ推薦15句

〈これまで推薦10句を選んでいたが、推薦したい句が多数あるという選考委員からの要望に応えて、今回は15句を選ぶことになった。なお、選考委員が推した五作品以外から選ぶことを基本としたが、一部その限りではないことをお断りしておきたい〉

安西篤
フェルメールの青冴え冴えと血のえぐみ 2「令和うふうふ草枕」
たらようの葉よわたくしのかげろう日記 3「わたくしのかげろう日記」
「寅次郎」といふ幼犬の鈴の声 6「歪つな真珠」
とびからすけものも歌うイヨマンテ 7「共生の島」
多数決が寝そべっている木下闇 14「鬼灯が足りない」
遺影見て遺影に見られメロン食う 21「見えぬもの」
ブルームーンという薔薇あいまいな時間 22「少しはみ出す」
銀杏黄落子からのイエローカードあり 23「イエローカード」
詩は時に銃弾となり星狙う 25「長き塀」
能登や能登まだまだ置きざりの蕨 27「共同売店」
父ちゃん母ちゃん背高泡立草図鑑 28「家族の時間」
人間に乗り継ぎの時間蝉生まる 32「縄文海進期」
自販機のボタンまたたく夕端居 33「働くひと」
わが渇く未生のことば踏みまどう 34「『憶』へ、『黒い星』へ」
だだちゃ捥ぎががちゃ選果へこんつめる 37「ふるさと・は」

武田伸一
人の死を囁きあひて夕花野 4「飴色」
木耳のはびこる母の死角かな 5「うつつ草子」
乾きし薔薇別の生き方してもいい 8「後ろ歩き」
とことん梅雨ですどぶさらいの老いです 11「葡萄に種」
冬日たっぷり余生の今におぼれたい 12「冬の想」
憲法記念日家中の窓開ける 13「光へ」
てのひらの重さにのせて蝉の殻 17「ひふ」
桜桃忌紙ナプキンに薔薇の柄 18「四万六千日」
ガラス瓶に作る銀河の濁らずに 22「少しはみ出す」
銀杏黄落子からのイエローカードあり 23「イエローカード」
麻ズボン失くした脚のあるように 25「長き塀」
夕焼の真正面で飯を炊く 27「共同売店」
「右向け右」少年兵は跣足だった 30「ひとりがいっぱい」
大原テルカズきりぎしは夜に触れ 34「『憶』へ、『黒い星』へ」
駅前の菓子屋のベンチ蝉の殻 35「青春の嘘」

田中亜美
ピンクオパール黙秘したのは春の宵 1「春日記」
回想は通り雨なり冬すみれ 3「わたくしのかげろう日記」
真円をもとめることなく未草 6「歪つな真珠」
夏の夜の点滴のよう鹿鹿鹿 7「共生の島」
ちから要るだろう噴水立ち上がる 8「後ろ歩き」
八月やにんげんがつくりしひかり 13「光へ」
封印の胸に宿りぬ冬の蝶 15「がんもどき」
白桔梗すこし明るい覚悟もち 21「見えぬもの」
ブルームーンという薔薇あいまいな時間 22「少しはみ出す」
蟬生まる夜明けドローンたち静か 25「長き塀」
二人称単数ふたり衣更 28「家族の時間」
二百十日雲飛ぶ能登の千枚田 29「能登炎暑」
大原テルカズきりぎしは夜に触れ 34「『憶』へ、『黒い星』へ」
龍神の思慕残りたる夏の湖 35「青春の嘘」
浴場のタイルの目地も春めいて 36「日常」

遠山郁好
意地張りあふ馬琴北斎弓張月 2「令和うふうふ草枕」
草かげろうどうしようもない渇き 3「わたくしのかげろう日記」
目隠しをされてしばらく秋のこゑ 4「飴色」
肩書はスリープトレーナー梅雨茸 5「うつつ草子」
木の国の木の芽しくしく愚にありて 7「共生の島」
死ぬほどの悔恨込めて夏の影 9「餓えた家族」
音を喰む雪に目蓋の重さかな 10「囮天弓」
優し気な蛇に囲まれ睡魔くる 18「四万六千日」
背にシャツの糊痛いほど桜桃忌 20「ぶきっちょな手」
梅雨寒や家裁の廊下に揃える脚 21「見えぬもの」
ほほえみみちすうくろかみくうかんかがみのなか 24「?!」
人差し指ひと刺さぬ指夏野昏れ 25「長き塀」
ふと肩を抱かれて涅槃西風になる 28「家族の時間」
尺取りのリハビリはいつも全力 31「抽象画になる」
見えざるものへ陽炎の老いかすか 34 「『憶』へ、『黒い星』へ」

堀之内長一
冴返る薬のような朝日飲む 3「わたくしのかげろう日記」
白桔梗なんとはなしの精進落し 6「歪つな真珠」
販売機 昔に降った雨を買う 10「囮天弓」
とことん梅雨ですどぶさらいの老いです 11「葡萄に種」
柿たわわこの世とつながるため握手 13「光へ」
遠く海鳴りきっと鯨の幻肢痛 17「ひふ」
終戦日遺書に押されし検閲印 18「四万六千日」
永遠に歯を磨く君星祭 22「少しはみ出す」
朝露や人をモニターせし猫に 23「イエローカード」
くたびれた画鋲が落ちてより真夏 27「共同売店」
老鴬のしきりに鳴くや能登山中 29「能登炎暑」
抽象画になる老いへの夏鏡 31「抽象画になる」
月曜のたびに孵化してクールビズ 33「働くひと」
がごぞくごきごきごはいごん
雅語俗語季語綺語俳言しゃぼん玉 34「『憶』へ、『黒い星』へ」
一瞬の無言劇あり盆支度 35「青春の嘘」

宮崎斗士
母涼しちひさなこゑのあつまれば 4「飴色」
羅の老女凜としハシビロコウ 6「歪つな真珠」
愚痴という換気ありけり揚羽蝶 8「後ろ歩き」
白玉やそちらを向くはOKってこと 11「葡萄に種」
寄り添うこと月の舟から落ちぬこと 14「鬼灯が足りない」
小春日の木になりたがる駝鳥たち 20「ぶきっちょな手」
透明な子といわれ見ている梅雨の月 21「見えぬもの」
新入生取説付の焼き立てパン 23「イエローカード」
古竹踏むパキンと渇くわが躰 25「長き塀」
平和大通り肉片のごと梯梧散る 26「雨蛍」
瓶底の夏を手に提げ父である 28「家族の時間」
攫うにはじゅうぶん赤い小鳥だわ 30「ひとりがいっぱい」
薄荷咲くゆっくりだからついていく 32「縄文海進期」
絵日記の夏空捨てたわけじゃない 35「青春の嘘」
今日だけの地図を描いて竜天に 36「日常」

柳生正名
おままごと今日の蜆は笑っちょった 1「春日記」
うふうふうふ虫宇宙だね草枕 2「令和うふうふ草枕」
三叉のふふみほつほつ土の息 3「わたくしのかげろう日記」
さっきまで弟だった月見草 5「うつつ草子」
木の国の木の芽しくしく愚にありて 7「共生の島」
二百字詰めにはづきと書けば水の音 11「葡萄に種」
夫の留守宙から蛇が降って来し 18「四万六千日」
小春日の木になりたがる駝鳥たち 20「ぶきっちょな手」
金魚にげて金魚玉となる地球 21「見えぬもの」
母といてこれからのこと蚊遣り豚 28「家族の時間」
夫の手術へ十の署名真夜の夏 31「抽象画になる」
薄荷咲くゆっくりだからついていく 32「縄文海進期」
こどもの日仮面ライダー殴り合ふ 33「働くひと」
ささりさりさりさりさららささりさり 34「『憶』へ、『黒い星』へ」
冴え返る背中に当たる聴診器 36「日常」

◆候補になった14作品の冒頭五句〈受賞作を除く〉

4 飴色 小西瞬夏
漆黒や八月の八塗り潰し
刻々と空蝉乾きゆく真昼
黒南風や墳墓息づく草の中
虹消えて母残りたる厨かな
指に泥つけて戻りし魂祭

5 うつつ草子 三好つや子
ポケットに般若心経春落葉
動物園って箱庭なんだ柳絮飛ぶ
豆の花見えないものの寝息あり
正論と異論のはざま蘖る
鳴子百合ふいに大人を踏み外す

7 共生の島 十河宣洋
とびからすけものも歌うイヨマンテ
草若葉獣も人も加齢して
足跡ゆうゆう熊は酔い覚めのよう
梟が聴く熊の寝息と雪解風
冬眠の熊念仏のように風を聴く

13 光へ 小林育子
蜜蜂の軌跡まぶしく朝ごはん
雲に雲ミサイルのきらりはおぼろ
天泣の青田頬に光の粒
薫風や抜かれっぱなしの通勤自転車
鮫光る本音のみこむ哀しい癖

15 がんもどき 木村寛伸
油照り不穏メールの着地点
無造作に癌を告りし日焼の娘
炎昼の胸に刺されし五寸釘
見初められ癌の棲家となり溽暑
癌よ癌父は許さじ毛虫焼く

16 その時セイジ・オザワ 大髙宏允
かいやぐらふとメケメケを口ずさ
船底の春のリズムよエンジン音
ラ・マルセイエーズの洗礼春疾風
満天春星天使に逢えそうだ
若駒の風切る気分一本道

17 ひふ 望月士郎
一頭の蝶の越えゆく象の昼
空青く肉を縛って凧の糸
かさぶたにかすかな痒み雛納
海市消え双子のそっと手を離す
あっちの傷こっちの傷や夕蛍

19 夕焼座 佐竹佐介
一弾を明日に向つて撃て夕焼
お熱いのがお好きとあらば夕焼を
海夕焼片方浮かぶ赤い靴
欲望という名の電車街夕焼
夕焼野や中国女連れ回す

20 ぶきっちょな手 和緒玲子
元カレに遭ふや雨月の牛丼屋
窓が欲し銀漢渡す大きさの
言ひ張つて檸檬一匙分の悔い
小春日の木になりたがる駝鳥たち
遠火事や頓服薬のほの甘し

22 少しはみ出す 大池美木
窓ガラスに残る朧の遠ざかる
花ミモザビートに遅れて老いていく
凌霄や世界から少しはみ出す
いつか狂うお花畑のハッピネス
僕と来るかい日焼のあと淡く

27 共同売店 河西志帆
水を打つ水の裏から見える町
麦こがしずんずん昏くなる神社
くたびれた画鋲が落ちてより真夏
共同売店ご先祖様が常連
羅やドアを開ければ点く電気

30 ひとりがいっぱい ナカムラ薫
ゴジラ死すすぐそばの遠い時間
炎天を耳さとき蝶一頭
和解して鳥の握手のよう五月
ちとのろいのですが夏の蝿である
帽子屋を漂うおらんだししがしら

32 縄文海進期 小松敦
花辛夷羽ばたくように物語る
薇の少年少女展開し
風船の夢は南方郵便機
牧開ただ微笑みを遷す人
ピアノ弾くようにミシンをクロッカス

35 青春の嘘 佐藤詠子
青春の嘘が泉になってきた
ふるさとに目を合わさない百合の花
帰る家帰らない家立葵
蝉しぐれ空家だらけを埋めている
一瞬の無言劇あり盆支度

◆応募作品の冒頭三句〈受賞作・候補作を除く〉

1 春日記 伊藤清雄
ピンクオパール黙秘したのは春の宵
届物は梨の礫よつばくらめ
おままごと今日の蜆は笑っちょった

2 令和うふうふ草枕 藤好良
三界をカンバス提げて花カンナ
虫入りの琥珀の鼓動月宮殿
秩父路をアサギマダラの渡りかな

3 わたくしのかげろう日記 黒岡洋子
たらようの葉よわたくしのかげろう日記
遠雪崩藜杖れいじょうそろと影を踏む
待つ人がいるようすずろ風花す

6 歪つな真珠 石橋いろり
息絶えし子の寝息きく母子草
虚と実のあわいに迷う夏の蝶
「寅次郎」といふ幼犬の鈴の声

8 後ろ歩き 三浦静佳
夏の杉父の部厚き声がする
ほつほつと渓蓀どんより気象病
図書館を別荘と言う麦の秋

9 餓えた家族 豊原清明
ほしぼしや家帰りたる朱夏脱腸
父待つや入院くすり病大暑
蝉時雨朽ちたるままの頭の中

10 囮天弓 樋口純郎
冬薔薇の生命を借りて人と会う
短日や一枚だけの葉の震え
鬱屈の全て冬の煙り一条

11 葡萄に種 楠井収
腹の中ひとごとのよう花吹雪
好きになりいらちとなって庭に梅
桜満開いつ散るかとても待てない

18 四万六千日 工藤篁子
山に居て遠嶺を拝む初日の出
千年の香解きゆく初桜
名を持たぬ一樹のくいぜひこばゆる

21 見えぬもの 藤田敦子
はつなつへ漕ぐ海原に座すごとく
海のはじまり夏のはじまり父の背
青空に転写するごと鴎来る

23 イエローカード 岡田奈々
涅槃会や腕に眠る子の仏
春眠や世の一切を手放して
新入生取説付の焼き立てパン

24 ?! 阿久沢長道
妄想のスピン磁気回転比夢のつぶやき
交差するパルスの音階エレキ
ふーっととばすてのひらのきぼうのみらい

25 長き塀 桂凜火
すべりひゆ灰の雨降るいっせいに
木苺熟す塀の向こうは戦なり
黒けむり上がる夏空嘔吐のよう

26 雨蛍 石川まゆみ
夕焼の中区が変わる重機生え
平和大通り肉片のごと梯梧散る
笑うから知人かとロビーの案山子

28 家族の時間 田中信克
ポンコツの笑顔がひとつ豆の花
ふと肩を抱かれて涅槃西風になる
やがてあなたは半分自由はだれ雪

29 能登炎暑 赤崎冬生
災害のガラパゴス化や冬の能登
車錆び家屋倒壊 能登厳冬
輪島朝市道も分からず焦げし街

31 抽象画になる 川崎千鶴子
咲きつくし行きどころ無き枝垂れ梅
梅花にひたひた唇濡れてゆく
命の果てがふいに見ゆ日永かな

33 働くひと 山本まさゆき
東大の赤門くぐる子猫かな
ひらがなや蝶一頭の持つ記憶
ひとときの星座を結び桜の実

34 『憶』へ、『黒い星』へ 山本掌
記憶とううすずみいろのさざなみ
憶は刃憶は陽だまりかげろえる
ゆらぎては揺らぎては遠く春雷

36 日常 清水恵子
冴え返る背中に当たる聴診器
牡丹雪すっくと黒き松本城
空耳の気配を探す木の芽時

《これまでの受賞者》
■第1回(2019年)
 本賞:すずき穂波「藁塚」
 奨励賞:望月士郎「むかししかし」
 特別賞:植田郁一「褌」
■第2回(2020年)
 本賞:三枝みずほ「あかるい雨」
 奨励賞:小西瞬夏「ことばのをわり」
 奨励賞:森由美子「万愚節」
■第3回(2021年)
 本賞:大沢輝一「寒落暉」奨励賞:河田清峰「笈日記」
 奨励賞:三好つや子「力水」
■第4回(2022年)
 本賞:望月士郎「ポスト・ヒロシマ」
 奨励賞:ナカムラ薫「砂の星」
 奨励賞:三浦静佳「鄙の鼓動」
■第5回(2023年)
 本賞:佐々木宏「渋い柿」
 奨励賞:小西瞬夏「十指」
 奨励賞:河西志帆「もずく天ぷら」

『猫の前足』森武晴美 句集

『猫の前足』森武晴美 句集

 胃の上に猫の前足花の冷え

 第一句集。「「海程」という集団の中にあって、多様な表現に影響を受けながら、例えば言葉俳句に一方的に傾いて自己の希薄な句作りに終わることはない。そこには自らなる復元力の働きが見受けられる。〈まず阿蘇を拝みて冬耕の鍬入れや〉の句がある通り、土と親しんでいる人の日常感覚の持つ復元力かとも思う」(野田信章氏の「序」より)

■発行=熊日出版 ■私家版
■著者住所 〒861‐1102 熊本県合志市須屋一九五八

追悼 佐藤稚鬼 遺句抄

『海原』No.63(2024/11/1発行)誌面より

追悼 佐藤稚鬼 遺句抄

汚点しみとなる口笛霧の吸取紙
耳で視る風景寒し闇の底
蜘蛛の巣にひかる朝霧なにか不安
雪崩おちきって一つの息を吐く
除草機押す歩速を持ちて灯へ帰る
麦を蒔く母二三歩で腰きまる
草一本一本キーンと響く月
ぶらんこの蒼き揺れもちくだる坂
泉聴くしずかに拳やわらげて
放尿の寒き脳裏に拡がる穴
落ち椿疵口のごと石段に 長いブランク以降

裸木の静脈蒼天をまさぐりぬ
風車のそよぎに共鳴の肺涼し
街灯のもとに秋風灯りけり
高山病かみしめるごと氷河をゆく
枯野の野宿星座の芯たるナルシスト
岸壁いわ攀じゆく秋天更に遠ざかる
底雪崩肺に響けりシベリウス
ザイル解く尖った四肢のゆるみゆく
雲の峰卒寿で尚もヒマラヤ恋ふ

(佐藤公惠・抄出)

六十年の歳月を偲ぶ 佐藤公惠

 令和六年六月十九日、稚鬼が旅立ちました。
 縁あっての六十年の暮らしの終止符です。
 海が大好きな私は、幸いなことに国立公園屋島の麓から海に続くわずかな平地に住むことになったのです。もうひとつの幸せは、パートナーとなった稚鬼のおだやかな人柄と、お互いの趣味に数々の共通点があったこと。朔太郎・賢治に心うばわれ、美術展の会場では同じ作品の前で長く立ち止まり、音楽においてもそれはたがうことはありませんでした。ただ、稚鬼は歌うことはあまり無く、コーラスの練習日に喜々として出かける私を、不思議そうな面持ちで送り出してくれました。ふたり別々の貴重な時間、稚鬼にとっては句作や畑仕事、私は二時間をしっかり声を出しての笑顔の帰宅です。夕食後、「こんな句が出来たけど、どう思う?」「どれどれ見せて」。
 数え切れない程のささやかな時間を偲び、稚鬼亡きあとの悲しさ、寂しさはまだありません。

ありがとうの気持ち 佐藤梛月

 わたしのおじいちゃんは、しゅみではい句をしています。このあいだおじいちゃんがわたしのはい句を作ってくれました。
 さくらんぼ ふくむ少女のえくぼかな
と書いていました。親せきがおくってくれたさくらんぼを食べている様子を見て書いてくれたんだなと思いました。母さんもよろこんで、そのはい句を色紙に書いて赤いさくらんぼの絵をつけくわえて、家ぞくがよく通るろう下にかざってくれました。とてもうれしかったです。家ぞくに大切にされているんだなと思いました。このはい句がきっかけで、人に気もちを伝えるのは、メールや手紙やふだんの話だけでなく、はい句でも十分できるのだなと思いました。おじいちゃんの一つのはい句でたくさんのえ顔も広がり、ありがとうの気もちで心はいっぱいです。
(孫の梛月さんが書いた小学校三年生の時の文章。現在は六年生)

第6回 海原新人賞

『海原』No.62(2024/10/1発行)誌面より

第6回 海原新人賞

【受賞者】
 福岡日向子
 立川真理

【選考経緯】
 『海原』2023年9月号(51号)~2024年7・8月合併号(60号)に発表された「海原集作品」を対象に、選考委員が1位から5位までの順位を付して、5人を選出した。
 得点の配分は、1位・5点、以下4・3・2・1点とした。集計の結果、下表のとおり、福岡日向子、立川真理の2人への授賞を決定した。

【受賞作品抄】

はじまりの風 福岡日向子
薔薇愛でるために使わぬ指のあり
幸せにしたがる男茄子の花
紫陽花の青は受けとめ難き色
枇杷の花とは明日まで続く雨
花束をぶつけてみたい人がいる
突き落とすつもりで来たの大花野
感情を挟むことなく秋深む
神経を使う人なり蘭の花
真面目にならいつでもなれる吾亦紅
冬薔薇の淡いところで待ち合わす
はつゆきの誰が弾いてもいいピアノ
告げずには終わらぬ恋に冬菫
銀杏落葉遅れても良い約束をしよう
凍星を捉えるための睫毛かな
初恋が叶った人のスイートピー
夜桜の下までふさわしき歩幅
気遣われ易き人なりヒヤシンス
ハナミズキ寝癖をつけてくる上司
晩春の日曜までのグラデーション
はじまりの風を選んでたんぽぽ飛ぶ

父の日 立川真理
何も彼もおおそどっくす夏越の夜
人群れて中の一人となる祭
美しきもの廃れてヒロシマのとおりゃんせ
原爆ドーム茜射す時なほ燃える
天空のさびしら人の花火果つ
AIや昔トンボ釣りの仲間
木の実降る独居の婆の物語
一日の裏側は夜梟の帝国
数え日や老若男女旅人われら
大いなる冬耕魚沼にミレーの景
雲が吾におくるは頭痛氷雨かな
地震の地に〈生きて〉と祈る初詣
人生にわが居る不思議梅の花
返り来るは吾が声ばかりひめゆりの塔
青き踏む足裏に命確かめて
春セーター平和主義です主語述語
いくつの死いくつのピエタ春北風
どろっとオノマトペおたまじゃくしが巣立つのは
奔放な風に転んで四月馬鹿
「父の日」の父に賜る海苔弁当

【候補作品抄】

春満月 小林育子
狐面はずせば狐宵宮かな
ミニトマト転がる朝のJアラート
爆弾はいらないんだな清の花火
父が逝き母が逝きつつじらんまん
長生きは時々へくそかずらかな
満月のような沈黙師とふたり
喪中です石蕗の葉十枚投函す
拒むとき足の先から凍鶴に
搔巻をすいっと脱いで母逝けり
ひとつずつ言葉をひろう春満月

秋の蝶 宙のふう
風光るキトラ古墳の天文図
わたくしを許さぬわたし菜の花黄
わたくしの内なる異国ほうほたる
古書店にはんざきがをり泡ひとつ
廃線の枕木を刺し流れ星
さびしらやからだの奥に秋夕焼
秋の蝶捨てたことばのレクイエム
混沌の大花野にをりひとり
月光を吸ひわたくしのよわいとす
室咲きやすべてが真白であった頃

【海原新人賞選考感想】

■大西健司
①福岡日向子 ②立川真理 ③宙のふう ④石鎚優 ⑤小野地香
 福岡日向子〈夜の薔薇母を許せぬかもしれず〉〈薔薇愛でるために使わぬ指のあり〉〈突き落とすつもりで来たの大花野〉どこか屈折した美学、その叙情性に惹かれる。この一年の充実ぶりは素晴らしい。怖れることなく継続を。
 立川真理〈天空のさびしら人の花火果つ〉〈寂しさに馴れた頬杖兜太の忌〉〈青き踏む足裏に命確かめて〉どこか暗い青春性に惹かれる。これからも伸びやかに書き続けてほしい。
 宙のふう〈廃線の枕木を刺し流れ星〉〈月光の滴る先やリルケの詩〉〈風の色が違ふと姫女苑のツン〉衰えを知らないその詩性の豊かさ。
 何とかこの三人に順位をつけたが、もうここからがさらなる混戦。随分迷ったが、石鎚優〈骨董市でピエロに会釈され青葉〉〈脊梁山脈さみしいと言へ月見草〉、小野地香〈こんな子で良かつたか母よ雪の果〉〈秋を待つQRコードじや読めぬ君〉、実力者が多くいるなかから最終的にこの二人を選んだ。
 ほかには、大渕久幸、和緒玲子、飯塚真弓、路志田美子、有栖川蘭子、小林育子など多彩、今後は何よりも継続を。

■こしのゆみこ
①小林育子 ②福岡日向子 ③路志田美子 ④宙のふう ⑤立川真理
 小林育子を一位に推す。御両親の介護、喪失をつつじ、桃、石蕗の葉、雪原、白飯、など感情をおさえた彩り方に共感。心に響く。
  父が逝き母が逝きつつじらんまん
  たましいの抜け落ちそうで食べる桃
  納骨の朝の白飯小鳥来る
 二位は福岡日向子。ちょっといじわるで残酷な句が小気味よく、率直に描ける自由さがうらやましい。大胆な発想も素敵。
  幸せにしたがる男茄子の花
  突き落とすつもりで来たの大花野
  冬薔薇の淡いところで待ち合わす
 三位の路志田美子はアメリカ、ハワイ在住、戦禍の句と日常の句の交錯に惹かれた。
  油照り水欲る人へ向く銃口
  水入れて直ぐに鳥来る夏来る
 宙のふうの自意識の繊細な描き方。
  病室の窓沈まない大きな月 宙のふう
 立川真理の描く幻想風景をもっと見たい。
  海暮れて夢の真中にある切り岸 立川真理
  人は疎に花は密なるみ空かな 有馬育代
  支払いが済んでない八月十五日 松﨑あきら
  暫くはしゅんとしておけ鰯雲 大渕久幸
  きちきちが我のへこみに現るる 飯塚真弓
 自分を信じて、自分のための句を。

■佐孝石画
①福岡日向子 ②和緒玲子 ③有栖川蘭子 ④宙のふう ⑤木村寛伸
 僕の選考手順。対象号(9月から7・8月合併号まで)の全句から、佳句を抜き出す(計109句)。作者名と選んだ句数を確認する。あらためて句数の多い作者(最高14句)ごとに句を書き移す。まとめた句を鑑賞吟味し、最終選考する。掲載句が4か3に削られていて、全作品を見ることが出来ないのが残念。
 三年連続で福岡日向子を推す(14句)。今回は圧倒的だった。感覚の冴え、口語を活かした巧みなレトリック。そして配合の妙。懐の深さ、広さは「本格」と言っても良い。すでに海原誌の代表作家の貌である。
  突き落とすつもりで来たの大花野 日向子
  冬薔薇の淡いところで待ち合わす 〃
  凍星を捉えるための睫毛かな 〃
  揺らしても良い感情たち猫柳 〃
  ハナミズキ寝癖をつけてくる上司 〃
 次に和緒玲子(7句)。深い抒情。
  手を洗う水が温くてほうたる 玲子
  たましひはたぶん火のいろ雪兎 〃
 三位に有栖川蘭子(7句)。激情と痛み。
  秋の蝶さらさらさらさらどろりかな 蘭子
  くらがりに足すこと引くこと沈丁花 〃
 四位に宙のふう(6句)。自愛自省の昇華。
  わたくしの内なる異国ほうほたる ふう
  わたくしを許さぬわたし菜の花黄 〃
 五位に木村寛伸(8句)。諧謔と抒情。
  吾亦紅仕舞いし愛の顔持てり 寛伸
  冬三日月その薄情にぶら下がる 〃
 続いて小林育子(5)、井手ひとみ(5)、大渕久幸(4)、村上舞香(4)、立川真理(3)、松﨑あきら(3)、よねやま麦(3)、渡邉照香(3)に注目した。

■白石司子
①福岡日向子 ②立川真理 ③飯塚真弓 ④大渕久幸 ⑤宙のふう
 一位の福岡日向子の〈薔薇愛でるために使わぬ指のあり〉〈突き落とすつもりで来たの大花野〉の鋭い感覚と季語の斡旋の妙、また〈死ななくても良い七月の風を得て〉〈人間に生まれてきたる長き夜〉の心境象徴句に注目。
 二位の立川真理の〈原爆ドーム茜射す時なほ燃える〉〈返り来るは吾が声ばかりひめゆりの塔〉の平和への祈り、〈人群れて中の一人となる祭〉〈数え日や老若男女旅人われら〉の永遠の旅人としての孤独感。
 三位の飯塚真弓の〈きちきちが我のへこみに現るる〉〈こんなにも痛き音なる四温の雨〉の生のかなしび、四位の大渕久幸の〈朝帰りっぽいシャンプーの香り土用〉〈鬼なのか人間なのか海鼠食む〉の俳諧自由。
 五位の宙のふうの〈わたくしの内なる異国ほうほたる〉〈わたくしを許さぬわたし菜の花黄〉のわたくし俳句にひかれた。
 また、路志田美子の〈パンドラの胸に不死身の蛇タトゥー〉〈鞦韆立ち漕げばたましひ吾にしがみつく〉等の特異性、重松俊一の〈人死んで人の集まる焚火かな〉の普遍性にも期待。

■高木一惠
①松﨑あきら ②立川真理 ③石鎚優 ④小林育子 ⑤飯塚真弓
  雪解まだまだ唄を作っているのです 松﨑あきら
  しんと雪諭すことなど何もない 〃
 実景と、また自身と交信して聴き取った唄、呟き。そこに内観を深める松﨑俳諧です。
  返り来るは吾が声ばかりひめゆりの塔 立川真理
 多くの若い命が喪われた第三外科壕の学徒隊…同年代の作者の切実な姿が伝わります。
  一湾に聞かす歌あり春の鳶 石鎚優
  師弟のごと風ととんぼの向きあへる 〃
 湾と鳶との交情を詠む作者だからこそ、「とんぼ」の佳句も生まれたのでしょう。
  満月のような沈黙師とふたり 小林育子
 さまざまに「満月」を想像してみて、師との尊い沈黙の場に引きこまれました。
  ヒヤシンスと企画書ソファーに寝落ち 飯塚真弓
 軽い日常詠にギリシャ神話ゆかりのヒヤシンスを配したところ、油断なりません。
 付記―上田輝子、遠藤路子、大渕久幸、北川コト、工藤篁子、佐竹佐介、宙のふう、福岡日向子、藤川宏樹、村上舞香、路志田美子、渡邉照香ほか、皆様に期待しています。

■武田伸一
①立川真理 ②福岡日向子 ③松﨑あきら ④路志田美子 ⑤工藤篁子
 「海原集」の選考に携わっている立場上、なるべく私情を挟む余地がないように、一年間の「海原集」の順位を数値化して、上位五名を新人賞の候補とした。毎月の数値では、立川と福岡の得点差はわずかに2点。武田個人としては、二人同時受賞となってほしいところだが、結果はどうなるか、気になるところである。
  人群れて中の一人となる祭 立川真理
  気遣われ易き人なりヒヤシンス 福岡日向子
  冷房は無い必要なのは空だ 松﨑あきら
  虫すだく一匹ぐらいあらわれよ 路志田美子
  秋の暮点となるまで二人行く 工藤篁子
 次点とでもいうべき方々を挙げ、次年度の奮起を期待したい。石鎚優、宙のふう、飯塚真弓、藤川宏樹、大渕久幸、小林育子、有栖川蘭子、吉田もろび、遠藤路子、井手ひとみ、伊藤治美、重松俊一等々挙げたらキリがない。

■月野ぽぽな
①立川真理 ②石鎚優 ③大渕久幸 ④福岡日向子 ⑤宙のふう
 立川真理〈青き踏む足裏に命確かめて〉の詩性のさらなる精錬。石鎚優〈師弟のごと風ととんぼの向きあへる〉の詩的直観力。大渕久幸〈卯の花腐し形有るさがものに惑ふ〉の人の性への洞察力。 福岡日向子〈八月は終わらせなければならぬ章〉の詩に結実する思想。宙のふう〈秋の蝶捨てたことばのレクイエム〉の繊細な感性に注目した。
 その他、わだようこ〈柿若葉ひかりと影がくすくすと〉、佐竹佐介〈草笛を吹き鳴らしつつ逝くもよし〉、向田久美子〈着ぶくれて身の内にある不発弾〉、増田天志〈まず音符こぼれ睡蓮ひらくかな〉、岡田ミツヒロ〈父といふ淋しき光鳥雲に〉、有栖川蘭子〈納豆搔いて病める日もまた夫婦かな〉、重松俊一〈人死んで人の集まる焚火かな〉、保子進〈檸檬食む後期高齢軽く生き〉、北川コト〈マフラーのわたしを解けば風になる〉、小林育子〈納骨の朝の白飯小鳥来る〉、かさいともこ〈在ることの薄れて秋の金魚かな〉、渡邉照香〈春雷やゲームのごとく母は死す〉、藤川宏樹〈供物桃「海軍二等軍楽兵」〉、遠藤路子〈スマホを探す自分に舌打ちそんな夏〉、飯塚真弓〈ここに来て和め鬼神よ春の暁〉にも期待する。
 自分の感性を信じて次の一句を。

■遠山郁好
①立川真理 ②福岡日向子 ③遠藤路子 ④小林育子 ⑤飯塚真弓
 立川真理〈原爆ドーム茜射す時なほ燃える〉〈永遠の終わりのように砂時計〉〈略奪の色の真紅よ藪椿〉俳句に対しての真摯な姿勢には清しささえ感じられ、一位に推した。
 福岡日向子〈もどかしい想い もしかして金木犀〉〈真面目にならいつでもなれる吾亦紅〉季語へのアプローチの微妙な感応は、感覚的かつ個性的であり鮮しい。
 遠藤路子〈降り始めの雨音が好き守宮です〉〈冬夕焼け手繋ぎのふたり囚われて〉意図せずに、はっと手放したような自然体の句の清新さは魅力的。
 小林育子〈喪中です石蕗の葉十枚投函す〉肉親を看取られた作者の想い溢れる佳句多く、惹かれる。
 飯塚真弓〈きちきちが我のへこみに現るる〉心の内を深く見つめた句から心情の厚さが読み取れる。
 ほかに注目した作者は、渡邉照香、宙のふう、石鎚優、有馬育代、北川コト、路志田美子、小野地香、工藤篁子。

■中村晋
①立川真理 ②福岡日向子 ③路志田美子 ④宙のふう ⑤大渕久幸
 立川真理〈原爆ドーム茜射す時なほ燃ゆる〉〈鎖骨より始まる春意リップぬる〉かねてから注目していた作家。若々しい感性の表現だけでなく、外の世界を大きく捉えはじめた変化を嬉しく思う。清潔感のある凛とした句を作る才能は貴重。今後のさらなる活躍を期待している。
 福岡日向子〈くちなしの匂いが夜を止めてくれぬ〉〈花冷や君を思い出しすぎている〉女性の情念を大胆に表現し、パンチ力がある。近作は、韻律とともに表現がこなれてきた。成長の著しさに瞠目した。
 路志田美子〈鞦韆立ち漕げばたましひ吾にしがみつく〉誰もが抱く逃れられない孤独。それを捉えようとする表現欲求に強く惹かれた。日本にない異国の風土性にも注目した。
 宙のふう〈能面の黙ふかぶかと月の雨〉内面を物に託して描く俳句の骨法に忠実な作家。心と物が触れ合ったときの句の完成度には比類ないものがある。
 大渕久幸〈指の朱を拭ふ終戦記念の日〉淡々とした句風だが、じわりと滲む抒情がある。感性が表現の技術によって異化されたときの詩情は滋味があり魅力的だった。
 そのほか、北川コト、小林育子、松﨑あきら、遠藤路子にも注目した。紙幅が足りず触れられないのが残念だが、今後も個性的かつ意欲的な作品を期待したい。

■宮崎斗士
①小林育子 ②福岡日向子 ③立川真理 ④遠藤路子 ⑤向田久美子
  ミニトマト転がる朝のJアラート 小林育子
  揺らしても良い感情たち猫柳 福岡日向子
  天空のさびしら人の花火果つ 立川真理
  君の背にごめんって呟く小鳥くる 遠藤路子
  着ぶくれて身の内にある不発弾 向田久美子
 例年同様、「後追い好句拝読」欄の一年間の結果に基づいて五名の方々を挙げさせていただいた。これに続く方々として、
  手術日はひとり行く綿虫日和 谷川かつゑ
  体からミモザあふれてバスを待つ 村上舞香
  反戦は普段の言葉ちゃんちゃんこ 岡田ミツヒロ
  ガザの死を数え一本の杭を打つ 清水滋生
  君へ檸檬 発火しそうな放課後 松岡早苗
  やさしい人だった雪の上に雪降る 松﨑あきら
  薫風に崩るるドミノ墓じまひ 有馬育代
  ボール一つ取り合う本能天高し 塩野正春
  おむつ替え放尿高高と暖炉 中村きみどり
  四畳半一間に扇風機と猫背 藤川宏樹
  軽石のごと父を抱えて冬至風呂 松本美智子
  マフラーのわたしを解けば風になる 北川コト
  古書店にははんざきがをり泡ひとつ 宙のふう
  師弟のごと風ととんぼの向きあへる 石鎚優

※「海原新人賞」これまでの受賞者
【第1回】(2019年)
三枝みずほ/望月士郎
【第2回】(2020年)
 小松敦/たけなか華那
【第3回】(2021年)
 木村リュウジ
【第4回】(2022年)
 大池桜子
【第5回】(2023年)
 渡辺のり子/立川瑠璃

第6回 海原賞

『海原』No.62(2024/10/1発行)誌面より

第6回 海原賞

【受賞者】
 望月士郎
 横地かをる

【選考経緯】
 『海原』2023年9月号(51号)~2024年7・8月合併号(60号)に発表された同人作品を対象に、選考委員が1位から5位までの順位をつけ、選出した(旧『海程』の海程賞を引き継ぐかたちで、海程賞受賞者は対象から除外した)。
 得点の配分は、1位・5点、以下4・3・2・1点とした。集計の結果、下表のとおり、望月士郎、横地かをるの2人への授賞を決定した。

【受賞作品抄】

あの世の片端 望月士郎
囁きの唇やはらかく「うすらひ」
合掌にかすかなすきま木の芽風
まどろみのまなぶた初蝶のつまさき
わたたんぽぽ吹く球形の哀しみに
からだから薄くはぐれて花明り
零ひとつ輪投げしてみる春うれい
みみたぶのように金魚と雨の午後
心臓は四部屋リビングに金魚
火取虫あの世の片端にこの世
転生の途中夜店をかいま見る
大山椒魚無実の罪のようにかな
夕端居わたしの暮らしてきた躰
にんげんの流れるプール昼の月
8月の8をひねって0とする
たぶん後から作った記憶アキアカネ
うさぎ林檎この町月の肌ざわり
身に入むや鏡中の人と拭く鏡
酢海鼠は「すまない」に似てる
さよならの「さ」からゆっくりと氷柱
雪のあね雪のいもうと雪うさぎ

母のさざなみ 横地かをる
山に日が当たる芽吹きの樹の木霊
記憶はまだかたい空です花林檎
一途なる翡翠水の明るさの
少年よ水のリズムで駆ける夏
先生の命日二十日梅雨の月
灯心蜻蛉ふっと言霊点します
かたつむり体を太くしてのぼる
八月の水を満たして出てゆけり
白萩は散るし骨密度は減るし
コスモスを束ねわたしを軽くする
金木犀ノートの余白より溢れ
草木より影濃くなりし秋の蝶
純粋のアンモナイトよ鳥渡る
吊し柿いまも裏山背負う生家いえ
綿虫飛ぶ亡母にとどく手の高さ
何ごともなく口に運びし薺粥
湖のあかるきところ風花す
寒禽の明るい声の中通る
あやとりのゆきつくところ春愁い
一階は母のさざなみ霾ぐもり

【候補作品抄】

虹のふもと 三枝みずほ
春の木の歩幅となって少女来る
九条が風の野を行く遊ぼうか
バケツまんぱいに夏雲をちょうだい
母少しおこらせたままラムネ玉
麦茶飲みほす全方位の青空
地球時計屋なら虹のふもとだよ
水母いまさら良い母になりたいなど
深層心理ってマフラーに埋まる耳
紙面繰るたび冬の日を傷つける
譜読み始めるわたしの星空はここ

寝そべり主義 董振華
羽透けるものらの初夏となりにけり
結び目の和らぐ日々よ更衣
空蝉や生きるは死ぬに寄りかかる
ちっち蝉われは孤独に忙しい
空を行く天馬のように秋思かな
気がつけばいつも末席草の花
冬夕焼だれも知らない死後の景
世事に疎し夜長に親し寝そべり主義
晨鶏の諾否を問わぬ夜の長き
無と思うほどの水色初明り

縄文 マブソン青眼
遠雷や石棒のよこ頭骨五七三(無垢句)
豆名月仮面の女神ひめに陰部
七ヵ国語で「そら」言ってみる裸足
リンゴ赫む根っこに縄文人骨
柿落ちて縄文ひそと消えた
しぐるるや縄文村に巣箱
火焔土器のなかは冥土の無月
雪空へ千の睫毛の土器よ
土器の腰抱けば吹雪の熱さ
一万年ヒト居し岩や松鞠ちちり

【海原賞選考感想】

■安西篤
①横地かをる ②望月士郎 ③伊藤巌 ④董振華 ⑤三枝みずほ
 昨年中内受賞時に、二・三位に推した横地、望月を、その順で一・二位に推す。
 一位横地の安定感ある抒情と心情豊かな風土感は引き続き健在で、持続力のある地域俳壇への貢献とその積年の総合力を評価した。 
  吊し柿いまも裏山背負う生家いえ
  灯心蜻蛉ふっと言霊点します
 二位望月は、豊かな詩情と個性的な言葉の領域の開拓に瞠目すべきものがあり、詩境の上昇気流に力強いものを感じた。
  霧の町地図をひらけば人体図
  火灯取虫あの世の片端にこの世
 三位伊藤は、昨年に続き老々介護の現実と戦争や社会時評への眼差しを粘り強く堅持し、今日的日常のリアリティを更新しつつある。
  口開ける妻はひな鳥雑煮膳
  突き刺さるガザの子の「なぜ」秋夕焼
 四位董振華は、スケールの大きい大陸的心象風景や境涯感を、独特の漢文脈の表現で、個性的に開拓しつつある。
  晨鶏の諾否を問わぬ夜の長さ
  冬夕焼だれも知らない死後の景
 五位三枝みずほは、若々しい感性で伸びやかな詩情を個性的な視角で展開しつ
つある。伸び盛りとして、先が楽しみ。
  紙面繰るたび冬の日を傷つける
  譜読み始めるわたしの星空はここ
 本年度現代俳句協会賞を受賞したマブソン青眼は、もはや別格として、本賞の大賞から外させて頂いた。
 このほかに、田中信克、小松敦、北上正枝、黒岡洋子、石橋いろり、大池美木、藤田敦子、河西志帆、伊藤幸、三世川浩司、竹田昭江、たけなか華那、桂凜火、楠井収等多士済々。

■石川青狼
①マブソン青眼 ②望月士郎 ③横地かをる ④三枝みずほ ⑤田中信克
 今年度はマブソン青眼の詩魂のエネルギーのパワーに注目し一位に推す。また昨年推した望月士郎、横地かをる、三枝みずほの充実、田中信克も個性を存分に作品に投影し、安定感もあった。
 一位のマブソンは〈郷愁とはピアノに映る青葉〉〈土器の腰抱けば吹雪の熱さ〉の詩情豊かに表現し、俳句詩形にも独自の挑戦をしているその創作力の魅力。
 二位の望月は〈火取虫あの世の片端にこの世〉〈にんげんの流れるプール昼の月〉の感性豊かな表現は新鮮であり、この一年充実した作品群であった。
 三位の横地は〈容赦なく若さが過ぎる山の霧〉
〈吊し柿いまも裏山背負う生家いえ〉など自己を取り巻く移ろいを詩情豊かに表現して好感であった。
 四位の三枝は〈百年を走る夏野や少年兵〉〈紙面繰るたび冬の日を傷つける〉の自己に燻る思いの表出に冴えがあった。
 五位の田中は〈鳥渡るなり人みな配置図のなかへ〉〈秩父夜桜全身で濡れてゆく〉の静かな抒情の表出の中に自己の思念が程よく刻まれていて好感であった。
 ほかに、董振華、藤田敦子、小松敦、清水茉紀、桂凜火、三浦静佳、伊藤幸、北海道勢のベテラン佐々木宏、北條貢司、そして伊藤歩、前田恵、小林ろば、渡辺のり子、たけなか華那等に注目した。

■武田伸一
①望月士郎 ②三枝みずほ ③加藤昭子 ④楠井収 ⑤佐々木宏
  火取虫あの世の片端にこの世 望月士郎
  麦茶飲みほす全方位の青空 三枝みずほ
  来し方のガラクタ大事余花の雨 加藤昭子
  母の日や父ふわふわとタバコ吸い 楠井収
  百日草自傷のように書く日記 佐々木宏
 一位と二位の順番をどうするか、大いに迷ったが、今回は、その重厚さにおいて望月に軍配を上げたが、三枝の新鮮さもそれに劣るものではない。加藤はここ数年連続して推している。地味で目立たないが、その実力は先の二人に劣るものではない。四位の楠井は今回初登場だが、近年とみに作品に諧謔味を加え、先が大いに楽しみである。五位の佐々木は、昨年の兜太賞で大いに名を売ったベテラン。
 いつものことながら、河西志帆、竹田昭江、大池美木、三浦静佳、船越みよ、伊藤幸、三好つや子、桂凜火、ナカムラ薫、奥山和子などを選外とせざるを得なかったことが悔しい。

■舘岡誠二
①横地かをる ②船越みよ ③嶺岸さとし ④河西志帆 ⑤齊藤しじみ
 自分は金子兜太先生の作品〈青年鹿を愛せり嵐の斜面にて〉に心を開かれ、俳句の道を歩んで来れた。二十四歳、六十年前の時であった。今も強烈な印象を抱いている。
 海原は海程の後継誌として恵まれた環境にあることに感謝、切磋琢磨できる結社として励まされている。
 選出した五名の名前と作品二句ずつを挙げさせていただく。
 横地かをる〈「くり返しません」平和公園青葉風〉〈かたつむり体を太くしてのぼる〉。
 船越みよ〈手付かずの祝いの日傘逝く母よ〉〈茄子好きの嫁御ふっくらよく笑う〉。
 嶺岸さとし〈鈴虫は鳴いていません祈りです〉〈大花野戦禍の民の見るは死後〉。
 河西志帆〈逃水や自分の影に色がない〉〈怒らない兄が炬燵になっていた〉。
 齊藤しじみ〈大江逝くやがて三文字春の季語〉〈兵役の果てぬ今生蟻の列〉。
 楽しみな精鋭揃いの海原の作者たちはそれぞれの風土の心奥、生活の場、社会性、人生を詠まれていることは尊い。
 人口減少、物価高騰、世界的な核開発や戦争の時世、気象の異常の困難を超えて、海原は将来への地歩を固め、互いに俳句にいどむ真剣さを忘れたくない。海原の作者みんなの人生行路、歳月を大切にしてほしい。

■田中亜美
①三枝みずほ ②藤田敦子 ③董振華 ④田中信克 ⑤小松敦
 三枝みずほの〈詩〉と〈情〉のバランスのよさ。海原金子兜太賞受賞時よりも句の輪郭が明晰で骨太の印象を感じる。「海原」をはじめ幅広い読者から共感を得られる作家と思う。〈百年を走る夏野や少年兵〉〈麦茶飲みほす全方位の青空〉〈水母いまさら良い母になりたいなど〉〈樹の渦をひらく五月の鳥たちよ〉。
 藤田敦子の端正な句柄と静かな批評性。〈並びたる膝の明るさ作り滝〉〈産土に還る空蝉にもなれず〉〈ガザという卵危うし冬に入る〉。董振華の諧謔と抒情性。〈空蝉や生きるは死ぬに寄りかかる〉〈壁紙の見事な継ぎ目去年今年〉。田中信克は年間を通して好調。〈掘る土に乳歯の遺骨沖縄忌〉〈人は泣くものコキアと
いうは紅きもの〉。小松敦は現代的な漂泊感を季語を活かして巧みに形象化している。〈家系図の未完に終り蝉氷〉〈胸の蓋開けると機械春の闇〉。
 河原珠美〈いつでも君は初木枯を待っていた〉、並木邑人〈ホバリング沈思にあらず天道虫〉などはすでに海原を代表する作家として別格の感。鱸久子の〈神しめ楽笛青女・タヱ子と注連のうち〉の自在な詠みぶりもまた。
 横地かをる、河西志帆、ナカムラ薫、三浦静佳、佐藤詠子、大池美木、岡田奈々、望月士郎、横山隆、小松よしはる、高木水志にも注目。

■野﨑憲子
①董振華 ②三枝みずほ ③マブソン青眼 ④河原珠美 ⑤竹本仰
 今年の一位は、董振華。〈無と思うほどの水色初明り〉〈春立ちぬわたし今から眠ります〉。句集『静涵』を上梓し、ますます句境と、交流の輪を深めている。
 二位は、三枝みずほ。〈地球時計屋なら虹のふもとだよ〉〈バケツまんぱいに夏雲をちょうだい〉〈九条の空よ蝶より剥がれゆく〉など、多様性に満ちた言葉の塊が、噴火口より出現してくる底知れない魅力を感じる逸材だ。
 三位には、マブソン青眼。五七三の無垢句への熱い挑戦が続いている。〈うぐいすの饒舌に耐え廃寺〉〈仰向けの目のうえ草の巨人〉と、異界が覗く。
 四位は、河原珠美。この人の発語感覚の冴えに今年も魅せられた。〈カフェ「梵」木の実の落ちる席が好き〉〈怖かったんだツキノワグマの独り言〉〈緑夜たぷたぷ白猫に帰心ありや〉。
 五位には、竹本仰。ますます自在さが光る。〈おっ母さん見舞に虹が来たんです〉〈痛いのが詩ですあなたが踏む落葉〉〈劇場の匂いかすかに雪催い〉。
 小松敦、伊藤幸、新野祐子、桂凜火、高木水志、奥山和子、豊原清明、藤田敦子、近藤亜沙美。岡田奈々、どの作者も推したかった。

■藤野武
①望月士郎 ②奥山和子 ③佐々木宏 ④木下ようこ ⑤丹生千賀
 今年も一位に望月士郎を推す。多才。しかし私は望月の豊かな叙情性に魅かれる。〈みみたぶのように金魚と雨の午後〉〈火取虫あの世の片端にこの世〉〈霧の町地図をひらけば人体図〉。
 二位の奥山和子の、思いと言葉の深化。〈ヒルガオのつまづきながら鳴るピアノ〉〈金木犀寂しい時は手を離す〉〈冬籠り身体に石を飼っている〉。
 三位は佐々木宏。温かでしなやかな感性。〈すごい夕立靴はペリカンかと思う〉〈秋の水ポーと汽笛になることも〉〈クリオネを見てから糸が通らない〉。
四位は木下ようこ。瑞々しい言葉と物。〈自分ひとりのための冷房と哲学〉〈情ありてむらさきいろの鶴浮腫む〉〈臘梅の香やぎざぎざの父に触る〉。
 五位は丹生千賀。自在。切り口の新鮮さ若々しさに驚く。〈ががんぼを歩かせてをく淋しくない〉〈零れない空のさざなみ白鳥来る〉〈吃水線などなくて寒林の星まみれ〉。
 ほかに今年度は、峠谷清広、横地かをる、石川まゆみ、河西志帆、近藤亜沙美、清水茉紀、藤田敦子、森由美子、大池桜子、竹本仰、西美惠子等々に注目した。

■堀之内長一
①横地かをる ②望月士郎 ③董振華 ④河西志帆 ⑤藤田敦子
 望月士郎と迷いつつ、昨年は二位に推した横地かをるを一位に。〈記憶まだかたい空です花林檎〉〈かたつむり体を太くしてのぼる〉〈一階は母のさざなみ霾ぐもり〉など、横地は決して大声で叫ばない。一語一語を噛みしめるように積み上げ、静かで明るい世界を無理なく作り上げていく。良き叙情といえばそれまでだが、暮らしの中から紡いだ音楽のように耳元に届く。今どき、貴重な句群。
 昨年は「望月士郎の表現は危うい。そして、その危うさが魅力的だ」と書いたが、その思いは今も変わらない。〈火取虫あの世の片端にこの世〉の自由自在な視点の変化から〈8月の8をひねって0とする〉の驚くべきウイットまで、多彩な技を繰り広げる。言葉にあまり溺れないよう、感性の道を歩んでほしい。
 董振華、河西志帆、藤田敦子は同一線上に並んでいる。董〈ちっち蝉われは孤独に忙しい〉自己省察を見事に表現。河西〈三枚肉の茶色いところが琉球〉独自の感性で沖縄を詠む感受性。藤田〈春兆す幻肢痛のごと生家〉産土、肉親を詠んで、人生の深淵を鋭く見つめる。
 同じ線上に、河原珠美、船越みよ、木下ようこ、三枝みずほ等が控えている。

■前川弘明
①望月士郎 ②横地かをる ③三枝みずほ ④加藤昭子 ⑤藤田敦子
 新星現れよ、と期待を寄せて、本賞該当候補の全作品を読み直したが、結局は前回と似たような結果になった。
 望月士郎の読み手の感覚をヒョイとずらして展開する感覚は健在であった。
  霧の町地図をひらけば人体図
  さうですか不知火ですか僕達は
  銀漢や妻につむじが二つある
  朧夜のポストに重なり合う手紙
  開戦日日の丸という赤き穴
 横地かをるの気負いのない抒情は染み入るような魅力。
  コスモスを束ねわたしを軽くする
  オリオンをみてより竜の玉蒼し
  一階は母のさざなみ霾ぐもり
 三枝みずほは、生活の中の健康な息づかい。
  万華鏡回す小鳥の鼓動です
  火の丈を見届けている年の暮
 加藤昭子の対象に対する懐かしいまなざし。
  存分に溺れて下さい夕かなかな
  母少し遅れて笑う玉子酒
 ほかに、河原珠美、船越みよ、マブソン青眼、矢野二十四、横山隆。

■松本勇二
①河原珠美 ②松本千花 ③藤田敦子 ④木下よう子 ⑤三枝みずほ
 河原珠美が好調だった。会話調の句のやさしい肌触りは、決して一過性で終わらせなかった。かなり閃いているのに、それを大仰に書かない奥ゆかしさも好ましかった。遠いものを上手く繋ぐ手法も冴えていた。〈三人官女何見ているの泣いてるの〉〈パンパスグラスは狐の尻尾さよならね〉〈病める日もそうでない日も羽根布団〉〈無頼で淑女で黄落に紛れたの〉。
 松本千花も快走中だ。感受したものを独自のフィルターを通して、個性的な言葉にさっと置き替えて行く手際の良さに圧倒された。〈蜩がともだち夕刊はやめた〉〈右側の傷みやすさよ蝮蛇草〉〈中二階あたりに小鳥くるように〉。
 藤田敦子は深みを増してきた。日常に身を置きながら、心は遠いところを見ているようだ。〈春兆す幻肢痛のごと生家〉〈遠く海市老斑の手をかざす〉。
 木下よう子はいよいよ充実してきた。肉親への句もさることながら、大きく意表を突く展開に詩があった。〈芍薬を提げ自意識と帰宅せり〉〈臆病な空だ無花果青いが捥ぐ〉。
 三枝みずほはいつも痛快だ。己の感覚を尊重して一気に書いている。この方向を突き進んでいただきたい。〈水母いまさら良い母になりたいなど〉〈青野までぶつかってゆく子の寝相〉。当たり前のことを当たり前に書かない、が、かつての「海程」にはあった。

■山中葛子
①マブソン青眼 ②横地かをる ③望月士郎 ④すずき穂波 ⑤三枝みずほ
 一位のマブソン青眼〈郷愁とはピアノに映る青葉〉〈七ヵ国語で「そら」言ってみる裸足〉〈土器の腰抱けば吹雪の熱さ〉の、毎号作品の前書き「五七三」のリズムに乗せた挑戦句のそれぞれ。まさに独自な韻律の不思議な明るさ。一種の「軽み」が読み取れるアニミズム俳句との出会いに感動。
 二位の横地かをる〈山に日が当たる芽吹きの樹の木霊〉〈吊し柿いまも裏山背負う生家いえ〉の、心景とも言うべき時空を点すはるけさ。感性ゆたかな円熟味。
 三位の望月士郎〈火取虫あの世の片端にこの世〉〈雪のあね雪のいもうと雪うさぎ〉の、まずは神秘的な映像力に誘われる。いわば言語にとっての美の扉が開かれたのだ。
 四位のすずき穂波〈着ぶくれて着ぶくれて難民の波しづか〉〈すずき穂波芒にまぎれ楽になる〉の、ウイットに富んだ俳諧味は、「読ませる俳句」の快感そのもの。
 五位の三枝みずほ〈麦茶飲みほす全方位の青空〉〈紙面繰るたび冬の日を傷つける〉の、社会と向き合う若き母像のときめきがなんとも瑞々しい。
 選外となったが、董振華の〈母逝くや柘榴の花の咲くうちに〉など、抒情ゆかな展開は注目そのものの期待。

■若森京子
①横地かをる ②三枝みずほ ③望月士郎 ④董振華 ⑤小松敦
 横地の一年間を通読して、奇を衒うこともなく淡々と長いキャリアを書いてきた。師の草城子を彷彿とさせた。〈綿虫飛ぶ亡母にとどく手の高さ〉〈吊し柿いまも裏山背負う生家いえ〉。
 二位の三枝みずほは、天性ともいえる繊細で瑞瑞しい感受性に惹かれる。〈紙面繰るたび冬の日を傷つける〉〈結び目の強さはもろさ秋の暮〉歳を重ねての変貌が楽しみ。
 三位の望月士郎の自由闊達な言語の面白さ、映像化しても明るい独自の世界観がある。〈夕端居わたしの暮してきた躰〉〈霧の町地図をひらけば人体図〉。
 四位の董振華は大陸的な大きな心象をバックに繊細な俳句の機微が加味された。句集『静涵』は翻訳付きで日中文化交流そのもの。〈晨鶏の諾否を問わぬ夜の長さ〉〈壁紙の見事な継ぎ目去年今年〉。執筆活動旺盛の一年。
 五位の小松敦。若者らしい即物的に捉えた句群に深みが増した。他の活動も含めて。
 他に平田薫、三世川浩司、三好つや子、すずき穂波、河原珠美、竹本仰、桂凜火と多士多彩。

※「海原賞」これまでの受賞者
【第1回】(2019年)
 小西瞬夏/水野真由美/室田洋子
【第2回】(2020年)
 日高玲
【第3回】(2021年)
 鳥山由貴子
【第4回】(2022年)
 川田由美子
【第5回】(2023年)
 中内亮玄

大山賢太句集『花野原』〈日常寸感と小旅 西野洋司〉

『海原』No.61(2024/9/1発行)誌面より

大山賢太句集『花野原』

日常寸感と小旅 西野洋司

 大山さんより句集『花野原』が贈られてきた。そして間もなく俳誌「海原」編集長の堀之内長一氏より二冊の「海原」近刊が届いた。この俳誌は初めて手にしたものである。「海原」が安西篤代表の金子兜太「海程」後継誌であることは以前より承知していた。
 ところでこの句集を手にした時、先ず脳裏に浮かんだのは藤沢市俳句協会の大会講師に金子兜太を委嘱し、藤沢市民館にて行った時のことである。昭和四六年一〇月一七目だったが、その大会で小生は兜太特選第一位となり、賞として目の前で色紙を揮毫して頂いた。

  樹といれば少女ざわざわ繁茂せり 兜太

であり、「樹」の隠喩を楽しみながら現在でも書斎に飾ってある。面白かったのは協会幹事・青木泰夫の配慮による懇親会が鵠沼海岸の波音の届く小さな料亭「白鳥」で行われた際、宴半ば誰だったか「この近くに以前飯島晴子が住んでいたのよ」と語ったら、兜大は「あの人の句は考えに考えた句だな、弛んでくるパンティをキッとつり上げて………」と。いかにも兜太らしい冗語を添えて一同大笑い。肥った女性は畳に転がってしまった者もあった。
 ついでに記せば藤沢には医学博士・小泉もとじの医院があり、俳句にとても熱心であったので文人達に愛されていた。
 この日彼は兜太にすっかり惚れ込み「海程」ヘ入会したのであった。
 なにやら余計なことを述べたようだが大山さんとの交流ももうかなりの年月になる。しかし彼は途中から障害者となってしまったが俳句活動は益々盛んになり藤沢市内で多くの句会の世話役に励み、この句集には愛すべき作品も多い。

  花野原その先どこへ獣道

 若き日丹沢山塊や周辺の低山をよく歩き、これは獣道だよと度々教えられた。そこは猪や熊あるいは鹿の塒があるのであろう。霧に閉ざされた山腹だった。

  願い多く七夕竹の撓りおり

 湘南平塚は七夕祭の盛んなととろで、小生高校が平塚だったから、級友とよくぶらつき書かれた寸言を楽しんだ。撓うのは願いの重さ故だろう。

  秋彼岸「お迎えに来た」と外の声

 多分女性の声だろう。お母さんか。宵の一時を晩酌か食事にでも誘いに見えたのか。一瞬作者のぎょっとした表情が見える。

 返り花どこを徘徊していたの

 何の返り花だったのだろう。日頃親しんだ庭前の木か。やや遅く帰宅したら多分白花だろう溢れ咲いていた。もう少し早い時刻だったら、自問自答の句。

  新しい園児迎えるチューリップ

 実に素直な表現が新入園児達の素朴な雰囲気を伝えてくれていよう。咲き揃っているチューリップを配したのもぴったり。花びらに触れている児もいたか。

  敗戦日すいとん食べし想い馳す

 被は戦後生まれ。小生は小学四年が敗戦日。親友と大きな蒸かし藷を食べ比べ、夕食はすいとんだった。この句〈思い〉ではなく彼の場合は〈想い〉だった。

  キラキラと輝く海に入る神輿

 湘南地方では茅ケ崎海岸の浜降祭が圧巻である。相模一の宮を始め各地から集まった神輿が早朝から海に飛び込む。俳人達も昔は多勢見学に見えていた。

  お土産は猫の遊びし狗尾草

 猫の大好きな大山さん。取り合せの面白さがあろう。通常犬と猫は性が合わないようだが、こんなこともあろう。お子様へのユーモラスなプレゼントか。

  厨では夕餉の支度大根炊く

 土間に竈のあった昔を回想させてくれた。この後大根は何に使われるのか、あの苦難な時代、うどん粉を溶いて混ぜ〈焼びん〉と称して夕食にしたものだ。
 予定字数が乏しくなってしまったが、また余話。兜太の作品の多くには秩父の風土が偲ばれる。ところで大山さんも小生も旧藤沢宿の生まれであり、彼の近所には藤沢出身唯一の歌手・徳山璉氏が住んでいた。そういえば眼差しがどこか似ているようである。察するにこれは旅人へ注ぐ定着人の心情の籠ったものではないだろうか。

  西条八十作詞、松平信博作曲・編曲
  「侍ニッポン」
  人を斬るのが侍ならば
  恋の未練がなぜ斬れぬ
  のびた月代寂しく撫でて
  新納鶴千代にが笑い

 これは氏のビクター・デビュー曲。
 このあと氏は大磯の坂田山心中の「天国に結ぶ恋」を四家文子とのデュエットで紅涙をしぼり、トントントンカラリと「隣組」で替え歌まで発生させ、若くしてこの世を去ってしまった。
 ところで大山さんの句風には師系の影響が全く感じられない。ジャーナリストとして活躍したことの反映か。今後詩人・大山賢太俳句への脱皮を切に望む。

2024年夏【第7回】海原通信俳句祭《結果発表》

『海原』No.61(2024/9/1発行)誌面より

2024年夏【第7回】海原通信俳句祭《結果発表》(一部抜粋)

 第7回を迎えました「海原通信俳句祭」。参加者数は計98名。出句数は計196句でした。大勢の方のご参加、あらためまして厚く御礼申し上げます。
 参加者全員に出句一覧を送付。一般選者の方々には7句選(そのうち1句特選)、25名の特別選者の方々には11句選(そのうち1句特選・10句秀逸)をお願いしました。
 以下、選句結果、特別選者講評、一般選者の特選句となります。
(まとめ・宮崎斗士)

※詳細は「海原」誌面をご覧ください(以下上位句発表部分のみ掲載)。

☆ベストテン☆

《33点》
初燕五感にすつと糸通す 小野地香
《14点》
ゆれてコスモス人に好意をもつ自由 佐々木宏
ラムネ玉からんと鳴った離婚届 宮崎斗士
しあわせに斜面のありて青バナナ 室田洋子
紙風船ひしゃげた心ぽんと突く 森由美子

《13点》
山椒魚闇の一部が顔となる 三好つや子
《12点》
古代人の声ひそひそと蝉の穴 三好つや子
《11点》
背中から羽化をうながす扇風機 石川青狼
蝉しぐれ昨日のことがむかしむかし 芹沢愛子
赤蟻の行列ぶつかって反戦 高木水志
ひまわりに囲まれている無口かな 田中信克
ゆりかごや上総甘藍ゆるく巻く 遠山郁好
海の日の海を見ている学徒の碑 藤田敦子
沙羅の花多分あなたの声だろう 室田洋子


【10点句】
子規ひとり破船のような夏がある 宮崎斗士
家系図の不明の箇所に天の川 茂里美絵
【9点句】
半夏生能登の塗椀手に包み 安西篤
デイゴ咲く国家なんぞは須可捨焉乎 河西志帆
昼寝覚め良き夢ばかり盗まれる 木村寛伸
新緑の影という影はラッパー 黒岡洋子
いま修羅をみてきたような花十薬 平田薫
アンニュイと安寧毛虫焼くけむり 堀之内長一
八月六日標本箱に翅ひらく 望月士郎
梅雨深し歪んでいるから人間です 森由美子
教室に紙のせせらぎ雲の峰 柳生正名
【8点句】
消去法何にも残らず夏の雨 綾田節子
吐息ふといつしか漣いつしか夏 伊藤淳子
鬼灯やあねいもうとは地味に老い 岡村伃志子
日から傘独り歩きに慣れました 北上正枝
身体中まつり太鼓のバチとなる 高橋明江
「俳句造形論」老境に曝書かな 樽谷宗寬
桐咲いて未だ心に不発弾 藤田敦子
朝の虹立禅の声わたりくる 船越みよ
ヤマボウシすぽんすぽんとメール来る 松本勇二
風鈴やどうやら毒が抜けたらしい 矢野二十四
【7点句】
平和の礎令和生まれの子が洗う 伊藤巌
青鷺の小さな孤独漣す 伊藤淳子
花藻澄むときどきひかる人の声 川田由美子
はんざきや移民は船でやってくる 河西志帆
あじさいの色どの辺り余命ふと 川崎益太郎
秩父より付いて来たりし蝉の殻 小西瞬夏
思想家ゐて夢想家ゐてわらふ紫陽花 すずき穂波
日に透いて若葉と吾のうらおもて 高木一惠
折りたたむは妣の言の葉星涼し 竹田昭江
ライバルに会えるときめき夏帽子 梨本洋子
とうきびの神の摂理に齧り付く 嶺岸さとし
【6点句】
歩くほど離れる昭和梅雨の町 大沢輝一
草に禾石に臍あり慰霊の日 桂凜火
鳥渡る鏡に逆をゆく秒針 北上正枝
終活に夢中で死ねぬ大夕焼 小林育子
追いつかぬようにゆっくり蝉しぐれ 小松敦
無政府主義まなぶたを這う青蜥蜴 鳥山由貴子
海洋放出雷雲へんにあかるいのだ 中村晋
船で着く神々のあり蛍の夜 三浦二三子
【5点句】
なみあとは風の自画像いわし雲 赤崎冬生
被爆地の祈り吸い上げ新樹光 安西篤
ががんぼが客人小さい美術館 安藤久美子
ペガサスの銀の羽降る白夜かな 榎本愛子
子供部屋ときどき蝉を鳴かしたり 大沢輝一
波音遠く私は葱をきざむ人 大西健司
蛍火や困民党の反故の文 桂凜火
癌がやってきた風神と雷神と 川崎千鶴子
蛍火のひとつ逸れゆくは逡巡 北村美都子
しろつめくさ巻かれし手首さしだしぬ 小西瞬夏
人体ちう一両列車星空へ 十河宣洋
柿若葉びっしりエンディングノート 田中信克
朝日全しトマトにトマトの影は濃く 中村晋
被災半歳夏鳥瓦礫をいぶかしむ 野口佐稔
その青き日の次の日の花クレソン 平田薫
アフリカ出でヒトは文字化け原爆忌 藤好良
煮崩れてゆく吾がカボチャ吾が頭 武藤幹
ヒロシマや輪になって差すうしろ指 望月士郎
盤の上入道雲の立つ王手 柳生正名

『縄文大河』マブソン青眼句集

『縄文大河』マブソン青眼句集

  石組炉 地球ひとつのかたち

 前々著『遥かなるマルキーズ諸島』、現代俳句紹介賞を受賞した前句集『妖精女王マブの洞窟』に続く句集。「五七三」のリズムに乗せて命の螺旋を詠う。「五年にわたる「海のアニマ」(南太平洋の人魚)・「空のアニマ」(ヨーロッパの妖精)・「石のアニマ」(縄文のビーナス)の三部作が完結する」(「あとがき」より)

■発行=本阿弥書店
■定価=二二〇〇円(税込)
https://www.honamisyoten.com/item/jomontaiga/
https://www.amazon.co.jp/dp/4776816792

『静涵』董振華句集〈日中対訳句集〉

『静涵』董振華句集〈日中対訳句集〉

  黄河秋聲その漣のその延々

 『聊楽』に続く五年ぶりの句集。帯に長谷川櫂氏による「中国の豪胆と日本の繊細。董振華氏の俳句はその幸福な結婚である」言葉を掲げる。句集名の「静涵」は「心を落ち着かせて学問を修め、品性を養う」の意。題字の揮毫とともに金子兜太師の命名による(「あとがき」より)。

■発行=ふらんす堂
■定価=二九七〇円(税込)
https://furansudo.ocnk.net/product/3071
https://www.amazon.co.jp/dp/4781416632

第6回 海原賞・海原新人賞の決定

第6回の海原賞、海原新人賞の授賞者が、次のとおり決定しました。
「海原賞」「海原新人賞」の詳細は2024年10月号(第62号)に掲載予定です。

◆第6回 海原賞
 望月士郎
 横地かをる

◆第6回 海原新人賞
 福岡日向子
 立川真理

月野ぽぽな 第一句集『人のかたち』

月野ぽぽな 第一句集『人のかたち』

以下左右社ウェブサイトより抜粋
https://sayusha.com/books/-/isbn9784865284188

第28回現代俳句新人賞、第63回角川俳句賞受賞の著者・待望の第一句集。
月野ぽぽなはニューヨークに暮らして、俳句という最短定型の民族詩を、日本人である自分の体(私は肉体とも身心とも言う)で消化しようとしている。ーー金子兜太

〈収録句より〉
街灯は待針街がずれぬよう
鳥よりも高きに棲むを朧という
ぶらんこの鉄に戦歴あるだろうか
母を地に還し椿の蕊そろう
ピッチカート蛍ピッチカート蛍
草の先から夕焼のひとしずく
エーゲ海色の翼の扇風機
一匹の芋虫にぎやかにすすむ
月を見るおいしい水を飲むように
途中下車してしばらくは霧でいる
初冬やヘブライ文字は火のかたち
凍つる夜をピアノの音の密ひかる
もうすぐで雪のはじまりそうな肌
ゆらゆらと初湯のところどころ夢
待春の自由の女神前のめり

【目次】
序に代えて  金子兜太
Ⅰ 待針
Ⅱ ぶらんこ
Ⅲ 一枚の雨音
Ⅳ 前のめり
Ⅴ エーゲ海
Ⅵ 見えないもの
Ⅶ 鼓膜
あとがき

【別冊栞】
安西篤「翼の記憶も新たに」
こしのゆみこ「雫になる途中」
日下部直起「異郷の幻想」
仲寒蟬「真のコスモポリタン」
鴇田智哉「うつろい、消えるもの」

amazon:https://www.amazon.co.jp/dp/4865284184/

第79回現代俳句協会賞受賞・マブソン青眼・句集『妖精女王マブの洞窟』(本阿弥書店)

『海原』同人のマブソン青眼・句集『妖精女王マブの洞窟』(本阿弥書店)が第79回現代俳句協会賞を受賞しました。以下、現代俳句協会ウェブサイトより転載します。
https://gendaihaiku.gr.jp/news/news-12966/


第79回現代俳句協会賞決定のお知らせ
当協会は6月22日(土)協会事務所に於いて、第79回現代俳句協会賞の選考委員会を開催し、以下のとおり決定しましたのでお知らせいたします。
本賞は、令和5年中に刊行された協会会員の句集の中から、第一次選考(20編)及び最終選考(9編)を経て、決定されたものです。

◎第79回現代俳句協会賞 

マブソン青眼(まぶそんせいがん)・句集『妖精女王マブの洞窟』(本阿弥書店 発行)

◎受賞者のプロフィールは次のとおりです。

◇マブソン青眼(まぶそんせいがん) 本名Laurent MABESOONE
 1968年9月22日、フランス生まれ、55歳。
  
◇文芸歴・俳句歴
1986年 交換留学生として初来日し、宇都宮高校の図書館で初めて俳句と出合う。
1996~1999年 パリ大学日本文学科修士課程修了後、再来日。長野オリンピック・公式文
化プログラム「長野’98俳句でおもてなし」を発案・担当。長野市に居を構える。
1998年 金子兜太主宰「海程」に入会、2000年より同人(のち「海原」同人)。
2001年 パリ大学日本文学科博士課程修了(DEA、一茶研究専攻)
2002年 第一句集『空青すぎて』で第4回宗左近俳句大賞受賞。
2004年 早稲田大学大学院教育学研究科博士後期課程修了、学術博士(近世俳諧・比較文
学専攻)。日本語の句集8冊、エッセイ集2冊、フランス語の翻訳集(一茶、新
興俳句、金子兜太など)10数冊、フランス語の長編小説3冊を刊行。
2006年 第2回フランス語圏俳句フェスティバルに招かれ、以降フランス語圏の複数の句
会グループの指導に当たる。
2019年~2020年 仏領ポリネシア・マルキーズ諸島・ヒバオア島で1年間暮らし、『遥か
なるマルキーズ諸島』(句集と小説、日本語版とフランス語版)を執筆。その後
第1回ポリネシア俳句大会の審査委員長を務める。
2022年~ 現代俳句協会会員。

◇『妖精女王マブの洞窟』より自選5句 (新韻律「五・七・三」の「無垢句」)
  木々に雪バッハの後の無音
  悉く山の名忘れ服喪
  泣いている木 笑っている木 みな木 
  アイヌ語美(は)し雪解雫もラ行
  天広く手のひら広くアイヌ

○選考委員氏名(五十音順)
恩田侑布子、清水 伶、永瀬十悟、林 桂、渡辺誠一郎。
 
○表彰式
第61回現代俳句全国大会席上(令和6年11月16日(土)午後1時~「ホテル日航奈良」)

第3回 「海原」全国大会in 静岡

第3回 「海原」全国大会in 静岡

 昨年は「創刊5周年記念」と銘打ち、馴染の深い秩父にて、4年ぶりの大会を開催しました。本年は、静岡の連衆の協力を得て、第3回全国大会を静岡(伊豆)にて開催します。有志吟行を含めて同じホテルが会場です。霊峰富士を眺め、修善寺をはじめ見所の多い吟行地をめぐり、作句に心機を凝らしましょう。万障お繰り合わせのうえ、連れ立ってご参加ください。

【とき】Ⓐ全国大会:2024/10/26(土)~27(日)Ⓑ有志吟行:10/27(日)~28(月)
【ところ】ホテルサンバレー富士見
〒410―2201 静岡県伊豆の国市古奈185―1
☎055―947―3100

※開催要領詳細は『海原』誌面をご覧ください。

青森県近代文学館にて「俳人・京武久美」追悼展 齊藤しじみ

『海原』No.60(2024/7/1発行)誌面より

青森県近代文学館にて
「俳人・京武久美」追悼展 齊藤しじみ

 去年七月に八七歳で亡くなった「海程」元同人の京武久美さんの追悼展が出身の青森市の青森県近代文学館で五月二四日から七月二四日まで開かれている。
 会場には京武さんの主に中学・高校生の時の俳句が自筆の短冊・色紙・パネルなどで紹介され、展示資料は三七点に上る。当時の校内雑誌・文集・句会報・新聞・俳句誌もあり、同級生の寺山修司に先行して開花させた早熟な才能とともにその足跡を知ることができる。
 目を引いたのはアルバム写真も含め初めて見る実物の資料が目立ったことで、これは今年四月に中高時代の同級生が当時の資料一式を寄贈したことも一因のようだ。
 私はこれまで中高時代の作品しか注目してこなかったが、昭和二九年の俳句誌「青年俳句」に掲載の句を見て、原因は寺山にあったものの、高校を卒業した年に京武さんが寺山に辛辣な感情を抱いていたことに驚かされた。

  どこかでくさめ見よ天才と言ひし男
  右頬の巨きな虚栄きりぎりす
  天才の背後へ背後へ秋三日月

 今回の追悼展で私にとって最も心に残ったのは二七歳の時の句である。

  雪解川逢えば遠くにわが死あり

 「友情は偶然一緒にうまれあわせた哀歓」という作家・埴谷雄高の名言があるが、戦後間もない青森で京武さんが偶然同級生になった寺山との間で化学反応のごとく次々に生み出した十七文字の青春も哀歓に満ちている。

第2回兜太祭 レポート(一部抜粋)

『海原』No.59(2024/6/1発行)誌面より

第2回兜太祭 レポート(一部抜粋)

とき:2024年3月23日(土)~25日(月)
(有志一泊吟行含む)
ところ:秩父長瀞「長生館」
(有志一泊吟行は「ホテルルートインgrand秩父」)

●第一日●墓参と壺春堂吟行
沁みる吟行 山下一夫

 当日午前に熊谷から秩父鉄道に乗ると、粉雪が舞い始めて道中の車窓風景はかすみがちだったが、長瀞に着くころには止んでいた。
 会場長生館ロビーは参加者で大賑わい。一台のバスにぎっしりと三十人足らずが乗り込んだ。車中は相当の「密」だったがマスク着用は少数派。コロナ明けを実感する中でお祭りは始まった。
 金子先生ご夫妻の墓所がある総持寺に到着するとご子息眞土さんが出迎えてくださった。花咲く草木に「ダンコウバイ」「オドリコソウ」「フクジュソウ」などの声がして、すかさず何人かが句帳に何やら書き込む。
 先生のご実家のお墓は弟千侍さんが継承され、ご夫妻は妻皆子さん実家の菩提寺に墓所を置かれた由。その場所は境内西側の斜面にあり、供養塔とお墓、墓誌の三体が並び立つ。お墓の正面は東を向いており藪越しに長瀞一帯を望んでいる。墓所の手前にある句碑〈ぎらぎらの朝日子照らす自然かな 兜太〉を実景とする場所と見受けられた。
 小径からの滑落に注意しつつ墓前に集合。宮崎斗士が代表で献花し香を焚いて一同合掌。折しも日のある空から霙様のものが降り始め「天気雨」「狐雨」「日照雨・戯(そばえ)」「風情」「先生からの挨拶」などの言葉が交錯した。
 納経所ではお茶と「おまもり」の木の実が振る舞われた。屋内の壁に先生寄贈の色紙が年順に飾られている。ご住職の説明どおり、年々墨跡が太くなっていた。番茶の香や温もりも相まってほっこりした。
 次に先生の生家「壺春堂」を訪問。築百五十年超の古民家で国の登録有形文化財(建造物)「旧壺春堂醫院主屋・土蔵」になっており、一般財団法人「兜太・産土の会」により運営されている。敷地内には甥桃刀さんが院長の「金子医院」も現存する。
 主屋入口すぐの座敷のテーブルには実物大の先生の遺影が飾られており、まず目を奪われる。良い笑みを湛えておられる。各室には父伊昔紅ゆかりの有名俳人や地元句友らの筆による短冊、往時の先生の屑繭製の白チョッキや海軍の白軍服、出征決意の日記などが展示。小学校時の作文帳や通信簿(全甲)の実物が手に取れる状態で置かれているのには驚かされた。青年時代の筆跡は秀麗で、幼年時代のものは晩年に似ていた。
 土間が改装されたカフェではボランティアの女性らのご接待。庭の句碑〈おおかみを龍神と呼ぶ山の民 兜太〉を見に出ると冬枯れ残りの故かさまざまな大きさと種類の石が目に付いた。先生の昔語りにあった醫院の受診料代わりの庭石・花木のエピソードが偲ばれた。
 しばしの吟行だったが、金子先生を揺籃した産土秩父の風土や養蚕、醫院、句会、秩父音頭などにまつわる膨大な人たちの往来の濃厚な気配が沁みるひとときだった。

●第一日●第一次句会
生き続ける師の心 齊藤しじみ

 第一次句会は夕食後、午後七時半過ぎから約三時間にわたって行われた。選句・披講のあと、宮崎斗士の司会で、川田由美子、遠山郁好、堀之内長一、望月士郎の四人を特別選者(安西篤代表は自宅にて選句)に迎え、出席者の60句をめぐって合評が行われた。
 高点句の順に主な句は次のとおり。

  水の春フリーハンドでわたしの円 宮崎斗士

 10点句。兜太祭参加者の感覚を代表しているとの高い評価で特別選者全員が選んだ。冒頭いきなり、司会者が最多得点句の栄誉に浴したことに会場から思わず歓声が上がった。

  合掌にかすかなすきま木の芽風 望月士郎

 9点句。ささやかな身体的な出来事に着目した現実的な感覚に高い評価。その一方で、堀之内からは「『合掌』を使った句は多く、これは類想句。現代俳句協会は最近では賞の選考で類想句かどうかの評価基準が極めて厳しくなっている」と指摘したことで、その指摘の適否をめぐって熱い議論が交わされた。
 7点句は3句。

  人肌の巣箱の底に丸くなる 小松敦
  人の生む光あたたか壺春堂 高木一惠
  雪やなぎそよと不在の置手紙 川田由美子

 6点句は2句。

  あかるい雨先生六度目の春ですね 室田洋子
  言の葉が生まれたがつて夕陽炎 野﨑憲子

 5点句は5句。

  春陰の軍服も屑繭も真っ白 森由美子
  緑泥片岩ぎこちない春の着地 鳥山由貴子
  早春展墓大字産土字生きもの 柳生正名
  まんさく咲くするするっと素となる 日高玲
  繃帯のゆるみを覚ゆ春の瀞 北川コト

 出句60句のうち、兜太先生やそのゆかりの場所や品などを題材にした作品は約20句に上り、全体の三分の一を占めた。
 逝去から六年経つ今も、「海原」に集う私たちの心には師が生き続けていることをあらためて印象づける句会にもなった。


※以下、第四次句会まで続きますが本ウェブサイト掲載は割愛します。『海原』本誌でご覧ください。
●第二日●第二次句会 活発で遠慮なき合評 野口佐稔
●第二日●第三次句会 有志吟行 吟行句のさまざま 日高玲
●第三日●第四次句会 有志吟行 締めくくりは「TOTAバッグ」で 石橋いろり

松本勇二句集『風の民』〈いくつもの楕円を重ねて 水野真由美〉


『海原』No.59(2024/6/1発行)誌面より

松本勇二句集『風の民』
いくつもの楕円を重ねて 水野真由美

  亡父来て竜頭確かむ霜夜かな
  瓜坊は闇を食むことから始む
  坂道の好きな狐と薬売り
  薄暗き膝の林立開戦日
  帰る燕あつめて簡易郵便局

 「竜頭」が「亡父」に身体性をもたらす。寄り添う視線の「始む」は「闇」をあたためて生命を育む空間を作る。「坂道」という境界にもう一つの世界が生まれる。「林立」が「膝」に不気味な質感をもたらす。「あつめて」が日々の暮らしに非日常の空間を呼び込む。
 句集『風の民』は人を含めた生き物、風土、民俗、社会が織りなす世界といえるだろう。制作期間の長い句集だ。第一句集『直瀬』(北溟社二〇〇二年)に続く二〇〇二年〜二〇二三年の作品を編年体で五章に収める。

  ◇

 前句集からの年月は大切な人を失う時間でもあった。

  よく酔えば虫の闇より父帰る
  母は黙って時雨について行きました

 『直瀬』で「男子三人藁打つように育ててくれし」と謝した父母を亡くしている。「鮨喰わせ山見せて父淋しかろ」の父は自らの不在を息子に確かめさせるように「夜」「闇」から姿を現す。
 「豪快に母が蒲団と俺を干す」と腕っ節と気っぷの良さがカッコよかった「母」は「時雨について」行ってしまう。「行きました」の改まった口調は、すでに見送るしかない事態を自分に納得させるための時間を作り出す。
 だが見送るだけの年月ではなかった。

  鉄棒にシャツを残したままの兄

 異界でひそやかに「今朝の兄野鯉の影に潜みおり」と存在していた亡兄は日常において不在を明らかにする。「鉄棒」「シャツ」の具体は「残したまま」の少年の姿を浮かび上がらせる。
 それを受け止め得る年月を松本が生きたというべきだろう。
 長兄を失った次兄は「弟よ東京は走るように歩け」と長兄の分まで兄たらんとしていたのかもしれない。その呼びかけ方も変化した。

  青北風の頃か弟帰りたいか
  帰るかい日光黄菅の斜面まで

 「歩け」から「帰りたいか」となり、それゆえ「帰るかい」もまた弟への言葉のように思えてくる。だが初秋の晴れた日の強風も「日光黄菅の斜面」も安穏な日常とは異質な気がする。兄弟が帰れる場所として第一句集の書名となった「直瀬」が思い浮かぶ。
 その「あとがき」に松本は〈「直瀬」は私が生まれ育った愛媛県の山間の集落名〉〈俳句を書くとき自己の想念はこの産土の地の自然や過去の時間へ飛んで行き、そして何か言葉を拾って帰ってくる〉と記している。松本にとって原郷といえる〈空間〉だろう。
 そこには、かつての家族だけではなく河童も狐もいる。

  子河童に魚籠を覗かれ秋黴雨
  梅雨の闇河童であれば手を挙げよ
  河童の子ひよひよと鳴く梅雨入りかな

 『直瀬』では「河童絶えし村よりキャベツ蹴り上げる」と姿を消し、その後「捨苗をまたいで通る河童かな」「草笛に集まる淵の河童かな」「泣き虫の河童がおりぬ出水川」のように現れてきた。弟分のような「河童」だが、その頃よりも幼くなったように見える。
 一方、「狐」は頼もしくなり、松本との距離感も近くなった。

  運転を狐に替わる花野駅
  枯野まで楽器を運ぶ狐かな
  ギター弾きになりたかったと言う狐
  坂道の好きな狐と薬売り

 「狐」の強さは「半島を捨てた狐の泳ぐかな」に、その片鱗が表れていたが運転をするようになり、音楽にも関わっているらしい。「坂道の好きな」という渋さもある。河童のような弟分ではなく五分と五分の連れといえる。松本は、この「狐」とじかに触れ合ってきたのだろう。

  遠泳の色無きところまで行けり

 そこには孤独感もあった気がする。一人を生きる時間の深さが他者との関わりの深さになる。

  身籠れば指よく撓うゆすらうめ
  ペンペン草振って校歌を二番から
  アッパーの打ち際に見た鰯雲

 「よく撓う」が「ゆすらうめ」の明るい朱色、質量へと転化し「身籠れば」の生命力への円環を成す。「振って」は「ペンペン草」の種を剥く時間を含んで「二番から」の気ままさに清潔な孤独感をもたらす。「アッパーの打ち際」を書いた俳句は少ないはずだがリングではない。「鰯雲」に土と草が匂う。

  ◇

 かつて「戦争があっても行かぬ髪洗う」(『直瀬』)と書いた松本には戦争を身近に感じさせた二人の師がいる。原爆と戦地の体験を手放さなかった相原左義長と金子兜太だ。

  薄暗き膝の林立開戦日
  軍隊は膝に悪かろ遠霞
  霜の夜を兜太の残党として潜む

 この国は兜太が危ぶんだように軍事費をさらに膨らませ、兵器の輸出まで認めてしまった。俳句ではルールで詩を歪めることを厭わない流れが強くなった。

  若き日のダッフルコート日和るなよ

 そうだな。制服や軍服ではなく少し厚手のカジュアルなコートで行こう。

  夕暮れは風の民来る真葛原

 〈原郷〉と〈いまここ〉、日常と非日常、現実と非現実、いくつもの楕円の端が重なり合う松本の世界に「風の民」が新たに現れた。自在に移動する不穏さと清潔な孤独感をもつ彼らと共に松本はどこへ行くのか。―第三句集へと走れ!

木川貴幸ピアノリサイタル in 京都&東京

「海原」同人の月野ぽぽなさん(ニューヨーク在住)のパートナーでピアニスト木川貴幸さんのピアノリサイタルが【京都】&【東京】で開催されますので以下にご案内します。

是非とも皆様お誘いあわせの上ご来場ください。

木川貴幸ピアノリサイタルin 京都&東京

【京都】

●日時
2024年6月15日(土)19:00開演
2024年6月16日(日)18:00開演

●場所:CAFE MONTAGE カフェ・モンタージュ
https://www.cafe-montage.com/index.html#two2
京都市中京区五丁目239-1(柳馬場通夷川東入ル)
TEL:075-744-1070

●入場料:3000円

●プログラム「リゲティ・練習曲集」

G.リゲティ:練習曲集 全曲
・Book 1 全6曲 (1985)
・Book 2 全8曲 (1994)
・Book 3 全4曲 (2001)

※両日とも同内容

●お問い合わせ・お申し込み
CAFE MONTAGE カフェ・モンタージュ
https://www.cafe-montage.com/theatre/24061516.html
TEL:075-744-1070

木川貴幸Facebookイベントページ
https://www.facebook.com/events/475851314797154/
https://www.facebook.com/events/981423816688652/

【東京】

●日時
6月19日(水)【開場】16時40分【開演】17時

●場所:スタインウェイ&サンズ東京
https://maps.app.goo.gl/zz9ajGL6SVomPt4K7
東京都港区北青山3丁目4-3 ののあおやま 1F

●入場料:2,000 円 当日現金にて(予約推奨)

●プログラムリゲティのピアノエチュード(抜粋)

●お問い合わせ・お申し込み
スタインウェイ&サンズ東京 Tel: 03-6721-1618
https://www.steinway.co.jp/SST/events/2024/0619

木川貴幸ホームページ
https://www.takakigawa.com/calendar/56501
木川貴幸イベントページ
https://www.facebook.com/events/1883723458733200/

以上

追悼 加川憲一 遺句抄

『海原』No.58(2024/5/1発行)誌面より

追悼 加川憲一 遺句抄

リラ冷えの老人は目覚めて笑う
喉に薬臭のこりはるかに鳥帰る
コーヒーはブラック死ぬときは雪が降って
葡萄枯れわたしもゆっくり枯れて行く
生きるとは死ぬこと沢庵ぽりぽり噛み
葡萄棚の陽の粒あれは汽笛の粒
象の腹に皺がいっぱい稲光
花野雨煙ってしまへば夢ん中
屋根の色さまざま羆が走る走る
アイヌ墓地にリラ一本はオマージュ
サビついた血管ですが花曇り
けあらしの鶴が影絵になって行く
鶴に逢いたい星降る夜のゆめピリカ
兜太太文字がん張って雪搔けば
雪みつみつと降るから言葉が重いのです
消しゴムで消した野末に雪が降る
伸ばした足の先の明るさ花カンナ
旱星しーんと立つのは父の木刀
ごうごうとあれは樹の髄青嵐
鶴を数えるまだ暖かい言葉たち

(十河宣洋・抄出)

ダンディなはにかみ屋 十河宣洋

 身だしなみがよくダンディである。帽子を被り自転車で通りを行く姿はまさしく紳士である。話をするときは少しはにかむ様な感じが相手に好い印象を与える。
 俳歴は長い。「海程」を創刊号から持っていたというだけでもそのことがうかがえる。作品は五号からである。北海道の俳誌「緋衣」「氷原帯」で活躍し、山田緑光の「粒」で評論なども書いていた。特にオノマトペについては造詣が深かった。所蔵の「海程」は加川さんから「旭川文学資料館」に全冊寄贈されました。
 旭川の海程支部「群の会」は井手都子さんと二人で引っ張ってきたと言っていい。句会も長い低迷期があり、少人数での句会が続いた。ある時、私が急用ができ休んだとき、先月は井手さんと二人の句会だったなどと笑っていたこともある。昨年の六月までバスで元気に句会に出席していました。
 北北海道現代俳句協会の副会長を長く引き受けて会の重鎮として活躍していました。
 家庭菜園などの様子も時々楽しそうに話していて、昨日庭木の手入れをしていたら、脚立から落ちてなどと笑いを誘ったりする。それが二、三年前の話である。
 昨年の十月にお宅にお邪魔した時、家の中はほとんど片付けられていた。居間には海隆賞でいただいた色紙「狼生く無時間を生きて咆哮 兜太」が掛けてあった。
 亡くなる前日にお孫さんや曾孫さんなどが集まって楽しく話をしていて、亡くなった日もお孫さん達が来て話をしていたということです。奥さんに「お前も疲れているから早く休め」と奥さんに声を掛け、しばらくして奥さんが気が付いたら息を引き取っていたということでした。
 行年九九歳。天寿を全うした大往生である。

◆追悼加川憲一さん

自転車に乗って 佐々木宏

  戦後長かりしよ鮨つくる酢の匂い 憲一
  水仙浮き胸をいたわる夜の理髪師 〃

 憲一さんは硬質な感覚、叙情をもって私の中に入ってきた。俳句を始めて間もない頃の私にとって、それはまばゆい存在であった。やがて私の勤務地が旭川になり、「群の会」での交流等を通して親しくお付き合いをさせていただくようになる。

  明け早しアヤメアヤメと澄んで行く 憲一

 句会での評は厳しかった。また、自らの句にも厳しかった。頭脳明晰。とてもお元気で、九十歳を過ぎてからも自転車に乗って会場まで来られることが何度もあった。その姿、笑顔が今でも鮮明によみがえる。

  丹頂は柩に入るぐらいかな 憲一

 奥様のお話では、だんだん食が進まなくなっていったとのこと。また、自宅でご家族に見守られながら眠るように旅立たれたとのこと。食事が取れなかったせいか、憲一さんは、こころもち小さくなっておられた。この句の丹頂のように。心より合掌。

若々しい口調に圧倒されて 前田恵

 加川憲一さんの訃報には、本当に驚きました。ご高齢ではありましたが、姿勢も良く、お元気な加川さんしか知らなかったのです。
 句会では、いつもすべての句について、いろいろとお話ししていただきました。まだまだ俳句の力の無い私にも、丁寧に接して下さいました。
 句会の後に、何度も皆さんと喫茶店に寄りましたね。そういう時は、いつも加川さんが季語についてのご自分の考えを熱く話されて、私はその若々しい口調に圧倒されておりました。もう一度、お逢いしたいです。

『風の民』松本勇二 句集

『風の民』松本勇二 句集

  田を植えて遠流のごとく青むかな

 「平成十四年に初句集『直瀬』を上梓してから何年たったであろうか。……その間に、「虎杖」の相原左義長師、「海程」の金子兜太師を亡くした。両親も亡くした。その他にもさまざまな出来事があったが、何とか乗り越えてくることができた。俳句を始めてからちょうど四十年になる。『風の民』はその記念碑的な句集になった」(「あとがき」より)

■発行=文學の森 定価=二九七〇円(税込)
■著者住所 〒791‐1106 愛媛県松山市今在家一‐六‐三二

2024年夏「海原通信俳句祭」開催のご案内

夏だ! 祭りだ! 俳句祭だ!
2024年夏「海原通信俳句祭」開催のご案内

第7回を迎えました海原通信俳句祭。第2回兜太祭と第3回「海原」全国大会の合間を縫って、また張り切って開催したいと思います。忙しい? そう忙しいのです。奮ってのご参加お待ちしております。

1.出句:2句(参加対象は「海原」の同人・会友全員です)
2.出句受付:宮崎斗士あて
 ・メール tosmiya★d1.dion.ne.jp(★→@、「d1」の「1」は数字の1です)
 ・FAX 042―486―1938
 ・郵便の宛先 〒182―0036 調布市飛田給2―29―1―401
※出句の原稿には「海原通信俳句祭出句(出句者氏名)」と明記してください(「兜太通信俳句祭」と誤記なさらぬよう)。
※メールを使用できる方は、できましたらメールにて出句してください。メールで出句の際は、必ずメールの件名を「海原通信俳句祭出句/(出句者氏名)」としてください。メールにて出句の場合は、必ず受け取り確認の返信をいたしますので、確認をよろしくお願いいたします。もし返信が届かなかった場合は、その旨宮崎斗士までご一報ください。
※FAX、郵便で出句の場合は、原稿に住所・氏名・電話番号を明記してください。
3.出句締切:2024年7月1日(月)必着
4.選句:参加者による互選のほか、特別選者による選句と講評。
(通信俳句祭の結果は「海原」誌上に発表します)。
5.参加費:1,000円
  ※参加費は定額小為替にて宮崎斗士までお送りください。
   また、東京例会などでも参加費納入を受け付けます。
【問い合わせ】
確認事項、お問い合わせ等は、宮崎斗士までお気軽にどうぞ。
宮崎斗士
〒182―0036 東京都調布市飛田給2―29―1―401
電話:070―5555―1523
FAX:042―486―1938

2023年冬【第6回】海原通信俳句祭《結果発表》

『海原』No.57(2024/4/1発行)誌面より

2023年冬【第6回】海原通信俳句祭《結果発表》

 第6回を迎えました「海原通信俳句祭」(「兜太通信俳句祭」改め)。参加者数は計96名。出句数は計192句でした。大勢の方のご参加、あらためまして厚く御礼申し上げます。
 参加者全員に出句一覧を送付。一般選者の方々には7句選、23名の特別選者の方々には11句選(そのうち1句特選・10句秀逸)をお願いしました。
 以下、選句結果、特別選者講評となります。
(まとめ・宮崎斗士)

※詳細は「海原」誌面をご覧ください(以下上位句発表部分のみ掲載)。

☆ベストテン☆

《25点》
切り取り線に沿って長生きして小春 宮崎斗士
《21点》
耳たぶは寂しい冬のかたつむり 大西健司
《16点》
そらみみの音のふえゆくふゆすみれ こしのゆみこ
《14点》
ふくろうは寝たか酔い潰れて父よ 加藤昭子
《13点》
思っていた老いとは違うふゆざくら 芹沢愛子
牡蠣すする無心にすする別れかな 室田洋子

《11点》
真冬真夜ごうごうと空入れ替る 篠田悦子
着ぶくれて着ぶくれて難民の波しづか すずき穂波

《10点》
「熊のあります」賛否あります 石橋いろり
歳月という探しものかな小鳥来る 伊藤淳子
湯豆腐や定規のような人と居る 加藤昭子
父の匂いがうずくまっていた手拭い 河西志帆
もう何もしない刀自なり寒牡丹 北上正枝
冬林檎きのうはすでに傍観者 竹田昭江
未来には鳥の渡りの中に俺 松本勇二
蜜入りの林檎のようなジャズ齧る 山中葛子


【9点句】
志功女菩薩胸乳むなぢに冬陽ゆたけしや 安西篤
冬日向プラットホームという疎林 尾形ゆきお
戦場の聖夜毛布に子を抱く 田中信克
片付かぬもろもろ熊よ早く寝ろ 藤田敦子
アンモナイト自虐と書いて消して雪 茂里美絵
【8点句】
てのひらにも遠浅のあり鷹渡る 赤崎冬生
膝痛しやっさもっさと冬に入る 小田嶋美和子
秋の蝶毀れしものの影を吸う 川田由美子
折れやすき洗濯ばさみ暮早し 北上正枝
やはらかな風邪を貰うて老いが恋 木村寛伸
むささびの山鳴りときに師の寝息 篠田悦子
わたくしも過客のひとり冬菫 宙のふう
まだ誰の言葉もなくて芒原 丹生千賀
死ぬ気がしない水餅の黴落とす 船越みよ
魂の棘を抜くなり日向ぼこ 三好つや子
丸善に亡夫来てるかも文化の日 森由美子
八重葎我が身を縛る我がこころ 森由美子
からだふと木枯し一号ふとたてがみ 山中葛子
【7点句】
シンプルなハツユキ原点はキミだね 石川青狼
冬の流星すらすらと手を洗い 伊藤淳子
雪のあね雪のいもうと雪うさぎ 望月士郎
揺れゆれるコスモス或るときは訃報 茂里美絵
初雪や産着ほのかな桃のいろ 渡辺のり子
【6点句】
木に登る秋の終りが見えるはず 大沢輝一
冬眠にもいろいろあってレノン聴く 佐々木宏
霜柱ひとりとひとりとひとり 芹沢愛子
山茶花や光あつめて素顔だな 高木水志
行儀よい雁が来るから生きる気に 舘岡誠二
それぞれの日付が騒ぐ初暦 東海林光代
種茄子自称人間探求派 松本千花
虫を聴く国に生まれて腕まくら 松本千花
牛の骨正しい冬を待っている 峰尾大介
冬の蜂無神論者の眼をしてる 室田洋子
白鳥来水面をすべりゆくボレロ 渡辺のり子
【5点句】
戦争の積木崩しの藪枯らし 川崎千鶴子
欠点は長所の欠片冬の虹 川崎益太郎
老人にぽっかりと洞 日短ひみじか 北村美都子
観音の千手冬冬冬ガザに 高木一惠
水鳥やゆらりと許し飛び立った 高木水志
月翳るインティファーダの深傷かな 藤玲人
木の葉髪三年日記とう賭に出て 東海林光代
うっすらと鉛筆の痕雪催 鳥山由貴子
爪先に枯野来ており旅たくらむ 丹生千賀
兜太師の寂声曳いて白鳥来 船越みよ
無欲です山楂子の実も枸杞の実も 堀之内長一
雪明り心象の白い象がくる 望月士郎
裸木を抱き心音を聞いてます 森鈴
旧仮名でふはふはと冬てふだつた 柳生正名
昭和九十八年木枯なお帰らず 柳生正名
セーターの似合ふ人より句集来る 矢野二十四
父の愛傾き易きカリンの実 横地かをる

『花野原』大山賢太句集

『花野原』大山賢太句集

  花野原その先どこへ獣道

 「俳句をはじめて三〇年になろうとしている。近頃、めっきり目が悪くなり、作句が思うようにできなくなり、効率が悪くなってしまった。いつまでたってもなかなか良い俳句はできないのではあるが「目の黒いうちに」俳句集としてまとめておくことにした」(「おわりに」より)

■発行:羅針盤舎 ■私家版
■著者住所 〒251‐0056 神奈川県藤沢市羽島四―六―二―一―C

第6回「海原金子兜太賞」の募集案内

第6回「海原金子兜太賞」の募集案内
―新作30句、募集締切は2024年7月20日―

 第6回「海原金子兜太賞」の作品を募集します。同人・会友の別なく、だれでも挑戦できる公募型の本賞は、新たな作家の発掘と俳句の可能性の探求をめざすとともに、「海原」の活性化を図るものです。選考は、あくまでも作品本位。過去5回の応募作品は、いずれも多様なテーマと個性あふれる表現に富み、大きな成果を生んでいます。なすすべのない自然の猛威にさらされる日常を見つめて――いましか詠めない清新な作品をお寄せください。

1 名称:海原金子兜太賞(第6回)
2 応募資格:
全同人と会友全員(会友とは「海原」の購読者です)
3 応募要領

① 応募作品数:新作30句
② 新作とは他の媒体(俳誌や雑誌、インターネット、各種俳句大会やコンクール等)に発表されていない作品を指します。句会報への掲載なども注意してください。
③ 応募作品にはタイトルを付し、都道府県名および氏名を忘れずに記入してください。原則として「前書き」はなしとします。
④ 応募作品は書面による郵送、またはメールで送ってください(メールによる応募を歓迎します)。
※手書きの場合は、市販の原稿用紙を使用し、楷書で丁寧に書いてください。
※メールの場合は、ワードファイルやテキストファイルのほか、メール本文に貼り付けて送ってください。
⑤ 作品送付先:編集人 堀之内長一 宛て
 〒338―0012 さいたま市中央区大戸1―2―8
 電話&FAX:048―788―8380
 メールアドレス:horitaku★ka2.so-net.ne.jp(★→@)
4 募集締切:2024年7月20日必着
5 選考委員:
安西篤/武田伸一/田中亜美/遠山郁好/堀之内長一/宮崎斗士/柳生正名(五十音順)
6 選考方法:
応募作品は無記名にて選考。各選考委員の推薦作品をもとに、討議のうえで受賞作品を決定します。選考座談会は7月末~8月初旬に開催予定です。選考座談会の模様は「海原」誌上に発表します。
7 受賞者発表:
受賞者は2024年10月号に速報として広報し、受賞作品と選考座談会は11月号に発表の予定(10月開催の全国大会にて表彰式を行います)。
8 顕彰:
受賞者には、金子兜太先生ゆかりの品物等の贈呈のほか、「海原」誌上における連作の場の提供などで顕彰します。

【問い合わせ】海原編集部 堀之内長一まで

◆過去の受賞作品
第1回(2019年)
 本賞:すずき穂波「藁塚」
 奨励賞:望月士郎「むかししかし」
 特別賞:植田郁一「褌」
第2回(2020年)
 本賞:三枝みずほ「あかるい雨」
 奨励賞:小西瞬夏「ことばのをはり」
 奨励賞:森由美子「万愚節」
第3回(2021年)
 本賞:大沢輝一「寒落暉」
 奨励賞:河田清峰「笈日記」
 奨励賞:三好つや子「力水」
第4回(2022年)
 本賞:望月士郎「ポスト・ヒロシマ」
 奨励賞:ナカムラ薫「砂の星」
 奨励賞:三浦静佳「鄙の鼓動」
第5回(2023年)
 本賞:佐々木宏「渋い柿」
 奨励賞:小西瞬夏「十指」
 奨励賞:河西志帆「もずく天ぷら」

望月士郎句集『海市元町三‐一』〈音と言葉と身体 小西瞬夏〉

『海原』No.56(2024/3/1発行)誌面より

望月士郎句集『海市元町三‐一』 評

音と言葉と身体 小西瞬夏

 望月士郎氏はアーチストである。そして永遠の少年である。日々出会う何気ない素材が彼のアンテナに一たび引っかかると、それと遊んだり、面白がったり、慈しんだり、悲しんだりしながら、芸術作品にしてしまう。その素材が言葉であるとき、それは俳句になってゆく。

 素材そのものを彼の身体が味わい尽くすとき、それはオノマトペや韻律を伴う。

●オノマトペ・韻律

 先日、柳生正名氏の俳句一日講座『オノマトペ(擬音・擬態語)と俳句』をオンラインで受講した。音と意味の間につながりがある「音象徴」という言葉、そしてオノマトペは身体的実感をそのまま表現できる、ということが印象に残った。望月氏のオノマトペにも、そのような身体との密接な関わりが強く、読者の身体にダイレクトに共鳴してくる力がある。

  三月のひかり水切りりりりりり

 「りりりりり」については巻末にある宮崎斗士氏の鑑賞文にもあるように、「り」という音が水のきらめきでもあり、鈴の響きのようでもある。空気と水の振動が、頭の理解よりも先に身体に直接届いてくる。

 また、望月氏のアンテナには、言葉は音と共に「字面」という固有の映像としてもキャッチされる。そして空気の波動としての「韻律」も大切な素材の一つである。

  キューピーのからだからっぽ風光る

「からだ」「からっぽ」という韻律を味わいながら、私のからだも軽くなる。そして風と光で充満してくるようだ。

  遠い花火の赤いみみ青いみみ

 「みみ」はひらがなで書かれることで、それは「耳」であると同時に「み」というひらがなの形態の面白さにより、それはくねくねとした耳の中をも連想させる。そして赤と青は花火の色が映っているのであろうが、それ以上になにか不思議な物体にも思えてくるのだ。

  蝸牛のののの旅の夜の枕

 「の」というまったりとした音と丸い字面、まさにそれが蝸牛の描写でもある。ゆっくりとした歩みを続ける蝸牛に同化しながら、それが夜の枕へと誘われる意外性。

●取り合わせの距離・物との響き合い

 望月氏のキャッチした言葉に、次の言葉はどのようにやってくるのだろうか。あとがきには次のようにある。
 「―言葉を抱えて歩いていくと、運河の町に着いて別の言葉と出会い『気』が生まれ、そこから小舟に乗ると見知らぬ島に着き、また新しい言葉に出会って『間』ができ―」
 そのように出会った言葉と言葉の「間」に、言葉で書かれた以上のものが生まれている。

  左手は右手で洗う多喜二の忌
  濡れているてるてる坊主太宰の忌
  射的場の人形ひとつ落ち夜汽車
  腹話術師のくちびる戦後七十年
  ヒロシマやポストに重なり合う手紙

 多喜二、太宰が置かれることで、左手と右手の営為が立ち上がり、てるてる坊主を作った人の心の奥の無念さが滲む。射的場で撃ち落とされた人形は(作者は、読者は)夜汽車にのってどこへ行きたいのだろうか、腹話術師の唇は本当は何を声に出したいのか、手紙は黙って重なっているだけであるが、何が書かれてあるのだろうか。それらの奥に、どこか今世界で起こっている戦争の悲惨さまでをも思わせる。

●言葉が運動を続ける

 あとがきにも「俳句という小さな器に容れると、言葉はひとりでに捩じれ、ずれ、滲み、そして毀れます」とあるように、望月氏の言葉は書かれたあとも運動を続ける。毀れてても再生を繰り返す。

  隣室をうすくひらいて雛の唇
  死後のこと背泳で見た昼の月

 うすくひらくのは隣の部屋の扉でもあり唇でもある。背泳ぎで見たのは死後とのことでもあり、はっきりとは見えない昼の月でもあり…。その言葉の運動とともに、私の中からも言葉が歩き出し、進んでいくことをやめない。

 さて最後に、やはりこの本の表紙絵に触れないわけにはいかない。望月氏といえば、新しくなった『海原』誌の表紙絵を担当され、驚くことに毎月違うデザインの表紙を制作されている。今月の表紙を楽しみにしている同人、会員は少なくない。この句集のカバーは「炎天の蝶ランボーを万引きす」を絵にされたとのこと。一つ一つの物質が部分であり全体でもある。そしてすべてが関係しながら運動している。氏の中で日々繰り広げられている、音と言葉と身体の活動、それがどのように形を持ったものになっていくのか、その不思議をこの句集を通して覗いてみることができた喜びは大きい。

《創刊5周年記念》第2回海原全国大会 レポート(一部)

『海原』No.56(2024/3/1発行)誌面より

《創刊5周年記念》第2回海原全国大会 in 秩父
2023年10月28日(土)~10月30日(月)
於 ナチュラルファームシティ農園ホテル・長生館(長瀞町)

 第1回開催以来4年ぶりに第2回海原全国大会が開催された。詳細レポートは『海原』誌面をご参照。
 以下、初日のパネリストによる「合評ディスカッション」の模様など、一部を転載する。


第一次句会・事前投句の高点句
*〔〕内は得点。なお、パネラーは匿名で鑑賞。

糸瓜ゆらり一人暮らしはこの抑揚 宮崎斗士〔18〕
満月のような沈黙師とふたり 小林育子〔14〕
よそゆきの服脱ぐ感じ水蜜桃 北川コト〔13〕
過去語る少しの噓や式部の実 森由美子〔12〕
木や鳥のもの言う国の歌留多取る 武田伸一〔11〕
人間に目玉も原爆忌もふたつ 中村晋〔10〕
芋虫のさみどり滲むような一歩 堀真知子〔10〕
半日はけものの耳で霧をゆく 茂里美絵〔10〕
菊膾兜太目つぶり目ひらき喰う 安西篤〔9〕
銀漢や心をたたむ膝の上 安藤久美子〔9〕
白むくげ猫のとなりで生きる母 芹沢愛子〔9〕
ふいに来る涙の訳とか蛍草 中村道子〔9〕
言の葉の根の澄みてゆく草雲雀 川田由美子〔8〕
徘徊のゆくて枯野に行き当たる 北上正枝〔8〕
秋の昼夫の知らざる着火音 小西瞬夏〔8〕
百日草自傷のように書く日記 佐々木宏〔8〕
視力表2行目以降は芒原 小鳥遊彬〔8〕
鳥籠の中の草原地雷原 遠山郁好〔8〕
友情の翳ったところアキアカネ 室田洋子〔8〕
昼月と砂ひびき合う雁渡し 茂里美絵〔8〕
レモン噛む火種少々呑み下し 山下一夫〔8〕

第一次句会の第二部●合評ディスカッション
 4人のパネラー、熱く語りつくす  まとめ 石川まゆみ

 続く第二部。パネリストが登壇し上手から中村晋、小西瞬夏、川田由美子、小野裕三、引続き司会(小松敦)の順。司会より、「俳句」と「海原」について刺激的な議論の場となれば、との挨拶でスタートした。以下、臨場感を重視してお伝えしたい。

■事前投句の高点句を批評する

 司会=まず、高点句のうち、〈糸瓜ゆらり一人暮らしはこの抑揚〉について。
 川田由美子 糸瓜に日常感あり。一人暮らしを描いているところが良いが、「この抑揚」とは何か。揺れることとは少し違う何かがある。「一人暮らしは」で切って読むべきか。
 小西瞬夏 「抑揚」は素晴らしい。取らなかったのは、揺らぎは糸瓜だから当たり前かと。ゆらりでない描写のほうがよいのでは。「一人暮らしの抑揚」で披講されたが、そのほうがいいかと。
 小野裕三 特選にいただいた。この句は三つ要素があり、三つが微妙に重なりあっている。似ている部分もあり、「光の三原色」を重ねると白になるという感じ。「は」「この」で切れていると思うが、微妙に離れて繋がるのが良い。(以下、発言は名字のみ)
 司会=〈よそゆきの服脱ぐ感じ水蜜桃〉は。
 中村晋 つるっと服を脱ぐ感じもわかるが、つきすぎているか。
 川田 「よそゆき」、として、いかにも水蜜桃らしくなってしまった。
 小野 なまめかしすぎる感あり。
 司会=〈ふいに来る涙の訳とか蛍草〉は。
 小西 比喩が上手い。ふいに来る、で出てくるニュアンスがある。「訳とか」の、そこが好きな人と邪魔になる人とがあり、私は「とか」が気になる。
 川田 「訳とか」が説明的になってしまったか。
 司会=取った理由、取らなかった理由を。〈人間に目玉も原爆忌もふたつ〉について。
 小野 身も蓋もない言い方と思うが、その感じが残酷さを示している。特に「目玉」という言い方が惨状を思わせる。それで取った。
 司会=取ってない中村さん。
 中村 知的に操作している感が強い。日本には広島・長崎があるのだが、世界中に凄い数のものがあるし、この二つだけではないだろうと。
 司会=〈芋虫のさみどり滲むような一歩〉は。
 川田 取った。若森さんが言われたが、「滲むような一歩」が人間につながる。一歩進む、その状態が「さみどり」だと思う。
 小野 取ってない。「滲む」とは何が滲むのか、「さみどり」ならいいが。「血の滲む」となると平凡だなあ、と。
 司会=〈銀漢や心をたたむ膝の上〉は。
 中村 「心をたたむ」と言ってしまった瞬間に具体的な映像がぼやけてしまった。
 小西 取った理由だが、「こころ」と言ってしまったら普通はファンタジーに流れるか、言い過ぎてしまう言葉なのに、「たたむ」と言ったがために「こころ」が物そのものに見えてきた。
 司会=次、八点句。〈徘徊のゆくて枯野に行き当たる〉は。取った小野さん。
 小野 枯野への図が想像される。
 司会=取らざる中村さん。
 中村 結構怖い句だ。散文っぽい印象が強い感じなので目につかなかったか。
 司会=〈百日草自傷のように書く日記〉。
 中村 「百日草自傷のように」の音の響きが上手い。
 川田 「自傷のように」が、ちょっと…。百日草は暑い盛りに咲くので、苦行のようにとは思うが。
 司会=〈視力表2行目以降は芒原〉は。
 中村 ユーモアがあるな、芒原か、本当にそうだなと思った。「2行目」の表記が斬新で度胸がある。
 司会=〈鳥籠の中の草原地雷原〉。小野さん、取ってない理由は。
 小野 あまり具体性がなくて、訴えかけてこなかったかな。
 小西 いただいた。鳥籠の中に草原の地雷原、と書くと、自分たちの居る草原に、この鳥籠があるかもしれないというところまで広がってゆく。ただの比喩ではない力強い句。
 司会=〈昼月と砂ひびき合う雁渡し〉。
 中村 良い句。作者が砂の河原に足を踏み入れて、サクッと踏んだ音か。この音が響き合った感覚、吹いてくる風と。乾いた感覚。地球の何かを感じたのかな、砂という生き物感覚、すごい。
 司会=取ってない川田さん。
 川田 「砂」に、大雑把な感じがした。浜辺ならわかるが。
 司会=〈レモン噛む火種少々呑み下し〉は。
 小野 いただいた。レモン、ときて、そのあと少々火種である、と。そのギャップが面白くて不思議な感じ。
 小西 いただいてない。「火種」となったときに、やや手触り感が弱いかな。
 司会=火種、となると抽象的でしょうか。
 川田 「心のわだかまり感、のように思った。
 小野 両方の意味に使われていると思う、それが良かった。

■文語か口語か

 司会=では、「表現」という観点で、文語・口語について意識していることを。俳句誌の八、九割が文語ですが。
 小西 口語を否定はしない。口語俳句もつくるのだが、ある友人から、俳句と短歌だけ文語が残っているのだから何故使わないのか、と言われたことがある。もっと複雑に作りたいとか時間軸をずらしたいとか、不思議なニュアンスを出したい時は文語のほうが。
 中村 初学の頃は、文語・口語を意識していた。海程に入って、現代仮名遣いに切替えて、句集も「現仮名」にした。震災以降、今を書かなきゃと思い、口語をベースにして、今の時代をと思っている。
 司会=〈…涙の訳とか…〉のように、「とか」は。
 川田 私は口語の方が一瞬で水平にバーッと伝播する感じがする。読者が文語表現に追いつかず「や」とか「けり」の表現が飾り程度に読まれて平板な俳句にならないよう、自分が文語で作る時は垂直の意識を大事にする。
 小野 なるほど。旧仮名とか文語って白黒写真に似ているかなと。白黒写真独特の質感を好むようにして、俳句では、旧仮名・文語スタイルを選択する。自分も憧れはあるけど、旧仮名・文語が現代に届く表現かどうか疑問を拭い去れず口語を選択している。

■私がめざす俳句

 司会=自分が詠みたい俳句について。皆さんが目指す句は。
 小西 兜太先生の言葉にある、「暗喩と映像」の俳句。それと「態度」。生き方とか思想とか、私なりの態度が句に入っていれば、何が書かれているかは何でもあり、だと思う。態度とは、生き方そのものであり、全部自分を問われる大きなことだと思う。
 中村 「社会性は態度の問題である」、と関わってくるかな。自分の中で原発事故の経験は拭い去れず、社会性を意識するもののイデオロギー的になると鬱陶しいし、そんな句ばかりで日常とかけ離れたところで作っても、どうかな〜、と思うし。そんな葛藤自体が句になっていくようになるといいかな。それと、日本人だけにわかるような季語の世界だけで自足するのでなく、国境を越えてもわかるような句を作れるようになれば。
 司会=海原には人間を詠んだ句が多く、写生句は少ないと思うが、心象と抒情がトレンドなのか。川田さんはどんな句を目指す?
 川田 兜太先生は「実景を書いた結果、暗喩になればいい、それが写生」と言っているが、私も自分の態度を暗喩として立ち上げるというか、好きな景を描いた結果自分の中の暗喩が作れたらいいな。実景の中に暗喩、そんな句。先生はまた、「平明で深いものを」と言われたが、平明とは、若い時は「分かり易さ」かと考えたが、今は「純度の高いもの」と思う。純度が高ければ心に響くのではないかと。
 小野 英語俳句は両極端で、現在の我々よりはるかに実験的(サイファイ句等)。一方でストイックな向きもあり、比喩を使ってはならぬ、実景のみを書け、と多く言われている。エズラ・パウンドの俳句も実景のみだった。さて、俳句とは? 前衛とは? と最近改めて思う。

■これからの「海原」の方向

 最後に、各パネリストより「これからの海原」について、それぞれの思いを次のように述べた。
 小野 日本の俳句が英国に伝わり実験性を高め実景が重視されている様を見て、改めて俳句とは前衛とはを考え直してみると面白いと思った。川田さんの「実景の中に暗喩」が印象的。
 川田 海原には好きな俳句がたくさん。海原で皆が一つの方向を目指すというのではなく、多様な個々それぞれの創作活動が集まって新しい方向性が見えてくればいいし自分も新たに作っていきたい。
 小西 俳句に詩を求める中で、虚構や概念が前面に出て実感と手触りがおろそかになる懸念あり。そんな中、今日の座談会で色々ヒントを得た。「実景を書きそれが暗喩になっている」は目指していきたいし、これからの「海原」はそうした思いを仲間同士で刺激し合いながら、実作で示しあう場としていきたい。オンライン句会は刺激の場としてありがたい。
 中村 今の時代を意識した作句を変わらずに続け、互いに評価し合える「海原」であってほしい。また、風土を濃厚に感じさせる句を期待する。グローバルな視野と併せローカルをも掬う「海原」に。
 司会からは、このように多様な「海原」の作品や活動をさらに「海原」の外部にも露出していきたいとの意欲を述べて、第一次句会は全て終了した。

全国大会事前投句 特別選者の特選一句抄

【安西篤選】自然かな犀の背中に小鳥二羽 堀之内長一
【小野裕三選】糸瓜ゆらり一人暮らしはこの抑揚 宮崎斗士
【川崎益太郎選】退却の道は干乾び蚯蚓鳴く 川崎千鶴子
【川田由美子選】地震ない過ぎて夕顔を煮るその淡さ 藤野武
【こしのゆみこ選】満月のような沈黙師とふたり 小林育子
【小西瞬夏選】菊膾兜太目つぶり目ひらき喰う 安西篤
【小松敦選】蝸牛に一切合切という雨 小野裕三
【芹沢愛子選】露草やあらくさの中にねむい青 三好三香穂
【十河宣洋選】よそゆきの服脱ぐ感じ水蜜桃 北川コト
【高木一惠選】閑かさにやんまの天降あもる地雷原 柳生正名
【武田伸一選】行き暮れて露の野を一人の人を 北川コト
【遠山郁好選】兜太逝き五年日記のはや果てぬ 野口佐稔
【中村晋選】遺言書や庭にありたけの露草 石川まゆみ
【野﨑憲子選】菊膾兜太目つぶり目ひらき喰う 安西篤
【藤野武選】芒野の無意味かがやく背中かな 佐孝石画
【堀之内長一選】芋虫のさみどり滲むような一歩 堀真知子
【茂里美絵選】銀漢や心をたたむ膝の上 安藤久美子
【柳生正名選】自然かな犀の背中に小鳥二羽 堀之内長一
【若森京子選】落ちこぼれの逆転劇です燕日記 綾田節子

【大会作品】(前掲作者を除く一句抄)

浦曲夏パンツ一丁で自転車で 石川義倫
暑いねという人も居ずさびしんぼ 遠藤秀子
秋思かな清水寺のわたしと私 太田順子
茄子もいで老いのままごと始めましょ 岡田奈々
主ならば平らに眠る青大将 奥山和子
ほんとうのダビデの身体ひやひやと 桂凜火
不動明王の谷へ飛沫や櫨紅葉 神谷邦男
世が世なら我も間引菜だったかも 川崎益太郎
山法師の実を喰う君と仲よくす 河田清峰
野菊そよと今なら言える言葉など 河原珠美
上りくる月より高く梨を剥く こしのゆみこ
震災忌中村哲の眼が欲しい 後藤雅文
九月事変ちびた石鹸泡立てる 小松敦
長き夜や戒名に「凡」加えたき 齊藤しじみ
兜太と語ろうパフェの絶巓さくらんぼ 十河宣洋
文なし芸なし三番草を刈りて寝る 高木一惠
月貧し甲武両神大菩薩 田中信克
黒猫の尻尖りたり晩夏かな 田中怜子
稲の穂やあんたいつまで独身者 董振華
鳩小屋に眠る少年星流る 鳥山由貴子
亡夫つまと相談満月の遺言書 西美惠子
時の扉一斉にひらき赤とんぼ 野﨑憲子
運命とふ雲があります鳥兜 長谷川順子
AIと老いのおしゃべり月の宴 日高玲
両神の空どっと転げて芋の露 藤好良
夕焼や街を見下ろすゴリラの背 前田恵
台風裡むすんでほどくダリの髭 増田暁子
蓼の穂や彳ちつかれたる軍楽隊 水野真由美
面取りはしないでください富士薊 峰尾大介
すすきはら日暮れて潜水艦浮上 望月士郎
鳳仙花こころのマスク外します 横田和子
露草や涙もろくて藍の晩年 若森京子

予告:第3回海原全国大会 in 伊豆
 2024年は、霊峰富士の麓で開催します。伊豆の名所をめぐる吟行も楽しみに。詳細は本誌7・8月合併号に掲載予定です。
日時:2024年10月26日(土)~28日(月)
会場:ホテルサンバレー富士見

 静岡県伊豆の国市古奈185-1
 電話 055-947-3100
 最寄駅 伊豆長岡駅(伊豆箱根鉄道)

追悼・京武久美さん 齊藤しじみ

『海原』No.56(2024/3/1発行)誌面より

追悼・京武久美さん 齊藤しじみ

 「海程」の元同人の京武久美(宮城県仙台市)さんが、二〇二三年七月六日に八七歳で亡くなった。故人を知る人の多くにその死は知らされていなかったようだ。万事控えめの京武さんらしい別れ方だと思った。「海程」終刊後の晩年は長らく闘病生活を送り、数年前から視力の低下で外出もままならなかったと聞く。
 京武さんは伝説的な存在だった。寺山修司の創作活動の原点が少年時代に京武さんと熱中した俳句にあったからだ。京武さんは「人見知り」で、寺山とは真逆な性格だったが、二人は「一卵性双生児」と呼ばれたほど気が合ったという。
 京武さんは兄の影響で小学生の時から俳句を作り始め、昭和二〇年代の青森市の中学と高校で同級生だった寺山と競い合いながら新聞各紙や俳句誌などに精力的に投句を続けた。特に高校では二人で校内に俳句サークルを結成、全国の高校生に呼び掛けて俳句コンクールを開催、俳句誌を創刊するなど多彩な活動を展開し、中村草田男や加藤楸邨にも名を知られた早熟な少年俳人だった。
 寺山のエッセイ「誰か故郷を想はざる」(角川文庫)の一節には京武さんが登場する。
 京武久美が一冊のリトルマガジンを持って、にやにやしていた。「どうしたのだ?」と訊いても答えない。そこで、私は無理矢理にそのリトルマガジンを引ったくって、ひらいてみた。(略)京武の名前が活字になって、「もう一つの社会」に登録されているということは、私にとって思いがけないことであった。
 高校卒業後、京武さんは当時の運輸省(定年時は東北運輸局総務部長)に就職し、寺山は早稲田大学に進学し、二人の密な関係は事実上、途切れることになる。
 一二年前にお住いの宮城県で開かれた句会で初めてお会いした際、京武さんから「当時の自分の作品をまとめていない点が寺山と私の大きな違いですよ」という話を聞いた。
 京武さんは一五年前に最初で最後になった「二月四日」という句集を出したが、そこには少年時代の句は含まれていない。私はその後数年をかけて青森にも何度か足を運び、中高時代の京武さんの俳句を学校の文集、各種俳句誌、新聞などから約八〇〇句集めてお渡ししたところ、大変喜んでいただいた。
 その青春俳句の中で最も好きな句を教えてほしいと聞いたことがある。

  みじめなまで芸が太れり風つばめ

 一八歳の時の作品である。高校卒業後しばらく就職せずに俳句に夢をかけて地元の小さな印刷所で仲間の俳句誌の発行作業に無給で働いていた。その頃の将来への不安も混ざった複雑な思いが込められているのだろう。
 戦後まもない青森で俳句をめぐって火花を散らした京武さんと寺山の青春の軌跡は戦後俳句史を刻む一コマに違いない。あらためてご冥福を祈りたい。

石川まゆみ句集『光あるうち』〈広島を生きる 河原珠美〉

『海原』No.55(2024/1/1発行)誌面より

石川まゆみ句集『光あるうち』

広島を生きる 河原珠美

 石川まゆみさんの第二句集『光あるうち』を拝受した。清楚な小花に縁取られた表紙のデザインは愛らしく、題名は金色の文字だ。静謐な印象なのに何故か胸を衝かれた。
 最近のコロナ禍で、我々は思いがけない出来事に直面し過ぎた。その結果「命あるうちに」「歩けるうちに」等の思いを強く持つようになってしまった。「光あるうち」から、そんな思いを感受したのかもしれない。

  卯の花の光あるうち集まろう

 「あとがき」によると、青木ヶ原樹海吟行の時に、ガイドさんから「集合場所はあの白い花の所です。遅れないよう必ずあそこへ」と言われた時にできた句だという。古希を過ぎ、お姑様を看取られ、股関節の置換手術を受けるなど、作者の身辺にも変化の多い五年間であったと思われる。

  竜淵に潜む安らぎ緩和ケア
  はんざきの指紋認証背模様で
  耳の横しゆつポッポーとゆく百足虫
  海神の頭踏むごと立ち泳ぎ

 これらは、形象力や比喩による表現の際立った作品群だ。一読ニヤッとしてしまったり、あっと目の前の霧が晴れるようであったりする。第一句集でも見せた、作者特有の感性である。
 今回の作品は「ヒロシマ」をテーマとしたものが多く見られたように思ったので、いくつか挙げてみたい。

  遺族無き被爆の遺骨梅真白
  広島忌兄弟姉妹父母祖父母
  「青桐の黒い部分は被爆です」
  城下町軍都そののち爆心地

 作者は静かに怒っている。シュプレヒコールやプロパガンダのようにではなく、しんと悼む人である。

  「落とされし原爆」の主語平和祭
  原爆忌ひとが正しく死ねるやう
  被爆青桐にんげんの手で殖やす

 広島には「被爆青桐」に代表されるような「被爆○○」と呼ばれる遺構が多く残されている。作者は「広島を歩けば」の中で、「ひろしま美術館」をつくった男「井藤勲雄」氏とのエピソードや、広島県出身の彫刻家「圓鍔勝三」氏の作品が、どこに設置されているか調べ歩いたことなどを書いている。
 その中で、赤十字病院のロビーに設置されていた「女神像」が被爆し、その腕にガラス片が深く突き刺さっていたこと。その当時、看護学生として赤十字病院にいた作者の母上も被爆し、終生額にガラス片が刺さった傷があったこと。そして、この二つの出来事を、「女神像の来歴を知った瞬間、あの時と今とが、わたくしごととして結びついた」と書いている。
 こうした作者の「わたくしごと」を知った上で、掲句を読んでみると、「平和祭」や「被爆○○」を必ずしも良しとしている訳ではないことが分かる。被爆を観光資源にしてはならない。本当の平和への道標にしなければ意味がない。そんな矜持さえも感じてしまう。
 そして、その「わたくしごと」は、次のような句群を生むことになるのだ。

  くろぐろと神馬の淑気輸送艦
  北窓開く戦車が並んでゐる
  一面のひまはり畑どこかに銃
  マイナカード春眠破る徴兵

 どれも気味の悪い光景だ。そしてそれらは、何時の間にか現在の世界のどこかの光景へと重なってゆく。「戦争反対」とか「暴力はいけない」などという、図式的な観念からの発想ではない。痛みを悼む、という「わたくしごと」からの、ヒロシマ後を広島で生きる人の想いなのだ。
 それは何も戦争関連の時事を詠むことだけではない。こんな句群にも。

  ぽつてりと蟷螂雄を喰つてきた
  吸ひに来る恍惚の眼の蚊を叩く
  流感の死者一例は警鐘医
  顔パック善きかたつむり潰されて
  飯店の奥に喰はるるための蛇

 こんな痛ましさや理不尽を、オトナな作者は声高に非難したりはしない。いつもの温顔で、冗談の一つも言うかもしれない。だが、「わたくしごと」として感受してしまう作者は、密かにその理不尽を悼むのだ。

  杖がはり夫の手つなぐ桜どき
  自己血に混じる泡つぶ 無花果
  薄紅葉手術せぬ足「NO」と貼る
  退院や素秋へ杖の音緩め

 これらの句群について、今度は読者が「わたくしごと」として読む番である。殊に私は十年前に同じ手術を受けたので、駆け寄って作者の手を握りしめたくなる。どちらかと言うと「明るい病床俳句」であることも嬉しい。
 最後に、作者ならではの三句を。

  やなやつに餌付けされさう新社員
  裸子の笑むや早くもおつさん顔
  出交して初の災難熊の子の

追悼 らふ亜沙弥 遺句抄

『海原』No.55(2024/1/1発行)誌面より

追悼 らふ亜沙弥 遺句抄

  句集『女のうしろで』より
こずちつけて男の一泊す
寝室に飾ったままの春の銃
元旦や虫はみつけたらつぶす
麻酔切れ口の中からかたつむり
スイッチはみんな乳首だ鱗雲
今日中に食べてほしいの菊膾
機関車に抱かれる夢や日向ぼこ
六月尽体じゅうから種こぼれ
夏の星私の中の散らかって
むらさきはおんなの色って春がいう

  「海原」掲載句より
ラ・フランス優先順位が決められぬ
小夜時雨娘でも妻でもなく私
そうなのよ左乳房はライラック
美しき鎖骨見せ合う夏大根
春はそこだがだんだん遠くなる母
啓蟄の声を出さずに笑う夫
花蘇枋直接型の愛もあり
茅の輪あり裏の滝から男かな
なめくじら今日は一人で笑わない日
浮腫がねひどいの今日は額の花

(堀之内長一・抄出)

ねえ、らふちゃん 奧山和子

 「すっごく面白い人と会ったのよ。何から何まで紫なの。きっとあなたも好きになる」と藤原美恵子さんから電話があったのは、私が所用で行けなかった伊良湖大会(平成15年)の時だったっけ。それからまもなくの大会で初めて会ったあなたに一目惚れだった。頭の先から足の爪の先まで紫に覆われた強烈な衣装の中に好奇心の塊の様な眼が輝いていて、ゆったりとした口調で語られる話題の豊富さにすっかり魅了されてしまったっけ。
 考えてみたら、会えたのは一年に一回の大会と、その後の比叡山の勉強会くらいで、ただ必ず同室で泊まったよね。あなたのペースだったので、いつもご飯には遅れるし、集合場所に行くのも大体最終で、否が応でも私達三人は目立ってたよね。美味しいものが大好きで、ゆっくり味わいながら食べてて、「焼酎は氷に直接入れてね、嘗めながらが一番美味しいのよ」って教えてくれたのもあなただった。だからある時、「ねえ、私乳癌になっちゃった。ステージⅣなんだって」って言われても全然信じられなかったし、「抗がん剤やったんだけど、かえって死にそうだから、もうやらない」その陰でどれだけの葛藤があったのか想像もつかないけど、その後治療に真剣に取り組み始めて、あちこちの句会に顔を出し、時々会う俳句大会でもそれなりに食べて、笑ってたので本当に治っちゃうかもしれないって信じはじめてたよ。
 コロナ禍の中で悶々としてたけど、去年松山の俳句イベントに、超別嬪のお孫さんと北大路翼君を従えて颯爽と現れた時は、あなたの復活を疑わなかった。今年も台風の心配のメールをくれた時、「松山へ行く?」って聞いたら、行くつもりだったんだけどちょっと身体弱ってしまってね、なんて言うもんだから思わず電話しちゃって、お互いの旦那の愚痴なんかいろいろ喋っちゃったよね。なのに私はまだ、「体調良くなったら海原の大会間に合うかもよ」なんて呑気に誘ってたんだ。心のどこかで覚悟はしてたけど、奇跡を信じる方が遥かに勝ってた。ラインに残されたあなたの最後の言葉は「死ぬまで俳句は辞めずに頑張るからね」だったよ。なんか綺麗に収まりすぎて嘘みたいでしょ。文句あったら夢枕にでも出てきてよ。まだまだご冥福なんて祈らないから。ねえ、らふちゃん。

2024年 第2回「兜太祭」のご案内

 金子先生ご夫妻のお墓参りも兼ねての秩父での一泊吟行会。昨年の第1回に引き続き、今年も張り切って開催したいと思います。春爛漫の秩父へ――どうぞ奮ってのご参加お待ちしております。

 2024年 第2回「兜太祭とうたさい

【開催日】2024年3月23日(土)~24日(日)

【宿泊】長生館(秩父鉄道「長瀞駅」近く)
    〒369―1305 埼玉県秩父郡長瀞町長瀞449
    電話:0494―66―1113

【参加費】20,000円(予定)

【スケジュール概要】

3月23日(土)
 12:00~12:30 長生館にて受付
 12:30~ バスにて吟行
 (金子先生ご夫妻のお墓参り、壺春堂記念館など)
 17:00 第一次句会出句締切 出句2句
 18:00 夕食
 19:30~ 第一次句会
 句会終了後、懇親会
3月24日(日)
 7:30~ 朝食
 8:00 第二次句会出句締切 出句2句
 9:00~12:00 第二次句会
 句会終了後、現地解散

引き続き、24日(日)~25日(月) 有志一泊旅行を開催します。
こちらの方も奮ってのご参加お待ちしております。
有志一泊旅行、今回の宿泊は、秩父鉄道・秩父駅近くの「ホテルルートインgrand秩父」です。

◆参加申込み締切:2月29日(木)
※一人部屋(長生館)は参加費+10,000円(参加者数によっては一人部屋をご用意できない場合があります。ご了承ください。なお、有志一泊旅行は全員個室です。)

◆吟行合宿・有志一泊旅行申込み、問い合わせ先
 宮崎斗士 〒182―0036 東京都調布市飛田給2―29―1―401
      メール:tosmiya@d1.dion.ne.jp(「d1」の「1」は数字の1です)
      電話:070―5555―1523
      FAX:042―486―1938

追悼 木村和彦 遺句抄

『海原』No.54(2023/12/1発行)誌面より

追悼 木村和彦 遺句抄

傷もたぬ人間が来る森林軌道
幼なき妻よ未来は雲を耕やそう
尻のリズムで背負い籠の杉苗揺れて居る
明日ありて金魚に残すパンの芯
朝顔にお早よう妻がはたらきに
妻裁つ生地のヨット奔放夜雪湧く
土工の宴げへ城なす砂利船星逢う夜
青年の旅心北向く雁の棹
浮塵子が恋う一灯我が生く証しとす
ベルトの穴の位置にたしかむ冬越す意志
街の真ん中寒星仰ぐ債負う胸
白木蓮はくれんいたみに耐える鶴である
赤とんぼ祝祭空間とび交えり
はつなつのライトブルーの上半身
本籍は水のきれいなかたつむり
ぼろぼろの少女を愛す渇水期
寒林の明るさそれは他人の食卓
  「海原」最後の投句から三句(二○二二年三月号)
徘徊老人案山子に道を聴いている
思い出す母の塩味零余子飯
晩生刈る足柄平野は海だった

(佃悦夫・抄出)

田んぼの人 佃悦夫

 冒頭作の〈傷もたぬ人間が来る森林軌道〉は無季。現在でこそ有季が圧倒的な「海原」の創刊期の作として象徴的だが、現代俳句協会全国大会の兼題として首位であったか。ゆえかあらぬか彼は意気軒昂。まさに肩で風を切るの面構えであった。
 「海程」創刊時から現在まで轡を並べるように「海原」と誌名が改まって引き続き作品を欠稿することは無く、生粋の同人としてその白皙にふさわしい書き振りと言えた。駿馬を並行して触れれば激しく弾け合った、茫々六十余年。先年、夫人に先立たれ、子宝に恵まれなかったこともあり、その寂寥感は想像するに余りある。結果、介護施設に入居したまま九十二年の生を全うした。
 木村家と当家は距離的に近いこともあり、家族ぐるみの付き合いだった。私の二人の息子が就学前に伊豆の今井浜に海水浴に行ったのが良き影像として残っている。
 人生百年という昨今だが、生を全うしたと言っても良いだろう。
 彼は茨城県猿島郡の出身だが、既に「谺峰」と称し作句。縁あって東京から小田原に在住することになった。小田原での俳句大会には欠かさず出席し、もちろん雑用も厭な顔一つもしなかったし、私と得点を争って、まさに一喜一憂。
 アルコールは嫌いではなく、上手とは言えそうもない唄を良く通る声で響かせてもいた。その声で大会終了の三三七拍子の音頭取で締めたものだ。二次会も嫌いな筈もなかった。
 「海程」「海原」と行動を共にしてきた。年齢も彼は二歳上だった。「海程」入会は私の姿勢を見てのことと勝手に思うのだが、半身を剝がされたようで茫然自失の態である。今や私といえば無用の用の日々を過ごしている。「海程」諸氏と同じく兜太の人間性に傾倒し今日まで来ている。
 本名の「和七」とは昭和七年生まれに由来すると以前に本人から聞いたことがある。別掲の作品が示すように永遠の青春を謳い上げていた。有り得ないことを有り得るごとく詠み続けた。
 今、まさに夫人の待つ浄土へ急いでいる。

追悼 松本孜 遺句抄

『海原』No.54(2023/12/1発行)誌面より

追悼 松本孜 遺句抄

丹波かな金の初日が山の端に
春確か命の水の動き出す
我が世なり句にのめり込む春炬燵
ものの芽のしかと大地を抱くかな
田を植える我に手を振る下校の子
黒大豆家族総出で種を撒く
畦塗って田は一面の水鏡
梅雨続く泥長靴を重くして
痩せ蛙持て余したる手を広ぐ
老人の水田を守るに汗五斗
デカンショに疲れし妻に風呂沸かす
農夫弾む黒枝豆の幟かな
座敷まで上がるサービス太神楽
冬晴れやトラクラー田へ驀地まっしぐら
山鳥も狐もいたよ裏山は
独楽廻す丹波で鍛えた少年期
かりそめならず句作に唸る霜夜かな
人の世は戦の歴史敗戦忌
山車だし並ぶ稲穂の中を一列に
 (海原関西スクール9月講座)
スマホの世軽薄社会の近代化 (カカオ句会第18回)
(谷口道子・抄出)

農に生き、俳句を愛した孜さん 谷口道子

 ほんとに信じられないほど急な訃報でした。海原9月号で丹波黒豆についての投稿を目にしたばかりでした。
 松本さんは疎開先の丹波篠山の高校を卒業後、国が募集する畜産技術者一期生として全国七名のうちの一名に選ばれ、北海道で研修後、地元の酪農普及に尽力されました。稲作、丹波黒豆は勿論、リンゴ、山の芋など新しい農業にもチャレンジされてきました。昨年上梓された句集には「丹波笹山黒大豆」と命名されています。
 オンライン句会開始を機に、87歳にしてスマホを購入され、FAXや電話での助言を頼りに、独力で接続されるまでになられました。チャレンジ精神の面目躍如の感ありです。図書館で目にした兜太先生の句や反戦思想に感銘を受け、海程に入会されたそうです。
 9月4日の未明、普段と変わりないご様子ながら朝食に起きてこられなかったそうです。枕元に句帳を置かれ、眠っているかのような安らかなお顔だったと聞いています。ここに記して、ご冥福をお祈りいたします。
 2023年9月4日に死去、享年88。

『海市元町三-一』望月士郎句集

『海市元町三-一』望月士郎句集

  霧の駅ひとりのみんな降りて霧

 第一句集。句集名は〈母といた海市元町三-一〉から。「私の作った句が、読み手たちの鑑賞によって幾つもの異なるストーリーとなり、それが想わぬ方向に接ぎ木のように地下茎のように広がり、または千切れて、もう作者から離れた遠い何人にもなって一人歩きして行くその背中を見ている時が、俳句をやってきたシアワセ……なのです」(帯文より)

■発行=文學の森
■頒価=本体二七〇〇円(税別)
https://www.bungak.com/date/2023/11/page/2?cat=9

『金子兜太と宮崎』 福富健男編著

『金子兜太と宮崎』 福富健男編著

 現代俳句と地域文化―その40年にわたる交流の記録。迎えつづけた宮崎の人々の思い、応えつづけた第一人者の思い―地域活性化への示唆に富む一冊。

 第1章 『流域』と金子兜太
  一、「流域」と金子兜太の十年
  二、第二回現代俳句のつどい(昭和59(1984)年5月)
 第2章 宮崎の現代俳句と金子兜太
  一、「現代俳句の集い」(平成11(1999)年5月)
  二、現代俳句の集い参加記
  三、パネルディスカッション 俳句の現在と未来
  四、金子兜太講演の記録
 第3章 九州の現代俳句と金子兜太
  一、九州地区現代俳句大会(平成15(2003年)年10月)
  二、金子兜太講演録(「最短定型を語る―自然と人間」)
  三、金子兜太の魅力
 第4章 宮崎と金子兜太
  一、金子兜太句碑建立
  二、金子兜太先生を迎えて「宮崎現代俳句の集い」―みやざき市民俳句交流大会二〇〇九
  三、金子兜太さんと真栄寺

■発行=鉱脈社
■頒価=二二〇〇円(税込)
https://www.amazon.co.jp/dp/4860618637

中内亮玄句集『北國幻燈』〈師の掌で転げる 柳生正名〉

『海原』No.54(2023/12/1発行)誌面より

中内亮玄句集『北國幻燈』
師の掌で転げる 柳生正名

 本年の海原賞受賞者、中内亮玄の第三句集である。平成29年から令和5年春までの作210句あまりを自選している。
 各句の傍らには日本語での読みのローマ字表記を「装飾」として併記するなど、編集や装丁にも著者ならではの個性と思想が反映されている。句集ながら、巻末には「読む技術としての俳句のマルチメディア論」と題した小論も掲載した。
 読者はその一つ一つの個性的な趣向に目を奪われる。ただそれ以上に、本集を紐解く誰もが意識せざるを得ないこと。それは、兜太他界、パンデミック、ウクライナでの戦争などなど海原人にとって自身の肚の底をさらけ出すことなしに向き合い得ない出来事が、この期間中に相次いで起こった、という事実だ。
 とりわけ、中内の場合、師にして「俳聖」と崇める兜太の「往生」こそ、一大事などという語では言い尽くせない強烈な何かだったはず。あたかも、池に蛙が飛び込んだ「水の音」に芭蕉の鼓膜が揺らいだ刹那の「主客が遡って未分化する」(俳句マルチメディア論)体験さながらに。兜太を蛙になぞらえるなど叱られそうだが、江戸期の禅僧仙厓に
  古池や芭蕉飛こむ水の音
の句があり、兜太もどこかで言及していた。芭蕉が飛び込むなら、兜太は無論、中内においてをや、と思う。
 本集では平成30年の章に「師金子兜太往生」と題し、21句の力のこもった連作を収めている。
  電柱がめそめそ溶ける列車は春
  拍手握手師の掌の厚きこと
  御和讃の我が声遠く春の水
  金子兜太献花にまみれ髭生やす

 1句目。兜太の〈三日月がめそめそといる米の飯〉を受け、急な訃報で心溶けそうな困惑のうちに、なお師と共有した土性を信じ、次へと歩み続けようとの強い思いが季語〈春〉に込められている。師の真面目を掌のぶ厚さという「生きもの感覚」で捉えた2句目。葬儀前日に駆け付けた彼が切々と和語の経文を朗唱し、空気が一気に澄みわたった感に胸打たれたことを想起させる3句目。
 そして何よりも4句目。供花で満たされた柩に収まる師の顔にうっすらとのびた髭を見出すまなざし。死後もしばらく亡骸の髭が伸びることは周知の事実だが、「死とは他界に赴き、そこで生きること」と喝破した師。柩に収まってもなお燃え続ける命の灯を客観写生さながらの研ぎ澄まされた眼で見取っている。師の真面目を捉えた頂相(禅僧の肖像画)として確かな存在感を示す一句と思う。
 俳句表現の中で自己を透明化していくという常道とは逆に、自己を確とした実存として強烈に押し出す。それが中内俳句の真骨頂とも言うべきポイントだが、最短定型詩という枠の中でこれを貫くことは容易でない。実際、個別の句では強烈な自己を扱い切れてないかも、と感じさせる場面もなきにしもあらず。
 ただ兜太を詠む際に限っては、自己の前に屹立しつつ、そっと包み込んでもくれる存在と向き合うことで、ふたりごころ(情)が全面に現れる。その結果、兜太他界を巡る連作は本集中の白眉といってよい光彩を帯びることになった。
 それを味わうだけでも、並みの句集一冊を優に上回る豊饒を実感できると感じるが、新型コロナウイルスによるパンデミックと向き合った令和2年の章
  人は去りとっぷり蛙暮れにけり
  清潔なマスクや誰ぞ舌打ちす

さらにはウクライナへのロシアによる侵攻という事態が勃発した令和4年の
  銃弾に向日葵欠けて白き闇
  蝶一頭国境越えて撃ち抜かれ

に見られる現実との切り結び方もまた心に刺さる。そこには兜太から受け継いだ血脈、その熱さを実感させるものがある。
 さらに句集としての読み応えをいえば
  芒野や風見えて風の肚見えて
  高音の降る雪低音の積もる雪
  蟹茹でる湯気は雲海地を這うまで
  蟹割ってみて雪明かりと思う
  股開き海苔搔く女光散る

などで見える作者の産土に由来するものに深く心を揺り動かされる。また僧侶である立場が透けて見える
  蜩の垂直に生れ平泉寺
  念仏や外陣に木魚打ち寄せる
  払暁の白息混むや禅の寺
  沢庵のくたくた煮えて山眠る

などの作からは、信仰を誇ったり、同調を求めたり、という景色は見えず、それでいて、信仰者ならではの内面の「冴え」を受け取る。そもそも、この作者を作者たらしめる持ち物として
  リモコンの蛍を全部押してみる
のようなシュールな言葉の切れ味を実感してきた。その魅力はもちろん本集でもいたるところで見出せるが、素朴かつ真実な感性を感じさせる
  言葉になる前の手のひら青嵐
  番人一人番犬二頭雲の峰
  半眼の蛇真っ黒な身を絞り
  これがあの「蚕飼の線路」山おぼろ
  耳から先に目覚めて夏至の薄明かり

などの作こそ、現代的知の鋭敏と土俗の揺るぎなさを併せ持つ兜太的世界に肉迫しているのではないか。
 そう言った点を、仏ならぬ「兜太の掌の上で転げまわっている」などと評すると「孫悟空ではあるまいし」と憮然とする向きがあるかもしれない。ただ
  師を思うひとつに厚きてのひら忌
と詠む中内に限ってそのようなことは決してないと信じる。かく云う筆者も、かなうことなら、ずっと兜太の分厚い掌の上で転がされ続けたい―そんなことを思う口である。
(敬称略)

第5回 海原金子兜太賞

『海原』No.53(2023/11/1発行)誌面より

第5回 海原金子兜太賞

【本賞】
佐々木宏「渋い柿」

【奨励賞】
小西瞬夏「十指」
河西志帆「もずく天ぷら」

 第5回「海原金子兜太賞」は、応募作品44編の中から、上記三作品の授賞が決まった。
 応募作品数は、本年も前年より少なかったが、どの作品も大変充実したものであった。ウクライナ侵略、新型コロナウイルスも新しい段階に入り、テーマも多様化の方向を見せている。本年は選考方法にも工夫を凝らしてみた。結果を左右するほどではなかったかも知れないのだが、詳細は、選考座談会をご覧いただきたい。
※選考座談会および選考委員の感想は『海原』本誌でご覧ください。

【本賞】
佐々木宏「渋い柿」

早春の馬を見ている唾ためて
栗の花咲いてリハビリという試練
憲法記念日歩幅だんだん狭くなる
サクランボ白髪がとる父がとる
蛇が好きシュークリームの皮が好き
桃すもも姉妹は酸っぱく痒いもの
煙だかポピーの花だか乱視だか
汗ぽとりすね毛のねじれも字も遺伝
夏至近し車を売って墓買って
大西日父の掛け軸問いつめる
八月の駅出る僕ら魚雷のよう
喜ぶと姉は巻き舌カノコユリ
蟻の列とぎれて停電また停電
麦茶うまくて丸くて先生のメガネ
ぽんと終わるねずみ花火も貧血も
蛾が窓にびっしり僕の弾薬庫
軽く踏むアクセル秋刀魚小さくて
皮下注射落葉の下はまた落葉
公僕でしたかなり渋い柿でした
威嚇するやさしい先生ぼくの蟷螂
野分あと髪はびしっとリーゼント
ぎこちなく妻とツイスト文化の日
看取りとはまた逢う約束アキアカネ
歯の治療イタチ一匹はいまわる
ぬっと父ひょいと梟ハイネック
愛読書手にとるように兎飼う
病衣から乳房が少し外は雪
歯がきれい歯茎もきれい樹氷林
田のような輪ゴムの中の冬景色
すぽっと雪野なんの後悔この深さ

【奨励賞】
小西瞬夏「十指」

蛍籠開けて一日母を待つ
夏蝶の影石段に置いてある
うつうつと漆黒を喰う兜虫
アスファルト上に蛞蝓の目がふたつ
日曜の水の濁りを金魚玉
駅西口に黒服ばかり野分晴
しやつくりの始まる夜の扇風機
鹿の子の黒目勝ちなるふしあはせ
湯が沸いて月の光の芯となり
茶立蟲とんで黙祷の終はり
日輪草絶へることなき国境
銀漢の端をときどき訪ねけり
人ごゑのとぎれてゐたる月夜茸
煙茸無口な人とゐたりけり
夕月夜銀の耳環の人臭き
ひと吸はれゆく月光の改札口
制服のリボンの固し榠櫨の実
体育の日の靴下を引つぱつて
秋昼の重たさ空の楽器函
ドレミファのファをあやまちて秋の風
あるだけの安全剃刀秋渇き
とつぷりと夜の柚子なり触れにけり
無花果の肉片赤くありにけり
烏瓜曳いては烏瓜を欲る
てのひらや秋の蛍を飼ふやうな
藤豆の蔓の絡まる父の国
鬱の日の鶏頭の赤衰へず
吾の知らぬ吾の背中や夜の秋
裸婦像の太き輪郭秋深む
手袋に入ればまぎれなき十指

【奨励賞】
河西志帆「もずく天ぷら」

海貸します車貸せますさるすべり
不器用なふりでしょ蛍袋って
かでなふてんまもずく天ぷらは此処
サイダーの泡の向こうが燃えていた
形代の手足切り過ぎではないか
四万六千日その半分でも足りる
独楽止まる一身上の何かある
あどけない夜は巣箱に置いてきた
金魚玉その谷はもう滑らない
自選他選野沢菜が噛み切れぬ
夕端居だまっていたら眠くなる
おざなりの朝を束ねて野分まで
三枚肉の茶色いところが琉球
陸封のはんざきの見る夢に海
補助席に紛れ込んでいた舟虫
もう一度生まれなおせたら海に
どのドアを開けても夏野しか見えぬ
踏絵踏めたら花いちもんめあげる
苦瓜や何でも錆びさせる夜更け
六月の指輪を外すならば今
金魚までてらてら所帯くさくなり
やり直し利かない離陸てんとむし
眠るたび日焼する足つねってみた
白玉に天下国家をどうこうと
蛇の衣この世の水を脱ぐところ
箱庭から東シナ海は近い
何処をうろつくかわほりの真っ昼間
蠅叩きもっとも原始的道具
逃水と此処で働くと決めた
あら汁の水平線に魚の眼

◆全応募作品から選考委員が選んだ推薦10句

応募44作品から、選考委員が推薦する10句を選出した。各選考委員が候補に挙げた五作品を除いて選出している。

安西篤
フイルムに残る擦り傷文化の日 4「グータッチ」
水草生う黙契毀れやすきかな 5「昨日のランプ」
星流れカムイの森の有情とも 6「狸」
先生今もブランチに啄木鳥来ていますか 7「すすきみみずく」
生きるとは躓くことよ冬の鵙 9「分身」
搔巻の不思議なかたち母逝けり 21「この世の外」
憲法日改憲非戦のためという 31「麦藁帽」
合歓の花余白の多い人と会う 34「結晶前」
外郎売りのビロードの肌春の馬 42「かぎりあること」
朝寝する地球の軸の傾きに 44「兄がいた」

武田伸一
べつべつの空蝉に入る父と母 5「昨日のランプ」
終戦日父の素描に波の音 10「淡淡と」
「パセリが好き!」で天国に行くつもり 14「パセリが好き」
曼珠沙華まっすぐ生きて淋しがる 19「ぼくの数珠」
雲流れアメンボガガンボよく見える 27「まなざし」
沢蟹の死ぬや死の文字美しく 31「麦藁帽」
舌でまさぐる小骨失う夏の宵 32「蝉鳴かぬ朝に」
飄々と生きるふりして無月かな 38「虫時雨」
水没林かすかに青葉木菟の声 39「地球が加速する」
喪の家に剥き出しの生ありて朱夏 44「兄がいた」

田中亜美
もつれては森のふくらむ姫蛍 1「三ヶ日」
アッジェのパリ信濃の一茶風光る 4「グータッチ」
三月が始まるごんごんと地中 6「狸」
長身の父の軍刀花馬酔木 11「八月」
銀行員砂金掬うよう落葉拾う 12「二股大根」
蝉しぐれ花屋で貰う延命剤 15「生きている」
公僕でしたかなり渋い柿でした 16「渋い柿」
貝寄風やサリーの人とすれ違う 30「神々に」
水没林かすかに青葉木菟の声 39「地球が加速する」
雨傘を干す病葉をつけたまま 44「兄がいた」

堀之内長一
赤松のひぐらしひぐらし追伸です 1「三ヶ日」
べつべつの空蝉に入る父と母 5「昨日のランプ」
谷深し鮭睦みいるずっと無口 6「狸」
蟷螂が星を見つける旅に出る 8「動物行為」
終戦日父の素描に波の音 10「淡々と」
「頑張る」はもう聞きたくねえオキザリス 12「二股大根」
水撒きや虹の裸体はすぐ死んだ 13「友よ、まほろばへ」
熱帯夜ことばの棘を抜く途中 21「この世の外」
日除あげれば望郷は船の形 30「神々に」
イザナギイザナミこんなに青味泥 39「地球が加速する」

宮崎斗士
いなびかり足裏いつから絶壁に 5「昨日のランプ」
はんざきは枕なのです引きこもり 9「分身」
デコポンのかたち乳房に似て自愛 10「淡淡と」
無時間を自由な泳ぎ病葉よ 13「友よ、まほろばへ」
骨箱に母隠れんぼ夕かなかな 15「生きている」
独楽止まる一身上の何かある 24「もずく天ぷら」
パン屋で飲むコーヒー春の絵のように 30「神々に」
「ごめんね」がさよなら私の向日葵 31「麦藁帽」
できるだけ遠くに投げる午睡かな 34「結晶前」
猛暑くる鈍器のような目のひかり 43「平和の風」

柳生正名
たれかれも水持ちあるく蟻地獄 7「すすきみみずく」
犬ふぐりからぽろりと生まるおはよう 12「二股大根」
弥山の狼頭なでなで褒む 19「ぼくの数珠」
補聴器を外し無音の原爆忌 20「マスクと難聴」
酷暑の道へ糞と影置く大鴉 26「のうぜんかずら」
雪濁り老いてまことのままごとよ 28「いまを生きる」
何も持たぬ放物線を虹と言うか 29「或るふるさと考」
できるだけ遠くに投げる午睡かな 34「結晶前」
縦に首振り桑の葉の穴広ごりぬ 40「チタンコート」
淵のぞく十薬の白足元に 44「兄がいた」

山中葛子
スマホから声のぬくもり三ケ日 1「三ケ日」
ステップ滑らか肉体晩秋の太陽 6「狸」
仔馬の名はマロンぼくの歯が抜けた 7「すすきみみずく」
凌霄花絵空事かよ平和とは 26「のうぜんかずら」
ママが先に喋っちゃうから兎の目 27「まなざし」
世界はイラっとセイタカアワダチソウ 28「いまを生きる」
空蝉を「母さん母さん」蝉時雨 33「おはじきの陣地取り」
受胎告知浜辺の声はすぐに消え 34「結晶前」
はずんで「青麦!」秩父線もどかし 35「秩父始終」
夏銀河この世にいくつ沈没船 39「地球が加速する」

◆候補になった16作品の冒頭五句〈受賞作を除く〉

4 グータッチ(カメラな目で) 藤好良
汗だくだく暗室ランプの闇に
片陰に疎髯を撫でる七波コロナスパイク
三十六枚撮りを十一二本夏帽子
シャガールの日傘の女日傘追ふ
ゴキブリを不条理に刺すエゴイスト

5 昨日のランプ 茂里美絵
地平とう淋しき画布や蝶一頭
夢寐に匪徒ひしめき合って旱星
蟬の殻いつくしむ子まぶた閉ず
灼け土に白きリボンの影果てる
擦過する黒蝶なりし征くごとし

9 分身 三好つや子
春の池設計通りに生える脚
永き日の舌が一枚いや二枚
SDGS青虫かじるレタスとか
太古からマイノリティーの雨虎
蠖取や正しいおじぎ四十五度

11 八月 上野昭子
山桜陶一族の自刃寺
永劫のやがて里山桜咲く
故郷はふところ深き桃の花
長身の父の軍刀花馬酔木
戦より還らぬ父の苜蓿

12 二股大根 楠井収
子猫に餌あげて自負は控えめに
エイッと松を剪定恋するごとく
うまごやし御出来と愛はすぐ引くぞ
忘却も回向なりけり桐の花
「頑張る」はもう聞きたくねえオキザリス

14 パセリが好き 岡田奈々
「パセリが好き!」で天国に行くつもり
戻り梅雨豆から珈琲立ててみる
泰山木の花に拳立てチアガール
久方の友はハーブ茶絹紅梅
節電の焦る遠吠え旱星

15 生きている 三浦静佳
燕の巣監視カメラをいしずえに
人体という一括り桜餅
鳥帰るこんな日暮の偏頭痛
五線紙に雨音を置く梅雨籠り
水打って再配達の電話して

26 のうぜんかずら 鱸 久子
小さな屋根と洗濯物と凌霄花
凌霄花一針抜きの刺繍です
凌霄花の花輪を掛けて着物の子
掃き寄せられのうぜんかずらの身じろぎ
華やぐは命のかぎり凌霄花

27 まなざし 松本千花
約束どおり拒む延命桜の夜
手際よく裏口開いて亀鳴いて
とじちがえ見つけるように春落葉
みぞおちに母と朧と棲みついた
からだかしぐからだぐらぐら蝶の道

28 いまを生きる 伊藤道郎
水打って地球の水をかなしめる
青林檎地球空から朽ちてゆく
鯨座礁せり海には海無けれ
未来図の素描のひとつ破蓮
世界はイラッとセイタカアワダチソウ

29 或るふるさと考 田中信克
かつて見たふるさといつか見た瓦礫
セシウム降る辛夷の白い肉片に
どの海に攫われて散る花いちもんめ
菜の花菜の花まだ揺れ止まぬ空の色
花万朶嘘がひらいてゆくような

30 神々に 大池美木
パン屋で飲むコーヒー春の絵のように
早春の回転木馬遅れ来る
貝寄風やサリーの人とすれ違う
浅草に芝居小屋あり鳥雲に
満開の桜よ奈落という辺り

36 火蛇が!『金閣寺』窯変 山本掌
さくら爛漫あわく焙られあかつきの
花が散る菲菲菲菲菲菲と花が散る
うすやみをあゆめどもあゆめどもさくら
じらじらと少年溝口かげろえる
うらがえる少年暗緑日本海

41 花とライオン ナカムラ薫
夏霧喰む生きもの眉間ゆるみいて
あふりかや片蔭にどれも笑えりき
ものすごいノッポいて真ん中に蝿
大旱の軋みか蝶ねじれつつ浮けり
森ゆるくほぐして慈雨の息づかい

42 かぎりあること 北上正枝
野蒜長け神代も今も深空あり
風車全身風となっており
外郎売りのビロードの肌春の馬
のっけから動かぬ電車涅槃西風
木瓜の花てのひらに睡さつたわる

44 兄がいた 藤田敦子
兄がいた犬がいた春だった
オルガンを閉じれば遠く亀の鳴く
内裏雛私のものではない顔で
今日もまた俺を演じて卒業式
錯乱のさくら散る散る追うさくら

◆応募作品の冒頭三句〈受賞作・候補作を除く〉

1 三ヶ日 永田タヱ子
スマホから声のぬくもり三ヶ日
うららかやときどき遠くを見るコアラ
望郷や風の形のつばくらめ

2 白黒の向日葵 藤川宏樹
昭和の日始動してはる翔タイム
え王冠2キロ大玉春キャベツ
友達ならいるけど術後ちらし寿司

6 狸 十河宣洋
三月が始まるごんごんと地中
青葉風木々の鼓動が鳴り止まぬ
鳶からす声まるくなる風光る

7 すすきみみずく 黒岡洋子
山羊の乳ほどに芳し春野川
仔馬の名はマロンぼくの歯が抜けた
きゅいーん田螺一鳴き仄暗きを吐く

8 動物行為 葛城広光
花鳥は虹を回す力持ち
眼張には青い血流れピックベン
烏貝カラオケ喫茶で泣いている

10 淡淡と 船越みよ
近況を束ねています黄水仙
雪形のうさぎ杵の音聞こえそう
白湯ふっと赤子の匂い春の宵

13 友よ、まほろばへ 大髙宏允
前の冬の虫の知らせが漂流す
窓という窓の囀り暗号か
妄想の窓すり抜けて朝の霧

17 軍用機変容 佐竹佐介
紫電流幹から枝へ桐の花
山峡に鍾馗幟のめでたさよ
橘花実を結べば帰るとの手紙

18 身体髪膚 木村寛伸
春浅し母に探せぬ生きぼくろ
愛惜の海馬の溝に春の闇
甘やかす乙女の肌よ山笑う

19 ぼくの数珠じゅちゅ 西美惠子
図書館を居間に致して寒明くる
山笑ふさっと入りくる朝戸風
森厳や被爆桜の初桜

20 マスクと難聴 川崎益太郎
難聴の天敵マスクの行く末
浴槽の水漏れ止まぬ梅雨出水
飛ぶものは皆ドローンかてんとむし

21 この世の外 小林育子
産声は「ラ」からはじまる青葉若葉
虐待の暗数ざわり夜の樹よ
万緑にまみれし後の不眠症

22 夏の夜の夢 武藤幹
生き急ぐ老人ありて土用波
世の中が迷子になって大夕焼
夏の君うすむらさきの化粧水

23 浮御堂 稲葉千尋
亀鳴くや己の完治目指すごと
甘茶仏薬缶を提げし日は遠く
料峭や時々骨の疼きたり

25 青ぶだう 有馬育代
掃除機は戸惑つてゐる花の陰
ごみの日の春怨といふ可燃物
風光りかろき翼やセロトニン

31 麦藁帽 後藤雅文
月蝕をポニョーンと乗せてポテサラダ
蓑虫になっちゃえ匍匐の兵士達
蓑虫の妻よそろそろ起きなさい

32 蝉鳴かぬ朝に 桂凜火
綻のあちこち戦の種蒔かれ
家族頽れる白牡丹散るように
はつなつの薄羽根たたむ少女かな

33 おはじきの陣地取り 川崎千鶴子
春の田は草草抱いて子守歌
芽の音と花咲く音に濡れにけり
春の山ふっくら甘い雲を受け

34 結晶前 小松敦
切り口の白くて苦い夏始
できるだけ遠くに投げる午睡かな
熟れゴーヤー剣道場の窓静か

35 秩父始終 石川まゆみ
やっとコロナ抜けた春暁の始発
物の怪の統べる春野を割いて行く
春の朝明袋回しの一句二句

37 ビー玉 清水恵子
叶わない夢の欠片やオリオン座
蝶の翅は師からの手紙そっと見る
楤の芽の天ぷらサクサク二重奏

38 虫時雨 佐藤詠子
濡れている心の端にキリギリス
焦燥を隠してくれぬ虫時雨
素風吹き心は薄く縁取られ

39 地球が加速する 鳥山由貴子
水没林かすかに青葉木菟の声
自意識過剰打ち上げられている海月
白靴のなかの海砂果てしなく

40 チタンコート 石橋いろり
春蚕とふ光の粒よP.シニャックの
春蚕二頭家に着くまでランドセル
昨夜きぞよりのかいこの家は文明堂

43 平和の風 増田暁子
朧月雲を泳がせ競り上がる
ポケットにピンクの口紅鳥の恋
春が逝くページめくると川奔流

マブソン青眼句集『妖精女王マブの洞窟』〈「妖精女王マブ」がもたらす可能性 中村晋〉

『海原』No.53(2023/11/1発行)誌面より

マブソン青眼句集『妖精女王マブの洞窟』

「妖精女王マブ」がもたらす可能性 中村晋

 マブソン青眼さんの句集『妖精女王マブの洞窟』が届いた。前作『遥かなるマルキーズ諸島』から間を置かずに上梓されたこの最新句集。しかもこの題名。読む前からすでにただならぬオーラ。
 まずはあとがきから拝読する。それによれば、「マブ」とは、アニミズム的世界観が中世ヨーロッパに残っていた頃の妖精女王のことを指し、その妖精は心ある人間に夢を見させ、夢の中で「洞窟」まで連れていき、そこで苦難多き人間界を眺めたあと、目覚めると清らかな眼でこの世を再発見させてくれる不思議な存在なのだとのこと。ふむふむ。では早速作品を拝見することにしよう。

  メタセコイアの最上の葉の美しい死
  季語ならぬ咳咳咳よ木々へおくる
  日向ぼこ死後は痛まぬかもしれぬ

 第一章の冒頭数ページ、「死」や「病」を感じさせる不穏な雰囲気を持つ句が並ぶ。これはおそらく、マルキーズで罹患した新型コロナウイルス体験と帰国後も続いた後遺症を素材にしたものだと察せられる。句が重くならない工夫が見られるもののどこか暗い影が漂う。

  遠山の雪見る 死後を見るように
  極楽たぶん白鷺あまた居て寒し
  白鷺が夕日の影を踏む絶望

 先に、「暗い影」と書いたが、この三句はどれも白い世界で色がない。前作の『マルキーズ諸島』では色彩豊かな世界が描かれていたのとは対照的に、今作第一章では、色のない世界が展開する。そして章末の一句。

 靴穴が愛おしい さすらいが終わる日

 これは、金子先生最後の九句の中の一句「河より掛け声さすらいの終るその日」と呼応するものだろう。この呼応は作者が死の世界をさまよっていることを示唆するのではないだろうか。つまりこの第一章は、作者が「妖精女王マブ」に「洞窟」に誘われるという物語が始まる第一幕ということなのだ。
 そう考えると、第二章は「洞窟」=「死の世界」から見える我々の世界が描かれることになると推察できる。

  日本国二重国籍を認めず春

 外国籍を持ちながら日本に住むからこそ見えるこの国の不条理。フランスでは認められている二重国籍が日本では認められない憤り。個人を尊重する感覚の鈍いこの国の後進性を厳しく問う一句だ。

  薔薇提げて独裁国家通りけり
  夏落葉死刑あるはみな殺人

 俳人としてだけでなく、一個人として問われる句である。「独裁」がまかり通る国。また欧州には存在しない「死刑」が当然のごとく存在する日本。マブソンさんならではの鋭い問いである。

  切株や戦死者靴を天へ向け
  ミサ曲のような沈黙 空爆後

 ロシアによるウクライナ侵攻に題材を得た作品群。作者の実体験による句とは思えないにもかかわらず、実にリアルな映像が浮かび、生々しい感情をかき立てられる。マブソンさんは、長野上田無言館近くの「俳句弾圧不忘の碑」建立に尽力した。この句はその抵抗精神を直に受け継いだもののように感じられる。かつての新興俳句を現代に蘇らせた結晶と言っても過言ではないだろう。そして第二章末の一句。

  おお四季よおお城よおおけがれの世

 ランボオ「地獄の季節」の俳訳である。この世界はここまで地獄なのか。
 さて、いよいよ最終章。「けがれの世」を見たあと、我々は清らかな眼を獲得できるのだろうか。

  子を見つめ子に見つめられ大西日
  花火見るたびウンチする赤子かな

 拍子抜けするほど明るい句の連続。こちらまで気持ちが晴れ晴れしてくる。生き生きとしたいのち、アニミズムの世界が溢れ、この世にはまだまだ生きる価値があるのだと思わせられる。

  雲しき惑星に住む蝶とわたし
  大河を挟んで郭公と郭公の会話かな
  千曲から浅間へ鷹の一分かな

 小林一茶に傾倒し金子兜太に師事し、いのちの本質を追い求めてきたマブソンさん。「マブ」とは一茶と兜太の生まれ変わりなのかもしれない。それにしてもこの清々しいアニミズムと句境の展開。
 ところで、句集末に並ぶ「五七三」句をどう評価すべきか。この変則リズムを私自身否定するつもりはない。ただこの 韻律だけに頼るのだとすればやや単調さを感じないわけでもない。評価は今後の課題にしたいと思う。
 韻律の問題提起も含めてこの句集が掲げる大いなるアニミズム的世界観と新たないのちの蘇り感覚。それは現在の「けがれの世」を突き破る可能性を示すものだろう。そしてさらに世界文学としての俳句の可能性を広げるものでもある。第二章末、俳訳されたランボオの一節。ここにその象徴を見ることは決して無理なことではないと私には思えるのである。

追悼 永田タヱ子 遺句抄

『海原』No.53(2023/11/1発行)誌面より

追悼 永田タヱ子 遺句抄

剥がれゆく春よもういちど
村祭真中の道通りけり
いわし雲ふるさとの昼焦げている
夕べしゃべりすぎ掌の流れ星
今は枯れ心の湖の静けさや
腸の落ちる夢見る原爆忌
若葉風急ぐことなき塩の道
雪積るみごもる夢をみていたり
栗の花村をじんじん豐かにす
黄落や風の尾さがすふるさとです
言葉乏しきこの世やぞろぞろ蛍狩
さくらがりひとりぼっちが三人で
貌よりも古稀をショールに包みけり
死に仕度終えた者から大花野
神になるまでのがやがや根深汁
蟬の木をたたいて兄をよびもどす
風呂敷に春を包んで客が来る
コスモスとゆれてやさしい人となる
花に逢う余生は笑うことだけです
しなやかに夢折り返すつばくらめ

(服部修一・抄出)

いつも忙しかった永田タヱ子さん 服部修一

 あと十日あまりで卒寿を迎えるはずだった永田タヱ子さんが亡くなった。永田タヱ子さんの訃報を聞いて、ずいぶんと生き急ぎ、死に急ぎをしてしまったなあ、と思った。満九十歳を目前にして亡くなった人にこんな言葉は当てはまらないかもしれない。
 俳句仲間によれば、玄関にバッグが二つ置かれたまま家の中で倒れていたところを発見されたそうだ。すでに息は無く、どのくらいの時間がたっていたかも不明だったとのこと。そんな話の断片から私は、タヱ子さんは外からあわただしく帰って来たばかりの時か、これから出かけるという時に倒れたのではないかと思った。
 どちらにしてもいつも人のために忙しく活動してきた永田さんの姿を思い浮かべる。そしてつくづく、急いで生きてきた人だなあ、と思うのである。さらに、誰にも看取られることなく一人で逝ってしまわれたことに胸がつぶれる思いがしている。
 永田さんは人から何か頼まれると断らず、何でも引き受けた。まず公職では地域の民生委員、刑務所篤志指導員、小学校における情操教育支援などがあり、時期により戦争体験者としての語り部活動その他たくさんの仕事をこなしてきたのである。私たちも参加する各種の俳句行事では率先して世話人に手をあげ、誠実にこなしてきた。まさに、暇を惜しんで人のために何かをしてきた人である。
 そこで、いかにもタヱ子さんらしいエピソードを。タヱ子さんは宮崎県内で大型トラックの免許証第一号保持者だったそうだ。それで金子兜太先生から、「宮崎では必ず永田さんの車で移動したい」と言われていたそうだ。金子先生は宮崎に十回以上見えていたので、その都度をタヱ子さんが出迎え・移動を担当したものと思う。その一つ、宮崎市から串間市まで吟行の行程に私もドアマンのように同乗した。車の中では運転のタヱ子さんが世界の金子先生を相手に気軽に話しかけ、金子先生も冗談を交えながら会話が進んでいく、というとても貴重な時間を共有したのである。さらに日南市贄波の道の駅では、ソフトクリームに塗れた兜太先生の顔を拭いている、タヱ子さんの姿とされるがままの兜太先生の安心顔が忘れられない。

第5回 海原賞

『海原』No.52(2023/10/1発行)誌面より

第5回 海原賞

【受賞者】
 中内亮玄

【選考経緯】
 『海原』2022年9月号(41号)~2023年7・8月合併号(50号)に発表された同人作品を対象に、選考委員が1位から5位までの順位をつけ、選出した(旧『海程』の海程賞を引き継ぐかたちで、海程賞受賞者は対象から除外した)。
 得点の配分は、1位・5点、以下4・3・2・1点とした。集計の結果、下表のとおり、中内亮玄への授賞を決定した。

【受賞作品抄】

火の骨組み 中内亮玄
桜まだ咲かぬ点描の母といて
微笑みの凄まじきこと落椿
咲けば屍肋あばらの花万朶
線路光るのどけし春の終止線
彼の国のチェリスト老いる梅雨の爆雷
蕎麦手繰る暖簾に梅雨を聴きながら
古寺の甍の歪み蟬時雨
青僧の撞く梵鐘や水の紋
鬱々と雨降る潟に繁る骨
涼やかに滝その奥の深緑
地に水平に爽籟すべて道となり
大落暉刻一刻と真っ裸
曼珠沙華火の骨組みに緩み無く
飴色に焼けた鍛冶屋の鼻に雪
寒月光世界を白く枯らしけり
群青の宵に榾火の影暗し
冬草の青きに枯葉吹き溜まる
木枯らしや近々開く眼鏡店
白鯨の座礁しており冬銀河
夕焼けのような花束のような約束

【候補作品抄】

耳朶に風 横地かをる
幣辛夷田の神様は大股で
音読の合間あいまよ遠蛙
2オクターブ高きところを朱夏という
先生のかるいユーモア日雷
ががんぼや書き損じたる撥ね払い
耳朶に風シラタマホシクサの心地
石蕗の花少年無口な少年と
ひとりずつ出てゆく家族せりなずな
フルートのかるい息つぎ草青む
自己愛のうっすら点る朧の夜

ひとりのみんな 望月士郎
胸びれに尾ひれのふれて春の宵
朧夜のポストに重なり合う手紙
人ひとひら桜ひとひら小さな駅
白鳥帰る青うつくしくくちうつし
白雨きて二人半分ずつさかな
霧の駅ひとりのみんな降りて霧
開戦日日の丸という赤き穴
冬の葬みんな小さな兎憑き
雨は雪にちいさな骨はピッコロに
絵本閉じれば象は二つに折れ寒夜

銃身 三枝みずほ
ひらがなにはぐれ音読は燕
ハンカチ遊び生きものつぎつぎ孵る
胡瓜揉むよう戦争しない力
夏鳶や足が離れてからの海
白き帆へなりゆく少年の抜糸
どの紙面もさびしい鳥の羽音
声だれにとどくのですか雪虫
末黒野の石の鼓動や口伝とは
春日傘閉じ落丁のよう真昼
銃身に蔓の巻きつく野は春へ

落葉降る 河原珠美
神話かな茅花の囃す鯨の碑
お言葉に甘えてばかり梅雨の猫
蝉時雨あなたはいつも窓を背に
落葉降る宿世はきっとキツネの子
旅立ちが遅れています着膨れて
ぶひゅんと龍千年ぶりの大くさめ
葦原の角組む音す友逝けり
風光る神籤引くのが趣味なんです
ペンキ塗る父はそのまま春光に
黄砂降る他界とはそもどの辺り

【海原賞選考感想】

■安西篤
①中内亮玄 ②横地かをる ③望月士郎 ④竹田昭江 ⑤伊藤巌
 昨年の上順位にある中内、横地の両氏を一、二位に推した。中内を一位としたのは、多年にわたる地域俳壇への貢献度を作家的力量の一つとして総合的にここらで評価しておきたかったからである。〈花吹雪鉄鎖ザラリと垂れにけり〉〈見晴るかす天地の狭間田の青し〉
 二位横地も、持ち前の安定感のある抒情に、森下氏亡き後の中京地域俳壇の牽引力をも加味して評価したもの。〈きさらぎの耳朶にさざなみほどの鬱〉〈手に触れし鱗粉しろき晩夏光〉
 三位望月は、2019年の海原新人賞受賞者だが、ここ一、二年の海原秀句では、抜きんでた詩的映像ぶりを見せている。〈開戦日日の丸という赤き穴〉〈霧の駅ひとりのみんな降りて霧〉
 四位竹田は昨年に続くものだが、詩的抒情の映像化が巧み。〈ざくろの実その感情のつとはぜる〉〈花は葉に数える影のくいちがう〉
 五位伊藤も昨年同様、老々介護の現実と戦争への危機感を粘り強く詠む。〈妻独語吾はひとりごと日向ぼこ〉〈民喜・三吉・あれはあつゆき雲の峰〉
 ほかに、注目作家としては、董振華、大池美木、北上正枝、伊藤幸、河西志帆、黒岡洋子、マブソン青眼、三枝みずほ、河原珠美、桂凜火、石橋いろり、鱸久子、藤田敦子、木下ようこ、三世川浩司、楠
井収、清水茉紀。

■石川青狼
①横地かをる ②望月士郎 ③三枝みずほ ④田中信克 ⑤董振華
 昨年推した横地かをる、望月士郎、三枝みずほは充実していた。個々の個性を存分に作品化し、安定感も加えた。
 一位の横地は〈母を訪う旅の感情すすき原〉〈ひとりずつ出てゆく家族せりなずな〉の自己と家族との情の往還を確かな感性で捉え、やわらかく表出していた。
 二位の望月は〈白鳥帰る青うつくしくくちうつし〉〈霧の駅ひとりのみんな降りて霧〉の感性の豊かな発露は新鮮であり、この一年も注目の作品群であった。
 三位の三枝は〈職安や過呼吸ほどの白い紙〉〈満月の鬣となる反戦歌〉など社会と向き合う自己との葛藤の表出を推す。
 四位の田中は〈我に死ねとや梯梧花咲く陽射しの庭に〉〈絵双六国が盗られてゆく自由〉の作品のゆるぎない思念の表出が一年を通して発信する気概を感じ推す。
 五位の董振華は〈泥醉や渾身どこも散紅葉〉〈郷愁を沈めて春の暮やわら〉の沈潜する思いを抒情的に表現されていた。
 マブソン青眼の〈アイヌ語し雪解雫もラ行〉にも注目。さらに、藤田敦子、小松敦、清水茉紀、桂凜火、三世川浩司、三浦静佳、伊藤幸、北條貢司、伊藤歩、前田恵、たけなか華那等にも注目した。

■武田伸一
①中内亮玄 ②加藤昭子 ③横地かをる ④望月士郎 ⑤三枝みずほ
  葉桜に残照渇くばかりかな 中内亮玄
  みどり児に知恵付き始む更衣 加藤昭子
  竜の玉は感情のうしろ側 横地かをる
  冬の葬みんな小さな兎憑き 望月士郎
  どの紙面もさびしい鳥の羽音 三枝みずほ
 中内は「海原」に止まらず、広く活躍の場を広げており、いずれ「海原」を代表する作家に成長すること疑いないと思う。それだけの資質を備えているところに期待する。
 加藤昭子は三年連続しての二位。秋田にどっしり根を張っての風土詠は他の追随を許さない。地味ながら、いや地味だからこその作品に寄せる期待は大きい。
 横地は昨年から順位を二つ上げた。心情のしなやかな表現に加え、抜群の安定感が魅力である。
 四位と五位には、次への飛躍を期待して望月士郎と三枝みずほを挙げた。望月は抜群の作品構成力、三枝は新鮮な作風が、先輩諸氏を押しのけての候補に十分。
 河西志帆、楠井収、竹田昭江、大池美木、三浦静佳、船越みよ、伊藤幸、三好つや子、桂凜火などを選外とせざるを得なかったことが悔しい。

■舘岡誠二
①中内亮玄 ②船越みよ ③宇川啓子 ④横地かをる ⑤河西志保
 海原には意欲を持ち、性根の据わった作者が多く素晴らしい集団といえる。切磋琢磨し更に作品の持続をし合いたい。
 中内亮玄〈十薬や小さな鈴が鳴りやまぬ〉〈白鯨の座礁しており冬銀河〉福井に居住。一位に推したのは、海原俳人としての志気を学べる人だからだ。自然を良く見て心の内を広げ、風土の印象の表現が力強い。
 船越みよ〈半月は子規の横顔粥すする〉〈お花畑母が屈めば父も屈む〉師武藤鉦二亡き後「しらかみ句会」を守っている。庶民の心情をにじませ、常に鍛錬を心がけている人。
 宇川啓子〈兜太師の懐深き雪晴の吾妻山あづま〉〈被曝地解除揺れつ戻りつ秋の蝶〉兜太師の薫陶を受けた作者。師を心の励みに福島で熱心に作句。
 横地かをる〈平和とは一途なるもの行行子〉〈ひとりずつ出てゆく家族せりなずな〉世の中の現状と家族への思いを把握。更に活躍を。
 河西志保〈慰霊の日迷彩服を脱ぎたまえ〉〈諍いのなかに転がる毛糸玉〉生きるうえの現状において、独自さと迫力そして優しさがある。

■田中亜美
①中内亮玄 ②董振華 ③藤田敦子 ④小松敦 ⑤田中信克
 中内亮玄を推す。〈滝に紫陽花秩父の侍が二人〉〈飴色に焼けた鍛冶屋の鼻に雪〉〈花吹雪鉄鎖ザラリと垂れにけり〉。年間を通して作品の水準に揺らぎがない。詠みたい内容や感情を抑制気味にして、定型感覚を尊重したところに新しい境地が生まれているのではないか。
れんえん
 董振華の〈波光瀲灔足摺岬夕焼ける〉〈春のたりひねもす思う詩と遠方〉。雄渾な漢語のリズムと和語のゆるやかさの対比が興味深い。
 藤田敦子は優れた定型感覚に加えて人間探求の姿勢がより強く滲み出ているように思われた。〈遺影みな正面を向く初明り〉〈ほうれん草包む戦禍の紙面かな〉。
 小松敦の〈遠雷やショートホープの箱は空〉はさらりとした即物的な詠みぶりながら、郷愁のような詩情を誘う。〈冬珊瑚機械と人をつなぐ管〉も独特。
 田中信克の〈無辜の眼の底に昏れゆく麦の秋〉〈オオアレチノギク泣くこと黙ること〉などの思念的な作品にも注目した。
 今回の推挙は若手・中堅に集中してしまったが、例年推してきた鱸久子や関田誓炎らベテラン作家の存在は頼もしい。〈徘徊は自由心太自由〉(鱸)〈谷間には目玉の冷えし狸居り〉(関田)。アニミズム的な世界観がある。三枝みずほや高木水志ら若手にも期待したい。

■野﨑憲子
①マブソン青眼 ②河原珠美 ③三枝みずほ ④中内亮玄 ⑤董振華
 一位には、マブソン青眼。すでに著名な俳人の彼に今更の感ありだが、〈停電の暖房無しのキーウにバッハ〉〈草一本一本が人類滅亡を待つ〉人類の愚行を見つめ平和を希求する圧倒的表現力。推さない訳にはいかない。
 二位は、河原珠美。〈今朝の夏ポテトサラダが弱気です〉〈猫抱いてちちんぷいぷい冬ざるる〉言葉の珠美マジックに磨きがかかり眩しいばかり。
 三位には、三枝みずほ。〈胡瓜揉むよう戦争しない力〉〈よく噛んで顔の輪郭に追いつく〉繊細さと強靭さを併せ持つ逸材。日常を掬い取る鋭き俳句眼。
 四位は、中内亮玄〈十薬や小さな鈴が鳴りやまぬ〉〈夕焼けのような花束のような約束〉柔らかな俳句作品とエネルギッシュな行動力のバランス感覚。
 五位には、董振華。〈ちちははのゆたかな寝息大氷柱〉〈たっぷりとサヨナラを告ぐ飛花落花〉日中の架け橋ならんと俳句愛漲る作品群。
 ほかに、竹本仰、桂凜火、新野祐子、伊藤幸、小松敦、奥山和子、藤田敦子、高木水志、岡田奈々(中野佑海改め)、豊原清明等、どの作者も選びたかった。

■藤野武
①望月士郎 ②三枝みずほ ③竹田昭江 ④佐々木宏 ⑤木下ようこ
 一位に推した望月士郎の、映像鮮明な叙情句。〈なつやすみ白紙に水平線一本〉〈生きものたちに霧の中心の音叉〉〈書くこと消すこと朧夜の自鳴琴オルゴール〉。
 二位の三枝みずほは、情感豊かに日常を掬い取る。〈闇の芯に触れそうなとき螢飛ぶ〉〈白き帆へなりゆく少年の抜糸〉〈青葉時雨星の辿りつく駅か〉。
 三位の竹田昭江の思いと言葉の深まり。〈水さげて妣訪う小昼夏つばめ〉〈白さるすべり揺れているのは夜のきわ〉〈ざくろの実その感情のつとはぜる〉。
 四位は佐々木宏。濃厚な大地の匂い。鋭く新鮮な喩。〈少年の抱負小麦の穂のにおい〉〈枯野ぞうぞう夜汽車は切手はがしつつ〉〈夕やみだか雪虫だかどっと来る〉。
 五位の木下ようこの個性。瑞々しい日常の切り口。〈かなぶんが当たる明るい性格です〉〈晩夏父は白きタオルを持ちて立つ〉〈爪染めてスーッと雪の後ろを闇〉。
 ほかに、今年度は、マブソン青眼、河原珠美、丹生千賀、中内亮玄、奥山和子、加藤昭子、狩野康子、川崎千鶴子、河西志帆、堀真知子、三好つや子、大池美木、増田暁子等々に注目した。

■堀之内長一
①中内亮玄 ②横地かをる ③望月士郎 ④河原珠美 ⑤董振華
 毎年推してきた中内亮玄を一位に。今年は本来の叙情の世界に一段と深みを増して戻ってきた。中でも〈飴色に焼けた鍛冶屋の鼻に雪〉の風土へのまなざしに驚く。土俗などはもはや遠い物語にしか過ぎないが、詠み続けてほしい。〈大落暉刻一刻と真っ裸〉〈白鯨の座礁しており冬銀河〉の自然との高揚感、〈夕焼けのような花束のような約束〉の瑞々しさ。海原賞は単年度の成果で云々するものではないのだが、その着実な歩みを見ていると、これからの展開に期待大である。
 横地かをるは、相変わらず自分の土地を耕し続けている。それも軽やかに鍬を振って。〈先生のかるいユーモア日雷〉〈フルートのかるい息つぎ草青む〉など、あまりにさりげなくて見逃してしまいそうだが、これらの表現の背後にある日常の豊かさと、俳句への信頼を実感する。
 望月士郎の表現は危うい。そして、その危うさが魅力的だ。短詩型表現に独自の世界を開くという意味では、ダントツの作家である。〈霧の駅ひとりのみんな降りて霧〉〈雨は雪にちいさな骨はピッコロに〉。まるでだまし絵のような作品だが、快くだまされていたい気分になるから不思議。言葉、イメージ、感覚の軋み合う世界を切り開いてほしい。
 河原珠美の日常から生まれる俳句は、いつも楽しげで淋しげである。〈蝉時雨あなたはいつも窓を背に〉〈ペンキ塗る父はそのまま春光に〉。こんなまなざしの先に河原珠美は自分を感じている。書き続ける力、そこに単純に魅かれる。
 董振華の力強い成長に目を瞠る。〈無花果買って象形文字を買うごとし〉は漢字の国生まれの本領を発揮したような句だが、無花果との取り合わせがとても新鮮である。〈春のたりひねもす思う詩と遠方〉の独自の思惟の世界もいい。大きな可能性を持つ作家の一人である。

■前川弘明
①中内亮玄 ②望月士郎 ③横地かをる ④三枝みずほ ⑤加藤昭子
 中内亮玄は一段と安定した詠みぶりであり、心身の充実ぶりが感じられた。
  鋭角の西日厳かなり残花
  青僧の撞く梵鐘や水の紋
  菜桜に残照渇くばかりかな
 望月士郎の幻覚が交差するような感覚は健在であった。
  朧夜のポストに重なり合う手紙
  開戦日日の丸という赤き穴
 横地かをるの只事のようでありながら心に残る魅力。
  水底に戦が映る水の秋
  ひとりずつ出てゆく家族せりなずな
 三枝みずほは生活してゆく者の誠実な息づかいがあった。
  職安や過呼吸ほどの白い紙
  落雷の電車魚群の目が過ぎる
 加藤昭子にはいつも物事に対峙していくまなざしを感じる。
  一番星入れて代田の落ち着きぬ
  徒ならぬ世の隅に脱ぎ蛇の衣
 ほかに、船越みよ、藤田敦子、河原珠美、木下ようこ、小池弘子、清水茉紀など。

■松本勇二
①松本千花 ②河原珠美 ③藤田敦子 ④三枝みずほ ⑤船越みよ
 松本千花から目が離せなかった。生活者として眼前の現実をしっかり受け止め、そこに自分の感性を注入し、見事にがらりと変貌させる書き方は、毎回わくわくさせていただいた。〈礼状が恋文のよう遠花火〉〈烏とは目をそらす仲晩夏光〉〈ウルトラマンの家族多すぎ曼珠沙華〉〈湯冷めする前に仕上げる脅迫状〉。
 河原珠美も充実していた。一句書いてすぐに没してしまう句が多い中、河原句はなかなか息を引き取らない。〈緑かな日傘を廻すおまじない〉〈旅立ちが遅れています着膨れて〉〈ぶひゅんと龍千年ぶりの大くさめ〉。
 藤田敦子も面白かった。世の中への憤りから離れ、自分の世界観を信じて一句を成していた。〈十三夜車窓に知らぬ私いて〉〈梵鐘の冷えに真実らしきもの〉。
 言葉より感覚を優先して書く三枝みずほだが、飛躍し過ぎて独走することが少なくなってきた。こじんまりせず独走せずの塩梅を追求していただきたい。〈卵食う墓洗う日の朝なれば〉〈焚火して手になじみゆく生命線〉。
 船越みよの幅の広さにも注目した。境涯から諧謔まで、何でも「どんとこい」であった。〈煙茸蹴って健忘はぐらかす〉〈悔いのない別れなどなし秋桜〉。
 小池弘子、狩野康子、加藤昭子、竹田昭江の発する俳句たちは、じわりと沁み込んできてくせになった。

■山中葛子
①横地かをる ②中内亮玄 ③望月士郎 ④すずき穂波 ⑤三枝みずほ
 今回は五名をはじめ、一線上に押し寄せる自己挑戦への期待が抜群に感じられました。
 一位の横地かをる〈幣辛夷田の神様は大股で〉〈耳朶に風のシラタマホシクサの心地〉〈ひとりずつ出てゆく家族せりなずな〉の、詩情のゆるぎない存在感は、継続誌の時空をきわめられた抜群の安定感と言えましょう。
 二位の中内亮玄〈飴色に焼けた鍛冶屋の鼻に雪〉〈花吹雪鉄鎖ザラリと垂れにけり〉の、新境地を思うドラマチックな感覚のひらめき。
 三位の望月士郎〈血の色の実の生っている寒さかな〉〈開戦日日の丸という赤き穴〉の、言語にとっての美を想望させる斬新な展開。
 四位のすずき穂波〈馬糞海胆食べて黄昏れやうかしら〉〈夏目漱石入ってゐますメロン〉の、ウイットに富んだ俳諧味の健在ぶり。
 五位の三枝みずほ〈胡瓜揉むよう戦争しない力〉〈職安や過呼吸ほどの白い紙〉の、痛いほどの瑞々しい詩力。
 ほかに、注目作家が多数の期待。

■若森京子
①中内亮玄 ②横地かをる ③三枝みずほ ④望月士郎 ⑤三世川浩司
 一位の中内は地域活動と共に、この一年自虐的ともいえる内面へ切り込み、その語彙の熱量に魅了された。〈夕焼けのような花束のような約束〉〈曼珠沙華火の骨組みに緩み無く〉。
 二位の横地は感受に円熟味を増し俳句に対する姿勢にゆるぎない。〈耳朶に風シラタマホシクサの心地〉〈自己愛のうっすら点る朧の夜〉。
 三位の三枝は天性といおうか瑞瑞しい切り口。社会性もあり句境は広い。〈胡瓜揉むよう戦争しない力〉〈春日傘閉じ落丁のよう真昼〉。
 四位の望月は溢れる詩情を自由自在に、エスプリも効き楽しく読める。〈少年の脱け殻あまた青葉闇〉〈開戦日日の丸という赤き穴〉。
 五位の三世川は作者独自の空気感がよい。メロディーの様な一行に実体がすっくと立っている。〈花枇杷ほのと福耳ともるをちこち〉〈微熱もすこし春愁ってくすぐったい〉。
 ほかに、三好つや子、董振華、桂凜火、マブソン青眼、竹本仰、川崎千鶴子、すずき穂波、河原珠美と多士済々。

※「海原賞」これまでの受賞者
【第1回】(2019年)
小西瞬夏/水野真由美/室田洋子
【第2回】(2020年)
日高玲
【第3回】(2021年)
鳥山由貴子
【第4回】(2022年)
川田由美子

第5回 海原新人賞

『海原』No.52(2023/10/1発行)誌面より

第5回 海原新人賞

【受賞者】
 渡辺のり子
 立川瑠璃

【選考経緯】
 『海原』2022年9月号(41号)~2023年7・8月合併号(50号)に発表された「海原集作品」を対象に、選考委員が1位から5位までの順位を付して、5人を選出した。
 得点の配分は、1位・5点、以下4・3・2・1点とした。集計の結果、下表のとおり、渡辺のり子、立川瑠璃の2人の授賞を決定した。

【受賞作品抄】

窓 渡辺のり子
手榴弾のようてのひらにレモン
火宅あり幸水という梨をむく
柿撫でる子規の痛みをさするかな
机下に垂れるエゴイズムしゃこばさぼてん
大花野わたしの棺の窓かしら
からっぽの宝石箱や白鳥来
寒紅や母親の胸にある曠野
ファスナー開く体内は寒い海
白鳥来あおいインクで編む詩集
着膨れてまずたくましき乳房かな
夜桜の発火点まで来てしまう
菜の花の地下茎蒸気機関車へ
デッサン画の彼よこがおは陽炎
スイートピーひとふで書きの風を着る
産道をくぐる皮膚感花明り
蜃気楼のしずく君のあおいシャツ
白薔薇や獅子座のおとこ所望する
髪洗う背なに原罪やどるかな
林檎食うさざなみ鎖骨のあたりから
夜の桃奈落の水の甘さかな

十九の春に 立川瑠璃
緑陰やモノローグな日の立体図
月の家形状記憶のままに立つ
人は生く泰山木の花咲かせ
天体は遠い過去形流れ星
戸惑いは内なる怒涛われもこう
おおむらさき誰かの背に結ばれて
地球儀の北より乾く草の絮
顔見知りの菊人形に誘わるる
薄紅の本のぬきがき一葉忌
木の実のコトリ風の音する童話かな
寒茜燃え尽きるまでクラリネット
雪女郎人恋うる時紅くなる
七草やおいてけぼりの時の色
冬かげろう吾の眼にいない吾を探す
我が生は太古よりくる半仙戯
如月や同じ角度に未成年
十代が後ろ姿になりゆく春
装うや蚕の生きた青の底
ベイブリッジ果敢な海の浮き人形
手鏡に他人のような十九の春

【候補作品抄】

雪の匂い 福岡日向子
死にたいとき死ねるといいね茄子の花
伏し目なる男とオランダ獅子頭
秀でたるものなき日々を馬肥ゆる
話すことなくなり冬の虹ともなれば
男とも女ともなく雪の匂い
くちびるは一つしかないシクラメン
流氷を厚くしてゆく怖い夢
夜桜の不可侵領域まで少し
思ってるチワワと違う雲の峰
八月は舌の厚さを超えてゆく

春を抱き 立川真理
父の日やひと日娘になりにけり
祖父といふ静けさ囀りの中へ
青野を食む獣と草を分けあふて
祖父の東京どこも銀座でお祭りで
霧は善を戻らぬ日日へ連れていく
落ち椿触れるを拒む導火線
高一や浮かんで消ゆる春を抱き
我が輩は仔猫の主で父母の子で
理科室に春は戯むる人体図
誠実な獏が苺の山盛りを

【海原新人賞選考感想】

■大西健司
①渡辺のり子 ②福岡日向子 ③立川瑠璃 ④立川真理 ⑤小林育子
 渡辺のり子〈白薔薇や獅子座のおとこ所望する〉〈無頼派の孤高きわまる銀杏散る〉〈蜃気楼のしずく君のあおいシャツ〉この一年の充実ぶりが眩しい。伸びやかに、大胆に書いていて楽しい。
 福岡日向子〈揚羽蝶前頭葉にフラグが立つ〉〈八月は舌の厚さを超えてゆく〉〈しあわせは相対評価耳袋〉全体にその言葉は暗く重く響く。沈潜した美学とでもいうのか、自分の世界を構築しつつある。
 立川瑠璃〈おおむらさき誰かの背に結ばれて〉〈手鏡に他人のような十九の春〉静かに自分自身を見つめる、その眼差しの豊かさ。
 立川真理〈祖父の東京どこも銀座でお祭りで〉〈ふと止まる歩幅さびしき冬帽子〉時に暗い表情を見せるその詩性の豊かさ。姉妹そろって確かな世界を見せてくれた。素晴らしいとしか言い様がない。
 小林育子〈かなかなや母の手は小さき日溜り〉〈いるはずのないホームに君と風花〉たくさんの句が私の胸に響いた。やわらかな感性が素晴らしく、最終的に選ばせていただいた。十代から九十代までがせめぎ合う新人賞。順位をつけるのは難儀な作業、紙一重である。
 ほかには、渡邉照香、宙のふう、飯塚真弓、後藤雅文、有栖川蘭子、押勇次、松﨑あきらなど多彩、さらなる飛躍に期待したい。

■こしのゆみこ
①渡辺のり子 ②福岡日向子 ③立川瑠璃 ④立川真理 ⑤宙のふう
 渡辺のり子は死、原罪、火宅、奈落など強いマイナスイメージの言葉を桃や梨や芍薬など、柔らかい季語と昇華させ、インパクト抜群。
  レースを着る足の指先水けむり 渡辺のり子
  火宅あり幸水という梨をむく 〃
  夜の桃奈落の水の甘さかな 〃
 福岡日向子の気負いのない(ようにみえるのが大事)発想力と独特な身体感覚が素敵。
  僻むのに使う筋肉合歓の花 福岡日向子
  男とも女ともなく雪の匂い 〃
 立川瑠璃の一瞬の等身大の青春の表現。
  妹を置けばなお濃き春の虹 立川瑠璃
  春落葉人は短編そして蒼 〃
 立川真理の家族やヒロシマへの熱い思い。
  わが町はカルデラの匂いヒロシマ忌 立川真理
 宙のふうの繊細ではかなげなたたずまい。
  語尾消えて夕虹すうっと立ちにけり 宙のふう
  大花野私の棺の窓かしら 渡邉照香
  老羸に新しき服蝦夷四月 松﨑あきら
  舞ひすすむ假面の裏の青山河 吉田貢(吉は土に口)
  犀星忌異郷に母を死なしめし 押勇次
  銀杏黄葉光集めるかかとかな 小林育子
  凍星や夜はあまりにも狭く 村上舞香
  黙々とこの世の外へ蟻の列 岡田ミツヒロ
  名もなき家事をしている菫かな 有栖川蘭子
  秋澄むや足音はいつしか羽音 飯塚真弓
 等多士済々。ただただ俳句を楽しむこと。

■佐孝石画
①福岡日向子 ②宙のふう ③渡辺のり子 ④小林育子 ⑤有栖川蘭子
  僻むのに使う筋肉合歓の花 福岡日向子
  夜の新樹身籠る人のアイシャドウ 〃
  あやとりの半ばでたるむ秋思かな 〃
  話すことなくなり冬の虹ともなれば 〃
  冬薔薇舌の収まる不思議かな 〃
 昨年に続き一位に推す。以前より彼女の抒情に惹かれていたが、視点の独自性と、配合の練度が深まり、風格さえ漂うようになった。
  血管を透かせば蝶の濡れた翅 宙のふう
  薔薇の棘空に刺ったままきれい 〃
  語尾消えて夕虹すうっと立ちにけり 〃
  騙しきることの重さや青瓢 〃
 比喩の飛躍が美しく心地良い。彼女の提示する幻想世界に、作家の人生とインスピレーションとが重なって生まれる強さを見た。
  水玉の麻シャツ濁流のはじまり 渡辺のり子
  からっぽの宝石箱や白鳥来 〃
  正解が欲しくなる夜守宮来る 小林育子
  銀杏黄葉光集めるかかとかな 〃
  わかった私が悪かった大夕立 有栖川蘭子
  いい人と呼ばれたくない冬夕焼 〃
 これら三名の作品にも大いに惹かれた。
 続いて立川瑠璃、かさいともこ、小林ろば、木村寛伸、松﨑あきら、わだようこ、吉田貢(吉は土に口)、村上舞香、藤玲人、横田和子、安藤久美子、重松俊一、福井明子、上田輝子に注目した。

■白石司子
①福岡日向子 ②立川瑠璃 ③渡辺のり子 ④有栖川蘭子 ⑤村上舞香
 兜太師の「海程」後継誌にふさわしい作家をということで選考させていただいた。
 一位の福岡日向子の〈死にたいとき死ねるといいね茄子の花〉〈死にたいと思わなくなる噴井かな〉の若さゆえともいえる揺れるような死生観、また〈八月は舌の厚さを超えてゆく〉〈くちびるは一つしかないシクラメン〉の独自性に注目、二位の立川瑠璃の〈月の家形状記憶のままに立つ〉〈人は生く泰山木の花咲かせ〉の季語の斡旋の斬新性、また〈顔見知りの菊人形に誘わるる〉〈雪女郎人恋うる時紅くなる〉の特異性に俳句作家としての幅の広さを、三位の渡辺のり子の〈夜桜の発火点まで来てしまう〉〈蜃気楼のしずく君のあおいシャツ〉の感性、四位の有栖川蘭子の〈人柱のように蚊柱がたつ〉の鋭さ、五位の村上舞香の〈向日葵の正面に立つという勇気〉の青春性にひかれた。
 〈蝉時雨ふと無音ですわれの死も〉の遠藤路子、〈マンゴーを切って太陽取り出した〉の小林ろば、〈青野を食む獣と草を分けあふて〉の立川真理にも期待したい。

■高木一惠
①立川瑠璃 ②松﨑あきら ③立川真理 ④石鎚優 ⑤有栖川蘭子
 立川瑠璃〈十代が後ろ姿になりゆく春〉なのです。〈月の家形状記憶のままに立つ〉〈妹を置けばなお濃き春の虹〉そして〈装うや蚕の生きた青の底〉…青い山繭でしょうか。絹布に蚕を想う内観の深まりが見えます。
 松﨑あきら〈野良仔猫大きな好意は怖いのです〉〈雪の道ひしと玉子を買って帰る〉…佳き住地を得て純なる詩情が冴えます。
 立川真理〈落ち椿触れるを拒む導火線〉〈学園や拒絶の海に孤児らは住み〉…豊かな感性が伸び盛りです。「孤児」と「こ」は違いますね、ルビに頼らぬ工夫を。
 石鎚優〈一湾の水平線と年酒酌む〉、有栖川蘭子〈春深しこれから生まれる好きなひと〉…まさに俳諧宇宙です。
 次点に福岡日向子、渡邉照香。ほかに有馬育代〈老犬の里親二十歳春隣〉等、紹介したい佳句が沢山ありました。
 五周年を迎え充実の「海原」ですが、佐々木靖章筆「金子兜太初期句文集」に若き兜太先生の作品と句評が掲載されて(47号・波郷、草田男作品の評等)、新人諸氏がこれをどう受け止めるか期待しています。

■武田伸一
①渡辺のり子 ②飯塚真弓 ③立川真理 ④立川瑠璃 ⑤松﨑あきら
 毎月の「海原集」の順位を数値化して、上位五名を新人賞の候補とした。
  夜桜の発火点まで来てしまう 渡辺のり子
  病魔よ和め春暁に居座るな 飯塚真弓
  落ち椿触れるを拒む導火線 立川真理
  我が生は太古よりくる半仙戯 立川瑠璃
  冷房は無い必要だったのは空だ 松﨑あきら
 次点とでもいうべき方々を挙げ、次年度の奮起を期待したい。後藤雅文、渡邉照香、福岡日向子、吉田貢(吉は土に口)、有栖川蘭子、安藤久美子等であるが、これで終わりではない。共に九十代の押勇次、宙のふうは別格的存在。ほかにも日頃期待している作家たちの名を列記して、応援としたい(ほぼ北から、順不同)。
 小林ろば、かさいともこ、谷川かつゑ、吉田もろび、大渕久幸、近藤真由美、藤玲人、遠藤路子、小林育子、福田博之、石鎚優、平井利恵、井手ひとみ、伊藤治美、重松俊一、村上紀子、藤井久代、村上舞香、福井明子、藤川宏樹、有馬育代、路志田美子等々。

■月野ぽぽな
①渡辺のり子 ②立川瑠璃 ③立川真理 ④飯塚真弓 ⑤渡邉照香
 渡辺のり子〈夜桜の発火点まで来てしまう〉の表現力の充実と広がる句境。
 立川瑠璃〈我が生は太古よりくる半仙戯〉と、立川真理〈祖父といふ静けさ囀りの中へ〉の、それぞれの純粋で上質な詩性の深まり。
 飯塚真弓〈胆勇を備へ旦暮のマスクかな〉、渡邉照香〈此の身脱ぎたしセーターを脱ぐやうに〉の情感の豊かさに注目した。二位から五位までは僅差。
 その他やはり僅差の、有栖川蘭子〈父母のありてさびしさ袋掛〉や、大渕久幸〈宮益坂中村書店前穀雨〉、谷川かつゑ〈水中花最後の晩餐は点滴〉。また、増田天志〈にんげんとは何ひまわりに砲弾〉、宙のふう〈体内にブラックホール大焚火〉、近藤真由美〈銀杏降るこの名画には武器はない〉、後藤雅文〈カナカナカナとっても長い後一周〉、淡路放生〈子を産めぬ娘と猫とねこじゃらし〉、石鎚優〈象の貌のやうな流木に初日〉、遠藤路子〈蟻ころす部屋のかたすみ資本論〉、かさいともこ〈れんぎょうの花よ大人の反抗期よ〉、小林育子〈かなかなや母の手は小さき日溜り〉、松﨑あきら〈野良仔猫大きな好意は怖いのです〉、大浦朋子〈譜面台小さくたたみ卒業す〉にも期待する。自分の感性を信じて次の一句を。

■遠山郁好
①福岡日向子 ②立川瑠璃 ③立川真理 ④遠藤路子 ⑤渡邉照香
 福岡日向子〈眼のなかの冬蝶未現像のまま〉独特の着想、感覚の発見、どれも読み手の想像力を刺激し、作者への興味が尽きない。
 立川瑠璃〈妹を置けばなお濃き春の虹〉先達の〈虹立ちて忽ち君の在る如し〉の句もあるが、この句は共に作句している妹さんへのオマージュも込め、柔らかな韻律に乗せ、濃やかに書かれていて、作者の句の領域の広がりをも感じさせる。
 立川真理〈青野を食む獣と草を分けあふて〉大胆な切り口ともの言い。青野に繰り広げられる生き物たちの夏が、大らかに、生々と表現されていて清新。
 遠藤路子〈あれから漂いがちです春のかけがね〉句全体に漂う、生への軽い戸惑いと屈折。特に春のかけがね・・・・・・にそれが読み取れて、こころに染みる。
 渡邉照香〈剃髪の母大海のごと笑ひをり〉母上の剃髪。すでに深い悟りを開いているような、大海のごと笑う・・・・・・・、その母上が見事。
 ほかに注目した作者は、大渕久幸、渡辺のり子、小林ろば、石鎚優、飯塚真弓、安藤久美子、村上舞香、小野地香、宙のふう、小林育子。

■中村晋
①渡辺のり子 ②渡邉照香 ③松﨑あきら ④後藤雅文 ⑤立川真理
 渡辺のり子〈林檎食うさざなみ鎖骨のあたりから〉から読み取れる作者の身体感覚に唸りました。「鎖骨」という言葉は作者ならではの感性。また〈スイートピーひとふで書きの風を着る〉にも生き生きとした感覚が宿っています。年間を通して感性に磨きがかかり、自身のスタイルをしっかり持ったように見え、文句なく第一位に推しました。
 渡邉照香〈剃髪の母大海のごと笑ひをり〉に見られるようなドラマティックな作品に個性が感じられました。一方、日常のさりげない句にいささか力みが感じられ、そこが課題でしょうか。しかし〈壁の穴しずかに塞ぐ春の闇〉に新境地を感じます。
 松﨑あきら〈雪の道ひしと玉子を買って帰る〉に見られる北海道の生活の魅力。またそこから感じ取れる作者の誠実さにも惹かれました。今後に大いに期待します。
 後藤雅文〈吊し柿夫婦の糖度高めあう〉にある俳諧味がなんとも言えない味わい。
 立川真理〈定位置に記憶のぼうし祖父よ秋〉初々しい感性と斬新な措辞に大いに魅力を感じます。
 ほかにも注目した名は多数。根気よく感性を磨き、またその感性を活かす技術を習熟しましょう。

■宮崎斗士
①立川瑠璃 ②小林育子 ③立川真理 ④有馬育代 ⑤遠藤路子
  春落葉人は短編そして蒼 立川瑠璃
  喉仏には小さき骨壺雲の峰 小林育子
  月光に深眠りするヴァイオリン 立川真理
  尺蠖のうぶ声余命始まりぬ 有馬育代
  冬キャベツ地球の芯まで剥がしてやる 遠藤路子
 例年同様、「後追い好句拝読」欄の一年間の結果に基づいて五名の方々を挙げさせていただいた。これに続く方々として、
  無花果を食べてふふふの夫婦です 後藤雅文
  夏の少年海より帰りことば研ぐ かさいともこ
  不意にくる酢牡蠣を啜る父の顔 上田輝子
  ふぁっと母じゃがたらの花に座ってる 横田和子
  あくびするロボットだって?田螺鳴く 小林ろば
 ほかにも、有栖川蘭子、飯塚真弓、石口光子、石鎚優、岡田ミツヒロ、岡村伃志子、小野地香、梶原敏子、古賀侑子、谷川かつゑ、藤玲人、服部紀子、平井利恵、福岡日向子、保子進、増田天志、吉村豊、渡辺のり子……と注目作家はここに書き切れない。

※「海原新人賞」これまでの受賞者
【第1回】(2019年)
三枝みずほ/望月士郎
【第2回】(2020年)
小松敦/たけなか華那
【第3回】(2021年)
木村リュウジ
【第4回】(2022年)
大池桜子

2023年冬「海原通信俳句祭」開催のご案内

冬だ! 祭りだ! 俳句祭だ!
2023年冬「海原通信俳句祭」開催のご案内

 早くも第6回を迎えました兜太通信俳句祭。「兜太祭」と混同してしまいますので、今回より「海原通信俳句祭」と名称を改めさせていただきます。第2回「海原」全国大会に引き続き、張り切っての開催――。今回は初の「冬祭」ということで、来年に向けまして、また大いに盛り上がっていきたいと思います。奮ってのご参加お待ちしております。

1.出句:2句(参加対象は「海原」の同人・会友全員です)
2.出句受付:宮崎斗士あて
 ・メール tosmiya★d1.dion.ne.jp(★→@、「d1」の「1」は数字の1です)
 ・FAX 042―486―1938
 ・郵便の宛先 〒182―0036 調布市飛田給2―29―1―401
  ※出句の原稿には、必ず「海原通信俳句祭出句」と明記してください。
3.出句締切:2023年11月30日(木)必着
4.選句:参加者による互選のほか、特別選者による選句と講評。
(通信俳句祭の結果は「海原」誌上に発表します)。
5.参加費:1,000円
  ※参加費は定額小為替にて宮崎斗士までお送りください。
   また、東京例会などでも参加費納入を受け付けます。
【出句の際のお願い】
◆電子メールでの出句:メールを使用できる方は、できましたらメールにて出句をお送りください。メールで出句の際は、必ずメールの件名を「海原通信俳句祭出句/(出句者氏名)」としてください。
メールにて出句の場合は、必ず受け取り確認の返信をいたしますので、その確認をよろしくお願いいたします。もし返信が届かなかった場合は、その旨宮崎斗士までご一報ください。
◆FAX、郵便での出句:原稿には、必ず住所・氏名・電話番号を明記してください。
【問い合わせ】
確認事項、お問い合わせ等は、宮崎斗士までお気軽にどうぞ。
宮崎斗士
〒182―0036 東京都調布市飛田給2―29―1―401
電話:070―5555―1523
FAX:042―486―1938

2023年夏【第5回】兜太通信俳句祭《結果発表》

『海原』No.51(2023/9/1発行)誌面より

2023年夏【第5回】兜太通信俳句祭《結果発表》

 第5回を迎えました「兜太通信俳句祭」。参加者数は計110名。出句数は計220句でした。大勢の方のご参加、あらためまして厚く御礼申し上げます。
 参加者全員に出句一覧を送付。一般選者の方々には7句選、23名の特別選者の方々には11句選(そのうち1句特選・10句秀逸)をお願いしました。
 以下、選句結果、特別選者講評となります。(まとめ・宮崎斗士)

☆ベストテン☆

《21点》
青林檎に歯形小気味いい異論 綾田節子

《20点》
はつなつの水面すうっと切り傷 川田由美子

《19点》
ひとりとは白湯がひっそり冷めるところ 伊藤淳子
竹皮を脱ぐ青年は昏いつつ 堀之内長一
寿命という軽いのりもの百千鳥 若森京子

《16点》
八月の影脱ぐように喪服ぬぐ 北上正枝
兜太句をそらんじている牛蛙 北村美都子
麦熟れ星兜太無限に去来する 船越みよ

《14点》
いもうとのうしろがいつも夕焼ける 鳥山由貴子

《12点》
苺つぶす無心につぶす鬱潰す 宇川啓子
降り始めの雨音が好き守宮です 遠藤路子
さみだるる断るときの「だいじょうぶ」 松本千花

【11点句】
蝶生れ森に神経満ちてくる 十河宣洋
朗らかに貧乏であるプラタナス 室田洋子

【10点句】
ほとり
辺とは風の余韻の青芒 伊藤淳子
居るはずのない人といて春の昼 森由美子

【9点句】
いもうとが波打際にいる五月 芹沢愛子
新緑に匂い出したる素顔かな 高木水志
人間を休みたい午後ダリア剪る 竹田昭江
スケッチの少年青葉の言葉話す 三浦二三子
初蛍未完成でもいいのです 横田和子
天辺の好きな鳥から夏に入る 横地かをる
灯心蜻蛉ふっと言霊点します 横地かをる

【8点句】
花疲れどの本能も遊び下手 木村寛伸
昭和の日昭和の傷へオロナイン 後藤雅文
兜太忌を平和祈の日とも詠み込んで 島﨑道子
犬が死んだ白を尽くして木槿咲く 竹田昭江
舟虫のやたら子分になりたがる 松本千花
あと何字生きられるかな新茶汲む 宮崎斗士

【7点句】
新茶飲む知覧の二文字見詰めつつ 鵜飼春蕙
わやわやと曲がるストロー夏に入る 小西瞬夏
兜太杏子談笑談義花筵 島﨑道子
目に青葉こころに戦止まぬこと 鈴木栄司
腕時計を置く音父に父の日果つ 中村晋
他言無用これは郭公のたまご 三浦静佳
かわほり飛ぶ波が大魚になる夜を 三浦二三子
平和とうモザイクかかる白紫陽花 室田洋子
夏の空ふいに銃後となりにけり 矢野二十四
脳外科にいてひたひたと青葉潮 若森京子
花心には懺悔室ありしろい薔薇 渡辺のり子

【6点句】
五月の田父は牛なり四つ脚なり 大沢輝一
行ったきり帰らぬズック広島忌 大髙洋子
そらみみの近くにありぬ袋角 こしのゆみこ
逃水のみんなサンダル履きだった こしのゆみこ
麦の秋師のこの径を辿るかな 篠田悦子
富むことは盗むと同じ蟻地獄 藤玲人
頬杖はいま新緑のなかをゆく 平田薫
厚みある紹介状よ五月闇 平山圭子
五月雨や木馬出征する目付き 松本勇二
蜜柑の花だね母若き日の横顔 村松喜代
「ガンバレナイ」。ひまわりが押印す 茂里美絵

【5点句】
緑陰にふたりごころの片方かたえかな 安西篤
逃水や自分の影に色がない 河西志帆
泥炭地住めばわらびの血が混じる 佐々木宏
チャットアプリ津軽弁といふ難問 塩野正春
9条の枕詞であれ非戦 中村道子
天地返して青水無月に染む手足 根本菜穂子
文字摺草心許なきパスワード 根本菜穂子
青春は車中にリュック直に置く 野口佐稔
新緑揮発して風甘く膨らむ 増田暁子
母の夏様々神へ返しつつ 村松喜代
この夜のこの世の線香花火 指 望月士郎
まぼろしの斜塔が見えてきて白雨 望月士郎
ふりつもる星のさざめき山法師 森由美子
運命でない人と心太啜る 柳生正名

《参考》兜太通信俳句祭の高点句
◆第3回 2022年春のベスト5
感情のしずかなる距離小白鳥 横地かをる
あやとりの橋を来る妣ぼたんゆき 北村美都子
臍の緒の続きに母の毛糸玉 河西志帆
献体葬積もらぬ雪を見てをりぬ 藤田敦子
すべり台より雲梯の方が春 こしのゆみこ
不燃性家族そのうち一人たんぽぽ化 すずき穂波
墜ちてゆく途中雲雀とすれ違う 鳥山由貴子
◆第4回 2022年秋のベスト5
小鳥来る誤字いっぱいの母でいい 宮崎斗士
白雨ですぼくを象どる僕のシャツ 大沢輝一
この星の軽い舌打ち木の実落つ 中村道子
撃つなイワンよひまわりの中母が居る 若森京子
ひとり身の怒りは不発ころんと枇杷 森由美子
草いきれ痩せっぽっちの特攻碑 藤田敦子

特別選者の選句と講評☆一句目が特選句

【安西篤選】
麦熟れ星兜太無限に去来する 船越みよ

新緑揮発して風甘く膨らむ 増田暁子
粽結ふ母の手の窪の故郷かな 赤崎裕太
ほとりとは風の余韻の青芒 伊藤淳子
母娘の絆やまざくらのロンド 梨本洋子
花疲れどの本能も遊び下手 木村寛伸
居るはずのない人といて春の昼 森由美子
青林檎に歯形小気味いい異論 綾田節子
灯心蜻蛉ふっと言霊点します 横地かをる
含羞や遺影の前のわが裸身 石川青狼
蝶生れ森に神経満ちてくる 十河宣洋
  ◇
 特選〈麦熟れ星〉麦熟れ星の輝く天に、兜太師の魂は無限に去来する。永遠といわず無限として、繰り返し出現する具象感。〈新緑〉新緑の揮発性が、風の体感に溶けて。〈粽結ふ〉故郷は、粽結ふ母の掌の窪みそのもの。〈ほとりとは〉大和言葉の辺とは、まさに。〈母娘の絆〉いつも父親はカヤの外。〈花疲れ〉兜太師もって如何となす。陰に声あり「死ななきゃ治らない」。〈居るはずの〉不在の人こそいつまでも心の中に生き続ける。〈青林檎に〉カリッと来る音、一気に広がる酸っぱさ。その小気味よさ。〈灯心蜻蛉〉体の形を灯心に喩え、そこに言霊が点るとみる生きもの感覚。〈含羞や〉夫か恋人の遺影の前で裸身をさらす含羞。反転した恋しさ。〈蝶生れ〉蝶の乱舞の軌跡から、森中に生きものの神経満ちわたる気配。

【石川青狼選】
春氷にさざ波玉響たまゆらの潜みたる 黒岡洋子

苺つぶす無心につぶす鬱潰す 宇川啓子
振鈴にまいまいつぶりあつまり来 榎本祐子
伏線は花眼曖昧な春の闇 榎本愛子
メーデーは昭和の遺物「化石賞」 川崎益太郎
たんぽぽの根を炒りながらする話 三好つや子
犀の息うずうずと黴雨国家 すずき穂波
五月のドローン俺の禿頭は浮標 尾形ゆきお
まどろめば雲降りてくる鷺の抱卵 平田薫
牛蛙の遊牡つるみ見ぬふり寺の道 小田嶋美和子
銃後とやががんぼ額に触れゆくも 堀之内長一
  ◇
 特選〈春氷にさざ波玉響たまゆらの潜みたる〉春先になって寒さが戻り、道端に薄く張っている氷を見かけ、立ちどまりじっと見詰める。その氷が、まるでさざ波のような波形を閉じこめているように輝いて見えたのだ。氷る一瞬、瞬間に触れ合い響き合いながら放つ音を「玉響たまゆら」という古語の響きで再現させ「潜みたる」と表現する詩情に惹かれた。私などは、ついバリバリと音を立てて薄氷の上を踏み歩き、その割れる音を楽しんでしまうのだが。
 秀逸〈犀の息うずうずと黴雨国家〉この句の「犀」と「国家」の取り合せに、「犀の息」に潜む凶暴なイメージを放出し、得体の知れない暗黒国家像を「うずうずと黴雨」という陰湿な皮膚感覚で内包させ、現在の社会性を表現しようとしている意思を感じた。
 〈五月のドローン俺の禿頭は浮標〉〈牛蛙の遊牡つるみ見ぬふり寺の道〉に垣間見る何とも言えない俳味を嬉しく思う。俳句を心底楽しみたい。そんな時代になって欲しいと願うのだが。

【伊藤淳子選】
母の夏様々神へ返しつつ 村松喜代

緑陰にふたりごころの片方かたえかな 安西篤
はつなつの水面すうっと切り傷 川田由美子
いもうとが波打際にいる五月 芹沢愛子
天辺の好きな鳥から夏に入る 横地かをる
目撃者の顔になってる梅の青 三好つや子
犬が死んだ白を尽くして木槿咲く 竹田昭江
青林檎に歯形小気味いい異論 綾田節子
わやわやと曲がるストロー夏に入る 小西瞬夏
逃水や自分の影に色がない 河西志帆
朗らかに貧乏であるプラタナス 室田洋子
  ◇
 特選句〈母の夏〉人はこの世に生を受けてより生きてゆく過程で様々なものを身につけ与えられて生きてきたのである。それを神へお返しする時が来たのだと。省略の利いた一句から感じられるきびしさ。母の晩年の日常を書いてするどい。
 秀逸句〈緑陰に〉ふたりごころの解釈が鮮しい。〈はつなつの〉夏の初めの光が放つ季節感が良く感じられる。〈いもうとが〉波打際にいるいもうとへの視線があたたかい。波の音とはるかな水平線。五月が決まっている。〈天辺の〉樹の天辺に一羽で止まっている鳥。はつ夏の或る日の景色をさりげなく見せてくれた。季語がぴたりと決まった。〈目撃者の〉青梅が丸丸と大きくなって葉隠れに見えかくれしている様子をユーモラスに表現した。〈犬が死んだ〉このぶっきらぼうな言葉と、木槿が白を尽くして咲いたという中七下五に、作者の万感の思いが伝わってくる。〈青林檎〉小気味いい異論がぴたりと決まっている。〈わやわやと〉いつの頃からストローが真っ直ぐでなくなった。わやわやが面白い表現と思った。〈逃水や〉逃水に対して「自分の影に色がない」の組合せが新鮮。〈朗らかに〉決してプラタナスを貧乏などとは思わないが、こう書かれると魅力を覚える。未知の色合い、可愛い実など。

【大沢輝一選】
はつなつの水面すうっと切り傷 川田由美子

蜜柑の花だね母若き日の横顔 村松喜代
八月の影脱ぐように喪服ぬぐ 北上正枝
頬杖はいま新緑のなかをゆく 平田薫
脳外科にいてひたひたと青葉潮 若森京子
いもうとのうしろがいつも夕焼ける 鳥山由貴子
ほとりとは風の余韻の青芒 伊藤淳子
天辺の好きな鳥から夏に入る 横地かをる
夏の空ふいに銃後となりにけり 矢野二十四
目撃者の顔になってる梅の青 三好つや子
灯心蜻蛉ふっと言霊点します 横地かをる
  ◇
 〈はつなつの〉この句を特選に。すうっと忍び来る。切り傷みたいな恐さ。平和を解しない輩の多いこと。国内にも国外にも、過去にも現在にも。不気味さが書けています。
 〈蜜柑の花〉母の若い頃は、本当に美しいものです。写真で見る限り。〈八月の〉喪服を脱いだ時のある種の安堵感開放感。哀しみも喪服のように蹲る。〈頬杖は〉ほんといつまでも、この若さを保ちたい。〈脳外科に〉特異な脳外科。ひたひたと青葉潮、とは素敵な詩です。〈いもうとの〉いもうとのうしろが夕焼けている。この句いもうとという名の恋人ではなく素晴らしい兄妹愛。大正ロマン。〈ほとりとは〉”青芒”をじっと見ている。根気。俳句には絶対的条件と判っているのですが、僕には出来ません。〈天辺の〉鳥には、暑さ寒さが感じられない。天辺の好きな鳥から元気な夏に入って行くのだ。〈夏の空〉遠い昭和の昔話でなく、令和五年の現在唯今の話です。〈目撃者の〉青い梅の鈴に生っている形状をサスペンス風に書いた作者。一体何の目撃者だろうか。好事だろうか凶事だろうか。〈灯心蜻蛉〉本当に美しい灯心蜻蛉。言霊を点すようにとは言い得て妙。

【川崎益太郎選】
目に青葉こころに戦止まぬこと 鈴木栄司

蘇生を学習している羽脱け鳥 四方禎治
花心には懺悔室ありしろい薔薇 渡辺のり子
富むことは盗むと同じ蟻地獄 藤玲人
八月の影脱ぐように喪服ぬぐ 北上正枝
9条の枕詞であれ非戦 中村道子
昭和の日昭和の傷へオロナイン 後藤雅文
五月雨や木馬出征する目付き 松本勇二
泥炭地住めばわらびの血が混じる 佐々木宏
青林檎に歯形小気味いい異論 綾田節子
逃水や自分の影に色がない 河西志帆
  ◇
 特選〈目に青葉〉現在の万人の気持ちを見事に言い当てた、見事な本歌取りの句。秀逸〈蘇生を〉いくつになっても、どういう状態になっても生きていたい。これ本能。〈花心には〉人間にもこういう謙虚さがほしい。〈富むことは〉プーチンよ、何がほしいのか。〈八月の〉八月の影は、爆死者の影。合掌! 〈9条の〉これを言わないと、と思う現実が悲しい。〈昭和の日〉効くかどうか疑問もあるが、昭和の傷は昭和の薬で治そう。〈五月雨や〉人だけでなく、木馬まで召集されるかも。〈泥炭地〉ボタ山に残る悲喜劇の数々。〈青林檎に〉若者の異論は、納得できないものも多いが、歯形に力強さが読める。〈逃水や〉年取ったせいか、自分の考えに自信が持てなくなってきた。この選も迷った果ての…。
 今、ヒロシマ平和祈念俳句大会の整理をしているが、今年は「はだしのゲン」の句が、目に付いている。行政に対する批判の表れであろう。

【川田由美子選】
蝶生れ森に神経満ちてくる 十河宣洋

初蛍未完成でもいいのです 横田和子
新緑揮発して風甘く膨らむ 増田暁子
さすらいの真昼まだある蛇苺 山中葛子
降り始めの雨音が好き守宮です 遠藤路子
おだやかな弟そこに蝌蚪の水 舘岡誠二
犀の息うずうずと黴雨国家 すずき穂波
たんぽぽ絮に地図から消えてゆく街に 田中信克
黎明の地震浅葱の繭の揺り返し 榎本愛子
寿命という軽いのりもの百千鳥 若森京子
ひとりとは白湯がひっそり冷めるところ 伊藤淳子
  ◇
 特選句〈蝶生れ〉膨大な数のニューロンが複雑につながり合うという神経回路。地下を廻る根や大気の隅々にまでいのちが吹き込まれ覚醒していく森。いのちの基盤としての森、その緊密感。秀逸句〈初蛍〉「初蛍」「未完成」の配合に理を感じたが、「でもいいのです」と言い切って独自の味わいが。永久に未完成ないのちへの共感。〈新緑揮発して〉揮発というとらえ方が新鮮。甘きエーテルの風。〈さすらいの〉「まだある」から、揺り戻されるさすらいの途方もなさを感じた。胸に去来する蛇苺こそさすらいの核。〈降り始めの〉かすかなノックの音のように意識の中に溶け込んでくる雨音。「ああ、雨だ」というさざなみのようなつぶやき。〈おだやかな〉回想のそして永遠にあり続ける「そこ」なのだろう。溶け合う春の生き物の姿がなつかしい。〈黴雨国家〉不信、幻滅が渦巻き、混沌として出口の見えない現代国家のありようが見えてくる。渇望の犀の息だろうか。〈たんぽぽ絮に〉地名としてのみならず、限界集落として存在が消えてゆく街を思った。人の作ったものは人の営みの中で消えてゆく。〈黎明の地震〉「浅葱の繭の揺り返し」の喩で、地震の不可知のエネルギーが美しく表されている。浅葱色の底知れぬ力。〈寿命という〉「軽いのりもの」の喩が印象深い。人知を超えた寿命、寿命と言えば諦めもつく。「軽い」は「百千鳥」と同列にある明るい無常か。〈ひとりとは〉「ところ」という結びに、実感と余韻とを感じた。「ひとり」の充足と肯定。

【北村美都子選】
青林檎に歯形小気味いい異論 綾田節子

麦熟れ星兜太無限に去来する 船越みよ
9条の枕詞であれ非戦 中村道子
居るはずのない人といて春の昼 森由美子
舟虫のやたら子分になりたがる 松本千花
そらみみの近くにありぬ袋角 こしのゆみこ
ひとりとは白湯がひっそり冷めるところ 伊藤淳子
灯心蜻蛉ふっと言霊点します 横地かをる
リラ冷えや震える母のスマートフォン 清水恵子
朗らかに貧乏であるプラタナス 室田洋子
向き合うべきわたし横むく青葉木菟 芹沢愛子
  ◇
 特選〈青林檎に〉歯形そのものが、小気味いい異論、とも想定したい一句。青林檎は青年像の象徴とも。破調でありつつ独特のリズムを蔵し、現代俳句を提示している。
 秀逸〈麦熟れ星〉いつでもどこでもどこまでも行き来できると追慕される兜太先生。麦熟れ星を仰げば殊更に心が満たされる。〈9条の〉そうあってほしいと祈るばかり。〈居るはずのない〉亡き人と一緒に、麗らかに。〈舟虫の〉やたら、の俗語が妙に利く。〈そらみみの〉身体感覚の鋭敏が詩の世界を喚起する。〈ひとりとは〉冷めた白湯にひっそりと澄む心象。〈灯心蜻蛉〉繊細な糸蜻蛉、言霊を点すとは作者の中の詩語の点じ。〈リラ冷えや〉リラ冷えと震える、は不調の母の暗示か。弾んでほしいスマートフォン。〈朗らかに〉高々と輝くプラタナスに象られた貧乏の肯定は、即ち詩精神の高さの裏返し。〈向き合うべき〉本当の自分を見つめたくない今、青葉木菟が言問うように…。

【こしのゆみこ選】
ひとりとは白湯がひっそり冷めるところ 伊藤淳子

ふりつもる星のさざめき山法師 森由美子
八月の影脱ぐように喪服ぬぐ 北上正枝
春氷にさざ波玉響たまゆらの潜みたる 黒岡洋子
昭和の日昭和の傷へオロナイン 後藤雅文
天辺の好きな鳥から夏に入る 横地かをる
夏の空ふいに銃後となりにけり 矢野二十四
癖になる頬杖継子の尻拭い 北上正枝
舟虫のやたら子分になりたがる 松本千花
寿命という軽いのりもの百千鳥 若森京子
あと何字生きられるかな新茶汲む 宮崎斗士
  ◇
 〈ひとりとは白湯がひっそり冷めるところ〉とは温かい白湯が冷めて、ただの水に戻ってゆくところ、と読んだ。「放置されている」白湯の、誰にも知られず、気にかけられず、「ひっそり」と「何かが」冷めてゆくさみしさをぞくっとするほど感じとってしまった。それがひとりということだと作者はいう。〈八月の影脱ぐように喪服ぬぐ〉「八月」といえば敗戦、終戦の影、八月は何を描くにも、戦争を意識し、覚悟しなければならない。だから「喪服」がつきすぎな気もするが。〈昭和の日昭和の傷へオロナイン〉そう、傷という傷何でもオロナインで治した世代。戦争の傷もいちおうオロナインをぬっておこうか。〈夏の空ふいに銃後となりにけり〉本当にいつの間にか私たちはウクライナの銃後にいる。そして世界人口八十億人の内、一億人以上の人々、ほぼ日本国民人口が今難民生活を強いられている。〈天辺の好きな鳥から夏に入る〉コウモリやコノハズク、夏鶯など好きな鳥を天辺に飛ばして夏に入れるのが爽快。〈舟虫のやたら子分になりたがる〉親分はいないのにいっせいに渦巻くように動き出すのはみんな子分になりたがって後ろに回るからなんだ。〈寿命という軽いのりもの百千鳥〉乗っているうちは楽しまなくっちゃ。本人も分からないうちに下車させられるらしいから。〈あと何字生きられるかな新茶汲む〉「あと何字」俳句も含め、宅配の宛名書き含め、愛しい文字を書く喜びにあふれて素敵だ。

【小西瞬夏選】
腕時計を置く音父に父の日果つ 中村晋

新緑に匂い出したる素顔かな 高木水志
過去を生きる兄ひとり春炬燵 河西志帆
がうがうと炎樹のびゆく海霧の奥 野﨑憲子
いもうとのうしろがいつも夕焼ける 鳥山由貴子
竹皮を脱ぐ青年は昏いつつ 堀之内長一
いもうとが波打際にいる五月 芹沢愛子
居るはずのない人といて春の昼 森由美子
五月雨や木馬出征する目付き 松本勇二
そらみみの近くにありぬ袋角 こしのゆみこ
重心のついとずれたり夜の新樹 加藤昭子
  ◇
 特選句。一見地味目でありつつ、しみじみと父への思いが滲む。腕時計は父のものだろうか。もしかして亡くなったあとの形見の時計か。ことりと音が響く静けさ。自分自身も父となり、より父の存在が大きく感じられるのだろうか。インパクトのある言葉や内容にたよらず、韻律を生かし、物がしっかりと描かれ、それでいて余白のある句に魅力を感じるこのごろです。兜太先生が「韻律」「モノ」とよく言われていたこと、やっと身に染みて感じるようになってきました。

【芹沢愛子選】
ふたりです空想老人の晩夏 山中葛子

初蛍未完成でもいいのです 横田和子
降り始めの雨音が好き守宮です 遠藤路子
夏の果何を見せられているのか 大渕久幸
合歓の花絵本三冊読まされちゃった 西美惠子
花疲れどの本能も遊び下手 木村寛伸
目に青葉こころに戦止まぬこと 鈴木栄司
五月雨や木馬出征する目付き 松本勇二
国境は小さなプレート雪解川 宙のふう
蕊が笑うよ空気にまろぶ熊ん蜂 中村晋
かわほり飛ぶ波が大魚になる夜を 三浦二三子
  ◇
 特選〈ふたりです〉「ふたりです」で始まる構成と「空想老人」という独特な造語に惹きつけられました。「老人」「晩夏」と暗めの言葉が「空想」という言葉によって不思議な明るさへと一転する。自由でみずみずしい感性が素敵。「晩夏」は先生の好んだ季語と聞く。
 〈初蛍〉初蛍を見た昂ぶりが未完成を肯定するフレーズにつながって……。〈降り始めの〉まるで守宮のつぶやきのよう。口語体が空気を柔らかくしている。〈夏の果〉具体的な映像が見えず読み手に預けているが、その問いかけが心に刺さってしまった。気候変動、パンデミック、そして戦争の衝撃。〈合歓の花〉大人にとっても心打つ絵本もある。子守歌の代わりに読み聞かせているのか。どちらにしても多幸感に満ちている。〈花疲れ〉金子先生の句のもじりに挑戦。欲を言えばですが、気軽で大胆な元句の雰囲気を取り入れ広がりを持たせるという展開もありと思えた。〈目に青葉〉青葉を目になおさら募る憂い。〈五月雨や〉背景に過去に巻き添えになった軍馬達が見える。この句では木馬はまるで人間に操られているような目付きをしている。〈国境の〉国境という重みに反して小さなプレート。季語の中に隠れている雪解けという言葉に平和を願う思いが。〈蕊が笑うよ〉清らかで汚されていない空気が童謡のように軽やか。〈かわほり飛ぶ〉ダイナミックで幻想的な映像を呼ぶ。

【十河宣洋選】
竹皮を脱ぐ青年は昏いつつ 堀之内長一

苺つぶす無心につぶす鬱潰す 宇川啓子
うららかや村で名うての酔っ払い 石川義倫
麦熟れ星兜太無限に去来する 船越みよ
脳外科にいてひたひたと青葉潮 若森京子
はつなつの水面すうっと切り傷 川田由美子
おだやかな弟そこに蝌蚪の水 舘岡誠二
河鹿鳴く吟行・混浴は遠谺 森鈴
ふたりです空想老人の晩夏 山中葛子
五月のドローン俺の禿頭は浮標 尾形ゆきお
青鳩や孫が覗いた貯金箱 舘岡誠二
  ◇
 〈竹皮を脱ぐ〉成長していく青年を見つめている。昏い筒にこの筒に色々な経験が詰まっていく。そんな印象を受けた。
 〈苺つぶす〉類想はありそうである。それは鬱が安易なのではなろうか。でも納得する。〈うららかや〉村の人に愛されている酔っ払い。村の人の目があたたかい。〈麦熟れ星〉兜太さんは麦秋が好きだとおっしゃっていたことを思い出した。〈脳外科に〉手術を待つ不安な気持ちが伝わる。〈はつなつの〉鳥影が横ぎったか。山奥の池でこういう情景を見たことがある。ホラーぽいのがいい。〈おだやかな〉おたまじゃくしを無心に見ている様子が見える。〈河鹿鳴く〉温泉に浸って吟行。おおらかな気分がいい。〈ふたりです〉晩夏の夕暮の中の老夫婦。少しロマンチックな気分がいい。〈五月の〉禿頭も目印になる。これくらい明るい人ばかりなら諍いも無いと思うが。〈青鳩や〉微笑ましい。日常の一齣。
 軽い作品が多くなった印象を受けた。俳句の総合誌を読んでいて、感じた甘い作品が多くなったなあという印象がここにも何となく感じる。「新鮮」な感じはするのだが「本格」「平明」の頃の勢いが見えないように思う。頭の隅に「本格・平明・新鮮」は入れておきたいと感じた。

【高木一惠選】
寿命という軽いのりもの百千鳥 若森京子

新緑に匂い出したる素顔かな 高木水志
富むことは盗むと同じ蟻地獄 藤玲人
新茶飲む知覧の二文字見詰めつつ 鵜飼春蕙
腕時計を置く音父に父の日果つ 中村晋
さへずるや同時代ゲームといふ持続 藤好良
コンビニの灯火に稼ぐ雨蛙 小池信平
五月雨や木馬出征する目付き 松本勇二
夕薄暑肌理とは遅遅としたひかり 川田由美子
軽はずみな哲学兆す竹の秋 安西篤
麦の秋師のこの径を辿るかな 篠田悦子
  ◇
 特選の〈寿命という軽いのりもの百千鳥〉…寿命の捉え方は様々なので、その軽重を簡単には言えませんが、座五の「百千鳥」から春の山野に群れて囀る小鳥達の姿が見えて、次の春まで生き延びるのが難しいその寿命の軽さも思われました。寿命を真正面に受け止めるのが聊か辛い齢を迎えて、兜太先生の他界に通じる道を横目に「一巻の終わり」の方へ心がゆく日々の中で、「軽いのりもの」の詩情に惹かれます。鳥のように早く、石のように堅固な楠の「鳥船」に乗り、立ちはだかる余命の切岸から俳諧の世界へと飛翔する、そんな心をまた、兜太先生は「他界」と称されたでしょうか。象徴的に現代を写しとった〈さへづるや〉の句(*表記注意)と〈麦の秋〉の句を並べて拝見し、師とご一緒した荒川堤の散策をただのゲームに終わらせたくはない、という想いを強くしました。

【舘岡誠二選】
麦熟れ星兜太無限に去来する 船越みよ

マスク外して神も仏も目借時 丹生千賀
虹待たせ夫百才の乾杯す 藤盛和子
新茶飲む知覧の二文字見詰めつつ 鵜飼春蕙
脳外科にいてひたひたと青葉潮 若森京子
兜太句を諳そらんじている牛蛙 北村美都子
いもうとが波打際にいる五月 芹沢愛子
師は餅肌母ゆずりとう汗を拭く 高橋明江
目に青葉こころに戦止まぬこと 鈴木栄司
ヒロシマの対話はじまる虹出るよう 桂凜火
兜太忌を平和祈の日とも詠み込んで 島﨑道子
  ◇
 〈麦熟れ星兜太無限に去来する〉
 麦熟れ星とは麦の刈入れの頃に見える牛飼座のアークトゥルスの別称。ちょうど梅雨の晴間に輝く一等星だ。兜太先生の産土である秩父もまた麦の生産地。上句は星の美しさと共に生産の喜びが表現され惹かれた。
 また、私の頭に浮かんだのはロシアの軍事侵攻、ウクライナの反転攻勢の現実である。戦いにより麦などの物価が高騰し続けている。肉親への愛を守るため中堅、若手の人々が戦争に駆り出され、戦死者も数えきれず悲しい。人間の命を危険にさらす戦争には断固反対である。反戦、平和を唱えた兜太先生を想い起こさずにはいられない。
 この句の作者に感謝し、平和を愛した金子先生を偲んでいる。私たちの脳裏に兜太先生はいつも去来する。

【遠山郁好選】
寿命という軽いのりもの百千鳥 若森京子

新緑に匂い出したる素顔かな 高木水志
花心には懺悔室ありしろい薔薇 渡辺のり子
夢をみるトカゲと暮らす業平町 桂凜火
降り始めの雨音が好き守宮です 遠藤路子
はつなつの水面すうっと切り傷 川田由美子
ほとりとは風の余韻の青芒 伊藤淳子
言の葉に命けぶらせ母の夏 茂里美絵
水蠟樹の花父の手帳の小さき旅 安藤久美子
泥炭地住めばわらびの血が混じる 佐々木宏
どくだみ地獄いのち生きるの声・声・声 伊藤巌
  ◇
 特選〈寿命という〉まず寿命をのりものに喩えた事に注目し、それも「軽い」と言う。作者の達観したような境地に共鳴した。また、季語の百千鳥ともよく響き合っている。
 〈新緑に〉新緑に匂い出すような素顔とは、外見よりも心の美しい人だと思う。〈花心には〉花心に懺悔室があると感受した作者に、虫になってしまったように引かれた。〈夢をみる〉トカゲはいつも夢見るような目をしているが、そんなトカゲと暮らす「業平町」の地名が効果的。〈降り始めの〉集中豪雨は本当に困りますが、しとしと雨の日は好き。それも守宮といて。〈はつなつの〉はつなつの水面を風か何かがすうっとよぎった。鋭敏な作者は心が少しぴりぴりした。〈ほとりとは〉辺とは日常の身辺であり、そこに青芒が美しい。その青芒 に風の余韻と感応した繊細さに惹かれる。〈言の葉に〉お母様の微妙な心の揺れを表現している「命けぶらせ」。結句の「母の夏」に光を見ていて救われる。〈水蠟樹の花〉水蠟樹の花は好きな花で、中七下五によく照応している。特に父上の小さな旅とはどのような旅か想像が膨らむ。〈泥炭地〉泥炭地に住むとはどういうことなのか。そしてそこにわらびの血が混じると書かれると、その凄さに思わず引き寄せられる。〈どくだみ地獄〉どくだみの花は、清楚で可憐だが、蔓延ってしまうと地獄とも。懸命に生きようとしている叫び声が、中七下五から聞こえる。

【中村晋選】
「句集百年」に尿瓶の句多しよバラ咲きぬ 長谷川順子

新茶飲む知覧の二文字見詰めつつ 鵜飼春蕙
八月の影脱ぐように喪服ぬぐ 北上正枝
たんぽぽの根を炒りながらする話 三好つや子
降り始めの雨音が好き守宮です 遠藤路子
合歓の花絵本三冊読まされちゃった 西美惠子
赤ちゃんの大きな目玉山笑う 藤盛和子
居るはずのない人といて春の昼 森由美子
金魚のあぶく俳人ときにナルシスト 船越みよ
ひとりとは白湯がひっそり冷めるところ 伊藤淳子
チャットアプリ津軽弁といふ難問 塩野正春
  ◇
 特選。尿瓶をこよなく愛した金子先生への親愛の情の厚さ。尿瓶を詠んでも品を失わなかった師の存在を「バラ咲きぬ」と見事に捉えた一句。追悼句の手本としたい作品です。
 〈新茶飲む〉は「知覧」という地名が効いています。新茶を飲みながら思い出す過去の記憶。〈八月の影〉は、広島または長崎のことを詠んだ句でしょうか。決して忘れることのできないものを「影」と捉えたところに惹かれます。〈たんぽぽの根〉は健康食として最近注目されているようです。いったいどんな話をしているんでしょうか。炒るとどんな味や匂いがするんでしょうか。興味は尽きません。「守宮です」の結句が印象的。守宮の言葉のようでもあり、作者の言葉のようでもあり、その二重性が雨音を引き立てます。「合歓の花」が効いていますね。三冊も読んでもらって子どもは大満足。実におおらかに赤ちゃんを詠んだ一句。「山笑う」の斡旋も平明かつ大胆。作者は亡き人と魂の世界で交流しているのでしょうか。「春の昼」という異界めく怪しい時間をうまく捉えました。俳人という生き物の生態を見事に見抜いた一句。「金魚のあぶく」とは言い得て妙ですね。冷めた白湯を飲む作者の孤独。でも、冷めた白湯ってけっこう甘いんですよね。津軽弁は難問奇問。とはいえ、だからこそ東北の、そして人類の宝。
 とにかく今回の俳句祭、好句多すぎて絞るのに苦労しました。

【野﨑憲子選】
今にして「沖縄ノート」黄砂降る 伊藤巌

振鈴にまいまいつぶりあつまり来 榎本祐子
蜜柑の花だね母若き日の横顔 村松喜代
落ち着けと羽根を広げるヤマボウシ 松本勇二
降り始めの雨音が好き守宮です 遠藤路子
兜太句をそらんじている牛蛙 北村美都子
母の日や憲法九条でんと在れ 篠田悦子
麦の秋非戦非核の「ゲルニカ」や 疋田恵美子
この夜のこの世の線香花火 指 望月士郎
万緑の内なる叫び解き放つ 平田恒子
行ったきり帰らぬズック広島忌 大髙洋子
  ◇
 ロシアとウクライナの戦争の終りは見えず、ますます不安は募って行くばかり。愚かしい戦争の狂った流れの中、その先端にいる者は己を見失い愚かな行為を繰り返す。今回特選にいただいた〈今にして「沖縄ノート」黄砂降る〉は、今年三月に他界した大江健三郎が半世紀前に書いた「沖縄ノート」を中七に据えた作品。戦争という理不尽の極みを、人類の心の闇を、暴いても暴いても新たな闇が生まれてくる。「黄砂降る」にロシアやウクライナの砂塵も混じっているに違いない。準特選の〈麦の秋非戦非核の「ゲルニカ」や〉も、人種差別や戦争へのピカソの怒りの爆発を表現している。〈母の日や憲法九条でんと在れ〉大いなるいのちを生かされている私達は、唯一の被爆国である日本の痛切なる願いを籠めた憲法九条の具現化を願わずには居られない。それが〈万緑の内なる叫び〉であると思う。佳句満載の中、特に、私の琴線に触れた11句を選ばせていただいた。

【藤野武選】
腕時計を置く音父に父の日果つ 中村晋

新緑に匂い出したる素顔かな 高木水志
いもうとのうしろがいつも夕焼ける 鳥山由貴子
ほとりとは風の余韻の青芒 伊藤淳子
夏の果何を見せられているのか 大渕久幸
蕗糸を辿りて先は母の膝 深山未遊
打水や白紙で出したっけ答案 三浦静佳
泥炭地住めばわらびの血が混じる 佐々木宏
青林檎に歯形小気味いい異論 綾田節子
向き合うべきわたし横むく青葉木菟 芹沢愛子
行ったきり帰らぬズック広島忌 大髙洋子
  ◇
 特選句〈腕時計を置く音父に父の日果つ〉で作者は、「父」なるものの存在感を巧みに造形し得た。この「時計」のベルトは、おそらく(皮製ではなく)金属製。一日の勤めを終え家に帰った父が、いつものように、(纏った外皮を一枚脱ぐように)時計を外し、テーブルに置く。少し重みのある、ジャラリとした手触りの音。その音に作者は、父という役割を負った一人の人間の生きざまや存在が、まさに凝縮されていると感じたのだ。父という習慣?あるいは虚構?それを全うしようとする日々。その充実と空疎……。名ばかりの父の日も、もう過ぎようとしている。そんなありふれた一日の、ありふれた音に感応する作者の、繊細で鋭い感性に、私は強く魅かれる。

【堀之内長一選】
チャットアプリ津軽弁といふ難問 塩野正春

他言無用これは郭公のたまご 三浦静佳
緑陰にふたりごころの片方かたえかな 安西篤
いもうとが波打際にいる五月 芹沢愛子
師は餅肌母ゆずりとう汗を拭く 高橋明江
癖になる頬杖継子の尻拭い 北上正枝
寿命という軽いのりもの百千鳥 若森京子
青林檎に歯形小気味いい異論 綾田節子
五月のドローン俺の禿頭は浮標 尾形ゆきお
ひとりとは白湯がひっそり冷めるところ 伊藤淳子
青春は車中にリュック直に置く 野口佐稔
  ◇
 いつものごとく悩みながら、現代世相を写すテーマに軽々と挑んだ〈チャットアプリ〉の句を特選に。怪しげなものがまたしても跋扈しそうないま、ユーモアのセンスで軽くいなす。何といっても「津軽弁」がいい(山形弁も難問だろうけれど)。私たちはいつも表層にだまされる。津軽弁の土着こそ、それに抗う存在なのである。俗なるものを詩語へ高める――これぞ俳諧である。
 〈他言無用〉郭公の托卵の習性を詠んで楽しい句。人間世界の有様が透けて見えるのも作者の企みか。〈緑陰に〉こころを通じ合う相手は緑陰で待っている。相手は人間だけでなく、鳥でも虫でも花でも何でもよさそう。自然なふたりごころよ。〈いもうとが〉五月のいもうとはどこか淋しげ。自分だけの映像が勝手に増殖していく不思議。〈師は餅肌〉金子兜太先生の自慢話ですね。汗がきらり、素直な詠み方に好感。〈癖になる〉「継子の尻拭い」という植物名だけで、ぴたりと着地。言葉を発見し生かすうれしさよ。〈寿命という〉「軽いのりもの」という達観(いや諦念か)に魅かれる。最後まで乗り継ごう。百千鳥の群れ飛ぶ空を。〈青林檎に〉取り合わせのお手本のような句。こんな異論を時々吐いてみたい。〈五月のドローン〉自分を客観的に眺めると、俳諧の種が見つかります。自由な発想が光ってる。〈ひとりとは〉さみしいとは違うひとりの存在感。白湯は冷めてさらに透明に。〈青春は〉青春という気恥ずかしいことを一瞬にして映像化。「直に置く」のだ、何でも。これぞ青春。最後に、宮崎斗士さんのお骨折りに感謝感謝です。

【松本勇二選】
父が逝き母が逝きつつじらんまん 小林育子

さみだるる断るときの「だいじょうぶ」 松本千花
肩をぽんぽん薫風のよう笑顔 平田恒子
いもうとのうしろがいつも夕焼ける 鳥山由貴子
昭和の日昭和の傷へオロナイン 後藤雅文
天辺の好きな鳥から夏に入る 横地かをる
天地返して青水無月に染む手足 根本菜穂子
ふたりです空想老人の晩夏 山中葛子
寿命という軽いのりもの百千鳥 若森京子
わやわやと曲がるストロー夏に入る 小西瞬夏
あと何字生きられるかな新茶汲む 宮崎斗士
  ◇
 特選は〈父が逝き母が逝きつつじらんまん〉父上、母上と順に亡くなってしまった。そして、庭には両親が愛でたツツジが今を盛りと咲き誇っている。ツツジは明るい雰囲気があるが、見ていると少しさみしくなる花だ。言葉を並べただけのようだが、じわじわと迫ってくる句だった。ツツジのイメージが評価の分かれ道ではあるが。〈天地返して青水無月に染む手足〉の風土感にも惹かれた。畑や田んぼの土の表層部と下層部をひっくり返す「天地返し」は楽な作業ではない。難儀した手足を青水無月という季節のなかで、ゆったりと伸ばしている作者が見える。〈寿命という軽いのりもの百千鳥〉は、軽快な物言いではあるが核心を突いていた。百千鳥がそれを見事に受けている。〈あと何字生きられるかな新茶汲む〉も、寿命のことを書いている。切迫感のある作品が、妙に明るく感じられるのは、「かな」の口語調と取り合せた「新茶」のせいであろう。

【茂里美絵選】
竹皮を脱ぐ青年は昏いつつ 堀之内長一

花心には懺悔室ありしろい薔薇 渡辺のり子
八月の影脱ぐように喪服ぬぐ 北上正枝
腕時計を置く音父に父の日果つ 中村晋
居るはずのない人といて春の昼 森由美子
この夜のこの世の線香花火 指 望月士郎
寿命という軽いのりもの百千鳥 若森京子
青林檎に歯形小気味いい異論 綾田節子
軽はずみな哲学兆す竹の秋 安西篤
万緑の内なる叫び解き放つ 平田恒子
汗搔いて素面の父をシラノと言い 豊原清明
  ◇
 特選〈竹皮を脱ぐ青年は昏いつつ〉「戦」の文字はないが反戦の句と思った。青年自身が筒。つまり銃の化身とならざるを得ない現況。世界の昏さを背負う姿が目前に。
 秀逸句の寸評。〈花心には〉花心に人間のごうを思った。季語に救われる。〈八月の〉八月の影には個人的な想いの他に日本の負の原点でもある八月の記憶も。喪服に集約されるその想い。〈腕時計〉仄暗い父の日。腕時計に込められた哀感。〈居るはずの〉日常から非日常へ推移する心の動き。亡き人への想いが春愁いに繋がる。〈この夜の〉やはり、指ですね。一字開けも心理を表す意味で効果的。〈寿命という〉命に対するさらりとした達観。〈青林檎に〉具象と想念が見事に合致。「異論」に知性を感じる。〈軽はずみな〉竹皮の状態と上、中句の飛躍に思わず納得。〈万緑の〉明快で率直。万物への賛歌。〈汗搔いて〉このアイロニーが素敵。父への愛と哀感も。「シラノ」が絶妙。
 他にも佳句が沢山。評も不十分ですがポイントだけに絞りました。宮崎様には心から感謝申し上げます。これからも宜しくお願い致します。

【柳生正名選】
そらみみの近くにありぬ袋角 こしのゆみこ

青大将梁から落ちたよ昭和のこと 長谷川順子
がうがうと炎樹のびゆく海霧の奥 野﨑憲子
たんぽぽの根を炒りながらする話 三好つや子
ほとりとは風の余韻の青芒 伊藤淳子
目を見張りバナナ頬張る親子かな 大髙洋子
蕗糸を辿りて先は母の膝 深山未遊
人間を休みたい午後ダリア剪る 竹田昭江
舟虫のやたら子分になりたがる 松本千花
蝮絡み新幹線を止めにけり 赤崎裕太
わやわやと曲がるストロー夏に入る 小西瞬夏
  ◇
 一応多種多様といえる。ただ、かつての海程俳句にあった、ずんと心に刺さる言葉の重量感を懐かしく思った。時事に棹さすにしてもTV映像の延長線、家族に執するにしても葛藤のない情愛の世界にとどまっていては、集団としての高齢化が否応なく進む現状で、かつての熱量を求めるのは無理なのだろうか――そんなあきらめの気分に陥らないためにも、「海原俳句、来たるべきもの」の具体像について今、もっと論議があってよい気がする。
 特選には〈そらみみの〉を、個人的事情ながら父母の出身地である、春の朧な奈良を思いつつ。つい鹿煎餅をあげたくなる気分。秀逸句としては〈青大将〉共生への思いこそ生きもの感覚の根底にあるものだと再認識。〈がうがうと〉北国の荒々しくも美しい風土感と素直に受け止めて。〈たんぽぽの〉話の内容もさぞかし苦くて甘かろうと。〈ほとりとは〉食傷気味の「とは」俳句だが、青芒の存在感で。〈目を見張り〉贅沢品だった昭和の空気感。〈蕗糸を〉透明な筋を一本ずつ剥く。お決まりの「母俳句」もこの水準まで来れば。〈人間を〉前半の発想は既視感あるが、午後のダリアの鮮烈な実感に惹かれ。〈舟虫の〉すばしっこい動きを追いかけて遊ぶ子がモチーフか。〈わやわやと〉曲げて遊べるストローの造形的魅力。〈蝮絡み〉土俗の持つ力が何やら頼もしく。

【山中葛子選】
明日あしたを睨む夏野はゼレンスキー色 田中信克

秩父と出羽の荒川二川にせん渓は夏 鱸久子
今日の無為ままよ卯の花腐しかな 吉澤祥匡
はつなつの水面すうっと切り傷 川田由美子
竹皮を脱ぐ青年は昏いつつ 堀之内長一
海亀よ吾は旅半ば九十路ここのそじ 鱸久子
寿命という軽いのりもの百千鳥 若森京子
ひとりとは白湯がひっそり冷めるところ 伊藤淳子
「句集百年」に尿瓶の句多しよバラ咲きぬ 長谷川順子
含羞や遺影の前のわが裸身 石川青狼
「腹減った」どっちも笑う浮人形 西美惠子
  ◇
 特選〈明日あしたを睨む〉いまだ続く悲惨な戦争に向けられた「明日を睨む」未来志向の眼差し。まさに夏野の野生がかもしだされた「ゼレンスキー色」がなんとも象徴的。〈秩父と出羽〉二つの発源をもつ荒川への心模様に誘われる。〈今日の無為〉即興の気合にみちた「ままよ」のみごとさ。〈はつなつの〉風景が痛みの感覚にすり替わる美意識の妙味〈竹皮を脱ぐ〉青春期を暗喩した詩情の映像力。〈海亀よ〉長寿のめでたさに導かれる人生観。〈寿命という〉軽やかに羽ばたいている寿命の存在感。〈ひとりとは〉時空をきわめられた叙情のみごとさ。〈「句集百年」〉兜太先生の尿瓶が誇らしい。〈含羞や〉のりうつってくる肉体感覚のつやめき。〈「腹減った」〉相棒のいるユーモラスな生活実感が抜群。
 夏の「兜太通信俳句祭」の交流あればこその、俳諧自由のすばらしさをいただく感謝です。宮崎斗士さん有難うございました。

【若森京子選】
さへずるや同時代ゲームといふ持続 藤好良

花心には懺悔室ありしろい薔薇 渡辺のり子
青大将梁から落ちたよ昭和のこと 長谷川順子
はつなつの水面すうっと切り傷 川田由美子
竹皮を脱ぐ青年は昏いつつ 堀之内長一
蕗糸を辿りて先は母の膝 深山未遊
ふたりです空想老人の晩夏 山中葛子
夕薄暑肌理とは遅遅としたひかり 川田由美子
青林檎に歯形小気味いい異論 綾田節子
五月のドローン俺の禿頭は浮標 尾形ゆきお
草矢打つ戦嫌いの射程距離 木村寛伸
  ◇
 特選〈さへずるや〉話す中でその時代の音楽、漫画、ゲームなど、流行によって年令が判別できる。この散文的な表現が”さへずるや”季語と響き合って、時代を流動的に切り取り一句にした。
 〈花心には〉真白い薔薇の中にはきっと懺悔室があるに違いないとの感受性に惹かれた。〈青大将〉青大将のドスンと落下音のリアリティー、まさに昭和への遡行。〈はつなつの〉はつなつの繊細な心の痛みを詩にしている。〈竹皮を〉皮を脱ぐ事の出来ない青年特有の意固地さ。〈蕗糸を〉母に対する慕情を美しい一行に。懐古の一句。〈ふたりです〉最後のふたりに訪れる老々介護を空想老人と詩的な一行に。〈夕薄暑〉人間の五感を繊細に美しく表現している。〈青林檎〉上語と下語の衝撃が小気味よい。〈五月のドローン〉ドローンから見た自分が浮標に見えた。自嘲も含めた面白い切り口。〈草矢打つ〉銃弾を草矢に替えて欲しい。平和への祈り。
 御世話する宮崎氏に感謝します。一一〇人の海原人が句会できる素晴しさ、楽しさ、こんな時代だからこそ意義ある行事だと思います。

その他の参加者(一句抄)

肩甲骨蒼し二人の晩夏光 石川まゆみ
くちびるにピアスてのひらに桜貝 上田輝子
大江父子とひかりを辿る新樹光 大上恒子
風呂にひとり想う兜太も裸っぽ 大髙宏允
春の雨恋の仕方がわからない 小野地香
サミットへゼレンスキーの夏怒濤 川崎千鶴子
スカートを胸まで上げて滝の口 小松敦
左投げ右打ち涼風前後から 佐々木昇一
せっかちな花のようです積乱雲 佐藤詠子
新しき葭簀に自由な市民透く 高木一惠
縄飛びの雛罌粟ひなげし火縄銃 遠山郁好
巡礼の客死の墓に草の餅 藤田敦子
帰るものよ風は若葉に積もりゆく 藤野武
思草忘れ上手よ認知症 松田英子
加齢は華麗なり立葵 三木冬子
元気です青海苔まみれアスパラガス 峰尾大介
永遠の嘘のひとつや赤い薔薇 武藤幹
田水張る藪のしがらみ背負う家 山下一夫
囀りや耳穴太き裸針 山本弥生

『妖精女王マブの洞窟』マブソン青眼句集

『妖精女王マブの洞窟』マブソン青眼句集

  羊雲百句仏訳して眠る

 前著『句集と小説遙かなるマルキーズ諸島』に続く句集。「アニミズム的な世界観がヨーロッパにも色濃く残っていた中世の頃、「夢想の世を司る妖精の女王マブ」は敬われていた…苗字の通り「マブの子」に生まれ変わったかのような童心に帰り、再びこの地球を無垢な「青眼」で眺めたいと思った。そしてある日突如、「五七三」という”無垢な韻律”と出合った」(「あとがき」より)

■発行=本阿弥書店
■頒価=一九八〇円(税込)
https://www.honamisyoten.com/item/queen-mabs-cave/

『北國幻燈 Hokkoku Gento』中内亮玄句集

『北國幻燈 Hokkoku Gento』中内亮玄句集

  白鯨の座礁しており冬銀河

 『赤鬼の腕』に続く六年ぶりの第三句集。巻末に「俳句小論」を収める。「責任や義務を請け負わない野放図な自由主義が広まり、コンプライアンスを盾に取った揚げ足取りが大挙しています。「我慢」が出来ない子どもじみた道徳論は暴力的ですらあり、大人が大人として生きにくい時代となりました。しかし、俳句道揺るがず、平和を願い、共感と感謝を忘れず、歩み続けます」(「跋文」より)

■発行=狐尽出版
■頒価=二七五〇円(税込)
■問合せ=〒910‐0018 福井市田原二‐一九‐一願照寺内

『画家・瑛九の世界』瑛九生誕一〇〇年記念出版〔増補版〕福富健男著

瑛九生誕一〇〇年記念出版〔増補版〕
『画家・瑛九の世界』福富健男著

 著者の産土・宮崎市に生まれた前衛画家・瑛九。瑛九に魅せられた著者の研究成果をまとめた本。初版は二〇一一年刊行。「(本書は)著者四十年の研鑽の集大成であって、瑛九の世界、作品の所蔵、関係資料に関して書かれています。初心者にはやや難しいかと思われますが、瑛九について興味を持つ人には最高の書物となるでしょう」(荒平太和氏「増補版刊行に寄せて」より。氏は瑛九の妻、都さんの甥)

■発行=鉱脈社
■頒価=二二〇〇円(税込)
https://www.amazon.co.jp/dp/4860613856

吉澤祥匡・吉澤紀子句集『山影川鰍』〈遠汽笛 森由美子〉

『海原』No.51(2023/9/1発行)誌面より

吉澤祥匡・吉澤紀子句集『山影川鰍』

遠汽笛 森由美子

 吉澤祥匡さんは「熊谷兜の会」のペーパーウェイト。重鎮という重々しい存在ではなく、いつもそこに居るということでこの会が、そして勝手気ままな私たちが飛び散らないようにそっと押さえてくれている。静かに穏やかに見識ある彼がその席に座るというだけで、安心してしまうそんな存在である。
 その祥匡さんが奥様とお二人の句集を上梓された。
 ご夫妻は埼玉新聞「埼玉俳壇」に二十年間投句を続けられその間それぞれ五百句を超える入選を果たされている実力者であり、その中の厳選した二百句ずつがこの『山影川鰍』に収められている。ここでは「海原」の仲間である祥匡さんの句を中心に読ませていただいた。

  山影を見て駅を知る春車窓
  南面の芽吹きを誘ふ遠汽笛
  飛花に師の声あり句碑へ歩を返す
  秩父路は蒼き深海走り梅雨
  霧すさぶ秩父往還遠汽笛

 作者の産土は埼玉県寄居町、秩父への入り口である。秩父線で熊谷高校へ通った同窓という点でも兜太師への思い入れは殊更深い。SLの低くボーと鳴る遠汽笛は、師の声として今でも心の中に響いてくるのである。余談ながら過日の春の兜太祭での秩父はまさに蒼き深海の趣を一層濃くしていた。

  咲きわたるいぬのふぐりや城の跡
  片栗の花あり凜として虎口
  流鏑馬の射手は少年新樹光
  城山を攻め上りけり青嵐

 北条氏の上野進出の拠点であった鉢形城址は寄居の誇る史跡である。荒川を見下ろす断崖絶壁に建てられた名城であったが、豊臣秀吉軍の小田原攻めに伴い五万人の軍勢を相手に、僅か三千五百の兵力で一ヶ月余を戦い抜いた末、開城という悲しい歴史を秘めている。その落城への想いは今も町民の中に深く静かに受け継がれており、深谷市とも熊谷市とも合併せず寄居町としての矜持を保ち続けているとも聞いている。産土感とはこのように故郷に流れる通奏低音のような遠汽笛なのである。

  切られても切られても蔓烏瓜
  蔓に蔓朝顔の天窺ひて
  朝顔の蔓根性がおもしろき
  地を這ふも天指すも性瓜の蔓

 この二百句の中に「蔓」の字が結構な頻度で使われている。地を這い天を窺い、切られても切られても、隙をねらっては自由自在に伸びて行く蔓のしたたかさ。その反骨精神は作者の凜とした佇まいの中にも歴然と流れていると私は見ている。

  滝しぶきしばし修験者気取りして
  結跏趺坐倣ふ禅寺夏終はる
  天牛のぶつかり吾は木偶の坊
  潔く過去忘るべし冬もみぢ

 周りの期待を裏切ることなく人生を真っ直ぐ歩んで、公務員の要職を務めあげ叙勲の栄にも浴している作者。それでも己を木偶の坊と謙譲し、なおも精神的完成を求めようと努力を惜しまない。過去の栄誉は振り向かないその潔さが心地よく伝わってくる。

  鳶の輪その更にうへ鷹渡る
  鳶舞ふ大凍雲の去りしあと
  鷹渡るスカイツリーの見ゆる尾根
  若鳥の飛翔逞し鷹渡る

 無限の空を上昇気流に乗って、のびやかに舞う鳥たちへの自由と強さへの憧れ。長い人生の何処かで着実な道を歩みつつも感じる閉塞感。翔び立ちたい心を鳥たちに重ねたこともあったであろう。

  薄氷の吹かれて水の匂ひ立つ
  すつと来てすつと風切る鬼やんま
  初蝶の光背負ひてこぼれ来し

 小さな自然への優しい視線も数多に見られる。水と緑に恵まれた地ならではの鋭い感性の光る句である。
 そして私は

  大地より心地好き音大根引く
  群青の空ぐいぐいと積乱雲

 この大自然へののびのびとした讃歌に一番惹かれる。巍巍とした両神山と甲武信ヶ岳を背に水面平らかな荒川を前にして両手を大きく広げ、天の声、地の声を聞く。自然あふれる産土をバックボーンに、対象を真正面から見据えるその作者の姿勢にわが身を顧みて反省すること多多であり、大切な学びとなった。

 なお、紀子夫人とは未だ面識もなく、大変失礼かと躊躇しつつ、好きな句として次を選ばせていただいた。

  青空が好き電線が好き赤とんぼ
  俎板の音やはらかし新牛蒡
  冷やされて尻まで重き梨となる
  闊達な脳味噌に似て鶏頭花
  ひる過ぎればひとりの時間水仙花

 どの句も心の自由さ、表現の豊かさが感じられ、同じ女性としても共感するものである。
 共通のご趣味を持ち続けるご夫妻の知的で誠実な関係が、この句集から読み取れる。更なるご活躍を期待している。

埼玉県現代俳句大賞:第十九回(茂里 美絵)&第二十回(鳥山 由貴子)

埼玉県現代俳句協会が毎年実施している「埼玉県現代俳句大賞」にて、海原の仲間が二年連続で一位となりましたこと、遅ればせながらお知らせします。

第十九回(2022年)埼玉県現代俳句大賞 「準賞」* 

漂着す 茂里 美絵

晩夏とはまひるの櫂のひかりなり
かもめ淡し月白を曳き還らない
ワイングラスのゆるい曲線十三夜
泪つぶつつーアンドロメダ星雲
バンザイをして穂芒の一本に
秋蝶といま産土へ漂着す
ルリタテハゆくえは薄き昼の闇
さみしいからすこし口開け柘榴の実
逡巡の歩幅のゆるむとき照葉
少年のさ迷い銀河尖るまで
かもめにも深き秋冷パンデミック
病む人ら夕顔の実に頭を預け
バスタオルすこしよじれて白鳥座
聞き役の椅子のきしみや笑茸
本来の季語とりもどす白マスク

通常一位は「大賞」ですが、第十九回は同点一位が五名となったため、五名とも「準賞」としたそうです。

埼玉県現代俳句協会報 第 82号 2022年3月15日

第二十回(2023年)埼玉県現代俳句大賞 「大賞」 

夜が長過ぎる 鳥山 由貴子

水の秋鳥はかなしい歌うたう
植紅葉人差し指の火傷痕
木の実降る底なし沼に木の実降る
何もかもうやむや背高泡立草
竈馬ハロゲンランプで照らしてやる
暗転の舞台にひかる蜘蛛の糸
無人飛行機銀河の果に不時着す
遠火事のごとく縄文火焔土器
花野の夜サーカスがはじまっている
だまし絵の中の階段十三夜
こむら返り海鳴り夜が長過ぎる
鳴いているのは月の裏側螻蛄蚯蚓
真夜中の電話さびしい狐から
炭団坂菊坂暗闇坂濁酒
十一月化石のように目を醒ます

埼玉県現代俳句協会報 第 84号 2023年3月15日

以上

第5回 海原賞・海原新人賞の決定

第5回の海原賞、海原新人賞の授賞者が、次のとおり決定しました。
「海原賞」「海原新人賞」の詳細は2023年10月号(第52号)に掲載予定です。

◆第5回 海原賞
 中内 亮玄

◆第5回 海原新人賞
 渡辺 のり子
 立川 瑠璃

第2回「海原」全国大会 in 秩父《創刊5周年記念》

第2回「海原」全国大会 in 秩父《創刊5周年記念》

 四国高松で開かれた第1回の全国大会からはや4年。パンデミックの行方を見据えつつ、「海原」創刊5周年記念と銘打ち、第2回全国大会を秩父にて開催します。全国大会は両神山を眼前に望む農園ホテル、有志吟行会は金子先生に縁のある長瀞の長生館です。みなさまと一緒に、改めてこれからの方向を考え、そして存分に俳句を楽しみたいと思います。万障お繰り合わせのうえ、連れ立ってご参加ください。

【とき】
Ⓐ全国大会
2023年10月28日(土)午後1時~10月29日(日)正午まで
Ⓑ有志吟行会
2023年10月29日(日)午後1時~10月30日(月)正午まで

【ところ】
Ⓐ全国大会
ナチュラルファームシティ農園ホテル〔西武秩父駅の近くです〕
〒368―8558 埼玉県秩父市大宮5911―1(☎0494―22―2000)

Ⓑ有志吟行会
長生館〔秩父鉄道長瀞駅のすぐ側です〕
〒369―1305 埼玉県秩父郡長瀞町長瀞449(☎0494―66―1113)

【日程】
Ⓐ全国大会
10月28日(土)
12:00 受付開始
13:00 海原総会/海原各賞の表彰
14:00 第一次句会(事前投句/講評/合評座談会ほか)
17:30 第二次句会投句締切(1句)
18:30 夕食・懇親会

10月29日(日)
7:00 朝食(バイキング)
9:00 第二次句会(特別選者・講評)
12:00 全国大会終了/昼食・解散

Ⓑ有志吟行会
10月29日(日)
13:00 参加者は貸切バスにて出発(秩父ミューズパーク、秩父事件集結の地・椋神社、金子先生の句碑・万福寺などをめぐります)
18:00 夕食/第三次句会投句締切(2句)
19:00 第三次句会(特別選者・講評)

10月30日(月)
7:00 朝食(バイキング)/第四次句会投句締切
9:00 第四次句会(互選・合評・表彰ほか)
12:00 有志吟行会終了/昼食後に解散

【会費】
Ⓐ全国大会23,000円(1泊3食、懇親会)
Ⓑ有志吟行23,000円(1泊3食、吟行バス)
※一人部屋を希望する場合:農園ホテル・長生館とも、10,000円加算
※参加費は当日受付にて支払い
※キャンセル料:10月16日~22日のキャンセルは10,000円、10月23日以降のキャンセルは全額いただきます

【参加申込の締切】
2023年8月31日(木)
(1)住所・氏名・電話番号
(2)参加区分:ⒶⒷ(全日程)、Ⓐのみ、またはⒷのみの別
*ホテルの部屋確保のため、早めの申込みにしています。ご協力をお願いいたします。
*参加申込と作品の投句は、下記のメール、FAX、はがき等でお寄せください。

【大会作品の投句の締切】
2023年9月30日(土)必着 俳句2句

【申込先・投句先】
宮崎斗士あて
・メール:tosmiya★d1.dion.ne.jp(★→@、「d1」の「1」は数字の1です)
・郵便:182-0036 東京都調布市飛田給2―29―1―401
・電話:070-5555-1523 FAX:042-486-1938
・俳句は楷書でていねいに書いてください。

【ご案内】
①農園ホテルへの交通機関
西武池袋線・西武秩父駅、秩父鉄道・秩父駅(それぞれタクシーで5~7分)
定期送迎バスあり(詳細は9月号にて)
②参加費は当日受付にて支払い
※キャンセル料:10月16日~22日のキャンセルは10,000円、10月23日以降のキャンセルは全額いただきます
③一人部屋を希望する場合:農園ホテル・長生館とも、10,000円加算

以上
海原全国大会実行委員会

追悼 伊藤雅彦 遺句抄

『海原』No.49(2023/6/1発行)誌面より

追悼 伊藤雅彦 遺句抄

少年は透明な矛盾梨の花*
連翹の黄に起こされる八十路かな*
非正規のままの定年田螺食う*
薺粥鴨長明も啜ったか*
夕焼けを使い尽くして帆が帰る
花馬酔木円錐のよう猜疑心
極月や母ゆうゆうと物忘れ
謝罪なき式辞の軽み敗戦日*
誰にともなき父の献杯敗戦日
フィレンツェの染みの取れない夏帽子
山桜桃少年真水のごと漂泊
花馬酔木母と触れ合っている言葉
白萩に向けて小さき母の椅子
葉桜の下ならふっと素になれる
路上飲みの若者の目に夏の隈
屈託の秋ジーパンの吹き曝し
芙蓉咲き言葉の多い一日です
人杖や今日は牡丹にふれるまで
鳥雲に人は心に巣箱持つ
開戦日漬物石が見当たらぬ

(伊藤巌・抄出〈*は海程秀句です〉)

雅彦さん 伊藤巌

 雅彦さんが居なくなった。
 雅彦さんとの付き合いはほぼ二〇年になる。それは俳句と私との付き合いに重なる。
 「今が一番いい」そんな思いで過ごした俳句との時間、そこには何時も雅彦さんが居た。居るのが当たり前のように、ごく自然に……。伊藤ブラザーズなどと言われたこともあった。

 数日前に会ったばかりではないか。
 電話を掛けても、メールを送っても
     雅彦さんが居ない……。

 『奥の迷い道』は雅彦さんの本だ。
 二〇〇五年、新宿の朝日カルチャー俳句教室入門科にお世話になることになった。その時、芭蕉の奥の細道を辿り歩いていたのが雅彦さんだった。
 扉に「夢は実現出来る」のサインがある。
 今読み返してみて、こう書けるのはやはり雅彦さんだなと、しみじみ思う。
 約二〇六〇キロの道を「奥の細道」を頼りに芭蕉の跡を丁寧に辿る……。
 肉棘や筋肉の痛みに足を引きずりながら、時にダンプの排気ガスに悪態をつき、雨の日も、酷暑の夏の日もひたすら歩く、その日々の記録が記されている本だ。
 歩くことは自分との対話、自己を見つめる時間でもある。愚直とも思えるほどに作者は歩き続ける。夢の実現に向かってひたすら、留まることはない。時には月山の雪渓で足を滑らせ、命を危険にさらしたりして……。そして、芭蕉を想い、時に日本の現状・政治を憂い、あるいは家族を想いもする。
 旅で出会った数々の温かな心遣い、親切、それは雅彦さんの人柄が引き出した贈り物のようにも思えてくる。
 雅彦さんのこれまでの人生、あるいは俳句に向かう姿勢を見るような思いで、読み終えた。

 雅彦さんとの小句会は私の宝だ。
 花咲き急ぎ散りいそぎ 上五をどうする
 さようなら 雅彦さん

〈追悼句:さようなら、伊藤雅彦さん〉

伊藤雅彦氏は、海程多摩句会と海童会に所属して句作に励んでいました。両句会のメンバーによる追悼句です(両方に参加している会員も、一人一句としました)

【海程多摩句会】
あるがまままことを生きし地の塩や 安西篤
こゑ未だ一隅にあり猫柳 ダークシー美紀
愛の日に逝く奥の細道星の径 石橋いろり
土匂う風に遠くの声聞こえ 小松敦
含羞の笑みよ漬物石よ忘れない 黒岡洋子
手冷たし律義丁寧の翁なり 田中怜子
遠望すアンドロメダ星雲「雅彦さ〜ん」 大上恒子
「雅彦さーん」呼べども呼べども春の雲 伊藤巌
雅彦さん春雲という空欄へ 宮崎斗士
薄氷や雅男みやびおの眼の透けて見ゆ 抜山裕子
風がめくる二十余年よ枝垂梅 竹田昭江
逝く友よまたも辿るや奥の細道 岡崎万寿
大辞林冬菜漬物石代り 小松よしはる
雨だれは誰のみみうち花辛夷 望月士郎
奥の細道踏破の笑顔鳥帰る 日高玲
春楡に呼ばれし詩人ハイジの丘 大髙宏允
はにかみと笑顔の記憶辛夷咲く 田中信克
温顔は彼の日の朝の白椿 平田恒子
いつもの席に『奥の迷い道』置くおぼろ 綾田節子
三つ目の春泥飛び越え他界かな 黒済泰子
沈丁花はるか虚空に流れ星 榎本愛子
白梅や句評賜わりしこと永遠に 三木冬子
「じゃあまた」が最後となった一月の駅 野口佐稔
愛妻の趣味応援の雅彦さん早春 植竹利江
こころ雅彦さんの言葉は情白つばき 芹沢愛子
いのち枝垂れて櫻花咲き誇り 田井淑江
抱かれて逝く学びし京の寒灯に 植田郁一
春連れて空寄ってくる別れなり 望月たけし
薄氷踏みて破らず逝かれしか 柳生正名

【海童会】
居るはずの優しき姿花霞 安藤久美子
鳥雲に言葉はふっと零れしまま 伊藤淳子
葦原の角組む音す友逝けり 河原珠美
設楽野の鳥の名草の名春が逝く 遠山郁好
雅彦さん鳰うつくしく啼き合いて 鳥山由貴子
きさらぎ悲し抒情の海を漕ぎ行くか 堀之内長一
白椿何も語らず逝きにけり 森鈴

マブソン青眼『遥かなるマルキーズ諸島』〈アニミズム的「魂」の世界観 石川青狼〉

『海原』No.49(2023/6/1発行)誌面より

マブソン青眼『遥かなるマルキーズ諸島』(句集と小説)
アニミズム的「マナ」の世界観 石川青狼

 2022年(令和4年)5月22日の北海道新聞に『細谷の獄中記日仏語で復刻』との活字とマブソン青眼氏の顔写真が飛び込んできた。細谷とは、治安維持法違反で新興俳句弾圧事件に遭い、投獄された北海道ゆかりの俳人細谷源二である。細谷の獄中記「俳句事件」を、氏がフランス語と日本語の2カ国語で出版したとの記事である。
 細谷源二は北海道の戦後昭和俳句界を牽引した主柱的存在であり、結社「氷原帯」を創設した。その結社も廃刊となり惜しまれていただけに、この記事に「喝」を入れられたような衝撃を受けた。
 さらに北海道立文学館の特別展「細谷源二と齋藤玄」の講演会に、「細谷源二著『俳句事件』―『俳句弾圧不忘の碑』からフランス語訳の出版まで」と題して、氏の講演が3月12日に文学館講堂にて行われた。参加できず、後日ユーチューブに配信され拝聴することができた。
 前置きが長くなった。では本書、句集と小説『遥かなるマルキーズ諸島』のあとがきから。
 ―二〇一九年七月から二〇二〇年六月まで、フランス領ポリネシア・マルキーズ諸島ヒバオア島で一人で暮らした。もともと以前から日本社会の閉鎖性に疲れていて、ある日突如、世界で最も孤立した島に住んでみようと決めたのだ。―とのこと。この行動する強靭なパワーと精神力に圧倒される。
 すでに「海原」13号に『マルキーズ諸島五十景』と題した俳句50句と短文。さらに28号にて、柳生正名氏が「無季の楽園にて」と題して、マブソン青眼句集『マルキーズ諸島百景』『遥かなるマルキーズ諸島』を紹介している。再度読み返してもらえれば風景が見えてくる。
 本書の重力は「句集と小説」のコラボであり、一句一句が小説の発句的触発の起因ともなり、日本とマルキーズ諸島行脚風物語としての楽しみ方もある。物語と俳句が織りなすファンタジーな世界観を堪能できる。過去と未来がリンクする。
 第一部の句集は、8項目のキーワド「海」18句。「島」27句。「植物」26句。「動物」59句。「人間」56句。「先人」22句。「天」14句。「日本」28句。計250句で構成。いわゆる従来の歳時記的春夏秋冬の季節感を払拭し、詩語としての無季の世界観を描き出している。各項目の句を紹介。  
  海・は最初で最後の人間怒濤のまえ
  島・「冬の旅」聴く冬も夏も無き孤島
  植物・創生語るパイプオルガンや大ガジュマル
  動物・ポリネシアに赤トンボあり原爆忌
  人間・泳ぐのタトゥーの模様波の模様
  先人・十字架の片腕欠けて赤道墓地
  天・流れ星やいばのごとく眼球切る
  日本・浅間からポリネシアまで鰯雲
 第二部の小説は一から十六の章に分かれ、物語の導入部に俳句が書かれてある。冒頭部分を紹介。
 ―〈マルキーズ語で「歌」をウタと言う 波笑え〉
 新潟県上越市立水族博物館前の食堂「いるか」。ずいぶん前から店舗ドアのネジがバカになっていて、取っ手を引くとまさにイルカの悲鳴のように軋む。

 物語はここから始まる。この冒頭の部分は最終章十六でも登場する。
 小説はマルキーズ島の青年ヨハンと島で囚われ日本の水族館で見世物となった人魚ネイラとの究極の愛の救出劇で、マブソン一家を巻き込んだファンタジーな物語である。
 ―「ヨハン、僕だよ。その詩人は!」上越市立水族博物館のほうから、ディズニー・アニメ「リトル・マーメイド」の主題歌が流れてくる。「人魚ショー」の始まりだ。
 小説の中で作者の心境を吐露する場面がある。
 ―「二十年前、一年間、僕はヒバオア島で、本当に幸せだった。あの時、日本でのストレスを全部忘れてね。父の死の直後だった。あなたの島に、本当に癒された…。一生に一度、時が止まったような幸せだった。あそこでたくさんの詩を、そして小説を書いたよ」
と語り、ヨハンが、マブソン氏に「日本の詩、ハイクだっけ、それを作ったでしょう。」と運命的な出会いを語らせる。現実と物語が交錯する。
 小説にも〈ゴーギャン墓碑女像の乳首を触れば死す〉や〈汗一滴ブレル墓石に吸われけり〉が挿入され、ジャック・ブレルの最後のシャンソンとなった「遥かなるマルキーズ諸島」の歌声を聴きながらマブソン氏の歌詞の邦訳を味わった。氏は不思議なほど、自由に書けたと言い
 ―”アニミズム的”ともいえる、この風変りな句集と物語の双面ふたおもてを通じて、日本の読者も「遥かなるマルキーズ諸島」に残る大らかな時空オムアに浸り、南太平洋のそよ風アリゼに身を委ねるような、自由ノマドな心地になればと思う。(中略)”先進国”の都会で蔓延る様々な心身の病や憎しみの連鎖、環境破壊、AIによる心の束縛などから解放してくれる「人魚」は、きっと存在する。南太平洋のどこかで存在すると私は信じる。そんな”最後のユートピア”のような白日夢を一冊に託した。
 日本とマルキーズ諸島を舞台に氏が体感した”アニミズム文化圏”を自由に往還しマナを揺さぶるユートピアの世界観が描かれている。もちろん金子兜太師の魂へ捧げるオマージュでもあろう。
  犬は海を少年はマンゴーの森を見る 兜太
  古代先祖像テイキ金子兜太の悲しき笑み 青眼
 劇団四季の「リトル・マーメイド」札幌公演のポスターが句会場のロビーに貼られてあり、瞬時に小説の世界となった。

山中葛子句集『愛惜』〈一句鑑賞・桂凛火・高木一惠〉

『海原』No.49(2023/6/1発行)誌面より

山中葛子句集『愛惜』一句鑑賞

◇豊饒なるかなしみ 桂 凜火

  朝はじまる浅蜊の悲しみ食べてあげる

 この句の「朝はじまる」の導入には不思議な力がある。今始まる浅蜊の悲しみをまるごと引き受けようというのだろうか。そして「食べてあげる」の措辞には青みを帯びた貪欲な野性すら感じられる。いのちに対峙する作者の姿勢が定型の中にやわらかに切り取られ差し出されている。山中さんの俳句世界の凄みである。
 句集『愛惜』は、兜太師の死、自分の老いをはじめさまざまな具象の中に愛するものの、愛するゆえのかなしみをとりだして見せてくれる。そして、それは浅蜊のかなしみに寄り添うよう生き物たちとの交感の中でつかみだされてゆくものである。一昔前の自我にこもりがちな詩人の孤独な営みとは異なる。句集に通底する湿りを帯びたかなしみが心地よいと感じさせてくれる。生々しくて、みずみずしく豊饒なそれは魅力的だ。
 「いよいよ未知なる時間を受け止めていく」という作者の覚悟は並々ではないと思う。ここに削りだされた句の一つ一つが後に続く者たちへの標のように朝の春陽を纏い光を帯びている。

◇願いと祈りと 高木一惠

  老ふたり川霧一〇〇トンどう曳くか

 数年前、北上川支流の猊鼻渓舟下りの帰路に振り返ると、高い崖に挟まれて川霧が重く立ち籠めていました。そう、あれが川霧一〇〇トン、実感です。この喩の有り様こそ、山中葛子俳句の真骨頂でありましょう。
 生々流転の旅路を共に乗り越えてきた二人。その労り合いもいよいよ厳しい流れにぶつかって苦闘する姿は、他人ごとでなく身に沁みます。川霧一〇〇トンに象徴される難儀を前に思案にくれつつ、しかし不退転の姿勢を貫かれる大先輩を「葛子さん」と親しく呼んでいますが、心では葛子先生です。
 〈日本中央とあり大手毬小手毬兜太〉の句碑除幕式の折、夕陽を見つめて句作なさる葛子さんを間近にしたのがご縁の始まりで、「定住漂泊の主題句のつもり」と兜太先生が述べられた〈日の夕べ天空を去る一狐かな〉の句碑にもご一緒しました。桜満開の兜太祭ではお会いできず残念でしたが、「かもめより自由とおもうこともあるくらい」(『かもめ』帯・金子兜太)の葛子さんについて行けるよう、私も翼をひろげます。

山中葛子句集『愛惜』〈「その世」の華やぎを詠む 柳生正名〉

『海原』No.49(2023/6/1発行)誌面より

山中葛子句集『愛惜』
「その世」の華やぎを詠む 柳生正名

 あとがきに「『かもめ』のあとの九年間を纏めた平成二十五年から令和三年までの句集」と自ら記している。選集も含めると第九句集に当たるようだ。ベートーベン以来、「第九」は表現に関わる者にとって特別な意味を持つ。それは集大成でありつつ、現代に続く次の時代への幕開けを告げる「扉」である。そんな物言いが大げさではないのは、この句集『愛惜』を大きな俳句の時空の座標に位置付けてみれば明らかだろう。この集が対象とした期間は、著者の師、金子兜太の逝去、所属した『海程』終刊から後継誌『海原』創刊に至る過程を含む。
  他界という扉のあれば歌詠み鳥
 最終章「令和三年」に収められた掲句の「他界」は、晩年この語をさかんに用いた兜太はじめ、かつて教えを受けた八木三日女、さらに高桑弘夫、加藤青女、土田武人、谷佳紀といった同志たちの、この九年間に現実となった死に触れての発語だろう。それは山中自身にとって「七十代後半から八十代半ばまでの老いゆく肉体の自然を実感することでもありました」。ここに「肉体の自然」という言葉が登場することに注目したい。というのも、本集に
  ひつじ雲またひつじ雲花の寺二月二十日金子兜太師逝く  平成三十年
と詠まれた秩父・総持寺で兜太の眠る墓石と並び立つ句碑――そこに懐かしい骨太の墨蹟で刻まれているのが
  ぎらぎらの朝日子照らす自然かな 兜太
であり、山中もこの集に次の句を収めている。
  ぎらぎらの句碑にとびつく蟇の恋  平成二十九年
 兜太の生きもの感覚と呼ぶにふさわしい生命力の若々しさを体現した碑句の眼目が「自然」という言葉である以上、「肉体の自然」とは年々、老いを深めつつ、それによって創出される新たな世界=他界への目覚めを思わせる表現である。
 そして冒頭掲げた句で、山中が「他界への扉」ではなく「他界という扉」としたことに驚く。兜太の言う他界は「あの世」のことではなく、「この世」と「あの世」との間、「その世」とでもいうべきところにある「扉」のことというのだ。確かに、そうであってこそ、兜太が「他界」したことと「どうも私は死ぬ気がしない」と言ったことの整合性が見えてくる。
  陽の柔わら歩ききれない遠い家 兜太
 「遠い家」という「あの世」まで「歩ききれない」と詠んだ兜太は、「この世」の雑事はもちろん、「あの世」からも遠く離れた場所に立っていた。「この世」「あの世」いずれへの定住にも収まらず、両者のあわい=扉という「その世」にとどまり、あくまで漂泊を続けた。いや、五回忌を迎えた今も確かに続けている。それが兜太流の「他界」であることに、鴬の一声が気付かせてくれた――そういう一句ではないのか。
 「歌詠み鳥」は鴬でありつつ、肉体も何もかもをひっくるめた「生きもの感覚」が生み出した語であり、そこには自らも「扉」という「その世」にとどまり、歌を詠み続けずにはいられない山中の「存在者」が面目躍如する、その生き生きと若々しい華やぎを、読者はこの集のいたるところに発見できる。
  春のたりひねもす羽化のあるばかり  平成二十五年
  草おぼろ鬼に呼ばれてしまいそう  平成二十六年
  春ショール記憶の海が坐れという  平成二十七年
  旅路麦秋ふり向く身体を海という  平成二十八年
  鳥獣戯画月がとっても走るから
  創刊号今にひらけばきらら虫  平成二十九年
  うららけし鷗柱のあがりけり
  鬼柚子の転がってゆくオノマトペ  平成三十一年・令和元年
  筋肉の消えて鮃というわたし  令和二年
  上総まで茅花流しを漕ぎゆけり  令和三年
 いずれも生きもの感覚を研ぎすまし、巧みにあわい﹅﹅﹅に立つことによってのみすくいあげることが可能な映像の句だと感じる。それはこの句集と機を同じくして刊行されたインタビュー集『兜太を語る―海程15人と共に』の中で
  今日までジュゴン明日は虎ふぐのわれか 兜太
 という一句について記した

アニミズムの磁場そのままに、まさに師の「俳句造型論」が俳句史となりえているその前衛性を思わずにはいられません。

という理解を自ら実践したとも言えそうだ。兜太もまた「この世」と「あの世」のあわい﹅﹅﹅から生き生きと若々しく世界をまなざすことのできる存在だった――そんな気付きを与えてくれる点こそ、この句集の最大の美点と感じる。
 一方、よく読みこんでいくと
  もつれゆく先頭ありて蟻の道  平成二十六年
  ブラインドの紐のたらりと憂国忌  平成二十七年
など堅実なリアリズムに立脚しながら、社会的な射程も含む批評的象徴性を言葉に重ね合わせる句の存在にも気付く。その上で、句集名の元となった
  愛惜を荷作りせよと虫そぞろ
は生きもの感覚に根差した「その世」からのまなざしを持てばこその味わい深い一句である。そして、山中にとってこの「愛惜」ということばの直接の対象となる人々への追悼句の数々が、いずれも儀礼の域を超えた「作品」として成立している。この点も本集の読みどころのひとつだろう。それは『兜太と語る』に収められた山中の俳人としての半生記、それが現代俳句、ならびにその梁山泊としての役割を果たした「海程」の創成以来のドラマチックな歴史とそのままシンクロした内容である。それだけに、両書を並行して読んだ時にみえてくるだろうものの豊かさは想像するだけでも胸がときめく。
   悼 八木三日女氏
  三日女逝く少ししゃがれし声尊し  平成二十六年
   悼 高桑弘夫氏
  友逝けり夕刊全面桜かな
   悼 加藤青女氏
  讃美歌やカトレアの華を捧げし
   悼 土田武人氏
  みんなゆめ菊屋茶房は地下一階
   悼 谷佳紀氏
  彎曲やマラソン天へのぼりゆく  平成三十年
 そして何より師兜太の他界に直面し、またおそらくはその体験を過去とすることができないまま今に至る、そのような時のあわいで詠まれた句の数々。
  きさらぎのなむなむなむなむ羊雲  平成三十年
  兜太皆子師妖艶椿のひかりの中
  師系ありほたるぶくろは未完だという

  さびしらの弖爾乎波てにをはいただく青鮫忌  平成三十一年・令和元年
  あまたの忌きらきらきらきら海髪の黒  令和二年
  ひらひらひらちょうちょちょうちょ虚空まで  令和三年
 説明的な物言いを極力排し、思いをそのまま発語の形に造型していく、これらの中から数多くが本書の帯に記された「自選十句」に採られている。

 人も大自然の一つであることに気づかされつつ、いよいよ未知なる時間を受け止めていく中で、私の一句へ向かう願いと言いましょうか、祈りと言いましょうか、俳句詩形への謎と魅力はいっそう深まりゆくばかりでした。

 こう、あとがきに記した山中にとって、「その世」からのまなざしから生まれる言葉を定型に収め、真言のような祈りの言葉へと造型することが、「愛惜を荷作りする」営みの具現化された姿なのかもしれない。
(敬称略)

第1回兜太祭 レポート

『海原』No.49(2023/6/1発行)誌面より

第1回兜太祭 レポート

とき:2023年3月25日(土)~27日(月)
(有志一泊吟行含む)
ところ:秩父長瀞「長生館」
(有志一泊吟行は第一ホテルほか)

●第一日●墓参と壺春堂吟行

兜太の産土を訪ねて 齊藤しじみ

 秩父は朝から冷たい雨が降ったり止んだりのあいにくの空模様。季語で言えば「余寒」や「冴え返る」という肌感覚だろうか。「第一回兜太祭」の参加者は総勢五十人ほど、雨傘を片手に冬の装いで受付会場の「長生館」に集まった。
 「海原」にとっては五年ぶりの秩父での公式の集まりとあって、長生館のロビーでは久しぶりの再会を喜び合う姿とともに弾む声があちらこちらで響いた。
 参加者たちは午後零時半に二台の貸し切りバスに分乗して、まずは金子先生と妻の皆子さんの眠る長瀞町の総持寺に向かった。現地では、先生のご長男の眞土さんご夫妻の出迎えを受け、順番に墓前に手を合わせた。先生の戒名は「海程院大航句極居士」。実は総持寺は金子家の菩提寺ではないとのこと。眞土さんの話では金子家の菩提寺は家業の医院を継いだ先生の弟の千侍さんが入ったという。
 境内には、平成元年に紫綬褒章受章を記念して建立された先生の句碑が墓の近くにある。
  ぎらぎらの朝日子照らす自然かな

▲総持寺(長瀞町野上)へ墓参
▲先生を偲んで


 総持寺の次は、昭和五年に秩父音頭が盆踊りとして初めて踊られた所以から、兜太先生が「唄と踊と花の寺」と称したお隣の皆野町の圓明寺を訪ねた。
 境内には兜太先生とその父の伊昔紅の父子の句碑が平成三年に並んで建立されている。
  夏の山国母いて我を与太という 兜太
  常の顔つねの浴衣で踊りけり 伊昔紅

 開業医だった伊昔紅は生前、長男の兜太先生が医者にならずに俳句に浮身をやつしていたことに腹を立てて、兜太と呼ばずに与太と呼び、いつしか母も百四歳で亡くなるまでその呼び名に慣れてしまっていたという。
 そんな逸話を思い出しながら、次に向かったのは先生の生家で、中国の上海から帰国した伊昔紅が大正一五年に開設した診療所で住居を兼ねた建物「壺春堂」である。この建物を保存し後世に伝えようという活動が五年前から始まっている。おととしには国の有形文化財にも登録され、現在、内部は改装されて父子ゆかりの品々が展示され、見学もできるようになっている。
 「壺春堂」と名付けられた理由について、私は今回初めて知ったが、中国大陸にいた伊昔紅が中国の杭州料理に舌鼓を打った茶館の名「壺春楼」からとったとのことで、一節には「壺春」とは酒を意味するともいう。
 ここで、かつては地元の人たちを集めての句会が頻繁に開かれ、水原秋櫻子や加藤楸邨といった著名な俳人が訪れたことでも知られる。それだけに、座敷にあがった参加者たちは往年の先生の記憶とともに家屋に刻まれた百年の歴史にそれぞれ思いを馳せながら感慨深そうに見て回った。

▲金子先生ゆかりの品が並ぶ壺春堂
▲壺春堂の庭に建立された句碑

 「壺春堂」を後にした参加者たちは、再びバスに乗り込み、先生が出征時に武運長久を祈願したという皆野町の椋神社を訪れ、〈おおかみに螢が一つ付いていた〉の句碑を見学した後、近くの秩父味噌の醸造会社「新井武平商店」に立ち寄った。百年近い歴史を持つ会社で、創業者の武平が伊昔紅の俳句の弟子であった関係で、生前「味噌蔵句会」と称する集まりが開かれていたという。この縁もあり、会社の敷地内は伊昔紅のほか、先生の句碑が四基ある。
  味噌つきや負われて踏みし日の記憶 伊昔紅
  よく眠る夢の枯野が靑むまで 兜太

 案内役の三代目の藤治社長(七五歳)からは「当初、句碑を作りたいと先生に伝えたところ、『句碑なんて犬の糞みたいに作るもんじゃない』と言っておられたが、実際に建立されると『ありがてえな』と喜んでいただいた」という思い出話を伺った。
 途中から雨が上がって傘が要らなくなったが、行く先々のゆかりの地で、先生が「おう! よく来たな」と出迎えてくださったような気分を味わえた半日ツアーだった。

●第一日●第一次句会

秩父花の雨祭り 榎本祐子

 予報通りの雨の中、秩父へと向かう。だんだんと山懐に入って行く様は、胎内回帰を感じさせる懐かしさがある。
 雨は時折ぱらつく程度におさまり、先生のお墓のある総持寺へ。ご子息の眞土さんご夫妻に迎えられ、線香の香の中で手を合わせ、壺春堂記念館へ。兜太先生少年時代の息吹を感じ、それぞれの思いを胸に宿泊先の長生館へと。
 第一次句会は、宮崎斗士さんの司会で午後7時30分よりスタート。夕食時の盛り上がりからの切り替えの速さは、さすがに皆様俳人。俳句モードに入り、高得点より合評。
  朝寝して水になる夢秩父なり 野﨑憲子
 水と秩父の関わりが良い。「秩父なり」に実感がある。対して「秩父なり」が効いていない。水と夢はマンネリ。との意見も。
  花の雨その人の文字折りたたむ 小松敦
 その人の存在感まで折りたたむようで、情緒深い。「その人」が一般的には曖昧だが、この場では金子先生が思い浮かび寂しげで、花の雨が心憎い。
  少年の自我くらく冷たく春の蔵 鳥山由貴子
 壺春堂の蔵を見ての臨場感があり、少年の自我の普遍性がある。「くらく冷たく」が、少年と蔵との類似として気になるなどとも。
  木の芽雨野上はいつも青のなか 堀之内長一
 秩父への挨拶句。「青のなか」が甘く、もの足りないとの声も。
  如月の少年野うさぎと火薬のにおい 遠藤路子
 季重なりだが、少年そのものを言っていて如月の季感が効いている。
  土佐水木ほつほつなんだかひとり言 森由美子
 心情が見える。計らいがなく自然に湧き出た感。「土佐」の響きが良い。一方、ムードに偏り、ほつほつに意外性がないとも。
  産土の空気頬張る土蛙 安藤久美子
 土蛙の力強さ、実がある。土臭く土着の景。
  「やあきたか」これも秩父ぞ花の雨 野口佐稔
 兜太先生の声が聞こえる。花の雨の抒情。
  先生と呼べばやさしい春の雨 榎本祐子
 甘いが、金子先生を思う素直な句。
  やどり木のまあるい春です産土です 河原珠美
 金子先生への思いがこもっていて、今日の吟行句として良い。
  草朧さすらいにこぼれおちるもの 芹沢愛子
 「こぼれおちるもの」は的確。草朧でうっすらとした悲しみ、人生を感じさせる。
  春寒の線路に音す「蚕飼の碑」 石川まゆみ
 「音」が上手い。句碑のある風景が見える。
  ハグすればいやに粘液質 さくら 若森京子
 ハグと粘液質の関係が良く、一字空けて、さくらへの転換も良い。
 この後も特別選者の意見も交えて熱い言葉が飛び交った。句会が終了したのは二十三時前。金子先生の産土で、先生の気を感じた今日の日。昂った気持ちを静めるように雨は降り続いていたが、なかなか眠りに入ることができなかった。

●第二日●第二次句会

募る想いに包まれながら 田中信克

 兜太祭二日目。昨日と同じく肌寒い天候である。長生館のロビーからは、朝靄の中で静かに流れる荒川の姿が美しく見えていた。八時半。参加者達はまず大広間に集まり、ドキュメンタリーフィルム『生きもの―金子兜太の世界』を鑑賞。平和への思い、秩父への思いを熱く語る兜太先生の映像に、師への思慕と俳句への情熱を募らせつつ、句会に臨むことになった。

▲二日目の午前、第二次句会の模様

 句会は9時半に始まった。清記が配布される。四六名九二句。昨日の先生のお墓参りや、椋神社等への吟行等で得た印象が一晩でぐっと深みを増し、内容の濃い作品となって表れている。司会は堀之内長一。特別選者は川田由美子、佐々木宏、桂凜火、柳生正名の四名。選句、披講の後、活発な議論が始まった。
  ずんずんと会いたい言葉椿踏む 安藤久美子
  春暁の浅き眠りを野といえり 遠山郁好
  鳥雲に一番大きな岩に立つ 室田洋子

  紙のひかり初うぐいすがめくります 川田由美子
  会えること生きていること桜咲く 森武晴美
  春の鬱ポケット多すぎのリュック 峰尾大介
  瀞に集う扉の手触りのいろいろ 佐孝石画
  花に酔い骨盤の位置確かめる 若森京子
  春はポー捜しています師の帽子 遠山郁好
  花びらもドーンと乳房も露天風呂 野﨑憲子
  草餅焼く老婆玄室めく土間に 武田伸一
  禿びた鉛筆積み上げ春の砦とす 堀之内長一
 6点以上の高点句を挙げた。どの句にも豊かな抒情と独自の視点が見て取れる。
 最高点は安藤と遠山の作品で共に12点。安藤の〈ずんずんと会いたい言葉椿踏む〉には、前日の先生のお墓参りの情景が滲み出ている。墓に通じる坂道の途中に大きな椿の樹があって、沢山の紅い花が土に堕ち雨に濡れて拡がっていた。場所と時間を共にした者が持つ共感性。「ずんずん」と募る想いと、裏腹に「椿踏む」という屈折した表現を重ねた特徴的な作品である。参加者達の胸には、先生ご夫妻への様々な想いが広がったに違いない。高得点が頷ける。
 同じ12点句、遠山の〈春暁の浅き眠りを野といえり〉は、繊細な感覚と情趣の深さに特徴のある作品。春の朝の茫洋とした感覚を「眠り」と表現し、さらに「野といえり」と転じた展開性が高評価を得た。生理的な実感と抽象的な感覚の拡がりの絶妙なバランスに評が集まった。
 その他の作品に対しても、「大胆な構図が特徴的」「深呼吸のような気持ち良さ」(室田作品)。「視覚と聴覚の繊細さ」「句帳の頁に宿る春の光と巡る季節が、共に浮き立つような感じを醸し出す」(川田作品)。「この句会に集う者の気持ちにぴったり。参加者全員へのリスペクト句」(森武作品)。等の評価が相次いだ。
 また、句会全体を通じて、様々な指摘も提示された。イメージの具体性。共感の普遍性。表現過多や不足。助詞や音律の効果の成否など、議論風発。内容の濃い句会となった。
 午後は吟行会。午前中の議論内容を胸に、参加者達は新たな作品の創作に踏み出して行った。

●第二日●枝垂桜とちちぶ銘仙館吟行

秩父の桜、最高! 石川まゆみ

 広島ではソメイヨシノが五分咲の時期に、秩父で満開の「しだれ桜」を観られるとは思いも寄らなかった。兜太祭二日目ともなると酷い寝不足で、どこへ行くのかも把握しないまま、お弁当と飲み物を貰ってマイクロバスに乗り込む。ぎゅうぎゅう詰めだが、キャリーケースの縦横を整理すると案外素敵な空間になった。
 隣席の石橋いろりさんに、法善寺でお弁当を食べるのだと聞いた。バスが発車した途端、長瀞駅から桜のトンネルが続く。バスはゆっくりと走ってくれたのだろう。数分間、車窓の桜を脳裏に焼き付ける。
 法善寺に着くと、バスの前面に今度は巨大な「しだれ桜」が!まず吟行しますか、という斗士さんの投げかけに、満場一致で「弁当!」と。食欲優先の生命力に安心感を覚える。すでに午後一時だし。晴天なら境内で食べるようにお寺の許しを得ていたそうだが、今日は無理。窓を大きく開けて、花の香の空気を存分に取り入れる。おいしいお弁当は、兜太先生の甥御さんである桃刀さんのご紹介、とのこと。私なりのSDGsとして、完食した。
 今日は大雨だが、桜に関しては雨中の色のほうが深い。日本画の巨匠が描いたような妖しい「しだれ桜」。寺の横の斜面には山墓が開け、墓石が金箔を散らしたように光っている。彼岸の供花の名残か、死者の宴か。墓所に覆い被さる桜がまた、ずっしりと見事。これらは全て雨の効果だ。凄い!
 「抜苦與樂」(くをぬきらくをあたえる)と台座に刻まれた地蔵菩薩。そこに枝垂れかかるのが、長瀞町指定の天然記念物「与楽の地蔵ざくら」か。地蔵の涎掛けの発色に目が覚める。一七三九年に建立されたという本堂に賽銭を入れ、正面の欄間彫刻を覗く。説明板に、「作者は当時江戸一流の彫師後藤茂右衛門正綱。ダイナミックな江戸彫が円熟した時期の代表的作品と評価されている」と。初祖は左甚五郎らしい。

▲花の雨、法善寺の枝垂桜の前で

 法善寺を出てホテルに荷を降ろし、「ちちぶ銘仙館」へ向かう。胡桃ダレで食べる蕎麦がおいしい店!と誰かの声がして耳ダンボに。
 秩父銘仙は、崇神天皇の御代に知々父彦命が住民に養蚕と機織の技術を伝えたことが起源という。秩父銘仙が国指定の伝統工芸品に指定されたことを受け、リニューアル・オープンした銘仙館。タテ糸とヨコ糸でおりなす銘仙の、新しい技法を考えた「坂本宗太郎」氏。その胸像辺りで館内説明が始まり、29名がわさわさと解説者にくっついて廻る。
 農林試験場から引き取られた「おかいこさん」を詰めた瓶が、頭上の棚にずらっと並んでいる。あの繭の中はどうなっているのだろう。
 宿舎へは各自の手段で帰る。私は徒歩組についたが、途中六、七人が「秩父まつり会館」に入館し分かれた。翌朝の句会の高得点句、〈母巣の森…〉は、あちら組の帰路、秩父神社での会話から生まれたとか。その現場に居合わせず残念。吟行は、まさに一期一会だ。

▲「ちちぶ銘仙館」を見学
▲にぎやかな懇親会

第三日●第三次句会

快晴。
秩父神社の近くで 望月士郎

 初日、二日目と花冷え花時雨の恵まれなかった天候も、三日目の本日はすっかり晴れ上がり、東向きのホテルの窓からは朝日が差し込んでいます。
 昨日は午後から吟行に向かいました。まずは枝垂れ桜で有名な「法善寺」、その後に秩父織の貴重な資料を展示した「ちちぶ銘仙館」へ、夜はホテルすぐ横の居酒屋「ぶぶすけ」の別室貸し切りでの親睦会です。コロナ禍全盛の頃には考えられないほどの三密(いや五密くらいかな)で大いに盛り上がりました。
 朝9時の投句締切りで句会が始まります。会場は秩父駅の駅ビル五階の「地場産業センター」の研修室。司会は宮崎斗士、特別選者に小松敦、三枝みずほ、佐孝石画、芹沢愛子。最高点句から。
  母巣ははその森振り向けば風になる 三枝みずほ
 「母巣の森」とは秩父神社の鎮守の森のこと、取材したものをよくまとめて作り上げている。母巣の森という詩のある言葉を生かした句。母巣に兜太師の産土を感じる。「振り向けば風になる」が広告コピーのようだ。順次高点句から。
  日が差して仔猫のような一人部屋 遠山郁好
 今朝のホテルの部屋の雰囲気を表した実感の句。三日目にして太陽に恵まれた今日の歓びがある。自分のいる部屋を仔猫のようと言っているのか、仔猫は作者のことか?
  夜桜に仮縫いの糸解きます 横田和子
 仮縫いの糸を解くときの嬉しさが夜桜と合っている。夜桜の妖しげな感じがよく出ている。暗喩としてとらえるより実景として読んだ。「に」を「や」にして切った方がよい。
  耳に来て風すこし巻く糸繰草 望月士郎
 軽さが良くて頂いた。昨日の「ちちぶ銘仙館」とつなげて上手い。良い句だが「巻く」が「糸繰草」と即きすぎ。
  春の霧晴れて武甲山ぶこうはきれいな返事 室田洋子
 来た時は霧、今日の武甲山ははっきり見えた。気持ち良い句、今朝の感覚がうまく出ている。
  兜太先生春が大きな椅子になる 宮崎斗士
 呼びかけとご報告、先生への信頼を感じた。山々に囲まれたこの土地と椅子の凹みが響き合う。「大きな椅子」に春を感じた。
  さえずりや回想という乗りものゆれ 芹沢愛子
 回想がゆれているに共感。心地よさとすこし車酔いした感じがさえずりと合う。
  前頭葉は繭の明るさゆっくり生きよう 若森京子
 繭の明るさでよいから生きてゆく。ゆっくり生きようが大事、そこに共感した。
  タテ糸に春霖ヨコ糸に秩父 望月士郎
 昨日の実感がある。「ちちぶ銘仙館」での出来事。中島みゆきの歌が耳に付いて採れない。
  雨音にさえずりからみあう真中 遠藤路子
 からみあうという臨場感と真中の安心感。昨夜の楽しい親睦会を想った。
 さて、第一回「兜太祭」は大成功にその幕を閉じたようです。運営に携わった方々、大変ごくろうさまでした。

●第1回兜太祭を終えて 宮崎斗士

 ――この度、わが「海原」にて「兜太祭」を立ち上げることになりました。金子先生ご夫妻のお墓参りも兼ねての秩父での一泊吟行会。これを毎年の春の恒例行事にしたいと思います。
 と私が編集後記に書かせていただいたのが「海原」2019年12月号のことでした。コロナ禍のため長きに渡り延び延びになっておりました兜太祭、ようやく第一回を開催することができました。
 かくも大勢のご参加まことにありがとうございました。また会期中やその前後にて、ご参加の皆様にはあらゆるお役目、お仕事をお引き受けいただきました。あらためまして厚く御礼申し上げます。
 私としましては、久々の大掛かりな俳句合宿の幹事でしたので、以前の勘を取り戻すまでけっこう時間がかかりました。進行役として息切れ、空回り、取りこぼしが今回やや多かったかも知れません。大変ご迷惑をおかけいたしました。今後に向けましての反省材料といたします。兜太祭、これからも「金子先生の一番近くにいられるイベント」となりますよう、ますます頑張って運営していきたいと思います。来年春開催予定の第二回もまた、奮ってのご参加をお待ちしております。

〈参加者作品抄〉

綾田節子
師の墓前猪の話と筍も
かげろふか いいえ青鮫・青鮫だ

安藤久美子
産土の空気頬張る土蛙
ずんずんと会いたい言葉椿踏む

石川まゆみ
春寒の線路に音す「蚕飼の碑」
墓群のように鉄塔菜種雨

石橋いろり
壺春堂ふるまい麦茶の花時間
ウクライナの花よ煙雨わななく

榎本祐子
先生と呼べばやさしい春の雨
木の芽うずうず湯舟に体浮かす間も

遠藤路子
如月の少年野うさぎと火薬のにおい
雨音にさえずりからみあう真中

梶原敏子
経糸を染め銘仙となる繭尊し
秩父とは祭で生きる民の国

桂凜火
菜の花序曲のよう波動のよう荒川
面妖な夜のあつまり花盛り

川崎千鶴子
白梅や武器け散らして兜太師来
恋猫の恋の数式ウーマンボ

川崎益太郎
蚕飼てふ産土の史詩兜太句碑
終点を探す旅です桜です

川田由美子
紙のひかり初うぐいすがめくります
自意識のふんわり蓬草を手に

河原珠美
やどり木のまあるい春です産土です
朝桜みんな帰ってゆくんだよ

北上正枝
総持寺を包みて芽起こしの雨よ
テーマある旅菜の花の黄のわっさわさ

こしのゆみこ
うぐいすの声の高さで歩くかな
わが北窓開きにむかう秩父かな

後藤雅文
秩父には燕のママの泥たんと
うららかや木星ガスで風呂を焚く

小松敦
花の雨その人の文字折りたたむ
色々な眠りの中に牧開く

齊藤しじみ
春雨や兜太の句碑のなほ威あり
逝きし人想ふ句会や春おぼろ

三枝みずほ
母巣ははその森振り向けば風になる
脚行き遅れふくらむ菜の花の昼

佐孝石画
瀞に集う扉の手触りのいろいろ
春暁の瀞の真顔に出逢いけり

佐々木宏
亀鳴くや亀も「与太」というたよな
早春墓参ぽちゃんと池に落ちたよう

芹沢愛子
草朧さすらいにこぼれおちるもの
さえずりや回想という乗りものゆれ

高木一惠
師へ抛る桜白鷺わが川音
朝靄の花には触れず中空へ

高木未空
山あいに五色の鐘や春 秩父
桜かもしれない初めからの夢

竹田昭江
雨降っており秩父の春は烟るなり
春の長瀞向き合うはかたくなな我

武田伸一
草餅焼く老婆玄室めく土間に
兜太亡く老いて秩父の深田打つ

田中信克
おおかみに赦されている花の冷え
椿墜ちて昏れてあかあかあの娘が欲しい

田中怜子
陰翳礼讃中国家具の壺春堂
桜咲く山峡踏みいる師の母郷

遠山郁好
春暁の浅き眠りを野といえり
日が差して仔猫のような一人部屋

鳥山由貴子
少年の自我くらく冷たく春の蔵
鼬草ひとみなつぎつぎに消える

西美惠子
山桜美し新幹線で朝食を
秩父路や桜トンネルまだ続く

野口佐稔
「やあきたか」これも秩父ぞ花の雨
雲湧いて春色煙る秩父美し

野﨑憲子
朝寝して水になる夢秩父なり
野球は翔平俳句は兜太夕櫻

長谷川順子
花散らしの雨よきょう私の誕生日
花に寝て花に目覚めてわれとうと

疋田恵美子
総持寺に恩師の揮毫冴え返る
春風に兜太の言霊微かなり

日高玲
春寒の味噌蔵に入る美童かな
おばあさんの隣りのおばあさん朝寝かな

堀之内長一
木の芽雨野上はいつも青のなか
禿びた鉛筆積み上げ春の砦とす

増田暁子
山けぶる息足りぬよう散るさくら
朧月橋に名のあり澱みあり

峰尾大介
春の鬱ポケット多すぎのリュック
豆乳で造った豆腐です春の宿

宮崎斗士
兜太先生春が大きな椅子になる
百千鳥わたしに一本のえんぴつ

室田洋子
鳥雲に一番大きな岩に立つ
春の霧晴れて武甲山ぶこうはきれいな返事

望月士郎
耳に来て風すこし巻く糸繰草
タテ糸に春霖ヨコ糸に秩父

森鈴
銀杏の木の足乳根の雫一期一会
両神山に霧山桜山桜

茂里美絵
花散らす雨まぼろしの櫂よぎる
にんげんの後悔って蜃気楼

森由美子
土佐水木ほつほつなんだかひとり言
花韮や今さら出自聞いたって

森武晴美
会えること生きていること桜咲く
花の冷え味噌汁すすり師の逸話

柳生正名
花冷のこの世あの世の間のその世
蛇地虫出でて真言おんころころ

横田和子
夜桜に仮縫いの糸解きます
目印は秩父銘仙猫の恋

若森京子
前頭葉は繭の明るさゆっくり生きよう
ハグすればいやに粘液質 さくら

●安西篤/兜太祭・第一次〜第三次句会特選句評

産土の空気頬張る土蛙 安藤久美子
 兜太先生の故郷秩父は、私たちにとっても共通の原郷風景であり、産土の地と して親しんできた心のふるさとです。そこに生息する生きものもまた、共に生きている仲間同士として親しんできました。今、産土の地に春を迎え、新しいいのちを孕んだ空気を、穴から出てきたばかりの土蛙が、口いっぱいに頬張って、春を満喫しています。私たち人間も同じ生きものとして、あやかろうとしているのではないでしょうか。兜太先生の句「猪がきて空気を食べる春の峠」に、つながるものを感じます。

春寒の味噌蔵に入る美童かな 日高玲
 この句は、秩父の名産ともいえる味噌蔵風景を題材にしています。そこで颯爽と立ち働く若者の姿を、「美童」と捉えたのですが、ここでいう「美童」とは、兜太第六句集「早春展墓」に連作九句があるので、この句も兜太句に唱和したものみてよいでしょう。秩父の名水を使用したこだわりの味噌だけに、そこに働く若者にも誇りがあったのではないでしょうか。この句はそんなご当地への挨拶句としても読むことができます。吟行句の一つのあり方を示しています。

兜太先生春が大きな椅子になる 宮崎斗士
 兜太先生を偲ぶ兜太祭に、もっともふさわしい一句を得た。秩父は今、ようやく春もたけなわで、霞のような薄く横にたなびく層雲が広がっている。あたかもその横雲は、巨大なベンチのように広がって、兜太先生の一大霊像を迎えようとしているかのようだ。先生は、にこやかに「おう、おう」と周りに声を掛けながら、ゆっくりと腰を下ろそうとしておられるのではないか。それが、この兜太祭の大団円になった。まわりから一斉に拍手が起こっているようだ。

『愛惜』山中葛子句集

『愛惜』山中葛子句集

愛惜を荷作りせよと虫そぞろ

 句集『かもめ』(2014年)のあとの9年間の作品をまとめた句集。「人も大自然の一つであることに気づかされつつ、いよいよ未知なる時間を受け止めていく中で、私の一句へ向かう願いと言いましょうか、祈りと言いましょうか、俳句詩形への謎と魅力はいっそう深まりゆくばかりでした」(「あとがき」より)

■発行=文學の森
■頒価=二七五〇円(税込)
■著者住所
〒260ー0804 千葉市中央区赤井町三六六―六

句集と小説『遥かなるマルキーズ諸島』マブソン青眼

句集と小説
『遥かなるマルキーズ諸島』マブソン青眼

浅間からポリネシアまで鰯雲

 「遥かなるマルキーズ諸島」と題する句集(二五〇句)と『俳壇』誌に連載した小説を収録。「とにかく私は、ヒバオアという孤島で無季句五〇〇句と小説一本を書いた。不思議なほど、自由に書けた」(「あとがき」より)

■発行=本阿弥書店
■頒価=二七五〇円(税込)
■本阿弥書店ウェブサイト

『兜太を語る―海程15人と共に』『語りたい兜太伝えたい兜太―13人の証言』の編集に当たって 董振華

『海原』No.47(2023/4/1発行)誌面より◆本の紹介


『兜太を語る―海程15人と共に』
『語りたい兜太伝えたい兜太―13人の証言』
の編集に当たって 董振華

◆企画の経緯

 私は四半世紀前に金子兜太先生にお目にかかり、俳句の手ほどきを受けて以来、ずっと先生ご夫妻並びにご家族にお世話になっている。詳しいことは「15人」の最後につけた「金子先生一家と私」をお読み頂ければ有難いです。金子先生ご夫妻への恩返しのために、近年少しずつ先生の著書及び俳句を中国語に翻訳して中国で出版している。また、いつかは「兜太論」を書き上げたいとも考えて、資料の収集と分類を行ったが、なかなか糸口が見つからない。
 そんな中、二〇二二年二月黒田杏子氏の著書『証言・昭和の俳句増補新装版』を拝読して大いに触発された。私も「海程」の方々にインタビューし、金子先生と直に接した俳人の証言を後世に残し、また、私自身の今後の「兜太論」の足掛かりとしたい、と思うようになった。
 そこで、私はすぐさま先生のご子息の眞土さんに相談を申し上げた。その結果、お話を伺うべき語り手として、日ごろ私がよく存じ上げている方々のほかに、眞土さんの推薦を合わせて二十余人のお名前を挙げられた。しかし、私の力不足及び限られた時間など様々の事情で、予定していた方たち全員へのインタビューまでには至らず、最終的に十五人の方にしか取材できなかったことは非常に残念に思っている。そして、語り手の方々への取材経緯については、それぞれの本文の前の「はじめに」と本文の後の「おわりに」をお読み頂ければと思う。
 なお、『15人』は私・董振華個人が企画・立案し、語り手の方々のご協力を頂きながら成立したもので、「海原」の企画ではない。また語り手の証言の掲載順は基本的に「海程」への入会時期の早い順とした。さらに、各氏による兜太句選と文中の引用句は、『金子兜太集第一巻全句集』(筑摩書房)に準拠した。
 一方、『語りたい兜太伝えたい兜太―13人の証言』(黒田杏子監修)については、黒田杏子氏にご相談を申し上げて、同様な趣旨、同じ方法で進めた。

◆取材で感じたこと

 この二冊の本を制作するに当たって、数多くの方々との素晴らしい出逢いがあったことはまことに嬉しい。
 『15人』について言えば、語り手となられた十五人は、皆「海程」の同人で、直接兜太師の肉声に触れるような、様々なエピソードの持ち主であり、「そこで生まれた共通のテーマは〈私の金子兜太〉というべきものでした。語り手の十五人は、時間差こそあれ皆兜太と共に生き、兜太に学んだ方々」(安西篤跋より)である。
 例えば、松本勇二氏の「兜太師から学んだことは、俳句は感覚で書け」ということであり、石川青狼氏の「金子先生は俳句の師というよりは人生の師だ」との思いは私も同感。また、田中亜美氏は兜太師の魅力について「相手が落ち込んだりすると〈褒めて〉、相手が力をつけてきたりすると〈叱って〉くれるという不思議さが、いつも相手との関係性から生み出されていた」と言い、水野真由美氏は「『戦争を起こすのは物欲だ、人間を殺す戦争は悪だ』との兜太師の言葉に共感して、「兜太の言葉を次世代へ残すためには一人一人が自覚するしかない」との意志表示に私も強く共鳴。
 また、『13人』(黒田杏子氏推薦)について言えば、証言者の十三人のどなたも現在俳句界で活躍中の代表的な方々であると同時に、兜太先生と様々な縁を持つ方々ばかりである。十三人は時に兜太から離れて時代を語り、俳句の本質論を語る。証言は実に多彩で、金子兜太という俳人の破格さ、人柄の大きさを物語っている。そして今回の取材を通じて「十三人の詩客がそれぞれに見た〈永遠の、可能性としての、兜太―〉」(高山おれな帯文より)をいっそう理解することができた。
 例えば、文芸批評家の井口時男氏は、「金子兜太の思想の根幹に近代的な価値観を超えて人間の本源的な在り方に迫る生命賛歌があった」と語り、作家のいとうせいこう氏は「晩年にはすべての日本語は〈詩語〉であるという境地に達した。金子兜太は大きな山のような存在だった。自分にとって血の繋がらない大好きなおじさんだった、誇りに思う」と語った。
 また若手俳人の神野紗希氏は「兜太は俳人だと言うか、兜太は人間だというか、迷っていました。特に晩年は俳人であること以上に、人間であることを積極的に選んだという印象です」と説き、「海程」初代編集長の酒井弘司氏は「兜太さんは常に時代に責任を持っていた」と語られた。さらに橋本榮治さんは「兜太は豪放磊落である一面、実は非常に繊細で、気配り上手な方です」と言われ、筑紫磐井氏は「私が知っている年配の方は大体酒乱に近い人たちが多い。しかし兜太さんは割と若い頃から健康管理のために、完全に自己抑制され、一切お酒を飲まない。これはすごく感激しました」と兜太に対するもう一面の印象を述べられた。

◆読者の反響

 二冊の本を上梓してお蔭様で、多くの方々から好評を得ている。『13人』は2022年12月9日に上梓した日に、共同通信からの取材を受けたので、現在、各地の新聞の読書欄に紹介されており、また、朝日新聞2022年12月25日の「風信」の欄と東京新聞2月25日夕刊の「相子智恵の俳句の窓から」にも紹介されたことは大変有難い。そのほかに「現代俳句」二月号や証言者の方々の主宰誌にもそれぞれ一面に広告を出して頂いている。
 さらに、日本向けのラジオ放送番組1月10日の「北京国際放送」にも取り上げられ、2月18日兜太現代俳句新人賞公開審査会の開会式でも、中村和弘会長がこの二冊の本を挙げて紹介して下さった。
 『15人』は2023年1月25日上梓したばかりで、まだ新聞記事等に取り上げられていないが、多くの方から感想文が届いている。
 例えば、浅川氏は「海程の古い方々、山中、武田、塩野谷各氏の証言は結社外の方はほとんど知らないことで、興味深く読ませていただきました」と語り、中岡氏は「語り手の中には、若森京子さんや田中亜美さんなど、面識のある方の名前もございまして、貴重な資料を賜り、ありがとうございました」と書いてあり、内藤氏は「今まで知らなかった「海程」の内部のことよくが分かり、秩父俳句道場、比叡山勉強会などを通して、兜太さんがいかに弟子を育て、有意義な仕事をされたことがよく分かり、改めて感心致しました」と語られた。

 ◇

 このように、語り手や証言者の方々との出逢いはすべて兜太先生と皆子先生が用意して下さったような想いもしている。お二方への深い感謝を込めて、完成できたこの二冊の書籍を2023年1月31日お二人の墓前に捧げることができた。こののちは、この二冊の本を土台にして、さらに私独自の「兜太論」を書き進めてゆきたいと考えている。

▶『兜太を語る―海程15人と共に』
▶『語りたい兜太 伝えたい兜太―13人の証言
▶金子兜太先生の墓前に捧ぐ

2023年夏「兜太通信俳句祭」開催のご案内

夏だ! 祭りだ! 俳句祭だ!
2023年夏「兜太通信俳句祭」開催のご案内

 リアル第1回「兜太祭」に続きまして、「兜太通信俳句祭」のほうも張り切って開催いたします。今回は夏祭ということで、また大いに盛り上がっていきたいと思います。奮ってのご参加お待ちしております。

1.出句:2句(参加対象は「海原」の同人・会友全員です)
2.出句受付:宮崎斗士あて
 ・メール tosmiya★d1.dion.ne.jp(★→@、「d1」の「1」は数字の1です)
 ・FAX 042―486―1938
 ・郵便の宛先 〒182―0036 調布市飛田給2―29―1―401
  ※出句の原稿には、必ず「兜太通信俳句祭出句」と明記してください。
3.出句締切:2023年5月31日(水)必着
4.顕彰:参加者による互選のほか、特別選者による選句と講評。
(通信俳句祭の結果は「海原」誌上に発表します)。
5.参加費:1,000円
  ※参加費は定額小為替にて宮崎斗士までお送りください。
   また、東京例会などでも参加費納入を受け付けます。
【出句の際のお願い】
◆電子メールでの出句:メールを使用できる方は、できましたらメールにて出句をお送りください。メールで出句の際は、必ずメールの件名を「兜太通信俳句祭出句/(出句者氏名)」としてください。
メールにて出句の場合は、必ず受け取り確認の返信をいたしますので、その確認をよろしくお願いいたします。もし返信が届かなかった場合は、その旨宮崎斗士までご一報ください。
◆FAX、郵便での出句:原稿には、必ず住所・氏名・電話番号を明記してください。
【問い合わせ】
確認事項、お問い合わせ等は、宮崎斗士までお気軽にどうぞ。
宮崎斗士
〒182―0036 東京都調布市飛田給2―29―1―401
電話:070―5555―1523
FAX:042―486―1938

追悼 宇田蓋男 遺句抄

『海原』No.46(2023/3/1発行)誌面より

追悼 宇田蓋男 遺句抄

ウクライナ大変インスタント味噌汁ティーパック
さくらんぼ右手は利き手大事にす
年甲斐もなくパンジー大好き生きている
梅雨に入っては梅雨に従え 諸君
お粥に梅干しアブノーマル的二物
食べ残す饂飩の汁を捨てずに悔やむ
献花は絶えず待つ人に顔のない不思議
偲ぶれば一人歩きのマスクだったね
張り手しか能がねえのかしょぼい秋
アイマスクいのち吹きかけ試すなり
赤蜻蛉すぐに届いた返信封書
満月なり幼少のみぎりの捕虫網
島根と鳥取どちらもどちらいなりずし
男の沽券にかかわるぞ胃カメラを入れるな
胃カメラの胃の中照らす夏日かな
短命の目算外れそよぐコスモス
秋めくや正論かざす柄じゃない
秋の風生きた心地がしない訳
灯を消してわがオブラート剝がさるる
願うなら起きあがりこぼしの老いの日々

(永田タヱ子・抄出)

半世紀を俳句とともに 永田タヱ子

 まず宇田蓋男さんの横顔を紹介します。ある俳誌のアンケートに答えたものです。

 《俳句との出会い》
  二十歳前より、宮崎日日新聞読者文芸欄への投稿をきっかけに、当時選者の海程同人の山下淳氏と知り合ったこと。海程へ投句、海程新人賞受賞(昭和46年)。
 《尊敬する作家の作品》
  林田紀音夫 隅占めてうどんの箸を割り損ず
 《うぬぼれ自信作》
  摩羅よりもふぐり長らく生きており
 《俳句をしていなかったら?》
  俳句に携わっていた時間を、無為に過ごしていたかも。
 《私の自慢》
  二十歳前より継続して半世紀の五十年、俳句に携わってきたこと。

 当時の宮崎句会は、土曜日の午後六時から、山下淳先生宅で開かれていました。蓋男さんは宮崎県庁での職務のかたわら、県北の延岡市(九〇キロ)から汽車で参加されました。以来五十年、今は思い出深く懐かしく思い出されます。当時の句会の参加者は、福富健男、高尾日出夫、中島偉男、岩切雅人、阿辺一葉、徳永義子、蛯原喜荘等、錚々たる海程同人の各氏。俳句を作る上で最上の居場所でした。
 句会のたびに俳句の話で盛り上がり、夜中になることもしばしばです。蓋男さんは山下宅に泊まり、自家用車の方はそれぞれ帰路へ。市内の方は人通りのない大通りを歩いて帰路に着くのでした。山下先生が逝去されてからは、福富健男氏を代表に「みやざき現代俳句研究会」が設立され、市内の公共施設で句会を行っています。蓋男さんは、俳誌「流域」のメンバーとして、また宮崎県現代俳句協会の副会長として、永年貢献されました。
 蓋男さんの俳句は、誰も真似のできないものでした。独特の哲学と素晴らしい感性の持主であり、詩情豊かで、俳味たっぷりの世界を切り開きました。
 12月28日、かつて海程の同人でもあった岩切雅人氏より電話をいただき、新型コロナウイルスの感染によるとのことでした。お会いしてお別れも言えず心苦しい次第です。どう
ぞ、懐かしい皆様とそちらで句会をなさってください。宇田蓋男、本名博敏。令和4年12月27日に死去。享年74。

合掌

第5回「海原金子兜太賞」の募集案内

日頃の研鑽の成果を本賞へ!
第5回「海原金子兜太賞」の募集案内

―新作30句、募集締切は2023年7月20日―

 第5回「海原金子兜太賞」の作品を募集します。同人・会友の別なく、だれでも挑戦できる公募型の本賞は、新たな作家の発掘と俳句の可能性の探求をめざすとともに、「海原」の活性化を図るものです。ウイルスと共存する時代の日常を見つめて――いましか詠めない清新な作品をお寄せください。

1 名称:海原金子兜太賞(第5回)
2 応募資格:
全同人と会友全員(会友とは「海原」の購読者です)
3 応募要領

① 応募作品数:新作30句
② 新作とは他の媒体(俳誌や雑誌、インターネット、各種俳句大会やコンクール等)に発表されていない作品を指します。句会報への掲載なども注意してください。
③ 応募作品にはタイトルを付し、都道府県名および氏名を忘れずに記入してください。原則として「前書き」はなしとします。
④ 応募作品は書面による郵送、またはメールで送ってください(メールによる応募を歓迎します)。
※手書きの場合は、市販の原稿用紙を使用し、楷書で丁寧に書いてください。
※メールの場合は、ワードファイルやテキストファイルのほか、メール本文に貼り付けて送ってください。
⑤ 作品送付先:編集人 堀之内長一 宛て
 〒338―0012 さいたま市中央区大戸1―2―8
 電話&FAX:048―788―8380
 メールアドレス:horitaku★ka2.so-net.ne.jp(★→@)
4 募集締切:2023年7月20日必着
5 選考委員:
安西篤/武田伸一/田中亜美/堀之内長一/宮崎斗士/柳生正名/山中葛子(五十音順)
6 選考方法:
応募作品は無記名にて選考。各選考委員の推薦作品をもとに、討議のうえで受賞作品を決定します。選考座談会は7月末~8月初旬に開催予定です。選考座談会の模様は「海原」誌上に発表します。
7 受賞者発表:
受賞者は2023年10月号に速報として広報し、受賞作品と選考座談会は11月号に発表の予定(本年度も全国大会開催が未定のため、表彰式等は別途考慮)。
8 顕彰:
受賞者には、金子兜太先生ゆかりの品物等の贈呈のほか、「海原」誌上における連作の場の提供などで顕彰します。

【問い合わせ】海原編集部 堀之内長一まで

追悼 松林尚志〈「金子兜太の俳句―鑑賞と批評」松林尚志著『現代秀句昭和二十年代以降の精鋭たち』より〉

『海原』No.45(2023/1/1発行)誌面より

●松林尚志さんを悼む
 2022年10月16日、一年あまりの闘病のあと、松林尚志さんが他界されました。享年92。松林さんは「海原」の前身「海程」創刊年の1962年(昭和37年)、第4号より同人参加され、60年の長きにわたり活躍されました。第4号の「同人スケッチ」(金子兜太執筆)には、次のように紹介されています。「この朴訥な髭面が繰りひろげる精細なる論理、博識。この柔和なる物腰に秘める表現への意欲。まったくアキレタもんです。囲碁四段(碁の話はヤメましょう)三十代、銀行員。色白眼鏡、中肉中背。暖流同人、東京」。
 松林さんの多彩な活動のなかから、ご遺族の承諾を得て、金子兜太先生の俳句を鑑賞・批評された文章を掲載し、追悼とさせていただきます。

 1930年、長野県生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。句集『方舟』『冬日の藁』『山法師』、詩集『H・Eの生活』『初時雨』、評論『古典と正統伝統詩論の解明』『芭蕉愛執と求道の詞花』『日本の韻律五音と七音の詩学』『子規の俳句・虚子の俳句』『現代秀句 昭和二十年代以降の精鋭たち』『芭蕉から蕪村へ』『俳句に憑かれた人たち』『桃青から芭蕉へ詩人の誕生』『和歌と王朝』『一茶を読むやけ土の浄土』『詩歌往還遠ざかる戦後』
(編集部)


金子兜太の俳句ー鑑賞と批評

松林尚志著『現代秀句昭和二十年代以降の精鋭たち』より

  朝日煙る手中の蚕妻に示す 兜太

 兜太の全句集に載る最初の作品は、「水戸時代」昭和十二年に出る「白梅や老子無心の旅に住む」である。水戸高校に進んだ兜太は先輩の出沢珊太郎の勧めで俳句を作るようになり、竹下しづの女が選をしていた「成層圏」に出句を始める。「成層圏」は全国高校学生俳句連盟の機関誌で、後に草田男も指導に加わるが、十六年五月号まで続いた。その間、十四年から嶋田青峰の「土上」に珊太郎と兜太は投句を始めている。「土上」は青峰が新興俳句弾圧事件で検挙され、十六年二月号で終刊となった。兜太の作品が「寒雷」に見られるようになるのは十六年七月号からで、この年兜太は東大経済学部に進んでいる。十五年十月、加藤楸邨が創刊した「寒雷」には当時すでに沢木欣一、安東次男、森澄雄、田川飛旅子、古沢太穂、原子公平、小西甚一らの名前が見られる。兜太の父、金子伊昔紅は「馬酔木」の同人で、兜太にとって俳句は少年時代から身近なものであったが、兜太を俳句に熱中させる機縁となったのは出沢珊太郎との出会いが大きかったようである。
 兜太は十八年繰上げ卒業して日銀に入行するが、すぐ海軍主計短期現役として海軍経理学校に入り、翌年には主計中尉としてトラック島に赴任した。トラック島では激しい爆撃と食糧不足を経験し、終戦を迎えている。兜太が復員したのは二十一年の十一月のことであった。
 トラック島では、
  魚雷の丸胴蜥蜴這い廻りて去りぬ
  被弾のパンの樹島民の赤児泣くあたり

というような句が作られている。
 掲句は『少年』(三十年刊)所収で、二十二年四月、塩谷皆子と結婚した時の句。養蚕が盛んだった秩父に育った兜太には蚕に特別な思いがあるようだ。兜太初期の秀作に、
  蛾のまなこ赤光なれば海を恋う 『少年』
  山脈やまなみのひと隅あかしのねむり 〃
という句があるが、一句目は茂吉の『赤光』を背景に感じさせつつ蚕の羽化した蛾とも関係してくるし、二句目は養蚕と一体になった生活そのものである。兜太の初期にこのような青年らしい清潔な抒情が歌いあげられていることに注目する。「朝日煙る」の句はこの清潔な抒情がロマンを奏でていて美しい。手中の蚕はこれから繭を紡いでいくに違いない。その蚕のように二人して美しい未来を紡いでいこうと示すかのようである。煙る朝日に輝く蚕と新妻の顔がまぶしい。豪放にして繊細、ときに野武士のような兜太とは対照的に、皆子夫人は、美しく優しくこまやかで、その素朴でやわらかな感性は、柔剛相補い合うかのように今日の兜太を兜太たらしめる守護神的存在となっていくのである。

  彎曲し火傷し爆心地のマラソン 兜太

 復員し、日銀に復職した兜太は、「風」の創刊に加わるなど俳句活動を積極的に進めるが、職場では組合活動に首を突っ込むようになり、二十四年には日銀従組の事務局長に押され、組合専従となった。しかし、最も保守的な銀行のしかもその総本山の日銀である。二十五年には折柄企業のレッド・パージが始まり、兜太は福島支店へ転勤させられる。二十八年には神戸支店、三十三年には長崎支店へと以後支店生活を続けるのだが、組合活動は兜太の日銀での出世を断念させるに充分な減点材料となったようである。「縄とびの純潔のぬかを組織すべし」「原爆許すまじ蟹かつかつと瓦礫あゆむ」というようなスローガン的俳句がこの時期に詠まれている。
 神戸時代、世評を賑わした句に、
  銀行員等朝より蛍光す鳥賊のごとく 『金子兜太句集』
がある。私は旧館時代の日銀本店に兜太を何回か訪ねたことがあるが、古色蒼然とした石に囲まれたその内部は薄暗い洞窟のような海底のような感じであった。そこまででなくとも大方銀行という建物はコンクリートに囲まれた外光のない蛍光灯だけの空間であった。この句はそういう意味で実に的確に銀行員の生態を捉えている。しかし、蛍光灯から蛍光が出、そこからほたる烏賊が導かれて、鳥賊のごとくと続くのはいささか連想ゲーム的で飛躍がない。その物足りなさがこの句を弱くしているのであろう。
 掲出の「彎曲し」の句は『金子兜太句集』の四部に載る長崎での句。三十三年二月から三十五年五月までの長崎の章には一八五句が収められており、この時期には話題になった「粉屋が哭く山を駆けおりてきた俺に」とか、「華麗な墓原女陰あらわに村眠り」「西の海にブイ浮く頭蓋より濡れて」というような無季の句がある。「彎曲し」の句もはっきりした季語はないが、原爆の投下された夏の焦熱地獄を連想させ、季感は充分である。
 長崎の爆心地は港のある町の中心部からかなり奥へ入った浦上天主堂のあたりである。マラソンはこのあたりで彎曲するように迂回したのだろうか。彎曲は喘ぎながら走る人体ばかりでなく、鉄骨のひん曲ったような被災の建物を連想させ、火傷は灼ける地を踏む熱気と汗にまみれた苦しげな走者から連想される被災者の姿そのものである。感性そのものとして捉えられたこの句は自ずから社会的な現実を反映した重い思想詩となった。社会性は態度の問題と述べた兜太の社会性俳句の一つの結実といえると思う。この句には彎、心、ソンと三つの撥ねる音があってリズミカルな音律を持っている。しかし、彎曲とか爆心とか火傷という重い言葉が軽いリズムに流れないための重石のように効いている。

  人体冷えて東北白い花盛り 兜太

第三句集『蜿蜿』(四十三年刊)の最後に載る句で「東北・津軽にて(七句)」のうちの一句。『蜿蜿』は李賀の「蛇子蛇孫麟蜿蜿」からとっている。四十二年五月、兜太は皆子夫人、堀葦男夫妻と青森、弘前、秋田を旅している。この句はその時のもので、白い花はいうまでもなく林檎の花であろう。無機質な感じを与える人体という硬い感じの言葉が、やはり同じように硬い東北という言葉と冷えるという体感を通して緊密に結びついて、白い花をいやがうえにも純潔、清爽な美しさに輝かせる。この場合、もはや林檎の花というように特定せず、ただ白い花そのものとして受け取った方が、抽象化されたこの句の世界に相応しい。『蜿蜿』の「あとがき」に、「この句集とともに、私は四十代に入った。(中略)たしかに四十歳の声を聞く前後から体調が変化しやすくなり、体力の低下を感じはじめた。(中略)作品も、だんだん脂気あぶらけが抜けて漂白されてゆくように思えた。」と書かれているが、この脂気が抜けて漂白されてゆくという言葉はそのまま巻末のこの句を意識した言葉のように思える。しかし、この漂白は決して肉体の衰えからくるものでなく、最初の句でも触れたように、兜太自身の資質としてある清潔な抒情の表れだというように私には思える。「人体冷えて」の句はこの清潔な抒情のそのままの形象化なのである。
 兜太は三十五年、長崎から東京本店に転勤してくるのだが、「海程百句」「造型俳句六章」などを発表し、三十七年四月には同人誌「海程」を創刊する。私が同人となったのは四号からであるが、兜太を支えた出沢珊太郎が星書房を興し、私の評論集『古典と正統』はそこから昭和三十九年に出版された。栗山理一の序文は兜太の口添えによるものであった。

  谷に鯉もみ合う夜の歓喜かな 兜太

 『暗緑地誌』(昭和四十七年刊)に載る句で、「古代胯間抄・十一句」の連作中の一句である。兜太は縄文的な生命力に溢れた野生児の面が強いが、この句はむしろ意図的にそのような生命を謳歌した作品といえる。兜太が色紙に書いたりしてこの句に愛着を示す気持がわかる気がする。ここにいう「夜の歓喜」が斎藤茂吉のいう「交合歓喜」(『童馬漫語』)であることはいうまでもない。それは「古代胯間抄」の連作が自ずから示しており、私はこの連作を日野草城の「ミヤコ・ホテル」と並べてみたい気がする。この連作は「泡白き谷川越えの吾妹わぎもかな」に始まり、
  胯深く青草敷きの浴みかな
  ほとしめる浴みのあとの微光かな
  唾粘り胯間ひろらに花宴はなうたげ

などが続き、「谷に鯉もみ合う」が出て、「瞼燃え遠嶺夜空を時渡る」で終る。いわば古代のおおらかな性の讃歌なのである。
 草城の「ミヤコ・ホテル」連作は結婚初夜の一部始終をいわばぬけぬけとのろけた趣があったが、兜太のこの連作にはそういう甘えはなく、あからさまで直截である。それでいてばれ句的な卑猥さがないのは兜太の古代的純朴さを証しするものであろう。「ニイッチェはRausch(酩酊)といった。予は交合歓喜といふ。」と書いた茂吉も古代的朴直さでは際立っていた。兜太の清潔さや茂吉の純一さはこの古代的感性と別のものではないと思う。
 私は兜太の句に対して連作としての解釈にこだわり過ぎたかもしれない。「谷に鯉もみ合う」というダイナミックな表現のもつメタフォアはかなりの拡がりを持っている。歓喜は鯉の雌雄がもみ合うように産卵するさまと重ねられる。鯉は主に午前中に一尾の雌と複数の雄が激しくもみ合うように水草に産卵するという。ともあれおおらかな鯉を格闘させることで交合歓喜を表現しているところがいかにも兜太らしい。この句の無季が気にならないのは鯉の産卵という季節感の故であろう。

  樹といれば少女ざわざわ繁茂せり 兜太

 『暗緑地誌』の「狼毛山河」と題した作品中の句で、四十五年の作。連作には次のような異色な作品が並ぶ。
  山上の白馬暁闇の虚妄
  火山一つわれの性器も底鳴りて
  噴け火山わが意識下の透明童子
  白馬奔る地平にありや烏滸の衆
  篠枯れて狼毛の山河となれり晩夏

 まさに神話的な人物であり、山河である。火山のように奔出するエネルギー。烏滸の衆を見下ろす山上を奔る白馬。山河は巨大な狼のような姿を現わし、樹木は少女となって生い茂る。兜太はこの頃から秩父の山河や困民党のことを書いたり、放哉や山頭火など漂泊者に関心を持つようになり、それらは四十七年の『定住漂泊』にまとめられた。山河と山上の白馬とは定住と漂泊がせめぎ合っている趣がある。
 兜太の掲出の句に私がとりわけ印象づけられたのはエズラ・パウンドに「少女」と題した次のような詩があったからである。なんと似通っているではないか。
  樹は私の手に入ってくる、
  私の腕に樹液がのぼり、
  樹は私の胸に育つ―
  下の方へ、
  枝は私を出て育つ、腕のように。
  樹はお前、
  苔はお前、
  お前は風に吹かれる菫だ。
  子よ―そんなに背の高い―お前、
  そしてこれはみなこの世界にとって愚かしいことだ。

  梅咲いて庭中に青鮫が来ている 兜太

 兜太の第九句集『遊牧集』(五十六年刊)の冒頭「青鮫の抄」五句のうちの一句。この句は最初「現代詩手帖」の五十三年四月号に「青鮫十句」と題して発表されたもので、発表当初より賛否こもごもの評判を呼んだようである。詩人の宗左近は兜太とのNHKの対談でこの句をあげ、俳人はこのような宇宙語ともいうべき語法を使えるから羨ましいというようなことをいい、兜太はこれに対して、これを原(ウル)風景であるというように答えていた。安西篤は『金子兜太』で、兜太自解の、「ぼくのぎらぎらした魂の状態のようなものね、それを出したいわけなんです。そういう得体のしれない実態をですね。」という言葉を紹介している。私も現代俳句協会五十周年記念号の「二十一世紀の俳句を考える」という座談会で、司会者としてこの句を取り上げてみた。この句が、白梅の咲く庭に海を泳ぐ鮫をもってくるようなとてつもない非現実な内容を持っていることはいうまでもない。全然受け付けない人もいて当然であるが、この異様な取合せがダイナミックな迫力を持っていることも確かである。
 「青鮫の抄」の他の四句は、
  俯ぶせの霧夜の遊行青ざめて
  霧の夢寐青鮫の精魂が刺さる
  青鮫がひるがえる腹見せる生家
  嘔吐はすでに草原の果て金魚売

という作品で、掲出の句は三句目に置かれている。これらを見ると、この句の生れた背景がかなり浮彫りにされてくる。兜太は久しぶりの秩父の生家にあって、自らを生み育くんできた土地の精霊のごとき激しい生命の息吹に囲繞されているのだ。獰猛で精悍で美しい姿の鮫は生命そのものの原風景であるかもしれぬ。夢寐のうちにそんな青鮫が群がり泳ぐ世界に置かれている。しかもそれは白梅の咲く早春の庭の出来事である。この二つのまったく異質な風景の出現も、それがただの意外性の面白さに終っていないのは、青鮫のもつ原始生命的なイメージ故であろう。そして、この青鮫のイメージは兜太にして初めて出現させ得たのではないかと思う。

  起伏ひたに白し熱し若夏うりずん 兜太

 第十一句集『皆之』(六十一年刊)所収、「沖縄にて」の四句のうちの句。兜太の郷里は秩父盆地の皆野町で、現住所は熊谷市上之、夫人は皆子で、兜太は句集名『皆之』がこの三つのうちのどれにも通じるところが嬉しいと記している。この句の面白いところは、六・六・四という全く五・七・五とかかわらない破調であろう。三句で成り立つが、これはさらに3・3、3・3、2・2というように割れる。3・3はやや重く滞る感じになるが、i音の韻を踏んだ強く重い三音のリズムがいきなり2・2の軽い切れのいいリズムに転換して終る。全体が強く歯切れのよい調子の一句となっている。うりずんは沖縄で旧暦三月頃の大地の潤う季節をいう言葉で、この言葉の持つ美しい響きのように、陽光きらめく沖縄ならではの待ちどおしい季節なのだという。珊瑚礁の白い砂の起伏の続く大地の熱気に、沖縄のうりずんを眩しく受けとめているのである。

  冬眠の蝮のほかは寝息なし 兜太

 『皆之』の巻末に置かれた句で、秩父の生家で作られたものと思われる。『皆之』の終りの方には「秩父山中盛夏(十八句)」もあって、その中には、
  伯母老いたり夏山越えれば母老いいし
  夏の山国母いてわれを与太よたと言う

というような伯母や母を詠んだ句も見える。兜太が母にとって今もって与太であるというところが実に面白い。餓鬼大将でずけずけ憎まれ口をいう少年兜太が見えてくるようである。親にとって子供はいくら偉くなっても子供のままの与太なのである。『蜿蜿』には、
  露の村石をうらば父母散らん
というような句もあって、故郷の風土への裏返された思慕がこちらは抒情的に表現されている。
 掲句は聞こえるはずのない蝮の寝息を持ってきたところに凄さがある。この蝮を兜太と読み替えればすんなりとわかってくるはずだ。すべては冬眠に入っている山国の森閑とした深夜、兜太だけが寝息を立てて眠っている。ふと自分の寝息に眼を覚した兜太は改めて山中の静寂を思った。蝮も深々と冬眠の眠りについているはずだ。すると風土と一つになって眠っている自分が蝮そのものではないかと思えてくる。蝮は風土の精のごとき存在であり、自分はいつのまにか蝮と一体となり、風土そのものの芯に深々と身を横たえているのである。この句は蝮を地霊のごとく捉える原始的感覚が見事に表現された句と思う。
 平成七年十二月に出た第十二句集『両神』には、「山国や老母虎河豚とらふぐのごとく」という句があって、母堂が依然健在であることがわかる。
  酒止めようかどの本能と遊ぼうか
  禿つつもなお禿きらず青葉騒
  オットセイ百妻は一妻に如かず

など自在無礙を加えた句で詩歌文学館賞を受賞した。枯淡と無縁なところがまさに兜太だと思う。


松林尚志句集『山法師』二十句抄

若き母白くいませり半夏生草
今朝の秋布衣の雀もきてゐたり
黄金田や女神の臥せしあと残る
リュックには餡パン一つ山法師
連なる蔵王茂吉メッカに秋惜しむ
手術果つ羊の顔して夏の雲
花かたばみ帰りはどこに佇んでゐるか
術後二年泰山木の花仰ぐ
母がりの遠の紅葉尋めゆかな
新涼や那智黒を先づそつと置く
亡羊を追ひきし荒野月赤し
綿虫の一つ浮かんではるかなり
広場にガーゼ踏まれしままに凍ててあり
鉄棒に五月の闇がぶら下がる
大根提げて類人猿のごときかな
妻に紅茶われに緑茶や冬あたたか
ポストに落す原稿の嵩年の果て
虎ふぐでジュゴンでありし兜太逝く
足寒し戦後を刻みしわが齢
遠い日向見つむるわれも遠い日向

(山中葛子・抄出)
*初出:「海原」(NO.15/2020年1・2月合併号)

佐孝石画句集『青草SEISOU』〈圧倒する青春性 安西篤〉

『海原』No.45(2023/1/1発行)誌面より

佐孝石画句集『青草SEISOU』
圧倒する青春性 安西篤

 本書は著者の第一句集である。当年五十一歳。俳人としてはまだ若手ながら、すでに三〇年の俳歴を有し、海程賞も受賞しているから、すでに一家をなす俳人であり、待望の句集といっていい。その上梓を寿いで、故金子兜太師の序文、佐孝の先輩に当たり、今や地域俳壇の重鎮でもある松本勇二、石川青狼の跋文という選り抜きの執筆陣が華を添えている。恵まれた句集というべきだろう。
 佐孝自身、ここでおのれの青春を総括したという意味のあとがきを書いている。長い俳歴とはいえ、五十歳代以下のキャリアは、まだ青春といってもおかしくはあるまい。事実その内容は、青狼もいうように青春性に満ちたものだった。兜太師は序文の中で、次の句を挙げていた。

  この道は夕焼けに毀されている

 …映像としては、道が毀れるくらい激しい夕焼け、それだけなんだ。しかしその激しさだな、それを「毀されている」と書けたというのは、佐孝の若さだ。激しい孤独もあるわけで、これから人生の境目の第二段階に踏み込もうとしている感じがある。

 筆者は、佐孝俳句のナイーブな側面から、次のように鑑賞したことがある。

  花水木あかるい猜疑心でした

 若々しい青年の心理。それも軽い悔いを伴う青春性が感じられる。花水木は樹液が多いため、枝を折ると水が滴り落ちるところから来ているといわれる。多感な年頃の鋭敏な感受性の中に、ふと兆した猜疑心が、一度湧いたらとめどなく広がってゆく。でもそれは決して暗いものではなく、どこまでも明るい。こういう心理感覚は青春ならではのもの。「でした」と過去形で捉えたところに、作者の青春の居場所があったのかも知れない。

 二句ともに、青春性を感じさせながら、その時期の終焉の立ち位置からの、どこか哀しみの翳りを引くのが佐孝の青春性であった。佐孝は一句を成そうとする時、かなりの力技でもがき苦しむはずだが、その果ての天与のように、体からほとばしる言葉が授かるのではないか。その力感が、松本のいう「断定」に結びつくのかもしれない。

  白梅は空を纏って泣いていた

 白梅の梅林は、大方は桜のように大きく広がらず、点在して咲くところに風情がある。まだ寒い時期でもあるので、木々に微妙な表情がある。空は厚い雲が低く垂れこめていて、白梅は布団をかぶって忍び泣きしているようだ。しかしそれは時に、「少年期白梅というか歯軋りというか」のように表情を変えてくるのだ。

  ひとりとは気化することよ八十八夜

 「八十八夜の別れ霜」といわれるように、この頃を境に季節の移ろいが感じられる。そんな時にひとりでいると、このまま暖気とともに気化してしまうようだ。それはコントロールの利かない不安感とともに、蒸発してしまうような孤独感。

 時々佐孝は、意味をオフにして言葉を液状化し、その泥をこねるようにして作ったオブジェに、名づけるような言葉を立ち上げる。だがそこに造型されたものは、日常の中にみられる具象感なのだ。

  梅雨の山体毛の溢れと思う

 梅雨時の山の、長雨に煙る濛気のような水煙を、山の体毛の溢れと思うという。これは作者自身の体感のように山の質感を捉え、おのれ自身を山に化体して、「体毛の溢れ」を感じてしまうのだ。

  密告のように煙雨の鶏頭花

 煙雨の中に紛れ込むように、鶏頭花が茫然と咲いている。だがその立ち姿は、密かな擬態で、どうやら密告のような油断のならない緊張感を蔵しているらしい。直感的な表面の意識とは別の、微妙に移り動く意味のエネルギーが、ピンと張った力動性をもたらしている。

 また佐孝は、「今」「ここ」というかけがえのない唯一性にこだわる。それは過ぎ行く青春という時間を惜しむかのようでもあった。

  吃音の果て流れゆく花筏

 晩春の小川を流れゆく花筏にふと気づいて、思わず声をかけて止めようとしたのだろう。不意のこととて、駆け寄ることもかなわず、あわてて吃音になったまま声を挙げたのだ。日常の小さな蹉跌感。

  先回りして会いに来ていた曼珠沙華

 曼殊沙華に会いたいという一心で、お目当ての場所に来てはみたものの、もう
先回りして曼殊沙華が咲いていた。一瞬「嬉しいな」といううぶな反応。
 そして、そのなまのおのがあるがままを、自ずからなる詩的パフォーマンスで捉える一連が浮かび上がる。

  葉桜という感情で夜を漉く

 葉桜は、華やかな宴の後を思わせるような、しっとりとした感情で、夜の静寂しじまを漉いてゆく。清新な情感の漣とともに。

  冬木という圧倒的な居留守かな

 冬木の疎林を、圧倒的な居留守とは、作者ならではの若々しい不信の抗議。「居留守」を「圧倒的」とまで詠むのは、作者の内面の燃えあればこそといえよう。

2023年第1回「兜太祭」のご案内(日程の訂正あり)

2023年第1回「兜太祭」のご案内

※「海原」12月号掲載の「兜太祭」ご案内に、数か所日程に関しましての訂正があります。以下ご参照ください。

 新型コロナウイルス禍により延々と先送りになっていました「兜太祭」――。その記念すべき第1回がいよいよ開催の運びとなりました。金子先生ご夫妻のお墓参りも兼ねての秩父での一泊吟行会。これを「海原」の毎年の春の恒例行事にしたいと思います。どうぞ奮ってのご参加をお待ちしております。

【開催日】2023年3月25日(土)~26日(日)

【宿泊】長生館(秩父鉄道「長瀞駅」近く)
    〒369―1305 埼玉県秩父郡長瀞町長瀞449
    電話:0494―66―1113

【参加費】20,000円(予定)

【スケジュール概要】

3月25日(土)
 12:00~12:30 長生館にて受付
 12:30~ バスにて吟行
 (金子先生ご夫妻のお墓参り、壺春堂記念館、宝登山梅百花園など)
 17:00 第一次句会出句締切出句2句
 18:00 夕食
 19:30~ 第一次句会
 句会終了後、懇親会
3月26日(日)
 7:30~ 朝食
 8:00 第二次句会出句締切出句2句
 8:30~ 『生きもの〈金子兜太の世界〉』上映会
 9:30~12:00 第二次句会
 句会終了後、現地解散

引き続き、26日(日)~27日(月) 有志一泊旅行を開催します。
こちらの方も奮ってのご参加お待ちしております。

◆参加申込み締切:3月11日(土)
※一人部屋は、参加費+8,000円(参加者数によっては一人部屋をご用意できない場合があります。あるいは寝泊りのお部屋だけ、他の旅館・ホテルを利用していただく場合があります)

◆吟行合宿・有志一泊旅行申込み、問い合わせ先
 宮崎斗士 〒182―0036 東京都調布市飛田給2―29―1―401
      メール:tosmiya@d1.dion.ne.jp(「d1」の「1」は数字の1です)
      電話:070―5555―1523
      FAX:042―486―1938

松本孜句集『丹波篠山黒大豆』〈丹波春秋 榎本祐子〉

『海原』No.44(2022/12/1発行)誌面より

松本孜句集『丹波篠山黒大豆』

丹波春秋 榎本祐子

 松本さんは、昭和十年東京生まれ。戦争が激化する中、小学三年生の時に父親の故郷、丹波に移り住む。

  敗戦に帰農を決めた父ありき

 この時より、丹波の土と共に生きる生活が始まったものと思われる。
 以来、地域の役職にも就かれ、尽力され、丹波篠山黒大豆は、努力の成果としての特産品となっている。

  春確か命の水の動きだす

 句集『丹波篠山黒大豆』は自然の胎動を感じさせる句で始まる。

  剪定を終え里山の近くなる
  喪の家やおやっ蕗の薹そこかしこ
  餡ころや春もろともに頬張りぬ

 剪定後に見える景との交歓。地霊と共にある喜びが静かに伝わってくる。
 喪の家を出て、先ずは目に入った蕗の薹。生命の再生を見て「おやっ」との何気ない物言いも、死がいつも理として生活の中にあることを感じさせる。餡ころと共に春を享受する仕草も大らかだ。

  畦焼きの男叫喚して走る

 畦焼きの火に昂るのだろうか、情動的で、男に自然界の神が憑依しているようで何とも魅力的。

  畦塗って田は一面の水鏡
  水光るどの田も田植え待つ夕べ
  梅雨続く泥長靴を重くして
  地の温み素足に伝わる水田かな

 農事の合間の田への眼差し。田植え前のしばしの静寂の時間が、水田の水平に光る面と美しく呼応している。長靴に付いた泥の重みや、水田に足を踏み入れたときの感触は、体験を通してこその確かさで訴えてくる。

  夏至の夜ふと立ち止まる八十路かな
  八十路越え祇園太鼓に武者震い
  デカンショに始まる女房たちの盆
  デカンショに疲れし妻に風呂沸かす
  掃苔や妻と二人の夕まぐれ

 来し方行く末、その途上に人は時々立ち止まって物思う。「ふと」感慨に耽った後はまた、いつもの日常に戻る。そうして祭太鼓に奮い立ち、エネルギーを確認する松本さん。祭りという晴の日、一家は総出で盛り上がる。が、その後の気の抜けたような気だるい日常に妻を労い風呂を沸かす優しさ。家を守り継いでゆく為には様々な苦労や思いがあろう。掃苔後の夕暮れは言葉を超えたところで二人を包んでいる。

  梁太くビールの旨い日曜日

 太い梁のある古い家屋には薄闇がそこかしこにある。光と翳のコントラスト。相反したものがあって調和があり、その秩序が心を落ち着かせてくれる。代々そこに生きた人の時間が太く流れ、ここに寛いでいる人の時間も、やがてはその大きな流れに組み込まれて行く。今は、心落ち着く空間で休日のビールを存分に味わってほしい。

  柿熟れる人が居ようが居るまいが
  霜の田を真っすぐに割り通勤車

 過疎化の進む地域の景が切ない。通勤車が田んぼを切り裂くように走り、その勢いに、抗えない時代の流れを見ているのか。

  ああ丹波肌刺す寒さの好天気
  土に生き土に死ぬるやのっぺ汁
  静かなる雨やたちまち雪になる

 盆地の冬は寒い。「ああ」との嘆息には、これが丹波だと愛惜の情がこもる。静かに内省の時、のっぺ汁は熱く優しく、雨はしんしんと降る雪に変わる。丹波の風土を感じさせる句だ。

  除夜一人ひばりの歌に涙する

 除夜一人の松本さんの背中。昭和という激しい時代を生き抜いてきた歌手と歌への共感。松本さん自らへの自愛の涙でもあろう。

  竈猫核もてあそぶ独裁者
  牛蛙ミサイルを玩具にする馬鹿め
  戦仕掛ける奴に冬の蜂たかれ

 一方、このような世界に向けての怒りも、戦時中を生きた人の声としてストレートに伝わり響いてくる。

  丹波篠山縁ある万の灯りかな
  黒大豆老農夜明けを待ちきれず

  冬晴れやトラクター田へ驀地まっしぐら
  山国に溢るる一陽来復は

 丹波篠山の灯は親しく、身の内の明かりとしてあり、夜明けを待ちきれず「驀地」と、農に生きる人の面目躍如。逸る気持ちが若々しい。山国に巡る季節を寿ぎ、一陽来復と、松本さんの思いは溢れる。

 『丹波篠山黒大豆』は丹波篠山へのオマージュでもある。土を基盤とした営みの中より、今後も、この地より更なる一句、一句を発信し続けられるに違いない。

2022年秋【第4回】兜太通信俳句祭《結果発表》

『海原』No.44(2022/12/1発行)誌面より

2022年秋【第4回】兜太通信俳句祭《結果発表》

 第4回を迎えました「兜太通信俳句祭」。参加者数は計110名。出句数は計220句でした。大勢の方のご参加、あらためまして厚く御礼申し上げます。
 参加者全員に出句一覧を送付。一般選者の方々には7句選、22名の特別選者の方々には11句選(そのうち1句特選・10句秀逸)をお願いしました。
 以下、選句結果、特別選者講評となります。(まとめ・宮崎斗士)

☆ベストテン☆

《35点》
小鳥来る誤字いっぱいの母でいい 宮崎斗士

《25点》
白雨ですぼくを象どる僕のシャツ 大沢輝一
この星の軽い舌打ち木の実落つ 中村道子

《17点》
撃つなイワンよひまわりの中母が居る 若森京子

《16点》
ひとり身の怒りは不発ころんと枇杷 森由美子

《15点》
草いきれ痩せっぽっちの特攻碑 藤田敦子

《14点》
投句てふ生存証明すべりひゆ 黒済泰子

《13点》
蜩や引き延ばされた僕がいる 高木水志
恋は疲れます助手席の残暑 梨本洋子

《12点》
もだという水のさみしさ青鬼灯 伊藤淳子

【11点句】
地球儀に焼け焦げ二つ原爆忌 竹田昭江
大根蒔くゆっくり回り出す地球 嶺岸さとし

【10点句】
哀しみは遅れてきます木洩れ月 遠藤路子
師の口調浴びたき渇き晩夏光 小田嶋美和子
つくつくぼうしひりひりと今できること 遠山郁好
よく生きて純粋無職稲の花 松本勇二

【9点句】
裸電球背中は一本の廊下 三枝みずほ

【8点句】
アルバムをにこにこ出でる盆の母 川崎千鶴子
震災忌言葉ぽきぽき折れやすき 北上正枝
豆腐屋の奥で首振る扇風機 近藤真由美
遺失物にわたしと記す葛の花 竹田昭江
星涼しわれら明るき草である ナカムラ薫
背に負いし妹喜寿を過ぐ敗戦忌 野口佐稔
八月やただ幽体として過ぎる 若森京子

【7点句】
輪転機に夏の海鳴り世の地鳴り 赤崎裕太
反戦論ぶって少女の藍浴衣 上田輝子
炎昼の広場はいつも沼のかたち 尾形ゆきお
師を慕う世界にひとつの月を見て 高橋明江
糸とんぼ同級生と喪服着て 舘岡誠二
噴水の穂先の光り二度生きる 藤盛和子
決めるのはあしたの自分弟切草 三木冬子
青虫の冷たい弾力原爆忌 村松喜代
薄紙にくるむさよなら沙羅の花 室田洋子

【6点句】
向日葵のすっくと高し 9条よ 伊藤巌
真昼間の匂い揚羽が死んでいる 榎本祐子
毀れた戦車と平熱のかたつむり 大西健司
カンナ燃ゆゼレンスキーの窪んだ眼 川崎千鶴子
八月忌便器の横に核ボタン 木村寛伸
譜面無きパンデミック晩夏のジャズ 木村寛伸
雨の甘野老あまどころささやくような母の祈り 黒岡洋子
狙撃手の心中に洞蚊食鳥 小林育子
満月の鬣となる反戦歌 三枝みずほ
寂しさがふと零れ落ち遠花火 清水恵子
少年に激突さるる夕立かな 菅原春み
夕焼けこやけ国が大きな貌をして すずき穂波
白鳥が白鳥呼んでいる遺句集 芹沢愛子
巨星なき世は漂泊のマスクして 立川弘子
青々と死地ありやませ這い廻る 中村晋
炎天の転がっているハイヒール 丹生千賀
蠅たかるただそれだけの八月だつた 野﨑憲子
掌中のほたる師は師であり続け 船越みよ
さわさわと布衣の交わり良夜かな 増田暁子
花火果て薄荷ドロップだけ残る 村松喜代
長老となりし長男田水張る 山本弥生

【5点句】
空に罅入る音してジギタリス 上田輝子
青大将逆光という全長感 大沢輝一
黒葡萄はたと国葬に反対です 大髙洋子
戦するなとはひまわりの花ことば 北村美都子
地下足袋の父は忍者か鬼やんま 佐藤君子
鰍とて反骨の相秩父谿 篠田悦子
蝉の殻防弾チョッキで守れぬもの 芹沢愛子
泣かぬ子と海を見つめていた終戦 田中信克
茄子の馬まだ走るなよはしるなよ 丹生千賀
蜆蝶そうしてそっとわたしの靴 平田薫
五万の墓標ひとつひとつのひまわり 平田恒子
爽やかに母悲します齢かな 福岡日向子
搾乳のだるき温みや銀やんま 藤好良
眠剤依存月夜は海のしずけさ 船越みよ
少年のピアス仄かに蘭の気配 三浦二三子
星月夜地上のロゴス干涸びて 嶺岸さとし
蟻地獄つまらなそうな顔の母 室田洋子
星きらり光年という皮膚感覚 望月士郎
かなかなに呼ばれるときの掌の湿り 茂里美絵

特別選者の選句と講評☆一句目が特選句

【安西篤選】
盆トンボ出来ないものにあるがまま 松本勇二

三代の寝相そっくり烏瓜 西美惠子
遠い戦禍ドミノ倒しに末枯れる 疋田恵美子
師の口調浴びたき渇き晩夏光 小田嶋美和子
少年に激突さるる夕立かな 菅原春み
撃つなイワンよひまわりの中母が居る 若森京子
遺失物にわたしと記す葛の花 竹田昭江
アルバムをにこにこ出でる盆の母 川崎千鶴子
青大将逆光という全長感 大沢輝一
小鳥来る誤字いっぱいの母でいい 宮崎斗士
反戦論ぶって少女の藍浴衣 上田輝子
  ◇
 〈盆トンボ〉、兜太俳句祭ともなれば、兜太師を偲ぶ句が輩出するのは当然ともいえるが、その生きざまに学ぶという具体的な姿勢を打ち出している句は少ない。「盆トンボ」におのれの追悼の想いを重ねているところもいい。とても真似のできない「あるがまま」の生きざまとは、まさに当を得ている。上五、中下の流れは素直な気分として受け取れる。
 〈三代の〉、ぶら下がる烏瓜の実は、祖父母から三代にわたる寝相のようにそっくり受け継いで。〈遠い戦禍〉、ウクライナの戦禍を想望し、今、末枯れる野の景に、その状況を思い重ねる。〈師の口調〉、兜太師が生前、厳しくも的確な口調で容赦なく指摘された言葉を、今晩夏光の中で、今一度浴びたいものと渇くように求める想い。〈少年に〉、少年が急な夕立の中へ、激突せんばかりの勢いで走り出る。そのひたむきでまっしぐらな姿。〈撃つなイワンよ〉、侵攻する若きロシア兵(イワン)に、撃たないでくれ、向日葵畑のなかには、母がいる。君にもそんな母がいるだろうにと呼びかける。〈遺失物に〉、イメージ上の私としての存在が、いつの間にか見失われて、遺失物として届けるなら、「わたし」と届けたい気持ち。〈アルバムを〉、母の新盆だろうか。思い出のアルバムを繰って、在りし日の母を家族で思い返している。母の写真は、アルバムからにこにこと出てくるかのように、懐かしい。〈青大将〉、逆光の叢から青大将が踊り出てきた。まさにその全長を光の中に晒しつつ。〈小鳥来る〉、母からの手紙は、小鳥のように小さく跳ね回り、誤字いっぱいだが、それこそ母らしい手紙のありよう。それでいいのだ。〈反戦論〉、夕涼みの縁台に集いあう少女たち。その中の藍浴衣の一人が、折からのウクライナ戦争の反戦論をぶっている。素直な心情まざまざ。

【石川青狼選】
反戦論ぶって少女の藍浴衣 上田輝子

この星の軽い舌打ち木の実落つ 中村道子
朝曇かたみに鬱を分かち合い 安西篤
封切の「ひまわり」君と見し二十歳 黒済泰子
ひとり身の怒りは不発ころんと枇杷 森由美子
むぎわらとんぼ機影に草木靡くよ 川田由美子
とんぼ来て人間もまた水抱く星 中村晋
眠剤依存月夜は海のしずけさ 船越みよ
鰍とて反骨の相秩父谿 篠田悦子
小鳥来る誤字いっぱいの母でいい 宮崎斗士
恋は疲れます助手席の残暑 梨本洋子
  ◇
 〈反戦論〉ロシアによるウクライナへの侵攻には誰もが衝撃を受けて、平和というものが一瞬に奪われていく理不尽さに怒りを覚えた。掲句の少女も、俄にウクライナ戦争を身近に感じて反戦論をぶっているのだ。すっかり薄らいできた60〜70年代の反戦を声高に叫んでいた時代とだぶらせる作者であるか。平和に包まれている日本の夏の少女の藍浴衣がなんとも象徴的である。あらためて反戦を声に出して論議することの大事さを痛感。
 〈この星の〉〈封切の〉〈むぎわらとんぼ〉なども、ベースには反戦を意識しての自己の思いをそれぞれの形で表現している。特に映画の「ひまわり」の封切の時代背景とウクライナの現状の背景とがリンクしてくる。〈朝曇〉〈眠剤依存〉には現代が抱え込んでいる鬱屈感が語られている。その重苦しさを〈小鳥来る〉の誤字いっぱいの母親像がなんとも底抜けに明るい句で気持ちを楽にしてくれた人生詠。もっともっと明るい俳句が詠める時代になってもらいたい。〈恋は疲れます〉の助手席の残暑感もアンニュイでなるほど感が伝わって来た。恋の俳句にもたくさん出会いたいものだ。

【伊藤淳子選】
白鳥が白鳥呼んでいる遺句集 芹沢愛子

寂しさがふと零れ落ち遠花火 清水恵子
風待ちの港揚羽の高く飛ぶ 大西健司
朝曇かたみに鬱を分かち合い 安西篤
中今なかいまや歩む私と蝸牛 梨本洋子
水時計かの日かのとき群れとんぼ 山中葛子
遺失物にわたしと記す葛の花 竹田昭江
爽やかに母悲します齢かな 福岡日向子
眠剤依存月夜は海のしずけさ 船越みよ
百日紅自粛のもだに耐えており 安西篤
小鳥来る誤字いっぱいの母でいい 宮崎斗士
  ◇
 特選句〈白鳥が〉遺句集を頂いて手にした時の強い淋しさと懐かしさ。白鳥のイメージが重なって、その鳴き交わす声が水面に響いて、さまざまな思い出をよみがえらせてくれる。
 秀逸句〈寂しさが〉大きな景の中にふと訪れる寂しさがよく感じられる。〈風待ちの〉神奈川県舞鶴あたりの雰囲気が書けている。〈朝曇〉朝起きた時のすっきりしない気分。〈中今や〉中今という言葉の斡旋で一句が成立している。〈水時計〉かつて金子先生とご一緒に中国の博物館で古代の水時計を見た。「かの日かのとき」が心に響く。〈遺失物〉遺失物はまさに私である。同感。〈爽やかに〉母と子の微妙な関係がさらりと書けて魅力あり。〈眠剤依存〉眠剤を使っている人が多いと聞くが眠りにつくときの空気感が感じられる。〈百日紅〉三年にもなるコロナの自粛期間に花期の長い百日紅は良き配合である。〈小鳥来る〉母への愛がやさしい。かつては誤字など書くことがなかった母なのである。

【大沢輝一選】
真昼間の匂い揚羽が死んでいる 榎本祐子

大根蒔くゆっくり回り出す地球 嶺岸さとし
カンナ燃ゆゼレンスキーの窪んだ眼 川崎千鶴子
蠅たかるただそれだけの八月だつた 野﨑憲子
八月忌便器の横に核ボタン 木村寛伸
震災忌言葉ぽきぽき折れやすき 北上正枝
戦するなとはひまわりの花ことば 北村美都子
八月を消えないうちに保存する 野口佐稔
アルバムをにこにこ出でる盆の母 川崎千鶴子
茄子の馬まだ走るなよはしるなよ 丹生千賀
小鳥来る誤字いっぱいの母でいい 宮崎斗士
  ◇
 〈真昼間の匂い揚羽が死んでいる〉この作品を特選句に戴きました。真昼間に揚羽蝶が死んでいるという不思議な事実。真昼間の匂いとしか言い表わせないもどかしさ。日本人のあの忌まわしい敗戦が甦ってきます。
 〈大根蒔く〉という極上の至福の平和。〈カンナ燃ゆ〉ウクライナへのロシアの軍事侵攻。ゼレンスキーさんの窪んだ眼の映像が印象深い。〈蠅たかる〉今正に蠅がたかっている政治。臭います。時事俳句の一つ。〈八月忌〉意外な場所にある核ボタン。絶対に押したくない。触れたくない核のボタン。〈震災忌〉震災に遭遇しなければ書けない詠めない句。〈戦するな〉ひまわりの花ことば。今わかりました。〈八月を〉八月と敗戦を結び付けたくないが、どうしても日本人を離れることが出来ません。〈アルバムを〉〈小鳥来る〉どちらも母恋の俳句。思慕が溢れる。〈茄子の馬〉「まだ」を見つけた品の良い作品。本当にまだ走るなよはしるなよ、でありたい。

【大西健司選】
恋は疲れます助手席の残暑 梨本洋子

人になる前の我立つ夏怒濤 三浦二三子
寂しさがふと零れ落ち遠花火 清水恵子
この星の軽い舌打ち木の実落つ 中村道子
花火果て薄荷ドロップだけ残る 村松喜代
星涼しわれら明るき草である ナカムラ薫
カンナ燃ゆゼレンスキーの窪んだ眼 川崎千鶴子
遺失物にわたしと記す葛の花 竹田昭江
鎮魂の長岡花火草匂う 岡村伃志子
小鳥来る誤字いっぱいの母でいい 宮崎斗士
反戦論ぶって少女の藍浴衣 上田輝子
  ◇
 今回もまた熱気溢れる句が並んだ。そんな中特選にいただいたのが〈恋は疲れます〉という一句。導入部は少し俗っぽいのだが、何より「助手席の残暑」が秀逸。どこかどんよりとした助手席の空気感が恋の行方を暗示しているのだろう。
 また最後まで迷ったのは〈小鳥来る〉。あのしっかりしていた母もいつしか誤字だらけの手紙を寄こすようになっている。その愛しさがせつない。

【川崎益太郎選】
封切の「ひまわり」君と見し二十歳 黒済泰子

向日葵や「ひまわり」はもう開かない 伊藤巌
空蝉は未完の大河コスモロジー 増田天志
血縁の黴兄永らえて孤独 森鈴
菊酒や姥捨て山は宇宙にも 塩野正春
八月やただ幽体として過ぎる 若森京子
満月の鬣となる反戦歌 三枝みずほ
泥舟のいつ来る銀河逃避行 川森基次
八月忌便器の横に核ボタン 木村寛伸
投句てふ生存証明すべりひゆ 黒済泰子
戦するなとはひまわりの花ことば 北村美都子
  ◇
 特選〈封切の〉、その昔、確かに観た映画。喜寿にこんな形で蘇るとは。
 秀逸〈向日葵や〉、向日葵と「ひまわり」は違う花になった。ウクライナの惨事。〈空蝉は〉、空蝉はどこかで生きている。〈血縁の〉、血縁の黴のような兄、憎まれっ子世にはびこる。〈菊酒や〉、宇宙にも溢れる宇宙ゴミ。〈八月や〉、八月は死者、生者等、幽体の行き交う。〈満月の〉、満月に鬣つけてどこへ行く。〈泥船の〉、銀河を逃げようとしても泥船ではね。〈八月忌〉、便器にはボタンいろいろ、間違えるな。〈投句てふ〉、年賀状より投句。〈戦するな〉、新しい花言葉が出来た不幸。
 今年のヒロシマ平和祈念俳句大会でも、夾竹桃はあまりなく、向日葵が何時になく多く見られた。一日も早い戦争の終結を願う気持ちの表れであろう。

【北村美都子選】
鰍とて反骨の相秩父谿 篠田悦子

風待ちの港揚羽の高く飛ぶ 大西健司
満月の鬣となる反戦歌 三枝みずほ
蝉しぐれの声太きありひょっとして 吉澤祥匡
青々と死地ありやませ這い廻る 中村晋
秋の虹無垢の地点に根を降し 立川弘子
白鳥が白鳥呼んでいる遺句集 芹沢愛子
少年のピアス仄かに蘭の気配 三浦二三子
もだという水のさみしさ青鬼灯 伊藤淳子
八月の十指黙ってなにか言う 藤田敦子
小鳥来る誤字いっぱいの母でいい 宮崎斗士
  ◇
 特選句〈鰍とて〉背景に秩父事件を窺わせつつも諧味を含む一句の表情が、独特の興趣を喚起する。秩父は人々のみならず、谿や、その清流に棲む鰍さえも反骨心を持っているという。一種のアニミズム的把握には、兜太先生へのオマージュの側面もあるような…。
 秀逸句〈風待ちの〉高く飛ぶ、は作者の心意の表象。〈満月の〉前衛映画的。〈蝉しぐれの〉ひょっとして、の言い差しに続く言葉は、兜太先生の声かもしれないとの謂。〈青々と〉みちのくの実態と、その内実の表白か。〈秋の虹〉虹の清浄感に重なる心性の無垢。〈白鳥が〉遺句集の白鳥と鳴き交すかのような白鳥の声…詩的にして切ない。〈少年の〉甘く清らにして仄かなるエロス。〈もだという〉水への視感が新しい。青鬼灯、も効いている。〈八月の〉黙って――言う、の逆説的叙法による八月を思う心の深さ。〈小鳥来る〉母の老いへの寛容が読み手をも和ませる。「お母さん、小鳥が渡って来ましたね!」。

【こしのゆみこ選】
撃つなイワンよひまわりの中母が居る 若森京子

鎌倉は大きな柩蟻地獄 長谷川順子
よく生きて純粋無職稲の花 松本勇二
決めるのはあしたの自分弟切草 三木冬子
白雨ですぼくを象どる僕のシャツ 大沢輝一
糸とんぼ同級生と喪服着て 舘岡誠二
敗戦日パーマネントの客一号 石橋いろり
八月忌便器の横に核ボタン 木村寛伸
青虫の冷たい弾力原爆忌 村松喜代
蜆蝶そうしてそっとわたしの靴 平田薫
炎昼の広場はいつも沼のかたち 尾形ゆきお
  ◇
 ひまわりがウクライナの国花ということから、この「兜太祭」も多くの「ひまわり」が語られている。ひとりでも多くのみんながひまわりを詠んで、ひまわりにまつわる多くの物語を知り、この地球上から戦争をなくしてゆく声となることを願わずにいられない。
 特選の〈撃つなイワンよ〉の句は衝撃だった。このイワンは私たちが知っているロシアの民話『イワンのばか』の朴訥で無欲なイワンだったはずである。そのイワンが銃を構えているのである。我が国日本だって近所の太郎くんや甥の次郎がいつの間にか戦地に送られる時が来るかも知れないのだ。その普通の人が銃を持つ戦争。第二次世界大戦後、ウクライナのひまわり畑には無数の兵士が眠っているという。そのひまわりの咲く畑に私の母やあなたの母が逃げて潜んでいるのだ。それはけして絵空事ではない現実の、家のすぐ近くにある隠れる場所としてのひまわり畑がそこにひろがる。何年か前、果てしなく続くひまわり畑の道をバスで通った記憶と映画『ひまわり』のシーンと重なり、ウクライナの女性がロシア軍兵士に対峙し「あなたが命を落とした時に、その場所から花が咲いてほしい。だから、ひまわりの種をポケットに入れなさい」というエピソードを知ったりして、この句の一語一語が身にしみる。

【芹沢愛子選】
蜩や引き延ばされた僕がいる 高木水志

秋蝶よ屈葬の村いずくんぞ 堀之内長一
黒葡萄はたと国葬に反対です 大髙洋子
夕焼けこやけ国が大きな貌をして すずき穂波
いちにちが旅人であったか向日葵 伊藤淳子
師を慕う世界にひとつの月を見て 高橋明江
ひとり身の怒りは不発ころんと枇杷 森由美子
さとうきび畑ぎりぎりまで遊ぶ 小松敦
つくつくぼうしひりひりと今できること 遠山郁好
眠剤依存月夜は海のしずけさ 船越みよ
狙撃手の心中に洞蚊食鳥 小林育子
  ◇
 特選〈蜩や〉。蜩の声に囲まれた作者。アニメのようなシュールな映像を「僕」自身が俯瞰している構造が新鮮。油蝉とは違い蜩の蝉時雨には浮遊感があり、自分が引き延ばされていくような……。感覚の句。
 〈秋蝶よ〉少し前までは山村などで土葬の風習が残っていた。屈葬は胎児の姿を真似ることで再生を祈っていたとも言われる。村という共同体への原点回帰とも望郷の念とも思える。〈黒葡萄〉「はたと」気付き言語化してみた作者の姿勢はきっと一貫してリベラルなのだろう。〈夕焼けこやけ〉国民が軽く見られている悔しさ。「夕焼けこやけ」で日が沈む国。〈いちにちが〉「一日を旅人のように過ごした」「いちにちが旅人のように自分を通り過ぎて行った」という二つの読みができる。さらに向日葵も旅するようなイメージまで。境涯に傾きすぎず明るい漂泊感が好き。〈師を慕う〉唯一無二と敬愛する師と月を重ねている一途さに惹かれた。〈ひとり身の〉「怒りは不発」がもやもやとした孤独感を良く表現している。わたくし的には「ころんと」が演出的なのでもう少しあっさりさせたい。〈さとうきび畑〉過酷な歴史を持ち今も戦争に一番近いように思える沖縄。「ぎりぎりまで遊ぶ」にただ事ではない命の燃焼を感じる。〈つくつくぼうし〉「ひりひり」というオノマトペが時代の空気を良く捉えている。〈眠剤依存〉入眠剤に頼り自分だけの静寂の中にいる孤独。〈狙撃手の〉「心中に洞」に心が痛む。帰還兵の多くがPTSDに苦しんでいる。

【高木一惠選】
夕焼けこやけ国が大きな貌をして すずき穂波

兜太著に『詩形一本』滝こだま 北村美都子
風待ちの港揚羽の高く飛ぶ 大西健司
青空へ肩で風切る稲刈り機 鱸久子
蟬鳴くや己の呪文抱きしめて 高木水志
草いきれ痩せっぽっちの特攻碑 藤田敦子
長老となりし長男田水張る 山本弥生
蠅たかるただそれだけの八月だつた 野﨑憲子
盆トンボ出来ないものにあるがまま 松本勇二
投句てふ生存証明すべりひゆ 黒済泰子
星きらり光年という皮膚感覚 望月士郎
  ◇
 コロナ禍もウクライナのことも、個人では背負いきれない課題を負わされた感じで、畢竟「国」の存在が前面に出てきます。特選句〈夕焼けこやけ国が大きな貌をして〉はそんな国情また民情をふわりと詠み留めました。上五が導く童謡の「夕焼けこやけ」が世に出たのは関東大震災のすぐ前だそうですが、時代の大波を乗り越えて歌い継がれたのは、懐かしい原郷に繋がるからでしょうか。
 特選に並べたい〈蠅たかるただそれだけの八月だつた〉は原爆忌と断ってはいませんが、被爆者に突き付けられた現実を、「蠅たかる」がずばり象徴しました。止めの「た」を切字とすれば、中七はやや強すぎたでしょうか。〈星きらり光年という皮膚感覚〉昨今、宇宙探査機が伝えてくれる映像を楽しんでいますが、「光年」で数えたら一吹きの生命体だということをつい忘れて、でも極くたまには痛みも感じるわが光年感覚です。

【舘岡誠二選】
「戦はならぬ」兜太師叫ぶ八月の濤 宇川啓子

三代の寝相そっくり烏瓜 西美惠子
背に負いし妹喜寿を過ぐ敗戦忌 野口佐稔
地球儀に焼け焦げ二つ原爆忌 竹田昭江
草いきれ痩せっぽっちの特攻碑 藤田敦子
白鳥が白鳥呼んでいる遺句集 芹沢愛子
親と子の残像として蛍の火 藤盛和子
アルバムをにこにこ出でる盆の母 川崎千鶴子
毀れた戦車と平熱のかたつむり 大西健司
誰も来ぬ葬儀や秋の蝉鳴ける 武藤幹
小鳥来る誤字いっぱいの母でいい 宮崎斗士
  ◇
 「戦はならぬ」兜太師叫ぶ八月の濤
 ロシアのウクライナへの軍事侵攻は多くの人の命を絶ち、強硬残虐。激しいロシアの攻撃により、ウクライナの子ども一人が泣いて道路を歩いている姿がテレビで何度も放送されたのを見て、哀れで悲しく辛く思った。
 自分は太平洋戦争で叔父二人が戦死した。一人はフィリピン・レイテ島と、一人はマリアナ島であった。小生五歳の時。
 金子兜太先生は南洋トラック島で厳しい戦火の人生体験。この作品は金子先生の平和への思いを十分伝えている。

【遠山郁好選】
青芝に雨降りやすき椅子を置く こしのゆみこ

噴水の穂先の光り二度生きる 藤盛和子
この星の軽い舌打ち木の実落つ 中村道子
花火果て薄荷ドロップだけ残る 村松喜代
掌中のほたる師は師であり続け 船越みよ
星涼しわれら明るき草である ナカムラ薫
山の老女の手真似涼しき文楽よ 野田信章
甘噛みの秋のいるかはわたしです 宙のふう
撃つなイワンよひまわりの中母が居る 若森京子
もだという水のさみしさ青鬼灯 伊藤淳子
アンバランスな顔ね遠雷を聞きましょう 榎本祐子
  ◇
 特選〈青芝に〉、青芝に雨が降り、その青さが目に沁みる。そして一脚の椅子が濡れている。それだけのことだけど、雨を降らせているのは、「雨降りやすき椅子」という孤独な椅子。なにげない日常のさりげないこと。それを繊細にやわらかく、しみじみと人のせいの営みを感じさせる句。
 〈噴水の〉、金子先生の著書の『二度生きる』に拠る句か。「穂先の光り」が日常の中のさりげなく明るい未来を予感させる。〈この星の〉、今この星で起きている舌打ちしても解決しない諸々のこと。でも木の実が落ちるのは軽い舌打ち。〈花火果て〉、花火が終わった直後の、あのなんとも言えない感覚が、薄荷ドロップを提示してより鮮明に甦る。〈掌中の〉、師に対する想いが蛍を通してストレートに書かれていて惹かれる。〈星涼し〉、われら民は民草であり青人草であるが、「星涼し」「明るき草」と作者の人生を肯定する姿勢に励まされる。〈山の老女の〉、涼しき山国の風景と山ぐにの老女の暮しが生き生きとドラマティックに書かれていて魅力的。〈甘噛みの〉、一句を通して、ほのかに匂うような甘い感じが、なんともいえなくいい感じ。〈撃つなイワンよ〉、イワンやひまわりに象徴される、今の理不尽で許されない、ロシアのウクライナへの侵攻。〈もだという〉、黙を水のさみしさと捉える作者の繊細で犯し難い孤。〈アンバランスな〉、「アンバランスな顔」からピカソの絵の顔、又顔の右と左では別々のことを考えている人の顔など、様々想像できて面白い。遠雷も程よい配合で効果的。

【中村晋選】
小鳥来る誤字いっぱいの母でいい 宮崎斗士

この星の軽い舌打ち木の実落つ 中村道子
渋谷東横屋上遊園地の西日 松本千花
AIに墓場あるのか盆の月 佐藤詠子
草いきれ痩せっぽっちの特攻碑 藤田敦子
蠅たかるただそれだけの八月だつた 野﨑憲子
ひとり身の怒りは不発ころんと枇杷 森由美子
土を蹴る羽抜鶏ですラテン系 加藤昭子
もだという水のさみしさ青鬼灯 伊藤淳子
裸電球背中は一本の廊下 三枝みずほ
狙撃手の心中に洞蚊食鳥 小林育子
  ◇
 今回選をしながら思ったのは、「映像の連鎖」ということ。特選にいただいた〈誤字いっぱいの母〉には、野口英世の母のあの手紙を思わずにはいられない。そして〈木の実〉の「舌打ち」には宮澤賢治の童話的世界。
 〈屋上遊園地の西日〉には、映画「三丁目の夕日」。〈AI〉の墓場からはノーベル文学賞作家カズオ・イシグロの『クララとお日さま』。〈やせっぽっちの特攻碑〉は、なぜか宮崎駿の映画『風立ちぬ』につながった。あるいは吉村昭の小説『零式戦闘機』にも。
 〈蠅たかる〉八月は、井伏鱒二『黒い雨』とか、大岡昇平『野火』とか。〈ひとり身の怒り〉にはひとり身ではなくとも、単なる広報的な毎日のテレビ報道の映像が思い浮かぶ。〈羽抜鶏〉には、いつかどこかで見たドキュメンタリー映画のワンシーンを思い出す。
 〈水のさみしさ〉の映像には、なぜか脈絡なく、小津安二郎『東京物語』的な世界につながり、〈一本の廊下〉からは「戦争が廊下の奥に立ってゐた渡辺白泉」の廊下が見えるような思い。〈狙撃手の心中〉を思うとき、スベトラーナ・アレクシェービッチが記録した女性兵士たちの心に触れる感覚。…というように、かなり的外れな映像の連鎖かもしれませんが、「誤読いっぱいの選者でいい」と、ご海容いただければ幸いです。最後に、他にも採りたかった句が多数あったことを付け加え、筆を擱かせていただきます。

【野﨑憲子選】
兜太亡く雷遊ばなくなりぬ武州 篠田悦子

譜面無きパンデミック晩夏のジャズ 木村寛伸
雨の甘野老あまどころささやくような母の祈り 黒岡洋子
白雨ですぼくを象どる僕のシャツ 大沢輝一
八月やただ幽体として過ぎる 若森京子
カンナ燃ゆゼレンスキーの窪んだ眼 川崎千鶴子
合歓昏れる眠たいときは眠るのです 長谷川順子
五万の墓標ひとつひとつのひまわり 平田恒子
炎昼の広場はいつも沼のかたち 尾形ゆきお
アンバランスな顔ね遠雷を聞きましょう 榎本祐子
踊り子草川音辿れば生家見ゆ 山本弥生
  ◇
 特選句〈兜太亡く〉は、「利根川と荒川の間雷遊ぶ(金子兜太)」を踏まえた作品。師のご存命の頃には、ロシア軍のウクライナ侵攻も、パンデミックもなかった。また雷が遊ぶ地球に戻って欲しいという切なる思いから特選にいただいた。〈譜面無き〉今も第七波のパンデミックの渦中。こうなればもう、コロナウイルスもろともにジャズを楽しみたい心境。〈白雨です〉夕立の中びしょ濡れで立っている光の塊のような少年を思った。今回は、多面的に作品を選ばせていただいた。
 暗雲が世界を覆い尽くそうとしている今だからこそ、言霊の幸ふ国である日本の、「俳諧自由」の精神に則った、他界も現世も、国境も、縄張りもない「いのちの空間」から発する愛語のような世界最短定型詩を強烈に発信してゆくことが、地球を救う何よりの未来風となると、それが師の願いであると強く感じています。
 宮崎斗士さんのお陰様で、兜太通信俳句祭も四回目を迎えました。とても楽しく豊かな時間をありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。

【野田信章選】
栃だんご非戦の笑みや草城子 大髙宏允

空に罅入る音してジギタリス 上田輝子
黒葡萄はたと国葬に反対です 大髙洋子
カンナ燃ゆゼレンスキーの窪んだ眼 川崎千鶴子
白鳥が白鳥呼んでいる遺句集 芹沢愛子
青虫の冷たい弾力原爆忌 村松喜代
撃つなイワンよひまわりの中母が居る 若森京子
蟻地獄つまらなそうな顔の母 室田洋子
つくつくぼうしひりひりと今できること 遠山郁好
毀れた戦車と平熱のかたつむり 大西健司
鰍とて反骨の相秩父谿 篠田悦子
  ◇
 八月。日本のいちばん重たい月を経て、兜太祭の作品を拝読する中で〈黒葡萄〉〈カンナ燃ゆ〉の「窪んだ眼」、〈青虫の〉〈毀れた戦車〉〈撃つなイワン〉の直截的な切れ味の句は日本の来し方と行方について問いかけてくる手応えがあります。
 その中で〈栃だんご非戦の笑みや草城子〉の一句はやや鈍刀の切れ味かと読んでいます。「海程」初期から地道に作句を続けて来られた草城子俳句には社会性のある直截的な句は見えず、濃尾平野の一角に腰を据えた土着の眼差しのある句が多い。私もまたその句柄の素朴さに共鳴している一人である。「栃だんご」を前にしての笑みを「非戦の笑み」と言い切ることは草城子の生き様とその実作品に対しての畏敬の念あればこその一句かと存じます。

【藤野武選】
蠅たかるただそれだけの八月だつた 野﨑憲子

花火果て薄荷ドロップだけ残る 村松喜代
滴りの絶滅哺乳類図鑑より こしのゆみこ
少年に激突さるる夕立かな 菅原春み
炎天の転がっているハイヒール 丹生千賀
蟻地獄つまらなそうな顔の母 室田洋子
搾乳のだるき温みや銀やんま 藤好良
爽やかに母悲します齢かな 福岡日向子
もだという水のさみしさ青鬼灯 伊藤淳子
蜩や引き延ばされた僕がいる 高木水志
秋山や草を山ほど刈らねばと 豊原清明
  ◇
 特選〈蠅たかるただそれだけの八月だつた〉は、シンプルな句である。よって読み手はさまざまに想像を膨らますことができる。とはいえ、作者の創作の意志はおそらく強い(当然、趣味的俳句とは違う)。
 「八月」とは、戦争が終わったあの八月のことだと、私は受けとる。ゆったりとした韻律と内容は、戦争を生き残ったという安堵と、国民に死を強いてきた権力が一瞬消え失せた、喪失と自由と解放の思いが入り混じった、どこか捉えどころなき茫洋とした空気感を表現し得ている。そしてまたこの情況は、ただそれだけで満ち足りたものだったのだ。さらに「蠅たかる」映像は、「たかる」蠅と「たかられる」人間の双方ともが、(この権力の空白期に生じた)先入観や偏見の消え失せた純粋な「生きもの」として存在していて、「生きものたちの」本質的な在るべき姿を想起させるのだ。
 「過去」を(その瞬間を)語ってこの句は、「現在」の私たちに、「何か大切なものを失ってはいないか」という問いを、突き付けているように思われる。

【堀之内長一選】
搾乳のだるき温みや銀やんま 藤好良

よく生きて純粋無職稲の花 松本勇二
この星の軽い舌打ち木の実落つ 中村道子
菊酒や姥捨て山は宇宙にも 塩野正春
蝉の殻防弾チョッキで守れぬもの 芹沢愛子
草いきれ痩せっぽっちの特攻碑 藤田敦子
からすうりの花の夕べは蛇畏れ 遠山郁好
青々と死地ありやませ這い廻る 中村晋
長老となりし長男田水張る 山本弥生
秋の虹無垢の地点に根を降し 立川弘子
蜩や引き延ばされた僕がいる 高木水志
  ◇
 いつもながら迷いつつ、搾乳という題材のもつ魅力に引き寄せられて特選に。この搾乳は機械ではなく、手で絞るときの感触をとらえたものと思う。搾りたての乳は確かに生ぬるい。生きものの体温が伝わってくるのだから当然だが、ポイントは「だるき」である。日常も私の気分も、さらに言えば、日本の酪農を取り巻く状況もいつもだるいなあ、とまで深読みをしてしまう。配された銀やんまの明るさに、かすかな希望を託したい。生活の中から生まれた叙情の句である。
 〈よく生きて〉純粋無職が面白い。この境地、ただ満足だけではない、かすかなニヒリズムの匂いも。〈この星の〉あまり良いイメージのない舌打ちという言葉が現在の気分をとらえる。木の実の落ちる音さえも。〈菊酒や〉姥捨て山もついに宇宙へ。めでたい菊酒だからこその妄想と俳諧味。〈蝉の殻〉直情とはこれか。防弾チョッキでは防げないものに思いを馳せる。〈草いきれ〉痩せっぽっちという捉え方が胸に迫る。すべてが痩せていく。〈からすうりの花〉夏の夕べの幻想、蛇は何の象徴なのか。〈青々と〉やませと聞くだけで北国の夏の荒涼が浮かんでくる。重い句である。〈長老となりし〉長寿社会の喜びとさみしさか。長老という言葉はもう失われたと思っていたが、ここに復活した。〈秋の虹〉虹のもつ象徴性を個性的に表現した。無垢の地点がいい。無垢が失われた世界への鎮魂のようにも。〈蜩や〉引き延ばされた僕はどういう状態にいるのだろう。謎をはらんだ若々しい心身を感じる。
 ほかにも好句がたくさん。「海原」連中の多才な、そして多彩な個性を楽しんだ。宮崎斗士さんのご苦労に感謝しつつ、これからもどうぞ限りなく続けてください。

【松本勇二選】
青虫の冷たい弾力原爆忌 村松喜代

糸とんぼ同級生と喪服着て 舘岡誠二
師の口調浴びたき渇き晩夏光 小田嶋美和子
地球儀に焼け焦げ二つ原爆忌 竹田昭江
長老となりし長男田水張る 山本弥生
栃だんご非戦の笑みや草城子 大髙宏允
投句てふ生存証明すべりひゆ 黒済泰子
秋暑し豆焦がしたりずっこけたり 森鈴
裸電球背中は一本の廊下 三枝みずほ
アンバランスな顔ね遠雷を聞きましょう 榎本祐子
小鳥来る誤字いっぱいの母でいい 宮崎斗士
  ◇
 特選の〈青虫の冷たい弾力原爆忌〉は原爆忌に青虫を取り合わせ、今まであまり見ない原爆俳句となった。青虫を持つと意外に冷たい、そして弾力が指先から伝わる。冷たさも弾力も原爆と大きく距離があるが、あの無抵抗な様子が戦争に抗えなかった往時と、遠いところで繋がる。兜太先生の「生きもの感覚」の典型となる作品で、忘れていた手法を思い出させていただいた。
 〈投句てふ生存証明すべりひゆ〉の上五中七が言い得て妙である。「海原」などで投句者名を見て「あの人も元気でやっているなあ。」と、確認する様を逆から書いている。季語も生命力を思わせるもので上手く受けている。
 〈栃だんご非戦の笑みや草城子〉は森下草城子氏のことか。全国大会などで、軽妙で必ず笑いを取るお話を、懐かしく思い出させていただいた。栃だんごののっぺりとした武骨さも、風土詠を得意とした草城子氏によく合っている。

【茂里美絵選】
八月やただ幽体として過ぎる 若森京子

譜面無きパンデミック晩夏のジャズ 木村寛伸
哀しみは遅れてきます木洩れ月 遠藤路子
狭き門あり家畜化われに白萩に 高木一惠
遺失物にわたしと記す葛の花 竹田昭江
爽やかに母悲します齢かな 福岡日向子
炎昼の広場はいつも沼のかたち 尾形ゆきお
裸電球背中は一本の廊下 三枝みずほ
蜩や引き延ばされた僕がいる 高木水志
コスモスの海脱皮するわたし 近藤真由美
茄子の馬まだ走るなよはしるなよ 丹生千賀
  ◇
 特選〈八月や〉、「八月俳句」としては異質の光を放っている。霊的なものだけをありありと抱えた虚無感が突き刺さる。
 次に秀逸の寸評。〈譜面無き〉、躍動感の中に潜むパンデミックの怖さ。〈哀しみは〉、上五中七の心情を「木洩れ月」の季語が支える。〈狭き門あり〉、現在の規格化された人間像と植物もまた。〈遺失物に〉、現代性が顕著。意識的に自分の個性を消す。季語もいい。〈爽やかに〉、壮年となり仕事も増え、母の心痛も増える。「爽やかに」がいい。
 〈炎昼の〉、「炎昼」の感覚が以降の言葉で具現化される。〈裸電球〉、一読、無季と思うが気にならない。過重労働を象徴的に表現して見事。〈蜩や〉、柔軟な感性。蜩に対する「僕」の心情が素敵。〈コスモスの〉、とにかく美しい。花の中で脱皮とは。〈茄子の馬〉、明るいようで実は切ない句。盆過ぎの馬に象徴する亡者に投げかける言葉と心。
 全体的に、戦争に関する作品が多かったが敢えて現在只今の、日本の日常(実情)に目を向けた結果の選にさせて頂きました。
 宮崎様、心より感謝致します。

【柳生正名選】
さいさいと流れのありて魂送り 加藤昭子

つまり氷かなんかでできている秋の雲 平田薫
花火果て薄荷ドロップだけ残る 村松喜代
花火の裏でどんな意味にも耐えている 福岡日向子
豆腐屋の奥で首振る扇風機 近藤真由美
兜太亡く雷遊ばなくなりぬ武州 篠田悦子
北海道は鮭の頭だ日本地図 舘岡誠二
秋暑し豆焦がしたりずっこけたり 森鈴
にんげんを脱ぐか空蝉はコスミック 増田天志
つくつくぼうしひりひりと今できること 遠山郁好
蓑虫のたぶららさなり天つ風 松本千花
  ◇
 前回「自戒を込め、失礼を顧みずあえて記す。今回の240句に『停滞』を感じた」と記した。残念ながら、その思いは今回も変わるに至らなかった。兜太を除き「平成無風」と評された俳句界自体、令和も変わらないことと平仄が合うと言えばその通りだが、生の兜太に再見かなわず「雷」も「遊ばなくなった」今、それを理由に現状もやむなしと考えるのは百害あって一利なしだろう。
 かつて中野重治は「お前は赤ままの花やとんぼの羽根を歌うな」と記した。むしろ「たたかれることによつて弾ねかえる歌」を「咽喉をふくらまして厳しい韻律に歌い上げよ」と訴えたのである。
 それは「ひりひりと今できること」を意識的にやり尽くすことに他ならない。「花火の裏」をあえて見て「どんな意味にも耐え」る強さが必要だ。秋に流れを遡る「鮭の頭」と化し、「にんげんを脱ぐ」生きもの感覚と既成概念を捨てた「たぶららさ」を武器とする。「氷かなんか」にすぎない雲や、闇の中で嘗める「薄荷ドロップ」、「豆焦がし」たりもする「豆腐屋の奥」、など、重治のいう「胸先きを突き上げてくるぎりぎりのところ」に立たねばならない。
 それが、この八月も秩父に戻り、海原の今を見て、此岸に後ろ髪引かれる(前髪はない!)兜太の魂を「さいさいと流れ」に乗せ、他界へ送り返す力となる―そう思いつつ、この稿を記している。

【山中葛子選】
青々と死地ありやませ這い廻る 中村晋

哀しみは遅れてきます木洩れ月 遠藤路子
白雨ですぼくを象どる僕のシャツ 大沢輝一
巨星なき世は漂泊のマスクして 立川弘子
「戦はならぬ」兜太師叫ぶ八月の濤 宇川啓子
からすうりの花の夕べは蛇畏れ 遠山郁好
アガパンサススキキライスキ片思い 松田英子
撃つなイワンよひまわりの中母が居る 若森京子
戦するなとはひまわりの花ことば 北村美都子
小鳥来る誤字いっぱいの母でいい 宮崎斗士
ヤカンはピーと泣き叫ぶ月もまた 大渕久幸
  ◇
 特選句〈青々と〉生と死が共存する自然界の姿を目の当たりにする「青々と死地あり」のインパクト。稲作などに悪影響をもたらす「やませ」の吹き寄せる勢いがなんとも不気味です。
 秀逸句〈哀しみは〉戦争の悲惨さが時を経てみえてくるような「木洩れ月」の妙味。〈白雨です〉の比喩のあざやかさ。「ぼく」が透けて見えてくる、びしょ濡れの「僕のシャツ」が新鮮。〈巨星なき〉定住漂泊の日々を生き続けるコロナ禍のただ今。〈「戦はならぬ」〉兜太師の存在感そのもの。〈からすうりの花〉白蛇の化身を思う、幻想的な情景に魅せられます。〈アガパンサス〉カタカナ表記の語感をたどる片思いがすてき。〈撃つなイワンよ〉ひまわりといえばウクライナ。イワンを登場させた物語に癒されます。〈戦するなとは〉思わずも説得させられる「花ことば」の暗喩。〈小鳥来る〉認知症のはじまっている母への愛がうれしい。〈ヤカンは〉劇画の一コマを思うドラマチックな映像力。
 秋の「兜太通信俳句祭」の交流は、コロナ禍と戦争の世相を共有するなかでの、俳諧自由の無限の魅力をいただく感謝でございます。

【若森京子選】
にんげんを脱ぐか空蝉はコスミック 増田天志

よく生きて純粋無職稲の花 松本勇二
この星の軽い舌打ち木の実落つ 中村道子
哀しみは遅れてきます木洩れ月 遠藤路子
菊酒や姥捨て山は宇宙にも 塩野正春
師の口調浴びたき渇き晩夏光 小田嶋美和子
八月忌便器の横に核ボタン 木村寛伸
震災忌言葉ぽきぽき折れやすき 北上正枝
青大将逆光という全長感 大沢輝一
眠剤依存月夜は海のしずけさ 船越みよ
恋は疲れます助手席の残暑 梨本洋子
  ◇
 特選句〈にんげんを〉人生の中で幾度か考える葦である人間を止めたい時があった。空蝉を見て「にんげんを脱ぐか」の生の発語が生まれたのであろう。下句を軽いリズムで流しているが深層は解放感。
 〈よく生きて〉長く生きてきて達観した心境。”稲の花”の季語が効いている。〈この星の〉切り口よくコミカルに一句を上手く詠んでいる。〈哀しみは〉人間の心理を突いて”木洩れ月”に哀感が溢れている。〈菊酒や〉新しい姥捨て山に菊酒で乾杯。イロニーが効いている。〈師の口調〉問題多い現在、兜太先生の御意見の口調が実に懐かしい。聞きたいものだ。〈八月忌〉いよいよ核が身近に迫ってきた実感がある。〈震災忌〉震災忌になると言葉の虚しさを思う。ぽきぽき折れる、が上手い。〈青大将〉立派な青大将が眼前にいる。”逆光という全長感”の言葉の斡旋が巧み。〈眠剤依存〉眠剤依存者の多い現代。月夜の海の静けさは古代より続く。この二つのフレーズの合体が上手い。〈恋は疲れます〉現代人のアンニュイな恋愛関係を上手く一句にしている。
 御世話される宮崎氏は大変でしょうが、海原の一体感を思う唯一の行事となりました。ありがとうございます。

◆その他の参加者(一句抄)

ひまわりをたんぽぽとよぶああ自由 石川青狼
一湾の大皿やなみなみと秋 大上恒子
父五十回忌の年母日記買う 小野地香
英雄のぱらぱら漫画竈馬跳ぶ 桂凜火
感傷に青い詐欺で飛び立った 葛城広光
これがまあ天の裁きか雷二発 川崎益太郎
汗汗汗整備の道を登山靴 後藤雅文
嫁姑謀略隠す合歓の花 齊藤邦彦
国葬や「万引き家族」のおとむらい ダークシー美紀
ハトロン紙解けば鉄炮百合百本 鳥山由貴子
苗床に漢愛かけまるで吾子 中野佑海
ゼレンスキー明るいTシャツ着るはいつ 野口思づゑ
本棚の兜太著の本五月風 平山圭子
ゆっくりとゆるす正眼蟬しぐれ 深澤格子
門火美しぎゅっと手を握りし子 藤野武
友癒えてゆく花合歓のグラデーション 三浦静佳
撃つ撃たれることのあはひに枇杷を剝く 柳生正名
折合いの自在はかなし秋茜 山下一夫
蒲の穂は誘いの風にも振り向かず 横田和子
居心地は母の心得夏了る 横地かをる
駆け落ちのふたりとなりぬ白日傘 渡辺のり子

《参考》兜太通信俳句祭の高点句

◆第1回 2021年春のベスト5
不要不急いつか鯨を見に行こう 室田洋子
青すぎてたいくつな空狐罠 北上正枝
記憶とはこのたなごころ鳥雲に 伊藤淳子
つちふるや折目の傷む世界地図 三浦静佳
ぶらんこを乗り継ぎいつか星になろう 竹田昭江

◆第2回 2021年秋のベスト5
合わせ鏡の軽い幽閉さよなら夏 茂里美絵
鳥渡るページめくればみるみる海 伊藤淳子
サーカスが来たおとうとが消えた晩夏 深澤格子
うさぎの心拍抱いたままです芒原 上田輝子
がちやがちやと暫く僕でなくて俺 柳生正名

◆第3回 2022年春のベスト5
感情のしずかなる距離小白鳥 横地かをる
あやとりの橋を来る妣ぼたんゆき 北村美都子
臍の緒の続きに母の毛糸玉 河西志帆
献体葬積もらぬ雪を見てをりぬ 藤田敦子
すべり台より雲梯の方が春 こしのゆみこ
不燃性家族そのうち一人たんぽぽ化 すずき穂波
墜ちてゆく途中雲雀とすれ違う 鳥山由貴子

第4回 海原金子兜太賞

『海原』No.43(2022/11/1発行)誌面より

第4回 海原金子兜太賞

【本賞】
望月士郎 「ポスト・ヒロシマ」

【奨励賞】
ナカムラ薫 「砂の星」
三浦静佳 「鄙の鼓動」

 第4回「海原金子兜太賞」は、応募作品50編の中から、上記三作品の授賞が決まった。
 応募作品数は、本年も前年よりやや少なかったのだが、どの作品も大変充実したものであった。三年に及ぶコロナ禍の終息が見えない困難な状況の中で、逆にテーマと構成の選択に磨きがかかったようである。本賞の決定も伯仲した。詳細は、選考座談会をご覧いただきたい。
※選考座談会および選考委員の感想は『海原』本誌でご覧ください。

【本賞】
望月士郎 「ポスト・ヒロシマ」

駅前に炎昼一本立っていた
旅という夏の帽子のかげぼうし
疑問符のかたちにみみず干乾びて
人鳴りの街たそがれて浮人形
窓の蛾の裏の細部の地方都市
かたつむりのののの旅の夜の枕
蝉時雨一分の一の地図歩く
ドームとは頭蓋のかたち百日紅
炎天に人差指の出て暗転
一瞬のトカゲの夏を瑠璃少女
永遠に遅刻の少年雲の峰
前方に溶け出すアイスキャンデー屋
日傘は今も手を振っている無人の橋
水水母この辺はもう死後ですか
風死して巨象の脚のエンタシス
黄の青の黒の合掌アゲハチョウ
ヒロシマ以後ひとりに一つずつ玉繭
ヒトという仮説が立ったままヒロシマ
ヒロシマやポストに重なり合う手紙
旅人のからだの上を蟻歩く
ブルーハワイの舌を見せ合う終戦日
8月の∞の形の輪ゴムかな
戦争がトイレのスリッパ履いていた
鯵の目の充血してる亜細亜かな
ゴジラ対ガガンボという可能性
白玉に関するフェイクニュースかな
空蝉が背中に爪を立てている
どの窓も殺意やさしく大西日
白靴の靴底にある現在地
ヒロシマ暦2400000000秒経過

【奨励賞】
ナカムラ薫 「砂の星」

あらたまのぷるんぷるんとぷるめりあ
龍のひげ胸ゆるやかに息をする
立春のとてもやわらかいくしゃみ
うぶごえがある人類白い歯で眠る
絵を踏めり蛙にされてしまう前
水草生う眼鏡ふくたびに死人
据銃する指ことごとくたんぽぽに
地の灰は未生のさくらかもしれぬ
ちりとりの花の柩車の擦過音
柳絮飛ぶ記憶灯しにゆくのです
ほうたるに耳をかまれし夜明けのこと
耳奥にいつか哀しくなる金魚
うずくまる身体ついばむ風鈴は
引き潮をわしづかむものに炎帝
グラジオラス手負いの鳥を鳥が喰う
うっとりと午後の火を吐く黒ダリア
小鳥来る野の一切のあかるさへ
白式部密猟の発砲音かもしれぬ
滅びたるのちも虫飛ぶ虫走る
銀皿に桃の匂いの屍かな
つみびとの仔馬の生に水澄めり
後の月海を黙読するように
星月夜貝の砂吐く星にいて
冬虹になるはずだった水薬
鮟鱇ぞきゅうんと光る潜水艇
戦争見る我家でごはん食べている
ワンタンの熱しようっかりと死んだ
慈善鍋みんな小さく手を振るよ
ぽこんぽこんぽこんぽこんみなフェイク
凍雲のあとかたもなく去り狂気

【奨励賞】
三浦静佳 「鄙の鼓動」

朝顔の芽が出た鳥語飛び交うよ
花の冷え乳腺検査のBGM
春の雨夫に卵を手渡せり
赤子這い出でよ桜の羽後であり
産声の赤んぼ赤い花りんご
春田打診察待ちの鼾あり
猫の恋平に謝る人違い
風の口笛青鬼灯を大きくす
虹うっすら家が更地に還る音
まなうらに生家の欅遠郭公
乱気流かな青葉の桜にチェンソー
妻の小言白鷺は聞かぬふり
古稀近し太ったズッキーニを炒め
耳をふさげば亡き父の祭笛
外干しの白シャツのようだと言われ
昂りを鶴に折り込むアンタレス
仮縫いのV深き背な青あらし
モンスター棲みつく我が身滝しぶき
朝刊をひらくはレタスの食感
蛇ざざと不意にWi-Fi途切れたる
秋風鈴白ばかりとも言えぬ過去
音叉をこつん色鳥の渡り来る
葬列は黄泉へのとびら威し銃
喪服のまま残暑の部屋に座したまま
片言のピアノ喪明けの九月です
畑仕舞い夫の唄うイエスタデイ
ひとりもいい枕にひびく虫の声
白鳥飛来パン捏ねるパン寝かす
湯たんぽがたぽんと二つ姉妹
裸木やショパンの声を検索す

◆全応募作品から選考委員が選んだ推薦10句

応募50作品から、選考委員が推薦する10句を選出した。各選考委員が候補に挙げた五作品を除いて選出している。

安西篤
浮巣漂い方舟疾うに喪失す 1「怒りの夏」
ふわりきてすかんぽかんで自由人 2「あげひばり」
母音籠りつつ白桃の剥かれをり 4「ダレカ」
ト書には「佇む」とのみ春芝居 5「漂民」
片言のピアノ喪明けの九月です 14「鄙の鼓動」
蛍一頭逃散のあった村 19「闇を見る視力」
神々が鼓打ち出す樹氷林 30「木の国」
一面のひまはり畑どこかに銃 34「なぜ河馬か」
「ただいま」「おかえり」と爆忌の夕焼け 40「七十七年」
リラ冷えやいつも通りにてぶらかよ 47「手ぶらかよ」

武田伸一
繰り返すにんげんの影風の盆 4「ダレカ」
蛍火や「撃て」と言はれて撃つてをり 6「僕は色々」
旅人のからだの上を蟻歩く 9「ポスト・ヒロシマ」
預かりし銃手に馴染む夏の月 17「夏」
秋の蝶さかのぼるバンザイクリフ 19「闇を見る視力」
傷口のうすきつっぱり冬木の芽 27「私はわたし」
身ほとりに紡ぎの地蔵二日月36「FRAGILE」
八十の歯固め上八本下十本 40「七十七年」
骨焼けば粉雪まぶすよう色白に 44「晩夏光」
恥ずかしい戦争ややこしい夏の風邪 49「足」

田中亜美
北風よゴリラのドラミングは犀へ 3「どうぶつヶ丘」
虹うっすら家が更地に還る音 14「鄙の鼓動」
本伏せて揚羽迎へる中二階 17「夏」
風死すや瑕なき赤の上に赫 22「或る画家」
オルゴールの「菩提樹」地蔵涼しげに 24「雨宿り」
幻獣シメールのほろびてのちの夏の霜 29「ゆめを狩る」
心渇く夜のスープにパセリ浮く 32「生きのびる」
あらたまのぷるんぷるんとぷるめりあ 39「砂の星」
半仙戯の取りっこ鳥獣戯画の昼 41「ご近所」
エンジン切る雪の降り始める場所だ 47「手ぶらかよ」

堀之内長一
流れ星旅は奈落の白枕 2「あげひばり」
外干しの白シャツのようだと言われ 14「鄙の鼓動」
倒れても死しても取れぬマスクかな 23「アベは許さない」
幻獣シメールのほろびてのちの夏の霜 29「ゆめを狩る」
日の鷹の大きなメビウス寒波来る 30「木の国」
あざやかに飛ぶ日もあろう毛虫放る 34「なぜ河馬か」
青葉闇容あるまま人暮れる 37「啾啾」
狼が目で息をする木下闇 42「紫陽花に」
帰るとはどこを言うのか羽蟻の夜 43「偶感」
恥ずかしい戦争ややこしい夏の風邪 49「足」

宮崎斗士
ヒトという仮説が立ったままヒロシマ 9「ポスト・ヒロシマ」
ひとりになると耳の底から蛇の音 10「解熱剤」
囀りの真中に空を映す匙 21「水風船」
絶筆の目玉が乾く雁渡し 22「或る画家」
虹かかる微笑み消えし母の空 26「無何有」
戦語らぬ父の裸に火の翳り 27「私はわたし」
さくらんぼ座敷童子と分けている 42「紫陽花に」
帰るとはどこを言うのか羽蟻の夜 43「偶感」
積もらぬ雪今生の母の爪を切る 44「晩夏光」
吊革に見覚えのない右手かな 47「手ぶらかよ」

柳生正名
囁きはサイダーとのみ戦死せり 1「怒りの夏」
凩をあらよスッカリ象のうんこ 3「どうぶつヶ丘」
レム睡眠爆破されたる蝶の基地 5「漂民」
戦争がトイレのスリッパ履いていた 9「ポスト・ヒロシマ」
ジャングルジムの天辺という枯野 19「闇を見る視力」
「再見」の行方知りたき兜虫 23「アベは許さない」 
ぼうたんの骨軋むまでひらききる 29「ゆめを狩る」
耕して耕して牛売られゆく 33「戦あるな」
蓮は実にいよよ一人の箸を置く 37「啾啾」
狼が目で息をする木下闇 42「紫陽花に」

山中葛子
八月の自画像どれも口を開け 22「或る画家」
倒れても死しても取れぬマスクかな 23「アベは許さない」
ぼこぼこの大やかんごくごく麦茶 26「無何有」
私はわたし仮面かぶって野のすみれ 27「私はわたし」
要塞のタンポポ敵を撃つ少女 32「生きのびる」
×印また×印 夏了る 35「デモの明日へ」
五月来る赤ちゃんの匂いあなたの匂い 37「啾啾」
ウルトラマン助けて麦秋の国 38「ウルトラマン助けて」
戦争見る我家でごはん食べている 39「砂の星」
徘徊やふわっと羽織る土筆の野 41「ご近所」

◆候補になった17作品の冒頭五句〈受賞作を除く〉

1 怒りの夏 茂里美絵
それぞれの国旗の汚れ聖五月
万緑が喰われてしまう夢を見た
無力なる手をぶらさげて怨の夏
照星のぴたりキーウの夏へ向く
家族写真燃え尽くすなり大夕焼け

4 ダレカ 小西瞬夏
母音籠もりつつ白桃の剥かれをり
逆光や青き蜥蜴の顎乾き
熱の日の息荒々し造花の薔薇
いつまでの指の湿りや繭を煮る
ほろほろと真昼吾を打つ蝉の尿

8 「し」のこと。 有馬育代
格子なき七日の空の狭きこと
寒し寒し座敷わらしは暇乞ひ
カロートへ光ひとすぢ春隣
バレンタインチョコ配らるる独房に
啓蟄の浸潤さるるものの声

10 解熱剤 松本千花
石を蹴る少女ときどき寒気して
向こう岸茅花一本ずつ暮れる
眉うすき少女を招く夜の梅
見知らぬ香り水殿に目覚めれば
ひとりになると耳の底から蛇の音

11 文字摺草 稲葉千尋
桜花滅びつつあるわが星よ
花の影鳥類親し四人かな
長崎よりカステラ届く花の昼
お遍路と同じ青春18切符
蓮華草仔牛の舌のぬめりたり

19 闇を見る視力 渡辺のり子
白鳥帰る体内のふかい淵から
愛憎の骨きしむ音雪解川
さくらさくらバベルの塔へ天上へ
屋根裏の野望めざめる朧月
紫木蓮雨天ときどき鬼子母神

29 ゆめを狩る 山本掌
白馬あおうまよかすみの海を駆けて来よ
寂寥を白木蓮はねむらない
かげろうのあなたこなたとたわぶれて
あかつきの蝶の重心かたむけり
白色白光びゃくしきびゃっこう白蝶の夢を狩る

30 木の国 十河宣洋
鶴唳こだます木の国深く眠り
冬天深し鶴唳伸びても伸びても
日が高し空青し広し鶴唳す
雪揺りこぼす人体も梢も冷え
野の冷えも夕日も川も我が生国

35 デモの明日あしたへ 田中信克
デモそっと耳輪を揺らす南風
告白の朝白無地のプラカード
君らの夏と潰れた虫の体液と
デモに黒南風寄り添うように泣かぬように
ならぶ向日葵ならぶ瞳とねむたい俺

40 七十七年 西美惠子
八十の歯固め上八本下十本
寒暁や間欠泉の五分おき
夫恋ふやまっすぐ流す寒の水
山峡の空を殖やすや雪蛍
犬ふぐり空の昏さを疑ひぬ

41 ご近所 鱸久子
あざ袋に独り茂るよ野生桑
嘗て蚕飼野生の桑は独り法師
夏立ちぬ野生の桑の逞しき
雲の峯畑の隅の野生桑
夏の地蔵野生の桑を従うる

42 紫陽花に 大池美木
遠くから来たのね子猫拾いけり
連翹や眠たき午後に満ちている
春泥の重きは妊りの重さ
竜天に登るゲームしか愛せない
神戸には海側山側三鬼の忌

47 手ぶらかよ 小松敦
白長須鯨の背中月曜日
遠雷やショートホープの箱は空
看板に聖書の言葉影短か
永遠に学園祭の前夜かな
灯台光四つ頷き眼を開く

49 足 河西志帆
行き先をまだサンダルに告げてない
かき氷不器用な匙立ててある
ハンカチを上手に落とせないおんな
ふらここや何人目までが親友
蛇の衣半鐘叩くに足が邪魔

◆応募作品の冒頭三句〈受賞作・候補作を除く〉

2 あげひばり 永田タヱ子
あげひばり空の網から逃げられず
掌の命の鼓動姫蛍
風と来て風と逝きそう五月尽

3 どうぶつヶ丘 藤好良
こんな秋三百円のどうぶつヶ丘
ホモサピエンスほかみな赤裸せきら秋の丘
犀の角丘の秋思か祖国を嗅げば

5 漂民 川森基次
密猟の象牙どうなる春は曙
出奔の長いシナリオ雪解川
浮氷手の鳴る方へ射す光

6 僕は色々 藤川宏樹
はき初めしジーンズ染むる冬怒涛
その中にキラキラネーム浮寝鳥
北斎の波濤ジュワッと強炭酸

7 春光のスカート 中野佑海
探梅のこめかみ太陽はアート
陽炎になる前の子に卵焼き
水切りや着くたび風を秋にして

12 沐浴 葛城広光
四迷忌に虫歯が飛ぶ程驚いて
ユーチューブ謝りますと裏表紙
晩夏光始まり薄く霧の中

13 透明なペン 大髙洋子
抽斗に父の明朝みみず鳴く
青田波一枚巻き貝のことば
青嵐もののりんかく薄くする

15 麦 後藤雅文
静かさや谷に三寺の除夜の鐘
過疎谷の従兄弟住職松の芯
飛び石の猫の目回る鴨回る

16 ハッカ飴 森由美子
若き日の恋のひたすら夏燕
ゆらゆらと遠い蛍を追ってみる
真夏日の遮るもののない天地

17 夏 淡路放生
遠近法無視して少女夏に産む
市電の運転手だった父は黄菅
斑猫の連れ出す養父養母かな

18 川のほとり 黒岡洋子
ようやくにあらぬほうより鳰の首
水面の残月ゆらす一と鳴きかいつぶり
黎明破る水鳥の声吾は二度寝

20 兵帽 木村寛伸
啓蟄の傷跡だとか邪気だとか
囀りや言わざる者たちの堕落
火を越えて闇にまぎれて鳥帰る

21 水風船 藤田敦子
おちつかぬ国に無花果割れはじむ
柳絮飛ぶ対岸を飛ぶ群星訃
覚悟などないよ蛇穴出るとき

22 或る画家 根本菜穂子
放浪の画家を打ちたる青胡桃
外つ国の乾いた風に画架を据え
西日なか画題は村の酔っぱらい

23 アベは許さない 川崎益太郎
国境は誰が決めるの蟻の列
檜扇を吹き来る風の胸騒ぎ
死してなお許さぬアベよ黄泉の蝦蟇

24 雨宿り 大髙宏允
神鳴だろうか駅頭の閃光は
雷光の野外劇場めく広場
缶ビール落ちて笑って踏まれけり

25 うららけし 岡村伃志子
一度だけ聴いた講演うららけし
芝桜言葉削りて武甲山
まんず咲く常盤万作青鮫忌

26 無何有 増田天志
てのひらの水は生きもの晩夏光
風薫る木馬座やっぱり天夜叉よ
ぼこぼこの大やかんごくごく麦茶

27 私はわたし 船越みよ
梟やほころび直すよう悼み
花柊人は逝く日を選べない
自堕落を決め込んでいる大海鼠

28 四十五年の蜥蜴 豊原清明
いつもの如く落ち葉の山に座る朝
冬の余白の唇の鳴る昼おにぎり
肛門開けて痔の快の薬局に心冬落ち葉

31 今日の些事 小野地香
弓構える正射必中の淑気かな
矢を放つ残心夢想風の花
山眠る窶す赤穂の士にも似る

32 生きのびる 桂凜火
口喧嘩水っぽい朝の黄水仙
春の水秘めごと啄むよう小鳥
水の匂い内緒ですけど鳥の恋

33 戦あるな 上野昭子
梅二月他界より俳句還り来
鶴帰る戦の国へ二十八羽
北帰行領海越えゆく鶴家族

34 なぜ河馬か 石川まゆみ
いらいらが速さに出てるその扇子
ファラオらの真夏のツール白い歯は
袋角どうも削りたがる歯医者

36 FRAGILE(壊れ物注意) 石橋いろり
トラック島の沁みこむ軍服夏来る
壺春堂今と昔の時間軸
秩父山影はる生きてこそ白木蓮

37 啾啾 北上正枝
旅立ちの背を押すように除夜の鐘
元朝の空ぽっかりと落とし穴
嚏ひとつ人の情けに近くいる

38 ウルトラマン助けて 川崎千鶴子
初梅へどこまでも身をそらす
凍る地下嬰児は丸い欠伸して
鳥帰る砲火に捲かれ家焼かれ

43 偶感 佐藤詠子
雨後の道シロツメクサが酔っている
サバ缶は自愛の重さ夜半の夏
錯覚のままの日常蜘蛛の糸

44 晩夏光 増田暁子
木の葉髪もつれる糸のまだ有りて
蝋梅や聖旨の母の自然体
冬空や煙三筋に別れ告げ

45 惑い 清水恵子
リフレイン伊予柑よりも君が好き
半世紀生きて春の雪の惑い
母入院気まずい父との春の夜

46 不眠の石 山本まさゆき
戦役やがらんどうの夏が立つ
ライオンの鬣白き立夏かな
アマリリス疫病の棲む化粧台

48 スイツチバツク 深澤格子
シロフオンのドミソドドミド風の春
春の雨シフオンケーキのよるべなさ
マクドナルド春愁を食ぶ大真目

50 茶坊主 齊藤邦彦
真夏日や賽の河原の愚か者
男鹿山にZを描く飛燕かな
とつくりの作業着今朝は衣替

『青草 SEISOU』佐孝石画句集

『青草 SEISOU』佐孝石画句集

この道は夕焼けに毀されている

第一句集。「映像としては、道が毀れるくらい激しい夕焼け、それだけなんだ。しかしその激しさだな、それを「毀されている」と書けたというのは、佐孝の若さだ。激しい孤独もあるわけで、これから人生の境目の第二段階に踏み込もうとしている感じがある」(金子兜太「序に代えて」より)

■発行 俳句同人誌「狼」編集室
■頒価 二二○○円(税込)
■著者住所 〒910‐0002 福井県福井市町屋三―七―一

第4回海原賞

『海原』No.42(2022/10/1発行)誌面より

第4回海原賞

【受賞者】
 川田由美子

【選考経緯】
 『海原』2021年9月号(31号)~2022年7・8月合併号(40号)に発表された同人作品を対象に、選考委員が1位から5位までの順位をつけ、選出した(旧『海程』の海程賞を引き継ぐかたちで、海程賞受賞者は対象から除外した)。
 得点の配分は、1位・5点、以下4・3・2・1点とした。集計の結果、下表のとおり、川田由美子への授賞を決定した。

【受賞作品抄】

草の風 川田由美子
断層ですかえごの花降る街明かり
着水ひそか泰山木の花さがす
とうすみ蜻蛉ちちははふふむ草の風
薄紙の崖の揺れあり野かんぞう
崖のぞく刹那や夜濯ぎの渦
黒ぶどういのちのぐるりいくさあり
てのひら肩幅私の寸法の秋草
ガラス磨るさびしさの芯ちちろ虫
密やかに母語浸しゆく赤のまま
けはひ皆落とし物かな秋日向
サフラン摘む祈りのように爪切る音
人訪わぬを疲れというよ龍の玉
山茶花の薄く住まうとこのあたり
冬青草遊べば撓む地の音も
野の心さらさら掬う春隣
雪割草ひさかたという一隅を
戦火の人ら眦に風溜めし春
しっかり呼吸巣箱に粗漉しのひかり
つつがなし母たなびきてはるじおん
擬音とは産土の声春落葉

【候補作品抄】

蛾の眼中 内亮玄
身籠るや人肌ほどに春の山
人は去りとっぷり蛙暮れにけり
空堀の風まだ寒し猫盛る
半眼の蛇真っ黒な身を絞り
苛烈なる陽射しを斬って夏燕
湧き起こる妬心もあろう雲の峰
虹消えて乳房に青き蛾の眼
首筋を鈍く打ちたる蝉時雨
枝涼しげ花涼しげに百日紅
深爪や外はみっしり雪が降る

花より淡く 横地かをる
山の辺のほたるぶくろを母とする
完璧なかたちがひとつ蛇苺
どこまでも母手を振りぬかなかなかな
純粋になりシラタマホシクサに並ぶ
小鳥来るひたすら旅を言葉にす
霧晴れて手足やさしくして歩く
柊の花より淡く母居たり
感情は冬の翡翠ホバリング
感情のしずかなる距離小白鳥
ふるさとは只ふかぶかと春の闇

白シーツ 藤田敦子
犬逝くや芽吹く一樹を墓標とし
友情はできそこないの春の泥
こんなにも五月の緑出棺す
しゃべるだけしゃべって帰るねぎ坊主
被爆樹のてっぺんかすめ燕来る
驟雨去り寄港のごとく靴並ぶ
夏燕湧くや生家の閉ざされて
人体を拡げるように白シーツ
穏やかな断絶もあり注連飾る
献体葬積もらぬ雪を見てをりぬ

星がシュルンと 河原珠美
念力はなくてもよろし春の蛇
端居して布教のように猫自慢
父呼べば枇杷色の明りが灯る
文書くは桜紅葉の甘さかな
駆け出せば木の実降るよう追われるよう
星がシュルンとモミの木の入荷です
小春日が大好きなんだ鳶の笛
君の部屋やさしい獣の巣のように
戦あるな春の言葉が見つからない
花びらやひねもす揺れている私

鬼遊び 三枝みずほ
舟となりゆくいちめんの芒原
世界中の時計を合わすつめたい手
つぶやきをAIききとってうさぎ
十二月八日火の芯となる折鶴か
おしまいのつづきは胡桃に入れたよ
うさぎまっすぐわたしを抜けて雲
鬼遊び冬木は息を継ぐところ
りぼんほどけゆくよう空耳の昼
お日さまにくちびる見せよ春の子よ
帰れない町の心音さくら満つ

【海原賞選考感想】

■安西篤
①川田由美子 ②横地かをる ③中内亮玄 ④竹田昭江 ⑤伊藤巌
 今年は、上位及び順位を大幅に入れ替えた。賞の性格上、力量の安定感を重視しつつも、上昇傾向と内実の熟成度のバランス感を測ることに努めたからである。
 一位、川田由美子は、すでにヴェテランの領域にあり、今更の感もあったが、〈戦火の人ら眦に風溜めし春〉〈ほろとす襤褸のひかり枇杷の花〉等、この一年社会性を加えて一気に加速し、確たる存在感をみせた。
 二位、横地かをるは、地道な感覚の積み上げに揺るぎない抒情を醗酵させた。〈爪先立ちのくるりくるり沢あじさい〉〈感情は冬の翡翠ホバリング〉。
 三位、中内亮玄は、例年候補に上げながら今一つ上位には力不足かと思いつつ、やはりその実績に若さからくるパワーと新鮮さを感じた。〈春うらら人の丸めた山河かな〉〈賑やかでまったくひとり紅葉山〉。
 四位、竹田昭江は、詩的抒情性を映像的に構成する技に長けている。その技が情感に溶け込むと支持が広がるだろう。〈自画像に寒紅すっと引きにけり〉〈春の日の屈折率を恋という〉。
 五位、伊藤巌は、昨年に続く老々介護の日々を、なんのてらいもなく真率な自己表現で押す。そこに「実ありてかなしび添うる」ものを感ずる。〈密に触れし妻の日常天の川〉〈妻の「幸せ」聞く幸せや柚子の風呂〉。
 ほかに、董振華、北上正枝、鱸久子、伊藤雅彦、河西志帆、藤田敦子、望月士郎、楠井収、石橋いろり、伊藤幸、黒岡洋子、清水茉紀、木下ようこ、河原珠美、すずき穂波等に注目。

■石川青狼
①川田由美子 ②横地かをる ③三枝みずほ ④望月士郎 ⑤マブソン青眼
 コロナ禍にロシアのウクライナ侵攻で世界情勢が一変した。なかなか先が見えない時代だが俳句の「声」を聞きたい。
 一位の川田は〈とうすみ蜻蛉ちちははふふむ草の風〉〈てのひら肩幅私の寸法の秋草〉の柔らかな感性の表出を推す。
 二位の横地は〈若葉山木の名鳥の名言い合えり〉〈不器用な雨脚をもつはたた神〉の静かな調べに骨太の詩情がある。
 三位の三枝は〈書き続けるペンがあばらを砕く〉〈鬼遊び冬木は息を継ぐところ〉の自己との葛藤が表現されていた。
 四位の望月は〈ががんぼの脚とれ夜が非対称〉〈プールより人いっせいに消え四角〉の対象を切り取るシャープな視線が新鮮であり、注目の一年であった。
 五位のマブソン青眼は〈プーチン君威嚇ではさくらは咲かぬ〉〈切株や戦死者靴を天へ向け〉の理不尽な戦争への直なる叫びや思いの丈の声を推す。
 選外となったが、田中信克、藤田敦子、董振華、清水茉紀、石橋いろり、新野祐子、松井麻容子、桂凜火、三世川浩司、豊原清明、さらに北海道の佐々木宏、北條貢司、笹岡素子、前田恵等に注目した。

■武田伸一
①川田由美子 ②加藤昭子 ③中内亮玄 ④三枝みずほ ⑤横地かをる
 川田由美子を躊躇なく一位に推す。昨年も期待の作家として名を挙げたが、安定感抜群。いや、単に安定しているだけではなく、〈野の心さらさら掬う春隣〉〈人訪わぬを疲れというよ龍の玉〉などに顕著なように、作者の内面世界を具体的に読者に展開して見せるところに著しい進歩がある。二位には、昨年と同じく加藤昭子を推す。独特の風土詠と肉親を詠っての作品は他の追随を許さぬところだが、〈ぞくぞくと冬芽哀しみは未だ半端〉〈弟に駆け落ちの過去目張り剥ぐ〉などと、厚みを増す作品から目を離せない。三位には、昨年からワンランク上がっての中内亮玄〈つぎはぎの重い空から雪の花〉。四位には、瑞々しさに加え詩域を拡げつつある若手期待の三枝みずほ〈鬼遊び冬木は鬼を継ぐところ〉。五位には安定感抜群の横地かをる〈感情は冬の翡翠ホバリング〉。
 惜しくも選外にせざるをえなかった伊藤巌、河西志帆、望月士郎、楠井収、竹田昭江、白石司子、大池美木、石橋いろり。更には〈夜桜やロシアにロシアンルーレット〉の竹本仰。

■舘岡誠二
①中内亮玄 ②船越みよ ③川田由美子 ④宇川啓子 ⑤河西志帆
 中内亮玄〈太く生き永くも生きてカブトムシ〉〈誰からも丸をもらえぬ日の土筆〉福井に住む。作句力と活動力の人間性に共感し、一貫して明日への海原人を期待して、毎年この賞へ推してきた。さらに迫力と情感を込めた作品を。
 船越みよ〈秋澄めり白神山しらかみ越えの鉦ひびく〉〈羽後渡り黄泉への虹の根っこかな〉中学生時代の恩師。多年にわたる俳句の恩師武藤鉦二氏の死去に哀悼の意を表した作品は尊い。供養にもなる。他の句にも巧さがあり、作句への意気込みを感じられる。
 川田由美子〈父の寝て子の寝て薄闇山法師〉〈落葉焚き鳥のことばで友と我〉持ち味のある作品が年間を通し多かった。人との深層心理を思いやりとやさしい情感を込め詠まれ、人柄の良さも伝わってきて嬉しかった。
 宇川啓子〈汚染水を処理水と呼び聖火が走る〉〈花種を蒔く戦なき世を祈りつつ〉福島を地元にしての作句実力者。金子師の薫陶を受け、風土と社会性に奥行きの自由なる新しさを心がけている作者といえる。
 河西志帆〈東京の真似ばかりして時雨けり〉〈跡継ぎになれぬ子ばかり蝌蚪の紐〉時代感覚をうかがえる作品。頑張れる作者。一層の作句習練を重ね、俳句界の実力者になってほしい。

■田中亜美
①川田由美子 ②董振華 ③藤田敦子 ④関田誓炎 ⑤鱸久子
 一位に川田由美子を推す。〈ガラス磨るさびしさの芯ちちろ虫〉〈ほろとすかげ襤褸のひかり枇杷の花〉〈ヒヤシンス光まで挿して押し花に〉〈雪割草ひさかたという一隅を〉。静謐で奥行きのある詩情。兜太師はもとより、金子皆子俳句の上質のエッセンスを受け継ぐ作家と思う。
 董振華の〈川上に孔子の嘆き花は葉はに〉〈日の出より日の入のちの晩夏美し〉は大河のような悠々とした韻律。二〇二二年は日中国交正常化五十周年だが、「現代俳句」二〇二二年七月号で中国俳句の小特集が組まれたことも画期的だった。
 藤田敦子は定型の力を梃に句境を広げる。〈驟雨去り寄港のごとく靴並ぶ〉〈穏やかな断絶もあり注連飾る〉。
 関田誓炎、鱸久子はともに大ベテランで、読後感がみずみずしい。〈滴りのの艶生命を惜しまねば〉〈土筆野に朝日清浄なりしかな〉(関田)。〈青梅雨の青たねつけばなを舟唄くぐり行く〉〈土を縫う種漬花よ返し針〉(鱸)。
 このほか並木邑人、河原珠美、中内亮玄、齊藤しじみ、小松敦、白石司子、佐藤詠子、船越みよ、三枝みずほ、根本菜穂子、田中信克の諸氏の作品に注目した。ウクライナの若者の英語俳句の紹介に協力したマブソン青眼の活動も印象に残った(二〇二二年三月三〇日「中日新聞」夕刊)。

■野﨑憲子
①川田由美子 ②三枝みずほ ③董振華 ④桂凜火 ⑤竹本仰
 例年通り、諸先輩を別格に、私より若手に絞った選をさせていただく。
 一位は川田由美子。〈とうすみ蜻蛉ちちははふふむ草の風〉〈野の心さらさら掬う春隣〉抒情的な作品は、ますます透明感を増しその美しい調べに魅了された。
 二位は三枝みずほ。〈十二月八日火の芯となる折鶴か〉〈つぶやきをAIききとってうさぎ〉新しみへの飽くなき挑戦。平和への願い、俳句愛はますます渦巻く。楽しみな未来風だ。
 三位は董振華。〈川上に孔子の嘆き花は葉に〉〈みんみんのこだまも埋む土石流〉中国を産土とする董ならではの作風の進化と熱量。
 四位は桂凜火。〈人は陽炎あめいろの石抱きしめて〉〈カブールの心火にあらず冬の星〉現代社会を、人類の足元を見つめ果敢に発表する作品の完成度の高さ。
 五位は竹本仰。〈すこしあかりを落とす身中虫の声〉〈雪片顔にひかり死はみんなのもの〉存在の奥への洞察と自在な表現に、目が離せない。
 今回はほかに、小松敦、河原珠美、奥山和子、マブソン青眼、藤田敦子、中内亮玄、新野祐子、高木水志、中野佑海、豊原清明、松井麻容子に注目した。

■藤野武
①川田由美子 ②榎本愛子 ③河原珠美 ④黍野恵 ⑤藤原美恵子
 なるべく私の個人的な好みや志向を脇に置いて、(心の中の兜太先生と相談しながら)選考させていただいた。
 一位に推したのは川田由美子。図らずも四回続けて一位に推す。実力は確か。心象鮮明な叙情句、言葉の厚み。〈とうすみ蜻蛉ちちははふふむ草の風〉〈ある筈の荒織りの声黒南風に〉〈てのひら肩幅私の寸法の秋草〉〈雪割草ひさかたという一隅を〉。
 榎本愛子の豊かな俳句世界。〈微熱ありどこか歪な春の入口〉〈夫といて淋しいときは郭公になる〉〈覚束なく逝く夫照らせ石蕗の花〉。
 河原珠美の透明感と耀き。〈文書くは桜紅葉の甘さかな〉〈星がシュルンとモミの木の入荷です〉〈君の部屋やさしい獣の巣のように〉。
 黍野恵はウイットの冴え。得がたし。〈豆ご飯歯間に残る若気の至り〉〈洗い髪記憶の端を踏む亡夫〉〈ネックレスざらりと外し大根炊く〉。
 藤原美恵子の柔らかな感性。〈濃やかにことば食みおり蚯蚓鳴く〉〈去年から開かぬシャッター冬銀河〉〈草餅を押して地球のぼんのくぼ〉。
 このほか注目作家は多数。

■堀之内長一
①川田由美子 ②横地かをる ③中内亮玄 ④藤田敦子 ⑤望月士郎
 自分の感性を信じてひたすら歩んで来た川田由美子は、いわばひそやかなる実力作家である。目立てばいいというものではない。これまでの研鑽と、いぶし銀のような味わいに魅かれて一位に推す。〈とうすみ蜻蛉ちちははふふむ草の風〉〈密やかに母語浸しゆく赤のまま〉〈雪割草ひさかたという一隅を〉どれも句のたたずまいが美しい。
 二位の横地かをるも実力派だ。今回はその存在感がひたひたと伝わってきた。〈小鳥来るひたすら旅を言葉にす〉〈軸足はきっとふるさと冬の虹〉モノの捉え方がとても自然なので、すっと伝わってくる。春の兜太通信俳句祭で高得点を集めた〈感情のしずかなる距離小白鳥〉にも、確かな心境の深まりを見た思いがする。横地もまた叙情の人である。
 毎年推している中内亮玄を三位に。今回の作品群は、意味で俳句を書いているような印象を受けた。持ち前の感性でぐんぐん進んで欲しい。〈金亀子手中最後の弾丸として〉〈虹消えて乳房に青き蛾の眼〉中内らしい句を二句挙げる。
 毎年着実に実力を上げている藤田敦子も見逃せない。〈被爆樹のてっぺんかすめ燕来る〉〈人体を拡げるように白シーツ〉感覚の若々しさが魅力。
 最後に望月士郎を挙げる。いずれ上位に食い込んでくるはずだが、感覚は繊細かつ強靭。〈半裂の水槽にあるこの世の端〉〈夕花野ときおり白い耳咲かせ〉詩的なイメージが俳句の可能性を拡げてくれそうだ。
 ほかに、加藤昭子、竹田昭江、河原珠美、平田薫、船越みよなど多士済々。

■前川弘明
①川田由美子 ②藤田敦子 ③望月士郎 ④中内亮玄 ⑤横地かをる
 川田由美子はずっと注目してきたが、今回は俗がヒラリと抜けていて良かった。
  密やかに母語浸しゆく赤のまま
  人訪わぬを疲れというよ龍の玉
  花あしび野辺に光の荷を降ろす
 藤田敦子は安定した詠みぶりであった。
  夜濯ぎや心の洞をぬける風
  岩清水しづかに時の沈殿す
  人体を拡げるように白シーツ
 望月士郎は現実と幻覚が交差するような感覚の魅力。
  蕎麦の花われもだれかの遠い景
  朧夜を歩く魚を踏まぬよう
 中内亮玄は何か吹っ切れた感じの健やかな空気感。
  半眼の薄き月あり聖なるかな
  深爪や外はみっしり雪が降る
 横地かをるは堅実な詠みぶりであった。
  小鳥来るひたすら旅を言葉にす
  ほろにがき春の野をゆく齢です
 ほかに、河西志帆、木下ようこ、小池弘子、船越みよ、清水茉紀など。

■松本勇二
①河原珠美 ②藤田敦子 ③小池弘子 ④狩野康子 ⑤藤原美恵子
 この一年河原珠美に注目した。奔放な発想と柔軟な精神から繰り出す作品は吸引力があった。ご主人の不在に対しても明るく元気に対応している。〈蟷螂のよそ見する間に駆落ちす〉〈よく眠り冬晴れの海抱くごとし〉〈いつまでも不在の君にミモザ咲く〉。
 二位を藤田敦子とした。理屈から解放され自然体でものごとを受け入れられるようになってきた。それゆえに自在だ。〈青梅雨を回送バスの闇がゆく〉〈ひき算はいつもさみしい春の霜〉〈やがてみな春の手となる介護かな〉。
 三位を違った角度から風土を書いてきた小池弘子とした。〈生きるとは厨に立つこと屁糞葛〉〈なだれこみ忽ち枯野となる布団〉。
 四位を自然界から生命力をいただこうとする狩野康子とした。シャーマンのごとき物言いは淀みがない。〈体幹ゆらと天の川から逃げられぬ〉〈蜘蛛は宙へ吾れは地霊に抱かれん〉。
 俳句は詩である、と真っ向勝負を仕掛けてくる桂凜火を五位とした。〈陽炎泳ぐようにやさしい語尾選ぶ〉〈きれいな言葉の浮輪溺れている〉。
 ユニークな発想の藤原美恵子は欠句が痛かった。〈草餅を押して地球のぼんのくぼ〉。
 生活の中から俳句を書くとき、そのままではなく常に五センチほど浮いているか、を松本も含めて自問する必要がある。

■山中葛子
①川田由美子 ②すずき穂波 ③中内亮玄 ④望月士郎 ⑤河原珠美
 選考は、自由な自己表現を受け継いでいるみごとさ。ことに私性という根源のときめきを評価することにした。
 一位の川田由美子は、〈てのひら肩幅私の寸法の秋草〉の、奇跡のようなやわらかな緊張感を自画像としたあざやかさ。〈みのむしの意地っ張りの固さだな〉〈雪割草ひさかたという一隅を〉など、水照りのような時空をはるばると乗り切っている。
 二位のすずき穂波は、〈棄民のまなざし元朝の神経痛人〉〈不燃性家族そのうち一人たんぽぽ化〉〈原爆忌パンフレットに涙落つ〉の、直球の痛快さがものをいう俳諧味ゆたかな展開。
 三位の中内亮玄の、〈つぎはぎの重い空から雪の花〉〈夏帽子横顔に青く影落とす〉など、独自な美学を思う〈青〉のバイタリティは健在そのもの。
 四位の望月士郎は、〈半裂の水槽にあるこの世の端〉〈私の棲むわたしのからだ雪明り〉など、自己陶酔といえる不思議な詩情を展開させている映像力の妙味。
 五位の河原珠美は、〈星がシュルンとモミの木の入荷です〉〈青葉光父を抱けば風力2〉の、新鮮な親愛感をみせる叙景のみごとさ。
 並木邑人の、〈異端もない破綻もない俳句じゃない〉の、言語感覚の小気味よさに期待。

■若森京子
①横地かをる ②中内亮玄 ③川田由美子 ④三世川浩司 ⑤三好つや子
  小鳥来るひたすら旅を言葉にす かをる
  風花やこころの点ること覚え 〃
  首筋を鈍く打ちたる蝉時雨 亮玄
  金亀虫手中最後の弾丸として 〃
  黒ぶどういのちのぐるりいくさあり 由美子
  雪割草ひさかたという一隅を 〃
  蝉時雨つくづくユーラシアがぬれる 浩司
  カリンゆらゆら縄文的眠気さえ 〃
  老人が点滅している緑の夜 つや子
  ポケットにねじ込む秋思ハローワーク 〃
 横地のゆるぎない俳句に対する姿勢に一位。地域活動と共にエネルギッシュな作品が多かった中内を二位。繊細な美意識溢れる川田を三位。スケールの大きい抒情性の三世川を四位。日常を切り取った硬質な情感豊かな三好を五位。個性の異なる人達を推した。
 ほかに望月士郎、平田薫、河西志帆、マブソン青眼、河原珠美、竹本仰、桂凜火、董振華、三枝みずほ、藤田敦子、紙面に書く余裕はないが、有望な作家がめじろ押しだ。

(編注=各人の文中の敬称はすべて省略)

※「海原賞」これまでの受賞者
【第1回】(2019年)
 小西瞬夏、水野真由美、室田洋子
【第2回】(2020年)
 日高玲
【第3回】(2021年)
 鳥山由貴子

第4回海原新人賞

『海原』No.42(2022/10/1発行)誌面より

第4回海原新人賞

【受賞者】
 大池桜子

【選考経緯】
 『海原』2021年9月号(31号)~2022年7・8月合併号(40号)に発表された「海原集作品」を対象に、選考委員が1位から5位までの順位を付して、5人を選出した。
 得点の配分は、1位・5点、以下4・3・2・1点とした。集計の結果、下表のとおり、大池桜子の授賞を決定した。

【受賞作品抄】

夏燕 大池桜子
夏燕ちょっと本を買い過ぎた
若葉過剰一体どうなってるのかな
こころの迷彩は何を隠すの夏
疑似彼氏あてラインに咲かせるパラソル
今日は話せたガーベラを抱いてゆく
テンションが高いと言われる秋思かな
優しいと優しいふりと秋の七草
ポケットの多いジャケット君にあげる
綿虫や信じきれないのが病
マスクにイヤホンの自由手放せない
すぐみかんとか出してくる母が好き
冬菫違う夢をみているの?
カトレアや無意味の意味って何
大寒にして我が恋の決戦日
海外ドラマハーゲンダッツ二月
共通語はダイエット春のお月さま
春の夜やまた友達が多すぎる
ヒヤシンス後悔って一人芝居だ
チェスの駒ほどの頭脳で冴返る
クールぶってやってきたのに亀鳴くよ

【候補作品抄】

祖父を抱く 立川真理
夏館母は吾を吾はデグーを叱る (デグー=ペット。ネズミの仲間)
メリーウィドーそれとも薄羽蜉蝣
汝は花野拡大鏡に消えて行く
祖父在るはも一つの故郷小鳥くる
名山の眠りたまふや麓の葬
「ニーッ」といふは笑いの形受験生
祖父の胸の静謐に置くライラック
貝寄風や想い出といふ持病
綾取りのれては消える多角形
かさこそと落葉の音の祖父を抱く

散歩 葛城広光
在来線巨大な赤ちゃん現れる
蟻の足凄い速さで乱れるよ
白鳥が中学生についてくる
花の枝骨折ごとに舟に落ち
しゃりしゃりと炭が崩れる原爆忌
七夕に配管すると管光る
入学の二日前から風呂にこもる
公園に誰もいなくて脳死かな
モヒカンに滝が当たっておお寒い
ややこしく出来た人間鳥交る

疼いてならぬ 渡辺のり子
ぼたん雪天使の耳のかたちして
乳張りし日の胸騒ぎ花朧
左手が疼いてならぬ百合の夜は
四畳半サルトルニーチェ迷い蜂
押し返すナイフ白桃の産毛
抽斗に溜めし秋思のしろい骨
枯芒まだ返り血は乾かない
地吹雪やポツポツ火の粉まじる雪
絵皿いちまい一頭の蝶凍つる
寒満月浮かぶ地球のふかい闇

心地よい場所 小林育子
鳥の巣をのぞきこむ朝人嫌い
息継ぎを惜しむ語り部終戦日
鶴折るやぽつんぽつんと先のこと
遺骨にも心地よい場所雲の峰
黒揚羽トリアージする者される者
蓑虫やありのままとは超難問
林檎むくいつも誰かのためなんて
鯛焼きの餡のはみ出て父白寿
太刀魚のごとく白髪水俣よ
初蝶の無色透明ここは戦場

【海原新人賞選考感想】

■大西健司
①立川瑠璃 ②大池桜子 ③淡路放生 ④宙のふう ⑤立川真理
 立川瑠璃〈そっとくる風が疲れているから素足〉〈あすを裁く晩秋の風に恋もして〉〈泣く時は白鳥のよう後向く〉しなやかな感性、そしてほんの少しのせつなさに包まれた詩性。この一年ぶれることなく書くことが出来た。小さくまとまらずにこれからも伸びやかに書き続けてほしい。大池桜子〈優しいと優しいふりと秋の七草〉〈すぐみかんとか出してくる母が好き〉少しおとなしくなったように思う。きらめく言葉に溢れていた独自の感性に僅かだが変化が見られる。さらなる世界を展開するための過渡期ととりたい。淡路放生〈黒薔薇の蔓が寝棺の窓を這う〉〈空海の書にたどりつく花槐〉男の美学の虚しさだろうか。何とも切ない美しさ。宙のふう〈熊野路の雨は球体雨月かな〉〈秋深しダリの時計の二十五時〉何故か一号だけ本名での発表があり驚いたが、その衰えない詩性を評価したい。とても自在だ。立川真里〈メリーウィドーそれとも薄羽蜉蝣〉〈かさこそと落葉の音の祖父を抱く〉やはりしなやかな感性、それは瑠璃さんと双璧。あとは継続あるのみ。それから吉田貢だが私にとって別格という位置づけ。古い記憶にある名前に出会えた嬉しさ。
 他には葛城広光、渡邉照香、福岡日向子、渡辺のり子、谷川かつゑ、松﨑あきらにも注目。さらなる飛躍を。

■こしのゆみこ
①渡辺のり子 ②宙のふう ③小林育子 ④渡邉照香 ⑤植朋子
 まずは名前を見ずに選句。混戦の中から得点数の多かった渡辺のり子を一番に推す。渡辺は2020年10月から海原集に参加。海原金子兜太賞応募の他、今年の現代俳句協会年度賞応募、170作品中私の予選15作品に渡辺の名を発見。意を強くして一番に推す。
 渡辺のり子の句は転換のインパクト。「だれか一人」のための俳句という主張も素敵。
  ほうたるやわたし全身水たまり のり子
  ぼたん雪天使の耳のかたちして 〃
  菜の花やふかい地下から反戦歌 〃
 繊細な叙情、見守りたくなる宙のふうの句。
  騙し絵の階段登る夜の霧 宙のふう
  耳鳴りの軋みて流星群ピーク 〃
  父の手の昏がりにほうほたる 小林育子
  受刑服雪より白き過去包み 渡辺照香
  大好きな百合がぎゅうぎゅう柩窓 植朋子
  鳥曇海に帰れぬ水のあり 矢野二十四
  夏至の日はリングの上の背中細る 大池桜子
 次に野口佐稔、吉田貢、重松俊一、立川瑠璃、立川真理、有栖川蘭子、有馬育代、松﨑あきら、山本まさゆき、淡路放生らに注目。

■佐孝石画
①福岡日向子 ②立川由紀 ③小林育子 ④わだようこ ⑤遠藤路子
  紫陽花は精神だらけ空間だらけ 福岡日向子
  水銀の重たさ九月のいきさつに 〃
  言いかけて止めるそれは雪の手ざわり 〃
  冬の薔薇優しさは角度による 〃
  三月をここから開封してください 〃
 直観力と叙情性に惹かれた。言い切らず余白を残すような手法には、独自の美的感覚が滲み、羅のような軽やかさと切なさが香る。
  遺る句に体温ありぬ師よ八月 立川由紀
  助走して飛び立つ形からす瓜 〃
  頭の中の定住漂泊夏帽子 〃
  自傷のよう病む町に咲く桜かな 〃
 句の持つ共鳴力、浸透圧に金子先生の言う「情(ふたりごころ)」を見た。
  胡桃割る夜を毀してしまわぬよう 小林育子
  荒川に白鳥言葉は曲