山中葛子句集『愛惜』〈一句鑑賞・桂凛火・高木一惠〉

『海原』No.49(2023/6/1発行)誌面より

山中葛子句集『愛惜』一句鑑賞

◇豊饒なるかなしみ 桂 凜火

  朝はじまる浅蜊の悲しみ食べてあげる

 この句の「朝はじまる」の導入には不思議な力がある。今始まる浅蜊の悲しみをまるごと引き受けようというのだろうか。そして「食べてあげる」の措辞には青みを帯びた貪欲な野性すら感じられる。いのちに対峙する作者の姿勢が定型の中にやわらかに切り取られ差し出されている。山中さんの俳句世界の凄みである。
 句集『愛惜』は、兜太師の死、自分の老いをはじめさまざまな具象の中に愛するものの、愛するゆえのかなしみをとりだして見せてくれる。そして、それは浅蜊のかなしみに寄り添うよう生き物たちとの交感の中でつかみだされてゆくものである。一昔前の自我にこもりがちな詩人の孤独な営みとは異なる。句集に通底する湿りを帯びたかなしみが心地よいと感じさせてくれる。生々しくて、みずみずしく豊饒なそれは魅力的だ。
 「いよいよ未知なる時間を受け止めていく」という作者の覚悟は並々ではないと思う。ここに削りだされた句の一つ一つが後に続く者たちへの標のように朝の春陽を纏い光を帯びている。

◇願いと祈りと 高木一惠

  老ふたり川霧一〇〇トンどう曳くか

 数年前、北上川支流の猊鼻渓舟下りの帰路に振り返ると、高い崖に挟まれて川霧が重く立ち籠めていました。そう、あれが川霧一〇〇トン、実感です。この喩の有り様こそ、山中葛子俳句の真骨頂でありましょう。
 生々流転の旅路を共に乗り越えてきた二人。その労り合いもいよいよ厳しい流れにぶつかって苦闘する姿は、他人ごとでなく身に沁みます。川霧一〇〇トンに象徴される難儀を前に思案にくれつつ、しかし不退転の姿勢を貫かれる大先輩を「葛子さん」と親しく呼んでいますが、心では葛子先生です。
 〈日本中央とあり大手毬小手毬兜太〉の句碑除幕式の折、夕陽を見つめて句作なさる葛子さんを間近にしたのがご縁の始まりで、「定住漂泊の主題句のつもり」と兜太先生が述べられた〈日の夕べ天空を去る一狐かな〉の句碑にもご一緒しました。桜満開の兜太祭ではお会いできず残念でしたが、「かもめより自由とおもうこともあるくらい」(『かもめ』帯・金子兜太)の葛子さんについて行けるよう、私も翼をひろげます。

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