山中葛子句集『愛惜』〈「その世」の華やぎを詠む 柳生正名〉

『海原』No.49(2023/6/1発行)誌面より

山中葛子句集『愛惜』
「その世」の華やぎを詠む 柳生正名

 あとがきに「『かもめ』のあとの九年間を纏めた平成二十五年から令和三年までの句集」と自ら記している。選集も含めると第九句集に当たるようだ。ベートーベン以来、「第九」は表現に関わる者にとって特別な意味を持つ。それは集大成でありつつ、現代に続く次の時代への幕開けを告げる「扉」である。そんな物言いが大げさではないのは、この句集『愛惜』を大きな俳句の時空の座標に位置付けてみれば明らかだろう。この集が対象とした期間は、著者の師、金子兜太の逝去、所属した『海程』終刊から後継誌『海原』創刊に至る過程を含む。
  他界という扉のあれば歌詠み鳥
 最終章「令和三年」に収められた掲句の「他界」は、晩年この語をさかんに用いた兜太はじめ、かつて教えを受けた八木三日女、さらに高桑弘夫、加藤青女、土田武人、谷佳紀といった同志たちの、この九年間に現実となった死に触れての発語だろう。それは山中自身にとって「七十代後半から八十代半ばまでの老いゆく肉体の自然を実感することでもありました」。ここに「肉体の自然」という言葉が登場することに注目したい。というのも、本集に
  ひつじ雲またひつじ雲花の寺二月二十日金子兜太師逝く  平成三十年
と詠まれた秩父・総持寺で兜太の眠る墓石と並び立つ句碑――そこに懐かしい骨太の墨蹟で刻まれているのが
  ぎらぎらの朝日子照らす自然かな 兜太
であり、山中もこの集に次の句を収めている。
  ぎらぎらの句碑にとびつく蟇の恋  平成二十九年
 兜太の生きもの感覚と呼ぶにふさわしい生命力の若々しさを体現した碑句の眼目が「自然」という言葉である以上、「肉体の自然」とは年々、老いを深めつつ、それによって創出される新たな世界=他界への目覚めを思わせる表現である。
 そして冒頭掲げた句で、山中が「他界への扉」ではなく「他界という扉」としたことに驚く。兜太の言う他界は「あの世」のことではなく、「この世」と「あの世」との間、「その世」とでもいうべきところにある「扉」のことというのだ。確かに、そうであってこそ、兜太が「他界」したことと「どうも私は死ぬ気がしない」と言ったことの整合性が見えてくる。
  陽の柔わら歩ききれない遠い家 兜太
 「遠い家」という「あの世」まで「歩ききれない」と詠んだ兜太は、「この世」の雑事はもちろん、「あの世」からも遠く離れた場所に立っていた。「この世」「あの世」いずれへの定住にも収まらず、両者のあわい=扉という「その世」にとどまり、あくまで漂泊を続けた。いや、五回忌を迎えた今も確かに続けている。それが兜太流の「他界」であることに、鴬の一声が気付かせてくれた――そういう一句ではないのか。
 「歌詠み鳥」は鴬でありつつ、肉体も何もかもをひっくるめた「生きもの感覚」が生み出した語であり、そこには自らも「扉」という「その世」にとどまり、歌を詠み続けずにはいられない山中の「存在者」が面目躍如する、その生き生きと若々しい華やぎを、読者はこの集のいたるところに発見できる。
  春のたりひねもす羽化のあるばかり  平成二十五年
  草おぼろ鬼に呼ばれてしまいそう  平成二十六年
  春ショール記憶の海が坐れという  平成二十七年
  旅路麦秋ふり向く身体を海という  平成二十八年
  鳥獣戯画月がとっても走るから
  創刊号今にひらけばきらら虫  平成二十九年
  うららけし鷗柱のあがりけり
  鬼柚子の転がってゆくオノマトペ  平成三十一年・令和元年
  筋肉の消えて鮃というわたし  令和二年
  上総まで茅花流しを漕ぎゆけり  令和三年
 いずれも生きもの感覚を研ぎすまし、巧みにあわい﹅﹅﹅に立つことによってのみすくいあげることが可能な映像の句だと感じる。それはこの句集と機を同じくして刊行されたインタビュー集『兜太を語る―海程15人と共に』の中で
  今日までジュゴン明日は虎ふぐのわれか 兜太
 という一句について記した

アニミズムの磁場そのままに、まさに師の「俳句造型論」が俳句史となりえているその前衛性を思わずにはいられません。

という理解を自ら実践したとも言えそうだ。兜太もまた「この世」と「あの世」のあわい﹅﹅﹅から生き生きと若々しく世界をまなざすことのできる存在だった――そんな気付きを与えてくれる点こそ、この句集の最大の美点と感じる。
 一方、よく読みこんでいくと
  もつれゆく先頭ありて蟻の道  平成二十六年
  ブラインドの紐のたらりと憂国忌  平成二十七年
など堅実なリアリズムに立脚しながら、社会的な射程も含む批評的象徴性を言葉に重ね合わせる句の存在にも気付く。その上で、句集名の元となった
  愛惜を荷作りせよと虫そぞろ
は生きもの感覚に根差した「その世」からのまなざしを持てばこその味わい深い一句である。そして、山中にとってこの「愛惜」ということばの直接の対象となる人々への追悼句の数々が、いずれも儀礼の域を超えた「作品」として成立している。この点も本集の読みどころのひとつだろう。それは『兜太と語る』に収められた山中の俳人としての半生記、それが現代俳句、ならびにその梁山泊としての役割を果たした「海程」の創成以来のドラマチックな歴史とそのままシンクロした内容である。それだけに、両書を並行して読んだ時にみえてくるだろうものの豊かさは想像するだけでも胸がときめく。
   悼 八木三日女氏
  三日女逝く少ししゃがれし声尊し  平成二十六年
   悼 高桑弘夫氏
  友逝けり夕刊全面桜かな
   悼 加藤青女氏
  讃美歌やカトレアの華を捧げし
   悼 土田武人氏
  みんなゆめ菊屋茶房は地下一階
   悼 谷佳紀氏
  彎曲やマラソン天へのぼりゆく  平成三十年
 そして何より師兜太の他界に直面し、またおそらくはその体験を過去とすることができないまま今に至る、そのような時のあわいで詠まれた句の数々。
  きさらぎのなむなむなむなむ羊雲  平成三十年
  兜太皆子師妖艶椿のひかりの中
  師系ありほたるぶくろは未完だという

  さびしらの弖爾乎波てにをはいただく青鮫忌  平成三十一年・令和元年
  あまたの忌きらきらきらきら海髪の黒  令和二年
  ひらひらひらちょうちょちょうちょ虚空まで  令和三年
 説明的な物言いを極力排し、思いをそのまま発語の形に造型していく、これらの中から数多くが本書の帯に記された「自選十句」に採られている。

 人も大自然の一つであることに気づかされつつ、いよいよ未知なる時間を受け止めていく中で、私の一句へ向かう願いと言いましょうか、祈りと言いましょうか、俳句詩形への謎と魅力はいっそう深まりゆくばかりでした。

 こう、あとがきに記した山中にとって、「その世」からのまなざしから生まれる言葉を定型に収め、真言のような祈りの言葉へと造型することが、「愛惜を荷作りする」営みの具現化された姿なのかもしれない。
(敬称略)

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