「海原俳句、来たるべきもの」へのヒント

『海原』No.51(2023/9/1発行)に掲載された「2023年夏【第5回】兜太通信俳句祭《結果発表》」の中で、以下の選評コメントが印象的であった。

十河宣洋選評より抜粋
〈軽い作品が多くなった印象を受けた。俳句の総合誌を読んでいて、感じた甘い作品が多くなったなあという印象がここにも何となく感じる。「新鮮」な感じはするのだが「本格」「平明」の頃の勢いが見えないように思う。頭の隅に「本格・平明・新鮮」は入れておきたいと感じた。〉

柳生正名選評より抜粋
〈一応多種多様といえる。ただ、かつての海程俳句にあった、ずんと心に刺さる言葉の重量感を懐かしく思った。時事に棹さすにしてもTV映像の延長線、家族に執するにしても葛藤のない情愛の世界にとどまっていては、集団としての高齢化が否応なく進む現状で、かつての熱量を求めるのは無理なのだろうか――そんなあきらめの気分に陥らないためにも、「海原俳句、来たるべきもの」の具体像について今、もっと論議があってよい気がする。〉

「本格」・「平明」・「新鮮」、「勢い」そして「熱量」。

『海程』時代の金子兜太ほか諸氏の言葉を振り返ってみよう。
「本格」・「平明」・「新鮮」に触れ、「勢い」と「熱量」を感じさせる文章を幾つか以下に引用掲載する。当時の言論を現在に照らして読むことは「海原俳句、来たるべきもの」を考えるヒントになると思う。


平明で重いものを 金子兜太
『定型の詩法』金子兜太/海程社1970/P379
『海のみちのり 三十周年・評論集成』/海程会1992/P9
初出:『海程』49号

縦深志向 金子兜太
『海のみちのり 三十周年・評論集成』/海程会1992/P13
初出:『海程』59号

現代俳句の本格 金子兜太
『定住漂泊』金子兜太/春秋社1972/P225
初出:第二芸術をこえる二つの志向『毎日新聞』1972・2、俳句と前衛『共同通信』1971・6

土がたわれは 金子兜太
『定型の詩法』金子兜太/海程社1970/P389
『定住漂泊』金子兜太/春秋社1972/P232
初出:土がたわれは『俳句』1970・8

新たな前線をめざして(『海程』126号・127号での座談会)
森田緑郎、武田伸一、酒井弘司、谷佳紀、阿部完市(進行)、大石雄介

『海のみちのり 三十周年・評論集成』/海程会1992/P157
初出:『海程』126号・127号


なお、「本格・平明・新鮮」については、『海程』十周年の頃の75号~80号(昭和46年~47年)で特集しているはずなのだが、雑誌が手元にないのでまたの機会に。
(記:「海原」小松敦)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です