縦深志向 金子兜太

縦深志向 金子兜太

 十二月の東京例会で、金子皆子の『哭き木立暗いおもてを吊す月』が話題になった。渡辺八重子は「あんまり暗すぎて――。」といい、蔦悦子は「こういう内容なら、いままでさんざんみてきている俳句と変りないんですね。もう結構ですといいたい気持。」と批評した。賛成しないのである。
 弁護側は男性二人で、阿部完市と高桑弘夫。阿部は「蔦さんはそういうけれど、いままでの俳句とは、表現方法が違うんじぁないのかなあ。同じ内容かもしれないけんど、俳句としての現わしかたが違うんだなあ。」という。高桑は「情念というものですかねえ。奥にうづうづしているものですねえ。これをまともに出したいとおもうんですが、なかなかできないんだなあ。いつも思いつきで、軽味かるあじの句を作ってるんですけんど、それがたのしいんですけんど、そうしているうちに、ひょいと、とんでもない深い句――つまり、情念というやつをしとめた句ができればいいとおもってんですよ。この句にはその情念を感じますね。」とほめる。
 四人四様のおもしろさで聞きながら、私は、昨年の一月号(四十九号)で、ムードというものが、この定型詩形によって詩として定着されはじめているが、これは結構なことである。しかし、それだけにとどまると〈おムード俳句〉(村上一郎にいわせると「皮膚感覚、粘膜感覚」の俳句ということになる)でおわってしまうので、そこから存在へ沈降してゆくことを求めなければ駄目だ、と書いたことをおもいだしていた。一年間で、いささか〈縦深志向〉のふかまりありと――。
 あのとき引きあいにだした阿部完市や森田緑郎、佃悦夫は、それぞれの句集を出したが、

  ローソクもってみんなはなれてゆきむほん 阿部完市
  動かざる男らは見えはるかな球 森田緑郎
  昼寝中あかりを持たぬ木が歩ゆむ 佃悦夫

のような作品をみても、三人とも、感受したものの核を純粋に保ち、結実させようとして、熱心に自分のなかに顔を突っ込んでいることがわかる。結実の仕方や現わしかたが違うのは、個性が違うのだから当然だが、ともに、現代に鋭敏にむかいつつ、現象だけの感受におわらせようとしないところが共通しているのである。私はそのとき、阿部完市の功績は「よく消化する」ということを教えてくれたことだと喋ったが、このことは、彼が、謙虚に「どうやら、言葉と、それから意識というものが見えてきました」と話していたのに照応する。現象への情感反射や風俗批評にとどまらないで――つまり、ムードという状態での俳句形象に満足しないで――、自分の内面に潜入し、そこで一度問いかえしてみるのである。そして、表現に向って浮上する。その過程で、当初の感受はどろどろに消化されて、あたらしく結晶させられる。あらたな言葉になってゆくのである。
 これは、この一年、奥山甲子男と竹本健司の作品活動からも顕著に窺われた点である。奥山は句集『山中』をだした。三重県の山中にいて、吉田さかえとともに、「生き身の心象を、その地の生活史のスケールにおいて提示しよう」としてきたし、いまもしているのである。岡山県の山都に住む竹本の場合もそうである。二人とも、その地にふかく腰をおろし、「生活」をとうして、自分の心奥に参入してゆく。彼らにとって現代とは、なによりも、山中の生活と人人そのものなのだ。いや、そこに着眼したところに、縦深志向のはたらきをみる。

  魚暗く峠にひびく火振りの谷 奥山甲子男
  百合を背に村人若く闇越えゆく 〃
  跣の音駆け続ぐ生国畔道痩せ 竹本健司
  稗抜かねば太郎の田神輿荒れ 〃

 これは、風土という言葉に乗っかったり、甘やかされたりすることではない。いわば、〈自らの精神風土〉を築くことなのだ。二人は典型的な例だが、都市化のすすむ河内平野を拠点とする堀江末男、それとはまったく逆に、過疎化しつつある山陰の山村に暮す稲岡巳一郎にも同様の作品活動がある。

  めし冷えて雨のなかゆくわらの憂い 堀江末男
  辺境の唇開くとき高稲架鳴り 稲岡巳一郎

 群作『尼寺』を発表した西川徹郎の場合でも、北海道そのもの、そこでの生活そのものへの着眼を見おとすことはできない。その心象が尼寺であって、これは単なる北海道の風景描写とは違うのである。昨年の活動が目立った人を挙げたが、ほかにも同志向の人は多い。高桑弘夫が「情念」という言葉を語ったのも、そういう土壌があるからである。そして、蔦悦子が伝承俳句の内容と同じものを感じた事情も同じである。金子皆子の前掲作にあるものは、情念というほどの深部にいたらぬ情感の世界であるが、一般論として、縦深志向が各所で遭遇するものこそ伝統体感であって、これを伝承俳句の内容とイコールと見るのもむりはない。
 しかし、ぜひはっきりさせておきたいことは、私たちにとっては、現在という時代にたいする思考と感受の表現が本命であって、縦深志向といっても、これ抜きでは考えられないということだ。むしろ、現実との接触と葛藤のふかまりのなかで、縦深志向が呼びおこされてゆくことを知るべきである。だから、その志向の体験する伝統体感は生きている。そこには〈生きた伝統〉がある。
 それとは逆に、時代対応を回避、あるいは軽視して、いたづらに伝統に回帰してゆく志向は、おおむね伝統という名の穴を掘っているだけであって、掘りあてたものは死者、いわば〈死んでいる伝統〉にすぎない。そこで、季題という「約束」と、さらに気の弱い人は「俳諧情趣」の助けまで借りて――つまり、二重のヴェールを用意して、自らの発想をおぼろの奥におくように心掛けるのである。
 私たちにとって、季語は約束である必要がない。言葉であればよく、現に立派な、ある意味では豊熟な、頼り甲斐のある言葉である。俳諧情趣は不要。必要なのは、最短定型という屈強で、口うるさい形式だけである。(五九号)
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『海のみちのり 三十周年・評論集成』/海程会1992/P13
初出:『海程』59号

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