金子兜太の「平和への願い」に呼ばれて 大高宏允

金子兜太の「平和への願い」に呼ばれて
――難民問題と政治パラダイム転換の提言  大髙宏允

俳人金子兜太の原点は反戦平和

 金子兜太は、なぜ死の直前まで戦争の恐ろしさと平和への願いを語り続けたのだろうか。彼は戦場で非業の死を遂げた人々を見た。戦場からの復員船で作った一句、「水脈の果炎天の墓碑を置きて去る」について、のちに「私は島を去りゆく水脈の果てにいつまでも墓碑の姿を見つめていた。反戦への意思高まる」と自句自解している。その金子兜太が平成三十年二月に他界してから今に至るまで、私は先生が、「おまえは平和の問題をどう考え、どう行動するんだ」と、毎日のように呼んでいる気がしてならない。弟子のひとりとして、平和への師の願いを、どのように受け止めていけばよいのかを考えることは、目前の課題となってしまった。戦中生まれの私も以前は戦争や難民のことは、遠い国のことという思いであったのが正直なところである。しかし、師が晩年になるほどに句会などで反戦と平和への思いを語るのを思い出すとき、やっと私にも師の「本気が」伝わってくるのを感じる。さらに、「あの夏、兵士だった私」(清流出版)や「「金子兜太のことば」(毎日新聞出版)などの本でも、あの十五年戦争の時代と同じようになってしまいかねないこと、戦後七十年積み重ねてきた平和の尊さは守るべきもの、という考えを繰り返し強調してきたことを思い出し、師の思いは私の思いともなった。平和ボケしていた私の頭でも、ベトナム、アフガニスタン、イラクなどで戦争があり、この瞬間も世界各地で人種紛争や宗教の対立などによる市民の犠牲が絶えず、難民の発生が続いていることをリアルに感じるようになった。そこで私は、俳句作りと並行して、たまたま難民になってしまった人々を、どうすれば自分と同じような平和な暮らしが得られるかという切実なテーマに立ち向かうことにした。

 私の考えを述べる前に、まず晩年の金子兜太が、なぜ平和への思いを弟子たちばかりでなく、古くからの師の理解者黒田杏子氏とともに、他界までの三年間、全国各地で戦争体験の語り部として、多くの人々に語りかけてきたのか、その著作から先生の思いを紹介しておきたい。

 戦時中、戦死者が八千人を超えたトラック島で、海軍主計中尉として従軍していた先生は、著書「あの夏、兵士だった私」の冒頭で、次のように語っている。

 「トラック島で命を落とした部下たちには墓碑銘さえなかった。個人が生き延びるだけで精一杯の毎日で、膨大な亡骸を小高い丘の穴に埋めるのがやっと。それを思うと、国のために働かされ、当たり前のように死んでいくというような制度や秩序を許しておくわけにはいかない、そんな義憤にかられます。強制されて生きる必要のない、自由な社会を作っていく――それが私の思いです。(中略)日本社会に戦争の記憶が薄れる中で、私のような戦争体験者が果たせる役割、いや生き残りだからこそ、果たすべき役割はたくさんあるはずです。戦争体験者、しかも死線をさまよった経験を持つ人で、憲法九条を破棄しようとする人は少ないのではないか。でもそんな人間がだんだん減っていく。だから私は命ある限り、戦争の本当の姿を語り続け、護憲精神を貫きたいと思っています。」

 先生の危機意識は、自らの戦争体験から来る体制への危機意識だが、それにとどまらず、国民の側の意識の中にも危機意識を感じていたことは注目すべきところだと思う。先に引用した著作の第一章では、国民の意識にある差別心についても次のように述べている。

 「そもそも、人間の知性とは、あらゆるものに差別感を持たないということです。それを私は自由人と呼ぶんですが、世界にはいろいろな人間がいて、そのいろいろな人間が、お互いを認め合うからいいんです。だから世界は発展していくし、人類は豊かになっていくはず。それなのにどうも、社会全体が同じ方向を向かないと気がすまないという人が増えてきて、そんな人が率先して自粛し、お互いを縛っていく。そしてみんなで監視し合う。このムードは戦前そのものです。」

とさえ語っているのには緊迫感を感じないではおれない。戦後続いてきた平和日本は、いま明らかに変わりつつある。先生は太平の世に慣れきってきた心に警鐘を鳴らすかのように、さらに語りかける。

 「もちろん、いまはまだそんなひどい状況ではない。でも、じつは十五年戦争のときだって、そんな雰囲気になってから、ほんの数年で戦争に突入してしまった。俳句弾圧が始まったのは昭和十五年。日米戦争はその翌年の暮れですね。(中略)トラック島を去るとき、私は多くの部下の死を決して無駄にしないことを誓いました。自分の体験したことを語ることが、私に与えられた仕事だと思ったからです。」

 この出版を遡ること六十一年前、先生は初めての句集の後記のいちばん最後に、次のような言葉を残している。この初句集に、平和への思いの原点があった。

 「最後に、そして何よりも、自分の俳句が、より良き明日のためにあることを願う。」

 先生は二十七歳のときから他界されるまで、一貫した信念を持ち続けてきた。戦争のない平和な社会になるためには、国民ひとりひとりが、金子兜太という人の仕事を引き継いでいくことに目を向けることが求められるのではなかろうか。そこで、いま私にできる平和の在り方の一つの考えを以下に示させていただきたい。

1.   世界から難民という人間をなくす道を考える

 近年、私たちはメディアを通じて、アフリカからヨーロッパへ逃れる難民の姿を、しばしば目にするようになった。国連高等弁務官事務所のデータによれば、過去10年間の難民は世界で、25,400,000人といわれている。アフリカやシリアの人々は、紛争などにより混乱する母国を捨て、豊かで、より安全なヨーロッパへの移動を命がけでめざす。紛争に加えて、近年の気候変動がもたらす作物の収穫不安定による難民発生も大きな問題であり、環境対策と難民対策は、人類が取り組まなければならない喫緊の課題となっている。この流れを止めることは、欧州各国の国内事情もあるので、難民問題は冷戦後の最大の問題となって、これからも政治経済人道問題など広範囲に影響を及ぼしつづけることは間違いない。

 難民問題のルーツは、人類が社会的生活をするようになって以来のものらしい。作物の不作などによる部落や種族の移動、大規模な飢饉による種族の移動など。また近代においても、新大陸の発見以来、ヨーロッパから南北アメリカ大陸への移民が発生した。かつて大量の移民を発生させたヨーロッパが、いまアフリカからの難民受け入れに困惑し、拒否する動きさえ出ている。むろん際限なく難民がやってこれば、その国は経済的にあるいは治安のうえで、大きな問題を抱えることになる。
 従って、この難民問題は、人類史における最大の問題の一つとして、取り組むことが求められる。この解決不能状況にある難問題は、我々の最も内なる部分にこそ解決の糸口があることを思い出すときではなかろうか。それは、キリスト教、イスラム教、仏教などのすべての宗教の根底に流れている利他の精神である。他者への愛、旅人への食べ物寝場所などの施し、あるいは慈悲や布施の心といった利他の心は、人間という生き物に遺伝子として組み込まれたものではないか。最近の研究によれば、人類は74,000年前のインドネシア、トバ山の超巨大噴火により全地球の人口100,000人がわずか10,000人に減少したそうだ。この研究によれば、それ以前の共食いさえする攻撃的性格が、食糧を共有し、あるいは贈り物をしあうような、互いに助け合う性格へと変化したという。絶滅の危機に直面し、私たちの先祖は利他の精神を獲得する英知をもったのである。こうした世界史的視野のもとに、現代の私たちも、その先祖の英知を今まさに取り入れるときに来ているのではないか。その利他の精神の草の根的エネルギーを、インターネット文化によってつなげ、組織化するとき、難民問題の永続的解決策が機能し始める可能性が生まれる。では、その流れをどのように作りだし、どういう仕組みで問題解決に結びつけるか、もうすこし考えをすすめてみたい。

 今回、難民支援活動の組織化を考えるにあたり、「グローバル・ボイス」のウェッブサイトで拝見した情報が大いに参考になった。その情報によれば、ウガンダではすでに、「ナキヴァレ難民キャンプ」という支援組織があり、成果を上げている。首都カンパラから車で6時間のところに、184平方メートルの農地を所有し、トウモロコシ、豆などを生産し、難民の食糧にするとともに、タンザニア、南スーダンへの輸出ができるほどの成果をあげている。ウガンダ政府は、この難民キャンプによる農業生産を自国の開発計画に組み込んでいるという。キャンプでは、協同組合まででき、組織的に計画、生産、出荷のできる体制となっている。しかも、キャンプ内には、市場や映画館さえあるそうだ。この成功モデルこそは、これからの難民問題解決の最有力の候補になるだろう。
 日本には、すでにNGO難民を助ける会という活動実績のある団体が存在する。従って、ここが中心になってウガンダ方式の難民キャンプを可能にして必要な地域に設置していくという構想が一番の近道になると思う。それを実現するためには、資金確保、運営及び人材確保、さらには相手国、JIKA、国連難民弁務官事務所などとのすり合わせ等々、さまざまな問題をクリアーしなければならない。これは、NGO難民を助ける会だけでは、とうていフォローしきれない。それぞれの分野の精通したおおくの人の協力が必要となる。
 「よりよき明日のために」他界直前まで平和のために働いた金子兜太の遺志に賛同する人々の協力が必要となる。そこで、NGO難民を助ける会の中に、「兜太平和基金」といった募金受け入れサイトを開設するとともに、サイト運営と支援組織「兜太ピーススタッフ」といった体制が、NGO難民を助ける会のようなところに置かれることが求められる。そのうえで、次のような点に留意する必要があろう。

(ア) 武器につぎ込んできたお金を、格差によって教育の機会を失い、健康で心豊かな暮らしを失っている人々の助けに使う世界を作ることである。その最終目標が実現するまで段階的なステップを踏んで続けていかなければならない。
(イ)  この最終目標が恙無く実行されるためには、多くの人の善意が結集しなければならない。とくに、募金で集まったお金は特別な監査委員会によって常に不正の発生を防止する体制が必要なる。
(ウ) 同時に監査委員会は、あらゆる政治的、宗教的団体等からの偏った影響を防止するよう努める。活動員は、一定の生活保障を受けることができるが、どんな高位の役職者でも、ボランティア精神に則り、一定の生活保障の範囲とする。
(エ) この事業は、難民の発生を防止するためとはいえ、個人的に先進国での学問や労働の機会を求めることを妨げるものではない。
(オ) 活動計画や組織などは、今後さまざまな人によって修正を加え、より充実した、より実現可能なものにさせ、数年後のスタートを目標にする。

2.   世界の政治パラダイム転換をめざす

(ア) 最終目標は国家権力の解消

 この活動組織の最終目標は、人間にとって不本意に機能する国家権力をこの世界から解消することである。政治は、この活動と同様に本来ボランティア精神によって行われるべきものである。過去および現状は、ほとんどの場合、権力はある階層の利益代弁者であることが多い。これを解消するには、政治が政治家という職業によって行われないことである。そのためには、将来的に政治を女性だけに任せるという実験を試みることを考えるときが来たと思う。男性から政治と武器を奪い取ったとき、はじめて難民も格差も戦争もない世界が、この地球に生まれるだろう。人類は女性によって、ゆるやかな政治環境を構築するという試みに挑戦することを本気で考える価値があるのではなかろうか。それこそが、環境問題や政治的権力闘争、宗教対立、人権問題などの真の解決への一歩となるであろう。生命を自ら生み出し、無償の愛によってその生命を育てる母性こそ、今世界に圧し掛かっている諸問題を解決する唯一残された道ではなかろうか。このような考えを、非現実的だとして葬り去る前に、欲望の無限膨張によって滅亡に向かっている現実を直視しなければならないと思う。
 金子兜太先生は、2017年8月発行の「短歌」(角川出版)別冊付録掲載、「緊急寄稿 歌人著名人に問う、なぜ戦争はなくならないのか」で、次のような言葉を寄せている。

 「なぜ戦争がなくならないのか。一言で答えさせてください。物欲の逞しさです。あらゆる欲のうちで最低最強の欲ですが、それだけにもっとも制御不可能、且つ付和雷同を生みやすい欲と見ています。そこに人間の暮らしが、武力依存を募らせる因もある。」

 20世紀以降の我々の追及してきたものが、我々自身の終焉をもたらしつつあることが明らかなのに、われわれはそれを改めようとしない。それと同じことが、政治の在り方にも言えないだろうか。人間を幸せにすると信じられてきた民主主義は、その欠陥をさらけ出している。極右やポピュリズムが台頭してきたのも、制度疲労した資本主義・民主主義体制から多くの人々が落ちこぼれたためではないのか。これらすべてのことを、今こそ追検証して、大きく思い切って舵を切り替える時ではないか。このまま行くなら、その先にあるものは我々が築きあげてきたものの終焉であり、それは明らかに他の生きとし生きる者たちをも巻き込んでしまうことは間違いない。

(イ)  インターネットからインナーネットへ

 以上述べてきたパラダイム転換のための考察は、あくまで一個人の思いつきにすぎない。これを仮に「母性主導によるパラダイム転換実現のための構想会議」のようなものを別途立ち上げてみてはどうであろうか。それをベースに、インターネットという現代のツールを活用し、理想の世界実現のために多くの人々による試案の書き換えを期待したい。それこそが、インターネットの限界を超える、世界的なインナーネット(内なるつながり)の第一歩ではなかろうか。
 このようなことは、誰でも言う事ができる。いろいろの国のいろいろな層から寄せられた考えを、一つの方向に集約し、コンセンサスを得て何らかの組織を立ち上げることは、それこそ至難の業であろう。それゆえに、すぐれた構想力、指導力、組織力などを備えた有能な人たちが、地球生命存続と平和確立のパラダイムのために力を合わせることが求められる。今これを書いているものは、単にそのための極めてラフな見取り図を提示しているにすぎない。私たち人間の先輩の中には、すでに多くの見取り図を詩や童話、小説、啓蒙思想書などを通じて提示してきた。その中で今思い出されるひとつの詩の一節を、取り上げてみよう。
 ◍ 宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の有名な一節である。

    東ニ病気ノコドモアレバ
    行ッテ看病シテヤリ
    西ニツカレタ母アレバ
    行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
    南ニ死ニサウナ人アレバ
    行ッテコハガラナクテモイイトイヒ

 この賢治の利他の精神を以って人類発祥の地アフリカに目を向けようではないか。

 そして、金子兜太という、生涯戦争のない平和な世界をめざしていた俳人の遺志を継いで、パラダイム転換のための運動を考え始めようではないか。

  左義長や武器という武器焼いてしまえ  金子兜太
  長寿の母うんこのようにわれを産みぬ  金子兜太

 この二つの俳句は、金子兜太という俳人に内在する本能的感性、あるいは存在の純粋衝動から生まれものと思う。すべての人に平和を呼び掛けないではいられない衝動、そして女性の母性という天から与えられたものを賛美し、生まれてきたいのちに限りなく感謝する衝動……。私は、この二つの先生の衝動に呼ばれている気がした。そうした切っ掛けに突き動かされ、この提言を書いたように思う。

 1932年、あるチベット僧が、「密教入門」という本を英語で出版した。その中で彼は、「マスコミがこれから発達するのは、神の声を届けるためである」と、予言のような言葉をしるしている。その後、世界はどうなったであろうか。第二次世界大戦を経て、現在に至るまで、世界各地でさまざまな紛争が絶え間なく続いている。われわれは、これからいつまで神の声を待てばいいのか。私は、その声を待つより、世界中の人々が、金子兜太のいう平和の願いを日常の意識に持ち、願いを共有する者同士がつながることに一歩踏み出すことだと思う。

 次の世代のために、利他と母性の世を!

(了)

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