『金子兜太戦後俳句日記第二巻』を読む:兜太という俳人の今日的人間考察③ 岡崎万寿

『海原』No.19(2020/6/1発行)誌面より

『金子兜太戦後俳句日記第二巻』を読む
兜太という俳人の今日的人間考察  岡崎万寿

《3回連載・その3》

㈤ 兜太は「煽られた」のか
  ――長谷川櫂「解説」への疑問

 『金子兜太戦後俳句日記』には、兜太と同じ朝日俳壇選者の長谷川櫂が「解説」を書いている。その労に感謝しながら、第一巻、二巻を通じて指摘されている、兜太の社会性俳句運動にかかわる問題点について、私の疑問を述べておきたい。
 長谷川櫂の俳論は、俳人には珍しいスケールの大きい視座を、特徴としている。かつて東日本大震災(3・11)のさいの発言も、そうだった。私は共感して、次の一文を引用したことがある。

 実際(新聞の俳壇や歌壇の投稿作にみられるように)、多くの一般の人たちが震災を作品にしている。天皇から民草まで、みなが歌を詠む万葉集以来の日本の伝統は今なお生きていると感じる。日本人の心の底で眠っていたものが今、掘り起こされているともいえる(「日経」二〇一一年4月28日付夕刊)。

 今回の『金子兜太戦後俳句日記』第二巻の解説「社会性と前衛」の中でも、そんな卓見を発見した。

 俳句にかぎらず人類の詩歌はすべて社会性、政治性を備えている。社会性がないようにみえるのは自覚しないだけである。
 それは言葉自体が発生したときから社会性と政治性を備えていたからである。対象を把握するにしても意思疎通をはかるにしても、言葉には自己と他者の関係がすでに生じている。これこそ言葉が本然的にもつ無自覚な社会性であり政治性である。人類のすべての詩歌は言葉のDNAである社会性と政治性をそのまま受け継いだ。
 日本語の詩歌も『古事記』『万葉集』以来、社会性と政治性を一貫してもちつづけてきた。


 しかし、同『俳句日記』第一巻の解説「兜太の戦争体験」に書かれている次の一文は、残念ながら、こうした長谷川櫂の視座広く説得力のある論考とは、どうしても読めない。少し長いが、俳人兜太の人間考察の基本にかかわる、重要な問題提起であるので、そのまま引用したい。

 まず「昭和の兜太」は社会性俳句と前衛俳句の旗手であった。……どちらも戦後、解放されたマルキシズム(マルクス主義)に煽られて俳句の世界にたちまち燃え広がった。
 日記のはじまる一九五七年(昭和三十二年)といえば第二次世界大戦の終結から十二年、世界中が自由主義陣営と社会・共産主義陣営の東西冷戦の渦中にあった。日本国内ではそれを反映して、自民党と社会党を左右両極とした対決が思想・政治・経済だけでなくあらゆる分野で展開していた。いわゆる六〇年安保闘争が沸き起こるのはその三年後である。この左右対決の構図はすべての日本人を巻き込んだ。兜太も例外ではなかった。むしろもっとも強烈なあおりを受けた一人とみるべきだろう。


 ここで述べられている戦後世界の政治論、歴史論に立ち入ることは、兜太の人間考察の俳論の範囲を超えるので、あえて触れない。だが、超大国のアメリカとソ連の冷戦時代とはいえ、「世界中」、「すべての日本人を巻き込」み、まして自立、自由であるべき文化(俳句)まで、米・ソの二色で図式的に色分けしてしまう二極分化観は、当時の現実とも違うし、今日の国際政治学や近・現代史学の到達点からみても、かなり強引すぎるのではないか。
 長谷川櫂は現在、俳句界を代表するリーダーの一人である。この文面を読んで、首を傾げる人も少なくないと思う。まして「社会性は作者のの問題」と、どんなイデオロギーでも自らの生き方に溶かし込み、肉体化しない限り、頑固に動じない信条をもった、兜太のことである。「解説」で書いているような、「マルキシズム」の「もっとも強烈なあおりを受け」ることが、人間的にも、現実的にもあり得るだろうか。
 長谷川櫂の「煽られ」論のウィーク・ポイントは、こんな人間の尊厳にもかかわる問題を、何の実証も、論証もなしに一方的に断言していることだ。事実を見ても、兜太の社会性の俳句、俳論は、配転先の神戸から始まっている。日銀での労組活動を理由に、当時吹き荒れていたレッド(共産主義者・同調者)・パージの煽りを受け、十年間の地方勤務の冷や飯を食わされている最中だった。煽られたのは「マルキシズム」でなく、米占領下の不当なレッド・パージによるものだった。時代背景が、丸で違っているのである。
 したがってと言おうか、長谷川櫂「解説」は、第一巻の「兜太の戦争体験」では、引用した「煽られ」論をあれほど述べていたのに、第二巻の肝心の「社会性と前衛」では、その強調が消えている。
 そればかりか、先に書いた兜太の主張する「態度の問題」を評価し、「この点で兜太は社会性俳句運動の中では異端の存在だったといわなければならない」と、第一巻「解説」と正反対ともとれる結論となっている。重要なので全文を紹介する。

 ただし兜太自身はイデオロギー俳句、マルクス主義俳句に距離を置いていた。「社会性は作者のの問題」と書いていたとおり、兜太はイデオロギーに拠る拠らぬにかかわらず、社会に対する自覚と態度が俳句の社会性を生み出すと考えた。いわばイデオロギー以前の問題としてとらえていたのであり、この点で兜太は社会性俳句運動の中では異端の存在だったといわなければならない。

 見るとおり、社会性俳句運動の「煽られ」論は、兜太に関しては事実上、破綻している。だが、運動の「旗手」だった兜太を、その「異端者」に変えるだけでは、問題は片付かない。そんな「異端者」が、社会性俳句運動の旗手として、人望を集めることはあり得ないことだからである。
 また第二巻「解説」で、「その二つを過去の実績(筆者注・社会性俳句と前衛俳句運動の旗手だったこと)として今や称賛を浴び、公の社会に受け入れられてゆく兜太の姿である」と書いていることとも、矛盾してくる。その矛盾は、画一的な冷戦史観と、「社会性俳句はマルクス主義俳句」といった単純な断定の枠組みに、人間兜太をはめ込もうとする無理から生じたものだが、ここではそのことを指摘するにとどめる。
 その反面、第二巻「解説」が、こうした社会性俳句運動の積極面として、「社会性俳句運動は俳句の対象を広げるとともに、俳句の無自覚な社会性、政治性への自覚を促すことになった」と評価する着眼点を、大いに多としたいと思う。
 二つ目の問題点として、第二巻「解説」の次の文章も看過できない内容である。

 社会性俳句運動は政治的行動に直結していたこと。いいかえれば、兜太には文学と政治、俳句作品と政治的メッセージの明確な境界がなかった。この姿勢が晩年、安保法案反対運動のために肉太の書体で「アベ政治を許さない」と揮毫する、政治的行動へ兜太を駆りたてることになる。

 はたして、そうだろうか。私は、兜太くらい政治(思想)と文学(俳句)との境界線を、明確にし筋を通してきた俳人
(文化人)は少ないと思う。その実証として、三つを挙げる。
 一つは、先ほどまで述べ、長谷川「解説」も認めている「社会性は態度の問題だ」という信念である。これはもう文句の
ないところ。たとえば『証言・昭和の俳句』(上)でも、こう論じている。その俳句姿勢は、終生変わっていない。

 そうならないと文芸論にならないと思ったんですよ。……私の場合はそのままイデオロギーを持ち込むことを全く拒絶していたんです。

 二つは、自らの自由を確保しつづけるため、一定の制約を受ける政治組織には、決して参加しなかったことである。作家の半藤一利との対談集『今、日本人に知ってもらいたいこと』の中でも、自信をこめて、こう語っている。

 コレも私の自慢なんですが、私は党派には属さないで、一人でやった。これが唯一の自慢なんですよ。

 三つは、戦後の反戦平和の主張と行動が、あるイデオロギーに発したものでなく、トラック島での生死の戦場体験に発した、「非業の死者に報いたい」という一念によるものだったことである。

 私は反戦主義者ですから、戦争は悪と思っているわけです。これは体験から発してそう思うようになっているんです。自分が戦争をしてきた、その生な体験から(『人間・金子兜太のざっくばらん』)。

 以上、生の資料をもって、兜太がいかに俳人として、俳句と政治的行動を直結させることを、自ら拒絶し、明確すぎる境界線を示していたかについて述べた。先入観や実証性のない人間批評は、お互い避けたいものと思う。
 最後に残った問題は、先の安保法案反対の市民運動のかつてない広がりの中で、作家の澤地久枝の依頼で揮毫した「アベ政治を許さない」の書が、長谷川「解説」があえて挙げるほど、俳句と政治との境界線のない政治的行動であったか、どうかの評価である。
 その当時の兜太の内面については、近く刊行される『金子兜太戦後俳句日記』(第三巻)に、どう記されているか、興味のあるところだが、専門俳人といえども、自由と民主主義、平和を支える主権者の一人である。市民の権利としての表現の自由にかかわる問題で、そんな「境界線」をつけるべきことか、どうか。私は次に挙げる『俳句日記』(第二巻)「解説」の理解ある文面からみて、それは長谷川櫂のペンの走りすぎに思えてならない。

 なぜ兜太は社会性の自覚が必要と考えたか。俳人にかぎらず人々の社会性の無自覚こそが昭和の戦争を許したと考えていたからだろう。

 また『俳句日記』(第一巻)「解説」でも、肯定的にこう結んでいる。

 兜太は若い世代は戦争について大いに語り、行動すべきだと考えていた。地球上で起こっている戦争を自分のこととして考えることのできる「地球人としての想像力」に希望を託していたのではなかったか。

 全く同感である。その「地球人としての想像力」をもって最晩年にいたるまで兜太は、遺句集『百年』でみるようなスケールと批評性のある俳句を、詠み続けている。

 果てしなく枯草匂う祖国なり
 原爆忌被曝福島よ生きよ
 朝蟬よ若者逝きて何んの国ぞ


 そうした作品にも込められた、その若者はじめ市民へのが戦争につながる安保法案反対の市民運動の熱気と結んで、あの気迫と人間味あふれる兜太ならではの「アベ政治を許さない」の書となったものと思う。事実、この書(プラカード)は、市民運動の共同のシンボルとなって、全国いたるところで、長期間にわたって掲げられた。まさしく俳人兜太の、時代に記録される貴重な書となったのである。

 それは、「境界」うんぬんの次元のことではなく、もっぱら人間としての俳人兜太の見識の問題である。
(3回連載・了)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です