『海原』No.8(2019/5/1発行)

◆No.8 目次

◆海原秀句 同人各集より

安西篤●抄出

数え日やメモ一つ消しひとつ足す 伊藤巌
未帰還の家枯草より覗く 江井芳朗
ペンギンの足のようなる愛探す 榎本祐子
老い仕度されど青鷺立ちしまま 大野美代子
まだ生きる障子の桟に冬の蠅 尾形ゆきお
猪に影を踏まれて三ヶ日 奥山和子
綿虫飛んで鎖骨に昨日の重さあり 金子斐子
降り頻る雪の拍手のエピローグ 刈田光児
たましいのかたち不揃いせりなずな 河西志帆
雪国の白さを想う粥柱 小池弘子
うまそうなおしくらまんじゅう耳袋 こしのゆみこ
目を病みぬ時に眇める寒椿 小原恵子
遠く白山思慮深き筋肉である 佐孝石画
下書きのままの自画像冬木の芽 佐藤君子
図書館はむささびの翔ぶ森のよう 芹沢愛子
冬至かな地下階段の行止り 髙井元一
日月にひとたびは透け龍の玉 高木一惠
楽茶碗に五山あり寒夕焼 樽谷寬子
草石蚕紅くて泣き虫の少女誰 遠山郁好
ジャズ流す店の暗がり黒ショール 中條啓子
風愛し亡夫は黒土温めおり 永田タヱ子
年暮るる抱へし膝の小さきこと 丹羽美智子
ジュゴン今冬の辺野古をさまよえり 疋田恵美子
どうしました振り向く医師の掌に秋蚕 平田恒子
自傷のようにスマホに縋る冬青草 藤野武
晴れのち吹雪絵文字にも空気感 船越みよ
鷹匠のまず天網を指し示す 松本勇二
これはもうパワハラとなる軒氷柱 宮崎斗士
二の腕のたるみに映える櫨もみじ 矢野千代子
化学反応みたいにふたり春着で 六本木いつき

若森京子●抄出

家族には素直になれずかまいたち 石川義倫
変身願望蛍になるまじない 石川修治
鉛筆凍つ零戦生みし設計図 石川まゆみ
薄目して「お早う」と言う草枯れる 伊藤歩
おかにあがった水鳥のごと不本意 伊藤淳子
煮凝に進化退化も沈殿す 梅川寧江
ペンギンの足のようなる愛探す 榎本祐子
冬深し伝統という一カップ 奥野ちあき
混沌に目鼻をつけし福笑 片岡秀樹
日向ぼこ母居る水脈に棹を差す 川田由美子
かさっと雪信玄袋にのみ薬 北上正枝
息白く袋小路は辞書のよう 久保智恵
屯田碑にオホーツクの風初景色 坂本久刀
遠く白山思慮深き筋肉である 佐孝石画
包丁をとげば霧氷のにおいする 佐々木宏
初雪の透けて見ゆ土わが暗部 佐藤君子
落葉踏みごうっと加齢の波かぶる 篠田悦子
清潔な木綿の谷さん逝く寒さ 芹沢愛子
耳たぶはつめたいやわらかい雫 月野ぽぽな
さっきまで山羊といたような空白 遠山郁好
雪つむ木々書体も文体も肉体 中村晋
3・11ゆるい鎖のように人 根本菜穂子
荻の穂の白い高さを矜恃という 平田薫
根のついた陽炎仮設住宅前 北條貢司
横抱きの郷愁空に凧 松本勇二
亡父ちちいまこの赦しの椰子のもと兵士 マブソン青眼
夫とは同郷ときどき麨粉はったいこ 三木冬子
盲導犬溶け込んでおり初電車 村本なずな
すずかけの実と人の声ふと拾う 茂里美絵
死ぬ理由どれにしやうか目白飼ふ 横山隆

◆海原秀句鑑賞 安西篤

数え日やメモ一つ消しひとつ足す 伊藤巌
 年の暮れも押し詰まって、指折り数えられる頃。日々の予定を書いておいたメモを一つずつ消し、翌日の分を足してゆく。いつものように行う生活習慣なのだが、やはり年の瀬ともなれば、一つ消しひとつ足す所作にも、時の流れを感じざるを得ない。そのこと自体に、おのれ自身の年輪の刻みを感じているに違いないからだ。

未帰還の家枯草より覗く 江井芳朗
  東日本大震災からはや八年を経たにも関わらず、未だに故郷福島に帰還していない(あるいは出来ない)人は多い。原発の廃炉は決まったようだが、放射能被災の影響は残っているし、街の賑わいが戻らない限り復興が進むとも思えない。未帰還者の家々は荒廃のまま、丈高く生い茂った枯草の中に、わずかに顔を覗かせているばかり。震災後に始まった喪失感もある。この現実にどう立ち向かうか。八年を経た今も問われている。

老い仕度されど青鷺立ちしまま 大野美代子
 老いを迎える、あるいは老いの最中にある者にとって、「老い仕度」は否応なく立ち向かわなければならないものだろう。さはさりながら、いざとなると何から手をつければいいのか、どうすればいいのか途方に暮れるのが現実。結局変わりばえのしない日常を繰り返すがまま。ご覧、青鷺だってさっきから立ったままでいるよ。

猪に影を踏まれて三ヶ日 奥山和子
 作者の所在地では、まだ時に猪が出没するのだろう。お正月の三ヶ日、恒例の挨拶回りに着飾って出かけたら、不意に猪が飛び出してきて、作者の影を踏むようにすり抜けていった。結構ヤバい状況なのだが、都会では大騒ぎになるところでも、地方では日常的現実のように感じられるのだろう。この場合はむしろ、猪さんもご挨拶に出かけたの、と言わんばかりの親しみとして捉える。一種のアニミズム感覚の面白さではないか。

綿虫飛んで鎖骨に昨日の重さあり 金子斐子
 綿虫は雪虫とも称されるように、晩秋から初冬にかけて雪のように浮遊する。そんな綿虫が、襟元を大きく開いた女性の鎖骨にふっと止まった。そのあるかなきかの気配を、「昨日の重さ」と捉えたのだ。それは、昨日の出会いから生まれた屈託感のような、憂いのようなもの。作者が感じる想いの重さにも通ずる。

日月にひとたびは透け龍の玉 高木一惠
 この「日月」は、「歳月」とも読める。「龍の玉」はユリ科の多年草で、毎年根茎を伸ばして殖えてゆく。五〜六月に淡紫白色の花をつけるが、その後の実は初冬に透明感のある瑠璃色となる。色は年々深みを増すような気もしてくる。「ひとたびは透け」とは、年毎の変化か季節の中の変化か、その双方を含むとみてもよかろう。それは、ある境涯感のようにも感じられる。

草石蚕紅くて泣き虫の少女誰 遠山郁好
 この場合の「草石蚕」は、正月料理に使われる赤く染めた塊茎だろう。黒豆の一盛りの中に、紅い草石蚕がぽつりと混じっていて、あれが欲しいとねだっては泣きべそをかいている女の子。それは一体誰でしょう。そう言いつつも実は、思い出の中にある幼い日の作者自身なのではないか。「泣き虫の少女誰」という問いかけは、回想の景の中に広がってゆく。

年暮るる抱へし膝の小さきこと 丹羽美智子
 作者自身は九十七歳。そのことを前提に読めば、残り少ない余生を大事に生きようとしている作者像が浮かび上がる。「抱へし膝の小さきこと」とは、周囲に気を遣いながらも、自分のいのちを大切に、生かされていることへのささやかな謝念をこめているとも受け取れる。あらまほしき老年の姿、その見事な立ち位置。

ジュゴン今冬の辺野古をさまよえり 疋田恵美子
  辺野古は、今話題の沖縄の米軍基地問題の渦中にある地域。この問題は極めて複雑な経緯があるため、未だに明確な展望が開けない。そのことを暗に示唆した時事俳句である。沖縄周辺の珊瑚礁近くを遊泳するジュゴンのさまよう姿を、今の辺野古問題として捉えた。「冬の辺野古」とは、先の見えない状況を象徴的に表現している。

晴れのち吹雪絵文字にも空気感 船越みよ
 「晴れのち吹雪」とは、友人への便りに、地元秋田の気象状況を絵文字にして書き込んだのではないか。その絵文字にも、秋田の気象を表すような空気感が見えているようだという。「空気感」に実感がある。

化学反応みたいにふたり春着で 六本木いつき
 別に示し合わせたわけでもないのに、デートの約束をした二人が共に春着で、約束の場所に現れた。思わず顔を見合わせて、微笑んだのだろう。「化学反応みたい」とは、その偶然を必然のように感じているせいかもしれない。学校の授業を連想させるところが、初々しい。

◆海原秀句鑑賞 若森京子

変身願望蛍になるまじない 石川修治
  変身願望は誰にでもある性だが、この虚をつかれたような発語に立ち止まった。〈蛍になるまじない〉にはまるでお伽噺の中に拡がる想念の世界に惹かれた。他に〈軍拡再びわたし達二枚舌〉は無季だが〈わたし達二枚舌〉の措辞にも前句と同じ上七の言葉に呼応する二物衝撃であり、破調でありながら智と情の絡む精神の断面を見るようで興味深い。

家族には素直になれずかまいたち 石川義倫
  家族に疎まれ一人浮いている父親像があり、〈かまいたち〉の季語がよく効いている。他に〈青春は拗ね今偏屈や年の酒〉があり、ぶつぶつ呟きながら独り酒の背中が見えるが、ふと独り善がりではとも思えた。一句にはそれなりの言葉とのせめぎ合いの痕跡があるが、このような内なる吐露の一句もまた、乙なものだ。

煮凝に進化退化も沈殿す 梅川寧江
  あのぷるぷるの煮凝の触感から〈進化退化〉への言葉の斡旋は繊細かつ大胆な個性がある。〈天日や誰に遠慮ぞ大嚏〉があり、肉体から開放された発語には、独自の切り口とエネルギーを感じる。

冬深し伝統という一カップ 奥野ちあき
  このリズミカルな一句。〈一カップ〉を焼き物のコップなのか、お酒を飲んでいるのか色々想像したが、〈伝統〉という重厚な言葉を軽く受けるギャップの面白さ、キャッチコピーのような音階に新しい響きを感じた。他に〈雪見酒インパクトを残さない〉にも同じ気風の良さを思う。

清潔な木綿の谷さん逝く寒さ 芹沢愛子
  谷さんの追悼句が数多くあったが、この作者のナイーブな感性で谷さんの肌ざわりを言い得ている。彼はエネルギッシュに俳句に真正面から向き合った前衛派の一人であったが、同人誌の頃〈冬は終りだとっても妻がやわらかい〉の句も印象深い。他の一句〈「阿部完市全集」逆しま銀狐〉の句に私は驚愕した。阿部完市氏のノーブルなお内裏様のような風貌に、ゴージャスな智識と言葉の調べにふと騙された錯覚に落ち入ったものだ。まさに銀狐。〈きつねこころをまっさかさまにしてうらら完市〉が思い出される。作者はある事物に対峙した瞬間に言葉との格闘があり的確で優れた直感力で把握し、詩的センスで一句を昇華させる。

耳たぶはつめたいやわらかい雫 月野ぽぽな
  耳をメタファーとして雫に連なるまでの〈つめたいやわらかい〉は作者自身のしなやかな情感の流れでいつもぽぽなポエムへと引き込まれる。〈うたかたの手のひらに雪のひといろ〉消えてしまいそうな美しい儚い一行だが〈耳たぶ〉〈手のひら〉と確かな自己意志を心する。〈年迎える自分の中の自分たち〉の句が顕著なその一行であろう。

雪つむ木々書体も文体も肉体 中村晋
  福島に住む作者は、今までにたくさんの震災と被曝の作品を書いてきた。その経過があればこそ出来たような一句。書体文体肉体と続くリズムと語彙に一人の人間の歩みを見る。書体と文体からは人間性を顕著に表出し、それはわが肉体である。死と直面し数多くの死を視てきた作者は無意識の内に人一倍わが肉体の存在意識に固執している。〈雪つむ木々〉からの意識の流れを、言葉としてすばらしく詠み上げている。

荻の穂の白い高さを矜恃という 平田薫
  美しい自然の中に、ふと作者の〈矜恃〉が意識され、他人に主張することもなく、白い高さを見ては自己に問いかける内包されたプライドは品格よく表現されている。これは一句の佇まいからくるのかも知れない。他の〈枇杷の実がちょっとふくれる谷佳紀〉この句も枇杷のふくらみを見て、そっと心の中で谷さんを懐かしく偲んでいる。自然に添うて作者のつつましい人となりをみるようだ。

盲導犬溶け込んでおり初電車 村本なずな
  日常の時間を一瞬切り取った一行だが、そこに作者の熱い情の流れをみた。誰しもこの現場に出合った瞬間は、健気に主人に仕える盲導犬に心を寄せつつも、見ない振りをして自然にふるまうのが常であろう。〈初電車〉の措辞により主人との生活まで想像し盲導犬に対する思いも一層強くなる。しかし、今日も暮れてゆく。

死ぬ理由どれにしやうか目白飼ふ 横山隆
  年を重ねると、つい死ぬ理由を考え出すのか、そして〈目白飼ふ〉の措辞に現実に戻り、救われる。〈傷口の昭和九年四月五日〉から自分はこの世に生を受けた時から傷を持って生きて来た。一行にして嗜虐的ともいえる人生を詠む。この一行は他に類をみない傑作だと思う。作者の年齢でこそ詠うことの出来る現代風俳諧の世界であろう。

◆金子兜太 私の一句

猪が来て空気を食べる春の峠 兜太

  掲句の「春の峠」は、幾つ目の峠であろうか。歩いて歩いて終に辿り着いた異空間。そこは猪・狼・鹿・蛇・熊・人等が自由に存在し、平和に暮らしている。殊に空気が旨い―峠。師兜太が願う真の平和希求の眼差しが見える。海程賞受賞(第23回・昭和62年)の副賞として戴いた陶飾板にこの句が記されている。我家の唯一の家宝です。句集『遊牧集』(昭和56年)より。大沢輝一

青年鹿を愛せり嵐の斜面にて 兜太

  この句で詠まれている「嵐の斜面」とは、厳しい現代社会の漠然とした不安の譬えであろう。鹿は青年にとって「癒し」の象徴であり「愛情」の拠り所でもある。人間誰しも一人では生きてゆけない。煩わしくとも人間関係の中で心の支えや繋がりを求めて生きている。鹿を愛する青年の姿は全ての人々のシルエットとなって、その愛は能動的であれ受動的であれ、嵐のような現実社会に癒しを求めて立ち向かうのである。『金子兜太句集』(昭和36年)より。近藤亜沙美

◆共鳴20句〈3月号同人作品より〉
〇印は2選者の共選句 ◎印は3選者の共選句

榎本祐子 選
従姉妹来る手花火程の嫉妬心 伊藤雅彦
遅れ来てヤァーと明るき朱欒野郎 伊藤道郎
◎芋虫に手の平をほめられている 稲葉千尋
白蝶黄蝶が交互に上下うえした無策だな 宇田蓋男
息絶えし白鳥に不思議な三日月 榎本愛子
馬の眼で見ているような蔦紅葉 大池美木
妻といるふしぎな自由暮の秋 大沢輝一
実石榴やプチ整形に誘われる 川崎益太郎
碇星テディベアなんぞに恋 河原珠美
○東京駅から鰯雲に乗り換える 小池弘子
喧嘩してきて背高泡立草ばっちり 故・谷佳紀
わたくしの幅に窓開け秋送る 遠山郁好
鰯雲ヨッシャヨッシャと拉麺屋 豊原清明
相良さがら巡礼おんぶばったの居るうれし 野田信章
暴れ萩母は静かに手折るかな 藤田敦子
神のまだ幼き頃のきなこ餅 藤野武
黄落や何だか今頃背が伸びて 堀真知子
背に積もる時間が邪魔でかいつぶり 松本勇二
ふくろうは星を音符に首回す 武藤暁美
ロボットの作るオムレツ文化の日 森鈴

加藤昭子 選
七曜の無為のつくづく木の実降る 安藤和子
○小春日の頁めくればみるみる水輪 伊藤淳子
力学で測れぬ恋や柿紅葉 小川佑華
○枯はちす立つ本能というひかり 狩野康子
せせらぎに始まる妻の秋出水 川崎益太郎
芒原けむたがられている純情 河西志帆
あとがきのような稜線涼新た 黒岡洋子
蟋蟀と父と親しも可惜夜は 関田誓炎
母の日やいつもなにか口遊んでいた 芹沢愛子
○冬木立空って水の想像力 月野ぽぽな
田の沖で風を磨いている白鳥 丹生千賀
妻へ白鳥さびしらの波紋を生みぬ 藤野武
菊日和胴上げのよう父送る 三浦静佳
父のことなど小春日にあさく腰掛け 三世川浩司
待ちぼうけはたぶん哲学一位の実 宮崎斗士
はじまりの出口のようでひょんの笛 三好つや子
○からすうり圧倒的な隙間かな 茂里美絵
晩秋の光よ母よ崩れるな 森武晴美
両の手で頰を叩いて刈田出る 山口伸
○さうですか。さうですか僕少し泣く 横山隆

佐孝石画 選
◎芋虫に手の平をほめられている 稲葉千尋
違和感という確かさや桜桃忌 奥山富江
前世を知った顔なり烏瓜 小野裕三
○東京駅から鰯雲に乗り換える 小池弘子
雁渡しまつげに海の重さかな 白石司子
十薬の花深読みこばむ白さです 芹沢愛子
君はみづうみだった張りつめてゐた 田中亜美
○冬木立空って水の想像力 月野ぽぽな
青紫蘇の匂いが好きで検非違使で 遠山郁好
もうそろそろ抱かれにゆくか寒いから ナカムラ薫
石蕗咲いて老婆の思い出し笑い 本田ひとみ
白薔薇の秋の闇抱く白さかな 前田典子
破蓮体言止めのようにかな 松本勇二
海に遠く柊の花の匂へりき 水野真由美
こぼるるよう人はこうして鶯に 三井絹枝
夫婦旅このままコスモスの論調 宮崎斗士
行き過ぎてばかりだったの猫じゃらし 村上友子
○からすうり圧倒的な隙間かな 茂里美絵
○さうですか。さうですか僕少し泣く 横山隆
野のゆれは晩年のゆれ夕月夜 若森京子

竹内一犀 選
ピカソ展出て友の顔じっと見る 石川和子
○小春日の頁めくればみるみる水輪 伊藤淳子
◎芋虫に手の平をほめられている 稲葉千尋
きっかけは笑うことから枇杷の花 奥山和子
ロボットと二人ぐらしや文化の日 片町節子
○枯はちす立つ本能というひかり 狩野康子
日の影をふるいて穂草ゆるるかな 川田由美子
嗜むほどにまゆととのえり鵙高音 小原恵子
小窓よりさそり座入れて劇生まれ 齋藤一湖
異常なり歩のない将棋のような夏 佐々木昇一
白菜まっ二つ嘘つきの平和 清水茉紀
文鳥のめつむるしぐさ初しぐれ 田口満代子
冬三日月風の匂いの獣欲し 月野ぽぽな
ゆらゆらと歩けば綿虫に会える 中條啓子
無冠の夫草の実付けて戻り来る 船越みよ
茶の花や産着きるよう月のかさ 増田暁子
どんぐりが踏まれては自己責任論 マブソン青眼
白い皿ひとつ置かれていて無月 山田哲夫
昨日よりあおき感情小鳥来る 横地かをる
木の家に生まれ没後も木の実降る 若森京子

◆三句鑑賞

息絶えし白鳥に不思議な三日月 榎本愛子
 白鳥が息絶えたことで三日月は変貌したのか。そこにあるのは白鳥の骸と三日月だけの夾雑物のない交感の世界。三日月の細い光は白鳥のみに注がれ他の侵入を許さない。「不思議」という説明のつかない言葉が作り出した世界。また、三日月なればこそ、これが満月であればこの静寂は生まれない。

鰯雲ヨッシャヨッシャと拉麺屋 豊原清明
  暑かった夏も去り涼やかな空気の中、空の鰯雲を見て来し方行方を思ったりと、シミジミするのが鰯雲の世界感としてあるが、しかし、ここではヨッシャヨッシャである。既成の情趣から外れているのがとっても楽しい。ヨッシャの片仮名、拉麺の漢字表記が俳句としての効果を上げている。

背に積もる時間が邪魔でかいつぶり 松本勇二
  時間の堆積により今の自分が形作られ、それにより評価されたり、自身を縛り付けたりと過去の記憶は厄介だ。だが、生きているのは只今のこの瞬間。かいつぶりを見ていると、くるりと素早く潜水し水中の生き物を捕食している。その生の煌きの瞬間には過去の重苦しい時間などは邪魔なのだ。
(鑑賞・榎本祐子)

せせらぎに始まる妻の秋出水 川崎益太郎
  妻の感情を良く捉えていると思う。例えば日頃の夫婦の会話の、初めは笑い声や明るいやりとりが、何らかの切っ掛けで言葉の量が増え激しさを増す。多分、どこの家庭にもある事態なのだが読み手には、あれこれ詮索したくなってくる。いつものように妻を軽く躱す夫の愛情が感じられ、楽しく読ませて頂いた。

待ちぼうけはたぶん哲学一位の実 宮崎斗士
  作者の徒ならぬ感性に圧倒される。普通なら、待ちぼうけを食わされると気分の良いものではない。あれこれ待たされる理由を巡らすあたりを、哲学っぽく思う独特な性格が好ましい。真っ赤な一位の実を捉えたところがアクセントになり、ふわーっとした雰囲気が引き締まり、待ちぼうけを楽しむ余裕が見えてくる。

さうですか。さうですか僕少し泣く 横山隆
  「上五」「中七」の「さうですか」の違いを考える。シナリオのト書のように下五がきて、声の高さもスピードも違うのだ。報告を受けて、少し間があり中七は自身に言い聞かせるように。そして悲しみが膨らんでゆく。無季でこのような形の句に出会い、新鮮な衝撃と共にマンネリ化している自分の現状を考えることとなった。
(鑑賞・加藤昭子)

東京駅から鰯雲に乗り換える 小池弘子
 東京ではビルの狭間に刷毛で一振り塗られたような意志的な青空に出会う。人、ビル、車、声、さまざまな主張に疲れ帰路東京駅に。新幹線の座席につき、漸く一息つきながら、流れる車窓を眺めていると徐々に空が開け、鰯雲が見えた。そうだこれから地元の空へ帰るのだ。「鰯雲」に「乗り換える」とは実に饒舌な映像ではないか。

雁渡しまつげに海の重さかな 白石司子
  自分の視界には決して入ってこない睫毛の存在。マスカラなどで手を加えるだろう、他者へ開かれた身体の一部。身に北風を受けつつ過ぎゆく季節を思うとき、幾多の出逢いと別れ、さまざまな感情の水紋を思い起こす。「重さ」とは重量ではなく、己と他者を繋ぐ「海」の広がりであったに違いない。(「虎杖」掲載文を改稿)

こぼるるよう人はこうして鶯に 三井絹枝
  なんと抒情的で幻想的な世界だろう。樹上で歌っている鶯は、ちょっとしたきっかけで生まれ変わってしまった人間なのだ。慌ただしい日常にふと訪れる抒情のゆらぎ。陶酔でもあり、倦怠でもあり、自虐でもある情念の水たまりに作者は転生の兆しを見た。「こぼるるよう」に「人はこうして鶯に」なるのです。
(鑑賞・佐孝石画)

ピカソ展出て友の顔じっと見る 石川和子
  ピカソのゲルニカの後継作品に「泣く女」という女がハンカチを噛み大粒の涙を流している肖像画がある。キュービズムにて描かれたこの作品は美人画を鑑賞するように表層の美を愛で一瞥で通りすぎることはできない。「女」の顔はいびつであるが故に呻き哭く声が聞こえる。現実に返り、友の女の顔というものを深く見つめなおす。

芋虫に手の平をほめられている 稲葉千尋
  悲しいことに芋虫を愛でる人は多くはないが、芋虫とじーっと向き合ってお話ができる人は更に稀であろう。常に土に親しんでいる作者は、うごめく芋虫を手の平に載せ、アニマルとしての一体感と交歓の時を過ごしている。芋虫は通念としては醜なりと言えども、作者は芋虫をヒトと等価以上の存在であるとも謳っている。

小窓よりさそり座入れて劇生まれ 齋藤一湖
  オリオンの傲慢さに怒った女神ヘラは、さそりを地上に送り、その毒針でオリオンを殺した。この功を讃えられ、さそりは天に昇り星座になったが、現代の女神はそのさそり座を天の小窓より再び地上に誘い込み、地上の傲慢なるホモサピエンスをその毒針にて刺し殺す惨劇を始めるのであろうか。我ら人類よ、さそり座を天の小窓より入れること拒むべきや。
(鑑賞・竹内一犀)

◆海原集〈好作三十句〉武田伸一・抄出

形状の記憶なんです凍滝は 綾田節子
デカケルと冬のホテルの窓に書く 泉陽太郎
母去りし日葉うらに口づける 伊藤優子
「オレ」と言う母がたのもし春の土 上野有紀子
友達の結婚式って朧かな 大池桜子
吾が掌中に母の尿の温かし 大西恵美子
弧立せぬ程の弧独を雪もよい 荻谷修
冬木道まだ気にしてる「マルテの手記」 川嶋安起夫
つわぶきや被害者なのに謝って 木村リュウジ
濁酒や出雲訛りに諭さるる 黒済恭子
レトルトのお汁粉四つ女正月 小林育子
鰊漬けばりばり愛を食べていた 小林ろば
かりんの実ふとうちあけてくれた空 小松敦
枯枝で描いた円を抜け出せず 三枝みずほ
流れ星臍はここだぞ父祖の墓 下城正臣
誰が選びし検挙者リスト白泉忌 関無音
鳥たちの中へ狐火消えにけり 高橋橙子
谷さんが死んじゃった ベンチを探す三日 たけなか華那
梟のしまいは嗚呼ややのごと 椿良松
全員がフォークを語る成人式 鳥井國臣
雪道や世話焼かずとも転ばぬわ 中神祐正
五年目の獄舎で嚙み締む若菜かな 中川邦雄
釣瓶落しの音が身に沁む母に純 中野佑海
寒茜母の足裏をちみる眼 服部紀子
年玉は「君たちはどう生きるか」とす 平井利恵
冬すみれ木洩れ日に読む福音書 増田天志
水仙ひっそり窮屈な国です 松﨑あきら
悲しみが海鼠のかたちをして困る 望月士郎
小寒の日蝕国のあす問はむ 山本きよし
梯子乗ひと揺らしして技に入る 山本幸風

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