英国Haiku便り[in Japan]〈75〉特別版〈米国でのhaiku大会体験記・後篇「俳句の核心をアメリカ人たちと議論した」〉小野裕三

『海原』No.79(2026/6/1発行)誌面より

英国Haiku便り[in Japan]〈75〉特別版(3回連載ー3) 

俳句の核心をアメリカ人たちと議論した
~米国でのhaiku大会体験記・後篇~ 小野裕三

 ここまであまり触れなかったが、この大会では俳句とは離れた多彩なプログラムも用意されていた。ひとつは、オークション。会員たちが不用品や自作の品を持ち寄って展示し、それを会員たち同士でオークション形式で落札するもので、売上は協会の運営基金に充てられる。僕が日本から持ち込んだ小物も売れた。
 また、気功のプログラムもあった。デビッドさんという会員が、早朝に集まった有志に気功の手ほどきをする。僕も連日参加した。気功のあとで近くの海辺を散歩するのも気持ちがいい(写真1)。

 余談ながらこのときに、デビッドさんが砂浜に「Haiku forever(俳句よ永遠に)」との文字を書いたが(写真2)、そのうちに大きな波が来て文字は消えてしまった。するとその昼には噂が広まり、ランチのときに「ねえ、デビッドが書いた、俳句よ永遠に、って言葉が、永遠に消えちゃったって聞いたんだけど」とある人に言われて、これには笑った。
 なお本大会では五十周年ということもあり、協会幹部から会員の功労者への労いのプレゼントを贈る時間もかなり長く取られた。「あなたがいなければ、あれは実現できなかった、ここまで協会が来れたのもあなたのおかげ」みたいなことを一人一人に言っていく。日本だと、裏方はあくまで黒子役みたいなもので表舞台に出ない傾向が強いが、ここでは裏方が表舞台で丁寧に顕彰される。こういう文化は、見ていて気持ちがいい。
 ともあれ、そんな具合に大会は進行し、四日目の最終日を迎える。午前中には僕のプレゼンテーションがあり、「欧州の俳句」をテーマに、元・EU大統領のファンロンパイ氏の俳句観などを説明した。それだけでなく、例えばフランスの哲学者ロラン・バルトが、俳句には「人間のいない記憶」などを感知するとしたコメントなども引用。すると、例の歳時記プロジェクトを推進するフィリップ君がさっそく手を挙げて感想を述べる。
「ロラン・バルトが言っている俳句の特性はそのとおりです。そして、なぜ俳句はそれができるのか。それは切れですよ。切れがあるからです」
 そんなふうに、彼は「切れ(kire)」という日本語の単語を英語に織り交ぜて興奮気味に繰り返した。なんだか、「切れ」という言葉がいっぱしの哲学用語のように聞こえてきて面白かった。

 かくして、「Haiku Retreat 2025」と題された大会(写真3)は全日程を終了する。それで帰路に着く人もいるが、時間に余裕のある人にはさらに雑談会が予定されていた。ソファのある部屋に十数人が集まり、俳句について話す。それぞれが自分の句を披露して各自にコメントをもらう、という形で進行した。
 その順番が僕のところに回ってきたところで、こんなふうに切り返してみた。「自分の句じゃなくて、一般的なトピックでもいいですか?」
 頷いてもらえるのを確認して、僕はこんなテーマを持ち出した。
 俳句にとっての核心(core)は何か。
 つまり、それこそが俳句を俳句たらしめるものとは何なのか、という問いだ。それは、五七五なのか。季語なのか。その両方かも知れない。あるいはそのどちらでもなく、短さ・簡潔さかも知れない。あるいは、句会など「座の文芸」とされるあり方がそうなのかも知れない。
 実に根源的な問いをあえて米国の俳人たちにぶつけてみたのだけど、この議論は白熱した。返ってくる答えもまちまちで、統一的な見解は生まれなかった。
 ただ全体的な傾向として、季語を俳句の核心として支持する人が多かった印象がある。前述したが、英語圏で季語として認識されている言葉の数は、日本語でのそれと比べて圧倒的に少ない。それでも、彼らが季語を重視する、というのは興味深く思えた。
 一方で五七五については、英語俳句では次第に存在感が薄くなり、定型に則る作品数も減る傾向だ。この会である人がこんなことを言ったのが印象的だった。
「日本人の友だちが言ってたの。日本語での五七五のリズムは、彼女の脈拍のリズムとぴったりと合うんだって。でも英語で五七五にしても、そうはならない」
 実際、有季定型俳句協会という名前ながら、会員の近年の作品は、ほとんど五七五に則っていない。協会の歴史を振り返ってもだんだん五七五が減ってきているということで、英語に五七五は必ずしも馴染まない、というのはかなり一般的な認識になりつつあるようでもある。
 そこで僕は、高浜虚子の逸話を持ちでしてみんなに説明する。虚子が戦前にフランスを訪れて現地の俳人と会話した際、虚子は「五七五にはこだわるな、それより自然を詠むことを意識しろ」と言ったとされる、と。そのことに、何人かの参加者が頷く。
 そんな雑談会もやがて終わり、大会はいよいよ解散となった。その後、僕は協会幹部の自宅に二泊し、近隣の観光に連れ出してもらった。そんな合間に交わした会話の中で、興味深かった話がある。
 ひとつは、五七五の代わりのリズム、という話。以前にある人が、英語俳句には三五三くらいが適切かもと言っていたので、その話を振ると、「その制限だと英語古来(Ango-Saxon)の言葉しか使えなくなって、それ以外の出自を持つラテン語系の言葉とかがうまく入らないの」とのことで、彼女は最近は四六四を自分のルールとして試している、とか。
 もうひとつは、俳句に出会ったときの話。詩に興味がありつつももやもやとしていたという協会員のある女性は、図書館で手にしたhaikuの本を開いて、「これだ」と思った瞬間(「それは、ahamomentだったわ」と彼女は言った)があったと。そのように劇的にhaikuに出会った彼女の話に耳を傾けながら、逆に日本では俳句が周知の存在すぎて、そんな劇的な出会いの話は聞かないなあ、とも思った。俳句のことを詳しくは知らないアメリカ人だからこそ、成人になってhaikuとの劇的な出会いが起こりうる。この協会の多くの人たちがそんな劇的なhaikuとの出会いを体験しているのかなと思うと、それは少し羨ましくもあった。

〈米国でのhaiku大会体験記〉
◇4月号 前篇
 サンフランシスコからアシロマーへ

◇5月号 中篇
 歳時記、句会、そして連句の夜は更ける

◇6月号 後篇
 俳句の核心をアメリカ人たちと議論した

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