英国Haiku便り[in Japan]〈73〉特別版〈米国でのhaiku大会体験記・前篇〉小野裕三

『海原』No.77(2026/4/1発行)誌面より

英国Haiku便り[in Japan]〈73〉特別版(3回連載ー1) 

サンフランシスコからアシロマーへ
~米国でのhaiku大会体験記・前篇~
 小野裕三

 以前の連載(41回)でも書いたが、米国のカリフォルニアに本拠を置く、有季定型俳句協会という団体がある。毎年秋に「徳富記念俳句コンテスト」を開催し、過去二回は僕もオンラインで審査員を務めた。だが、今年(2025年)は創立五十周年とのことで、先方からは「ぜひ来てほしい」と依頼を受けた。以前には有馬朗人さんも訪問された、伝統のある大会でもある。そこで、思い切って現地に行くことにした。今回はそのレポートとなる。
 到着したのは11月のサンフランシスコ国際空港。まったく初めてなので土地勘も何もない。最初の数日は日本での三連休にも重なり、現地に慣れることも兼ねての市内観光に当てた。ここで特筆すべきなのは、シティ・ライツ書店。ジャック・ケルアックやアレン・ギンズバーグなど、ビート詩人がこの書店に集ったことで知られる。店の近くには、ジャック・ケルアック通りという道もあり(写真1)、書店の二階は「詩人の部屋」としてすべての棚が詩集や詩関連の本で埋め尽くされ、ケルアックの句集も棚にあった。ただし、その他に俳句関連の本は見当たらないようだったのはやや残念だった。

 そうは言っても、この地での日本文化の影響はあちこちに見られる。日系移民が作ったジャパンタウンや日本庭園もある。デ・ヤング美術館では展覧会「マンガの芸術」がちょうど開催され、日本漫画の原画が数多く展示されていた。
 そんなサンフランシスコでの観光のあと、サン・ノゼという町に移動。ここで初めて現地協会の人たちと出会う。これまでもzoomやメールでやりとりは続けてきたが、実際に会うと感慨深い。
「You made it !(とうとう来たね!)」
 初対面の先方の第一声がそれだった。
「Yes, I made it !」
 そう僕も応える。やっと直接に会えた、米国のhaiku仲間。懐かしいような新鮮なような、ふしぎな感覚だった。
 サン・ノゼの協会員宅に一晩泊めてもらったあと、いよいよ会場となるアシロマーへ。木造の古風な建物は、有名な米国の女性建築家によるものらしい(写真2)。歩いて数分で広大な太平洋を望める浜辺に着く好立地だ。

 初日は、「まずは吟行」とばかりに、小グループに分かれて近辺を散策。僕のグループが訪れたのは、灯台(写真3)、そして野生蝶の保護公園。ここでちょっとした出来事があった。灯台の女性スタッフがガイドをしてくれるということで、最初に部屋に集まった観光客たちに出身地を聞く。各人が米国の州名を答える中で、僕は「Japan」と答える。スタッフの表情が微妙に止まった気がした。それが気にせいでもなかったのかも知れないと思ったのは、灯台二階の展示説明を見たときだ。一階には灯台守の一家や灯台の仕組みなどの説明などがあるばかりだったが、二階はある歴史的な事実について触れていた。
 第二次大戦が始まった直後、侵攻してくるかも知れない日本軍を恐れて、この灯台は監視塔として使われた。実際に日本の潜水艦が近海まで来たという記載もある。そんな展示資料からかいま見えたのは、戦争が突然に始まって何をどうしていいのかと戸惑い慄く市民の姿だった。そうか、あの戦争は、海の反対側からはこんなふうに見えていたのか、と思い、展示の写真や説明を見つめる。
 その僕の姿を見ながら、ガイドの女性はまるで話を逸らすかのように、灯台守の説明に話を戻そうとする。そこで僕はその戦争関連の資料を指差して言った。
「これらの歴史的事実は知りませんでした。なので、とても感銘を受けました」
 すると彼女は言う。
「Oh, don’t think like that.(ねえ。そんなふうに考えないで)」
 あなたの先祖がやったことにあなたが縛られる必要はないわ。そんなことを彼女は言ってくれた。僕も何も言わずに、笑顔を返して頷いた。
 その夜から、ホテルでは大会での各種プログラムが始まった。まずは総括的な印象から語ってみる。参加者たちの雰囲気は、僕が海程・海原やその他の日本の俳句グループで経験してきたものとよく似ていた。そこは、国は違えど俳句に惹かれる人には共通点が多いのだろう。
 一方で日米で違う点も多い。
 ひとつの違いはいささか日程が長いことだ。週末も含むとは言え、計四日間の開催期間。また、日本だと吟行と句会の繰り返しになりがちだが、この大会は内容が極めて多彩なのも特徴的。句会・吟行はもちろんだが、有志の会員による出し物的なものがいくつも用意される。朝昼夜の食事での歓談はもちろん、夜には焚き火を囲んだ懇談もあるなど、多様なコミュニケーションの場が準備されていた。そして詳細は次篇に記すが、毎年「連句」を楽しむ時間も用意されているらしい。しかも、それは半分は仮装パーティの要素も含み、なので中にはスプラッター映画そのままの仮装で現れる人もいるなど、会場は盛り上がった。
 そしてそんな合間にも、参加者たちが次々と僕の前に現れては、俳句や日本文化に対する質問をぶつけてくる。haikuに真剣に向き合いながらも、haikuをエンターテイメントとして楽しむ。そんな姿勢が随所に一貫して見えた。
 少し余談ながら、こんな逸話も紹介する。夜の懇談の場で、芭蕉の句として、「松島や、ああ松島や、松島や」が議論され始めた。あ、それ、本当は芭蕉の句じゃないけど、と内心で思いつつ、指摘すべきかどうか少し迷った。だが、誤解を放置するのもよくないと思い、少し時間を置いてから、「ところでさっきの松島の句は、実は芭蕉ではなくて」と説明した。参加者は頷いて聞いてくれた。
 翌朝。
 一人の参加者が僕を見かけるや、両手を広げ、少し戯けた調子でこう言った。
「Asilomar, ah, Asilomar, Asilomar !(アシロマー、ああアシロマー、アシロマー!)」

◆次号は〈米国でのhaiku大会体験記・中篇〉「歳時記、句会、そして連句の夜は更ける」

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