『海原』No.83(2026/11/1発行)誌面より
特別寄稿
『成層圏』に内在する自由の扉(後編)
―金子兜太を視軸にして― 石橋いろり
前編では、『成層圏』草創期のことから、兜太が『成層圏』に入会するまでについてふれてきたが、後編では、草田男が監修に携わる経緯と具体的な『成層圏』のコンテンツについて追っていきたい。
◇『俳句研究』の座談会にて
『成層圏』の昭和十三年四月(通巻六号)で中村草田男が『成層圏』顧問を辞する発表をしてから、四か月後。昭和十三年八月『俳句研究』の「戦争俳句その他」がテーマの座談会で草田男の『成層圏』に対するコメントが掲載されたのだ。この座談会は、渡邊白泉(廣場)・中村草田男(ホトトギス)、佐々木有風(雲母)、加藤楸邨(馬酔木)、西東三鬼(京大俳句)、石橋辰之助(京大俳句)のメンバーで、六人の写真入りで掲載されている。( )内の所属俳誌は昭和十三年当時のものを加筆した。
「學生と俳句」の全容を次にあげると、
西東 高等學校の學生と俳句ですが、現在あなたの周囲はどんなですか?
中村 松山などですか?
西東 えゝ。
中村 松山は、近頃はとくに、あまり盛んぢゃありませんね。
西東 まァ、松山ばかりでなく…。
中村 松山高校に俳句雑誌があって、それを見てゐるんですけれども、それ以外の事はあまり知りません。
西東 各地の高等學校を通じて何か出来たんぢゃありませんか。できるという話をきゝましたが………
中村 何か、聯盟が出来たらしいんですが、本當は知らないんです。
佐々木 山口の高校に大分居ますね。だが、完成せられてゐるといふ方ではない。
西東 さういふ噂を聞いてをるんですがネ、(中村氏)をリーダーとして…
中村 あれには、私が何も努力を拂はないので、ずいぶん迷惑をかけました。それで、今では直接には強い結びつきはないわけなのです。
西東三鬼に高等学校の俳句と問われて、『成層圏』が全く出てこない時点で、意識の中でも薄いものになっていたようだ。草田男が顧問を辞して、四か月後ぐらいのことである。
◇しづの女の反論
これに対して、しづの女は、一年以上今か今かと純粋に草田男を待っていた学生たちの失望がわかるだけに彼等の擁護の反論を張った。
間髪を入れずに、昭和十三年十月の『成層圏』に「學生俳句聯盟は存在している」を寄稿している。
「學生の俳句のよさは其純粋さにある。」から始まり俳壇人は自己の後継者であるべき若き學生に対してどこ迄も純情であってほしい。自己の偏見や自己の術策のために彼等学生の純粋性を冒瀆しては大変である………此の事は、學生俳句聯盟誌成層圏に対して故意に黙殺された中村草田男氏に、特に傾聴を煩はしていただきたい。」
紆余曲折を経て、結果、昭和十四年二月の『成層圏』消息欄の筆頭に「◎中村草田男氏本誌顧問復活」と出て、その4か月後の六月の「遠信」として講評が開始した。
多年にわたって不義理のみを重ねて來たのが、成層圏に對する私の關係であった。
慈に初めて筆を執るとなれば、先、挨拶か謝罪か、或ひは一應の釈明かを申述べなければならない筈なのだろう。とにかく不言実行、次の數句に於て、遠慮のない感想をのべることから開始さしていただくことにする。
として、実際の講評が竹下龍骨、小川公彦、御幡尚志、里井節夫、竹下健次郎に対し、かなり丁寧に、向き合ったものがなされた。面目躍如に価するものだっただろう。
結果、全十五号の九号までがしづの女、十号からは草田男が加わることになる。しづの女の会員たちへの強くて深い母性愛が絡まり、草田男登場のストーリーが生まれたのだ。
詮無き事ながら、もし指導者に草田男でなく他の指導者がなっていたら、『成層圏』のカラーはどんな風合いをもって育まれただろうか。
『成層圏』東京句会には草田男も参加し、兜太は『成層圏』の膝を交えた生の句会を通じて俳句修行の道を歩んだことは相乗効果となったはずだ。兜太の他には、東大俳句会を主軸に、草田男、照波、珊太郎、秀夫、蓼汀、風車、彦星子、としほ、江夢、余寧、海一、春苺、汀白、睡草、亜秀、たかし、正夫など。(昭和十五年二月六日於有斐閣会場)
◇『成層圏』の俳論
『成層圏』の俳論は俳誌の骨格をなすもので、しづの女が俳人として魂をこめて文筆を振るった証しとも言える。しづの女の俳論として『成層圏』に掲載されていたのは、
「成層圏作家のテンペラメント」(五号、七号)
「学生俳句聯盟は存在している」(八号)
「フェノロサの言葉」(八号)
「俳句は環境諷詠詩である」(十号)
「不安を糧とせよ」(十号)
「新蝶古雁「」(二号、四号、六号、九号)など。
しづの女の文体は、漢詩に精通していただけあり、難解な漢字や熟語を駆使し、男勝りな印象を受ける。
たとひ吾々の詩性がこの十七音韻の俳句に盛るべく溢れやうとする事が屡々生じようとも、、吾々は楽しんでこの束縛に屈従するの喜びを失ってはならぬ。また、季の問題にしても、悪いのは季をマンネリズム化した平俗俳人の罪であって「季」そのものは赫として依然、俳句の骨格の椅子を奪はれることはない。(「フェノロサの言葉」(八号)の中より)
将来の俳句はどうなりますかと問われたしづの女は、「無季・有季の争ひなど断じて日本の俳句の将来性を動かしはしない」と答えている。
しづの女は、学生達にも俳論や随筆を求めた。毎号、学生たちの自由闊達な作品発表の場となっていった。自由テーマで香西照波「誓子鑑賞の覚書」、竹下龍骨「成層圏の使命」、堀徹「俳句革新の問題」など。
香西照波の企画で、草田男の句集『火の島』について鑑賞と批判をテーマに公募。結果、瀬田貞二「火の島」、堀轍「俳句の鬼神」、橋本風車「火の島」、尚扇山「火の島盲評(誌面の都合で不掲載)」など。草田男にとっても、意義深い作品となったのではないだろうか。
竹下龍骨の俳論「俳句の根本問題」が第六号(昭和十三年四月)に掲載されている。
十七音は果して規範性を有するべきであるか、此の問題は季の問題と共に俳句の根本問題の双璧たるを失わぬ、其の為に幾多の論者により色々討論され、又破調も実践された事実は疑うべくもない。五七五調と十七音の問題は内的連関により存在するものであり、破調の実践及存在は確かに十七音の規範性を否定する。斯くて十七音の規範性は俳句の本質よりして、一応棄却せらるべきである。………
依って最短詩としての俳句文学が如何にすれば他の文学に対抗出来得る丈の感動持続時間を保持することが出来たかと云う問題の研究こそ、俳句の本質を決定するものでなくてはならない。
優れた俳句とは、作品の有する客観的評価によりて与えられるべきであり、此の客観性は、作品に内存する美の意識に誘発せらるゝ感動に淵源して居る。
自選句制については、しづの女の「成層圏作家のテムぺラメント」(七号)に、
成層圏作家は悉くと稱していい位に、皆、優れたテンペラメントを有ってゐる。作品は尚ほ成長の道程に上ったばかりでわかいけれど、其氣稟の高い事を疑ふ者はあるまい。
この各自の氣稟を少しも歪曲する事なく各自の個性に従って發表し研鑽する成層圏作品が自選句制を標榜せるのも故があるのである。
選者に依らず自選を以て世に問ふ自己の作品に對して作者は始めから終りまで其責任を負ふべき道徳がある。
〈閑話休題〉
九号「發光點」の久保一朗の句が笑えた。
瀬音背に寒林過ぎる風をみる 水高 金子兜太
猛勉強中 専修 久保一朗
とあった。この手があったのかと感心。また、それを受け入
れている『成層圏』も懐が深い。
しづの女の期待
しづの女の次男健次郎は成層圏の選句をしている母しづの女が、ある日「この子は伸びるよ」と母のペン先を覗き込むと、「兜」という字の奇妙な名前に吃驚した(『パロディスト教授のつぶやき』)
◇相互批評
第二号に久保一朗(創刊時の発行者であり、高校學生俳句聯盟會代表)は会員に向けて、
成層圏作品に關する會員諸君の相互批評を寄稿して下さい。相互に腹蔵なき意見を闘すことが如何に各自の向上道であるかは言を俟たぬことであります。愉快に闘論して親交を
温めやうではありませんか。
A組、B組に三人ずつ分かれ輪評していく。第九号のA組に(兜太、小川公彦、永井皐太郎)が前号の句について相互に批評し合う、B組も又しかり。
兜太の一二句に対し、「小川評」として
台風過夕餉の汁を熱く啜る 兜太
劈頭 此の句に非情な親しみを感じる。
地震の後月明いよゝきはやかに 兜太
動後静。両句共通する感情を含んでゐると思ふが、後の句に魅力を感じない。啻に温かい夕餉と冷たい月明りとの差のみではあるまい。地震の後に見えるものは、偉大なる現實に對する表現不足の説明である。私は台風の後に見出される親しみ深い説明を好む。
空青し冬くる學舎の群がりに 兜太
夕雲り麥生の靑が頭にしみる 兜太
遠蛙夜に校舎の息づける 兜太
ここに作者の主観は下痢をしてゐる。三句共後半に消化剤を必要とする。
同じ句に対し、「永井評」では、
台風過夕餉の汁を熱く啜る 兜太
気分は實に良く出てゐるが「熱く啜る」に問題があらう。(略)工夫ありたい。
地震の後月明いよゝきはやかに 兜太
一句すつきりとして主観が動いてゐる。今回の佳作であらう。尤も之の功績は感受性にあるのであり句法上「地震の後」が絶對の言ひ方とは思つてゐない。
小川の十句、永井の一二句に対しても同様な批評が加えられていた。
第十四号の兜太の句評は、開口一番、
「小川、岡部、田中(邸)」三君の作品は失敗である。(略)岡部君のは詩の一句に過ぎず、小川君は内部燃焼の不足あり、田中君のは「きびきびして愉快」などと云ってゐる限
り到底深淵など豫想出来ない。
相互批評は若さゆえなのか、誠に歯に衣きせぬ物言いだ。なれあいではない会員相互の批評により切磋琢磨し合うことができていたのではないだろうか。
『新蝶古雁』
しづの女の俳論が初学者のための俳句本質論として三回ほどシリーズで掲載された。この新蝶古雁は、新たな命の誕生として「蝶」が自由に春野を飛びまわり、その上空を雁」は役目を終えたように去っていく。新春の情景を意匠的に描き、意味を含めたわけだ。出典は、令和の元号と同じ『万葉集』巻第五の大伴旅人宅の梅花の宴の漢文の序文から。漢文の素養のあるしづの女らしいネーミングである。
『新蝶古雁』より幾つか抜粋すると、
▽「季」を鉄則としたものは俳句のみ。西欧の十四行詩、和歌、川柳、漢詩、長歌にはない。
▽「季」と「歳時記」の混淆を是正せよ。「季」自然の季で絶対のもの「歳時記」は人為的なもの
▽正統俳句は、外的形式を守る
▽「季」を俳句の骨格とも重要視した感覚。自由律俳句を否定。
▽吾々が実際句作の態度としてこの「季」を他人の概念や古人の観念より一旦開放し普通の詩語に還元して、改めて自己の「季」としての季語として活用するの要諦を忘れさえしなければ…。
▽俳句の内容は広義には「人生」そのものであり、俳句作品の価値はその人生をいかに観じ、いかに取り扱ったかの形式にて決まる。
▽俳句は遍照無碍、自由闊達に主義の人生を詠うべき。
▽廃頽した天保・明治の低俗なる発句から正岡子規は俳句を新しい文学的なものに育てた。だが、まだそれは似而発句にほかならない。蕪村より前の山崎宗鑑の俳句まで遡るべきだ。
▽荒魂(あらみたま)という意志的主知的要素と和魂(わこん)という在来の和歌の抒情性の両方が必要。
▽俳句に知性と思想とを導入しようとした。
「自由と知性を教養する學徒の理想的集団」であると『成層圏』のことをしづの女は断言していた。彼女が望んだのは、会員たちが自由闊達に、論理武装してはっきり旗幟鮮明する姿勢を俳誌を通じて育てたかったのではないか。軍国主義の風吹きすさぶ中、自由な思考、その反骨の精神を『成層圏』の中で個々に芽生えさせたかったのではないか。「自由」であるということ、それこそがその後の兜太の生き方を決定づけたと思えるのである。
兜太は自由に開かれた『成層圏』の中にいて、戦争にひた走る鬱屈した時代に生きながら、自己の解放がなされたのだろう。『文藝春秋』の表題には、「感性の硬直に逆らう俳誌『成層圏』」とあった。兜太は、
感性こそ本物であって、論理を得たときは嘘になるという思いに繋がっていたから、思想は生活の中で肉体化されたとき本物になるとも思っていた。したがって思想を直ぐ体系化し、定式化して押し付けてくる風潮には感性の柔軟さが欠けている、と苛立っていた。国家思想を宣伝し、軍国主義などという図式に随って物を考えさせられる時代の硬直が鬱陶しかったのだ。
軍国主義の真っ只中、『成層圏』に漂う感性の柔らかさ、自由な空気。多分、電気が走るように合点がいったのだと思う。
今更ながら、『俳諧自由』の精神が入魂された一冊、それが『成層圏』だったのではないだろうか。〈了〉
〈主要参考文献〉
『成層圏』(全15号)
坂本宮尾『竹下しづの女』
竹下しづの女・龍骨『竹下しづの女・龍骨句文集』
角川学芸出版『鑑賞女性俳句の世界第一巻』
横山房子『横山白虹の世界』
栗田靖『山口誓子』
伊丹三樹彦『日野草城』ほか


