震災に関わる俳句を高校生とともに作ることで抵抗する 中村 晋


『海原』No.36(2022/3/1発行)誌面より

〈特別寄稿〉
震災に関わる俳句を高校生とともに作ることで抵抗する
中村 晋

陽炎や被曝者失語者たる我ら 晋

 私は、福島市在住の一高校教諭です。現在伊達市の夜間定時制高校に勤務し、国語の授業を担当しています。その傍ら、俳人としても作品を作り、2019年にはささやかながら『むずかしい平凡』という句集を自費出版しました。現在54歳。
 俳句を始めたのは1995年。2005年から金子兜太(1919〜2018)に師事し、同時に俳句を教育の場で生かすことはできないかと考えるようになりました。と、そんなときに2011年の大震災と原発事故。言葉を失うような現実に右往左往し、どう考えどう行動すべきか途方に暮れるような日々を過ごすことになりました。拙句は震災から約一か月後、ため息のように生まれた句。福島に住んでいなくとも「失語」した思いを持った方は少なくないのではと思います。
 当時、私は福島市内の夜間定時制高校に勤務していました。五月のある日、授業の余談の中で、爆発した三号機の状態がよくないことに触れると、ある生徒が激しく反応しました。
 「原発なんか全部爆発してしまえばいいんだ。こんなに汚染がひどい状況なのに、俺たちは避難させてもらえない。俺たちは経済活動の犠牲になって見殺しにされてるってことだべした。」
 私は、彼の洞察の鋭さに感服しました。しかし一方、彼らにこのようなことを絶望を語らせる大人としての不甲斐なさや大人社会への不信感を募らせてしまったことへの申し訳なさを感じたものでした。彼らに信頼される教育とは何か。若者を経済活動の犠牲にするのではなく、命そのものの尊さを実感できる教育とは何か。以来、命の尊さを生活実感から捉えなおすことを心がけてきました。そしてその一環として生徒と俳句を作ることを目標にしてきました。「俳句」によって私たちの生活の基盤を考え、できれば取り戻す。そんなことを目指し、生徒たちに震災の記憶を俳句にする指導を細々と続けてきた次第です。以下、震災後の高校生の俳句を紹介したいと思います。

放射能悲鳴のような蝉時雨 服部広幹

 2011年作。まだ福島市内の汚染度は高く、不安が生活を覆っていた時期の作品です。「シーベルト」や「ベクレル」といった耳慣れない言葉がメディアから毎日流れていました。そんな夏のある日、作者は蝉時雨の声を聞き、そこに人々の悲鳴を感じた、というわけです。放射能汚染から逃れられず、普通の生活を強いられる当時の不安が、今もリアルに感じられる句として、印象に残っています。

空っぽのプールに雑草フクシマは 菅野水貴

 2012年作。被曝を避けるため、当時、水泳の授業は行われませんでした。夏になってもプールに水は入らず、誰にも見向きもされないむなしい様子が「雑草」に象徴されています。「フクシマ」というカタカナも効いています。原発事故によって汚染されると、一瞬にしてすべてがむなしくなる、そしてそこに住む人間もこの「雑草」のように見捨てられてしまう、そんなことを思わせられるような一句。しかし、「雑草」とはいえこれもひとつの命。むなしい「空っぽのプール」にわずかながらの希望のかけらを作者は見ているのかもしれません。当時の複雑な気持ちが蘇る作品です。

被曝者として黙禱す原爆忌 髙橋洋平

 2014年作。作者は飯舘村出身の生徒。文芸部に入部してきたものの、どこか自信なさげで、引っ込み思案。文章を書いても当たりさわりのない、無難な言葉ばかり。そこで、もっと自分の体験を俳句にしてみたらいいのではないかと勧めてみました。すると彼の中からこんな句が生まれ、私も驚きました。おそらく八月の広島または長崎の記念式典をテレビで観ながら、いっしょに黙禱しているのでしょう。しかしそれは他人事ではない。自分も「被曝者」なのだという悲しみ。「被曝者」という言葉がとても重い一句です。広島、長崎、ビキニ、チェルノブイリ、そしてフクシマ。どれだけ被曝者を増やせば、核被害はなくなるのでしょうか。同時作に「無被曝の水で被曝の墓洗う」「フクシマに柿干す祖母をまた黙認」もあります。

放射能無知な私は深呼吸 髙橋琳子

 2020年作。震災から十年近く経とうとしている時期に、授業の中で記憶を振り返りながら作ってもらった作品です。震災当時まだ幼かった作者は、放射能の危険について何も知らなかった。そして、あのとき自分は思い切り深呼吸して生活してしまった、という悔いに似た思いを率直に吐露した作品。季語もなく、ぶっきらぼうな一句ですが、妙に響くものがあります。本当に危険なことが起きても、何も知らされず、危険にさらされる無辜の人びと。しかし、大事なことを隠し、人々を危険にさらす国や企業の責任は一切問われない。この一句にはそんな不条理への疑問が投げかけられているように感じます。

 震災からまもなく十一年。昨年は東京五輪も行われ、今となってはあの事故もなかったかのような錯覚に陥りますが、生徒たちとこうして俳句を通じて関わってみると、まだ心の傷というものは癒えていないと感じます。その一方で、これからは直接には震災を知らない世代が増えてくるでしょうから、記憶の風化が喫緊の課題になることとも思います。
 今、福島県では、記憶を風化させない取り組みに力を注ぎ始めました。昨年オープンした「伝承館」の存在はその一つと言えるかと思います。また、県の教育委員会が「高校生語り部事業」という試みを始めました。ただ、これらの動きに私は疑念を抱いています。結局は、国や企業、行政にとって都合の良い記憶だけが語られるに過ぎないのではないか、記憶の風化を防ぐと言いながら、実は記憶の改竄をするだけではないか、と。
 記憶を改竄されないために私たちはどう抗うべきか。

フクシマよ埋めても埋めても葱匂う 野村モモ

 2015年作。震災から数年が経過すると、だんだん震災当時の記憶も薄れ、俳句にするのが難しいと訴える生徒も増えてきました。しかしこの作品は、当時を振り返り、自分が観た映像を、「匂い」という感覚とともによく捉えなおしていると思います。埋められているのは葱ですが、しかし人間の営みの一部でもあります。この句を一読し、思わずナチスのホロコーストを連想しました。本を焼く者は人間をも焼くと言いますが、この場合は、葱を埋めるものは人間をも埋める、のではないか。こんなことを続けていると、自分たちも埋められるのではないか。そんな問いをこの句から突き付けられるようです。

除染とは改竄である冬の更地 晋

 掲句は2020年作の拙句。私としては、生活の現場や個人の実感から、小さくとも手ごたえのある言葉=俳句を子どもたちと作り続けたいと考えています。

〈認定特定非営利活動法人原子力資料情報室発行の「原子力資料情報室通信」571号(2022年1月1日)より転載。同法人のホームページアドレス 原子力資料情報室(CNIC)| 原発のない世界をつくろう。たしかな情報と市民のちからで。

〈特別寄稿に寄せて〉
小さくとも大きな力 中村晋

  牛逝かせし牛飼いも逝く被爆地冬
  落ちゆく陽へまだフクシマを耕す人
  シリウス青し未来汚した星の行方

 福島に関する句はとにかく試行錯誤の連続で、何が成功で何が失敗なのかやってみないとわからない、そんな状況はこの三句でも同じです。それを今まで俳句をやったことのない生徒たちとやろうというのですから無茶と言えば無茶。でも、生徒たちは意外と答えてくれるのです。そこに希望があると言えば言えなくもない。
 原子力資料情報室へ寄稿した拙文ですが、この二月に英訳され、インターネットで発信されました。
Resisting through Composing Haiku about the Earthquake Disaster with High School Students

「こんな文章が英語になるの?」と驚きますが、編集部がグローバルな問題と見てくれたようです。また、原発事故はエネルギーや気候変動にもかかわり、つまりそれは未来の問題でもあります。俳句という文芸も科学やグローバルな世界とつながる時代が迫っているのかもしれません。
 小さくとも大きな力がある俳句。この可能性を今後も探っていこう。そんな思いを強くしています。

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