俳人兜太にとって秩父とは何か⑤ 岡崎万寿

『海原』No.25(2021/1/1発行)誌面より

新シリーズ●第5回

俳人兜太にとって秩父とは何か 岡崎万寿

 (承前)

 ⑵ 土の自由人――俳人兜太の哲学考

 思想・哲学といっても、兜太の場合そんなに難しい話ではない。まず兜太が旧制水戸高校生だった頃の、ある読書のエピソードから始めよう。
 ある時、柔道部の先輩から「おい兜太、高校生になったら、この三冊だけは読んでおけ」と、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』、西田幾多郎の『善の研究』、そして倉田百三の『出家とその弟子』を挙げられたそうだ。
 それから七十数年たったある日、兜太はその水戸での講演で、「学生の頃に読んだ本についてしゃべってくれ」と頼まれた。そこでとっさに浮かんだのが、その三冊。読み直してみた。そして、その講演で話した読後感を、「『純粋経験』という洗礼」と題するエッセイで語っている。ここでは『善の研究』にしぼって紹介しよう。

 読み直していちばん役に立ったのは、『善の研究』だった。いまでもまことに印象的でしたねえ。
 青年期の私に、思想とは何かということを教えてくれた貴重な本であったと思います。基本の概念は、純粋経験。純粋な感覚から出発した経験の世界。既成概念のまったくない世界。自分だけにある世界。そこから出発して、それを思想として深めていくことが大事だと、西田は言うわけです。(中略)
そういう時代だったから、自分の純粋経験から出発してすべてを考えろという『善の研究』は、バイブル以上の力があったんですなあ。以来、私の純粋経験は、「良い、悪い」を判断する物差しとなった。これが今でも自分を律している考え方の基本です。(『悩むことはない』所収・二〇一三年刊)

 なるほど、と思う。二つの意味で、秩父の自然児で自由人の兜太らしい言葉である。一つは、戦時下の当時、いわゆる「皇国史観」がうるさく横行していた世相だっただけに、自分の「純粋経験」からすべてを判断するといった姿勢は、時代に抗う自由の精神であったこと。二つは、自らの思想を選択する方法として、「純粋な感覚から出発した経験の世界」を据えたことは、秩父に育ち、土の上に立つ知的野性を憧れ、自由人を目指す兜太の生き方に、まさにぴったりのものだったことである。
 そのように兜太は、当時の学生たちに人気のあった『善の研究』の「純粋経験」については、学び己れの方法論としたが、それでは西田哲学自体についてはどうだったのか。そこには兜太流の選択があった。

 では、私は西田幾多郎を尊敬したかというと、しなかった。あのややこしい弁証法の真髄を究めたか? まさか。俺は弁証法を弄するようになってからの西田幾多郎は嫌いなんだ。(前掲書)

 つまり兜太は、いかなる東西の秀れた思想家・哲学者であろうと、一つの学風に心酔し受け売りするようなことは、皆無だった。『俳句日記』をみても旺盛な読書家で、幅広く多様な古今の書物を読んでいるが、この自らの「純粋経験」に照らして選択し、自分の頭で考えて吸収すべき思想・哲学は、生涯を通じて吸収し、わがものとして肉体化している。
 ここが俳人兜太の思想家としてのすごいところだと思う。今回、刊行された『俳句日記』や関連する書籍を大観して、私は自由人兜太の思想・哲学の中に溶け込み一体となっている古今東西の思想・哲学は、結局、五つに絞られ総括されていることを確認した。小論のテーマに即して簡潔に、データをもってそのポイントを概観してみよう。

 ①は、先にも取り上げた古代中国の老子・荘子の老荘思想である。よく「無」「空」といわれる、「無為自然」の真の自由への道を教えている。青年兜太は秩父の人びとの貧しい暮らしを見ながら、精神の放浪を感じ、その思想に早くから興味をもっていた。そして――。

一九七一年(十一月三日・52歳)
サッパリと眼がさめる。……思想の体系はある。しかし、それを貫ぬく〈生活〉の心底が、なお不十分であったわけだが、やっと決ってきた。そして、〈毅然たるもの〉の根は、〈無〉の体認である。

一九七四年(五月七日・54歳)
夜明け、「無と空」のところの新しい書きかたが開ける。……やはり、自分の方法でなければダメで、そのときのなめらかさ、さわやかさを知れ。

『二度生きる』(一九九四年刊・74歳)
私が田舎っぺだからできたのだと思います。土にくっついて生きてきた人間は、いい意味のニヒリストです。帰るべき、立つべき土があると思うと、徹底して虚無になれます。すると徹底して新しいものが生まれてくるのです。老子が言うように、虚から有が生まれるのです。

 小論の㈡でふれた処女作「白梅や老子無心の旅に住む」から、この時点で五十数年、兜太は相変わらず無と空を語りつづけている。老子、荘子のこのタオの世界は、俳人兜太にとって、魅力ある人生的なテーマであったのである。
 ②は、このところ、また新たに読者を広げている大著『資本論』を書いた、一九世紀のドイツ人経済学者、思想家のカール・マルクスの思想体系、マルクス主義である。兜太が敗戦の翌年(一九四六)十一月、復員帰国して秩父に帰る途中、東京のバラック建ての本屋で最初に手にしたのが、古ぼけた岩波文庫のリャザノフ著『マルクス・エンゲルス伝』だった、という。
 兜太の『わが戦後俳句史』によると、このマルクスとの出会いは感動的だったようだ。

 私は文庫本を読みつづけて読了しました。その読了のところに、マルクスの墓に記念碑を建てることにマルクスの娘たちが強硬に反対し、エンゲルスもベーベルもそれを認めたこと、そしてエンゲルスの遺骸は火葬に付せられ、その灰を納めた骨壺は海に沈められた、という数行があったのです。この数行が私の涙腺を刺激し、さらに脳髄ふかく突き刺さりました。
 この感動はおもいだすだに鮮(あら)たなもので、翌年二月、とにかく一応日銀に戻って、と気持を決めたときも蘇ってきました。そして、こんな句が湧くようにとびだしてきたものです。
  死にし骨は海につべし沢庵たくあん

 マルクス伝から青年兜太が受けたこの強烈な感銘は、先に述べた兜太の「純粋体験」に強くふれ合うものがあったからに違いない。そこで兜太は、マルクスの、その思想というより人間的なもの、つまり「行動における自己犠牲と思想における自己中心(集中)」といった志向を受けとっているようだ。
 それが後年の『俳句日記』になると、マルクスの科学的社会主義の「自由と公正、民主主義と個性の発展」といった、その真髄をつかんだ内容で記述がいっそう明瞭となっており、驚かされる。

一九六七年(一月二十日・47歳)
要するに独占資本主義文化(芸術、倫理、道徳)の軽薄さに、自分がグズグズ拘泥していたということを朝、皆子と喋っていて気付く。何んというマルキスト。はっきり対決しているはずなのに、思わず巻きこまれようとしていた。いけない。はっきり対決することによって批判の自由な振舞い(その自然児ぶり)があり得るではないか。

同年(十一月二十五日)
その自由をより享受し得る条件は〈自由競争〉の資本主義より、公平を眼目とする社会主義にあり、とも思い、やっとほっとする。ときどき頭を整理しておかないといけないのが辛い。

一九九二年(二月六日・72歳)
現俳常任幹事会で、村井氏がマルクス経済学はつぶれましたね、というから、とんでもない、これから大事になる、と答えておく。資本主義肥大に伴う矛盾(醜悪なエゴ)露呈に対して、「社会主義」の精神と施策が必要。

 こうした「自由な社会主義」の精神については、フランスのサルトルも、兜太と同様、先の世界大戦で出征、戦場と捕虜生活の惨い体験を経て、作家、思想家として積極的にコミットしており、理想と現実の間で苦悩しながらも、生涯かけて追求している。
 また今日、グローバル化した世界資本主義が、貧困と格差拡大、地球環境の破壊、新型コロナウイルスによるパンデミックなど、危機的にその矛盾を顕在化しているもとで、「自由な社会主義」への新たな期待が広がっているのも事実である。
 しかし、兜太が『俳句日記』に記している、このマルクス経済学についての発言は、一九九一年八月にソ連が崩壊し「マルクス主義は終わった」というキャンペーンが、世界を覆っている最中のことだけに、改めて兜太が自らのものとした思想の確かさとその勇気に、感銘を新たにする思いであった。
③は、江戸中期に秋田藩で生まれ、医者で思想家として、特に戦後、一般に知られるようになった安藤昌益のスケール壮大な「土の思想」である。戦後GHQの一員として来日した日本生れのカナダ人外交官で、歴史家のE・H・ノーマンが、一九五〇年に刊行した『忘れられた思想家―安藤昌益のこと』(岩波新書)によって、その条件が開かれ世界的に有名となった。
 兜太も早速その本を読み、先の「純粋経験」の感応を鋭くそそられたようだ。『中年からの俳句人生塾』で、こう書いている。

 復員した私のけた頭を、いく冊かの本が泉のように潤してくれたのだが、その一冊にE・H・ノーマンの『忘れられた思想家』(岩波新書)があって、わたしはここで語られる安藤昌益に甚く惹かれた。そして、かれが、「朋友を求むることなかれ、而も友に非らずといふことなし」といい、弟子が注記して、この世の中に「人は万万人にして一人なれば誰をか朋友と為さん。万万にして一人乃(すなわち)朋なり。故に朋友に非らざる人無きなり(云々)」と記すのを知って、出澤先輩や長谷川先生の自由人像を思い出していたものだった。

 ここで兜太は、初めて知った安藤昌益の特異な思想にひどく魅了され、その自由人ぶりを旧制高校の頃に憧れた先輩、教師たちの自由人像と、思いをダブらせている。さらに続く次の文章は、昌益思想の根幹にふれる部分である。
 
 「転定は自然の進退退進にして無始無終、無上無下、無尊無賤、無二にして進退一体(いったい)なり、故に転定に先後有るに非らざるなり。惟(ただ)自然なり」――「転定」は「天地」という文字を書きかえたもので、「これによってその聖性を剝奪した」と、研究者安永寿延氏は書いていた。

 ここで登場している安永寿延は、戦後の昌益研究者で一九七六年に平凡社選書の『安藤昌益』を公刊している。この兜太の一文は、その本を読んでの見解であり、ノーマンの本から四半世紀後のこと、兜太の昌益研究の執念を伺うものである。
 ここで昌益の「土の思想」の特徴を、その大著『自然真営道』から二点に絞って要約しておこう。
 一点は、「自然」の根源を「土」と位置づけ、そこから宇宙のすべてが発生し、「無始無終」に自己運動をしているという「土活真」の思想である。その「活真」とは活きた真実性、つまり先の兜太が引用した「自然の進退退進」として自ら運動する宇宙の存在、エネルギーのこと、その自然と人間とは調和し、「天人一体」であると説いている。
 二点は、この自然・人間の世界は皆平等、「互性妙道」の法則性をもち、上下、貴賤、男女の差別は本来無く、土を耕し食物を得る「直耕」をもって、思想の中核としている。そして汗する農民からの搾取は「不耕貧食」であって、それを正当化する既存の宗教・イデオロギーの「聖性を剝奪」し、理想の「自然世」を目指そうと言う、徹底した変革の思想である。
 それが十八世紀の江戸・享保の時代に、奥州秋田にあって町医者で暮らしをたて、周囲の敬信を集めつつ身の安全を守り、その制約の中でよくぞと言える、日本思想史に残る独特の先駆的思想を構築し草稿にしている。その昌益の思想をアニミズムと受け取り、親しく自由人と呼んでいるところが、兜太的だと思う。
 ④は、二十世紀後半、日本でも圧倒的な人気を博した、フランスの先に述べた世界的な作家・思想家のサルトルの思想である。『俳句日記』などで、兜太はわがことのように多く語っている。

一九六四年(十一月十日・45歳)
サルトルのノーベル文学賞辞退について……よくぞ賞を拒否したものだ。小生の場合など、チンピラの賞でも、とても出来まい。サルトルという男の思想と精神を、改めて見直す気持。

一九六六年(十月三日・47歳)
サルトル「知識人の役割」は思考力ということについて教わる。……道徳論ではなく純理論として、知識人の「精神」を語る。

一九七五年(三月十三日・55歳)
昨夜……電話があり、「定住漂泊」に感銘したこと。あのなかの「無」は、生と死を超脱した「無」かどうか、の質問があったことを思い出す。サルトルの「即自的存在」と老子の「無」を重ねて説明しておいたが、そこに「純動物」をおく。

「兜太大いに語る」(「俳句界」二〇一一年九月号)
それに、私はサルトルの実存主義の影響を強く受けているから、彼のアンガージュ性(意思的実践的社会参加)という考えが私の中にあって、態度という言葉をつくらせたのではないでしょうか。社会性とは、生きている人間が、積極的に社会に向かって参加することだと。

 サルトルは先の大戦で歴史に翻弄された自らの体験から、二度と自由を蹂躙されないため、「アンガージュマン(社会参加)」の文学を提唱し、実行した。それは大きな反響をよび、兜太もわが生き方として大いに共鳴している。

 自由であるとは、自由であるべく呪われていることである。(『存在と無』)

 人間存在の究極の自由に賭けた、サルトルの言葉である。
 ⑤は、サルトル(一九〇五~一九八〇)と並んで二十世紀最大の哲学者の一人と言われる、南ドイツ生れの実存主義哲学者、マルティン・ハイデッガー(一八八九~一九七六)の思想である。
 ハイデッガーが第一次世界大戦に観測兵として出征した体験をもち、戦後社会の不安と絶望を見つめる中で、死を人間存在の中心におき、「現存在(ダーザイン)」を存在の意味を考える出発点とする、独自の実存哲学を論じている。兜太は、その人間存在、人間そのものを洞察したハイデッガーの思想と、長年真剣に取り組んでいる。

一九七四年(七月二十五日・54歳)
欠勤して、一日読書。……夜、筋をかためる。日中は、「存在」と「存在者」について、ハイデッガーとサルトルのものを調べる。

一九八三年(七月十三日・63歳)
昨日、今朝と、ハイデッガーの「現存在」という基本概念が私なりに分ってきた気持。それにしてもこの語宜し。秩父の踊、句の思い出のなかにうかぶ〈人間〉。〈人間そのもの〉。
一時半から嵐山の国立女性教育会館講堂、県中学校長夏季研究大会で一時間半喋る。「俳句と郷土」。秩父音頭のことなど。

同年(七月十六日)
浦和の市民会館へ。県民大学開校式に当っての講演「地域文化の活気」。二日前同様、秩父音頭の由来と俳句の雰囲気、そして、〈基底的〉ということ。つまり〈人間そのもの〉〈土〉〈ふるさと〉ということ。今回はハイデッガーの「現存在」は出さず。

 ここでハイデッガーが説く「現存在」とは、「気づいたらすでに現実に存在しているのがわれわれだ」と言うこと。その「存在者」たるわれわれ人間がどう「存在」するか、どのような生き方をしているかを論じる、少し小難しいハイデッガーの哲学の話を、ふるさとの秩父音頭や句会の様子などと結んで、楽しそうに講演しているところが、いかにも兜太らしい。テープが残っていれば、聞いてみたいところである。

(次号へつづく)

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