『海原』No.80(2026/7/1発行)誌面より
第4回兜太祭 レポート(一部抜粋)
とき:2026年4月18日(土)~20日(月)
(有志一泊吟行含む)
ところ:秩父長瀞「長生館」
(有志一泊吟行は「養浩亭」)
●第一日●墓参と壺春堂吟行
若い住職さんと戦時下の成績表 小野裕三
兜太祭初日。秩父地方は快晴。例年どおり、まずは総持寺のお参りから。今年は兜太先生のご子息の眞土さんとともに、お寺の若い住職さんが出迎えてくれた。前の住職さんが亡くなり、息子さんが跡を継がれたらしい。
「もう、潔く逝っちゃいましたよ」
とは、奥さんの弁。それからはしばらく、前の住職さんの思い出話に花が咲き、参加者は遺影に線香をあげる。
それから、金子家の墓地へと歩く。敷地の入り口に立つ木が、小手毬なのか大手毬なのか、が参加者たちのちょっとした議論となる。若い住職さんが説明する。
「この木の隣にお地蔵さんがあるでしょ。これは、僕が生まれたときに置いたものらしくて、この木もそのときに植えたそうです」
金子家の墓前で読経をしたあと、前住職さんの墓前にも足を運ぶ。八百年ほど昔に創建されたこの寺の、代々の住職の墓石がずらりと並んでいるのには参加者たちもびっくり。
本堂の脇にあった池に水がなく、「あれ、去年、ここでおたまじゃくしの句を作ったのに?」と声があがる。雨が降らないので、山のお水が涸れたらしい。それでもおたまじゃくしたちは、小さな貯水槽へと卵をお寺の人たちが運び出したので、今年も元気に生きているという。帰り際には、奥さんからお手製の銀杏味噌を一人ひとりお土産で手渡される。
「銀杏味噌のラベルの文字は、兜太さんのなんですよ!」
と誇らしげに話す奥さん。
中庭では、参加者が眞土さんを囲んで談笑。やっぱり兜太先生に似てますよね、との参加者からの声に、「いやあ、僕はおふくろに似たいんだけどね」と答えて、周囲を笑わせる。

そんな朗らかな時間を過ごしたあと、一同はバスで壺春堂へ。
眞土さんも予告していたが、今年は目玉展示があって、それは兜太先生の大学時代の成績表。入り口すぐ近くに展示され、さっそく参加者が群がる。経済学部の履修科目の中に、「殖民政策」などもあるのが時代を感じさせる。それ以外にも小学校・中学校時代の作文や写生画なども展示されていた。
奥の部屋には、海軍時代の軍服や、若いころの肖像画も(自画像ではなく、友人等が描いたのでは、と推察される)。肖像画には、「2603.6」という数字があり、これは何だろう、とみんなで首を傾げる。昭和26年3月6日?それにしては、学生服姿の肖像画にも見え、付合しない。それからいろいろ思案して、思い当たる。皇紀2603年、つまり昭和18年の6月。まさに戦争下の時代だ。
それから庭を散策していると、そこでこんな興味深い話を聞く。庭にある庭石は、金子医院で診療してもらった人たちが、お金がなくて診療費を払えない場合に、代わりに石を持ってきたのだ、とか。


※以降、第四次句会まで続きますが本ウェブサイト掲載は割愛します。『海原』本誌でご覧ください。
第一日●第一次句会 新緑に映える吟行句 4月の壺春堂ならでは 齊藤しじみ
第二日●第二次句会 新緑の山道に先生の声が聞こえた 北川コト
第二日●有志吟行と第三次句会 新緑につつまれて 宝登山吟行から養浩亭へ 森由美子
第三日●第四次句会 兜太師のバランス感覚を思い雲に乗ってまた秩父へ 野﨑憲子

