『海原』No.49(2023/6/1発行)誌面より
第1回兜太祭 レポート
とき:2023年3月25日(土)~27日(月)
(有志一泊吟行含む)
ところ:秩父長瀞「長生館」
(有志一泊吟行は第一ホテルほか)
●第一日●墓参と壺春堂吟行
兜太の産土を訪ねて 齊藤しじみ
秩父は朝から冷たい雨が降ったり止んだりのあいにくの空模様。季語で言えば「余寒」や「冴え返る」という肌感覚だろうか。「第一回兜太祭」の参加者は総勢五十人ほど、雨傘を片手に冬の装いで受付会場の「長生館」に集まった。
「海原」にとっては五年ぶりの秩父での公式の集まりとあって、長生館のロビーでは久しぶりの再会を喜び合う姿とともに弾む声があちらこちらで響いた。
参加者たちは午後零時半に二台の貸し切りバスに分乗して、まずは金子先生と妻の皆子さんの眠る長瀞町の総持寺に向かった。現地では、先生のご長男の眞土さんご夫妻の出迎えを受け、順番に墓前に手を合わせた。先生の戒名は「海程院大航句極居士」。実は総持寺は金子家の菩提寺ではないとのこと。眞土さんの話では金子家の菩提寺は家業の医院を継いだ先生の弟の千侍さんが入ったという。
境内には、平成元年に紫綬褒章受章を記念して建立された先生の句碑が墓の近くにある。
ぎらぎらの朝日子照らす自然かな
総持寺の次は、昭和五年に秩父音頭が盆踊りとして初めて踊られた所以から、兜太先生が「唄と踊と花の寺」と称したお隣の皆野町の圓明寺を訪ねた。
境内には兜太先生とその父の伊昔紅の父子の句碑が平成三年に並んで建立されている。
夏の山国母いて我を与太という 兜太
常の顔つねの浴衣で踊りけり 伊昔紅
開業医だった伊昔紅は生前、長男の兜太先生が医者にならずに俳句に浮身をやつしていたことに腹を立てて、兜太と呼ばずに与太と呼び、いつしか母も百四歳で亡くなるまでその呼び名に慣れてしまっていたという。
そんな逸話を思い出しながら、次に向かったのは先生の生家で、中国の上海から帰国した伊昔紅が大正一五年に開設した診療所で住居を兼ねた建物「壺春堂」である。この建物を保存し後世に伝えようという活動が五年前から始まっている。おととしには国の有形文化財にも登録され、現在、内部は改装されて父子ゆかりの品々が展示され、見学もできるようになっている。
「壺春堂」と名付けられた理由について、私は今回初めて知ったが、中国大陸にいた伊昔紅が中国の杭州料理に舌鼓を打った茶館の名「壺春楼」からとったとのことで、一節には「壺春」とは酒を意味するともいう。
ここで、かつては地元の人たちを集めての句会が頻繁に開かれ、水原秋櫻子や加藤楸邨といった著名な俳人が訪れたことでも知られる。それだけに、座敷にあがった参加者たちは往年の先生の記憶とともに家屋に刻まれた百年の歴史にそれぞれ思いを馳せながら感慨深そうに見て回った。
「壺春堂」を後にした参加者たちは、再びバスに乗り込み、先生が出征時に武運長久を祈願したという皆野町の椋神社を訪れ、〈おおかみに螢が一つ付いていた〉の句碑を見学した後、近くの秩父味噌の醸造会社「新井武平商店」に立ち寄った。百年近い歴史を持つ会社で、創業者の武平が伊昔紅の俳句の弟子であった関係で、生前「味噌蔵句会」と称する集まりが開かれていたという。この縁もあり、会社の敷地内は伊昔紅のほか、先生の句碑が四基ある。
味噌つきや負われて踏みし日の記憶 伊昔紅
よく眠る夢の枯野が靑むまで 兜太
案内役の三代目の藤治社長(七五歳)からは「当初、句碑を作りたいと先生に伝えたところ、『句碑なんて犬の糞みたいに作るもんじゃない』と言っておられたが、実際に建立されると『ありがてえな』と喜んでいただいた」という思い出話を伺った。
途中から雨が上がって傘が要らなくなったが、行く先々のゆかりの地で、先生が「おう! よく来たな」と出迎えてくださったような気分を味わえた半日ツアーだった。
●第一日●第一次句会
秩父花の雨祭り 榎本祐子
予報通りの雨の中、秩父へと向かう。だんだんと山懐に入って行く様は、胎内回帰を感じさせる懐かしさがある。
雨は時折ぱらつく程度におさまり、先生のお墓のある総持寺へ。ご子息の眞土さんご夫妻に迎えられ、線香の香の中で手を合わせ、壺春堂記念館へ。兜太先生少年時代の息吹を感じ、それぞれの思いを胸に宿泊先の長生館へと。
第一次句会は、宮崎斗士さんの司会で午後7時30分よりスタート。夕食時の盛り上がりからの切り替えの速さは、さすがに皆様俳人。俳句モードに入り、高得点より合評。
朝寝して水になる夢秩父なり 野﨑憲子
水と秩父の関わりが良い。「秩父なり」に実感がある。対して「秩父なり」が効いていない。水と夢はマンネリ。との意見も。
花の雨その人の文字折りたたむ 小松敦
その人の存在感まで折りたたむようで、情緒深い。「その人」が一般的には曖昧だが、この場では金子先生が思い浮かび寂しげで、花の雨が心憎い。
少年の自我くらく冷たく春の蔵 鳥山由貴子
壺春堂の蔵を見ての臨場感があり、少年の自我の普遍性がある。「くらく冷たく」が、少年と蔵との類似として気になるなどとも。
木の芽雨野上はいつも青のなか 堀之内長一
秩父への挨拶句。「青のなか」が甘く、もの足りないとの声も。
如月の少年野うさぎと火薬のにおい 遠藤路子
季重なりだが、少年そのものを言っていて如月の季感が効いている。
土佐水木ほつほつなんだかひとり言 森由美子
心情が見える。計らいがなく自然に湧き出た感。「土佐」の響きが良い。一方、ムードに偏り、ほつほつに意外性がないとも。
産土の空気頬張る土蛙 安藤久美子
土蛙の力強さ、実がある。土臭く土着の景。
「やあきたか」これも秩父ぞ花の雨 野口佐稔
兜太先生の声が聞こえる。花の雨の抒情。
先生と呼べばやさしい春の雨 榎本祐子
甘いが、金子先生を思う素直な句。
やどり木のまあるい春です産土です 河原珠美
金子先生への思いがこもっていて、今日の吟行句として良い。
草朧さすらいにこぼれおちるもの 芹沢愛子
「こぼれおちるもの」は的確。草朧でうっすらとした悲しみ、人生を感じさせる。
春寒の線路に音す「蚕飼の碑」 石川まゆみ
「音」が上手い。句碑のある風景が見える。
ハグすればいやに粘液質 さくら 若森京子
ハグと粘液質の関係が良く、一字空けて、さくらへの転換も良い。
この後も特別選者の意見も交えて熱い言葉が飛び交った。句会が終了したのは二十三時前。金子先生の産土で、先生の気を感じた今日の日。昂った気持ちを静めるように雨は降り続いていたが、なかなか眠りに入ることができなかった。
●第二日●第二次句会
募る想いに包まれながら 田中信克
兜太祭二日目。昨日と同じく肌寒い天候である。長生館のロビーからは、朝靄の中で静かに流れる荒川の姿が美しく見えていた。八時半。参加者達はまず大広間に集まり、ドキュメンタリーフィルム『生きもの―金子兜太の世界』を鑑賞。平和への思い、秩父への思いを熱く語る兜太先生の映像に、師への思慕と俳句への情熱を募らせつつ、句会に臨むことになった。
句会は9時半に始まった。清記が配布される。四六名九二句。昨日の先生のお墓参りや、椋神社等への吟行等で得た印象が一晩でぐっと深みを増し、内容の濃い作品となって表れている。司会は堀之内長一。特別選者は川田由美子、佐々木宏、桂凜火、柳生正名の四名。選句、披講の後、活発な議論が始まった。
ずんずんと会いたい言葉椿踏む 安藤久美子
春暁の浅き眠りを野といえり 遠山郁好
鳥雲に一番大きな岩に立つ 室田洋子
紙のひかり初うぐいすが捲ります 川田由美子
会えること生きていること桜咲く 森武晴美
春の鬱ポケット多すぎのリュック 峰尾大介
瀞に集う扉の手触りのいろいろ 佐孝石画
花に酔い骨盤の位置確かめる 若森京子
春はポー捜しています師の帽子 遠山郁好
花びらもドーンと乳房も露天風呂 野﨑憲子
草餅焼く老婆玄室めく土間に 武田伸一
禿びた鉛筆積み上げ春の砦とす 堀之内長一
6点以上の高点句を挙げた。どの句にも豊かな抒情と独自の視点が見て取れる。
最高点は安藤と遠山の作品で共に12点。安藤の〈ずんずんと会いたい言葉椿踏む〉には、前日の先生のお墓参りの情景が滲み出ている。墓に通じる坂道の途中に大きな椿の樹があって、沢山の紅い花が土に堕ち雨に濡れて拡がっていた。場所と時間を共にした者が持つ共感性。「ずんずん」と募る想いと、裏腹に「椿踏む」という屈折した表現を重ねた特徴的な作品である。参加者達の胸には、先生ご夫妻への様々な想いが広がったに違いない。高得点が頷ける。
同じ12点句、遠山の〈春暁の浅き眠りを野といえり〉は、繊細な感覚と情趣の深さに特徴のある作品。春の朝の茫洋とした感覚を「眠り」と表現し、さらに「野といえり」と転じた展開性が高評価を得た。生理的な実感と抽象的な感覚の拡がりの絶妙なバランスに評が集まった。
その他の作品に対しても、「大胆な構図が特徴的」「深呼吸のような気持ち良さ」(室田作品)。「視覚と聴覚の繊細さ」「句帳の頁に宿る春の光と巡る季節が、共に浮き立つような感じを醸し出す」(川田作品)。「この句会に集う者の気持ちにぴったり。参加者全員へのリスペクト句」(森武作品)。等の評価が相次いだ。
また、句会全体を通じて、様々な指摘も提示された。イメージの具体性。共感の普遍性。表現過多や不足。助詞や音律の効果の成否など、議論風発。内容の濃い句会となった。
午後は吟行会。午前中の議論内容を胸に、参加者達は新たな作品の創作に踏み出して行った。
●第二日●枝垂桜とちちぶ銘仙館吟行
秩父の桜、最高! 石川まゆみ
広島ではソメイヨシノが五分咲の時期に、秩父で満開の「しだれ桜」を観られるとは思いも寄らなかった。兜太祭二日目ともなると酷い寝不足で、どこへ行くのかも把握しないまま、お弁当と飲み物を貰ってマイクロバスに乗り込む。ぎゅうぎゅう詰めだが、キャリーケースの縦横を整理すると案外素敵な空間になった。
隣席の石橋いろりさんに、法善寺でお弁当を食べるのだと聞いた。バスが発車した途端、長瀞駅から桜のトンネルが続く。バスはゆっくりと走ってくれたのだろう。数分間、車窓の桜を脳裏に焼き付ける。
法善寺に着くと、バスの前面に今度は巨大な「しだれ桜」が!まず吟行しますか、という斗士さんの投げかけに、満場一致で「弁当!」と。食欲優先の生命力に安心感を覚える。すでに午後一時だし。晴天なら境内で食べるようにお寺の許しを得ていたそうだが、今日は無理。窓を大きく開けて、花の香の空気を存分に取り入れる。おいしいお弁当は、兜太先生の甥御さんである桃刀さんのご紹介、とのこと。私なりのSDGsとして、完食した。
今日は大雨だが、桜に関しては雨中の色のほうが深い。日本画の巨匠が描いたような妖しい「しだれ桜」。寺の横の斜面には山墓が開け、墓石が金箔を散らしたように光っている。彼岸の供花の名残か、死者の宴か。墓所に覆い被さる桜がまた、ずっしりと見事。これらは全て雨の効果だ。凄い!
「抜苦與樂」(くをぬきらくをあたえる)と台座に刻まれた地蔵菩薩。そこに枝垂れかかるのが、長瀞町指定の天然記念物「与楽の地蔵ざくら」か。地蔵の涎掛けの発色に目が覚める。一七三九年に建立されたという本堂に賽銭を入れ、正面の欄間彫刻を覗く。説明板に、「作者は当時江戸一流の彫師後藤茂右衛門正綱。ダイナミックな江戸彫が円熟した時期の代表的作品と評価されている」と。初祖は左甚五郎らしい。
法善寺を出てホテルに荷を降ろし、「ちちぶ銘仙館」へ向かう。胡桃ダレで食べる蕎麦がおいしい店!と誰かの声がして耳ダンボに。
秩父銘仙は、崇神天皇の御代に知々父彦命が住民に養蚕と機織の技術を伝えたことが起源という。秩父銘仙が国指定の伝統工芸品に指定されたことを受け、リニューアル・オープンした銘仙館。タテ糸とヨコ糸でおりなす銘仙の、新しい技法を考えた「坂本宗太郎」氏。その胸像辺りで館内説明が始まり、29名がわさわさと解説者にくっついて廻る。
農林試験場から引き取られた「おかいこさん」を詰めた瓶が、頭上の棚にずらっと並んでいる。あの繭の中はどうなっているのだろう。
宿舎へは各自の手段で帰る。私は徒歩組についたが、途中六、七人が「秩父まつり会館」に入館し分かれた。翌朝の句会の高得点句、〈母巣の森…〉は、あちら組の帰路、秩父神社での会話から生まれたとか。その現場に居合わせず残念。吟行は、まさに一期一会だ。
●第三日●第三次句会
快晴。
秩父神社の近くで 望月士郎
初日、二日目と花冷え花時雨の恵まれなかった天候も、三日目の本日はすっかり晴れ上がり、東向きのホテルの窓からは朝日が差し込んでいます。
昨日は午後から吟行に向かいました。まずは枝垂れ桜で有名な「法善寺」、その後に秩父織の貴重な資料を展示した「ちちぶ銘仙館」へ、夜はホテルすぐ横の居酒屋「ぶぶすけ」の別室貸し切りでの親睦会です。コロナ禍全盛の頃には考えられないほどの三密(いや五密くらいかな)で大いに盛り上がりました。
朝9時の投句締切りで句会が始まります。会場は秩父駅の駅ビル五階の「地場産業センター」の研修室。司会は宮崎斗士、特別選者に小松敦、三枝みずほ、佐孝石画、芹沢愛子。最高点句から。
母巣の森振り向けば風になる 三枝みずほ
「母巣の森」とは秩父神社の鎮守の森のこと、取材したものをよくまとめて作り上げている。母巣の森という詩のある言葉を生かした句。母巣に兜太師の産土を感じる。「振り向けば風になる」が広告コピーのようだ。順次高点句から。
日が差して仔猫のような一人部屋 遠山郁好
今朝のホテルの部屋の雰囲気を表した実感の句。三日目にして太陽に恵まれた今日の歓びがある。自分のいる部屋を仔猫のようと言っているのか、仔猫は作者のことか?
夜桜に仮縫いの糸解きます 横田和子
仮縫いの糸を解くときの嬉しさが夜桜と合っている。夜桜の妖しげな感じがよく出ている。暗喩としてとらえるより実景として読んだ。「に」を「や」にして切った方がよい。
耳に来て風すこし巻く糸繰草 望月士郎
軽さが良くて頂いた。昨日の「ちちぶ銘仙館」とつなげて上手い。良い句だが「巻く」が「糸繰草」と即きすぎ。
春の霧晴れて武甲山はきれいな返事 室田洋子
来た時は霧、今日の武甲山ははっきり見えた。気持ち良い句、今朝の感覚がうまく出ている。
兜太先生春が大きな椅子になる 宮崎斗士
呼びかけとご報告、先生への信頼を感じた。山々に囲まれたこの土地と椅子の凹みが響き合う。「大きな椅子」に春を感じた。
さえずりや回想という乗りものゆれ 芹沢愛子
回想がゆれているに共感。心地よさとすこし車酔いした感じがさえずりと合う。
前頭葉は繭の明るさゆっくり生きよう 若森京子
繭の明るさでよいから生きてゆく。ゆっくり生きようが大事、そこに共感した。
タテ糸に春霖ヨコ糸に秩父 望月士郎
昨日の実感がある。「ちちぶ銘仙館」での出来事。中島みゆきの歌が耳に付いて採れない。
雨音にさえずりからみあう真中 遠藤路子
からみあうという臨場感と真中の安心感。昨夜の楽しい親睦会を想った。
さて、第一回「兜太祭」は大成功にその幕を閉じたようです。運営に携わった方々、大変ごくろうさまでした。
●第1回兜太祭を終えて 宮崎斗士
――この度、わが「海原」にて「兜太祭」を立ち上げることになりました。金子先生ご夫妻のお墓参りも兼ねての秩父での一泊吟行会。これを毎年の春の恒例行事にしたいと思います。
と私が編集後記に書かせていただいたのが「海原」2019年12月号のことでした。コロナ禍のため長きに渡り延び延びになっておりました兜太祭、ようやく第一回を開催することができました。
かくも大勢のご参加まことにありがとうございました。また会期中やその前後にて、ご参加の皆様にはあらゆるお役目、お仕事をお引き受けいただきました。あらためまして厚く御礼申し上げます。
私としましては、久々の大掛かりな俳句合宿の幹事でしたので、以前の勘を取り戻すまでけっこう時間がかかりました。進行役として息切れ、空回り、取りこぼしが今回やや多かったかも知れません。大変ご迷惑をおかけいたしました。今後に向けましての反省材料といたします。兜太祭、これからも「金子先生の一番近くにいられるイベント」となりますよう、ますます頑張って運営していきたいと思います。来年春開催予定の第二回もまた、奮ってのご参加をお待ちしております。
〈参加者作品抄〉
綾田節子
師の墓前猪の話と筍も
かげろふか いいえ青鮫・青鮫だ
安藤久美子
産土の空気頬張る土蛙
ずんずんと会いたい言葉椿踏む
石川まゆみ
春寒の線路に音す「蚕飼の碑」
墓群のように鉄塔菜種雨
石橋いろり
壺春堂ふるまい麦茶の花時間
ウクライナの花よ煙雨わななく
榎本祐子
先生と呼べばやさしい春の雨
木の芽うずうず湯舟に体浮かす間も
遠藤路子
如月の少年野うさぎと火薬のにおい
雨音にさえずりからみあう真中
梶原敏子
経糸を染め銘仙となる繭尊し
秩父とは祭で生きる民の国
桂凜火
菜の花序曲のよう波動のよう荒川
面妖な夜のあつまり花盛り
川崎千鶴子
白梅や武器け散らして兜太師来
恋猫の恋の数式ウーマンボ
川崎益太郎
蚕飼てふ産土の史詩兜太句碑
終点を探す旅です桜です
川田由美子
紙のひかり初うぐいすが捲ります
自意識のふんわり蓬草を手に
河原珠美
やどり木のまあるい春です産土です
朝桜みんな帰ってゆくんだよ
北上正枝
総持寺を包みて芽起こしの雨よ
テーマある旅菜の花の黄のわっさわさ
こしのゆみこ
うぐいすの声の高さで歩くかな
わが北窓開きにむかう秩父かな
後藤雅文
秩父には燕のママの泥たんと
うららかや木星ガスで風呂を焚く
小松敦
花の雨その人の文字折りたたむ
色々な眠りの中に牧開く
齊藤しじみ
春雨や兜太の句碑のなほ威あり
逝きし人想ふ句会や春おぼろ
三枝みずほ
母巣の森振り向けば風になる
脚行き遅れふくらむ菜の花の昼
佐孝石画
瀞に集う扉の手触りのいろいろ
春暁の瀞の真顔に出逢いけり
佐々木宏
亀鳴くや亀も「与太」というたよな
早春墓参ぽちゃんと池に落ちたよう
芹沢愛子
草朧さすらいにこぼれおちるもの
さえずりや回想という乗りものゆれ
高木一惠
師へ抛る桜白鷺わが川音
朝靄の花には触れず中空へ
高木未空
山あいに五色の鐘や春 秩父
桜かもしれない初めからの夢
竹田昭江
雨降っており秩父の春は烟るなり
春の長瀞向き合うはかたくなな我
武田伸一
草餅焼く老婆玄室めく土間に
兜太亡く老いて秩父の深田打つ
田中信克
おおかみに赦されている花の冷え
椿墜ちて昏れてあかあかあの娘が欲しい
田中怜子
陰翳礼讃中国家具の壺春堂
桜咲く山峡踏みいる師の母郷
遠山郁好
春暁の浅き眠りを野といえり
日が差して仔猫のような一人部屋
鳥山由貴子
少年の自我くらく冷たく春の蔵
鼬草ひとみなつぎつぎに消える
西美惠子
山桜美し新幹線で朝食を
秩父路や桜トンネルまだ続く
野口佐稔
「やあきたか」これも秩父ぞ花の雨
雲湧いて春色煙る秩父美し
野﨑憲子
朝寝して水になる夢秩父なり
野球は翔平俳句は兜太夕櫻
長谷川順子
花散らしの雨よきょう私の誕生日
花に寝て花に目覚めてわれ尊
疋田恵美子
総持寺に恩師の揮毫冴え返る
春風に兜太の言霊微かなり
日高玲
春寒の味噌蔵に入る美童かな
おばあさんの隣りのおばあさん朝寝かな
堀之内長一
木の芽雨野上はいつも青のなか
禿びた鉛筆積み上げ春の砦とす
増田暁子
山けぶる息足りぬよう散るさくら
朧月橋に名のあり澱みあり
峰尾大介
春の鬱ポケット多すぎのリュック
豆乳で造った豆腐です春の宿
宮崎斗士
兜太先生春が大きな椅子になる
百千鳥わたしに一本のえんぴつ
室田洋子
鳥雲に一番大きな岩に立つ
春の霧晴れて武甲山はきれいな返事
望月士郎
耳に来て風すこし巻く糸繰草
タテ糸に春霖ヨコ糸に秩父
森鈴
銀杏の木の足乳根の雫一期一会
両神山に霧山桜山桜
茂里美絵
花散らす雨まぼろしの櫂よぎる
にんげんの後悔って蜃気楼
森由美子
土佐水木ほつほつなんだかひとり言
花韮や今さら出自聞いたって
森武晴美
会えること生きていること桜咲く
花の冷え味噌汁すすり師の逸話
柳生正名
花冷のこの世あの世の間のその世
蛇地虫出でて真言おんころころ
横田和子
夜桜に仮縫いの糸解きます
目印は秩父銘仙猫の恋
若森京子
前頭葉は繭の明るさゆっくり生きよう
ハグすればいやに粘液質 さくら
●安西篤/兜太祭・第一次〜第三次句会特選句評
産土の空気頬張る土蛙 安藤久美子
兜太先生の故郷秩父は、私たちにとっても共通の原郷風景であり、産土の地と して親しんできた心のふるさとです。そこに生息する生きものもまた、共に生きている仲間同士として親しんできました。今、産土の地に春を迎え、新しいいのちを孕んだ空気を、穴から出てきたばかりの土蛙が、口いっぱいに頬張って、春を満喫しています。私たち人間も同じ生きものとして、あやかろうとしているのではないでしょうか。兜太先生の句「猪がきて空気を食べる春の峠」に、つながるものを感じます。
春寒の味噌蔵に入る美童かな 日高玲
この句は、秩父の名産ともいえる味噌蔵風景を題材にしています。そこで颯爽と立ち働く若者の姿を、「美童」と捉えたのですが、ここでいう「美童」とは、兜太第六句集「早春展墓」に連作九句があるので、この句も兜太句に唱和したものみてよいでしょう。秩父の名水を使用したこだわりの味噌だけに、そこに働く若者にも誇りがあったのではないでしょうか。この句はそんなご当地への挨拶句としても読むことができます。吟行句の一つのあり方を示しています。
兜太先生春が大きな椅子になる 宮崎斗士
兜太先生を偲ぶ兜太祭に、もっともふさわしい一句を得た。秩父は今、ようやく春もたけなわで、霞のような薄く横にたなびく層雲が広がっている。あたかもその横雲は、巨大なベンチのように広がって、兜太先生の一大霊像を迎えようとしているかのようだ。先生は、にこやかに「おう、おう」と周りに声を掛けながら、ゆっくりと腰を下ろそうとしておられるのではないか。それが、この兜太祭の大団円になった。まわりから一斉に拍手が起こっているようだ。