吉澤祥匡・吉澤紀子句集『山影川鰍』〈遠汽笛 森由美子〉

『海原』No.51(2023/9/1発行)誌面より

吉澤祥匡・吉澤紀子句集『山影川鰍』

遠汽笛 森由美子

 吉澤祥匡さんは「熊谷兜の会」のペーパーウェイト。重鎮という重々しい存在ではなく、いつもそこに居るということでこの会が、そして勝手気ままな私たちが飛び散らないようにそっと押さえてくれている。静かに穏やかに見識ある彼がその席に座るというだけで、安心してしまうそんな存在である。
 その祥匡さんが奥様とお二人の句集を上梓された。
 ご夫妻は埼玉新聞「埼玉俳壇」に二十年間投句を続けられその間それぞれ五百句を超える入選を果たされている実力者であり、その中の厳選した二百句ずつがこの『山影川鰍』に収められている。ここでは「海原」の仲間である祥匡さんの句を中心に読ませていただいた。

  山影を見て駅を知る春車窓
  南面の芽吹きを誘ふ遠汽笛
  飛花に師の声あり句碑へ歩を返す
  秩父路は蒼き深海走り梅雨
  霧すさぶ秩父往還遠汽笛

 作者の産土は埼玉県寄居町、秩父への入り口である。秩父線で熊谷高校へ通った同窓という点でも兜太師への思い入れは殊更深い。SLの低くボーと鳴る遠汽笛は、師の声として今でも心の中に響いてくるのである。余談ながら過日の春の兜太祭での秩父はまさに蒼き深海の趣を一層濃くしていた。

  咲きわたるいぬのふぐりや城の跡
  片栗の花あり凜として虎口
  流鏑馬の射手は少年新樹光
  城山を攻め上りけり青嵐

 北条氏の上野進出の拠点であった鉢形城址は寄居の誇る史跡である。荒川を見下ろす断崖絶壁に建てられた名城であったが、豊臣秀吉軍の小田原攻めに伴い五万人の軍勢を相手に、僅か三千五百の兵力で一ヶ月余を戦い抜いた末、開城という悲しい歴史を秘めている。その落城への想いは今も町民の中に深く静かに受け継がれており、深谷市とも熊谷市とも合併せず寄居町としての矜持を保ち続けているとも聞いている。産土感とはこのように故郷に流れる通奏低音のような遠汽笛なのである。

  切られても切られても蔓烏瓜
  蔓に蔓朝顔の天窺ひて
  朝顔の蔓根性がおもしろき
  地を這ふも天指すも性瓜の蔓

 この二百句の中に「蔓」の字が結構な頻度で使われている。地を這い天を窺い、切られても切られても、隙をねらっては自由自在に伸びて行く蔓のしたたかさ。その反骨精神は作者の凜とした佇まいの中にも歴然と流れていると私は見ている。

  滝しぶきしばし修験者気取りして
  結跏趺坐倣ふ禅寺夏終はる
  天牛のぶつかり吾は木偶の坊
  潔く過去忘るべし冬もみぢ

 周りの期待を裏切ることなく人生を真っ直ぐ歩んで、公務員の要職を務めあげ叙勲の栄にも浴している作者。それでも己を木偶の坊と謙譲し、なおも精神的完成を求めようと努力を惜しまない。過去の栄誉は振り向かないその潔さが心地よく伝わってくる。

  鳶の輪その更にうへ鷹渡る
  鳶舞ふ大凍雲の去りしあと
  鷹渡るスカイツリーの見ゆる尾根
  若鳥の飛翔逞し鷹渡る

 無限の空を上昇気流に乗って、のびやかに舞う鳥たちへの自由と強さへの憧れ。長い人生の何処かで着実な道を歩みつつも感じる閉塞感。翔び立ちたい心を鳥たちに重ねたこともあったであろう。

  薄氷の吹かれて水の匂ひ立つ
  すつと来てすつと風切る鬼やんま
  初蝶の光背負ひてこぼれ来し

 小さな自然への優しい視線も数多に見られる。水と緑に恵まれた地ならではの鋭い感性の光る句である。
 そして私は

  大地より心地好き音大根引く
  群青の空ぐいぐいと積乱雲

 この大自然へののびのびとした讃歌に一番惹かれる。巍巍とした両神山と甲武信ヶ岳を背に水面平らかな荒川を前にして両手を大きく広げ、天の声、地の声を聞く。自然あふれる産土をバックボーンに、対象を真正面から見据えるその作者の姿勢にわが身を顧みて反省すること多多であり、大切な学びとなった。

 なお、紀子夫人とは未だ面識もなく、大変失礼かと躊躇しつつ、好きな句として次を選ばせていただいた。

  青空が好き電線が好き赤とんぼ
  俎板の音やはらかし新牛蒡
  冷やされて尻まで重き梨となる
  闊達な脳味噌に似て鶏頭花
  ひる過ぎればひとりの時間水仙花

 どの句も心の自由さ、表現の豊かさが感じられ、同じ女性としても共感するものである。
 共通のご趣味を持ち続けるご夫妻の知的で誠実な関係が、この句集から読み取れる。更なるご活躍を期待している。

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