中村晋句集『19→25』〈句集評◆ガザ・騾馬・眼 田中亜美〉〈一句鑑賞◆語部となる 石川まゆみ◆オンタイムの使命感 佐孝石画〉

『海原』No.78(2026/5/1発行)誌面より

中村晋句集『19→25』
ガザ・騾馬・眼 田中亜美

 中村晋氏の句集『19→25』は、二〇一九年に刊行された第一句集『むずかしい平凡』に続く第二句集である。『19→25』というタイトルは二〇一九年から二〇二五年という意味である。この句集は七年間の作品を中心に構成されているが、このうち、いわゆる日常詠は第一章から第十三章までの奇数章(合計七章)に掲載されている。それに対して第二章から第十二章までの偶数章(合計六章)には中村氏が二〇二四年十一月に書いた俳句による連作「生きるガザ」の百六句が、六分割されておさめられている。この連作は、『ガザ日記』(アーティフ・アブー・サイフ著 中野真紀子訳 地平社二〇二四年)につよく触発されて書かれた作品だという。日本と日本から九千キロ以上離れたガザを題材にした俳句が章ごとに交錯しながら現れるのが、本句集の特徴だ。
 ちなみに『ガザ日記』の作者であるアーティフ・アブー・サイフ氏(以下アブー・サイフ氏と記述)は一九七三年生まれ、中村氏は一九六七年生まれで、中村氏が年長であるもののほぼ同世代であり、執筆当時のふたりはともに十代の息子を持つ父親だ。また、アブー・サイフ氏はアラブ語圏の高名な小説家として知られる一方で、二〇一九年よりパレスチナ自治政府の文化大臣として教育や文化施策にも尽力している。中村氏が福島県の高等学校の国語教諭として、二〇一一年の東日本大震災以降も生徒たちに親身に寄り添い、教育を続けていることと、どこか重なる部分があるようにも思う。
 以下では初めに奇数章を、次に偶数章を取り上げたい。

  ぽつんと夕日水禍のあとの泥に柿
  まっすぐに降る雪何度も読む手紙
  明日から休校黄蝶のように手を振り合い
  休校の吾子よたまには朝寝すべし
  死にたい子を冬の銀漢から拾う
  生きるって願望かもね冬木の芽
  冬木に陽愛よりありふれた親切
  秋燕や君は硝子の声でした
  窓打つ蛾君の最後の痛み思う

 二〇一九年から二〇二一年までの句。全国の公立小中学校では新型コロナウイルスの影響で一斉に臨時休校となり、多くの自治体で休校は五月末日まで続いた。未曾有の事態に戸惑いながらも、第三句の「明日から休校」や第四句の「休校の吾子」のように、非日常を前向きにとらえ、ゆっくり休息をとれた子どもは少なくなかっただろう。
 それと同時に、コロナ禍で日本の小中高生の自殺者数は二〇二〇年を境に、以前とは比較にならぬほど高い水準で推移するようになり、今日に至るまで最多の記録を更新しているのも事実だ。第五句と第六句には「Rへ」の前書き、第八句と第九句は「Aへ」の前書きがある。深い悩みを抱えながらもそれを打ち明ける他者の存在に恵まれた子とひとりで抱えたまま逝く子。第七句の「冬木に陽愛よりありふれた親切」は作者自身の呟きなのかもしれない。冬の陽だまりの木のような、じんわりとした温かさとやるせなさが滲む。

  三・一一壁に無数の画鋲の穴
  春夕焼磨いた窓を締め閉校
  昼も咲く朝顔雨の日しずかな日
  ウクライナフクシマ雪を積む切株
  夜学子よ生きたねそして卒業だね
  露の世の露よ等しく円周率
  ガザを思う木の葉に積もる木の葉の音

  ガザの映像観たあと冬の砂糖まぶ

 二〇二二年から二〇二三年の句。第一句の「三・一一」。福島在住で震災と原発事故の苦渋に満ちた日々を過ごした作者にとって、「三」と「一一」の間に差し挟まれる「・(なかぐろ)」は記号ではなく、無数の針で突き刺される痛点と同義なのかもしれない。地方の過疎化の厳しい現実。卒業する生徒たちへのまなざしが優しい。二〇二二年二月にロシアのウクライナ侵攻がはじまる。ウクライナは旧ソ連時代にチェルノブイリ原発が置かれ、一九八六年に爆発事故を経験した土地でもある。二〇二三年十月、ガザ地区への大規模な爆撃がはじまる。ニュース報道で目にするガザの映像は夥しい瓦礫の山と土埃ばかり。無彩色と褐色しか存在しないようだ。
 連作「生きるガザ」は、紛争の勃発直後からガザ地区で極限の日常を「日記」として記録してインターネット上などに発信したアブー・サイフ氏そのひとの視線と、日本も含む世界の十カ国以上で緊急翻訳・出版された『ガザ日記』が刊行されるやいなや、つよい問題意識をもって精読した中村氏の視線の両方が、緊密に結びついて生まれた、唯一無二のテキストである。以下は筆者が『ガザ日記』を読み、そのあと「生きるガザ」を読んで、特に印象に残った作品だ。

  爆撃、死者14翌朝27
  そこにいた それがミサイル死の理由
  ガザの少年遺体を運ぶ驢馬ろば励ます
  月よガザは戦争映画のセットではない
  三日遅れて瓦礫の下から届くメール
  病廊 宿題をする子ひとり
  砂に書いては子に母が字を教えている
  ガザの子ら腕に名を書く死後のため
  失業作家パン焼くために本を燃やす
  寒すぎて胃が痛いオリーブの木が揺れている

 「今みなさんが手にしているものは、日記のつもりで書き始めたものではない。毎日これを書いたのは、何が起きているかを他の人たちにも知ってほしかったからだ。自分が死んだ場合に備えて、日々の出来事の記録を残しておきたかったからだ。(中略)この本の中で、私は自分が愛し、失ったすべての人々に会うことができ、彼らと話し続けることができる。この本の中でなら、彼らがまだ私とともにいると信じ続けることができる」と『ガザ日記』の「あとがき」で、アブー・サイフ氏は述べている。
 亡いもの、失われたものと繋がること、繋がる手段である「ことば」の可能性を信じることで、アブー・サイフ氏の「日記」と中村氏の「俳句」は同じ意味を持つのではないか。
 最後に、中村氏の日々のできごとを記した二〇二四年から二五年の作品の中で印象的な句をあげたい。

  この星にガザあり驢馬につぶらな眼
  ウクライナ・ガザ・能登雨や雪が降る
  ガザの青年撃たれし脚に寄り添う蠅
  白鳥鳴き仮眠トラックにも夜明け
  天の川廃校にまだ動く時計
  雁渡し粗熱取れてから推敲
  いちじく煮る会えない人と語るように
  流れ着くところがその場秋の蝶

(喜怒哀楽書房/2026年2月1日)

中村晋句集『19→25』一句鑑賞

◆語部となる 石川まゆみ

  ガザの子ら腕に名を書く死後のため

 句集『19→25』の「あとがき」に【『ガザ日記』を俳句に作り替える行為は、もしかするとガザをはじめパレスチナの人々を傷つけることもあるのではないかと危惧していた】とある。私も、一句のみを揚げて良いのか躊躇する。良し悪し好き嫌いなどと、そんな視点では読めない、とは、最初に強く思ったことだ。
 掲句は勉強の場さえ脅かされるガザの子らが、死んだ時に自分と判るよう肌に名を書く。子らはその意味を噛みしめてそうしたのか。胸が痛む。広島の原爆供養塔にも、他人の服を着ていた為に長く別名で保管されていた遺骨の例がある。自分の遺骨は自分が存在したことの最小限の証だ。
 私も『ガザ日記』を読み、生活の頭上に爆弾が来る日常を著者と共有する思いだった。『生きるガザ』にも同じ感覚があり、メディアとしての俳句に作者が正確を期する姿勢を感じる。これらの俳句は私で留めてはいけない。語部となるべきだ。『生きるガザ』を納める句集『19→25』には、そういった衝動を覚える。

◆オンタイムの使命感 佐孝石画

  完璧な虹だね無欲には遠いね

 中村の句には金子先生の音感、リズムが息づく。そして社会に直に対峙しようとする強い意志。世の俳句作品の多くは「待つ」「眺める」という逡巡の果ての傍観者的姿勢である。それは写生や花鳥諷詠といった無時間的抒情詩を目指した虚子が、太平洋戦争時に関係性を避けた姿勢に象徴される。そのような諦観めいた態度の対極的な位置にいるのが中村であり、彼は常に「オンタイム」であろうとする。ここにおいても金子先生の姿勢が引き継がれる。その意志は「フクシマ」、「ガザ」に注がれる。先生への敬愛が強いが故の使命感が、そうさせるのだ。
 中村の真骨頂は「叙情」にある。掲句の「ね」のリフレインは先生譲りの軽快さだが、一つ目の「ね」の詠嘆の後、二つ目の「ね」で一転して内省に戻ってくる。この幻想回路こそ自他を常に対峙させ生活する、中村のリリシズムの源。句集中の「冬の蠅光となって光さがす」に至っては、息絶え絶えの「蠅」に自身が憑依してしまう。おそらく彼自身、この境地も金子先生の「天人合一」の掌上にありと、北叟笑んで作句を続けているに違いない。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です