追悼 武藤鉦二遺句抄

『海原』No.34(2021/12/1発行)誌面より

追悼 武藤鉦二遺句抄

飢えは遠い記憶抱けば藁あたたか
キリンの首で立つ地震後の夕焼けに
晩い娶りへ車中転がる牛乳瓶
雉子連れて青春宝仙台分校
あぶり絵の鬼立ちあがる桃の花
花ひとすじ白神山地越えゆけり
林檎煮てふんわり暮れてゆく夫婦
秋の蜂野の石に耳あるごとし
色鳥の木があり老いの地平あり
恕も哀も山唄であり濁り酒
夜の滝羽後の動悸としてひびく
父の掌に雪の径あり山河あり
鬼になれる器でもなし夕ざくら
役一つ降りやわらかき冬日抱く
文重ねゆくよう母が紫蘇を摘む
遺書などはなし辛夷咲く小径あり
くちびるは少女に還りさくらんぼ
晩成を期する晩年夜の蟬
蝦夷の地の水の弾力胡桃落つ
壁の青蔦残り時間はわからない

(船越みよ・抄出)

師の懐に抱かれて 船越みよ

 今にも語り掛けてくださりそうな遺影の眼差しに「なぜ、どうして、一人芝居なの?」と質したくなるほど、あまりにも突然の訃報でした。「第三句集を出したいから宜しく頼む。俺は生きてもあと2年くらいだから、来年には出したいなあ。」とおっしゃっていたのに。
 7月中旬、息苦しさを訴えられ、24日、自分で運転して出向いた病院にそのまま入院。27日の「重症ではない。会報は遅れる。会員に入院のことを伝えてほしい」との電話が最後のお声になりました。その後、8月に入って倒れられた由。酸素吸入となり、快復の兆しがなく18日、肺炎のため逝去されました。
 コロナ禍の医療体制の厳しい現実に直面し、面会は奥様と娘さんの二人だけで、亡くなられる前の二、三日間だけだったとか。感染症さえなかったら、先生も最後の想いを家族に伝えられ、掛け替えのない時間を共有できたでしょうに。想いをたくさん抱えたまま逝かれたかと思うと、本当に言葉に詰まります。
 先生は、退職後の1999年「しらかみ句会」を設立して会報「しらかみ」を創刊。私は、同年俳句初心者として入会。先生を俳句入門の師と仰ぎ、卓越した指導力と懐の深さに、俳句を嗜む喜びを存分に味わうことができました。投句の折に頂いた一筆箋の数々にどれほど励まされ勇気づけられたことか。仕事や家族、人間関係等の相談にも乗っていただき、絶大な信頼を寄せていた先生でした。
 退職後の先生は、最も充実した俳句人生を送られました。第一句集『羽後地韻抄』で県芸術選奨受賞。県芸術文化章、「海程」三賞等、受賞歴数多。後進の指導にも尽力、秋田県俳句界の充実発展に貢献され、2016年には県文化功労者として表彰されております。
 少しでも今の自分から変わろうとする気持ちを持つことを自ら実践され、最後までその姿を見せてくださいました。好きな俳句道を貫き通し、俳句を嗜む人を育て、偉大な指導者として頼られ歩まれた先生、本当にお疲れ様でした。そして、本当に有難うございました。先生の俳句がある限り、私の心の中に先生は生き続けていらっしゃるのです。

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