追悼 宇田蓋男遺句抄

『海原』No.46(2023/3/1発行)誌面より

追悼 宇田蓋男遺句抄

ウクライナ大変インスタント味噌汁ティーパック
さくらんぼ右手は利き手大事にす
年甲斐もなくパンジー大好き生きている
梅雨に入っては梅雨に従え 諸君
お粥に梅干しアブノーマル的二物
食べ残す饂飩の汁を捨てずに悔やむ
献花は絶えず待つ人に顔のない不思議
偲ぶれば一人歩きのマスクだったね
張り手しか能がねえのかしょぼい秋
アイマスクいのち吹きかけ試すなり
赤蜻蛉すぐに届いた返信封書
満月なり幼少のみぎりの捕虫網
島根と鳥取どちらもどちらいなりずし
男の沽券にかかわるぞ胃カメラを入れるな
胃カメラの胃の中照らす夏日かな
短命の目算外れそよぐコスモス
秋めくや正論かざす柄じゃない
秋の風生きた心地がしない訳
灯を消してわがオブラート剝がさるる
願うなら起きあがりこぼしの老いの日々

(永田タヱ子・抄出)

半世紀を俳句とともに 永田タヱ子

 まず宇田蓋男さんの横顔を紹介します。ある俳誌のアンケートに答えたものです。

 《俳句との出会い》
  二十歳前より、宮崎日日新聞読者文芸欄への投稿をきっかけに、当時選者の海程同人の山下淳氏と知り合ったこと。海程へ投句、海程新人賞受賞(昭和46年)。
 《尊敬する作家の作品》
  林田紀音夫 隅占めてうどんの箸を割り損ず
 《うぬぼれ自信作》
  摩羅よりもふぐり長らく生きており
 《俳句をしていなかったら?》
  俳句に携わっていた時間を、無為に過ごしていたかも。
 《私の自慢》
  二十歳前より継続して半世紀の五十年、俳句に携わってきたこと。

 当時の宮崎句会は、土曜日の午後六時から、山下淳先生宅で開かれていました。蓋男さんは宮崎県庁での職務のかたわら、県北の延岡市(九〇キロ)から汽車で参加されました。以来五十年、今は思い出深く懐かしく思い出されます。当時の句会の参加者は、福富健男、高尾日出夫、中島偉男、岩切雅人、阿辺一葉、徳永義子、蛯原喜荘等、錚々たる海程同人の各氏。俳句を作る上で最上の居場所でした。
 句会のたびに俳句の話で盛り上がり、夜中になることもしばしばです。蓋男さんは山下宅に泊まり、自家用車の方はそれぞれ帰路へ。市内の方は人通りのない大通りを歩いて帰路に着くのでした。山下先生が逝去されてからは、福富健男氏を代表に「みやざき現代俳句研究会」が設立され、市内の公共施設で句会を行っています。蓋男さんは、俳誌「流域」のメンバーとして、また宮崎県現代俳句協会の副会長として、永年貢献されました。
 蓋男さんの俳句は、誰も真似のできないものでした。独特の哲学と素晴らしい感性の持主であり、詩情豊かで、俳味たっぷりの世界を切り開きました。
 12月28日、かつて海程の同人でもあった岩切雅人氏より電話をいただき、新型コロナウイルスの感染によるとのことでした。お会いしてお別れも言えず心苦しい次第です。どう
ぞ、懐かしい皆様とそちらで句会をなさってください。宇田蓋男、本名博敏。令和4年12月27日に死去。享年74。

合掌

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