追悼 中山蒼楓遺句抄

『海原』No.36(2022/3/1発行)誌面より

追悼 中山蒼楓 遺句抄

風にもまれる半島快晴の荒筵
出処確かな閃光雪夜の労務者に
熱き股ぐら夜の倒れ稲起しては
旱魃の村過ぐ農夫の不意の起立
幻の群呼ぶ鰈の目を寄せて
海を好くだけの漁師で赤鼻で
赤い月の出あゝ肉体の躙り口
帰依するか西方浄土桃の村
雪舞うて円空仏のけはいかな
わが首座へ蛞なんぞゆるりと来い
なみなみと寝酒一杯山家に昴
俎石にふんわりと淡雪
夏の蝶動画のように人は去り
二礼二拍のあと一礼はかまきりへ
海鼠腸このわた引く能登のとと楽後生楽
師系絶ゆ梅雨の経車を廻せども
沖に白波帰らぬ波と人の波
今生の別れはいくつ竜の玉
俳界五十年睥睨の鷹高鳴きぬ
老人と海がきらめく海蛍

(白井重之・抄出)

懸命に日常を詠んだ人 白井重之

 中山蒼楓さんとはながいつきあいであった。もちろん俳句をつうじてのものである。中山さんの本名は黒田昭一である。これまで「黒田さん」と呼んだことは一度もない。すべて「中山さん」で通した。俳句いっぽんやりできたのだから、あたりまえであった。
 中山蒼楓は令和三年九月十八日、九十歳の生涯をとじた。昭和六年の生まれである。個人的なことをいえば、この昭和六年生まれの親しかった人がけっこういたが、近年つぎつぎと周辺から去っていった。昭和二十年の終戦時が十四歳であり、青年期まじかな人たちだったのである。中山さんから、あの混乱の時代をどうしていたか、聞いたことはなかった。
 昭和四十二年に出した句集『駝行』の著者俳歴によれば「石鳥」「水鳥」を経て「風」に参加したとある。また手代木啞々子の「合歓」にも加わり、そのご「海程」に入ったと記されている。
 句集『駝行』には金子兜太師の「序にかえて」がある。

 出処確かな閃光雪夜の労務者に
 「この句集は、自分の仕事、そして働く身辺の人たち、あるいは、その自分を取巻き、触れてくる家族や友人たち――そうした、日常の身辺の日々に向って、鋭敏に、かつ刻明に感応し、見定めようとしている。」

 この序文は、まさに中山さんの拠ってきたるところ、そして拠ってたつところを示唆するものでなかったかと思う。
 私が中山さんと出会ったのは、福井県越前海岸左右で開かれた、「海程福井勉強会」のときであった。しかしそのとき言葉を交わした記憶がない。それ以後、海程富山の毎月の句会で一緒になり、急速に親しくなった。あの当時の海程富山句会は、家木松郎先生、浅尾靖弘をはじめ、小西ありそなど女性陣も元気で、まことに賑やかなものであった。
 いま思い出すと泣けてくるほどに懐かしい。中山蒼楓さんよ、やすらかにねむられよ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。