純心―谷佳紀句集『ひらひら』に寄せて 芹沢愛子

『海原』No.27(2021/4/1発行)誌面より

純心―谷佳紀句集『ひらひら』に寄せて 芹沢愛子

 谷佳紀さんが突然亡くなられたのは衝撃的でした。その事実をまだ受け止め切れずにいた頃、宇多喜代子さんの次の句を知りました。
 
  亡き人の亡きこと思う障子かな 喜代子

 思えば宇多さんの『里山歳時記』が素晴らしいと教えてくれたのも谷さんでした。この句は「亡きこと」ばかりを嘆いていた私に、「亡き人」と向かい合わなければ、ということを気づかせてくれました。幸い手元に「海程」のバックナンバーがあるので、青年時代の谷さんを辿りたいと思います。
 谷さんは二十四歳の時に「海程」の同人になりました。まだ大所帯ではなく「同人スケッチ」という欄では、金子兜太先生が一人ひとりの紹介文を書かれています。「谷佳紀 くらげのごとくハイエナの如し。純心。二〇代、小柄褐色」。その二年後の「ショート・小答」という自己紹介の欄では、谷さんは「配偶者なし。悪口雑言大好き。身体と反対の大声。純心」と自身でも先生から贈られた「純心」という言葉を使っています。「純心」は「純真」の誤用とされていますが、先生はわざとこの字を選ばれたような気がします。
 そして谷さんが海程賞を受賞した時の挨拶文には、「作品を書きつつある私は、つむじ風のまっただ中にいる。ひかりだけがある。すべてがきらめいている。じつに心地よい。私は、つむじ風を、ひかりを、きらめきを求めて書く。そのため、わがまま、勝手きままに書いている。誇り得るものがあるとすれば、このようにして書いているということである。(中略)私は受賞したことに責任をもたない。新たなる決意もない。いままでどおり、わがままに、勝手きままに書いていこうと思う」とあります。晴れ晴れとこの宣言をした当時、谷さんは三三歳でした。そして、こうも書いています。「幸いに、すぐれた師、すぐれた先輩、友人にかこまれている。海程にいる喜びを感じる。信頼をもって語りあえる」と。
 金子先生の元で始まり、一度離れて、また金子先生の元に戻り……その六十年間を谷さんは俳句と共に過ごしました。

 八ツ手咲き男は幸福なのだろう

 この句は二〇〇二年初冬、前橋市の敷島公園吟行会での一句。萩原朔太郎が書斎に使った蔵に展示された詩の一節、「男は幸福なのだろう」が引用されています。「男」は私の中で谷さんと重なって行きました。

 ただ風を思うなるべく小春日の

 二〇一八年が谷さんの俳句人生の最終章になりました。愛唱したい句や、心に響く句が、たくさんありました。二三五ページの「愛は消えても」から「紅葉や」の五句が「海原」最後の掲載句です。
その後の未発表句の中には、ふと過去からの風が吹くような、なにか思いを馳せているような句も見受けられました。

 枯れすすきの唄が川に映る夕焼

 この「枯れすすきの唄」は、金子先生が最後の秩父道場で歌われた「船頭小唄」のことでしょうか。戦時中、出撃前夜の飛行兵たちがよく歌っていたと聞きました。その夜の先生は、トラック島で兵士だった青春時代に戻られたように見え、胸が痛みました。谷さんものちに上映された動画でその歌を聞いています。あかねさんから「夫も若い頃この歌をよく歌っていました」とお聞きし、「船頭小唄」は谷さんの愛唱歌でもあったと知りました。

 帆柱はいまも青空青鮫忌

 金子先生は『今日の俳句』の中で、忌日の句についてこう書かれています。「人の死んだ忌日を季語にしてしまうやり方は、不埒千万、季語そのものさえ冒瀆するものと考えている」。先生もおそらく、個人の忌日の句は残されていません。谷さんも普段は忌日の句は書かず、保存されていた中でもこの一句だけですが、あえて句集に入れました。「青鮫忌」は「青空」と韻を踏んで自然に出てきた言葉かも知れません。おだやかに晴れ渡った海を進んでいく船が見え、明るい世界です。最後の数句の中に、この句が書かれていたことの不思議さを思います。
 ある年、谷さんからの年賀状に「俳句を楽しんで書いてますね。楽しいのが一番!」とありました。真に楽しむことは難しいけれど、試行錯誤や実験も含めて、谷さんは人生をかけて俳句を楽しんだ方だったと思います。

  ◇  ◇  ◇

 マラソンの空気ふかふか菜の花畑
 どこへでも走って天気の中にいる
 美しい俳句ではなくマラソンする

 谷さんは一〇〇キロ、二〇〇キロ、長いときは二四〇キロのウルトラマラソンに参加していました。「体に悪いんじゃないですか」と聞くといつも「そうなんだよ」と答えていました。夫人のあかねさんは「もりもり食べてくれていた人が、急にいなくなって寂しい。あと十年は俳句を書いて欲しかった。俳句は命を取らないから」と話してくれました。週に六日、二、三時間のランニングをしていたそうです。

 猛暑日の如何に生きるべきかは走ってみる

 この句は最後の年の夏の作。亡くなった後にも、新しいシューズや大会のゼッケンが届いたと聞きました。まだまだ走り続けるつもりだったのです。

 たくさんの心が僕に蕎麦の花

 あかねさんから谷さんの遺句集を出したいとのお話を伺って、私に出来ることがあったらぜひお手伝いしたいと思いました。その後パソコンに記録、保存されていた俳句の数が四千句近いことが分かり、選を依頼されました。私一人では荷が重く、心もとないので複数選にしました。お願いしたのは、平田薫さん、木下ようこさん、三世川浩司さん、柳生正名さん、小松敦さん、小川楓子さん。そして私を含めた七人の選が集まりました。その結果をもとに抄出、原満三寿さんの選も加え、最終的に四四七句になりました。「海程」復帰以前の谷さんと朋友であった原さんに「私と皆さんの評価が似ていることが嬉しい」と思っていただけたのも、大変心強く、ほっとしました。
 谷さんの俳句は時々解らないと言われます。解説は不要、というようなたたずまいです。なので好きな句という基準で選びました。帯の抄出句は原さんの特選との重複を避け、複数選の結果も参考にしています。たくさんの心が集まりました。
 谷さんの初対面での印象は、くらげでも、ハイエナでもなく「洗い晒しの木綿のような人」でした。そう言うと、みんな笑うのですが、「糊が取れて体に馴染んだ、清潔な木綿」と説明していました。その後も谷さんは、谷さんとして、気取らず、マメで、一途で、ストイックで、面倒見の良い、優しい、せっかちな人。「純心」という言葉の似合う人でした。句集上梓について「出せるなら出したほうがいい。それは必ずその人の俳句のためになるから」と言っていた谷さんでしたが、きっとこの句集を読んで新たに刺激を受けたり、心が自由になる人もいるはずです。
 あかねさんの強い思いでこの句集が出来ました。句集のタイトルを「ひらひら」と直感で決めたのもあかねさん。その感性は谷さんと通ずるところがあると思います。生活人としても谷さんはとても幸福な人でした。

 二〇二〇年 秋晴れの日に

※句集『ひらひら』は、二〇一八年十二月十九日に急逝した谷佳紀氏の遺句集である。序文・原満三寿、跋文・芹沢愛子、あとがき・谷あかね。発行・令和二年十二月十九日。本稿は、その跋文の全文である。(編集部)

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