田中雅秀 遺句抄〈佳人・雅秀さん逝く 北村美都子〉

『海原』No.31(2021/9/1発行)誌面より

田中雅秀 遺句抄

桐の花本音はいつまでも言えず
わぁ虹!と伝えたいのにひとりきり
ほうほたる弱い私を覚えてて
再来年の約束だなんて雨蛙
タイミングが合わない回転ドアと夏
愛鳥週間線量計を渡されて
夏野かな何もしないという理想
秋の蝶ゆめの果てなる汚染水
紅葉かつ散る乾電池切れるまで
ものの音の澄みゆき人は原子になる
兄弟は三人林檎の蜜多少
手袋のままほっペたに触りし人
初雪や鳥には鳥のしらせかた
白鳥の声する真夜のココアかな
ファルセットここからはもう雪の域
この町に住む食べる泣く冴え返る
他界っていったい何処だ雪虫よ
乗り継いでナウマン象に会う春野
山藤ゆれて会いたかった会いたかった
初蝶にもうなっている遺稿かな

(句集『再来年の約束』より 北村美都子・抄出)

佳人・雅秀さん逝く 北村美都子

 「紫が好きだから、よかったわ。」紫色の帯のかかった自身の第一句集『再来年の約束』に手を添えながら、そう仰しゃった雅秀さん。「届いたばかりの完成見本、ともかく美都子さんに……」と、直接句集をお渡しして下さった昨年12月句会の折のこと。病状は以前に打ち明けられてはいたけれど、その時の様子に快方を信じ切って――迂闊さが悔やまれる。
 雅秀さんとの出会いは、夫君と共に東京から福島県の会津に移住され、高校教師とホテル経営が軌道に乗った頃。東京時代の俳諧研究会「解纜」に所属を続けながら、連句の素養を以て、連歌の宗匠・猪苗代兼載忌の開催や連歌集の刊行、自身は福島県文学賞の準賞受賞等、会津での活躍の時期でもあった。
 平成15年より兜太先生の膝下に学んで10年、会津移住後に癌を発症。5年経過をクリアの6年目にして他部位への転移宣告を受ける。兜太先生ご逝去の少し前のこと。しかし雅秀さんには悲しみにも辛さにも堪えられる秘めたる勁さがあった。「笑って笑ってと最後まで明るく爽やかでした」との夫君の御挨拶のとおり、最期の病床からさえ、笑って、と呼びかけ頬笑まれる佳人だったのである。
 雅秀さんの新潟句会参加は平成21年5月から。海原支部・にいがた航の会に改まった後にも会津から遥々と句会に通い続けて下さった。大病を秘しての雅秀さんの熱心さに新潟句会は励まされて来たともいえる。

 何度でも握り返して春手袋 雅秀

 3月通信句会で特選に戴いた句。「季節は春。再会のよろこびか、惜別の挨拶か――」と、鑑賞を寄せた句である。今にして雅秀さんの今生への、そして出会えた全ての人への別れのメッセージのようにも想えて切なくなる。
 4月11日「体調不良のため航の会はしばらく休会にします」とのメール。この僅か17日後の4月28日、満五十七歳・享年五十九歳の若さにして、会津の佳人(兜太先生のお言葉)田中雅秀さんは逝ってしまわれた。
 《詠生院釋尼雅秀》様。航の会は淋しくなりましたけれど、雅秀俳句の魂の帰れる会として、励まし合いながら活動を続けたいと思います。すてきな思い出をありがとう!

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