松本孜句集『丹波篠山黒大豆』〈丹波春秋 榎本祐子〉

『海原』No.44(2022/12/1発行)誌面より

松本孜句集『丹波篠山黒大豆』

丹波春秋 榎本祐子

 松本さんは、昭和十年東京生まれ。戦争が激化する中、小学三年生の時に父親の故郷、丹波に移り住む。

  敗戦に帰農を決めた父ありき

 この時より、丹波の土と共に生きる生活が始まったものと思われる。
 以来、地域の役職にも就かれ、尽力され、丹波篠山黒大豆は、努力の成果としての特産品となっている。

  春確か命の水の動きだす

 句集『丹波篠山黒大豆』は自然の胎動を感じさせる句で始まる。

  剪定を終え里山の近くなる
  喪の家やおやっ蕗の薹そこかしこ
  餡ころや春もろともに頬張りぬ

 剪定後に見える景との交歓。地霊と共にある喜びが静かに伝わってくる。
 喪の家を出て、先ずは目に入った蕗の薹。生命の再生を見て「おやっ」との何気ない物言いも、死がいつも理として生活の中にあることを感じさせる。餡ころと共に春を享受する仕草も大らかだ。

  畦焼きの男叫喚して走る

 畦焼きの火に昂るのだろうか、情動的で、男に自然界の神が憑依しているようで何とも魅力的。

  畦塗って田は一面の水鏡
  水光るどの田も田植え待つ夕べ
  梅雨続く泥長靴を重くして
  地の温み素足に伝わる水田かな

 農事の合間の田への眼差し。田植え前のしばしの静寂の時間が、水田の水平に光る面と美しく呼応している。長靴に付いた泥の重みや、水田に足を踏み入れたときの感触は、体験を通してこその確かさで訴えてくる。

  夏至の夜ふと立ち止まる八十路かな
  八十路越え祇園太鼓に武者震い
  デカンショに始まる女房たちの盆
  デカンショに疲れし妻に風呂沸かす
  掃苔や妻と二人の夕まぐれ

 来し方行く末、その途上に人は時々立ち止まって物思う。「ふと」感慨に耽った後はまた、いつもの日常に戻る。そうして祭太鼓に奮い立ち、エネルギーを確認する松本さん。祭りという晴の日、一家は総出で盛り上がる。が、その後の気の抜けたような気だるい日常に妻を労い風呂を沸かす優しさ。家を守り継いでゆく為には様々な苦労や思いがあろう。掃苔後の夕暮れは言葉を超えたところで二人を包んでいる。

  梁太くビールの旨い日曜日

 太い梁のある古い家屋には薄闇がそこかしこにある。光と翳のコントラスト。相反したものがあって調和があり、その秩序が心を落ち着かせてくれる。代々そこに生きた人の時間が太く流れ、ここに寛いでいる人の時間も、やがてはその大きな流れに組み込まれて行く。今は、心落ち着く空間で休日のビールを存分に味わってほしい。

  柿熟れる人が居ようが居るまいが
  霜の田を真っすぐに割り通勤車

 過疎化の進む地域の景が切ない。通勤車が田んぼを切り裂くように走り、その勢いに、抗えない時代の流れを見ているのか。

  ああ丹波肌刺す寒さの好天気
  土に生き土に死ぬるやのっぺ汁
  静かなる雨やたちまち雪になる

 盆地の冬は寒い。「ああ」との嘆息には、これが丹波だと愛惜の情がこもる。静かに内省の時、のっぺ汁は熱く優しく、雨はしんしんと降る雪に変わる。丹波の風土を感じさせる句だ。

  除夜一人ひばりの歌に涙する

 除夜一人の松本さんの背中。昭和という激しい時代を生き抜いてきた歌手と歌への共感。松本さん自らへの自愛の涙でもあろう。

  竈猫核もてあそぶ独裁者
  牛蛙ミサイルを玩具にする馬鹿め
  戦仕掛ける奴に冬の蜂たかれ

 一方、このような世界に向けての怒りも、戦時中を生きた人の声としてストレートに伝わり響いてくる。

  丹波篠山縁ある万の灯りかな
  黒大豆老農夜明けを待ちきれず

  冬晴れやトラクター田へ驀地まっしぐら
  山国に溢るる一陽来復は

 丹波篠山の灯は親しく、身の内の明かりとしてあり、夜明けを待ちきれず「驀地」と、農に生きる人の面目躍如。逸る気持ちが若々しい。山国に巡る季節を寿ぎ、一陽来復と、松本さんの思いは溢れる。

 『丹波篠山黒大豆』は丹波篠山へのオマージュでもある。土を基盤とした営みの中より、今後も、この地より更なる一句、一句を発信し続けられるに違いない。

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