『海原』No.60(2024/7/1発行)

◆No.60 目次

◆海原秀句 同人各集より

安西篤●抄出

逝けば兄なぜか善き人濃餅汁 綾田節子
木の実降る木の国木の家空き家かな 有村王志
初蝶を追う眼に写る戦闘機 石田せ江子
春の山金属音の耳なだめ 遠藤秀子
品川はクレーンばかり朧なる 大池美木
ふきのとう御伽噺のような目だ 大髙宏允
桜さざなみ風の記憶を上書きす 大西健司
春炬燵夫の足ある夢に覚め 大野美代子
Z世代の春眠あわてふためかず 岡田奈々
花は葉に私をとっちらかしたまま 奥山和子
春愁ふんわり乳ふさ揺れるよう 桂凜火
雪柳そよと不在の置手紙 川田由美子
鳥帰るそれとなくお洒落して 北上正枝
遠雪崩加齢はとぐろ巻くように 黒岡洋子
デパ地下や寒鯉のごと夫ついてくる 黒済泰子
山茱萸の花打ち明けるときの息 小松敦
原爆忌透明傘が歩いてる 清水茉紀
音叉のふるへ沈丁の香のふるへは すずき穂波
国境を跨ぎておなじ黄水仙 ダークシー美紀
母とする連想ゲーム桜貝 竹田昭江
緑泥片岩ぎごちない春の着地 鳥山由貴子
黙祷へ小さく畳む春ショール 根本菜穂子
兜太先生ゴジラを諭す春の峠 野口佐稔
まんさく咲くするするっと素となる 日高玲
杖が倒れる春とわたしとの距離に 平田薫
悪童を少ししめらせ揚雲雀 松本勇二
野遊びや風いつからか口語体 宮崎斗士
あかるい雨先生六度目の春ですね 室田洋子
早春展墓大字生きもの字産土 柳生正名
一階は母のさざなみ霾ぐもり 横地かをる

日高玲●抄出

隠し戸の煙草一箱暖かし 伊藤歩
春の闇這い出す脱いだブーツより 榎本愛子
猿たちが木の皮を食べ春を待つ 遠藤秀子
春炬燵夫の足ある夢に覚め 大野美代子
入学や袖からのぞく指の反り 金並れい子
デパ地下や寒鯉のごと夫ついてくる 黒済泰子
いっせいにうごく僧の頭緑の夜 こしのゆみこ
蝶落ちてインク広ごる紙の束 小西瞬夏
雨の秩父三月がもりもり歩く 三枝みずほ
利根河原渡し場までの苜蓿 篠田悦子
月朧柩の中の眼鏡ふく 菅原春み
鰊曇婆がきゅーんと孤にひたる 十河宣洋
柿若葉生れし小牛の耳が立つ 髙井元一
春愁や水切りのつつつつつつつ 竹田昭江
ひとり来てひとりのことば花水木 田中亜美
秩父夜桜全身で濡れてゆく 田中信克
桜越し広島の街ガザの街 谷川瞳
春こたつ四角と見れば鶴を折る 中村道子
兜太先生ゴジラを諭す春の峠 野口佐稔
つぎつぎに木からでてゆく春の昼 平田薫
行く先は知らず隊列を組む土筆 平田恒子
物の芽や初産の馬眠りをり 本田日出登
山羊の眼の冷徹春田打つ時も 松本勇二
水の春フリーハンドでわたしの円 宮崎斗士
山査子さんざしこの傷きっと痣になる 村上友子
背の羽をきっちり畳み受験生 室田洋子
啓蟄やぴくっぴくっと脹ら脛 森由美子
早春展墓大字生きもの字産土 柳生正名
尾張遠し梅待つ畠に佇つ杜国 山田哲夫
ながらへて今年のさくらといふさくら 横山隆

◆海原秀句鑑賞 安西篤

品川はクレーンばかり朧なる 大池美木
 品川は東京湾の臨海部を抱えていて、コンテナ埠頭や貨物ターミナルとしても位置し、大規模な産業用地が広がっている。西側に山の手台地があって住宅街でもあるから、「品川はクレーンばかり」とは必ずしもいえないのだが、東京湾に面する東側はそうみてもいい一帯である。作者はそこに着目して、林立するクレーンの林に漂う朧夜の気配を捉えた。そのメカニカルな空間を蔽う朧夜の風合ふうあいが、独特の朧感を浮かび上がらせる。どこかキュビズムの感覚に巻き込まれそうな気配。

桜さざなみ風の記憶を上書きす 大西健司
 風が立ち初めて、桜並木がさざなみのような葉騒に包まれた。短な間をおいてまた風が立ち、桜並木を舐めてゆく。そのたびに桜に刷り込まれた風の記憶が、上書きされていくという。「上書きす」に、デジタル時代の感覚的把握が生かされて、いかにも新世代を感じさせ、「風の記憶」が鮮やかに更新されていく。

花は葉に私をとっちらかしたまま 奥山和子
 桜の花が葉桜に変わる頃、「私をとっちらかしたまま」とは、何を指すのだろう。花の盛りに浮かれていた気分そのままに、踏ん切りのつかない余韻を引きずっていく感じだろうか。「とっちらかしたまま」とは、そんな未整理な自分の、どこか疲れを帯びた自堕落な意識感覚を言い当てているようだ。なにもかも投げ出したい気分。

雪柳そよと不在の置手紙 川田由美子
 雪柳は、庭木として植えられ、白く細かい花を柳のように枝垂れさせて咲く。枝垂れた雪柳のその先に、不在の置手紙があるという。不在というからには、作者のイメージの中に置かれたもので、現実には存在しない。不在のままの置手紙は、作者にとってあらまほしきイメージとしてある。雪柳の枝垂れは、その不在感を指し示しているともいえよう。

遠雪崩加齢はとぐろ巻くように 黒岡洋子
 忍び寄る加齢現象を、いささかの怖れとともに感じている。今は「遠雪崩」の物音のみで、まだ蛇のようにとぐろを巻いている状態だが、やがて眼前の雪崩となって襲いかかる。その時の備えも何もあらばこそ、容赦のない現実は受け止めざるを得ない。曽野綾子もいうように、人間誰しも最後は負け戦だから、運命を承認しないと死は辛いものになる。とぐろを巻いているのは、今まで通りに暮らすということを意味していよう。それしかない。

原爆忌透明傘が歩いてる 清水茉紀
 原爆忌の比喩としては、例をみない捉え方と思う。たしかに原爆の被災地ヒロシマ、ナガサキでは、生きものを含むすべてのモノが、放射線で裸に引き剝かれた。被爆後の現地では、剝き出しになった裸の人間像のよろめき歩く姿が透明傘の下にあるように、あからさまに現出した。人間像そのものを描くより、被爆像を蔽う不在の透明傘を通して見るしかない人間の姿だ。それは原民喜や峠三吉の詩にも活写された無残な映像でもある。

国境を跨ぎておなじ黄水仙 ダークシー美紀
 句そのものを直に解せば、国境を跨いで黄水仙が咲き続いているとなる。この場合の国境は、日本国内における地域の国境と解するのが自然だろうが、昨今の時局を踏まえて、ロシアとウクライナの国境とみれば、時事俳句としての興が沸く。もちろん話題としては、後者の方が面白いが、前書きのないかぎり前者と取るのが自然だろう。国境を跨いでの黄水仙の存在は、隣国への親しみが、地続き、花続きの縁をさらに深いものにするに違いない。

まんさく咲くするするっと素となる 日高玲
 まんさくの花は、早春にまず咲くことからその名が由来するという。葉が出るより早く、線形でちぢれ気味の四弁の花が枝一杯に咲き続ける様は、金縷梅という漢字名にふさわしい。それは豊年満作踊りの満作にも似ているとも言われている。掲句の「するするっと素となる」という捉え方は、作者独特の形容だが、「まんさく咲きしか想いは簡単になる(金子皆子)」という句もあるように、素直に、シンプルに、ストレートに通う心情そのものに通い合う。

野遊びや風いつからか口語体 宮崎斗士
 野遊びは、春、山野に出かけて、食事をしたり、摘草をしたりしながら、一日を楽しみ過ごすこと。現代風にいえば、ピクニック。今では単なる行楽だが、昔は農事の始まりに先駆けて田の神を祀るために精進する行事であった。それがいつの間にか遊びとなったことを、作者は口語体への変化と捉えたのだろう。野遊びの文化性が、行事から行楽へと変わった。文化の遊び化は、フランスの社会学者ロジェ・カイヨワの説を待つまでもなく現代の趨勢だが、掲句は、文語体から口語体への変化と、言葉の変化として捉え返したのである。「風」は、時代を吹き抜ける風潮を象徴している。

◆海原秀句鑑賞 日高玲

隠し戸の煙草一箱暖かし 伊藤歩
 百害あって一益なし、と喫煙可能の場所も大きく制限されている昨今。周囲からも諭されて、禁煙中を標榜している家人が、こっそり隠している煙草を偶然に発見。こんなところに隠していたのかと呆れたり、腹が立ったり、苦笑したり。一瞬のうちに様々の感情が心を往来しながらも、家人の面影も伝わってきて、その一箱が、どこか懐かしい。日常の細やかな心情を、煙草一箱暖かし、の措辞でズバリと表現された。

春の闇這い出す脱いだブーツより 榎本愛子
 帰宅して、一日中履いていたブーツから足を解放すると、ブーツの中の暗がりになにやら得体の知れないものが蠢くような気配がする。いつの間にブーツの中で生まれた虫なのか、魑魅魍魎なのか。春の闇の艶めかしい季節感を、空想を交えて日常の景に取り込んだ楽しい作品。這い出す、の措辞が利いて、肉体の感覚として伝わってくる。

いっせいにうごく僧の頭緑の夜 こしのゆみこ
 樹木が芽吹きして新緑となり、さらに葉が茂ると、より濃厚で、重量感ある緑となるが、そんな緑の満ちた夜に、僧の一団の剃髪した頭が一斉に動きだす景。暗闇の中で蠢く僧全体が、命溢れる緑の景とぶつかり融合して、ひとつの別個の生命体の塊りのようになる。妙になまめかしい感覚が緑夜の中に横溢してくる。

鰊曇婆がきゅーんと孤にひたる 十河宣洋
 鰊曇の語により、北海道の海辺の村の景が一気に広がる。鰊曇は鰊漁のころの空模様。南風が吹き雲が低く垂れ込める。かつて鰊漁が盛んなころはこの空模様を目安に出漁し、海が時化て漁船の事故も多かったと歳時記にある。掲句は、いきさつは知りようもないが、季節風が吹き、不穏な鰊雲が重く垂れ込めるころになると孤愁を託つ婆の姿。どこかやるせない「きゅーんと孤にひたる」の措辞に、長年風土に縛られた身体感覚が現れる。

春愁や水切りのつつつつつつつ 竹田昭江
 憂鬱な気分を持ちあぐねて水辺で水切りしている景。それにしても、この大胆な表記にドキリとする。つ、の文字サイズが次第に小さくなる表記だけで、投げた石が遠く小さくなって行く様や、最後には、水の中に没してしまう景が視覚としてまざまざと見えてくる。やがてかすかな水輪と、虚しい空間だけが残って、軽く虚脱する気分が打ち返されてくる。春愁、の季とよく響きあう。

兜太先生ゴジラを諭す春の峠 野口佐稔
 このたび、アカデミー賞を受賞した日本映画のあのゴジラを登場させて、「猪がきて空気を食べる春の峠」のあの峠で、暴れまわるゴジラに説教をする兜太師、といったユーモラスな景を描いた。作者の空想が楽しい作品。金子師を懐かしみながら様々な場面にご登場いただいて、天上の師も苦笑いしておられるだろう。

つぎつぎに木からでてゆく春の昼 平田薫
春の昼に木から出ていくものは何だろう。冬の間に木の中でジッと耐えて閉じこもっていた何ものか、樹木の中に生息している虫なのか、木の精霊なのか、あるいは、凝り固まっていた自分自身の亡霊か。樹木との交感により、声なき野生からのメッセージを聞く。つぎつぎに木からでてゆく、という美しい発想に惹かれる。

物の芽や初産の馬眠りをり 本田日出登
 若い牝馬が初めての出産の難儀を越えて無事に仔馬が生まれた。その満ち足りた疲労のままに親子で深い眠りについている。時はあたかも芽吹きのころを迎えて、植物が夜中ざわめいている。牧歌的と言うべきか、ういういしくも力強い生命感に満ちた景の美しさに惹かれる。

水の春フリーハンドでわたしの円 宮崎斗士
 伸びやかにフリーハンドで円を描く。熟練した腕がなければ難しいその円が、「わたしの円」であるところが重要。作者の、朗らかに自信ある姿が感じられる。拘泥しない明るい感覚が、美しい水の春の季感にふさわしい。

啓蟄やぴくっぴくっと脹ら脛 森由美子
 例年同様に今年も地虫が出てくる。そのことと自身の脹ら脛がぴくっと動くことの取り合わせが楽しい作品。地虫の出現を身体感覚に取り込んだ、これぞ生きもの感覚。機知ある発想が魅力的。

尾張遠し梅待つ畠に佇つ杜国 山田哲夫
 狂句こがらしの身は竹齊に似たる哉 一六八四年芭蕉の記念すべき『冬の日』五歌仙の発句。この歌仙の連衆の坪井杜国は、当時、尾張の富裕な米穀商。芭蕉にその詩才を愛されるも、この翌年、空米の売買の罪で尾張の地を追放となり、三河国保美に隠棲することとなる。そしてその三年後の一六九〇年には三十数歳の若さで死亡している。掲句は、早春の畠に佇む杜国の侘しい姿を空想している作品。前年の尾張での芭蕉との付け合や華やかな俳諧の賑わいから、急な暗転となった春の漂流感。

◆金子兜太 私の一句

泳ぐ子と静かな親の森のプール 兜太

 先生はいろいろな句を遺して下さった。中でも御家族を詠まれた句の温かい目線が私は好きである。豪放磊落な印象だが、合わせもつ繊細なやさしさをも感じている。残念ながら直接お会いすることはなかったのだが、遺された句は先生そのものであり、先生の総てが凝集されていると思っている。これらは言葉よりも多くを我々に語りかけている。金子先生は永遠である。句集『金子兜太句集』(昭和36年)より。重松敬子

果樹園がシヤツ一枚の俺の孤島 兜太

 俳句門外漢だった僕は、一九八五年一二月、出たばかりの金子兜太著『わが戦後俳句史』(岩波新書)でこの句を読んだ。一九六〇年、安保闘争のさなかに著者が長崎から帰京したところで終わる本書の末尾に、次の時代への道標のように置かれていた。知らない人と手を繋いで道を一杯にしたフランスデモの日々。その高揚が去ったあと、気張って一人立つ著者の姿が浮かび上がった。句集『金子兜太句集』(昭和36年)より。野口佐稔

◆共鳴20句〈5月号同人作品より〉
〇印は2選者の共選句 ◎印は3選者の共選句

榎本祐子選
○老いという湾に一羽の冬カモメ 伊藤道郎
コロッケの次々揚がる七日かな 大池美木
冬籠り身体に石を飼っている 奥山和子
絵双六母の本気を見てしまう 加藤昭子
三枚肉の茶色いところが琉球 河西志帆
凍滝の如きうしろ姿の木 こしのゆみこ
背を濡らしおとうとが行く時雨かな 佐孝石画
ほほえみの構え冬日のわが故山 竹本仰
地震の記事読む人日の虫眼鏡 立川弘子
紙マッチ湿らすやうに郷愁は 田中亜美
○ラップ少年ガザは壊れた冬のまま 田中信克
無と思うほどの水色初明り 董振華
うっすらと鉛筆の痕雪催 鳥山由貴子
辻風の鋭く一鳴きして玄冬 中内亮玄
梵我一如の赤こんにやくや虎落笛 野﨑憲子
冬山の樹相ゆたかに吾を満たす 野田信章
夢みるために力やしなふ小鳥たち 水野真由美
黙読はそばだてる耳ゆきうさぎ 望月士郎
ひよめいて寒の卵の中その世 柳生正名
時雨るるや渡り切れない青信号 矢野二十四

大池美木選
かがみのなかかがみのうちがわしんうちゆう 阿久沢長道
エンドロール 外はしぐれか 石川義倫
焚火より焚火のあとのうわの空 泉陽太郎
原爆忌マシュマロ焼いてソロキャンプ 奥村久美子
「軍用地買います」看板に時雨 河西志帆
臘梅の香やぎざぎざの父に触る 木下ようこ
○手袋の中の手汚れ思想なし 小西瞬夏
着膨れてドールハウスの窓の外 小松敦
雪原を行く婆さんは白百合に 佐々木昇一
スケートは下手であの世の使者のよう 佐々木宏
鳥渡る父の海より昏れてゆく 白石司子
初夢や天袋にはあれがあり 菅原春み
粉末の七草粥を達者でな 鈴木康之
○猫型ロボット夜型人間月明り 芹沢愛子
人間との談合に疲れた冬眠す 十河宣洋
○ラップ少年ガザは壊れた冬のまま 田中信克
図書室の自意識過剰実南天 仁田脇一石
思い出がふふっ林檎を釣ってます 平田薫
宝石よりもかたい言葉を椿の実 室田洋子
普段着は水玉模様雪おんな 渡辺のり子

佐藤博己選
枯枝垂れ宇宙へ膨らみつづける 石川まゆみ
休戦四日笑み突き刺さる霜の華 伊藤巌
秋の蝶その日暮らしに徹しけり 内野修
東京の初雪カフェラテっぽいわ 大池桜子
○手袋の中の手汚れ思想なし 小西瞬夏
寒の入り調律のごと母の居て 近藤亜沙美
父の名の表札外す寒灯火 齊藤しじみ
人なき里柿棒読みの落下 鱸久子
○猫型ロボット夜型人間月明り 芹沢愛子
鴨の冬白一色の別世界 田井淑江
初日記十年日記の十年目 竪阿彌放心
白樺に淡きむらさき寒明くる 田中亜美
地よ鎮まれ火よ鎮まれと鶴鳴くか 月野ぽぽな
叫び疲れた枯蓮が折れていた ナカムラ薫
筆始平和と濃く書くずぶとく書く 中村晋
風垣を繕う民主主義に寿命 並木邑人
長風呂をおそう睡魔とオーロラと 長谷川順子
さりげなく寄り添う言葉ハクセキレイ 本田ひとみ
冬の蜂無神論者の眼をしてる 室田洋子
凍蝶は怖い絵本の閉ぢたまま 柳生正名

藤好良選
○老いという湾に一羽の冬カモメ 伊藤道郎
厨房に男遊んで薬喰 榎本祐子
小寒のトランク転がす異邦人 江良修
煩悩の僧の頭に若葉生え 葛城広光
クリオネの無音の羽ばたき心電図 黒済泰子
風花や言葉が逃げてゆく愉快 佐藤詠子
冬すみれ赤い市電の走る街 白石司子
極東の小さな家の納豆汁 鱸久子
少しヘン全部変なり蚯蚓鳴く 田井淑江
頰杖に近づいてくる猫柳 たけなか華那
太古よりつづく大空小正月 月野ぽぽな
雪女愚痴の相手になってくれ 峠谷清広
壁紙の見事な継ぎ目去年今年 董振華
一束の水仙生ける診療所 鳥井國臣
写楽いて西鶴がゐて喧嘩凧 西美惠子
消息を尋ねるも旅寒雀 根本菜穂子
七種の揃わぬ粥をいただけり 平山圭子
被災能登に無言の雪の重い重い 藤野武
スクラムはこわれやすくて大旦 松本勇二
過去語る少しの嘘や式部の実 森由美子

◆三句鑑賞

三枚肉の茶色いところが琉球 河西志帆
 沖縄では豚肉が食されることが多いようで、中でもあばらの部分の三枚肉は脂身と赤身の層が美味しく色んな料理に合う。沖縄の琉球王国より続く苦難の歴史。歴史とは時間の層が降り積もり、人々の喜怒哀楽を練り込み封じ込め息づいている。作者は三枚肉の赤身の茶色い部分に琉球を感じ、今に至る時間を見つめている。

背を濡らしおとうとが行く時雨かな 佐孝石画
 自身より年下の兄弟とは、大人になっても幼い頃の面影に何かと気に掛かる存在だ。この句には濡れた背、おとうと、時雨の中のふたりの距離、その景だけが提示されている。読者は作者と一緒にその背を見送ることしかできないが、この静寂がふかぶかとした世界に連れていってくれる。「時雨かな」の詠嘆も動かし難くある。

夢みるために力やしなふ小鳥たち 水野真由美
 力を養うのは夢を叶えるためではなく、夢を見るためだという。生命力の中に自ずと備わっている何かを希求する思いも力を尽くさないと得難くなっているのか。確かに、見回してみると様々に悲惨な状況が飛び込んでくる。そんな中、小鳥たちは健気に夢を取り戻そうとしている。しなやかな力強さに、立ち止まり考えさせられる。
(鑑賞・榎本祐子)

着膨れてドールハウスの窓の外 小松敦
 ドールハウスの中ではお人形達が幸せのサンプルのような生活をしている。暖炉のある居間、理想的なキッチン。テーブルには花、壁には素敵な絵が飾ってあって。着膨れて外から窓の中を眺めている作者はきっと、微笑ましいと思いながらもそんなに見本みたいにはいかないよと。でも相手がドールなので、深刻じゃないのが好き。

初夢や天袋にはあれがあり 菅原春み
 初夢で見るものは縁起をかついだりするけれど。この作者は天袋の中にあるものが頭から離れないらしい。天袋ってしょっちゅう開けるものではないし、だいたい何かをしまい込んでもそのまま忘れていたりするのが天袋。なにしろ「あれ」が絶妙だ。秘密の匂いしかしないではないか。初夢なのに不吉?ちょっと怖い魅力。

宝石よりもかたい言葉を椿の実 室田洋子
 ソフトでふわふわの言葉がよいとされる時代。いつも空気を読むことが重要。その場に合ったひとを傷つけない言葉を選ばなければならない。曖昧なことしか言わない人が人間ができてると評されたり。でも時にはちゃんとしっかりした言葉を聞きたくなる。特に告白とかは。それが宝石のように輝いていたら最高だ。椿の実が秀抜。
(鑑賞・大池美木)

東京の初雪カフェラテっぽいわ 大池桜子
 北国に住む人間にとって、初雪が降ると、今年も憂鬱な季節、雪と寒さに閉じ込められる季節が来たかという思いにさせられ、春が待ち遠しくなるが、東京の人にとっては、カフェラテのような、香ばしい香りと甘い味を想起するのだろう。珍しい雪を眺めた際の、嬉しさを素直に詠んだ句だと思いました。

手袋の中の手汚れ思想なし 小西瞬夏
 手袋の中の手は、どれほど汚れているのだろうか。人様に見せて恥ずかしいことはしてきていないだろうか。いくら手袋で隠して、人の目を誤魔化しても、天網恢恢疎にして漏らさずという言葉もある。我々も、自分の手は汚れていないだろうか、清潔であるだろうか、顧みたいと思いました。

地よ鎮まれ火よ鎮まれと鶴鳴くか 月野ぽぽな
 元日に能登半島を襲った震災のことだろうと思います。毎年、どこかで大地震や水害に見舞われる日本列島。その日本に住む我々も、いつ大きな災害に見舞われるかもしれない。決して他人事ではない。一日も早い復興を願う思いを込めて、鶴も鳴くのでしょうか。
(鑑賞・佐藤博己)

少しヘン全部変なり蚯蚓鳴く 田井淑江
 日常生活では小刻みな修正修正で過ぎてゆくことが多いようです。人生をがらりとひっくり返すような戦争のようなことは今の日本ではなかなか考えられません。しかしながら、上五の「少しヘン」を、堂々と中七で「全部変」と全否定し直す大胆さに、俳諧味を浴びせかけられました。蚯蚓との取り合わせがなかなか愉快です。

壁紙の見事な継ぎ目去年今年 董振華
 新築マンションでも見に行ったのでしょうか、壁紙施工の職人の壁紙ジョイント部の見事な仕上げぶりに感嘆したようですね。時間と共に剥がれてきたり、左右壁紙の色違いが目立ったり、糊あとが拭き残ったりとか、施工時には様々な気配りが求められます。内装施工の壁紙ジョイントに目を向けた作者の着眼力にビックリです。

消息を尋ねるも旅寒雀 根本菜穂子
 どこかの旅先にて寒雀を見つめつつつぶやいた句と読みました。句の分類法として俳諧式目表には、春夏秋冬・恋・述懐・神祇・釈教等と並び、旅が乗っています。旅にも家族旅行、プランとしての旅、一人旅等いろいろ考えられます。この旅は、過去を訪ねる時空間に広がる旅のようですね。旅先での寒雀が切ないです。
(鑑賞・藤好良)

◆海原集〈好作三十句〉武田伸一・抄出

墓場まで持ってく秘密チューリップ 有栖川蘭子
菜の花蝶と化すかつ逸る恋情よ 飯塚真弓
逆上がり出来ないままに卒業す 石口光子
永訣といふほほゑみや木瓜の花 石鎚優
果てのない散文に似て春の雨 井手ひとみ
花冷やぽつぽつ音をたてて落つ 大渕久幸
楢山節誦しつ小昼を日向ぼこ 押勇次
白鳥去る泥にまみれし足揃え かさいともこ
カステラの端嫌われて春隣 北川コト
正論をつぶす極論春こたつ 木村寛伸
誰が為にあらず紅ひく巴里祭 工藤篁子
門出れば深山桜や目を塞ぐ 小池信平
みんな他人コインランドリーの四月 香月諾子
鳥雲に隣人逝きしを後に知る 古賀侑子
春炬燵処分躊躇ためらふツーショット 小坂修
香らないフリージア抱き不眠症 小林育子
花筏たどりつく場所あるように 近藤真由美
藤波や彼の日の如く忍び逢ふ 佐竹佐介
夏めくや父の背中が原風景 重松俊一
無礼講そもそもなくて課の花見 島﨑道子
風光るキトラ古墳の天文図 宙のふう
いくつの死いくつのピエタ春北風 立川真理
障壁画の動かざる波鑑真忌 平井利恵
春愁やカフェの椅子に赤子抱く 福井明子
花冷や君を思い出しすぎている 福岡日向子
定食の小さき椀の蜆かな 藤井久代
柄じゃなくお前だけだよ春の月 藤川宏樹
コタンの空を赤い風船去り難く 松﨑あきら
チューリップ過疎になるまの明るさよ 村上紀子
運命を託すコインや四月尽 よねやま恵

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