『海原』No.57(2024/4/1発行)

◆No.57 目次

◆海原秀句 同人各集より

安西篤●抄出

「熊のあります」賛否あります 石橋いろり
寒紅やたまにショートする感情 大池美木
椋鳥むく去って電線弛みきったまま 大沢輝一
綿虫の湿気孕んで女子校生 大西政司
指先に小さなクレバス雪催 奥山和子
長き夜の糸巻きからんと奥秩父 桂凜火
戦争は積木崩しの藪枯らし 川崎千鶴子
空風の足袋蔵の街花手水 神田一美
爪も髪も声もでしたね式部の実 黒岡洋子
そらみみの音のふえゆくふゆすみれ こしのゆみこ
髪梳くにえんぴつ使ふ一葉忌 小西瞬夏
譜読み始めるわたしの星空はここ 三枝みずほ
凍雲に人が吠えたき日本海 志田すずめ
よわい百はゴールじゃないよ銀木犀 鱸久子
着ぶくれて着ぶくれて難民の波しづか すずき穂波
過去よりの空耳やさし小鳥くる 芹沢愛子
鍵穴の中の残照憂国忌 ダークシー美紀
水仙や銀のピッコロ吹く少年 髙井元一
雪ぎちぎちメタセコイアは武者震い たけなか華那
寒紅の老妓の凜とめがね橋 立川弘子
大出水乾かぬ泥を蟻歩む 竪阿彌放心
色になる前の感情冬桜 月野ぽぽな
サーカス来放牧のよう凪の町 遠山郁好
秩父晩秋何もかも何もかもなつかしく 野﨑憲子
小さな呪文凩のなかで言う 松井麻容子
晩秋のコキアのような恋でした 松本千花
霜晴れや枯れたふりする犬と俺 松本勇二
狐火のゆれる瓦礫のカトラリー 三好つや子
雪のあね雪のいもうと雪うさぎ 望月士郎
吊し柿いまも裏山背負う生家いえ 横地かをる

遠山郁好●抄出

椋鳥の群涙の形で落下する 石田せ江子
銀河濃し指の先まで倦怠感 井上俊一
川に石ぽつんと隕ちた冬の音 大沢輝一
それにしてはよく喋る猫冬至粥 大西健司
錯覚の消えぬ枯薗ありにけり 小野裕三
答えではなく釣瓶落としを探してる 岡田奈々
冬日向プラットホームという疎林 尾形ゆきお
秋の蝶毀れしものの影を吸う 川田由美子
情ありてむらさきいろの鶴浮腫む 木下ようこ
野襤褸菊ちょっと火花が散ったよう 黒岡洋子
オリオンやさざ波纏う吾の母性 近藤亜沙美
朝日の阿釣瓶落しの吽のうた 鈴木孝信
すずき穂波芒にまぎれ楽になる すずき穂波
個室にて時計が回る冬の棟 鈴木康之
初蝶の白の真実透き通り 田井淑江
音楽堂発スカイトレイン霧の国へ 高木一惠
冬林檎きのうはすでに傍観者 竹田昭江
ゆずジャムをつくる絵本の明るさに 竹本仰
靴音の止んではつゆき降り出しぬ 田中亜美
色になる前の感情冬桜 月野ぽぽな
晨鶏の諾否を問わぬ夜の長き 董振華
突如濃霧PTSDのように 新野祐子
頑是ない老人でありすゝ払い愛 長谷川阿以
ホットミルクの被膜よきっと今日も不在 藤野武
長い影と同じ冷たい靴で立つ 堀真知子
初冠雪夫をたたいてしまいけり 本田ひとみ
てのひらのうすき水脈にも雪降りぬ 水野真由美
鬚を剃り頭を洗い忘年会 森鈴
雪原のくぼみ大好き御来光 森田高司
綿虫飛ぶ亡母にとどく手の高さ 横地かをる

◆海原秀句鑑賞 安西篤

椋鳥むく去って電線弛みきったまま 大沢輝一
小さな呪文凩のなかで言う 松井麻容子

 能登大地震の被災地石川県にあって、間近に被災の惨状に直面したお二人の句をまず挙げたい。
 大沢句は、被災の現実をありのままに訴えている。いつも群れをなしてやってくる椋鳥は、すっかり姿を消した。被災地では建物の倒壊、道路の寸断に伴い、電柱も倒れ、電線は弛みきったままという。とりわけ被害の大きかった北部、中部圏域は高齢化率の高い地域であり、ネットやSNSの利用もままならぬ状況の中、被害の全容の詳細がなかなか届かず、分断され孤立した地域に救援の手も十分に行き渡らなかったようだ。
 松井句は、そんな現実の最中におかれた人々の、孤独感、絶望感を訴える。凩吹きすさぶ中で、八百万の神々に小さな呪文を唱えて、ひたすら救いを求めている。こんな人たちがいるんです。お助け下さいと祈る呪文に、せめてすがるしかない己の小ささを噛みしめながら。

寒紅やたまにショートする感情 大池美木
色になる前の感情冬桜 月野ぽぽな

 俳句で感情を直接表現するのは難しく、やってみたとしてもあまり成功作は少ないとされているが、そこをあえて挑戦した句である。
 寒紅は寒中に作られる口紅で、その時期はことのほか品質のよいものになるという。「感情」は物事に感じて起こる心の動きだから、日頃の成り行きの中で「たまにショートする」こともあり得よう。それが「寒紅」のように鮮やかな火花を散らすとなれば、一種の情動の高ぶりに達するのではないか。
 「色になる前の感情」とは、ものに応じて起こる感情だから、冬桜のように、小ぶりで薄紅か白の一重咲きの、これから何かの色に染められる前の無垢な桜をイメージしている。やがて人間関係や季節の流れの中で、さまざまな色合いに染めだされるのだろう。作者は、その前の純なる状態のままにありたいと願っているのだろうか。

爪も髪も声もでしたね式部の実 黒岡洋子
竜胆や母似の魔女の情深し 中内亮玄

 今年亡くなった同人らふ亜沙弥さんへの追悼句。らふさんは、衣装も髪も口紅もすべて紫で統一するという凝ったコスチュームでいつも登場する人だったから、句会ではまさに異彩を放っていた。近づき難いようなエキゾチックな風貌にも関わらず、意外にざっくばらんな親しみ安い人柄から、接した人々に愛されていたようで、多くの追悼句があった。この二句をその代表として挙げる。
 黒岡句は、そのむらさきのコスチュームを、むらさき式部の実と喩えて、その全身像に憧れの賛歌を贈る。語りかけるような情感をこめて。
 秀句にはあげなかったが、中内句も、らふさんを竜胆の花に喩えて、母にも似た魔女のような情深き人という。まさに生前のらふ亜沙弥像を活写した一句。

着ぶくれて着ぶくれて難民の波しづか すずき穂波
 この句の難民は、ウクライナの戦争避難民と解した。能登地震の場合は、ほとんど着の身着のままで逃げざるを得なかったと思われるからだ。難民の波は、侵攻してくる残虐なロシア兵に声も上げられず、ひたすら逃げ惑うばかりの人波だったのではないか。北国の早く訪れる冬に備え、出来る限りの防寒着を身に着け、転がるように逃げ続ける。「着ぶくれ」の言葉を重ね、その人波はロシア兵の眼を逃れるように物音「しづか」としたあたり、重苦しい逃避行の旅のあり様が見えてくる。

鍵穴の中の残照憂国忌 ダークシー美紀
 「憂国忌」は言うまでもなく、昭和四十五年十一月二十五日に、市ヶ谷の自衛隊司令部で割腹自殺した三島由紀夫の忌日。小林秀雄は「この事件の象徴性とは、この文学者の自分だけの責任を背負いこんだ個性的な歴史経験の創り出したものだ」という。それ故に、三島文学の凝縮された光芒 が、今もなお歴史の小さな鍵穴から、強烈に放たれる。作者はそのことを忘れまいとしている。

秩父晩秋何もかも何もかもなつかしく 野﨑憲子
 この句も兜太師を偲び、秩父で吟行した思い出を詠んでいる。具体的な景は書かれていなくとも、その吟行体験を共有した海原の読者なら、ああとうなずくことだろう。幾たびか訪れて兜太師を中心とする連衆と過ごした思い出の数々が、そのまま立ち上がってくる。「何もかも何もかも」というリフレインの呼び掛けが、言い尽くせない思い出の数々を油然と甦えらせる。作者は、その体感を、堪らない程のなつかしさとして書いている。

狐火のゆれる瓦礫のカトラリー 三好つや子
 カトラリーとは、洋食に用いられるナイフ、フォーク、スプーン等の食器の総称。この句もあるいは被災地の現実を想望して書いたものかも知れない。瓦礫の広がる被災地の中に、亡くなった人々の狐火が燃えているのだろう。そのあたりに、カトラリーが散乱していて、そこに燐光が光っているようだ。妖しげな光の渦がカトラリーに照り映えているようだ。

◆海原秀句鑑賞 遠山郁好

椋鳥の群涙の形で落下する 石田せ江子
 光りながら鳥たちが上枝から下枝へと舞い下りるとき、ツイーンとまるで涙のようにキラキラ美しい。そんな光景を何度も見た。このような感じ方は特別ではないかもしれないが、同じ想いで見ている人がいたことが嬉しい。晩秋から初冬へのひかりの推移の中での椋鳥の生態、またそれを見ている人の日常が鮮やかに浮かぶ。光がなかったなら、落下する鳥は涙には見えないはず。そう思うと、この冬の日差しが一層いとおしい。

頑是ない老人でありすゝ払い 長谷川阿以
 普段あまり耳にしない頑是ないという言葉。中原中也の詩に「頑是ない歌」というのがあったが、無邪気とか聞き分けのないとか言わずに、頑是ない老人という作者に惹かれる。もちろん上五中七と煤払いとの因果関係はない。年末の寺社仏閣での懇ろな煤払いとは違って、ぱっぱっと盛大に埃を撒き散らしながら、子供のまま老人になった人の煤払いが妙におかしい。頑是ない老人の煤払いは無事に終わったのだろうか。

突如濃霧PTSDのように 新野祐子
 心的外傷後のストレス障害、PTSD。経験のない者には想像の域を出ないが、突如濃霧のようにと言われれば、かつて車で山中を走っていた時、突然の濃霧に襲われたことがあった。その時の不安と恐怖は今も覚えている。しかしその濃霧は刻が経てば晴れ、不安も取り除かれる。幾度も繰り返すPTSDのフラッシュバックは、そんなに簡単なものではない。さらなるメンタルケアが必要となることを思うと、この複雑な現代社会の生きづらさが思われる。

初冠雪夫をたたいてしまいけり 本田ひとみ
 この句を読んでまっ先に思ったことは、しばらくお目にかかっていない作者に会いたいと思った。長い間病後の夫と共に暮らす作者。気丈で優しく、真っ直ぐで清潔な人。かつての作者の句に「うそつきの母の嚏に従いてゆく」があった。一瞬どきっとするが、もちろん大好きな母についてゆくと読める。そして今回の句、軽い悔いも滲ませながら、たたいてしまいけり。しかしそれらの全ての想いを包み込む〈初冠雪〉の気高さが素晴らしい。作者は、季語の使い方の名手で、それは今も変わらない。

錯覚の消えぬ枯薗ありにけり 小野裕三
 もの皆色を失い、人影もまばらな閑寂とした枯園。その枯園に立った時、全ての拘束から解放された安堵感で一瞬方向感覚を失い、知覚が自由に飛び回るような自在さを感じないだろうか。それは錯覚が錯覚を呼ぶような陶然とした世界であり、そんな世界が心地よくて、しばらくそこに浸っていたい気分になる。

色になる前の感情冬桜 月野ぽぽな
 一読難解な句。しかし惹かれる句。冬桜はあの切れるように透明な冬の空気の中で、まるでその色を奪われてしまったかのように幽かに儚げにしかし凜と咲いている。それでは色になる前の感情とは何か。上五中七が全て冬桜に係るのか、あるいは作者自身が色になる前の感情を抱いていて、その感情は冬桜から生まれてくるものと読むのか。やはり感情・・が難しい。

朝日の阿釣瓶落しの吽のうた 鈴木孝信
 字音の初めの阿は〈朝日の阿〉そう言われて実際に、口を開けて阿の音を出してみて、作者の言う〈朝日の阿〉に感心する。それから〈釣瓶落しの吽のうた〉のうた・・に感動する。そしてこのうたは大地に響き渡り、たましいに届く。大自然に溶け込むようにすくっと立ち、土と親しみ、土と暮らす大らかで健康的な、原初日本人の匂いがするこの句。この作品に出会って、今夜はぐっすり寝ることができそうだ。

ホットミルクの被膜よきっと今日も不在 藤野武
 いるべき人がいない、いて欲しい人がいない、不在。ぞくっとするような淋しさ。今日だから昨日もそうだった。そしていつかずうーと不在。明日のことはもう考えない。時間の経過と共に現れ、口にすると舌に残り、こころをシワシワさせるミルクの被膜のようなやっかいなもの不在感。こんな微妙で複雑なこころの内をホットミルクの被膜という具体的な物で提示されて、改めて不在という言葉にぞくっとする。

てのひらのうすき水脈にも雪降りぬ 水野真由美
 感覚本位で句作すると、つい言葉を酷使することがままありがちだが、この句は感覚的でありながらそれがない。てのひらのうすき・・・水脈にも・・表わされているように句の隅々まで行き届いた肌理細やかな言葉選びと表現。そしてそれらの言葉を柔らかく、滑らかな韻律に乗せて心地よく響かせる。完成度の高い作品。この句でさらに注目したのは〈雪降りぬ〉の季語の働き。まるで夢とうつつを行きつ戻りつしながら、しだいに雪の景に同化し、いつしかてのひらの水脈を通じて、作者の歳月をも感じさせる。

◆金子兜太 私の一句

烈女の手のつばなのやわさ鯉癸癸はつはつ 兜太

何年も前のNHK全国俳句大会で、兜太先生と稲畑汀子さんの選が重なった折、稲畑さんの「近頃は金子先生も大分俳句のことが解ってらしたようで……」の発言、それをガハハ笑いで受け流す、兜太先生の大写しの貌が正に癸癸、稲畑さんを烈女と名指すことに少しの遠慮はありますが、この句の核である。「つばなの柔さ」で許して頂きましょう。句集『詩經國風』(昭和60年)より。”癸癸は「盛んなる貌」。”の注釈あり。中村道子

走らない絶対に走らない蓮咲けど 兜太

兜太先生は常々「私はね走ったりはしないんですよ」とおっしゃっていました。私も同感でしたので、次の句を作りました。〈秋高し走れるけれど走らない〉。しばらくして「海程」誌上で掲句を拝見。正直驚きました。何もおっしゃらないけれど、先生は気にしていらした。初めてお会いした時は豪放磊落な方と思いましたが、実はとても繊細な方であるとしみじみ思いました。句集『日常』(平成21年)より。松本悦子

◆共鳴20句〈1・2月合併号同人作品より〉
〇印は2選者の共選句 ◎印は3選者の共選句

田中信克 選
稲光まとめて削除します「はい」 石川青狼
八月や忘れぬ為に石を置く 石川義倫
フライパン選んだりして妻みたい 大池桜子
海貸します車貸せますさるすべり 河西志帆
海の端に鱗を拾ふ星月夜 小西瞬夏
無いものを見せまいとして秋の繭 小松敦
赤とんぼ交わるどの空も愉快 三枝みずほ
他界へと捻る両の手阿波踊り 高木水志
鳩を吹く人は順路を生きられず 立川弘子
小鳥来る宙より現るる周波数 立川瑠璃
詩の土器のわたしの破片つづれさせ 鳥山由貴子
秋灯にインテリア店と畳屋 野口佐稔
認知症つくせつくせとつくつくし 松田英子
太宰治と自転車が好き青みかん 松本千花
○リンゴ赫む根っこに縄文人骨 マブソン青眼
○月光の匂ふ上衣を折りたたむ 水野真由美
鉛筆画の母がぽつんと敗戦忌 宮崎斗士
萩の花いつもメガネを拭いている 室田洋子
牛膝とおく歩いてきた後ろ 望月士郎
海色の秋蝶なれば栞とす 茂里美絵

藤田敦子 選
はらわたの機嫌に疲れ早稲の粥 石川和子
百日紅おやは海よりあがりきて 稲葉千尋
岩木残照あなたの好きなむらさきに 植田郁一
素っ気なき男と見てる秋の曳航 榎本祐子
鵙過るプラットホームという疎林 尾形ゆきお
○金木犀寂しい時は手を離す 奥山和子
荷崩れのごと家に居て漸く秋 篠田悦子
「のぼさん」と呼ばれし頃よ素手素足 新宅美佐子
きっかけは風の三叉路この愁思 竹田昭江
白菊や名刺の切れた人ばかり 中内亮玄
○遠雷は私を探しているのだろう ナカムラ薫
露の世の露よ等しく円周率 中村晋
銀漢の尾を踏み外し猫と居る 新田幸子
半睡の冷えたあしたを引き寄せる 平田恒子
十月の夏雲紙で切った傷 北條貢司
雁渡る傷の深さを確かめに 松本勇二
○リンゴ赫む根っこに縄文人骨 マブソン青眼
○月光の匂ふ上衣を折りたたむ 水野真由美
妹よ無邪気なふりの白玉よ 室田洋子
○たぶん後から作った記憶アキアカネ 望月士郎

松本千花 選
少女等はコスモス畑に永住す 大池美木
○金木犀寂しい時は手を離す 奥山和子
先生と虹とを声で区別する 小野裕三
廃校の笑い袋を拾ったよ 葛城広光
かでなふてんまもずく天ぷらは此処 河西志帆
恋びととぬすびと萩が枯れてゐる 木下ようこ
すすきみみずく琴線に触れるさび 黒岡洋子
涅槃図の真白き象を鳴かせをり 小西瞬夏
花すすき催眠術師の髪のいろ 小林ろば
火恋し夜のふくらみ人のふくらみ 小松敦
ゆという季節や国境また湧いて 佐孝石画
切り裂きてスローな昼やバッタ飛ぶ 白石修章
栗をひろう青空に不都合な過去 たけなか華那
それぞれの海抱え来て秋病棟 竹本仰
○遠雷は私を探しているのだろう ナカムラ薫
風よりも先にうまれた白式部 平田薫
風は柚子からやっぱり正直者なんだ 三世川浩司
○告白に椎の実ふたつ混ざってる 室田洋子
○たぶん後から作った記憶アキアカネ 望月士郎
やきいもを分ける姉弟の不公平 若林卓宣

山本まさゆき 選
入口を無くした空き家小鳥来る 伊藤歩
ギンナン踏むたび靴が小さくなる 井上俊子
女子学生鶴折り夏をとんがらす 大沢輝一
困学の果ての生き方終戦忌 河田光江
言の葉の根の澄みてゆく草雲雀 川田由美子
サイダーの泡の向こうが燃えていた 河西志帆
山鳩と隣りあう席秋の雨 河原珠美
合歓の花全部余白の人に会ふ 小松敦
栗実る山を案じてパトカー来 佐々木香代子
もう一匹黒猫が居る木下闇 篠田悦子
眼底を覗く秋風のようなドクター 十河宣洋
晩夏光ルビふるごとくひとの影 舘林史蝶
鳥渡るなり人みな配置図のなかへ 田中信克
木木睡り小鳥は考えてばかり ナカムラ薫
鶏頭のぶ厚さで立つ老いなりし 丹生千賀
鶺鴒と徒侍は休むかな 松本勇二
金木犀の金をいまさらさびしむか 水野真由美
帰国猫クローゼットの秋気が好き 村上友子
○告白に椎の実ふたつ混ざってる 室田洋子
銀漢や妻につむじが二つある 望月士郎

◆三句鑑賞

稲光まとめて削除します「はい」 石川青狼
 ユーモラスな表現の内に重大な真実が潜んでいる。ネットアカウント削除のことだと思うが、ここ数年の世界を見れば、「まとめて削除されるもの」がいかに多いことか。ウクライナやガザへの侵攻。災害で失われた多くの命。「はい」と言う従順な返事の裏に強い抵抗とやるせなさが滲む。俳諧としても警鐘としても貴重な一句だ。

八月や忘れぬ為に石を置く 石川義倫
 「石を置く」というフレーズに深い意味を感じる。この「石」には墓や碑のような重量感を感じない。指で摘まめるくらいのサイズ。動かすことも転がすことも自在である。だがそれゆえに「それを護り抜くこと」が難しい。時は八月。歴史と現在への省察と、「忘れぬ為」の決意と努力が試されている。静かな教えがここにある。

小鳥来る宙より現るる周波数 立川瑠璃
 周波数を視覚として捉えたのが面白い。地球上の空間に溢れる電波や音波。通信機器などを通じて様々なメッセージが送られ、我々は常に一喜一憂させられる。今、宇宙から新しい周波数がやってきた。それがやがて、群鳥の飛影の中に妖しい姿を現し始める。預言なのか福音か。どうか幸せをもたらすものでありますことを。
(鑑賞・田中信克)

遠雷は私を探しているのだろう ナカムラ薫
 激しい雷鳴と稲光が遠ざかっていく、遠くで雲が微かに光り、基調低音が繰り返し伝わってくる。すでにもう、長く穏やかな日々なのに、時折、過ぎ去った時が私を探しに来る。変わらず私はここにいる。また遠くが光った。もう音は聴こえない。「私を探しているのだろう」という断定が、しづかな諦観と共につぶやかれる。

十月の夏雲紙で切った傷 北條貢司
 このところの気温上昇で、一年は四月から十月までが夏だと思っている。そこで十月の夏雲である。常ならば、鰯雲や羊雲が空を埋めている頃だ。この夏雲はさすがに力強い積乱雲ではないだろう。それはまるで、知らぬ間についた小さな指の傷のように、時折ひりりと痛む。そんな夏の名残の光のようである。

たぶん後から作った記憶アキアカネ 望月士郎
 明確な証拠が残されぬ限り、記憶などはそういうものだろう。つらい記憶は薄れゆき、流した涙さえも美化される。「後から作った」といえば、作為的となるが、ほとんどの場合は無意識の上書きなのだ。「十五で嫁に行ったねえや」は幸せだったのか?なんて誰も考えない。しかし、それを良しとしない人もいて、だから控えめに言う「たぶん」なのだ。
(鑑賞・藤田敦子)

花すすき催眠術師の髪のいろ 小林ろば
 催眠術師に会ったことはないが、怪しげな笑顔、信用させようと取り繕う滑稽さを思い浮かべてしまう。作者は催眠術師の髪の色に注目した。たしかに髪の色はその人の印象に大きく影響する。花すすきのように白くふわりとした髪であったら、眠たくならなくても催眠術にかかったふりをしそうだ。風になびく綺麗なすすきの穂に招かれるように。

火恋し夜のふくらみ人のふくらみ 小松敦
 肌寒くなると火を焚いて温まりたくなる。寒さを逃れ暖を取るときの幸せ。昼間の仕事が終わり家族や親しい人と火の近くで過ごす夜のぬくもりを思う。部屋が暖まってくると夜がふくらみ、人もふくらむ。「夜のふくらみ人のふくらみ」「夜のふくらみ人のふくらみ」呪文のように唱えて、私も少しふくらみたい。

やきいもを分ける姉弟の不公平 若林卓宣
やきいもを仲良く分ける姉弟の映像が「不公平」で一変する。年齢差、体格差…。どう分ければ公平になるのか。姉弟は兄弟、姉妹に比べて競争心も少なく仲の良いものとは思うが、性差による不公平を感じることもあるだろう。やきいもを分け合う頃から、何度も不公平を感じ、それぞれ成長していくのだろう。
(鑑賞・松本千花)

困学の果ての生き方終戦忌 河田光江
 私の亡父は、昭和二十年代、代用教員を辞め、学者を志して上京、バラックの大学寮に住み、庭で野菜を育て、寮費の免除を受けるために炊事係をしながら学問を続けたというが、結局断念して帰郷し、教職につき一生を終えた。しかし、父の苦学があったからこそ、今の私がある。そしてそれは私の子に引き継がれる。

サイダーの泡の向こうが燃えていた 河西志帆
 何気なく頼んだサイダー。観光客で活気に溢れたカフェの片隅で、夏の眩しい日を透かし、泡がつぎつぎと上ってゆく。作者は沖縄に在住。背景はかつての戦場なのだろう。七十八年前、泡の向こうの正しくこの場所で、火炎放射器の炎にサトウキビ畑が、人々が燃えていた。私もかつて焼夷弾が降り注いだ現場を日々歩いている。そしてサイダーの泡は黙々と上り続ける。

晩夏光ルビふるごとくひとの影 舘林史蝶
 晩夏の光を浴びる真っ白なケント紙に、細い直線で大きな交差点が描かれ、ルビのような影が散らばって蠢いている。ルビの対象である人そのものは、もうそこにはいない。人の実体はもう要らない。ルビだけで十分なのだから。ルビたちは、とりあえず決定されたそれぞれの目的地へ向かい、散ってゆく。
(鑑賞・山本まさゆき)

◆海原集〈好作三十句〉武田伸一・抄出

愛の日の誰にも逢はぬまま日暮れ あずお玲子
曾祖母はるか婦志ふじと呼ぶ美しき白息 飯塚真弓
与那国島から台湾が見え雁渡し 石口光子
陸軍歩兵新倉八五郎碑冬うらら 石鎚優
亡き弟の名だけ頷く父へ小春日 伊藤治美
裸木や最後の無頼派作家逝く 植松まめ
鬼なのか人間なのか海鼠食なまこはむ 大渕久幸
たわわなる青柿の家ひと絶えし 小野地香
柚子届く柚湯柚子みそ柚子ぽん酢 かさいともこ
師の腕を抱へ山頂冬桜 神谷邦男
客の来てずらずら柿の旨いずら 北川コト
喪中です石蕗の葉十枚投函す 小林育子
半世紀の手帖を今はとじて冬 近藤真由美
薄皮に黒餡透いて山眠る 佐竹佐介
ユニセフのミルクで生きてセーター 重松俊一
大皿を出して始める年用意 高坂久子
人生にわが居る不思議梅の花 立川真理
雪蛍タカラジェンヌを夢見た日 藤玲人
りんご箱開ければ少年少女たち 中尾よしこ
ポツダム宣言読む十二月八日明け 平井利恵
はつゆきの誰が弾いてもいいピアノ 福岡日向子
カフェに席確保できたる師走かな 福田博之
裏年の柿を鳥等と分け合ひぬ 藤井久代
狐火や生き先知らぬ舟に乗る 保子進
着ぶくれて身の内にある不発弾 向田久美子
サクサクと食ぶ戦艦の名の林檎 村上紀子
蕨餅机上に生活の余白 村上舞香
天井を突き破りたい風船 路志田美子
短日の雲に朝日子のっかって わだようこ
数へ日やはだしの一歩踏みしむる 渡邉照香

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