◆No.28 目次
◆海原秀句 同人各集より
安西篤●抄出
元朝をパンチで交わす吾家かな 綾田節子
編み方の緩き八十路の冬帽子 石川和子
ひとりという人の気配や藪柑子 伊藤淳子
人の声波紋となれり紅葉狩り 内野修
掌に新米転げ復興す 江井芳朗
裸木は歩いているよ夜と霧 大髙宏允
デリカシーとは綿虫縫って歩くこと 奥山和子
冬うらら不要不急の長電話 片町節子
姫始アラビアンナイトの木馬 川崎千鶴子
初鏡おとこにはなき身八つ口 河西志帆
生け花の七種組み終え年惜しむ 金並れい子
冬銀河君との多元方程式 黒済泰子
皺寄ったシーツの窪み憂国忌 小松敦
兄逝きてきっぱり軒昂老椿 小松よしはる
許すとは守ることです雪明かり 佐孝石画
大気凍つ鉈目のごとく残る月 佐藤稚鬼
石蕗咲いて気さくな刀自とおしゃべりす 関田誓炎
実むらさき吹奏楽部ではピッコロ 芹沢愛子
大樹雪に聳え百年の孤独 十河宣洋
籠もり居を抜け出して行く風船 髙井元一
モノクロのくしゃみ三丁目に消えた 高木水志
白黒のマスクはらませ反駁す 竹内一犀
冬の沼言葉愛しく粒立つよ たけなか華那
初日記真砂女愛でたり嫌ったり 立川弘子
麦踏んでマスクの奥の二枚舌 館林史蝶
冬木に陽愛よりありふれた親切 中村晋
風花やわが乏しらの髪散らし 野田信章
前の波の鎮魂歌なり波の音 マブソン青眼
信じたし今は寒燈程の距離 山田哲夫
自粛とは寒鯉に似て鰓呼吸 若森京子
松本勇二●抄出
かしんかしん空家と老人眠る山 有村王志
大晦日の出棺母よ雪です 石川青狼
ぴんと張る歯朶黎明期の家族 石川まゆみ
冬富士を背骨となしてより無敵 伊藤道郎
少し硬いが噛むと十一月の味 大沢輝一
夫さする枯蟷螂の強き眼よ 大野美代子
春を待つ栞ばかりを溜め込んで 奥野ちあき
冬ぬくし柴犬三匹分の距離 奥山和子
係恋や父でも兄でもない冬木 加藤昭子
初御空ひよどりの木を借り助走 狩野康子
薄明や寒卵はた感嘆符 北村美都子
晩節はぎんなん踏みし所より 黍野恵
冬茜古書店にいる十五の私 小池弘子
龍の玉ひとつを空へ戻しけり こしのゆみこ
そろそろ家族が透けて来る頃です雪 佐孝石画
下手な字に落ち込む女山眠る 清水恵子
数え日の貨物列車や米研ぐよう 高木水志
故郷や枯野を出たらまた枯野 峠谷清広
冬木立伐られ氏神あらわるる 鳥井國臣
目かくしのときめきに似て時雨かな ナカムラ薫
大枯野老いては群れず群の中 長谷川阿以
看る人の手の甲にメモ寒昴 藤田敦子
山眠る母より父がなつかしく秋 藤盛和子
マヤ暦辿るあんかに赤きコードかな 藤原美恵子
正論のぶつかり合って海鼠かな 船越みよ
しゅんしゅんと気化する歳月師走くる 増田暁子
焚火から泣き声がするわずかだが 松本豪
水澄んで散歩のように逝きしかな 三浦静佳
父だけが配達牛乳飲んでた冬 三木冬子
地蔵彫る夫の背中の十二月 村松喜代
◆海原秀句鑑賞 安西篤
ひとりという人の気配や藪柑子 伊藤淳子
藪柑子は、冬場の庭の片隅あたりに、真っ赤な小豆大の珠のような実をつけ、楕円形のつややかな葉の蔭から二、三粒ずつ輪になって顔をのぞかせる。そんな藪柑子が、ある時ふと身じろぎのように揺らいだのは、かすかな人の気配を感じたからであった。それは藪柑子の実のゆらぎが招いたかのようなひとりの人、「ひとりという人」とあえてくどくいうことで、たゆたうような人生の時間の流れに浮かぶ。どこか漂泊感を湛えているような気配。
裸木は歩いているよ夜と霧 大髙宏允
「夜と霧」は、単なる霧の夜ではなく、フランクルの名著『夜と霧』を意識していよう。そこでは、人生はどんな過酷な情況にあっても生きてゆく意味があることを教えてくれる。「裸木は歩いているよ」には、すべてを失った限界状況下にある人生においてなお、生きる目的をもって進む人間像をイメージしているのではないか。そしてどんな状況にあっても、人生は生きてゆく意味があることを暗示する。それは「夜と霧」の映像から広がるものだ。
デリカシーとは綿虫縫って歩くこと 奥山和子
デリカシーは、いうまでもなく繊細さや感覚感情のこまやかさ。そのこころは、「綿虫縫って歩くこと」と喩えている。なるほどとうなずかされてしまう。「繊細」「優雅」という定義的言葉でなく、どこか照り映えるような外来語の語感によって、景が生動してくる。縫うように歩くのを、縫って歩くと言い切って景に身をもみこんでいく。デリカシーを体感している感覚だ。
冬銀河君との多元方程式 黒済泰子
冬は夜空が冴え渡るから、寒空に一段と星が大きく輝く。星冴ゆる空だ。「君との多元方程式」とは、そんな夜空の下で、彼との成り行きのあれこれをとつおいつ思い悩んでいる。多元方程式は二つ以上の未知数をもつものだから、彼の気持ちのよくわからない部分を推し測っているうちに、ますます難解の度が加わる。すっきりした解に届くのはいつの日のことだろう。ああとふり仰ぐ冬銀河。そこには未知の解があるに違いない。最近こういう数学用語を使った情感の句を見かけるが、この句は数少ない成功作の一つと思う。
兄逝きてきっぱり軒昂老椿 小松よしはる
作者の実体験の一句。おそらく亡くなった兄は、作者にとってかけがえのない存在だったに違いない。周囲の人々はこもごもお悔やみや励ましの気遣いをしてくれる。その配慮に対し、「きっぱり軒昂」とは、毅然たる姿勢を示す。内心の悲しみはたとえようのないものでありながら、ぎりぎりまでの心情の溢れをせきとめている。それが悲しみの深みに耐える唯一の姿勢であり、老いたる吾の意地でもある。健気な老椿一輪の姿。
大樹雪に聳え百年の孤独 十河宣洋
雪原に立つ一本の大樹。百年を超える風雪に耐えて、亭々と聳え立つ。あたりに他の樹木はなく、ひとり孤高を保つように立ち上がっている。作者は北海道の人だから、大雪原に立つ春楡の巨樹とみた。もっとも「百年の孤独」は、南米のノーベル文学賞作家ガルシア・マルケスの代表作でもあり、宮崎県の麦焼酎にも同名の銘酒があるが、この場合は、北海道の風土とみてよかろう。しかしその名にちなんだ数々の名品があることから、一句に風格を与えていることも間違いはない。
冬木に陽愛よりありふれた親切 中村晋
この句は、東日本大震災被災地の生活感から生まれたものとみた。災後十年を経て、ようやく冬の木に陽射しが訪れ始めた被災地。とはいえまだまだ昔の姿にはほど遠い。多くの応援メッセージを頂き、その方々の愛を有難いとは思っているものの、本当に必要だったのは、ごくありふれた小さな親切な行動だった。その積み重ねが、復興の歴史を作っている。
信じたし今は寒燈ほどの距離 山田哲夫
信じたいものが何か明示されていないが、おそらくは懐かしさをともなう肉親や幼馴染の消息であろう。「寒燈ほどの距離」とは、まさにその心情の声がきこえてくるような距離感なのだ。寒燈は厳しい寒さの中にあるがゆえに、いのちの温かみを感じさせるものでもある。しかも「今は」という時間の設定が、作者の境涯感の中の一場面として語りかけてくるのである。
自粛とは寒鯉に似て鰓呼吸 若森京子
我が国のコロナ禍への対応は、これまでのところ強権的規制ではなく、もっぱら自粛要請によってそれなりの効果をあげている。そこには日本特有の社会的同調圧力もさることながら、内在する文化の力、共同体の力が息づいているからだ。寒鯉は薄氷の張った池底にじっとしている。その姿はあたかも、自粛を守っているかのよう。「鰓呼吸」は、その寒鯉の固唾を呑むような姿を、今の人間の端的な自粛振りに重ねてみているのだ。
◆海原秀句鑑賞 松本勇二
かしんかしん空家と老人眠る山 有村王志
丁度今朝のニュースで空家に施錠を呼びかけていた。空家窃盗が多くなっているらしい。大分県も同様に空家が増えてきているのであろう。そして老人も。かしんかしん、をオノマトペとして読んだ。山中に眠る空家と老人を思ううちに思わず口を突いたのが、かしんかしん。冬木を叩く音のようでもあり淋しく冷たい擬音であった。
大晦日の出棺母よ雪です 石川青狼
本家の爺様の葬儀が大晦日にあり、牡丹雪が降る中を両親に連れられて行った記憶がある。釧路の雪はもっと厳しい雪だ。お棺の中の母上に「母さん雪だよ」と話しかけている作者。句にすることでその時の切なさがずっと残ることになる。
少し硬いが噛むと十一月の味 大沢輝一
少し硬い、しかヒントがない。沢庵かスルメイカか見当がつかない。しかし作者にとっては大切な十一月の味なのである。奇妙な句であるがどこか味がある。
冬ぬくし柴犬三匹分の距離 奥山和子
ソーシャルディスタンスという語はコロナ禍以後通常語になった。柴犬三匹分が作者のセンスで諧謔味があった。柴犬を連れて散歩中、他者との距離に気を遣う作者が見える。現在只今の日常を上手く掬い上げた。
初御空ひよどりの木を借り助走 狩野康子
鵯は群れて楠の大木などで休んでいたりする。何かの拍子で一斉に飛び立つとその多さに驚く。まさにひよどりの木、である。そこにはエネルギーが満ちている。そのエネルギーを分けてもらい今年も元気に生きて行こうとする作者。自然の中にある、気のようなものに興味を持つ作者なのであろう。
龍の玉ひとつを空へ戻しけり こしのゆみこ
龍の玉を見つけた時は何か嬉しい。その光沢に引き付けられ手に取った記憶は誰にでもある。一個だけ空に戻すとはどういう行為なのか。実際には空にかざしただけかも知れないが、戻すと書き詩になった。虚構であるが腑に落ちた。こういう明るい句に出会えると嬉しくなってくる。下五で句を展開させる、とはこういうことだ。
そろそろ家族が透けて来る頃です雪 佐孝石画
雪の降る夜は静かだ。しんしんと降る雪の中いろいろなことに思いを巡らせていると頭の中が次第に澄んでくる。そういう状態で家族を思うと透けて来るように感じたのかもしれない。作者は「感が昂揚」してくる過程を書こうとしたのではないだろうか。
数え日の貨物列車や米研ぐよう 高木水志
年の瀬の貨物列車が平常時とどう違うのか分からない。米研ぐよう、の形容でシャッシャとかシュッシュという音が聞こえはする。せわしない年末の貨物列車走行時の喩えとして、米研ぐは合っているのではなかろうか。
故郷や枯野を出たらまた枯野 峠谷清広
枯野を歩き切りやっと出たと思ったらまた枯野があると書いている。上五の大きな書き出しと相俟って雄大な景色が見えてくる。自虐的な句が多い作者であるが、当該句は故郷賛歌とも取れる大きく構えた一句であった。
目かくしのときめきに似て時雨かな ナカムラ薫
突然目隠しをされたときにはときめく。異性間ではことさらであろう。こういう時代もあったような気がする。そのときめきに似ているのが時雨と書く。日本の時雨のイメージとはかなり遠い異国の地の時雨感が書けた。
大枯野老いては群れず群の中 長谷川阿以
自身は群れないと思って生きているが、実際には群の中に居る。生活者として群は避けられない。大枯野をどんと据えたことで作者の矜持の堅牢さがうかがえる。それにしても、老いては群れず、はかっこいいフレーズだ。
看る人の手の甲にメモ寒昴 藤田敦子
看護師さんの手にはよくメモが書かれている。ここでは看護師ではなく、家庭内における看る人かもしれない。寒昴の斡旋により冷たく白い手の甲が眼前に現れる。
マヤ暦辿るあんかに赤きコードかな 藤原美恵子
マヤ文明に興味を持ちそれを辿っているという上五から、あんかへ急降下する落差に鮮度があった。四国山中で育った筆者は炭火を入れた行火の記憶がある。その後電気行火に変わって行った。そんな落差激しい二物、電気行火の赤いコードとマヤ暦は郷愁感という領域で微かにつながっている。
焚火から泣き声がするわずかだが 松本豪
生木を焚火に入れると水分が出てくる。その時に何かしら音がする。それを泣き声と感得した。下五に、わずかだが、と書き足すユーモア溢れる表現力を称えたい。
◆金子兜太 私の一句
谷間谷間に満作が咲く荒凡夫 兜太
今から五、六年前、「今月のこの人」というある雑誌の対談に掲載されていたこの句は、心に原郷を持ちながら、本能のまま、荒々しく、自由に、平凡に、愚を自覚しながら心の糧を俳句に求めて生きようと決心した先生が日銀時代に詠まれたものという。まさに先生!と思った一瞬の句でした。熊谷名産の「五家宝」を美味しそうに召し上がっていた写真の先生の横顔と共に土着の匂い、土の手触りを含みつつ先生のお人柄そのものとして洗練されて大好きな一句。句集『遊牧集』(昭和56年)より。北上正枝
眼鏡ばかりの電車降りれば火まみれに 兜太
高校生の時に手に入れた『今日の俳句』と共に、手許に『暗緑地誌』が二冊あり、一冊は金子兜太と署名がある。この句集には昭和42年からの句が収録されているが、その頃に私は作句を始めた。また、昭和46年11月の伊良湖勉強会で森下草城子さんに紹介されて初めて金子先生とお話をしたが、巻末のこの句が発表された時期と重なる。こじつけが過ぎたかも知れない。だれもが忙しくしていた時代でもあった。句集『暗緑地誌』(昭和47年)より。若林卓宣
◆共鳴20句〈3月号同人作品より〉
〇印は2選者の共選句 ◎印は3選者の共選句
河西志帆 選
秋惜しむ逆さに置きしマヨネーズ 大沢輝一
バラバラに手足意志持つ十三夜 大西政司
秋暑し幼ななじみという他人 奥山富江
室の花夕日は赤いとは限らぬ 北村美都子
足裏にいろいろくっついて良夜 小松敦
○端っこに良い子がいます冬菫 佐藤詠子
十六夜の仮設派出所影動く 清水茉紀
小春日の㾱車四角に畳まるる 鱸久子
埋め立地を秋触われる水はなくて たけなか華那
萩の風少女はつめたいやわらかい ナカムラ薫
死がこわくなって大人や秋のくれ 中村晋
里芋のぬめりのように母と娘は 根本菜穂子
コスモスの戦げば戦ぐほど夜明け 野﨑憲子
サングサや辺野古のジュゴンうろつくよ 疋田恵美子
林檎むく不安があばれだす前に 藤田敦子
満月の街少年の暗い脛 前田恵
○霜の夜を兜太の残党として潜む 松本勇二
髪乾く途中熟柿になる途中 三浦静佳
○何もない部屋に転がる月があり 山内崇弘
ごうごうとわれに釘打つ夜長かな 山本掌
楠井収 選
コロナ来るゆるり首折る曼珠沙華 泉尚子
秋冷や風の2キロの学校道 伊藤巌
幼児の問いは難し冬銀河 伊藤雅彦
竹の春むだ話したかったのに 大髙洋子
俺いずれどんぐりころころ待っててね 岡崎万寿
めぐみちゃんと呼ぶ声嗄れ星流る 鎌田喜代子
○軽トラだけど乗つてゆきなよ野菊 木下ようこ
酔芙蓉晩成なんぞコケコッコ 黍野恵
落蝉のふいっと飛立ち焦燥感 黒岡洋子
○端っこに良い子がいます冬菫 佐藤詠子
名月へ夫の作業着干しました 高木一惠
長き夜や亡き父を待つような母 峠谷清広
白魚や無声映画の女給B 遠山恵子
病む人が看る人を抱き小鳥来る 中村晋
吊し柿とキャラメルほどの距離である 松本千花
ぎょっとする妻の落書き白桔梗 宮崎斗士
手話の子へ茶の花ひとつずつ咲くよ 村上友子
新米と母の体重同じとは 山内崇弘
マスクした顔で別れてそれっきり 山田哲夫
○はしょってはしょって草の実つけて脱稿 若森京子
佐藤詠子 選
裏窓に来ている火星と守宮かな 石川義倫
桃吹くや言葉が軽くずれてゆく 伊藤淳子
冬蝶にもてあそばれている傘寿 伊藤雅彦
石蕗の花斜め斜めに再起する 上野昭子
冬たんぽぽ迷子のように踞る 宇川啓子
ノイズばかりを拾って秋の躰 榎本祐子
点滴に預けし利き手雁わたる 北村美都子
○軽トラだけど乗つてゆきなよ野菊 木下ようこ
優しすぎる雲にうつむく鴉かな 佐孝石画
したたかにみな古びしや冬囲い 鈴木栄司
待つことに少し凭れて秋袷 田中雅秀
朝寒や呼び捨てされるように起き 峠谷清広
落葉掃く消せぬ傷口なぞるごと 藤野武
俳句にも骨格のあり冬けやき 船越みよ
二人の耳がひとつになって夜長かな 宮崎斗士
木菟啼いて当てずっぽうの余生かな 武藤鉦二
三日月や滲んだままに投函す 村上友子
○何もない部屋に転がる月があり 山内崇弘
託老所のバス左折して時雨くる 吉田朝子
○はしょってはしょって草の実つけて脱稿 若森京子
山下一夫 選
うどん啜るみたいな会話星流る 榎本祐子
決断の途次に轢かれし秋の蛇 川崎千鶴子
うそ泣きをしてひぐらしを黙らせる 川西志帆
恋人よ落葉を紅い順に置く 木下ようこ
そこにある太陽林檎齧るなり 小西瞬夏
鴉去る私が鴉になったあと 佐孝石画
燕帰る拾い読みで終わる日々 芹沢愛子
秋を吹かれる静かに千切れながら 遠山郁好
除染とは改竄である冬の更地 中村晋
骨拾う約束の友大根引く 仁田脇一石
露の玉の中に玉ありヒツヒツフー 野﨑憲子
泡立草美しと老身立ちつくす 野田信章
レモンの時代甲高の足を憎みて 日高玲
しろい風しろい知らせがこんと来る 平田薫
○霜の夜を兜太の残党として潜む 松本勇二
バレリーナの正しき呼吸九月来る 宮崎斗士
すすきかるかやたましいが過呼吸 室田洋子
長き夜の次のページに象歩む 望月士郎
マスク越しに言ふし浮寝鳥眠いし 柳生正名
文庫本ほどのジェラシー秋桜 梁瀬道子
◆三句鑑賞
秋暑し幼ななじみという他人 奥山富江
同級会の後「死ぬなよ〜」と言って手を振った。私も「死なないよ」と返した。保育園からずっと一緒だった。暗くなるまで境内で遊び、何年たってもその景色はすぐに思い出せた。戦後数年で生まれた子供達は、何処に行っても子供だらけで、上手に喧嘩して上手に仲直りをした。親戚よりも近かった。だってこんなにも悲しい。
サングサや辺野古のジュゴンうろつくよ 疋田恵美子
絶滅危惧種のジュゴン、遠目にはちょっと太めのマーメードが、今途方に暮れています。海に住む草食のほ乳類の、そのテリトリーの海が埋め立てされるという噂を聞いたと言うんです。象と遠い親戚とはいえ、今さら陸に上ることもできません。食う道を阻み、いつも絶滅に力を貸すのが人間です。先生の「君と別れてうろつくよ」の句が心の中をかけ巡ります。懐かしいあの声と一緒に。
満月の街少年の暗い脛 前田恵
ぶつけてこんなに痛いから、齧られたらそりゃあ痛いと思うけど、世間の親はそんなに痛くないらしい。そうそう最近誰ぞが満月に勝手に横文字の名を付けた。年寄りは無邪気にスマホで追い続け、若者はその反対側に行こうとしている。星がみんな帰っても、また此処に、痩せた月が太りにやってくる。
(鑑賞・河西志帆)
端っこに良い子がいます冬菫 佐藤詠子
幸せになる心洗われる句。世の中集合写真等を撮る時は子に真中に居るよう言う親もいるわけだが、この親はそうではない。子に謙譲の心、犠牲の心を教えたのだ。負けるが勝ちということもあっただろう。冬菫のように小さな愛とか幸せを感じる家庭だったのでしょう。素敵な両親と子に乾杯。自戒を込めて鑑賞。
病む人が看る人を抱き小鳥来る 中村晋
何とも哀切を感じる一句。病人はもう末期の夫。夫婦の生活はこれまで紆余曲折あった。しかしこの夫は何事も一徹の男。会社生活は勿論、家庭生活でも、また自らの闘病生活も。残していく妻を思う心も一徹。それが男のロマンなのだ。思わず妻を抱きしめる。夫婦別々のこれからの世も夫々小鳥が来るような生活が送れそう。
ぎょっとする妻の落書き白桔梗 宮崎斗士
上中と季語の落差。白桔梗のような清楚な妻。過日夫は使い古しの子の教材に書いた妻の文字を見つけた。好きなものに異性の名。嫌いなものは夫の寝顔。いやそんな深刻なことではないかも。何と嫌いなものに納豆。好きだと共に食していたのに。夫は絶句。実は関西出身の妻は納豆が苦手。まあこの位の落ちなら救われますね。
(鑑賞・楠井収)
優しすぎる雲にうつむく鴉かな 佐孝石画
心の美しい人の前では、自分の雑な思考や行動が恥ずかしくなる。優しすぎる雲に鴉がうつむくのは、我らと似ているかも。善悪に惑いながら皆、現実を生きている。若い頃、爽やかに語っていた夢とは違う空の下に今がある。けれど、俗世もまた良かれ。人も鴉も凜とした生き方を持つ。絹のような雲は生き物全ての憧憬だ。
待つことに少し凭れて秋袷 田中雅秀
待つという「時間」に寄り掛かると読んだ。待つ時間は、想定外の自由でもある。時間に心を委ね、素の自分を思い出せるのだろう。秋袷には、初秋のやわらかな女性の潤いを感じる。単衣ではなく裏地のある袷の着物を用意し、移りゆく季節を静かに待つことも作者にとっての少し凭れた愉しみなのかもしれない。
はしょってはしょって草の実つけて脱稿 若森京子
原稿を書き終えた後の開放感を目指して、筆を握る。言葉が溢れてくる。結局、省略しながら字数を整えるいつものパターン。せっかくの想いを削るのは、淋しい。ともあれ、自分の分身ができあがった。「はしょって」が、お茶目だ。そして、自分だけの言葉を最後に添える。夕暮れの部屋に草の実をそっと置くように。
(鑑賞・佐藤詠子)
レモンの時代甲高の足を憎みて 日高玲
俗に日本人の足は幅広甲高と言われるが、欧米人との比較では幅広甲薄らしい。掲句の主体は甲高な自身の足を憎んだのか、日本人らしく甲薄なので欧米人様の甲高の足を憎んだのか。身体の目立たない箇所への拘りが少女を思わせるので前者と思う。「レモンの時代」との措辞が余すところなくその多感と輝き、香しさを伝えている。
長き夜の次のページに象歩む 望月士郎
一読、深更まで読書にふける場面が思い浮かぶ。静まり返った書斎でふとページの向こうに象の気配を感じるのである。それほどにリアルな物語なのか、過度の集中が幻想を招いたか、あるいは入眠時幻覚か。およそ似つかわしくないシチュエーションに生身の巨体を喚起させる下五の措辞が登場して断層が生じ、そこに想念が湧く。
マスク越しに言ふし浮寝鳥眠いし 柳生正名
「し」の韻が目を引く。二番目と三番目は若い人の口吻でよく耳にするが俳句では珍しい。接続助詞で並列とすると後には結句が続くはずである。季語「浮寝鳥」は和泉式部が「憂き寝」を掛けて涙に暮れて寝る身に例えて詠んだという。マスクも外さぬままに別れを告げられ悲嘆に暮れたが眠気には勝てないという自嘲か。深い。
(鑑賞・山下一夫)
◆海原集〈好作三十句〉武田伸一・抄出
冬ぬくし大楠の産む光かな 安藤久美子
冬蝶や逸る気持ちの透けてゐし 飯塚真弓
神といっしょに野良犬の背を哄笑す 伊藤優子
下の子を肩車して火事の跡 植朋子
ポケットの除菌スプレー探梅です 上田輝子
風花って出してない手紙みたいだ 大池桜子
棚を開け隠した黒子をまた付ける 葛城広光
自画像に足され白鳥は不機嫌 木村リュウジ
人間ら日向ぼこして檻の中 黒沢遊公
校庭も風呂焚く家も冴え返る 古賀侑子
木枯をリヤカーに乗せ弟よ 後藤雅文
神様が微笑む病葉風に消えた 近藤真由美
凍て空に薬師如来のうずくまる 坂本勝子
海に出るまでの大河や春あした 重松俊一
荷をあけるや林檎の貫録祖のけむり 鈴木千鶴子
胡桃割るマザーグースの小さき部屋 宙のふう
切り絵師の鋏はなるる寒夕焼 ダークシー美紀
コロナ禍は地球の言葉お正月 立川真理
遠き友身長のびてマスクして 立川瑠璃
早梅や秩父音頭が聞こえてくる 中尾よしこ
てんてまり戦がみんな持ってった 仲村トヨ子
糸底のか細く強き雑煮盛る 平井利恵
蜜柑M新日常の軋む音 藤好良
万葉の冬月ふるさとつつがなき 増田天志
針金のハンガー撓む革コート 宮田京子
小寒や大往生の斬られ役 山本美惠子
冬木立じっとする只じっとする 横田和子
鍵のない家。柊に目礼す 吉田和恵
敗戰忌骨片燻る岩のくぼ 吉田貢(吉は土に口)
わが骨のもろさのかたち冬の蝶 渡辺のり子