『海原』No.24(2020/12/1発行)
◆No.24 目次
◆海原秀句 同人各集より
安西篤●抄出
山彦を吸い込んでいる父の声 奥山津々子
人想う一本 いつしか草の花束 柏原喜久恵
黒揚羽刻を透かし彫るように 金子斐子
丸髷の背中侘し気獺祭忌 上脇すみ子
足裏が目覚めずにいる水の秋 北上正枝
明易し老老介護の息遣い 楠井収
糸とんぼ君との今日の空気感 黒済泰子
聞き耳をたてたるごとく萩さくよ こしのゆみこ
熱帯夜アンモナイトの時間帯 小松敦
さよならの言葉の楕円梅雨の駅 佐々木義雄
這う母とカサブランカを見ておりぬ 清水茉紀
巣籠りのからす団扇のありどころ 鈴木孝信
蝦夷らの土葬の丘や桐の花 鱸久子
マスクしてみんな匿名きつねのかみそり 芹沢愛子
今日生きる作法の一つ草を引く 髙井元一
黙祷もせず消毒する8月の教室 たけなか華那
遠き日の夢の瘡蓋破れ蓮 寺町志津子
不要不急の沼のあたりが秋ですよ 遠山郁好
ボクたちの不自然な距離青柿落つ 鳥山由貴子
書くという感情夜のかたつむり ナカムラ薫
友引におろす半襟萩の風 丹羽美智子
豪雨禍三日蟹より赤きものを見ず 野田信章
牛蛙のトロンボーンソロ昭和の森 長谷川順子
軽き齟齬秋の肌感覚崩れ 藤原美恵子
ことばあり風蘭ほどの考え事 北條貢司
秋うらら蛇の目になるコンタクト 三好つや子
合歓の花地層はつねに藍色で 村上友子
無花果熟れ乳房満ちくる心地して 森鈴
合歓の花坊さん裏木戸開けてくる 山谷草庵
あの世とは水平感覚つくつくし 若森京子
石川青狼●抄出
日雷舞妓になったというメール 石川義倫
一隻が海のファスナー開くかな 市原正直
闇になお面隠して踊りの輪 伊藤巌
白さるすべり氏神に見す肢体かな 稲葉千尋
脳天にシャワー一匹の鮭のつもり 井上俊子
大器晩成と煽てられしが灸花 宇川啓子
木の葉降る身はよろけたり糺すまい 宇田蓋男
トンボのように尻尾を立てて留まりたい 大久保正義
COVID-19白旗に見える夏 大沢輝一
岬へと当てずっぽうの径灼ける 小野裕三
仏壇に重み一房黒葡萄 川崎益太郎
戦争の事を喋って嫌われて 河西志帆
滝しぶき嗚呼ときれいになる眼 北村美都子
旅人として故郷の清水手で掬う 木村和彦
秋茜耐えるおとこは夫である 小池弘子
胸像の胸襟開く残暑かな 齊藤しじみ
蝦夷梅雨や紙ナプキンで鼻をかむ 笹岡素子
親の顔見たいだけなの芋虫飼う 篠田悦子
秋よ天衣無縫の子をうみたくなる 白井重之
風の音朝に残し蝉の羽化 白石司子
雲流るるか夏果ての樹々航くか 鈴木修一
蛇老いてつひに叶はぬ更衣 高木一惠
みづうみは放電をして睡蓮 田中亜美
夏鳥の真言を聴くステイホーム 並木邑人
雷青々と天地激越に抱擁す 藤野武
撓る蛾のまっ白という狂気 前田恵
摘んだマンゴー一個で満腹満潮見る マブソン青眼
ピーマン鈴生りふるさとに帰れない 三浦静佳
蝉時雨止んで石段現れる 横地かをる
七十五年目われ潮枯れの背泳ぎす 若森京子
◆海原秀句鑑賞 安西篤
人想う一本 いつしか草の花束 柏原喜久恵
一見相聞句のようだが、熊本の水禍を思えば追悼句とみても差し支えあるまい。亡き人を偲びつつ、草の花を摘み花束を作っている。「人想う一本」とは、この一本はあの人のために、この一本はこの人のためにと、一本一本に想いをこめつつ花束を作る。それが「いつしか草の花束」になっていた。花束は幾人かの人達への思いを束ねて、その一人ひとりへの思いの彩りをそのまま映し出している。やがて小さなかなしみの華やぎとなって、流れに投じられるのだろう。一拍の字明けが情感を湛える。
黒揚羽刻を透かし彫るように 金子斐子
夏の日を黒い翅に受けて舞い出る黒揚羽は、強い陽射しの中を透かし彫るように、夏の空間に舞い出る。その時、黒い羽は鋭利な刃物のように空間を切ってゆくと見たのだ。おそらく厳密にいえば、彫る感じより切り出す感じの方が強いのではないかと思うが、「透かし彫る」としたことで、切り出すニュアンスが加わったのではないか。このあたりの作者の言語感覚は見事なものというほかはない。あたかも扇をひらひらと投げかけるような優雅さが、そこに加わったと見てもよい。
糸とんぼ君との今日の空気感 黒済泰子
糸とんぼは、体が細く青みを帯びた色あいで、翅に透明感がある。なんとなくはかない清潔感があって、その存在自体が、空間を浄化してゆくような気配を漂わせる。久しぶりに会った恋人同士。どこかまだ幼さの残る年頃だろうか。幼馴染の中高年同士ともとれる。爽やかな気分で出会い、とりとめのない会話を交し合った後、またの日を約束して清くわかれるのだろう。それが「今日の空気感」だった。あるいは、これから始まる今日の空気感かもしれない。糸とんぼは、その清めの合図のようでもある。
マスクしてみんな匿名きつねのかみそり 芹沢愛子
コロナ禍発生以来、街中マスク一色となった。マスクによって人々は皆覆面化したのだ。覆面によって表情を消し、匿名化したともいえる。なにやらおぞましい無表情の街。きつねのかみそりは彼岸花と同じ秋の花。六弁のオレンジ色の花で、花の実体感もさることながら語感からくる怪しげな感じが、マスクの奥にひそむ得体の知れない匿名感に響く。
黙祷もせず消毒する8月の教室 たけなか華那
8月の教室とはどういう教室かわからないが、社会人向けの夏の臨時講座かも知れない。「8」とアラビア数字を使っているところから、講座の臨時性を感じさせる。「黙祷」とは風水害の犠牲者の出た地域での通過儀礼かもしれない。それがコロナ禍発生以後、黙祷の前に先ず「消毒」することから始まった。こういう非日常の新たな生活習慣に着目して、ニューノーマルといわれる事態をリアルに見据えた一句となったのだ。
ボクたちの不自然な距離青柿落つ 鳥山由貴子
「ボクたち」とは、どういうボクたちなのだろう。「不自然な距離」との相対感からすれば、お互いに意識しあうギゴチナサのようなものを感じる。加えて「青柿落つ」とは、熟さないまま落ちて行く果実だから、そこに「ボクたち」の青春性が浮かび上がってくる。一方で現在のコロナ禍から強いられた「不自然な距離」とも見られなくはない。あるいはその双方を含む距離感なのかもしれない。それがソーシャルディスタンスと呼ばれる距離感なのだろう。
書くという感情夜のかたつむり ナカムラ薫
深夜一人原稿に向かうとき、書くという感情だけが先立ちながら、一向に稿が進まないことはよくある。「夜のかたつむり」がその辺りの情況を照らし出している。遅々として進まぬ原稿にたいして、書こう、書かねばという感情だけが先走ってゆく。それは銀色の筋を引きながら進むかたつむりのような稿の動きともみられよう。
友引におろす半襟萩の風 丹羽美智子
暦の六曜の一つ友引は、友を引くとして葬儀にはふさわしくないが引越しや結婚式には良い日柄とされている。半襟とは、和服の襦袢に縫い付ける襟のこと。さすがに年配者らしい教養で、友引の日に新しい半襟をおろして着付ける。なにがなし人を待つともなく待つ風情で庭に出ていると、折りしも萩の花咲く時期で萩の匂いを風が運んでくる。友引の日なればこそおろした半襟に、吹き寄せるかのような萩の風。静かな老いの時間が流れる。
牛蛙のトロンボーンソロ昭和の森 長谷川順子
「昭和の森」とは、具体的に昭和公園の森をイメージしてもよいが、おそらくは「昭和時代の森」を重ねているのではなかろうか。疾風怒濤の昭和時代の音を、重低音の牛蛙の鳴き声のトロンボーンソロのように聞いている。もちろん昭和の歴史は、戦争と無残な敗北に終わる二十年までと、戦後の復興から高度成長へ向かうそれ以後とでは曲調が一変するわけだが、これもジャズのようなトロンボーンソロの変調演奏とみれば、納得がいく。
◆海原秀句鑑賞 石川青狼
日雷舞妓になったというメール 石川義倫
雷青々と天地激越に抱擁す 藤野武
石川句。日雷は降雨を伴わない雷で旱の前兆ともいわれる。平穏な日常の生活圏へ、突然メールが届く。その内容は衝撃的な「舞妓になりました」とのこと。白昼夢のような予期しない伝言に、雷が脳天に落ちたような衝撃であったのだ。「舞妓さん」との接点がない私には、舞妓になるための条件も一人前になるための修行の何たるかも想像はつかないがドラマチックな一句。
藤野句。突然の雷。天と地が揺らぐような青々とした雷光と雷鳴とともに激しい雨が降り出した。「激越」の一語は作者の押さえきれない感情の高ぶりでもある。その高ぶりを包み込む人知を超えた自然の力を感じたのか。
〈生を区切られし義兄に浜ゆり燃えやまぬ〉の義兄への思いを切々と詠んだ五句の一句であるが屹立している。
COVID-19白旗に見える夏 大沢輝一
夏鳥の真言を聴くステイホーム 並木邑人
大沢句。新型コロナウイルス感染症の正式名称が今年の2月に「COVID-19(コヴィッドナインティーン)」に決定した。その時期からこの夏まで感染が終息しない。人類がこのウイルスに白旗を挙げているように見えるのだ。だが、白旗を挙げても終息とはならない。
並木句。耳を澄ませば夏鳥の鳴き声。夏鳥は春から初夏に南方から渡ってきて繁殖し、秋に南方へ去る鳥だ。ツバメは春の彼岸ごろに来て子を育て、秋の彼岸ごろに帰る。カッコウやホトトギス、とくにヨシキリなどはその鳴き声が「ギョギョシ」と鳴くので行行子とも呼ばれ俳人には馴染みがある。とにかくコロナ禍のために自粛を強いられステイホーム中。夏鳥の鳴き声が真言(マントラ)のように心地よく聞こえ、作者の心に沁みてきたのだ。差し詰め般若心経の「羯諦羯諦波羅羯諦」のように聞こえてきたか。作者自身も唱えていたのかも知れない。いつまで「家に居ようよ」となるのであるか。
親の顔見たいだけなの芋虫飼う 篠田悦子
撓る蛾のまっ白という狂気 前田恵
篠田句。よく悪さをする子供を見かけると、つい「親の顔が見てみたい」と口に出てしまう。掲句はそうではない。植物の葉に丸々と太った芋虫を発見。周りの人は気持ち悪いし、害虫だから駆除しようと言うのだが、作者は芋虫が将来どんな蝶に変身するのか、どんな親であったのか楽しみとばかりに「顔見たいだけなの」と期待と愛情を込めて飼っているのだ。もちろん、行儀がよく躾がしっかりしているので親御さんの顔を見てみたい子供と芋虫との取り合わせの妙もある。
前田句。まっ白い蛾が白昼、木の周りを乱舞していたか。蛾は灯取虫、火蛾とも呼ばれるように灯火に狂ったように飛んでいるが、掲句のイメージは夜より白昼の乱舞と見たい。蝶は美しく、蛾は醜いダークな存在である。まして、まっ白な蛾はどこか毒々しく魔力を持っているような感じがする。妖艶に撓うように飛んでいるのか。それが大群をなして木の周りを乱舞している様は狂気であろう。作者の頭の中も真っ白になってしまったか。
旅人として故郷の清水手で掬う 木村和彦
ピーマン鈴生りふるさとに帰れない 三浦静佳
木村句。故郷を飛び出してから長い歳月が過ぎてしまった作者。何度も帰ろうと思っていたが、いざという決心が鈍ってしまっていた。意を決しての帰郷であり、すでに旅人として訪ねるような心境なのであろう。子供のころ遊び場であった清水湧く場所に出かけ、懐かしく清水を掬う。たちまち幼い頃の自分に帰っていたか。
三浦句。ピーマンの収穫量の多い産地は、温暖な気候を持つ地域で、茨城、宮崎、高知の県名が上位に上がる。作者のふるさとの家では畑で野菜を栽培して、特に夏にはピーマンが鈴生りになるのか。いつもなら帰郷して両親の元に兄弟家族が集まり楽しく食卓を囲んでいるのだが、今年はコロナ禍で「ふるさとに帰れない」のだ。
脳天にシャワー一匹の鮭のつもり 井上俊子
作者は鮭の遡上を間近で見たのであろうか。段差のある川上へ懸命にジャンプしながら遡上する姿は涙ぐましく感銘を覚える。頭から強めのシャワーを浴びているとまるで一匹の野性の鮭になったような気分なのだ。脳天から肢体を流れるシャワーに身を委ねて、しばし歓喜の声を上げていたのかもしれない。爽快さが伝わる。
岬へと当てずっぽうの径灼ける 小野裕三
〈管理人に駄洒落の多きバンガロー〉の句などから、家族でキャンプへ出かけた時の連作であるか。キャンプ地から岬へのプチ探検。簡単な地図だけ持って子供たちと目的地の岬へと出発。とにかく当てずっぽうに歩き出す。天気が良すぎてうだるような暑さとなり、径は灼けるようだ。もっと緻密な計画をしておけばと少々後悔しながらも、解放感を存分に味わっているのだ。そしてついに岬が見えてきた。一気に軽快な足取りになる。
七十五年目われ潮枯れの背泳ぎす 若森京子
戦後七十五目の今、「われ」に課せられたものを問う。
◆金子兜太 私の一句
雪の吾妻山よ女子高校生林檎剝く 兜太
「九四歳の荒凡夫」の収録で来福。収録終わり頃、女子高生が林檎を上手に剝き「福島自慢の林檎、放射能検査済です。安心して召し上がって下さい」と。兜太先生は一切れ、二切れと頷きながらゆっくり味わっていらっしゃった。帰り道「若い人に辛い言葉を使わせる世の中はいかんなぁ」と、風評被害で苦しむ福島を気遣って下さった。冷たい風の中、吾妻山は福島をしっかり抱いていました。句集『百年』(二〇一九年)より。宇川啓子
二十のテレビにスタートダッシュの黒人ばかり 兜太
長寿の母うんこのようにわれを産みぬ 兜太
その人を伝うるに選句眼を以てす。たとえば、選に入りせば喜びに浸る。それに裏付けられし句業の中で句を探す。われ百パーセントの句でなく、「俳句界の傑作」に思いを馳せる。すると掲げし二句を得る。前句は誰もが興奮せど五七五の壁あり、三句体の幅を広く持ちて成らす。後句は当時の出産事情と絡ませ長寿を活かす。かような句から「存在者・金子兜太」が浮かび上がる。前句『暗緑地誌』、後句『日常』より。鈴木孝信
◆共鳴20句〈10月号同人作品より〉
〇印は2選者の共選句 ◎印は3選者の共選句
伊藤道郎 選
飴かむ派なめる派糸とんぼ飛んだ 伊藤幸
もう鳥になれず五月の水たまり 伊藤淳子
全身で桜を家に閉じ込めるコロナ禍 奥山富江
耳朶悲鳴眼鏡補聴器夏マスク 川崎益太郎
枇杷熟るる小鳥の時間貰いけり 河原珠美
花嫁の小さき頭痛や鳥帰る 木下ようこ
青梅ぽとりクラスで透明な俺 黍野恵
○平和とは濡れた素足を草に投げ 黒岡洋子
鶏絞めてその黄昏のがらんどう 小池弘子
肉声とはどんな手触り花は葉に 佐孝石画
白鷺は抜き書きめきし夕まぐれ 田口満代子
風熄めば風の少年蘆を噛む 遠山郁好
○滝しぶき淋しい鳥が鳥を呼ぶ 鳥山由貴子
象番を呼んでいるのは月でした 日高玲
白詰草姉さんという青い空 平田薫
都市封鎖ナマハゲマスク雄叫びを 藤盛和子
また羽音アジサイを淡水源として 三世川浩司
夕顔やひとり言とは微かな旅 宮崎斗士
巣ごもりの折り紙どこかに棘少し 村上友子
あいまいに笑う少年川蜻蛉 横地かをる
加藤昭子 選
父の額へ吾額合わす花の冷え 石川青狼
夜の空気かすかに濡れて青無花果 伊藤淳子
○行間の三密麦の穂が痛い 大西健司
ことごとく健脚たるや蟻の列 片町節子
死の中に夕暮れのあり冷奴 河西志帆
○緑雨は鳥籠眠るだけの自粛 河原珠美
北国の闇の分厚し蛍烏賊 北村美都子
数頁後には純愛青葉木菟 木下ようこ
夾竹桃父の死に場所だったろうか 白井重之
セーラー服次々羽化す青水無月 すずき穂波
人の群れゆく春の鹿より無表情 芹沢愛子
世間向けの真面目な顔で蚊をつぶす 峠谷清広
読み人知らずかげろうの痒そうな 遠山郁好
まばたきは肯定青葉まばゆき刻 新野祐子
病む母にどくだみの花星のごと 間瀬ひろ子
田水沸く皆んなそろっていた頃の 松本勇二
ダム底にゆらぐ分校にいにい蟬 武藤鉦二
○卯の花にひとり食器のひかりかな 室田洋子
○教室や心の浮巣に一人居る 森鈴
研ぎ物師傍らに涼しさ置き 茂里美絵
董振華 選
芒種かな無言で豆腐ハンバーグ 伊藤歩
音消してすでに漂流橡の花 伊藤淳子
篠の子やつんつんとする三姉妹 伊藤雅彦
定住漂泊光と闇のはざま生く 上野有紀子
○行間の三密麦の穂が痛い 大西健司
三密で竦んでいない蛙鳴く 大西政司
瀑布の裏は悲しきまでに透きとおる 金子斐子
○平和とは濡れた素足を草に投げ 黒岡洋子
立ち話つひに日傘を閉じにけり 鈴木孝信
沙羅咲いて母の居た日に入り浸る 竹田昭江
万緑に小さき鉤裂き夏館 田中亜美
フクロウの鳴きつぐ森の闇匂う 椿良松
○滝しぶき淋しい鳥が鳥を呼ぶ 鳥山由貴子
青田整い鷺は片足どこに置く 丹生千賀
七月や師越へ親越へ我白寿 丹羽美智子
風紋のような守宮のきれいな瞳 三浦二三子
専門家会議鯰の出たり潜ったり 宮崎斗士
○卯の花にひとり食器のひかりかな 室田洋子
流れ星全米デモが海超える 望月たけし
○教室や心の浮巣に一人居る 森鈴
室田洋子 選
草城子青田の中を自転車で 浅生圭佑子
春キャベツ不要不急の顔でいる 有村王志
朧です棺の父のはにかむよう 石川青狼
妻の裸つつききれいと言う五月 伊藤巌
とにかく生きて厚手の布団入れ替える 宇田蓋男
卯の花ぱっとさざなみみたいな便りだ 大髙洋子
投函のふり向き際に春の虹 柏原喜久恵
麦秋や時のほこりにまみれながら 金子斐子
○緑雨は鳥籠眠るだけの自粛 河原珠美
逝きし夫ささぶねの揺れ大きい靴 久保智恵
訪ねれば双子出てくる柿若葉 小林花代
願いを込め隅々を拭く麦の秋 坂本久刀
ばあちゃんって私のことね広いバラ園 髙尾久子
人形も双子ふたつの南風 竹本仰
桐の花上昇気流を待ちかまえ 田中雅秀
また霧が来て信号待ちの先生 遠山郁好
囮鮎おれたちすることないもんね 松本豪
神経は薔薇のつぼみの中にある 茂里美絵
新緑のピンクのスニーカー買う 山内崇弘
さう来たか朝のトマトの断面 横山隆
◆三句鑑賞
青梅ぽとりクラスで透明な俺 黍野恵
青春性あふれる一句。現代の少年の切なき景が映しだされる。少年期という誰もが通過する甘酸っぱい時期。「クラスで透明な俺」にはこの時期特有の孤立感が漂う。群れ合い、じゃれ合い過ごすことが多い少年期にふと襲い来る孤立感は透明な気持ちにさせる。否、透明だからこそ孤立感を産む。「青梅ぽとり」が効いている。
鶏絞めてその黄昏のがらんどう 小池弘子
昭和の背を色濃く映し出す。戦後しばらく生きることは食べることだった。鶏は一番身近にいる食べもの。僕たちは身近な生き物を食べて生きていることを肌で目で実感していた。鶏は頸を切られても走り回っていた。そして静かになった後の虚ろと何とも言えぬ後ろめたさ。「黄昏のがらんどう」が生に切り込む一句に仕上げた。
また羽音アジサイを淡水源として 三世川浩司
薄暮の中の淡い景か。紫陽花を「アジサイ」とカタカナ表記にしたのが成功している。さて、羽音は鳥か虫か……。ゆったりとした蝶のような微かな羽音が次第に幻聴なのかも知れぬと詠むものに感じさせる羽音。そのいのちの水がアジサイという発想は詠むもののこころにさざ波を起こす。詩情豊かな一句に仕上がった。
(鑑賞・伊藤道郎)
父の額へ吾額合わす花の冷え 石川青狼
五句共、父上への追悼句。今まで何度も人の死に会い、顔や髪の毛を撫でる行為を見て来たが、額を合わすというのは初めて。もう息子として抱きしめることも出来ないという哀しみ。父への感謝、額を通じて最後の父への孝心のような気がする。花冷えの季語が美しく哀しみを誘う。
田水沸く皆んなそろっていた頃の 松本勇二
自分も農家なので一読、親しさを覚えた句。大家族で暮らしていた頃が思い出されたのだろう。機械化が進んだ現在は、田植も稲刈りも多くの人出を必要としない。炎天にお湯の様に沸いた田の中を、這いつくばって草取りしていた親達。隣近所の結いの繋がりも薄くなった淋しさを思う。
卯の花にひとり食器のひかりかな 室田洋子
卯の花の白さ、食器も多分白いのだろう。句またがりの中七の切れが巧み。「ひとり」「ひかり」の措辞が耳に心地良く清潔感が漂う。たっぷりと花をつけた卯の花を見ながらのランチだろうか。日射しに映える食器の美しさに、どこか淋しさを感ずるのは私だけだろうか。
(鑑賞・加藤昭子)
沙羅咲いて母の居た日に入り浸る 竹田昭江
「沙羅の花」は釈迦入寂の「沙羅双樹」とは別の木である。白い花弁に黄色の蕊を持ち、咲いてもその日のうちに落ちてしまう一日花。また、花の形が椿に似ていることから、「夏椿」ともいう。上五の季語がよく利いている、夏椿の白い花が咲き、母がまだ健在していたあの日あの時に戻りたい、母への深い思いを感じさせる。
フクロウの鳴きつぐ森の闇匂う 椿良松
梟は普段穏やかで大人しい気質である為、人間から非常に親しまれる一方、日本と中国では、梟は母親を食べて成長すると考えられていた為、「不幸鳥」と呼ばれる。また、夜行性である故、人目に触れる機会は少ないが、冬夜の森と言えば幽深なるイメージで、「梟が鳴き継ぐ」によって、更に森の闇を深め、静寂感を際立たせる。
卯の花にひとり食器のひかりかな 室田洋子
日本の古歌には光のようとも雪のようとも詠われる「卯の花」。旧暦の四月(卯月)頃に咲くことから、この名があり、夏の到来を感じさせる代表的な花である。季語と「ひとり食器のひかり」との取り合わせはリズムが整い、一人暮らしであっても光る。寂しさの中に前向きな姿勢を感じさせ、充実した一人暮らしが見てとれる。
(鑑賞・董振華)
朧です棺の父のはにかむよう 石川青狼
春の夜、棺に眠る父。長い人生を家族のために必死に働いて来た。大変な時代ご苦労も多かったことと思う。そして昭和の父は無口で怖い存在だったかもしれない。でも今その顔は安らかでまるではにかんでいるようだ。誠実に生きた幸福な大往生。残された家族も幸せ。「朧です」が優しい。父への深い感謝と愛情が胸に沁みる。
訪ねれば双子出てくる柿若葉 小林花代
人形も双子ふたつの南風 竹本仰
双子ってとても魅力ある存在だ。小説や詩や短歌、もちろん俳句でもよく詠まれる。掲句は二句とも女の子の双子と思う。訪いに明るく出て来た同じ顔をした女の子達。軽い驚きと嬉しさ。艶やかに輝く柿若葉がぴったり。「人形も双子」ちょっとミステリアスで素敵。抱いている少女達も双子。ふたつの南風が心地よくさわやか。
また霧が来て信号待ちの先生 遠山郁好
これは金子先生だ。例会の帰り道何度か駅までご一緒した。俳句の話や他愛もないお喋りをしながらわいわい歩いた。皆、先生といるのが嬉しく楽しかった。晩年は杖をついていらしたが、姿勢がよくすっと立つ信号待ちの先生が鮮やかに浮かぶ。でも「また霧が」消してしまう。
(鑑賞・室田洋子)
◆海原集〈好作三十句〉武田伸一・抄出
霊界だっぺ父の色情因縁は夏 荒巻あつこ
永吉のうねる歌詞かな野分まえ 飯塚真弓
八月は鵺を葬る匂いして 植朋子
鳥渡るハンドソープを買う列に 大池桜子
媼らが「ジジ抜き」するや秋の昼 大山賢太
秋淋し役人妻が髪ほどく 岡村伃志子
豹の足電車の床からぬっと出る 葛城広光
山法師きのうおととい映し出す 木村リュウジ
夏休み忍者学校手裏剣部 後藤雅文
秋暑し底なし沼の歎異抄 小林育子
吾のいない地球ひまわり揺れている 近藤真由美
煉瓦塀崩れて竹の春溢る 佐竹佐介
全天を送り火として逝きし彼 島﨑道子
やわももの触れたとこから腐りゆく鈴木弥佐士
大利根はふところ深し鮭遡上 五月女文子
梅雨冷を纏ふて影の蠢きぬ 宙のふう
ほろほろと崩れてぬくき蛇の衣 ダークシー美紀
別の日は別の顔する菊人形 立川真理
ピザ届くけもの道よりにゅっと月 谷川かつゑ
捨案山子倒されたまま寝息して 仲村トヨ子
汗光るわたしは黒人女性です 野口佐稔
原爆忌名札垂らして非戦闘員 福田博之
甚平に下駄つつかけて五歳かな 藤井久代
銀河は葬列おとうとよ光れ 増田天志
夏はいつも角のパン屋のガラスから 山本まさゆき
蝉殻を付けて表彰台に立つ 吉田和恵
かたつむりみどりの井戸のあたりかな 吉田貢(吉は土に口)
重陽や背すじ伸ばして卵巻く 吉田もろび
実石榴や女児女生徒に変はるころ 渡邉照香
とぐろ巻く髪をなだめて熱帯夜 渡辺のり子
◆宮川としを遺句抄(植田郁一・抄出)
皿売りが仕舞い忘れた霧一枚
行間は荒塩サハリンからの遺書
望郷の指先で立つ寒たまご
上野駅春の握手が落ちている
駅弁を棺のように持つ老人
踏み消されてからは吸殻も木枯しの仲間
霧はとぎ汁母の小言が流れ着く
老母逝く天の一波地の一波
いまも湖底に曲り続ける父のレール
霧撲てば父の怒りがはねかえる
雪崩のようにああ上野駅人を消す
ひとすじの後悔が行く雨の竿売り
兄一勢逝く
掌の雪の水に還りし音を聴く
秋刀魚のしっぽはわが経歴のそれだな
ダイヤモンドダストいま誰れかの臨終
病葉ゆえ音を立てたりしないのです
蕎麦打ちの骨の太さよ眼の細さよ
他人の葬列遠い書棚を少し動かす
うつむけばうつむく影を誰れもがもつ
まだ生きてあのカラフトの雪を踏む
頑張り抜いた生涯 植田郁一
9月10日、海程創刊時からの仲間宮川さんが12月3日87歳の誕生日を待たず亡くなり暗澹たる思いは今も脳裡から離れないでいる。宮川さんは作曲家として数多くの作品を残し、「俳句交信」を主宰発行、作詩・作曲家として「古賀政男賞グランプリ」を受賞するなど活躍、後進の指導にも精力的に当っていた。
食道癌の大手術を受けたが屈せず活動の手は緩めることなく、懸念された転移が肝臓に認められるも怯まず、何事にも前向きの精神を崩さなかった。その精神力は持って生まれたもので、六人兄弟の四男として樺太(サハリン)で生まれ12歳で終戦、お父さんは既に亡く、敗戦によって引揚げるなどの辛苦は想像を絶する。幸い長兄勢一さん(俳名・園一勢)がおり、従軍先の北支から引揚げ北海道に居住、二年後引揚げた宮川さんは兄宅に同居することになった。一勢さんは山田緑光、星野一郎らと細谷源二を擁して「氷原帯」を発行。宮川さんは一勢さんから俳句の指導を受け忽ち頭角を現して同人となり、氷原帯賞にも輝いた。しかし作曲家への夢は捨てきれず上京、仕事を転々としながら苦学、その間「海程」へ入会、海程集を経ずして15号で同人に推挙された。のちに園、山田、星野の各氏も同人参加。父親代りでもあった一勢さんが亡くなり、山田、星野両氏は海原集作家になったことを思うと、宮川さん兄弟も当然その席にあるべき作家であった。
宮川さんは東京例会の案内葉書、事前投句された作品を謄写印刷を担当、しかも無償で引受けられた。また「海程」28号発行を前に大山編集長が困っていた。作品合評を依頼した原稿が締切を過ぎても届かない。素早く宮川さんが買って出た。二人で今夜中に書き上げ、明日大山さんへ届けることになった。宮川さんは率先して身を挺する人でもあった。
宮川さんはいま流氷がぶつかり合って出来た氷原の上を歩いているに違いない。少年の頃氷原の果てに興味を持ち、その先は濃紺な海が大河のように流れ、反射的に振り返り、もし氷原が岸から離れたらと心配で急いで帰ったという。宮川さん、もう帰る心配も戻る必要も無い。私のほうから行くから待っててくれ。そして流氷をカクテルにして一緒に飲もうよ。――。