『海原』No.17(2020/4/1発行)

◆No.17 目次

◆海原秀句 同人各集より

安西篤●抄出

こんな世ですみません八月十五日 石川修治
恍惚の影をこぼして大根干す 市原光子
訝しむようなさびしさ冬木の芽 伊藤淳子
風に家路なし新宿は枯野なる 伊藤道郎
ところどころ箔を剥がして冬の海 榎本祐子
年下の恋人クリスマスローズかな 大池美木
凶弾に死なず荒野を水とうとう 岡崎万寿
金銀の鈍き鍵束年詰まる 小野裕三
前略も省略したる秋出水 片町節子
夢に父花柊の匂う朝川 田由美子
整列の鯛焼虚ろ憂国忌 河原珠美
指ぬきをはずす着水の音がして こしのゆみこ
寒たまご正論が座す子のメール 佐藤詠子
戦時下を巻紙みたいに話す祖父 清水茉紀
堅物も軟派も老いてラ・フランス 鈴木栄司
一人には一人の暮し冬至粥 瀬古多永
コスモスや甘えん坊の空ひらく 高木水志
ゆく道のすすきかるかや笑尉わらいじょう 田口満代子
黙祷の耳の静けさ寒卵 竹田昭江
寝釈迦めくふる里の島里神楽 寺町志津子
麦秋や旅芝居の子の声変わり 遠山恵子
柊の花傷口がまだ濡れている 鳥山由貴子
湯冷めして家に柱の多かりし 中塚紀代子
碁敵は石見に出張り年木積む 並木邑人
パソコンを起動する間の尉鶲 仁田脇一石
天上の言の葉ふはり冬すみれ 野﨑憲子
多肉植物幼児の首の汗湿り 日高玲
幾何学のほどける光冬の蜂 宮崎斗士
胡桃の実鳥のことばを溜めておる 横地かをる
幻聴かしら凍蝶一頭と暮らす 若森京子

大沢輝一●抄出

冬はじめ旅の仕度は出来ている 浅生圭佑子
ほとりとは一ミリの雨に青鷺 伊藤淳子
風に家路なし新宿は枯野なる 伊藤道郎
穭田は黄に葬列は村の奥 稲葉千尋
淋しさのマントの中に転がり来 梅川寧江
風すこし少し気取りて鴨渡る 大野美代子
地吹雪の焦がされている私かな 奥野ちあき
名刺出す大白鳥の貌をして 奥山富江
遠近法近いものほど冬ざるる 刈田光児
照柿をしるべ亡妻つまよ帰って来い 木村和彦
インフルエンザ科学って淋しいよ 小泉敬紀
小春日や軽い嘘つき笑い合う 佐々木昇一
十二月八日発泡スチロール飛んだ 佐藤君子
霜柱歯並びのよい馬通る 白井重之
九州に雪降るいのち抱いて寝る 瀧春樹
枯蓮やあらましはたそがれのなか 田口満代子
穭田に不動明王立っている 竹内義聿
大都市を煌めく枯野だと思う 月野ぽぽな
手袋が落ちてる家庭裁判所 寺町志津子
十二月八日女ばかりの野良仕事 鳥井國臣
柊の花傷口がまだ濡れている 鳥山由貴子
十二月八日ただ轟音・轟音 ナカムラ薫
眩しきは土ひと川面三冬月 並木邑人
着ぶくれて朝からずっと貌がない 丹生千賀
たつた一つの影を追ひかけ枯野ゆく 野﨑憲子
数珠玉をやさしい石と思うかな 平田薫
死は背中にべったりつきて初日差し 藤野武
老いの身を蒸気機関車駈け抜けり 宮川としを
寒夕焼け色濃きところ銃身なり 森田高司
幻聴かしら凍蝶一頭と暮らす 若森京子

◆海原秀句鑑賞 安西篤

こんな世ですみません八月十五日 石川修治
 昭和二十年八月十五日、日本は官民あわせて三百万人に及ぶ犠牲者を出して戦争を終結した。この決断を最終的に下したのは昭和天皇であり、天皇自ら身を捨てる覚悟で行われたことはよく知られている。その事実に多くの国民が深い感動を抱き、戦後の復興再建に力を合わせようという阿吽の呼吸が出来上がったともいわれている。あれから七十四年、たしかに戦後復興から高度成長期を経たものの、今日本の現状と未来に明るい展望を描ける人は多くない。作者自身その憂国の思いを、少しおどけ気味に自嘲しているのではないだろうか。かつての聖断の日への慙愧の思いを込めて。

ところどころ箔を剥がして冬の海 榎本祐子
 冬の海は暗く荒涼たる感じがある。ことに日本海側は、雪雲が重く垂れ込めて波も高い。作者は兵庫県の人。北の丹波地方の冬は厳しく海も暗い。丹波は戦国時代、明智光秀が数年の間統治した。優れた行政官でもあった光秀は善政を敷き、領民に慕われていたという。しかしその悲劇の生涯から、どこか哀しげな暗いイメージがある。掲句の場所は定かではないが、箔を剥がすような冬の海とは日本海側の丹波の印象か。冬の海には、ところどころ氷が張っていたのかもしれない。

年下の恋人クリスマスローズかな 大池美木
 クリスマスローズは、花の少ない冬に咲く園芸植物の一つ。クリスマスの頃、高さ三〇センチほどの茎に白やピンクの五弁の花をつける。ややうつむき加減に咲くところから、「年下の恋人」というイメージは言いえて妙。クリスマスは恋人とともに過ごしたり、友達に紹介したり、或いは新しい出会いがあったりする。それが年下の恋人ならさぞ可愛いことだろう。ピンクレディの「年下の男の子」という曲を思い出す。

前略も省略したる秋出水 片町節子
 昨年は台風の被害もあって、「秋出水」を身近に感じさせられることが多かった。被災地で暮らしている親しい人に、急ぎ安否を尋ねることがあったのだろう。心せくままに、季節の挨拶はおろか前略の書き出しすら略して、いきなり「無事ですか」と問いかける便りになった。切迫した思いをまともにぶっつけてゆく。それが便りに託した被災者への思いの丈でもある。

寒たまご正論が座す子のメール 佐藤詠子
 寒たまごは、寒中に鶏が産んだ卵。他の季節に産んだ卵より滋養が多く、貯蔵も利くので珍重される。掲句は「寒たまご」で切って、「正論が座す子のメール」と続く。遠方に住む我が子に、なにか相談事をしたのかもしれない。すると折り返しメールで返事があった。それはいかにも現代風の割り切った正論であった。そこには、我が子の成長ぶりを頼もしく思いつつも、どこか手の届かぬところで自立してしまったことへの淋しさがある。しっかりした「寒たまご」にそんな我が子を重ねてみる親心。

堅物も軟派も老いてラ・フランス 鈴木栄司
 おそらくは久しぶりに再会した旧友たちとの集いだろう。かつてはその中に、堅物もいれば軟派もいて、会えばかんかんがくがくの議論が百出したものだ。しかし八十路の坂を越えたいまは、皆柔らかい肉質のラ・フランスのように一様に老いてしまった。それは若い頃に持っていたものを失うことによってのみ生み出される老いの果実、老いの静かな香りを身につけたからではなかろうか。作者は同じ号に、「山茶花や目立たず倦まず老いゆくか」と詠んでいる。

碁敵は石見に出張り年木積む 並木邑人
 年木は新年に用いるための燃料の薪。碁敵が好敵手を尋ねて銀山で著名な石見の国、今の島根県西部石州へと出張った。そこで年越しをさせてもらったので、せめて年木など積む手伝いなどしているのではなかろうか。年明けに行う手合わせを楽しみにしながら、呉越同舟の年越しをしている。「碁敵」「石見に出張り」の語感が、年あらたまるめでたさにも響き合う。

天上の言の葉ふはり冬すみれ 野﨑憲子
 「天上の言の葉」とは、亡き兜太師の言葉なのかもしれない。せめて冬すみれのような小さな私に、言葉をかけて下さいとの願いのようにも思える。或いはかつて師からお聞きした言葉が、ふと思い出されたのかもしれない。同じ号に「てのひらをこぼるる刻よ冬すみれ」がある。かつての至福感を冬の日差しの中で味わっているような。

胡桃の実鳥のことばを溜めておる 横地かをる
 胡桃は、鳥の好物の一つ。鳥の日常には、他の生き物と同様に食べ物と鳥同士の意思疎通をはかる言葉があるに違いない。胡桃の実の生る頃は、鳥が群がって胡桃の木のまわりに集まる。だから胡桃は鳥のことばをいっぱい溜めているのだ。下五の「溜めておる」という言い方に、作者の師森下草城子氏の語調を感じて懐かしかった。

◆海原秀句鑑賞 大沢輝一

ほとりとは一ミリの雨に青鷺 伊藤淳子
 「 ほとり」とは、一体何処を指すのであろう。それは、「一ミリの雨に青鷺」を感じるようなところであろう。“一ミリの雨青鷺”ならば解り易い情景になるが、雨と書く作者。このが曲者で。句を成している要である。により読者を幽玄の世界へ引き込む力がある。言葉を詩語にする技量にいつも瞠目し羨望しきり。とにかく素晴らしい本格な詩人の一人。

穭田は黄に葬列は村の奥 稲葉千尋
穭田に不動明王立っている 竹内義聿
 一句目、稲を刈った後、その株から二度米が穫れるのではないかと思うくらい青青として穂が出る穭田。その後黄色になり、冬鳥の餌になる。折しも葬儀が村にあり、静かに進む。田仕事を終えた男(この場合絶対男)の天寿の葬列が皆に見守られて進む。二句目、不動明王とは、五大明王の一つで怒りの相を現して火炎を背にして立つ―のだが、今、作者の前に立っていると書く。この不動明王は、誰だろうか。父か母かそれとも作者自身であろうか。もしくは幻影だったろうか。穭田とマッチして、深読みさせられる。

淋しさのマントの中に転がり来 梅川寧江
 大正から昭和にかけて、ダンディーなファッションの一つとしてマントが流行り好んで着られた。防寒具のマント。胸元で止め冬の風の中を歩く。中折帽を被り、口髭を蓄え格好よかった。そんな父が大好きだった作者。さぞかし父上は狐の襟巻をしたマント姿が良く似合ったのでしょう。淋しさを「転がり来」と突き放した書き方に好感。昭和は昔。その昔が懐かしい。

十二月八日発泡スチロール飛んだ 佐藤君子
十二月八日女ばかりの野良仕事 鳥井國臣
十二月八日ただ轟音・轟音 ナカムラ薫
 十二月八日、開戦日である。この日より日本人は、不幸な戦争の道へ突入。長い長い戦争時代になった。一句目、あの“トラトラトラ”の精神は消え、一応平和なその日の日常の一コマを書く。現在では、振り向く人は少なくなった十二月八日を描いている。この平和な日常がとても大事と思う。二句目、当時の男は出征兵として戦地へ、故に男手が足りない。女は一家を守る、いわゆる銃後の戦争を書き止めている、そう読みたい。三句目、当時の敵国アメリカでは、陸続と飛ぶ轟音のみを描き、物量豊富な大国のすさまじい軍力、一種の恐怖を描き得ている。いずれも十二月八日を正面に据えた力量ある俳句作品。今は亡き兜太師の俳句理念の基盤であった反戦思想、詩精神が確実に受け継がれている。

霜柱歯並びのよい馬通る 白井重之
 昭和までは、鶏鳴で目覚め、牛で田を鋤き耕す。馬で荷を運ぶ。そんな懐かしい時代であった。それも年年少なくなり私の地域から消えてしまった家畜。そんな家族の一員であったこれら牛馬は、何処に行ってしまったのだろうか。時が移り令和の今は、何をしているのだろう。霜の降りた朝は寒い。馬も人も吐く息は白かった。

眩しきは土ひと川面三冬月 並木邑人
 掲句を一読。どこで切って読めばよいのか迷って二読目で、土、ひと、川面、三冬月、と読めて納得。眩しきは土、眩しきはひと、眩しきは川面、そしてこれら全てが眩しい三冬月なんですと書いている。そう読みたい。徹底的に連体修飾語を省略しての作品。老いた身で(失礼)自然じねんに立つ。全てが眩しく感じられる。この感覚同じ老境のひとりとして、解ります。三冬月とは、古い語だ。師走の別称であり、それが見事に結句を成している。

老いの身を蒸気機関車駈け抜けり 宮川としを
 掲句の蒸気機関車、幼児語で汽車ぽっぽ。童謡の幾つかを思い出しつい口遊んでしまった。力強く黒煙を吐き蒸気を吐いて日本中を駈け巡った頃は作者も私も若かった。今では、その勇姿を見ることは出来ない。ただ、数本のみだが観光列車として運行はされている。他に鉄道博物館に、あるいは、公園の隅っこで休んでいる蒸気機関車が見られるのみとなってしまった。惜別の感頻り。一瞬、昔に
戻っての思いが湧き上がる。“D51だっ”と一心不乱に見惚れている少年の目。きらきらさが目に浮かぶ。もしかしたら作者も“鉄ちゃん”の一人だったのではないでしょうか。作詞作曲を生業にしておられる作者ならではの感覚が素晴らしい。身を駈け抜ける、そんな情景の一句。そんな思いの一句。

幻聴かしら凍蝶一頭と暮らす 若森京子
 少し温かい冬の或る日。ふっと、あらっという感じで何か聞こえる「幻聴かしら」と思いながら視線をまわす。すると庭の隅に、囁くように必死に縋りついている凍蝶がいる。暫くそれを視ている。生命の強さを見ている。すると“こんな冬に負けないで”という作者の優しさが見えてくるから不思議だ。口語の導入部「幻聴かしら」がこの句を生き生きさせる。

◆金子兜太 私の一句

東にかくも透徹の月耕す音 兜太
 句と絵の今風に言えばコラボ。左下に薄墨色の闇に月の絵。30年くらい前になろうか金子兜太・森澄雄二人展の即売会があった。新聞紙上にそのいくつかが紹介された。その新聞の切り抜きの一枚を額に嵌めた。今も壁に掛かったままだ。日暮れの早い山峡の厳しい自然。東の山の端に冷気を誘う月。急かされる山人の暮し。日本の原風景アニミズムの世界観だ。いったい季語は月か耕しか。季感は。『詩經國風』(昭和60年)より。金子斐子

じつによく泣く赤ん坊さくら五分 兜太
 以前、BS俳句王国という番組が松山から発信されていた。四月には必ず金子先生が主宰。その収録で来る途中、飛行機の中での出来事だとおっしゃっていた。が、自選自解では列車の中での句とおっしゃっている。私の思い込みだったのだろうか。この「さくら五分」は、もう先生だけのもの。「梅咲いて」と同様に誰でもが使えるものではないフレーズだと思っている。今も私の車の後部座席には左義長師とにこにこおしゃべりしている姿がある。『東国抄』(平成13年)より。山内崇弘

◆共鳴20句〈1・2月号同人作品より〉
〇印は2選者の共選句 ◎印は3選者の共選句

北上正枝 選

訃の電話白い夜長のはじまれり 伊藤道郎
雪迎え夫の本音に引っかかる 奥山和子
どの山も水の容れもの夜の秋 河西志帆
狐に礼そしてあなたにお訣れを 河原珠美
日溜りにふくらむ会話ねこじゃらし 北村美都子
鶉のごと地味な話題を父とかな 木下ようこ
秋夜に我折りぐせのついた手紙です 佐孝石画
妻病んで老いたる梟の私である 白井重之
千人針は未だに途中石榴割る 鱸久子
痩身の伯父の角帯木賊刈る 髙井元一
きぬかつぎ愛しからずや口の皺 高木一惠
口中に葡萄ひとつぶの残照 月野ぽぽな
ラ・フランスホロホロ鳥の重さかな 長谷川順子
からの巣の秋雲寄するばかりなり 藤野武
草いきれ生きる方便という家族 増田暁子
○晩秋は大きな耳であり迷子 宮崎斗士
生兜太こころにいます瀬戸晩秋 室田洋子
振り向いたこと互いに知らず狗尾草 望月士郎
蚊帳吊つて大和武蔵も海の底 柳生正名
蜂の巣を焼いて讃岐に発ちました 若森京子

峠谷清広 選
にぎりこぶしのおにぎり一つ敗戦日 有村王志
星月夜グラスの結露で貼る切手 石川義倫
残暑の町毀れたものが毀れたまま 井上俊一
来る人なく逝く人ばかり星の夜 植田郁一
吐息まで紫蘇を匂はせ妻揉めり 江井芳朗
夕かなかな母は私の給水所 佐藤君子
ビルの街日傘男子が擦れ違う 佐藤美紀江
つないだ手染って笑顔秋夕焼け 釈迦郡ひろみ
ふるさとは柿盗人もゆるされて 新城信子
ふる里や風はひらがな秋桜 瀬古多永
銭湯の煙突恋いしそぞろ寒 中村孝史
ラムネ玉音まで吸うて球児ちる 西美惠子
セーターの毛玉増やして老いにけり 丹羽美智子
埴輪の目今は落葉を聞いてます 前田恵
居ない猫まだ抱いている母冬へ 宮崎斗士
指紋という小さな銀河針しごと 望月士郎
祖父来たる背籠に松茸踊らせて 山岸てい子
北枕寝心地良くて星月夜 山本弥生
水底の石声上げる水の秋 横地かをる
○新月冴ゆ渚のごとく一泊す 若森京子

平田薫 選
いわし雲牧場まきばのロバは寄りたがり 伊藤淳子
蝶老いてトンと机を叩くなり 大髙洋子
小鳥来るぽかんと第二駐車場 小野裕三
ざわめきに置かれた霧の兎です 桂凜火
あきかぜやうさぎの切手貼り足して 木村和彦
台風一過雲の流れを見てばかり 小原恵子
草々のほどけて秋の蛍かな 三枝みずほ
ポプラ黄葉大きく息をする父だ 佐々木宏
ひらがなの筆よく撓う良夜かな 多田ひろ子
大瀬戸のぶおーと哭いて揺れるよ先生 谷口道子
野性かなひかりの中で靴を脱ぐ 遠山郁好
巻き癖の海図の上へ青檸檬 鳥山由貴子
青北風や山峡に鐘すきとおり 中井千鶴
毛虫横切り大蜘蛛垂れて我はゆく 永田和子
墓掘りしあと横の土 一人分 マブソン青眼
経堂の秋のしわぶき立ちあがる 宮川としを
木立ち抜ければコスモス色の内出血 村上友子
名盤にホロヴィッツの呼吸いき良夜なり 村本なずな
小惑星掠めて地球辣韭掘る 柳生正名
鯊釣りのひとりは草の上に寝て 若林卓宣

森田高司 選
ぬくめ酒古き便りを読み返す 浅生圭佑子
脳軟化鰯の干物しゃぶっている 榎本祐子
分別ごみかーるい眩暈冬到来 奥山津々子
名を持たぬ山から時雨れ始めたり 河西志帆
蛇穴に入るがごとくよ駄菓子屋へ こしのゆみこ
振り仰ぐ今宵の月は磨きたて 近藤守男
風の青空りぼんはいっぽんのひも 三枝みずほ
玉ねぎとペン胼胝笑い合う野面 下城正臣
栗拾う朝日まみれの空気なり 関田誓炎
晩秋の余った夜明け木のベンチ 高木水志
秋の蚊打つ裏切のよう淋しさよ 髙橋一枝
国境どちらのものや大稲田 竪阿彌放心
鏡の欠片つながってゆく刈田かな 丹生千賀
樹を切って十月天の父に謝す 藤盛和子
芒の穂ぽわぽわ真面目に物忘れ 間瀬ひろ子
月光に解体されるまで歩く 松井麻容子
○晩秋は大きな耳であり迷子 宮崎斗士
銀杏炒る戦死の叔父に糸でんわ 望月たけし
遠会釈して刈田出るコンバイン 山口伸
○新月冴ゆ渚のごとく一泊す 若森京子

◆三句鑑賞

千人針は未だに途中石榴割る 鱸久子
 一片の布が未だ手元にあるということは、出征しないうちに終戦になったということか。出征する兵士のために千人の女性が赤い糸でひと針ずつ千個の縫玉をつくって兵士の安泰を祈願していた日本。笑ってみえる石榴が救いですね。九十四歳の作者ならではの力作。

からの巣の秋雲寄するばかりなり 藤野武
 湧いては流れ、流れては消えてゆく秋の雲に、作者の虚しさが重なって見えて、何故か追悼句に読めてきてならない。空っぽになった巣。このフレーズに作者の埋めようのない虚しさ哀しさが感じられ心情が伝わってきた。辛いことの多い昨今同感しました。

振り向いたこと互いに知らず狗尾草 望月士郎
 若かりし頃のほのかな思い出に繋がるお相手に偶然出合った瞬間のドラマ。男性とは思えぬ繊細さとドラマ性を持っている作者の複雑な感性に、戸惑いつつもつい魅了されてしまう。狗尾草はこのドラマの全容を見ていたに違いない。
(鑑賞・北上正枝)

夕かなかな母は私の給水所 佐藤君子
 「母は私の給水所」とは新鮮でユーモアのある比喩だ。「給水所」は、「人生というマラソンにおける給水所」という意味だと思う。人生で辛いことがある度に作者はお母さんに心を支えられてなんとか頑張って乗り越えて生きてきたのだろう。頼もしく明るく、そして、水のように爽やかなお母さんなのかもしれない。

ビルの街日傘男子が擦れ違う 佐藤美紀江
 風俗画的俳句だ。日傘は女性がするものだったが、日傘をする男性も最近は増えてきたようだ。それでも、そのような男性はまだ少数だろう。ビル街で彼等が人と擦れ違う時はちょっと照れて恥ずかしそうな雰囲気がする。男性ではなく男子としたのも良いと思う。作者は「可愛い!クスクス」と楽しく眺めているみたいだ。

北枕寝心地良くて星月夜 山本弥生
 北枕は不吉である。もちろんそれは迷信なんだが、迷信だとわかっていても北枕だと落ち着かなくなる人は多い。実は、私もそうだ。しかし、山本さんは北枕なんか気にしていない。北枕で星月夜を気持ち良く寝ている。更に、こういう堂々とした性格自体も星月夜のように気持ち良く爽やかだ。私には羨ましい性格の人だ。
(鑑賞・峠谷清広)

いわし雲牧場まきばのロバは寄りたがり 伊藤淳子
 ロバといわし雲、のびやかな世界が広がる。ロバは4千年以上も前から人のそばにいたという。辛抱強く優しい。同じ匂いを持つ人間を敏感に嗅ぎわけ、そういう人へ寄るのかもしれない。人もまたこのようであろうか。「寄りたがり」が切ない。抒情を深々と包み込み、読むものを明るくひろびろとした世界に誘ってくれる。

蝶老いてトンと机を叩くなり 大髙洋子
 蝶が老いたという。さて蝶はどのくらい生きるのかと思う。2、3週間だったり1カ月、5カ月だったりもするようだ。老いたのは蝶である私、あるいは誰か近しい人だろうか。何か言いながら、考えながらトンと机を叩く。どこにでもありそうなこと。人という存在のいろいろを思わせる。ちょっとシニカルなその面白さ。

小惑星掠めて地球辣韭掘る 柳生正名
 なぜ辣韭掘るなの、と思うのだがそこがこの作者。およそ辣韭を掘ることと軌道が確認されているものだけでも7万個あるという小惑星との関係がどこにあるのか。しかも掠めるのは地球。地球と言ったって人間って言ったってそんなもんよ。泥臭くせっせと辣韭でも掘ることです。そんなふうに言っているのでしょうかね。
(鑑賞・平田薫)

脳軟化鰯の干物しゃぶっている 榎本祐子
 不思議な句だ。が、胸中が見え隠れする。柔らかくなった脳とかたくなった鰯。どちらにも共通するのは、命と時間だ。正に、漂泊する者の思いがたっぷりと込められている。「しゃぶっている」その姿は、鰯のこれまでの一生や、自分自身のこれまでの歩みの道筋を、確かめているかのごとくの気配である。また、噛んでいないことが、絶妙な余韻を醸し出している。

秋の蚊打つ裏切のよう淋しさよ 髙橋一枝
 蚊から裏切、そして内面の葛藤へと広がっている。蚊を打つことは、信義に反する行為だと気づいてしまった瞬間にやってきた淋しさ。生気が失われ、孤独のなかに自分の身が置かれた時でもある。日常は、予期せぬ出会いの連続。一瞬の心の揺れと対峙する感性が、ありのまま引き出されている句だ。

月光に解体されるまで歩く 松井麻容子
 誰にでも、何かに身を委ねたくなる時がある。自分は何者なのか、という問いかけを抱き歩みを重ねていくことは、並大抵ではない。月の光は、異次元への入口。できあがってしまった自分を原点に戻す姿がある。だからこそ「まで歩く」が、ありのままの姿を強く引き出している。
(鑑賞・森田高司)

◆海原集〈好作三十句〉武田伸一・抄出

ひな人形捨てる男を捨てたように 有栖川蘭子
愛されし記憶まるめる浮寝鳥 飯塚真弓
うわさって爪にはさまる葱の種 井上俊子
納棺師にルージュ手渡し雪しまく 植朋子
綿虫や絵文字ばかりのメールして 大池桜子
さざんかの白い息吐く微熱かな 梶原敏子
黒インク落ちたら出来る枯野原 葛城広光
冬蜂や目と目を合わせない握手 木村リュウジ
それだけのことだったのに寒い雨 工藤篁子
令和とや何回万歳何回くしゃみ 黒沢遊公
亡母の指宙に追いしはきっと狐火 黒済泰子
悲しくて嗤う女に秋日さす 小林育子
母性愛って系統はあんぽ柿 小林ろば
雪時雨何度もさようならを言う 小松敦
中村哲アフガン照らす寒北斗 坂川花蓮
落ちてゐる手袋指を広げをり 鈴木弘子
なにに腹立て神鶏の蹴る枯葉 ダークシー美紀
横道にそれし女優や枯芙蓉 高橋橙子
独楽やがてふらついて明日が来る たけなか華那
大晦日だれのものでもないあした 立川瑠璃
遠き日の靄の中から男がゆらり 谷川かつゑ
ねこじゃらし真面目な夫につきまとう 仲村トヨ子
元日晴「自由のために」と兜太日記 野口佐稔
里神楽人きて立つる土埃 福田博之
二合研ぐ新米のあおき濁り汁 藤川宏樹
狐火や耳鳴りじんと襲い来る 保子進
晩秋の元彼にやる六文銭 松本千花
木守柿母の矜恃といふのなら 吉田和恵
道ばたの雜草にけつまづく哉 吉田貢(吉は土に口)
つめられし小指の先の寒さかな 渡邉照香

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