アンケート結果:2023年7月「海原オンライン句会」

海原オンライン句会では、参加者の要望をもとにして、随時アンケートを行っています。みんなに聞いてみたいテーマがあれば、どんどんご意見・ご要望をお寄せください

アンケート① あなたにとって「選句」とは何ですか?〈任意回答・順不同〉

〇新しい何かに出遭えるように だれかの思いを受け止めようとする行為

〇胸に響き、共鳴する句

〇なぞなぞの答え探し

〇心が動いた句を選ぶことです

〇自分に無い、意外性やオリジナリティに触れること

〇他者の作品を鏡として自分の感覚を捉え返すこと

〇新鮮な視点があること、それを探ること

〇好きな句を選ぶのを諦めること

〇選んだ句を通して、今の自分が見えてくる。

〇客観的にみること。

〇選句とは、「好き」を見つけて「矯めつ眇めつ」を楽しむこと。自分では書けないような句は、衝撃により一目惚れ。でも、好きなんだけど一カ所アバタがどうしても気になる、とか、あれこれ眺めまわして。で、結局「好き」が残れば、いただくことになります。

〇今度、考えをまとめて朝日カルチャーのテーマにしようと。

〇自分にはない発想や視角の発見、気づきの機会

〇発見、気づき

〇句の描く風景に共感できる。比喩表現が上手い。

〇真実をつかんでいること、そして、その表現が自分の琴線に触れるかを選句の基準にしている。

〇この句会に参加して初めて選句という作業をし、句を吟味・鑑賞することを経験。大変勉強になります。

〇「選句」には二つの意味があると思います。一つは俳句作品としての評価です。様々な観点から「俳句作品」として評価できるという、読者の「俳句観」に照らした評価です。そしてもう一つは、自分の心との一致です。作者が心の中で視たもの・思ったことと、読者のそれが五七五という短いフレーズの中で、ふっと、ピタリと一致する。皆様、そんな経験があると思います。俳句や文芸としての良さということとは別に、「ああ、この感覚」、「こんな想い出があったよね」、「あなたもそう感じていたんだね」といった、俳句を通じての「作者との対話」があると思います。それが「俳句」独特の貴重な「心のコミュニケーション」の方法だと感じています。それが「特選」という「枠」の存在理由にも、「社会性は態度の問題」と言ったことにも通じてくると思われます。

〇私らしさの創出。「好き」∧「作品の完成度というか詩というか創作物としての感服度」。

〇好きな句を選ぶこと=自分を吟味して他者に曝すこと。そしてその結果を他者と交換・交通することで自分の世界を豊かに拡張すること。普遍的な評価基準など無いが、俳句先生の場合は、先生のポリシーに従って表現の可能性を広げるべく指導的な選び方もあると思う(兜太先生のような)。

〇森の中に入って行くような感覚。

アンケート② あなたにとって「海原」あるいは「海程」らしさ、とは何ですか?「海原」以外の方は印象や想像で結構です。〈任意回答・順不同〉

〇いつも新しい境地を競っている場所

〇自由な発想の句

〇物象の生々しさ、体が反応すること

〇やはり、「俳諧自由」でしょうか?

〇俳諧自由

〇一言で言えば、「人間」や「生きると言うこと」を素直に真摯に、そして執拗に見つめてゆくという態度でしょうか。金子先生のことを想って見ても、海原の方々との触れ合いでもそのことは強く感じます。アンケート①の回答と重なってきますが、「俳句」には、いわゆる「俳句文芸」としての価値の他に、他者への想いの在り方とか、一種の人間存在への哲学とか、社会の中でのコミュニケーションの在り方とか、様々な課題を包摂する機能と力があると思っています。多くの俳句結社や同人誌では、当たり前のことですが、彼らなりの「俳句の文芸性」の価値追究や共有感覚が重要視されます。「海原」でも勿論、そのことは常に論議されていると思いますが、それを越えて人生や社会、環境といったものを「俳句を通じて」考えてゆく、その自由さと力とが「海原」にはあると思っています。

〇金子兜太先生が極めようとした俳句の世界を探求している同人・会友に触れ合える場に所属して俳句づくりをし、自らの作句力を高める。

〇「むちゃぶり」「ぶっちゃけトーク」など俗語的な表現が普通に使われていることに驚きました

〇兜太先生の精神。

〇緩急、硬柔、併せ持つ

〇ぶっ飛んでいるほどの自由さ。敷居の高さを感じています。

〇「創る」に相応しい句に出会える

〇幅ひろい句を受け入れる包容力のある句会と思っている。したがって「らしさ」を特定できない。

〇金子兜太師の生きざまにひかれ「海程」・「海原」を知り、その流れが脈々と繋がれているものと参加しています。

〇「海原」と対照的な広島圏の「夕凪」という結社にもご縁がありますが、何が対照的かといえば、「夕凪」は徹底的に五七五を守り、先生の教えを受け入れる点が態度としては全く異なると思われます。しかし、何気ない言葉の中にしみじみとした深さを感じる句も多いです。「海原」は、上記例示のとおり、縛りがなく自由だと思いますが、自由だということに縛られてはいないか、自由げにしなきゃいけないと思ってはいないか、自分自身の創作への態度や責任を考えさせられます。「らしさ」には流されるなと思う昨今です。もがいているわけです、いま。

〇俳諧自由。金子兜太「海程」の理念を引き継ぐ「海原」は多様性をはぐくむ海。いろんな生きものが共存するエコシステム(生態系)。

〇自分なりの表現方法を探して行けるところ

〇詩性

〇今、俳句に何が求められているかに常に敏感であること。只今の海原がそうであるのかは?

以上

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