『海原』No.15(2020/1/1発行)誌面より。
《誌上シンポジウム》金子兜太最後の句集『百年』を読む
韻律と映像、そして幻想 遠山郁好
◆『百年』より五句鑑賞
荒川で尿瓶洗えば白鳥来
荒川は先生が幼少期から馴れ親しんだ特別な川。その川でこれまでの歳月を思い、尿瓶を洗う。今年も冬になり白鳥がやって来た。川も人も白鳥も、生きとし生けるもの健やかで美しいこのいのちのめでたさよ。と生を謳歌する。大らかで悠々と如何にも先生そのもの。
科の花かくも小さき寝息かな
科の花は、先生と吟行で訪れた玉原高原で出合った。細かく黄味を帯びた白い花で、芳香があり愛らしく野趣もある。今、その科の花が咲いている。どこからか幽かな寝息が聞こえる。森に棲むものの寝息か。もしかして森そのものの寝息かも知れない。繊細で鋭敏な感性は澄み渡り、かくも小さき寝息を感受し、そっと掌の中で温めている。
あおだもの白花秩父困民史
他界される四年位前、小さな句会でこの句に出合った。お宅の庭のあおだもの花が余程気に入られ、いいんだよ、あおだもの花が。と何度もおっしゃった。奥様の皆子先生が秩父の山から移植された木で、清潔で白く細い花を付ける。先生はその花を目にされるにつけても、いのちの原郷である秩父の山河への思いを募らせる。そして、その思いは、さらに研究テーマの一つであった秩父困民史へと拡がっていった。
妻よまだ生きます武蔵野に稲妻
向日性の先生の明るさがよく顕れている句。気力十分に、まだまだ生きますよ、と一寸戯けて決意表明されている様子が、なんとも先生らしい。奥様には、未だそちらには行きませんが宜しく、と話し掛ける。折しも稲妻が走る。稲妻の霊性は、どこか皆子先生にも通う。妻よ、と呼びかけ稲妻で結んだ遊びごころが楽しい。
炎天の墓碑まざとあり生きてきし
想像を絶する戦争体験は、戦地から帰国されてからも脳裏を離れることはなかった。だから長い歳月を経てもこのように書く。書かなければならないという気持ちが強かった。そして、朝日賞を受賞したそのタイミングでこの句を発表した。そのことに意義がある。反戦を訴え、平和への思いを、終生心に深く刻み、決して忘れまいという覚悟があったからこそ、炎天の墓碑まざとであり、生きてきしと言い切ることが出来る。つくづくストイックで意思の人であった。
◆「最後の九句」より
他界される二カ月程前に、先生の滞在先へ皆んなでお邪魔したのですが、いつも通りお元気で、やあやあと現れ、これからの海原のことなどに耳を傾けられ、終始にこやかでした。その時、今日は人に会うんだからと無理やり入浴させられたんだよ。と冗談めかしておっしゃったのを覚えていたのですが、最後の九句に入浴の句が三句あったことに驚いた。「さすらいに入浴の日あり誰が決めた」から「さすらいに入浴ありと親しみぬ」へ続く絶妙な心の動きがユーモアたっぷりに書かれている。
河より掛け声さすらいの終るその日
それにしても、最後にさすらいの句を四句も書かれたんですね。常々定住漂泊をおっしゃっていた先生は、最後まで毅然とそれを貫き通した。
◆句集『百年』とこれまでの作品から思うこと
先生の作品を考えるとき、この『百年』に限らず、まずその独得の韻律に魅かれる。その韻律はたとえ卑近な題材で書かれていても、いつも凜として格調がある。次に映像化のこと。先生はものの持つ力を信じ、それを提示し映像化することを一貫して述べて来た。この『百年』でも偶然のものとの出合いの句をいくつも目にする。偶然と言っても感性を働かせ、対象と生々しく交感し、想像力を羽ばたかせて自分の世界を創造し開示する。このことに関しては、詩人の宗左近さんが著書の中で、金子兜太は日本のランボーであり見者であると言っていたが、それは予め見えていない真実に向かって、直観に導かれ、ある方向に鑿岩機を突き入れる。その鑿岩機には目がついていて、闇の中を見通す視力を持つ。と評したが、そのことと通じる。例えば人口に膾炙する、
梅咲いて庭中に青鮫が来ている
おおかみに螢が一つ付いていた
を考えてもそのことが解る。すでに、金子兜太そのものであり、金子兜太の世界だが、それにもう一つの魅力を言うなら、幻想の匂いがするということ。人に見えないものが見える見者だから当然かもしれないが、しかし幻想と言っても、頭の中で作られたものではなく、あくまでも体験に基づいた事実があり、自身の肉体を通して、そのリアリティーを突き詰め、そのリアリティーを突き抜けたところに現れる幻想だ。だからインパクトがあり、不可思議な魅力があり、人に感銘を与えるのだと思う。