『海原』No.78(2026/5/1発行)誌面より
英国Haiku便り[in Japan]〈74〉特別版(3回連載ー2)
歳時記、句会、そして連句の夜は更ける
~米国でのhaiku大会体験記・中篇~ 小野裕三
ここで、各日の具体的なプログラムについて少し紹介したい。
一日目は夜から始まった。創立五十周年の記念メッセージの他、その夜の目玉イベントは「狂言スタイル・ダンス」。協会会員でもあるエレンさんが、能や狂言のスタイルを取り入れた独特のダンスを披露する。事後に彼女と会話したところ、彼女はもともと西洋の演劇をふつうにやっていたらしい。それで、日本の能・狂言に出会い、それが西洋の演劇とまったく違うことに驚いたとか。西洋の演劇は自由な表現を追求する。一方の能・狂言は抑制的で「型(kata)」の正確性を重んずる。しかし、その「型」の向こうにこそ自由がある、という発想をする。そんな彼女の話は、どこか俳句にも通じるものがあるし、だから彼女がhaikuにも惹かれたのも納得できる。
二日目は、俳句コンテストの結果発表や参加者によるプレゼンテーションなど。ちなみに、コンテストは協会の外にも広く開かれていて、受賞者もほとんどが米国外も含めて多様な顔ぶれだった。ここで入賞句を紹介する。
a withered garden ;
the lolly stick epitaph
of a family pet
Danny Blackwell
枯庭/キャンディの棒が/愛犬の墓碑銘
on a moonless night
the red coal of your cigar
burns between stories
Karin Hedetniemi
無月/物語の合間/葉巻の赤い火が燃え
どれも現代的なセンスと日常感がうまくミックスされた佳句と思う。
その日にあった他の講義を担当したのはフィリップ君という若い男性。体格は大きいがどこか繊細な雰囲気で、ネイティブ・アメリカンの血筋を引くとあとで聞いた。彼は日本に行ったことはないが日本語ができるらしく、日本の結社「天為」にずっとメールで投句しているとのこと。そんな彼が始めたプロジェクトが、英語版(あるいは少なくともカリフォルニア版)の歳時記を作ること。その春版が完成し、今回の大会がそのお披露目となった。季語数自体は決して多くないものの、季語の解説と掲載の例句がすばらしく、英語圏では他に見かけないような充実した内容の歳時記だ。日本でもお馴染みの季語だけでなく、現地の自然や文化に合わせた独自の季語も盛り込むなど、野心的かつ実用的で、これから順次、夏版以降を刊行予定とか。
彼に少し意地悪な質問をしてみた。
「日本の歳時記は、実は四季だけじゃなくて新年という章もあるけど、知ってる?それはどうするつもり?」
彼は慌てることもなく、答える。
「知ってる、それ。でも、英語圏には新年の季語なんてほとんどないんだ。日本みたいなそういう風習がなくてね。だから、冬版と一緒にしようと思っててね」
その他の彼の発言も鋭くて、彼の実感からすると五七五は英語よりも日本語の中でこそリズムとしてすんなりと馴染む、とも語り、なるほど、と思った。
この日の夜は焚き火を囲み、大会に来れなかった人や物故者を語るという懇談の催しがあり、なかなか心に染みた。
三日目。いよいよ吟行を踏まえた「句会」が開催される。彼らもkukaiと呼ぶが、日本の句会形式も踏まえつつ、彼らなりにアレンジしている。匿名投句するのは日本と同じだが、それを元にした句稿は作られず、各自が紙に書いてガラス窓に貼り出す(写真1)。それを見て各自が気に入った番号を選句用紙にメモして提出する。

面白かったのは、選句が無記名で行われて各句の投票数のみを数えること。そのため、会場の中央に臨時の選挙管理委員会みたいなテーブルができて、数人で入念にカウントを行う。「総数が合わなかったので、もう一度カウントし直します」みたいなアナウンスも途中であったりして、なるほど民主主義の国だ、と感心した。そのあとは講評となる。得点順に句を取り上げ、参加者からのコメント、そして名乗り、と続く。少し日本と違うのは、コメントはあくまでその句に好意を持った人が自主的に発言するというルール。なので、否定的な意見を言う人もいない。また、自発的にコメントする人がいない場合には、たとえ高点句であっても、司会者は誰も指名することなく、素通りして次の句へと進む。それもなんだかアメリカ的だなあ、と感じた。
ちなみに、僕も日本語の英訳ではなく、最初から英語で書いて一句作ってみたが、六点くらい入って、お、英語でも行ける、と思い嬉しかった。句会後には、僕のところにわざわざ来て、「この句、私は好きだったわ。作者はあなただろうなって思ったのよ。あなたの句に投票できて光栄だわ」と言ってくれる女性もいた。「あ、こういう人、日本にもいる!」と内心でにっこりした。

そしてその夜は、連句を実施(写真2)。全体を二つのグループに分け、それぞれに「sabaki」と呼ばれる進行役が立つ。実施前に「連句の経験ある人は?」と司会からの質問があり、多くの人が手を挙げたので驚いた。逆に、そこで僕が手を挙げないのには周囲が怪訝な顔をする。
「いや、だって、日本の俳句の会では、ふつう連句なんてやらないんです」
そう説明するとみんなが驚く。
「じゃあ、ぜひ一緒に。楽しいよ」
ということで、僕の人生初体験の連句は、アメリカ人にやり方を教わりながらアメリカ人と句座をともにする、という、実に風変わりなものとなった。前篇でも書いたが、仮装パーティも兼ねていて、ワインや酒を片手に和気藹々と進む。句座を楽しむということに関しては、日本人よりもアメリカ人のほうが長けているかも、とも思う。
連句は盛り上がり、深夜十二時も近づく。そこにホテルのスタッフが現れる。
「ねえ。君たち。この施設の使用門限は十時までなんだけど。いったいいつまでやってんの?」
「あ、もうすぐ終わりますよ。大丈夫」
そんなふうに、クレームもどこ吹く風で受け流すのは、さすがと言うべきか。そうして完成した連句は、翌朝に各自が朗読する形で発表された(写真3)。

◆次回〈米国でのhaiku大会体験記・後篇〉「俳句の核心をアメリカ人たちと議論した」

