第7回海原賞・海原新人賞受賞作家の俳句を読む〈軽やかに揺らしながら…… 遠山郁好〉

『海原』No.78(2026/5/1発行)誌面より

第7回海原賞・海原新人賞受賞作家の俳句を読む
軽やかに揺らしながら…… 遠山郁好

 海原二賞受賞作家特別作品、興味深く拝読し、楽しく味わわせて戴きました。

◇三枝みずほ「未来圏」

 まず、海原賞の三枝みずほの作品。
  地球儀回す正しさは正しさは
 現在地球上で起こっている、戦争や紛争、地球温暖化を始め数多の複雑で困難な問題を考える時、思わず自問するように口を衝いて出てしまう〈正しさは正しさは〉の表現に深く共感した。
  読書灯夜の継ぎ目へ入れる指
 或る夜、書に向かっていた作者が、ひと息入れ、読み進んで来たページに栞のように指を置くその瞬間を〈夜の継ぎ目〉と鋭く感受し、さらに〈入れる指〉とまで言える生々しさ。作者の内向的で鋭敏な感覚、それが夜気と溶け合って充実した時の流れをも思わせる。
  ぶらんこの揺れてる間許されて
この句の〈揺れてる間許されて〉の微妙な身体感覚を通して揺れると許されるとの関係性を表現しようとしたこの作品に注目した。一体何から許されているのだろうか。想像は様々に広がる。普通に考えられるのは、今日一日の全ての物事、人間関係からも解放される自由な時間、それを許されていると感じる作者がいること。しかしそれだけではない。ここに書かれていない〈許されて〉のもっと何か、真実があるような気がして、今ある扉のさらにその奥の扉を押したい衝動に駆られる。
  夕焚火ことなき顔となりゆけり
 一日が終わろうとしている夕べ。恙無く過ぎて行こうとしている今日への安堵と共に、顔を照らす夕焚火が実に美しい。作品の中に作者自身が同化してゆくような時間。焚火もやがて消えてゆくでしょう。
  冬の噴水今なら越えられそうな夜
  わがままって静電気のよう冬日向

 一句目、昼間見ていた高く噴き上がる冬の噴水に圧倒されていたが、夜になり、より個を感じた時、あの冬の噴水を〈今なら越えられそう〉と思った。より冷たく黝い生き物のように見える冬の噴水を提示した作者の感応の純度に惹かれる。孤独は人をより強くするものだ。
 二句目の句、突然駄々っ子のようにビリビリッと来る静電気は、わがままそのものであり、〈わがままって静電気〉は言い得て妙。それでは、この句における〈冬日向〉の働きはどうか。冬の噴水のに比べると、少し物足りなさが残る。
  逃避癖羊数えてゆく春よ
 誰れしもが抱く逃避願望。だがこの作者は、願望ではなく逃避癖と言うからには時々そんな気分に襲われるのだろう。しかしこの句から悲愴感は読み取れない。春の野の羊一頭一頭を数えながらの逃避行。自分の行きたい場所は一体どこなんだろう。漂泊感はいつもどこか人懐かしさと共にある。明るい春の逃避癖よ。
  春の雨ゆっくり母の音になる
  三月尽感情的な雨音だ

 一句目、この母が二通りに読める。春の雨音を聞いているうちに、作者自身が、しみじみ母であることを実感している。もう一つの読みは母は作者のお母様であり、その母を思い出して、春の雨は母の音そのものだなと懐かしさに浸っている。いずれにしても、この句の中の〈ゆっくり〉の働きは効果的であり、雨音の中の春に身を委ねている作者が確かにいる。
 次の句は、一変し、感情的な雨音を捉えている。雨音も心の有りようによって感じ方は変わるものだから、季語の三月尽に寄せるように複雑な感情が表現されている。

◇小林育子「今日の春」

 海原新人賞・小林育子の作品。
  多摩川と旅するようにしゃぼん玉
 多摩川を近くに感じて暮らす作者が、多摩川の表現は実感でしょう。しゃぼん玉も、春酣の今、お孫さんとの嬉しい時間かも知れない。まさに春水ここに満つという思い。
  ニラ玉の味決まらない片恋です
 片恋のこころ模様を〈ニラ玉の味決まらない〉と言えたのが新鮮。ニラ玉と片恋、二つの題材への思い切りのよい接近により、この句は決まった。
  朧夜にかちりと母の黒真珠
 朧夜は朧夜として朧夜の季語を前面に出すことも考えられるが、あえて朧夜としたのは、作者の特別な日の朧夜を強調したかったのだろう。母の黒真珠はお母様自身が黒真珠をしていた、または作者が母の形見の黒真珠を付けているとも読めるが、〈かちり〉とあるからやはり後者だ。作者は黒真珠の留め具のひやっとした感触とかちりという音から、今、いたたまれない悲しみに襲われている。そしてその悲しみを黒真珠に託しそっと提示するだけ。過去は確かに実在する。その過去を掘り起こし、亡き人との関係を紡ぎ直すことは、悲しみを和らげる一つの方法かも知れない。
  われよりも強き背骨や桜鯛
 年齢を重ねると脊椎にも不調が現われ、つい背骨を意識してしまうことが多いが、その背骨を桜鯛の硬い骨と比べるなんて。小さな発見をした時の作者の嬉しさが伝わってくる。
  まぶしすぎて笑うよネモフィラの海
  春色の試着ってこんなにも勇気

 一句目、〈まぶしすぎて笑うよ〉の少し自嘲気味のウイットの効いた言い方が楽しい。しかし、上五中七の発語感を生かすには、下五のネモフィラの海が動けば、さらに個性的な句になりそうだ。
 二句目も、話し言葉を巧みに生かし、軽やかに韻律に乗せ、春の気分が横溢していて好感が持てる。では最後の〈勇気〉はどうか。一句一章で、少し戯けて、こんな書き方も否定はしないが、〈勇気〉と答えを出して自己完結させないで、他の展開も見てみたい気がする。
  深々と両手つつまれ春の土
 さりげなく、しみじみ上手い句だと思う。深々もいいし、特に〈両手つつまれ〉に惹かれる。春の土に両手をつつまれている感じは、生々しく艶やかに優しい春そのものだ。作者が北海道のご出身だとお聞きしているので、春の訪れへの喜びが、北国の大地の記憶と共に身体を通して見事に表現されている。「肉体は風土である」という金子兜太の言葉を思う。
  白梅のこぼす光を道として
 作者は好きな俳人の一人として杉田久女をあげている。特に久女の一途さと自由への希求を言う。言われてみればよく解かる。特に冒頭の一句の〈白梅のこぼす光を道として〉から作者のこころざしや作句姿勢が明確に読み取れる。人生はその人の生き方の深化で決まる。
 日々の生活での出会いに新鮮に驚き、思索し、軽やかに揺らしながら作句するお二人。これからも、それぞれの個性を生かしつつ、普遍性を追求し、時と共にその味わいが深まるような素晴らしい作品を楽しみにしています。

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