髙野公一著『芭蕉の天地「おくのほそ道」のその奥』書評◆覚醒の喜び 小松敦

『海原』No.33(2021/11/1発行)誌面より

◆書評

髙野公一著『芭蕉の天地「おくのほそ道」のその奥』

覚醒の喜び 小松敦

 髙野公一氏による「おくのほそ道」研究書。私のような芭蕉初学者にはうってつけの本だと思う。前提知識や予習なしで臨んでも楽しく読める本だ。「松の事は松に習へ」のごとく「芭蕉のことは芭蕉に習へ」の心で書かれており、俳句実作者としての髙野氏が芭蕉という人間に自分を重ね芭蕉を理解しようとして書いているのがよく分かる。
 さて、私が本書で一番面白く読んだのは、本の題名にもなっている〈第3章芭蕉の「天地」〉と〈第9章天地とともにある俳諧―不易流行論の原像〉である。
 歌枕満喫の前半を終えた『ほそ道』の旅の真ん中、出羽路「三山順礼」の月山登拝で芭蕉は「天地」を体感しその本質を直観した。「日月行道の雲関に入かとあやしまれ、息絶身こゞえて頂上に臻れば、日没て月顕る」の件、森敦の見解も援用しながら、それは芭蕉にとって正に「覚醒の喜び」であったと著者は語る。
 『ほそ道』は「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也」から始まる。これは李白の詩にある次の対句、
  天地者万物之逆旅…①
  光陰者百代之過客…②
の②を引用しているものだが、対を成す①の方はなぜ記さなかったのか。〈その理由について、森敦は、それは便宜上の理由でもなく、不要であったためでもなかった。芭蕉は旅の初めにはその意味するところを十分に認識していなかった。しかし、旅の途中でそのことを体験的に把握した。そしてそれを、体験したまさにその場の記事に秘かに書き込んだ。それが「日月行道の雲関に入かとあやしまれ…日没て月顕る」と書かれた、まさにその場面であったと言うのである〉。李白の詩の一対の一節が旅の真ん中である月山登拝、いわば『ほそ道』のピークに据えられたのは偶然ではなく芭蕉による拘りの意匠であるという。〈言葉としては知っていたことが、その意味する本当のところを初めて知り得たと思われる、恩寵のような一瞬が、月山の芭蕉に訪れたに違いない〉。そうして出来た句が「雲の峯幾つ崩て月の山」であり、著者は〈この一句を見るに、芭蕉自身、ここに、変化するものと、その変化を受け入れている天地そのものの姿を、その全き一体として、眼前の一風景の中に、詩的なイメージとして捉え得たと確信し〉、そこから「不易流行」の世界観・俳諧観が生まれたに違いないという。
 第9章では、この月山における覚醒=「天地」の本質直観を「原体験」にして生まれたという「不易流行」について〈弟子たちの論ではなく、芭蕉自身のそれの原点を探るもの〉として考察している。
 芭蕉は「不易流行」論なるものは書き残しておらず書簡など僅かな文章で「不易」「流行」に触れているのみ。あとはほかの文章や弟子たちの言葉から理解するしかない。例えば去来「答許子問難弁」の「又その先師のよしと申さる(る)句、不易・流行自(ずから)備(は)るは勿論なり。もし二ッの内、一ッあらずんば、先師よしとの給はじ。」は重要な証言である。一句の中に「不易」も「流行」も同時に存在しないとダメだと芭蕉は言っている。しかし弟子たちは「不易流行」の何たるかを問われるとうまく説明できなかったという。著者はその説明の困難に共感し、「不易」「流行」が「絶対矛盾」で同時成立は論理的「ミッシングリンク」だと述べ、土芳『三冊子』に示される「不易と流行を同時成立させるのが風雅の誠である」との論理にも飛躍があるとの見解を示す。その上で、著者自身の理解を次のように述べている。「不易」と「流行」を〈同時的に成立させるものの根拠は一つである。それは天地である〉〈天地が永遠と変化の相であるように、俳諧もまた同じである。その変化と不変の実相を風雅の誠を究めて掴み取る。そのことによって長い詩歌の真の伝統を受け継ぎながら、新しさを拓いてゆくのである〉。一見すっきりしているが、実を言うとこの説明がよく分からない。
 ここからは私見だが、「不易」と「流行」は矛盾していないし、双方を同時成立させるのが「風雅の誠」であるとの論理も明解であると考える。「不易」とは「西行・宗祇・雪舟・利休に貫通する一なる精神(笈の小文)」であり「古人の求めたるところ(柴門の辞)」ではないか。「不易」とは「古より風雅に情ある人は、後に笈をかけ…中略…をのれが心をせめて、物の実(まこと)をしる事をよろこべり(贈許六辞)」の「物の実をしる事」であり、「見るにあり、聞くにあり、作者感ずるや句となる所は、即ち俳諧の誠なり(三冊子)」、つまり「物の見えたる光(同)」を捉えること、「物に入てその微の顕れて情感るや、句となる所也(同)」の「情感る」ことではないか。対象に交わり通い合おうとする時に対象の本質や特質に気づいて昂揚する気持ちや感動。それが「物の見えたる光」であり、芭蕉が月山で体感した天人合一の感覚だと思う。これこそが古の人々が求めてきた「物の実」であり「不易」なるものではないだろうか。
 芭蕉は「物の実」が表れていて(不易)且つ変化に富んだ新しい(流行)俳諧を作ろうと言い、それを実践する態度が「風雅の誠」つまり「高く心を悟りて俗に帰るべし(同)」だと言う。このように考えると、芭蕉や弟子たちが残した言葉は全部リンクしてくるし、現代俳句や他の芸術にとっても有意義な教えとなるだろう。金子兜太流に言えば「生きもの感覚」と「ふたりごころ」を以て日常から創れ、となるわけだが、「高悟帰俗」とは言うが易しで、俗に居ながら「物に入る」ことのできる身体をつくる必要がある。
(朔出版)

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