詩人・ラヴロック博士 小松敦

『海原』No.41(2022/9/1発行)誌面より

〈ジュゴン通信〉

詩人・ラヴロック博士 小松敦

 兜太先生と同じ一九一九年生まれのジェームズ・ラヴロック博士が、今年の夏、百三歳の誕生日である七月二十六日に他界した。博士は「地球はひとつの生命体」という「ガイア理論」の提唱者であり、レーチェル・カーソンに『沈黙の春』執筆を促したことでも知られる英国の科学者だ。その博士の九十九歳で最期の著作『ノヴァセン』を読んだ。『ノヴァセン』は人新世以降の近未来予測エッセイともいうべき書物で、ここでは細かい中身には触れないが、九十九歳でなお大胆かつ思慮深い思索がはしゃぎ回る超刺激作だ。
 博士は先生同様に、徹底的に「アンチ人間中心主義」そして「本能」の人だ。〈ことばや文字が生まれる前、人類をはじめすべての動物は直観的/直感的に思考していた〉〈人類の文明がおかしくなったのは、直観を過小評価するようになってからだ〉〈人間はいまだに原始的動物であることを理解しなければならない〉。
 博士によると、ことばは静的問題を解決するにはぴったりだが、動的システムを線形的で論理的なことばで説明するのは難しい、ましてや〈生きている対象の動きについて、それを因果論で説明することはできない〉という。博士曰く〈ガイアを説明するのが難しいのは、それが自分の内側でほとんど無意識に抱いていた情報から直観的に生まれたコンセプトだからだ〉……おや?博士、実は詩人だな、と思った。兜太先生と似たようなところがあるとは思っていたが、直観的に生まれたコンセプトをいかにことばにするか、なんて詩や俳句をつくっているみたいじゃないか。
 しかし博士は、論文と計算式は書いたが詩や俳句は書かなかったようだ。あるいはもしかすると「ガイア理論」は壮大な「詩」なのかもしれない。ちなみに、博士の書いた計算式は〈システムの仕組みを説明するように見せて、実際は起きていることを描写しているにすぎなかった〉=〈名誉あるごまかし〉だと冗談ぽく言っている。
 これまで、兜太先生から「詩は肉体」だと聞き、俳句とは「生きもの感覚」と「ふたりごころ」でつくると学んできたが、もしかして逆かもしれない。つまり、俳句にしたい物事や気持ちは、だいたい「動的なシステム」で(芭蕉の不易流行しかり)、それをことばで描こうと思ったら、たぶん「詩」にするしかないのだ。それは確かに難しい。「計算式」のような俳句、〈実際は起きていることを描写しているにすぎなかった〉=〈名誉あるごまかし〉のような俳句ばかりつくっているような気もする。
 ラヴロック博士、ありがとう。

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