第6回海原賞・海原新人賞受賞作家の俳句を読む〈俳句という叙情詩 日高玲〉

『海原』No.67(2025/4/1発行)誌面より

第6回海原賞・海原新人賞受賞作家の俳句を読む

俳句という叙情詩 日高玲

◇望月士郎「人ひとひら」

 「俳句という音楽」のテーマに添った作品「人ひとひら」二十句に、「朗詠」や「朗吟」の言葉はいかにも古めかしいと思いつつ詠っていると、ヒップホップ・ミュージックのラップのリズムが浮かんできました。
  地球儀の中は空っぽわたたんぽぽ
 と、ラッパーが大きな地球儀の作り物の上に乗って踊る映像が想像されます。映像全体にサタイア、自己諧謔も感じ取れますが、この句の音韻のようにとても軽やか。
 全編に次々と展開される音韻の面白さや機知の応酬に目が奪われ、その分、叙情の声はひそやかです。言語の意味性を限りなく排除した後に来る韻文の言語、とは何ぞや、というテーマが明滅します。
  揺れている心ふらここ此処にいる
  くしけずる白髪さくらさくららら
  埼玉だって雨のたましいサイネリア

 「揺れている心」が「此処にいる」と、不意に真情が開かれドキリとします。次句では巧みな音韻が利いて、老いを軽やかに踊らせています。そして、すこし荒っぽく音韻を重ねて、地霊のようにアべカンの亡霊をうろつかせるといったウィット。中盤は「蘭鋳」「ヒポポタマス」「うらおもて躰」「魚のみみ」と、エロスがイメージされながら、ややシニカルに流して、愛の歌を詠ったりしていません。
  夕立をななめに日暮里西日暮里
  夕暮が鬼灯さわるさらわれる
  サフランの夕暮れ永久にりふれいん
  夕花野ひとっこ一人も ひょっとこ

 重ねて使われる「夕」の語。昼と夜、この世とあの世の間といった幽明の感覚に触れるとき。残照の映像に郷愁・不安・孤独を響かせます。軽やかなウィットにからめる叙情。独特な味わいが醸されてきます。
  わたくしの苦を無にかえて綿虫に
 歌川国芳の隠し絵「みかけハこハゐが とんだいゝ人だ」のようなトリックアートを思わせる作品。言語を、一片の語として切り離し貼り付けるコピペのような手法で作りあげています。作品は綿虫の浮遊する姿に作者の内面を仮託した優れた叙情句ですが、驚きの技巧を駆使した手術後の痛みのような、苦味が残ります。
  雪ひとひら人ひとひらや終着駅
 音韻のバランスがよく、詩美が開かれた結句と思いました。

◇横地かをる「雪うさぎ」

  不純などなき山茱萸の花ざかり
 山野に咲く山茱萸の、素朴にして清潔な姿に心情を移し、作者のゆるぎない精神世界が詠われます。
  初つばめ水音いくつ越えて来て
 海を越えて今年も飛来して来たつばめ。その命の輝きへの感嘆と共感。作者の生命感覚と呼びあった一瞬。「初」の語がくっきりと利いています。
  一途とは川鵜の眼愛しかり
  疲れ鵜に杭一本という自由
  満ち足りた走り方です黄せきれい

 日常生活の身辺に飛来する鳥を捉えて、肯定的で健やかな精神で詠っている作者をとても魅力的と思いました。この黄せきれいの姿は、作者の精神の持つ明るさの形象のように思われます。その究極が次の作品。
  存分に日輪あそぶ芒原
 露堂々。力強く清々しい世界です。
 一方、作者を囲む環境には、影のように不安が忍びよってきます。
  法師蟬家じゅう何となく安堵
  残像はすでにきのうの青胡桃
  何もかも秋明菊も人も影
  今は誰もいない地球のクリスマス

 今年も法師蝉が鳴き始める。こうしたあたり前であったことが、急速に次々と失われていきます。法師蝉の鳴き声に安堵しなければならないほどに地球は傷んでしまった、という現代人共通の不安が詠われています。残像となってしまった青胡桃や秋明菊。やがて人間さえも影となり、地球に誰もいなくなったクリスマスの景が真実味を帯びるのです。
  手のなかのうすくれないの雪うさぎ
 美しい作品。手のなかで溶けて、やがて消滅する雪うさぎが、あたかも命あるかのように表現されています。俳句を読むことはこころを遠くに遊ばせること、日常にありながら、漂泊のこころを持つ事です、と作者のエッセイにありますが、そんなこころをこの雪うさぎに移しているのです。

◇福岡日向子「フラペチーノがもう飲めない」

 人間が好きで人間観察が好きな作者らしく、二十句の作品には概ね人が登場します。
  春風は君を選んで吹いている
  春の夜の空いているお席へどうぞ
  主人公みたいに生きてみたい春
  この続き春になったら書けるかも
  その音が歌と気づいた時が春

 芝居の台詞のような一言をキャッチして、都会暮しらしいウィットに富んだ作品群。発想に瞬発力があり、伸びやか。そして、表現に翳りがありません。この明るく肯定的な姿こそ、パワフルな作者の魅力と思います。
  湯豆腐の豆腐揺れ止むまでに言って
 湯豆腐を前にしてこのように気短に攻めたてる人と攻めたてられている人。登場人物があれこれと想像されて、面白い作品です。「豆腐の揺れが止むまで」の発想がユニークです。作者の魅力のひとつでもある現代語の言い切りの強さが、十七文字の器の中にあって、よりクリアに響きます。
  頬袋に入りきらない雪月夜
 栗鼠などの小動物の膨らんだ頬袋と雪月夜の美しさが面白く響き合い、月光の雪原を走る可憐な生きものの景が見えてきます。あるいは、頬袋は人間にはありませんが、頬袋があるかのごとく頬ばって食べる景はよくあります。登場人物は美しい雪の景を丸呑みしようとする奇人とも取れます。人間に対する好奇心が生き生きと動き、活写することに巧みな作者ならば、後者かもしれません。主人公を人間にすると滑稽が利き過ぎて、大笑いの後にはやや哀しい情感が湧きます。
  慰めることは聴くこと夜の雪
 夜の雪の静寂が深くゆっくりと心身に入りこみ、どこか懐かしいような情感が湧きあがります。内容を納得させる季語の斡旋によって落ち着いた味わいの作品になりました。
  三月のフラペチーノがもう飲めない
 表題になっている作品。スターバックスコーヒーの人気メニュー、フラペチーノ。飲めないのはなぜかしらと、反射的に思うのは、語調の強い言い切りが働いたからでしょう。ただ、謎は深まります。店が閉店?春三月の鬱な気分???

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