シリーズ・海程の作家たち《第二回》気合い―阿部完市の俳句~谷佳紀の個人俳句誌「しろ」より

『海原』No.7(2019/4/1発行)誌面より
~谷佳紀の個人俳句誌「しろ」より~ ご参考:2023/04/19お知らせ

シリーズ・海程の作家たち《第二回》

気合い―阿部完市の俳句 谷佳紀

 どうしてこのように書けるのか阿部完市の俳句は不思議な俳句だ。金子兜太なら彼我の差は世界のトップランナーと市民ランナーの違い、同じ道を蹴って走っていると思えるが、阿部は地面から浮いて走っているとしか思えない。発想がまるで違う、言葉との付き合い方がまるで違う。
 無意味の代表句と言えば
  甘草の芽のとびとびのひとならび 高野素十
を真っ先に思い浮かべるが、この表現が無意味と言われるのも、書かれている事柄がつまらないからであって景色そのものは鮮やかだ。いまさら言うまでもなく、高野素十を典型とするホトトギス俳句の無意味というものは、主張心情等によって何かを物語るという「意味」に対する、それらを排し何も物語ろうとしない「無意味」であって、眼に映じた景色は間違いなくあるという意味では無意味ではない。ところが阿部はどうだろうか。たまたま手元にあった海程二〇〇八年一月号を開いてみたら次の五句があった。
  ぽんぽん時計のように二月尽
  花木槿稽古してわれらわれら
  ゆえに越前竹人形は男
  魚は絵何の魚の絵西北西
  きのう鶏あした鶏故に鶏

 最初の二句は読み取るに困難ではない。しかし後の三句はどうだろう。高野素十の無意味は無邪気だが、この無意味は読み手に何かを伝えようとする論理的もしくは説明的文体であるが故に、読み手を小馬鹿にしているように思える。もちろんそうではなく阿部が真剣であることとは韻律の強さや気合いが物語っている。そう、気合いである。とは言っても、感じ取れない者には気合いなどはどこにもないわけだが、この気合いに遊びはない。それがなんであるかは不分明だが、それはまさに「このように言わなければならない何かである」と語り得ない何かを語っている。言葉という真剣を振るっているのであり、言葉と遊んでいるのではない。しかし読み手にとって無意味としか思えない。
 それは前衛俳句の行き詰まりを打開するかのように現れた坪内稔典の遊び、
  三月の甘納豆のうふふふふ
の遊びとは全然違うものである。この遊びは無意味というよりも、むしろ無意味であることを価値づけて誇っている。それによって遊びが際立ち、俳句形式の自在さを生かした表現になっている。
 前衛俳句の生真面目な意味過剰、政治性や社会性をイメージとして書きとめようとする熱気を揶揄するかのように現れ衝撃を与えた遊び、坪内の「私は俳句で遊びますよう」と遊びを宣言した文字通りの遊びであるが故の無意味と対照的な阿部の真面目な無意味、この真面目の本質には明らかに前衛俳句の精神が息づいている。
 阿部は前衛俳句のイメージ過剰、イメージを描くために道具化された言葉を否定したが、前衛俳句の根底にある言葉への無意識の信頼は、言葉しかないという意識した確信とともに強化され、言葉は生と同質同量のものであるという認識は深まっている。このような阿部の表現に遊びなどは入る余地がない。
 坪内の遊びはその後多くの人々を俳句にひきつけた。短いが故に不自由な形式と思われていた俳句形式において、言葉というものが自在に変化し、短いが故に論理性を超越した言葉を楽しめるという発見、それを新鮮に感じる新たな俳人を生み出した。坪内の「遊び」は大きな潮流になったが、一見その潮流の先駆者であるように思える阿部の遊びらしきものは、別格として認められているものの奇異な景色のままなのは、そこには遊びの要素は全くなく、使命感とも言い得る前衛俳句の精神を維持し続けているからだ。
  星空行く船と私矢印もち (『絵本の空』)
  町への略図にある三日月と白いバス
  波がとおし町がとおしと南の知人
  夏終る見知らぬノッポ町歩き
  栃木にいろいろ雨のたましいもいたり
  いもうとと飛んでいるなり青荷物 (『にもつは絵馬』)
  葉月をとおるたとえば日本騎兵隊
  あおあおと何月何日あつまるか
  水漬く私を妹らみつけるたちまち景色

 前衛俳句の精神とは、イメージの力によって社会のあらゆる状況をとらえようと試み、そのような力を持った自己を表現の中に実現しようとした行為である。ホトトギスの俳句が自己と表現を切り離したのに対し、自己と表現の一体化を求めた。しかし前衛俳句はあまりにもイメージに価値を置きすぎた。イメージを描けばそれが実現できるかのように思い、イメージを描くことが目的化してしまった。
 イメージとは何であろう。私達はイメージそのものを媒介物なしに受け入れようとはしない。絵画なら何も考えることなしに画面を受け入れてしまえても、言葉によるイメージはそれを画像に置き換え、その画像を読み解き文章化して、何が書かれているのかを了解した上で受け入れる。つまり意味として受け入れる。言葉によるイメージはイメージとして自立せず意味の奴隷になっている。前衛俳句の多くが政治社会等、その時代の状況を読み取れるものであっても、その結果の表現がシュプレヒコールと紛うようなものになったのは、社会に対し自分の思いを発信したいという思いの強さであり、その方法としてイメージを過信したというイメージ体験の未熟さが大きかった。
 阿部はイメージ万能の表現の危険性にいち早く気づいたが、イメージでなければ何があるのか、やはりイメージしかないと思ったと思う。阿部の名を高めた『絵本の空』や『にもつは絵馬』を読めばそれは明らかだ。ただそのイメージは意味として理解し得る思想信条感情という思い、つまり今まで書かれてきた前衛俳句の、容易に日常レベルの意味に転嫁できるイメージではなく、心の奥底に隠れていて言語にしなければ気がつかない、日常レベルでは意味として受け止められず、わけが分からないが感じることができる何か、それを追及した結果のイメージであった。精神科医として日々接している患者の言葉体験はその核心の大きな力になっただろう。
 阿部が「無意味」とは言わず「非意味」と言い、それを強調したのも意味を否定したからではない。言葉には意味がある。しかも伝達できればそれで充分な記号レベルのものから、何が何だか分からないが感じ取れるものなど、同じ言葉であってもさまざまに言葉の様相は変化する。そのような言葉が発している意味を否定して言葉は成立しない。さらに意味が単一のものなら我々の世界にあるさまざまな言葉による形式、小説・短歌・俳句・詩、がなぜ同時に存在しているのかが分からない。阿部がこのように考えたのかどうかは知らないが、短歌も書いたことがあり、謡に馴染み、さらに精神科医として言葉に深くかかわっていた阿部には、言葉というものが形式や発信者によって全く違う姿で現れるということを理解していただろう。前衛俳句末期の高柳重信によって仕掛けられた言葉論争は、誹謗中傷に満ちた結末はともかくとして阿部を大いに刺激しただろう。
 阿部が「非意味」とお題目のように唱えたのも、「非意味」という何かを言葉に発見したからではない。もしそういうものが言葉にあり、それを目的化した表現、「非意味」が俳句表現であるというならば、イメージ万能の「意味」に陥った前衛俳句と同じ轍を踏むことになる。「非意味」ということによって俳句言語によって書き表される「意味」の質的転換を図ったのである。だが阿部がその意図を極めるには大きな障害があった。五七五という形式である。
 阿部が非意味という言葉で説明できるイメージを書いている間はそれほどの問題は生じなかったが、五七五という整然とした数字によって支配された形式は鉄かコンクリートのように硬すぎた。阿部の非意味には常に「気分」という用語がくっついている。気分とは、そうとしか言いようがないからそう言っているだけで、もやもやとして何となく感じ取っているが何となく不分明な、意識と無意識の境界線にある心の姿や肉体感覚というもののようだ。このような心の姿は意識としてとらえられる心の姿と違って整然としていない。整然としていないが故に意味という言葉ではとらえられず、非意味という反意語を用いて語るしかなかった。「非意味と気分」は分けようとしても分けられない一対の言葉なのである。
 五七五という音数、数字による形式の支配は曖昧でない。流れる気分を五で止め、七で止め、また五で止める。止めるたびに言葉は確定し、段ボール箱を積み上げるように言葉を積み終えたところで表現は完了する。これでは流れるまま、形をなさないままの気分は消し飛んでしまう。
 五七五という音数は絶対なものか。破調という言葉がある。だがこれは五七五を絶対とするが故の破調であり、音数を揺るがすものでない。しかし指を折って数えれば五七五であっても、句またがりその他言葉はさまざまな形で言葉の塊を形成する。私達は音数そのものよりも、音数律によって表現を読み取っている。しかもその音数律というものも曖昧で、むしろ韻律感覚と言ったほうが良いほどである。五七五の韻律というよりも、五七五を象徴とする韻律感覚が俳句形式だと理解する方が、言葉の自在さを生かせる。五七五という音数律から大きく外れた表現でも俳句として受け入れられるというのも、そのような共通の韻律感覚があるからだ。もちろんこれは表現する者、表現を読む者の言語体験によって大きく左右されるものであるから、否定し拒否する者もいるが、受け入れる者がいて、その共感が広がりを持ち、違和感を払拭すれば受け入れられる韻律に化す。このように五七五は韻律としてさまざまに変化し、新しい表現を獲得する。これが俳句という形式なのだ、という理解は成り立つ。
 阿部の俳句の変化を読み取って行くとこのような過程が想像でき、俳句は韻律そのものとなったが、このことが阿部の俳句を変えてゆく。
 阿部の非意味と気分は意味を主体とするイメージを否定するための実践だったが、非意味と気分も、そう言わざるを得ない意識、摑みどころのない意識のイメージを表現するものであって、それを非意味と言ったところで常に意味に言い換えようという欲求を生み出し、気分という防衛線の中で意味に言い換えられるイメージであった。阿部が音数律として五七五を取り扱っているうちはさほどの問題は生じなかったが、韻律という、五七五という物の状態から見れば抽象化であり、阿部の肉体感覚や意識においては実態に即した具象化である韻律に形式を集中したとき、言葉の自立化というべきか、イメージを拒否するような言葉、言葉そのものが言葉そのものでありたいと願うかのように出現する言葉、阿部が直感としか言いようがない言葉が生まれてきた。
 阿部完市という人物を他者は、阿部完市というイメージを持ち、そのイメージと阿部完市という人物を一致させて阿部完市と付き合っている。今までの言葉ならこれを容認した。ところが新しい言葉である阿部完市はイメージを否定して阿部完市だけで他者の前に立たせようとする。それは他者も自己もない阿部完市そのものを認識しろと要求するようなものである。それを求められても他者は阿部完市ではないし、イメージがなければ阿部完市を認識できないから、いまさらイメージを取っ払えと言われても困惑するだけだ。しかし言葉はそれを要求する。同じことが鶏にも要求され、鶏が鶏というイメージではなく、鶏という言葉そのものを主張し、しかもそれは現実の鶏でもあるとも主張する。そうなると現実の鶏と言葉の鶏はどのように対応するのか。言語論の鶏ならとりあえず現実の鶏に対応させればよいが、阿部の鶏は絶対を要求しているから解決はあり得ない。発語者である阿部においても説明は困難である。このような言葉の要求は阿部の言語体験、韻律感覚から出てくるものだけに、阿部の感覚なのか、言葉の側の自律性なのか判然としないほど阿部そのものであり、阿部はそのような言葉のあらわれを「直観」としか言いようがない。阿部はこのような表現意識にまで到達した。

  きのう鶏あした鶏故に鶏

 それ故にこの表現から私が読み取れるのは、鶏のイメージではなく、「きのう」「あした」「故に」という言葉に込められた阿部の感情であり、「鶏」はそのために必要とした表現上の手続きのように見えてくる。もちろんこれは誤読だが、誤読によって「鶏」が鶏のイメージとしてではなく、わけがわからないが阿部はこのように鶏を書きたかったのだという思いを直観し、鶏という言葉を思いつつ鶏を感じ、鶏への心の傾きが伝わってくるのである。

〈「しろ」12号より/二〇〇八年八月十日発行。初出は俳誌「つぐみ」№79〉

《阿部完市略歴》ーーーーーー
一九二八〜二○○九。「海程」4号より参加。一九七○年、第17回現代俳句協会賞受賞。二○○九年、第9回現代俳句大賞受賞。句集に『無帽』『絵本の空』『にもつは絵馬』『春日朝歌』『純白諸事』『阿部完市全句集』『軽のやまめ』『地動説』『水売』。評論集に『俳句幻形』『俳句心景』『絶対本質の俳句論』。誰もまねできない独特の韻律と言葉が織りなす俳句世界は、今も愛好者が多い。
次号は、堀葦男を予定。
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