『海原』No.67(2025/4/1発行)誌面より
【書評】『原爆と俳句』永田浩三著
俳句界に希望を示す労作 中村晋
著者永田浩三。元NHKドキュメンタリー番組のディレクター。その人がなぜ俳句なのか。そんな疑問がまず思い浮かぶところだが、それはさておき、本書の狙いを、著者永田氏はまずはっきりとこう述べる。
「この本のテーマは原爆という人類の課題に対して、俳句がどのように向き合い、闘いを挑んできたかを問うものである」
この宣言の通り、本書は俳句がいかに原爆を詠み、また命を詠んできたかを克明に記録する労作である。
「原爆俳句」と言えば言うまでもなく広島と長崎を扱った作品である。それは本書の骨格にあたる第3章と第4章でたっぷり述べられる。
第3章では「句集広島」の詳細な成立過程が紹介され、作品が解説される。所収作品の多くが被爆者の作品であるという特徴から、無名俳人の作品も多数紹介されるが、それらはどれも被爆の実相を伝え、切実なものばかりである。著者は、当時一流の俳人の作品にも決して引けを取らない無名の作品を丹念に拾い集め、示す。その手際は見事である。
蝉鳴くな正信ちゃんを思い出す
発表時10歳の行徳功子さんの作品。この句が長い時を経て、2023年に原爆句集『広島』を歌う公演(広島・神戸・東京)で歌になって披露されたのだという。その公演にまつわるエピソードを交え、著者は過去と現在をつなげ、人類の課題としての原爆が俳句にいかに詠まれてきたかを解き明かす。つい見落としてしまうような一句を拾い、それに光を当て、俳句がもつ命の存在を読者にしっかりと見せてくれる著者の筆力に感嘆せずにはいられない。
第4章「長崎」に関しても読みどころ満載である。特筆すべきは、金子兜太作「彎曲し火傷し爆心地のマラソン」に関してのくだり。中村草田男に添削された作品との比較、「火傷」の読み方などのエピソードには、改めてこの句を発見する思いを抱く。さらに、松尾あつゆきの自由律俳句。すでに私たちは『原爆句抄』を読むことができるが、被爆当時の作品すべてを簡単に見ることはできない。ところが第4章では、当時の検閲によって発表できなかった『火を継ぐ』所収作品が多く紹介されるのである。
わらふことをおぼえちぶさにいまはもほほえみ
臨終木の枝を口にうまかとばいさとうきびばい
これらの句を読むことができるのは極めて貴重である。そして松尾あつゆきの句業の豊かさを実感させられる。
とにかく読みどころが多い一冊である。第1章、「原爆俳句」に至るまでの俳句史などは、正岡子規から新興俳句、戦火想望俳句、俳句弾圧にいたるまでの俳壇史を、手を抜くことなく記し、きちんと日本文学報国会俳句部会の犯罪的行為を指摘する。また著者がNHKのディレクター時代に永田耕衣と交流したエピソードなども見逃せない。
エピソードと言えば、第2章の「第二芸術論」。戦後の教育界をゆさぶった『やまびこ学校』の無着成恭が実は桑原武夫の教え子であり、「第二芸術論」に深く関わっていたことも驚きである。第5章においては、第五福竜丸の保存問題や「久保山忌俳句大会」のこと、第6章では土門拳の俳句作品など、広い視野で俳句が語られ、いかに俳句というものが大衆のものであったかを教えられる。
さらに、第7章「沖縄と福島」では現在も続く戦争と核被害のこと、第8章では川柳との関わり、それらを誠実に取材したうえで、俳句という文芸が現在も原爆や戦争、核災害という「人類の課題」に向き合っていることを強調する。著者は言う。
「ひとつひとつの名もない俳句。しかしそれが集まるととんでもない世界が構築される。(中略)俳句があってほんとうによかった。原爆、核兵器というもはや人類が手に負えなくなった巨大な化け物に対して果敢に立ち向かい決してひるんではならない。俳句はきっとそう言っているにちがいない」
その一方で、著者は別のところで次のようにも述べる。別のところとは、youtubeのサイト「被服廠ラジオ」という番組だが、そこで永田氏は言うのである。実は、この本を書くに当たって、当代一流の俳人たちにインタビューを試みたが、その全員に断られてしまったのだと。その中の一人はこう言ったという。「原爆の俳句は政治的だから、私はそれとは距離を置いています」と。永田氏は嘆く。「今の表現者たちは本当に臆病。原爆は人類の問題であって、政治や政党の問題ではないのに。それがすごく悲しくて情けない。文学界の現実を見た思いがする」
『原爆と俳句』に記された俳人たちの勇気と実践。流派を超えた団結と行動。俳句は俳人だけのものではない。誰にでも開かれた共有財産である。また、原爆というものは、人類に課せられた課題でもある。決して政治的なものではない。しかし、今私たちはそのことを忘れてしまっているのではないか。その事実を私たちはどうとらえるか。いや、私たちは俳句をどのように愛していくべきか。
著者は、若い頃、人がわかり合うとはどういうことかに悩み、言葉の本質を見極めたいと願い、あるとき俳句に目覚め、以来俳句を読み続けたという。また、著者の母親は広島の被爆者であり、つまり著者自身被爆二世でもある。そして長く報道の世界に身を置き、社会を見つめてきた人物でもある。
そんな著者による『原爆と俳句』。この一冊は私たちに猛省を促すと同時に、これから進むべき道を力強く示してくれる希望の書である、といっても過言ではないだろう。
(大月書店・2024年12月刊)https://www.otsukishoten.co.jp/book/b654033.html