「自然のもの」金子兜太

「海原」オンライン句会参加者からのリクエストにお応えして、毎月、金子兜太の言葉を抜き書きするコーナー「金子兜太・語録」を句会資料に設けています。同じ内容をこのコーナー「海原テラス」に転載します。
「海原」オンライン句会8月は休会ですが、「金子兜太・語録」だけは今月もアップしておきます。


「自然のもの」 金子兜太

 安東次男の詩集「カランドリエ」に「七月」の詩がある。

   唇音
 
  そらの
  泡そらの
  買物篭

  お尻を
  だして
  墜落する

  天使たち
  手傷を負ってころがる
  むこう向きの裸体

  屋根のない exil だ
  都会の谷間に
  笹船のように
  寄る二つの傷口
  は昏い静物たちだ
  その静物たちから
  ひろがる夜をぼくは知ってる。<Juillet>

 この詩篇について、安東はこう語っていた。「唇のまさつ音あるいは破裂音のイメージを詩にしたんだけれど、これを僕は言語学的な興味で詩にしたわけではない。日本の七月の、しめっぽいものの残っている暑さの質感をたしかめたかったわけだ。こういう、季節の変化のなかに見出される唇音の質感などは、とても俳句では出せないんで、〈暦〉という形式の詩でこころみたわけだ。それも一年という構成詩の中の一つとして。これは僕は一つの発見だと思うんだが、現代詩の既成の人たちはこういうことはなかなか納得してくれないかもしれない。むしろ俳人の方が案外分ってくれるところがある。ともあれ〈唇音〉は、僕にとっては新しい一つの季語なんだ。」 (「海程」十号座談会)
 詩篇を本当に理解するためには、自分で書き写してみなさい――と寺田透が書いていたが、こう書き写してゆくと、安東の意図がかなり明確にわかるようである。もっとも、私は、この詩篇はそれほど好きではない。むしろ、その前の「六月」の詩「球根たち」や、そのあとの「八月」 の詩「碑銘」の方に傾斜する。意図は意図として、「七月」の詩はそれほどユニークには成功していないように思う。
 ところで、安東は「唇音」によって「日本の七月の、しめっぽいものの残っている暑さの質感」を確かめようとしたといっている。それゆえに「唇音」は彼にとって「新しい一つの季語」 ということになるわけだが、この詩から受取れるものは――そして、おそらく安東自身の真意としても――目的は「唇音」の質感を確かめることにあったと思う。彼は意識的に逆の説明をしているのである。唇音のなかに「七月」の季節感でないといえないものがあり、それを言いたかったということなのである。
 唇音はいうまでもなく、「唇のまさつ音、あるいは破裂音」であるが、これに接吻を見、あるいは一人者の舌打ちを感じてもよい。これは巷にあふれる人人の生きた音だ。街角の男、夜の屋根の下の男女、酸っぱい性感――それらもろもろだ。安東はその音の〈自然な存在〉のなかに、屈折する〈意識の所在〉を知っている。だからそれは、彼のメタフィジックの世界のものでもある。そうなり得る。「そらの泡そらの買物篭」の明るい軽快なトーンをすぎて、彼の詩が「お尻をだして墜落する天使」のおどけを試みても、やがては「寄る二つの傷口」を「昏い静物」とみ、 そこから「ひろがる夜」を「知る」のは、唇音における暗渋な今日を知るがゆえである。暗渋な今日――これには屈折する意識と情熱の襞の暗がりの鋭敏な認知がある。つまり、唇音に比喩されるものは、安東の認知する〈現代〉であり、それはかなりの普遍性をもって共感を得ることのできる内実であると思う。むしろこの詩は、それがあまりに普遍性をち得ているために失敗しているとさえ、私は思うのだが――。
 安東はそれを唇音の〈肉〉の音に――そのまことに〈自然な〉内質にまで還元して語ろうとしたわけである。そして、その音の自然な内質は「七月」の季節感によって代置し得ると見わけているのである。そこに七月の季語「唇音」の定着が、しかも「一年という構成詩の中の一つとして」置いたとき、より特徴的にあったということであろう。唇音の質感を七月の季節感において発見したということは、そのことであって、質感というものが、もともと絶対不変のものではなく、むしろ相対的なものであるということも、以上の経緯によって明らかであろう。
 このことは、安東次男という詩人における〈言語〉の問題を知れば、よりわかりやすいことになる。彼の「澱河歌の周辺」のメソッド、さらにそれを説明するものとしての「或る鑑賞」を読めば、ことは明瞭であるが、要するに、「(前略)いわゆるプチ・ロマンチーク(小ロマン派詩人)と呼ばれる幻想的で、言語の物質感・・・に憑かれたエクサントリックな詩人たち(ボードレールにもこうした要素は色濃く見られる)、そしていまひとつは「若きパルク」に結実した、言語・・――観念の絶対的調和・・・・・・・・、いわば光栄あるフランス語の明晰・・さが生んだ正嫡(云云)」(傍点金子)――そのフランス語に「血のつながりを感じるようになった」日本人が、自国の言語によって書かれた作品に向ったときに辿る「下降的志向」にその根がある。フランス語の明晰さを知った彼が、日本の言語に質感と観念との絶対調和の二つの希求を示し、そこから深く言語に分け入ったとき、 そこに見出されたものが、たとえば唇音の質感としての七月の季感であり、そこにおける現在の観念との調和感であった、ということなのである。
 このことは、同時に自由詩の現在の問題意識にも連なっている。村野四郎は座談会「定型と時代精神」(「文芸新聞」四号)で、田村隆一の詩集「言葉のない世界」を挙げ、現代自由詩の究極が、既成の意味によって復讐されていない状態の言語の開拓にあると言っている。いわば始原的な意味を定着することに、詩のパターンを設計しようということであろうか。安東も先述の座談会で、 「僕としては十七文字とか切れ字とか季題とか、そういった特定への共感に身を委せて俳句を作った点もあるし、この点はいまでもそう思っている。そこで今の僕にとって、ではそれに替るべき〈型〉とは何か、ということだが(云云)」といっていたが、この自由詩における「型」の模索が、言語の質感の吟味に連なり、既住の意味に犯されない次元でのまさに文字通り新鮮無垢な――まことに明晰な――意味を獲得することに極まる、ということであろう。
 もっとも、言語の質感に季節感を認めるということには、意味の〈自然な〉状況にまで言語の垢を洗いおとすという前述の志向の上に、安東が俳句を体験していた時期を持っていた、ということが上積みされていると、いえるかもしれない。詩人にとって〈体験〉は、抹殺不可能な傷痕であるべきだ、という意味合いにおいて、なおさら、そう言えるかもしれない。そして、さらにうがっていえば、四十歳を過ぎた消費型の安東の生理状態が働いているかもしれない。

 だいぶ安東次男に関わってきたが、私が言いたかったことは、〈自然〉という摩訶不可思議なものについての、最近の私自身の関心についてである。そのなかで〈季節感〉という奴が、粘っこく張りついてくるが、それだけではない。これはたしかに年齢のせいもあると思う。森澄雄は「花眼」について書いていたことがあるが、私も最近は、この花眼の開眼を覚える。ストリップショーに中年男が群がり、一番前の席でも空こうものなら、まるでゴキブリのようにさーといっせいに、四囲の壁に張りついていた黒い影がその席に向って殺到し、はてはそこで折り重なって盛り上る。やがてその盛り上りが凹むと、いかにも天上の楽園を占拠した蜜蜂のような得意さで、一人の男がその席を埋めている――という次第だが、それを浅ましいともバカバカしいともこのごろ感じなくなった。その男たちは女性の肢体の軽微な揺曳や肌のささやかな光沢の変化に陶酔するのであって、至近距離の覗きだけに熱中しているわけではない、と思うようになった。
 女性の美を、全体としてみる者には、出来合いの顔の型、肉の厚さが大切であるかもしれない。 私などもそうした公式の観察にとらわれてきた嫌いがある。しかし、いまは、もっと微細な感銘に酔う。それは、観念的な範疇においていたものを、自然の範疇において認め直すということかもしれないが、それが出来るようになってきたと思う。
 この前、動物園でキリンを見た。いままでの私は、その不安で優美なものに、すぐさま一定の 観念のモデルをみたのだが、そのときは、首から頭にかけての線の光に不安な肉感を覚え、優美な体の色と光沢に神秘としかいいようのない自然の、まったく自然のもの・・を感じた。ダリの「燃えるキリン」に絶対観念を見ていた私は、いま思いなおすと、燃やすことによってキリンの動物としての原姿(「始」ではない!)が強調されていることを知るのである。その原姿の生ま生ましい強調のために、キリンの不安は、すでに不安という既成の範疇を越えたところで、まさに肉の匂いの不安――不安の原形感情――をさらけ出していると思う。優美しかり、神秘しかり。それらのコトバの与える手垢のついた観念を乗り越えたところに――それらを消し去ったところに――実は私たちは〈詩〉的共鳴を覚え、そこに、解説を拒絶した興奮を覚えているわけであるが、それは、まさにキリンが完全に自然への回帰を果たしていたときに可能なものではなかったか、 と思いさえするのである。これは極論であるが、少なくとも女体にせよキリンにせよ、その〈自然〉の部面に傾斜し、それを感知したとき、はじめて感銘の渦に巻きこまれる。その状態には、 観念に憑かれてきた者の〈観念化〉され、やがて図式化されていった状況への反措定の意味があり、それは一人の人間の道程にとって必然の経緯でもあるように思う。
 〈自然のもの〉――これは、季節感のさらにその奥にある時間の実感である。あらゆる現象や事象の、さらにその奥にある空間の体感である。そして、これは強調しておきたいことだが、観念の綾目を分けてきたものにとってはじめて意義を持つ実感なのであって、ここにきて観念の言語は、はじめてその質感を保証されるものなのである。〈詩〉の言葉というものは、そうした次元において考えられるべきものと思うし、そうした言葉を持ったとき、観念は詩的感銘を遂行できる、と思うわけだ。私は汎神論や自然随順の思想を語っているのではない。その点は銘記してほしいと思う。キリンを比喩として提示するとき、キリンの〈自然のもの〉としての空間的体感が確保されてはじめて、比喩としてのキリンという言葉の質感が獲得できる、ということなのである。安東が唇音に七月の季感を感じたということは、唇音の〈自然のもの〉を、具体的に七月の季感として認知したということである。だから、他の人はそれを具体的に六月の季感、八月の季感として認知するかもしれない。それはその人の精神の行為の個性差によって決まることであるが、同じ点は、それらの人がいずれも〈自然のもの〉を実感し、それによって唇音の質感を決定しようとしている点である。季節感というものは、そのように解釈の差に左右され易い、現象的なものである、ということである。
 やや話を走らせれば、季節感は〈自然のもの〉を実感している人にとっては生きるが、実感しないものにとっては単なる衣服同様のアクセサリーとなる、ということでもある。凡百の季感俳句が、ついに〈自然〉を感銘させ得ないで終っているという事実を見る人には、これは明らかであろう。まして「約束」として季節感を定着させる者の大半が、この衣服化に終り、自然とは次第に遠ざかっている事実を無視することはできないであろう。
 安東次男は前掲の座談会のなかで「約束という点からいうと、三月の季語をそれとして使うということと、それが他の月の季語としてしか、いまでは受取れない、ということとは違うと思うね。問題は、他の月としてしか受取れないのなら、何故そうなったかということを作品で証明する必要がある。そこではじめて三月の季語はくつがえされるわけだ。無季論の最大の誤りは、今の生活では季節感が薄くなったというきわめて漠然とした観念に甘えすぎているところにある、 と僕は思う」と発言している。たしかに、季節感が薄くなった、という言い方は――これは私もしたことがあるし、いまでもそう思っているが――季題拒否の論拠としては弱い。しかし、三月の季語が、現在では他の月のものとしてしか受取れないのなら、それを作品で明証すべきだ、そこで、はじめて三月の季語はくつがえされる――という立論は「約束性」を前提にした意見であって、「約束性」の可否に対する答えではない。約束としての三月の季語を前提にする理由は、季語という概念のなかにはもともとないはずである。三月にするか、四月にするかは、各人の〈自然のもの〉の実感についての解釈の差であって、この解釈の差を認めるとき、はじめて季語は本質的な関わりを俳句の作り手に対して持つのである。「約束」として季題が、そしてやがて季語として、それが定着させられたのは、その実感の解釈の最大公約数を採用した結果なのであって、それはあくまでも最大公約数の解釈にすぎない。現在、その解釈を前提とする理由はないのである。
 ただ、安東の意図は、むしろ逆説として語られているところにある。彼が、ともかく季語の約束性を拒絶する前に、季語そのものの意味を見直してみろ、ということは、私たちのなかにある 〈自然のもの〉の実感を吟味してみろ、ということであろう。その実感の吟味をおろそかにして、いたずらに観念のパターンを求め、意識のイメージ構築に向うことは、結局は、そのパターンやイメージの質感を失わせることになりかねない、ということであろう。パターンやイメージは言葉であり、その言葉にとって〈自然のもの〉の保証がないとき、それは既成や常識の垢のなかに埋もれて、純粋な質感から遠のくということであろう。そう解したいと思う。そして、そう解したとき、原子公平が「現代性」を前提としつつ季語の独自の活用を予定する方法思考や、堀葦男が「反自然」の姿勢のなかに把み直そうとしている「自然」の理解に、それは連なり得る。いやむしろシノニムといってもよいほどである。そしてまた、若い森田緑郎が、その座談会で「内部実感としての季節感」を語る思考にも連なる。森田の場合、内部実感を季節感に限定して言ったのは、座談のいきさつ上やむを得ないとしても、彼の真意は実際には、自然というものの内部実感であったわけだ。つまり〈自然のもの〉の実感とイコールであったわけだ。これらすべて、季節感の既成の概念を超克し、その超克したところで、実作者としてそれを正当に位置付け、尊重している、ということになるであろう。
 私にとってようやく見えてきたこの〈自然のもの〉は、作品ではすでに無意識ながら見てきたのである。ただ、がむしゃら・・・・・に自分の意識を追いもとめ、観念の形成を急いできたために、目昏みの状態にあったにすぎない。ことに戦時中、暗く強固に武装した権力に対して、逃げ・・の姿勢をとりつづけて――そこに〈自然児〉という美名を冠して自分を詐ってきた、その反動として(むしろ自覚といいたいが)、私の精神への要求は過大であったのかもしれない。試行と錯誤の連続のなかに、すでに十八年を経たいま、ようやく年齢も加わって、私は自分が熱心に操ってきた意識と観念の奥が覗けるようになったということであろうか。ことに権力から逃げていた自分にとって、戦後その権力が可視状態において醜状を曝したとき、私は必要以上に自分に反権力の積極性を強いていたのかもしれない。そしていつの間にか、自らにも権力的な俗性を植え付けてしまっていたのかもしれない。それが〈自然のもの〉に盲いていた理由かもしれない。ともあれ、たとえば、

  彎曲し火傷し爆心地のマラソン

という自分の作品の「爆心地」という言葉の奥に、人人の憤りや悲しみのとどろきを、 共通に感じ得る轟きとして認めるとともに、さらにその奥に、 ただれ荒廃した空間と時間の底鳴りを覚え、 それがこの言葉の〈自然〉であると悟るのである。そして、それあるが故に、この言葉は、すでに季語以上の定着性を持って万人に語り得る言葉となっているとも知るのである。この〈自然のもの〉を風士性・・・という人があるなら、そのような既成概念の放棄を望みたい。もっと奥の、もっと肉体的な実感であって、私は風土性という概念によって、この実感を荒したくはないのだ。

  花杏旅の時間は先へひらけ 森 澄雄
  細胞感のみの赤子を青田に抱く 原子公平
  鎖骨痛む荒廃の崖蒸す日より 佐藤鬼房
  顔の激流暗緑となり遅れる者ら 堀 葦男

 これらの、たとえば「花杏」「青田」「蒸す」「暗緑」といった、一見単純に従来的な季語の観念で理解されてしまい易い言葉に、私は、季節の切っ先とともに、さらにその奥に――すでに季節の現象性を消すかたちで――ひびいている〈自然のもの〉の体感を味わうのである。それは、 これらの言葉が、それぞれに作者の心象の比喩として働き、それだけでも季感以上の役割――いわゆる象徴効果――を果たしているが、それだけではない。それだけであったら、これらの言葉はそれほどの成功率を納めはしないであろう。成功率の高さは――つまり詩的感銘としてこれらの作品のモノローグが私たちを打つのは――いまあげた言葉が〈自然のもの〉を実感させるからである。それによって、それらの言葉は質感を獲得し、ユニークに輝くのである。そして比喩の肉声が加わるのである。
 これだけ書いても、まだ私は真意を伝えきっていない気持であるが、これはいくら書いても同じことなのかもしれない。感じて・・・もらうしかないことなのかもしれないのだ。

 十一月のはじめ、新潟の弥彦に行を共にした林邦彦が、私たちと別れた翌日、佐渡を一望に納める角田山頂から墜死した。若い林のために、その葬儀はブロテスタントの清潔な作法によってとり行なわれた。私もそのなかに加えてもらったわけだが、そこで、林が死ぬ直前まで書いていた作品と文章が示された。それは彼の句帳に書きとめられ、死骸の横に投げだされたボストンバッグのなかから発見されたものであったが、その最後の句は、

  岩に極まり岩になりゆく顔の位置

というものであった。
 角田山頂の岩肌のなかへ、それに向って次第に吸いこまれてゆくような感情の傾斜を示している林の孤独な心意に、私はぼう然とする。この岩は、孤独の究極のようにまったく乾ききり、しかも、絶対の支柱のように強靭に彼を支えている。〈絶対〉――これは、現在の私たちが〈自然のもの〉に寄せる真意なのかもしれない。絶対を信じられない現在の私たちが、それにも拘わらず実感し、あるいは実感しようとしているものは、この絶対なのかもしれない。林はそこに身をもって迫り、そして目くらみ、岩肌を海へ向って転落したのかもしれない。しかし――。


初出『俳句』角川/1964年
『定型の詩法』海程社/1970、『定住漂泊』春秋社/1972年に所収

「自然のもの」について兜太は、『今日の俳句』や「こっけい(講演)」等においても触れています。よろしければ、併せてご覧ください。

〈自然のもの〉について『今日の俳句』より抜粋

「こっけい(講演)」金子兜太『定型の詩法』所収/海程社1970

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