「海程」創刊500号記念企画 金子兜太主宰に聞く「客観も主観もない、自分という主体の中にできあがってくる映像を書く」

(以下、「海程」500号(2014年2・3月合併号)より抜粋)

「海程」創刊500号記念企画 金子兜太主宰に聞く
 客観も主観もない、自分という主体の中にできあがってくる映像を書く

◇聞き手:河原珠美/室田洋子/柳生正名
◇司会・進行:堀之内長一/伊藤淳子
◇2013年11月9日(土)/於:養浩亭(上長瀞)

司会 二〇一二年に「海程」は創刊五十周年を迎えましたが、「海程」誌も本号で記念すべき五〇〇号に達しました。主宰が変わらずに五〇〇号を迎えた俳誌はあまりないのではないかと思います。今回は五〇〇号を記念して、あまり肩肘張らずに、ふだんはなかなかお聞きできないようなことも含めて、金子先生にお話をおうかがいしたいと考えています。まず五〇〇号を迎えたことについて、先生はどのような感慨をお持ちでしょうか。

■「海程」五〇〇号までの道のり

金子 感慨はあんまりないんですよ(笑)。実は五〇〇号ということより、五十年のほうが何だか印象的でしたね。五〇〇号になったかぐらいの感じです。
 海程ははじめは同人誌で、途中から主宰誌に変わったわけですが、その主宰誌に変わった背景には、阿部完市君が仕事のついでにあちこちの地方の海程人と会って話を聞いてきたことがありました。地方の人たちは自分がどういう俳句を作っていくかという目標をなくしてしまい、みんな勝手なことをやっていますよ、というわけです。
 海程に参加している人はみんなプライドを持っている。プライドを持っているから、地方にいても自分の俳句がいちばんの中心だと思っている。このままだと、海程はつぶれてしまう。先生は好きじゃないかもしれないけど、そろそろ主宰誌に切り換えて、あなたの考え方でみんなを指導する、まとめていくぐらいの感じでやったほうがいいのではないかと彼からアドバイスがあったのです。おれも、詩の世界というのは、難しい俳句を作っていることがプライドになるようなものじゃない。単純なものにだってすばらしい詩があるし、難しい詩だってだめな詩があるわけだから、そういうものじゃないと思っていたから、そこで阿部君と意見が合ったのです。多少議論もあったけれども、海程の名古屋大会で結局主宰誌に決まりました。
 あのころ、そのときほぐしを盛んに図ったことは事実なんだ。やわらかくしていこう、やわらかくしていこうと。ほかの主宰誌を見ていると、いかにも自分がすべてを指導していくというような考え方の人が多いよね。おれは一緒になって友達になって遊ぶのは得意だけど、どうも自分が指導することが性分に合わなくてね。いま五〇〇号と言われたけれども、それでも主宰者という実感はないんだなあ。
司会 放ったらかしということでしょうか。
金子 放ったらかしが、いつの間に基本方針になってしまってね。 
司会 楸邨先生と似ていますよね。
金子 そう、似ています。楸邨も絶対に人の句を直したことはなかったですね。放っておけばいいという気持ちがあるんですね。今でもそうです。だから、おれにとって五〇〇号というのは印象に残らない。むしろ、編集してくれた桜井英一、大石雄介、守谷利とか、その前の大山天津也、酒井弘司、細川義男、今の武田伸一とか、代々の編集長や編集に関わった人の苦労を私は感じます。特に大山などはなかなか勉強していて、俳句外のいろいろな詩人、歌人を連れてきて、うちの仲間と一緒に座談会をしてくれたのです。佐佐木幸綱とか、吉行和子の妹の吉行理恵とか。海程というのはむしろ主宰が頑張ったというより編集者が頑張った雑誌じゃないかと思っています。編集者に恵まれています。
 大山天津也は一九七○年、交通事故で四十二歳で死にました。あの時、海程に「梨の木」という文章を書かせてもらったのだけれど、自分ではあれは小説だと思っている。「梨の木」をいま一度読み直してください。

■花鳥諷詠に傾く俳句界に歯止めをかける

司会 初期の海程を見ますと、毎号のように座談会があって、俳句への情熱が滾っていますね。そういう時代だったということもありますが。
金子 六十年安保の翌年に俳人協会というのができたでしょう。有季定型という虚子のスローガンを掲げて、俳句はこういうものだということを高らかに打ち出したわけだ。その後には虚子の直系が日本伝統俳句協会をつくった。それまでの俳句の世界というのは、社会や人間ということをテーマにして作っていて、季題や季語などは問題にされなかった。したがって自然、花鳥諷詠などという考え方も縁遠いという気持ちがみんなにあったんです。そういう熱気があるところに水を差されて、それに対しての抵抗として、六十二年に海程は同人誌として出たんです。
 梁山泊の気持ちでつくったんだとおれは前に言ったことがあるけれども、我々はつぶされてはいかんと思って・・・・・・。つぶされるとは思わないけれど、そこで戦後俳句の大きな流れが堰き止められて、流れる方向を変えられそうな雰囲気になってきたわけだね。その時期にできたわけですから、みんな気負って、自分たちで何とか頑張ろうという気持ちでやっていたと思います。それから十年後ぐらいに阿部完市が地方へ行って、心配して、主宰誌へというようなことになったんです。これはしようがないですね。
 思い出すのは、私がその時期に『今日の俳句』という戦後俳句の総まとめみたいな本を出して、これもわりあいにみんな読んでくれました。それがあって、花鳥諷詠に傾いている世相に対して一応歯止めをしたような状態があったんです。あったのだけれど、七十年代になって高度成長が始まるころになると、私が見ていてもはっきり花鳥諷詠にどんどん傾いていったんです。しかも、みんな経済的にも楽になってくるものだから、よけい社会性だの蜂の頭だのなんて難しいことを言うよりも、もっと花鳥諷詠の世界に身を投げて緩やかに作りたいという雰囲気になっていった。その雰囲気を受けて、しかもその時代の雰囲気をかなり背負った形で俳句作りをするのが一人出てきた。それが鷹羽狩行です。
 鷹羽狩行は、次第に花鳥諷詠、というよりもむしろ有季定型に傾いていく風潮の中で、有季定型寄りで、若干戦後俳句の空気というか、一言でいえば、現在ただいまというものを大事にする。花鳥諷詠ではなくて、現在ただいまの気分、気持ち、感情。理性ではなくて感性的にとらえた俳句を彼は作り出したのです。彼としては偶然のことでしょうが、あれはお手柄です。かたや「ホトトギス」があり、かたや鷹羽狩行の現代俳句がある(彼は現代俳句とは言ってないけれど)。だから、もっとやわらかく、対等に、あるいはそれ以上に俳句を作るというグループでないと海程はつぶされてしまうという阿部君の気持ちがあったのではないかな。あの時期が頭に残っていますから、五十年というのは、「ああっ、ずいぶん頑張ったな」という気がするのです。

■造型俳句論、ふたたび

司会 それでは、今の先生の話を受けて、柳生さん、いかがでしょうか。
柳生 自分が海程に参加する前の記念号ではどんなことをやっているのかと思って見てきたのですが、三〇〇号記念の時に、先生が「滑稽と挨拶」をテーマに講演を行っていました。先生がいま言われた戦後俳句の流れと俳人協会、日本伝統俳句協会の流れがぶつかり合う中で、海程もいままでどおりの突っ張ったことだけでやっていてはどうなのかという、そうした問題意識で、たぶんこのテーマが出てきたのではないかと想像しました。三〇〇号の時が「滑稽と挨拶」だとすると、五〇〇号ではどういうテーマを先生は出そうと思われているのでしょうか。
金子 いや、まだ考えてないんだけど(笑)。いま言われたので気づいたのは、前に実業之日本社から出した私の『俳句入門』が復刊されて角川文庫から出ました。見たら対馬康子君がいい解説をしている。そのテーマが、私の造型俳句論をわかりやすく、しかも掘り下げて、アニミズムにまで結びつけて受け取ってくれている。あれは非常にいい解説で感謝しています。実は正直いって書いた当座は、あんまり反響はなかったんです。つまり、よくわからないということ。いま自分で読んでみても何かごちゃごちゃ難しいことを、たいして
中身もないのに言葉だけ難しく並べて書いているんだよね。これじゃ無理だろうなと思ったけれど、それを対馬康子君がほぐしてくれたので、ホッと気づいて、これからおれのやることは自分の書いた造型俳句という考え方をもっとほぐして皆さんに使えるだけ使ってもらう。この方法をね。そういうことが一つ大事かなと・・・・・・。やはり、造型俳句という考え方で統一しておいていいのではないか。
 造型俳句論では、映像が大事だということを私は盛んに言ったんですね。これはそんなに難しいことを言っているわけではないんです。皆さん、お気付きだと思うけれど、一言でいうと客観、主観という考え方。正岡子規が写生と言ったものだから、その写生と言ったのが虚子に引き継がれて、虚子はそれを客観写生に統一して、主観写生は危ない。写生に主観を加えると碧梧桐のようなことになってしまって、自分勝手なことを言い始めて、挙げ句の果ては自由律に行くというようなことになってしまう。これは危ないから私は二度と踏みたくない。そうすると問題は客観写生だ。この客観写生と主観との闘いという、自己を二元化してその間の関係を考えていくというのは近代的な考え方なんです。
 自分をもっと一元化して、作る自分が一元化されなければいけない。自分の中に客観と主観があって、それを一緒にするか別々に扱うかガタガタして、おれは客観を中心に書くんだと言ってみたり、おれは主観が中心だという・・・・・・。そういう客観だ、主観だという人間的な考え方は近代的な考え方で、古い。正岡子規の影響を虚子が客観写生に一元化しようとして「ホトトギス」の中の主観派の連中をみんな追い出したりした。蛇笏など、みんな追い出された。これは完全に近代的現象であって、そうではなくて、現代の方法は主観だ、客観
だというのではなくて、映像として作る。主観も客観もない、そいつを全部一緒にしてしまって映像を作るという考え方が大事というか、それでなければだめなんだ。また、それでないと大きなことが書けない。主観だ、客観だなんていうと小さいことしか書けない。そのようなことを考えて、書いたんですが、かえって混乱させてしまった。
 映像とは自分の中のすべて、客観も主観もない、自分という主体の中にできあがってくる映像世界というものを書けばいい。五〇〇号はちょうどいい機会だから、客観とか主観とかいう写生ではなくて、映像で書くということをもっと一般的にもわかるようにこれからときほぐしていって、造型俳句ということをみんながわかってくれればいいんじゃないかと思っています。

■映像の句「鶏頭の十四五本もありぬべし」をめぐって

司会 それについて切実な疑問があったようです。室田さん、 いかがですか。
室田 東京例会でしたか、先生が今と同じように、近代の子規、虚子の写生から現代の兜太の映像へということをおっしゃいました。私は先生のお話をメモした句報を地方の方にってあげているのですが、このメモを読んで、これは具体的にはどういうことを意味しているのかと質問されました。私たちは例会で先生のお話しを直接うかがう機会が多いのでわかるような気がするんです。でも、地方で海程だけを読んでいる方々は、はっきりわかりきらないのかなと思いました。
金子 そうか、そうか。例句を挙げてみましょう。皆さんにいちばんわかってもらえると思うのは、正岡子規の最晩年の句「鶏頭の十四五本もありぬべし」。あの句を私は映像の句だと思っています。映像という書き方でというか、方法と言っておきますか、映像という方法で生まれた句だと。
 それは、どういうことかというと、鶏頭を見ている子規、つまり子規の客観的な目というものが感じられないでしょう。それから、子規が鶏頭についてどう思っていたかという主観の目というようなものもあの句には感じられないでしょう。どっちかの側に傾いて書かれたということではなくて、そこに鶏頭がズバリとおるという映像があって、それがいろいろなものを暗示してくれるという句ではないですか。鶏頭の存在感をとらえている。その存在感の中に死に近い自分の思いが込められている。そういう句だと思う。だから主観も客観もない。客観写生も主観写生もない。鶏頭と正岡子規との取り組み。相撲でも取っているんだな。取り組みの中から生まれてきている。子規の中に生まれている鶏頭の映像。その中には命ということも含めて、鶏頭の映像というものが書かれるという、そういう意味の映像だと言いたい。なかなかうまく説明できませんが、そういうことなのです。鶏頭の十四五本、そういうものがあると書いた。その映像が伝えてくれる内容を味わう。この説明で多少ご了解いただけるかと。
室田 とてもよくわかりました。
柳生 客観写生がいいかどうかは別として、虚子の言った客観写生がこれだけ広がったのは、見たものを見たまま書けばいいんですと言われると、理屈を超えてとりあえずだれでもわかった気にはなるわけです。でも、自分が作るとなったら、例えば主観も客観もない、悟りの世界みたいなところまで行ける人はそう多くないはずです。我々、俗な凡人がそこに少しでも近づくとしたら、どういう努力をしたらいいのか。皆さん、そこのところで何か見えたらうれしいなと、思っているような気がします。
金子 鶏頭を見ていていろいろなことを思うわけでしょう。いろいろなことを感じている。その思ったり感じたりしていることが全部ひとまとめになって、書けたと思う瞬間があると思うんだ。それが映像で書けたということだと思います。あの場合でも子規は「鶏頭の十四五本」ぐらいまでもかなりためらって、「ありぬべし」と言った時に、おれの今の気持ちが全部鶏頭を通じて伝わっている。鶏頭がそこにある姿として伝わっていると思ったんじゃないですかね。彼としては客観写生のつもりで書いたかもしれません。鶏頭を書いた、自分の思いを込めたと素朴に思ったかもしれないけれど、もっともっと深い、子規の胸の内と鶏頭とが一緒になってしまって、それで一つの映像、姿形としてとらえられたというふうに思います。
柳生 主観と十四五本咲いているという客観が一つになって、どっちにも傾いていないというか、両方が一気に噴き出してきているような感じがする。
金子 そうですね。おもしろいエピソードがあって、虚子はたしかはじめ「子規句集」ではこの句を省いたんです。つまり、虚子の考えている客観写生の線からいうと、ああいう俳句は異端なんだよ。それで省いてしまった。そのことを逆に言えば、虚子の到達しなかったところを子規が書いていたということにもなる・・・・・・。

■時間をかけて映像を熟成させる

司会 河原さん、いかがですか。
河原 推敲の仕方についておうかがいしたいと思います。例えば、ある思いを持って句ができたとします。自分はわかっているものだから、それで安心して句会に出してみると、先生に「下五ががっかり」と言われる。その「下五ががっかり」のところががっかりでないようにするのに、どういう発想の転換をすればいいのか。先生に言われると、「ああ、そうだ、やっぱり当り前だった」とわかるのですが、言われる前はわからないというところが残念なところです。
金子 これはおれの体験だけど、今のように鶏頭を見て一つのことを考えるでしょう。何か考える、その一つのことだけを鶏頭に託して書くというのが、いわば客観写生の段階であって、これだと人様が見ておもしろくないとか、わからないということが出てくる。そういうものをある日ある時、頭の中でずっと温めているうちに、鶏頭というのがそういうものを包含した姿として出てくる。そういう瞬間をとらえるということになりませんか。おれなども今わりあい時間を置いているんです。庭に小鳥が来る。感覚は簡単に出てくるけれど、すぐ書かないで四、五日は放っておく。そうすると夜明け時になって句が一つの具体的な姿として、おれの思いを含めて出てくるという瞬間があるわけだ。
河原 熟成させるということでしょうか。ある程度、自分の中で醸していく。
金子 時間をゆっくり置くということ。映像を作るというのはそういうことでもあるんでしょう。時間をゆっくり置いて熟させていく。宮崎駿のような映像作家も一つのものをまとめていくのに時間をかけるようです。時間をかけることが大事なのではないかな。
河原 チャチャッと作って、チャチャッと出すのはだめということですね。
金子 ホトトギスみたいに、一日に四回ぐらい句会を開いて、ちゃっちゃかちゃっちゃか一人一〇句ぐらい作ってやるという、ああいうことをやっていたのでは絶対にだめなんだよ(笑)。客観写生作家にはなっても映像作家にはなれない。ああいうことではいい俳句はできない。
柳生 虚子の「去年今年貫く棒の如きもの」という句は、ある意味、虚子的な造型というか、映像だと思うんです。
金子 映像と言えるよ。
柳生 もちろん客観写生ではないし、造型ですよね。虚子も造型の大事さというか、映像を自分で作っているという自覚がありつつ、でも、もしかしたら弟子がみんなそれをやり始めると自分の立場がなくなるから、弟子にはあまりやってはいけないみたいなことを言いながら、自分はいちばんいいところはそれで作っていたのかなと時々思ったりします。
金子 そういう面があるよ。おれも「白牡丹といふといへども紅ほのか」、あのもったいぶった句を見た時に君の言ったことを感じたよ。
柳生 鶏頭の句とも雰囲気がちょっと似ていますよね。
金子 うん、似ている、似ている。自分ではああいう主観的な句が書きたかったのではないかな。だから、さっきの子規のあの句など、嫌がってしまった。こういうことはだめだって。それから、主観派は全部追い出されています。前田普羅、飯田蛇笏、原石鼎、みんな追い出されている。そういう点、非常に潔癖だったんだよ。だけど、内心は自分が作りたかった。そこがおもしろいところですね。あそこは彼も商売人なんだよ。あの人は商売人としては非常に上手な商売人で、スローガンがうまいでしょう。客観写生、花鳥諷詠、うまいことを言うねえ。

■これからの俳句の方法――イマジズムについて

柳生 造型、そして映像というものを踏まえて、これからの俳句の向かう方向がどうなっていくかというのは、海程に参加している若い人もいろいろ考えているでしょうし、関心があると思います。金子先生のイメージされるこれからは、どんな方向に向くと思われますか。例えば、僕などは俳人がノーベル文学賞を取るぐらいというか、本当は金子先生が取らなければおかしいと思うし、取ることで俳句が一つ進化すると思うんです。
金子 これからの俳句というと難しい・・・・・・。今の質問だけど、 スウェーデンの詩人でノーベル文学賞を取った人がいたでしょう(編注:二〇一一年、トーマス・トランストロンメル)。俳人だとも言われている、あの方のことをスウェーデン大使館でしゃべれと言われてだいぶ勉強したんです。勉強して驚いたのは、イマジズムというのがありますね。アメリカのエズラ・パウンドから出発した映像主義というか、イマジズム。あの詩の運動の影響力が結構強いということに気づきました。
 ゲーリー・スナイダーというイマジストは、愛媛県の正岡子規国際俳句大賞を受けて、一緒にお話ししたことがあります。R・H・ブライスという人が「俳句」という四冊本を英文で書いて、その一冊は芭蕉、蕪村、一茶、子規という四人の句を千何百、訳しています。それが戦後間もなくアメリカに行って、それをイマジストが取り上げた。イマジストにも東海岸のイマジストと西海岸のイマジストというのがあったようで、ゲーリー・スナイダーとギンズバーグは西海岸のイマジストだったようです。ことほどさように影響力が強かった。元祖のエズラ・パウンドはイギリスにいた時期があって、ヨーロッパにもヨーロッパ・イマジストと言われる人たちがたくさんできた。ノーベル賞を受けた詩人もヨーロッパ・イマジストの影響を受けているんです。だいぶ交わりがあったと、そばにいた女性の記録があります。
 だから、イマジズムの映像なんていうのはもっと勉強しないといけない。私もあんまり勉強していないので偉そうなことは言えないけれど、私らが考えているのと、いま柳生君やおれの言ったこととあまり変わらないと思うんです。長いことは言わない。ギュッと言う。客観だ写生だなんて野暮なことは言わない。それがノーベル賞を受けている。イマジズム、俳句という流れの中でノーベル賞作家が出てきたことは大きいし、これから日本の俳人でも可能性があるんじゃないですか。おれなどはもう年を取ったからだめだけど、もっと若いところで・・・・・。
柳生 先生がもう少し長生きすれば・・・・・・(笑)。
金子 いやいや、まるで無理でしょうね(笑)。
柳生 ホトトギスに近い人とそういう話をすると、彼らは映像で書くというのはわりと否定的だったり、かえって今の俳句が壊れてしまうから俳句はノーベル賞などもらわないほうがいい。下手にノーベル賞などをもらってしまうと俳句が壊れてしまうみたいな言い方をする人がいて、ああ、そういう考え方もあるのかなと思ってびっくりしました。
金子 よくわかります。花鳥諷詠でいいということですよね。あると思います。でも、これからはわかりません。

■口語定型をめざす

河原 私が入ったころはライトバースが全盛期で、いま海程ではそれが当り前のようになっていて、口語で書くこともはじめから受け入れていただいていました。口語で書くことの難しさ、緊密な韻律を作る難しさとか、口語は口語の問題があるかと思います。先生のお考えをお聞かせください。
金子 自由律俳句の連中とも接触していますが、まず何よりも、口語定型を作りなさいと言っています。日本語の定型はすばらしい音数律で、リズム感があるわけで、これがないとどうしてもだらけてしまう。だから、口語定型を作りなさいと言っています。放哉とか山頭火でも句をよくご覧になると、「咳をしても一人」式の、我々がいいと思っている句というのはほとんど定型に近い。日本語の定型はすばらしい詩形式なのではないでしょうか。
河原 それは口語でもあてはまるということですね。もちろん五音と七音の塊。
金子 そのあてはまるような努力をすることが口語俳句の目的ではなかったかとおれはいつも言っているんだ。そうするといやがられるんですけどね。難しいことを考えているわけじゃなくて、文章というのは口語で書くようになったんだから、俳句も口語でいいじゃないかと単純に言ってしまいますが、俳句という詩の形式はそんな単純なものではないんだと言っています。短いからいいというのなら、それは俳句じゃないと言っています。定型ということを意識して欲しい。
 我々の場合は逆に、五・七・五を考えて定型詩を書いているわけだから、ここへ口語を持ち込んでしまう。自由自在に持ち込んで書くという考え方でいいんじゃないですか。特に河原、室田のお二人さんがいい意味で大衆性があるというのはそういうことなんです。あなた方のリズムはわりあいに平気で口語を使っているんですよ。内容も口語的で日常的なところがあってね、それがまた親しみを持たれているわけです。それが非常に大事でないでしょうか。
河原 そういう口語はよくないという人もいます。ですます俳句とかね。
金子 そんな野暮なことを言う理由がない。野放しで口語で書くから、よくない、野暮な感じになるんでしょうが、五・七・五の定型にはめ込んでごらんなさい。すばらしい響きを持つんです。「咳をしても一人」なんていいじゃないですか。「入れものがない両手で受ける」「鉄鉢の中へも霰(あられ)」。ああいうのはやはり五・七・五が基本です。あの人たちはもともと五・七・五をやっていたわけだから。

■季語は世界に冠たる詩語

室田 俳句は短いので類型とか類想があるのはしようがないけれども、その中で、本歌取りも悪くはない。だけど、それをまたさらに発展させていくすばらしい季語を見つけなさいと先生がおっしゃっていました。季語は詩語、詩の言葉であるというのが、すごい印象的でした。
金子 絶対にそうですよ。やや誇大な言い方をすれば、世界に冠たる詩語と言っていいんじゃないかな。こんな美しい言葉は世界の詩でもあまりないでしょう。いま自由詩や短歌などを読んでも、彼らはわざと意識的に季語を外して書いているような作品が結構ありますよね。私はああいう詩に言葉のうえの貧しさを感じることが多いんです。むしろ自由自在に季語も何でも持ち込んで書いている詩のほうが豊かな感じがします。やっぱり季語ってすばらしいでしょう。だから、どんどん使ったらいい。それは口語も蜂の頭もない、季語はすばらしいということで使ったほうがいいと思います。
柳生 僕ぐらいの年になってくると季節が直接体に響いてくる。だから、季語というのは美しい言葉であると同時に、季節の流れが直接感じられる、体を通して感じられる言葉だという気がします。
金子 おっしゃるとおりです。体を通して感じられること。体感というかね。おれなんかも年のせいで晩秋なんていう言葉はとても身に沁みます。
 うちの人たちはわりあい季語をおろそかにしてきたでしょう。あれが皆さんの作っている俳句が特殊に見られてきた理由ではないですか。季語があるとかないとかではなくて、季語というのをおろそかに、特別視してきた。その人の言語感覚が句を狭くしてしまっているという面があるのではないかな。だから、季語に対してはもっと寛容で、どんどん受け入れたほうがいいと思うな。おれなどはいま特にそれを切実に感じるよ。

■原爆や原発事故も自分の体験としてとらえる

室田 社会性俳句の話がありましたが、今であれば、例えば福島の原発事故とか、そういうことが現代の社会性俳句になっていくだろうと思います。そうしたテーマで俳句を作るうえでの心得というか、注意するところはどこでしょうか。
金子 おれの場合、言うことが決まっていて、自分の体験としてとらえて欲しいということ。あくまでも新聞を読むような気持ちで、事実としてとらえているのではだめだと思います。体験としてとらえて欲しい。我が事のように思ってとらえて欲しい。おれはそんなこと、我が事のように思っていない。あれは福島のことだという人には作ってもらわなくてもいいわけだ。原爆然り、戦争だってそうです。我が体験としてとらえて欲しい。そういう実感が大事です。
司会 題材がどうのこうのではないということですね。
金子 そうではないです。あれは題材だという扱い方はだめだと思います。ホトトギスの人などに、原爆とか原発とかを書くことをえらく嫌う人がいるんです。それは我が体験として受けられないものだから嫌悪感を持ってしまうのでしょう。それはそれでいいと思います。べつに無理して作る必要はない。
柳生 先ほど先生がおっしゃった映像というのも、主観と客観があって、ある意味でその間というか、その二つが出会った時にその間で起こるものがたぶん映像なんだろう。長崎ならば長崎、福島ならば福島と自分というのが出会った時に、自分の中に立ち上がってくるものを書かないと・・・・・・。だから、福島のことだけを書くのでもだめだし、自分のことだけを書くのでもだめで、その出会いみたいなものが大事だということなのかなと思います。
金子 まったくそのとおりです。

■俳句モードに入る秘訣とは

河原 働き盛りの人とか、介護に追われている人とか、句会の前にあわてて俳句を作る人も、私も含めてたくさんいると思います。自分の体がなかなか俳句を作るモードにならないことがよくあるのですが、先生はそういう時にどんなふうなおまじないとか、行動をなさるのでしょうか。何か俳句モードのスイッチをオンにする秘訣のようなものがありましたら、 皆さんにこっそり教えていただけますか。
金子 そういう場合に密かにやっていることは、夜明けの目が覚める時、その時間をつかまえて俳句を作ります。そうすると、映像が熟してくる。仰向けになって寝て、自分の中で映像作りをやるということですかね。それをやるとできてきます。夜明けの床を利用してもらうといいと思います。若い人はそういうのは・・・・・・(笑)。
柳生 じゃあ、寝覚めのぼんやりしている時間を長くとればいいのかといったら、たぶんそうでもなくて、その前に先生であれば、いろいろなものを自分で体験して、よく見て、その存在感をつかんでおいて、それを熟させるということがあるわけですね。
金子 イエス(笑)。おれは紙を持っていて、メモをどんどん書いています。自動車に乗っかって来ている時にちょこちょこと書き留めて。みんなまとまっていないけど、自分の中でワーッと出てきたものを書く。これが大事です。
柳生 それが熟していくということですね。
金子 そうです。
室田 バンを発酵させるみたいな感じ?
金子 発酵、発酵。
河原 だから、種がないとだめなんでしょうね。
金子 そうです。でも、種はたくさんあるでしょう。寝ている間に考える。自分の体験を追っていると種も出てくるんですよ。体験を追うことが大事です。おれの場合、もう年だから幸いなことに夜中に目が覚めることも結構あるんです。だから、横に溲瓶を置いておいて(笑)、それで夜明けに集中する。
司会 最近、何かというと、「あれをするな、これはだめ」という主宰が多いように思います。俳句の創作にあたって、 あれこれ制約を設けるのはよくないといつも思っているのですが・・・・・・。
金子 大賛成です。特に文法を言うでしょう。あれがいちばんよくない。助詞のことを議論して、これは「で」がいいかとか、「だ」がいいかとか、まったく意味がないと思う。細かいことにこだわってね。べからずが好きだね。
司会 最後に、柳生さん、いかがですか。
柳生 映像の話とも関係しますが、俳句というのは、句会のその場でわかっていいと思う俳句と、その場ではいいと思えないけど何か印象に残って、後で、ある時、もしかしたらああいうことかなって気がついて、よさがだんだんわかってくる俳句があります。特に映像で作るというのは、見た瞬間いいと思うかどうかというより、そのへんの読み手の心の中でも熟していく俳句を目指すことのような気もします。だから、 句会だけの結果にとらわれ過ぎるとよくないかもしれません。
金子 そうです、そうです。
司会 いいまとめをしていただきました。
一同 金子先生、ありがとうございました。

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