『海原』No.65(2025/1/1発行)誌面より
森武晴美句集『猫の前足』
はっきり・すっきり・にっこり 河原珠美
熊本の森武晴美さんが第一句集を上梓された。桜色の表紙には、黒猫の絵が。装丁はお嬢さん、題字はお孫さんが参加されたそうだ。愛猫家の晴美さんらしい句集だ。
実に丹念に、そして的確な序文は、熊本の野田信章氏。お二人は職場が同じ熊本貯金局で、俳句もずっと一緒に研鑽される旧知の間柄だ。晴美さんは、野田氏を大切な先達だというが、お二人のやり取りは父娘のようで微笑ましい限りだ。
野田氏の序文によると、晴美さんは平成十四年「海程」参加とある。私が初めて晴美さんに会ったのは、宮崎県青島での、金子先生の句碑建立の時だ。楚々とした和風の方とお見受けしたが、なんと竹を割ったようなお人柄。お互いに猫好きということもありお付き合いが始まった。
まずは猫の句から読んでみたい。
胃の上に猫の前足花の冷え
句集の題名になった句だ。あとがきによれば、「海程」同人になって最初に金子先生の秀句に選ばれた句だという。まず「胃の上に」という上五の率直さに目を見張る。もっと愛猫を詩的に描きたい、などと思ってしまうのではないだろうか。しかし上五、中七と読んでみると、映像がすっきりと立ち上がってくる。下五の気取らなさも好感度が高い。「花冷えや」では、かえって気取りとも感じられ、この句の良さは薄められてしまう。次に黒猫のシュウ君の追悼句と思われる句。
黒猫や月への道を探し逝く
哀惜の想いは強いが、ベタつかず、あっさりと描かれている。晴美さんの竹を割ったような気性の賜物といえよう。
たらふくでもなかろうに野良猫に北風
呟きのようでもあるが、理不尽な出来事へのアンテナは、いつも研ぎ澄まされている。また、作者が働く人、多分テキパキと業務をこなせる人、であったことも、作品に大きく影響しているように思える。痛快な作品群からいくつかを。
衣被その話なら乗ってみる
カラスノエンドウわたしの立位置はここ
茎立や貴方にはあなたの動詞
矜持など虫に喰われよ白ききょう
小気味良いリズムに引き込まれて、読者まで痛快な気分になってしまう。
次に、いわゆる「血族俳句」と総称される句群から。
九十歳になりたくない義母豆ご飯
崩れゆく義母加速して 晩夏
小春日や義母はまったく宇宙人
おひさまの匂いの毛布義母の足許
義母もまた嫁でありしよ豆打ちて
介護とは半眼でよし秋刀魚焼く
晴美さんは五十四歳で早期退職をされている。それまでは、きっと孫達のお世話もして下さっていたお姑さんを、お世話する立場となったのだ。お姑さんを義母と書き、どの句もからりとしている。だからといって薄情でも、意地悪でもない。きちんと経過観察をし、愛のあるお世話をしていることは、これらの句群からも察せられよう。実に知と情のバランスの良い人だと思う。では、御両親のことはどのように描かれているのだろう。
石蕗咲くや母を見初めた父が好き
父が好きな母の恥じらい寒椿
麦秋や畑見る父父見る母
母の日の母が素直で淋しかり
父の日に父の介護用ズボン
クレマチス母やら猫やら要支援
母ひとり心急かるる木の実雨
寒の雨一人の母とひとりの私
御両親のことが大好きだった晴美さん。謎解きのような、言葉遊びのような句群が微笑ましい。
また、どの作品群も韻律が良く、しかもその韻律はスピーディだ。だから、どんな内容の句であっても、からりとしていて嫌味がない。序文の中で野田氏は、「俳諧の諧の精神が自ずと彼女の中で自得されるようになったとしか言いようがない」と書かれていることからも分かるのではないかと思う。
昭和の共働き家庭というのは、現在よりも困難が多かったように思う。男達は企業戦士として家庭を顧みる余裕さえないのが当然のような風潮であった。ましてや既婚女性が、正社員として勤務する困難さは、いうまでもない。
ふらここの揺れるを見ている夫といる
週末は夫の赴任地合歓の花
腕を組む夫の温もり凍月夜
山茱萸やメモ魔の夫の忘れ物
いつも二人時に一人や夏きざす
時々は夫唱婦随や破れ傘
小春日やこのごろ婦唱夫随です
うたた寝の冬日の夫の上に猫
それぞれの半日二人の冬日向
会えること生きていること桜咲く
夫恋いの句を挙げてみると、御夫妻のそれぞれの年代の歴史を辿るようで実に微笑ましい。「夫唱婦随」が、いつのまにか「婦唱夫随」になっているのも、晴美さんらしいユーモアだ。
何事もはっきりと主張するが、表現はすっきりと率直。読後の温かさ・爽やかさには、思わずにっこりしてしまうのが、晴美さんの俳句なのだ。