自らを耕し深めたもの 武藤鉦二
句集『天地』は、著者が俳句を始めてから一〇年の三二〇句である。句作りを始めてすぐ「海程集」で金子兜太主宰の選を受け、たちまち新人賞候補に名を連ね、二〇一六年同人に推挙されている。嶺岸は「もし俳句に出会わなかったら、どんな一〇年になっていたか」「俳句の魅力は想像以上でした」と言う。
真っ直ぐは疎まるる性韮の花
実は根がはにかみ屋です菠薐草
決め台詞持たずに生きて心太
中村孝史の序文によれば、嶺岸は「僕は理屈っぽい男なんで感性を磨くために俳句を始めることにした」と自己紹介したという。真っ直ぐで正義感強くやや理屈っぽく、はにかみ屋で、すかっとした啖呵など吐けなかった嶺岸が、次第に視野を広げ、隠し持っていた感性を伸び伸びと生かしている。それぞれ「韮の花」「葱坊主」「菠薐草」「心太」の配合に、それが表れているではないか。
宮城に住む嶺岸は「俳句を始めて一〇年の中で最大の出来事は、あの東日本大震災と福島の原発事故だった」と言い、何とか句に詠もうともがき続け、特に「原発事故と人々の暮らしへのこだわり」を持ち続けている。
津波あと錆びし鉄路に鼓草
手付かずの廃炉横目にあめんぼう
萬の向日葵被曝の大地掴み立つ
大津波に呑み込まれて不通のままの線路にけなげなまでのタンポポの黄色が鮮烈だ。五〇年・一〇〇年掛かって処理できるのかも不明な壊れた原子炉、被曝のため全村避難して無人と化した大地に踏ん張っている無数の大向日葵。
避難児の空席ひとつ冬日差す
高校教師だった彼は、教室の空席ひとつに顔を曇らせる。大震災・津波により避難した生徒の席なのだ。私も中学教師だったので、被災ではなくてもその日の空席が気になって落ち込んだもの。何日ぶりかの冬の日差しのなか、ぽつんと空席のあるつらさ。
疎まれてタンク千基の春の水
メルトダウンした原発からの汚染水のタンクが、日々増えていく。この汚染水は処理できないまま、どこにも持って行けないまま、増えていく。それさえも春の水であることの辛さ悲しさ、そして怒り。さらに、被爆地の汚染土も、真っ黒い袋に入れて各地に積み上げられたままなのだ。どこにも持って行けず処理できない汚染水のタンクと汚染土の黒い袋が積み上げられているフクシマの現実がここに描かれる。
教職を退いたあと、彼は畑仕事に精を出している。「たんぽぽや端農身の丈に合う」と作り、「端農」として土を耕す。
大根抜きし洞にいのちの温みかな
理に傾きがちな面があると自覚していた著者が、土に根ざし作物を育て始めたことは、彼の感性を掘り起こす大きなきっかけになっているようだ。畝を盛り上げ、種を蒔いた時から日々丹精込めて育てた太く立派な大根の収穫の喜びを体感する。立派な大根を抜いた後の畝の黒土に大きく空いた穴・つまり洞に、命の温みを感じた嶺岸の表情が見えてうれしい。「~洞にいのちの温みかな」の実感のすごさに目を見張るばかりだ。
大白菜尻の重さを抱き穫る
同様に、大きく育った白菜を、全身で女性を抱くように愛しみながら収穫する。
へぼ胡瓜健全という曲がり方
曲がれるを誇りに峡の地大根
飽食の現代は、真っ直ぐに育てた胡瓜でないと売り物にならない。曲がった胡瓜はへぼ胡瓜として処理されてしまうが、胡瓜に罪はない。自由に健全に育って曲がっただけなのだ。地大根も、大地の様相によって曲がっただけなのだから、威張って当然なのだ。農作物への嶺岸の愛が強く表れている。
青空へ大地うっちゃる大根引
自ら農家の端くれと言いつつも、大根をうっちゃるのではなく、大地をうっちゃるほどになっているのだから。
武器持たぬものの尊厳冬菜畑
「兜太主宰の選の無い『海原』は都会的なセンスの句が主流になって、土臭い句は流行らなくなるぞ」と言い切った人もいて、その通りかも知れぬ。が、それはどうでもいい。嶺岸は宮城の地に、武藤は秋田の土にこだわっていくばかりだ。
不易とは母の猫背の草むしり
父の背は最初の他人蛇の衣
働く母の姿が目に焼き付いていて永遠に変わらない。また、どうにも敵わない男としての父の姿に嫉妬すら覚える息子のまなざしがいい。
歪むからこころなんだよしゃぼん玉
すててこの捨てがたきこと蛇の衣
遁走に処世の快感耳袋
自分を「理屈っぽい男」と言っていた彼のこの柔らかさはどうだ。また、
春一番パソコンを猫踏んじゃった
逃げ水を追う猫放哉かもしれぬ
など、遊び心を持ち始めた余裕ある句作りもうれしい。素材も対象も無限に拓いていく可能性が見えてくるのだ。
亀鳴くや大器晩成にして余生
余生にも種火はあるさ茄子の花
これからへの意気が頼もしい。ぜひ余生の中の種火を基にして大器晩成を目指してほしいものだ。
そのほか、触れたかった句。
廃校の夜空はまろし盆踊
藁蒲団少し角ある温みかな
冬の駅みな隠し持つ尾骶骨
他人救う嘘もあります心太
子連れママみんな素っぴん青蛙
終わりに、嶺岸さとしの兜太先生追悼の一句をあげおく。
兜太逝く春星天に収まらず
(文中敬称省略)